はてなキーワード: 生活費とは
東京23区内のはじっこに在住。
月に夫16万、妻17万を出しあい月に33万をやりくりしています。
当初は夫も月に17万を出していたけど、奨学金の返済を生活費から捻出することになり実質家計費が1万減りました。
毎月33万で生活できてなくてボーナスのときに家計に入れた分が目減りしていっています。
内訳
家賃月150000円。
保育料月31000円。(3歳児クラスになり減った)
食費はだいたい月に5万円。妻であるわたしが担当していて、平日昼は週末にまとめておかずを作り2人分のお弁当を毎日用意して持っていってます。夜はパナソニックが運営してるウィークックナビとOisixのkit oisixを併用してます。食材はネットスーパーと近所のスーパー併用して週一でまとめ買いしてます。
二人ともフルタイムで献立を考えるのがきついのでウィークックナビは助かってます。数ヶ月記録していたけどいつも月に5万円くらいとなっています。さっき食費3万て人を見たんだけどスーパーの特売品見てその日の献立を決めるタイプに変えたらそのくらいになるのだろうか。
だいたいお弁当はおかず三種、夜は一汁二菜くらいでやってます。朝ごはんはごはん納豆味噌汁で固定。子どもだけ朝はほとんど食べないので食パン半分。
消耗品2万。
犬費用月2万。
光熱費が35000くらい。夏は犬のために24時間エアコンつけてるのでもっといきます。
これで細々した必要なものを買ったり少し外食したりちょっと遊びにいったりしたらすぐに33万超えてしまいます。
一時期は目を皿のようにしてネットで「都内 家計 3人家族」を検索してました。
みんなどうやって生活しているのか…
と思ったらなんか家賃が安いんですよね。7万円台の3DKとかに住んでる。どこにあるの?
勤務地が都心でこれ以上離れるのはキツいです。
家を買えばローン負担が家賃より減るとは思うけど、賃貸の身軽さも捨てがたいし定住の地を決めかねているのでまだ買わないつもりです。今めちゃくちゃに地価高騰してるし。
都内で子どもいて犬も飼ってっていうのが贅沢なのがよくわかります…。犬だけのときはそんなこと微塵も思わなかったんだけど。犬はわたしが辛かったときにいつもそばにいてくれて精神的にすごく助けられたので(もちろんそれだけが理由ではなく)看取るまで一緒にいるつもりです。
手取りが17と16じゃなくて出し合ってるのが17と16なのでもっと増やせばいいんだろうとわかってはいるんだけど、夫がこれ以上家計に出せないと言うので、こうなっています。
私の方が年収は夫の半分くらいです。
本当は包括的に年収と年間総支出で見たほうがいいらしいんだけど(ネット情報)事実上それが難しいです。夫の年収は知っているけど各々の収入は各々が管理しているのと、夫が自分が自由に使えるお金を確保したいタイプ(お小遣い制は反対)のため。
なので月33万で生活したいんだけどできてない。という状況です。
コメントたくさんありがとうございます。私の想定の外からのアドバイスをくださる方もいていろいろ参考になりました。
まず第一に犬は結婚前から飼っていて精神的につらかったのは結婚前のことです。犬は家族…贅沢品だけど…
あとちゃんと書いてなくてすみません。貯金してないみたいなことを言われていますが収入のなかから一部を生活に充てているので自分でもしっかり貯蓄してますよ…一部は運用もしてます。夫が貯金してるかは知らないですけど。月に33万でやりくりしたいという話です。
夫婦仲はかなりいいです。
夫は年収はまあまあなんですがボーナス一回三ヶ月分×2とかで、月々の手取りは多くないみたいです。またボーナス分は半分くらいちゃんと家計費に入れてくれています。それを少しずつ食い潰してるみたいな状況です。
夫ヤバイみたいな意見が散見されて面白かったですが上記の理由でヤバくはないです。いつでも連絡取れるし毎日9時には帰ってくるので女を囲ってはいないと思います。多分ですが。
朝起きて見たらびっくりしました。いつもは二つくらいしかコメントがつかないので…。
参考になる部分もあり反論もあり…タイトル釣りでしたかね?すみません。33万でやりくりしたい、にすればよかったかな。
生活に詰んではいないんだけど、他の人が3人家族20万で生活!とかブログなどで書いてるので、なんでこんなにうちはかかってしまうのだろう?と思ってこのエントリを書いたんですけどこんなに反応いただけるとは。
・FP相談あげてくれた人ありがとうございます。FP相談はやってみたいです。夫の意識を変えたいはちょっとありました。夫は副業をしていてそちらの収入が増えれば月々の家に入れる金額を増やせると言っています。(ちなみに年収は副業含めての年収です)
また貯金を家計口座だけでなくそれぞれの口座でもしたいというのが夫の言い分です。なので貯金はしていると思うんですが、いくらなのかはわかっていません。
・音楽教室がぜいたくという意見がありましたが、これには理由があって、高校受験の際、東京都立の副教科の内申が主教科の二倍なんですよ。体育はまたこれから考えればいいし美術もこれから先必要とあらば学んだりしても良いと思いますが、音楽だけは幼少期からの慣れ親しみが必要だと判断しての入会です。もちろん続けるかどうか、子どもの意見は尊重していきます。
・転職については、考えてた時期もありましたが少し給与が上がったので保留にしてます。
・保育料から年収計算した人すごいですね…当たらずとも遠からずです。1000万は行ってないです。
・引っ越しもたまに検討していますが、賃貸でペット可物件はなかなかないです。あと認可保育園を引っ越す前に決めとかないとなのでなかなか難しいところがあり…
購入はちょっと及び腰になる事情があります(借金関係ではないです)
・世田谷区ではないです。
手取り26万
(サービス残業。時間外勤務に全額手当て付いたら額面40万越えるはずなのに。むかつく)
職場の近くの看護師寮(マンション)が家賃1万以下なので、生活費に月10万もかからない。
1年目2年目はとにかく仕事覚えるのに必死。3年目は役割が増える。
プリセプター(新人の教育係。担当は30代の新人でやりにくい。めちゃくちゃしんどい。)
夜勤がやたら増える
受け持ち患者が増える
何のために生きてるのか分からない。
辞める勇気もない。
実家が貧乏で、大学行かせてあげられないからと言われ、高校から看護科に入って専攻科を卒業して看護師に。
元同級生は楽しそうな高校生活、大学生活を送り、土日休みの社会人1年目で楽しそう。
悔しい。悔しい。悔しい。
金がないってどれぐらい金がないと金がないってなるんだろうな。
食うに困るレベルは当然金がないと言ってもいいよな。
生活費だけでカツカツになっちゃうってのは金がないと言ってもいいのかもしれない。
生活費を引いて10万ぐらい遊びと貯金に回せるなら金があると言ってもいいのかもしれない。
普通の結婚Aは「俺(私)より頑張る君が好き」って両方思ってるからりょうせいがごういする、美しい。
でもKKOのいう結婚Bは「頑張らない俺を俺は憎いけどお前は合意しなくても強制されて俺を愛せよ、それが下方婚だろ」だよね醜い。
Aでは最初両方が結婚してくれてありがとう下方婚してくれたようなもんだぜっておもってるのが大半でしょ。年収が一円でも相手が少ないと自分が劣ってるみたいっていがみ合いになるから、同レベルならあえてお互いに額面を知らせないで生活費折半だけいう女性や男性も多いし(隠れ下方婚)。
そのあともお互いが自分のできること得意なことを頑張りあってたら逆転もあるよね。
おじさんって居場所、やりがいが家庭から企業になっていく不器用なひとがおおいから、ぜひ収入に困ってなくても外で働きたいって固執する人が特に昭和は多かったし。
結果として中年ごろは大抵上昇婚になってたっていうケースが大半だとおもうんだよね。
っていうかうちがまさにそれで、逆転してどっちか片方の収入でも全員余裕で食えるようになったし、家も一軒めのマンションは売って二件めの戸建てたてたからもう動かないだろうってなった。そこで若い人にOJTの場を譲るつもりで退職して自由業なう。
KKO増田はこれでもおまえがやったのは上昇婚だっていいはるのかね? 二人で頑張ってるだけなのに?
