はてなキーワード: 所謂とは
彼は君と別れて寂しかったのでは?
彼はおそらく「鏡」が必要な人で、君を通して自分を見ていたのだと思うけど、それは人類の多様性として責められることじゃあない。
それで君と別れたから他の「鏡」を求めて利害の一致する人がいたから付き合ったのだとしたら、その期間の短さは問題ではないよ。
これは別に君をモノとして扱ったとか、そういうのとは全然別次元の話で、あくまで人が人とどう向かい合うかというなかの一例にすぎない。そういう所謂価値観を、互いに変えられる・変えてもいいと思えることがつまり恋愛的瞬間で、お互いにそれができなかったのならば、恋愛的瞬間を迎えられなかった一例にすぎない。
どちらも悪くはないが、巡り合わせが悪かっただけ。
ネットではリベラルという言葉の胡散臭さはとっくに知れ渡っているところだし、リアルでもリベラルが直接名指しされたわけではないけど属性として重なるところの多い「デモで声をあげる市民団体」が広く世間で嫌われていたことが朝日新聞の世論調査で明らかになったりと、けして風向きが良いとは言えない中で、それでもリベラルを自称できるのってメンタル強いな~って思う。
原義的なリベラル思想を否定する人はあんまりいないけど、所謂”リベラル勢力”に対して嫌悪感を向ける人は少なくないでしょ?
それでもリベラルを名乗る人はどういう精神で名乗り続けているのだろう?
世間に叩かれているリベラルはリベラルの中でも一部のヤバい奴らであって真っ当なリベラルである私たちは何を恥じる必要もない、という考えなのか?
リベラルに否定的な視線を向ける世間が間違っているのであって正しい私たちが何を曲げる必要もない、という考えなのか?
例えば、俺はオタクで、オタクが非オタクに比べて頭のおかしい人間が多いことも、そうした頭のおかしい奴らが基準にされてオタクという属性全体に偏見を向けられることがあることも承知の上で、それでも自分個人は世間に顔向けできないようなことをしているつもりはないからと恥じ入ることなくオタクと名乗っているけど、それと同じ気持ちなのかな?
でも正直俺は、それは趣味の分野だから言えることであって、政治や思想的な分野ではアレな奴らと思われがちな属性を自分で名乗りたいとは思えない。
個人の権利や多様な生き方みたいなものは大切にされるべきと思うし、女性の社会進出は妨げられるべきではないと思うし、同性愛者も異性愛者と同じように認められたらよいなと思うから、俺もイデオロギーへの拘りが薄い一般人が深く考えずに賛同するレベルのリベラル思想には賛成していることになるとは思う。
でもだからと言って、何かにつけて他者に文句をつけ抑圧的に振舞い、救うに値する弱者と値しない弱者を自分たちの物差しだけで切り分け、弱者救済を錦の御旗に現実的なコストを無視して急進的なやり方で人々の安寧を破壊し、社会的優劣の序列を変えただけで本質的には既存権威と同質の傲慢さを持つ、”リベラル勢力”は大嫌いだし、そういうった人たちと同じカテゴリに入れられるのなんて想像しただけで反吐が出る。
私が普段プレイしているゲームに大乱闘スマッシュブラザーズSP、通称スマブラSPというゲームがある。
・キャラ調整が優れている
80体以上のキャラがいるのにもかかわらず、弱いキャラでも強キャラに勝つことができ、キャラのランクもSからC程度に落ち着いている。
過去作(私は未プレイなためネット情報によると)に比べると、キャラ数が増加しているのにも関わらず、圧倒的にバランスが良い。
定期的にキャラクター調整が入るため、上位キャラと下位キャラの差が少ない、調整内容も賛否両論ではあるが、概ね良調整である。
バランスがいいことから、大会の優勝キャラも様々であり(とはいえ弱キャラ優勝は流石に難しいが)、弱キャラにも一定数使い手がいる。
どうやら今作は、前作(スマブラfor)のトッププレイヤーがキャラ調整に関わっているらしい。素晴らしい。
ではここからが本題。
・残り全て
残りの全てがゴミである。明確にはオンラインでの対戦システムのすべて。
優先ルールという方式でルールを決めてマッチングがスタートするが、自分の選択したルールが選ばれないということは日常茶飯事である。もちろん、対戦で最も使われているであろう、3ストック7分を選んでいる。
それなのにも関わらず、2スト、3スト3分、アイテムあり、意味不明なステージ、HP制、それどころか突然4人乱闘が始まるなどマッチングするだけで萎えるルールが多くある。しかも自分が選択していないルールで対戦が行われても、レートはいつも通り変動する。意味が分からない。
さらに、自分が選んでいないルールが選ばれても、マッチング画面に小さくしかルールが表示されないため、致命エフェクトが出てやっとストと気が付くことも多い。配信などを見ていても、視聴者が教えるまで気が付かないこともざらにある。
また、スマブラSPにはながら対戦という「遊んでいるあいだに対戦者を見つけるための設定」があるため、マッチングを早くするために違うルールでマッチングをしているという言い訳は通用しない。
そもそも大多数の人は自分が選んだルールで遊びたいに決まっている。
いい加減アップデートで優先から確定に変えてほしい。製作者は頭小学生なのか?
