はてなキーワード: 新生児とは
赤ん坊の朝は早い。生後一ヶ月になる娘は完全母乳で育てているが、2~4時間に1回のペースで授乳せねばならない。特に夜間は4時間ほど寝てくれているが、その分朝は腹が減るのか、お目目ぱっちりで寝ずに泣き続ける。
男である私は"母乳"など出せるはずもなく、当然その分育児の負担は妻が大きくなる。ただでさえ、妊娠、出産の時点で女性に発生する肉体的・社会的負担は大きいのだ。授乳後の寝かしつけくらい、夫の役割であるべきだろうか。
新生児(生後28日まで)期間はサクッと寝てくれていたのだが、最近はなかなか寝てくれなくなった。なぜなら、娘の背中にスイッチが出来てしまったからだ。
腕の中で眠った娘を布団に置こうとする瞬間、暴れだすのだ。布団においても、背中を支える手をそーっと引き抜く瞬間に起きてしまう。起きれば当然娘は泣き出す。休んでいた妻も目を開ける。
妻「授乳は疲れるし、次のおっぱいを作るためにも寝たい。うまく寝かしつけてくれ」
私「それが、ネネ(娘の名)が布団に置かれたことを感知するようになってしまったんだ」
妻「1週間前くらいからネネの背中にスイッチが増設されたらしい。テストも完了して、最近稼働しだしたみたい」
そんなことがあるだろうかと、私は訝しんだ。抱っこしている娘の肩あたりを顎で挟むようにして、縦抱っこに切り替える。すると何ということだろう。ネネの背中にかすかな凹凸を確認できるではないか。
私「なんで、今まで気が付かなかったのだろうか」
妻「病気と同じなの。名前を与えられて病気になるように、存在を指摘されないと見えてこないのよ。私もTwitterの2016AprilBabyクラスタで教えてもらったのよ」
ネネの服をずり上げると、青色のスイッチがそこにはあった。蒙古斑よりも青く、そう妻の生まれた町から望む日本海の色だった。
私「そうか、でも見えるようになってしまえばこちらのものだ。スイッチが反応しないように、押した状態を維持して布団に置けばよいのだろう」
妻が驚いた顔をして、静かにうなづく。スイッチの存在に気が付かなかった、そんな察しの悪い夫がすぐに解決策を見出したことを喜んでいるようだった。
妻「やってみて」
ネネのお尻を私の腹にあてるようにして、縦抱っこを続ける。子守歌をうたいながら歩き揺さぶれば、忽ちネネの瞼は重くなる。このタイミングならば気づかれまい。私は恐る恐る背中のスイッチを触れ、ゆっくりと押し込んだ。
果たしてネネは眠ったままだった。勝利のファンファーレが脳内で鳴り響き、妻にドヤ顔を見せる。私はネネの布団まで歩くと、そろりと腰を下ろした。まずは背中を布団に下ろし、次に頭を枕に下ろす。ゆっくりと背中と頭を支える手を抜いていく。大丈夫だ、寝ている。
私の太ももの上にまだネネの足があった。これを布団に下ろそうとした途端、ネネの目はカッと見開き、泣き声が部屋を満たした。
妻「ごめんなさい。伝え忘れていたわ。ネネの足には温度センサーがあるの。正面で抱っこしてる私たちの腹部の暖かさをモニタリングしているのよ」
ネネの足裏を確かめてみると、すべての指に赤液温度計が伸びているではないか。その赤さが憎らしくもあったが、娘が元気に生きる証だと受け入れることにした。今すべきは娘を寝かしつけ、次の授乳に備えることだ。
泣いているネネを抱き上げ、あやす。もう背中のスイッチも、足裏の温度センサーも忘れない。必殺の子守歌でネネの瞼はイチコロのはずなのに、なかなか落ちてくれない。
何故だ?何故だ!
慌てて妻の方を確認すると、妻は悲しく微笑んで、そのまま瞼を閉じた。そうか、そうだったのか。妻に言われなくてももう分かる。僕も現実を受け入れる覚悟をしてネネに視線を戻した。
香りとかメロディとか、言語化しにくい感覚と記憶が結びつくと、その記憶が掘り起こされたときより鮮やかに感じる気がする。
職場で配るおみやげの話、なのだけどもう少し深刻な状況を増田が抱えているっぽい。これは増田名物「ぶっきらぼうだけど親切なトラバ」がついててよかった。
カットバックがわかりづらい。文体も凝ってる割に上手くないけど、なにか単純な言葉に還元できない情感が漂う。
→消えてた! 結構好きだったのだが……。と思ったら、ここにあった。この人が書いたということでいいのかな。http://radio.hatenablog.com/archive/2016/3
出産時のアクシデントの話。珍しくないとのことだが初耳だった。
野球選手としての清原のキャリアの振り返りと慨嘆。増田にはわりと珍しいタイプの記事と思う。
言うことはもっともではっきり言えば正しいのだが、増田はこのままで本当にいいのか。短すぎるってわかったんなら、なおさらもう一歩踏み出したりあがいたりしなきゃいけないんじゃないのか。
こういう世界もあるのかという感じ。いささか申し訳ないが、実に興味深く読んだ。
増田に多そうであんまりない風俗体験談(サービス受ける側)。たぶん多くの人が自分の性欲については自分が一番よく知っていると思い込んでいるけれど、必ずしもそうでもないこともあるということ。それを身をもって知れたのは快感そのものより重要な体験なのではないかと思う。
なにかが間違っていることはわかっているけどなにを間違っているかわかっていない、という感じなのかな。
イベントに罪はないけど組織や同調圧力とセットになるとクソになりうる、という話。増田の心意気は大いに買いたい。影ながら幸運を祈る。
