はてなキーワード: 新生児とは
https://anond.hatelabo.jp/20170908230300
id:seiroten 学会が「優性、劣性という用語が誤解されているので、こんどから顕性、潜性にする」という記事を今週読んだが、この増田記事はまさしくその「誤解」のお手本だな。
id:mcgomez 劣性遺伝を勘違いしとるのは置いておいて、ハプスブルク家のシャクレ顎は悪影響の一例だが、競走馬で敢えて近親交配させるインブリードもある。法律面でLGBT婚がOKなら成人間の近親婚も許されるが小児だと虐待だろう。
なんてコメントが上がっている。
馬鹿じゃないの? どこをどう読み取れば増田が誤解しているように見えるんだ。元増田は、
いや劣性遺伝がどうのこうのみたいな理論は分かりますけど。
としか言っていないのに、何を読み取れば「誤解」だと分かるんだ?
いいか、近親交配により潜性の形質が顕在化する確率が高くなるのは誤解でもなんでもなく、事実だ。
そして、多くの遺伝子疾患は、特に重篤なものはほぼ確実に潜性遺伝だ。当然だろう。重篤な遺伝子疾患を引き起こす形質が顕性だったら、その形質を持つ者は常に発症するのだから数代のうちに淘汰されてしまう。
潜性遺伝でなければ形質が残らないのだ。
お前らは自分は大丈夫だと思っているかもしれないが、何らかの遺伝子疾患を引き起こす形質自体は、多くの人が保持している。
例えば、新生児10000人中1人が発症する遺伝子疾患があったとしよう。形質遺伝以外にも遺伝子疾患を引き起こす要素はあるが、ここではそれは考えないこととする。
10000人中1人と言うと確率は0.01%なので、発症は稀である、と見るかもしれない。
しかし、この遺伝子疾患が、両親の染色体に含まれる潜性の遺伝子がホモ接合した時に発症する単一遺伝子疾患の場合、卵子と精子の遺伝子を考えれば全体の100個に1個はこの遺伝子疾患を引き起こす形質を持っている。
両親ともにこの遺伝子疾患を発症していなかった場合は、片方の染色体に含まれるものは遺伝子疾患を引き起こさない形質であるはずなので、それを考慮すると、およそ50人に1人がこの遺伝子疾患を引き起こす形質を持っているということになる。
遺伝子疾患にもいろいろな種類がある。同じような確率で発症する単一遺伝子疾患が10種あれば、全体の18%がキャリアだ。35種あればむしろキャリアじゃない人の方が少ない。毎日狂ったようにガチャを回している人間には分かるだろう。
俺もお前もそういった意味では、かなり高いリスクを持っている。
しかしながら、例え自分が潜性の遺伝子疾患形質を持っていたとしても、近親ではない相手と交配する場合は、相手が同じ遺伝子を持っている可能性は1/50に過ぎない。ところが、子供がその形質を持っている可能性は1/2に跳ね上がる。ということは、親子で交配した場合、
1/50(親が潜性の遺伝子疾患形質を持つ確率)×1/2(子に遺伝する確率)×1/2(精子が遺伝子疾患形質を持つ確率)×1/2(卵子が遺伝子疾患形質を持つ確率) = 1/400
となり、リスクは25倍ということになる。
当然、これも1種類の遺伝子疾患の話であり、多くの遺伝子疾患を考慮すればさらに確率が上昇することは分かるだろう。
繰り返すが、上記のように、遺伝子疾患形質はその多くが潜性である。これは事実だ。そして、近親交配により発症率が高くなることも事実だ。
元増田の主張は、「そのリスクがあることは認めるが、他のリスクのある行為と比較して規制されるほどのことではない」ということだろう。
例えば、一人目の子供が単一遺伝子疾患を発症した夫婦の場合、二人目以降でも発症する確率は実に25%だ。遺伝子疾患を理由に近親交配を禁じるのであれば、障害を持つ子供を産んだ夫婦にそれ以上子供を作ることを禁じるのは正当性がある、と主張することもできるだろう。本気で主張したら多分炎上するだろうけれど。
優性劣性という言葉が見直されたのは、「劣性遺伝形質による遺伝子疾患を発症した患者は劣った遺伝子を持つ劣った人間である」「劣性遺伝子とは全て劣った(?)遺伝子である」みたいな誤解を防ぐためであって、近親交配の話における劣性遺伝がどうのこうのは誤解に起因する話ではない。誤解をしているのはお前らだ。
なお、人間以外であれば、近親交配により潜性の遺伝子がホモ接合するように意図的に交配を繰り返すのは品種改良の一般的な手段だ。
遺伝子疾患が発症することもあるが、間引いてやればいい。うまく行けば美味しい野菜や足の速い馬が作れるぞ。人間でもやってみるかい?
