はてなキーワード: キトとは
中学生の頃はバスケ部だった。
25年くらい前のことで、ちょうどスラムダンクが流行っていた。とはいえ、週刊誌を読む習慣がなくスラムダンクは読んでいなかった僕は流行りに乗って入部したわけではない。単純に自営業だった家にバスケゴールが設置されていたのと、兄もバスケ部だったため馴染みが深かったのだ。
兄とone-on-oneをやったことはない。仲が悪いわけでもなかったが、クラスで背の順に並ぶと一番前だった自分は体格差の関係で歯がたたないことが分かりきっていた。幼い頃の4〜5年の差は絶大だ。一人でずっとシュート練習をしてた思い出しか無い。
一人バスケには慣れていた。
大学を出て東京の中小企業に就職して、僕は一人暮らしを始めた。
ある日、なんとなく立ち寄ったスポーツ用品店でカゴ売されたゴムのバスケボールを見かけ、懐かしさを覚えて買った。
調べてみると自転車の圏内の公園にバスケゴールが設置されていることが分かった。それからは晴れた週末には出かけて行って一人でシュート練習をする日が続いた。「練習」などと書いたが、それはおこがましいかもしれない。ただ、運動不足解消も兼ねてテキトウに打っていただけだ。
大人になっても一人だった。
そんなある日、声を掛けてくる人がいた。
それまでも声を掛けられたことはあった。小学生の集団に声を掛けられ5対5で無双したこともあったし、ヤンキーっぽい人とone-on-oneもやった。が、それらの人たちは同年代とは言えなかった。
その人も運動不足解消のためにといったゆるい理由でバスケをやっていると言い、気が合いそうに思えた。(高校に入ってから一気読みした)スラムダンクの話で盛り上がったりもした。
その会話の中で「来週末にでも良かったら遊びに行きませんか?」と誘われた。
いつも一人で時間つぶしにも似た週末を過ごしている僕には予定など無い。即、了承した。「こうやって人と人は繋がっていくのかねえ?」などとウキウキしていたくらいだ。
来週末、待ち合わせ場所へ行くと、何故か10〜20くらいは上そうな年配の人が一緒にいた。
この人もバスケするの?と訝しんだが口に出すことはしなかった。
とりあえず、喫茶店に入ることとなりテキトウな会話をした。最近の天気とかニュースとかの話だったと思う。
「で、ですね。」と話題の切り替えが行われ、「座禅って組んだことあります? 最近、私、けっこうやっていて――」「そうしたら、いろいろと上手くいくことが多くなったんですよー。」「神様って信じます?――――。」
寝耳に水だった。
「出ます。」とレシートを持って席を立ち、会計をして店を出た。二人は後を付いてきた。このまま付いてこられても困ると思い、近くの広場でお断りの話をすることにした。
「一人の自分に話しかけてくれたのは純粋に嬉しかったが、こういう誘いは要らない。踏みにじられた思いだ」「貴方が何を信じようが勝手だが、僕を巻き込まないでくれ」「神様は居ると思う。が、自分が信じてる神様は物理法則を作っただけだ」人格否定にはならないように気を使ったが、余計な話もしてしまった。
二人はもう付いてこなかった。
帰路についた僕は、初めて一人で居酒屋に入った。後から思い返せば怪しい点がたくさんあったなと自分の迂闊さを後悔しながら飲んだ。
私は、東日本大震災当時は大学3年生で、4月から始まる就活戦線に備え、履歴書づくりと、WEBテストに励んでいるところに、地震が来ました。
就活は大混乱。私は東北地方出身なので、同年代の被災した友人も数多くいました。
採用活動は6月開始となり延期され、採用数は激減でした、スポット就職氷河期時代でした。
本当の就職氷河期を経験された方、お察しいたします。(壮絶な苦労があったと、容易に推察できます)
原発事故と震災の混乱で、大学の授業は機能しておらず、休校が続きました。もちろん学費の返還はありません。
今年のように一人10万円給付なんてことも、全くありませんでした。
大学院に進学し就活戦線を先延ばす人、テキトウに入れる中小零細企業に入社し景気回復後の転職を試みる人など、いろいろな人がいました。
テキトウな中小企業に入った、もしくは大企業に入った方は、私含め、うつ病、体調不良のオンパレードでした。
友人の中で、新卒入社の会社にとどまってるのは、2割程度でしょうか。私は、とどまっています。というか、コロナで転職機会を逃したように思います(もっと早く動けばよかったと後悔)。
入社した地方にある企業は、パワハラ・セクハラあたりまえ、教育体制皆無のテキトウな中小企業でした。相手は(上司)は日本人ですが、日本語が通じないという特殊な在日日本人ばかりでした。おそらく治外法権なのでしょう。
会社という形はありましたが、組織はなく、属人的で、とりあえず、営業している露店という感じです。
入社しても教育はなく、仕事もなく(当初は暇でした)、ただ、部署によっては、過労死ラインの2倍のサービス残業はあたりまえ、という、いびつな体制です。
こんなことを思い出していると、今年の大学4年生の方もこれから相当大変だろう案じます。
私の友達でも、震災が遠因で、震災から数年立ってから命を落とした人がいます。
なんとか、生き延びて欲しいです。
とても辛いと思いますが、決して自己責任論者などに騙されてはいけないです、新手の新興宗教のように思えますので、学生の方々、十分お気をつけください。
最初はブコメつけようと思ったんだけど、なんか書きたいことが増えてきたからこっちに書いてみる
無駄に長くなったし後半に行くほど自分語りになったけど、どうせ増田だしまあよしとする
人気のゲームの傾向というより、SNSやあるいは動画投稿サイトで話題になりやすいのがソシャゲーと対人ゲーだということじゃないかな
そもそもソシャゲーはSNSと相性がいい 今の定義はともかく元々はSNSプラットフォーム上のゲームからの派生だしね
