はてなキーワード: 決死とは
長女が「買ったのじゃなくてお母さんが揚げた唐揚げをお弁当に入れて!その方が心がこもってるから」と言いました。その考えは将来、長女自身を苦しめることになる可能性があると思います。その呪縛から長女を解放すべく、決死の覚悟で冷凍の唐揚げを買って参りました。— 鞠 ようこ(ライター) (@mar_cat14) October 31, 2019
ウチは子供3人いて、3週間くらい妻が海外に行ってたけど、俺の1日の家事時間、掃除、洗濯、食事・子供のお弁当の用意(3分で済む)など全部で1時間ぐらいだったけどw。12歳未満の子供の要る女性の家事が平日1日8時間って何やってるの?素朴に疑問。キャラ弁でも作ってるの?https://t.co/YR7hLdPjBJ https://t.co/driJqC6CLu— 田端信太郎 @田端大学塾長である! (@tabbata) September 13, 2019
【参考】
長女が「買ったのじゃなくてお母さんが揚げた唐揚げをお弁当に入れて!その方が心がこもってるから」と言いました。その考えは将来、長女自身を苦しめることになる可能性があると思います。その呪縛から長女を解放すべく、決死の覚悟で冷凍の唐揚げを買って参りました。— 鞠 ようこ(ライター) (@mar_cat14) October 31, 2019
→肯定
ウチは子供3人いて、3週間くらい妻が海外に行ってたけど、俺の1日の家事時間、掃除、洗濯、食事・子供のお弁当の用意(3分で済む)など全部で1時間ぐらいだったけどw。12歳未満の子供の要る女性の家事が平日1日8時間って何やってるの?素朴に疑問。キャラ弁でも作ってるの?https://t.co/YR7hLdPjBJ https://t.co/driJqC6CLu— 田端信太郎 @田端大学塾長である! (@tabbata) September 13, 2019
→否定
【結論】
言った人による
俺はずっとマンガ「キングダム」を歴史スペクタクルマンガだと思っていたが、違った。
地元、都道府県、そして全国の高校のやべーやつらと戦って、全国制覇を目指す。キングダムのフォーマットはそれだ。
だからオリキャラ、史実キャラ問わず量産型なやばいやつが途切れることなく出てくる。「秦六将」とか「三大天」とか「魏火竜」とかは「〇〇高校四天王」みたいな感じだし。
と言うわけで自分の中で整理はついた。
それと同時に、寝る前とかに妄想してた「俺のキングダム」が先日無事始皇帝が死に、次世代の英雄たちが顔見せして終わったので、俺の中のキングダムをここに書いて残しておきたい。
いやー、項燕は強敵でしたね…。
この3つだ。
この3つを経糸に、キャラクターを緯糸にしてストーリーが紡がれていく。歴史スペクタクルとしては標準的な形だ。
そして、主人公の信はこの3つの舞台全てにかかわっているという、まさに主人公らしい立ち位置にいる。
そして、それぞれの舞台で魅力的な人物が多数いるので、何をどうやっても面白くならないわけがないのがキングダムの魅力だ。
それを一つずつ解決して、信と政がどんどん力をつけていく。この3つの舞台を上手く使えば、「有名人=とりあえずめっちゃ強い」というヤンキーマンガ的文法から脱することも容易だ。
ヤンキーマンガを揶揄しているわけではなく、歴史を描くのにヤンキーマンガスタイルは合わない、と言うことだ。
さらに、3つの舞台それぞれにラスボスとなる人物が存在することも非常に大きい。
原版の「キングダム」でもこの宮中編は極めて面白い。特に弟の2度の反乱のストーリーは素晴らしい。弟君には生きてほしかったぞ…!壁さんはそんなに…。
後宮のドロドロとした問題が、回りまわって政治の問題となり、そして戦争に至るという、ある意味で「全ての元凶」であることもポイントだ。
そして、そのど真ん中に秦王・政がいるわけで、のちの始皇帝となる彼の胸中にもスポットライトが当たる。ともすれば闇に飲まれる政を救うのが信であり、テンであり、向ちゃん陽ちゃんである。
特に信は様々な事件で後宮に切り込んだことのある人物なので、後宮と言う閉鎖された環境を大きく振り回す役目も持っている。
そして、政治や戦場という表舞台には出てこない、もう見た目からしてヤバい奴らが出てこれるのもこの宮中編だ。
ベルセルクのバーキラカ編がめっちゃ面白かったように、キングダムの宮中編も面白いのだ。ここぞとばかりに妖術!仙術!奇々怪々!な人外どもの共演が魅力だ。
そして、この宮中編で出会ったキョウカイと戦場編、そして政治編を共にしていくという、まさに「裏から表舞台に、闇から光にぐいぐい引っ張り上げていく」信というキャラの魅力も存分に楽しめる。
テンは軍師としてではなく、この後宮における諜報活動をメインの舞台にして、趙高と対決しつつ、対外的には山の民との折衝を、内に対しては暗殺者たちの警戒を、そして信が戦場に行っている間の領地経営などをすれば、「テンにしかできないこと」によって信や政をサポートできる。
キングダム世界の最強の暗殺者として描写される荊軻は、政、信、テン、キョウカイと物理的に対決することができる貴重な存在だし、中国史上最も有名な暗殺者(だと思う)で、しかも人格は高潔。また「傍若無人」の語源にもなった男として(語源は結構いい意味)、知名度もエピソード的にも隙がない。
理想のためには己の手を汚す、歴史に汚名を残しても構わないという政に向かって、「そうはいってもお前がやっていることは中華全土の民を苦しめる行為である」と喝破できる暗殺者。荊軻こそ宮中編ラスボス。