軽妙な文章。なにか無責任な希望を漂わせるようなところがあって、読んでいて楽しくなった。この文体から繰り出される「彼ピッピ」にはやられた。
これで前に進めるのならいい話だと思うけど、読んだ感じまだ未練を引きずりそうな。でもそれもまた人生。顔を上げて進もう。
うーん。値段の問題はおいといても入口がわからない感じが圧倒的。知ってる曲が全くないように思えることが障壁かな。
自分の中の「小劇場系」の定義がかなり揺らいだ。とはいえこういう世界があっても不思議ではない。
少し本当らしさに欠けるが、言わんとすることはわかる、という感じの文章。
これは端的な正論、なのだけど、じゃあそれを埋めるためにどうすればいいかってことには簡単な解はないのだろう。
すごく丁寧な記事で記述内容に興味のない自分でも面白く読めたがまったくブクマつかず。まあそういうものかもしれぬ。
ここに書かれている自己分析が正しくないか、なにかまだここに書けていない理由があるんじゃないか、という印象を受ける。少なくともこれは嫉妬ではない。
増田の書き込みには国会まで届くものもあるという。この人の声ももう少し遠くまで届くといいのだけど。
正解はないし、取り返しのつかないこともめったにないのだから、その時思ったようにふるまえばいいのかなあ、とか。
これはかなりいいリスト。/よだれ多いたちだとスタイめちゃくちゃ使うんだよね(一日十枚とか)。安くてかわいいところあるといいよね。
セックスがらみの男女のディスコミュニケーションも増田には時々見られる。
→消えてた。
増田にはめずらしい追悼文。切れのいい文章でなかなか読ませる。トラバにもあるが、他の文も読んでみたいと思った。
これ微妙なところもあって、やっぱり内科が適切って場合も多い気がする。これは少し結果論に近い気はする。
謎のデュランデュラン再評価。テンション高いし、楽しそうですごくいい。かくありたいものである。
これはその通りだと思う。「異常」という切断は深刻さを矮小化させるおそれがある。
盛り上がった話題とは少しずれる視点なんだけど、面白い角度からの助言。
21XX年、日本人による乱獲によりクロマグロは絶滅の危機に瀕していた。
憶えておくと……別に得はしないかもしれないな。
まったく知らない世界の入口になりうる記事。増田に限らずこういう記事はよいものだと思う。
カノバレという言葉を知らなかった。熱量があって文章も上手いが一般性があんまりないという、増田向きの好文章。
これも文章が上手い(根拠はないが、直上のエントリと同じ人だったりしないだろうか)。たぶん日本のどこにでもありうる風景と雰囲気をきりとった好文。
知見の共有的にリンクしておく。
マジレスするなら、そういう人はいると思うけど、めぐり合う確率は低いだろう。それでも人を好きになっていいと思うし、いろいろ心配するのはその後ではだめか。
こういうのって難しいし必ずしも直接役に立たないかもしれないけど、誰かの小さな一歩のためのきっかけぐらいにはなるかもしれない、みたいなことを思う。
そう来るのかよ、の六行増田。
予定日より2週間早くおしるしの出血があり、陣痛が始まり、夜中に入院。
医師が吸引を試みるも、やっぱり出てこない。
赤ちゃんの心拍が弱くなり「帝王切開に切り替えます」という医師の声。
スタッフが慌ただしく手術の準備をする中、看護師長から「あなたは十分頑張ったわ、あとはこちらに任せてね」と言われた。
夜中の入院から7時間以上経過しており、眠っていない私の意識は朦朧としていた。
麻酔科医からの質問にもうまく答えられず、付き添いの母が代わりに答えてサインしていたようだ。
とにかく、陣痛の痛みを何とかしてほしいのと、赤ちゃんを助けてほしいだけ。
しばらく待って麻酔の効き具合を確認され、感覚が残っている箇所があったけれど、赤ちゃんが危ないので切開することに。
メスを入れられたのは分かった。
下に降りていた赤ちゃんをグイッと取り出すのも分かった。
私は後処理と縫合。
少し痛みを感じて、麻酔を追加で吸入した。
麻酔科医がずーっと話しかけて、眠くて仕方なかったので「眠っていいですか?」と聞いたら「ダメです」と言われた。
手術が終わり、医師から「あなたは今後も普通分娩では産めないから、次は2年ぐらい空けるように」と言われた。
児頭骨盤不適合とのこと。
やっと病室に戻れたものの、しばらくは麻酔のチューブが付いたまま、体を起こすこともできない。
医師が新生児室で赤ちゃんの写真撮って持って来てくれたので、それをずっと眺めていた。
「おまえ、頑張りが足りなかったね」
第一声にわが耳を疑った。
この人の子どもは二度と産まないと心に誓った。
私のいた病院では、帝王切開だと点滴が外れるまでの間、赤ちゃんは新生児室で過ごし、母乳の時間だけ看護師さんが連れて来るというスタイルだった。
「この部屋にはどうして赤ちゃんがいないの?」
「ふーん、部屋に赤ちゃんがいないから産んだ気がしないでしょう?」と私を向いて言った。
育休中のリーマンだけど、子ども持つのめんどすぎてオススメできない。