もともと増田には女性の表現の自由は守りたいからたまにきてたんだけど、男性の表現の自由を守りたいって言ってる自己嫌悪勢に足引っ張られただけだった。
親は団塊世代で当時は給料も右肩上がりの時代で、それなりの中流家庭だったと思う。
兄が通っていた地元の塾に自分も行かせてもらい、兄は一足先に中学受験をして某私立中高一貫校へ進学した。
自分は最初の塾(兄と同じ)で、『御三家も狙える』と言われ、有名な大手進学塾へ通うようになった。
毎週土日のどちらかには親に連れて行ってもらって都内へテストを受けに行き、自分は純粋に楽しんでいたが、それに付きあう親は大変だったろうと思う。
そしてその頃から、どうやら兄は道を徐々に踏み外していったらしい。
具体的に中学生の兄の身に何があってそうなったのかは今でも知らない。
兄は万引きなど軽犯罪を繰り返すようになり、親が警察に行くこともたびたびあった(当時、自分にはそれらの事実は知らされなかった)。
自分と兄はひとつ屋根の下に暮らしていたが、部屋は別々で元々仲の良い兄妹でもなかったし、
自分は中学高校(御三家の一つに受かった)で良い友人に恵まれ学生生活を楽しんでいて、兄のことはほぼ眼中になかった。
ただ、それでも兄や両親を見ていて、『兄が道を踏み外しつつある』こと、『親が兄の対応で大変らしいこと』は雰囲気でわかった。
だから、自分まで親に負担をかけてはいけないな、と子供ながらに思っていた。
別に親のためにいい子でいようと思ったわけではない。
道を踏み外していく兄を尊敬できなかった、いや、心から軽蔑していた。ああはなりたくない、と思っていただけだ。
学校の友人の兄弟はみな出来が良くて、どこに出しても恥ずかしくない「まっとうな」人達で、比べると自分の兄が恥ずかしかった。
学歴なんかの問題じゃない、今でもそれで兄を差別する気はない。
犯罪を犯すこと(万引き以外にも路駐やら何かでしょっちゅう警察から電話があった。警察をバカにし、遵法精神などまるでなかった)、
それで親に多大なる迷惑と心労をかけていたこと、それを反省もせずにまた繰り返すこと。
兄の心理など知る由もないし、なにか彼の思春期に問題があったのかもしれない。
だがだからといって兄の行為が正当化される訳もない。繰り返すならなおさら弁護の余地もない。
私は心の底から兄を嫌い、軽蔑し、しかし表にはそれを出さずに、ただ兄とは接触しないようにしていた。
(なぜなら、兄は短気で暴力に訴える人間だったからだ。一度自分がそういった態度を見せた時、夜中に枕元に金属バッドを持ってすごんできたのは忘れられない。
そしてそういった基質もまた、私の兄への侮蔑をより強める結果になった)
そして兄は高校を(なんとか)卒業し、大学へは行かずにフリーターになった。
親はどこでもいいから大学へ行かせたかったようだが、兄本人が『大学でやりたいことがない』と進学しなかった(ここは兄が正しいと思う)。
ありがちな話だが、兄は音楽の道を進もうとしたらしい。バンドを組んで、いわゆるバンドマンになった。
音楽活動の実態は何をしてるのかさっぱりわからなかったが、さほど身を入れてやっている様子もなく、芽も出なかった。だが諦めきれないのか、フリーターをしながらだらだらと続けていた。
自分が高校を卒業し大学へ進学した後も、兄はその生活をしばらく続けていた。
そのうち、兄は一人の女性(Aさん)と知り合った。そして二人は結婚を考える仲になった。
Aさんはとても良い女性だった。自分や両親とも仲良くしてくれて、兄は大嫌いだがこんな姉ができるなんてほんとに嬉しい、ようやく兄が自分にとって良い行いをしてくれたと思った。
しかしここで、両親は最大の過ちを犯した。
何を思ったのか、兄にマンションを買い与えたのだ。親の名義でローンを組んで、兄と彼女の新居にしろと兄に与えた。
フリーターの兄に月々のマンションに係る支払が払えるはずもない。それはすべて親が払っていたのだ。しかも結婚も確定しないうちに買って与えた。
呆気に取られた。納得できないが親の気持ちになって考えてみれば、『Aさんに逃げられないように、住居が確定していれば結婚生活も楽になるだろう』ということだったのかもしれない。
『妹は大学へ行かせてやったのだから、兄にも何か与えねば』と思ったのかもしれない(しかし自分は国立大で、学費をトータルしてもマンション費用の20%にもならないのだが)。
兄は別に特段の感謝をする様子でもなく、当たり前のようにそれを受け取った。
そしてその後、結婚が決まっても一向に定職につこうとせずに自堕落な生活を続ける兄は、Aさんに愛想をつかされて結婚前に出ていかれた。
(兄はAさんに入れ込んでいたらしく相当なショックを受けていたが、自分から見れば当たり前だばーかとしか思えなかった)
この頃からだろうか、自分が『親は兄を贔屓している』と思うようになったのは。正確には、『親は兄を甘やかしている(自分には厳しいのに)』と感じ始めたのは。
自分は親に言われた。『私立大に行かせる金はないし仕送りをする余裕もないから、家から通える国立大にしろ』と。
親の言うことに従おうとしたわけではなかったが、自分の行きたい大学はその条件を満たしていたので、結果として親ののぞみを叶えた形になった。
しかし心のどこかに、『親ののぞみを叶えたい』という気持ちがなかったとは言えない。兄で苦労させられている親を見てきて、自分だけは親が誇れる子供でいようとしたのかもしれない。
