はてなキーワード: 入院とは
部屋のドアは施設によるのかな?
病院もまたいったん入院したら、偉そうな医師が退院を認めなきゃ退院できなかったり
うまく喋れない人が入れば認知症扱いで劇薬盛られるか常用薬を止められる
善意なんてないしな
まあ入りたくないのは分かるわ
ロサーッス
本日はマフィアの日、日本においては信長の野望の日、国立競技場落成記念日です。
マフィアといえば反社ですね、反社チェックと言われましても現場の人間の何人が本当に人殺めてないのかはわかんなかったりします。
流石に割合は極端に少ないだろうし、あってもちょっと怪我させちゃった入院させちゃったとかでしょうけど、それでも十分怖いですね。
ですがまぁ、あまりにハズレ過ぎていると最初の段階からハズれていくのでそういう意味でも割合は少なくなっていくんだと思われます、多分。
隠れるの上手い人も居ますけどね、戻ってきてもダメだった人は入って出て入って出ての繰り返しですし。
気合い一つで騙し騙し始められるのが現場仕事だったりしますが、それでもやっぱり“やることちゃんとやってる”からこそ仕事を続けさせてもらえたりするのかも、しれません。
ということで本日は【やることの確認よいか】でいきたいと思います。
まーた兵庫か
ええかげんにせえよホンマ
おなじ関西人として恥ずかしいんだが。
一度大掛かりな厄落とし?みたいな行事やれよ
松明で山を焼くとか、神事で30日祈るとかさあ
2013年、神戸市にある北須磨訪問看護・リハビリセンター。患者宅での訪問看護を終えて事業所に戻ってきた30代の女性看護師は、いつもと明らかに様子が違っていた。酒に酔ったような足取りで室内を歩き回り、上機嫌で職員に話しかける。ふざけているのだろうと初めは笑って見ていた所長の藤田愛さん(57)だったが、かみ合わない会話に「クスリをやられた」と直感した。
在宅医療を担う医療従事者が、訪問先の患者らから暴力やハラスメントを受けている。その被害は深刻だ。2022年1月には、医師が埼玉県ふじみ野市にある住宅に呼び出され、担当していた高齢女性の息子に散弾銃で撃たれて死亡している。医療従事者の安全をどう守るべきか。長年、この問題に取り組んできた所長の藤田さんに、現状と課題を聞いた。(共同通信=櫛部紗永)
様子がおかしくなった女性看護師は、その患者宅を半年前から訪問していた。実は、訪問を始めてからの半年間にも体調の異変はあった。藤田さんは他の職員から「看護師の様子がおかしい」と連絡を受けていた。看護師に確認すると、返答は「風邪気味だから大丈夫です」。口調も明るい。休養するよう伝えたが、それ以上のリスクを予測できなかった。担当の変更などはせず、この日も看護師をそのまま送り出していた。
看護師に後で確認したところ、訪問先で夫婦の家族だという男性からお茶を出され、飲んだという。規定では訪問先で出された飲食物を口にしてはいけないとなっている。看護師もいったんは断ったものの、温め直しをされ、何度も勧められていた。季節は冬。「相手を傷つけてしまうかもしれない」。せっかくの厚意をむげにできなかったという。
戻ってきた看護師は、意識障害を起こして緊急入院となった。点滴を打ったが、目を覚ましては起き上がろうとしたり、幻覚のせいか手を振り回して暴れたりした。「休んでいて」と落ち着かせたが、「所長すみません」とろれつが回らないまま、うわごとのように繰り返した。
センターに対する説明では、この住宅は訪問介護を利用する妻と、夫の2人暮らしのはず。お茶を勧めた男性が同居していることは知らされていなかった。初回訪問時も姿は確認できていない。警察に通報したが、治療の後だったため証拠が足りず立件には至らなかった。この男性が違法薬物を取り扱ったとする罪で執行猶予中だったことを警察から聞いたのは、ずいぶん後のことだ。
都内の話。私が住む築50年のマンションの向かいの部屋に93歳のおばあちゃんが住んでいる。小学校の先生で、生涯独身。頑固でプライドが高く孤高の人だった。私は彼女には子供のころからかわいがってもらったのだが、他の近隣住民には気を許さず、いわゆる嫌われ者だ。近所では「先生」と呼ばれている。
先生はプライドが高く、下町の住人を下に見ている。教養と生活レベルが違うのだろう。そんな態度で何十年もこの地域で暮らしてきた。おのれの金と生活力で生きていけるうちはさしたる問題はなかった。近隣と騒音やなんかでもめるくらいのものだった。しかし昨年くらいから、足腰も弱くなり、自力で生活するのは難しくなってきた。そうなると先生は知り合いや近所の者に片っ端から電話をかけ、おまえは年寄りの面倒を見るべきだと呼び出し、買い物やらなんやらをいいつけ小遣いを渡していたのだが、そんな生活が成り立つわけはなく、高齢者の公的介護を利用することになった。ケアマネを見つけ、ヘルパーが派遣されることになった。先生にとってヘルパーというのは下賤の者らしく、接する態度は酷いものだったようで、次々に事業者に断られ、もう区内には先生の相手をする事業者はいなくなった。そんな先生を受け入れたのは隣の区の良心的な零細事業者のケアマネだった。ケアマネは献身的に寄り添い、ヘルパーを手配し、なんとか先生の生活を成り立たせていた。
そんな折、今年に入り、先生は蜂窩織炎だか脊柱管狭窄症だかが悪くなって、入院することになった。リンパのガンを乗り越えた先生にとっては大した病気ではないのだが、立てないのはこたえた。先生は東大病院しか信じておらず、ずっとかかりつけにしていたのだが、東大病院が入院を受け付けない(過去にさんざんもめていた)ので、しぶしぶ紹介された関係の病院に入院することになった。二か月ほど入院していた。入院中弱気になった先生はケアマネの勧めに従い、有料の施設に入所をする決心をし、退院した足で施設に向かった。
しかし先生の態度は施設に着いた途端に急変した。医者とケアマネが画策して非人道的な機関に監禁されるのだと激高した。先生は耄碌はしているものの、認知症ではない。入院中から心に貯めていたせん妄が爆発したようだ。まだ正式に契約していない施設側はなすすべがなく、帰宅することに。施設は良心的にも先生の自宅まで自社の車で送ってくれたらしい。とにかく先生は立てない状態で私の家の向かいに帰ってきた。
先生は知人や近隣住民に電話をかけて呼び出そうとするが、もう先生の相手をするものはあまり残っていない。なにしろ善意で世話をしにきたマンションの管理人を怒鳴りつけるような人だ。しかたなく先生は私に電話をしてきた。先生は私の幼少を知っており、なにか強い思い入れがあるらしく、私だけは気を許せる優しい人間だと思い込んでいる。私の両親が学者だったことも大きな要素のようで、しがない零細障害者福祉事業を営む私をなにか福祉の世界の大きな存在だと思い込んでいるようなことを言う。いままでもたまに私も家にいて呼ばれれば徒歩2メートルの向かいの部屋にいき、水を汲んで出したり何か買い物をしたり、おむつを替えるくらいのことは職業柄たやすいことなので、助けを求められたら応じていた。先生は私にはとてもしおらしい態度で接する。申し訳ないと思うと1万円だか3万円だか買ってきたおにぎりだかおせんべいだかを渡してくる。気が済むならと私も受け取る。だが、今は施設を断った先生にはヘルパーもおらず、私も仕事があるので行ける時間は限られており先生の全生活を支えるのは無理だし、そんな気は毛頭ない。どうしたものかと思っていると、先生のケアマネと話す機会を得た。
ケアマネが言うには、先生のヘルパーの使い方はめちゃくちゃで、自社のヘルパーは全員泣かされてもう使い物にならず、無理を言って大手に派遣を頼んでいたがそこも苦戦し、入院、施設行きが決定した折にすべて白紙になってしまったらしい。地域の同業に悪名が轟いている先生に今からヘルパーをそろえるのはかなり難しいらしい。しかし先生をひとりで置いておくわけにはいかないので、疎遠になっている姪に施設入所の契約書にサインをもらい、半ば強制的に連行ししばらくは拘束することが先生の安全を考えても最良と判断している、とのことだった。話を聞くと施設もそれほど悪辣でない大手で、その言い分には同意できるところもあった。姪は医者で週に一度しか休みがなく、契約書にサインはしても先生との直接の対話は絶対に拒否するという姿勢らしい。ちなみに保証人になるわけではなく、保証会社が間に入るそうだ。