ここに至り、政や信はルァァ!ではなく、筋として、現実的な回答としての「善い国」を目指さねばならなくなる。そして、史実では成功したとは言えない始皇帝の各種改革の意義も、きちんと読者に提示することができよう。
荊軻とキョウカイの戦いはワレブシンなどとは格の違う激戦が展開される。
闇を心に宿す聖王である政と、光を心に宿す暗殺者の荊軻という対比もいい。
荊軻がどのような最期を迎えても、読者に強烈な印象を持たせられるはずだ。
また、結局のところ最後の最後まで残る秦国最悪の毒である趙高のヤバさも存分に描くことができる。趙高と荊軻の対比も面白いかもしれない。人格最悪の宦官と、人格最良の暗殺者とかね。ベタかもしれないけど。
主人公がどんどん成り上がっていく、となれば、それはもうアメリカンドリームの世界なので面白くないわけがない。
クッソボロい小屋から始まって、村、町、郡、県、そして国政にもさんかする秦国の重要人物になっていく様は、政の目線から見ても面白いものになる。
政が初めて信に褒美を手渡したシーンは名シーンだ。家で待ってるテンもかわいい。
最初のうちは昌文君の後ろにくっついて国政や外交を見学するわけだが、そこにキョウカイも連れて行ったりしたのは面白かったな。
賓客として訪れる各国の重要人物との縁もできるし、そこから戦場で対峙するギャップもいい。
テンちゃんには後宮での諜報活動の傍ら、こちらに注力していただいて、戦場でストレスを抱えるよりこちらでほのぼのと領地経営をしていただきたい。たまにキョウカイが飯を食いに来るとか。
そのうち王騎の城をもらえることになったりとかね。
秦は法治主義がかなり浸透してるので、その法治主義の利点、欠点(商鞅の件みたいな)をひきつつ、では信はどういう国を理想とするのか、政はそのためにどういう王でなければならないかが描き出される。
領地経営を通じて、信は大きく成長し、その経験が戦場でも生かされることになるだろう。
なぜ法治国家であった秦が強かったのか。他国との違いは何か、かかすことのできないストーリーになるだろう。
ラスボスはいろいろと考えられる。外交面では斉王だろうが、「国家運営」と言うところまで話が広がれば、丞相・李斯とどういう関係になるかが問題になるだろう。
また、後宮編ともリンクするが、政の二人の息子の問題が大きくクローズアップされる。
信は王子にどうかかわるのか。
そしてここでは蒙恬も大きな役目を果たす。
蒙恬は知略、政治にも優れたイケメンで、最終的に政の長男を奉じて最後まで行動(史記では批判されているが)し、悲劇的な最期を遂げることになるのだが、そこに至る伏線を張り巡らすにはちょうどいいだろう。
この政治編のサブ主人公は蒙恬と言える。李斯、趙高に対抗するにはどうするか、王子をどう教育するか。
個人的に、政の長男扶蘇に「おじさん」と呼ばれてめっちゃなつかれる蒙恬が見たい。
むしろ扶蘇は女の子でもいいぞ。女の子だから継承者から廃された、とかね。
蒙恬はテンちゃんとくっついてもいい。むしろそれだけの材料は十分にある。
宮中編がトリガーとすれば、政治編は撃鉄と言うことになるだろうか。
そして、全ての決着をつける弾丸となる戦場編に舞台は移動する。
誰が至強か!?
誰が至強か!?
汗 明 !
大体このノリでOKだ。文官だった汗明さんがこんな至強に。それがキングダムの戦場である。
宮中編、政治編とはまたベクトルの違った奇人変人のステージとなるこの戦場編では信には思う存分ルァァしてもらって、キョウカイにはスヒンしてもらえばそれでいいと思う。
ここに関してはさほど言うことはない。みんなが思っているような戦場を思い描いてくれればOKだ。
ただ、ぶっちゃけもうちょっと項翼の格は上げてほしいし、何なら戦国最強の項一族とか捏造して項翼のみならず項翔とか項離とか項飛とか「項+飛翔系」の量産型をそろえてもいいかもしれない。ダメか。
それはともかく、李牧さんには政治編でも活躍してもらえるので、戦場での出番はここ一番まで取っておいてもらって、部下のニンジャマスクには退場していただければそれでいいような気がする。ニンジャマスクはなる早でキョウカイに切り捨ててもらえるとありがたい。
上手く描写すれば王賁とキョウカイがいい雰囲気になる寸前のところくらいまで言っても受け入れられると思うんだよね。
ラスボスは当然のごとく項燕。
カリンさんは政治編でも頑張ってもらえばいいので、やはりラスボスはこのオッサンだろう。
後の覇王・項羽のおじいちゃんなので、ぶっちゃけもう項羽として描いてもいいんじゃないって感じはする。歳の問題はあるが。
というのも、信が楚に20万(だっけ)で攻め入った時、蒙恬も一緒にいるのだ。
蒙恬=知将+イケメンなので、蒙恬がいたのにそんな無様なことにはならんだろと言う予測がつく。
そして、歴史系作品の魅力と言えば、「なぜその人物はそんなことをしたのか」に上手い理由をつけるのが醍醐味。
ならば、簡単に「なぜイキリ散らしたのか」に理由がつけられる。
それは、
でOKだ!
楚は国土がでかい。長江もある。ゆえに他国からあまり侵略を受けていないので、楚の内部の城郭がどうなっているのか、兵士はどれくらいいるのかが全く分からない。
なので、だれかが犠牲になってでも強行偵察&戦力を評価をしなければならない。今秦国が動かせるのは80万しかない。いきなり80万で出て行っても、翻弄されて撃破される可能性がある。
ならば、秦王の最も信頼の厚い将軍である信がその「潰れ役」を買って出て、次なる勝利の布石とする!
