はてなキーワード: 雑然とは
TV、SNS等で「他人の家の中」を見る機会が本当に多くなった。
他人の「旅行に行った、有名レストランに行った、アクセサリーやバッグを買った」等のキラキラ投稿には乱されない私だったが、「インテリア、暮らしぶり」の投稿には心を乱されまくっている。
綺麗に片付いた室内、センスのよい家具、花や観葉植物…普段からこんな素敵なものに囲まれて生活してるんだと思うと、顔も名前も知らない一般人に本気で嫉妬してしまう。嫉妬というか、純粋にうらやましすぎてしぬ。
物撮りや加工の仕方もうまい。何もかも私の上をいっている。
別にインテリアを買う金に困っているわけでは無い。むしろ、同世代より給料は貰っているほうだ。
しかしアラサー独身独居かつ転勤族(でも転勤はまだ1回しかしてない)のため「この部屋に合わせてインテリアを考えてもなぁ…」とめんどくさい気持ちが湧き、インテリアを一新するには至っていない。
たまに雑貨店などでオシャレな小物を見かけても(私の部屋がオシャレじゃないからこれ置いてもゴミみたいになるだけだなぁ)と思って買えない。というか、小物を置く場所が物理的に無い。多趣味なので趣味関係の道具が多く、1Kのマンションの中でギュウギュウになって生活している。テレワークが出来ない職種で平日は寝に帰ってくるだけのようなものだし、土日のどちらかは大抵外に出かける。そのせいか、部屋はいつも雑然としている。そもそも部屋にあまり愛着を持っていないのかもしれない。
私もおしゃれな部屋でゆっくり過ごしてみたい。好きなものに囲まれて生活してみたい(今もまぁ、趣味関係のアイテムに囲まれているのでこれはおおむね達成できているのかもしれない)
俺は設計より実装の方が苦手だわ。プログラミング言語の特に脈絡のない仕様(ファイルオープンして1行読むのってどうやるんだっけ?改行コードの扱いはどういう仕様だっけ?EOF判定はどういう関数だっけ?str2numに対応する処理の関数はなんだっけ?文字コードがUTF8じゃない場合にはなんか特別な引数書かないといけないんだっけ?1行読んでポインタを先頭に戻したい場合はどう書くんだっけ?ていうかディレクトリ内のファイルリスト取得する関数はなんだっけ?あー余計なファイルをはじくための正規表現の仕様はなんだっけ?.......)が全く記憶できなくてすげーストレス。なんど覚えても雑然としすぎていてすぐ忘れる。ファイル云々に限らずプログラミングは一事が万事全部そうだし…。
わたしたちの仕事の大半はリモートワークになっているのだが、その日たまたま彼と対面で打ち合わせをしなければならず、はたしてその日の晩に彼は発熱したのだった。
おたがいにマスクをしており、打ち合わせもそれなりの距離をとって、アクリル板のパーティションを設置していたのだが、わたしは濃厚接触の疑いがあるということで勤務先から自宅待機を命じられた。
結局のところ保健所は濃厚接触に該当しないと判断したのだが、勤務先から「大事をとってそのまま三日間は自宅待機してほしい」と連絡があった。
かくしてわたしは自宅でみずからを家族から隔離するように、リモート部屋に布団を敷いて起居することとなった。
リモート部屋は六畳ほどの広さで、窓際の隅に机と椅子、モニター、プリンターが置かれている。
そのほかの荷物も雑然と置かれているのだが、布団で寝るぐらいの広さはある。
自宅待機の旨を関係各所に連絡し、そのおかげで滞った仕事をなんとか終えて、夜中にようやく身を横たえるとふと文庫本が目にとまった。
リモート部屋には文庫本専用の本棚が四つあり、棚の上の方には未読の、つまりは積ん読状態の本が並べられている。
下の段には、すでに読み終えたものか、読み途中のもの(あるいは挫折したもの)が入っている。
布団に入らなかったら下段の本には目が届かなかったかもしれない。
そこにあったのは、二階堂奥歯『八本脚の蝶』(河出文庫、2020年)。
かつてハードカバーも買い、読み終えることができず、文庫が出たら文庫も買い、こちらもまた読み終えることができず、そのままになっていた。
なぜか今度ばかりは読めるような気がした。
そうしてこの三日間、仕事の合間に少しずつ読み進めている。
<1977年生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。編集者。2003年4月、26歳の誕生日を目前に自らの意志でこの世を去る。亡くなる直前まで更新されたサイト「八本脚の蝶」は2020年現在も存続している。>
二階堂奥歯と面識はない。ただ彼女が大学にいた当時、わたしは留年を重ね、まだキャンパスをふらふらしていた。わたしのいた文系サークルには、彼女がいたという哲学研究会に出入りしている者もいた。留年を終えて、なんとか会社勤めを始め、学生時代の知人に再会したところ、「哲学研究会のOBが中心となって『記憶の増大』というサイトをやっている。二階堂奥歯という人がそこに『八本脚の蝶』という日記を書いている。あなたはボルヘスを好きなようだから、もしかしたら彼女が書いているものも気に入るかもしれない」と言われた。そのようないきさつがあって、わたしは時折パソコンで「八本脚の蝶」をのぞいていた。
「あなたはボルヘスを好きなようだから」という言い回しはやや唐突なようだが、わたしとしてはそう言われたのがわからないでもない。およそ大学というような場所にはひそかにボルヘス読者の群生地があり、わたしはそこにはいなかったけれど、きっと知人には生息地を離れてひとりはぐれているような存在に思われていたのかもしれない。実のところ、ルルフォの書くものの方が好きだったのだけれど。
彼女がみずからの死を「八本脚の蝶」の中で宣告し、日記の更新がとまってからどれくらいたっただろうか。ひと月もなかったかもしれない。
仕事を終えてひとりぐらしのマンションに戻り、夜中にネットを巡回していると、彼女の別れの言葉を見つけた。
それでも彼女を追悼する言葉がネットで散見されるようになり、わたしはそれが実際に起きた出来事だと知ることになった。
直接の知り合いではなかったけれど(知り合いの知り合いだ)、彼女の死はずっと引っかかっていた。
だから「八本脚の蝶」が出版されたとき、迷うことなく買い求めた。
読めなかった。
ずっと読めなかった。
あれから二十年近くたち、ようやく読む気になったのはどういうわけか自分でもよくわからない。
一方で、この二十年ばかりの間なぜわたしは文学書をほとんど読むことができなかったのかはなんとなくわかった。
学生の時分には翻訳文学をそれなりに好んで読んでいたはずなのだが。
わたしは社会生活を送るために、いつの間にやら自分のリソース(脳味噌のキャパシティ)のほとんどすべてを消費していたのだ。
「八本脚の蝶」を読みながら、他者が構築した架空の世界に遊ぶときのどきどきした感じ、わくわくした感じ、ひりひりした感じ、そういったものを思い出し、わたしはきっとそこに惑溺してしまうから、意識的に遠い場所に置いていたのだろうと思った。
二階堂奥歯は生活しながらも虚構と現実を往還していたのだろうと考えると、そのために使われた膨大なエネルギーは超人的なものだったと想像してしまう。
