はてなキーワード: 悲鳴とは
っておかしくない?将棋の不正疑惑の件について。チェスでは間違った告発をした人にはペナルティーが与えられるらしいってことで、今回の件で5人前後とされる告発者の名前を公開して処分しろっていう声が出ている。
いやいや、それっておかしいでしょう。お隣さんから尋常ならざる悲鳴が聞こえて通報しました。結果として間違いだったので通報者を逮捕しますってなりますか?人として謝罪はした方がいいかもしれませんが。
悪いのは告発した人ではなく、白か黒かも分からない(しかもこれからも白黒はっきりさせるつもりはない)のに「三浦九段は不正を疑われました」って公表したこでしょう。だから告発したもん勝ちみたいな魔女狩り状態になってる。
彼女は、深夜25時頃に、突然酔っぱらってやってきた。
来ることは事前にLINEで分かっていたが、玄関前に来るやいなや、
「ほら、襲わないなら、襲うぞー」
びっくりして飛び起き、仕方なく家にいれてあげた。
これが失敗だった。
「襲うのは無理だよ。しかも、だいぶ酔っているようだし、ベッドを貸してあげるから寝たら?」
と諭してあげた。
これが余計な一言だったらしい。
逆効果だった。
むくっと頭をあげて、唸り声をあげた。
「うぉおおおおおお、ごぉおおおおおおおおお」
カバンからサーモンメタルバットを取り出して振りかざしてきた。
「ちぇすとぉおおおおおおお」
反復横跳びが得意だった私は、運良く横飛して交わすことができた。
年中だしっぱなしのこたつを叩き折り、
それを見て、ふと鏡開きを思い出した。
「ぎぃいいいいいいいいい」
外したことがよほど悔しかったのだろう、
右手の親指で私の眼球を狙いに来た。
運良くか悪くか私の口の中に飛び込んできた。
「あああああ、ああぎゃあががああがああああっががああああ!!!」
彼女が全身全霊で絶叫したと同時に指が噛み切られた。
彼女は、よほど痛かったのだろう。その場でのたうち回っていた。
私はそれを見て、ふと船上にあげられた鮭を思い出した。
口の中には親指がはいっており、つけ爪がやけに嫌ーな感じだった。
しばらくすると
「ぁがーぁがー」と小さく唸りだし、
夜の中野へと消えていった。
大卒の人が大卒は正しいと喚く記事を読んで、学歴コンプレックスっていうコメントを見たわけだけど、これって学歴コンプレックスとは違う何かじゃないかなあ。
抽象的なはなしだけど、多分その記事の筆者は(そして多くの人は)「幸せが確定するチケット」を求めていて、この20年位、それは大卒の肩書だと思われていたし、購入者もそう信じていたのではないかな。
彼が記事の中で肯定しようとしたのは「大学卒業資格は人生を幸福にする」ということそのものではなくて、「過去自分が行ったチケット購入判断は間違っていない」ということなのだとおもう。
彼が守ろうとしたのはは「大学卒業資格は人生を幸福にする」という事実ではない。もちろん「幸福」ってのは主観的なものなので、統計で一刀両断にはできないんだけど、経済的な側面で言えば、大卒資格者のほうが高卒資格者よりも、生涯賃金が大きくなるというデータが有るのでそれですむ。示す必要すらなくて、彼自身がその統計を見て「そうだな」と思えばそれで済むので、そもそも記事を書く動機にはなりえない。
そういう経済面に限れば、大学卒業資格というものが、100%確定ではないにせよ確率論的にはある程度効果のあるチケットだったっていうのは有る。しかしそれは同時に、「確率論的」「ある程度効果のある」にすぎないわけでもある。「それを購入すれば購入者は確定した幸福を保証される」わけではない。効果の程は購入者によって程度の差がある。
(そもそも大学というのは研究/教育機関なわけで、そこに「幸せ」なんて主観的な、しかもチケット一枚で生涯を保証するようなものを求められても、大学側は「知らんがな、困るがな」でしかない。この件で大学が悪いわけではない)
