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2023-12-19

ジャン・レノ

ウォウウォウウォウ

泣いてる

2022-12-13

ビートルズ

https://togetter.com/li/1997468

 

塙「最近ようつべですごいバンドみつけたんですよ」

土屋ユーチューブな、Youtube。それでなんてバンド?」

塙「ビートルズっていうんですけど」

土屋「うん、みんな知ってる。むしろ今まで知らなかったの?」

塙「いやー!最初ずうとるびパクリかと思いましたよ」

土屋「逆逆、ずうとるびビートルズパクリ

塙「ビートルっていうのは、羽の生えたかさかさ動く茶色い虫のことで」

土屋「嫌な言い方するなよ。カブトムシでいいだろ」

塙「それで、4人組のバンドで」

土屋「まあ、知ってますけど」

塙「ジャン・レノ

土屋ジョン・レノンな。それじゃフランス俳優なっちゃうから。」

塙「ポール牧

土屋ポールマッカトニーな。牧だと指パッチンなっちゃうから。」

塙「ジョージ・ハリスンフォード

土屋フォードはいらない。ハリソン・フォードと混ざっちゃってるよ」

塙「りんご娘

土屋「なんで青森ロコドルなんだよ、王林ちゃんとは何回も仕事してんだろ」

塙「間違った、りんごちゃん

土屋「だからなんで青森モノマネ芸人なんだよ。青森から離れろ」

塙「ああ違った。りんごすった」

土屋ベタダジャレだな。昔の缶チューハイかよ」

塙「あとオノ・ヨーコ

土屋オノ・ヨーコメンバーじゃないですよ」

塙「オノ・ヨーコのせいでビートルズ解散しました」

土屋微妙真偽不明なこと入れてくんなよ、訴えられるぞ」

塙「オノ・ヨーコDAIGOの遠い親戚です」

土屋事実だけどもはやビートルズ関係ないな」

塙「それで代表曲なんですけど、まずは『ヘルプ!』、なんでも鑑定団テーマです」

土屋「いや事実だけど、事実だけど…

塙「あと、イトーヨーカ堂レジヘルプテーマです」

土屋「それも事実だけど…

塙「レット・イット・ゴー」

土屋「レット・イット・ビー」

塙「イエローサブマリン音頭

土屋音頭はいらない、微妙に別の曲になっちゃうから

塙「ハローグッドバイ

土屋「ていうか俺らハローグッドバイネタやってるだろ」

塙「あ!そう言えばそうだ!なんか見たことある曲名だな―と思って」

土屋「知らないでやってたのかよ、すごいなお前」

塙「いやー、なんか変な歌歌うからどうしたのかと思って」

土屋「お前いつか怒られるぞ、いいかげんにしろ

二人「どうもありがとうございました」

2021-05-04

マクガフィンについて【2021/05/06誤字訂正】

 フランケンハイマー監督映画RONIN』は、ソ連崩壊の余波が残る90年代作品であるソ連崩壊した頃は、生活に困ったソ連の元・軍関係者兵器第三世界テロリスト密売する可能性や、ソ連という敵を失ったことで欧米諜報機関人間リストラされる可能性が取り沙汰されていて、そのような世相が同作品には反映されている。

 ロバート・デ・ニーロ(主人公)、ジャン・レノらが演じる「ソ連崩壊に伴って仕事を失った東西諸国諜報機関の元・工作員たち」が、アイルランド人らしき女性からリクルートされて、フランスニース滞在中の元・ソ連関係者と思しき男たちの持ち歩いている「怪しいジュラルミンケース」を強奪する非合法ビジネスに挑む…という話である

 このジュラルミンケースを巡る争奪線として物語は進行するが、その中身が何なのかは最後まで明かされない。ただ「非合法な真似をしてまで欲しがる人間たちが存在するような『物騒な何か』なのであろう」とだけ、観客には理解される。しかし、そのような理解物語の進行には十分なのである。この映画におけるジュラルミンケースのような、物語進行上の小道具マクガフィンと言う。