あと対人ゲーというかeスポーツ系のゲームは実況動画なんかと相性が良いし、プレイヤー同士でも盛り上がりやすい
だから、ネット上で飛び込んでくる情報はこの辺りが多くなってくるんだと思う
多分発売されてるゲームの傾向はそこまでそっちよりじゃないと思うんだ
オープンワールド系を中心にRPGも多いし、インディーズ系のパズル要素が強いのとかアクション系とか、星の数ほど出てる
でも、それ以外のゲームって、好きな人の中でドカッと盛り上がってたりするので、SNSのクラスタが違ったりするとあまり届かないのかもしれない
なにかちょっと気になる系統のゲームが見つかったら、そのゲームのプレイ動画を上げてる人の周りなんかにクラスタが出来てたりするので、
その辺りを横目で見てると似た系統のゲームの情報が飛び交ってたりするぞ
俺も課金はあまりしないしユルユルプレイ派だけど、FGOは1周年記念の辺りから、マイクラはJAVA版βの頃からやってる
肌に合う合わないはあるので無理に勧めるものでもないけれど、一応参考までに
FGO、ガチャのキャップなしとかで廃課金の印象が強いけど、無課金、微課金でも十分遊べるゲームだと思う
ただし、俺は元々TYPE-MOON作品好きなので、その分の補正は入ってると思う
元増田、艦これならともかくアズレンを『課金額がそこそこ』って言ってるってことは多分レア艦やイベント限定艦を引かないと気が済まないタイプじゃないと思うんだ
マーリンは人権とかSNSなんかではよく言われるけど、どのサーバントがいないと突破がキビシイみたいなのはイベントのオマケ高難易度クエストくらいしかないんじゃないかな
ストーリー上でこのサーバントを引きたいって思わせるところは多いけど、そこはキャラに愛着が湧くってことだから悪い点ともいいがたい 確定入手できないのが悪といえば悪
俺はFGOは課金したとしても月6,000円まで この上限はフルプライスゲーム1本分を目安にした 課金しない月もあるので、年間だと2万円くらいの課金だ
イベント期間こそ平日はAP(スタミナ)全消費、休日はリンゴ(スタミナ回復アイテム)も数個使うけど、普段はいわゆる周回もあんまりやってない
聖杯(レベルキャップ突破アイテム)も一つも使ってなくて今49個手元にある
だけど、ストーリーはほぼ最新まで進めてるし(最近日常の疲れでシリアス物が辛くて止まってる)、イベントはそれぞれ一応最後まで進められてる
無料の聖晶石も結構配付されて、貯めていればイベント毎に10連ガチャを1,2回回すくらいはできる あとイベント配付のサーバントも結構強い
プレイ期間だけはそれなりに長いので今から始める参考にはならないかも知れないけど、サーバント所有率は7割程度だ
シングルプレイの一応の最終目的がエンダードラゴン退治だし、アイテム入手のために戦闘要素もある程度絡んでくるけれど、そこってゲームのキモじゃない気がする
それこそ戦闘重視のMODを導入すれば別だけど、基本は危険な戦闘は避けるゲームだよね
死亡全ロストは確かにあり得る けど、少しずつ進めていけばリカバリもそんなに大変じゃないゲームではあると思う
といいつつ個人的にはシングルだと工業MODを導入してチマチマ拠点を拡張してくタイプの引きこもりプレイを好むのでそこはあんまり当てにならないかもしれない
あと、一番スタンダードな遊び方ってマルチプレイでわいわい建築プレイではなかろうか
一般的なマルチサーバーだとプレイヤーキルは禁止だし、資源採集は安全を確保してすることが多いから、ユルユルプレイでも十分楽しめると思うんだけどな
マルチサーバーでぼっちプレイする人も結構多いぞ サーバーの雰囲気にもよるけど、挨拶だけして他人の建築の邪魔しなければ別にとがめられることもないと思う
見出しを作ったけれど、俺は重めのゲームを雑にプレイすることが多くて元増田とゲームに対するスタンスが全然違うので、刺さりそうなネタがあまりなかった スマン
元増田のゲーム傾向的にはアドベンチャーゲーム系がよさそうに思うんだけど、俺はあの手のは逆にキリの良いところで中断しづらくてあまりプレイしてないんだ
とりあえずはローグライク/ローグライト系はどうだろうか …元増田のマイクラや死にゲー辺りに対する反応を見た限りだとこの辺りも駄目な感じもする
死んで覚えるゲームの要素も強いけど、特にローグライト系統はワンプレイ軽めだし、死んだら死んだでロック要素が解除されていったりするのでチマチマプレイでも楽しめる
話題になったのだと、少し前だけどスマホ買い切りゲーのダンジョンメーカーとか、いろんなハードでも出てるSlay the Spireとか
Noitaも評判良いね 個人的にはカーソルで自機を移動させてマウスで射撃するタイプの操作系統が苦手なので投げ出し気味だけど
旧作ベースのクローン、FreeCivなんかもあるからとりあえず触ってみるのもいいかもしれない
そういえばシムシティみたいなミニスペース系のゲームは興味ないのかな
Banishedとか、少しずつチマチマ進めても面白いよ
フリーでいえば鉄道経営系のSimTransなんかもあるな ニューゲームしていくつかの産業とか町を繋いで満足して次はまたニューゲームで始める雑プレイを繰り返してる
前に挙げたゲームで分かる人なら分かるとおり、FactrioとかFACTRY TOWNみたいな工業自動化ゲーも好きだ 拡大再生産ゲームはいいぞ
意識の高いメディアや皆様が「アフターコロナ」を声高に叫んで、
アクセス数を稼ごうとしている。
でも、誰もアフターコロナの世界を具体的に示している人はいないし、
ましてや自分自信の仕事に参考になることを話している人はいない。
東日本大震災の時もそんなことをあてにせず、震災後自分で判断していち早く行動した人が
短期的に銭を稼いだんじゃなかったっけ?
・公共工事
etc...