どれも迷うほどの問題とは思えない。
(1)老夫婦
殺してはならない。このケースならば公的支援を受けられる可能性があるので、まだ最善の努力を尽くした状態とは言えない。「公的支援は受けたくない」というのは個人的な趣味に過ぎない。
(2)新生児
殺してはならない。夫婦の事情は夫婦で解決すべき問題であり、他者が忖度することは許されない。もちろん、当該の子を生きながらえさせるために莫大な費用が発生する、その費用を捻出できる見込みがない、という将来はもちろん見えているかもしれないが、「それでも(夫の忘れ形見を)殺したくない」と母親が主張する可能性はゼロではない。いずれにせよ助産婦に「殺す権利」はない。
(3)凶悪犯
殺してはならない。速やかに、当該の自動車を隔離できる施設を準備し(たとえば使われていない埠頭の倉庫など)そこに自動車を誘導、その後、催眠ガスを投入するなどして無力化し拘束するなどの方法が考えられる。そうでなくても、周囲から十分隔離した状況で、拡声器等により抵抗は無力であることを宣言し、武装解除と投降を呼びかける。ただし、抵抗した場合は最悪射殺も視野に入れて配置を行う。凶悪犯を殺す場合でも「殺すしか選択肢がない状況」に至っていなければならない。
(4)凶悪犯2
殺すことはありうる。犯罪の既遂・未遂にかかわらず、人質の命が現に急迫の状況であることが明白ならば、状況を見て(人質の安全を最優先に)犯人の射殺も視野に入れるべきである。これは「刑」ではなく緊急避難的行為であるので死刑を廃止している法にもその趣旨にも抵触しない。
なお「その司令官も彼に妻や子供をすでに殺されているし、対応している警察官の多くの関係者が被害者である」→可能な限り事件関係者は事件対応から外すなどの措置が求められる。行政行為の執行に当たって利害関係者が関与する状況はただでさえ(人道的に)避けるべきであるが、まして行為が「敵討ち」にしか見えない状況であれば、その正当性への疑いを呼びかねないことから、対応する管理者には十分な配慮が求められる。
(5)未知の奇病感染者
原則、殺してはならない。もちろん、法的にこのような危険な感染病の罹患者の権利は制限されうる(数年前のエボラ出血熱の事例など参照)。また、病気を理解した上で「感染を広げてやる」と主張し行動する行為は、普通に群衆を対象とした無差別殺人と変わりがない(たとえば、AIDS感染を知りながらそれを告げずに感染の危険のある行為に及んだ人間が傷害致死の罪に問われることがあるのと同じ)ので、治安維持の権限ある人には速やかな対処が求められる。この場合、普通に「爆弾を所持しテロを予告した犯人」と扱いは同じである。防護服を着用した警察官等により速やかに制圧しての逮捕が妥当である。
もしそれが「いかなる防護服も通用しない強力な未知の病気(?)」を想定しているのだとしたら、その場合、可能な限り、遠隔から麻酔銃等により制圧して逮捕。その後は、法による対応(起訴等)を進めつつ、他の感染者同様、残された時間の範囲内で人道的な対応(治療等)を施すことになるだろう。射殺は、それも不可能な場合の本当に最終の手段である。「死ぬ可能性が高い」から「殺しても良い」という理屈は成り立たない。
「どんなことがあっても殺してはならない」という命題は、「どんな手を尽くしてもどちらかを殺さざるを得ない状況」にあっては実現不可能になるので、「場合によっては殺しても良い」という別の命題によってかえざるを得ない。これが緊急避難という考え方である。たとえば「正当防衛」など。人を殺しうる凶器をもち殺意をもって襲ってきた相手を殺してはいけないとなると、「自分」という人間を「殺してもよい」と判断したのと同じ事になり、明らかな矛盾が生じるためである。この場合、相手を殺してしまっても殺人罪とは見なされない。(「カルネアデスの舟板」論)
ただし、正当防衛などの「緊急避難」が成立するためには、「どんな手を尽くしても~である状況」であることを証明できなくてはならない。もし安易にその拡大解釈を許せば、社会が弱者を切り捨てることを安易に認めることにつながりかねず、危険である(例:大量の医療費を使うのは、別に貧困にあえいでいる人の生活を脅かすので、見殺しにすべき、など。昨今は政治家にもこの程度のレベルの人間が多い)。
以上のようなことは、法理の基本を説く本にはたいてい分かりやすく書いてある。元増田(や一部の政治家)は、ネットに張り付いて小理屈をひねり回し得意がるより、少しは読書をした方がよい。
読んで自分の一人目出産入院中の事を思い出した。私は運が良かったのかもしれない。
入院していた産院はあまり人気のないところで、産後の病室は二人部屋なのだけど余程出産が立て込まなければ一人で一部屋使えるということだったので、コミュ障ぼっち気質な私には願ったりだったのだが、私が出産した前日当日に何故か出産がたて続いたせいで、結局相部屋になってしまった。
相部屋に為った人は私と同い年だったが4歳の上の子もいる経産婦だった。彼女は子育てに慣れており、生まれたての赤ちゃんの扱いも上手。赤ちゃんが起きている時は昼でも夜でも赤ちゃんに話しかけていた。
この、赤ちゃんに話しかける、という何気ない行為が私には衝撃的だった。私は、言葉の通じない新生児は宇宙人か動物みたいなもので、ちゃんと人間になるまでは話し掛けても無駄だと思っていたからだ。
だがしかし、赤ちゃんが人間になる前に話し掛けてもいいんだ!試しに話し掛けてみると、目の前の生き物ががぜん一人の人間に見えてきた。
同室の彼女との、授乳しながらの他愛ないおしゃべりも、何か特別な事を教えて貰った訳ではないが、かなり役にたったのだと思う。私はそのお陰で自分の人間性を見失わなくて済んだと思う。
助産師さん達の教えでは、赤ちゃんの意思表示は泣くだけではなく、泣く前に赤ちゃんの出来うる限りのジェスチャーで意思を表現しているという。
そう言われてみると、赤ちゃんはお腹が空いたらしきりに唇を舐めたりちゅぱちゅぱ鳴らしたりしているのが分かった。しかもなんだかこちらに目配せしている様にも見えた(しかし、赤ちゃんの視力は大変弱く、注視が出来る様になるのももっと後の筈なので、これは気のせいなのだと思う。だが、もっと小さな何かサインの様なものを私が赤ちゃんから受け取っていたから、そういう風に見えたのかもしれない。)オムツを替えて欲しいときは一生懸命、地団駄を踏む様に足をぶんぶん降っていた。
