はてなキーワード: お祭り騒ぎとは
もう熱中できることがなくなって長い年月がたった。
若い頃は、
「やってみたい!みてみたい!ほしい!!」
と突き動かされるような情熱があり、その衝動に従って楽しそうなことを追いかけるだけで充実して過ごせていた。先の不安なんて考えず、ただそのとき夢中になれるものだけを素直に追いかけて辛いこと以上に楽しいことも多かった。
世界はくっきりとして、喜怒哀楽の感情もきちんと元気よく動いてくれた。
今は何をするにも、すりガラスごしに眺めているような空虚な気持ちを抱えて、人生の消化試合のように生きている。喜楽の感情は昔に比べて圧倒的に動き辛い。
いくつかの避けられないトラブル、環境の変化、自分の心身の弱さ、そうして年を重ねて疲れていくうち、物事を素直に楽しめない人間が生まれていた。
頭の片隅には、ネガティブなもう一人の自分Bが住みついて事あるごとにチクチクと囁く。
「遅かれ早かれ、親の介護で苦労したり、知り合いは年と共に亡くなって、そしていつかはお前自身が死んで全部おしまいだぞ!!結末が決まってる以上、すべては無意味なのに何をしてるんだ?」
そんな嫌味が、何かするたび脳内に生まれて素直に楽しめることがなくなっていく。
否定的でネガティブな自分Bは、そのくせ楽しいことを追いかける眩しい人、弛まぬ努力している人を見かけると、憧れ羨む気持ちで騒ぎ出す。
「キラキラとした人々と比べて、今の自分はなんという怠けたクソ人間なんだ!!反省しろ根性なしめ!」
自己嫌悪する考えが脳内でムクムクと膨らんできて辛く悲しく情けない気持ちでパンパンなってしまう。一念発起して頑張る元気はとうに枯渇しており、脳内で自分が自分を叱責して懲らしめるだけの悪循環しか生まれない。
そんな辛い気持ちを、なるべく抱きたくないから休みの日はほとんど寝て過ごしてしまう。生産性ゼロ。寝ている間は、なにも辛いことを考えなくてよいので現実逃避のために必要以上に眠くなるのだろうか。
若い頃は脳内にダパダパと出ていたやる気物質はどこにいったのか。
落ち込みがちな脳みその手入れせず放置したから、荒れた脳みそに愛想をつかして出て行って、代わりに自分Bが住み着いてしまったのか。
では、脳みそを綺麗にリフォームできたら、戻ってきてくれるのか?
真夏の屋外オールナイト開催のフェスが今年は10周年!のはずがやはり一旦は延期になり、昼から夜まで×2days開催@屋内となったのが先日三連休の話。
色々考えたけど行きたかったので行ってきた。(2日目のヘルシンキ〜フジファ。)
密集、密接対策としては、ふつうスタンディング席であろうところの半分以上を椅子の席(ちどりに使用禁止の張り紙)にしてあり、スタンディング席もバーでこまめにエリア分け&ひとりぶんのエリアのグリッドが線引きされていて、近接は無いようにしてあった。後述するが観客側のマナーとしてもも大きい声を張る行為は一切なかった。
ケバブ等の軽食はあったけれど、飲食用のテーブルは無し。アルコール類も無し。通路や物販列も空いていて、端的に言って日々のJRの方がよっぽど密接密集している…。
ドアノブ等もダスキンがまめに拭いているらしい。換気の具合ばかりはわからないが、ちょっと涼しかったし酸欠感も無かったしで、きっと良いのだろう。
総じて、「これで駄目ならもうどうしようも無いだろう」「首都圏近場でのおでかけや外食、日々の勤務よりも安全だろう」という印象だった。
会場入りした時にやっていたのはヘルシンキラムダクラブのリハ。「しゃれこうべしゃれこうべ」、たぶんそういう他意はなくただヤンデレっぽい歌詞だと思っているけど、それでも「死なないで」「地獄でワルツを踊りましょう」に乗せて客席がビジョンに抜かれ、2mピッチで棒立ちな観客や一面の背もたれの「使用禁止」のチェック模様を突きつけられると、失われたものを突きつけられるようだった(このご時世にそもそもフェスなんてまるごと失われるべき、という意見もあるだろうけど。)
いざ本番が始まると、色んなことを忘れさせてくれるような素晴らしいステージだった。
ドミコ、リーガルリリー、オーサムシティークラブのあたりがそうだろうか、バンドの世界観がしっかりしていて、それを垣間見て味わうようなタイプだと、純粋に生音やステージに熱中させてくれるようだった。
ただ、フロンティアバックヤードが「こっちから見ると異様な景色で、おじちゃんびびってるよ」みたいなことを言っていたが、ステージから客席を見た光景こそが異様なのだろう。しかし、客席からステージを見る限り、無心に熱中できる瞬間もあった。
モノノアワレはMCで飄々と状況を受け入れていおり、らしく、面白かった。
「今回、私達は発声できる形で、皆様は発声できない形でやらせていただいており、人間は声に出さずとも心で話すことができ、それが悩むと言うことですが、人間は生物で唯一悩むことができるといわれており、それは置いておきまして、…」からの早口言葉ソング。
モノノアワレは完成度高かったな…ただ曲間の沈黙の瞬間に何度も隣のリハのドラムスがなっちゃってたのだけが邪魔だったけど、最後のそういう(曲間で一瞬シンとなってとなりのリハの音がにわかにとても響く)タイミングでボーカルがもっとおっきい声で「せーのっ!」て叫んで最後の曲に入ったの格好良かった。
四星球は音源ではなくライブこそが本番のお祭り屋、盛り上げ屋なので、どうするんだろうと思っていた。いざステージが客席から堪えきれないしのび笑いを誘い、内心を盛り上げ、(腿上げは息が上がるのでグレーだと個人的には思うけど…まあ短時間か)盛り上がりを表明できずもどかしい観客に「みんなが心で一緒に歌っているのが、心でわかります」「フェスなんか来て罪悪感はんぱないでしょ?」「でもその罪悪感が皆を守ってるんです」「皆が守っているのはガイドラインなんていう堅苦しいものじゃない、エンタメ業界です」の語りはアツかった。
冷笑したくなる陳腐な熱いセリフを、本気のように聞かせる、本物のアツい思いに感じさせる四星球は、これを言うのは恥ずかしいしなんだか負けたような気がするけど、やっぱりすごい。四星球が言う「10周年おめでとうございます」はなんだか重く聞こえる。
で、ヒリついたタイマンバトルのような、いっそ客席を無視してるようなマジで痺れるドミコを挟んで(なんだこの順番は。)ポリシクスも盛り上げ屋だけど、対称的だった。
「みんな〜盛り上がってるか〜い!」みたいな問いかけに返ってくるのは、どこまでも、拍手。いつもだったら客席からマイクとアンプに負けないくらいの歓声が上がるのに。
声が裏返ったボーカルの絶叫コール、アンド、キャパシティ50%未満の歓声も口笛もない拍手のレスポンス、は何度か繰り返された。
ステージの上は「新しい生活様式」を噛み締めているようにも打ちのめされているようにも見えたけれど、本心はわからない。