そのあとゆるゆると、世の中はもとどおりになり、コロナを迎えた。
これから1年前後、テレワークが増えて、オフィスの専有面積が減って
医療ベンチャーが盛り上がる、くらいのことがアフターコロナなんじゃないのかな。
あえて言うと1年の間に貧乏な人が増えるのがアフターコロナなのかもしれない。
その間に、特定の会社(旅行会社とかイベント会社)がつぶれて、
騒動が終わったら、雇い主が変わるだけで産業構造は変わらないんじゃないの。
生きながらえた飲食店はもしかしたら死ぬまで借金返済に追われる。
火事場のバカ力的に新しいものが生まれる可能性もあるけどそれは一部の人。
トゲツキトゲナシトゲトゲ
疑問に思ってる連中が多いようなので、ここらでちゃんと言っとくか。
ずいぶん前から「うんち」を言っているんだが、「うんち」はうんちって意味じゃない。
はてな匿名ダイアリーでは、『うんち』は『いいね!』だ。
…そう言い切るのは微妙だが、だいたいそんな感じに運用されている。
だったら素直に、『いいね!』って言えばいいじゃないですか。
どうして『いいね!』って言わないんだろう。
そんなふうに思う人もいるかもしれない。
浅はか。
想像してみろ。はてな匿名ダイアリーが『いいね!』が言い合える場所だったとしたら。
増田がそんな風に利用されていたなら。
とても居心地がいいよな。
褒めたり労ったり、お互いを思いやれる空間は、居心地がいい。
あまりに居心地がいいので、次第に利用者は入り浸るようになる。自然に人の繋がりができていく。
「ニンジン増田さん、お仕事お忙しそうですね、体調は大丈夫ですか」
「ダイコン増田さん、心配してくださってありがとうございます」
和気あいあいの居心地の良さの中に、内輪然とした雰囲気が形成されていく。
特定の人に話しかけるような、手紙みたいな文章が投稿され、たくさんのお礼が連なる。
話しの前提は省略されて、共有された話題には通じていることが要求される。
居心地の良さに気をつけろ。
ネット古老には、インターネットの多くが匿名だった時代をくぐり抜けてきた老人には、常識的な知見だ。
馴れ合いがやりたいなら Facebook とか twitter とかの ID 付きの場所へ行けばいい。
そういう場所に馴染めない奴らはどこへいく?
褒められると、次は褒められないんじゃないかって身構える。
気が付かないやつはマジで気が付かないんだが、実は、日陰で生きる人間は結構、割と、たくさんいる。
いつも一緒にいる仲間には話せないようなこと、不満とか愚痴とかヤッカミとか。あるいは純粋な自慢とか。日向で咲いてる人間にだって、表社会で言えないようなことは結構、割と、たくさんある。
それを黙って抱えていたくないときは、どこに吐き出せばいい?
そういう奴らが居るべき場所が、そういうのを言える場所が、どこかしらには必要なんだよ。
コミュニケーション能力が低かったり文章力がないような奴でも、気軽に利用できるプラットフォーム。
若い連中は知らんかもしれないが、初期の2ちゃんねるや黎明期のニコニコ動画はそうだった。
住人を慮らない。
ユーザー同士がお互いに距離をとる。必要以上に近づかないことが、心理的安全性を生む。
いっそ”殺伐”っていえるほどに乾いた空気が、逆に言論の多様性を育む。
信じられないかもしれないが、そういうのはあるんだ。
居心地は、悪いくらいがちょうどいい。
オレら古株の増田はその辺をわきまえているから、「いいね!」なんて、間違っても口に出したりしない。
だが共通の符丁があると便利ではある。「あっそう」「へぇ」「まぁわかる」これら全部の状況を深く考えずにテキトウに放言できるような、短くて覚えやすいワードが。
そんなわけで、Let's say ...
「「うんち」」
追記・
こんなふうに誤解してる増田がいて驚いている。
幸せって何だろう。
……なんてことをシラフで管まく奴がいたら、それは人の温もりに飢えているドランカーか、時間を持て余したバックパッカーのどちらかだ。
「幸せとは水が沸騰することだよ。外圧によって変化する沸点こそ、幸せの有り様さ」
弟は以前に、そんなことを意気揚々と語っていたが、とどのつまり“人それぞれ”ってのを言い換えているだけだ。
陳腐な結論を捏ねくり回したり、とっぽい言い回しで着飾りたい年頃だったのだろう。
本人は「山登りの疲れでハイになってた」って後に釈明していたが。
いずれにしろ、ナンセンスなことで夢想したり、使い古された話で盛り上がれるのは若者の特権さ。
「無人島に何を持っていくか」だとか、「カレー味のウンコorウンコ味のカレー」だとか、そんな話を大人になってからするもんじゃない。
言うまでもなく、幸せってのが如何に不安定で、捉えどころのないモノなのかは自明の理だ。
例えば俺にとっての幸せは、自分の時間をスムーズに使いこなすこと。
弟は不安や不満のない、退屈しない程度に刺激的な、メリハリのある毎日を過ごすこと。
父は余裕を持ったスケジュールで仕事を終えることで、母は家族と一緒にいられることだと言っていた。
キトゥンは知らない。
まあ、このように身内の間だけでも多様なのだから、幸せをズバリ「こうだ!」って答えるのは無理な話なんだ。
弟のようにガワだけ取り繕っても、単なる言葉遊びにしかならない。
だが今回の話に出てくる“とある人物”は、それを壮大かつ究極的に追い求めた。
最初は順調だったんだ。
その日、家族はそれぞれの事情で外出していて、文字通り猫の子一匹いない状態。
自宅には俺一人で、都合よく予定も埋まっていない。
それはつまり、俺は俺のためだけに時間を使えるってことを意味していた。
「9、10、11……いや、もう20回くらいやったっけ……まあいいや、最初からやり直そう」
周りに誰もいないのを承知の上で、あえて独り言を呟いてみたりもした。
勿論これは客観的な見解ではないが、異論を挟める人間は今この場にいないんだ。
「やあ、マスダ!」
「……」
一切の誇張なく、本当にいきなりである。
しっかり戸締りをしていたし、入ってきた気配すら感じなかったのに、いつの間にか部屋の中にいたんだ。
だがガイドの普段の振る舞いを知っている俺からすれば、これは驚くに値しない。
「……どうやって入ってきた」
あと、人のテリトリーにずかずか入ってきて、一方的に「こっちの事情を汲んでくれ」と主張してくるのも随分だ。
「不躾なのは百も承知さ。それでも優先したい事柄だから、こうやって来たんだ」
自分が未来に生きているって驕りが、所々に見え隠れして鼻につく。
己の価値観や振る舞いが相手とは違うって前提が、まるでないように動いてくる。
「ちゃんと聞いてくれよ。キミが今いる世界、ひいてはボクたちのいる世界が消滅する可能性もあるんだ」
なんとも大仰だが、ガイドの言葉は結果的に真実であることが多い。
それは分かっている。
分かっているのだが、真面目に聞けというのは無理な話だ。
(センター試験で話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)
底本:原民喜戦後全小説 下(講談社文芸文庫)1995年8月10日第1刷発行
I
私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫の魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老いた母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。
その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかに、もっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初「孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。
彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身の青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予で最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。
岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものをノートし、まず文体の研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。
それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。
私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのものを顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部に入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人と同棲した暁には、染料の会社を設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである。
日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線へ派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞の第一面、つまり雑誌や新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見たものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院で殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。
岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。
たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌に掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初の召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京で文化方面の役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズは役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。
既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活に飛込んだのだった。ところが、その相手は資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである。
II
私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに、満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇のほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。
私は妻の遺骨を郷里の墓地に納めると、再び棲みなれた千葉の借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃である。サイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである。
私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉の借家へ移った時のことである。私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それからは殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。
私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラと千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴムの長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。
「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。
「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、
「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。
その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。
私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日、八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋の小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊の姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好がおかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋の小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから、豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。
目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたとそっくりの写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。
冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥は簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。
翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真が満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。
その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体で台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである。
そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服の青年が歯医者に挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年も助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。
それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲の吏員に就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後の消息であった。その後私の妻の病気は悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。
その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。
あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境や機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか。親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客の歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅の作品の暗い翳を思い浮べるのであった。
どうやら攻撃を受けたらしい。
至近距離だったせいで前足の動きを捉えきれず、身構えるのが遅れたんだ。
いきなりモロに食らってしまった。
奮い立たせた戦意が、途端に削ぎ落とされていくのを感じる。
早く反撃しなければ。
半ば朦朧としたまま右足を突き出す。
「……貴様!」
攻撃はクリーンヒットしなかったが、意外にも相手の顔は歪んだ。
「よくも、よくぞ本気にさせたなっ!」
相手の勢いは衰えることなく、むしろ増大させてしまったようだ。
「ふ、ぐ……」
今度はしっかりと意識内から攻撃を食らったにも関わらず、その威力は驚くものだった。
「このっ!」
反射的に殴ったが、まるで効いている素振りがない。
マズいぞ、こいつ予想以上にケンカ慣れしている。
実力に差があるのは分かっていたが、まさかここまでとは。
勝てる気がしない。
どんどん血の気が引いていくのを感じた。
「キトゥンー!」
だが、その時、仲間たちの声援が俺の耳に届いた。
それが聴こえないほど、さっきまで追い詰められていたんだ。
「頼むー!」
大丈夫だ、まだ戦える。
「うっ……!?」
足でだめなら、今度は口だ。
「やめろ、この野朗!」
相手も反撃してくるが、俺は意に介さず、しつこく同じ場所に牙を突き立てる。
噛みつきを避けてくれば、今度は爪で、爪を避けられたなら今度は噛みつく。
どれほど効いているのかは実感がなく、正直いって勝てる気持ちは沸き起こらない。
それでも俺はひたすら攻撃を続けた。
「負けないでくれー!」
「こいつ、いつまで、やるんだ……!」
体がボロボロになる前に、どちらかが降参して終わる。
逆に言えば、気力が続く限りは終わらない。
俺に意思がある限り、決して負けることはないんだ。
「いけー! キトゥン!」
「……はっ?」
目を開けて、まず視界に入ったのは壁。
次に捉えたのは、本の山だった。
なんだ、頭が回らない。
それに、全身にけだるさを感じる。
状況を理解するまでに数秒を要した。
「夢って……ふざけてんのか」
どうも俺は、いつの間にか眠っていたらしい。
変な姿勢で寝てしまったようで、身体の節々が悲鳴をあげている。
「いてて……ガイドは?」
「さっき帰ったよ」
しかも直前の話題に引っ張られて、キトゥンになった夢を見るとは。
俺自身が猫になれば気持ちが分かるだろうと、どこかで考えていたのだろうか。
思い上がりも甚だしい。
あんな夢を見ているようじゃあ、俺もあの動物番組の仲間入りだ。
「あ、キトゥンおかえり」
自己嫌悪に苛まれていると、なんとも微妙なタイミングでキトゥンが部屋に入ってきた。
「ニャー」
当事者はそんなことを露知らず、部屋に入ってくるや否やこちらに擦り寄ってきた。
畜生が、こんな時に限って。
俺は仕方なくキトゥンを抱きかかえると、おもむろに膝の上に乗せた。
正夢なわけはないが、一応だ。
パッと見は大丈夫なように見えるが……これ以上まさぐると嫌がるしなあ。
「ああ……嫌な夢を見たからな。動物を、自分とは違う存在を、自分の尺度で決め付けて、言ってもいないことを勝手に喋らせて……」
「うーん? それ、人が他人に対してやってることと何か違うの? 割と見たことあるけど、そういうのやってる人」
弟が何か言っているが、まだ夢うつつだったので上手く聞き取れない。
「……それもそうだな」
「ふん、流れの……しかも首輪つきか。あっちの集いで最もマシだったのが貴様か」
対戦相手らしきネコが、こちらに聴こえるような大きさでそう呟く。
仲間達は少し怪訝な顔をしていたが、俺は歯牙にもかけない。
どうせ戦いとなれば、牙は存分に使うことになる。
「代表者、前へ」
俺は恐れも淀みもなく、いつも歩くように前に進んだ。
けれど今この瞬間、俺は何よりも身軽なように思えた。
「逃げるなら今のうちだぞ?」
そしてほぼ同時のタイミングで、お互いに睨み合う。
この時点で、既に戦いは始まっていた。
開始の号令など存在しない。
「すぐには逃げてくれるなよ?」
目を合わせただけで、すごい威圧感だ。
ケンカ慣れしていない俺は、この時点で目を逸らしたくてたまらない。
俺より少しでかいくらいだと思っていたが、至近距離で見ると予想以上だ。
覆われた剛毛が際立っており、実際以上に大きく見える。
こんなことなら、俺も数日前のブラッシングは拒否しておくべきだったか。
普段の俺なら、この時点で面倒くさくなって退散していただろう。
だが、その程度の有利不利は想定の範囲内。
こんなことで悄気てはいられない。
「ほう、嫌々やらされたと思ったが……最低限の根性はあるようだな」
いよいよ、というところまで近づいた。
それは同時に、互いの前足が届く距離であることを意味していた。
「シャーッ」
相手は鋭い牙を見せると、まるで蛇のような声を発した。
一度、蛇と対峙したことがあるけれど、迫力はこっちのほうが上かもしれない。
体が縮み上がりそうだが、ここで怯んだら負けだ。
目も逸らしちゃいけない。
むしろ俺も顔を近づけて、威嚇してやるんだ。
「フーッ!」
少しでも自分の体が大きく見えるように立つと、俺は全力で音を発した。
傍から見てどうだったかは知らないが、気持ちでは負けていないつもりだ。
そして少なくとも、相手にはその気概が十分すぎるほどに伝わったらしい。
「……そうこなっくちゃな!」
相手がそう言った瞬間、俺の視界がグラりと揺れるのを感じた。
そんなわけで、“流れネコ”ってのは「遠くからやってきたネコ」って意味の他に、「ヒトが忌み嫌っている特定のネコ」って意味も含まれている。
ヒトが勝手に決めた定義で、ネコ側からすれば知ったこっちゃない話だ。
だがヒトとの付き合い方も求められるイエネコ界隈において、流れネコは無視しにくい存在だった。
俺は何も特別なことはしていないし悪いこともしていないが、「ヒトとの間に軋轢を生み、善良なネコにも迷惑をかける存在」として、他のネコから邪険に扱われたりもした。
母が死んだとき、もしモーロックに拾われていなければ、ヒトに殺されるまでもなく野垂れ死んでいたかもしれない。
そのおかげで食べるものには困らなかったけれど、仲間内では一線を引かれていた。
あの頃の心境を言葉にするのは難しいが、たぶん他のネコができていたことができなかったこと、そして小さい頃に母と離れ離れになったことが大きい要因だと思う。
俺には“何か”が足りていなくて、そして満たされていなかったんだろう。
そのせいで自暴自棄になっていった。
いっそヒトの中に飛び込んで、楽になろうと考えることもあったんだ。
そんな時に出合ったのが、とあるヒトだった。
そのヒトは、どうやら俺を捕まえたがっていたようで、小魚でおびき寄せるという小賢しいことをやっていた。
