はてなキーワード: 決死とは
FFがムービーゲーとして舵を切った時期は意外と早かった。それは4(IV)。
4からキャラクターが強制的に会話するシーンが増え、キャラ名も任意の名前はつけられるものの、実質固定イメージで攻略本などが表記するようになった。
もちろんIIあたりでもフリオニールなどの名前で雑誌に書かれていることはあったが、IIIまでのFFはドラクエと同じく素材としてのキャラに名前をつけて楽しむものだった。そこに重厚な裏設定なども存在しない。あくまでもキャラを自由に育ててそこに没入してほしいという立ち位置でしかなかった。
ところがFF4は違った。暗黒剣で苦しみ、苦闘の果にパラディンへとクラスチェンジするセシルと、仲間を不本意にも裏切り続けるカイン、という対象的なキャラが設定された。主人公たちは主観的な没入型から客観的なムービー型へと変わった。端的には会話数が増えて、伊集院の言うところの「クラウドが勝手に自分にできない技をガンガンきめて置き去り感がある」状態を当作より現出させたのだ(伊集院の深夜の馬鹿力 2020/5月中のもの)。物語はドラマチックになったが、その反面終盤までストーリーに沿って強制的に進行するきらいが強くなり、浮遊大陸を抜けてすぐに広い世界が広がったIIIとは真反対のアプローチをとったといえる。上の伊集院氏の言ではないが、ラスト付近ではキャラを操作してもいないのにWメテオなる技をかましてくれたりする。あの演出には感動した人と白けた人に別れたのではないか。何しろ上限9999の技でしかないWメテオを決死の覚悟で繰り出すのだが、その後主人公たちがフレアなどで容易に9999を出してしまえるのだ。決死のWメテオは全くの無駄である。
ネットもないこの頃の全国的な風評は定かではない。しかし個人的には手狭になったな、と感じたことを覚えている。そしてFF5でジョブチェンジシステム復活とキャラ性を押し出さない、良い意味で無個性なパーティーメンバーによりユーザービリティの回帰を狙ったが、FF6(VI)では再びムービー寄りのゲームになってしまい、7以降はこの路線をついに変えることがなくなってしまった。最近では毎作ごとのにーちゃんのホスト化を止めることができないらしい。
ムービーを大胆に挟むといえば、他にもストライダー飛竜や忍者龍剣伝が思い浮かぶ。しかし両者はアクションであり、RPGムービーの先駆はやはりFFなのだろう。
実はFFシリーズは6付近までは死に泣きゲーだった。IIでのミンウは仲間をかばって死に(実はヨーゼフも味方をかばって石の下敷きになるが、何故かあまり語られない)、IIIの不幸な巫女のエリアは水中に没して死亡。IVはカインとの決別、シドの自爆。Vではギルガメッシュが主人公たちをかばって自爆する。VIのティナは不幸から生まれてきたような少女で、子どもたちを支えるために立ち上がる。
この泣きゲーの伝統は7から大きく崩れる。というより7から徐々に痕跡を消していった、というべきか。かろうじて残っているのはFF10でユウナの人身御供が発覚するあたりだろう。何れにせよ、グラフィックスの進化と共にFFがハリウッド化してゆくのはやむを得ないことだったのかもしれない。
どうしてTwitterや増田でイキり散らすだけ?(私だって同じ穴のムジナではあるけれど)
アベノマスクが強硬され、国民の死者数は隠され、予算は大多数がポケットイン。
三密、コロナが騒がれてるからこそそれを逆手にアピールしようぜ。
国会前で数万人単位でデモすんだよ。マスクなし。相手をコロナにしてしまえばこっちのもんだ。
万一ダメでも、それでうちうちから重篤者、死者が出ればそれを元に悲劇ネタで相手を貶めることができる。
揺るぎない犠牲をたてに、決死さを表して相手を追い詰められる。
なあ、いつまで家に閉じこもってんだよ。
京アニを放火した彼をせせら笑ってニュースを聞き齧るしかできないのかよ?
違う。
今だからこそ、出来る行動がある。
さあ、一緒に立ち上がろう。
応援しようってのはよく分からねぇな。何やっても叩くのはおかしいってのは分かるが。
おうえん
【応援】
《名・ス他》
1.力を添えて助けること。加勢。
って出てるから、安倍ちゃんは一人でコロナに立ち向かってて俺達は「がんばえー」とか言いながら旗でも振ってりゃいいのか?
正義マンとか悪者探ししてるのは報道の連中であって、市井の人間はそれ見て同意してるだけなんじゃないのか?
客船は正体不明の感染症に決死で立ち向かって封じ込め成功させたし、最近のニュースじゃ武漢からの感染拡大防止は成功したんだろ?
遺伝子検査で現在拡大中のウィルスは総て欧州からのものだって判明してるらしいよな?
マスクはよく分からねぇが転売屋抑止にはなってるらしいし、威勢よくロックダウンを叫んだ元アナウンサーは滅多打ちで、コロナの手当てって結局は俺達の税金の先食いだよな?
どーしようもねぇもんはどうしようもねぇんだよ。
ニコのニュース貼ってる奴の言う通り、責めても仕方はないが批判するなってのは独裁になっちまう。
どーもなんかアンタずれてる気がすんだよな。
選挙活動やってんじゃねーんだぞ? どう情報集めてどう対策するかだけの話だろ?
1934 白き處女地
1935 女だけの都
1937 Légions d'honneur
1938 Alerte en Méditerranée
1946 ファルビーク
1947 Monsieur Vincent
1948 Les Casse-pieds
1951 田舎司祭の日記
1952 夜ごとの美女
1954 青い麦
1955 Les Évadés
1956 赤い風船
1956 夜と霧
1957 リラの門
1958 危険な曲り角
1960 真実
1963 Un roi sans divertissement
1965 ビバ!マリア
1966 Fruits amers
1968 夜霧の恋人たち
1970 愛のために死す
1971 La Veuve Couderc
1972 夕なぎ
1973 Projection privée
1974 パラード
1975 アデルの恋の物語
1979 I... comme Icare
1980 アメリカの伯父さん
1981 検察官
1982 美しき結婚
辛いんだろうなぁ…性格が異なる同性の姉妹にコンプレクスがあるのは…
そしてあなたはまだ学生なのかな?実家に居るのだよね多分。見えている世界が家族にとらわれているのが不幸だよなーと感じた。性格が異なる姉妹・親 っていうのはどうしてもいるからね。もっと違う世界(家族とは別のコミュニティ)に参加する時間を増やした方が良いよ。楽しいよ。
あなたは何も悪くないのだから、自分を過度に責めるのはやめてね。
そして、自分の性格・良いところ・悪いところ 全て受け入れてね。ありのままに。感情は付けずに。
ヒトって悪い点には目がいきやすいけど、普段うまくいっている良い点は、スルーしちゃうんだよね。あなたは自分の嫌いな点は良く知ってるけど、自分の良い点はあまり知らないでしょ?それって変だよね。
それから、他人との比較は(姉は他人では無いけれど、「自分以外の人間」という意味での他人)無意味だからやめよう。だって他人なのだから。比較すべきは過去の自分。過去の自分と比べて「1年前に比べてこんなこと出来るようになった、私天才!」と自分を褒めよう。他人と比べる意味は無い。だって他人はあなたでは無いから。姉もあなたでは無い。あなたの近くにたまたま姉がいたから、姉と自分を比較するんだろうけど、それはおかしいよね。例えば姉よりはるかに優秀なヒトと自分をなぜ比べないの?