みたいなことを信の口から言わせれば、信がこれまで経験してきたことで説得力もあるし、王翦ら歴戦の将軍も納得し、一目置かれるだろう。
そうならば、「泥臭い役もこなせる」楽華隊を率い、信の親友である蒙恬がついてきてくれることにも全く違和感がない。
王賁もこのころまでにギスギスをやめて、劇場版ジャイアンみたいな感じで送りだしてくれるだろう。
で、決死の強行偵察であることを悟らせないために(朝廷にもスパイ入ってるだろうし)、公的にも、歴史的にも、「信とかいう若い将軍がイキって20万で楚を攻める」という体にしておく。
「天下の大将軍になる」という目標の信が、「政の目指す国のために、名誉を捨てる」という、劇的な変化を見られるのだ。
そんな内情を、何となく兵士たちは察したとき、キングダム冒頭の「李信将軍!」とついていくのだろう。熱い話である。
歴史を見ると、李信の一族は「優秀だが報われない」一族であることがわかる。
李信の子孫である飛将軍・李広は武勇を誇るも功績を認められる憤死
その李広の孫である李陵は「あいつは寝返った」と勘違いされ、不名誉を着ることになった。
しかし一族は決して衰退することなく繁栄しのちの世にまで子孫を繋いでいる。
つまり、「報われない一族でありながらも、きちんと評価してくれている人がいる」という一族でもある。
その筆頭が、史記を書いた司馬遷だ。先の李陵を弁護したため宮刑を受けてしまった司馬遷は、「自殺よりも歴史書だ!」と熱い情熱を燃やし、史記を書きとおした。
李白が始皇帝について詠んだ詩があるという話は聞いているんだが、それはまだ確認できていないが、ラストシーンは李白に詩を読ませるところでしめてもいいかもしれない。
結局のところ、信が大将軍を目指して走ってきたのは、漂との約束があるからだ。
最初はただの功名心で始まった大将軍の道が、様々な出会いと別れで肉付けされていく。これがキングダムの一番の幹である。
そこで、自分の夢を命を預けられる親友、政にであい、道を同じくする。
そして、「政の目指す国を作るための剣になる」ことに目標がほんの少しスライドするのである。その道の先に、名誉を捨てて理想のために戦うという、信の本来の姿が浮かび上がってくる。
李信の大敗後、だれも責任を追及しないし、処刑もされないし、子孫は漢の時代からそのあとにも反映している。
それは史書には残せずとも、当時の人は本当のことを知っていたということにできる。
王賁あたりに「信、お前がナンバーワンだ」と言ってもらおう。
キングダムがさわやかに終わる可能はどのくらいあるのだろうか。
かなり難しい気はする。
まぁ焚書坑儒については、ある程度行ける。
焚書で焼いたのは、各国の歴史書と、法律の本だ。あと儒教の経典。
これは当時の世相を考えれば、何とか理解できるような気がする。というのも、ぶっちゃけ中華史上初の統一国家を作る、となれば、強引にでも意思は統一しなければならない。
そのために、「俺らの祖先は秦にころされたんだぜ」というような本は廃さねばならなかったろうし、儒教の経典については、はっきり言って法治国家に儒教は邪魔なので、致し方ないといえる。
なんせ、儒教は「徳のある君主が統治するなら、法律など不要」「法律なんてものを作ったら、その法律の穴を利用しようとする小物ばかりになってしまう」というものなので。
その代わり、農業書や実用書は焼かれずに奨励されたというしね。
あくまでも実利、実学、法治思想での近代的な国家運営を目指した、が、それは時代が早すぎた。という感じなのか。
あるいは、「今理解されずともよい。後世に理想を見せるための建国なのだ」と言わせるか。事実、これ以降の中華大陸は「統一しなければならない」という意識がかなり強まった気はする。そして宋の時代に中華思想が完成するわけで。
まず趙高。いうまでもなく裏ボスだ。李斯も裏ボス風味ではある。
そして、裏ボスとしての説得力最高の人物がいる。史上最高の軍師・張良だ。
なんとこの張良、史書にデビューしたのは始皇帝の暗殺だ。始皇帝の乗る車にハンマーを投げ込ませるというエクストリームな暗殺未遂を起こしており、そこで追われる身となってセンプク。その最中に軍学を学び、史上最高の軍師が誕生するわけだが、
割と裏ボスにぴったりなんではないだろうか。
むしろ張良が始皇帝を暗殺しちゃってもいいかもしれん。病気でなくなるよりは劇的だろうし。
後は妖術師徐福だな!
格はだいぶ落ちるが!
まぁいいか!
余命少ない俺には、生きている間にキングダム完結が見られないのでこんなことを書きました。
俺の代わりに最終回まで見届けてほしい。
そりゃ移住は簡単じゃない。だが自分と家族の命には代えられないからシリア難民は国を捨てて小さなボートで決死の覚悟で地中海に漕ぎ出してるんだろう?
『生きるか死ぬかの瀬戸際』、要するに本人の主観的にはシリア難民とさほど変わらない危機感を抱いているこの女性が今すぐソウル直行便のチケットを買って家族を連れて日本を離れない理由はなに?
少なくとも韓国に入れば日本人に殺されることはない。路上でホームレスやっていれば施設に収容してもらえるかもしれないし、万引きでもして拘置所に入るのも良いかも知れん。マスコミの取材に応じて「日本人に殺されそうになって逃げて来た」と涙ながらに韓国社会に訴えれば、同情が集まって当面の生計や職業訓練を受ける道も拓けるかも知れない。何よりも韓国籍なのだから、殺されるかもしれない恐ろしい日本に強制送還されることは絶対に無い。
それとも、『生きるか死ぬかの瀬戸際』というは、ちょっと盛ってみただけのレトリックでこの女性は本音ではそこまで危機感を抱いているわけではない、だから日本脱出のアクションは特に起こしていないということなのかな?
だとしたら、メディアが根拠無く「日本人が韓国人を殺そうとしている」などというヘイトを煽るアジテーション、ただの個人の妄言を報道するのはいかがな物かと思う。
もし韓国在住の日本人が「私たちはいま、生きるか死ぬかの瀬戸際にいる。韓国にいる日本人は殺されかねないと想像している」と大した根拠も無く妄言したならばどうか? この日本人は不当に韓国を貶したと批判されるべきではないだろうか?
