はてなキーワード: 修士号とは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 85 | 12720 | 149.6 | 46 |
01 | 64 | 8254 | 129.0 | 44 |
02 | 27 | 3957 | 146.6 | 34 |
03 | 10 | 1190 | 119.0 | 67 |
04 | 5 | 554 | 110.8 | 39 |
05 | 4 | 3483 | 870.8 | 24 |
06 | 11 | 3857 | 350.6 | 110 |
07 | 12 | 1511 | 125.9 | 77 |
08 | 38 | 2363 | 62.2 | 36.5 |
09 | 40 | 3898 | 97.5 | 41 |
10 | 55 | 10279 | 186.9 | 52 |
11 | 48 | 5402 | 112.5 | 53 |
12 | 98 | 9592 | 97.9 | 30.5 |
13 | 95 | 8929 | 94.0 | 28 |
14 | 90 | 12657 | 140.6 | 48.5 |
15 | 107 | 10811 | 101.0 | 48 |
16 | 148 | 11299 | 76.3 | 45.5 |
17 | 180 | 18883 | 104.9 | 47.5 |
18 | 194 | 21074 | 108.6 | 56 |
19 | 121 | 15379 | 127.1 | 49 |
20 | 123 | 16657 | 135.4 | 47 |
21 | 158 | 17378 | 110.0 | 40.5 |
22 | 164 | 15129 | 92.3 | 36 |
23 | 159 | 23498 | 147.8 | 63 |
1日 | 2036 | 238754 | 117.3 | 47 |
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アドバイスは求めてないと思うけど、学費含めたお金の問題をクリア出来るのであれば留年して修士課程を修了したほうが良いんじゃないかな。
①「バイオテクノロジーってカッコ良さそう。」というノリで生物系学科に進学する。(勉強はあまり出来ないのでB4でピペドとなっていた。)
②「リーマンショックで不景気確定なのに就活やりたくないよ~」と言って大学院へ進学する。
③B4時から薄々感じていたが周りの人間のレベルについていけなくなり引きこもりっぽくなる(当時は一人暮らしていたのでアパートとコンビニとATMを往復する毎日であった。)
④自分と連絡が取れなくなった指導教官が両親に連絡して心配してアパートに来て自分を連れ出し嫌々ながら研究室に行くようになる。
⑥除籍は流石にマズイので先輩から実験データをもらって何とか修論を書く。
大学院で研究に打ち込んだ事はいい経験になるみたいなことを言う人いるけど自分にはそれもない。修論の実験データも先輩からの貰い物ですし。
それでも修了しちゃえば修士号持ちになるわけで、就職する時に大卒より高い修士卒の初任給を得たのよ。
あの時は本当に大学院行って良かったと思ったよ。
ひたすら日勤がつらい。というか午前とか昼とか言われる時間帯に起きているのが身体的にかなり負担。
普段は寝る時間帯に起きて覚醒していない仕事で14時くらいまで仕事して、
本来寝たい時間帯に無理やり起きてるせいで、生活時間帯である夜にも寝れるけど、
だから、翌日が休みの日は普段起きる時間にベッドに入って、夕方まで寝てる。
最高に体調がいい。
歯を食いしばって何とか修士号を取ったせいで、無駄にプライドがあって
学歴を活かせる仕事をしたいと思ってしまうのがいけないのかな。
でも、学生時代遊ばずに何とか修得したものだから、学歴不問の工場勤務とかしたくないと思ってしまう
でもこのままじゃつらい。
『この割れ切った世界の片隅で』を読んだ。クソだった。主体性がない。思考停止だ。何が統計だ。
アレは与えられた自我だ。存在しない役を演じようとする愚者に違いない。良く言ってあの文章は何も変えられないし、下手をすれば誤ったメッセージになるだろう。
彼女の本当の仇打ち相手は長崎にも東京にも求めるべきではない。
おめでとう。彼女(君)は偉大なるあの割れた世界の壁(境界)を踏破したのだ。あの誰も越えることの出来ないはずの地域差の壁、格差を。そして熱にうなされた君は他の都会の連中や馬鹿には見えない、触れも出来ないあの透明な壁を崩すことに躍起になっているのかもしれない。だが、本当はわかっているだろう。それは幻想だ。
「けんじゅうのほうが楽しいーー!!」とAを選んだあなたはきっと正解です。身の丈にあった生活を選びましょう。拳銃の方が楽しい人はBを選びましょう。大陸間弾道ミサイルを打ちたい方はCを選びましょう。
テキトーな話は追いておいて、彼女が格差の象徴として提示したこの三つの世界は、フラット化した世界では同じ条件の同じ戦場であり、国連職員を目指す上でも本質的には何も違わない。
チャンスと試験は場所に関わらず平等だ。そのことにどうして気づいていないのだろうか。そうした話をした上で世界や社会ではないところに論点があることを示したい。
『いびきの鳴り響く会場。眠りこけてよだれを垂らす隣のおじいさん。「誰も聞いていないだろう」と適当な話を繰り広げる講師。たった一人聞いている私。全てが嫌になって、アンケートの評価項目すべてに1をつけてワンワン泣きながら外に飛び出した。』
『私のこの「別世界コンプレックス」の決定打となったHLABであった。HLABとは全国から集まる高校生が集まり寮生活を体験するサマーキャンプだ。そのほぼ100%が有名私立高校出身である。』
全然学ばないのな。 いや、悲劇のヒロイン症候群やってるのか。よくもまぁそんなに無駄にできる時間があったものだ。よく調べれば事前にわかることで話は終わっているし、その機会をさらに活用できなかった、しなかったのは君に執念、目的がなかったからだろう。
君の「周り」の人間はさぞかし大変だろう。君はいつも「周り」に大量の支援を要求するくせに、君はツラくなる度「周り」や「身近」が悪いと君の全責任を被せ断罪する。救いの手を差し伸べたつもりのクラウドファンディング支援者も近いうちに全員断罪されるだろう。「どうして半端な希望なんて抱かせたの?」と。
挙句、「お前の成果はお前の努力の成果だと思うな。東京の人間は本屋、電車、塾、ぜんぶがぜんぶに支えられてるたけだ」だと? なるほど、東京に来た君が断トツの最下位になるわけだ。他の奴等は他人の手じゃなく2本の足で支えられてるからな。
君が東京に来ても本屋も電車も塾も君には手を貸さないだろう。東京の人間が君とは異質なままだったように。長崎大学が君を見限ったように。君が同級生を見捨ててきたように。
そもそも世界は既にフラット化している。情報は誰でも大抵の情報は無料で公開されており、ググれば出てくる。SNSを使えばどういうやつが、どういうことをしているか、顔写真も見つかるしコンタクトも取れる。
フラット化した世界では東京と長崎の間には境界も情報格差も存在しないと見なされているし、対等に競争しなくてはならないし、残酷だがそれが可能な時代だ。可能である以上、これは魂の問題だ。
少なくとも東京の敵が長崎から討てる今、あなたの失敗を「周り」や地域格差に帰着させるべき道理はない。
親の資本と同級生の社会階層を東京の金持ち学校の生徒の持つそれと比べたときに有利不利は発生したかもしれないが、それも地域格差の問題ではない。
「情報が無いなんて甘えだ」とでも言うのか?