正直言って四星球がいなかったら我慢ならなくなって叫び返してたやつが出たと思う。隙のない三密回避(&ノンアルコール)の運営と四星球の演説があって、やっと、何度呼びかけられても拍手だけが返せたのだと思っている。
途中からステージに「観客のレスポンス」のSEのボタンが登場して観客はジェスチャーでタイミングよくボタンを押そうぜ、となった。「このボタン、いいね、いつでもアリーナ級のレスポンス返ってくるんじゃん」と笑いを誘ったけど、こっちはちょっと泣きそうだった。
フジファの途中で帰ってしまったけれど彼らも「マイペースに世界観を見せつける」というよりは真摯に受け止めて寄り添って悩んでみせるタイプ。初代ボーカルが急逝しているのでどうしても古参ファン的にはシリアスな色が強い。(11年前なので知らない・実感のないファンも多いだろうけど…今回ポリシクスとストレイテナーの間では年齢層高そうだ。)
初参加、夏にやりたかったなあ、という話からの夏のノスタルジーどまんなかソング「若者のすべて」はしんみりした。盆踊りのような振り付けの曲があり、これが良かった。いちばん動けたし、夏だったし。しっかり楽しめたし、揺さぶられて、良いステージだった。
全体として、三密回避で無発声だとどうしてもお祭り騒ぎはそりゃあできなく、内心ムチャクチャ盛り上がってるのに地蔵化させられているように思う瞬間もあって、仕方がないけどももどかしかった。いまヤバくなってるこの思いをステージに返したいのに…みたいな。
熱狂できない、集団催眠みたいにヤバくなることはない。仕方がないけれど…
良い点として、立ち位置や座る位置を工夫すれば、過去最高にステージが良く見えたのと、私も年なので座って見れたのはラクだった。大きめのカバンのままでも邪魔にならないのも楽ちんだった。
光る棒とか公式アイテムであったらまた少し発散できたかな? マックスのぶち上げ盛り上がりは盆踊りのような動きになるので、お祭り屋タイプのバンドにはそのつもりでステージ組み立てて貰えたら新しい楽しさがあるかも知れない。
最後になるけれどもあらためて、日頃の暮らしよりもよっぽど三密回避なフェスを開催してくれて感謝。叫んだりたむろったりも無かった観客に感謝。ライブってやっぱ良いね。
あくまでも「私がこう思うよ、こう見ているよ」を率直に書いてみる。
スカッとする以前に、メーカーから謝罪文が出たりして、「このキャンペーン・行いには何らかの問題があった」というのが共通認識になってきていい感じ。
当事者として意見を述べて、その質と量すなわち「影響力」で得た結果。
どれほど真面目に、個人のマイナスを社会に陳述したところで数がそろわなければ捨て置かれることは、よく学習しているので…。
社会を変えたいならば、つまり女性の社会的地位の向上とか生きづらさの解消とかを本気で目指しているならば、問題をきちんと一般化して「こうしたキャンペーン手法は女性全体にとって、ひいては社会一般にとってマイナスである」というセオリーを確立したほうが効果的(=説得力・影響力がある)だと思いますよ、というアドバイスなんだけど、大きなお世話なんですかね……。
このあたり、伝わらないと思うけど、世の中で問題をはらんだ常識を肯定する力が強い間、
自分のもやもやとした生きづらさや不快感をの原因を見つめて肯定したり言語化したりには往々にして時間がかかるものだよ。
MeTooがおきたときに、やっと「わたしもおかしいと思っていた」「そんなことがあったんだね、実は私も…」といえる状況が増えたところで、
分断されていた女性どうしがやっとお互いの話をオープンにできるようになった感じある。
一人一派といわれるように、経験や理想とする形には大きく違いがあることも(やっと)わかってきて、
なおかつ、いろんな方向にフェミニズムを誤解している人たちのせいで、集会場には武装勢力みたいなのがいたりするんで…。)
その次に、女性の参政権しかり、会社のヌードポスターやセクハラ告発しかり、個人の様々な経験で
「男性が納得しなければまともに取り合う価値の無い物として扱われる」ことは身に染みていたりするので、
要求が妥当かどうかを男性にジャッジしていただくような、お伺いを立てる行為そのものが好かれてないと思ったらいいんじゃないかな…。
増田本人がそうかどうかは別として、傾向として「お前は説明もできない馬鹿だから無視していいな」ってしてきた側に対して
「そんなこともわからないのに何偉そうにしてたの今まで」と思ってしまうものではない?
SNSによってわかりやすい圧力型の影響力を使えるようになって、理解されずともある程度の結果を得られるようになったのは革新的だと思うよ。
この方法はされて嫌だったことを仕返ししているような側面もあるけど、正直それ以外の方法ではもっと実現に時間がかるだろうと思うし、
されてみないとわからないだろうから、一度経験してみてほしいと思う気持ちは、正直私にもある…。
セオリーについてはね。
炎上が起きて謝罪文が出るたびに、ブランドイメージが悪くなる→既存のファンが他社に流れる→損失となる状況から学ばない企業はないと思うので、
個別に炎上を繰り返すことで社会全体の性的表現がよく検討されて最適化(=私からすればマイルドに)なっていけばいいと思う。
出来事と必要十分ラインの見極めは、ここしばらく続くだろう炎上とその後の展開によって決まると思うなあ。
あと、賛成反対どちらにもお祭り騒ぎが好きなだけの人や、怒りで言動が過激な人も含まれるので、時々ノイズのほうが大きく問題になるのが悩ましい。
本質をとらえずに対岸をカテゴライズしてまぜっかえす人のせいで話が変な方に曲がっていくのは、正直あほくさいと思う。
どれほどほうぼうから真面目にマイナスを陳述したとしても「納得できないので個人のお気持ち」などとジャッジ・揶揄されている現状はもうほんと、ダメなところの煮凝りみたいなもんだよ。
広告や表現、コンテンツから無意識に「みんなこんなもんだ」と刷り込まれている状況を変えたいから。
「これは企業やメディアのお墨付きを得た一般的な感覚ですよ」の量を減らしつつ「これを好むにあたりTPOを守らないと困りますよ」
「これはたいていの場合侮辱にあたりますよ」と刷り込む量を増やしたいとも言えるけど。
私には男性の生理現象を体験することはできないから、そこにどんなつらさがあるのかわからないけど、
それを建前にすれば、女性を侮辱していいものだと思っている人が世の中には多すぎるんだよ。
もちろん、配慮があって尊敬できる人もたくさんいるのは知っているよ。
だけど、この件は、ほかの苦しみがあるからといってプラスとマイナスが帳消しになるようなことではないから。
ほかの苦しみの八つ当たりで女性に向かう人まで出てくる地獄なんだよ。
結果として、女性が審美的な魅力を高めようとすれば多かれ少なかれ性的な魅力も勝手に高まってしまう。これは女性本人が異性の目を惹くことを意図していなくてもそうなる。オシャレとは本質的にそういうものではないだろうか?