また、他の誰かが(例えば親が)、自分と姉を比較しても(又は同じテーブルに並べて見ても)気にするな。「意味ない事言ってるなー。はいはい」ぐらいに聞き流しておこう。考えられる根拠は上記に記載した通り。
それから、あなたの親は、恫喝気味に会話するタイプなのかな? いや〜、苦手だろうな〜あなたにとっては。でもおそらく、あなたの両親に悪意は無いと思うんだよね。別に親を擁護するわけじゃないけど。ただ単純に、無意識にそのようなしゃべり方をする人間というだけなんだと思うよ。だから萎縮する必要は無い。
まず、下記言及があるけど。1点
>なんでこんなに自己肯定感死んでるんやって思ったときに、人のせいにするのはめちゃくちゃアレなんだけども、
人(姉)のせいでは無いよね。あなたの物事の捉え方の問題なんだ。だからあなたが変わればOK。ラッキーだよね。姉を動かさなくて良いんだよ。
>基本的に両親から何か言われるときは「どうせこれこれこういうことなんだろう!違うなら何か反論してみたらどうなんだ!えぇ!?」って感じなので精神よわよわの私は委縮して声が出せなくなってしまう。言い返せる人すごいですね。尊敬します。言い返し方を教えてください。それと心構えも。
親はセッカチな性格なんだろうね。こう言えば良いじゃん。「私はそんなに速いスピード考えている事を言語化できないから、私が話すのを少し待って欲しいな」って。もしくは、文章化して見せたら良いのでは? 親はあなたがそんなに色々深く考えているって事を知らないんじゃないかな。というか知らない。 相手の土俵(速い会話スピード・威圧感に感じる会話)でやりあう必要無いよね。
>決死の覚悟で言った言葉は一切伝わっていなかった。そのとたん、すべてどうでもよく思えてきてしまった。
これもね……あなたの親はそれほど決死の覚悟で発した言葉だって、気付けないよ。ごめん。人間はエスパーじゃないんだ……詳しく伝えないと伝わらない。だって「うらやましい」という言葉は一般的な言葉なわけじゃん。あなたにとっては嫌いな言葉なんだろうけど。
だからね、一回、親に手紙出したら?姉へのコンプレクスの事とか、思ってる事全部。あなたの親はびっくりすると思うよ。そして「ゴメン」って気持ちになると思うわ。「そのうち自殺すると思う」って文章書く 精神状況ってことにも 全く気付いてないからね。
自分には長年感じている苦しみがある。
虐待された、苛めにあった、搾取にあった、人格否定、暴力、差別、とにかく色々と受けてきた。俺にこういうことを下のは両親、教師、友人、仕事仲間、まぁ身の回りにいる人ほとんどだ。
そして信じられそうな人に相談しても「男なんだから」とか言われておしまいな上に後日言いふらされる。
決死の思いで精神科に行っても「まー誰でも辛いときはありますよ」とか言われて終わりにされる。辛いときがあるんじゃない。もう何十年も苦しんでいるんだ。
とにかく苦しいんだよ。生き物としての一生はもう半分は終わったと思うが未だに苦しい。
だがこの苦しみをどう表現すれば良いのかがわからないのが一番苦しい。いくら頑張って説明を試みてみても「あーある、俺もそういうのあったわー」とかしか思われない。いやそんな軽いもんじゃない、本当に死にたい気持ちになるくらい辛かったと言っても「あーはいはい、冗談乙wwwww」位にされるか「あ?お前盛りすぎ、流石にうざいわ」と怒られるかそんなかんじなんだ。
主体と客体の区別がつかないインセルオタクの永遠の標本ぐおじさん、哀れな彼はこれを決死のギャグとしてでなく真剣に言っているのである。 https://t.co/shucusUExo— 弓薫 (@kaoruyumi_) 2020年2月16日
インセルってメガリアみたいな連中の事を指すやべー連中を意味する単語やぞ。
そもそもアレにしてもフェミの行動が過激すぎて出現した連中やしな。
この手のカウンターパートの過激派が出てくる事自体、フェミにとっては良くない前兆なのだけど、海外でもそれに気づいていない能天気さが以下にもこいつららしい所やぞ。
流石にアレと一緒にするのは失礼だし覚えたての単語を使いたくて仕方なかったのやろなぁ。
症状ゼロの状態で世界中に蔓延した病原体が突然一気に致死性を獲得し、世界中でバタバタ人が死に始める 国境封鎖なんかをしてみたりするんだが、全員感染してるから意味はない
いよいよヤバいことがわかるにつれ、各国は莫大な予算を投じて特効薬研究を行うようになる 人口の3分の1とかが死ぬ頃には倫理基準を取っ払って人体実験をしたりもする
でも人がドンドン死んでいくから国家機能は麻痺するし、研究のペースも少しずつ落ちる この頃には民間の飛行機や船なんてものは一切動いてなくて、研究者を載せた決死隊みたいなのがまばらに動くのみ
それでも特効薬の完成まであと一歩!ってところで突然遺伝子配列が変わったりして、その頃には暴動が起きまくったりして各国政府は完全に倒れる
圧倒的な人手不足で研究の見込みは断たれる あと6年あれば特効薬は完成するはずなのに、毎日残存人口の数%が死んでいく
最後にはみんな何もできず横たわって死を待つ もう何も機能していない…
特効薬完成まで80日!→79→78→78→79→83→90→123→1年…みたいな感じで希望が遠ざかっていくところホント好きなんだよな
AppleWatchには満足してる。最近5を買った。iPhone無しでジョギングして、Watchだけで音楽を聞いたり走行距離を図ったりという目的のために購入したが十分に満足できる。バンドは運動もしたいのでスポーツバンドにした。しかし、よく外れるのだ。今までも何回か外れてWatchを落としそうになったことはある。そして、その日は突然訪れた。個室のトイレに行って用をたして、その瞬間腕に無力感。ない!Watchがない!・・・便器のそこに沈むWatchの姿がそこにあった。スポーツバンド許せない。クソだ。なぜこんなに簡単に外れるのだ。決死の思いで手を突っ込んで、Watchを救出。さすがの防水機能!何事もなく動いている。きれいに拭き拭きした。動悸が止まらない。早速新しいバンドを購入した。スポーツバンドはクソだ。