二階堂奥歯のおかげで久しぶりにちゃんと小説を読もうという気になったのだけれど、やはりわたしは本の中に沈潜してしまって、なかなか仕事が手につかない。
「八本脚の蝶」は東大寺大仏殿にある意匠(飾り)のことらしいのだが、そういえば三年ほど前に東大寺を訪れたとき、そのことを確認するのをすっかり忘れていた。
個人的にワーキングメモリーを鍛えるのに役立ったなと感じた事を挙げる。
自分も増田の言及している人物と似たようなレベルだったが、これらを続けて別人レベルに改善されたと思う。
まだまだこういった情報は世の中に普及してないので、知らずにもったいない人生を送っている人がたくさんいるだろう。
これはマジで効く。騙されたと思ってこんまりの本を読んでから思いっきり断捨離してほしい。
(なぜ先にこんまりの本を読むかというと、物が多いやつが自分のそれまでの考え方を引き継いで断捨離したところで捨てられないままだからだ。外部からマインドに介入する必要がある)
物の多さに専有されてた脳内メモリーが解放されかなり頭がスッキリする。
何があるか、どの場所にあるか、いくつあるか、普段は意識してなくても無意識に脳が使われていた諸々の情報が一気にクリアされるのだから当然だ。
ADHDだから物に溢れるのではなく、物にあふれているからADHD傾向が高まるという側面も大いにあると思っている。
我々の脳は以前として原始のままで、現代に適応しきれていない。だから原始脳ベースで考える必要がある。
次の食べ物にいつありつけるかわからない時代の原始のままの脳は、食べ物を見ると自動的に脳の報酬系にスイッチを入れ食べたくなる。
我々は原始脳の「自動的に行われること」から逃れられない。ならばそれは環境でコントロールするしかない。
物が雑然と溢れている状態は敵がどこに隠れているかわからないような状態だ。
常に無意識的に周囲の状況を把握し気を配りマルチタスクが行われている。
物が多いとそれだけで注意散漫になるのだ。(※1)
(※1 参考1・https://wired.jp/2016/04/22/clutter-and-creativity/ )
(※1 参考2・https://studyhacker.net/what-is-dmn)
これだけでかなり効果がある
これも効く。脳の灰白質が物理的に増加するので効くに決まっている。
ただしこちらは即効性はない。根気よく続けることで徐々に効いていく。
最初は1分やるだけでも落ち着いていられないが、徐々に長い時間できるようになる。
20分以上が良いと言われているが、忙しさとの兼ね合いもあるので自分は毎日10分やるようにしている。
先延ばしにしている事があると、常に脳の中にその出来事がキープされていて、マルチタスクをしてるのと同じ状態になる。
これはワーキングメモリーを圧迫する一因となる。
これを処理するだけでもかなりワーキングメモリーが解放される。
郵便物や書類、未処理のまま溜まってませんか?こいつらの有害性はすごいよ
すぐ処理するか、いらん書類は捨てよう。経費と関係ないレシートとっててもWM圧迫するだけで意味ないよ?(かつての自分へ)
心配事や先延ばしにしていること、何でもいいので頭の中でわちゃわちゃしている事を一旦紙に書き出そう。
脳内だけで処理していたものを外部に書き出すことで、頭の中のごちゃごちゃが鮮明になりスッキリする。
厳密なやり方にこだわる必要はない。とにかく書き出して「全部見えるように」する。
とにかく選択肢を減らす事。
数十円のお得のためにワーキングメモリーを台無しにするのはもっと大きな損失を被っている。小を捨て大に就こう
あとこれは自分は試してないけど「Nバック課題」ってのが効くという噂→https://yuchrszk.blogspot.com/2016/11/2016_30.html
ちなみに自分はここに書いた情報の大部分をDaiGoやパレオな男さんから仕入れていたので、人間的弱者こそ侮らずに両名やその他エビデンスベースの人生指南に頼るといいだろう
ということでオススメの書籍も紹介しておく。どれもエビデンスベースの本なので人間の性質への理解が深まり、改善のヒントになるはずだ。
興味があったらぜひ読んでみてほしい
脳の神経可塑性、つまり脳は後天的な訓練で変えられるぞ!という内容が書いてある
脳には神経可塑性があるという事を知ってると知らずとでは、行動やモチベーションに大きな変容がある。
これを知らないと、どうせ何をやっても変わらない、何の意味もないと投げやりな人間になってしまいがちだ。
自分をマシにするモチベーションのためにも読んでおくと役に立つ。
等々
どちらも自己コントロールをするエネルギーの源泉(意志力)について。
前者は平易な文章、後者はやや権威的な文章で書いてある。ちなみに意志力の提唱者は後者。
第6章から「ADHDも運動で改善できるぞ!」って事が30ページを割いて書いてある。
俗なタイトルからは脳筋な内容しか連想されないがきちんと科学的なエビデンスベースの本である。
等々
一部抜粋
ドーパミンとノルアドレナリンが注意システムの調整において主導的な役割を果たしていることを考えると、ごく大まかな説明ではあるが、運動によってADHDの症状が緩和されるのはこの2つの神経伝達物質が増えるためだと言える。それも"すぐ増える"のだ。(P200冒頭)
※ちなみにこの本で効果的と示されてるのは筋トレではなくジョギング等の有酸素運動のほうである。
この本に関しては自分が読んだわけではないがブコメで推薦されていた物。
中身の紹介を見てみたが、まさに自分がここに書いた内容が体系的にまとめられていて、とても良さそうだったので薦めておく。
他の4冊はワーキングメモリーそのものに言及した内容ではないので、時間がない人はまずはこの一冊だけで良さげ。
http://smoothfoxxx.livedoor.biz/archives/52112063.html
なんか思いの外バズったので、もしかしたらこういう情報が需要があるかもしれないので書いておく。
自分はこの増田を、かつての自分みたいな人を助けたい、役立ちたいと思って書いたので、もしこの記事を紹介、転載したいというメディアの方がいたらどうぞ無許可で広めてくださって結構です。フル引用も可です。
「ここに書いてあることを習慣化できたら苦労してないんだよ!」という人にオススメの書籍
脳は急激な変化を拒むがグラデーションのような連続的な変化には気付きづらい。
その脳の特性を理解し、自分の脳を騙して脳が気付かないくらいの小さな変化から習慣化していこうというアプローチの本だ。
自分の例でいえば、最初は瞑想を1分から始め、徐々に強度をあげていった。
挫折するのは気張るから。本当にバカバカしいくらいに意識の低い「しょぼい習慣」から始めよう。
歯磨きやシャワー・お風呂など、日常の中の既に習慣化されている事にフックして習慣化するIf-Thenルール(If-Thenプランニング)もオススメだ。(例・朝のシャワーあがりに瞑想する等)
わたし増田!どこにでもいるごく普通の港区OL。いままでディルドなんてこれっぽっちも興味なかったのに、ある日突然人外ドラゴン極太ディルドを購入するハメに!?