通おうと思えば通えたが、一人暮らしに憧れていたこともあり、親の援助は一切受けずに一人暮らしを始めた。貯金とバイトでなんとかまかない、4年間それを続けた。
親が兄にマンションを買い与えるまではそれも納得していた。だが、親がそれをした時、自分の中で不公平だという気持ちが生じた。
根底に『「親に迷惑ばかりかける穀潰しでろくでなしの」兄に、なぜそんなに金をかけて甘やかすのか?』という考えも当然あった。
自分にとって兄は「いないほうがマシ」で、存在する事で何もいいことがない、迷惑なだけの存在だった。
グレてようがフリーターだろうが、優しい兄なら愛せたろう。だが、兄としての優しさを見せてくれたことなど数える程もない(その数回も小学生以下の時だけ)。
家庭を持って子を為し、親に孫の顔を見せて安心させてくれたなら、「普通」で「まっとう」な人間になってくれたなら、それで兄を見直すこともできただろう。
しかし兄は正真正銘のクズなので、逆の道にしか行かなかったのだ(それについては後述)。自分が兄を見直す機会はおそらく死ぬまで来ないだろう。
(余談だが、なかにし礼氏の小説の再現ドラマ(兄との関係を描いたもの)を見た時、心からなかにし礼氏に共感した。自堕落でお調子者で弟にとって迷惑な兄。
なかにし礼氏が兄の葬式後につぶやく、『兄さん、死んでくれてありがとう』がわかりすぎて辛かった。
何年先かわからないが、おそらく自分も兄が死んだ時、『死んでくれてありがとう』と心から思うだろう。自分が先に死ぬかもしれないが)
Aさんに逃げられた後、しばらく兄は自堕落な生活をしていた(親が金を払っているマンションで一人ぐらし)。
自分は何度も親に『マンションから出て行かせろ、でなければ兄は自立できない』と言ったが、親は『そんなこと実際にできるわけがない』『目の届かないところに行かせるほうが不安だ』と言って聞かなかった。
この頃から、自分の中で『兄が駄目になったのは親の(甘やかしの)せいではないのか』『親は己の見栄しか考えてないのではないか』という疑念が湧いてきた。
やがて自分は大学を卒業して、氷河期の中なんとか上場企業に就職を決めた。
希望の会社からは内定が出ず、文系でプログラムなど全くわからないのにSEになることになったが、就職できただけでよしとするしかなかった。
親の反応は『とりあえず上場企業だから、外への体裁が整った』というものだった。親にとって自分は見栄のための存在なのだなということが、徐々にわかってきていた。
同じ頃、兄もようやく某リフォーム会社で営業として働きはじめた。
兄の営業成績は良かった(もともと外面だけは良い)ので、いっときは小金持ちになれたらしい。外車を買ったが、マンションの金を親に返す気はさらさら無いようだった。
その外車がポンコツなのかあるいは外車とはそういうものなのか、しょっちゅう壊れて修理代がかかった。あまり乗らないせいもあっただろう。
乗らないのなら売ればいいのに『売っても二束三文にしかならない』と兄は言い張り、親はなぜか修理代を肩代わりして払ってやっていた。
(散々修理代を払って直して、最後にはやはり壊れ、ろくに乗りもしないままに結局二束三文で売ったようだった)
マンションの支払いは親が続けていた。このころようやく、月々の管理費や積立金などの維持費だけは兄が支払うようになったようだった。
そのうち、バツイチ子持ちの女性Bさんと知り合い、今度は結婚した。Bさんについては自分はほとんど知らない。
その頃自分は向いていない仕事かつ長時間労働で心身を病みかけており、朝焼けの街を徹夜明けで泣きながら一人家路についたりしていたので、兄のことなど構う暇もなかった。
結婚式には一応出た。ストレスで過食気味になりむくんだ顔の自分が愛想笑いを浮かべて写っている写真は見返したくもない。
兄の結婚になんの感慨もなく、『これで普通の人間になってくれれば』と願っただけだった。兄に望むただ一つのことは『普通の家庭を築いてくれ』で、それ以上は望まなかった。
営業成績が良いのに浮かれ、独立すると言って仕事を辞めた兄だったが、ろくなノウハウもない個人のリフォーム営業がそうそう上手く行くわけもない。
あっという間に生活は行き詰まり、さっさとBさんに逃げられた(どうやら浮気されていたようだが、それを追い詰める気力もなかったようだった)。
そしてまた、マンションで自堕落な生活に戻った(もちろんマンション維持費は親払いに戻った)。
自分はずっと『兄を甘やかしすぎだ、マンションから追い出せ、マンションを売ってしまえ、でなければ兄は自立しない』と親に言い続けていたが、ずっとでもでもだってで聞き流された。
『(万引きなどの)前科があるから、追い出したら何をするかわからない。もっと悪いことになるかもしれない』『どれだけ言ってもあいつはこちらの言うことを聞かない』。これが親の言い分だった。
しみじみ、親も兄も情けなく、どうしようもないと思った。『お前は冷たい』と言われた。
『そもそも最初にあれが道を踏み外した時、お前の中学受験にかかりきりで、親としてろくに関わってやれなかったのが悪かったから』と。
そう言われて自分にどうしろと? 責任を感じろというのだろうか? もうとっくに成人していい年になった兄を憐れめと? 親でもない自分がなぜ親と同じ感情を共有せねばならないのか?