 マクガフィンマクガフィンとして機能しうるのは、物語の語り手と観客が「世界観」や「状況認識」や「常識」を共有しているかである新聞ニュースを通じて、冷戦下における東西諜報機関の暗闘や、北アイルランド返還要求してテロ活動をしていたIRA存在ソ連崩壊に伴う兵器拡散危機などについて既に了解しているからこそ、たとえジュラルミンケースの中身が判明しなくても、観客は物語を読み解くのに支障が無いのである。ちなみに、主人公たちをリクルートするアイルランド人らしき女性が、物語の冒頭で主人公たちに対して「私はディアドラ」と名乗る。これは、日本人に擬えると「私は花子」と言うぐらい「平凡な名前すぎて逆に偽名クサイ」という描写とのことである。「アイルランド人」らしき人間が「偽名」で接触して「非合法ビジネス」を依頼してくる。となれば、90年代フィクションにおいては「IRAか?」と推測するのは観客にとって極めて自然な成り行きであった。このような社会的知識認識を持たない人間が『RONIN』を観ると「何だかよく分からない話だった」となるかもしれない。

 さて、海賊漫画について言及したところ「『海賊王』の定義がハッキリしなくても、マクガフィンなのだから問題は無い」との意見が見られた。しかし、端的に言えば『海賊王』はマクガフィンとして機能していない。何故ならば、物語世界法則や状況に関する「確固たる土台情報」が与えられておらず、ジャンプ読者は共通認識を持っていないかである

 海賊漫画は、政治・経済軍事警察法律社会体制キャラの強さの根拠尺度海賊稼業が成り立つ社会の仕組みなど、全てにおいてアヤフヤである

 海賊漫画に比べると、まだ『パイレーツ・オブ・カリビアン』の方が、海賊冒険物語としてはマシな方である。それが成立するのは何故かと言えば、以下のような「世界認識」が朧げながら観客に共有されているかである

 我々の世界での海賊歴史は、ヨーロッパのような国々があり、中南米アフリカアジアのように植民地とされた地域があった。海賊たちは、国家の軍や警察の力が及びにくい地域で略奪・誘拐などを行い、時には国家から許可を受けた「下請け業務」として海賊業務を行っていた(このような海賊船は、所謂piratesではなく「私掠船privateer」と呼ばれて区別される)。

 国家下請け業者としての海賊が成り立っていたのは、ヨーロッパの国々が互いに覇権争いをしていたかである競争相手国の船が、私掠船にとって獲物であった。

 覇権争いをしてまでも植民地にした地域には、金銀や宝石鉱山が有ったり、香辛料農産物の産地であったり、サトウキビコーヒーなどのプランテーション農園を作って労働力に使う現地住民がいたり、宗主国がそこに侵出する様々な経済的動機があった。

 植民地域と本国との間で行われる貿易関税を逃れて密輸するのも、海賊仕事の一つであった。

 海賊が略奪した貴金属貨幣や物品、誘拐した人間を欲しがる人間が、宗主国植民地域に「顧客」として存在し、また略奪や誘拐ビジネスで富を手に入れた海賊が消費活動を行なって、植民地域の経済圏に金を落としたからこそ、海賊稼業も成立していた。

 海賊は、社会から孤立しては成立しなかった。

 このような大まかな共通認識が観客にあるからこそ映画パイレーツ〜』も成立するのである。これに比べたら、如何に海賊漫画がアヤフヤなまま連載を続けて、本来は連載初期に描いておくべきであった、読者が物語を読むための足掛かりにするべきことを何も描いてこなかったのが一目瞭然である

 「パンピレホニョンに俺はなる!」と言うだけではマクガフィンにはならない。

【2021/05/06誤字を指摘して下さった方、ありがとうございます。】

2019-11-05

映画タイトルがわからないよー

ここは集合知に頼ろう。

ジャン・レノ主演。イタリアかそこらへんのある街に、映画キャストを発掘する為にきた彼はオーディションを開催す。

参加者からオーディション費用徴収するが、実はペテン映画オーディションも嘘。

そうとは知らず街の人々は明日の大スターを夢見てオーディションにくる。

ある人は、街のフィクサーであり武勇伝を語り、またある人は同性愛である事を隠しながらも銀幕デビューを夢見る。

少し知的障害を持つ少女出会って惹かれ合うが、彼の嘘が街中に知れ渡ってしまい袋叩きと刑務所行き。

出所してきた時には、彼を迎え入れる者はおらず、かつて愛した少女は彼がいない間に男たちのいい玩具として扱われ、心を壊して修道院保護施設暮らしていた。

....っていうのを覚えてるんだけど、誰かタイトル知らないですかね?