そう思うのは増田が見る側・品定めする側だからしょうがないと思うし、
男性として日々生きてる中で目にする女性的なものにしょっちゅう心を動かされて、さぞや大変なんだと思うんだけどね。
少なくとも私は「性的な魅力を感じた」ってだけの理由で、通りかかりに顔にクソ塗り付けられるような感覚を、過去に会った少なくない男性達によって植え付けられてるから。
「クソを塗られないために目を付けられにくい恰好だと思ってるようだけど、逃げても無駄だよ」って言う行為だよ、それは。
書くだけ書いたら疲れてきた。
読まれなくてもいいや。
数ヶ月前、母とテレビで見たとあるK-POPアイドルにハマり、CDを買ったり親子一緒にファンクラブに入ったりした。
最初のうちは、今まであまり注目してこなかったタイプのアイドルだったので、単純に楽しくファンをやっていたけど、私はだんだん疲れてきてしまった。
今まで私が追っかけてきたアーティストやバンドは、1年から数年に1度CDを出したり、それに伴ってツアーやったり、そこまで高い頻度でCD販売やイベントをする感じでは無かったのだが、
このK-POPアイドルは数ヶ月に1度CD出すし、その度にカムバックと言ってお祭り騒ぎで宣伝、テレビ出演、さらにグッズ販売……。何も無い時でも、メンバーが韓国版ツイキャスみたいなやつで生放送したり、YouTubeにバンバンMVが上がったり、かなりのハイペースで活動している。
このようにどんどん新しいものが供給されて、新しいCDやMVを堪能し尽くす暇もなくまた次……と言った感じの活動スタイルは私には合わなかったようで、今はメンバーの生放送やテレビ出演も見てないし、もう新しいCDが出ても買わないかな…という気分。金銭的にもキツいし。
ここまでだと私が勝手にハマって勝手に飽きただけなのだが、悩みの種は母である。
今年はライブやイベントが軒並み潰れて、買い物にも満足に行けないため、見知らぬ異国のイケメングループは母にとってかなりいい影響をもたらしたようで、楽しそうにライブ映像を見ている様子はまぁ微笑ましい。
が、家にいる時はずーーーーっとライブ映像orエムオンのMV特集or生放送の録画が、テレビで流れている。車ではもちろんCDが流れる。録音機能付きの車なので、このアイドルの曲が数十曲、もしかしたら三桁行くくらい入ってるかもしれない。車は母のものなのでここに文句つけるのはおかしいのだけど、流石にしんどくなってきた。
飽きたならもう見なければいいじゃん、で済むのだが、見たくなくても流れてるし聞きたくなくても流れてる。
垂れ流し状態なのが精神的にとてもキツい。正直、うんざり。こんなん好きなアイドルやアーティストであっても嫌いになる。
いつでも同じ曲、同じMV、同じステージ、同じライブ、母のお気に入りの生放送の無限ループ。テレビの録画リストは、そのアイドルの出演した番組やステージ映像、MV特集でパンパン。
そして外国語なのが何よりもキツい。何言ってるか分からない言葉が自分の意思に関係なく耳に飛び込んでくるって、結構辛い。
まぁこれが母のストレス発散になるなら…と思って何も言えないし、居間にいる時はイヤホンしたり、自分の部屋で過ごしたりする。でも、自分の部屋にずっと篭ってると出てこいと言われるので引きこもりはできないし、イヤホンしてても「○○がライブの時に泣いちゃうのって珍しいよね〜」とか話しかけてくる。
父もK-POPに興味を持ち始めて楽しんで見てるので何も言えない。
街中でlemonや紅蓮華が流れまくっててうんざりって人がよくいるけど、それと同じだなって思った。
疲れたなって思って遠ざかりたいのに、四六時中垂れ流し状態で遠ざかれない。今までは飽きたってだけで嫌いではなかったけど、ちょっと嫌いになりそう。
4 と 5 は関わりたくないですね。理解ができないのと判断能力に問題がありそうと認識しているのでなにをしでかすかわからない
平成時代の常識や共同幻想(高度経済成長幻想、祝祭幻想、現実逃避用のショービズ幻想)みたいなものが崩壊した。
昔あった単語の「終わりなき日常(幻想付き)ver」から「終わりなき日常(幻想なし)ver」に移行した感じかな。
東京そのものが「お祭り騒ぎの多幸感をシステム化したディズニーランド」みたいなものだから、
そういう幻想の中で「キャスト」として生きてた、生きようとしてた人にはキツイはず。
東京の都市生活、というか平成の日本人生活ってのは「面倒な人間関係、接触」を減らして、
「自分に都合のよい幻想を維持向上してくれる人間関係を選ぶ」ことを目指してきた。
その幻想が壊滅ししまったら「人との接触がない、幻想もない」生活しかない。それはキツイわな。
昭和までは「日々の生活やサバイバルで人生から現実逃避」ができた
特定の嗜好叩きだ
まず声を大にして言いたい
私は左右固定腐女子だ
逆カプは受け付けない
攻めが受けになるのも受けが攻めになるのも受け付けない
例外は攻め×公式攻めヒロインあるいは受け×公式受けヒロインだ
同軸、別軸関係なくリバが受け付けない
逆カプはカプ名を見るのも嫌だ
この前提条件があった上で、私は攻めと受け、そして彼らを取り巻くキャラクターたちの箱推しであることが多い
逆カプ&リバ無理腐女子は大人なので逆カプ&リバは見つけ次第黙ってミュートかブロック行きだ
そうしてパブサしてると攻め×受け固定の人、結構な頻度で受けが最推しな人が多い
攻め太×受け郎を探して攻め太×受け郎オタクが攻め友×受け郎や受け友×受け郎を嗜んでいることが多々ある
実は受け郎×攻め太も嗜みますというオタクならば他ならぬ私自身のために出会わなかったことにする
けれど時折、受け郎が幸せならそれでいい運動家にはぶっ飛んだのがいる
以下は全部違うジャンルの話
ジャンルとカプ特定されないように一部フェイクを入れてるので矛盾があるかも
ケース1
「攻め太は攻め友と和解してはしゃぐのはいいけれど受け郎のことを二の次にしているから反省して」
いや「はしゃぐのはいい」ではないじゃん
暗にはしゃぐな言うとるやんけ
受け郎を最優先してほどほどに喜べじゃんか
ちなみにこのジャンルでは受け郎が受け友と同じ展開になったときにはお祭り騒ぎだった
受け友×受け郎が溢れ返り、攻め太×受け郎でも受け友の手の平の上で転がされるいじられ攻め太ネタも掃いて捨てるほどあった
受け郎には喜ぶことを許され攻め太は許されない
「受け郎は受け友と和解してはしゃぐのはいいけれど攻め太のことを二の次にしているから反省して」とはまず言われない
ちな、攻め太×受け郎で攻め太の昔話をする攻め友に嫉妬した受け郎の責任も大体攻め太が取らされる
ケース2
攻め太に片思い中の受け郎
攻め太は受け郎の気持ちに気が付かない
ある日攻め太が見知らぬ女(十中八九肉親)と歩いていたところを受け郎が目撃
「攻め太のせいで傷ついてなんて受け郎は可哀想なんだ。あんな奴やめて俺にしとけよ」
攻め太に悪いとこあったか?