そうでしょ。それこそ『甘えwww』でしょ。スマホあんじゃん。学校にパソコンあんじゃん。執着があったんでしょ。ならそれを実現する手段を探すなんて当然の行動じゃん。っで君も最初は当然の行動したじゃん。最初だけ。すぐに悲劇のヒロインぶって話を逸らしたけど。
君が現実逃避して望んだように、誰しもが受動的に機会や情報が与えられるようになった世界が存在するならば、君はきっと英語の地方大会は予選落ちだろうし、君が見下していたクラス内ですら君は上位を取れなくなるかもしれない。
君が享受した意欲的な人限定の教育リソースの配給量は減り、凡人間の差が消え帰国子女と文化資本の持ち主だけが圧倒的優位を築くことになるかもしれない。まぁでも君がそれを望むなら、どうか人の邪魔にならない世界の片隅とかでそれを祈っていてくれ。
あと「人の努力は環境のお陰で、帰国子女じゃない私の英語の努力は正義」ってよく言えたね。「格差を言い訳に思考停止してるの甘えwww」だし「クラウドファウンディングとかめっちゃくちゃ甘えwww」だよ。
東京の人間は君と違って地方予選の一回戦から格上との対決も避けられない。その状況下で上を目指すなり、優位性を見つけるなり、撤退するなり、貧困に落ちつくなり自身のあり方が規定される。残酷だね。
一方、半端な君は自分より出来る人間を観光先に見つけては「アイツらは卑怯なだけ」と悪態を付いては逃げ出す。競争による規定から逸脱した上で、地元で他人に責任をなすりつける。幸福だね。
他人と競争するスタートに立ててないし、本当は参加資格もないよ。ヌルさが許容される土地に生まれたことを幸せに、そして誇りに思うべきなのに。
この袋小路の不幸は、君が自身のあり方を君自身で決断する重要な機会を奪った、あの「国連職員」が招いたものだ。
国連職員の方に会った瞬間、涙が止まらなかった。こんなにちっぽけな自分に、雲の上の存在の方が目を合わせてくださっている。
頭を撫でてくださっている。その事実だけで嗚咽が止まらなかった。「遅くとも大学から、できるなら高校から、海外に出たほうがいいよ。」その一言で、心は決まった。
はい、皆さん。これが不幸の種です。希少な現物です。高級品です。粉末にして牛乳に混ぜてコネクリまわすと国連憲章を暗唱する小学生とか作れます。地面に植えたら不幸の木が育ちます。
これはただの社会的地位を悪用した生き方の押しつけだ。どうしてこんな酷いことを言うのだろう。中学校の教師が生徒に「君の実家の都合は知らないし興味ないけど、高校はアメリカの学校に進むと英語が得意になるよ。大学からでも良いよ。でもそれしか君の夢は叶わないから。」と言うだろうか。
国連職員は確かに海外生活が問題なく送れる程度の語学力と修士号が必要だが、現実的な方法として国内の大学で長期留学するか、成績取って海外大学院に進学すれば良いじゃん。
この国連職員はフィリピンの少年院を訪問しても言えよ。『遅くとも大学から、できるなら高校から、海外に出たほうがいいよ。』と。
東京まで行って参加したコンペに関して、受賞歴数バトルしてる世界観なら勝った数だけが大事だが、(もし)執着があったなら心の傷とか言って逃げてないで君は何もわからないなりに参加し続けるべきだったよね。
勝ち方は選べないが、負け方はそれなりに選べる。観光気分で参加した「なんとかチャレンジ」は負けれてよかったね、恥かけてよかったね。次はもっと本質的な醜く哀れな負け方ができたら良いね、そしたらそのうち勝負のスタートに立てたかもね、だ。もう手遅れだが。
これで『私は運命の流れを変えた。』と自称しているのは非常に片腹痛い。君のその薄っぺらい努力で変わる運命ってなんなんだよ。
鞭とわずかな餌で踊りを仕込まれた一匹の動物には、面白おかしい運命の綱渡り芸くらい見せて欲しかった。それが派手に失敗して落下したなら滑稽だった。でも残念ながら差し込んだ光明にも目を背ける君の主体性は植物未満だった。
ヒッピーもどきには難しい話になるかもしれないが、「ある種の」格差是正の担保の仕組みとして公正性・透明性ってあるじゃん。クラウドファウンディングって結構な歪みだよね。あれは君の大好きな格差社会が生み出した富める者の道楽だよ。
他人の人生を、雲を挟んだ安全圏からラジコン操作する道楽より悪いのは相続税100%ではないことかもしれないし、ソクラテスの『国家』が未だ実現されていないことかも知れないし、共産主義革命が実現されてないことかもしれませんが。
クラウドファウンディングの資金は、カンボジアの人跡未踏の山奥の誰にも見つからないところに井戸を掘ったり学校を建てるのに使うのがよい使い道なのではないでしょうか。
へぇ~、コロナは君にとって前向きに作用したんだ。そうなんだ、よかったね。「ふつう」の人はコロナの所為で教育格差が広がって苦しんでるよ。
格差についてもっと言うなら、君が戦うべき、憎むべきは東京の謙虚さの足りないあのおぞましい連中なのだろうか?
声なき声を上げても助けてもらえなかった「君の同級生」は君が主張するように社会の当事者全員で憐むべき対象だったのだろうか?
EFチャレンジという動画スピーチコンテストで何故か決勝に勝ち進み、東京へ母と向かった。
結果は惨敗だった。発音の悪さから能力を見限られたのか、審査員からの質疑応答でも聞かれたのは"Why do you study English?"の1問だけだった。
"Why do you study English?" この質問が全てで、君にはそれ以上の質問は必要ないだろう。っていうかこの質問はあまりに高尚すぎる、勿体ない問いだ。
それに君の周りの「ふつう」はこの質問まで辿りつかないらしいじゃないか。君はこの質問の答えを準備出来ていたのかい?
英語の民間試験が大学受験に必須?英検の受験料が皆払えると思ってるんですか? 思考力や文章力が重視される? 現代文の得点が、触れる情報量の差から圧倒的に地方のほうが低いのをご存知ですか?