前提として、格闘ゲームはP2P通信を行っているため、対戦相手と自分の回線が悪い方に回線速度が合わせられる仕組みになっている。つまり、片方がどれだけ回線がよくても意味がない。そのため、格闘ゲームは通信が安定する有線接続がほぼ必須である。
そして、スマブラも格闘ゲームのようなものなのでこの方式である。つまり、プレイヤーの年齢層が低いこのゲームは、対戦相手が無線であることはざらである。
しかし、これはSwitchに有線LANポートがついていないため仕方がない話である。人によって有線をつなげるかどうかは変わってくるだろうし、知識もいる。仕方がない話だ。
格闘ゲームではこれの対策として、回線でマッチングを選べたり、回線が近いプレイヤーとマッチングするようになっているらしい。(これも他人から聞いた話である)
ではスマブラはどうかというと、どうやら近い地域の人とマッチングするようになっているらしい。それだけ。
私自身VIPマッチの中間から上位で対戦はしていると思う。(プロゲーマーとも何度もマッチングしたこともある)
しかし、17時から22時のようなゴールデンタイムでは連続して対戦相手がラグ持ちということも珍しくない。
何故回線マッチングを実装しないのか納得がいかない。マリオテニスでは導入されているため、任天堂のゲームだから導入できないという言い訳は通らない。
ここまでをまとめると、オンライン対戦はラグくて自分の選んだルール以外でマッチングするゲームということになる。
これら以外にも謎に世界戦闘力(笑)という名前のわかりにく過ぎるレーティングシステムや、使いにくいUIなど悪いところはたくさんある。
パーティゲームだから仕方ないという意見もわからなくないが、キャラクターのバランス調整がガチ対戦向けすぎるし、プロゲーマーも多くいる。
オフラインはガチ対戦、オンラインはパーティゲームという考え方なのだろうか・・・
母の日、所謂最近の令和的意識の世の中のなかでは、こう言われるべきではないだろうか。
「感謝するべき母親がいない人の気持ちを考えたことありますか?」
ここでの「いない」には色々な意味合いがある。
まず物理的な意味で母親がこの世にいない(死亡・行方不明)ということや生きてはいるが連絡が取れないということ(音信不通・離婚して会えなくなった母など)、
あるいはとても母親に感謝できるような生い立ちではないということ。
そういった人たちに対してなぜ「配慮」するべきという話にならないのだろうか。いつもあんなに繊細に戦うのに。
またまったく別の切り口になるが、そもそもこの現代母だから父だからというのもなかなかナンセンスのような気もする。
同性カップルの元で里子を育てるという話とか、そういうものと恐らく正面衝突する。
この辺不思議でたまらないのだが、まあいつも何かにつけて繊細に怒る人にとって、おそらく母の日は都合のいいイベントなのかもしれない。
まず前提として女性というカテゴリに属する弱者が『理解のある彼くん』という手段で救いを得やすい傾向にあるのは事実でしょ。
確かに理解ある異性を得るのにも努力が必要だろうだけれど弱者が自助努力により救済を得る方法の中では比較的イージーな手段であることも事実だし、男女の性欲差によって男性よりも女性の方が理解ある異性を得やすいのもまた事実。
そして、『理解のある彼くん』という手段を選ぶと選ばざるとに関わらず、不幸からの脱出手段の選択肢が一つ多いということ自体はやはり恵まれていることだよ。
その上で、アセクシャルという増田のような『理解のある彼くん』が救いにならない、あるいは所謂『穴モテ』ができないレベルのブスみたいに『理解のある彼くん』にすら救ってもらえない、そういう『女性でありながら女性の持つ優位傾向を活かせない人々』が「女性というだけで恵まれているかのように語るな! 私たちの辛さを矮小化するな!」と憤るのは、差別に対する正当な怒りだと思うよ。
ただまあ、増田がそうした差別を受けているという事実を認めた上で、それでも増田に対しては欠片も同情心は湧かないな。
だって増田も弱者男性にも女性に対して加害性のある人もいればそうでない人もいるという事実を無視して、弱者男性という属性を叩いているんだから。
この所弱者男性関連の話を追っていて「あれ?」と思った事が有るので記しておく。
弱者男性関連の増田やブコメを読んでると、やはり「弱者男性」という問題設定やそれが差別であるかと言う事について、否定的だったり抵抗感が有る女性のコメントは有る、
ただ、この所(いや、最初からかも知れないが)弱者男性に同情的な人も出てきていて、「こういう事は良くない」という事を書いてくれて居る事も有る、本当にありがたい事だなと思う。(https://anond.hatelabo.jp/20210506114728 等がそうだ)
少しずつではあるけど、弱者男性の苦しみや境遇について理解は進みつつある・・・・・と言う事を考える内、違和感が有った。
そもそも弱者男性を嘲り差別し叩く人達は、女性・フェミニスト以外の方が多いのでは?
これはコメントを大量に眺めるうちに至った実感だ。
勿論増田やブクマカの性別は見えない、しかし性別が書かれている場合も有るし、ブクマカに関してはどこかで性別を明言してたので知ってる場合も有る。
改めて振り返って見ると(あくまで感覚だが)普段から弱者男性やモテない男性、オタク等について酷い偏見や言葉を投げ付けているのは、女性よりも男性が多いと感じる。(重ねてあくまで感覚だが、女性はアンチフェミ的な言説に反感を覚えつつも、男性差別的な言動については反対したり気を付けると明言する方が一定数居る)
既に「立ち向かうべきは強者男性だ」や「(童貞弄り等について)男性間で行われている事が多い」と言った指摘はあるが、ここで言いたいのはもう少しこの「はてな」と言う場にフォーカスした仮説だ。
広い意味での弱者男性へ差別的な態度を取る所謂はてサの左翼男性について(あえて「リベラル」とは呼ばない、彼らは全くリベラルでは無いし、リベラルと呼ぶに至る経緯も正当とは思わないからだ)
もし弱者男性への蔑視や差別の主犯が左翼男性に占められて居るにも拘らず、そこでうまれた反感が女性フェミニスト達へ向けられているとしたら、そんな事態は理不尽だし、絶対に是正されるべきだ。
女性・フェミニスト側からすれば彼らは味方に見え、その言動が行き過ぎていたり男性差別的だと思ったとしても指摘しにくいかもしれない。しかしそのせいで生まれた反感が彼女らに向かうとすれば、それは非常にグロテスクだし、左翼男性は女性・フェミニストを盾に好き勝手に差別的な言動を撒き散らしている、とも言えてしまう。こうした状況がもし有るなら、それは絶対に正しくない。
なので、確たる証拠の無い段階ではあるが仮説としてここに書く事にする。
はてなに多く居る左翼男性について、個々のプロフィールは良く知らない。
ただ例えば高齢の左翼男性の場合、昭和的なマッチョイズムを持ち乍ら左翼である人は割と居たりする。実際何人かのブクマカのコメントからは昭和的なマッチョイズムを感じる事が少なくない。(私は平成生まれの為、そういう物を感じる度かなりの違和感に包まれる事に成る)
度々指摘される事ではあるが、男性もまたミサンドリーを内面化し得るし、それがマッチョイズムや家父長制、パターナリズムの形をとる場合はむしろ男性の方が内面化の度合いが大きいとさえ言える。
そうした彼らのミサンドリーが弱者男性への蔑視や差別を生み出しているとすればどうだろう?そうした状況への反感を女性・フェミニストへ向けるのは間違いだという事に成る。
非常に拙く、論理も明確に通って居ないと感じつつもこの文を書く私の目的は3つだ。
1つ、弱者男性や彼らに同情的な人達に向けて、彼らが批判するべき対象が女性・フェミニストではなく、左翼男性なのではないか、という可能性に目を向け、可能なら女性・フェミニストへの敵意を解除して貰う事。
2つ、女性・フェミニストへ向けて、少なくとも私個人の女性・フェミニストへ敵意は無い事を示し、その上でもし上記が適った場合は、弱者男性側の女性・フェミニストへの敵意も解除・減少した事を知って貰う事。
3つ、左翼男性および強者男性に向けて、自らの内側にマッチョイズムが巣食っている可能性に目を向けて貰い、可能ならそれを解除して貰う事。
これ等が適う事で弱者男性問題が解決するとは思わないが、理不尽な状況を是正する事は出来るのではないだろうか?