退院直後はせん妄でケアマネが病院とグルになって私を牢屋のようなところに引き渡したと言っていた先生も、すこし落ち着き、また一人で暮らす不便さに弱り、今日の面談ではしおらしくなっていたが、だからといって施設に行く気はまだない。ケアマネにヘルパーの手配を懇願していた。立ち会った私は先生のためにも一時的に施設に行った方がいいのではと進言したが、人の言うことを聞く人ではない。先生の家を出たあと、ケアマネと、もうすこし弱気になるのを待とうということになった。
私が気がかりだったのは、せん妄はあっても認知症ということではない当事者を、疎遠な家族のサインだけで強制的に高齢者施設に連れて行き拘束して薬で大人しくさせるという方法は法的に問題があるはずだが、そういうケースはあるものなのかということだ。ケアマネに尋ねると、あまりないと。確かに法的には問題があるし、先生は恨みを忘れる人ではないし、弁護士を使う人脈や資力もあるのでリスクがあることを認識していた。それでもそれが本人のためと考えたとのこと。そして法的にも問題ない方法は、訪問の医師を一度入れて、精神科に繋げ、医療保護入院という形でまずは精神科に収容することだということも理解していた。それを聞いてすこし安心した。
でも誰も読んでない
ヒルティは敬虔なキリスト教信者なので、幸福論の下地にキリスト教がある
1冊目はキリスト教の話を(多分あえて)ほとんど収録してないから、万人受けする
でも2、3冊目はそうはいかない。キリスト教全開だから、みんな読まなくなる
でも俺は読んでしまった。1冊目がよかったから、ヒルティの思想をもっと知りたくなったのだ
印象に残ってるのは「人は死んだらどうなるか」という話
「死んだら何らかの形で次の人生が続くと考えた方がいいだろう。もし死んで何もなかったとしても、次の人生がある前提で生きる方が楽しく生きられるから、それでもいいのだ」
こんな内容のことを言っていた
俺が後悔している
死んだら終わりという前提で生きておくべきだったと
俺は、もし死んでも次の人生があるんだからと、適当に好きなように生きてきた
そしたら低賃金の仕事しかできなくなって、彼女もいないし友達もいない
「眠られぬ夜のために」を365日×2冊分読み、大事なところをラインまで引いてたが、それも捨てた
つもりだった
「人生一度きり」という思想より「来世がある」という思想にすぐに甘えてしまう
誰が洗脳したわけではなく、自分が自分に洗脳していたのに、すぐには消えないようだ
悔しい
と思う
信じた俺が悪かった
信じ方を間違ったのかもしれない
悔しい
ヤケになるのではなく、ちゃんとこの人生を生きてやろうと思った
とりあえずそこを目標にしたい
姥を捨てること自体は責めないって二行目で言ってるだろ。三行以上が辛くても二行は読んでよ~
「入院する本人のQOLが上がる」は間違いなく嘘で欺瞞だろ。そういう場合もあるだけで、本人に聞かんことには藪の中だろ。
ウジウジ悩んで潰れかけてる家族を救うためにそういう嘘を使うことは良いんだって。家族に迷惑かけてんだからひとまず本人のQOLはガン無視でいいんだよ。
本人に「入院したいですか?」「入院して良かったですか?」「QOLが下がったらしいんで家にもどしますね」なんて藪をつつく必要はない。
徹頭徹尾、我々家族のために入院させるんだ、って認識で良くて、それを忘れなければ悪いと思う必要はない。
でも良い悪いは価値判断でどう捉えても良いけど、「本人のために」は方便で嘘だ。
福祉相談職であるところのあなたが、困っている家族との関係の中でそういう方便を使うのはわかるよ。圧倒的に正しいよ。
でも福祉のプロならなおさら、「本人のQOLも上がる」は家族を崩壊から救うための欺瞞だってことも認識しといてくれよ。あなたも自分の心を守るための自己洗脳に陥ってるよ。
それを欺瞞だと認識できてはじめて、家族の平穏を守った後の、迷惑をかける本人の幸福をも考えることができるはずだ。
とにかく「その人のため」ではないことを「その人のため」と言ってするな。って言ってるの。
無事子どもが生まれてまもなく3歳になるので。長かった妊活記録の概要。
いつだったか、ノリで子ども産むなって増田があったけど、ノリで産まないためにした行動の記録でもあるので。
ただこの妊活記録には体外受精もうんたら検査とかも出てこない。
結婚して1年ほど経過して夫婦で子どもを持つか、持つならいつ頃かという話をした。
妻側から、仕事を辞める気はない、今のペースで続ける、そもそも育児に向いてる人間じゃないからワンオペするくらいなら子どもはいらない。と言われた。
妻としても子どもに興味がないわけではないがどうしてもってほどじゃない。
その上、ワンオペしろとか家事育児分業できない状況になったら絶対虐待親になるから無理。とのことだった。
まぁはっきりと悪阻もない、陣痛もないくせに育休も取れませんでしたはねえよな?と恫喝された。
僕としては子どもが欲しいが妊娠出産は最悪生死に関わるので、そんなことを妻に無理強いはできない。
妊娠出産以外のことはすべて男でもできることしかないので育休取得をするしかない。
だが妻の会社は男性が8~9割の会社で妊娠しただけで退職に追い込まれる可能性があったのでそちらから確認。
結果、妻の会社はほぼ男性しかいないせいで育休制度を誰も取得してくれないのでぜひ取得して欲しいと言われた。
保育園に入れたあとでもいろんな事情の家庭があるから無条件で3歳までは育休が可能な上、中学卒業まで時短もできるという自由度。
数少ない女性社員(後に出世し妻の上司となる)が提案して制度を作っていたらしい。
これ聞いて「自分も子どもがいるからなんだろうね~」って言ったらこの女性は独身子なしで自分は子どもを生みたくない育てたくないと言っているらしく、自分の無意識のバイアスを認識することとなった。
妻の会社が予想外に高待遇だったが、僕の会社がもうだめだった。
男性の育休取得歴は3日間のみ。あとは女性だけ。女性の正社員の年単位の育休は認められるのに男になると認められない。
上司にそれとなく聞いてみたが「俺は取らせてやりたいんだけど他の部署でも(男性社員に)取らせてないのに」とか、上司の上司の顔色を伺ったり政治的要素が急に絡みだす。
自分のいた部署の場合、僕が育休を取ると上司が僕の仕事をやることになることが予想されたのでそれが嫌だったのかもしれないが。
別部署で3日間の育休取得していた男性に話を聞いたらその人は互いの両親が車で30分以内に住んでいるため自分は3日間取得し、あとは義両親にサポートを丸投げだったらしい。
彼が言うには彼の上司はかなり理解があり、むしろ1ヶ月とか取らなくて良いの?みたいな感じだったと聞いた僕は年単位での取得も可能なのではと感じて異動願いを出した。
今までとくに出したことのなかった異動願いを出したことで再度上司と面談。
洗いざらい話した後、異動願いを出していた部署の上司とも面談。しかし、異動願いを出した先の部署の上司も「1ヶ月くらいならって思うけど年単位で取るつもりなの?」と言われ撃沈。
ただ攻略は可能かもしれないし、何事も経験だし、というかもう異動願い書いてしまったし、ということでその年の春、異動。
異動先の上司を攻略できなかった場合、妻にワンオペを強いることになってしまう…。
そこまでして子どもをつくるか?ということをかなり話し合ったけどね。
子ども云々抜きにしても当時の会社だと僕や妻、両親になにかあっても柔軟な働き方は無理だと思ったのでいずれにしても転職は安心して生活するために必要だろうと結論を出した。
たかが育休でこんだけ荒波立つ会社おかしいだろって妻にも言われた。今になるとほんとにそうだなと思う。
育休が確実に取得でき、その実績もあり、年収が下がらない会社を探さなくてはならなかった。
エージェントを利用して転職活動をしながら、年単位での育休取得を誰でも利用できたほうが良いのではないか~という話を当時の上司にしたが
引き継ぎが~とか俺は良いと思うんだけど〜とかなんか色々言われた。きっぱりとここで転職の決意を固めた。
エージェントには育休が絶対に絶対に取れることと、子どもがいる人もそうでない人も働きやすい会社というのを念には念を入れて伝えていた。
仮に子どもができなくても子持ちが働きやすければ子なしも働きやすいだろうという考えもあった。
比較的通いやすい距離にあり、男性の育休取得歴があり、役員も取得している会社で、まだ子どもはいないけど今後のこと考えてどんな状態でも安心して働ける会社で働きたいと伝えたら
面接してくれた人事の人が「そう言ってもらいたくて制度を充実させてるのでぜひ使って欲しいです~」って言ってもらえた。