留学プログラムの書類。今まで「自分をアピールする」経験なんて一度もしたことない、本当にいちばん海外から遠い子たちは応募書類を書くのもままならないこと、知っていますか?
大好きな統計を持ち出すなら長崎県の大学進学率は45%だ。50%未満だ。(クラウドファンディングを抜きにしても)君は君が所属していると思っている世界の分断の象徴になるのは本当は相応しくないのかもしれないし、君自身の「ふつう」のポジショニングの見直しを検討するべきではないだろうか。
その分断の壁って本当に越えられないものなんですか?
あなたに越えられてあなたの同級生が越えられない程度の壁ってなんなんですか?
どうして平然と英語なんて学んでいられるの?
『どうせ地元で英語の先生をするくらいが限界なんだろうな』と思っていた。でも外国の『不条理のせいで牢獄に囚われている恵まれない子ども達のために、人生を捧げようと思った。』
『しかし、周りのサポートのお陰で「大好きな人に囲まれてここまで来た自分」にアイデンティティを持てるようになった。ようやく、「未来は自分の手の中にある」と思えるようになった。』
いや~流石、雲の上の存在から目をかけてもらえる人間はやっぱ違うわ。選択肢も目のつけどころも「ふつう」とは異なるんだね。きっと雲の上にいる自分自身の明るい未来だけが想像出来ているのだろう。その格差雲から降って湧いたその貴重なお金で是非フィリピンのジャニーズ少年とお友達になって来てほしい。
でも地元で英語の先生する方が私は向いてると思うよ。東京の私立高の高層ブルジョアジーと戦う長崎の自由の女神像を無理なく演じられているようだし、その役回りを続ければよいのではないでしょうか。
あの記事がそうだったように駄目な大人や子供はそれで騙くらかせる。(ついで次世代に呪いも継承出来るかもしれない。)
まぁ君が見捨てようとしている君の地元、「世界の片隅」はその地方消滅まであと何年間猶予があるかは知りませんが。
確かに地元に残るのが良くないのもわかる。きっと君はただの社会の被害者で、君の言うところの「社会を創る」側に値しないのだ。これまでも「周り」の友人、「周り」の社会、「周り」の不条理すら変えられなかったのだから。 (そういう「運命ww」だったのだろう。可哀想に。)
ならば君は「選ばれし側に立つ、想像力が不足した遠くのご友人」とやらに一生祈り続けていれば良い。
「君」と二人称を使ったが、この文章に作者を中傷する目的はない。ただ、あの未熟な文章を読んで世の中をわかった気になってる大人が許せなかった。
人には人の執着、才覚、生まれがある。他人の意見や「周り」にしばられる必要なんてないし、不平等な世の中ならば好き勝手に生きてなんぼだ。
「身の丈に合わせてもらえれば」この言葉が生まれる背景には、「社会を創る層」「そうでない層」の分断があるのではないでしょうか。
地元が恋しいなら君は「国連職員の呪い」とジャニーズ系男子を忘れて地元に残って「社会を創る層」になればよい。
そうでないなら、これまで周囲の不条理に目をつむり地元という鉄格子の中で暮らす人々の苦労に沈黙し続けてきた君は帰属意識も捨て、地元の未来も見限って「そうでない層」として海外で救世主を演じればよい。誰しも、お好きな方を「自由に」選んでよいのだから。
ただそこに迂闊に何か大きな意味を背負おうとしてはいけない。君は日本の不条理と戦う、清く正しき人口の半数を代表する「ふつうの」正義の味方ではない。
まず、そんな大層なものは背負う必要はない。それこそ誰の身の丈にも合わないものだ。奨学金という「ふつう」の努力・競争を踏みにじって得たそのあぶく銭で自分のことだけ考えていればよい。
そもそも何が大多数だ、何が日本の「ふつう」の感覚だ。東京圏に人口の三割が住んでいるんだぞ。三大都市圏で5割超だ。それに長崎も佐世保も中核都市であり「ふつう」の田舎町ではない。
地方間の貧富格差の改善より地方都市の消滅が先で、情報格差はインターネットを活用すればネックにはならない時代だ。東京に住んでいれば、全員が英語を話せるようになる訳でもないし貧困は都市にも存在する。
都市部で行われる資本投下による激しい教育リソースの奪い合いに敗北した先の安定した貧困に落ち着くより、地方でぬくぬく運良く進学校に進めたことを幸せだと思えないのだろうか。
君は大多数の代表ではないし、そもそも一体、何を代表するんだ?君がちゃらんぽらんな態度で東京に目を向け見放した、(端から見捨てていた)生まれてから死ぬまで「ふつう」と日常(地元)の牢獄に縛りつけられる人達と君はもう既に別の視点、価値観を有してるだろう。
君が「地方で苦労している大多数である私達を東京の人間は憐め」「地方で苦労した私の努力を人は重んばかれ」と語るのははっきり言って不快だし、そんなのにシンパシー感じてる大人は反省しろ。お前も「国連職員」、ラジコン・観劇趣味かよ。
彼女に理性と人生を取り戻させてやれよ。あんなクソ以下のつまらない押しつけられた呪われた"社会的な"生き方を本当に演じるなら、祈祷室に籠って一生祈り続けるだけの方がまだマシだ。出て来ないで欲しい。
きっと彼女も大学で学ぶ間に、悲劇のヒロイン役を辞めて自分自身と向きあえれば目が覚めるだろう。社会と個人は違うのだ。覚められればよいが。
頭が良い。努力家。背が高い。細い。面長。男らしい。周りの人を大切にする。人に好かれる。丁寧に話す。文章が綺麗。良く笑う。人と歩調を合わせるのが上手い。声が甘い。ターンが美しい。ロング丈が似合う。修士号を持っている。天職に着いている。アピールポイントを持っている。生きている。
私は頭も良くなければ何につけても三日坊主で努力できない。チビ。デブ。勿論脚は短い。可愛らしくもかっこよくもない。友人は少ない。関わりたくないときは半年くらい人と連絡しない。話をまとめるのが苦手。語彙が少ない。ストレートで卒業できない。長所が浮かばない。安楽死の機会があれば死にたい。
自担は驚くほど良く出来た人間だ。歌も踊りも喋りも大好きで録画して何回も同じ場面を再生したりする。最高にかっこいい。こんな人が現実に存在する。自担は最近クイズ番組に出ることが多い。アイドルでは無いから比べるもんじゃないけど畑違いでも自担と同じかそれ以上知識も経歴も何もかも持っている人がごまんといる。
打ちのめされる。好きな人の輝きに潰される。こんな矮小で価値の無い人間で申し訳なくなる。十人十色と言われても私は銀鼠色とかなんだろう。自担を愛するために生きている。自担の活躍を目で見るために生きている。自担の舞台が、コンサートが、動画投稿が、次はいつだからそこまで頑張ろう。そういう活力なはず。なのに惨めになる。自担は悪くない。私の考え方がおかしいだけだ。自分と正反対だから自担が好きなんだろうか。ただのコンプレックスによる気持ちなんだろうか。そんなの自担に失礼すぎる。
