これまで私が行ってきた違法視聴や違法ダウンロードの総量は数知れない。学生時代から数えて10年ほどになる。
羅列はしたものの、性的なコンテンツがその85%を占めている。
学生時代の私は、「買いたくてもお金がない。だから仕方がないのだ」という幼稚かつ短絡的な考えでもって、そういう違法アップロードを行っているサイトをくまなく巡り、コンテンツを集めてきた。
(ここに書いても影響がないので)すでに潰れたサイトでいうと、DROPBOOKSだ。かの有名な星野ロミが運営していたサイトのひとつであり、品揃えがいえば国内、いや世界最大級だったと言っていい。
今回を機に、これまで私が上記サイト等で違法ダウンロードしたコンテンツを数えてみた。フォルダ内を全選択して、どこか下の方にフォルダ数が書いていないかを見てみる…
「1159」
これが結果だった。漫画に限った話なので、動画も含めるとさらにとんでもない数になる。
もし、私がこれだけの冊数を正規に購入していたとすると、1冊あたり税込800円と仮定して、1159×800=927,200円となる。
これは凄い金額のように思えるし、たったこれだけか、という感想も確かにある。
学生時代の私も、社会人若手時代の私も、中堅社員としての私も、大して罪悪感のない状態で違法視聴等を行ってきた。
①これは公共財だからいいとか、②この漫画家は社会的によくない思考を持っているので勝手にダウンロードしてもいい(※当時でいうと「もつあき」や「Iris Art」)とか、③この漫画家は芸術性の高いエロ漫画を描くので、敬意を込めてアマゾンで1冊だけ購入しよう(※当時でいうと「無望菜志」や「宵野コタロー」)など、いろいろとんでもないことを考えていた。
今では考えが変わっている。
①について、性的なコンテンツが公共財なんてことはないにせよ、『社会福祉』の一環ではないのか?と考えるようになった。
②について、今では、精神的に不健康な作品を描く漫画家に出会ったとしても、「この作家は今は低いレベルで生きているかもしれないが、いつかは人間愛に溢れた作品を描くようになるかもしれない」と思えるようになった。
③について、今の私は違法サイトを覗くことはなくなっている。お金をちゃんと払って、公式サイトでコンテンツを買うようになっている。が、まったくゼロになったわけではない。欲に負けて、違法サイトを見てしまうこともある。しかし、少なくとも違法ダウンロードをすることはなくなったし、イイと思う作品を見つけた時は必ず購入している。
どうして考えが変わったのか。
2019年頃から、違法サイトそのものがガシガシ潰されるようになり、そういうコンテンツに出会う機会が急になくなった。
※それより前だと、DLsiteその他の公式サイトで販売・配信されているコンテンツであっても、ごく普通に違法サイトにアップロードされていた。
1年ほど前のことだった。
私は、人生で初めてDLsiteで性的コンテンツを購入した。作品名は恐れ多いので申し上げないが、トランス・トリビューンの作品だったと記憶している。
違ったのだ。
これまでとは違った。
物語が頭に入ってきた。これまでの雑然としたページの捲り方とは違う。一コマ一コマを脳が処理する精密さ、キャラクターへの入れ込み、描かれた物に対する視覚の強さ、絵では表現されえないはずの物音への興味、作品に込められた愛、思想、意味、感動、情熱! とにかくそんなことになってしまった。
なぜ、ここまで違うのだろう。
対価を用意し、作品を買った。これは私の所有物だ。できるだけ、ゆっくりと楽しまなければならない。そうい気持ちが芽生えたのだ。
タダで見ているものは、これとは違う。そこまで丁寧な気持ちで読み込もうとは思わない。
一コマ一コマを、ただなんとなく眺めていって、そういうシーンだけは熱を込めて読んで、後はどうでもいい。読み終わって面白ければダウンロードし、面白くなければそのままページを閉じる。それだけだ。
お金を払うという行為によって、作品に対する印象や、作品の価値そのものが変わることがわかった。
でも、私が変わった原因はそういう体験をしたからではない。いや、上記の行動はただのきっかけに過ぎないのだ。
私自身が、人間として成長を遂げたから――すなわち、自分に関係するすべての人間に対して感謝すること、支払うべき対価は損をしてでも支払うべきであること、ある作品の創造者に対して敬意を示すこと、そのほかにも多くの気づきや洞察を経て、私が人として成長したからこそ、『コンテンツをお金を払って手に入れる』自分になることができた。
今、私には読みたい作品がいくつもある。少なく見積もっても25冊はある。
ひとつの作品をゆっくりと楽しむようになった関係で、読んでいる時間はぜんぜん足りていないが、それでもすべて読んでみたいと思っている。