育休とかの制度は基本入社1年以上の人しか使えない(労使協定とかで決めてたりする)ので妻とも相談して1年経ってすぐ取得するのも申し訳ないので、2年は働こうとなった。
今の職場の上司には転職の理由も今後の家族計画についても話していて理解をもらえて、別に入社1年経ってたらいつでも使って良いんだよと言ってもらった。
同性パートナーシップ制度みたいなのも作ってて申請すると異性婚夫婦と同じようにお祝い金が出たり諸制度が使えたりするので、別の部署にはなるが同性パートナーがいる社員もいて、
いろんな立場や境遇の人がいるんだと、当たり前のことなんだけど、改めて考えるきっかけとなった。
その手の研修もかなり力を入れてて、自分の子どもがマイノリティだったら、とか同僚の子がマイノリティの可能性もあるんだよなとか考えるきっかけとなったし、
悪阻はそこまでひどくなかったようだが切迫早産気味で入院したりとバタバタしたが健康な子どもが生まれた。
分割して育休が取れるので、妻と交互に取ることにした。
義両親のサポートを得ながら僕も最初の半年間育休を取得した後一旦復帰、子どもが1歳の頃に2度めの育休を取得して妻が職場復帰。
専業主夫状態で義両親とたまに両親のサポートを得てワンオペというのも経験したりして、最初の会社のときに子ども産んでたら絶対妻も僕も崩壊してたなと思った。
保育園の送り迎えは通勤経路上ということもあり僕がしているし、熱を出したりしたときの緊急連絡先も基本は僕。
それでも仕事ができている。
正直言うと転職で少しだけ僕の年収は下がった。今後上がる可能性は割りとあるけど。
それでも夫婦ともに満足してる。
ワンオペになったら虐待親になると言っていた妻もそんな様子はない。もちろん夜泣きとかストレスたまったりするしイライラすることもあるけど、それは僕も一緒なので分かち合うストレスでもあったりする。
生まれる前に沢山話し合ったことで、互いの不安をさらけ出せたのでやばくなる前にお互いにフォローしあえたのもあると思う。
子どもは急に湧いて出てくるわけではないので準備は大切。
最初は産んでもらうからにはこっちも何かしないとな、みたいなギブアンドテイクな考えでの行動だったけど、妊活?を通して夫婦ふたりで子どもの人生をスタートさせるんだ、という覚悟を持つ機会にもなった。
判断力が落ちた人間を洗脳したり騙して自分の意志で安楽死させるような悪用できるのが最大の問題やね。
死人に口なしで完全犯罪になりかねないし、死刑と同じで間違いだったとしても取り返しが付かない。
半年から一年、医療機関に入院させて判断力と自己の意思があり、後悔もしないかどうか複数の専門家にチェックさせて、それから安楽死ならある程度は防げるかもしれんが
https://anond.hatelabo.jp/20230327125047
つい先日のこと、なんやかんやあって自分の人生の幕引きをできる手段がそろってしまった。
それでも今自分が生きているのはあえて残している奨学金のおかげだ。
母子家庭で大学に行ける金なんてなかった、そこで申し込んだ奨学金。
成績は悪くないほうだったけど最終的に借りられたのは要返済の利息がないタイプ、なおかつ月々の振込額はこちら側で決められる。
ボーナスが入ったときは多めに入れるし、金がないときは5000円くらい入れてた。
そうやってちまちま返済していたらいつの間にか完済間近となっていた。
普通ならばそこで喜ぶべきなんだろうけど、自分はいつの間にか奨学金を返済することを目的としてこの10年間生きてきたらしい。
奨学金を返済したら何のために働けばいいんだろう。
家族構成は、母親、祖母、妹(子持ち)で親戚の付き合いなんてほとんどない。
実家は数年前に新築(とある事情でローンは組まずほぼ一括で建てた、かなり私が頑張った)
祖母は後期高齢者でいろいろ弱ってきているけど、母が福祉のプロなのでどうとでもなる。
自分といえば10年間恋人もいないし、子供は大嫌いだし、結婚なんて絶対にしたくない。
30にして自分の人生タスクをほぼすべてこなしてしまった感がある。
そしてつい先日、自分の人生をサッと幕引きできる舞台装置がそろってしまった。
確実に、誰も傷つけず、他人の迷惑にもならず、地方の新聞の片隅に載る程度だろう。
ホッテントリに載ってる「介護家族を簡単に退院できない精神病院入院にまで持ってく方法」を読んだらいろいろ考えてしまった。
歳をとって痴呆で家族に疎まれる可能性以外にも、明日、車にひかれて植物状態になる可能性だってある。
そんなの絶対に嫌だ。
地域包括で働いてますがこういう相談めちゃめちゃきます。おっしゃってるように70代ってそう言う世代なのかも。経験上なんですが、アルコール性認知症(若い頃から飲み過ぎで脳の一部が破壊されてる)ぽいなと思います。ご家族は苦労されたことでしょう。一度精神科へ入院させて服薬や作業療法で落ち着くかみてみるのがいいと思います。ただこれもめちゃめちゃある話なんですが、配偶者や家族が精神科だけは嫌ってなって受診頓挫する→もっと症状悪くなる、果ては犯罪、結局入院というケースも多いです。心を鬼にして精神科へ相談するのがおすすめです。現代の精神科は昔のイメージとは違って良いとこですよ。口コミも参考にしてみてください。方法としてはまず総合病院の相談員へ相談→精神科へ紹介状がよいかと。あとあまり知られてないですが、精神科には医療保護入院といって精神科医と家族同意のみで入院できるシステムがあります。なので本人が治療拒否してても入院できます👌あとは、こう言う時混乱されると思いますが、「誰が何に困っててどうしたいか」をまとめておくと整理できます。父は→なんも困ってない。病識ない、治療したくない 母は→暴力に困ってる?治したい?精神科は嫌? 増田は→…みたいに。お大事にしてください。
自分の田舎には「駐在所」という警察官が家族で住み込みで働いている交番みたいのがある。
そこに勤める警察官は近所の人から大体「駐在さん」と呼ばれている。
当時そこにいた30代前半の若い駐在さんとその奥さんに助けられた。
当時80の父親。昔から頭おかしいかったが歳をとるにつれて妄想、引きこもり、暴言が増えていった。
ただ身体はしっかりしていた。
近所の人とトラブルを起こすようになってきた(100パーこっちが悪い)
一緒に暮らしている母親は元気で世話焼きだった。昔からなんかある度に頭を下げに行っていたらしい。
私は結婚して県外に嫁いで、たまに母に子供を見せに帰っていた。
父と揉み合いになって転んでおったらしい。
ただ母は誰にも言うな、お父さんのことは私がどうかするからと言っていたが、今後のことを考えると不安で吐きそうだった。
私は妊娠後期で産休に入っていた。上の子供は小さい、夫も私も仕事を変えてまで介護に帰るのは現実的ではなかった。
なんというか「感じが良い」という表現がぴったりの人だった。
するとそれはやばいですね、夫に話していいですか?と言ってくれたので是非とお願いした。
そこから早かった。
駐在さんが家に来た。母と話して何かあったらすぐ連絡すると言うことになった。
その後私は自分の家に帰り出産し、生後半年にまた実家に帰った。
母から駐在さんは定期的に様子を聴きに来てくれていると聞いた。
駐在所に遊びに行ったら奥さんが子供と出てきて、前のように遊んでくれた。
暴れたので駐在さんに来てもらった、駐在さんの方で行政とやりとりして措置入院することになったと言うことだった。
前に相談したのが効いたのか、駐在さんが仕事ができる人だったのか、多分両方であっという間だった。
実家に帰った時にお礼を言いに行ったら駐在さんと奥さんと子供たちが出てきてコーヒーを淹れてくれた。
母は父が家にいる頃より明るくなった。
私も夫も住む場所、職を替えずに済んだ。
次に駐在さんに会いに行くと、転勤があったらしくもう他の人に代わっていた。
本当にお世話になりました。
精神科の入院は5種類あって任意入院、医療保護入院、措置入院、緊急措置入院、応急入院がその5つ。
医療保護入院→精神保健指定医の診察の結果、精神の病気のために入院する必要があると判断されて、かつ家族の同意がある時の入院
措置入院→自傷あるいは他害のおそれがあると精神保健指定医2人の診察で判断した時の入院。通報などの手順が明確に規定されている。