恥ずかしくない自分になりたい。堂々と人に紹介できる自己が欲しい。背が欲しい。細くなりたい。知識が欲しい。人を大切にしたい。自分を大切にしたい。努力ができるようになりたい。きっとずっと私はこうやって思い続けるだけで行動しないのだろう。そこが自担と私の決定的な差、一生かけても私は自担のようにはなれない。
こんなになりたいけど多分なるつもり無いんだろうな。
高校卒業までは携帯電話を持っていなかった。大学入学から今まではイエデンワ(PHS)で過ごしてきたが、PHSがなくなるということで先日スマホを契約した。
割とごちうさ好きだし、スマホを持ったら『きららファンタジア』ってゲームをやりたいなと前々から漫然と思っていた。
で、意気揚々と『きららファンタジア』を始めた。親切にチュートリアルもついている。ついているのだが…
説明を読んでも、実際に説明通りやっても、チュートリアルをプレイしてもゲームのルールが一切理解できなかった。
理解できなかったので『きららファンタジア』を起動することもなくなった。
ソシャゲってよく「バカ御用達」みたいな扱いを受けるけど、それすら理解できない自分の頭ってなんなんだよと思う。
ついでにトランプや遊戯王、MTGのようなカードゲームのルールも理解できない。野球など球技のルールも一切理解できない。何度説明聞いても意味すらわからない。
そういえば高校の頃国語と数学と英語と化学の成績は学年最下位をうろついていたし、やっぱり底抜けのバカなんだろうなとは思う。知能テストでIQ70切ってたし。
とはいえそうなると地理と公民の模試で全国偏差値70~80をうろついていたことや社会学で修士号とったこと、政策系シンクタンクに勤めていたこととの整合性がつかなくなる。
まあ地理と公民は常識問題の占める割合が著しく高いし、社会学の世界も魑魅魍魎としか言いようがないので、やっぱり自分が底抜けのバカなだけなんだろう。
社会人が過労や人間関係でメンタルを病んだら転職やら休職がファーストチョイスなのは分かる。
では大学院生ならどうしたらいいのか?
気軽に研究室を変えられる訳ではないのだ。
もちろん時期や分野や本人の希望などケースバイケースなのはごもっともなのだが、どうしている人が多いのだろう。
うちのラボの病んじゃった先輩はどうするのが最善なんだろう。私に出来ることは何だろうか。卒業できるのだろうか。教授は修士号を与えるつもりなのかな。ちっともラボに来てないのに修士号与えるなんてずるい!という同僚の気持ちも理解できるだけに、どうにも苦しい……。でも修士取れないと多分内定取り消しだしなぁ。
それにあと1年休んで復帰したとして、ちゃんと通いきれるのか怪しい気がする。この閉鎖空間が嫌で病んだんだろうし。
先輩はどうするつもりなんだろうか。あまり自分を責めないでとにかく来ればいいのに。鬱の人に来ればいいのにって言うのも酷なのか?もうどうしたらいいのか分からん。
■半年前の日記 https://anond.hatelabo.jp/20190615163022
盲の人が叫んだらしい。いわゆる障害者部屋で。相手は職場のありとあらゆるすべて。同じ障害者の人からそれを聞いた私は、はははとしか言いようがなかった。そりゃそうだ。何の疑問もなくそう思った。
今年の4月、うちの会社は急遽障害者部屋を作った。障害者の雇用率が全く達成されておらず、世間からぼこぼこに叩かれて急遽作らさせられた障害者部屋。何十人という人間を詰め込んで、雑務に近い定型作業をただひたすらにやらせる。よくある特例子会社を社内に作ったような部署だ。
私はそこに4月から障害者枠の正社員で採用された。中途の社員もほとんどいない中、障害者雇用率は大幅に未達。障害者がほとんどいない、新卒プロパー純粋培養の環境。そこに大量の障害者。はっきりいって、一切歓迎されてないということだけはビシビシに伝わった。山のように障害者がいる障害者部屋に、管理者と呼べる人間はいない。あえて管理者だというのなら、急遽外から雇った福祉士とかそんな感じ。誰一人プロパーのいないこの部屋で、一応名前だけは責任者ということになっているプロパーは、障害者が障害者同士でサポートしてくれればいいな~と苦笑しながら部屋に来ることもなく言っていた。私は新人なので会社のことはわかりませんが、誰も関わりたくなんてないのだけはよくわかります~。そういう状況だ。
4月に入ってから今月に至るまで、半年以上の間、目の見えない彼女には仕事が与えられなかった。
盲の人にできるような仕事が切り出せない。切り出せないからやりようがない。正確には、切り出そうと思えば切り出せた。考えるだけでいくつか仕事は存在した。だが切り出す人間がいなかった。新しく入った社会福祉士は、それ以外の業務に追われたのか彼女を放置した。完全には放置してはいなかったのかもしれないが、明確な手は打たなかった。理由はわからない。忙しいからなのかスキルが足りないからなのか。単純にやる気がないのかもしれない。とにかく彼女は半年以上職場で放置されていた。
彼女は盲なので、当然目が見えない。PCがあてがわれているが、画面が見えることはないので、文字を読み上げてくれる音声読み上げソフトを頼りに操作する。ただそのソフトの仕様が厄介だった。PCが立ち上がっていなければ当然ソフトは起動しない。だがログインするにも工夫が必要だった。IDカードを当て、おそらく立ち上がったんだろうなという勘を頼りに、多分そこにあるんだろうなという場所にパスワードを打ち込んでログインする。ログインできたかどうかはわからない。ただログインできたら、何分かたった後に音声が聞こえるようになる。何も見えない中、彼女は手探りでPCを立ち上げる。しかしPCを立ち上げても仕事はない。新品のテレワークもできるそれなりのノートPCは、社内ネットワークの仕様上ネットが見れない。正確には見れるのだが、ネットを音声読み上げソフトが読み上げてくれない。彼女はyahooすら「聞く」こともできず、一日中デスクに座り、何の作業もないPCの前に座り、一日中キーボードの上に手を置いて8時間を過ごす。座敷牢以外の何物でもない。
私は4月に障害者部屋に配属された後、障害者の採用担当業務をあてがわれた。ほかの障害者の面倒を見つつ、障害者を採用する。格闘の連続だった。同僚も福祉担当者もなんだかよくわからない。正直頼りにはならない。そんな発狂しそうになりそうな中、雇用率達成のため無理くり突っ走り採用を続けた結果、私は本社の人事として召喚された。結構な規模の大企業で、本社の人事。そこに障害者を入れる。モデルケースか何かにしたいのだろう、そう私は察した。うちの会社は障害者も健常に混じって業務をさせています!そういうやつだろう。わかるわかる。きれいごとって大事。ただ、その移動は私の希望ではない。そもそも私の希望なんてものは汲み取る気はないから関係はない。