『ずっとそう言い続けて兄を甘やかして、それで状況が好転したか? 好転する見込みがあるというのか? 兄の自立を妨げているだけではないのか?』
そう言っても、親は同じ言い訳を繰り返して兄への甘やかし(マンション与え)をやめようとしなかった。
自分の中で、兄への嫌悪と親への嫌悪の比率は徐々に逆転していった。兄がどれほどのクズだろうが、どんな人生を送ろうがもはやどうでもいい。
自分と同じ親のもとで、恵まれた環境で育ったにも関わらず、兄は自ら堕ちていったのだ。兄の人生は兄のもの、好きに生きればいいしどこでのたれ死のうが勝手にすればいい。
兄よりも、そんな兄を甘やかし続ける親のほうに不信と不満が募っていった。なるほど、親がこうして甘やかすから兄は更生できないのだと納得した。
そして『兄が自分よりも甘やかされてる事実』にどうしても納得できなかった。自分を特別扱いしろというのではない、兄を特別扱いするのが耐えられなかったのだ。同じ子供として平等に扱ってほしかった。
自分の大学時代、兄は親が与えたマンションでゆうゆうと一人暮らしして、自分は仕送りを一切受けられずに生活費のすべてを自力で稼いだ。
就職してから、兄は親が与えたマンションで好き勝手に暮らして、自分は親に金を入れていた。家に金を入れるのは当然だと思う気持ちもあったが、理不尽だと思う気持ちはどうしても拭えなかった。
その気持ちに耐えられず、『兄と比べてあまりにも不平等だ、兄にも金を支払わせろ、兄を甘やかすのもいい加減にしろ』と泣いて言ったら、『じゃあこれからお前も金は入れなくていい』と言われた(そうじゃないだろ)。
家庭のことや仕事のことなど色々あり、結局自分は新卒で入った会社を3年ほどで辞めてしまった。親に『30までにやりたい道(フリーランス)で食っていく目処をたてる』と誓い、宣言どおりに28で目処を立てた。
兄は親が見つけてきた非正規パートの仕事をなんとかこなし、その頃にはそこそこ年季も入って板についてきていた。新しい彼女(Cさん)もできたようで、マンションで一緒に暮らし始めた。
だが、そんな矢先。兄が、クスリで捕まった。
最初に一報を聞いた時、親はともかく、自分は『まあ、あるだろうな。やっぱりな』としか思わなかった(基本的に兄の人格を信頼していないので、何を起こしたと聞いても『やりかねない』としか思わない)。
もちろん家族の誰も気づいていなかった。家族の目の届かないマンションでずっとやってきたものらしい。
自分は『言わんこっちゃない、だからマンションから追い出せとあれほど言ったのに、甘やかし続けた結果がこれだ』と親に言った。親は『そんなこと今更言っても仕方ない』としか言わなかった。
そこからの詳細は省くが、兄は執行猶予がついて戻ってきて、兄を見捨てなかったCさん(菩薩かよ)と今でも親の与えたマンションで暮らしている。Cさんが見張っているので再犯はないと思いたい。
Cさんには敬意と感謝しかない。彼女がいなかったら兄はもっとだめになっただろう。
しばらくCさんに食わせてもらっていた兄だが、今はまた派遣で職について、そこでの仕事も軌道にのってきたようだ。今度こそは歳も歳なので落ち着いたと思いたい。
(ちなみに、また維持費だけは払うようになったが、購入費は一切払っておらず、名義は父のまま。毎年実家よりも高い固定資産税を払っているのも父)
兄はもうどうでもよく、二度と犯罪を犯すなCさんにだけは迷惑をかけるなCさんだけは大切にしろとしか思っていない。
残念なことに、自分の中で兄の見方が変わることはこの先死ぬまでない。今の兄と表面上でも付き合えるのはCさんあってこそだ。Cさんを姉と慕っても、兄を兄と慕うことは生涯ない。
きょうだいは他人の始まりとはよく言ったもので、兄への気持ちはもうこれでいいと落ち着いている。
だが、「未だに」なのか、「今だからこそ今まで積もり積もったものが」なのか、自分の中で親へのわだかまりだけはどうしても消えない。考えると落ち着かず、心がざわつく。
もう親も老い、自分もいい年だ。親も人間であり、それも見栄っぱりで子供を平等に扱わず贔屓するようなできの悪い人間だったんだと納得するしかないとわかっているのに、
自分はどうしても、親に『自分たちが間違っていた』と言ってほしい。子育ての過ちを認め、自分がどれほど辛い思いをしたかを理解し、悪かったと謝ってほしい。
だが、過去に喧嘩した時の経験から、親は絶対に自分の過ちを認めない、ましてや子供から言われる言葉を決して正面から受け止めないとわかっている。
『それが親に対して言う言葉か』『何様のつもりだ』『はいはい、全部こっちのせいだって言いたいんでしょう』…そう言って絶対に絶対に自分の過ちを認めない。老いた今、なおさら頑なになり認めないだろう。
自分は自分なりに、親の期待には応えてきたと思う。教育で親に金をかけてもらった事は感謝しているが、それだけの成果をちゃんと出し、結果をだした。
なのになぜ、自分は兄と同じに扱われなかったのだろう。自分だけが要求され、応え続けねばならず、それなのにそれを評価もされなかったのだろう。
これを言うと嫌な人間だと思われるだろうが、客観的に見て自分のほうが親に貢献しているしまともな人間として育った(少なくとも前科ものでなく、親に迷惑をかけていない)という自負があるだけに、やるせない思いがある。
本来なら自分のほうが親に贔屓されて然るべきではないのかという思いがあることは否定しないが、贔屓してほしいとは言わないしするべきでもない。
ただ自分に求めるものは兄にも求め、兄に与えたものは自分にも与えてほしい、子供の間に差をつけないで平等に接してほしかっただけだ。
男女の差だというのならばなおさら、兄には『長男』としての役割と責務を求めるべきだったろうに、なぜ私が長男の役割も果たさねばならないのだろう。
兄が結婚した時、自分は『兄が孫を作ってくれたらそれだけが兄の親孝行だ、自分にも兄がいた意味がある。せめてそれくらい孝行しやがれ』とわずかに期待したが、兄は子供を作る間もなく離婚した(そもそも作る気もない)。
母は自分にだけ言う、兄には絶対に言わないのに、『老後の楽しみがほしい、孫が見たい』と。
子供はジジババの楽しみのために産むもんじゃねえし産んでおしまいじゃない、何ならあなたがたが育ててくれんの? 育てる金あるの? と応えたら沈黙した。
そんなに孫が見たいなら兄に言ってくれ、男なんだから自分よりよほど確率が高いだろうと言ったら、『あの子に育てられるわけがない』。『何を言っても無駄』と言って、兄には20年以上何も要求しない。
『精子バンクとかあるでしょう』『50歳で産んだって例もあるし』とまで言われた日には本当に失望した。
50歳で産んだ女性はほぼ卵子提供で母方の遺伝子は入らないし、養子じゃ嫌だってんならそれ(母方の遺伝子が入らない)も嫌なんだろうに。