病院側も体制(精神保健指定医の手があいているかとか)とか空き病床とか都合があるので、その日に入院できるとは限らないので事前相談がある方がありがたい。本人が嫌がる場合だと最初の受診がラストチャンスになりかねないので初回の受診は非常に重要。暴れる可能性がある場合は精神科単科病院(精神科がメインの病院のこと)だと屈強な看護師を待機させておくなど体制を整えてくれる場合もある。ただ、病院側としては診察していない患者さんを相談の段階で「入院できます」とは安請け合いできないので入院について相談員さんの歯切れが悪い場合もあることはご了承を。
暴力や暴言などの状況と何が困っているか、精神症状(妄想、不潔行為(=壁にうんこ塗ったりとか)などがあるか)、物忘れの状況、内科なども含めた既往歴・入院歴、コロナの時代なので風邪症状があるかとワクチン接種歴、内服薬、飲酒歴などは必須。症状はいつから、どのような症状がどれぐらいの頻度であるかなども必要。紙に書いてあると非常にありがたい。ただ、時々あるがA4の用紙で10枚とかを渡されても時間が無限にあるわけではないので読まれない可能性があるためできればA4用紙1~2枚までにしていただきたい(個人的に思っている基準なので精神科医によって個人差があるかも)。
非常に困難なことが多い。ある程度、本人が理解できるようなレベルであれば「眠れないこと」「気力がないこと」などをフックにすることができると良いが、病院サイドとしては自宅まで連れにいくことはできないので、ここは家族に頑張ってもらうしかない。
抗認知症薬(メマンチンなど)と抗精神病薬(選択肢は多岐にわたるが…)である程度大人しくなったり、怒りっぽさが抜けることが多い。認知症は不可逆な病気なので、うまくいかないこともあるし、治療の過程で拘束や隔離などの手段をとることはある。大人しくなった場合は病院側としては退院できればベストだが、長期入院になる場合もあるし、介護施設に転院するパターンもある。認知症ではない場合(せん妄、水頭症など)は完全に病前の状態まで戻る可能性もなくはない。
家族を精神科にかからせることについて抵抗がある場合があるが、個人的には家族にもそれぞれ人生があり共倒れになることは避けるべきだと思うので家族自身の人生も考えてベターな選択肢を考えたほうが良いと思っている。
入院を想定するのであれば検査なども含めて1日あけてくることが望ましい。たまにおられるが「昼から仕事だから早くしろ!」とか言われても困る。
痴呆の父本人が嫌がっても強制的に入院させた、という増田にこんなブコメがついてる。
痴呆がすすんでも生きながらえさせなきゃダメなのか。残された家族のQOLが爆下がりするなら安楽死だって選択肢ではないのか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4734234384946062020/comment/emt0
ここでの「安楽死」とは、命にかかわる病気ですぐ先に死が見えている状況で、生きるのに肉体的・精神的な苦痛が続き、本人が望んで死を選ぶ「尊厳死」ではなく、
「痴呆で本人の判断能力が損なわれ、自制力や生活力がなくなり、周囲(家族)に迷惑をかけるので、この世からいなくなってもらおう」という意味で、つまりのところ「お荷物人間の殺処分」てことだ。本人の意に反しても社会的に有益なら殺人を認める、そんな制度を国が法的に認めて整備したらと言ってるんだ。
違うとは言わせない。病識がなく入院すら嫌がってる状況で、自ら死を選ぶはずがないのだから。
これ、「自制力や生活力が現役時代より劣った痴呆親」どころか、もっと重度に精神的に遅滞してる精神障碍者ばかりのやまゆり園の入居者を「彼らは意思疎通すらできない、人間ではない、生きてる意味がない、殺してやるのが本人にとっても幸せだ」と大量殺人を犯し死刑判決をくらった植松死刑囚の思考と、何が違うんだろう。
俺には違いが見えない。
むしろ、こんな言い方をすると反発が来るだろうが率直に書いてしまえば、家族が医療費や生活費を負担して入院させてる痴呆老人よりも、国が生まれたときから一生の世話をすべて公費でまかなってる生来の重度精神障碍者のほうが、「社会のお荷物」度は大きい。
植松は自分が殺人者として捕まり裁かれるのをわかったうえで自ら犯行に及んだが、「国がそういう制度を作れ、誰か(「安楽死」という言い方からして医師や保健所を想定してそう?)が殺して処分できるようにな」と他人任せにしてるブコメ・賛同者のほうが、より醜く見える。
俺個人としてはどちらも「負担だからこの世から無くしてしまえ」など思わないが、でもそんな思考である「痴呆老人は周囲の迷惑だから殺せ」てブコメにこれだけの賛同スターが集まり、批判ブコメがほとんどつかない(現時点では一つだけ)状態にはてブが陥ってるのに、びっくりだ。
それとも上記ブコメに賛同する人たちは、植松の思想・犯行にも共感・賛同してるのか?
まったく理解できないが、はてブが現在こういう状況になってるのに驚いてしまって、暗鬱としてる。
どうなってしまったんだろう。
そんな都合よく認知症になったら死ねるかどうかわからないし今のうちに死んどくといいんじゃないかな。元気なうちなら人に迷惑かけずに死にやすいだろうし
それな。
「痴呆怖い、安楽死、安楽死」つってる人たちは、元気な今のうちなら痛みなく死ねる方法を取れるから、やっとけばいいよ。
痴呆でなくても生きるのいろいろ大変だろ?他人を巻き込む制度化を求めてグダグダ言ってる暇で、さっさと自決したらいいのにね。
実際に重度精神障碍者介護の現場に入って苦労するうちに思想が変わった植松死刑囚もそうだね。
「大変だ」と苦労するところと、「だから安楽死(殺処分)」との間には大きな一線があるんだよ。
「重度精神障害の人と付き合ったことあるなら分かるだろうが見てて痛々しくなるんよ」
『安楽死が認められた世界では俺のような人間はまず間違いなく「社会的に価値がないにも関わらず安楽死を選ばない傲慢で古い価値観の人間」と断ぜられるだろう』
これ。
医療的な基準(余命、肉体的苦痛)に基づかず、「生きるのがつらい、死にたい」という本人の希望だけで「安楽死」が認められるようになったら、
元ブコメのように「社会的に負担にしかならない痴呆老人」「重度精神障碍者」から始まって、「勤労意欲のないひきこもり」「ホームレス」「生活保護受給者」など社会的生産性のない人間までが「安楽死」を選ばされる未来になるのは目に見えてる。
家族や親権者や代理人が「本人は今は意思表示できませんが、元気なころにこうなったら死にたいと言ってました」「本人も愛する家族に負担ばかりかける現状が続くより、死んだほうが幸せだと思ってるはずです」「この状況で安楽死を選ばないのはおかしいです」つってな。
なんせ制度がない今ですら「痴呆老人は負担になるから殺処分しろ」てブコメにこれだけ賛同が集まってるんだから。
https://ja.wikipedia.org/wiki/T4%E4%BD%9C%E6%88%A6
極めて皮肉なことに、「病人は社会の寄生虫である」と書いた4か月後、ニーチェは脳梅毒により精神に異常をきたし以後の10年余り狂人として家族の世話になって過ごした。
守る術なき患者が遅かれ早かれ殺されるという事を予期することである。
何故なら、彼らは「生きる価値がなくなった」と担当の役所や委員会が判定しているからである。
君も私も、私たちが生産的である間だけ、生産的であると他者から認められる間だけ生きる権利があるというのであろうか?
もし「非生産的な」人間は殺してもよいという原則がたてられ使われるとすれば、年とった者、老衰した者すべては何と痛ましいことになることか!
もし非生産的人間を殺してもいいなら、生産過程において力を尽くして働いた結果、犠牲になった病弱者は何と痛ましいことか。
もし非生産的同胞を暴力で排除してよいものなら、戦争負傷者、身体不自由者、傷病兵として故郷へ帰ろうとする私たちの勇敢な兵士たちは何と痛ましいことか。
もしひとたび、人間が「非生産的な」同胞を殺す権利を持ったら、原則的にはあらゆる非生産的な人間への殺人、すなわち不治の患者、労働と戦争の負傷者の殺人、そしてもし私たちが年をとり老衰し、非生産的になる時には私たちすべての者の殺人が自由に許されることになるのだ。
82年も前の説話だぞ。
肌にはシワが増え、ほうれい線も以前よりはっきりし、見てくれからもおっさん感が強くなってきた。
子供が生まれてからは一緒に楽しむことが多くあるし、個人の趣味に費やす時間もなくなり、つまりは運動不足→メタボディ一直線だ。
あれだけイキってた生まれた時から一緒の我が息子(ち○こ)も、めっきり細く小さくなった。
どうやら使っていないと衰えるというのは本当らしい。
また使ったらデッコナルンカナ?