なぜエログッズ処女が突如規格外のクソデカ模造ちんぽを買うに至ったのか。その理由は半年前に遡る。
ケモナーになったのだ。
四半世紀ぼーっと生きてきてそれまでケモノ系はマジで興味なかったのだがある日突然
「FURRY、イイじゃん…」
となりそれまでの性癖が180度変わった。
いうなればちんぽのエウレカが発生したのであり、人類の性に対する貪欲さがうかがえる。
とりあえず購入したはいいもののどうしたらいいかわからず3日くらい封も切らずに放置していた。
エログッズは使うまでが一番恥ずかしい。オナニーでもパンツを脱ぐあたりが一番萎える。
しかし今日2回連続でめちゃくちゃな淫夢を見てこれはきっとドラゴンのお告げに違いないな…と天啓を得たため、いよいよ使用することに決めた。
ベッドの下にあったダンボールを開封する。中身もろくに見ずに洗面所に持っていく。途中ウォッカを飲んだ。通常、人間が極太ディルドを挿入しようとするとき、素面では耐えられないとされているためだ。
さて。いよいよご対面するわけだが、焦りは禁物だ。まず全身をくまなく洗う。ついでに歯も磨いた。ドラゴンは神聖な生き物なので汚れた身体で向き合うのは失礼にあたる。
この時点でかなりめちゃくちゃ緊張していた。ディルド。ちんぽ。自らの業ともいうべき性癖について。アルコールに撹拌された思考が雑然と巡り、ついにシャワーを止めるその時が来た。
炎龍。
パッケージにはそう書かれている。
そそり立つフルブラックのちんぽ。デカい。太い。超かっこいい。
ヤバいな…と思った。しかし何がどうヤバいのかはよくわかっていない。ディルド自体な初めてなのでこれが大きいのかそうでないか判断できないのだ。ただなんとなくこれは人体に入れるにはちょっと無理があるんじゃないかとは思った。なんかトゲとかあるし…
ようは穴に棒を入れる、ただそれだけのこと。小学生だってわかる単純な仕組みだ。こんなクソデカ人造ドラゴンおちんちんになんて絶対負けないんだから!
結論を言うと、勝てなかったのだ。
とりあえず一切慣らさずに突っ込んだ。
入り口が広がる痛みを想定していたが予想に反して中が痛い。抉られるような痛みに耐えつつ徐々に押し込んでいくのは真性のマゾ的にはかなり嬉しいシチュエーションだったものの、途中でマジこれ入らん無理、タンマ、てなってちょっと抜こうとしたらズルルルルッ‼︎て全部抜けて悲しかった。情緒とかないんか?ないよね、ゴムだから。
本当にヤバいものをナカにぶち込まれたとき、人は濁点喘ぎするんだなってわかりました。
まぁ押したり引いたりしてたら最終的には全部挿入った。すごいキツいけど。ここまでで気持ちいいとかではなくひたすら達成感があった。ひとまずディルドを挿入するという目的は達せられたのでほっとした。
が、まだ達していない。イくまでがオナニーです。
一旦入れてしまえばあとは普通のオナニーと変わらないので所定の手順に従い普段通りに自慰行為を進めればいい。姿勢に多少無理はあったが、不可能とまではいかない。
それは楽な仕事だった。そのはずだった。
人生で生きてきて一度も感じたことのないレベルの強烈な刺激が脳髄を破壊する。痺れるような快感とはまさしくこのようなものを指すのだろう。オナニーってなんだ、セックスってなんだ。これは一体なんなんだ。言語化できない快楽が頭の中を突き抜け、あらゆる思考を停止させる。
きもちいい。
それだけ。
終わった後もしばらくぼーっとしていた。今こうして文章を書いているときでさえ、未だに余韻を引きずっている。
すごい。あれはほんとうにすごいものだ。
おすすめです。
マジで忘れられん
イスタンブールの朝が初海外だったっていうのもかなりデカイ気がするんだが、にしたってあれは良かったよ
港町っぽい、なんとなく風が海っぽくて潮の匂いがこころなしかするような感じ
あの辺の気候なのか、ちぎれ雲が多くて、よく晴れてるんだけど色の薄い空
道路がほんのり汚い感じ
壁に大量の落書きがしてあること
その辺に露天がいっぱいあって、謎のプレッツェルみたいなのを山積みにしていること
野犬がうろついていて怖い
そのへんの看板が全部アルファベットあるいは読めねえ文字で書かれてて、心細い
その辺で釣りしてる人の多さ
飯が安くて美味い
交通がメチャクチャで、信号が全然ないし、あってもみんなガンガン無視してる
それで渋滞が起きてて、渋滞してんだからどう考えても意味ないのに、なぜかみんなクラクションを鳴らす
うるせえんだよな ホテルで寝てても結構夜遅くまでパーパー言ってるのが聞こえてきて、この街頭おかしいだろ!なんて思うんだけども、なんかだんだんクセになってくる
そんで朝起きだして外出ると、あの独特の、言葉にしがたい朝の雰囲気、雑然とした活力の感じ、あーー……
イスタンブール行きてえな
でも英語で話したりするのは嫌だな
専門的には眼閃というそうだが、とにかく「目をつぶる 色」とかいうようなキーワードで画像検索して出てくる絵があまりにも雑すぎる。
色と色の境界がはっきりしすぎていたり、ただ一面バケツで真っ黒にした地で赤とか青点を打っていっただけみたいなのしかない。
眼閃が起こっている視界はかなり曖昧なものであるはずだ。そんな手抜きで表現できるようなものじゃない。
あれは目を瞑っているときしか見えないというふうに考えられがちだが、単一色の壁の前に立ってもなんとなく見える。目をゆっくり瞑っていくと地続きにその色合いが濃くなっていくのが分かる。
つまり本当は常に起こっている現象なのだと思われる。普段の雑然とした視界の中では目立たないだけのことだろう。
この現象をなんとか固定化できたらどれだけの価値があるだろうかと思う。
眼閃は絶えず変化していて絵として描くのは難しい。しかも基本的に暗い所や目を瞑っているときしか見えないのも難点だ。
しかし葛飾北斎がスーパースローカメラのない時代に波の動きを見事に固定化したように、これを描き切れれば現代芸術の枠組みなどでそれなりの評価が得られることだろう。
頭の上からその絵をセロハンテープなんかで貼り付けて、目を開けたときにその人が目を開けても「視界が変わらない」ことに違和感を感じるかどうかで、作品の再現度は図れると思う。ちょうど眼鏡のつけ心地が良すぎてかけてるのを忘れてしまったために眼鏡を探し始めてしまうことがあるように。
ただ目の前の眼閃のイラストを見るとき、その見る人の頭の自体で既に眼閃が起こっているわけで、いわば二重にその現象が視界の中に捉えられているような状態になるわけだから、そこらへんをどう吟味すればよいかの問題はあると思う。
韓国映画パラサイトの金持ちが住んでるような1階はガラス張り、広い庭、愛玩動物ミニチュアダックスフンド付きで、若干雑然としていて生活感はあるもののアイテムの一つ一つが洗煉されオシャレな一軒家に暮らす幼い主人公。
彼は妹が生まれたことで両親の愛情や関心が妹にばかり向かってしまい嫉妬し泣いてしまう。
妻が職場復帰したことで在宅勤務の仕事(恐らく相当な高給取りであろう)とそんな2人の幼子の育児に忙殺される父親の苦悩。
両親の実家との関係も良好そうで、祖父母からは孫である主人公と妹に多大なる愛情が向けられていた。恐らく実家の方もそれなりには裕福であろうことが覗かせる。
冒頭ではそんな様子がいろいろと描写されていた。
こいつらに苦悩があるなら俺の人生はなんだ?