筆者が守りたかったのは、「俺は大学を出て幸福だ」という以上の、もっと広範な「大卒チケットを購入した人間は幸福になれる」という「世界観」だったのではないか。それはすなわち「過去自分が行ったチケット購入判断は間違っていない」という保障でも有る。もうちょっと踏み込むと、「攻略法Xを実践すれば人間は幸福になれる」みたいな思想なんだとおもう。そして、これは、すごくわかる。
人間は日々を生きる上で脳みそ空っぽで生きるのは難しい。どうすればうまくいくか考えちゃうし、試行錯誤しちゃうし、うまく行けば嬉しいし、失敗すればなにが悪かったか考えてしまう。「セカイには攻略法が有るはずだ」って思想は人類進歩において巨大なアドバンテージだった。それは、自然科学分野においてはおおむね正しい。背景には物理法則があって、同じ入力には、同じ出力が返ってくる。技術研鑽や職人的な人生においても、概ね正しい。そういう態度で経験を扱えば、一定の知見が得られる。
だから「攻略法Xを実践すれば人間は幸福になれる」みたいな思想はすごくわかるし、自分を点検しても、この類型は形を変えていくつも発見できる。
でも実際問題、本当にこれが正しいかって言うと、ぜんぜんそんなことはない。人生という関数は入力が同じでもその個人ごとに出力がぜんぜん違うようだ。そもそも「同じ入力をする」ということ自体が人知では制御できないほど難しい。双子なのにぜんぜん違う人格になったり将来を迎えたりするわけで。人生という巨大関数はすくなくともワンチケットでフリーパスになるほどちょろいものではない。信用できるデバッガもない。
でも、その事実はかなり痛みを伴う。「人生に攻略法がない」というのは(もちろん確率論的にだが)「どんなに頑張っても不幸にしかなれない人間が存在する」ということを意味するからだ。
(※もちろんこれは一部宇宙の事実と異なります。瞑想とジョギングと野菜はすべての人生を攻略します。Yes、ぶくまますたー!)
そんなわけで、件の記事はなんだか悲鳴のようにも聞こえた。「この世界に攻略法は有るよ、ぼくらが幸せになれるチケットは実在するよ! ボクの過去の努力コスト支払いは間違ってなんかない! なぜならボクはいまそのチケットで暮らしているからだ!」――あの記事で筆者が説得したかったのは、誰より筆者自身だったのではないかと思う。
同様の光景はあちこちで見ることが出来て、それが先鋭化すると、論理が逆流を始め「(大卒資格が幸福チケットであるという)世界観を守るために、高卒以下の人間は不幸でないとならない」な方向に拗れてしまう(連中は全員DQNみたいな発言)。そうなると地獄の二次生産だ。だがどちらにせよ、それは学歴コンプレックスと言われているものとは、隣接しているけれど、もっと何か違うものなのじゃないかと思う。
タイトルの通りのことを書く。結論から書けば、高橋まつり氏は「そんなに電通の仕事が辛いのなら辞めたら良いのに」「休んだら良いのに」というアドヴァイスを受け取っただろう。だが、その言葉は彼女を今後の新たな可能性に導く「希望」としてではなく「絶望」として聞いたかもしれないという憶測である。それを証明するために私のことを書く。
私はメンタル面で問題を抱えているので、彼女のように長時間の労働条件で働いているわけではない。むしろフルタイムで働いている人間よりもゆとりを持って働かせていただいている方だろう。そんな人間が彼女のことを我が身に引きつけて書くなどちゃんちゃら可笑しいことは分かっている。実際に「ワープア気取りのパラサイトのクズ」と罵倒されたこともある。