(程度の差はあり、中には最適な温度で地表に湧いている温泉もたくさんあります)。これは地面から湧いてくる灼熱の水を人間に適した温度まで水で薄めて利用していると言えます。ここで注目すべきはやはりマグマが関係していることと、熱い流体が地下から湧いてくる現象であるということ。そして温泉は火山の近くに形成されるということ。温泉はそれこそ風呂なんて概念を人類が運用する前から自然には存在していて、人類以外の動物も利用してきました。猿が風呂に入っているイメージなんかし易いですが、鹿や熊なんかも温泉に浸かるらしいですよ。それで火山の噴火による被害も昔からあったと思います、そりゃ地震も火山が原因で起こるので、「地震は人類が地球上に留まる限りその被害に遭い続ける」と言われるように火山の噴火も似たようなもんです。地震ほどもたびたび起こりませんけど(そうだったら人が土地に住めません)。何が言いたいかというと星の中にはマグマが流れていて、これは時に地上に激しく噴出しては火災などの致命的災禍となって人類を脅かしてきたという事実があり、そして鉱石や宝石や温泉といった、人類の利益になるものも火山の活動によってもたらされてきたので、人類がいままで継続してきた人類らしい生活を続ける限り、火山の脅威から完全に逃れることはできないってことです。マグマに焼かれる可能性を完全にゼロにしたいならば、既存の資源が採れる地上を捨てて空の上に逃げるしか道がありません。キリスト教では人間は人間である為に原罪というものを抱えていたので、神の子イエスさまは磔刑にかかるという形で人間の原罪を御許しくださったそうですが、罪を抱いたら落ちる先の地獄が灼熱の世界であることと、人類の文明が依存する金属資源が地下世界に流れる灼熱のマグマに由来することはなんだか面白い話に思えています。あとは、火山活動は間欠泉の他にはしばしば人間に有毒な気体を地面から吐き出させることがあり、この毒ガスにまかれて人が死ぬ事件なんかも昔からあります。ドラゴンは火を吐く他には毒の息を吐くなんて話もあるので、地獄が火山に由来するものであるならば、ドラゴンの活動とはすなわち火山に由来を見出すことができます。これで宗教的で、地理的で、人類学的なドラゴンの話は終わりです。
結びに、あまり触れられなかった気象的なドラゴンの話に急ぎ足で触れたいと思います(こっちは語れるほど詳しくないので一番最後になりました)。
ドラゴンもしばしば気象を操り、毒の息や火を吐く他には雷を吐くなんて言われます。怪獣映画のゴジラに出てくる怪獣キングギドラは雷のようなジグザグに飛ぶ光線や、ずばり雷そのものを吐き出しますがあんな感じです。
これは山の天気が変わりやすいという話と関連づけられて話されます。高い山の上は気象学的に雷雨が発生しやすいそうで、ここで発生した嵐がそのまま人里まで降りてきておそろしい災害をもたらしたこともヨーロッパでは珍しくなかったそうです。西洋の山々は高く険しい秘境で、ドラゴンの他には魔法使いが住んでるとか言われ、その険しさゆえにとても道路として利用できるような場所ではないので、いまよりも適切な登山道具や技術が普遍化されていない昔の時代に住んでいた人が山越えをするとなると、それは決死の覚悟で臨むものでした。つまり山の上には滅多に人が行き交うことがなかったので、空想のドラゴンやお伽話の魔法使いが住んでいてもおかしくないと言われたのでしょう(そう言われても嘘か本当か確かめるのが現実的ではない)。
また「雨を降らせる」とか「気候を操る」とか言われるとピンと来る方もいると思いますが、東洋の龍はもっぱらそういうことをする存在で、火よりも水と関連づけられていることの方が多いようです。川の化身なんて言われることもあって、こういう姿はジブリ作品の千と千尋の神隠しに登場したハクという人物のテーマにもなっています。水は高きから低きに流れるとか言う通り、山から人里に向かって川が形成されている様子をじかに確認することが日本では現実的であったので(日本の山でも人死はたくさん出ていますが、山越えに臨めばほぼ間違いなく死ぬと言われるほどではなかったようです)、川の神である龍は山の神もまた兼任することがあり、日本人の昔話的世界観において山と川とは切り離せない親しい関係にあります。というか、ずばり川の中に竜宮城がある(浦島太郎の話に出てくる、海の中にあったというあの竜宮城とほとんど似たようなものです)場合もあります。山の中にあるという鬼の居城もこの竜宮城が零落して悪評に貶められたと考える向きもあり、有名な鬼の祖に龍神が数えられていることもあります(酒呑童子という鬼の祖は伊吹山の神であると言われ、これは素戔嗚尊という英雄に退治された龍神のことだと言われています)。それで「山の気候は変わりやすい」なんて言い回しは日本人がよく口にする言い回しなので、山の神である龍が雨を降らせて川を流すという話はそういう思想が背景にあると思われます。奈良の大神神社に坐す大物主なる神はたいへん好色の蛇神として知られ、イケメンの男性に化けてから人間の女性と夜な夜な逢引をしていたというロマンチックなエピソードがある一方で、機嫌を損ねた時には疫病を流行らせて人を大勢殺したので時の天皇を困らせたとも言われています。この大物主が住むというのも三輪山という名山で、奈良のその周辺は川と山とに囲まれた肥沃な土地であったと言われています。今でも風景が綺麗なので、近くに住んでいるなら見に行くのも悪くないと思います。話が脱線しましたが、疫病が流行るというのはいろいろ理由がありますけど、川の氾濫といった水害が原因でも発生します。川から水が溢れて街が水に浸かると、下水道という設備がなかった昔はトイレの汚物が街中にぶちまけられるというのも珍しくなく、川の底のかき混ぜられた汚泥と一緒に環境を汚染するのでたいへん不衛生でした。なので的確に対策をこうじなければそこからあっという間に病気が流行り始めるのです。川が溢れると畑がダメになって作物…つまり食べ物もとれなくなるので、飢えて体が弱り病気になりやすくなるというのもあります。