もう熱中できることがなくなって長い年月がたった。
若い頃は、
「やってみたい!みてみたい!ほしい!!」
と突き動かされるような情熱があり、その衝動に従って楽しそうなことを追いかけるだけで充実して過ごせていた。先の不安なんて考えず、ただそのとき夢中になれるものだけを素直に追いかけて辛いこと以上に楽しいことも多かった。
世界はくっきりとして、喜怒哀楽の感情もきちんと元気よく動いてくれた。
今は何をするにも、すりガラスごしに眺めているような空虚な気持ちを抱えて、人生の消化試合のように生きている。喜楽の感情は昔に比べて圧倒的に動き辛い。
いくつかの避けられないトラブル、環境の変化、自分の心身の弱さ、そうして年を重ねて疲れていくうち、物事を素直に楽しめない人間が生まれていた。
頭の片隅には、ネガティブなもう一人の自分Bが住みついて事あるごとにチクチクと囁く。
「遅かれ早かれ、親の介護で苦労したり、知り合いは年と共に亡くなって、そしていつかはお前自身が死んで全部おしまいだぞ!!結末が決まってる以上、すべては無意味なのに何をしてるんだ?」
そんな嫌味が、何かするたび脳内に生まれて素直に楽しめることがなくなっていく。
否定的でネガティブな自分Bは、そのくせ楽しいことを追いかける眩しい人、弛まぬ努力している人を見かけると、憧れ羨む気持ちで騒ぎ出す。
「キラキラとした人々と比べて、今の自分はなんという怠けたクソ人間なんだ!!反省しろ根性なしめ!」
自己嫌悪する考えが脳内でムクムクと膨らんできて辛く悲しく情けない気持ちでパンパンなってしまう。一念発起して頑張る元気はとうに枯渇しており、脳内で自分が自分を叱責して懲らしめるだけの悪循環しか生まれない。
そんな辛い気持ちを、なるべく抱きたくないから休みの日はほとんど寝て過ごしてしまう。生産性ゼロ。寝ている間は、なにも辛いことを考えなくてよいので現実逃避のために必要以上に眠くなるのだろうか。
若い頃は脳内にダパダパと出ていたやる気物質はどこにいったのか。
落ち込みがちな脳みその手入れせず放置したから、荒れた脳みそに愛想をつかして出て行って、代わりに自分Bが住み着いてしまったのか。
では、脳みそを綺麗にリフォームできたら、戻ってきてくれるのか?
事態が好転したので、参考になる人に届けば嬉しい ストラテラとかが効いた話 https://anond.hatelabo.jp/20210717211904