そんな私だが、仕事面で厳しいことがあった。詳しいことを書けば身バレが生じるので書かないが、職場でそれなりに経験を積み仕事の実績が認められ高いポジションまで昇進させていただいたのだ。だが、上司が変わって職場の空気が変化し、不器用で仕事をロクにこなせない私の成長は頭打ちで止まってしまい厳しい環境に置かれることとなった。パワハラにも遭った。
そんな私に対して、「辞めたら良いのに」というアドヴァイスをしてくれる方が現れた。私の場合は「仕事内容があなたと向いていないのなら辞めたら良いのに。あなたはそんなに大企業に勤めているのだからあなたが居なくなっても代わりの人間はすぐに補填される。されなかったとすればあなたは余計な労働力だったということなのだ」と。
それに対して私は「辞めても良いんだ」と「希望」を得ただろうか。逆である。私は「自分の代わりなど幾らでも居るのか」という「絶望」を感じたのだ。
高橋まつり氏に対して転職を薦める方は多かっただろう。私は大企業と言っても本当に末端なのでこの年齢に至ってもロースペック、転職などにっちもさっちも行かないという有り様である。彼女は「電通」という大手広告代理店で責任あるポストを任されて働いていたのだ。「第二新卒」としての転職は容易だったかもしれない。
だが、彼女が尋常ではない精神状態に追い込まれていたとしたらどうだろうか。転職するゆとりを心理的にも物理的にも持つことは不可能だったのかもしれない。だからこれはあくまで可能性、「自分語り」の延長上で推し量るということになってしまうのだが(それがどんなに汚らわしいことかも分かったつもりで敢えて書くが)、彼女が同じ「絶望」を感じなかった可能性はないだろうか。
彼女は真面目であったことは多くの証言が示す通りである。だからこそ、パワハラやセクハラに耐えながらも「自分はこの仕事に耐えなければならないのだ」と意志を固めていたことは想像に難くない。だが、その「意志」が脆くも崩れ去ってしまうようなことが生じたとしたら? 「辞めたら良いのに」という言葉がその致命傷になる可能性はなかっただろうか、と書きたいのだ。
むろん、私は一介のネットユーザーに過ぎない。だから全て「想像力」に頼った上で書いている。まるで頓珍漢なことを書いているかもしれない。そのあたり、語弊があればお詫びする。ブログを「自分語り」で汚したくないので敢えて増田で書くが、必要なら名を明かそう。それくらいの覚悟は出来ている。容赦ない意見を頂戴出来ればと思っている。
また、私はなんら代案を示せていない。「ではどうしたら良かったのか」という肝腎な言葉には答えられない。私に言えることと言えばせいぜい「働き方のあり方が早急に見直され、悲鳴を上げる労働者にメンタル面でのケアを」と言った凡庸なことに過ぎない。その批判も甘んじて受け容れる。
最後に、このような「自分語り」でその死を貶める結果となってしまったことに対して、特にずっと諦めずに戦い続けていた高橋まつり氏に深く謝罪する。その上で――白々しく響くのを承知の上で――敢えて書く。
体育祭出ないんですか?って聞かれたので、
そんなの出るわけじゃいじゃないのって答えたんだけど
社会人選出枠もあるらしくって、
飛び入り参加出来るんですって。
知らなかったわ。
セブン&アイ・ホールディングスとして、
武井壮が得意そうなやつよ!
もう、どさくさにまぎれて、
玉入れのカゴにめがけて投げるんじゃなくて、
隣の敵のチームに玉ぶつけたりとか。
そんなことを言ってたら、
あのシーンを思い出しちゃったわ。
話変わるけど、
いつの間にか
のびのびボーイのサービスが
累計総延長1677万億7216kmに達して海王星に届いちゃったから
知らなかったわ。
あれ好きだったのになあ。
昨日の晩もカレーで
今朝もカレーよ。
まあ、美味しいからいいんだけどね。
なんつって。
ピンクグレープフルーツがちょっと飽きたなら、
ほのかに広がる甘み。
朝の糖分は身体を目覚めさせるわ。
すいすいすいようび!
今日も頑張りましょう!