俺は入院・手術したことなんてアヌスの拡張工事だけの一度しかないが(いぼ痔)、
周りでは一生付き合っていくことになる病気がしばしば散見される。
ガンもしばしばいる。
幸いなことに、家も建てることができた。
これでいつ死んでも、家族が金銭的に露頭に迷うことは無いだろう。多分。
死んだ後にも家があり、遺族年金があり、俺の生命保険で子供の学費分くらいはなんとかなる。
どうにもならなくなっても死ねば責任を果たせる状態になったことで、随分と気が楽になった。
うちの家系では70を超えることはまずないだろうし、
まぁぼちぼちいつ死んでもおかしくないのかもしれないなーとか考えている。
認知症などで暴言のような問題行動が発生し家族が大変な場合、普通の病院や介護施設では介護される家族の意志を尊重しないといけない為ごねると入所入院させれないけど、医療保護入院(医者の許可がないと退院できない)制度を使って負担を軽減できる。
基本こっちは書かない主義なんだがお困りの様子なので私が父を精神科の保護入院まで持ってきた過程を晒す。参考にしてほしい。
私の父は80代後半で要介護1がついてた(これがめちゃくちゃ効いた。すぐ介護や医療のプロに繋がれた。申請してくれてた母に大感謝)だが、母が持病の悪化きっかけに認知症の初期に入ったための介護始まり、それををきっかけに父も一人暮らしになったので介護サービスの開始検討始めたが元々元記事のお父様の様な孤独ヒキこもり老人でコミュニケーションスキル皆無の上物忘れが進んで暴言炸裂のため(それでも元記事のお父様よりはマシな状態)担当のケアマネージャさんに母の介護プランも含め相談始めた。これがまず良かった。
担当のケアマネさん優秀な方で初めててで介護の右も左もわからん、もち精神科の入院まだ考えてない状態の私に今までの経緯はもちろん
*早めのかかりつけ医への相談と父への説明と説得をお願いする事(精神科入院にはかかりつけ医の紹介状が必要なため、この相談実績がいる。家族の状態がマシな場合はこれだけで家族の言うことを聞く時もある。この手の暴言吐くタイプの認知症の人は権威に弱くえらい人や医者には比較的素直)
*市役所や介護施設の申請方法(役所は申請主義のためとにかく早め早めの申請が問題解決のスピードを上げる)
*医療、介護は別分野なので職務責任やサービスが違うこと、できることとできないことをはっきり説明
上記を的確に指示してくれたので、かなり入院までの事務申請や他病院への相談の手間や時間を省くことができた。ケアマネージャは介護サービス運用の責任者で介護のキーパーソンなので大事なお付き合いである(但しハズレのケアマネさんもいるとわ聞いたわ・・)
上記のようにプロへの相談はとっても大事なのでなるべく相談先は確保
*地元担当地域包括センター。市役所介護窓口、相談することで困ってる度合いを自治体にアピールしていざって時の援助をスムーズに。もち情報は市役所他部門にも共有するので相談実績積む方がいい。元記事の方地域包括センター職員さんの訪問あるっぽいのでバッチリ記録残ってると思うぞ。市独自の介護サービス教えてくれたり暴言や暴力振るう患者も運んでくれるタクシーの紹介もしてくれたぞ!
*病院の医療相談員。入退院できる病院は基本ずっと患者に居てられると儲からないんで退院支援するんだけどこちらの担当がこの方々。でも病院内の介護福祉専門家なんでこちらでも相談できる。上記ケアマネージャさんと事務上の連携もいるし、退院時相談する事になるんで先にこちらも声がけしといた方がいい。
*もち家族を担当してくれたお医者さんや看護師さんには医療内容を報連相。
てな感じでガリガリプロを巻き込む。手間も時間もかかるけど結果ある程度の解決まではスピードアップできる。(但しこちらも当たり外れがあるといるとわ聞いたわ・・)
*家族が今まで起こした暴言や困った行動などの経過をなるべく日付つきで記録しておく。メモでもいいと思うけど私はGoogleドキュメントにまとめてメール使える医療機関さんには共有URL教えたり、共有URLをQRコードにしたり、コピペでメールに貼ったり、FAXしかない病院でも印刷してコンビニから送ったりしてなるべく家族の訴えをスムーズにした。口頭だけだとここでも時間取られて大変。
*介護申請してもサービス受けるの難しそう(介護申請して要支援1〜2、要介護1〜5認定降りるとサービス受けれることになる)なら元記事の方のお父様素人目には認知症っぽいので精神科の「物忘れ外来」って名前で地元の病院探して(地域包括センターでも紹介してくれる可能性あり)受診。認知症の診断できるの精神科なので、こっち先に受診してもいいと思う。元記事のお父様酒多いのでアル中の依存症で診断出る可能性もあり。うちの場合は医者にはまだ行く人だったけど精神科は嫌がる可能性あったんで「前の病院で診断書でた」と言ってそれ以外何も説明しないで精神科連れてった。バレないよ、どうせ認知機能落ちてるもん。
こんな感じで先にケアマネさんから紹介いただいた精神科に事前面会して、かかりつけ医&他の病院の紹介状添え医療保護入院となりました。入院したら早めに
*看取り(ぶっちゃけ死ぬまで)病院で面倒見ていただけるか?できないならそれに対応できる病院を紹介してほしい
まあ上記の様な経過で私の場合は一旦落ち着く状態には持って行けた。プレイヤー多いしいっぱい申請あるけど、ここまで持って行けたらだいぶ負担減るので元記事の方の参考になったら幸いです。なお
*暴言暴力家族が精神科のお医者様や看護師さんなどスタッフの方々に迷惑かけるんじゃないかと心配されると思います。私もしたんでスタッフの皆様に頭下げました。経過報告いただいたがちゃんと投薬調整していただいて大人しくしてる様です。それきいた私&旦那&息子's「プロすッゲーー!まじスッゲーー!!」
*「暴言暴力行うとはいえ家族の世話できないなんて」って悩むとても良い性格の方もいると思う。優しいなえらい!でも下手に素人が介入してっ事態ややこしくするよりプロに適切な介入してもらった方が暴言暴力家族本人のQOLも上がると思う。
結構ブコメ&コメントついてて同じような立場の人が多いなとは思った。「姥捨山」と言われる件については私個人としては「はいそうです」と答えます。
父の暴言については親子関係がガッタガタになる程度の言葉は吐かれたので、ぶっちゃけ父のQOLがあがろうが下がろうがどーでもいいと言うのが正直な話。何より父の暴言から家族を守りたかったので。ただ世の中私の様な薄情もんばかりではなく親御さんの介護問題について悩むめっちゃ良いお子さん方がいっぱいいると思うので、そうゆう人には「暴言暴力家族本人のQOLも上がる」と言いたい。実際問題私の父は認知機能落ちて飲まなければいけない薬の管理はできてなかったし、当然昔の人なんで家事一切できない、実家は荒れ放題で不衛生この上なく娘の私、介護のプロの介入も一切受け付けなかったので法的に申請できる私が対応した次第。
あと、医療保護入院利用して思ったのがちゃんと医師の紹介状や病院の相談員の介入がないと難しい仕組みになってること。上記の記事に登場する専門家みなさん介護福祉士、医師、社会福祉士、精神保健福祉士など皆さん見事に国家資格持ちの方々で、こちらの皆様は法律に則った運用しないと法律違反なっちゃう立場と思うので、患者の家族が患者の人権無視した行動したらそれなりの対応は取られると思いますよ。そこで患者の人権守るための仕組みを担保されてるのではないかな?とは思いました。
あとプロや詳しい方コメントで解説や補足ありがとうございます。助かります。
あともう少し補足
医療介護受ける際この書類は必ずいるので必ず実家から探して念の為写真撮ってクラウド上げてスマホで持ち歩くと各種申請や書類作成時便利。とにかくプレイヤーが多いのでケアマネさんや相談員の方の名刺や名札も失礼のない範囲で写真撮影してスマホ入れとくと連絡とりやすい。
*お金について
私と夫はフルタイムで働いてるのでまだ費用面についてはマシな方なんでこの辺りは調査甘いけど、病院も取りっぱぐれたくないのでパンフレットにたいてい治療費の相談窓口を掲載して各種医療費の補助相談乗ってくれる。介護もケアマネに相談できるんで諦める前にやっぱりまずプロに相談だ。
この記事は私が親の介護医療に関わって役たつなってことを紹介する目的なんで、父と人間関係上何起こったかを詳しく書く気はない。読んでいただいた方もそこは読みたくないと思うし、胸糞悪いよ。ただ母に関してはプロに頼りつつ腹括って介護する気ではいる。同じ認知症でも今までの生き様含め周りの対応に差は出るとは思うよ。独身でも周りに信頼されてる人も入れば元増田の親御さんみたいに認知症発症前から家族からの信頼0の人もいるし死に様はそれまでの生き様でるわ。
父親、70代前半。
元々障害(軽いと言えば軽い)あったり、脳梗塞かなんかでちょい体動かしにくくなったから元増田のとことどっこいどっこいかな。
定年後もめちゃくちゃ元気だったけど、入院した後、飲酒とDVD鑑賞の毎日。加えて去年一昨年と立て続けに父親母親亡くして一気に老け込んだ。