「私は在日3世」。彼女は手を震わせながら、渋谷で聴衆の前に立った。
https://www.buzzfeed.com/jp/kensukeseya/korean-action-1
「私たちはいま、生きるか死ぬかの瀬戸際にいると思っています。今の時代は、個人情報を簡単に渡せるので、突然いろんな人がやってきて、連れ出されて殺されるってことも想像しています」
結果的に消防法は全く問題が無かった。過去には消防局に表彰もされていた。
もしこの事件で何かが変わるとしても、今は全く問題が無いと言わざるを得ない。
NHKの事件当日取材のために外れていたセキュリティが叩かれいている。
犯人は金づちをナイフを持っていた。セキュリティを強固にして警備員を立たせていたら、きっと警備員は死んでいただろう。
確かに一人の死と34人の死は比べ物にならない。だが警備員一人で済んだだろうか。
NHKもNHKで、記事を削除したり「出勤のためにセキュリティを開いていた」などという虚偽報道は、報道精神として許されない行為だと理解してほしい。
このNHKの改ざんについては日常茶飯事であるので、むしろもっと叩かれるべきだとは思うが…できればテロと関連させたくないのは確かだ。
だがこういうことが起きたのだ。一人の精神を追い込むような真似はしないほうがいい。
これくらいでへこたれない人だとアンチは思っているのかもしれない。
しかし人間は弱いものだ。無関係の人がこの件について傷ついている。
元同僚が、古巣が、尊敬すると言っていた師匠が、一気に亡くなった人の気持ちなんて測り知ることができない。
今はただそっとすべきではいか。
アンチは言うだろう。「こんなことでは許されない」と。きっと彼が死ぬまで追い込む気なのだ。
正論の暴力について考えるべきだし、果たして本当に正論なのかも自身で疑うべきだ。
SNSは個人のつぶやきや書き込みが流れずに残っていく。蓄積データだ。
最近はテレビも配信サービスを使うようになったし、録画が残る時代ではある。
しかしテレビがNHK、民放各局と両手で数えられる程度なのに対してSNSはまさに数の暴力だ。
テレビは流れていくことが多いが、SNSは言葉の暴力が残り続ける。
テレビの影響力が減った今、SNSはテレビの馬鹿さも引き継いだ。
言ってることとやってることは、SNSもテレビもそう変わらない。
螺旋階段が問題派がテレビの検証番組に誘導されたことは一目瞭然だ。
螺旋階段も一応テレビは問題を理解して専門家を呼び模型実験やその映像まで用意していたが
SNSは又聞きばかりだ。
自分の発言に責任を持たない人しか居ないのではないか、と思わざるをえないレベルである。
憎むべき相手が分からず、手あたり次第むかつくものを荒れる心で叩いてしまう。
あげく被害者まで叩く始末だ。
そして本当に憎むだけで終わりにしていいのか。人間は理性を失っていいのか。
犯人の思想がなんであれ、そう呼ぶしかない。それ以外の言葉を私たちは持たない。
911のときを思い出すと、航空会社の不備や目立ちやすい建物といった『問題点』が国内で語られていたりもした。
しかし旅客機が2つ突っ込むなんて想定して建物なんて建てないだろう。
あの建物の中で働いた経験があり、喧嘩別れをして恨みつらみを語っていた人が居てもその人は責められるべきではない。
911テロは、結果的にその首謀者と呼ばれる者に憎しみが向かった。
ハイジャック犯にはアフガニスタン国籍は一人もいなかったこと。
憎しみを扇動したものが居たこと。歴史は繰り返してはならない。
たくさんの人の命が失われた。そして文化も。
そこから考えることはこれからも色々あるだろう。ありすぎて、疲れるくらいだ。
幸い日本は法治国家だ。人の理性が試される。思考を持って対応しなければならない。
まだ一週間も経っていない。もう少し頭を冷やすためにも、喪に服したほうがいい。
悲しまないと、次に進むことは出来ない。
この方はアニメーションに詳しい人の中では知らない人はいないだろう大物メーターではないかと考えられている。
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京アニ放火「2階から飛び降りた」迫る黒煙、決死のダイブ 男性社員が証言
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190722-00000647-san-soci
吉野家コピペが世に出てから18年経ったらしいが、吉野家はいまだに殺伐としている。
働き盛りの男に合わせた高さのテーブルと背もたれすらない椅子。背もたれもハンガーもないので冬には上着を脱ぐことすらできない。
食券による前払い制ではなく手渡しでの後払い制なので、せわしなく行き来する店員をうまく捕まえなければ食べ終わっても合法的に店を出ることことすらできない。
松屋の食券販売機をタッチして「ペボッ」という間抜けな音を出すのより、吉野家の店員に「牛丼並、Bセット、卵」と簡潔に伝える方が好きだ。
何種類あるのかもわからないたくさんのドレッシングが並ぶ松屋のテーブルより、醤油と七味と紅ショウガしか置いてない吉野家のテーブルの方が好きだ。
今日は牛丼を食べるぞ、と思ったときに探すのはやはり吉野家なのだ。
背もたれのない椅子によじ登り、やたらと高いテーブルにしがみついて牛丼を貪る老人。
せわしなく行き来する店員に何度も無視され、やっとの思いで店員を捕まえて会計を済ませる老人。
よろよろと椅子から降りて、カタツムリのような速度で自動ドアまで移動して店を出る老人。
見ているだけでいたたまれなくなる。これは未来の自分なのだろうか。
家で自炊もできず、もう少し居心地がマシな店に行くだけの金も持たず、殺伐とした吉野家で380円の牛丼を食べるのが自分の未来なのだろうか。
むしろ380円の牛丼を食べることすら贅沢になるのかもしれない。椅子すらない立ち食いそば屋でかけそばを食べる毎日になるのかもしれない。
何かの拍子に体調を崩したら外食も自炊もできなくなり、そのまま孤独死するのかもしれない。
肩で息をしながら吉野家のテーブルにしがみつく老人を客は誰も助けない。当たり前だ。
吉野家は牛丼を食べる場所だ。店員を相手にする注文と会計が客に要求される唯一のコミュニケーションだ。
だからきっと数十年後の自分を誰も助けない。俺はそれを想像して震える。
散らかった部屋から決死の覚悟で出かけて、炎天下のアスファルトを這いずり回り、吉野家のテーブルにしがみついて牛丼をむさぼり食う。
これを全て独りで行う。誰も助けてくれない。誰も褒めてくれない。