案の定肉親だったけれど、仮にそうでなくとも責められるいわれがあったか?
受けを除く万物の男は異性と関わってはいけない法律でもあんのか?
あるいは片思いをされていたら思ってくれる相手のために純潔を守れと?
受け郎が別の男とヤることヤってても攻め太より大半の場合罪が軽い
攻め太が受け郎のお気持ちお察ししないのが悪いことになり、見守る周囲から非難されることだってある
ちなみにこれが攻め太が受け郎に片思いしていると一途であることを求められる
女に走ろうものならば受け郎は「他の女触った手で触らないで」と拒絶する権利を得る
攻め太は受け郎に「他の男に抱かれた穴近付けんな」とはほぼほぼ言わないのにな
ケース3
「私が受け友だったら攻め太のこと後ろから刺してる」
…………………………………………は?
「普通に考えて私が受け友ならポッと出の分際で受け友が長年連れ添った受け郎の彼氏面する攻め大嫌いだし後ろから包丁で刺し殺すけど受け友は心が広いから許す」
追加の受け友が攻め太を見逃す理由が「受け友は受け郎の幸せを誰より願っているから」
つまり、攻め太は知らぬ内に命を賭けさせられている
無断で
受け友は攻め太を弟感覚で可愛がってる
例えばだけど
「普通に考えて私が攻め友ならポッと出の分際で攻め太が押しの弱いのをいいことに家に住みついて嫁面してる受け太のこと大嫌いだし後ろから刺し殺すけど攻め友は心が広いから許す」
なんて発言あったらどうかな
殺害予告怖すぎ
大人しく受け友×受け郎に行って攻め太のことは話題に出さないでくれ
受けが幸せならなんでもいい派に一定数受けの幸せの礎になれることに喜びを見出しすぎて受け以外に犠牲を当然のように強いる人いるね
書き手×受けでも書いてろよ
こちとら攻めも受けも好きなんだよ
受けにだけハイパー甘甘優しい接待BL異世界小説求めてねえんだよ
総受けとも総愛されとも違う
受け郎接待役になろう!か受け郎の引き立て役になろう!って感じですね
攻め太は受け郎の接待役不採用になりましたので受け友からの包丁が後ろから襲ってきますが普通の異世界怖い
ケース4
「受け郎に誘惑されて好意を抱いた一般人を殺して回る攻め太(悪いのは好意を抱いた一般人、責任は受け郎にそんなことをさせた攻め太)」
攻め太の公式紹介
全キャラで一番温厚
怒り方を知らないので代わりに怒ってくれる受け郎がいる
あーハイハイ暗黒微笑ね
いや別に温厚なキャラが実は一番強いとか暗黒微笑とかはいいんだ
でもこれ、誰彼構わず誘った受け郎より誘われて好意を持っちゃった一般人が悪いって……
まあ、受け郎は受けというだけでキャバ嬢並みの言動してても天然無罪だもんな
ハマってしまう方が悪いんだよな
「攻め太のことも好きです」
攻め太も好きだから受け郎の攻めに抜擢してるのはわかった
もういいよその言い訳は
そんな免罪符掲げて攻め太に鞭を受け郎に飴をやる受け郎幸せにし隊の隊員は見飽きた
受け郎に鞭打てとは思ってないんだ
功罪を元の持ち主に返せと言ってんだ
攻め太の人間関係も友人も功績も全部奪って受け郎に献上して罪だけ攻め太に押し付けんな
書き手×受け郎にしとけ
話は全く違うけど、二次創作BLあるあるのヒエラルキートップのオカマキャラが大嫌い
二次創作BLで受けの肩しか持たないペット、式神、使い魔、召喚獣等のマスコットキャラも大嫌い
書き手が乗り移ってるだけだよね
攻め受け両思いで付き合ってても何かしら理由付けて攻めにキレて攻めに説教するの好きですよねこういうマスコットキャラ
突然攻めが受けにキスしたら発狂して説教はじめるけど、受けが同じことしたらそっちはそっちで羨ましい!絶許!攻めそこ代われ!だよね
令和攻めとか攻めに要求する前に受けは令和受けと呼ばれるほどの存在なのか?
チクショー!
地雷ばっか!
注文の多い繊細ヤクザ腐女子は地雷が多すぎて自給自足して今日も生きる
リバは対等理論いらないです
そんなもんだから地雷踏んでも愚痴はこういうとこで吐き出そうね
でも攻めにだけ厳しく受けにだけ甘々な環境は廃れて欲しいと思いました
安倍政権は確かに日本の民主主義やシステムの根幹を食い荒らした。だがそれは、全て「安倍政権を存続させるためには必要な犠牲」だった。この7年半、政官財こぞって「安倍政権を存続させるため」に一致して、他のあらゆる犠牲に目をつぶってきた。これは、安倍晋三個人と言う矮小な存在の為しうることではない。これは、集団的、無意識な組織的犯罪なのである。
では、なぜ彼らはかように凡庸な才の人間を必死になって支え続けたのか?
