母の日、所謂最近の令和的意識の世の中のなかでは、こう言われるべきではないだろうか。
「感謝するべき母親がいない人の気持ちを考えたことありますか?」
ここでの「いない」には色々な意味合いがある。
まず物理的な意味で母親がこの世にいない(死亡・行方不明)ということや生きてはいるが連絡が取れないということ(音信不通・離婚して会えなくなった母など)、
あるいはとても母親に感謝できるような生い立ちではないということ。
そういった人たちに対してなぜ「配慮」するべきという話にならないのだろうか。いつもあんなに繊細に戦うのに。
またまったく別の切り口になるが、そもそもこの現代母だから父だからというのもなかなかナンセンスのような気もする。
同性カップルの元で里子を育てるという話とか、そういうものと恐らく正面衝突する。
この辺不思議でたまらないのだが、まあいつも何かにつけて繊細に怒る人にとって、おそらく母の日は都合のいいイベントなのかもしれない。