そもそも出産までにどれだけ苦労したか(流産だって何度も経験してるはず)、不妊治療にどれだけお金がかかったかわかってて言っているのか、そして不妊治療と高齢出産がどれだけ母体に負担がかかると思っているのか。
娘の体など、自分の楽しみのためにはどうなってもいいのだろう。
孫の立場にしたって、父親がいない家庭に生まれることになるのだが、そういったことを考えてもいないのだろう。ただ、自分が欲しいから、だ。
私の結婚も、自分の見栄だけのためにしてほしかったらしい。大切なのは見栄と体裁で、娘の幸福などどうでもよかった。
『結婚しない女はなにか問題があると思われる』なんて言われても、それはあなただけの醜い価値観だろう、未婚率が三割の時代にそんな事思うほうが少数派だ。
図らずも未婚女性への「己の偏見」を曝け出したことにも気づかずに、『あなたのために言っている、それが世間だ』などと諭してくる醜さ。兄にも同じことを言えばいいのに。
『結婚しろ』と言われるのが嫌で、それを避けるために誰でもいい、一回結婚さえすれば文句を言われまいと思って結婚したけれど、上手く行くわけもなく2年も経たずに破綻。
(付き合っていた人とは、兄の事件で別れざるを得なかった。結婚した人には家族ぐるみで兄のことを隠した。そんな結婚うまくいくわけもなかったし相手には申し訳ないことをしたと思う)
その時の言葉も『せめて2年は持たせろ、外聞が悪い』『相手の親に私(母)の顔が立たない』『どうせお前のわがままだろう』…出てくるのは己の見栄と体裁のための言葉だけで、一度も娘の心情を慮る言葉は出てこなかった。
兄が同じように2年程度で破綻した時、兄に同じ言葉を突きつけたなら、そういう人なのだと納得もできたかもしれない。だが、兄の離婚に関して親は兄に何も言わなかったのだ。
https://anond.hatelabo.jp/20190405004215
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190405004215
NTTグループの増田やそのブコメを見て思うところあったので、自分のブログに書こうかとも思ったけど増田に書く。世の中には「普通の平凡なサラリーマン」にすらなれない人がいるんだよいう観点で。
構成はNTTグループ増田のそれに合わせて書く。分量は少なめで。
「安定してそこそこの給与が保障されている」という環境に対する憎悪の声がここ二十数年ほど高くなっているが、「安定してそこそこの給与が保障されている」環境が必須な人は一定の割合で存在するのでは?そういう進路を選択したほうが貧困に陥らずに済む人だっているのでは?そこから外れた瞬間に貧困に陥ってしまうのでは?(私自身も若いころはそういう視点を持てなかった。)
「普通」の人間にすらなれない人にとっての一つのセーフティーネットが存在することを私は実感したし、それを無くすのは自分のためだけでなく、社会のためにもよくないのでは?ということを捉えていただければ。(近い将来、その「一つのセーフティーネット」が無くなって私自身が惨めに野垂れ死ぬ可能性は高い確率であると思っている。)
修士新卒で就職。40代前半。いわゆる氷河期世代ってやつです。バックエンド業務に従事。
30くらいの時にブラック他部署との仕事でメンタルを病んで療養。復帰はしたが、不信感やらいじけ根性発揮やらで30代序盤にして「この先の人生はもう余生」と決め込む。今思うと、内心そう決め込んでいても「一生懸命仕事をやろうとしているポーズ」を取ることの重要性を理解していれば年功序列レールに数年の遅れで乗れたのになあと思うのですが、当時はとにかく辛くてそんなこと考える余裕すらなった。後の祭りだし後からならなんとでも言える。
過去は変えることはできないので、節約生活と可能な限り小銭を拾う生活をするしかない生活を強いられているんだッ!!(バカの自業自得)
経営は非常に安定している、、、とみなされた時代もあったようです。
労働組合は御用です。組合の側から「労使協調」という言葉が出たときにはのけぞりました。物事には建前というものがあるのでは?そりゃあ実態が御用組合で組合出向が人事部の出世コースなのはみんな知ってるけど、、、と思わないでもないです。
私自身の年収は650万ほど。残業しまくっていた就職3,4年目の頃と同じ水準ですね(さすがに今は残業時間は減っています。というかそんな残業生活もう無理)。40歳超えてこれですので、金銭感覚が比較的幼いままでよかったなあと思っています。この先歳をとるにつれどんどん周囲に差を付けられてきつくなるんでしょうけど。
(収入が順調に上がるにせよ上がらないにせよ、生活レベルは上げないほうがいいと思います。というか生活レベルって小金が入って油断すると勝手に上がっていくものです。心身の疾患で収入が上がらなくなったときに悲惨ですし、心身に問題がなければないで貯蓄が増えていきます)
年齢や学歴の近い人は最低でも係長、早い人はとっくに課長に上がっていて当然年収1000万超えです。
30代序盤までは、普通に過ごしていても優秀であってもメンタル疾患の欠陥品(私)であってもその時点での年収差はあまりないようです。後になって響いてきます。
ヒラ→主任→係長→課長、、、と昇格していきます。「普通」の人間でいられる限りは今でも係長までは多少の差はあれど基本的に年功序列です。もちろん私はそのレールにすら乗れていません。
学歴が高いほうが昇格が早い、という傾向はあるようです。自身の反省から言うと「普通」になれなくとも一生懸命頑張っているフリくらいはしましょう。社内ニートのキャリアパスを選択するのは最低でも、(表面的な体裁を保っていればなんとか年功序列で上がれる)係長に上がってからにしましょう(自戒)。係長にすら達していない若いころからいじけて余生モードになってもいいことはありません(体験者は語る)。いじけて社内ニートになるのはいつでもできます。実際課長以上のクラスでそういう人はいます。
なお、優秀な人は異常に昇格が早いですが、「あんな奴がどうして」「女性だから優遇されているのか?」というケースは少なくとも私の視界では見たことがないです。課長以上の世界は私からは見えないのでわかりませんが。
あと、昇格に関する(暗黙・非暗黙の)ルールはあるみたいですが、他人を人事評定する立場に立ったことのない私には正直わかりません。「普通の」コミュ力があればそのへんの情報を下っ端でも聞けるみたいなんですが。
社宅や寮はあります。以前は安価で長く居られたらしいですが、年々制度改悪されて今では基本的に35歳までしか使えないようです。値段については、改悪されたとはいえ普通に借りるよりは安いみたいです。