(以下省略)
戦争を描く創作物は面白い。だからこそ世界中いたるところで、戦争を題材にした小説が、ゲームが、マンガが、アニメが、映画が今でも多く作られている。
なぜならば戦争には創作における題材が多く含まれているからだ。英雄譚があり、仲間との絆があり、裏切りがあり、決死の作戦からの生還があり、陰謀があり、救出作戦があり、戦場で生まれる愛もある。
そして何よりも死がある。
『生と死』という題材ほど人の興味を引きつける題材はなかなか無い。戦争を題材にして生と死が扱われるのは、ケータイ小説ではやたらと恋人が病死することになり、ヴァン・ダインが「長編ミステリー小説には死体が絶対に必要である。殺人より軽い犯罪では読者の興味を持続できない」と『二十則』の中で述べたのと根は一緒である。
むろん、私も軍オタの端くれとして、戦争における『ロクでもない話』の十や二十は知っている。だが一方で、そのようなロクでもない部分を含めて戦争について知るのは面白いし、ロクでもない部分を知っていてもなお戦争コンテンツは面白い。
だからファンは戦争コンテンツを楽しんでいるし、創作する側も ─意識的な無意識かは別にして─ 戦争を描きたがる人は多い。
そのような作家の“業”にある程度自覚があったのか。かのスタンレー・キューブリック(※言うまでもなくフルメタル・ジャケットの監督である)は言ったという。
といった噂がまことしやかに囁かれている。
http://www.ktr.to/Comic/jump.html
「連載中の作品」と「7週以下で終わった作品(読み切りや短期集中連載と見なす)」は除いた。
また、たとえば「キャプテン翼」はワールドユース編なども合わせて一つの作品として扱っている。
まずは全体の傾向である。
半分の作品が19週以下で打ち切られていることになる。
平均連載期間は64週である。
ちなみに100週以上の長期連載作品は110作(18%)である。
総作品数は28作である(独自にリストアップしたもので抜けがあるかもしれない)。
平均連載期間は83週である。
長期連載作品は「プレイボール」「ROOKIES」「Mr.FULLSWING」「悪たれ巨人」「アストロ球団」
「山下たろーくん」「侍ジャイアンツ」「すすめ!!パイレーツ」「1・2のアッホ!!」「やまだたいちの奇蹟」などである。
ただし「ミスフル」以降の直近3作品に限れば打ち切り続きで平均15週となる。
総作品数は17作である(独自にリストアップしたもので抜けがあるかもしれない)。
58.8%の作品が19週以下で打ち切られていることになる。
平均連載期間は67週である。
それ以外では「キックオフ」と「リベロの武田」がそこそこ長い。
ただし2000年代以降の直近9作品に限ると、打ち切り続きで平均16週となり、
野球にしろサッカーにしろ直近の作品が短期打ち切りを食らった印象が強いというだけで、
全体を見ればそれほど悪くはない(むしろ野球は大人気とさえ言える)ということが分かる。
というか、「キャプ翼」以外の存在が忘れられているのが最大の問題だと思う。
さて、これだけでは野球やサッカーがどれだけ良いのか(あるいは悪いのか)分からないので、
なぜ警察ものかというと、メジャーな題材のわりに打ち切りが多いからである。
主人公が警察に所属しているジャンプ作品は過去に19作あるのだが(独自に(ry)、
(ちなみに「こち亀」を含めると平均133週になる)
以降の16作品が全て30週以内で打ち切られていることになる。
これを考えると「サッカーもまだまだ打ち切る余裕があるな…」と思えてくるだろう。
ちなみに、将棋の「ものの歩」は43週、卓球の「P2!」は58週も続いているので、
実感よりもかなり健闘しているように思える。
20週以下が全体の半分、30週以下が6割以上を占めるのだから、
そりゃあ「連載すれば必ず大ヒット」とはいかないだろう。
内容も見ないうちに「鬼門だ」「打ち切りに決まってる」と騒ぐのは、
決死の思いで地獄の打ち切りレースに踏み出す漫画家たちを侮辱するに等しい。
新連載を温かく見守ってこそのジャンプ読者ではないだろうか。
あと筆者的には卓球漫画の「フルドライブ」がおすすめなので読んでね。
主人公が探偵を名乗っている作品は「ネウロ(202週)」の他にも
「幽遊白書(176週)」「WILD HALF(142週)」「密・リターンズ!(58週)」などがあり
ゴルフ漫画は「ライジングインパクト」が145週、
「ロボレザ」でさえ62週なので、
いずれもそれなりに長く続いていると言えます。
僕はこの『ヴァリアブルオリジナル』を読んで、正義とは何か、愛や平和とは何かを学びました。
まず序章では主人公ヴェノラの、現世での日常生活が丁寧に描かれます。
そんな疑問も長くは続かず、主人公は5ページ目あたりで幼馴染をかばって大型の貨物自動車に轢かれます。
そして、どっかの神様が彼の決死の行動に感動し、異世界で新たに生きるチャンスを与えて序章は終わります。
異世界での冒険を早く読みたかった僕は、最初この話を余計だと感じていました。
異世界行くんだから現世の話を長くやる必要はないんじゃないかと思ったのです。
だけど後になって、この序章は主人公の人格を早めに読者に印象付けつつ、彼が異世界へ行くことに説得力を持たせるためのものだと気づきました。
おかげで僕は自然とヴェノラのキャラクターに魅了され、彼が異世界で冒険することに何も疑問を持たなくて済んだのです。
続く第一章では、主人公を通じて異世界がどのようなシステムかが描かれました。
異世界は彼が元いた世界とは違う世界であり、勿論そこで生きる人々や動物も似て非なるものです。
ロールプレイングゲームのような魔法やスキルもあって、まさに異世界なんだと伝わってきます。
そんな世界の違いに戸惑うヴェノラの姿にはとてもリアリティがあり、僕は「外国にホームステイしたらこんな感じなんだろうな」と思いました。
だけど、生きていくためにヴェノラは試行錯誤してシステムを学んでいきます。
僕は読んでいて最初は「うわー、勉強イヤだなあ」と思いましたが、ゲームのような世界観のおかげで分かりやすくて、スラスラ読むことができました。
ヴェノラが魔法やスキルを理解するのと同じスピードで、読者である僕も世界観を感じていくので、何だか二人三脚で走っているような気分でした。
僕はこの第一章で、自ら進んで何かを学ぼうとする姿勢の大切さを知りました。
私がただ悲しさ吐露したいだけの話。
何かにモノを申したり、主張したりしたいことは何も無い。おもしろい事件もない。読んでも楽しい気分にはならないと思う。
ただただ、日常の中でふと悲しく思うから聞いてほしい。なにも解決してないし、解決しようとする気力もない。
面白いことに、私の尻は三つに割れている。面白いことに、なんてつけたが、当人の私はまったく笑ってない。
ネタばらしをすると、「尻が三つに割れている」というのはあくまで「例え」であり、書いてる私のケツは無事なんだが、私の身体にはたしかに、「尻が三つに割れている」相当の人とは違う部分がある。奇形の類だと言われた。
ただ「尻が三つに割れている」にすり替えて書いたほうが、書く方も読む方も楽だろうと思ったので、ここでは私の尻が三つに割れていると思ってほしい。
そして、本当に尻が三つや四つに割れていて、悩んで生きている人がいたらごめんなさい。
本題だ。
普段は、尻が三つに割れていても(最低パンツだけ穿いてれば)服に隠れているから、普通の人間のように生きている。
裸で鏡をみても、大抵前からしかみないから、尻が三つに割れていることま忘れて生活しているときも多い。
人と話して笑ったり、休みの日を寝て過ごしたり、一人でラーメン屋に入って、ラーメンをすすったりしている。
そんな日常を送っていると、自分の尻が三つに割れていることも忘れて、誰かを好きになったりもする。
でもふと、自分の尻が三つに割れていることを思い出して悲しくなってしまう。
私は処女だし、この身体を十何年も他人に見せていない。親にも見せなくなって等しい。(ちなみに、幼少のころは尻は二つだったらしい)たとえば、この先誰かを好いて、付き合って、いい雰囲気になったとしよう。私はそのとき初めて
「あのね…三つに割れてるの」
彼は驚くだろう。ここで「冗談だろ」と笑う人もいるだろうし、私の面持ちに「ただごとではない」と思いながら、一生懸命神妙な顔をして聞いてくれる人もいるかもしれない。
笑われたら、当然傷つく。
恥ずかしくて生きてはいけないし、目の前の男も生かしはしない。
私という面白くてしかたない身体の女とまぐわおうとした、それが貴様の命運の尽きだ。
どのみち、私の身体に触れ、そしてその目で見れば、私の尻が三つに割れていることはすぐにわかるだろう。
もし相手も初体験であったら、初めて抱く女の身体が、こんなだなんてかわいそうだ。という気持ちでいっぱいだ。
本当にかわいそうだ。私も悲しくてたまらない。
それでも、もし、私の心の修羅場も越えて、
私を抱いた勇者がいたとする。
私の尻について、必要以上に触れず、できたら前から私をみつめて「好きだ」と言ってくれる優しい人間。私のコンプレックスを一瞬でも忘れさせてくれる人間。だが彼は間違いなく、私の心の柔らかすぎるところを知るのだ。
さてそんな彼と私は、ある日喧嘩をする。
どっちが悪いとか、原因とか、そういうことは関係ない。口喧嘩とは、勢いの勝負である。そこに正しさや論理的思考は必要ではない。むしろ邪魔だ。ただ口を回し、相手の精神を削り、相手を言葉につまらせたら勝ちである。私はあまり得意ではないが、殴り合いの喧嘩はもっと得意ではない。そもそも勝ち負けなんてつけずに、落ち着いて話しあえばいいのだが、それは第三者の言葉に耳を傾ける冷静さが、二人に必要だ。
一度冷静を失えば、相手を傷つけてやろうと、心ない言葉がでることを知っている。
そのときは何も言わなかったが、「あの時こう言ったら、相手はとても傷つくだろうな」と思った一言を、「禁句」を、懐に忍ばせ、いざというときにグサッ!! と言ってしまう。または言おうと思っているということは、陰湿な私だけなく、世の中の20%くらいは考えるんじゃないかと思っている。
そして、私を深く傷つけようとして、カッとなった彼は言う。
私は「今はそんなこと関係ない」と言うこともできず、言葉につまる。敗北だ。
だって尻が三つに割れているのは事実だし、それについて、彼に嫌な思いをさせてないか、ずっと後ろめたい気持ちでいる。
やっぱり、イヤだったんだなあ、と私は悲しくなる
きっと彼が人類の中でも優しくて気遣いのできる部類だということは、私とのセッ◯スを成功させている時点で証明されている。それでも私が傷つくと知ってなお、彼がいつか禁句を口にしない保証はまったくない。
もし私に言わなかったとしよう。しかし他人にはどうだろうか。自分が抱いた女の尻が三つに割れていたなんて面白い話、人に話したくてたまらないではないだろうか。
酒の席の勢いで、もしくは「昔のことだし」という謎の時効制度で。「尻が三つに割れてる人間とセッ○スしたことあるんだけど〜」と他人に教えてはいけない。などと酷な話だ。
その場は私の尻が愉快という話で盛り上がるだろう。たとえ尻の話は面白くなくても、セッ○スの話はそこそこ注目を浴びるのだし。知らないところで自分の尻の形を笑われるのはなかなかキツい。それを疑うのもつらい。
「この前抱いた女、アソコが激臭だったwwwww」とか
て影で言われるようなものだ。つ、つらい。自分の力ではどうしようもない所だし余計に辛い。それを決死の覚悟で晒した挙句がそれだと思うとつらい。
私は誰かの前で裸にならない限り、誰かに尻を触られない限り、普通の人間みたいに生きられる。本当は誰かと触れ合いたいのだが、それについて私の身体は、精神的なリスクを負っている。
この尻を治さないと誰ともセッ○スできないからだ。いろいろなメニューがあったが、そこには尻を小さくしたり大きくしたり形を良くするといったものはあっても、当然、三つに割れた尻を二つにしてくれるメニューはなかった。
そもそも整形で尻の割れ方を整えるのは可能なのかもわからない。直せないと言われたらどうしようと思うと、つらくなった。私は整形外科のある場所も控えず、かかる金額も見積もらずホームページを閉じた。
私はまた明日の朝、自分の尻が三つに割れていることを忘れて生活して、たまに「このままずっと処女かもしれない」と考えて泣いている。
ただそれだけの話。
さて、元発言は
分解すると多分こうなる
となる。
そんなバカな話はない。田舎という概念はおよそ汎世界的なものだ(都会がないような地域の語を除く)。何語に置換しようとも、田舎は田舎。故に上記の理論は意味をなさない。対置として別言語を使えば問題はないのか(反語)。日本人(推測は正しいがあくまで推測でしかない)が外国語を使えば責任は雲散霧消するのか(反語)。ならばその隙をハックして提示する必要がある。就中、対置するなら能うる限り邪悪な語を用いなければならぬ。
さて、続く発言は
だ
この文章で、問題の語は筆者が「使うべき語」として提示されているか?