検索しても見つからないんだよ。

2019-06-03

anond:20190603162431

ジャン・レノじゃなくてゲイリー・オールドマンに向かってたら上映できない感じの映画になってそうだ。

2015-06-22

実写化アレルギー」と呼ぶのは狭量。

やあクソムリエこと、元増田だ。

今回も結論から言えば

スギ花粉にすぐ反応してクシャミばっかりする人たちに、私は心底うんざりしているのだ」

ってのは、ちょっとどうかと、俺は思う。

ソムリエという職業について。

ヒドイ自称をしてるが、俺は映画ドラマエンターテイメントが好きだ。

(作品を貶すよりも)鶴を見つけたと叫ぶ方が有意義だと思ったから、そうした。

批評家から酷評されようがファンからブーイングを受けようが映画館に足を運ぶのは、そこに輝きがあるからだ。

例えば昨今のイカ人気に便乗するなら「ザ・ビースト/巨大イカの逆襲(1996)」というパニックムービーがある。(日本では劇場未公開・TV公開)

娘に海の無慈悲さを説く主人公である父親には(ゴジラ作品に通ずるような)自然への畏敬がある。

ただ、有り体に言ってジョーズの何番煎じかの作品で、秀作とは言えオススメするのは難しい。

しかし、単なるパニックムービーに深みを与える演技を魅せた主人公William Petersenは、

CSI:科学捜査班(2000~)」でギル・グリッソムを演じ、ハリウッド殿堂入り果たしている。

まり、どんな作品にもそこに関わった人間の思いが込められているし、

駄作と酷評されるような作品にも、愛と信念を持って臨む人間が居る。

映画には人生を変え、夢や勇気を与えてくれる力があると思う。

しかし、時間は有限だし、丁寧に観る人ばかりでは無い。

slinky_dog_s11さんに対する返信

こちとら最初から「何が(何を持って)成功か失敗か」という話はしていないんですよ。論点分かってくれ。 /この人のように実際に観てから言ってる人には何も言うつもりはないんです。

id:slinky_dog_s11

十分に論点理解した上で書いたが伝わらなかったのは俺の力不足からだろうし、

これが個人攻撃に見えてしまったり、曲解した上で叩いているように見える可能性もある。

ので、ゴリッとidを入れておいたので、不愉快に思ったら手数をかけるが削除申請して欲しい。

  • 「実写」なんだから違って当然。細かい差異をアゲツラウのは見てて不愉快
  • 実写化」に即応しすぎ。実写化された「後」に反応しても良いはず
  • そういう風に騒ぐ人が「本当に嫌い」

少なくとも「自分の好悪」であると主張しているのは、俺は好ましい態度だと思う。

からこそ、共通点を探ろうとブログを読み(slinky_dog_s11さんの好きであろう)ゴジラシリーズを週末かなり観た。(正直キツイ時間かかった……)