俺は半ばヤケになって、その人の前に顔を出したんだ。
だが意外なことに、そのヒトは俺を殺すことはなく、それどころか飼うことにしたらしい。
どうやらヒトの中にも、流れネコを嫌う奴と嫌わない奴がいるようだ。
この出来事がきっかけで、流れネコに対する、ひいては俺に対する悪いイメージは軟化していった。
飼われた後も集会所には定期的に参加し、数年かけて仲間に認められるようになったんだ。
そこにきて、なぜダージンが“流れネコ”のことを蒸し返すのか。
察しはついていた。
「この戦い、本当にキトゥンに“任せる”んだな?」
ダージンとの付き合いも長い。
俺への嫌悪感から、そんなことを言っているわけじゃないのは分かっていた。
“流れネコが悪いわけではなく、ヒトが勝手にそう決めつけているだけ”
理屈では分かっていても、それで俺への不信感が完全に払拭できるわけじゃない。
そんな状態で俺を戦わせれば、勝敗がどうあれ、皆の中に決して消えない“わだかまり”が残るだろう。
「改めて問う、皆はキトゥンに“任せる”か?」
自分達の縄張りのために俺を戦わせるのならば、本当の意味で“任せる”べきだと。
「任せる!」
食い気味に答えたのはキンタだった。
間もなく、ケンジャもそれに続いた。
「そうだ、キトゥン! お前に任せる!」
続々と周りから同調の声が響き渡り、音は段々と大きくなっていく。
それを聴いて、俺は体から“何か”が湧きあがるのを感じた。
どちらにしろ俺は戦うつもりだったが、その意志がより強まっていくようだ。
「キトゥン、お前にも聞きたい。本当にいいのか? この戦いに勝ったとしても、お前に大した得はないんだぞ」
ダージンの問いに、俺は澄ました顔で答える。
「……任せてくれるんだろ」
モーロックが俺を代表に指名したのは、こういう意図もあったのかもしれない。
これは俺が皆に認められる、一世一代のチャンスってやつなのだろう。
「キトゥンにこの戦いを任せるというのは、その……」
異議を唱えたのはダージンだった。
俺は反論することもなく、ただそれを聞いていた。
その指摘に、俺は何も反応しなかった。
実際、この戦いに勝とうが負けようが、野ネコじゃない俺は住処に困らないのは事実だ。
居場所が確保されているネコに、自分達の縄張りをかけて戦わせるんだから不安にもなるさ。
口にこそ出さないが、同じような想いを抱いているのはダージンだけじゃないだろう。
ただ自分が戦えないという負い目と、勝ち目があるのは俺だっていうことも分かっていたから、皆は声を上げにくかったのだと思う。
ダージンもそれを分かってはいるが、補佐役の立場から意見せざるを得なかった。
それに、彼らが俺を代表にしたくない理由は“もうひとつ”あった。
「それに彼は……“流れネコ”だ」
「我々は同じネコです。ましてや、この集会所の仲間をそのように呼ぶのは……」
だが、あまり良い意味の言葉ではなく、それを口に出したがるネコはいなかったからだ。
「今だからこそ、言わないといけないんだ!」
それはダージンだって同じだったが、それでも今ここで言っておかないと、後で尾を引くと考えたのだろう。
「何よアンタ! 細かいことばっか気にして! さてはA型でしょ!」
ヒトの間では“ガイライ”だの“ガイジュウ”だの言うらしいが、俺たちの間では“流れネコ”って呼ばれている。
「あなたのお父さんはね、とても遠くの場所から、ここへやって来たの」
「“遠く”って?」
「ずっと、ずっと、遠く」
少なくとも歩いて行けるような場所ではないらしい。
だが、俺はさして興味がなかった。
俺自身はここ近辺で生まれ育ったし、場所が多少変わったところで違いはないと思っていたからだ。
つまり俺は流れネコというよりは、厳密には流れネコの血を引いているだけなんだ。
だけど、そんな事情を周りが慮るとは限らない。
ネコとヒトという垣根があれば尚更だ。
「いいかい、坊や。ヒトに近づいては駄目。姿を見られるのも駄目。特に大きいヒトは危険だよ」
母はことあるごとに、俺にそう言い聞かせていた。
どうやら流れネコは、ここら一帯のヒトたちには嫌われているらしい。
俺と同じ見た目をしたネコは、ヒトに連れて行かれると殺されてしまうという。
近隣にいた同胞も、全てどこかに連れ去られ、二度と帰ってこなかったんだとか。
「なんで俺だけ駄目なのさ。他のみんなはヒトと仲良くしてるのに」
「……ごめんね」
俺にはその意味が分からなかったけれど、たぶん母も分からなかったんだと思う。
絶望が辺りを包み込む。
結局、戦うしかないのか。
「皆よ、悲観するのは早いぞ。これは戦争ではなく、略奪でもない」
「戦うべきは一匹だ。その一匹と、こちらの代表が戦い、認めさせてやればいい」
サシか……。
そうせざるを得ない、妥協案というべきか。
「その条件、信じていいんですか?」
「やつらは戦いを重んじ、強さを重んじる。だからこそ、一度でも認めれば牙を向かぬ」
それぞれ戦わないと駄目ならば、ネコの国に入れない奴が確実に出てくる。
だけど、この中にいる一匹だけが戦うのならば勝機はあるかもしれない。
「では、諸君……この中に今回の戦い、志願するものはいるか?」
モーロックの呼びかけに、俺含めて皆ウーともニャーとも言わない。
なにせ、ここに集まっているネコたちは、ほとんどがケンカすらしたことないんだ。
それは争いを好まない気性だからってのもあるが、やはり強さに自信がないからなのは否定できない。
どんなのが相手なのかは分からないが、かなり覚えのあるヤツが出てくるはず。
そんなのと渡り合えそうな、体が大きくて力強いネコも仲間内にいるにはいる、のだが……。
「なあ、キンタ。お前ならやれるんじゃないか」
「あたしぃ? やーよ、そんなの。戦いも食べ物も、血生臭くないのがいいわ」
いくら体格があっても、そもそも戦う気がなければ勝つことはできない。
次点だとケンジャもいるが、あいつは体がでかいというより単に太ってるだけだ。
「むぅ、志願する者がいないのなら……仕方ない、ワシがやるか」
昔ならまだしも、今の彼にまともに戦える力はない。
「よ、よしてください! 老ネコのあなたには無理だ。下手したら死んでしまう!」
「では、おぬしがやるか、ダージンよ」
「そ、それは……」
それでも搾り出すかのように、震えた声で答える。
「よく言った、と誉めてやりたいところだがな。敵と相対する前から目を逸らすようなネコに代表は任せられん」
時おり「やろうか」、「やれよ」というやり取りも聞こえはしたが、どれも自信なさげであり、ハッキリとしたものではなかった。
「はあ……できれば強い意志で、自ら決めてほしかったのだがな……」
痺れを切らしたモーロックは、やれやれといった具合に息を洩らした。
「こうなったら、わしが直々に指名しよう」
集会所に緊張が走る。
選ばれたネコは自分達の居場所を得るため、更には皆の思いを背負って戦うことになる。
責任は重大だし、無傷では済まない。
この時、肝心の選ばれた俺はというと、自分でも意外なほど落ち着いていた。
「どうじゃ、キトゥン」
「気乗りはしないが……やるからには、やるよ」
好きでこんな体に生まれたわけじゃないが、別に抵抗感はなかった。
それでも俺が志願の際に消極的だったのは、戦いたくないこと以上に“他の理由”があったからだ。
「ちょ、ちょっと待った!」
そして予想通り、俺の気にかけていたことは起こった。
「皆よ、案ずるな。既に今後のことは考えてある」
「残念だが、こうなった以上は別のところへ移り住む他あるまい」
「別のところ……ってアテはあるんですか」
「無論ある。そこへ向かうため、ここに皆を呼んだのだから」
俺も同じだ。
「ヒトがのさばる世界で、ネコがための地は限られておる。もし他にあるというのなら聞き入れよう」
実際、“ある一点”を除けば、『ネコの国』は今いる場所よりも優れた地だ。