私が異動するときに気がかりだったのは盲の彼女だった。隣の席で、3か月にわたり業務があてがわれていない。雇用率達成のためにそこに座っていることだけを求められている彼女は、私がいなくなった後誰と話すのだろう。
本社の人事に召喚された私に与えられた仕事は、雑多な採用と同時に、障害者の今後の管理方法についてだった。いかに重要な仕事であるかととくとくと説明された。なるほど。重要ですね。当事者が作成することに意義がある。最も重要な点は、表向き批判されないものであること。そして、会社として手間がかからないものであることだ。障害者当事者にとって実用性があるかどうかは重要ではなく、主体である障害者の扱いは羽毛のように軽い。このプランを作るために、私は障害者の未来を売ることにした。
与えられた席は誰も座りたくない導線のハブのような場所にある席。そして、私には同僚も上長もいない。まあわかる。障害者ですし。誰も一緒に働きたくないだろう。うちの会社はブラックだからOJTしかねえとかいう愚痴を聞く中、私にはOJTという概念もなかった。それでもお金をもらっている以上、仕事はしなければならない。露骨に関わりたくなさそうな人たちに、ニコニコしながら頭を下げて聞いて回る。途中で、別に与えられた業務は前任者がぶっ倒れてしまったので誰もわからないということに気が付く。まさかそんな仕事をあてがわれるとは。だがそんなことを言っても仕事は存在する。
人事管理プランは最初皆が望んだものとはかけ離れていった。皆の期待が失望に変わっていくのも感じた。わかる。君たちは合理的配慮を受けながら普通に働きたいんだよね。わかる。でもごめんここにその環境はない。申し訳ない。私はそのプランを作ってあげることはできない。ただひたすらに、会社が希望する内容にわずかな障害者の意見を混ぜ込むことで精いっぱいだ。精神が削られていくのが分かった。
上長もおらず、同僚もいない環境で、一人黙々と仕事をしながら、ふと思った。このクソの塊のようなプランを投げ出したらどうなるのだろう。やっぱり障害者は使えなかったね。そういわれるのだろうか。とっくに倒れた障害者がいた。本社の人事は嘲笑交じりにその話題が飛び交う。やっぱり障害者はすぐ辞める。私も障害者なのですが。
健常の職員に押し付けられた職場にたまったゴミを集積場に運び、私は満面の笑みでゴミを指定のコンテナに投げ込んでいた。今日の仕事は、このゴミ出しと、上からの承認を待つこと。そして新しく私が採用した20代の初任給を相手にお伝えすること。算出した給料は、私の給料を上回っていた。私は笑顔でおめでとうございますといいながら説明するだろう。障害者が不機嫌そうに歩いて回っていたら周りのテンションはがた落ちだ。入念にチェック済みのこの顔はそうやすやすと解除はされない。常にニコニコ快適に過ごしていますということをアピールすることも私の仕事だ。クローズドで、健常と混じりながら十年以上専門職として働いてきた私に与えられた業務は、そういう業務だ。上長もおらず、同僚もおらず、新人と同じ給料しかもらえない中、働きながら取った心理の修士号を活かして障害者への福祉ができると聞いて入ってきたこの会社で、私は笑顔で不平不満を言わずにゴミを出し続ける。
同じ障害者の同僚から、叫びをあげた障害者部屋の彼女の話を聞いた。あれから四半期以上、彼女は結局何の仕事も与えられていなかった。
同時期に入った障害者部屋の同期は、とっくに休職していた。福祉担当者に見守られながら、怒りで辞めた人間も出ていた。そりゃそうだ。障害者だからね。辞めやすいもんね。わかる。定着率は低いのがこの業界。致し方ない。
「わが邦十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の他に、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」。
クローズドからこの枠にきた同期が、福祉の担当者に現状の改善に関する陳情に行った。回答は、転職をお勧めしますという内容だった。私は乾いた笑いしか出なかった。
今月、私の勤怠は乱れた。私は一体何のための戦っているのだろう。障害者の採用をしていたときはまだマシだった。職を得ることのできない障害者に職を与える。最低限、福祉といえるような業務だ。だが今は一体何なんだろう。月末までに私が出社しなければ進まない業務がいくつかある。でも上長もいなければ同僚すらもいない私の業務は、すべてのデータが私のローカルにしかない。組織なんてものは誰かがいなくなっても回る。そういうもんだ。わかる。組織なんてそんなもんだ。そして私の業務は果てしなく軽い。だが本当にそうなのだろうか?大して重要度も高くもないのに、期限だけはある。そして私に裁量がないためにスケジュールはコントロールができない。このタイミングで私が出社できなかったら、一番困るのは取引先でも上長でもないだろう。おそらく同じ障害者枠で同じように戦ってる同期が、より一層針の筵になるのだ。障害者やっぱり使えなかったね。陰口が飛び交うこの環境で、そういう話が飛び出てくるたびに精神が削られるのは私だけではないはずだ。
盲の彼女は結局どうなったのだろう。訴えたのだろうか。それとも辞めたのだろうか。それとも諦めて座っているのだろうか。職場で導線が集中する席に座ったまま、私はひたすらに間食を続けた。私たちはもう、とっくに限界だったのかもしれない。
同類っぽい吐露を友人より教えてもらったので、久しぶりに反応してみる。釣りにマジレスして恥ずかしいけど、同じ文系院生(文学研究)だから一言おいてく。
まず彼の苦しみはわかるよ。生きてること自体の根源的な虚しさと、プライドに釣り合わない生活の間で、自画像が捻じれてるんだよね。そういうの分かるよ。たぶん同類だから。
でも、食べたり飲んだり遊んだり、生活するためには、多くの場合、自分で働かないとダメだよ。
ニートや引きこもりが可能な人は好きにしたらいい。でも、いわゆる社会だとか、普通に仕事してるリーマンだとかは何一つ悪くないよ。悪いのは、プライドこじらせた自分だよ。
高卒でも中卒でも、身体使って仕事して、建物や道路作ったりしてる人は皆偉いじゃん。企業組織の中で心身削って家族のために働いたり、趣味に生きるために折り合いつけたり、生活するって、そういうことだよ。
高学歴云々っていうなら、それくらい理解できるでしょ。そもそも博士に進めない程度のやる気と実力ってことは、学振も取れないし、奨学金借りてでも研究する意思がないんでしょ。学振取れなくても、バイトして研究続けるとか何とか、選択は幾らでもあったはずだよね?海外の研究機関に応募することも出来たよね?それとも、こんな簡単なことも分からない程度の、お粗末な修士様だったの?