すごくキレっぱやかったけど、なんか感謝とか労い聞いたこともない言葉を口にするようになったり人の心っぽいものを手に入れた(フリはできるようになった)
元々人の気持ちがわからない人間で相談と🦀は乗ってくれないし相談しようとも思わないけど(他の兄弟も同じ気持ちだったり心配かけたくないとかで相談とかしない)
多少の友達が残ってて、月に2~3回は父と遊んでくれている。
加えて町内会みたいなの(田舎なので)があってそれだけはなんとか出席してる。
王様、独裁者タイプだけど、お金は持ってて人に振る舞うのが好きなので仲良くしてくれる人が残っている。実は寂しがりなんだろうし。
お酒を買っておくとほんとに出かけなくなるので、酒は自分で買いに行ってもらってる。
近所のコンビニだと4~5本ぐらいが限界。カート使えるディスカウント店とかで箱買いしてちまちま運び込んでたりしてる。
衝突回避システムを信じてるよ。ちょいちょいぶつけるので、本人も自覚あるのと、朝から酒飲んでるので、乗るのは月に2~3回に激減した
晩飯は週に5日か6日、都合悪い時以外は作ってて、都合悪い日の前日はカレーとか作りおいてたけど、色々面倒になってたまにしか作らなくなった。自分の分のお米炊いたりはしてるけど
食が細いので、2~3回に分けて食べてる。あとはカップラメーンminiとかふりかけごはんとか
冷食とかあったら勝手に食べてる
昔切れ散らかしてたのがウソのように丸くなった。
相撲と笑点はわざわざテレビのある部屋に来てリアタイで見てる。あと前シーズンの朝ドラと。今のは見てないっぽい。
あと、新しい番組とかついていけてないようで、昔から何度も見てる映画とかのDVDを繰り返し見てる。
幸いにして家が広いので、父の部屋の近くまで行かないとその音は聞こえないけど、いつも同じBGMが流れててちょっと引く。
かまちょだったのが、孫の遊んでる姿を優しく見守って、独り言行って、眠くなったら自室に引っ込んでとか、なんか優しくなっとる。落ち着いた
私が結構ドライな性格で、面倒だったら見捨てるオーラをぷんぷん出しながら色々してたから、人が変わったようで、近所のおばさんとかに私に見捨てられたら生きていけないとか漏らしてるみたい。冗談だろうけど
ごめんね、見捨てるよ
まだ体動いて判断力あるうちに、入れるところ探してね
徒歩5分とかでしんどいとかいうので、ほんとにお酒とか買いに行くのがリハビリというか最終防衛線になってる。
そういえば、うちに出入りしてた酒屋さんとか近所の雑貨店の人が、似たような年代で独り身の男性がことあるごとに色々頼んできて、ほっておくわけにもいかないって愚痴ってたなぁ。
感謝も薄いというか、ありがとうが言えない、表現できない、そろそろ限界だなーって。
民生委員さんとかかな~て思った。それかお寺か。
あと、自分で飼い始めたお犬様なのに全然世話しない。(おばあちゃんの役目から私に自然と引き継がれた)
ひなたぼっこしながら縁側で庭のわんこに餌あげたりするのは増えた。
わたしひとりで全部背負おうとして去年は私が折れかけてた
私がこんな性格なのと、母とはとっくに離別してるのと、ご近所さんとかの付き合いが残る古い地域なのがまだ最悪の方向に行ってない要因だと思いました
26歳、女、研修医。
3月某日、私は自宅マンション14階の屋上にいた。危険防止のフェンスを乗り越え、飛び降りようとしていたところを目撃した通行人により警察に通報・保護され、そのまま精神科の閉鎖病棟に入院になった。入院生活であったことや思ったことを忘れたくないから書いておこうと思う。
なんで死のうと思ったのか、なにがきっかけになったのか。色々な先生に訊かれたがうまく答えられない。研修医をやっていて、でもうつ病になり休職していたら初期研修が2年で終わらなくて、それを開き直ったつもりだったのに全く自分の中では消化しきれていなかったのかもしれない。普通のレールから外れたことがつらかったのかもしれない。その数日前に、大切にしていたミモザのドライフラワーを母に目の前で「死んだものを飾るな!」と捨てられたことで、なんとか今まで保ってきた心が崩れたのかもしれない。理由はわからない。ただ、死にたかった。それだけだった。
入院生活は制限だらけで苦しかった。携帯電話をはじめ、私物はまず許可されない。一日が長かった。入院して3日目くらいまではずっと寝ていた。毎日悪夢を見た。
部屋を移動してすこし自由がふえたとき、話しかけてきた青年がいた。彼は金髪で紫色のスウェットがよく似合う背の高い子で、年齢はまだ19だった。
「俺金髪だし怖いよね」と言われたが、私も金髪だったときがあったので「怖くないよ」と答えた。そのあと年齢の話になり、彼は全病棟のなかで一番若いんだって、と笑いながら言った。
それからすこしずつ世間話をするようになった。好きなこと、漫画やアニメの話、今までの出来事。
彼は病棟内のムードメーカー的存在で、いつも笑っていた。どうしてここにいるんだろうと疑問に思ったほどだ。
あるとき、二人で話している時に彼が言った。
「ひとのキャパをコップに水を注いでる状況に喩える人がいるけど、それで言えば俺はコップの底がもう泥水みたいになって固まって水が溢れてずっとキャパオーバーしてる」
その瞬間やっとわかった。彼はとても苦しみながら生きていることが。自分のキャパシティを知りながら、どうしようもなく、もうすでに溢れているコップにずっと水を注ぎ続けられているのだと。
「人に優しく自分に厳しく、を15年続けてたらメンタルがぶっ壊れたんだよね。リスカして11針縫ったときも笑ってたし。せめて人のためになればいいなと思って今はドナーとかになりたい」
「自分のために生きられない?」私は訊いた。
「だめだなー、俺もう自分の感情とかよくわかんねーし。周りの人が幸せならそれでいっか、って感じ。兄弟にも好きなことをしろよ、兄ちゃんみたいになるなよって言ってる」
やるせなかった。こんな若くて未来のある子に、死にたいと思わせる病気が、環境が、社会が、全部が。やるせなくて、悲しくて、部屋に戻ってから静かに泣いた。
ほかにも彼は言った。
「安楽死制度があったら俺なにがなんでも利用する、楽になりたいって思うけどそれだと死ぬことにいきつくもん」
「死ぬのってどうやっても苦しいんだろうなー」
死にたいと思う人に簡単に「死ぬな」なんて言えない。楽になることが楽に生きることではなくて死ぬことと繋がっている人に、今後人生いいこともきっとありますよなんて無責任なことは言えない。ただ、生きていてほしいと思う。それくらいなら許してほしい。
生きることは苦しみの連続でしかない。でも、生きていてほしい、死にたい人に対して、私は勝手に願っている。死への恐怖を克服しないでほしい、そんなに強くならなくていい。
父親、70代半ば。
定年してから家ですることないし何もしないし酒飲んでばっかり。
人との関わりもできないし社会と関わり持つようなこともなくて時々2階の自室から降りてきて、家族にあることないこと文句言う。
で、本人もコミュ障なのかアスペなのかわかんないけど、酒飲んでなくても認識がおかしいところもあるし、何よりも怒る事くらいしかエンタメがないのか、過去の嫌だった事を1人で煮詰めて、それがグツグツしてペースト状のドロドロになった頃に人にぶつけたりする。
一緒に遊びに行く友達の存在とかもほぼ居なかったと思う、聞いたことない。
すぐに人をこき下ろしたがるのでだれも仲良くしないと思う。
極端に、周りを見下すことでしか自分の優位性を保てないんだと思う。
テレビ見ても雑誌みても、フン、て偉そうに多分何も知らないのに間違っとるとか批評家気取りのズレたご高説を垂れるばかり。
聞いてる側も気分悪いのでいつからか家族もまともに返事しなくなった。
気を使って話しかけても、自分すごいorお前は大したことない、の話しかできないから。
目的があって外出するのは月に1回の通院と、タバコと酒買いにコンビニ行くくらい。
食事も、家族が作ったものは選り好みするし決まった時間に食べる習慣もないし、置いてあるカップラーメンやチルドうどんとかを食べてたりする。スーパーの弁当なんかも置いておくと食べてたりする。
で、最近特にひどくなってきて身体も思ったように動かなかったりとかの不安もあるんだろうけど家族への暴言や暴力が頻度が高くなってきて、限界も近くなってきた。
夜中に家族の寝ている部屋で訳のわからない気分悪い話やどうしようも無い人のルーツを馬鹿にする発言をしたり、扉をデカい音で閉会したり、テーブルにコップをゴンゴンあてたり、階段をわざと大きな音で歩いたりとか、もう明らかな異常性がでてる。
父親本人は構ってほしくて構ってほしくて仕方ないんだろうけど、本当に話すネタも自分かわいそう、か誰かしらが悪い、くらいでつまらないし、無視してると嫌がってるのに顔を無理やり覗き込んできたりとか、反応貰えるのがそんな事しか思いつかないのかロクな事をしない。
暴れる(大声の暴言含む)時に7119とかは迷惑?それとも警察?