(また、弱者男性へある程度同情や思慮を寄せて呉れている女性・フェミニストの方々へせめて少しでも報いる事は出来ないか?と考えた結果でもある)
最後に、左翼男性の方からすれば、この増田は不愉快だろうと思う。けれどもあなたを不愉快にさせる為にこれを書いている訳では無い事は知って欲しい。
「何故左翼だけなんだ?マッチョイズムや家父長制なら保守や右翼の方が問題だろう」とあなたが思うとすれば、それは恐らく正しい。私自身、より問題が多いのは右翼だと思う。
にも拘らずここで「左翼」を選択する理由は、ここが左翼の多い「はてな」であり、またこの場に限っては弱者男性を攻撃するメリットは左翼男性の方が多いと考えるからだ。他の場なら「左翼男性」ではなく「強者男性」で括るほうが正しいだろう。
更に奇妙な話ではあるが、私があなた方をある程度信用している(信用しようとしている)という事情も有る。
右翼なら兎も角、左翼であるあなたがもしマッチョイズムを内面化しているとしたら、あなたはそれを恥ずかしいと感じ、是正するべきだと考えるだろう。
誰しも完璧ではない、男性がミサンドリーを内面化する事も有り得る、その様な可能性にあなたは目を瞑らないだろう。私はそう信頼している。
この文章を告発だとは思わないで欲しい。ただ穏便に、直して欲しいのだ。
男性もまた性役割に縛られるべきではない、弱くても、モテなくても、貧しくても、学が無くても、オタクでも、それを理由に蔑まれるべきでは無いし、差別されるべきでもない、それだけの事だ。それだけの事を理解する能力があなたに無いとは私は思わない。
あなたは例えばオタクについてどう思って居るだろうか?特に最近のオタクについて。左翼男性の中にオタクヘイターが多い事は知って居る。ただ平成生まれの私には(それが関係有るのかすら良く分からないが)あなた方のその憎しみがどこから来るのか、正直に言って皆目分からない。
ただ、あなたがオタクや弱者男性を蔑むその理由は何だろうか?もう一度それを考えて見て貰えないか、そしてその理由は本当に適切だろうか?
主に少年漫画系を想定する話として、漫画やアニメのキャラが当然のようにヘテロセクシャルであるということを前提とするのはヘテロセクシズムであり、そのキャラがもしかしたら同性愛者かもしれないじゃないか、というのはわかる。
ただ現実的には性的指向が明かされるキャラなんてそうそういるわけでもない。彼氏彼女がいる、性欲があるキャラの描き方がされることもあるけど、そうでないことの方が多いくらいなんじゃないか。テクストだけを見るならば、むしろ多くのキャラが無性愛者だと考えたっていいくらいではある。
恋愛描写のないキャラに対して半ば強引に二次創作のヘテロものやBLや百合あるいは夢小説にするというのはセクシャリティの改変であり、厳に慎まなければならないことなのではないか。
先日、アセクシャルを矯正する薬を飲ませて恋愛をさせるという漫画がTwitterで炎上していた。これは別におかしなことではない。その人物、そのキャラクターのセクシャリティを尊重せず、無理矢理恋愛あるいは性行為をさせることなど以ての外だからだ。そのことは多くの人が批判点として共有していた。
しかし、そうであるならば二次創作として描かれる恋愛ものも同じなのではないか? そこに刃は向けられないのか。
別に例はなんでもいいが、カヲルくんとシンジくんでも、煉獄さんと炭治郎でも、五条悟と虎杖悠仁でも、その他無限のカップリングについても、そのキャラはゲイまたはレズビアンではないのではないか、場合によってはヘテロセクシャルですらないのではないか、という疑問は残る。メインキャラはともかくサブキャラになればなるほど恋愛描写なんてなくなるわけで、ヘテロセクシャルなのかどうかすら描写が皆無なんてのは珍しくもない。
もちろん、仮に性的指向であるからといって、相互の関係性を必要以上に縮ませる(はっきり言うと性行為をさせるエロ同人など)こともまたそれでいいのかどうかという問題もある。
ミスジェンダリングという言葉があって、トランスジェンダーやノンバイナリーに対して当人の自認するあり方とは違う性別で呼ぶことを批判する用語なのだけれど、それはゲイやレズビアンをヘテロセクシャルとして扱うことにも適用されるものではあると捉えている。このことは二次創作には適用されないのだろうか。
所謂ポリティカル・コレクトネスについて、私は重視しているのだが、そうであるが故に、それを推し進めていくと今まであった二次創作もまたどんどんキツくなっていく。インターネットにおいて二次創作・ファンアートは聖域に近く、その存在を認めない発言は極めて少数だ。二次創作が存在していいものとしてあることが明らかな既得権になっている。ポリティカル・コレクトネスを重視する人はしばしば批判対象の既得権(特権)を指摘するのだけれど、そういう人が、個別的なエロ同人などはともかく、二次創作そのものにまで批判を向けることは、意外に少ないようにも思う。フェミニストでありオタクでもある、というのは非常によくあることでもある。そのこと自体は別に問題ない、けれど、自分の持つ刃をどこまで適用するか、という問いはいつでも突き刺さったまま残るのではなかろうか。
今まで自明であったものがそれは抑圧だという批判に晒されるということはよくある。例えば所謂腐女子(この名称にも問題は多数あるわけだが割愛)の中での「ホモ」呼びもこの10年で漸減してきたとは感じるけれど、それと同じように、そもそもの前提としての性的指向の改変自体が好ましくないものなのではないか、という問いの声は、もう少し出てきてもいいとは思っている。
既得権者からは「二次創作は文化である」という反論が来るのだろうけれど、そんなのはセクハラは文化だと言っているに等しい、とさえ言うことができるのではなかろうか。既得権者はいつだってそれを自覚せず傲慢なままだ、というのはポリティカル・コレクトネスを重視する側ではよく聞く話でもある。
すぐに変わるとは思っていない。変化には長い年月がかかるだろう。ただ、自分の楽しんできたものは正しかったのかを問い直す作業は、どの分野でもあって欲しいとも思う。
「弱者男性の指す範囲が広すぎる」という意見も目にしたから、「ある種の弱者男性」としておこうか。
ここで言う「ある種の弱者男性」というのはいわゆる非モテ男性、そのなかでも容姿等の外面的な要素で女性から嫌悪・排斥され、そのぶつけられた嫌悪を内面化した人達のことだ。
容姿がキモい、喋り方がキモい、動作がキモい、、、、女性はまあカジュアルに言い放つ。
そしてそんな言動は一切咎められず、むしろ「不快にさせられた女性こそ被害者」として正当化される。
女性は正しいので悪いことをしないだろう、女性は弱者だから男性というだけで恵まれているだろう、
女性は被害者だから男性に対して加害者にはならないだろう、女性にとって好ましいものこそ善だろう
こうした世の中のリベラルな通念が呪詛となって、後々「ある種の弱者男性」を苦しめることになる。
言われた側の男性は自然と「自分はキモい」「女性にとって不快」、果ては「自分は世の中の害悪」と自己を規定する。
なぜか?女性に不快な思いをさせ嫌悪させるものは「悪」だからだ。
(そうでしょ、フェミニストのみなさん?)