他のどの時代でも、こんなことはあり得なかったと思う。実際、最初に彼が政権を握ったとき、自民党への信頼は大きく傾き、人々には政権にNOを突き付けるだけの理性があった。二度目の政権、安倍が周到に用意をしてきたと評する人も多いが、お友達優遇で、偉そうなことを言う割には国家観もビジョンもなく、肝心な時には判断できず、取り巻きが失言やおそまつな対応で足をすくわれ死んだりする。何一つ変わっていない。変わったのは、それらを覆い隠して守ろうとした「世間」の方だ。
この7年半、すでに壊れかけていた日本は、やはり更に大きく壊れた。たとえばコロナ下で、防疫の基本中の基本であるデータがまともに取られていないことが判明したが、専門家をまともに活用できず、役に立たないマスクの配布に大量の金と人をつぎ込むようなこの政権下では、予測できることだった。少子化は進行し、二極化は進み、文化や社会を支えてきた「豊かな中間層」は死滅した。セーフティネットも、安定雇用もない社会に、「良識」の居場所は消えた。「復興は成し遂げた、事態はアンダーコントロール」とのまやかしの下に、復興予算は横流しされ、五輪というお祭り騒ぎに投入された。意見のできるまともな「官僚」は、自らの立場を去るか、命を落とした。
いま、私たちが生きている「令和の日本」の、それが実像である。
そして、この間、政権はひたすら「事実を取り繕う」ことに力を尽くした。きわめて凡庸な才の首相を掲げる彼らは、「事実を取り繕う」スペシャリストだった。この7年半、何度奇妙な「閣議決定」を我々は見せられたことだろう! あたかも小説「1984」における「真理省(政府の決定が真理である、と全ての過去の記録を改ざんして取り繕う省庁)」さながらだった。それも「安倍政権を守るため」だ。そのために、彼らは憲法解釈すら捻じ曲げた。なぜそんなことを? ……それは、事実を直視できなかったからだ、と私は思う。
安倍晋三を評するもっとも的確なワードは、しばしば政権を擁護するアンケートで聞かれた「ほかの人よりよさそう」という言葉だ。「よい」ではない。「よさそう」なのだ。安倍晋三は、他の人よりなんとなくよさそうだと思わせることに長けた人だった。それは、経済政策と人口政策の停滞・失敗で20年近い時間を無駄にした日本を、更に大震災、原発事故が襲って、もはや手の付けようがないと思われた時代に、人々を安心させるために必要な「モルヒネ」だった。「モルヒネ」は患者を麻痺させるだけで、基本的には病を治しはしない。だが、それほど危機的状況でもあったのだ。
思えば、なんとよくできた「モルヒネ」であったろう。右側からの追及には、いかにも保守じみた言動(だが彼は一度も8/15靖国参拝は行わなかった)、憲法改正の掛け声(7年半かけてできなかったということは、端的に言ってやる気がなかったのだ)でかわし、左側からの追及には、経済政策と厚顔さで対応した。あの厚顔なスマイルで「問題ない」「大丈夫」と言えば、私のようなヒネクレ者ではないまともな神経の人なら、一応「信じてみてもいいんじゃね?」と思うだろう。そして、この社会状況の中なら「思いたい」だろう。
もちろん「モルヒネ」は、それが効いている間に大手術をするためには、絶対必要だ。だから、安倍政権を支えた人が全て悪意100%でそれを行ったとは思わない。むしろ多くの人は、その根治的な大手術を成功させるために、安倍晋三という「モルヒネ」を利用しようという、善意でそれを行ったのではないかと推測する。だが、地球規模の気候変動と相次ぐ天災、消費税増税圧力、そして今回の世界的疫病の流行で、モルヒネの効果にも限界がきたようだ。
いま、我々の前に横たわっているのは、根治的治療も進まないうちに、手術中に次々とトラブルが発生し、かつモルヒネも限界量まで投与してしまった患者の体だ。安倍晋三は確かに何もしなかった。だが、7年半という時間を稼いだのは事実だ。その間に十分なことができず、時間切れを迎えてしまったのは我々だ。一人安倍晋三を責めても仕方ない。モルヒネの意志を論じたり、それが人体に多少の悪影響があったなどという議論をしても、正直意味がない、と私は思う。モルヒネはモルヒネだ。肝心なのは、モルヒネの効力にも限界がきたということ、そして、積み残した問題はどれ一つとして片ついていないということだ。
それでもこの日本という患者を生き延びさせようとするなら、もはや巨大な痛みに耐えながら手術を続行するか、無意味にモルヒネだけを乱打して死を待つか、それとも全く新しいイノベーションという奇跡にかけるか、しかない。少なくとも、次期総理が「安倍路線の継承」などと言い出したら、そんな政権は半年保たない。それぐらい待ったなしな状況ではある。
こんな時代に、泥をかぶる次の政権に同情する。だが、重ねて言えば、日本がそもそもこうなっているのは、別に安倍晋三一人の罪ではない。彼を支えてきた全ての人の罪だ。モルヒネが効いていた魔法の時間は終わり、いま、現実に向き合う時がきた。それは困難な時代だが、いつまでもこの事態に「安倍のせいだ」を叫んでも、これまたモルヒネ頼りに変わりはあるまい。そんな時間はなるべく少なくした方がいい、と私は思う。それよりも、「安倍がモルヒネであったこと」と「モルヒネが必要とされた状況」を認めた上で「モルヒネなしで今後どうするか」についての建設的議論を始めよう。今後、生き延びていくためには、その認識が早急に必要なのではないかと思う。
33歳になった近況報告→https://anond.hatelabo.jp/20201226180141
昨年にあった話。
学生の頃から10年以上の付き合いのある同じくオタクで腐女子の友人が3人いるが、久しぶりにみんなと会って自分がとても32歳とは思えない子供っぽさであることを思い知って恥ずかしくなった。
●私のオタ活
ずっとオタクだったが数年前に過去最高にどっぷりハマるジャンルに出会った。ゲーム原作でアニメや2.5次元など様々な展開のあるジャンルで、そのどれにもお金を使いまくった。ゲームへの課金、アニメ視聴、グッズを買い漁る、2.5次元に何公演も参戦する、2.5次元のグッズも買い漁る、2.5次元俳優自体にもハマる、様々なコラボ商品を買う等した。
二次創作も大好きで同人誌の大量買い、キャライメージアクセの大量買い、即売会参加もしていた。同人誌作家、同人アクセサリー作家、コスプレーヤーともツイッターで仲良くなり、オフ会をしたりそれはそれはオタクとして充実して楽しく過ごしていた。
その頃から友人達は子育てや仕事で忙しくなかなか全員で会うことができなかったが、昨年久しぶりに全員の予定が合い会うことになった。ここで私は自分の子供っぽさに気づいて恥ずかしくなったのだ。恥ずかしいと思ったのは主にファッションやメイクに関すること、お金の使い方、落ち着きのなさの3つだ。