川がなければ水を畑や田んぼに引くことが難しく農業が瀕するので全く無いというのは困りますが、川が溢れ出しても人間は困るのですね。なので川と龍が縁深い日本では、川の工事(水害対策)に従事していたと言われる仏教の僧侶が悪さをする龍神をこらしめて改心させるなんて話も結構あります。西洋における聖ジョージやジークフリートなんかが、日本においては偉いお坊さんになってしまう訳です。すこしがっかりするような話ですね。そういったように、悪者のイメージが根強い西洋のドラゴンに対して、日本の龍というのは非常に気まぐれな存在で善悪両方の属性を持ちます。人間を助けることがあれば人間を脅かすこともあるし、人間に助けられることもあれば人間に倒されることもある。ところで東洋の龍という括りでいうとそもそも「龍」という漢字と考え方自体は大昔の中国にあったというたいへん豊かで大きな国からやってきたとも言われますが、中国文明は三大文明が一つ黄河文明と数えられている通り黄河という大きな川が育てた土地を耕して発展していったので、そりゃあもう川の整備には手を焼かされたそうです。大洪水で国中が水浸しになってみんなが困ったので、見かねた仙人が龍に乗って山から降りてきて洪水を治めたのでたいへん感謝され、皇帝の座についたという伝説もあるくらいです。というか、日本の坊さんがどこで川の整備技術を学んだかと言われれば当時の中国で学んできました。もっと正確に言えば、治水技術に秀でた仏教の僧侶が日本に布教するのにやってきて広まったのです。ユーラシア大陸から、「龍」という漢字や東洋龍のイメージと一緒に、「龍」と形容されるほどの荒れた川を治める技術もやってきたのです。お互い川を見ながら川の周辺で農業やって生活してきた民族なので、当時から生活風景がそこそこ似通っていたのでしょう。なので龍神は今日に至るまで日本の思想世界に受け入れられ親しまれ、日本独自の派生も見られるほどになりました。
誰かの空想からはじまった存在が、国を渡って話されどんどん遠くまで伝わって、その国でしか見られない風景や生き物の姿を継ぎ足して、そこに住む人々の固有の文化におさまっていく様子を前から後ろへと辿ってみるのは大変面白い娯楽でありました。今回は特にドラゴンについて言及しましたが、とてもキメラテックな話だったでしょう? キメラテックなのもたまには悪くないという気持ちに僕はなってきました。
更なる余談ですが、東洋の龍の「胴体が長く、翼を持たず、身体をくねくねさせて空を飛ぶ」イメージ(アニメ日本昔話のオープニングのようなやつです)なんですが、胴体のところは蛇をモチーフにしてあるのは一目瞭然ですよね。完全なる受け売りなんですが、この龍の顔の部分は馬をモチーフにしているという説があるそうです(髭があるところとか)。確か神武天皇だったと思うんですが、彼の皇が長旅をされた時に愛馬に水を飲ませようと泉に立ち寄って、その時誤って剣でその馬の首を切り落としてしまったそうです。自分が殺された側なのに、自分が死んで大泣きして悲しむ皇の姿をあまりにも気の毒に思った馬は、首だけで泉の中を泳ぎ始めてやがて馬のような顔を持つ魚になった、なんて伝説があります。空を泳ぐ龍が馬の首を持つ一方で、馬の首が泳ぎ出して魚になったという伝説もあるのは面白く、たまに関連づけて語りたくなります。ただ学問的な裏付けのないこじつけなので、こういう笑い話の場でしか言及しないことにしています。
ここまで読んでいただいた方がいらっしゃるなら、たいへん貴重なお時間をいただきました。あなたに御礼さしあげます。ありがとうございました。
(追伸、語り口調で一行が長かったり、誤字脱字が多くて申し訳ありませんでした。ちゃんと推敲する習慣をつけようと思います。重ねて、ここまで読んでいただきありがとうございました。)
新しいポケモンの化石ポケモンが話題になっていて、ずばりギリシャ神話のキマイラのことではなくて、普段からよく話題になる想像上の生き物で「複数の動物の特徴を掛け合わせているやつがいたなぁ」って思ったりしてたんですよ。
そいつ「ドラゴン」とか「龍」とかいう呼び名でよばれているんですけど。
個人的な分類なのでそれが常識ということは全然ないので構えずに聞いていただければ幸いなんですが、ドラゴンって呼ぶ時は西洋伝承の竜、「龍」って呼ぶ時は東洋伝承のリュウを意識しています。西洋伝承との比較の話題のときにはわざわざ東洋龍をドラゴンとかよんだりして自分からルールを破るので、本当にそこは私事ですよね。
ちょっと前にNHKの特集でドラゴン伝説に関する番組があったりしたんです。
テロップに「人類学者」「歴史学者」「宗教学者」って表示される人の他には、古生物学者さんとか比較生物学者さん、気象学者さんなんかもコメントしていたのが印象に残ってます。あと世間話でドラゴンって話題に出すときには、地理学を勉強している知人と話していることが個人的に多かったりもしますね。結構、色んな分野からドラゴン伝承というものを話題にすることができるってのは面白いなと思います。
古生物学的な知見から語るドラゴンとはずばり恐竜の化石の話でした。僕たちの世代ともなると人間何人ぶんくらいの恐竜の化石が見つかったとして、それは人類が成立する前の時代の、大昔の生き物の痕跡であって「こんな生き物がいまも生きて闊歩している」とは咄嗟にも思わない訳ですが、それは今日に至るまでの研究成果とそれを知識として普及できる教育の賜物であって、それがなかった時代の人たちはそうは思えなかったって話です。
番組ではルーマニアで有名な翼竜の化石が見つかっていると言及されていましたが、ルーマニアはドラキュラ伝承の元になったヴラド・ドラクル公の故郷ですよね。「ドラクル」という別名は彼の自称で「悪魔の子」って意味だとよく言われますが、本当は「竜の子」とかそういう自称だそうです。言語には明るくないのでもっと正確な意訳ができず恐縮でありますが、無知の身上なので「音が似てますもんね」とか言います。どうしてそれが「悪魔の子」だなんて受け取られ方をしたかと言えば後述したいと思いますが「ドラゴンは当時の人々にとっておそろしい敵役で、悪魔に連なるキャラクター」だったからです。竜の子なんて自称するのはその宗教的事情を考慮するならば自ら悪魔の敵役を名乗る型破りなことだった訳ですね。かなり話が脱線しましたが、竜の子ヴラドの伝説的な話が根付くルーマニアで、空を飛ぶ恐竜の化石が見つかっているという話がなんだか面白いなと僕は思う訳です。「無関係とは言えないだろう」とか僕なら思っちゃうし言いたいですし、当時の文献記録に化石の発掘らしき出来事の記述とかあるならそれは想像が捗るので素敵な話だと思います。
比較生物学的な見地からはいまも生きている生き物、特に蛇が槍玉に挙がっていました。ずばりって感じがします。番組では「何故ドラゴンは火を吐く?」という疑問に対して、蛇がちろちろと舌を出す様子に触れつつ、この蛇の習性が「誤った情報伝達の仕方をして」ドラゴンに火を吐かせるようにしたのではないかという話をしていたのでこれが面白かったですね。
まずドラゴンという想像上の生き物が成立する。次に「ドラゴンは想像上の生き物で、実物を人前に持ってきて伝えることができないから」人間は想像を絵に描いて伝えようとします。この間に、ドラゴンというのは実在しない生物なので、かわりに実在する他の生き物の特徴を取り込んでイラストとして出力されてしまう訳です。無いものを描くことはできないので、かわりに実際に有るものの特徴を代用して想像を膨らませていく。会話で比喩表現を使うようなもんですよね、「奴は蛇のようにずる賢い性格なんだ」とか「鳩が鉄砲で撃たれたような顔してるぜ」とか。
それで番組に出てきた絵なんですけど、たぶん火を吐いてなかったんですよ。イラストの横に難しいラテン語でびっしり説明文書かれていましたが、「これは火を吐いている絵ではなく、蛇のように舌をちろちろさせているドラゴンのイラストです」って言われたら僕はそれで納得してしまいます。そんな絵でした。
ところで遠い土地に住んでいる人に自分の描いた絵はこういうものだと事細かく説明できますか? 僕はそういうのが得意ではないので、しばしば伝言ゲームみたいになっちゃうんですよ。これが誰もが当たり前にまだラテン語を読めなかった時代で、聖書の記述すら読み書きの技術を持つ教会の神父様に読み聞かせていただかなればならなかった時代となると、もっと大変だったと思います。もちろん、そういう誤解が広がらない為にバチカンの偉い司祭様たちは色んな対策を立てたと思いますが、果たして「悪魔の姿形まで全員の意見を一致させようと手を回す余裕があったのか」はわかりません。イラストというのは文字や言葉より強烈です、写真の無かった時代ならそれは写真の代わりすらつとまったほどに。それでもやはり限界はありますよね。実際にあるものを観察して正確に描いたものなら兎も角、空想の風景を自分が見たことのある風景に喩えながら暗中模索で描きあげたらしいドラゴンのイラストですから尚更。もちろんそれを見せる相手が目の前にいたなら言葉にして説明できたでしょうが、その絵が本に載って遠い土地にいる人たちの手に渡った時、そして彼らが字を読み書きできないとかそもそも違う言葉を喋っている人たちだったりしたら、蛇の舌の絵が火を吐いているように受け取られたりしても即座に訂正したりできないのでそのまま広がってしまいますよね。
ここでちょっと本旨に触れていますが、空想上の生き物は実際にはいないのでそれが絵や銅像といった形にされる際、実在する動物の特徴をつぎはぎにして成立する時がある、というのが比較生物学的な知見で言いたかったことであるように思います。
恐竜の化石にしたって、伝説に語られるファブニールやヒドラそのものにしか見えない代物が発掘されている訳じゃありませんから。そもそも恐竜の化石から想定した想像図が最近すこしずつ変わっているらしくて、僕が映画で見たティラノサウルスはコモドドラゴンじみた堅そうなウロコに覆われた姿でしたが、いまは鳥のように羽毛が生えていたのではないかと言われているそうです。ここはもう少し言及すると、恐竜の末裔はいまも空を飛んでいる鳥、特に渡り鳥である、なんて話にも波及していきそうですが、僕はそのへん浅学なので触るだけで容赦していただきたく思います。
最後に歴史学、人類学、宗教学、あとすごく恐縮なんですが地理学から見たドラゴンの話をしたいな、と思います。ここがすごく自分が興味ある分野になるので話が長くなりそうなんですが、そのほとんどが他の人からの受け売りの知識・聞きかじりの知識であることを先に明言してから話したいと思います。この話を僕にしてくださった皆様に限りない御礼と尊敬を。
まず、先程までドラゴンが火を吐くのは、蛇の舌の特徴を取り込んで描いた想像図を見た別の人が、その絵の様子を「火を吐いている」と誤解して広がったからではないのか、と話題にしていました。さらにここを掘り下げて「何故火を吐いている姿に見えた(誤解した)んだろう?」という話をしようかと思います。
ドラクル公の話にも戻りますが、西洋ドラゴンは悪魔に連なる存在であり、人々にとっておそろしい敵役だったと言います。これは特に難しい理由がある訳ではなくて、人間より大きく、翼を持っていたり、人間の頭を咥え込める大きな口にずらりと牙が並んでいたり、ずばり「人間に噛みついて攻撃してくる蛇という生き物が人間よりでかかったら食べられそうで怖い」という恐怖心が、当時の宗教的道徳観で形成されている独特の恐怖心とつよく結びついた結果だと思います。恐竜は人間を食べそうだから怖い、ドラゴンは人間を食べるから怖い、悪魔は地獄にいて人間に悪いことをするから怖い、というのが全部同じ話になってしまった時、「ドラゴンは悪魔の手先である」という話になるんですね。そこにバチカンの神父様まで話を合わせはじめるともう誰も待ったをかける人間がいなくなる。恐怖とは使い方があるのです。「食べ物を粗末にすると目が潰れるからしてはいけない」なんて言い回しが日本にはありますが、本当にそうなのか?といえば絶対にそんなことないですよね。