社会の正義に沿おうと真面目に考える男性ほど、こうしてより深く罠に嵌る。
「おまえは『悪』だ」と判定を下されたら、もちろん返上しようとする。だがその成否を判定するのも結局女性でなければならない。
つまり、男性が「善良な存在」であろうとすると、必然と女性ウケ(モテ)を意識せざるをえなくなる構造になっている。
だが、キモい男性がアプローチしても害悪扱い(セクハラ、告ハラetc…)されるだけなので、
多くの場合は徐々に恋愛=女性からの承認、すなわち「善良」であることを諦めていく。
「女性は男性の人格を、外面的な要素から正しくジャッジできる」という信仰のもとに、
「清潔感」という言葉で包められ正当化されたルッキズムにさらされ、(努力も虚しく)女性に好ましい容姿を実現できないというだけで
「不潔で不衛生」「人格が劣悪」のレッテルを貼られては正当化され、それをまた内面化していく。
(そもそも女性のジャッジ次第で人格までレッテル貼りされること自体が不当なのだが、そう思うことも難しい状況にある)
そして「ある種の弱者男性」は、「自分は害悪だ」と思ったまま、自信も自己肯定感も失っていく。
女性のいる場所はもちろん、女性に(人によっては同性にさえも)話しかけることを恐れて所謂コミュ障になっていく。
自信も自己肯定感も物怖じしないコミュニケーション能力も、男性が豊かに生きるには非常に重要だ。
むしろそれらが欠如するのは致命的とも言える。
女性の場合なら自信なさげな態度と言動は奥ゆかしさとも捉えられることもあるだろうが、男性、それも容姿が悪いともなればどうか。
例えば一般的な企業の入社面接を想像してみてもらえばその悪影響の大きさがわかると思うが。
そして流れ着くのは薄給のバイト、ブラック企業、危険を伴う肉体労働。
こうして、学校で女子にキモいと罵られた少年は、弱者男性となっていく。
女性たちからキモい害悪とレッテルを貼られ拒絶され、女性との交際を諦めた弱者男性は、
それでも大抵は「害にはなりたくない」と願い、女性を避けるように生活する。
弱者男性の多くは、女性から承認されない、恋愛できない自分はダメな奴なんだろうかと不安を抱え、SNSやgoogleで検索をする。
すると遅かれ早かれこうした文が目に入ってくることになる。
言い換えれば、「(異性愛者で)女性に選ばれない男は人格的に劣っているに決まっている」
あるいは「女性にとって好ましい男性は人格面も優れているに決まっている」、ということになる。
そしてそんな類の暴論が数百、時には数千単位の「いいね」を集めている。
さらに社会正義を謳うリベラルやフェミニストは、非モテ男性を敵視し、口を極めてその人格を貶める。
曰く、非モテ男性は甘ったれている。曰く、非モテ男性は性欲の権化である。
曰く、非モテ男性は誠実さがないからモテない。曰く、非モテ男性の悩みなど低レベルだ。
曰く、非モテ男性は女性を搾取しようとしている。曰く、非モテ男性は・・・
他でもない反差別を掲げるリベラルからすら平然と差別をされることで、ますます自己肯定感を失っていく。
―――女性たちに外面的な要因で拒絶されることで同時に人格まで否定されてしまうなんて、
それが正当化されるならば、払拭するには女性に承認されお墨付きをもらうしかないじゃないか―――
そのような指摘は、今度は「女をあてがえということか!」と歪められる。
「女をあてがえ論」の他には「ありのままの僕を受け入れて論」なんて言い方もしたりして、
とにかくあたかも自堕落で自分本位な男性が主張しているかのようなイメージを擦り付け人格否定が行われる。
それが例え「同じ人間として扱ってほしい」「外面的な部分だけで排斥しないでほしい」「あなた達と恋愛できないからといって人格を貶めないでほしい」という
願いから出たものであっても、女性に対して批判的だからというだけで「ミソジニー」果ては「インセル」呼ばわりされ邪悪のレッテルを貼られる。
挙句の果ては、「男性というだけで恵まれているんだから被害者面をするな!」と遮断され、
(女性のジャッジは正しい。)(男性なんだから恵まれていると思え。)
(女性は加害をしない、お前に落ち度がある。)(女性に嫌われるなんて悪に決まっている。)
フェミニストたちが形成するこうした世の中の通年は、人格否定された「ある種の弱者男性」をさらなる自己嫌悪と自信喪失、自暴自棄へと追い込み、その人生を淀ませていく。
女性たちはこの呪いのもたらす苦しみと構造の強固さを知ってか知らずか、今日も気に入らない男性へ気軽に「キモい」と言い放つ。
「キモい男は害悪」、そんな女性たちの価値観が正当化され力を得る世の中では、
善良であろうとするほど「キモイ男性」は何もできなくなっていく。
すこし思考実験と言うか、考えてみてほしい。
普段のあなたの行動範囲のなかで、女性(とくに若い人)に遭遇することがどのくらいあったか。
そして女性と遭遇するたび、それだけで自分がその人を不快にさせ、害を与えているとしたら。
場合によっては「キモい!」と面罵され、それに対して異議を唱えることはおろか、反感を抱くことさえ許されない、そんな価値観が正しいと思い込まされているとしたら。
あなたはまともな精神で社会生活を送れるだろうか?程度の差こそあれ、概ねこれが「ある種の弱者男性」の見る光景、生きる世界だと思ってほしい。
おそらく、俺たちのような人間はほとんどのリベラルの人たちの観測範囲には入っていないだろうと思う。
女性からいじめやハラスメントを受けて人生の舞台から転落なんて、そんな少数のレアケースの問題など、いちいち考えてられないと思うだろうか?
念の為に言っておくと、「ある種の弱者男性」は決して少なくない。少なくとも、リベラルの人たちが考えるよりはずっとずっと多い。
全国の学校ひとつにつき数名はいるんじゃないか。心当たりがある人も多いんじゃない?
まあ数が少なく見えるのも当然ではあるかも知れない。彼らは大抵が、社会の下層で怯えながら隠れるように暮らすから。
リベラルたちの視界から外れた社会のはずれへ疎外され、自分は世の中の害悪だとひたすら信じ込まされたまま、
ろくに声もあげられずに死んでいく。俺が同じ境遇ということで交流してた人たちはみんなそうだった。
「ひっそりとオナニーしながら死ね」だったか、フェミニストの偉い教授が言ったそうだが、「望み通りだ」と彼らの末路を見て笑うのだろうか。
女性にとって好ましくない外面というだけで人格まで否定しないでほしい。
同じ人間として扱ってほしい。
弱者男性周りって、正しく価値観のアップデートが必要になる案件なんだよね。
基本的に弱者とされてきたのって女子供なわけで、これはもう覆しようのない事実なわけじゃん。
だってタイトルみたいな台詞を言ったら大多数の人間は共感するじゃん?
因数分解していけば、儒教だの仏教だのっていう宗教から社会やら歴史の話になるんだろうけど、
とにかく、今この時点で「女子供に手を出すやつは許せねえ…!」って台詞があったら、常識人は「その通りだ!」って思うわけですよ。
その常識を変えなきゃいけない。これは大変なことですよ。
もうすこし拡大すると、「女子供、お年寄り、犬や猫に手を出すやつが俺は嫌いなんだ!」って台詞なら共感できるよね。
だってそれは、女子供、お年寄り、犬や猫はか弱い、守るべき対象だってみんな認識しているから。
それが常識ってやつだ。
「女子供、それに弱者男性に手を出すやつは許せねえ…!」って違和感バリバリの台詞に、みんなが共感するようにならないといけない。
というか、「女子供に手を出すやつは~」って台詞そのものが、意図的に成人男性を除外しているような発言だから、所謂ポリコレ的に正しくない発言になってしまう。
これは大変なことだよ。「なにそれめんどくさい」ってなる話なんだよ。そういう根本的な、我々に遍在する意識を変えていこうって話なんだよな。
ロビー活動の一環として、創作物にケチつけたりする必要すらあるかもしれない。
フェミニズムってのは、そういうめんどくさくて厄介な行動をし続けたからこそ、現在問題になってるわけだ。
だからこそ、この話は所謂フェミ含む弱者ビジネスへのカウンターとしても機能してしまう。ややこしいね。
まあ何が言いたいのかっていうと、話が大きくなったらどんどんめんどくさい方向にしか転ばないと思うけど、みんな頑張ってねってこと。
フランケンハイマー監督の映画『RONIN』は、ソ連崩壊の余波が残る90年代の作品である。ソ連が崩壊した頃は、生活に困ったソ連の元・軍関係者が兵器を第三世界やテロリストに密売する可能性や、ソ連という敵を失ったことで欧米諜報機関の人間がリストラされる可能性が取り沙汰されていて、そのような世相が同作品には反映されている。
ロバート・デ・ニーロ(主人公)、ジャン・レノらが演じる「ソ連の崩壊に伴って仕事を失った東西諸国の諜報機関の元・工作員たち」が、アイルランド人らしき女性からリクルートされて、フランスのニースに滞在中の元・ソ連軍関係者と思しき男たちの持ち歩いている「怪しいジュラルミンケース」を強奪する非合法ビジネスに挑む…という話である。
このジュラルミンケースを巡る争奪線として物語は進行するが、その中身が何なのかは最後まで明かされない。ただ「非合法な真似をしてまで欲しがる人間たちが存在するような『物騒な何か』なのであろう」とだけ、観客には理解される。しかし、そのような理解で物語の進行には十分なのである。この映画におけるジュラルミンケースのような、物語進行上の小道具をマクガフィンと言う。
マクガフィンがマクガフィンとして機能しうるのは、物語の語り手と観客が「世界観」や「状況認識」や「常識」を共有しているからである。新聞やニュースを通じて、冷戦下における東西諜報機関の暗闘や、北アイルランド返還を要求してテロ活動をしていたIRAの存在、ソ連崩壊に伴う兵器拡散の危機などについて既に了解しているからこそ、たとえジュラルミンケースの中身が判明しなくても、観客は物語を読み解くのに支障が無いのである。ちなみに、主人公たちをリクルートするアイルランド人らしき女性が、物語の冒頭で主人公たちに対して「私はディアドラ」と名乗る。これは、日本人に擬えると「私は花子」と言うぐらい「平凡な名前すぎて逆に偽名クサイ」という描写とのことである。「アイルランド人」らしき人間が「偽名」で接触して「非合法ビジネス」を依頼してくる。となれば、90年代のフィクションにおいては「IRAか?」と推測するのは観客にとって極めて自然な成り行きであった。このような社会的な知識や認識を持たない人間が『RONIN』を観ると「何だかよく分からない話だった」となるかもしれない。
さて、海賊王漫画について言及したところ「『海賊王』の定義がハッキリしなくても、マクガフィンなのだから問題は無い」との意見が見られた。しかし、端的に言えば『海賊王』はマクガフィンとして機能していない。何故ならば、物語の世界の法則や状況に関する「確固たる土台情報」が与えられておらず、ジャンプ読者は共通認識を持っていないからである。
海賊王漫画は、政治・経済・軍事・警察・法律の社会体制、キャラの強さの根拠や尺度、海賊稼業が成り立つ社会の仕組みなど、全てにおいてアヤフヤである。
海賊王漫画に比べると、まだ『パイレーツ・オブ・カリビアン』の方が、海賊冒険物語としてはマシな方である。それが成立するのは何故かと言えば、以下のような「世界認識」が朧げながら観客に共有されているからである。
我々の世界での海賊の歴史は、ヨーロッパのような国々があり、中南米・アフリカ・アジアのように植民地とされた地域があった。海賊たちは、国家の軍や警察の力が及びにくい地域で略奪・誘拐などを行い、時には国家から許可を受けた「下請け業務」として海賊業務を行っていた(このような海賊船は、所謂piratesではなく「私掠船privateer」と呼ばれて区別される)。
国家の下請け業者としての海賊が成り立っていたのは、ヨーロッパの国々が互いに覇権争いをしていたからである。競争相手国の船が、私掠船にとって獲物であった。
覇権争いをしてまでも植民地にした地域には、金銀や宝石の鉱山が有ったり、香辛料や農産物の産地であったり、サトウキビやコーヒーなどのプランテーション農園を作って労働力に使う現地住民がいたり、宗主国がそこに侵出する様々な経済的な動機があった。
植民地域と本国との間で行われる貿易の関税を逃れて密輸するのも、海賊の仕事の一つであった。
海賊が略奪した貴金属貨幣や物品、誘拐した人間を欲しがる人間が、宗主国や植民地域に「顧客」として存在し、また略奪や誘拐ビジネスで富を手に入れた海賊が消費活動を行なって、植民地域の経済圏に金を落としたからこそ、海賊稼業も成立していた。
このような大まかな共通認識が観客にあるからこそ映画『パイレーツ〜』も成立するのである。これに比べたら、如何に海賊王漫画がアヤフヤなまま連載を続けて、本来は連載初期に描いておくべきであった、読者が物語を読むための足掛かりにするべきことを何も描いてこなかったのが一目瞭然である。
「パンピレホニョンに俺はなる!」と言うだけではマクガフィンにはならない。
【2021/05/06誤字を指摘して下さった方、ありがとうございます。】
自分の仕事は俺以外できないものなのでやらないわけにいかない。
無理なんよマジで。
25で介護になるとは思わなかったが、
これで兄弟がいるなり、富豪でケア全部のせできるなりだったらいいが無理です。
入院してればいいのに、被介護者が寂しいと言うのでうちに帰ってきたんだわコレが。
寂しいのも分かるけど……
恋人はあと2年のうちに結婚したいらしいが、このゴタゴタのなか結婚できるのか?