ちなみに修士号なんて、きちんとコースワークに真剣に取り組めば、誰でも取れるよ。天才ではない、何者にもなれない学卒の凡人が凡人として訓練を受けるための仕組みなんだから。
高学歴なのに自己実現できない、社会が悪いって、本当に頭悪いと思うんだけど、どうかな。
彼に限らず、すべての不遇な院生全般に言えるけど、研究するから、学歴があるから、自己実現できるわけじゃないよ。中学生じゃないんだから、働けばいんじゃないの。
以上!
現在大学生で、就職先は実家の家業と決まっている。大学院に行ってみたいなあと思ってる。実家継がないといけないんで今すぐには無理だし、いつになるかも分からんけど。
好きなだけ、好きなこと研究してさー。俺古典が好きで、漢籍とか和歌とかさ。宇宙物理学とかも興味ある。生物学も興味ある。全然関連がなくてどれにしようかなあなんて、宝くじあたったらどこに住もうか悩んでるみたいなこと考えてる。あと修士号持ちってなんかカッコいいよな。
大学院に行くなら京大がいい。普通はこの分野に強いからって大学選ぶんだろうけど、京大への強いあこがれがある。あの自由な、学術の空間に身を置いて研究してみたい。50年後くらいに叶うかな。
こんにちは~、人文系で修士号を取得した表現の自由戦士(笑)で~す。
最近は社会学VSオタクという構図になってきているが、同時にほとんどの場合、社会学VSラノベオタクでもある。
なぜラノベオタクはラノベという人文・社会科学の産物を超好意的に嗜んでいながら反文学部的なスタンスなのかは興味深い話題でもある。
ひとつの仮説として考えたのは、ラノベオタクは人文・社会科学系の専門書を大して読んでいないということだ(多くの人は理系なのだろう)。そして彼らはラノベや彼らが「一般小説」と読んでいる類の大衆文学ばかり読んでいるということ。
勝手にVS構造にしないでくださ~い。歴史学の研究書も人類学の論文も社会学の啓蒙書もなんなら政治学の英語論文も読んでま~す。そのうえでラノベ大好き漫画最高アニメ愛好家で~す。
嫌いなのは本来別に対立なんてしていない人文系学問とオタク文化を対立させようとする連中で~す。
あと自分の嫌いなものを公共空間から排除せよと主張する人たちも嫌いで~す。公共空間であるからこそ雑多なものの共存が認められるべきだと思いま~す。
性的消費については、女性向けコンテンツでの男性の性的消費とかもあるので、お互い様、もっと自由にやっていこう、というスタンスで~す。性の解放ばんざい。
英語の本とか中国語の本とかも読んでるけど、せいぜいが年に百数十冊程度の読書量なので誇るほどの読書家とは別に思ってませ~ん。
ドイツ語やフランス語やイタリア語では論文を読んだことはあるけど本を読み通したことはないなあ。教養がなくて申し訳ない。
自分は高卒で、今はWEB系のエンジニアとして自社開発の会社で働いている。年齢は20代前半。
将来的に海外で働きたいなと漠然と思っていて、ビザの関係でCSの学士は必要なんだなということを最近知った。
https://medium.com/@sakamoto.kazuki/2017-12-demystifying-us-visa-f596529701a3
もし自分が今後海外で働きたくなっても、学歴とビザで道が閉ざされるのは少しさみしい。そのため、若いうちに学士号だけでも取っておこうと思っている。また最近ホットエントリでも「文系でもエンジニアになれる」とか「エンジニアに学歴は関係ない」とか聞くけれど、やはり自分としては、これから何十年もソフトウェアエンジニアとして働くために基礎的な知識を一度付けておきたいと感じている(数学や英語も含め)。
ということで、通信制で働きながら卒業できる大学を探している。夜間学校も視野に入れたけれど、これから4~5年間同じ場所に住んでいるかは分からないし、もしかしたら遠方へ転職するかも知れないという理由で選択肢から外した。
今のところ、通信制でCS関連の学士号を取れる大学は3つほどあるらしい。
└学費は4年でおよそ80万円
└スクーリングが少し負担だが、科目修得試験は隣の県で受験できるらしい
└卒業率が一割程度と低いのが少し気になる
└学費は4年でおよそ280万円
└スクーリング無しは魅力的
└学費は4年でおよそ100万円
└経営情報学らしいので「経営にも軸を置いている→自分はCSをメインに学びたいから合わない」と判断している
サイバー大学に関してはスクーリング無しで通えるという点が魅力だけれど、いかんせん学費が頭一つ抜けて高い。そもそも大学の学費はこんなものなのか?(帝京大学などが安い理由が知りたい)。幸い貯金はあるので出せないことはないものの、将来的にアメリカで修士号を取る時に数百万円はかかると思われるので、なるべく出費は抑えておきたい。
正直、学士号の微妙な違いが全く分からない。帝京大学は工学の学士、サイバー大学はIT総合学学士なんて書いてあるけど、自分には何がどう違うのかがいまいち想像できない。とあるブログでは「サイバー大学で取得できるのはIT総合学の学士だが、自分は工学の学士が欲しい。」と書かれているが、工学でないと海外ではCS扱いされないとか、そういったものがあるのだろうか?。学士号の種類については、何で調べればいいのかも分からない、というレベルで路頭に迷っている。
一応、それぞれのカリキュラムが書かれたページリンクを載せておく。
[帝京大学](https://www.teikyo-u.ac.jp/faculties/correspondence/science_tech/subject/curriculum.html)
[サイバー大学](https://www.cyber-u.ac.jp/faculty/it_carriculum.html)
今のところ帝京大学に行こうか迷っているが、そもそも学士を取らないという選択肢もあるんじゃないかと頭によぎったりする。というのも、日本支社から海外にある本社へ転勤するパターンも珍しいがあるみたいで、そういった抜け道が今後数年で芽生えてくる可能性もある、という淡い期待も抱いたりする。ただおそらく正攻法としてアメリカでCSの修士を取ることになると思うし、そのためにはやはり学士が必要になる。また日本の大学だと、数学などは別として技術に関しては少し時代遅れな知識を詰め込まれるだけなのでは?という不安もあったりする。
キズナアイがNHKのウェブサイトにおいてノーベル賞の解説記事に登場しておりましたが、そのことをきっかけに、千田有紀氏などが指摘をし、さまざまな方面から千田の議論に対する批判が寄せられ、さらには社会学そのものに対する批判もされているところです(これらをキズナアイ論争と呼びます)。
ですが、そのざまざまな批判を読んでいると、「これって実はコミュニケーション不足で、伝わっていないんじゃない?」と思うことが多くなりました。いろいろあって社会学を学んだ人間として、それはちょっと悲しいなという思いがあったので、千田氏の問題提起をちょっと分かりやすくお伝えできればと思います。