独身者は補助を受けたければ寮に入れ、という方針です。既婚者は条件をクリアすれば多少の賃貸補助を受けられます。こちらも年々改悪されて今に至るようです。40歳超えたら補助は一切ありません(だったはず。単身赴任に関しては別)。
そんなものはない(関羽)。家やマンションを買うための財形制度はあります。
私自身が持ち家を持っていないし検討すらしたことがないので正直よくわからないです。ただ、わりと多くの人が「年相応に」家なりマンションなりを購入しているようです。まあ、私はそういうルートにすら乗れなかったので、、、
旅行とかスポーツジムとかに使えるポイント制の制度があります。小銭を拾って生きていかないといけないので、これは、、、ありがたい、、、
勤務時間帯はコロコロ変わっていました。一日の労働時間が長くなる代わりに休みが増えるとかその逆とか。ただ、最近は世間の趨勢を無視できず世間並みになっている感触です。フレックスやリモート勤務や時短勤務などがあります。
残業規制は私が入った頃はいいかげんでした。最低でも終電帰宅がデフォなのに残業は毎日20時きっかりまでとか。(若いころはそれでもなんとかこなせるんですけど、それで心身のダメージが蓄積していくということに気づいたのはもう少し後の話)
社内外の関係者(犠牲者)が捨て身で騒いでマスコミ沙汰労基沙汰にしたことや世間の流れもあって、今では残業規制はNTTグループ増田の言っている程度には厳しくなりました。ただ、一部の部署では「退勤タイムカードを押した後残業」みたいなのが常態化しているという噂も聞きます。
人件費圧縮のため残業は減らせという職場全体の方針なのに、残業時間が少ない人は暇人認定されて評定上はよろしくないみたいです。じゃあどうすりゃあいいんだよ。
あと、フレックスが導入されたので残業時間の調整はしやすくなりました。今月残業多くて今日はやることないから早く帰りますとか。まあそんなこと言ってられない時はどうにもなりませんが。
有給休暇、夏季休暇、傷病休暇があります。繰り越せる休暇はいいんですが繰り越せない休暇はきっちり消化しないと上司が怒られます。
他は、最近急にコストに関して経営陣が意識高い系になっているけど、その内容が「とにかく目先の支出を減らすこと」という、民間大企業がかつて陥った罠に数周回遅れで嵌まっている感がムンムンします。「目先のコストカットが目的化してしまい本業に支障出まくり」という余所様の失敗はさんざん話題になっているのにそういう情報に触れていないんだろうか。
低いです。が最近は若い人の離職率が上がってきています。先日部長が「若い人が離れていくのは問題だ。もっと職場の一体感を」とズレたコメントをしていたのが印象に残っています。部長まで行くような人がその分析、、、?
個人的には、ここ数年人事が欲しがるような人材(安定のためとかそんな学生は要らねえ!)が増えた結果として若い人の離職率が上がっているんでしょ?人事がそういう人材を採用している方針的に当然の帰結では?と思っています。
・将来がどうかはともかく、貧困になりたくない人(「普通」になれなくても必死になんとかしがみつけばそこそこの生活費は確保できます。今のところは)
・社会的信用を求める人(エリートでもお荷物でも外から見れば所属組織名は同じ)
・馬鹿正直な人
・ルールや決まりよりも部署の声のデカさがすべて、という現実に適応できない人
・一攫千金を求める人
私はかつて「私は普通の人間(社会人)にくらい当然なれるさ」と思っていたし、もしかしたらそれ以上の…なんてことを思っていました。
最近話題なった45歳over首切り某民間大企業が、その昔「成果主義」とか言い出して世間的にも話題になってました、当時就職直後だった私もご多分に漏れず「自分は当然成果主義で給料の上がる側」と思っていました。
今は私の職場も(年功序列の面も残っているけど)「成果主義」が進んでいますね。イチローの引退会見じゃないけど、若いころの自分に「おまえメンタル疾患で普通の人間にすらなれずに成果主義どころか年功序列レールにすら乗れてないぞ」と言いたいですね。
そんな欠陥品でも当面は生きていけることに対しては、今のところは運がよかったな、と思っています。ということで退職しません。クビになった時に備えてチマチマ小銭を貯めます。まあ実際クビになったらそんなのすぐに吹っ飛ぶんだろうけど。
あと残り60万程ある。
できれば1年くらいで返してすっきりしたい。
昼間はフルタイムで働いてるから身体壊さない範囲で副業したいんだよね。
19時から働ける仕事探したくて副業用の派遣に何社か登録したけど19時からの仕事ないって言われたし。そもそも働くのは19時からOKでも研修は日中に1週間あるとか言われて派遣からの紹介は無理だったし。
昼職に影響ない範囲で探してると深夜まで働くのははちょっと難しい。
チャトレはコミュ障なので無理だなって思った。全然人が集まらない。
実際は地味でブスなコミュ障なアラフォー女は別に仕事にもならないんだよな。
ああいう仕事全般は若くて可愛くてコミュニケーション上位者がごりごり稼ぎが出る仕組みになってるんだよね。
なので、地道に月2万くらいのバイトを探してるんだけど、全然見つからなくて困ってる。
何か仕事がほしい!!
寝て起きたらたくさんコメントもらってて驚いた。
みんなたくさん考えてくれてありがとね。
こっちの背景をきっちり書かずにおいたのに
色々考えてくれててありがとう。
ここまで出た中で
・塾講師 → 応募だけしてみる
・アフィブログ → 仕事で文章作ってるのでオフの時間までみたくない
・リゾートバイト → 長期休み取れない、ただGWはバイト入れてる。
・仮想通貨 → やってみたことはあってプラスにはなったけど合わなくてやめた
・デリ
・チャトレ → 待機時間もったいなくて、その間働きたいと思った
・生活費見直し → 家賃とか色々含めて月7万で生活してるからちょっと難しいかも
・破産、債務整理 → 整理するには返済能力あるし金額が少額なので難しい
あたりかなー、いろいろがんばってみるよ。
前に書いたのとは別に親からも借りてて、親にこれ以上借りるのは無理だと思ってる。
早く60万返済したいっていうのは、親にも借りてるからで早いとこ返済し終えて
親に返したいって思ってる。
派遣を直接雇用しないって方針なので、無期雇用に代わるタイミングで首切られる。
こればっかりは社内外のだれが何を言っても人事が方針を曲げない。
私はあと2年てところ。
って思ったけど、よく考えたら毎月5万程(前倒しで支払ってるのもある)、
年50万は返済してるな・・・
・・・複数から借りてるし利息あるにしても計算がおかしいって思ったけど
冷蔵庫とか洗濯機とか他にも色々去年壊れたのでそれの修理だったり買い替えだったりで
分割で支払ってる分増えてたわ・・・
あれ、そうすると今年も50万は支払う計算になるからこのまま支払ってても
1年半後には終わってる?