だもんで例示としてあげるのはローランド・エメリッヒ監督Godzilla(1998)にするが、

俺は、パニックムービーとして良く出来ていると思う。ジャン・レノも良い味出してるし。

しかし、「ゴジラ」ファンがこれを「ゴジラシリーズ」として認めるかは、意見割れると思う。

ゴジラ(1954)にある自然への畏敬や人間社会への風刺はホトンド無いし、

フォーマットとして確立していたゴジラvs怪獣という点も無く、独立している。

そもそも、それまでのゴジラの造形からまりにもかけ離れている。

こういったハリウッド化が何度も繰り返され、slinky_dog_s11さんの好きなゴジラ特撮が、

そうではない別ものとしてハリウッド化が何度も何度も繰り返し為されていたとしたら、

ハリウッド化!」に対して「もう止めてくれ!」と叫ばないだろうか。

それを、「ゴジラを見ていないし思い入れも無い人」が「ハリウッド化に騒ぐ特撮クラスタは目障りだから止めろ」と言ってきたら、

ゴジラ好き」達は、素直に「次こそはという可能性もあるから黙って待つか」と思えるだろうか。

実写化」は本質じゃないし、「差異を叫ぶ」のも本質じゃない

そもそも「実写化」というのは別に本質じゃない。次元を超えるせいで、単に目立つだけだ。

例えばリメイクリブートコミカライズノベライズもっと言えばアニメドラマシリーズものだってそうだ。

第三者が別のキャンバスを持って現れ、横で少し真似た絵を描き始めた

http://blog.goo.ne.jp/yukks453145/e/12eb31fc9d5080c07c838ef6fb4ea238

slinky_dog_s11さんも書いてるよな。的確な比喩だと思う。

自分の好きな絵の名前で「これこそが名画でござい!」と模写を披露してるのを、見るわけだ。

その模写は、原作の絵を知っている人間が見ると、とんでもない模写なワケだ。

もしくは、「トンデモナイ描き方を始めた」ように見えるワケだ。

でも、ソレ(実写版)は、間違いなく作品群の一つになる。

例えば最近だと寄生獣(2014, 2015)があるな。放射性廃棄物を使った演出で、一炎上あった。

個人的にはね、ミギー阿部サダヲの名演とか、寄生獣を実写で見られたというワクワク感も無くは無い。

でも、あの映画があると(あった事実は消せないよな)「寄生獣っていうのは、ああい思想作品なんだ」として記憶される訳だよ。

主人公寄生する謎の生物であるミギーもさ、「なんかヒョウキンなバケモノが腕についてんな」という評価になるわけだろ。

人間から見たら冷酷な(でも事実を言ってるだけの)ミギーに対する違和感嫌悪感、そこからの「共生」みたいなものは読み取れないわけだ。

漫画を読んだら判るはずの良さが、映画を観た人には伝わらない。

観た人に演繹されて「ああ、原作もこういう作品なのね」と思われると想像して当然だろう。

そして、そうなるであろうという不信感・違和感が、「止めてくれ!」と叫ばせるわけだ。

「ここが違う」「そこが違う」として細かな差異をアゲツラウってのは、本質じゃないと思う。

それは「不安だ!不信感がある!」という違和感を上手く言語化できないだけじゃないかと、俺は思う。

しろ初期の段階で騒ぐべきなんじゃないの?

俺は、初期の段階で騒ぐのは良いことなんだと思ってる。

少なくとも、熱心なファンが居ることは伝わるわけだし、プレッシャーもかけられる。

島本和彦みたいに「原作を変えたんだから、実写も変えろ!」みたいな面白しなくても、伝わる可能性がある。

  1. 実写化進行中の、作品完成前
  2. 実写化が終わり、公開中
  3. 公開が終わった後

騒ぐタイミングって、上記の3ヶ所しかない。

そして、この中で、作品がより良くなる可能性があるのは1番しか無い。

から、「実写化!」にファンが即応して「マジかよ!」と叫ぶのは合理的だ。

実写化」への嫌悪ではなく、「邦画界やテレビ局への不信」なら、最初に叫ぶべき

俺は、ブコメでも言及されていた「るろうに剣心(2012)」を邦画と呼ぶのには強い抵抗がある。

るろ剣に関しては語りたいことが山ほどあるが、本筋ではないのでここには書かない。需要も少ないだろうしな)

それぐらい、「邦画」界や「ドラマ」界隈ってのは特殊で、ハッキリ言って漫画アニメ実写化するには向いてないと思う。

からこそ、Twitter等でファンの声を製作者側に伝えられる機会があるなら、もっともっと騒ぐべきなんだと思ってる。

そして、そういうファンの存在を「受け入れがたいので目を背ける」コトが出来ずに「本当に嫌い」として黙れというのは、狭量じゃないかな。

http://anond.hatelabo.jp/20150619121107

(※追記:Twitterみたら個人攻撃しか見えない感じになってたので題名修正。あと、ゴジラ24本観終わったので、残り6本のはずだが近所でレンタルしてねえ……)

 
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