赤ちゃんが泣き出してしまってから対応するより、それらのサインに気が付いたら速やかに対応する方が、ずっと楽だった。赤ちゃんはひと度マジ泣きモードに入ると、自分が何で泣いているのか分からなくなり、自分自身の泣き声に興奮してパニック状態に陥り、手がつけられなくなる。特に授乳の時は、あまり待たされるとお腹が空いているのに飲まなくなるというか、ちゃんと乳首を捕らえて母乳を飲み下す事ができなくなる。
赤ちゃんがそわそわし始めたら要求に応える→赤ちゃんが満足して落ち着く
それを繰り返していくうちに、赤ちゃんのことがどんどん可愛くなり、益々人間味のある存在に思えて来た。
お陰で、たった6日たらずの入院期間のうちに、赤ちゃんは私の家族になった。
それから一年くらいは、ワンオペ育児だったから勿論大変だったし、当時の日記には毎日「だるい、疲れた、何にもやる気が起きない、あれもこれも出来なかった」など書かれていて鬱状態ではあったが、子供は何も喋れなくとも私にとっては意思を持った一人の人間であって、尊重すべき存在だった。
期間は短いけど、めちゃめちゃ産後鬱してた私の経験を書く。少なくとも私はこれで急速に改善したので少しでもヒントになればいいのだけど。
産後鬱については本やブログを読んで予習していたつもりだったけど、実際に産まれるとあまりにも物理的に大変なのと、「初対面のお客さんが常に自宅にいて、24時間対応を求めている」ような緊張感であっという間にやられた。生後すぐの赤ちゃんは笑わない(新生児微笑は反射行動なので楽しいわけではない)から、あるのは「泣く」というネガティブフィードバックばかり。ダメ出ししかしない上司みたいだった。
毎日、夫がでかけると、リビングの真ん中で授乳したまま寝入ったこどもを腕に抱えてじっと時計を見つめ、夫が帰るまであと◯時間…とカウントダウンしていた。テレビは消音かごく小さい音だから聞こえないし楽しくない。こども抱えたままスマホいじるくらいしか出来ることがなかった。当然、これもすごく楽しい訳ではない。こどもを置いて出かけられないから、夫がいてくれなければ、徒歩1分のコンビニすら行けないのだと思い込んでいた(今思えば全然そんな事ない。近距離なんだから普通に連れていけばいい)。昼も夜も、いつ泣き声が聞こえるかとビクビクして、空調の音を泣き声に空耳したりしていた。
後から聞いたけど、夫はこのとき、私がそのうちマンションの窓からこどもを放り投げるんじゃないかと恐ろしく思っていたらしい。心配させてごめん。
この頃は、死にたいとは思わなかったが、消えてしまいたいとは思っていた。
産後1ヶ月過ぎの頃。うちの地域では初産の母親のところに市役所から派遣された保健師が訪問することになっている。
この機会に飛び付いた。
ボロボロ泣きながら辛いと訴えると、定番の「辛いよね、みんなそうなんだよ」という相づちの後で、徒歩すぐの親子広場を紹介された。というかそのまま連れていってくれた。
聞けば市内にいくつかNPO運営で市公認の無料の親子広場があって、私の最寄りのところは市の中心ということもあり平日は毎日開いている。低年齢のこどもがいる母親がこどもと訪れて、ただ時間を潰していくのだそうだ。
私はもともとお喋りなので、一番ヤバイのは1日誰とも話さず無言で過ごすことだとなんとなく理解していた。精神が死にそうだった。
とにかく、学校か職場のように「毎日通う」ことを目標にしてとにかく通った。最終的に「あまり長時間だと赤ちゃんの負担になりますよ」と注意され1日あたりの時間は短くしたが、それでもほぼ毎日通っていた。
親子広場には、少し先の月齢~一歳半くらいの子達が遊んでいて、うちの子よりは表情豊かに、寝返りしたり、ハイハイしたり、駆け回ったりしていた。しかめっつらで泣くことしかしないこの子が、あんな風になるんだろうか、と不思議に思った。
ママさんたちはみんな、直近の子育ての悩みや愚痴を話し合い、少し先の先輩ママにアドバイスを貰ったりしていた。
こどもが寝ているときは、隣に座って置いてある育児系の本やマンガを読んだ。
結果的に、2週間ほどで私のメンタルは劇的に回復した。毎日外に出て太陽の下を歩いて、十分におしゃべりをする。少し先の赤ちゃん達を見て、数ヶ月~半年先の見通しが具体的に持てる。育児経験の長いスタッフさんや、他のママさんの語りかけを参考にして、自分も赤ちゃんとのやりとりを楽しめるようになる(赤ちゃんにアテレコしながら会話するのは特によかった)。
育児本やネットでも学べたことだったけど、実例を目の当たりにするととても参考になるし、自分もああしようと思えた。
生後1ヶ月半で「この子は可愛いのかもしれない」と思い始め、生後3ヶ月の頃には「可愛い」と確信。半年の頃にようやく、「常に一緒にいる、私の家族」になり、ここからは精神的な辛さはもうなかった。家にいるのはお客さんじゃなくなった。毎日一緒にいるのもお世話するのも当たり前になった。
夫はこの期間、とてもよくしてくれたのだけど、やはりたまに「どうしてお皿洗いも掃除も洗濯もしてないの?(俺は仕事してるのに家事もするの?)」的なやりとりはあった。夫からみれば「俺は遅くまで仕事してるのに、家事もしてる。お前は1日中家にいるのに」、私は「昼も夜も土日もなくこどもを見て家事をしているのに、なんであなたには毎日休憩時間と土日休みがあるの?私だって月に1日でもいいから休みたい!」って感じ。
これ、たぶんお互いにやってみなければ分からないのだろうけど、子育て専業主婦になると「プライベート」という感覚が消え失せるのが衝撃、かつ辛かった。「24時間呼び出し待機、休日なし」って感じで、寝てる間も気が休まらない。正直、この辺の感覚は未だに理解してらえてないと思う。
なので、夫の上記の理解に苦しむ部分はあったから、他のママさんに「夫に理解してもらえない」と吐き出す場がなければもう少し辛かったと思う。
長くなったけど、言いたいのは、夫の理解や周囲の物理的なサポートもとても大事だけど、私の場合は公共の「子育てネットワーク」と、そこで出会った「子育て同志、先輩」たちにとても助けられた、ということ。
公共の親子広場、NPO、生協など、専業主婦向けの平日の集まりは結構多いから探してみてほしい。市役所の子育て課にはそういう情報が集まってるし、市報とかにも載ってる。