違う。単にそういうことして楽しんでるのではなく切実にやってる。(少なくとも非合理性への突っ込みは作中にないし、ナンセンスな楽しみでやってるだねである、という描写もない)。
つかそれぐらい読んでたらわかるだろ。読んだ上での感想に対して読みもせず「だと思う」とかいうぼんやりした反論をするな。無礼だ。
親への生活費援助が必要だとわかったときも「老後のプランが狂った」とかため息ついてて真面目な貯蓄枯渇への不安に満ちている。
子供もいない男2人40代共働きで変な浪費癖があるわけでもなく持病があるわけでもなく不安要素と言えば生活費援助を必要とする親くらいで、それだって現金化してない資産はまだ持ってそうな感じ。そんで男の片方は弁護士。
これでなんであんなにしけた生活してて、金勘定が常に息苦しいほどみみっちいのよ。設定と生活が全然合ってない。
多分あれ作者か作者の親しい人の生活観が混入してきてるんだよね。老いや老後の不安の話ばっかりしてる感じ。読んでてうんざりしちゃった。
弁護士で、バリキャリではないけど仕事出来ないわけでもない男が、なんでスーパーいくつも回って十円安い野菜を買うのよ。おかしいだろ。そんなの時間有り余ってるけど収入手段のない年金生活老人や生活保護受給者の行動だろ。俺でもそんなのやらねえよ。
一時間残業した方がよっぽどましだろ弁護士。アホくせえ。意味わからん。あの不合理すぎる行動の説明は少なくとも3巻ぐらいまで読んでも出てこなかった。なんなのあれは?
さくしゃはたくさんヒット飛ばしてる漫画家なのでこんな金銭感覚のわけないし、一般人の友達から話を聞いてそのままかいてるんだろうか?
とにかく不満点は、ひたすら老いや衰えの方ばっかり見てて暗いこと、設定が変なこと、んでこれ書いてて思ったけどよしながふみって子供いないんだろうか?子供いる人はもう少し未来に興味を持つけどこの下り坂しか見てない感じはこなしな感じがする。そこをゲイにあてはめたとか?
つーか俺も独身だし子供おらんから40代以降あんなしょぼくれた気持ちで生きないといけないの?みたいなやーなきもちになるんだよな。
んでドラマ版だけど西島秀俊はイケメンだけど表情豊かに生きてきて顔にシワが一杯ある方で普通に歳を感じる。(役より年上だし)
そういう意味でもあの配役は違うんじゃないのかな。ミッチーとかは同じ歳の時もっと年齢不詳だったしそういうタイプの役者もっと他にいたのではと思う。内野のほうはなるほどそうくるか、と感心した。捻りのない人間(俺とか)にキャスティングさせたら大泉洋かユースケ・サンタマリアになるよな。
100%で生きてるという表現が妥当かは分からないけど、やたら仕事に対するモチベーションが高く、「仕事のためならプライベートを犠牲にするのは当たり前」みたいな価値観で生きている人を見ると確かに疲れる。そういう人って他人に対しても同レベルの自己犠牲を求めるから迷惑なんだよね。
自分の価値観では「仕事は生活費と趣味の経費を稼ぐもの」「仕事は足切りされない程度にやれば良い」「今日やらなくても良いものは明日以降にやれ」なので、無駄に残業したり休日出勤したりする人が理解できない。
昔人事系の仕事をしていたときに、「今よりワンランク昇進しても、責任が増えるだけで大して給料は上がらない」「うちの会社の人事制度では特定の人にうんと高い評価をつけたりうんと低い評価をつけるのにいちいち理由が必要なので、ほとんどの人の評価が「普通」になってしまう」という話を知ってしまい、ただでさえ低かったモチベーションがさらに下がった。
東大に入学した春、僕は父親の年収が700万円だと知った。日本学生支援機構の奨学金に申し込むために、世帯主の収入が必要だったからだ。
当時の僕は父親の年収を見て、「こんなもんか、思ったよりは多いんだな」などと考えていた。東大生の親の世帯年収は、約半数が1000万円以上だという。
https://www.nenshuu.net/sonota/contents/toudai.php
1000万円というのが金持ちの一つの基準で、それに足りないウチはやっぱり中流階級なんだと思った記憶がある。僕は地方都市の郊外、人口5万人程度の町で生まれ育ち、小中高(駿)大と1年を除いてすべて公立で済ませてきた。父母僕弟の四人家族で車は国産の普通車、家は駅から少し離れた3LDKのマンション、外食は月に一度するかしないか、98円の卵のために朝からスーパーに出かけるような、至って普通の家庭だ。中高時代はスーパーのフードコートでマックポーク1個だけで粘り、近所の友人とオタ話に花を咲かせた。高校は街中にあったので、放課後にラーメン屋に誘われることもあったが、月5000円の小遣いがラーメンに消えるのが惜しくて断ることが多かった。
これが普通の金銭感覚だと思っていたし、今だってそう思っている。
父親の年収700万円が基準額より高かったので、結局無利子の奨学金は借りられなかった。なので、学部生時代は親からの仕送りで過ごした。ボロアパート5万5千円の家賃と、それとは別に5万円の生活費を毎月親から貰っていた。
仕送りの額について友人と話していて感じたことだが、どこまでを仕送りの額として申告するかは個人差がある。家賃込みの額を言う人もいれば、携帯代も光熱水費も全部親が払っていて、本当に自分の自由に使える金額を申告する人もいた。僕は、携帯代と交通費と光熱水費は自分持ちの5万円だ。
東大に入ってできた友人は、世間の言うほど金持ちではなかった。毎日のように高級なランチを食べるだとか、服に月に10万円使うとか、そういう人はほとんどいなかった。医者の一人娘の女子が親からクレジットカード丸ごと借りていて、自由に使っていいという話を聞いたが、流石にそれはウワサ話になるぐらいには少数派だった。
三鷹寮に住んでいた友人は、本のためにバイトに明け暮れていた。