育児休業制度のおかげで給料の2/3貰いながら、会社に行かないで済んでるんだけど。うちの会社、男で育休とった人いなくて、総務・上長の驚き(前向きな表現)と言ったら、こっちが驚くレベルよ。制度上、不利益取り扱いは出来ないんだけど、実質どうかっていうとね。察しのいいはてな-の皆さんならわかると思うから、書かないよ。というかまだ明けてないからどうなるか分からないけど、多分ポジティブとは言えなさそう。育休とること伝えたら、「来期、昇進予定だったんだけど……」って言葉濁らしてたから。主語言わないとこは、ギリギリの立ち回りしてくれたと思うよ。
都内在住なんだけど、うちの親はサイマーだし、嫁さんの両親は遠方でまだ末っ子学生だし頼るの無理でした。なんで夫婦2人で絶賛育児中。
新生児ってすごいのよ。一日に15枚もおむつ消費するし、2~3時間に1回は授乳しなきゃだし。つまりは子どもの対応してたら細切れにしか睡眠とれないのよ。これ1人でやってたら心病むレベルよ。
子どもが泣いてうるさいと上の階の住人はキレてくるし。そりゃ、可愛い顔見てないなら、五月蠅いだけの存在なんだろうから、仕方ないんやろうけど。
社会は、国は子供を必要としてるっていうけど、子ども持つってって社会的な障害として認識せざるを得ないぐらいのスティグマだわ。
勿論、社会も国も関係なしに俺の幸せのために子ども持ったんだけどね。
何より、息子の寝顔、泣き顔、変顔。家族3人での時間、これが幸せすぎてやめられないの。何なの、麻薬なの、美味しいの、死ぬの?絶対、死ぬまで生きるけど。
チョーめんどいからおすすめできない、これほんとよ。もうそろそろ、起きてくるからミルク準備しなきゃ。しばらくしたら保活せんといかん。頑張るか。
少子化問題の解決に移民推進とか言ってる奴はお金持ちになりたい→遺産目当てに老人と結婚するホストみたいだと思う。
安直だ。
移民の根本的な問題を解決しつつ出生率をあげる方法が出せない無能だと思う。
移民を「生産」してる国を日本の実質的な植民地にして、日本が資源産出国になるのがベストだと思う。
帝国主義と言われようと、難民問題解決のために必要なコストを支払ってもらう。
日本は平和を維持するために多くの制限を受けてきたし、支払いも続けてきた。
同じものを払わないで善人ぶって単純に助けてあげるのは国益に反する可能性が極めて高いのではないか。
国際社会が協調しないなら日本は難民の受け入れなど拒否するし国連への拠出金も凍結する。
日本が受け取る利益はプライマリーバランスを改善し、出産育児教育支援への体制を整える。
よって現状でいえば国連主導による、移民の国を新たに樹立する方針がベターだ。
砂漠のなかにラスベガスがつくれるのだから、空いてる砂漠にアメリカをつくればいい。
そしてかかった費用は出資国に還元する。通貨も国家運営が安定するまではドルペッグでよかろう。
わたしの不勉強もあってか、移民受け入れを行ったドイツがどうなったのか、
どうすればよかったのかを支持者に明確な説明をした移民推進派の論客を見たことがない。
日本に単純労働の担い手として出稼ぎにきた人々が日本で幸福に満ち足りた生活をしているか、
ヘイトスピーチはいけない、差別はいけないというが、移民が差別されなかった地域など聞いたこともない。
文化的不協和が摩擦になり、隣の町の本国人は楽しく暮らしているさまを毎日見せつけられたら不満を抱くのも当然だ。
結局のところ移民推進派は、机上の空論で指標の数字を操るゲームをしているだけだ。
現実とゲームの区別がつかないとは、移民推進派の主張に貼られるべきレッテルだと思う。
同時に、育児検定も発足させる。免許ではない。あくまで検定だ。
日本語検定を持っていなくても日本語を自由に(当然責任をもって)使っていいように
親になるのは勝手だが、親としての資質を他者に証明できるシステムがあっていい。
これは明らかに性差別だと思うのだが、にも関わらず育児の適性についての明確な指標がない。
教育論はまちまちだが、「栄養の偏りのない食事を提供する」「子供との触れあう時間をもつ」「子供の健康に気を配る」など
常識となっていて議論もされていない部分を明確にすることには意味があるだろう。
・アレルギーをいまだに甘えと認識している不勉強な人間を排除することができる。
・地域で放置子の問題が発生した時に対処にかかる時間が短縮される。
・周囲の無理解から産後うつや育児ノイローゼに陥る危険性が減る。
など、妊婦や新生児の母への協力を促すことが見込まれるので育児放棄の減少が期待できる。
また「妊婦様」などと言われる、過剰な権利や優遇を主張するモンスターペアレント予備軍の減少も副次的な効果として期待したい。
一級以上の検定所有者は
「規定以上の割合で検定所有者を雇用している企業の法人税減免」などはワークライフバランスを見つめなおすきっかけになるだろう。
・夫婦共働き(夫 比較的激務 妻はホワイトだが土日に勤務有)
・2歳になった男児1名
引き続きよろしくお願いします。