筆者は、社会学で修士号を得ています。今は大学から離れているのですが、離れてそう長くはありません。専門は千田とも重なる領域(家族やジェンダー)もありますが、教育やメディアでした。
あくまで、千田の問題提起がどのようなものに基づいて行われているのかを解説するもので、その意見の妥当性とかは議論しません。私個人としては、千田の立場に立てば理解でき一理ある議論ではあるが、だからといって、それは多くの人の理解を得る話法ではないし、その背景事情を一切踏まえていないのは、学術的に一定のポジションにある人のする作法としては疑問を感じているというところです。また、千田の学術的貢献はいろいろな批判があるようですが、私は一定程度は評価しています。
なお、アカデミックの作法は基本呼び捨てですので、ここでも、基本千田として書かせていただきます。
キズナアイ論争のはじまりは、千田の投稿記事です。https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/]
ちなみに、現在(10月13日)、追記もなされており、社会学者にはそれなりに分かる文章にはなっているのですが、一般の人はなおのこと分かりづらいことになっています。後に公表された、『「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて』記事による補足を踏まえて、まず、千田の議論の要点をまとめてみましょう。
(1) キズナアイはNHKの解説記事において「相づち」をする役割となっている
(2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である
(3) 従ってキズナアイの解説記事における役割は、従来の女性が担ってきた役割を担っていることになる
(4) そのことは、理系と呼ばれる分野で活躍する女性などに対して、好ましい状況を生むようなものになっていないのではないか
というところに整理できるかと思います。
社会学、特にジェンダーやフェミニズムを学んだ人だと、この4つの間を頭の中でこうかな?と繋ぐわけですが、普通の人はフェミニズムを体系立って勉強するわけでもないと思うので、「はて?」となるわけです。更にいえば、一つ一つの要点が「え?!」という感じになるかと思います。
千田の議論を理解するためには、とりあえず(1)は正しいものとして引き受けておいてください。そこが正しくないとなると、そもそも議論の前提が崩れてしまい、議論はそもそも成立しなくなってしまうので、ご理解ください。
千田議論を理解するためには、いくつかの知識が必要となります。一つは、千田の専門でもあるフェミニズム、もう一つは会話分析というものです。順に簡単に紹介しておきましょう。
社会学は、社会を対象とした学問です。といえば、早いのですがそれではよく分かりませんよね。社会学は、社会がどのように成り立っているのか、つまり、社会の秩序はどのような形で形成されているのかを探求する学問です。例えば、古典的な社会学、特に日本の戦後の社会学では「農村」が特に注目されました。農村における人々のネットワークや、家族の在り方、そういうものに関心を持っているのが社会学です。
フェミニズムを正確に定義することは困難ですが、フェミニズムを雑にまとめると、「女性の地位を向上させようとする取り組みであったりそれを支える理論」というような言い方ができると思います。歴史的には大きく2つのターニングポイントがあったとされています。それが「第1波フェミニズム」と「第2波フェミニズム」です。
第1波フェミニズムは、1900年代ごろ、19世紀から20世紀へ移りゆくタイミングに起こりました。西欧諸国で主に婦人参政権を獲得する運動が中心に展開され、1920年代にはイギリスやアメリカで実現をすることとなります。(ちなみに、日本はというと戦後に婦人参政権が認められるようになるのですが、新婦人協会や青鞜社の運動は同時代の運動です。)
第2波フェミニズムは、1960年代頃、社会運動が盛んになった時期に、女性らしさへの問い直しが運動として行われます。代表例ではキリスト教社会では長らくタブーとされていた中絶の合法化が挙げられます。また、この時代には女性が自らの自由に性を語るということが積極的になされるようになります。
いずれにせよ、その理論的根底には、女性は男性と同等の状況にないという認識に立っているということがあります。
第1波フェミニズムで焦点化されたのは、法律や社会制度というものでした。第2波フェミニズムはというと、法的制度は平等であっても、職場ではお茶くみに甘んじてしまっているし、男性と同じように性を語ることはできないというような、日常の性差別に特に焦点を当てていくようになるわけです。
現代は第2波フェミニズムの延長線上にあります。#Metoo運動を始めとして、第3波フェミニズムがやってきているというような主張も時折みるのですが、第2波フェミニズムより後のフェミニズムの運動について、多くの社会学者が納得しているような分類はまだ確立していないのが現状です。
上野千鶴子の理論などを理解する上で重要なキーワードが、マルクス主義フェミニズムです。そういう立場だと、だから上野千鶴子はそういう立場なのね、と理解できます。千田議論もとりあえず、マルクス主義フェミニズムで解釈すると、理解がしやすくなると思いますので、こちらを説明します。
(フェミニズムにはさまざまな立場があります。ラディカル・フェミニズムやリベラル・フェミニズム等です。フェミニズムも一枚岩ではないと、理解しておくと良いでしょう。)
マルクス主義フェミニズムとは、先ほど、フェミニズムが女性は男性と同等の状況にないという認識に立っていると説明しましたが、そのような社会状況を生み出しているのは、今日の資本主義社会システムなのであるといいます。で、これを理解するためには家父長制というキーワードを理解しないといけないのですが、本題より長い解説になるので、そこら辺は上野千鶴子の『家父長制と資本制』をとりあえず参照してください。
(上野理論を厳密に言うと、上野は、従前のマルクス主義フェミニズムは教条的であるということで、それを乗り越える必要があると、主張をしています。)
シンプルにいってしまいますと、そのシステム(資本制)の成立と密接に性差別を生む家父長制制度が続くため、性差別は再生産(半分マルクス主義用語ではありますが)されていくということになります。
会話分析というのは読んで字のごとく、会話を分析するというものです。まずは、社会学で会話分析がなぜ重要になってくるのかをエスノメソドロジーというワードを使って説明したいと思います。そもそも、社会学は社会秩序はいかにして可能かを明らかにする学問です。そこで出てくる問いの一つにこの社会で生活を営む人びとがやっていることを、研究者はどのように理解できるのかという問題です。
この問題に答えたのが、ガーフィンゲルという人です。ガーフィンゲルはエスノメソドロジーという手法を提唱しました。エスノメソドロジーというのは、日常で生活している人々が言動をどのように理解し、成立させているのかを、日常で生活している人々の視点に立って記述するという手法です。