諸君ら福祉ナチスは、禁止語を見れば脊髄反射するが文脈をよく読んで考えてモノを言ったほうがいい。
まず始めに謝っておく。
私が悪いのか、相手が下手なのか
(多分きっと両方・・・)
期待に添えなくて大変申し訳ない。
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先日、某マッサージ店に行ってきた。
お店の中はとても素敵な
雰囲気。
基本的に人の目(顔)も見れない私だけど、
出てきたお兄さんはつい凝視。
写真の通り、2枚目さん。
私は安心して顔を見ることができた。
(ヒント:ヨン様)
緊張するととにかく水を飲む私がシャワーを
浴びている間にお代わりを置いてくれたり、
至れり尽くせり。
まずは肩揉みをしてくれた。
なんか、、、親戚のおばちゃん気分。
どうも何も感じない。
ガウンの中に手を入れられた時はびっくりしたけど
それだけ。
ついそのモードが出て喋り過ぎ、聞きすぎた。
てか、話に聞いた際どさはなく、まるで肉の塊に
唯一、私が苦手な脇の下に手が伸びた時は跳ね上がって制止。
本当に弱いのだ、そこ。
言っておくけど、私は決して不感症ではない!(はず)
その時に、苦手な脇の下に手が及んでも、歯を食いしばって
耐えるくらいのエチケットは持ってる。
上手な方だったら、時々モヤモヤした気分になることも
ないこともない。
きっとね、セラピストさん、良い子なのよ。
私の話をちゃんと聞いてくれるし、色々気遣ってくれた。
ほんと可愛い子なの。
だから悪くは言いたくない。
次も申し込んだ(かもしれない)。
多分、それ以上に私の問題だと思う。
入ってしまった。
勝ってしまった。
ハマってしまうことを心底恐れて店に入った。
なのに、、、。
眺めてたら、執事に「お行儀が悪いですよ」って怒られた。
(客なのに)
店を出る時に、執事が手を出してくれるんだけど、
単なる「変わった経験」の一つとして、終わった。
今回もそう。
目隠ししてたので見れなかったけど、多分結構触ってた。
中心は外してたけど。
どうですか?と聞かれたけど、目隠しされてるから
多分、そんなムードどころでなかった。
ほんと、ムードはきっと二人で作るんだろうなあ。
私のが大人なのにごめん。
相手にも親戚の人と話してるみたい、っつわれる始末。
きっとお互いすごいやり辛かったんだろうねぇ。
客よ、私。。
答えるでしょう。それは事実。
私も好みだったのでお願いした。
思ってしまった。
どうしてもそんな気にならなかった。
(もちろんお相手もそうでしょうけども)
別にここに申し込んだ時点で、何があっても(本番以外は)
営業妨害にならないといいのだけど、
チャラいといっても、とても丁寧だったのだけど、部屋の外から
決してセラピストさんが悪いわけじゃないけど、そうした要因も
私の気分に水を差したのは否めない。
この人間嫌いな私が色々話して見たいと思うというだけでも
担当してくださった方は良かったと思う。
悪くは言いたくない。
でも、私には合わなかった。
私はそんな潔癖な人間ではないのに。
相性?
私の魅力不足?
どーしても、どーしてもわからないのです。
だれか、わかります?