息子が幼稚園で虫を殺してしまったとか。詳しく話を聞いてみると、男児らがよってたかって虫をいじっていて、最後に息子が触って死んでしまったらしい。でも半ば息子が殺した扱いになっていて、幼稚園の先生からは「もっと命の大切さを教えてあげてください」とか妻が指導されたそうな。
「いのちのたいせつさ」…? そんなことは常日頃から口を酸っぱくして教えているし、息子は毎週『ダーウィンが来た!』を見ているし、人並み以上には小さな命に親しんでいるし、人並み程度には小さな命の死を悲しむ情緒は持っている。しかし、虫の命が大切、一寸の虫にも五分の魂、というのはどうやって教えたものか、これは難しい。人は、自分から類が遠くなればなるほど、その生き物に対して親近感を覚えなくなるからだ。例えば、人が人を殺すのは絶対的な禁忌だ。場合によっては死罪になる。犬や猫などの哺乳類を殺すのも明らかにヤバい。鳥類も無理だ。しかし爬虫類になると、殺す場面を見ても「残酷な…」と目をひそめる程度で終わってしまうかもしれない。これが魚類になると、むしろ「3枚におろすと美味しそうだ」に見えてしまう。サンマなどは、泳いでいる状態でも塩焼きの図が頭に浮かんでしまう。そして、昆虫だ。
冒頭の話があったその日、家にゴキブリが出現した。妻の悲鳴で駆け付けた僕は、妻子を退避させて、ゴキジェットとビニール袋を片手に退治に乗り出した。この家で唯一のテラフォマーズたる僕は、家族を守らなくてはならない。ここは寝室なので、ゴキジェットを撒き散らすわけにもいかないので、ティッシュ+ビニール袋で素手で捕獲、しかる後に殲滅だ。
さて、捕獲したところではたと気づいた。昼間「虫といえども命を奪ってはいけない」と教えた父が、その舌の根も乾かぬうちに夜に殺生を行なうのか?
ビニール袋ごしにゴキブリを掴んだまま、しばし逡巡していると、息子が退避部屋から出てきた。「おとーさん!どう?」
廊下でゴキブリをつまんで佇む父。ゴキブリを初めて間近で見た息子は、目を丸くして、「カッコイイ…」と感嘆の声を漏らした。
ゴキブリを手で捕まえる父がカッコイイと思ったのか、ゴキブリの黒光りするフォルムをカッコイイと思ったのか、どちらかは分からない。しかし、一瞬油断して手が緩んだすきを突いて、ゴキブリはファサササ…と飛んで逃げた。
じょうじ…
まっすぐな道を腕をおおきく振りながら。
軽快なリズムで膝を高くに上げながら。
今日もいい天気。雲は手が届きそうもない高さからわたしを見下ろしているよ。
後ろでどすんと何かが落ちる音がしたよ。
振り返らずにずんずん進むよ。
さっきまで当たり前のように聞こえていた声が聞こえなくなったよ。
そしてまた道を行くよ。
まっすぐな道を腕をおおきく振りながら。
軽快なリズムで膝を高くに上げながら。
ポツリポツリと雨が振り始めたよ。
肩にも頭にも雨は降らないよ。
心の中の声も、気がついたら沢山の声と混じってだんだん思い出すのが難しくなってきたよ。
だけど振り返らないでずんずん進むよ。
聞いたこともないのに、何かが道(Road)に落ちる音が突然頭に響くよ。(Ah)
これは事実。
それでもわたしはこの道を行くよ。
この雨が本当に止むかはわからないけど、腕を大きく振りながら、膝を高くに上げながら。
鼻歌を響かせて軽く息を弾ませながら。
雨でも晴れでも立ち止まらずに。
そんな気分。
http://anond.hatelabo.jp/20161003130854
80年代から90年代にかけて、日本は経済的に豊かになった。生活が大雑把に言って誰にとってもよくなったし、多くの人が下層から中流へと引き上げられていったのだと思う。増田自身がそうだというのではなくて、この考え方がどこかにわだかまっているのを感じ取って書いているのだと思うけど、この「『景気はずっと上昇していくし、そうでなければおかしい』ってのは非常に傲慢で気が狂った意見に思えるんだけど、どうだろう?」という発想は、そうやって引き上げられて適応できなかった人たちの言葉なんじゃないだろうか。
人類の歴史のうち、記録に残っているのは紀元前精々数千年だけれど、その間でテクノロジーの進歩が止まったことはなかったはずだ。ヒトは消費を拡大し、経済を拡張し、産業を発展させて、生存をより確かなものにし続けてきた。文明、経済や文化の発展とはエネルギー消費の拡大でもあるけれど、生存をより確かなものにするためのものでもあった。