こいつらからすると俺の住処などうさぎ小屋にでも見えてるのだろうか?いや俺みたいな階層の底辺、視界にすら入ってないんだろうな。
そんなに辛いのだったら俺がお前の人生変わってやろうか?こいつらは明日俺と身分が変わってたら絶望し発狂して死ぬんだろうか?
そんなことばかりが頭に浮かんだ。本編など何も頭に入らなかった。いや正確にはあの辺りから先を見ることができなかった。
気づけば涙が止まらなかった。
俺の生きてきたすべてが侮辱された気がした。
俺にはわかる。
高校生の頃の話。私は自分の足が嫌いだった。25.5cm。可愛い靴なんて入りやしない。Lサイズは大体24.5まで、たまに25。
そんなあるとき、どうしてもかわいい靴が履きたくて、都心にある大きいサイズの店を探し出した。数日後、たまたま母と都心に出かけたとき、そのお店のことを思い出し、「ちょっと覗いてみたい」と頼んでいってみた。たどり着いたのは、一階も二階も両方靴屋さんになっているビル。一階は、いかにも高級店という感じのキラキラ空間。デパートなどでよくある、見本を一足ずつしか店頭に並べていないお店だ。綺麗に身なりを整えた、若い女性店員が一人。二階はというと、お目当ての大きいサイズ。一階とは打って変わって、飾り気のない蛍光灯、壁の棚にぎっしり詰められた靴たち。あれは並べるというより詰めていたという方が近い。なよなよした中年男性の店員さんが隅っこにぽつんといた。
たくさん靴は並んでいたけど、私の憧れていたような可愛い靴はなかった。雑然とした店内も相まって「足のデカい女は可愛い靴なんて無理なんだ」と落胆し、帰ろうとしたその時。
「よろしければ、足、測っていきませんか」
隅っこでコケが生えるんじゃないかというくらい静かにしていた店員さんが声をかけてきた。足がデカいという現実を数字で突き付けてこようという作戦か。断ろうとしたが、「無料ですので」という言葉に気をよくした母がすっかり乗り気になってしまい、私は足を測ることになった。そうして連れてこられたのは、一階のキラキラ空間。なんと、まさかの同じお店だったのだ。あれよあれよという間に、大きい体重計のようなものに載せられた。乗るだけで、足の大きさ、幅、重心など、ありとあらゆることが分かるらしい。すごいものがあるんだね、世の中には。
そうして告げられた私の足は、24.5cm。んん? 1cm足りなくね?
一階に降りてからやけに元気になった店員さんにそういわれて、私は何年も間違ったサイズの靴を履いていたことを知る。測ったら、次は靴選び。何がほしいか聞かれ、お店に行ったのが冬だったこともあり、私は「ショートブーツがほしい」と答えた。ややあってお店の奥から、女性店員さんが箱を持ってきてくれた。中に入っていたのは、足首のあたりにファーのついた、グレーのショートブーツ。
測定結果に基づいて選んでもらったので当然と言えば当然なのだが、驚くほどフィットした。ヒールだって3cmくらいのものがついているのに、その辺のスニーカーより歩きやすい。もちろんお買い上げ。14000円。高校生からすれば目の玉が飛び出るほど高額だったしそんな手持ちもなかったが、同行していた母に支払ってもらい事なきを得た。
あれから何年も経ち、奇跡のショートブートはついに合わなくなった。外反母趾にもなり、あのころとは足の形が全く変わってしまった。今は誰に履かれることもなく、靴箱で眠っている。緊急事態宣言が明けたら、またあのお店に行ってみよう。
パンプスが痛い、靴擦れするという方は、ぜひ一度足を測ってみて下さい。お値段は張るけど。
スキルは様々。
毒入り抹茶Lv.10、フェミ隠しLv.5、鼻くそ弾Lv.20、茶柱Lv.55、茶柱手裏剣Lv.15、応接スマイルLv.0(固定)、灰皿クリーナーLv.20、給湯座談会Lv.98、陰口Lv.70、観葉植物への水やりLv.30、ゴミ箱のビニール交換Lv.10、辞表の理(ことわり)Lv.60。
ちなみに鼻くそのスキルレベルが低いのは、自分自身相手のお茶に鼻くそを入れることに生理的嫌悪があるからだ。
高圧的な取引先に対して茶柱手裏剣を見舞って転倒させたこともある。
私はフェミだけどイケメンは別口だ。イケメンなら最悪服従してもいい。
そう思っているせいでフェミ隠しもそんなにレベルが上がらない。
しかしN上司の依頼は、バーコード頭のYにもお茶を入れてくれというものだった。
Yには鼻くそ爆弾を何発か見舞った程だ。スキルにはない鼻毛を入れて怒られたこともある。
他ならないNの依頼とあってはしかたないと思い、片方の茶には鼻くそを入れ、もう片方は茶柱を発動して事に臨んだ。
彼女は私が入れたお茶を自分が渡すと言ってぶんどってしまった。
ウェーブはその持ち前の鈍さを遺憾なく発揮して鼻くそ入りをNの前においてしまった。
茶柱が立って喜ぶY。
しまったと思ったが、もう遅い。
私はNの口元に茶が運ばれる前にスキル「観葉植物の水やり」「灰皿クリーナー」を合成してお茶の鼻くそを浄化した。
すかさず聞こえてくるNの声。
「うわなんだ、これ。水じゃないか」
ウェーブは赤っ恥をかき、Nはただの水を飲んだが事なきを得て、Yはホッコリ顔で仕事に励んでいる。
しかしただでは済まない。
ウェーブはブチ切れて給湯室で私に詰め寄ってきた。
何やら喚き散らすウェーブを尻目に「応接スマイル」を連発し、「ゴミ箱のビニール交換」スキルを使ってストッキングを半脱ぎ状態にしてみせた。
ウェーブは転倒して叫び声を上げ、その上に「鼻くそ弾」の直弾、「茶柱手裏剣」が追撃を加えた。
ウェーブは意識を失ったせいで私の弁解タイムはそれなりに確保された。
それ以来スキルは誰にも気づかれていない。
観葉植物の水やりが一瞬んで終わることも、お茶がなんとなくクリーンなことも、全く気づかれることがない。
ただ、私はLv.99だ。なにかかが強いわけではないが、お茶くみの世界では最強だと思う。
しかし、お茶くみの世界で最強、という称号になんの意味があるのかと問いかけられると心細くなる。
そうやってデパ地下で一人心細くなっていると、弁当を入荷している業者さんの荷物――おそらくオキニの牛とろ弁当――が今まさに崩れようとしているのが目に入った。
商品は高価だし、私はお得意様だし、業者さんがリカバーに入ろうとしているのがスローモーションで飛び込んできた。
私の目が光った。
「鼻くそ弾――!」
高速で射出された鼻糞が弁当の底面を滑らせ、高速回転する。
良かったですね、と私は「応接スマイル」を発動。
業者さんは、
「後でお礼したいのでせめて名前だけでも」
そう思うと気が気ではなかった。
大層奇特な面を持つOLとして私は帰宅し、9時台のドラマを見て就寝した。
Lv.99だが特に便利なところはない。睡眠が時短できるわけでもなければ、お給金が上がるわけでもない。
そして、レベル99であることにほぼ誰も気づかない。いや、デパ地下の業者さんも意味不明だろう。
そういえばLv.99ってなんだろうと寝る前に考えた。
これまで私が行ってきた違法視聴や違法ダウンロードの総量は数知れない。学生時代から数えて10年ほどになる。