あらかじめ言っておくと、ほとんどの東大生の親は、子供の本代を惜しまない(と観測範囲の中では思う)。僕の仕送りは5万円だと言ったが、学期初めの教科書代は別途追加で送られてきた。公立の高校でさえ周囲はそうだったから、そもそも(子供の学歴にかかわらず)本を与えてくれる親は多いのだろう。でもやっぱり、書籍部で1冊数千円する専門書がドカドカ売れていくのを見ると、東大生は本にお金を使うし、親もそれを惜しまない傾向は他の大学に比べて強いのだと思う。そんな環境の中、三鷹寮の友人は本を自分で買っていた。外部の人に説明すると、三鷹寮というのは東大直営の学生寮で、月1万円ちょっとで住むことが出来る格安の家賃が魅力だ。その代わり、三鷹にあるのでキャンパスから遠いのと、入居者には所得制限がかかっている。なので、三鷹寮に住んでいた時点でその友人はさほど裕福な方ではなかったのだろう。僕は不躾にも、彼に「本代を親に頼まないのか」と聞いてしまったことがある。彼は「授業で指定された教科書代は貰っているけど、こういう本は教科書じゃないから」と言った。理系の僕にはよくわからなかったが、彼の買う本は美術論や建築物の写真集だとか、普通の本屋にはあまり置いてなさそうな文化的なものばかりだった。普通のハードカバーの小説みたいなサイズの本が、3500円した。「これは教科書でも、研究用でもなくて、ただ自分の興味のために買ってる」と言う彼の姿は、僕には少しまぶしく見えた。
東京の私立中高一貫男子校出身の友人も、いつもお金に困っていた。サークルの活動には熱心に参加するが、その後の飲み会は断ることが多かった。そのくせ、誰かの家で二次会をやることになると「宅飲みなら安いから」という理由で必ず駆け付けた。大学進学後、彼の家のルールでは小遣いがゼロになり、遊ぶ金が欲しければバイトをしろということになったのだそうだ。実家住まいだとこういう人は何人かいたように思う。僕は仕送りを貰っていたので携帯を格安スマホに切り替え、自炊でケチれば、浮いた金がそのまま自分のものになったが、実家住まいの人間はバイトをする以外の方法でお金を得ることができない。その上、友人は郊外に家があったので、通学に1時間半ほどかかり、夜遅くのバイトができないのだと愚痴っていた。
大人になった今少しわかるのは、東大生の親は確かに金持ちだったが、教育費と都心の住居費に金を注ぎ込んでたのだということだ。だから、食事や服、旅行などのわかりやすい贅沢はしない。その代わり、海外の大学への留学費数百万円をポンと捻出するし、子供が女子だったらセキュリティのしっかりした家賃10万円のマンションを借りる。でも、遊ぶためのお金を直接子供にくれるわけではない。大学が忙しくてさほどバイトができなかったから、僕らは他の大学生に比べても飲み会なんかの遊びにお金を使わなかった。こういうわけで東大生は自分のことを貧乏だと思っているのだと思う。
大学院を修士で卒業した僕は、今は某メーカーに就職して、工場のある田舎で生活している。1年目の盆休み、帰省した僕は数か月遅れながら初任給で親を食事に連れて行った。話題は当然、僕の仕事のことばかりだ。そのうち、給料の話になった。ごくごく一般的な修士卒の初任給の額と、冬のボーナスの金額の目安を告げると、母は「お母さんの給料なんてすぐに抜かされちゃうわね」と答えた。
その瞬間、僕は重大な事実に気づいて膝から崩れ落ちそうになった。
どうしてこんな簡単なことに6年間もの間気づかなかったのだろう!
僕 の 実 家 の 世 帯 年 収 は、1000 万 円 を 超 え て い る !
共働きであったことを知らないわけはない、ないのだが、父親の年収を知った時の僕は母の給料をそれに足すという単純な足し算ができなかったのだ。弁明すると、僕の父親は700万を稼いでいた当時50代前半で、年収がピークにある時期だ。僕の家が世帯年収1000万円を超えていたのはわずかな期間だろう。そして、僕らの親世代にとって年収700万円というのは50歳前後の男性の年収の中央値で、僕の父親は周囲と比べても実際凡庸だったのだ。母は専門職のフルタイム勤務ながら、年収300万円代で、これも稼いでいるとは到底言い難い。僕の父親も母親も、普通の人で、並の年収だったので気づくのがだいぶ遅れたが、共働きのおかげで世帯年収は1000万円を超えていたのだ。
その事実に気付いてからしばらくは、ショックで呆然としていた。僕の家のしゃぶしゃぶといえば豚肉だった。一体いくら稼げば牛肉のしゃぶしゃぶを食べられるようになるのだろう?同じマンションの住人でベンツに乗っている人がいたが、あの家の人はいくら稼いでいるのだろう?あるいは何を犠牲にしているのだろう?ハワイ程度なら僕も海外旅行をしたことがあるが、ヨーロッパに出かけている人たちはどうしているのだろう?僕は1000万円を稼げるようになるだろうか?東大を出たところで、この不景気では実家以上の暮らしができないのではないだろうか?
幸いというべきか、今の僕は30歳手前にして世帯年収1000万円を実現した。といっても、僕が600万、不動産営業の妻が400万円という内訳だけど。引っ越しや結婚式、新婚旅行など、金の吹っ飛ぶイベントが一通り終わって、ようやくゆとりが出てきたとはいえ、こんなもんかという感じは拭えない。そろそろ子供を持ちたいので、妻の収入が無くなるのを覚悟しないといけないし、子育てとマイホームのために貯金を続けているといったところだ。
妻は高いものを購入したい時、必ず僕に確認する。冬物のコートとか、デパートの化粧品とか(妻が怖じ怖じと切り出した割に、化粧品は6000円と意外に安かったのでそれぐらいなら確認せずに今後も買っていいと伝えた)。僕も相談するようにしているが、この間のカメラのレンズはOKが出なかった。これが年収1000万円の暮らしなのか、と考えると今でも不思議な感じがする。まだ子供がいないから多少ゆとりがあるだけの、「普通」の家庭だと思う。
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最近googleに入った話がはやっているので便乗してマイクロソフト本社に入った話をしてみる。
性別:男、京大 情報修士(大学では飲食バイト・マージャン・バイク・飲みに勤しみあまり勉強せず)