奥さんが元気ないみたいだから、一人で行かせるより、土曜開催のものか、なければ平日休みを取って一緒に行ってみたらどうかな? だいたいどこも旦那さん歓迎だ。
行って、奥さんと他の人が話せるようにしてあげてみたらいいんじゃないかな。話すのが苦手なら、他の人の苦労話を聞くだけでも「みんなそんなもん」的に少し楽になるかも。
※注意点として。行ってみて、もし子育ての仕方や、なぜか人間関係についてやたら批判的なこと言われるようなら逃げ帰ろう。NPOを隠れ蓑にした宗教勧誘みたいのが実際にある。まともな所のスタッフはたいてい同情的で適切なアドバイスもくれるけど、「こどもが泣くのは両親を大事にしないから」とか「夫を大事にしないから。家事育児させずに下にも置かない扱いをするべき」とか言われたら割とヤバい。
勘違いさせてしまった献血ルーム側も悪いかもしれないけど、基本的に、200ml献血は
罪悪感とか、恥ずかしい気持ちとか、それをルームに転嫁させて少し憤慨しているような、そういう気持ちがあると思います。
でもそれらは抱く必要はありません、献血は、(たとえ募集してる人がどんなに必死だったり強い言葉で叫んでいても)、
やりたい人、かつ、できる人が、できる時にやることだからです。
だから、200を断られた増田がそれならやりませんということは、なんら悪いことでもなんでもありません。
それをまず認識してください。
あのですね、献血ルームはそもそも牛丼屋のように「お客様」が「並、大盛り」を選べる場ではありません。
「やりたい人」と「必要なもの」があって初めてできるものです。
しかも「200を用意しておくな」などと文句を言う筋合いも君たちにはありません。
仮に新生児が200人単位で事故にあったりすれば、もしかしたら200の需要が急激に高まるかもしれないですし、もしそれがなくとも、それを変えるのはあなたがたの「文句」ではなく、日赤が医学的根拠に基づき必要があれば変えることです。
日赤の日々の医療への貢献と比べて、あんたらのブコメがなんの屁の役に立ってるのか少しは考えてみてはいかがでしょう。
まぁ、日赤にとっても献血って儲かるんですけどね、それは別の話として。
200を現在必要ないのに採れば、血液の提供者にはそれだけ負担もかかるし、針を刺すことで指に麻痺などの障害が残るリスクがあり、また看護師含めスタッフの人件費、ディスポーザブルの器具のコスト等がかかります。だから断られます。
来てやったのに断られた!と憤慨する必要はないので、(今知ったかのように憤慨するということは今まで献血に興味も持たなかったのでしょうし)、何も知らないのに献血ルームのネガキャンをするのはやめなさい。
その前に、自分の無知を恥じろとは言いません、自分を一度振り返ることくらいはしてみてはいかがでしょう。
私は一介の献血好きですが、16歳になって意気揚々と200mlをやりにいったら18歳になってからと断られ、
今も血管の細さや貧血で毎度のように断られ、血管が細いため血液を「返す」ことが難しいので、成分献血はできず、うまくいっても400ml献血しかできません。
そんな献血好きの私が、「よいルーム、よいスタッフ」にあたるコツを最後に少しだけお教えしましょう。
これが大間違いです。いや、増田は悪くない、それどころか、呼びかけに応じて入ってくれて、とても良い人です。
その善意を活かすなら、今度は「大声で献血を募集している献血ルーム」または、「その日だけ来て血を集める献血カー」は、避けましょう。
どうせそこを避けていい献血ルームにいっても、困るのは患者ではなく当該のルームだけです。
県内で一括して集めるのだから、どうせなら、いい待遇で安心して献血しましょう。
「穏やかに協力者を募集している献血ルーム」または、「協力者を募集していない献血ルーム」へ行くのです。
新しく、きれいで、少し混んでるくらいのところがいいです。
そういったところでは、「献血できないのに来るな」などという扱いはほぼ受けません。
仮に検査値が満たなかったり、こわくなってやめたとしても、ビスケットやポカリスエットなんかを持たせて、にこやかに送り出してくれます。
献血カーなんかより広々、清潔で、お土産やサービスも豊富です。
看護師も腕のいい人が多いです。
一度でも嫌な思いをさせて献血離れを加速させる一部の献血ルームスタッフはもちろん良くないです。
しかし、一度嫌な思いをしたくらいで、避けるには献血は勿体ないですよ。
きれいな看護師さんに優しくされ、お医者さんに心配され、献血ルームのスタッフ全員に入った瞬間から出る瞬間まで感謝され、献血ルームによっては美味しいコーヒーが飲めたり新刊のマンガが読み放題だったり、献血自体もなんとなくデトックスになったりする。
帰りにお米とか歯磨き粉や洗剤がもらえる。
(私は何回かでけんけつちゃん×ハローキティ×横浜赤レンガ倉庫の謎コラボタオルをもらいました、あまりにシュールな品で、かつ何回か献血しなければもらえなかったので、その達成感もあいまって今も宝物です)
また、巡り巡ってどこかでそれが助けになってる難病の患者さんがいる。
私は針を刺されるのがとても苦手です。針を刺されるとき、刺さっている腕、絶対に見れません。
なので解剖学的構造を理解している、信頼できる看護師さんにされるのがいちばん安心します。
そういった看護師さんは、いくつかルームをまわらないとなかなか見つからないですが、それもまたルーレットのようで楽しいです。
いいルームでは、難しい血管は上手な看護師さんにすぐに代わってもらえます。
こわい旨は素直に伝えましょう。
そういったオプションではなく、本質として「血を抜かれる」ことも、昔は「瀉血」として治療法とされていました、今は医学的効果は否定されてます、ですがやはりスッキリするのでそれも私は好きです。
お帰りの際は立ちくらみにはくれぐれもご注意ください。
小綺麗でも、必ず安心できるいいルームとは限りません。それに関しては、いくつか回ってみることが必要です。
のやり方をもっとフィードバックする必要があるかもしれません。
でも、自分にとって行きつけの献血ルームができたら、数ヶ月おきにそういった「2~3時間の空き時間」をとても有意義に使うことができますよ!