羅列はしたものの、性的なコンテンツがその85%を占めている。
学生時代の私は、「買いたくてもお金がない。だから仕方がないのだ」という幼稚かつ短絡的な考えでもって、そういう違法アップロードを行っているサイトをくまなく巡り、コンテンツを集めてきた。
(ここに書いても影響がないので)すでに潰れたサイトでいうと、DROPBOOKSだ。かの有名な星野ロミが運営していたサイトのひとつであり、品揃えがいえば国内、いや世界最大級だったと言っていい。
今回を機に、これまで私が上記サイト等で違法ダウンロードしたコンテンツを数えてみた。フォルダ内を全選択して、どこか下の方にフォルダ数が書いていないかを見てみる…
「1159」
これが結果だった。漫画に限った話なので、動画も含めるとさらにとんでもない数になる。
もし、私がこれだけの冊数を正規に購入していたとすると、1冊あたり税込800円と仮定して、1159×800=927,200円となる。
これは凄い金額のように思えるし、たったこれだけか、という感想も確かにある。
学生時代の私も、社会人若手時代の私も、中堅社員としての私も、大して罪悪感のない状態で違法視聴等を行ってきた。
①これは公共財だからいいとか、②この漫画家は社会的によくない思考を持っているので勝手にダウンロードしてもいい(※当時でいうと「もつあき」や「Iris Art」)とか、③この漫画家は芸術性の高いエロ漫画を描くので、敬意を込めてアマゾンで1冊だけ購入しよう(※当時でいうと「無望菜志」や「宵野コタロー」)など、いろいろとんでもないことを考えていた。
今では考えが変わっている。
①について、性的なコンテンツが公共財なんてことはないにせよ、『社会福祉』の一環ではないのか?と考えるようになった。
②について、今では、精神的に不健康な作品を描く漫画家に出会ったとしても、「この作家は今は低いレベルで生きているかもしれないが、いつかは人間愛に溢れた作品を描くようになるかもしれない」と思えるようになった。
③について、今の私は違法サイトを覗くことはなくなっている。お金をちゃんと払って、公式サイトでコンテンツを買うようになっている。が、まったくゼロになったわけではない。欲に負けて、違法サイトを見てしまうこともある。しかし、少なくとも違法ダウンロードをすることはなくなったし、イイと思う作品を見つけた時は必ず購入している。
どうして考えが変わったのか。
2019年頃から、違法サイトそのものがガシガシ潰されるようになり、そういうコンテンツに出会う機会が急になくなった。
※それより前だと、DLsiteその他の公式サイトで販売・配信されているコンテンツであっても、ごく普通に違法サイトにアップロードされていた。
1年ほど前のことだった。
私は、人生で初めてDLsiteで性的コンテンツを購入した。作品名は恐れ多いので申し上げないが、トランス・トリビューンの作品だったと記憶している。
違ったのだ。
これまでとは違った。
物語が頭に入ってきた。これまでの雑然としたページの捲り方とは違う。一コマ一コマを脳が処理する精密さ、キャラクターへの入れ込み、描かれた物に対する視覚の強さ、絵では表現されえないはずの物音への興味、作品に込められた愛、思想、意味、感動、情熱! とにかくそんなことになってしまった。
なぜ、ここまで違うのだろう。
対価を用意し、作品を買った。これは私の所有物だ。できるだけ、ゆっくりと楽しまなければならない。そうい気持ちが芽生えたのだ。
タダで見ているものは、これとは違う。そこまで丁寧な気持ちで読み込もうとは思わない。
一コマ一コマを、ただなんとなく眺めていって、そういうシーンだけは熱を込めて読んで、後はどうでもいい。読み終わって面白ければダウンロードし、面白くなければそのままページを閉じる。それだけだ。
お金を払うという行為によって、作品に対する印象や、作品の価値そのものが変わることがわかった。
でも、私が変わった原因はそういう体験をしたからではない。いや、上記の行動はただのきっかけに過ぎないのだ。
私自身が、人間として成長を遂げたから――すなわち、自分に関係するすべての人間に対して感謝すること、支払うべき対価は損をしてでも支払うべきであること、ある作品の創造者に対して敬意を示すこと、そのほかにも多くの気づきや洞察を経て、私が人として成長したからこそ、『コンテンツをお金を払って手に入れる』自分になることができた。
今、私には読みたい作品がいくつもある。少なく見積もっても25冊はある。
ひとつの作品をゆっくりと楽しむようになった関係で、読んでいる時間はぜんぜん足りていないが、それでもすべて読んでみたいと思っている。
働くことを止めてから、はや数か月が経とうとしていた。
小説を書くなどと嘯き苦し紛れに書き始めた原稿も、誰にも責め立てられずただ時間ばかりが過ぎて遅々として進まない。今ではただ実体のある焦燥感の源と化している。
文才があるんだなんて言われ、それを真に受けて売文屋になろうとした。なれなかった。一昨年から昨年にかけてそのことは十分確認したはずだ。
では何故文章から逃れられないのか。書かずにいられないからだ。
これはクソみたいなものだと思う。
トイレみたいな臭い箱に閉じ込められるなんて誰でもご免だが、それでも内臓を汚物が圧迫していることの方が遥かに不快だから、自らあの不衛生な空間に進んで入ろうとする。
じゃあ今は便秘みたいなものなんだろう。だとしたら苦しくて当然だ。だけど文章はクソではないので、浣腸をする穴なんて無い。
夜は眠剤も飲むし、他にも色々なものを食っているから、いずれにしても酒なんて飲むべきじゃない。
それでも今日は浣腸の代わりに一杯だけ口に入れた。まずくて後悔した。
けれど少しだけ正気が戻って、一つだけ思い出したことがあった。
部屋の片隅に雑然と置かれた段ボール箱、その中には職場から持ち帰って来た文房具やメモ帳、カレンダーが入ったままになっている。
その奥の奥、そこを探ると、やはり思ったとおり、吸いかけのタバコが入っていた。
数年前、女友だちと二人で酒を飲んだあとで買ったのだった。
二人で何本か吸ったあと、女友だちが「これ、持っていて。次に飲むとき持ってきてね。」と私に手渡したものだった。コロナ禍が来て、「次に飲むとき」が来ないまま疎遠になった。
人生で一度も見たことない名前の、置き場に困りそうなでっかい箱のゲームや、
修学旅行に持っていくためだけに作られたような小さい箱のカードゲーム、
仕入れた店員も遊び方把握してないと思われる埃っぽい土色の英語の小箱、
雑然と、ごちゃっと、どこに何が置かれているかわからない状態で表向いたり横向いたりして眠っている
え、ここ輸入品のカード箱とかちらっと置いてたかつてのボードゲームショップのノスタルジーコーナーかなんかなの
あるいはなんの文字もない古びたゲームらしき小箱を手にとった瞬間から始まる、文庫本1冊ぶんの不思議な冒険なの