それが本当の話になってしまうと、目が見えない障がいと向き合って生きている人たちはみんな「食べ物を粗末にした」罰でそうなったという理屈が通じてしまうので大変失礼な話になります。ぶっちゃけこの言い回し、嘘か本当かで言えば嘘の話ですよね。でもいま食卓に並んでいる食べ物を、少なくないお金を支払い、少なくない労力を駆使して調理し、なんとか苦労して食卓に提供し続けている親からすれば、それを子供に台無しにされるのはひどくつらいことであるしその悪癖を矯正しないまま大人になっても子供のためにはならないからなんとかやめさせたいと思うのは当然なわけです。しかし、突然の家庭不景気に陥れば金銭交換ままならず明日にでもご飯が食べられなくなるという話を、お金の単位すら知らない無知の子供に納得してもらうまで言い聞かせるのは大変な交渉スキルと言語センスを必要とされます。これが「何故人が人を殺してはいけないのか?」「何故人が人から物を強奪してはいけないのか?」というレベルから説明しなければならないとなれば途方もない気分になってきますよね。なのでそれを説明する側は、悪いことをしてはならないという理由として「悪いことをすれば怖い目に遭う」と方便…つまり一種の嘘を用いるという苦肉の策を導入することにしました。これが日本で言えば「目が潰れる」とか「人攫いにあう」とかで、キリスト教が国教である場所では「悪いことをすれば悪魔のいる地獄に落ちるぞ」とか言われるようになる訳です。ドラゴンに食べられるのは誰だって嫌ですよね、僕はジュラシックパークでティラノサウルスに食べられるレベルから嫌ですしサメだって怖いですから、悪行に対する応報としての悪魔、地獄で罪人を責め苛む悪魔がドラゴンを操るなら当時の人たちにとって2倍の怖さになる訳で、時の宗教家たちはおそろしいドラゴンを悪魔に与えることでみんなが神の御言葉をもっと信じて慎ましく穏やかに生活する世界(=悪人が悪魔とドラゴンをおそれて悪行を思いとどまったり、間違えてからでもそれを悪いことだったと反省して償いをする世界)が形成されることを期待したわけです。なので実は違う種類の複数の恐怖が、宗教道徳という枠組みの中で融合するのは全然難しい話ではないってことですね。ドラゴンが英雄に退治される話が多いのも似たような理由です。人間の勇者が悪いドラゴンを退治して財宝と美しい伴侶を獲得して幸せに暮らす…というのは敵が強いぶん本当にそれを乗り越えられるならば素晴らしい成功であるように思える訳ですね。実際に、ドラゴン退治の伝説は宗教に組み込まれた結果、聖ジョージのドラゴン退治など、有名な宗教説話としてたくさんの人々に親しまれています。強いドラゴンが悪であったほうが都合がよかった時代や場所があったということです。
この長い前提があって、ドラゴンが火を吐く話が続きます。まず多くの宗教において死者の国・地獄とは地下世界に想定されます。そして程度の差はあれど、地獄とは炎の世界で、罪をおかして死んだ者はその炎に焼かれてずっと苦しむと説かれます。これはキリスト教も例外ではないというか、悪魔が住む地獄とはその典型例であるように思いますね。何故地獄が燃えているかと言えば、人間が火に焼かれる痛みを強烈に忌避する話の他に、古い時代の街並みが火災に弱いというのが挙げられます。日本でも江戸時代の平屋づくりなんか想像してくだされば分かりますが、木材を含む家屋が道の両脇にずらりと並んでいるのは火災に脆弱なんですよ。火災の真の恐ろしさとは「燃え移る」「燃え広がる」ことです。デマゴーグが人々の間であっという間に拡散して個人の名誉毀損の度合いがもう取り返しがつかなくなってしまう様子を「燎原の火」などと喩えますが、あれは草原に火を放つと一瞬で更地になるほどの規模の火災になることのようだと言っています。この草が家に置き換わったようなことが頻発しやすい都市計画というのが密集した家屋群にあたります。隣の家同士の距離が近ければ近いほど深刻だという認識で間違いないと言えます。対岸の火事なんて言い回しもあるんですが、実は一つの川を挟んだ対岸で火事が起こっているとしても、風向きと風速次第では火の粉が飛び火してきて火事になることも珍しくないらしいです。キリスト教の地獄の話をしているのでその圏内にある国の歴史を話題にするなら、ロンドンのテムズ川を挟んだ両岸の街々が飛び火が原因の大火事の被害に見舞われたことがあるそうです(これはNHKのドラゴン特集の受け売りです)。時代が昔に遡れば遡るほど消火技術というのが未熟なので、燃え盛る地獄のイメージが成立したほどの大昔となると一度家に火がつけば街一つ灰になるのも特に珍しくなくて、それが冬越し前ともなれば家の壁と屋根なしで厳しいヨーロッパの冬を耐えなければなりません。みじめなんてものではなくて、死にます。火事から助かったとしても家も財産も食べ物も燃えてしまっていて、最悪の場合助けてくれる隣人の家まで飛び火で火事になってて誰も助ける余裕なんかないとなれば、そういうのを「地獄のような風景だ」と言うのでしょう。これを避ける為に毎晩高台に見張りを立てるなどの習慣が根づいたそうです。ファンタジーでやぐらに立つ見張りといえば敵国の侵略者を瀬戸際で発見するだとか怪物が村や街に侵入しないようにする為だとかいうイメージで、もちろんそういう意味での見張りもありますが、一番怖かったのは火事だそうです。というか、敵国の兵士に火付けされることだってあります。火攻めとか言われる戦法で、この場合は侵略者と火事が同時にやってきます。侵略者は火で街の財産がすべて灰になる前に大急ぎで火事場泥棒をはたらくので容赦する時間的余裕はありませんし、火をつけられた街の住人だって火に焼かれるか人に殺されるかの極限状態ですから狂乱しています。ただの火事より、もっと大勢が死ぬでしょう。侵略者はまさに地獄からやってきた悪魔や化け物に見えたでしょうね。そうやって実際にあった大火災の惨事の記憶が、架空の風景である地獄のイメージを補強して、いまの地獄絵図というものがあるそうです。だから「悪魔の手先であるドラゴンが火を吐く(操る)のは当然だ。地獄からやってきたのだから」と言われれば、なんだかすごく話の筋が通っているように思いませんかね?