「景気はずっと上昇していくし、そうでなければおかしい」というのは、この認識に対する挑戦だと思う。つまり景気は「上昇しすぎた」ので、「おかしい」が、「おかしくなかった」水準があり、そこまで下降することが現状よりも良い、という意見だ。おそらく経済学を学んだ人なら教科書の最初の章で学びでもすることなんだろう ―― そこにはもっと簡潔で示唆に富んだ言い方で書いてあるのだろうけれど、景気は上昇しなければおかしいし、景気を支えるのは景気だ。経済は静的な系ではない。常に動的で、一時的な、その裏にある人間の日常生活を調停するメカニズムに過ぎない。
彼らの語る"適切な規模の経済"には、いつもどこかから富が湧き出てくることになっている。財やサービスが社会システムによって無から自動的に生み出され、それを絞ることで持続性を確保することになっている。そこに規模の経済などもちろんないし、需要と供給の関係もない。代わりにあるのは、供給と受け入れ可能量だ。大衆は受け入れ可能量をもち、与えられた賃金の中で供給を仕方なく消化するが、受け入れ可能量の伸びには限度がある。だから供給は低く押さえることが望ましい、というモデルだ。
景気の爆発によって、多くの人が経済や社会を自分の認識する世界と切り離して考えるようになってしまった。あるいはそういう人が新たにたくさん発言力を得た。株式市場というのは一部の人が遊ぶゲームで、経済政策は美麗字句を書いた文書に過ぎない。小さな好景気や不景気は《降って》くるもので、仕事場と帰りに寄るスーパーと自宅の外のことは、そういった仮想世界での事件とは何ら関係なく、「おかしくなかった」水準で永遠に続いていく。これらの人々は胡蝶の夢のごとくそう思い込んで、「仮想世界にのめり込むのはやめよう」と言っているようにも聞こえる。増田の意見、そしてそれに類する意見を見るたび、そういう違和感を覚える。"現実世界"から"仮想世界"のものを排除して、きれいで質素で、自分が必要だと思ったものは無から湧き出ることで変わらず存在していて、必要がないと思ったものはきちんと栓を閉めたのでどこを探しても残っていない、そういう過不足のない世界を作るんだという幻想がそこに見える。
でも、うまく言えないけど、そんな"仮想世界"はないんだ。全国で毎年数百人しか使っていない制度を廃止すると、増田の5親等先から悲鳴が聞こえてくる。平均株価が何ポイント落ちると、コンビニのジュースが何円上がる。コンビニは贅沢か。それなら上水道でもいいかもしれない。飲み水に上水道は贅沢だろうか。
経済は永遠に拡大していくという言い回し、永遠に消費は増え物価は下がっていくというモデルが今一つ心に響かないよ、という気持ちはわかる。しかしそれを理解してほしい。経済は褒めれば伸びる。ときどき発振する。抑えれば、フィードバックがかかってどんどんと落ち込んでいく。スタグフレーションは実在するんだ。支出を抑えて賃金を下げても、誰かの所得が増えるわけじゃない。金の額面は貯めこめても価値は貯め込めない。それは増田も貯金の価値が不変ではないと認めている通りだ。価値は、作らなければ、自然に風化して消えて行ってしまうんだ。
コントロールされた縮小をすれば一定量の幸福を長く保てるなんていうのは幻想なんだ。自分が理解できない経済のメカニズムをぶち壊しても、美徳や気持ちで金銭を置き換えても、その実態は通貨の名前を変えた貨幣経済だ。どうかそれに気付いてほしい。
Fラン大学エピソードを見かけたので、Gラン大学エピソードも書いておくね。
入学当初、会話がへたすぎてこういうことが多い。
男女関係なくすぐ殴り合いになる。
1年終るぐらいまでこんな感じ。
大小限らず漏らす。そしてそれを隠さない。
限度を知らず飲み過ぎて大小解放、口からも解放という人がいた。死にかけていた。(女
水辺を見つけると脱ぎだすのも大抵は女。
「ポップミュージックの考察をしてこい」という課題に、「だんご三兄弟」の歌詞を規定文字数に足りるだけリピート記述して出したやつがいる。(可
今思えば、リピート記述することで"考察してる感"を表現したのかもしれない。
「僕は"課題の提出を断る"という答えを提出します。先生はどう思う?」と言った。(可
しゃべってる人がいない。寝てる人はいる。
他の大学へ遊びに行ったら授業中しゃべっている人がいて驚いた。
また、興味のある授業に対しては生徒の熱中はすごい。
集団行動ができない(好まない)ので、サークルに入っている人なんて5%以下。
存在すらよく知らない。というかサークルはあったのか?部はあった。
できないのかしないのか?