正直、どんなにうまくいっても女性は年に2回しか全血の献血はできないので、男性や体格のいい方、健康な方や血管がクッキリ出ている方がとても羨ましいです。
おぉぉ…こんなかまってちゃんチラ裏エントリにブコメが。ありがたやありがたや
>育休が無理でも有給とって半日でも一人になる時間つくってあげ、あと半日はご自身が休むとかは…?
はーい。出産後の1か月上司命令で育休取りましたー。(帰ってきてから課内で死ぬ思いをしたがそれはまた別の話)
1日6時間しか寝ない新生児に殺されかけてたので思い出すのもつらい日々
どういう呪いか知らないが妻は一日のルーチンを変えられない呪いにかかっており、1日1回は買い物に行かないと死ぬ病にかかっているので、そういう中途半端に自分の家事を放棄できないあたりで首を絞めているところはある。
>子供預けて休めるだけでストレス減るけど、難しいよなあ>本人が「休めている」と思わない限り、夫の育児参加は育児参加にならない
前述のとおり「自分の一日のノルマを達成しないと納得できない呪い」が家族全体のスケジュールを拘束しているところはないわけでもない。
収納用品と本棚を検討していて、本当に欲しいものは、自分だけのゆったりとしたスペースだと気づき、
「地名+トランクルーム」で検索したところ、宅配便を利用した「宅配トランクルーム」に行き着いた。
オンラインストレージのリアル版として、類似のサービスは多く、これまで知らなかっただけで、盛り上がりつつあるようだ。
そのうちの一つを試すことに決め、専用ボックスを注文した。
「もう一度使う可能性」や「思い出」に執着し、捨てられないものを送って部屋を片付け、
決断がついたら、書籍・コミック・BDも同様に送るつもり。一度預けたら、もう二度と手元には戻さないだろう。
手元に残すべきものは、ほとんどない。スマートフォンとノートPC、マウスだけあればいい。
あっという間に2歳になり、もはや乳児ではなくなってしまった。
結婚式の案内や仕事の紙の資料・パンフレットなど、見返さないものも預ける。
仕事復帰後、余りにも忙しく、マイペースな夫にも呆れ、2人目など授かる見込みはない。
それでも、年齢的に可能性はゼロではない以上、捨てることはできない。
少子化を食い止めるための国家的な戦略として、ポイントでもいいので、
昨年12月、我が国(うちの家)では、人口増(ママ第2子出産)による政府(ママ)負担の増加による治安悪化が顕在化してきた。
旧宗主国(ママ実家)は、人道的支援を名目に派兵(おばあちゃん)を政府に打診(ママに電話)した。
しかし、以前に行われた派兵では、地域的な隔絶によってしばらく文化的交流が行われていなかったことから、原住民(第1子、2歳)との摩擦、エネルギー問題(慣れないキッチン)、廃棄物問題(ゴミの分別)等で政府と連携がとれない事態がしばしば認められた。
そのため、旧宗主国による援助は、原料(畑の食材)および経済的支援にのみに限定された。
12月末、原住民(第1子、2歳女児)に伝染病(風邪)が発覚すると、状況はさらに悪化した。
事態を重く見た政府(ママ)により非常事態宣言が発令され、軍(パパ)の国外(家の外)からの一時撤退(パパ年末の休暇)を機に、国民(家族)の生命に関わる炊事活動権限は行政(ママ)より軍(パパ)に移行。続いて伝染病を封じ込めるため、感染者の移動の禁止(寝室はママと新生児のみ入室)の命令が下された。
しかしながら、原住民(第1子、2歳女児、待ちに待った弟と関わりたくてしかたない)の度重なる命令無視(寝室への侵入)が認められたため、強制移住(リビングを区切りそこで生活)および軍(パパ)による監視(隔離した場所で子供用布団とパパは寝袋)を実施した。
軍(パパ)の疲弊は大きく(炊事大変、寝袋腰痛い)、原住民(第1子、2歳女児、キャンプみたいな状態が楽しい)の勢力を押さえ込むことができなくなっていた。
また、原住民(第1子、2歳女児、一人ではじっとしていられない)の移動禁止と監視が長引くにつれ食料不安がおきつつあったが、原住民の活動の低下(お昼寝)を見計らい、ゲリラ的に軍が輸送(パパが買い出し)を行った。
当初、国民全体で祝うはずであった新年の行事や外遊(パパママの実家へのあいさつなど)は中止となり、政府(ママ)の負担は減少したため次第に行政機能を取り戻し、原住民(第1子、2歳女児、やっぱりママとも遊びたいよね)への教育も次第に効果をもたらしたため、治安はほぼ維持される状態となった。
これをうけて、1月に入ると、軍(パパ)の国外駐留(年末年始休暇の終了)を機に非常事態宣言は解除され、我が国の治安は正常化した。
反省点
・行政能力(ママの体力)は人口増(出産)により想定以上に低下した。
・連携のとれない派兵(おばあちゃん)の撤退は問題を国内に留めた点で評価できる。国際問題化を未然に防いだ。
・軍の練度(炊事活動他)は常に維持する必要があることを認識した。
・原住民の管理の重要性(一番忙しいときに風邪をひく)を認識した。
・軍(パパの仕事)に余裕があったのは天佑であった(正月休みでなかったら・・・)。
評価点
・旧宗主国の援助を受けつつ、挙国一致で平常化に邁進できた。
・軍(パパ):権限を委譲され、政府機能が復帰するまで国民の安全確保に努めた。
・政府(ママ):一部権限を軍に委託することで、政府機能回復を最優先とするこができた。
育休中の母親。1年しかない育休が次年度切れるので、保育園0歳クラス申請中だけど、正直なところ落ちてほしい。