これはもう既に一般に広く認知された問題。 人口全体に占める子供の割合が低下し高齢者の割合が高まることで、様々な社会現象を引き起こしているのは周知の通り。 今や高齢者予備軍を含めた50歳以上の人口が5割を超え、社会保障費が国の歳出で大きな割合を占めている。 人口が多い分どうしても政策は高齢者優遇にならざるをえない。 数の理論(有権者の数からも)からすれば当然である。 新生児は数の点で弱者である。 昨今話題の保育園に始まる諸問題も、数の弱者でありかつ数年我慢すれば当事者が当事者でなくなることが大きな要因となって 今まで余り多くの声が政権に届くことはなかった。(届いていても優先されてこなかった) なので個人的には昨今の保育園問題が話題になっているのは歓迎している。 数の弱者が救われるためには、世の中の倫理感による救済しか無いからだ。 (もしくは正しく世代を超えた投資を新生児にしようという気運の高まりによる救済もある) ところで、数の問題という点で少子高齢化問題を最初に上げたが、本当に本質を理解している人がどれだけいるかは気になっている。 少子高齢化問題の解決方法を問うと皆口をそろえて「出生数をあげろ」という。 新生児が増えても生産労働人口が増え社会を支えるようになるまでは15年のタイムラグが有る。 もちろん、生産労働人口が増える以上に老人が減ればよいのだが、長寿化や国の手厚い保護によりなかなかそうはならないだろう。 少子高齢化問題は言い換えると「老人より子供が"相対的に"少なくなること」であり、つまるところバランスである。 つまりシーソーゲームであり、片方に新生児が、片方に高齢者が乗っている状態である。 そのバランスを整える際に「出生数を上げろ(要するに産めと強要される)」という考え方にあまりに偏重がある。 これが単純なシーソーゲームなら、多い方を減らせばいいという考え方が発生するのは自然のはずである。 もちろん、皮肉なことに、倫理観により増えた高齢者を減らす(殺処分する)ことができないから(法律的にも)、というのがまっとうな答えだが本当にそうなのだろうか? 社会のバランスを考えた時に、増えすぎた高齢者を養い続けることが果たして倫理観として正しいのだろうか。 無理やり生かされる高齢者のことを本当に思っているのだろうか。 増えすぎた高齢者という負債を負わされる何も知らない子どもたちのことを本当に思っているのだろうか。 未来にために子供を作ろうという貴重な夫婦のことを本当に思っているのだろうか。 甚だ疑問である。 事なかれ主義な国民性もあるので、そうなるのは仕方ない。 しかし、今本当に高齢者に生きろと言い続ける社会は倫理観からも正常なのか? これを今一度問う必要があるのではないだろうか。 日本には安楽死が認められていない。 子供や孫に、迷惑を掛けたくなくても自ら死を合法的にかつ経済的合理性を維持した状態で(誰にも迷惑をかけることのない方法を)選択することが、今の日本ではできない。 だから増え続けた高齢者は、子供や孫の世代に負債を残し続けることを強要される。 夫婦世代が子供を生むことを強要される以上に、高齢者は社会に対して負債を残し続けることを社会から強要されている。 今一度問う。 果たしてこれが、倫理的に、社会全体の幸福のためになっているのだろうか、と。 ここからは個人的な考えになるが、やはり増えすぎた高齢者を間引く事が可能な、間引かれることを自ら高齢者が選択できるような制度は必要だと思う。 具体的にはどうするか、だが、下記の2点を法で認めるだけで良いと考えている。 1. 医師による安楽死許可 (合法であることを国が確実に保証する) 2. 安楽死を選んだ老人の資産が相続される際、限度額無しの免税を実施 もちろんこれを悪用しようと考える人は少なからず出てくるだろう。 その抑止力として、医師による安楽死以外の安楽死には殺人罪を今までどおり適応すればよいだろう。 免税にした理由は、新たな生産労働人口世代に対し高齢者が多く所有する資産を移動させるためである。 新たな資本を得ることで、生産労働人口世代が子供を産みやすくするためである。 (もちろんこの免税自体に産めという強要が少なからず存在する) 一方で減らし、一方で増やす、これを推進することで社会の人口バランスを素早く調整できるのではないかという考えである。 バラマキには限界がある。個人の利益に訴求するこの方法が認められれば、より早くより短い期間で少子高齢化問題は解決し、 さらにその先も高齢者を減らしていくためのバイアスが個人レベルでかかるため、日本は再度経済復興できるだろう。 自ら死を選べない高齢者に救済を、無理やり生かされる以外の方法があっても良いのではないかと考える時期が目の前に来ている。 次の世代により多くを残せる方法を自分は選びたい。
1歳の娘をバギーに乗せ、3歳の娘の手をとりながら、私は横断歩道の前で待っていた。
住宅地にあるバス通り、それなりに交通量は多いが、信号機はない。
朝の通学時間帯には、地域の父母が旗を持って立ち、子どもたちの通学の安全を守っている。
結局、スピードを落とすことなく走り去る自家用車やタクシーを十数台ほど見送った後、やってきたバスが横断歩道の手前に停車してくれた。
3歳の娘は危なっかしく傘を肩に預けながらも笑顔でバスの運転手に手を振り、私は軽く会釈をしながら横断歩道をようやく渡り終えた。
自宅への道を急ぎながら、娘は「みんな、なかなか止まってくれないよね」と、ぽつりと呟いた。
つくづく、この国で子どもを産み育てていくのは大変なことだと思う。
出産費用にはじまり、医療費に教育費はもちろん重くのしかかる。
家族が増えれば住居の広さも必要になり、自炊するにも食材が増えた分だけ、食費の増加は避けられない。
年に一度くらいは遠方の祖父母に子どもと会う機会をつくろうと思えば、交通費もかなりのものだ。
子どもを育てるコストを負担しつつ、自分たちの老後に備える必要もある。
問題は、その原資となる収入だが、今や雇用の安定など私たち20代や30代には望むべくもない。