学年の3/4以上は就職しない。
理由はないらしい。
悲鳴をあげている女子のもとへ飛んで行き、つかまえてパクっと食べる。問題解決。
ナチュラル系の小柄な女の子の腕ガァァァ!!!耳ガァァァ!!!なことが多い。
(多いぶん理解?受け止める人?というか気にしない人が多い。気にせず露出してる人が多い。)
「もうパンとワイン以外は体にいれない!」と言い放ちベロベロで学校に現れる。
科にもよるが1/3〜1/5ぐらいの人は精神病になる。
身体を拘束した上で1日過ごす実験とのこと。もちろん授業もそれでうけていた。
ガムテ臭かった。
極限まで清潔にする実験をしていたとのこと。血まみれになっていた。
研修先の施設にあった国宝級の像によじのぼって怒られる、触っては行けない絵に触るなどする(なぜか出禁にはならない
すごくまじめな人だったので驚いた。本当にまじめに触りたくて触ったらしい。(わけがわからない
尚、休憩中も全裸で学食に出入りしてオバチャンに怒られるが、懲りずに出現。割と場になじんでいる。
男女問わず、友達の1/5ぐらいの全裸は見たことがあるかも。(エロくない意味で
学祭になると、30はとっくに超えた金髪リーゼントの院生登場。
学部生が作った神輿の最頂部に登場して大暴れ。それを一生懸命運ぶ1年生。
元ヤンぐらいしか集団行動に長けた人がいないのでとっても助かる。
殴ってでもまとめてくれる。(本気で殴られるのでとても痛かったです。暴力反対!
だいたいは風化するが、たまに地域のお地蔵さんになったり行政が設置したアートっぽくなっているものがある。
学外で軽犯罪を犯すも警察で「アートです」と言い張り、大学に「アートなのかどうか」確認の連絡が来る。(アートじゃない
学校から家まで直線距離で帰ってみたかったという人が、直線上にあった民家に侵入。(警察沙汰
ホームセンターで資材運び用の軽トラを借りて、そのまま旅に出る。(裁判沙汰
こんな人ばかりじゃないけど、こんな人がわりといました。
夏休みは最悪だった。
行動すれば何か変わると思ってた。人生が好転する出来事に出会えるんじゃないかと思った。漫画的なドラマチックな幸運が訪れるんじゃないかと思っていた。
ベリーハードの人生を生きているキモイ顔と肌の恋愛負け組灰色の青春無気力アトピーゾンビに転機が訪れることはなかった。
海に行った。
半袖半ズボンで行った。水着はアトピーゾンビウイルスの汚さがさらされるのでやめた。
恵まれた健常者たちが楽しそうに人生を楽しんでいた。容姿に優れた女のほうが露出が多いのが面白かった。
アトピーゾンビウイルスの汚い肌に潮風が染みて痛かった。同い年くらいの健常者男女が楽しそうに砂浜を歩いていた。
ギャル男みたいな人たちから嘲笑を受けた。二十代女たちの笑いの対象にされた。
アトピーゾンビは友達も恋人もいたことがない。海で対称的な人生を見せられた。行かなきゃよかった。
プールに行った。
友達や家族や恋人と一緒の人が多かった。アトピーゾンビは汚い容姿と肌なので服を着て徘徊した。
アトピーゾンビの人生がいかに悲惨で不幸でつまらないでごみなのか再認識できた。よかったよかtった。
一人でプールに行っても何もいいことない。ナンパできるほど容姿に優れていれば違ったのだろうが。結局容姿がすべてなんだなと思った。
あーいやなこと思い出した。アトピーゾンビウイルス治療の影響で眉毛がなくなったんだけど、それを恵まれた他人の健常者中学生が馬鹿にしてきたのだ。まゆげねーwwwwうけるwwwwゲラゲラって感じだ。まあいいや。行かなきゃよかった。いやな思いでが増えただけだった。