一番に待ち合わせ場所に着いた私はみんなを待った。最初に現れたのはBちゃん。そこであれ?なんか綺麗というか大人っぽいなと思った。次にCちゃん、Dちゃんが来たが、その時も同じようなことを感じた。
みんな容姿はごくごく普通という感じで特別可愛いとか美人てわけじゃないんだけど、雰囲気がとても綺麗になっていた。
その日のみんなのコーデは細かい色や柄は忘れたけど多分こんな感じ。何でそんなこと覚えているのかというとこの日が恥ずかしさの気づきの日で忘れられないからである。
Bちゃんはコート、ドルマンスリーブのカットソーにミモレ丈のスカート、黒タイツにブーティ、ハンドバッグ。ケバすぎないばっちりメイク、薄いピンクのネイル、小ぶりでシンプルなネックレスとブレスレット。
Cちゃんはジャケット、白シャツにストレートパンツ、ヒールパンプス、肩かけバッグ。濃いめかっこいいメイク、がっつり濃いネイル、大振りだけどデザインはシンプルなネックレスとバングル。
Dちゃんは唯一既婚子持ちだけど、ママって感じがしつつもオシャレだった。コート、膝下丈ニットワンピ、黒タイツにショートブーツ、大きめなオシャレなトートバッグ。ナチュラルメイク、トップコートのみっぽいピカピカネイル、結婚指輪と小ぶりでシンプルなイヤリング。
そして私Aはこうだ。
ダウンジャケット、ボーダーTシャツに着古したジーンズ、はきつぶしたスニーカー、サコッシュ。
薄すぎメイク(下地とフェイスパウダーのみ)、ボロボロの爪、、推しキャライメージのアクセサリー(イヤリング、ネックレス、ブレスレット、リングフル装備・同人グッズ含む)
三人の友人と比べるととんでもなくダサくてやばい32歳だ。なのにずっと自分はオタクなのにファッションに気を遣うしメイクもするオシャレさんだと思っていた。(やばすぎ)
服が適当なのにアクセサリーは着けられるもの全部着けてて、しかも推しキャラ二人分のイメージアクセだから色もデザインもバラバラで悪い意味で派手。うるさい。同人アクセとプチプラアクセしかないから子供のおもちゃみたいに見える。(同人アクセは本当にキャラのイメージを大事にして丁寧に作られた素晴らしい作品です。私の使い方が悪い)
服だって近所のコンビニスーパーやアウトドアを楽しむくらいならいいと思うけど今日は予めオシャレなカフェやレストランにも行くと分かっていたのにこれはいけないだろう。
メイクに関しては厚塗りすると毛穴の開きが分かるからナチュラルにするとか言ってほんとに薄くしか下地もフェイスパウダーも着けてなくて毛穴の開きも黒ずみも丸わかり。
眉毛は自眉がしっかり生えてるから描く必要ないと思ってた。でもみんなみたいに綺麗な眉じゃなかった。眉毛薄い子はしっかり綺麗に自然に描けてるし、私と同じく自眉がしっかり生えてる子でも、形を整えて長さを調整して、足りないとこは描いて、私みたいなゲジゲジじゃなかった。
リップは元の唇の色が赤いからリップクリームでツヤ出すだけでいいと思ってたけどそんな綺麗な赤でもなかった。くすんでる。
どんどんあれ?私超ダサい?子供っぽい?あれ?という気持ちが大きくなって恥ずかしくなってきた。みんな優しいからダサいとかそういうこと全然言われないけど勝手に恥ずかしくなってた。
●第2の気付き~お金の使い方~
その時にみんなの今好きなジャンルやオタ活の話をした。上記で書いたようなオタ活の話をすると、みんなはすごいね~と反応してくれる。
同じくグッズやゲームに課金しまくってたBちゃんは「Aちゃんすごいね~私はもうそんなにできないかな。通院してるし親も歳だし何があるかわかんないから程々にしてる。他にもお金使いたいことあるしね」と言った。
Cちゃんも「分かる~何か前は出されるグッズは全部買わなきゃ、イベントは全部参加しなきゃって必死になってたけど将来のこと考えて貯蓄するために程々にしてみたら案外苦じゃなかった」と言った。
Dちゃんは「私も今は子供優先だから気になるアニメを見るくらいかな~」と言った。
BちゃんCちゃんは未だにゲームに課金もするけど推しにだけだし、推しを手に入れられなくても最初に設定した金額で出なかったら撤退するし、グッズはよく考えて本当に欲しいと思うものだけを、イベントは無理しない程度で行けなかったら円盤を買うとか、とても落ち着いたオタ活だった。
それに対して私は「へ~ちゃんと考えてるんだね。私なんかもう推しに夢中すぎてさっき言ったみたいなのがやめらんなくて貯蓄なんてないよwwwカードあるから未来の自分に頑張ってもらってる!wカードの締め日が来たらまた新しいの買うんだ~!^^」と言った。ウケ狙いで、みんな笑ってくれるだろうなと思って。
だがみんなちょっと引いたみたいな苦笑いをした。「すごいね…」と。そこでやっともしかして私のお金の使い方やばいのか?と気づいて、それを笑い話として嬉々として話した自分に恥ずかしくなった。でもみんな優しいから、好きなことに全力でいきいきしてるねとか言ってくれる。泣きそうになった。(優しさと恥ずかしさで)
でも少し考えて、もしかして馬鹿にされてんのかなと思った。私はオタ活にお金使うから服も化粧品もイベントやオフ会の時くらいしか買わないしどれもプチプラばかり、みんなは服や化粧品にもお金かけてそうでオタクにお金使わなくてもそっちに使ってんじゃんとちょっとムッとした。(最悪)
みんなにそれとなく今日のメイクとファッションいいねって言ったら使ってる化粧品や着てる服の話になった。みんな別に全身ブランド物とか全身高額品てわけではなくて、プチプラと高額品をバランスよく使っていた。プチプラの服でもきちんと手入れしてきちんとアイロンかければよく見えるし、化粧品もスキンケアやベースメイクはデパコスでアイメイクやリップはプチプラとか考えられてた。どうせ金かけてんだろ、金かけりゃそんくらいにはなるよねとか嫌味なこと考えた自分が更に恥ずかしい。
Cちゃんは一時期毛穴の開きと黒ずみに悩んでいると言って、一緒に悩んでいた。(会えない間もツイッターやラインでは話してた)Cちゃんはとあるデパコスのカウンターで肌を見てもらい、いいスキンケアに出会えたのだと言った。
ツイッターで嬉々としてこれいいよ!(ドヤ)とプチプラ化粧水を投稿していた自分が恥ずかしくなった。ツイッターでバズったプチプラのものだけを試しまくってちょっとしか改善されなかったのをドヤ顔で投稿していたのだ。そのプチプラのものだって悪い商品じゃないし合う人には合うのだろうけど、私は自分がどういう肌かもよく理解してなくて、とにかくバズった色んなプチプラのものを試してどれも効果は出なかった。
Cちゃんは20代の頃はとあるプチプラのものが肌にすごく合っていて大好きだったけどだんだん合わなくなって、本当に肌を綺麗にしたいと思ってお金をかけた。なのに私は毛穴消えない消えないとうだうだ言いながら、若い頃と同じことの繰り返しでお金も使わなかった。使うお金がなかった。とても情けなかった。
