2019-03-30

尻が3つに割れているんだが

私がただ悲しさ吐露したいだけの話。

かにモノを申したり、主張したりしたいことは何も無い。おもしろ事件もない。読んでも楽しい気分にはならないと思う。

ただただ、日常の中でふと悲しく思うから聞いてほしい。なにも解決してないし、解決しようとする気力もない。

面白いことに、私の尻は三つに割れている。面白いことに、なんてつけたが、当人の私はまったく笑ってない。

ネタばらしをすると、「尻が三つに割れている」というのはあくまで「例え」であり、書いてる私のケツは無事なんだが、私の身体にはたしかに、「尻が三つに割れている」相当の人とは違う部分がある。奇形の類だと言われた。

ただ「尻が三つに割れている」にすり替えて書いたほうが、書く方も読む方も楽だろうと思ったので、ここでは私の尻が三つに割れていると思ってほしい。

そして、本当に尻が三つや四つに割れていて、悩んで生きている人がいたらごめんなさい。

本題だ。

普段は、尻が三つに割れていても(最低パンツだけ穿いてれば)服に隠れているから、普通人間のように生きている。

裸で鏡をみても、大抵前からしかみないから、尻が三つに割れていることま忘れて生活しているときも多い。

最近就職もして、仕事を頑張っている。

人と話して笑ったり、休みの日を寝て過ごしたり、一人でラーメン屋に入って、ラーメンをすすったりしている。

そんな日常を送っていると、自分の尻が三つに割れていることも忘れて、誰かを好きになったりもする。

でもふと、自分の尻が三つに割れていることを思い出して悲しくなってしまう。

ここからは、私の妄想である

私は処女だし、この身体を十何年も他人に見せていない。親にも見せなくなって等しい。(ちなみに、幼少のころは尻は二つだったらしい)たとえば、この先誰かを好いて、付き合って、いい雰囲気になったとしよう。私はそのとき初めて

「実は…私のおしりちょっと変なの…笑わないでくれる?」

彼(想像)「え…。おしりが? どんな?」

「あのね…三つに割れてるの」

彼は驚くだろう。ここで「冗談だろ」と笑う人もいるだろうし、私の面持ちに「ただごとではない」と思いながら、一生懸命神妙な顔をして聞いてくれる人もいるかもしれない。

笑われたら、当然傷つく。

恥ずかしくて生きてはいけないし、目の前の男も生かしはしない。

私という面白くてしかたない身体の女とまぐわおうとした、それが貴様の命運の尽きだ。

どのみち、私の身体に触れ、そしてその目で見れば、私の尻が三つに割れていることはすぐにわかるだろう。

もし相手初体験であったら、初めて抱く女の身体が、こんなだなんてかわいそうだ。という気持ちでいっぱいだ。

本当にかわいそうだ。私も悲しくてたまらない。

それでも、もし、私の心の修羅場も越えて、

私を抱いた勇者がいたとする。

私の尻について、必要以上に触れず、できたら前から私をみつめて「好きだ」と言ってくれる優しい人間。私のコンプレックスを一瞬でも忘れさせてくれる人間。だが彼は間違いなく、私の心の柔らかすぎるところを知るのだ。

さてそんな彼と私は、ある日喧嘩をする。

どっちが悪いとか、原因とか、そういうことは関係ない。口喧嘩とは、勢いの勝負である。そこに正しさや論理的思考必要ではない。むしろ邪魔だ。ただ口を回し、相手精神を削り、相手言葉につまらせたら勝ちである。私はあまり得意ではないが、殴り合いの喧嘩もっと得意ではない。そもそも勝ち負けなんてつけずに、落ち着いて話しあえばいいのだが、それは第三者言葉に耳を傾ける冷静さが、二人に必要だ。

一度冷静を失えば、相手を傷つけてやろうと、心ない言葉がでることを知っている。

そのときは何も言わなかったが、「あの時こう言ったら、相手はとても傷つくだろうな」と思った一言を、「禁句」を、懐に忍ばせ、いざというときにグサッ!! と言ってしまう。または言おうと思っているということは、陰湿な私だけなく、世の中の20%くらいは考えるんじゃないかと思っている。

そして、私を深く傷つけようとして、カッとなった彼は言う。

「尻が三つに割れているくせに!!!

私は「今はそんなこと関係ない」と言うこともできず、言葉につまる。敗北だ。

だって尻が三つに割れているのは事実だし、それについて、彼に嫌な思いをさせてないか、ずっと後ろめたい気持ちでいる。

やっぱり、イヤだったんだなあ、と私は悲しくなる

きっと彼が人類の中でも優しくて気遣いのできる部類だということは、私とのセッ◯スを成功させている時点で証明されている。それでも私が傷つくと知ってなお、彼がいつか禁句を口にしない保証はまったくない。

もし私に言わなかったとしよう。しか他人にはどうだろうか。自分が抱いた女の尻が三つに割れていたなんて面白い話、人に話したくてたまらないではないだろうか。

酒の席の勢いで、もしくは「昔のことだし」という謎の時効制度で。「尻が三つに割れてる人間とセッ○スしたことあるんだけど〜」と他人に教えてはいけない。などと酷な話だ。

その場は私の尻が愉快という話で盛り上がるだろう。たとえ尻の話は面白くなくても、セッ○スの話はそこそこ注目を浴びるのだし。知らないところで自分の尻の形を笑われるのはなかなかキツい。それを疑うのもつらい。

あいつの乳首めちゃくちゃ黒かったわwww」とか

「この前抱いた女、アソコが激臭だったwwwww」とか

あいつのちん○ポークビッツwww」

て影で言われるようなものだ。つ、つらい。自分の力ではどうしようもない所だし余計に辛い。それを決死覚悟晒し挙句がそれだと思うとつらい。

つらいか妄想はここで終わろう。

 私は誰かの前で裸にならない限り、誰かに尻を触られない限り、普通人間みたいに生きられる。本当は誰かと触れ合いたいのだが、それについて私の身体は、精神的なリスクを負っている。

 この前整形外科ホームページを見た。

 この尻を治さないと誰ともセッ○スできないからだ。いろいろなメニューがあったが、そこには尻を小さくしたり大きくしたり形を良くするといったものはあっても、当然、三つに割れた尻を二つにしてくれるメニューはなかった。

 そもそも整形で尻の割れ方を整えるのは可能なのかもわからない。直せないと言われたらどうしようと思うと、つらくなった。私は整形外科のある場所も控えず、かかる金額見積もらずホームページを閉じた。

 私はまた明日の朝、自分の尻が三つに割れていることを忘れて生活して、たまに「このままずっと処女かもしれない」と考えて泣いている。

 ただそれだけの話。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん