ネットではリベラルという言葉の胡散臭さはとっくに知れ渡っているところだし、リアルでもリベラルが直接名指しされたわけではないけど属性として重なるところの多い「デモで声をあげる市民団体」が広く世間で嫌われていたことが朝日新聞の世論調査で明らかになったりと、けして風向きが良いとは言えない中で、それでもリベラルを自称できるのってメンタル強いな~って思う。
原義的なリベラル思想を否定する人はあんまりいないけど、所謂”リベラル勢力”に対して嫌悪感を向ける人は少なくないでしょ?
それでもリベラルを名乗る人はどういう精神で名乗り続けているのだろう?
世間に叩かれているリベラルはリベラルの中でも一部のヤバい奴らであって真っ当なリベラルである私たちは何を恥じる必要もない、という考えなのか?
リベラルに否定的な視線を向ける世間が間違っているのであって正しい私たちが何を曲げる必要もない、という考えなのか?
例えば、俺はオタクで、オタクが非オタクに比べて頭のおかしい人間が多いことも、そうした頭のおかしい奴らが基準にされてオタクという属性全体に偏見を向けられることがあることも承知の上で、それでも自分個人は世間に顔向けできないようなことをしているつもりはないからと恥じ入ることなくオタクと名乗っているけど、それと同じ気持ちなのかな?
でも正直俺は、それは趣味の分野だから言えることであって、政治や思想的な分野ではアレな奴らと思われがちな属性を自分で名乗りたいとは思えない。
個人の権利や多様な生き方みたいなものは大切にされるべきと思うし、女性の社会進出は妨げられるべきではないと思うし、同性愛者も異性愛者と同じように認められたらよいなと思うから、俺もイデオロギーへの拘りが薄い一般人が深く考えずに賛同するレベルのリベラル思想には賛成していることになるとは思う。
でもだからと言って、何かにつけて他者に文句をつけ抑圧的に振舞い、救うに値する弱者と値しない弱者を自分たちの物差しだけで切り分け、弱者救済を錦の御旗に現実的なコストを無視して急進的なやり方で人々の安寧を破壊し、社会的優劣の序列を変えただけで本質的には既存権威と同質の傲慢さを持つ、”リベラル勢力”は大嫌いだし、そういうった人たちと同じカテゴリに入れられるのなんて想像しただけで反吐が出る。
左翼とか反体制とか言うと人が近づかないじゃん? リベラルって言っとけば騙される人がいるから名乗ってるのよ...シッテタ?