共働きの有無にかかわらず入園させたいと願うくらい保育園はいいところだと思う。保育園に預ける是非じゃなくて、一個人の気持ちとして復職したくないんです。という話。
旦那は共働きしないと生活できないって言ってるけど、産休前の仕事は心身ともに激務で戻りたくない。50人程度の事業所だが、毎年休職者が数名出ている。拘束時間は長いのに給料は安い。正社員になりたくて転職したんだけど、別職場の契約社員の時より年収が150万円下がった。じゃあ転職? 乳児がいて、こどもの病気やらで勤怠よくない女を雇ってくれるところなんてあるなら教えてほしい。
今、こどもがかわいくてかわいくてたまらない。正直妊娠がわかったときは戸惑いや不安が大きかったし、産まれたらとにかく昼夜ないほどお世話に明け暮れてかわいいと思う余裕もなかった。話しかけても新生児~数か月は反応もにぶくて、つらかった。そんなわが子も今やおすわりができ、好きなおもちゃで遊ぶ。子どもがハイハイするお尻を追いかける生活、すごく楽しい。おむつを替え、食べこぼしを拭き、ギャン泣きの子をだきしめる生活が幸せだ。もちろん大変なことだってあるけれど、育児がこんなに充実感を覚えて幸せなものだとは思わなかった。
旦那は「保育園落ちた日本死ね」の人を引き合いに「活躍したいのに活躍できない人だっているんだよ。幸い東京ではないし0歳4月入園なら保育園には入れそうなんだから復職して」って言ってる。ちなみに1歳以降の入園は空きがない。お金は大事だし、子どもにお金がかかることもわかっている。けれど、子どものごく短い成長期間を自分のそばで見ていたいのだ。
ああ育休が5年あればなあ。せめて3年。公務員になればよかったのかな。
①現状、20代、30代の人は、払い込んだ年金のうち6割ほどしか貰えません。
現在60代以上(2010年時点)の人は、払い込んだ年金の額の6倍ぐらいもらえるそうです。
ついでに言うと、日本全体の金融資産の6割は、60歳以上の人が保有しています。
貧乏な若者が、裕福な高齢者に貢ぐという構造になっているわけです。
②2015年における日本人の平均年齢は46歳(国立社会保障・人口問題研究所による推計)。
年齢の中央値(小さい順に並べたとき中央に位置する値)は日本は46.1歳(2014年推計)となります。
選挙権を有する年齢に絞って平均年齢を割り出すと更にあがり、約53歳となります。
ここまでの話しで何が言いたいかというと、
若者に対する負荷の高い社会構造になっているという状況にたいして、
現在の選挙の投票、システムでは若者はその現状を変えずらいということです。
そこで日本に物申したいのですが、、
18~20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代、90代の8つにセグメントを区切り、
それぞれのセグメントを12.5%の比重にし、投票の重みの配分を変えて頂けませんか?
70代、80代の方に日本の50~80年先を考えてとは言いません。
これくらいは生きるだろうという想定内で自分の利となる投票を行っていただいて構いません。
だけども、18~20代、30代の若者は50~80年先の未来に対して生きて責任があります。
なので、比重を設けることで、選挙での投票でセグメント毎に重みを変えて欲しいのです。
70代、80代の方と同じセグメントの重みが欲しいです。
今のシステムでは数の力によって高齢者にまったく歯が立ちません。
『津波をうまく利用して、我欲をうまく洗い流す必要がある。積年にたまった日本人の心の垢を。これはやっぱり天罰だと思う。』
こんな発言をしてしまうのってやっぱり年の功と言っていいのか、、年齢の性だと思うのです。。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
ザックリいえば、自分の作った物語に人格を当てはめるよう調整することだな。
その物語が破綻していないこと前提だが、それによって作られる登場人物は物語に忠実な言動になるからな。
例えば、子供置き去りのニュースがあったとして、「子供は親によって既に殺されていた」と考えるとかね。
「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」という言葉は有名だな。
だが、これをマリー・アントワネットが実際に言ったかというのは信憑性が低いというのが現代の通説だ。
では、なぜこれがマリー・アントワネットの言葉として浸透したかというと、「言いそう」だというバイアスがかかっているからだ。
つまり、バイアスがかかるとは、「言ったか」ではなく、「言いそう」であるか、ということだ。
例えば私が「世界一長い芝生を刈る仕事をしている」という噂を聞いたら、君は「やってそう」と思うだろう。
年上好きが年下好きに変わると解釈すれば、自ずと真理は見えてくるだろう。
つまり、「好みの対象」も大切だが、それよりも着目すべきなのは「自分がいま何歳か」ということだ。
……新生児が年下好きだったらどうなるんだろうか。
http://synodos.jp/fukkou/17814
あなたの思う福島はどんな福島ですか?――ニセ科学とデマの検証に向けて
ブコメと一緒に読んでみた
#反福島のデマをばらまいた奴らは万死に値すると改めて思った。
#情報が錯綜していた事故直後はいざしらず,ある程度落ち着いた#2011年5月頃を過ぎてもデタラメを吐き続けた人間が,反省もせずのうのうとしているのを見ると怒りを感じる
確かに読んでみれば分かるけど、