生きてるうちに結婚の写真が見たいみたいだけど、見たいなら入院してくれんか?
生きてほしい という気持ちと 自分の生活の維持 というトレードオフ。
はぁ
あのね、さっきもちょろっと書いたんだけど、そもそも推し文化とか萌え語りとかそもそも腐女子や女子オタクのもんなの。で、オタクの中心地になってしまったツイッターのメイン層は主婦を始めとした女オタク(どこで統計とるかによるだろうけど、バズワードで腐ったものやドルオタが多いのは言うまでもなく女の勢力が強いせいです)。であり、ツイッター=女の社交場になっちゃってんのね。だからそこのオタクのメイン層が萌え語りなんて女っぽい物になるのは必定で、男オタクは潜んであいつの絵がうまいだの下手だの、この物語の深読みはどうだとか言ってます。だたそういう層は女文化化したツイッターでは「重たい」存在でしかなく。そういう奴らは「重い」「気持ち悪い」などという言葉でバッサリ四捨五入される。そういうことです。
5chを引き合いに出せば、むかしのPixivスレのような場末感あふれるさいとうなおきスレなどは、滅んだかと思われるイラストの腕前だけが大事な人達が集まるおかしな(いろいろな意味で)場所だったりします。逆に同人ノウハウ板などでは「ツイッターと同じような」ABカプがどうの、萌語りがどうの、解釈だどうのという、心底どうだっていい話が延々と繰り広げられており、完全に同人界隈が女の持ち物化していることが伺えます。愚痴スレ悩みですら地雷カプのことですから、病気と言ってもいいでしょう。5chはツイッターのような全体性がなくクラスタごとに分かれますので、人種が男女別であることがより鮮明に映し出されます。男オタクで萌え語りしてるやつなんてまるでいません。そんなこと四六時中やってるのは女オタクだけです。
女オタクは従来型あるいはアーキタイプ的なオタクにすげ変わる形で、あるいは忌避する形でじわりと侵食してゆきました。コミュニケーションはもともと女の得意とするところですし、コミュニケーションの取れない女は男より深刻に阻害されます。コミュニケーションと馴れ合いは女の本能と言ってもいい。故に緩やかなつながりが可能だったツイッターは次第に交流するやつか神以外は村八分、というギスギスコミュニティへと変化していったものと思われます。かかる女の方たちは何かを極める姿勢を嫌いますし、裏付けや細やかさを鬱陶しいものとして認識します。はてなの重箱の隅的な姿勢など彼女たちには鬱陶しい以外の何物でもないでしょう。軽く消費して軽く捨てされるものを選び、自らよりも刹那的な対象(例えばBL)にこころを預けて自分をどこかに放置してしまいます。その試みはまるで、自分のアイデンティティを他人に放り投げて依存してしまうようにすら受け取れます。そうした人達が作るコミュニティが共依存的になるのは当然ですし、あの人達は自分に対する愛や、リアルに対する愛を幻想に向けて全力放出することで逆説的に自我を保ってるだけのように思えます。
ichigocage すごい偏見を見た。
バズワードの大半を女オタクやジャニオタが占める現実をどう弁解するおつもりで?
自分の半径というより検索欄からTL見てんだから間違ってないよね
頻出ワードがジャニーズや声優って傾向も全然間違った指摘じゃないし
アホじゃねえの?
冷静な意見どうも。しかしその層と萌え語り層はかぶりませんし、ABだの解釈だのカプ云々とか言ったりもしてませんね。
logic 昔よく見た「ガンダムは男にしか人気がなかった」の反転だな。自分の見たものだけが世界のすべて。相手の性別が分からない場ではどっちが多いかなんて分からない。
全文読んで得ない典型と見た。
daisya さいとうなおきってモンスター描きから転向して萌え萌え女子ばっか描いてる人でしょ。イラストの腕だけが大事ってイメージじゃないな。5chは見てないから知らんけど。ミリしらお絵描きツイステ編が面白かった。
そこは説明足らなかった。というかあの人自体の人となりは本文と無関係なのでそこ突っ込まれても。あの人自体は売れたい人ってだけかと。
神以外は村八分、というギスギスコミュニティへと変化"あ〜5chの同人スレでもTwitterで交流してない所謂壁打ちアカウントは反応いらないだろうからいいねRT押さないとか見る…男性オタ界隈はまた違うのだろうか
意見ありがとう。変質してしまった以上女型コミュニティになってるので、この辺はもう変わらない気がします。
悩んでいることがあって。
友達にはなんか相談しにくいのもあるし、半分くらい愚痴かもしれないし途中下ネタの話もあるんですけど、つらつら書いてみようと思います。
別にこれといって嫌なところはないけど、いいなと思うところも見つからなくて、また会いましょうって言われたからいいですよって数回会った。
何度目か忘れたけど、告白された。今は好きな気持ちは1ミリもないなあって思って正直に伝えたら、徐々にお互いを知っていくうちに好きになっていくと思うから付き合ってくださいって言われて、特に断る理由がなくて付き合った。
晴れて久しぶりに彼氏ができて、その後も何回か会ったけど別に気持ちが変わることはなくて、むしろ考え方や価値観に対して、"へー、わたしとは違うな"、"うーん、そういう考え方するんだ"と合わないところには気がつくことができたけど、いいなあと思うところは優しいな、くらいだった。ただこのタイプの優しさを好きだと思う人間じゃなかったのでいいなあというより彼の長所を見つけたという感じ笑 合わないのもこれを理由に別れるほどのレベルではないかなとそのままにしてた。
そんなこんなで、ある日の食事の後2人になれるところ行かない?って、まあ誘われたんですよね。
別にしたいとは1ミリも思ってなかったからやんわり微妙な空気を出したけど、地図を見ながら歩き始めどこか(多分ラブホ)に向かっていたので、女はヤったら好きになるって言うし賭けてみるかーという気持ち半分、まあやりたいならやらせてあげるかー(上から目線でごめん)と言う気持ち半分で、承諾したわけです。
そんな気持ちなので勢いでやってしまいたかったのに、所謂ラブホ女子会みたいなのもできるリゾート風のラブホで、混んでて30分くらい待ったんですよね。
ここでラブホ女子会をしたことがあって、ロビーで待ってるの嫌じゃない?と待ち客を笑ってた過去があるので(性格が悪い)、シンプル待ちたくなかったし待ってる間やる気が削がれていったので、個人的には初めての子と行く時はここじゃない方がいいと思いますと男性諸君にお伝えさせていただきます。(突然何の話)