その上で更に別の解釈を交えます。地獄は地下世界にあると先述しましたが、地下にあると言えば何を想像するでしょうか。道具や芸術品の材料や貴重品そのものとして今でも生活の身近にある鉱石や宝石も地面の下から採掘される資源です。しばしばドラゴンは財宝と関連づけられることを思い出させられますね。化石も地下から現れることが多いです。ドラゴンが地獄に住まう悪魔のペットであることと、ドラゴンのイメージを形成するのにひと役買ったらしい恐竜の化石とがつよく関連づけられるような気がしますね。それで、マグマも地下には流れていますね? マグマによる火災被害、つまり火山の噴火というのはそれほど頻繁に起こる訳ではありません。少なくとも、毎日地球のどこでも火山が噴火しているともなれば人間の生存圏はもっと狭くて、地球は人間には住みづらい星だったでしょう。将来的にそうなるかもしれませんけどね。それはそれとして、噴火は頻繁に起こらないので毎日人間がマグマに殺されているというほどではないと思いますが、それ故に今でも予測して対策が立てづらく一度起こってしまえばおそろしい被害規模となる天災でもある。邦画にもなった漫画テルマエロマエの舞台くらい昔のローマにおいては、伝説的な火山の噴火によって当時の大国が大打撃を受けたらしい…そしてそれはただの伝説という訳ではなく、地質学や考古学的な研究からも実際に大災害が起こっているという史実的な話だそうです。ところでテルマエロマエという作品に触れましたが、これはお風呂をテーマにした漫画です。日本でも観光地各地が抱える温泉施設というのは間欠泉という自然現象を利用したお風呂であることは周知ですね。この間欠泉…温泉というのが、地下の水源がマグマによってあたためられて地表に噴き出す現象で、多くの温泉はそのまま人間が入浴するには適さないほど高熱だったりします、死ぬような大火傷を負うほど熱いこともあります(程度の差はあり、中には最適な Permalink | 記事への反応(1) | 14:56
https://anond.hatelabo.jp/20191115002701の続き
奴はこともあろうに親に対してテロ行為を行った。気に入らないことがあれば正本副本併せて三通の抗議文書をしたためて正式な手続きを経て論理的に伝えるべきところを、言語による議論を拒み直接行動という暴挙に出たのだ。知性の欠片もないなんと身勝手極まりない所業。赤ん坊だからたぶん口にしていたのはパイパイだけらしく吐瀉されたものは白く少量ではあったがゲロはゲロでテロはテロである。
くそっ!こうなると不得意ではあるが標的の父親も含めた白兵戦による鎮圧しかない。俺はもうスタスタと父親と標的の元へ行った。折しも今日バッグの中に、世間では「粗品」と呼称される社名入りのタオルが装備されていたのだ。ガキめ、お前の身勝手のせいでお前とお前の父親は俺の会社のプロモーションの一環に取り込まれるのだ。因果よのう。
俺が「タオルありますよ!」と声をかけると「あっあっすいません!」とうろたえた様子の父親。俺がそんな決死の白兵戦を展開しているときにさっきの女の子も寄ってきた。一応ここでは彼女をマユと呼んでおこう。なんか儚げで愛らしい響きじゃないかマユ。やはりマユも同業者だったか。「あたしウェットティッシュ持ってます!」。ほう、やるじゃないかマユ。「これアルコールじゃないからお顔拭いても大丈夫ですよ!」。その気配り、君も相当の手練れだな?マユのトートバッグから出てきたウェットティッシュは俺が予想していたポケットティッシュサイズのそれとは違い、円筒形のケースに入ったやつだった。うーん。何でこんなでっかいの持ち歩いてるのかなあ。場所柄ひとつの仮説が脳裏に浮かんだが俺は大人なのですぐ封印した。だっていま戦場だし。
それにしてもこのガキ、今頃になって自分のしでかした事に恐怖を覚えたのか凍り付いた表情で「へけっ」などと歯を見せている。歯ははえてないので正確には歯茎だ。ハム太郎の真似などしても無駄だとばかりにマユがウェットティッシュでガキの口の周りと顎の下あたりを激しく攻める。どうだ心臓が止まりそうに冷たいだろう。ガキは「んっんっ」とか言いながら抵抗するがマユは容赦しない。何が、んっんっだ。これは鎮圧だ。制裁だ。なるほど、口の周りは四つに畳んでちょんちょんと拭くと標的に効率的なダメージが与えられるのか。やがてマユの攻撃にガキが大口を開けて断末魔の深呼吸をしている。よしそのまま落ちろ。
すると、俺の腰のあたりから「〇〇ちゃんゲボした♪」と声がする。お姉ちゃんがなぜかニコニコ不敵な笑みを浮かべながら参戦してきた、ほう、2対2か?俺とマユの挟撃から弟だか妹だかを救おうと言うのか?こしゃくな。すかさず俺は彼女を恫喝した。「んーでもおねえちゃんもあかちゃんのときにやってるとおもうよ?」「やってないよぉ!チャハハハ」。明らかに虚偽の発言なのであるがここは徹底的に論破して奈落の底に突き落とすことはせず、「おねえちゃんすごいじゃん!」と言って議論を終結させた。この大人ならではの老練さ。お前の援護射撃など文字通り赤子の手をひねるようなものだ。
そうこうしていると山盛りのエビチリをたいらげたか母親が店の外に出てきて、事情を知ると俺とマユに恐縮したように礼を言い、俺には「あの…タオル」と言うので俺はすかさず「あー!いいですいいです!それ会社の粗品ですから!株式会社〇〇をよろしくお願いします(笑)」と言って立ち去ろうとしたら、先ほどの恫喝が効いたと見えて標的の赤ん坊ではなくお姉ちゃんの方が俺に先ほどの虚偽の発言に対する懺悔を意味するバイバイをしてきたので、お前の懺悔など認めんという意思表示で俺は侮蔑のバイバイを返した。標的はママに抱っこされて俺のタオルを食べていた。
なおその家族と俺に会釈して立ち去ったマユの向かった方向にある個性的アーキテクチャの建造物群を考慮し俺は先ほどの仮説を確信に変えた。
おつとめごくろうさまです。
丸の内勤務、アフターファイブは丸の内周辺で遊んでいるので、俗にいうハイスペック男性に声をかけられることがとても多い。
彼らはパリッとしたスーツとつやつやの革靴を身に着けて、ギラギラした目で声をかけてくる。
「めちゃくちゃかわいいね」
「俺あの会社務勤めてるんだ。」
「手、きれいだね、握ってもいい?」
今晩だけやれればいい、そんな魂胆を隠して(こちらからすれば丸わかりだが)
まるで本気で惚れたかのように演技をしてくる。
そのたびに私は笑ってしまいたくなる。
彼らは「女はわかりやすいスペックに群がるもの」「俺のスペックなら女など掃いて捨てるほどよってくる」、そう無邪気に信じ込んでいて、なんだか可愛げさえ感じる。
私が自信をもって言ってあげたい。
そのスペックにかまけ、女をひたすらやり捨てる20代~30代前半を過ごしてしまった男性の末路は本当に悲惨でみじめだと。
ちなみに文体が気持ち悪いのは自覚がある。でもこういう文体じゃないと筆が進まない。ごめん。
週5・6日、夜の9:00から朝の5:00というフルタイム勤務だった。
キャバ嬢、ホスト、出張客、外国人、ちょっとカタギじゃなさそうな人、そして普通のOLさん、サラリーマン、大学生、不倫カップル、マッチングアプリの初対面カップル…
大学の単位と引き換えに、大量の人と会話をし、空気を読み、まあいろいろなことを勉強した。
大量の人間と接していると、ある程度の人間はカテゴライズ・サンプル化できてくる。