成熟し、縮小していく社会において、高度成長期のような右肩あがりの成長に伴う給与上昇は考えられない。
となれば、椅子取りゲームで競争に勝ち、立場と給与を力づくで手に入れるしかない。
勝利しなければ、生き残らなければ給与の上昇を見込めないどころか、今の仕事すら失うかもしれない。
そしてその競争に参加するには、子どもの存在は重たい足かせになる。
家に帰って子どもの世話をするために、そして週末には子どもに時間を使うために、働く親たちは必死の思いで自らの仕事を効率化する。
だがそれでも、突発的なトラブルがあり、夜遅い時間に設定される会議があり、そして就業時間後のコミュニケーションが命運を握る社内政治がある。
子どもを持つ親は、子どものいない同僚たちと対等に競争に参加することは難しい。
この国のビジネス社会は、仕事にすべてを捧げ、集中する覚悟と実践を要求する。
この競争は、ブラック企業だろうと、優良企業だろうと、実はさほどの違いはない。
では、夫婦の内の片方が仕事に全力を注ぎ、もう片方が子育てを一手に引き受ける分担をすればいいのだろうか。
私たちの親世代で一般的だったように、企業戦士と専業主婦という分業により、家庭を経営していけばいいだろうか。
答えはノーだ。
なぜなら、私たちの親世代と私たちでは直面しているリスクの大きさが違いすぎるからだ。
かつて、日本企業は滅私奉公を要求するかわりに、少なくとも正社員として働く男性たちの雇用を守ってきた。
そのしわ寄せは、結婚によって退職する若い女性社員や、パートタイム労働者が負っていたが、彼らは主たる生計者ではなかったから、それでも「雇用の安定」というお題目は守られていた。
今は違う。
主たる生計者が期間限定の雇用に甘んじている状況は珍しくない。
正社員ですら、いつ競争に敗れ、仕事を失うかわからない危機感に常にさらされている。
どちらかが仕事を失っても、次の仕事を見つけるまで、家計を支えるためだ。
競争に勝たなければ所得の上昇が望めない社会で、成長し、お金を必要とする子どもたちに応えるためだ。
そのためには、母親である私は急いで仕事復帰しなければならなかった。
数が足りない認可園に入れないリスクに対処するために、先着順の無認可園を徹底的にあたって予約金も支払った。
秋生まれになるように調整したのは、産休明けにシッターを利用して急いで仕事復帰し、認可保育所選考のポイントを加算するためだ。
11月生まれで1月後半からシッター利用で復職、生後半年を待たず0歳で認可保育所に入園できれば、私たち夫婦の収入でも対処できる。
本当は4月や5月頃生まれの方が、0歳入園でもほぼ1歳に近く、子どもとの時間を持つことができるが、それでは約一年も仕事を離れることになり、復職のハードルが高すぎる。夏から翌4月までをシッターで乗り切るのはあまりに経済的負担が大きかったので、断念せざるを得なかった。
結局私は2人の娘を産んだが、仕事を離れていた期間は通算で一年に満たない。
そこまでして復職しても、いわゆるマミートラックからは逃れられないが、それも甘受するしかない。
「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログが話題になったが、ネットで何を叫ぼうと誰も助けてはくれない。
同情の言葉くらいはもらえるかもしれない。数年先には状況が変わるかもしれない。
それでは目の前の子ども、不運にもレールに乗れなかった家庭には手遅れだ。
誰もが自分の生きる場所を守り、しがみつくことに精一杯の世の中で、他者に手を差し伸べる余裕がある者などほとんどいない。
保育園に入れないのも自己責任だと切って捨てられる、それが現実だ。
ちなみに、そこまでして入った保育園も、子どもが体調を崩せば利用できない。
行政が提供する病児保育のサービスはあまりに貧弱で、フルタイムで働く私たちには使いこなせる余地がなかったから、いざという時には高額な病児ベビーシッターサービスも活用している。
そこまでしてでも、母親が正社員という立場を守って働き続けなければ、子どものいる家庭を守ることはできない。
少なくとも私はそう考えている。
母親は一度仕事をやめ、子どもが手を離れる年にまで育ったら、再び仕事を探して働けばいいという識者がいる。
そういう人は、十分な学歴と意欲があり、健康な体を持ち、自分自身以外に面倒を見るべき存在がいない若者ですら、安定した仕事を得ることが難しい社会の現状を知っていて、そんなことを言っているのだろうか。
誰もがいつ仕事を失うかわからない、そして失業した際のセーフティネットがあまりに貧弱なこの国の仕組みを理解していて、言っているのだろうか。
ひとり、あるいは複数の人間を新生児から社会人まで育て上げる責任の重さを、親になったからには背負わなければならない。
それも親になるという選択をしたのは自分たちなのだから、自己責任の範疇である。
費用も、機会も、制度をいかに利用して乗り切るかも、すべて親の才覚にかかっている。
それでも、私は自分たち家族が驚くほど細い綱渡りをしていることを自覚している。
もし娘たちや私たち夫婦の誰か1人にでも何か不慮の事故や病気があれば、この綱渡りを続けられる保証はない。
ここまでは、物質的な話だ。
子どもを育てるには、物理的金銭的に大変な努力が必要なのはもはや否定できない。
次に、親になる者が直面するのは、精神的な困難だ。
公共交通機関に子どもを乗せるなという論争が、日々至る所で巻き起こっている。