アル中単体とかなのか、性格だったり心の障害なのかも判断できないし、かと言って本人が自ら精神系やカウンセリングみたいなところに行けと言っても絶対行かないだろうし、何をどうしたらいいのかわからない。
病院では暴れてる事なんで自己申告してないだろうし、下手すると本人も覚えてないから、酒の飲み方も週に2回飲まない日作ればいいとか言われてるらしいけど怯える日が増えるので家族としては正直余計な事を、と思わずにいられない。
今月になってから、目立つ飲酒時の奇行とかはスマホのメモ帳に付け始めた。
他に準備できることあるんだろうか。
【追記】
家の周辺歩くのに人の目が気になるなら山とかの駐車場に車止めてその辺15分くらいでも過ごすと違うと思うんだけどね
習い事も、きっと周りを馬鹿にして自分スゴイをやるし、そもそもそのお金を払うのが馬鹿だと思いそう
きっと行った店の店員さんにも変なキレ散らかし方してご迷惑かけてそう
【追記】
たくさんコメントあって驚いたのと、有難いのと
自分も含めてこれから歳をとる世代のみんなは、苦手な人こそどうか感謝と謝罪を口にできる訓練をしておいてほしい
そういう意固地って自分の行動範囲を自分でジリジリと削り続けてなんでだよって逆ギレかますみたいなもんで、周りはドン引きしかしないし手を差し出す事もできればしたくなくなっちゃうから
社会と関わりがなくなるとこうなるんだと思うけど本人ももう働いたりする気はないみたい
犬は飼ってるけど、ペットの管理で過去にやらかして信用もないし、犬自体もやっぱりおかしいのがわかってるから懐かない、懐かなくて犬も文句をいう材料にする、の負のループ
昔から犬の散歩もしないし犬の粗相も家族にオイ、って知らせて犬の世話をしてる気になるタイプだった
とりあえず保健所や福祉系のところに相談実績を作るから始めようと思う
高齢者でも性欲ってあるんだね、母親の体をなんとかして触ろうとしているときがある、それがまた自分本位なので本当に醜悪で…コミュニケーション能力や相手をちゃんと人として扱うって大事すぎるなって
父親の尊厳を傷つけるのはと思っていたけど、向こうはこちらの尊厳をゴリゴリに削ってくるんだからストレスすごい、それでもここで吐き出せてよかったです
実は2年前に父親は食事もまともに取らず酒飲んで寝てたので意識がなくなって?救急搬送から月単位での入院のコンボをかましている
部屋は見事な酒の紙パックだらけだった、腰の高さで埋もれるくらい
昔見かけた競売物件で「まる」だらけの部屋があったけど、あれプラス謎の溜め込んだ金属ゴミ系(空き缶を切ったりした物は破片が危なく片付けに苦労した)
趣味がなかったり、人を馬鹿にしないと生きていけなかったり、せっかく死にかけたところから戻ったのに何も見つけられないのはどうしたらいいんだろう、1人でできて金もかからない、前向きな気持ちになれる気軽な趣味を見つけてほしい
【追記】
初めて匿名ダイアリーを使うので、返信のお作法がわからないのですがいただいたコメントは基本目を通しています。
共感いただく方が複数いるという事は少なからずあるパターンなんですね。
コメントの通り、どうやって本人を福祉なりに繋げられるように連れていかせるかが焦点になるでしょうか
通院先は総合病院で(入院したところなのでその辺の事情のデータも残っているかもしれない)ソーシャルワーカーもいるのでそちらあての相談もできないか調べようかな
そういえば思い出した、以前に地域包括支援センターの方が本人に会いにきたのだけれども怒鳴ったり暴言吐いて追い返したらしい、自分はその場にいなかったから後から聞いた。
訪問されたスタッフなんて正社員でも何でもないモンが、偉そうに指図しやがって、的な事を言っていたらしいのだが正社員なら言うこと聞くわけでもなかろうに
誰の言うことなら聞くんだろう
【追記】
ネットを検索してもなかなか見つけられなかったヒントが、吐き捨て目的の匿名ダイアリーのブコメでこんなに集まると思わなかった、集合知に感謝です。
既に終わった人も大変だったろうしなかなか人には言いづらい事を教えてくれて助かります、これからに備える人も何かしらの参考になるなら書き殴りの文だけど、できそうな対策を1度考えてみてもいいのかなと
たくさんいただいてる意見の中の認知症疑い、これは多少ある気もしますが、それで急におかしくなったわけではなくて元々の本人の性格におかしなところはありました。働いてる時でもいきなり癇癪起こして自室から数ヶ月出てこないとか定期イベント。
一緒に住むなら心をフラットにできる薬を服用してほしい。あとは睡眠薬等で夜中に寝て朝に起きる癖をつけて欲しい。夜中や早朝に異常行動起こすのは思えばここ数年…?そう思うとだいぶおかしいのか。
増田が同居してるのが悪いって意見、考えたことも無かったですがそれもあるかも知れません、しかし離れた県外で結婚して家庭をもっている兄弟(息子)への暴言や難癖もひどく、結婚相手の実家に対する根拠もない差別発言を聞いて、同じように自分が家を出たところで文句を言う材料にするんだろうなと。で、あいつも悪いから何も相続させん!とか叫んでそう。
他者が悪い、すなわち自分は正しいという思い込みしか拠り所がないんですかね。
あと、自分が同じ部屋にいる時は比較的おとなしい。自分の部屋に怒鳴り込みにはこない。ターゲットは基本母親。
娘の前では少し理性が働くのかフルスロットルにはならない、少し前に母親殴りそうな時に平手打ちしてメガネぶっ飛ばした。その時に力でも勝てないのも理解したんじゃないかな。
反撃しようとして半世紀前に習ったか何かの空手かなんかの型みたいなので威嚇してきたけどびっくりするほど痛くもない肩パン。
色々書きながら思い返すとやっぱりダメですね。物理的距離を取る、を第一目的に動こうと思う。
前に支援センターの人が来たのは何だったかな、近所に呼ばれたとかではなかった。
入院してて退院前後は介護認定3がもらえた(という表現もおかしいが)ので話早いといいな
酒で入院した時はウェルニッケの疑いの話されたけど、なんか案外元に戻ってしまった。
酒飲むの止められない人、極力減らすのが1番だけど各種ビタミン忘れず取ってね。酒のカロリーで生きてもロクな事ないですよ。
結婚したら一生セルフケアしてもらえると思ってた世代ってあるのかな。成功しないのに察して察してを続けて、何かこちらが提示しても後出しのイヤイヤ。70代のイヤイヤ期なんて情けなさしかないからそういう思想なくなればいい。
教育テレビで尊大な自尊心を穏やかに丸くさせるような番組とかしてくれたら助かるんじゃないか
【追記】
思いのほか拡がってしまい戸惑ったけど、たくさんのためになる情報をありがとう
「自己愛性パーソナリティ障害なんじゃないか」の声を複数見かけて、調べてみたら全てが当てはまって今までの奇行にも納得がいくし、本人幼少期にロクな扱いされてなかった話は聞いた事もある(田舎の次男)、診断こそおりてないけど多分そう。少なくとも対処法が近いのでこちらも考えやすいしお互いのつらさは少し減らせるかもしれない。
今の父親本人は暴れたあとの落ち込みタイムとでも言うのか、これも定期イベントだけどしばらく大人しくなる期間ぽい。
このやらかす→大人しくなる、の繰り返すスパン短くならないといいな
ソーシャルワーカーさんにも相談したし、あとは地域包括支援センターにも話を通したりしながらどうにか改善できるように手探りしていこうと思う。
祖父宅に住んでいるが、祖父の確定申告には口出ししないようにしている。
私自身は定職についており、ほかの所得は何もないから年末調整のみ。
しかしながら、家族全員の医療費自己負担をかき集めて、祖父の申告に医療費控除を入れることになった。
で、私を含め家族四人の医療費自己負担額を合計したら、約100万円になった。すごい。
まあ祖父はずっと病院(甲状腺がん他)通いだし、祖母は入院しっぱなしだし、母もずっと病院通い(整形外科複数)だし、私もずっと病院(精神科)通いだし、仕方ないのかね…
祖父と祖母は後期高齢で「限度額適用・標準負担額減額認定証」もあるんだけどなぁ。諸事情で私は自立支援医療を使っていないが…
どないなっとんねん…
四六時中ゲロ吐いて水も飲めなくてゲロ吐きすぎて黒い液体吐いて入院することだって普通にあるし同居人の匂い嗅ぐだけで吐く悪阻だってあるんだぞ