それはそれとしてDeviantArtのUI変更とPixivのUI変更は似てる。
知ってる人にとっては超当たり前ではあると思う。
一応説明するけどDeviantArtは海外のPixivみたいなアート投稿サイト。
DeviantArtの旧UIはPixivの旧UIとかなり似ていて雑然とした古き良きサイトという感じがあった。
比較してる人がいたんで気になったら見てくれよな。
https://www.youtube.com/watch?v=KxcQ1z_J-iw
何故なら俺は未だにDeviantArtのシステムを理解していないから。
ブロックチェーンや暗号通貨、Web3.0、Dweb というのはここ数年、そしてこれからのバズワードであるようだ。
ここ一週間ぐらいだろうか。マイナンバーにブロックチェーンを導入しようとしている事業に関して色々な議論が発生しているようである。例によって議論に向かない Twitter 上で発生している。というか何が議論の中心になっているのかイマイチよく分からない。ただ雑然と荒れているという感覚がある。
私は技術・歴史・文化といった面からブロックチェーンや暗号通貨に対して知識がなく、学び始めたのはここ一ヶ月と言ってもいいだろう。学ぶ、といっても転がっている日本語の一般的なメディアの記事を気が向いたときに読み散らかすぐらいである。真に技術的なことは何一つ分からない。暗号通貨は Bitcoin とEthereum しか知らないし所持しているのはたまたま貰った僅かな ETH しかない。金銭的に貧しい多摩川に転がっている石くらいどこにでもいる17歳JKである。と逃げの文言を置いておく。
囲み取材で数十秒話したことが記事になっているので、正確に伝わって無さそうです。
・マイナンバーカードをいずれカード不要にしてスマホにインストールできるようにしたい
・その前にそもそも、普及のためマイナンバーカードの発行総数を増やす必要がある
という趣旨かと。
加納氏のこの時期のタイムラインから現在に向けて遡れば様々な第三者の感想や疑問を得ることができるだろう。これらに纏めて答えているのが以下の記事である。
ブロックチェーンの優位性①疎結合|加納裕三/Yuzo Kano
https://blog.blockchain.bitflyer.com/n/n4b45329e308c
加納氏とは一体何者なのかは以下を参照。
東京大学大学院工学系研究科修了。ゴールドマン・サックス証券会社に入社し、エンジニアとして決済システムの開発、その後デリバティブ・転換社債トレーディング業務に従事。
2014年1月に株式会社bitFlyerを共同創業し、2019年5月に株式会社bitFlyer BlockchainのCEOに就任。
bitFlyer創業以降、法改正に関する提言や自主規制ルールの策定等に尽力し、仮想通貨交換業業界の発展に貢献。
日本ブロックチェーン協会代表理事、ISO / TC307国内審議委員会委員、官民データ活用推進基本計画実行委員会委員。
2018年G7雇用イノベーション大臣会合、2019年V20 VASPサミットに出席。
ttps://finsum.jp/ja/2019/speakers/recQMoKK5nD9yb8Ht/profile/
ブロックチェーンを語るうえで何が重要かというと、その言葉の定義である。議論に参加している人が同じ言葉を使っているのに、各人の言葉に対する定義が異なっていると、言葉は理解できるが内容が理解できないといった状況に陥ってしまう。このことは実生活でも頻繁に起こっているように思えるが、Twitter という短文が好まれるプラットフォームでは著しくないがしろにされ不毛な議論を生む原因になっている。
加納氏が代表の JBA (日本ブロックチェーン協会)に依ると、ブロックチェーンの定義は以下の内容である。
ブロックチェーンの定義
1)「ビザンチン障害を含む不特定多数のノードを用い、時間の経過とともにその時点の合意が覆る確率が0へ収束するプロトコル、またはその実装をブロックチェーンと呼ぶ。」
2)「電子署名とハッシュポインタを使用し改竄検出が容易なデータ構造を持ち、且つ、当該データをネットワーク上に分散する多数のノードに保持させることで、高可用性及びデータ同一性等を実現する技術を広義のブロックチェーンと呼ぶ。」
定義策定のアプローチ
まず、Satoshi Nakamoto論文およびその実装である、ビットコインのブロックチェーンをオリジナルのブロックチェーン(以下「オリジナル」)として強く意識しています。
狭義のブロックチェーン(定義1)は、オリジナルを意識し、それが備える本質的で不可分な特徴を捉え、言語化しました。
広義のブロックチェーン(定義2)は、昨今〜今後の技術の展開を鑑み、オリジナルが備える特徴であっても、別の実装方式や別の目的への展開などにおいて、置換や変化が行われていく広がりを許容しながらも、特徴を捉えられるよう、言語化しました。
総務省のページも見つけたが JBA が定義するものを基礎としている。
ttps://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h30/html/nd133310.html
私が疑問と漠然としたモヤモヤ感を抱くのは、最近の一般層で使われているブロックチェーンの定義には「信頼できる第三者が不要である」という点が抜け落ちているように思われることだ。非中央集権SNSで暮らし脱中央集権を推進したい私にはこの点が"ブロックチェーン"の一番重要な点であると思うが、JBA の第一定義にはこの点が記載されている。不特定多数へのインセンティブによって不特定多数による合意を形成している。これによって「信頼できる第三者が不要である」は満たされている。
blockchain (3.6)
distributed ledger with confirmed blocks organized in an append-only, sequential chain using cryptographic links
Note: Blockchains are designed to be tamper resistant and to create final, definitive and immutable ledger records.
distributed ledger (3.22)
ledger that is shared across a set of DLT nodes and synchronized between the DLT nodes using a consensus mechanism
Note: A distributed ledger is designed to be tamper resistant, append-only and immutable containing confirmed and validated transactions.