腹が減ったら、目についた獲物をとることも可能だ。
「しかし、そこを新天地にするとして……果たして可能なんでしょうか?」
より良い場所であるが故に、あそこにいるネコたちは縄張り意識が非常に強い。
それでも入りたければ、強さにものを言わせて存在感を示すしかないだろう。
「だが、それができるのならば、我々は元からここにいません」
いや、仮にできたとしても、好んでやりたくはない。
それに、自分達のために他の住処を奪うことは、俺たちを追い出そうとするヒトたちと変わらない。
「分かっておる。だから、わしは少し前に『ネコの国』へ赴き、そこのヌシに話をしにいった」
「わしはこう見えても、あそこで偉い立場だったのだ。若い頃の話じゃがな」
「ええっ!?」
さらりと明かされた過去に、一同は飛び上がるほど驚愕している。
俺も毛が抜けるんじゃないかってくらい内心びっくりしていた。
「まあ、詳細は省くが、それから何やかんやあってな……お望みとあらば、聞かせてやろう~か?」
「いや……結構です」
またも歌って説明しようとするモーロックを、ダージンが粛々と静止する。
実のところ少しだけ気にはなるが、今はそれよりも『ネコの国』に行けるかどうかだ。
「それで? その“ヌシ”とやらと話はついたのか?」
「うむ……全員受け入れることを約束してくれた」
「おおっ! やったぁ!」
一部のネコは、予想外の結果に喜び勇んだ。
しかし、ケンジャやダージンたちのような、頭の回るネコたちの顔色は優れない。
「うむ……“認めさせろ”と言われた。わしらが『ネコの国』を治めれば、否が応でも納得するだろうと」
「それ……どういう意味?」
キンタは察しが付かないのか、それとも認めたくないのか、俺に恐る恐る尋ねてきた
「つまり……“戦って、勝て”ってことだ」
ひとまず現状を把握しておくため、俺たちはモーロックの言っていた場所へ向かった。
「本当だ……ヒトがいる」
さすがに皆でゾロゾロと行くわけにもいかないので、偵察に来たのは俺やキンタなどの機敏なネコ数名。
「ぜえ……ぜえ……ちょっと待って……休ませてください」
そんなに遠い距離でもなかったのだが、太っちょのケンジャは既に息も絶え絶えだ。
「肥え太ったお前には、ちょうどいい運動になったろ」
「ふう……余計なお世話ですし、別にそこまで肥えてないですよ。適正体重より2キロちょっと重いだけです」
それも、かなりのな。
俺も1キロばかり重くなった時は、家主がとても深刻な顔をしていた。
それからしばらくの間は、食事制限に加えて運動もかなりさせられたから身に沁みている。
1キロ重いだけでアレなんだから、その倍も重くなってるケンジャはよっぽどだ。
自分への話題を逸らすかのように、ケンジャは耳を澄ます動作に切り替えた。
「……」
「どうだ? 何て言っている?」
できれば杞憂であってほしい。
そういった期待も込めて、恐る恐る尋ねる。
ヒトが話していた内容によると、近々ここで大きな建物を作ろうという予定があるらしい。
そして、その作業は非常にやかましく、近隣のヒトをどう説得しようかと話し合っていたようだ。
ヒトですら嫌がるほど音……。
「ムカつくわね。そいつら、あたしたちのことはアウトオブ眼中なのかしら」
「どうやら以前から、この集会所は彼らヒトの住処だったらしいです」
つまり本来の所有者はヒトだから、俺達を追い出すのに理由なんていらないってことか。
一方的な主張だ。
「“以前から”だと? 我々のほうが昔から、ここにいるんだぞ!」
彼らから言わせれば、俺たちのいう“昔”よりも“ずーっと昔”ってことなんだろう。
それが具体的にどれ程かは分からないし、本当かどうかも怪しい。
だがヒトは俺たちより何倍も長生きだから、事実の可能性はあるが。
いや、もし嘘だったとしても、事態は大して変わらない。
ならば後は“強い者が勝ち取る”という、ネコ社会にも通じる道理によって縄張りの所有者を決めるしかない。
そして、それがどちらかなんてことは、実際に勝負するまでもなく分かりきっていた。
俺たちができる抵抗なんて高が知れている。
ヒトに目をつけられた時点で、この集会所は終わっていたんだ。
「いざ別の誰かのものになった途端に惜しくなって取り上げるなんて身勝手すぎる!」
「そんなことが罷り通るほど上等なのかね、ヒトってやつぁ」
ヒトにとって俺たちネコってのは、その程度の存在なのかもしれない。
皆もそれは理解していた。
故に、周りから漏れる仲間達の声は抗議ではなく、諦念からくる恨み節に近かった。
「それでは、気をつけるべき食べ物にチョコがあるってことを覚えておきましょう」
「ぶどう、ねぎ、あげもの……なんか、どんどん増えていくなあ」
「わたくしからは以上です」
「ご苦労、ケンジャ」
それなりに有益な情報ではあったが、今回集められた理由は恐らくチョコの話をするためではないだろう。
こういった情報共有は今までの集会でもやってきたので、普段と大して変わらない。
「では次はモーロックから大事な話がある……おい、定期連絡を聞き流していた奴も聞いておけ!」
「この話を又聞きでしてしまうと、仲間たちの間で混乱を招く可能性がある。これからのために、今ここで確と聞いておくように」
普段なら多少は見過ごしてくれるのだが、やはり今回は尋常ではない。
「ではモーロック、どうぞ……」
「うぬ……」
それは鈍感なネコですら感じ取ったようで、集会所は静寂に包まれた。
「我々が今いる、この集会所だが……そう遠くないうち、ヒトの手が介入することになる」
言葉の意味を計り兼ねてはいるものの、この集会始まって以来の危機が訪れようとしていることだけは確かだったからだ。
「質問よろしいでしょうか」
「言ってみよ、ケンジャ」
「“ヒトの手が介入する”とは……具体的には、どういうことなのでしょうか?」
数日前、ここを縄張りとするモーロックは何の気なしに、うたた寝をしていた。
しかしヒトの気配を感じ取り、すぐさま目を覚ましたという。
「この場所はヒトが来ることはもちろん、その気配を感じることすら稀な場所だ。その時点で嫌な予感はしていた」
決定的だったのはヒトの“見た目”だった。
今までやってきたヒトといえば、野外で遊ぶことが多い子供がせいぜい。
だが、その時にやってきたの大きいヒトであり、しかも数名。
そして何より、その格好が恐怖を想起させた。
「若い頃、見たことがある。あの姿をしたヒトがやってくると、その場所にはヒトの住処が出来上がるのだ」
それはつまり、この場所に俺たちの居場所がなくなることを意味していた。
「そ、それは本当なんですか!? 寝ぼけていたってことは?」
「私もまさかと思い、張り込んでみたのだが……モーロックの言うとおりヒトがいた。別の日にもいたから、縄張り確保のため下見に来ていたと考えるべきだろう」
予感は現実へと変わろうとしていた。
それは極めて確かなものとして。
まあキンタの変化も中々だったが、気になったのは今回の集会だ。
見回すまでもなく、参加しているネコが普段より多いのが分かった。
俺みたいにヒトの住処にいて参加が難しかったり、或いは病気で調子が悪かったり。
毛づくろいや、食い物を集めるのに忙しい場合もある。
他にも、原因は上手く説明できないけれど、どうにも気分が乗らない日だってあるだろう。
他の集会所はもう少し厳しいようだが、ここはネコたちの自由を尊重してくれるんだ。
だから、今回わざわざ集められたというのが奇妙だった。
「キンタ。俺を呼んだのはなぜだ? どうやら他のネコたちも集められているようだが」
「あたしも知らな~い。みんなが集まったときに詳しく話すから~とにかく知り合いに呼びかけてくれ~ってモーロックに言われたのん」
「モーロックが?」
キンタに理由を尋ねてみたら、意外な答えが返ってきた。
モーロックは皆に指示を出したり、グイグイ引っ張ってくれるようなタイプじゃない。