専門学生のタカシは普通に学生生活を送っていたが、ある日突然、自分が体感していた時間はほんの一部であったことを知り、自分以外の時間が動き出す体感に襲われる。後に彼は、自分の数学能力が高いことがその原因であることを知る。彼以外の人々は、あらゆる思考が現実化する世界線で生きており、タカシが意識を取り戻すまでの間に様々な研究開発を行っていたことを知る。
ある日、タカシがカビの生えたみかんを食べたことがきっかけで、自分時間が止まっている時の周囲の様子が見れるようになった。数学の授業に参加している時、教師が「大丈夫です、あいつの時間は止まっていて気がついていません。」と叫んだが、タカシはその声を聞くことができた。異常世界の住人は、使える時間が長い分、IQが低いということを知る。そのため、タカシが微積分の公式通りに問題をスラスラと解くと、「え、なんでだ、あいつが一瞬で答えを書いている」などと言っているようだった。
タカシは、カビの能力は自分の思考を現実化するという周囲の能力を自分の能力としても使えることに気づく。学校の5階の椅子で窓を見ながら座っていると、「この気持ち悪い世界の住人は、俺が今眠っている間に、1億年の労働を強いられる。しかも、俺に手出しをすることも不可能。1億年後にはすばらしい技術発展を遂げた世界がある」と思考を練った。目を覚ますと、外には巨大なカメラがタカシを見ていた。友人に聞くと、「それより、何か飲みたくない?」と言われ、自販機でミネラルウォーターを買う。
タカシは驚きと不安を抱きながら、特別講義の怪しいプレゼンを見ていた。プレゼンの中では、主人公の少年が実は女性であること、そしてその女性が謎の暗号で会話する集団に通常言語で話しかけても通じなかったことに、彼は混乱していた。更に驚いたことに、その女性の脳が野生の猿と宇宙人とリンクされているという内容までプレゼンには含まれていた。
タカシは、この世界が異常であることを確信し、トイレに逃げ込むようにしてその場を去った。しかし、教師に呼び止められ、「帰りたいんだよな?」と尋ねられた。タカシは教師が何を言っているのか理解できず、「帰りたいに決まってるだろボケ」と答えた。
その後、タカシはこの異常な世界から抜け出すために実家へ帰ったが、そこでは正常な生活が営まれていた。彼は地図アプリを開き、外にあった巨大カメラがなくなっていることに気づいた。彼はこの異常な現象に疑問を持ち、この世界がどういうものなのかを解明するために行動を開始するのだった。
タカシが精神科でその話をしたら入院となったが、医師に驚愕の事実を告げられる。「実は、君の脳自体が異常世界を作り出したようなのだ。君のクローンをこの異常世界に残すから、本体はもっと正常な世界に送ろう。」
タカシは、医師から告げられた事実に戸惑いながらも、自分自身が異常世界を作り出したことを受け入れた。クローンが残されることには複雑な思いもあったが、彼はもう二度と異常世界に戻ることはないだろうと安心した。
精神病院に入院してからしばらくして、タカシはテレビで放送されているアニメに出くわした。そのアニメは、思ったことがそのとおりになる異常世界と、自由に思考できる現実世界とを対比して描いたものだった。タカシは、自分が経験した異常世界のことを思い出しながら、アニメに心を奪われた。
ところで、異常世界のカメラの映像によると、彼は相変わらず5階に座っていた。そして頭に奇妙な装置を着用しており、脳を強制的に正常世界につなぎ止めているようだった。理論的には、異常世界のタカシが死んでも、タカシは正常世界の中で生き続けることになっているが、これはこれで面白いので放置しておこう。
タイトルにポケ●ンとつけて申し訳ないけど、ポケ●ンを悪く言うつもりは全くありません。
むしろポケ●ンは人生。人生だから勝手に拗らせて苦しんでるだけ。
同じように一人で楽しんでる方や、お子様と楽しんでる方を批判するつもりはありません。同意を求める訳でもありません。
でも、どこかでどうしても気持ちを吐き出したかったのでお目汚しです。
ポケ●ンが好きで、気に病んでしまいそうな方は閲覧しないでください。
30代前半女。幼稚園の頃に赤緑が発売され、アニメもスタートしたまさにポケ●ン世代。
初代から最新作まで、ゲームは発売日からプレイしてるし、アニメも毎回観ている。
少子化なんて嘘じゃね?ってくらい周りの友人や仕事の同僚は子供を産んでいる。ベビーラッシュ。
入院したとき、嫌なことがあった時、悲しいとき、色々な時に彼やポケ●ンたちは元気をくれる。
誰かが「ポケ●ンは酸素みたいなもの」って言ってたけど、まさにそう。気付けばずっと隣にいて、いなくてはならないものがポケ●ンだった。
まさに人生。私はポケ●ンを愛している。
アニメ主人公の卒業決定後、SNS上ではファン達の想いが溢れかえった。その中で特に際立ったのは「ポケ●ンと過ごしてきた人生の振り返り」
私と同じくらいの年齢の人が投稿してることが多い。
乱暴にまとめると「小さい頃から大人になった今も、ポケ●ン(アニメ)に支えてもらっている。ありがとう、これからもよろしく」という内容。
世代だもん、ポケ●ンが人生な人って多いんだなぁ。どれも共感できる内容で、読んだ後に感動して涙を流したこともある。素晴らしい想いばかりだった。
ただ一点、グサっと心に突き刺さる点があった。
それは多くの投稿者さんに「お子さんがいること」
「小さい頃から大人になった今」の途中にお子さんが登場して「今では子供と一緒にポケ●ンを楽しんでいます」といった内容が多い、ように感じてしまった。
私と同世代ということは、20代後半〜30代後半くらい。出産適齢期なのでそんなのは当たり前な話である。
投稿内容にもちろん嫌味なんて一切なく、私が拗らせてなければ、親子一緒に同じコンテンツを楽しむ姿にほっこりすることだろう。私もできればほっこり感動したかった。
拗らせた私がそれらを読んで思ったことは「子供を産めない私が、ポケ●ンを楽しんでいていいのかな」である。酷い。
突拍子もなく感じるだろうが、ターゲットを比較的子供寄りに設定しているコンテンツを、いつまでもいい歳をした私が「当事者として」楽しんでいることに罪悪感を抱いてしまったのである。
パンのCMでは、まさにポケ●ンというコンテンツを親子一緒に楽しむ様子が描かれている。
数年前からは、恐らく私と同世代のポケ●ンファンをターゲットにした、ウエディングアイテムや育児グッズが発売されている。
みんな、子供と一緒にポケ●ンを楽しんでいるし、公式もそれを求めている。
ポケ●ンに触れて楽しそうにする我が子を見て、幼い頃の自分と重ねては懐かしみ、「ママもパパもポケ●ンが大好きなんだよ」と、一緒にコンテンツを再体験している。
私は死ぬまで「私だけ」がポケ●ンを好きなんだ。
なんだろう、この罪悪感。子供と一緒にポケ●ンを楽しめない私は、ポケ●ンを好きでいてはダメだとすら思っている。
アニメの主人公も交代する。「世代交代」である。アニメが世代交代しているのに、私は世代を交代できない。
嘘みたいだけど、アニメ主人公の卒業が発表されたとき、正直、自殺を考えたのだ。
同じくらい長い間ポケ●ンが好きだった彼に置いていかれる気がしたのかもしれない。もういい加減卒業しろよと言われてる気がした。(完全に被害妄想で、彼はアニメに出なくなってもずっと旅をしていると思ってる)
でも、ポケ●ンの製作陣や、アニメ主人公の彼はそんなこと絶対、微塵にも思ってないし望んでもないのは分かっているのでなんとか持ち堪えた。彼らの花道を、私の拗らせで勝手に汚す訳にはいかない。
障害が分かった時も苦しかったけど「仕方ないから、自分の趣味を満喫して楽しく生きてやろう」と開き直ったつもりだったんだけど、まさかぶり返すとは…
ポケ●ン好きな仲間達から「ポケ●ンセンターに子供と行くんだ」と連絡が入ることも増えた。
職場の人が「子供がポケ●ン好きで、私も影響を受けて好きになったんだ」と言っていたこともある。
そんな話を聞いた後、1人で泣いてしまうのが本当に虚しいしポケ●ンにそんな感情を持つのも申し訳ない。当たり前だけど誰も悪気も何もない。私が一人で勝手にしんどくなってるだけ。
私はいつまで、当事者としてポケ●ンを好きでいていいんだろうか…いつまでも好きでいていいって、頭の中では分かってるんだけど気持ちが受け入れない。時がなんとかしてくれるのを待つしかない