ISO の定義によれば、ブロックチェーンは、暗号化リンクを使用した一連の鎖で、追記のみで構成された確認済みブロックからなる分散台帳を指す。改ざんに強く、最終的で確定的で不変の台帳記録を作成するように設計されている。分散台帳は、一連の DTL(分散台帳技術)ノードで共有され、合意メカニズムを使用して DTL ノード間で同期される台帳である。確認された有効なトランザクションを含む全てが、改ざん耐性、追記のみの不変性を持つように設計されている。
さて、加納氏の投稿やその他の加納氏に批判的/賛同的な人たちの反応を見ても、彼らの言っている内容がブロックチェーンの定義を満たすものなのかいまいち分からなかった。
・ビザンチン耐性(BFT)
・改ざん耐性
私はブロックチェーンの主な利点はこの5つ(ただし5つにだけではない)だと考えています。これをここでは5大利点と呼びます。
なおかつ、この5大利点を概ね満たしているものをブロックチェーンと呼んでいます(ただしブロックチェーンと呼んでいるものは、すべてこの定義だとは言ってない。かつ、ブロックチェーンの厳密な定義はこれではない。)
なぜ前提として厳密な定義を加納氏の言葉で説明せずに、勝手に加納氏が定義した内容を”ブロックチェーンである”と語っているのか理解に苦しむが、加納氏の説明したい"プライベート・ブロックチェーン"を ISO の定義を基に判断すると、
加納氏の上記の2つの投稿からは、"プライベート・ブロックチェーン"と"パブリック・ブロックチェーン"のどちらを指しているのか不鮮明ではあるが、note の記事では"プライベート・ブロックチェーン"を想定している、と明記されており、議論の発端となったマイナンバーとブロックチェーンに関しても"プライベート・ブロックチェーン"を指していると思われる。5大利点を満たす"プライベート・ブロックチェーン"は存在しないのでは…。
"一方で、誤解と批判を恐れずに書けば、ブロックチェーンがBitcoinの論文に端を発するものであるとするならば、いわゆるプラベートブロックチェーンやコンソーシアムブロックチェーンと呼ばれているものは、ブロックチェーンと呼ぶのをやめて、「タイムスタンプ2.0」のような別の言葉を使うことも考えてはどうだろうか。それは、これらの技術が、リンクトークン型タイムスタンプのデータ構造の上に、決められたノードによる合意アルゴリズムを加え、記録した情報に対するビジネスロジックに応じた情報処理を加えたものであるからだ。根っこの技術は、同じHaberらによるタイムスタンプを元にしているものの、ブロックチェーンの発端となったBitcoinの論文が目指した「信頼できる第三者機関を不要にする」という方向とは別の方向の進化をしているもので、その別の2つの方向のものを同一の枠で扱うことには無理があり、理解や発展を考える上で両方にとって弊害がある。"
https://link.medium.com/TgeOXv8Dlab
https://link.medium.com/4pz5oNlHpab
これらの記事を読むと、そもそもブロックチェーンと呼ばれるものにおいてパブリックではないものは、なんびとも信用しない状況において根本的に非改ざん性を保障することができないのではないかと感じる。"パブリック・ブロックチェーン"こそがブロックチェーンであり、他のものはブロックチェーンから発展してきた技術を使ったブロックチェーンの定義を満たさない分散台帳なのではないか。
加納氏に関して覚えておきたいことは、彼は bitFlyer の CEO であり bitFlyer は miyabi という"コンソーシアム・プライベートブロックチェーン"を開発しているという点だ。当然行政に対して彼がブロックチェーンを推しているのはこれを売り込むためなのであろう。これが厳密にブロックチェーンなのかは置いておいて、このプロダクト自体は素晴らしい取り組みだと私は感じる。デジタル化によって今までの煩雑な手続きが簡単になる可能性は大いにあるし、公的文書の保存にも役にたつ。黒塗り秘匿文書を撲滅しろ。
ただ、ブロックチェーンをただの空虚なバズワードとして扱うのではなく、厳密な定義の上で使うのは大事なことだ。今回の件は、果たして全てにおいて加納氏が良くない、と言えるのだろうか。言葉というのは多数が使うことによって定義が決まる。時代が変われば定義が変わってしまうこともある。ブロックチェーンという言葉を便利な魔法の言葉にしてしまったのは誰だろう。本質を見極めない我々だ。AI 搭載!!といたるところで見る言葉だが、何をもって AI と呼んでいるのか不思議になる。実際のところ今まで"システム"と呼んでいたものなのに。日々の中で言葉をしっかりと見つめ直すのは大事だ。
この記事は、そもそもブロックチェーンとは何か、という個人的な疑問をまとめたものであり、加納氏を批判する意図は無かったわけで、最後の締めはやんわりとしたかった。だが、加納氏は立場的には日本ブロックチェーン協会の会長で、言葉を定義する立場である。言葉を定義した側がこの有様というのは遺憾である。日本の行政のデジタル化の推進は頑張って欲しい。
浦島太郎が釣りをしようと海辺を歩いていると、子供が3人、大きな亀をいじめているのを見つけました。
「おいお前達、亀をいじめるのをやめないか。弱いものをいじめて、恥ずかしくないのか」
「なんだお前!うるせーな!おいもう行こうぜ!げほっげほっ!」
去っていく子供の一人が、「今日はなんだか寒気が止まらない」と言っていたのがやたら印象的でしたが、浦島太郎はすぐに忘れました。
大きな亀は助けてもらったお礼に、浦島太郎を竜宮城に連れて行くと言いました。浦島太郎は竜宮城がなにかわかりませんでしたが、ぜひとも連れて行ってもらうことにしました。
浦島太郎は大きな亀の背中に乗り、海の中に入りました。不思議と呼吸ができて浦島太郎は驚きました。
深く深く海の中に潜っていき、しばらくすると、この世のものとは思えないきれいなお城が見えてきました。
お城の中に案内されると、いろんな魚たちが浦島太郎を出迎えました。
竜宮城の主人である乙姫というたいそう美しい女性が現れると、大きな亀を助けたお礼として、浦島太郎をたいそうもてなしました。
もてなされるままに竜宮で過ごすうち、2週間が経ちました。そろそろ帰らねば。浦島太郎はそう思い、竜宮を発つことにしました。
竜宮を発った日、乙姫はなにやら体調を崩したので、別れの挨拶もできずに去ってしまったことが心残りでした。
浦島太郎は地上に戻ると、大きな亀から玉手箱を授けられました。乙姫からの伝言です、そう言い大きな亀はこう続けました。