いざそういう感じになって、まあ色々触られますがなんかこう、膣がキュンとならなかったんすよね。(言い方)
逆に触ってともなりますが、なんかこうサイズでびっくりしちゃって。
経験人数はそんな多くないので普通がどうなのかはよくわからないけど、サイズが全てじゃないよなと気持ちを切り替え、事は進んでいったものの、最終的にはあっちが緊張してたようで、できずに終わりました。
できずに終わったことは全然いいんだけど。事後(してないけど)あっちはらぶらぶすきすきみたいなモードだったけどこっちはスンとしてしまったな。笑
その日の帰り道、色々ネットで調べてて。
まずは"緊張してできない"みたいなところからネットサーフィンしてるうちに"彼氏のあれが小さい"に辿り着いて、この悩みを持つ人って"彼氏のことはすごい好きだけど"っていうのが枕詞のように付いていることに気づいちゃったんですよね。
多分これから先も、彼に対して好きだなと思うところが見つからない気がしています。
次回を迎える前に別れを告げた方がいいんですかね?笑
次回もサイズが全てじゃないよなって気持ち切り替えられるかが心配なんです。切り替えて成功(性行とかけたみたいになっててなんかやだな?)した先に好きは待っているのだろうか。
その前に好きって何。
もうやってるのかもしれんが、所謂アンガーマネジメントで対処する話に聞こえる
マンション等に住んでいる方なら実際に使ったことがあるんじゃないでしょうか。
ボタンを長押ししたり、自分の車が止めてある番号を選択して呼び出すタイプの駐車場です。
平置きとは違いスペースが無くとも複数の車を止めることが出来るので都市部などではよく見られるかと思います。
地方、特に田舎だとほぼ無いでしょう。駐車場の土地が確保できないなんて事は希ですし余程のことが無いと建てないと思います。
だからこそ、あの村で見たボロボロの装置は私にとって不気味で仕方ありませんでした。
数年前の夏、暑さもピークを迎え汗が吹き出るようになった時期に、知らないアドレスから仕事の依頼が届きました。
元請けからではなく利用者の方からの直接の依頼は珍しかったので興味本位で詳細を伺うことに。
私は主に関東エリアで仕事をしているのですが、今回の物件は東北地方の某所にあるらしく修理に来て欲しいとのこと。
距離の問題で断ろうかとも思いましたが不釣り合いなほどの金額を掲示され、誘惑に負けて受注することしました。
症状を聞く限りひどくても2,3個部品を交換すれば済むだろうと判断し、機材を乗せた車で先輩と二人で向かいました。
現場周辺に着いたことを電話で報告し、案内をしてもらいながら到着すると確かに写真で見た装置がポツンとそこに存在していました。
間近で見ると錆や腐食がすごく本当に動いていたのか不思議なくらいでした。
装置自体は上段下段に一台ずつ駐車でき、ボタン操作で地下のパレットを呼び出すというポピュラーなタイプ。
下段を呼び出したあと下降しなくなったとのことで上段は自分の頭の位置ほどの高さにあります。
よくある故障なので早速作業に取り掛かろうと開始連絡を入れた際、依頼者の方から二つ忠告をされました。
普段仕事をしている上で聞きなれない注意でした。後者はともかく前者に至っては正常に動作するかの確認ができません。
装置についてですがまずメーカーが不明。部品をいくつか見ればだいたい分かるのですが業界歴が長い先輩も特定できませんでした。
そして作りが非常に雑。適当というよりは素人が何となくで建てたようなずさんな構造。
恐らく新品の状態でも車を入れたら壊れるだろうな、と思ってしまうほど幼稚なものでした。
作業自体は至極簡単なものでいくつかの配線と電気部品を交換しただけで動作するように。
下降しきってはいけない、とのことだったので半分くらいまで下げてみたところ、壁に絵が描いてある事に気がつきました。
カブトムシの幼虫のような顔をした全裸の女性の絵で、肩や腕は不自然な箇所で膨れていたのを覚えています。
気味が悪かったので下段を最上部まで呼び出し、現着時と同じ状況にしてから依頼者に報告を行いました。
その際、壁に描かれた絵を途中まで見たことを伝えたら「彼女の目は見てないか?」と聞かれました。
「上半身まで見ましたが目は無かったですよ」と答えると「そうですか。お疲れ様でした」と言われその場をあとにしました。
帰り道、先輩がふと「お前は本当に見てないのか?」と聞いてきました。
私は見ていない事を伝えると「俺は見たかもしれない」と呟くように漏らしていました。
動作確認の際、私は装置の正面から見ており、先輩は裏に回り込んで見ていました。
角度的に気付かなかったものの私の足元にも絵があり、先輩はそれを見たそうです。
それから一年ほどで私は退職しましたが今でもその先輩と交流があり、先日飲みに行った時に話題に上がったので記事にしてみました。
私は所謂洒落怖、都市伝説などが好きでそういった話を調べたりしているのですが似たような話を聞いたことがなく、
もし知っている方、詳しい方がいらっしゃいましたらコメントにて教えてくださると嬉しいです。
弱者女性だって素の自分の弱さを受け入れて!でうまくいってるわけじゃないしね。相手にとってちょうどいい「弱さ」をちゃんと演出してるんであって、ありのままの自分をだしてケアもお金も手に入れてるわけじゃない。所謂「都合のいい弱者」になりきるすべを大なり小なり身に着けてて、男が本気で一発で出てくようなことはそうそうしない。ちょっと下に見られて上から目線でナデナデされてもハァ!?馬鹿にしてんの?とか言っちゃダメ。可愛くないからね。
よく女は稼ぐようになると離婚したり結婚したくなくなるというけど、それはプライドが高くなって「可愛がられる立場」のメリットよりストレスが高くなるから。上昇婚だってお金が本能が、もあるけど案外「同じか私以下の能力で可愛がろうとするのムカつく」も多いんじゃないかな。あるいは男性の方が「可愛がれないので嫌」ってなるのか。
キャバ嬢や風俗嬢がお客を馬鹿にするのも、実は「都合のいい弱者として甘える」のってだいぶプライド傷ついてストレスがたまるからで、それをSNSで愚痴って発散したりするわけだ。お金貰ってるから耐えるべきなんだけどね。