#たとえば、2011年7月に発売された週刊現代では「残酷すぎる結末 20年後のニッポン がん 奇形 奇病 知能低下」とのタイトルで特集を掲載し、低線量被曝によってガンや白血病の発症率増加、新生児の先天性異常率増加などの危険性があると主張しました。
みたいにまぁ、ひどいもんではある
でも、これって極端な例だと承知してもらいたい
反原発派の中には、ある意味放射能の恐怖に妄執的に囚われとる人もいるんだろう
実際に、放射線量的には問題ないなんて政府から発表されてるのも知っとるが、結局当時は防げずにメルトダウンまで引き起こして、今更不手際をちょぼちょぼ認めてるような狡い真似をするような連中の言うことを一から十まで聞いて安心しろと言われる方が無理な話だ
流石に電力会社も福島原発の惨状を受けて全く対策を取ってないとは思わない
でもな、
#http://www.asahi.com/sp/articles/ASJ807DWVJ80ULBJ017.html
初めて原発を爆発させた時に「想定外」なんて言葉を使った時点で、もう信用度はゼロなのよ
対策とってまた事故られても、彼らはまた、「想定外」って言葉を使うだろう
まあ、話題が逸れたが、最初に挙げた記事のブコメで、反原発派を宗教やら話が通じないやらと、反原発派を一般化して語る輩が居たからな愚痴らせてもらった
さて、過去に3回ウンコ漏らした増田です。2年ぶり4度目の登場です。お久しぶりです。
http://anond.hatelabo.jp/20111212011721
http://anond.hatelabo.jp/20111227010115
http://anond.hatelabo.jp/20140309231305
みなさんのはげましのおかげもあって、先日第二児が誕生しました。女の子です。
この夏生まれたところなのでまだ生後2週間くらいの新生児なのですね。沐浴という段階です。
それは退院してきて1週間、はじめてパパが沐浴担当になった夜のことでした。
せっかくの休日でしたので、夕食ににんにくが効いたステーキをたらふく食べた私は、少しビールを飲んだこともあり食後に30分ほど低血糖発作かな?というレベルで寝てしまいました。
妻に「○○ちゃん、おふろいれないのー?」と起こされて、もうろうとした意識のまま眠気覚ましも兼ねての沐浴開始です。
初めて娘をお風呂に入れる、パパも初体験、よーし頑張っちゃうぞー!と意気揚々先にシャワーを浴びて沐浴準備です。
ベビーバスにお湯を張り、準備万端!さぁ、娘よ、パパと一緒にお風呂にはいろう!
妻から娘を受け取り、しゃがみながらゆっくりとベビーバスにつからせる。
ソフトタッチでベビーシャンプーで洗ってあげる至福のひと時でした。
が!そいつは突然やってきた!
襲いかかる腹痛。おそらく私自身の肉体が、寝起きから目覚めたのか、たらふく食べた胃袋がしゃがんでいる体制でトコロテンのように抑圧されているのか、腸に圧力を感じる!
そして娘をベビーバスに入れながらしゃがんでいる体制はまさに“ウンコずわり”!
そう思うも両手は娘がベビーバスに落ちないように支えている体制。しかし襲い来る便意は俺を待ってくれない。
アッ!アッ!アッ!
娘を抱えながら前のめりに倒れそうになるも必死でこらえる。しかし無情にも出し続けているシャワーが前かがみになった俺の菊門をさながらウォシュレットのごとく刺激する、
オッ!オッ!オッ!
だめだ、このままでは爆発してしまう!
ストッパのCMよろしくゲリポーテーションできたとしても娘は一緒にテレポートはできない!いやそうじゃない。
立とう、いや立てない、新生児を濡らしたままとかできない、おいておく場所もない、シャワーを止めなくては!でも両手塞がってる詰んでる!
しゃがんだ体制のままなんとか肛門括約筋に力を入れようとするもソフトタッチで娘を抱えている状態ではパワーは半減。
もうどうしようもない!
しかたない、夫の威厳はなくなるが、「うんこもれそうですかわってください」と正直に言うしか無い!
ミチッ
あ、なんかポケモンGOのディグダよろしくちょっと穴からなんか茶色いの顔出してる?
叫んだから?腹圧かかったから?括約筋締め切れてなかったから?
妻「どうしたの!?なんかあっ 『なんでもないなんでもない開けなくていいよ大丈夫今綺麗に洗ってあげてるから!!!!!!ァァァァ!』
しかし叫べば叫ぶほどそのはずみで少し顔を出したヤツがちぎれてこぼれ落ちる!
ポロッ!ミチッ!プピッ!ピュッ!
ピュブブリリr
アアアアアこれはまずい!娘のベビーバスについたら大腸菌汚染とはピロリ菌とかなんかいろいろまずそう!とっとと排水口に流さななくては!
と、なんとかしゃがんだ体制のまま娘を片手てベビーバスに浮かせ、シャワーの水圧を上げてシャワーを手に取りヤツを娘の領域に掛からないように排水口へ。
しかししゃがんでいる体制は変わらないので菊門は全開状態、止められない!
下痢便混じりの茶色い液体が少しづつ漏れだす、もうダメだ、どこまで出るんだ、どれくらい出るんだ、いつまで出るんだ、どうなってるんだ、どうしたらいいんだ、娘にウンコついたらさすがに離婚されるか、どうしよう!
という想いが0.5秒サイクルで頭を駆け巡りながらもシャワーで排水口に追いやる。
妻「シャワー出しっぱなしもったいないから止めて洗いなさいよ!」
とドアの前から怒鳴られるも、なんとか便意が抑えられ、括約筋による栓ができるところまで持っていく。
ガラッ!全力でドアを開ける俺。ドアの前にいた妻に娘をバスタオルでくるんで渡し、
と叫んで俺はずぶ濡れのまま「サイテー!」という妻の声を尻目にトイレにダッシュ!