夏祭りに行った。
浴衣姿の女の子が沢山いた。一生こういう女の子たちと関われることはないんだろうなだってキモイアトピーゾンビだから。と思った。
カップルも多かった。一緒にたこ焼き食べてたり祭りの外で雑談してた。楽しそうだった。アトピーゾンビの人生には一生ないイベントなんだろうなと思った。
同い年くらいの男女六人組が楽しそうにしてた。見下されそうでびくびくして下を見て早足で横を通り過ぎてすぐ祭り会場の隅っこに隠れた。
アトピーゾンビの人生には起きないイベントを当たり前のようにこなしてていいなーと思った。
あのなかで片思いや両想いの人がいるんだろうな。ドキドキして楽しいんだろうな。
青春を謳歌しているな。あのグループは容姿に優れたひとばかりだから人生楽しくて仕方ないんだろうな。
アトピーゾンビも容姿に優れていたらあの輪の中に入れたんだろうな。
その思い出が生きる活力になるんだろうな。アトピーゾンビの人生つまんないな。
生まれてきたのが間違いだったな。虐待もいじめもアトピーゾンビウイルスもなければ楽しい人生だったんだろうな。
健常者のサンドバックとして生まれてきたんだろうな。日本で一番不幸なアトピーゾンビにはいつになったら楽しいイベントが起きるんだろうな。と思った。
花火を見た
糞田舎の花火を見た。糞田舎らしく、何の感動もないつまらない花火だった。
ぼーっと何も考えずに眺めていた。周りの健常者は楽しそうにしていた。
どんな花火でもまともな家族や容姿の優れた友達や恋人とみれば美しい思い出になるのだろう。
ただつまらない思い出が増えただけだった。みなきゃよかった。
ギターを買ってみた
ギター教室に行くという選択肢も脳内にあったが、キモイ肌とでかい頭と一重と腫れぼったい唇とでかい鼻と、がさついてる顔のアトピーゾンビがギター教室に行っても、「その顔でギターwww鏡見ろよ不細工wwなんか肌キモイしwww近づくなよばい菌ww」と講師や生徒に笑われるだけだろうから辞めた。
教則本についてきたDVDをみた。顔は隠れていたが、容姿が優れてそうな人がギターを弾いていた。
二週間くらい毎日練習していたが、何が楽しいのが全く分からなかったからギターを投げ捨てた。
そもそも音楽の素養がゼロで音楽に全く興味がないことに気付いた。バンドの仕組みのことも何も知らない。有名なバンドもギタリストも知らない。
容姿が優れていて虐待もいじめもなければ友達とバンドを組んで楽しい時間を過ごせていたのだろう。
友達ができたことがないから音楽の知識がない。友達と好きな音楽の話をするような時間を持ったことがないから、人生が貧困である。
ギターなんて買わなきゃよかった。金と時間をどぶに捨てた。最悪である。
ボカロ曲を作る
初音ミクでボーカロイド曲を作って愚民どもにちやほやされようと思った。適当に既存の曲を歌わせてみた。パラメーターをいじってみた。飽きた。
そもそもオリジナル曲を作れるだけの能力がなかった。曲を作る熱意もなかった。
音楽の素養がはぐくまれる恵まれた家庭環境に生まれてきたかった。
アトピーゾンビの家にはCDが一枚もない。あるのはテレビだけ。漫画も本も雑誌もない。
そんな家のアトピーゾンビであり、人生経験に乏しい灰色の青春持ち恋愛負け組不細工愛着障害のゾンビがいい曲を作れるわけないのであった。
いい曲を作るには豊富な人生経験が必要だ。アトピーゾンビにはそれがない。
ペンタブを買って絵を描いた
ペンタブと一緒に入門書を買って数週間練習した。けど、絵を描くことの何が楽しいのかわからなかった。