エスノメソドロジーは、私たちの当たり前が、いかに「うまいこと」成立しているのかを見せてくれます。例えば次のような実験は非常に有名です。
A 「いや、元気かどうかってことだよ。」
B 「元気かどうかって? どういうこと?」
こんな調子で話されると、本当に調子がおかしくなりそうですが、こういう実験をします。ここで浮かび上がってくるのは「調子」という言葉が、体調や近況を意味しており、それをお互い分かっているという「期待」をもって、Aは会話をしているということです。このような形で、秩序が形成されており、それらは記述可能な形で示すことができるとするというのがエスノメソドロジーです。
会話分析の多くはこのエスノメソドロジーの考え方を踏まえて行われます。つまり、先ほどの会話のスクリプトのようなものを読んで、そのなかで、AとBはどのような「期待」をそれぞれ持っており、そこにどのような秩序があるのか? ということを考えているわけです。
冒頭で、千田議論を強引に4点にまとめました。ここまでの道具を用意すればある程度説明ができます。それぞれの項目ごとにみていきましょう。
そもそも、実在の人物は「先生役」とNHKのサイトでも記載がありますように、ここで想定されているのは「先生」と「生徒」というコミュニケーションです。したがって「生徒役」となるキズナアイは基本的に「相づち」をする役割に当然のことながらなるでしょう。そもそも「生徒」の方が詳しいというのなら、「先生」が「生徒」の役割を担うことになるはずですし、「先生」と「生徒」という形で双方「期待」をもっていることは分かります。別にこれが、男子生徒であろうと、まあこういう会話になるだろうなという感じではありますよね。
これは、先ほどのフェミニズムの議論が役に立ちます。お茶くみとかの補助業務に当たっていたということは、先の説明でもしましたが、今日でも、「相づち」をする役割は、女性となっていることが多いです。例えば、新春の、一体誰がみるのかよく分からない県知事が語る!みたいな番組がありますが、あのとき大抵女性アナウンサーが話を聞いたりしていないでしょうか。このとき、女性アナウンサーは、多くは男性である知事に対して、その発言がしやすいようさまざまな配慮をしながら、質問を重ねていきます。
そこでは、主役はあくまで知事です。アナウンサーが主役となって、知事をいじめていくというような内容になっていないでしょう。これが、でも、田原総一朗との対談だったらどうでしょう。一気に様相が変わってきますよね。また、地元財界と知事の対談だったらどうでしょう。そこに「相づち」はあっても、「相づち」をする役割を知事の対談者は決して担っていないと思います。会話の主体になっているわけですね。地元財界の人が女性でも、この場合だと「相づち」の役割はまあしないかと。
ここでポイントになるのは、知事が一方的に語るというような形式を取る時には、女性アナウンサーがその役割を担うことになり、他方、双方共にしゃべる場合には、女性の活躍機会が途端に減ってしまうというということです。これは、私たちのイメージレベルでも大体共通しているのではないでしょうか。(もちろん、個別具体で違う話も多く、徹子の部屋の黒柳徹子をどう評価するかは難しいところですが。)
もちろん、これは、女性が知事と同等の立場や役割を担っている機会が開かれていないから、そのようにならざるを得ないという側面も当然ありますが、男性アナウンサーがそうそうなっていないということは、一つこのことを証明するものであるとも言えます。
(「相づち」をする役割も高度な役割であるということは決して忘れないでください。)
ここで、議論はもどってきて、キズナアイは「生徒」役ではありますが、「先生」の発言を引き出すという意味で「相づち」をするということで、記事のトップにも出てくる主役のはずが、補助的な業務を担わされていることになります。このとき、キズナアイを女性と見なすと、これまで女性が置かれていた立場、女性が積極的に前に出られる環境に制度上はなっているにもかかわらず、結局はそうはなっていないという状況と重なる部分はあるでしょう。
再び、徹子の部屋の黒柳徹子をイメージすると良いかも知れません。徹子の部屋における黒柳徹子は独特の立ち位置で、徹子の部屋を見て黒柳徹子は単に「相づち」をうつ役割だけではない、ということが理解できるでしょう。なんなら、黒柳徹子の方が目立っていたりします。対談の形式が、黒柳徹子がお客様を招いて話をしてもらうというホスト側であるためであり、従属的な関係になっていないというところに、このキズナアイ対談と徹子の部屋の決定的違いがあるのだろうと思います。
そうして比べてみると、キズナアイは女性の役割を再生産するということになったというわけです。これは、性別役割分業を進めていくものであり、女性にとって活躍の機会が減ってしまうというのがフェミニストたちの主張と結びつけて考えることが可能なのです。
この時、女性は従たる役割を担わされるわけで、その期待が持たれます。そうなると、女性は、主たる役割を担える存在なのにもかかわらず、その期待から、従たる役割を担い続けなければならない、そういった状況にはまってしまうのです。そして、そうした悪循環から脱却しなければならない、というのがフェミニズムの基本的な主張です。
このような女性観で考えられると、女性にとって好ましい立場ではないという千田の主張はそう的外れなものではないということは理解できるでしょう。
千田は議論をするという状況を作り出したことでは成功していると評価できますが、その議論の中で、自らの論理の妥当性を提示し納得してもらえたかというとそうではないと思います。後の対応によるところも多いのですが、それは、実は最初のきっかけともなった記事の一番最後の文章であると私は考えます。
なお10月3日、9時の時点で、スマートフォンから見ると、キズナアイはバストショットしか見えない(パソコンでは、へそなどの下半身が見える)。
この一文が最後にあることで、キズナアイの見た目(容姿)を問題にしたいのか、と思ってしまう人も多いと思います。千田氏は、後の議論でも、キズナアイの役割に焦点を当てており、容姿を問題にしていないといっているのですが、冒頭の太田氏の議論とあいまって、多くの人が混乱したと推察します。そもそもキズナアイってあくまでAIであって性別を超越した存在なはずなのに、性別二元論に回収されちゃうのって、なんだかなと。
さらにいえば、表現の問題に回収してしまったのがかなり難しい問題にしています。表現の問題にすると、結局妥当な表現は何かということに行き着き、その線引きは複雑になってしまい、誰も理解できなくなるため、神々の審判でも仰がなければ、なんとも言えないと思います。
本人が個人的に自説を語るのは「自由」の範疇だが、それを公共空間に置いたらどんな意味をもつのか、少しは配慮すべきだったのでは?
(https://twitter.com/chitaponta/status/1051615591004438529])