冒頭、娘が呟いたように、横断歩道をゆっくりとしか渡れない幼い子どもを連れた親は、道を渡ることすら容易ではない。
必要なしつけはしているつもりだし、公共の場でのふるまい方を教育するのは当然親の務めだと考えている。
それでも、子ども連れでいることで向けられる世間のまなざしに、どうしようもなく辛い思いをすることはある。
一人だったらとくに気にすることもなく車の間をぬって渡ってしまえる道も、子どもが一緒だから、安全を確認するまで辛抱強く待つ。
走り去る車をじっと見つめる娘の澄んだ瞳と、だんだん冷たくなっていく小さな手のひらに、どうしようもない心の痛みを感じながら、私は待つ。
もちろん、指定席を子どもも含めて人数分取っているが、たまたま私たちの近くに乗り合わせたビジネスマン風の男性は、あからさまなため息をつき、はしゃぐ娘たちを見て舌打ちする。
大きな声はださせない、椅子にはきちんと座らせる、そして食べ散らかすような菓子類は与えない。
飲み物はこぼさないようにストローやマグを準備し、それでも万が一に備えてタオルや着替えは常備する。
万全の準備をしているつもりでも、子どもの機嫌が悪くなることがある。
だが、帰省シーズンともなれば、指定席車両のデッキも自由席券の乗客で溢れ返り、苛立つ彼らは泣きじゃくる子どもを抱えて現れた親を睨み付け、ため息をつく。
一体、子を持つ親はどうふるまえばいいのか。
子が公共の場所で泣かず、疲れたとわがままを言わないようになるまでは、外になど出るべきではないのか。
容赦なく投げつけられる批判のまなざしを、せめて子どもが直接こうむることがないよう、親は細心の注意を持って配慮し、矢面に立つ。
自分で選んだ生き方なのだから仕方がない、これも自己責任だと言い聞かせ、今日もぐっと奥歯をかみしめる。
仕事を持ち、愛するひとと結ばれ、子どもをもうけて家庭を築き、社会に参加する。
本当に幸せなことだ。
川の字に並んで眠る夫と娘たちの寝顔を見る時、私は自分の歩んできた道が間違ってはいなかったことを自覚し、そしてたとえようもないほどの幸福感に満たされるのを感じる。
だが同時に、ひどく不安にもなる。
私はこの先も、この幸せを守り続けていけるのだろうか?
家族の健康を守り、仕事を守り、娘たちの未来を保障し、自己責任をまっとうできるだろうか?
身の丈に合わない幸せを追い求め、手にしてしまったのではないかと悩むことがある。
本当は、私のようなごくありふれた個人がまっとうできる責任など、自分ひとりが生き抜くくらいのことなのかもしれない。
仕事に集中し、結婚も出産もしなければ、私がとるべき自己責任の対象は私1人分でよかったはずだ。
ただ、保育園に子どもをいれられなかった親が怒り、子どもの障害とともに生きる親が絶望してしまうこの世の中で、ありふれているはずの家庭を持つ親が何を考えているのかを伝えたかった。
今、この国で子どもを持つということは「自己責任」の範囲を子ども全員にまで広げるということだ。
それでも子どもが欲しいなら、産み育てる責任をまっとうしてほしい。
…ありふれた幸せに憧れているだけなら、残念ながらお勧めできない。
だが、各論では真逆であり、子どもを持つことはリスクであり、ペナルティでしかない。
私たちは誰もが自分の幸せを自由に追求する権利があるが、子どものいる幸せは非常に高価だ。
子どもを持っても、誰も褒めてはくれないし、助けてもくれない。まして見返りなどないし、批判にさらされることが増えると覚悟してほしい。
それでも子どもを持つのは、子どものいる幸せがそのリスクやペナルティを度外視させ、高価さに見合う以上の精神的な充足をもたらしてくれるからだ。
私は正直、覚悟が甘かったから、今でも時々こんな風に心を痛めたり、迷ってしまう。
まだまだだな、と思うばかりである。
人口減っていうけど、地球規模ではとんでもない勢いで人口が増えている。
1900年には約16億5000万人だったのが、
1950年に25億人、
2000年には61億人、
2013年では72億人だ。
2025年に約81億人、2050年に約96億人、2100年には約109億人になると言われている。
これだけ文明が発達してしまった社会では、小競り合いはあっても人口減をもたらすような大規模な戦争はまずないだろう。
核の傘がなくても、材料さえ手に入れば個人で核爆弾をつくることは可能だし、超大国といえどもうかつなことはできない。
高齢化社会を止めることもできない。
医療技術は発達したし、低開発国にもその恩恵は及んでいる。20年前に比べて新生児死亡率は遙かに減ったし、平均余命も伸びている。
今後 良くなることはあっても、悪くなることはないだろう。
つまり、人は死ににくくなり、老人は着々と増えていくってことだ。先進国であっても低開発国であっても。
地球の面積に限りがある以上、必ずどこかで限界が来る。物理的に。
火星のテラフォーミングだって100年からかかる、まだ芽もない以上、間に合わない可能性が高い。
人口を増やせっていうのは、未来の世代にツケを押し付けているのとおなじだ。
現在は、高齢化ってのは個別の国の問題だけど、2100年頃には地球全体の問題になってるだろう。
保活中の身として物申したいです。貴方の方向性は正しい。できるだけ割り込みが入る窓口対応や電話対応を減らすべきです。業務が遮られますからね。私も集中してるときに内容のない質問されたらイラッとしますからね。元増田の意味のない「あいさつだけ」とかやめてほしいのは非常にわかります。