「玉手箱はあなたが竜宮で過ごした『時間』を箱に収めたものです。決して中を開けないでください」
浦島太郎はうなずき、大きな亀と別れました。
浦島太郎は村に戻ると、なにやら様子が変わっているのに気づきました。村に人が一人もいない。荒廃した家屋が雑然と残されていました。
浦島太郎は困惑しつつあたりをくまなく探していると、ようやく一人の男を見つけることができました。
浦島太郎はすがるような思いで男に尋ねました。
男も自分以外の人間がいることに驚いたのか、目を見開きました。
「祖先?一体どういうことですか?私の家族は、村の人たちはどこに行ってしまったのですか?」
「落ち着いてください。私は民俗学者で、この村に関係する人間ではありません。数百年前、この村で奇病が流行って、村は全滅しました。私はフィールドワークでこの村のことを調べに来たのです」
「そんな!数百年だって!」
どうやら竜宮で過ごした数週間は、地上では数百年経っていたらしいことに気づきました。
がっくりとうなだれた浦島太郎は、ふと持っていた玉手箱に目を落としました。
「そういえば亀は言っていたな。この箱には『時間』が収められていると。もしかしてこの箱を開けると、自分が暮らしていたあの時に戻るのでは」
浦島太郎はすがるような思いで箱を開けました。すると箱から、もくもくと、おおきな煙が現れて浦島太郎を包み込むと、浦島太郎は歳をとったおじいさんに変わってしまいました。
突如、浦島太郎を襲ったのは強烈な寒気でした。咳が止まらず苦しみだし、その場に倒れ込みました。
一連の様子を見ていた民俗学者の男はあまりの出来事に呆然としていましたが、苦しんでいる浦島太郎にはっとして声をかけました。
「大丈夫ですかあなた。一体何が起きたのかわかりませんが、すぐ近くに私の宿があります。とりあえずそこで看病をいたしましょう」
民俗学者の男はよぼよぼの老人となってしまった浦島太郎の肩を担ぐと、近くの国道でタクシーを捕まえて、観光地近くのホテルへと向かっていきました。
おしまい。
自粛中の都民の4連休、積み残した仕事を午前中にちょっとやって一休みしている。
コロナ以降は夫婦ともに在宅率が一気に高まったので、家で料理を作って食べるようになった。料理は好きだし通勤しないで済む分の余裕があるから苦にもならない。
考え事が仕事の大半、というか企画職なので、送られてくる所与の資料を読みふけり調べ物をしうーんうーん、うーんと煮詰まったりしながら資料を作り、リモート会議でプレゼンしたりする。最初のうちは化粧した方がいいだろうか、ビジネスぽい恰好をした方がいいのだろうかなどとと思ったがこちらも先方もだんだん緩くなり、家にいるときの服装で会議をしている。さすがにタンクトップとかではないが、Tシャツは全然ありである。プレゼンしたもののピント外れで画面に並ぶ顔たちからつぎつぎにダメ出しをされたりすることもしょっちゅうなので、冷や汗もすぐ乾くTシャツでもいいぐらいだ。
我が家には子ができなかった。そのせいもあってリモート仕事の環境はかなり良いのだろうと思う。マンションの部屋からは割といい風景が見える。手が止まったらベランダに出て少しボケっとしたりしている。古いマンションだが窓からの風景が気に入って買った。寝室の他にもう一部屋あったのでそちらを夫用の部屋にして、私はダイニングテーブルを占拠している。リモート会議の内容は当然家族にも守秘なので、私が会議中は夫はリビングには入れないし逆もしかりである。共用スペースを私が占拠すると夫はイヤなのではないかと思ったが、特に不都合はないから大丈夫だというので良かった。夫のリモート会議の声が個室から漏れ聞こえてくることがある。何を話しているかは分からないが気配は感じて、仕事中の夫…ふふふ、とほくそ笑む。こちらがダイニングテーブルに猫背になって酷い顔をして煮詰まっているところに、夫がコーヒーを淹れに来るときがある。コーヒーがいいにおいで気づいて顔を上げると私の分のコーヒーをテーブルにおいてくれる時もある。そうじゃない時もある笑、紅茶淹れるけど飲む?と声をかけて二人でちょっと休憩する時もある。
ダイニングテーブルで仕事をする良いことの一つは、食事の支度だ。食事まわりは以前から主に私の分担なので、ダイニングで仕事をしながら、煮詰まったら手を洗って晩ごはんのちょっとした下ごしらえをしたりしている。しょっちゅう煮詰まるおかげで凝った晩ごはんが増えたように思う。正月でもないのに黒豆を煮込んだりしている。だし巻き卵とか(だしを引いたら冷えるまで待つ、みたいなほんの少しの手間が、出勤上等な日々ではなかなか面倒になっていた。タブレットで資料を読みながら煮魚の上に煮汁をかけたりしている。煮汁をさんざん浴びせられてツヤツヤになったカレイの煮物が我ながら旨かった。ダイニングを私が占拠したことで、ごはんはリビングのテーブルで食べよう、ということになった。それも宴会みたいで何か楽しい。宴会料理ではなく粗食だが。
夫は良い椅子を買うと言ってデカいビジネスチェアを買っていた。下に敷くものを合わせて買っていて、さすが夫ナイス!と思った。私はダイニングの椅子とテーブルで割と快適に仕事をしている。おたがい、残業(というのかな?)で遅い時間まで仕事をしている時もあるのだが、寝室を仕事部屋にせずに済んだのは一番幸いだったと思う。
リモート会議ももうかなり慣れてきて、今はお子さんがいる相手方が話している時にかわいらしい声が入ってくるのにデレたり、先方の旦那さんのデカいくしゃみが入り込んでくるのに笑いが止まらなくなったりしている。やはり在宅だと静かで外部環境の変化が少ないので、小さいことがツボって笑いが止まらなくなったりする。
自分の取引先だと、会議の映像をoffにして、実質複数電話状態で打合せをすることが増えている。社内会議ではすでに回線の安定確保のために映像要らんとなっている。でも実は、野次馬根性もあって背景に映りこんでいるものに興味津々なのでこの風潮はほんの少し残念でもある。一方で、先方が年配の方だったりすると顔が見えないのが不安になるようなので、映像onでやる。私はダイニングテーブルで会議中なので背景はリビング・ダイニングの壁全面に作り付けてもらった本棚が映る。素敵な画集や素敵な装丁の文学の間にオシャレなインテリア雑貨などが美しく並んでいればいいのだろうが、大半は仕事の関係の本が雑然とそしてギュウギュウに縦・横に詰まっている。webの映像でどんな本が置いてあるかまでは分からないだろうが、仕事の本に混じってお笑い男の星座とかも入ってるからバレたら恥ずかしいな。