たとえば、ブラック企業で自殺者が出たのに、ちょっと鼻薬かいだだけで、どう見ても分が悪いのに決死擁護しちゃう安富センセやら、烏賀陽クン。
あんなん、金の付き合いじゃないですか(ブラック屋さんが往々人たらしなことは若干加味したとしても、所詮カネの付き合いなわけです)。
なのに心臓捧げて、はたから見たらもうヤヴァイ領域踏み込んで、わき目もふらず擁護しちゃうわけですよ。(カエルの方がまだ中立装う振りがあるだけましだが、こいつも対談なんぞをしているので多分まあ、業務案件なのである)。
彼ら左派の言う「オトモダチ」ってのは、もうここまですることなわけ。すべて捧げて黒いものでも白です、って命はって主張するわけ。ってか、彼らこういう濃い「敵か味方か」しか付き合いがない。
だから、アベガーのなかに「オトモダチ!!!1!」って非難があるわけなんじゃないかな。極悪非道の血を受け継ぐアベが、知り合いに何かをさせている=自分がやっているように道理を全部まげて判って悪事をしている、という図式で、もうそれだけでしか理解できてない。
軍事大国日本が犯した過去現在に至る数々の凶悪な罪への贖罪や有史史上最低最悪アベ政権の残忍凶暴な実態とかを決死の覚悟で真剣にに提唱・告発し、
日本人という科学と政治に欠けた世紀遅れの愚民を、はてな民という何の報酬も頂かず啓蒙してくださる理知に富んだ殿上人が燦々と活動して下さるその隣で、
知性に欠けた幼稚で愚鈍なな言葉遊びを無為に執拗に騒々しくひけらかす醜悪な輩が、自身の劣悪卑怯な行動を「大喜利」と恥なく曰い、さも崇高な文化であらんと自他ともに錯覚させ、
殿上人が電子の海に住まう永劫無垢なる地「はてな」を、文化知性の低い大脳が破壊された人民が寝食している悪の住処だと外部に認識させるこの非常な行為は、
全世界の精神的向上発展に逆らう膨大な足枷でしかなく、それはまさに信念を貫いて各地で殺人を遂行するテロリスト、それ以下の存在であると言っても差し支えなからん。
2013年、当時僕が尊敬していた安田浩一氏が童貞を嘲笑し童貞であることで人間の属性を決めつける、いわゆる「童貞マウント」行為をしていた。
僕はソープで童貞を捨てることができたと思いこんでいたが、真性童貞が素人童貞にジョブチェンジしただけで結局は「童貞」のレッテルを貼られたままだったことをコンプレックスに思っていた。(今でも僕は素人童貞のままだ)そんな中での安田浩一氏の言動に僕は酷く傷ついた思いをした。
なので以下のようなまとめを作って意思表明した。
僕なりに決死の思いで作ったまとめだった。
Hagexさんはその僕のまとめに以下のようなコメントを残した
意見そのものを馬鹿にされるのは構わない。しかし「前置きしか読んでない」と言って本当に伝えたい部分は最後まで読んでもらえず、それなのに二度蹴りをかまされるような嘲笑コメントをHagexさんに残された事に僕は更に酷く傷ついた。
4年後、Hagexさんははあちゅう達が行っていた「童貞マウント」を糾弾している記事を作った。
ダブルスタンダードだと思った。
Hagexさんは僕に対して言った事をまったく覚えていないのだろうか?
僕はブコメで尋ねた。
id:douron Hagexさんは僕自身の童貞マウント被害の記事について「前置きしか読んでない」とした上で嘲笑するようなブコメを残してくれたのでその辺に関する申し開きもしていただきたい→http://b.hatena.ne.jp/entry/155292050/comment/hagex
Hagexさん、この時の返事まだもらってませんよ。
https://srdk.rakuten.jp/entry/2018/05/16/110000
に触発されて。
幼少期の読書体験って、まあまあその後の人生に影響与えると思うんですよ。おかげさまでまあまあ本も読むし、公式な趣味は読書、と言っていい感じ(増田やら提督業やらとはいいにくいからね)です。SFもつまみ食い程度には読みます。
あとはファミコン&マンガ禁止ってのはでかかったと思うが、後者はなし崩しになりました。ジャンプ黄金期に追走できなかった嫌いはありますが。しかし、いまだにこの方針をぶち上げた我が母が、何だってこんなもん買い与えた謎な本がある。たぶんこれ以外もあるだろうけど、まあパッと思いつける範囲で3冊。
これで人生が変わったような、変わらなかったような。
初っ端からこれだよ。このタイトルで絵本というのが意味が解らない。読み聞かせなんてぇ物があったかは覚えていないが、これはそういう絵本じゃないだろう。買ってもらった記憶は当然ないが、いつの間にかあった。ミイラの呪いか。
更に言えば、内容はリアルガチだ。古代エジプト人の死生観・宗教観に始まって、話はミイラづくりに至る。死んだファラオの鼻の穴にカギを突っ込んで脳みそを引きずり出す、なんてぇ描写もちゃんとある。絵のおかげでそうグロくはない。むしろ「墓をちょっと良くしたら死体が腐って困るようになった」という逸話のダメになった白骨さんが怖かった。あと脳みそ引きずり出し職人も怖いっちゃ怖い。もっとも、こいつらのせいで、長らく脳みそはしわのところからほどけてうどん的なヒモ状になると信じていたのであるが、それはまた別の話だ。
エジプト旅行に行く時の入門書にぴったり。後年、本当にわが母とエジプト旅行(父は流石に第三世界に女一人で出すのは気が引けたらしく荷物持ち)に行くことになるのだが、それは10年近く後の話なのである。当時から行きたかったのかな・・・??
正確には「与え給いし」ではなく、その辺に置いてあっただけなのだが・・・。家にあった子供読み物が終わった後に、その辺に転がってるからと言って読みだしたのがこれ。高学年とはいえ消防にゃ早すぎるんではあるが、止めもしなかった。いいエッセイですよええ。このほかにもシリーズが何冊かあって、いずれも好きだったけど、なぜか巻が飛び飛びにしかなかった。これとこれもなぜか転がっていた「のらくろ少尉」「のらくろ決死隊長」のおかげで旧字体アレルギーが付かなかったのは幸運か。しかし、我が母、なぜ全巻頭から揃えようとしないのか謎。のらくろは何であったのかも謎で、カバーもないのでページをめくらない限り何の本かわからないという代物だった。どの版だったかも判然としない。今調べりゃいいんだけど。
まあとにかく、こっちの方から昭和戦後エッセイ方面(マンボウ・狐狸庵等あだ名つけるシリーズ。村上朝日堂あたりまでがその範疇とにらんでいる)の攻略に乗り出すのである。ただしこれは血のなせる業か、マンボウ読んでも狐狸庵未読、みたいなずさんな揃え方をするのである。
ある年の誕生日プレゼントの一冊。中学生入ったかも。ちょっと記憶があいまいで、「わしらは怪しい探検隊」(外で焚火をするのも好きなんです、今もって)を読んでいたので、それで適当に作者買いしたのかもしれないが、こっちが先だったのかもしれない。後者ならなんでこんなもんを、との思いが強くなるし、前者だとしてもあんまりだ。内容はというと、やや病的(当時椎名は鬱病だったはずである)な男が新宿から帰宅する間に抱える妄想を含めてダダ流ししてある、という代物である。文体は後の椎名SFを読むときの抵抗を減らしたような気もする。これとお約束の星新一、さらに小学校にあった謎の子供用SFシリーズ(零戦の亡霊が復活して子供の教育を始めたり、ソ連!の科学者一家が火星に移住する話を憶えている)によって、SFつまみ食い癖が付いたようだ。