どのような会話や距離感を好むのか、見極めることを何度も繰り返しているからだ。
それを踏まえて聞いてほしい。
彼らは就職し、自分たちが「ハイスペック男性」であることを自覚する。
「年収1000万を望むアラサー女wwwww」というネットの女叩き記事や、
東京カレンダーとかいう一部の層の心をたまらなくくすぐるであろうメディア、
台頭してきた港区女子…などなど、彼らが自分たちの価値を自覚する機会はここ最近急激に増えたように思う。
そして仕事に慣れて学生臭さが抜け、他の企業との収入にも差ができ始め、女が結婚を本気で視野に入れるようになってきた25歳あたりから彼らは本格的に遊び始める。
彼らのもとには大量に女が群がる。
女が群がれば群がるほど、彼らはさらに自分に自信をつけ堂々とふるまうようになり、女に慣れていき、その所作になおさら女が夢中になる…という雪だるま方式だ。
本気になってもらえるかもしれない。振り向いてほしい。
そう決死の思いで体を許した女を容赦なく切り捨て、俺はもっといい女と付き合うべきだ、もっといい女がいるに違いないと上を求め、そして引っかかってきた女はつまみ食いしていく。
それを繰り返していくうちに、彼らは思う。
「俺はいい男だ」
時として誰かと付き合い、そして何人かセフレを持ち、女は俺の思い通りになる、俺はモテる、と思いながら彼らは数年を過ごしていく。
ここで彼らは2種類に分かれる。
そして「俺はまだまだ遊びつくす。まだ一人の女に絞れるわけがない。むしろ結婚なんてしなくても。」と思うタイプ。
当然、悲惨な末路をたどるのは後者の思考回路を持ってしまったタイプ。
彼らは変わらず女を食っては捨て、食っては捨てを続ける。
めんどくさい、と思えば気軽にラインをブロックし、未読無視し、やりたくなったら自分に本気になっている女を呼び出して欲望のはけ口にする。
状況が変わってくるのは30歳になった頃だ。
30歳に差し掛かってきて、徐々に彼らの手持ちのカード、つまり遊べる女が減ってくる。
彼女たちも彼らを見切り、別の誠実な男と結ばれていくのだ。
でも彼らはまだ遊び足りないし、手元のカードは完全には空にならない。
残った女をまた蔑ろに食い散らかしていく。
落ち着き始めた同僚、増えてきた結婚ラッシュ、そんなものを横目に。
だいたい33歳、34歳あたりだ。
ターゲットにされるのは、まだ社会経験のない大学生というパターンが多い。
女性のエスコートがうまいこと、そんなことでコロリと引っかかってしまう。
彼らからしたら、最高のことだろう。
無邪気に自分のスペックを称賛してくれる若い体をもてあそべるのだから。
ここで彼らは「俺はこの年で若い女と付き合える、やれる」と新たな自信をつける。
もう20代後半以降の女なんかあり得ない、と若さに執着するようになる。
しかしそれは長くは続かない。
20代前半女性は、34歳、35歳までは魅力的な大人の人、と慕ってくれるが、36歳になった途端に突然「おっさん」というラインを引くのだ。
そうして晴れて出来上がるのは、
「女はバカだ」と見下し
体力も衰え、見た目も衰え、
そして手には形ある守るものがない
女をひたすらに傷つけることしかしてこなかった30代後半のこじらせ独身男性だ。
こういうタイプが、当時女子大生だった私を熱心に口説いてきた。
「こいつらはバカなのか?」といつも思っていた。
やんわりと断れば逆上し、暴言を吐き連ねたり酒のせいにしてごまかす。
本当にみっともない、ダサい奴らだと思った。
卑屈で「別に結婚なんて」と強がってる背中のなんてみじめなことか。
20歳そこそこの女がそう思うのだ。
彼らは独身だった。
そして口をそろえて言っていた。
「結婚すればよかった。」
「金はある。でも、それ以外何もない。」
4年間で私はこんな末路をたくさん、もう1日に5人は見た。
だから、結婚なんて、女なんて馬鹿だ、と言いたげにギラギラしている29歳前後の男を見るたびに思う。
もう、それ終わるよ。
あなた、惨めな末路に片足突っ込んでるよ、と。
東京カレンダーが運営しているマッチングアプリで女を食い散らかしている、と豪語する29歳の弁護士に出会ったので。
彼の将来に、幸あれ。合掌。
12年の長きを同じ1台のガラケーと共に過ごしてきた母がもはやこの機会しかあるまいとほとんど決死の覚悟でもって
ねばり強く袖を引くらくらくホンの誘惑をも断ち最新のスマートフォンに機種変更したのは増税前の9月末
悪戦苦闘しながらなんとか電話メールかんたんな検索それに誤字まじりのLINEの操作を覚えなんとなく楽しさを覚えたらしい11月、
ふらりと帰省した姉にこれはかわいいよ、とそそのかされ母はねこあつめを始めた
始めて1日目でもう母はそのかわいらしさ、人生で一度もやったことのないゲームの新鮮さのとりことなって
数日後にはさながら年季の入ったゲーム廃人のごとく暇さえあれば小さな庭にやってくるさまざまの猫たちを眺めてはにこにこし餌をやりにぼしをもらい
えーこんな子もいるんだほらボールで遊んでるかわいいあーでもこのでぶ猫がにくたらしい、いやそうじゃない金をくれ金をなどと言いながら写真をぱしゃぱしゃ撮っている
休日に数えてみたら母は起きているその間16回も画面を確認してはかわいいねかわいいねかわいいねと言っており
浮力で立ち上がる髪の毛の先までも知らぬ間に落ちた沼の水にすっかり漬かりきりたゆたっているかのごとき様相である
ゲーム画面を閉じるときにはなんとなく後ろ髪をひかれているような感じでほーっと息をついているがまたぞろアイコンをタップし眺めてはまた閉じ息をつき
そのたびあーかわいかった、でもやっぱりうちの猫が一番かわいいね、とにこにこしながらつぶやいて
部屋の中のどこかしらで食べたり歩いたり寝たり姿の見えなかったりする本物の猫を探し見つけてはその額を撫でにいく 猫は静かである
やっぱり数えてみたら同じ休日に母はそれを14回やっていて以降もねこあつめを開き閉じては判で押したようにあーかわいかった、でもやっぱりうちの猫がいちばん、とにこにこする
日を同じくして反復される同じ文句同じ動作のその様がなんとなく昔語りのおしまいにきまって現れるしわがれた結びの定型句を思い起こさせ
もう長いことこんな場面を見てきたような気もすれば初めて聴いたような気もする古いような新しいような形容しがたい既視感のようなものをもってそれを眺めさせる
画面の中からほかの猫が一度に大量に我が家へとなだれこみそれが日常のうちの一つの場面になったことで
うちの猫が家に来たそのときからこの十数年の間に蓄積され続けて減ることのなかった母の爆発的な「うちの猫がいちばん」が
突如噴出孔を見つけ質量をもって物理の世界にいっぺんに溢れ出てきたところにちょうどいま遭遇したのだなと思った
あらゆる次元の猫はみなかわらず猫で等しくかわいくそのすべてのうちで今この家にいるこの猫こそがもっともかわいいのだという気持ちを
疑うべくもなく当然だとしても何度でも確かめたくなるささやかだが圧倒的な事実としてうまく言葉にならないままいつも持っていて
そのなんだかでかいものの一端がぽろっとこぼれ落ちてしまって止まらない母とそれを母にいつでも口に出させてしまう猫がいっそう愛らしく思え
ある日そんな風に可視化されただけの決して新しくない習慣に頭の中でほんとそうだよねー、と何度でもそっと同意してそっと祝っている