誰も愛される方法を男の子に教えないのが問題だと思う。女性は嫌というほど広義の意味も含めて「それじゃ愛されないよやばいよやばいよ」と言い続けられ、それで苦しむ人もいるくらい「愛すべき存在であれ」と教えられる。たぶん世界中で。一方、男は「強くなればなんでも手に入るぞ!弱いと悲惨だぞ!」と言われ続けてきた。どちらも苦悩は産んだが厳しい環境で生き残るためには間違いなく有用だった。
そして現在、女の子は以前ほどじゃないがやはり「愛されないとやばいよ!」と言われつつ「就職できないとやばいよ!」と言われ、メイクは必修科目ファッション誌は教科書という勢いで両方当然のように学ぶ。大抵の女子は愛されパワーと学力総合点で人生を考える。一方男の子はマネーもまた強さになった以外は相変わらず「強くなったら色々手に入るぞ!」と言われ続け、愛される術は教えてもらえない。ナンパ術は習えるが、それらは拒否されない技術であって愛される技術とは別のものだ。なので、女性と大差ない収入の人は愛され技術の差で女性に大きく水をあけられてしまう。しかし、そもそも愛され技術(恋愛だけじゃなく友達とケアし合うなど)の存在を認知していないので「所詮女性器のおかげじゃないか!」と憎しみを募らせる不幸がある。ちなみに本当に女性器だけの人は、やり捨てされるだけで愛はもらえないぞ。可愛いからってわがまま放題してるように見える人も、自分は人を愛してなくても愛される技術(所謂駆け引き)は行使してる。木嶋佳苗だってセックスなしの段階でも散々男ひっかけてるだろ?ヒモ(専業主夫じゃなくガチのヒモ)の男性もそう。
許されイケメン、またはコミュ強も最初から許されてばかりじゃない場合の方が多いからなあ。極端な例だけど、ナンパ師だってほぼフラレてその中から幾ばくかの成功を得てるわけで。今許されてる人は学生時代から何度もそういう思いして、だんだん許され力をつけてきたわけで。
いやいや学生時代から一軍いたじゃん!って思うかもしれないけど、彼らも内部ヒエラルキーに疲れつつ頑張ってもふとしたことからアイツイタくね?とか調子のってね?とか言われる綱渡りを続けてきたわけで。少なくともモテ女モテ男と言われる人たちは入学前からワックスやアイロンの使い方だの話題の振り方だの必死でやって、友達づくりも漠然とじゃなく脳みそフル回転でやってたと思うよ。そりゃ天然美男美女や愛されキャラはいるけど、それは一握りで大抵は早起きしてメイクやセットしてるし夜遅くまでラインのチェックしてる。
ちなみに自分は非モテ側で、兄弟が所謂一軍で頑張ってたのを見てた立場。子供心にあんなの自分じゃ無理だと思ってたし、今でもあれでモテない方が理不尽だとさえ、勝ち組社会人になった兄弟を見て思う。羨ましくなかったわけじゃないけど、とても兄弟にお前はいいよなちやほやされてなんて言えない。でもそれは自分が「努力が必要で努力の仕方もお手本がいたのに努力を放棄した」人間だからなのかも。最初から努力必要って教えて貰えなかったら、おかげで人生台無しだって思ってしまうのかも。
私は旧帝大学院で情報工学をやっていて22卒というのに分類されるものだ。3月から日系大企業の就活を受けてきた中で、これまで受けてきた企業や並行して受けている外資に比べて面接でのストレスが溜まりまくったので駄文ながらここに吐き出しておきたいと思う。
就活は去年の終わり頃に始めていて、所謂コンサルチュアと日本人なら聞いたことあるだろうWeb系の内定を手に入れた。ただ自分の中で計算機科学の知識を生かしてソフトウェアエンジニアとして働いてみたかったのでメーカー系が選択肢として浮上し、いわゆる電機メーカーやら自動車メーカーの大手日系企業を受けた。
正直それまでは日系企業・大企業は堅苦しくてあんまり内製しておらずマネジメントばかりだとか配属ガチャなるものがあるとかというので敬遠していたのだけれど、色々な企業説明会に参加する中で少しずつそういう風潮が変わってきているんじゃないかと感じられた。そこで選考を受けたのだが、書類選考は全通過したが一次面接で落ちまくる。落ちる理由として申し込んだところと自分の想像してる仕事内容に微妙に乖離がある事が多い(インターン経験がないので)ことや研究開発職に申し込んだので単純に他の応募者が優秀なのもあると思うが、選考中の面接で個人的にストレスを感じた点をあげていきたい。(勿論これは学生就活生側の一方的な立場で、企業側面接官側の立場では的外れと感じるところはあると思う)
コーディングテストやら知識問題やらあるけど落ちたことはない。散々コーディングテストしてきた中で問題の難易度が一番高いと思ったL社も一発で受かるくらいの実力はある
WebアプリやGUIアプリ、自作〇〇などの車輪の再発明してみる系など
そんな面接のスタイルで何がわかるんだよっていうのがある。例えばWeb系だと熱意とスキルが重要視されてると感じたし、今受けてるみんな知ってるG社はオンライン面接で問題を解く中でスキルと課題解決能力、コミュニケーション能力を測っているんだろうと感じた。しかし日系企業は過去の経験を話すだけの誤魔化しがきくものだし、そのなかで謎にチームワークを組んで困難を乗り越えたエピソードがある人が評価されるという仕事に繋がる能力との根拠も分からない要素で採点されているのが本当に分からない。別に技術力ファーストだとは思ってなくて同期には研究でめちゃくちゃ優秀なやつもいるしそういうのもスゴイと思うのだが、それ以上に自分の能力がなくても苦労して分かりやすい凄そうな結果を得られた人を評価する雰囲気が感じられるのだ。言い換えるとヤンキーが良いことした方が評価高いパターンだ(自分としては普段からコツコツ努力していざというときには大した努力をせずに結果を出せてしまう方が評価するべきだと思っている)。
結局ニンゲンは評価する側の尺度でしか他のものを測れないと思うので、さして多様な評価軸になってないと感じてしまう。まぁそれで日系企業は成功しているのだからこの風土は変わらないのだろうね……。
あと以下に自分がされてよく分からなかった発言をまとめる(あくまで一部企業で言われたことです)
こうやって書いてると、特にトップクラスの外資系企業やWeb系は採用過程で本当は能力ある人に偽陰性を出してでも偽陽性(=実力なく企業に入られること)を弾く傾向があるのに対して、日系企業は面接官に合うかどうかに比重を置いたランダムサンプリングな感じが、自分のこれまでの努力を無下にされた気がして不愉快なんだろうなと思いました。
あーー新卒で600万くらいくれてエンジニアさせてくれるところないかなぁ〜〜(みんな知ってるG社は受かると思ってないのでね)