違うんだ、漏れるんじゃないんだ、漏らしたんだ、ごめんよ妻よ、また墓まで持っていく秘密が一つ増えたよ。
女の子なので将来的に「パパくさーい!きもーい!」と言われること確定ですが、
現時点でだいぶクサいパパであることにお前は気づいていないのだよ。
金澤 翔子(かなざわ しょうこ、1985年6月12日 - )は、東京都目黒区生まれの書家。母も同じく書家の金澤泰子。
母・泰子が高齢出産にあたる42歳で翔子を出産。新生児期に敗血症にかかり、後にダウン症と診断される。
当初はその事実を知った泰子は我が子と共に死のうとも考えたが、夫の熱心な想いと遅咲きながらも少しずつ育っていく子の姿を
見て思いとどまったという。金澤の書道は母の師事によるものから現在の作風に至っている。
講演会や個展、席上揮毫などに金澤が出席する際には必ず泰子が同席している。
271文字の般若心経を練習し、字を見て父親が誉めてくれた。趣味は、カラオケとプール。カラオケはモーニング娘。を歌うことが
好きで、俳優の小池徹平の大ファンでもある。好きな文字は「夢」。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%BE%A4%E7%BF%94%E5%AD%90
子供に対しての「かわいい」はアイドルとか、ぬいぐるみに対しての「かわいい」とは違うよ。
子供に対してのかわいいは自分に依存してくるところから生まれる感情。
ペットなんかは、前者の「かわいい」から飼い始めて、後者の「かわいい」にだんだん変化してくる。
実際、自分も子育てのときはかわいいなと思った写真をあとからみたら、ただの猿だったし。
それだけでも、父親は出産のスタート時点から、すでに何ヶ月も遅れてる。
これからも、子育てに参加しないなら、娘のことをかわいいと思った頃には、娘からはすぐに嫌われると思う。
頼りがいのないおじさんがかわいいと寄ってきても、娘からしたら気持ち悪いだけだからだ。
1日、1日と生理が来ない日を重ねて気分は重くなっていった。
観念してついに検査薬で陽性が出た時、やっぱり喜べない自分に泣きたくなった。
契約社員ながらも色んな人と関わりあって、大した仕事ではないけれど頼りにしてもらって、
カツカツだけど自活して自由に過ごしていた独身時代のことがどうしても懐かしい。
それでも、母親業も馴染んできた。
三ヶ月頃までは愛猫の方が可愛いと思っていたけれど、今では我が子は愛らしいと思う。
子どもを持つ喜びも実感するようになった。
良いお父さんをしてくれていると思う。
一歳を過ぎてやっと少し自由が得られるようになったのに。
また悪阻の辛い日々が来る。
悪阻を過ぎても、身体が重くなるにつれ、地味なしんどさが増していく。
出産の大変さは言うまでもなく。
睡眠不足の日々がやって来て、きっと産まれたばかりの赤ちゃんに、私は愛情を持てない。
新生児に外の刺激を与えたくないとの夫の希望で、外に出ることを許されず家の中だけで過ごす数ヶ月。
はじめに、このブログは、産まれたお子さんが心臓病と診断された親御さんに向けて書いている。同じような経験を知りたくて、少しでも安心材料がほしくて検索を繰り返したが、あまり見つからなかった。なので、自分の経験が少しでも、誰かの参考や支えになるといいと思う。
「大動脈狭窄」といって、文字通り大動脈が狭い。そのため血液を送るたびに血管と心臓に圧がかかり、酷いと手術が必要になる。
産まれたあとにわかったもので、最初は産まれた病院で様子を見ていたのだが、詳しく調べたほうがいいと循環器専門の病院を紹介されることになった。大きい病院で、日本でも有名な医師がいる病院だった。
七ヶ月になったある日、そこで受けたカテーテル検査で、検査の最中に心停止を起こした。
結果から言うと、今のところ術後の経過は良好で、子供は元気に育っている。もうすぐ二歳になる。
発達は少し遅いが、好奇心旺盛で、乗り物が大好き。よく笑い、よく食べ、自分なりに一生懸命しゃべっている。最近はイヤイヤ期なのか、自己主張も激しくなってきた。
話を戻そう。心停止を起こした数日後に血管の緊急手術、肺の状態が落ち着かずさらに数日間、胸を開いた状態で集中治療室(ICU)に入っていた。狭くなった血管と、弁の形成が手術内容だった。その間、人工心肺と輸血で命をつないだ。執刀してくださった医師、輸血をしてくださった全国の皆さんには、感謝してもしきれない。この場で心から御礼申し上げる。
集中治療室を出てからは、小児集中治療室(PICU)にうつった。人工呼吸と麻酔で眠る日が続いたが、徐々に麻酔を減らし、意識が戻った。うっすらと目を開けて、か細い声をあげる子を見て、涙が出た。生きている。生きるために、がんばって生きている。
幸い、術前に説明されていた感染症などはまったくなかった。人工呼吸から酸素管理にきりかえ、すぐにPICUを出たあと、一般病棟にうつる。そこからは一週間の入院で、早かった。
検査だけのはずだった入院から、ひと月ほどたっていた。退院後は在宅の呼吸管理も必要なく、入浴や生活の制限もなかった。
ただ、寝ていた日が長かったせいか、完全にすわっていた首は新生児のようにぐにゃぐにゃになっていた。それもひと月ほどで元に戻ったが、毎日注意して過ごした。
大きな手術を乗り越えて、麻酔で眠っていた時間も長かったので、発達や今後の病状に不安があるのは今でも変わらない。それでも、生きているだけで奇跡のようなものだと思っている。
長くなったが、親御さんには、たとえカテーテル検査であっても病院と医師選びをしっかりなさってほしい。うちの子は検査中に心停止を起こしたから助かったのだ。紹介してもらった病院も大きい病院で、運がよかったのだ。
一人でも多くの子が、病に負けずに元気になるように。一人でも多くの親御さんが、お子さんと穏やかな日を過ごせるように。それを願って毎日、子供と過ごしている。