けれども、そのおかげで俺たちは伸び伸びといられる。
強いネコがリーダーになりやすい世界で、現役とはいえない老ネコがトップにいてくれるから、この集会所は体幹を保てているわけだ。
そのモーロックが俺たちを呼びつけた。
何か異様なことが起きているという感覚を肌で感じる。
「静粛に、静粛に!」
他のネコたちもピリつき始めた頃、ダージンの号令が響き渡った。
俺たちは喉に引っかかりを覚えながらもグッとこらえ、モーロックの方へ首を向けた。
「えー、これより第……うん回の、大定例集会を行う」
モーロックは皆を見渡せる定位置の場所に鎮座し、何回目か分からない集会の始まりを告げた。
「まずは定期連絡だ」
「この時期に増えている行方不明のネコや、体調不良を訴えるネコについて……ケンジャ、前へ」
あれがケンジャだ。
「拝承しました」
ケンジャは賢いことを意味する名前らしいが、自称なのか誰かに名づけられたのかは知らない。
ただ、その名前に誇りを持っていることは確かで、実際いろいろなことに詳しい。
「わたくしの調べによりますと、どうやら“チョコ”という食べ物が原因のようですね。ヒト用の食べ物らしく、この時期は特に欲しがる習性があるようです」
どこかで聞いたことがあるな。
我が住処にいるヒトが、そんな話をしていたような気がする。
住処には小さいのと大きいのがいて、確か小さい方がチョコらしきものを差し出してきた気がする。
それを大きいヒトが、凄まじい勢いで止めに入ったんだ。
大きいヒトは落ち着いていることが多いのだが、その時は非常に荒々しかったから今でも印象に残っている。
「つまり、その食べ物がネコには合わず、食べてしまうと体調不良になるのか?」
「ええ、食べる量によっては、最悪の場合は死に至るのだとか」
「や~ん、こわ~い」
そんなに危険な代物だったのか。
あの時は「ヒトだって体に悪そうなものばっかり食べているくせに、なんで俺だけ」と思っていたが。
「それは、どのような特徴があるのだ? 例えば色だとか」
「たまに白いものもありますが、基本的に黒いです。危険度は黒ければ黒いほど上がります。形は色々ありすぎて、わたくしでも把握できていないのが現状です、はい」
黒かったり、白かったりするのか。
俺がたまに食べる“あの虫”に似ていて、ややこしいな。
「じゃあ、味は? うっかり口に入れても吐き出せるようにしたい」
「よく分からないんですが、ヒトが言うには“あまい”らしいです」
「“あまい”と言われてもなあ……他にはないのか?」
「後は苦いらしいです」
うげえ、苦いのか。
だったら、あの時に食べなかったのは、いずれにしろ正解だったな。
あの声は、たぶんキンタだろう。
耳には自信があるが、キンタにしては鳴き方が少し違うようにも聞こえたし。
まあ気のせいであれ何であれ、一度でも気にすれば何度でも気になるもんだ。
俺は開けられた窓めがけて、勢いよく跳びだす。
空中で体勢を崩してヒヤりとしたが、地面につくころには俺の四つ足は下を向いていた。
久々にやってみたが、体は覚えているもんだ。
だけど次回からは、いつも通り1階の専用口を使おう。
さて、声が聴こえたのはこっちだったかな。
そちらの方角めがけて、鼻に神経を集中してみる。
すると、先ほどまでこの辺りにいたと分かるほどの確かな匂いを感じた。
どうやら気のせいじゃなかったらしい。
匂いをたどりながら進んでいくが、途中から覚えのある道順だと分かり、自ずと目的地も察しがついた。
既にその場所には、見慣れた仲間達が一通り集まっていた。
「おお、来たな……ええと」
「キトゥンだ」
「おお、そうか。今はキトゥンだったな」
みんな大なり小なり、彼に有形無形の恩義がある。
もちろん、俺もその中の一匹だ。
「まだまだ元気そうだな、モーロック。片耳がないのに、俺の声もちゃんと聞こえてる」
「え……」
「今ここで、きかせてや~ろうか~? お望みとあ~ら~ば、きかせてやろうか、きかせてやろうか、きかせてやろ~か~」
ただ、こんな感じに、隙あらば歌おうとしてくるのが玉に瑕だ。
すんでのところで歌を止めてくれたのがダージン。
老いたモーロックの補佐的な役割を担い、この集会所を潤滑にまとめてくれる存在だ。
「やっほ~キトゥン」
そして今回、俺をここに呼びつけたキンタ。
メスにモテやすい如何にもな猫って感じで、あいつ自身もよくそれを鼻にかけている。
「よお、キンタ。久しぶりだな」
以前の振る舞いも気になってはいたが、今の状態もかなり独特だ。
本当にあのキンタか?
「そういうお前は、しばらく見ない間に変わったな。何というか、全体的にしなやかになったような」
「あ~、キトゥンには分かっちゃう? さすがキトゥン、さすキト~」
いや、俺じゃなくても分かるくらい滲み出てるぞ。
「実はあたくし~去勢されちゃいました~!」
「はあー……なるほど?」
去勢されたネコは何匹か会ったことあるが、キンタみたいになった奴は初めて見た。
「なあ、ダージン。去勢されたら、“あんな感じ”になるもんなのか?」
「うーん、落ち着いた気性になりやすいのは知っているけど……モーロックはどう思う?」
「猫によるとしか言えん」
未来人の価値観は理解に苦しむところもあるが、翻訳の難しさは俺たちにでも分かる問題だ。
慣用句や、詩的な表現、そういった何らかのコンテクストが要求されるとき、別の言語に変換することは困難を極める。
該当する適切な表現が翻訳先の言語になければ、その時点で破綻するんだ。
そこを意訳したり省略したり、或いは開き直って直訳すれば最低限は伝わるかもしれない。
ガイドの時代でも試行錯誤はあったようだが、不可能という結論を先延ばしにする以上の意味はなかった。
100%正しい翻訳ではない時点で、100%正しい意思疎通もありえない、ってことらしい。
「結局は翻訳という工程を必要としない、新たな共通言語を開発することで対策をしたんだ」
「そういえば以前にどこかで話していたな。フエラムネ語だっけ」
「ヒューメレンゲ語じゃなかった?」
「いや、フュ○メッ△ゲ語だね」
それでも課題は残った。
言語そのものを最適化しようが、他種がそれを用いることができない時点で、。
「言葉というもの自体が、所詮はヒト向きのコミニケーション手段でしかないからね」
そして、その“ヒト向けのコミニケーション手段”でもって動物と“会話”をすることは、極めてヒトの恣意的な判断が介入することになる。
それは意思疎通ができているようで、実際は“分かっているつもり”の状態に近い。
むしろ中途半端な理解によって、新たな問題が発生する場合もある。
「つまり理念に反するんだよ。『人間の尺度で動物の意思を推し量ることは傲慢だ』という指摘が多くてね」
ガイドの時代は技術開発ばかり先行していると思っていたが、そういうことも考えている人も多いんだな。
自分が生きていない遥か未来のことなど大して興味もないが、俺にでも理解できる価値観が残っているようで少し安心した。
「あ~あ、つまんねえの。結局は何も分からないってことじゃねえか。未来って言っても、そんなもんかよ」
「体調を管理する機器を用いて、快・不快度などのバロメーターは分かるよ」
弟にとっては面白くない結果だったが、俺は内心これでよかったとも感じていた。
そりゃあ気にならないわけじゃない。
時々、思うことはある。
キトゥンの奴が日々をどのように世界を見て、考え、動いているのか。
それが、おこがましいって分かっているから、したくないだけでさ。
自分があのテの動物番組を無邪気に楽しめるタイプなら、こんな七面倒くさいことを考えなくて済んだのかもしれないが。
……あれ、いないぞ。
恐らく日課の散策に行ったのだろうが、いつもどこで何をしているんだ。
あいつの勝手とはいえ、飼い主という名分でもって把握しておくべきなのだろうか。