それと、元増田の「あいさつ」等の根回しは私も無駄(=評価されない)だと思いますし、それを実際にもし評価されてるのであれば不公平なので、反対します。即刻にやめていただきたいです。これは主旨とずれるのでここでやめます。
話を戻すと、窓口対応のような「割込み」を、貴方含めた保育課の方々はできるだけ減らすよう努力してるのでしょうか?申し訳ないですが、保活中の身として言いますが、全くといってよいほど、その努力が感じられないです。わざと仕事量を増やしてる気がしてならないです。それで「忙しい」とか言っていたなら、税金返してほしいくらいですね。
なぜ私がそんなこと言ってるのか。その理由は、ネットに情報が公開されてないからです。ネットに情報を正しい情報を公開してれば、無駄な相談も大幅に減るでしょうし、電話対応も減ると思います。こんな誰でも思いつくようなことをやらないのは甚だおかしい。
実際に窓口で担当者に私は聞いてきましたが、前年度における各保育園の「何ポイントだったら入れたか」という情報を教えていただきました。なぜそれをネットに公開しないのですか?おそらくどこの区でもそうでしょう。
窓口では、自分が保育園に受かるかどうかの相談を多く受けてると思います。これがまったくの無駄です。先の情報を公開してれば、有志の人たちが勝手に数字をまとめますので、それを見て各自に判断しているはずです。
とりあえず、ネットに公開してほしい情報を列挙します。これを公開すれば、窓口対応や電話対応の数は大幅に減ると思います。
・前年度における、各保育園の内定者のうち、合否ボーダーラインの点数情報(何点以上だったらその保育園に入れたかの情報)※
・前年度における、各保育園の申込人数※
・前年度における、各保育園の募集人数※
・本年度の、各保育園の募集人数
・本年度の、各保育園の申込予想人数(できれば)
・エリアごとの新生児の増加人数(最低でも、大規模マンションが●●エリアに立った等のざっくり情報でも可)
※0歳4月、1歳4月、2歳4月、3歳4月入園のそれぞれ、つまり4つずつ必要です。
予定日より2週間弱、早く出産してしまい、事前の準備がほとんどできておらず、もらいもの・借りもの以外は、慌ててネット通販で購入したため、かなり散財してしまった。
もらった服も、しまいこんだまま、着なかったり、数回しか着ないまま成長してしまったりと、もったいないことをしてしまった。
自分のブログは更新停止中。第2子の予定はないけれど、備忘録として、
ブログの代わりに、買って良かったもの・買わなくて良かったもの・買えば良かったものを書かせてください。
※子どもが昼寝している間に急いで書いたので、後で推敲して、追記・訂正するかもしれません。
■2014年秋出産・女児・小さめ・はいはい/あんよは早かった
当初は母乳・ミルクの混合→生後3か月頃から完ミ(ミルクオンリー)、生後5か月から離乳食
首都圏在住・マンション・共稼ぎ(育児休業中~今春仕事復帰予定)
<買って良かったもの>
・スマートフォン…もともと使っていたけれど、出産直後、ミルクの作り方をはじめ、何もかもわからない状況で、片手でいつでも検索できるスマートフォンに本当に救われた。
・哺乳瓶用の貼る温度計(チュチュベビー ミルクのみごろチェッカー)……ミルクの飲みが悪くなった時に、温度が高すぎ/低すぎかと思い、適温かどうか、確かめるために購入。
とても役に立ったけれど、もう一つ、買い足した頃には温度に関わらず、ミルクを飲むようになった。新生児期に買えば良かったと後悔
・クッキングスケール…買い換えたら、離乳食作りが断然はかどった。最新型は汚れがつきにくく、gの表示単位も細かい
・クッキングハサミ…離乳食作りでもっとも使用頻度の高いツール。包丁より便利。ただ、携帯用のキャップ付きを買う必要はなかった。近々、もう1本、買い足すつもり
・テフロンのフライパン…買い換えたら、離乳食の定番・おやきがキレイに焼けるようになり、調理・後片付けの時間が激減した
・カーゼバスタオル・ハンドタオル…生後8か月頃まで頻繁に吐いたので、洗い替えとして役に立った。ただ、あわせて10枚超は買いすぎだった
・スタイ…よだれが多いタイプで、取り替えを惜しんでは、ガビが付着してしまい、すぐにダメになってしまった。1歳を過ぎた今も必須。足りなくなってから買い足すのではなく、最初から大量購入すればよかった。。安くてかわいいメーカー・ブランド(通販サイト)が知りたい
・タイル式マット…汚れ防止。本当はフローリング全面に敷き詰めたい
・哺乳瓶用スプレー式洗剤…手軽で便利。ただ、離乳食開始後に購入したため、まだ余っている
・白のベビードレス(中古)…桃の節句と、生後4か月で出席した義弟の結婚式の時に着たのみ
・冬用のカバーオール型防寒着(足つきコート)…義両親からの贈答品。新生児期(昨年冬)は寒くて外出せず、今冬は歩くため、着せられず
・離乳食づくりセット…ヘラと、おろし器は頻繁に使い、すり鉢は当初は使用した。後は使わず
・ガラス製のおかゆ釜…夫が嫌がるので、不在時しか使えなかった。ラップを巻けば便利
・まくら…寝返りができるようになった後は、うつ伏せでしか寝ないため不要