Bちゃんも同じような感じだったし、Dちゃんは今は昔ほどお金使えないし子育て忙しいからオールインワンになっちゃってると言いながらもデパコスまでとはいかないがそれなりのものを使っていたし綺麗な肌をしていた。
この話題がだんだん辛くなった頃(自分からふったくせに)、レストランを出て買い物に向かった。アニメショップで私は大量買い、みんなは1つだけ買うか買わないかだった。
その後みんなは化粧品や雑貨をいくつか買っていたけど私は何も買わなかった。欲しいものがなかった。というのは強がりで、本当はお金がなかった。アニメショップで使ってしまっていた。
最後にカフェに行くことは決まっていたので、そこで使うドリンク1杯分くらいは絶対に残しておかなければならない。また情けなさと恥ずかしさに襲われた。ATMで下ろすのもなんだか恥ずかしかった。
●第3の気付き~落ち着きのなさ~
そして最後に予定していたカフェに来た。私はコーヒー1杯くらいしか頼めないけどみんなはケーキも頼むだろうか、みんなケーキを頼むのに一人だけ頼まなかったら感じ悪いかなとビクビクしていた。みんなそんなの気にするような子じゃないのに。結局みんなドリンクだけでホッとした。
今度はファッションや金銭感覚のことで恥ずかしさを感じたくなかったので推しを語ることを自ら提案した。
私「推しがね~もう最高で!かっこいいし可愛いし!もう推しのことしか考えられないw夢も腐も好きだからもう大変w推しは普段は超可愛くてやばいんだけど、シリアスではっこよくて頼もしくて~wギャップがもうたまんないの!エッチだし~!シリアスのときの色気がはんぱなくて素敵なのwキャッキャキャッキャ!」(小声ではある)
Bちゃん「推しは一見性格悪そうに見えるけどほんとは優しくてそれが隠しきれない子なんだ。その優しさが好きなの」
Cちゃん「推しは天然なんだけど自分のことキレものだと思っててそこが可愛いんだよね」
Dちゃん「私は最近推しって感じの人はいないけど最近みたアニメのあの人がかっこいいなって気になってるかな」
お分かり頂けただろうか。
私の落ち着きのなさ、テンションの高さ、子供っぽさ。私は本当に「!」とか「w」とか着いてるみたいなテンションで喋る。この文章もなんとかぶっきらぼうな感じでテンションを抑えようと必死で書いてる。本当は「w」いっぱい着けたい。
みんなも学生時代とか20代前半くらいまではこんな感じ…だったと思うけどすっかり落ち着いている。誰か一人としか会えなかったときは、相手が落ち着いていても気にならなかったのに、4人で集まったら私だけ若い頃のテンションのままで急に気になり始めた。
ツイッターやラインでもみんな「!」とか「w」とか絵文字やスタンプが減っていっていたけどそれはあくまでSNS上でのことだったので全く気にしてなかった。
ジャンルで仲良くなったフォロワーの方がリア友より圧倒的に人数が多かったし、その人たちとはハイテンションで話していたからというのもあったと思う。
ジャンルで仲良くなった人たちは20代前半~半ばの人が多くて、みんなテンションが高くて自然と私もそうなっていったというか、そういう人に囲まれていてみんなが自然に落ち着いていく過程を歩まなかった。
若い子とキャッキャキャッキャハイテンションで推しの尊さとエッチさを語り、鍵垢なのをいいことにおちん〇ん!お〇んちん!と叫びまくっていた。他にも色んな下ネタ沢山。
実際会って遊んだフォロワーには「Aちゃん全然32歳に見えない若くて可愛いよ。小さい子みたい」とか言われて、私まだまだ若いんだ~!と喜んでいたし、「もう、私小さい子なんかじゃないよぅ(o`з’*)32ちゃいの大人のお姉さんなんだからね!みんなよりとちうえなの٩(๑òωó๑)۶あたちセクシーボインな大人のお姉さん!(๑ơ ₃ ơ)♥」とリプを送っていた。
フォロワーは本当に若いと思って褒めてくれたのかもしれないけど、言動が幼稚なところと、薄すぎる化粧と手入れされてない髪や爪、チープな服や持ち物が垢ぬけてなくて年齢不詳の子供おばさんぽくてそう感じたのかもしれないと震えた。
フォロワーと空リプで会話してよちよちぎゅっぎゅしたり、さっきみたいな私大人のお姉さん♥みたいなことを沢山言ってたし、昔若い頃ツイッターではよく見られたような、フォロワーと仲良しなアテクシアピールみたいなやり取りを未だに続けていたのだ。
久しぶりに同い年の友人と会って本当に本当に恥ずかしくなった。
考えなしに推しにお金を使いまくることも、ファッションのことも、テンションのことも、決して悪じゃないし、それが楽しくてずっとやり続けるんだって強く思ってる人はそれでいいと思う。でも私は自分の現状がとても32歳には思えなくて恥ずかしくなってしまった。どうにかしたいと思った。
どうにかしたいと思ったのに私はまた推しにジャブジャブお金を使い、着古した服ばかりを着て、フォロワーとハイテンションで話している。その時は楽しいのに、夜一日の行動等を思い返すと恥ずかしくて死にたくなる。
今度友人に相談してみようか。そしたら変われるだろうか。
~追記~
読んでくれた人たちから様々な意見が出ていたけど、これは『変わりたいと思った自分』の話にすぎない。
もう話題に上げる人も少なくなったみたいだけど、ちょっと進展があったので追記する。
進展というより変わろうと決めた段階だが。
長くなりそうなのでまずは簡潔に。
これを書いたのは自分だと友人にバレた。正確には自分からバラした。
そして相談したりみんなの話を聞いて変わろうと決めた。
詳しくは下記
●投稿後
バズるなんて思ってなかったから、フェイクは入れてたけどバレるんじゃないかと思った。勝手に色々書いて友人を誤解されるような書き方もあったかもしれないから申し訳なくなった。(前にも書いたが友人は自分のファッションや振る舞いについて言ってきたことはない)
友人がこれを読んだのかどうか分からなかったが、自分が書いたと言うか言うまいか悩んだ。
悩んだ結果、謝罪をしたいしやっぱり変わりたいという気持ちもあったので友人たちに声をかけてスカイプをすることになった。
フェイクの為に存在を消してしまっていた友人Eちゃんも呼んで。
32歳腐女子って知ってるかと聞くと、知ってたり知らなかったりだったので知らない人には読んでもらった。そして書いたのは自分だと打ち明けた。
みんなはよく聞くような話だしフェイクも入ってるから分からない、そもそもこんなバズる記事を友人が書いてるとは想像もしなかったそう。そういうものか。
で、勝手に書いたことを謝罪すると、個人が特定できるようなものじゃないし悪口を書かれたわけでもないし怒ってないと言ってくれた。
