2022-01-21

八本脚の蝶を見つけて

 同僚が新型コロナ感染した。

 わたしたち仕事の大半はリモートワークになっているのだが、その日たまたま彼と対面で打ち合わせをしなければならず、はたしてその日の晩に彼は発熱したのだった。

 おたがいにマスクをしており、打ち合わせもそれなりの距離をとって、アクリル板のパーティションを設置していたのだが、わたしは濃厚接触の疑いがあるということで勤務先から自宅待機を命じられた。

 結局のところ保健所は濃厚接触に該当しないと判断したのだが、勤務先から大事をとってそのまま三日間は自宅待機してほしい」と連絡があった。

 かくしてわたしは自宅でみずから家族から隔離するように、リモート部屋に布団を敷いて起居することとなった。

  

 リモート部屋は六畳ほどの広さで、窓際の隅に机と椅子モニタープリンターが置かれている。

 そのほかの荷物雑然と置かれているのだが、布団で寝るぐらいの広さはある。

 自宅待機の旨を関係各所に連絡し、そのおかげで滞った仕事をなんとか終えて、夜中にようやく身を横たえるとふと文庫本が目にとまった。

  

 リモート部屋には文庫本専用の本棚が四つあり、棚の上の方には未読の、つまり積ん読状態の本が並べられている。

 下の段には、すでに読み終えたものか、読み途中のもの(あるいは挫折したもの)が入っている。

 布団に入らなかったら下段の本には目が届かなかったかもしれない。

 そこにあったのは、二階堂奥歯『八本脚の蝶』(河出文庫2020年)。

 かつてハードカバーも買い、読み終えることができず、文庫が出たら文庫も買い、こちらもまた読み終えることができず、そのままになっていた。

 なぜか今度ばかりは読めるような気がした。

 そうしてこの三日間、仕事の合間に少しずつ読み進めている。

  

 本書によれば、二階堂奥歯プロフィールは下記の通りとなる。

 <1977年まれ早稲田大学第一文学部哲学卒業編集者2003年4月、26歳の誕生日を目前に自らの意志でこの世を去る。亡くなる直前まで更新されたサイト「八本脚の蝶」は2020年現在も存続している。>

  

 二階堂奥歯と面識はない。ただ彼女大学にいた当時、わたし留年を重ね、まだキャンパスをふらふらしていた。わたしのいた文系サークルには、彼女がいたという哲学研究会に出入りしている者もいた。留年を終えて、なんとか会社勤めを始め、学生時代の知人に再会したところ、「哲学研究会OBが中心となって『記憶の増大』というサイトをやっている。二階堂奥歯という人がそこに『八本脚の蝶』という日記を書いている。あなたボルヘスを好きなようだから、もしかしたら彼女が書いているものも気に入るかもしれない」と言われた。そのようないきさつがあって、わたしは時折パソコンで「八本脚の蝶」をのぞいていた。

  

 「あなたボルヘスを好きなようだから」という言い回しはやや唐突なようだが、わたしとしてはそう言われたのがわからないでもない。およそ大学というような場所にはひそかにボルヘス読者の群生地があり、わたしはそこにはいなかったけれど、きっと知人には生息地を離れてひとりはぐれているような存在に思われていたのかもしれない。実のところ、ルルフォの書くものの方が好きだったのだけれど。

  

 彼女がみずからの死を「八本脚の蝶」の中で宣告し、日記更新がとまってからどれくらいたっただろうか。ひと月もなかったかもしれない。

 仕事を終えてひとりぐらしのマンションに戻り、夜中にネット巡回していると、彼女の別れの言葉を見つけた。

 本当に亡くなったのかわからなかった。現実感がなかった。

 それでも彼女を追悼する言葉ネット散見されるようになり、わたしはそれが実際に起きた出来事だと知ることになった。

 直接の知り合いではなかったけれど(知り合いの知り合いだ)、彼女の死はずっと引っかかっていた。

 だから「八本脚の蝶」が出版されたとき、迷うことなく買い求めた。

  

 読めなかった。

 ずっと読めなかった。

  

 あれから二十年近くたち、ようやく読む気になったのはどういうわけか自分でもよくわからない。

 一方で、この二十年ばかりの間なぜわたし文学書をほとんど読むことができなかったのかはなんとなくわかった。

 学生の時分には翻訳文学をそれなりに好んで読んでいたはずなのだが。

 わたし社会生活を送るために、いつの間にやら自分リソース脳味噌キャパティ)のほとんどすべてを消費していたのだ。

 「八本脚の蝶」を読みながら、他者が構築した架空世界に遊ぶときのどきどきした感じ、わくわくした感じ、ひりひりした感じ、そういったものを思い出し、わたしはきっとそこに惑溺してしまうから意識的に遠い場所に置いていたのだろうと思った。

 二階堂奥歯生活しながらも虚構現実を往還していたのだろうと考えると、そのために使われた膨大なエネルギー超人的なものだったと想像してしまう。

  

 二階堂奥歯のおかげで久しぶりにちゃん小説を読もうという気になったのだけれど、やはりわたしは本の中に沈潜してしまって、なかなか仕事が手につかない。

 これから実務的な文書をいくつか作らなくてはいけないのに。

 だから自分を鎮めるために、ここに書いた。

  

 「八本脚の蝶」は東大寺大仏殿にある意匠(飾り)のことらしいのだが、そういえば三年ほど前に東大寺を訪れたとき、そのことを確認するのをすっかり忘れていた。

 今度行くときは八本脚の蝶をちゃんと見つけよう。

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