・紐タイプではない新生児肌着(短肌着・長肌着・コンビ肌着)…義妹から借りたものは、紐タイプで、うまく着せられなかった。後から、スナップで留めるボディ肌着の存在を知った。紐のせいで貴重な時間が失われた。洗い替えのため、大量に必要とはいえ、紐タイプは本当に不便
・パンパースのテープ式紙おむつ…メーカーをムーニーに変えたところ、おしっこ・うんち漏れが激減した。個人差があるとはいえ、多大なストレスを被った。パンツ式は、どのメーカーでも差はない模様
・ベビーカー用レインカバー…両対面式対応タイプではなく、安い通常タイプで十分だった
<買わなくて良かったもの>
・授乳用パジャマ・授乳用の服…授乳しにくい上に、すぐに完ミになったため
・母乳パッド…授乳量が少なく、必要な日はわずか2日程度だった(涙)
・抱っこ紐の新生児用シート…授乳後、頻繁に吐いたので使えなかった
・バスチェア…浴室で使うと、逆に洗いづらかった。単なるオモチャに成り果てる
・見守りカメラ(ネットワークカメラ)…マンション・平屋の場合、必要なのは、新生児期の1、2か月間だけ。2階以上の戸建ての場合は、買ったほうがいい
・ベビーサークル…キッチンだけに侵入防止用の開閉式ゲートをつければ十分。動き回るのでムリ
延長した育児休業も、残りわずか。今年4月、遅くとも5月には仕事復帰しなければならない。
ここ半年くらい、育児そのものより、毎日、「時間」と「食事」について考えている。
新生児の頃、3時間おきにミルクをあげていた時は、たった5分、10分の遅れが号泣につながり、手際の悪さを呪った。
離乳食を始め、試行錯誤の結果、だんだん授乳間隔が空き、精神的にラクになった反面、離乳食の準備や掃除に時間を取られ、身体的な負荷は高くなった。
疲労の要因は、家事スキルの不足・不器用と、夫と食の好みが合わず、1日3回、子ども、自分、夫が別の時間帯にそれぞれ別のものを食べているせいだろう。
毎日、時計を見ながら分刻みで行動している。それでも、全体的に後ろ倒しになり、1歳を過ぎた子どもの起床/就寝時刻は、30分~1時間程度ずれ込んだ。
育児本に書かれている乳幼児の理想的な生活リズム「朝6~7時に起床し、夜は20~21時に就寝する」通りにも関わらず、日中も夜も、ほとんど自由な時間がない。
日々の生活は、やるべきこと(家事・世話)、やりたいこと(仕事・趣味)の積み重ねだと気づいた。その日、やるべきこと=パーツの組み合わせで回っている。
食の好み・生活リズムが合わないカップルは、子どもを育てられない。夫婦で協力し合うことが不可能だからだ。
子育ての資格は、早寝早起きの規則正しい生活リズム。長時間労働、偏食、趣味最優先の大人は、独身/子なしを貫くべきだった。
いまの一番の望みは、時を気にせずのんびりすること。日帰り温泉に行って休憩所で寝たりマンガを読んだりしたい。
アニメやドラマをリアルタイムで見て、気に入った作品を繰り返し見たい。
子どもが食事を自分で作って食べられるようになるまで、少なくともあと10年は叶わないと思うと絶望する。今さら後悔しても遅い。
お金はないと工夫のしようがないからでしょ?外見の改善は未成年や新生児が親の所得を増やしたり、病人や老人が所得を増やすよりずっと簡単じゃん。容姿のうち生まれ持った顔のバランスなんて2割くらいで、服装とか、話し方とか、スタイルとか、表情とかが大きいだろう。
あなたはいままで何百時間大学受験の準備をして、容姿を磨くためにどれだけの時間をかけた?
家の鏡のサイズは?全身見られる?毎日スタイル確認している?自分が美しく見える角度知ってる?笑顔の練習してる?
スタイルを磨くためにどれだけ努力している?毎日運動している?自分の理想の体重が何kgで、体脂肪率が何%か知ってる?
ファッションについてどれだけ他人の意見を聞いたことがある?どれだけ時間とお金を投資した?
歩き方を気にしたことある?
整形手術の知識はどのくらい?鼻を高くしたり二重まぶたにするためにいくらかかるか知ってる?
(女性なら)どのくらいメイクの知識と技術はある?どのくらい真面目にトレーニングした?
これ全部クリアしたら、常識的な人間と付き合う際には容姿がハンデになることは考えづらいけど。。。男性は体が引き締まっていて話し方に好感が持ててファッションセンスがあればほぼハンデはないし、女性はそれに加えてメイクがあればどうにでもなる。
「行きたくない」とか言えるだけまだ親戚内でのステータスはマシだぞ。
親戚に会わせるということは「会わせる価値がある」とは思われているんだ。
私は結婚しているが、結婚三年目辺りから旦那側私側ともに親戚の集まりに呼ばれなくなった。
【私の親戚】
【旦那の親戚】
嫁コミュニティに入ろうとしても私は仕事の話しかできないし、専業主婦は生活感あふれる会話になるし噛み合わない。
仕方がないから親戚のおっさんたちと酒を飲みながら会社の飲み会で培った部長とのトーク力を発揮する私と私の旦那。
明らかに親戚の中で浮いているので、呼ばないほうが平和と判断され(喧嘩した訳じゃないが会話してないのでいる意味がない)
全く呼ばれなくなりましたとさ。
要するに呼ばれる、ってことはまだ親戚として認めてもらえてるということ。
呼ばれなくなったら「親族として認められてない」ってことになりますからね。
確かに集まり行かないのは気楽だけど、認める価値のないゴミ夫婦って言われるのもそれはそれで人生終わってる感あるぞ。
親戚なんて、いない人生だ。