Bちゃんはミモレ丈が何したっていうんだと笑ってくれたし、Eちゃんも抹消するなんて酷いじゃん~と笑ってくれた。
●変わりたいのか
Dちゃんは子供さんが起きてしまったので離脱したがそのままスカイプは続いた。
合わせたいだけなのか本当に変わりたいのかと問われて、よく分からないけどあの日すごく恥ずかしく感じたしそれと同時に素敵だな、いいな、ああなれたらなとは思ったことを伝えた。
●具体的にどうするか
色々話して、テンションや下ネタ発言は鍵垢だしいいんじゃないかと言われた。みんなツイートする気力がないだけで頭の中では常に推しと推しがおちん〇んフィーバーしているらしい。
ただお店なんかで小声で話してるつもりでも案外隣のテーブルには聞こえてたりするからもう少しボリューム下げた方がいいかもとアドバイスをもらった。
あと小声でも身振り手振りがけっこう激しいらしい。これは全く気付いてなかったから聞けて良かった。
カラオケとか個室、こうしたスカイプなんかではテンション上げて語ろうと言ってくれた。ツイッターではしゃいでるの楽しそうで微笑ましいとまで。
ファッションを変えたりメイクももっとしてみたいとなったが、何せ金銭的に厳しいのでまずはそこを解決するといいかもという話になった。
前はここまで派手にお金使ってなかったのにどうしたのかと聞かれ、確かにと思った。
ただ運命のジャンルに出会ってしまっただけかもしれないが、ハマってしばらくして急にお金を使いだした印象だと言われた。
今は仕事が減ったりしてないみたいだけどこのご時世だし災害もあるしどうなるか分からないから本当に貯蓄0だったら今後困ることもあるかもと心配してくれた。確かに少し怖かったが気付かないふりをしていたところはある……
よくよく考えてみると、フォロワーが言ったのかRTで見たのか忘れたが、「課金してジャンルを支えなきゃ」「課金してこそ愛」「推しは無限回収するもの」といった趣旨のツイートを見て、そうかそうだよねもっとお金使わなきゃとお金を使い出したような気がする。
勿論そういう考えも大事だしできる人はどんどんやったらいいと思うが、自分はいるいらないとかよく考えず反射的にグッズ買うし、何個も同じ物を買ってる。既に何個も持ってるグッズをアニメショップで見かけたら「自分に買われるのを待っていたんだ」と思うし、それがブラインド商品なら「これで推しが引けたら運命」等と言ってとにかく買っている。(運命とは)推し以外のガチャにもじゃぶじゃぶ突っ込んだりするし。
買っただけで満足してダン箱に入ったままで積み上げられた物も沢山ある。(倉庫かな)
一番付き合いの長いBちゃんは「Aちゃんは良くも悪くも素直というか流されやすいとこあるしね」と言った。そうかもしれない。
本当に自分が納得してお金を使っているのならいいけど、少しでも負担に感じたり、周りがそうだから自分もという気持ちで使ってるなら一度よ
Vtuberのメインであるしゃべりが面白くないと思ってるなら、そもそもなんで数か月もVtuberに熱中したの?
好みの問題だから、元増田があのトークや実況、歌系なら歌唱力のレベルが低いと思ってももちろんいいけどさ。
今のところしゃべりが生配信系Vtuberのメイン作品であり、多くの視聴者が楽しいと評価してる部分なわけじゃん。
(厳密にはしゃべり単体ではなく、コミュニティの雰囲気作り、配信時間調整など様々な要素の総合だが)
その中核コンテンツをつまらんと思ってるなら、あとは派手にやろうが地味にやろうが、儲けようがノーギャラでやろうが否定の言葉しか出てこないだろ。
「つまらん物でお祭り騒ぎしてくだらない」or「つまらなさに見合った貧乏くささでくだらない」になるだけ。
ロック音楽嫌いな奴が、ロックは音楽的価値がないってとこを前提に音楽産業を狂騒だの虚業だの言ってるようなもんだからな。
ただし、歌ってみた、ゲーム実況、トーク企画に多い人気テレビ番組のパロディなど、「借り物文化」的であるという指摘は一理ある。
これはネットでのオタク表現全般が、同人的な、やる側も見る側もごっこ遊びをして楽しむ文脈と地続きだからでもあるんだけど。
この借り物性・ごっこ遊び性とどう向き合うかは、各バーチャル企業にも、個人にも問われている。
歌であれば、オリ曲に軸足を移していけばいいからわかりやすい。
その活動は2018年から既にあるし、2019年末から多くのVtuberでますます加速している。
有名大手だけでも、KMNZ、キズナアイ、ミソシタ、ヒメヒナ、にじさんじはフルオリジナルアルバムを出している。
ホロライブとアイドル部もオリジナル曲を出している。周防パトラや、エルセとさめのぽきなどは作詞作曲も自分でやっている。
その進みが遅い、まだライブでオリ曲半分いくかどうかじゃんって言うならまだしも、ライブ全般が歌ってみただけだろってのは本当に観測しての批判か?
法的には、ゲームは権利者との関係をクリアにすればいい。にじさんじが任天堂と包括契約を結んだのは、つい先週のニュースだ。
だが、客商売ゆえの客に与える印象としては別の話だ。
それに上でオリジナル曲志向が加速しているとは言ったが、それでも現状、彼らがYoutube上で発表する曲は歌ってみたが多いというのは間違いない。
借り物であることへの自覚はあったほうがいいのか? リスペクト、含羞、謙虚さを見せた方がいいのか? 卑屈なくらいがいいのか? ゲームや企画もオリジナル性を重視した方がいいのか? 借り物なことを一切気にせずやった方がいいのか?
その答えは、今後誰が人気になって稼げたか、人気や稼ぎとは関係なく長い目で見て幸福になれたかという結果でだけ、語れるものだろう。
前半はごもっともだと思うけど、どうせ開催が危うくなるなら、ここまで箱モノを作ってしまう前にコロナ禍が来てくれれば良かったのにと思う。
元々オリンピック反対派なので、こんなお祭り騒ぎのために税金と役人の手間を注ぎ込んで、電通とゼネコンに儲けさせるだけという所業が許せなかったけど、ここまで準備してしまってから、大手をふってオリンピックを中止にできる事態が発生するとは思わなかった。
一年延期すれば無事にオリンピックが開催できる状況になると思っていないので、どっちかといえば中止になる前提でいかに傷を浅く済ませるかということを考えるべきだと思う。
もはや政府と東京都の顔を潰さないために延期ということにしてあるだけで、実際はオリンピックのためにおさえた会場やら何やらはとっととキャンセルし、オリンピックだけのために雇われている人々のために新しい職場をあっせんしてやる方が良いんでない?
まぁ、こんなクソイベントのために貴重な税金や役人の人手を投入するより、国民の命と健康と経済生活を維持することの方が重要だというまっとうな認識が世間に戻ってきたことをありがたく思うよ。