今まで生きてきてまともに絵を描いたことなどなかった。一緒に画力を高めあう友達がいたこともないし、イラストレーターの名前も全く知らない。絵に興味を持ったことがない。賞をもらったこともなかった。
そして、アトピーゾンビは絵を描きたいのではなく、他人からちやほやされて承認欲求を満たしたいだけだと気付いた。
ペンタブがごみになった。買わなきゃよかった。金と時間を無駄にした。最悪である。
小説を書いた
漫画を描きたかったが、絵が描けないから漫画かけないし、しかたないから文字だけで自己表現できる小説を書くことにした。
ラノベのようなご都合主義ハーレムストーリーを書いたり、鬱屈した性格がねじ曲がった少年の孤独なニヒルストーリを書いたり、異世界物を書いたりした。全部短編だ。
しかし、どんな小説を書いても現実は何も変わらないことに気付いた。文章力がないし、ストーリ構成も稚拙でつまらない。やはり才能がないのだろう。
売れれば億万長者になれるようだが、本を一冊書くだけの能力も熱量も持ち合わせていないから無理だ。
梅原のような格ゲーのプロになれば億万長者だし、人から尊敬もされるしで最高の職業だと思った。
遊びが仕事になるとか最高だなと思った。ネットで格ゲーがうまい人が集まっているゲーセンに行った。
後ろからこっそりうまい人のプレイを見ていた。アトピーゾンビでも出来るんじゃね?と思った。
所詮ゲームだし、こいつらよりアトピーゾンビのほうが若いから技術の習得も早いだろうと思った。
なんで、対人プレイはまだ早いと思いCPUと戦った。操作方法がよくわからなかったから、適当にガチャガチャやったら負けた。次に操作を覚えながら戦ったら負けた。まったく歯が立たなかった。後ろから笑い声や嘲笑が聞こえた。
まるでアトピーゾンビの人生みたいだなと思った。負けに負けて何も得られない。嫌な思い出が脳に積み込まれていくだけ。
思えば、小学生の時、友達のふりをしたいじめ加害者の家で対戦ゲームをやらされたとき、いつも負けていたのを思い出した。
お前w何にもできないんだなw笑えるwと言われたのを思い出した。
ゲームの才能が皆無だということを思い出した。そもそもゲーム自体ほとんどやってこなかったからおそらく好きじゃないのだろう。好きではないものを仕事にするのは人生の浪費だ。やーめた。時間と金の無駄だった。
ライブを見に行った
CDで聞くよりもドラムやベースが目立ってて音がでかくてかっこよかった。
ライブに出る人は容姿に優れている人が多かった。とくにボーカルは。汚い顔と肌のアトピーゾンビがライブに出たら歓声ではなく悲鳴が聞こえるだろうなと思った。
観客は健常者がほとんどだった。健常者同士で楽しそうにライブに参加していた。カップルも多かった。
グルグル回るやつとかモッシュとかやってみたいと思ったが、きもいアトピーゾンビが健常者の近くにいると気持ち悪がられるので後ろのほうで一人で遠くから見ていた。
アトピーゾンビが健常者だったらなーと思いながら指をくわえながら観客を見ていた。
タイに行った
日本より閉塞感が無くて良かった。容姿に優れた人が少なかったので気が楽だった。町の人も緩い感じというかいい意味での適当さがあって居心地がよかった。でも、一人で行っても楽しくなかった。
容姿に優れた友達や恋人と一緒に行かないと海外旅行はつまらないなと思った。
あと、タイにも美醜格差があって、容姿の優れたもののほうが楽しそうに生きていた。
健常者ランドという名の惑星地球では美醜によって幸福度が変わるということを確信した旅行だった。
秋葉原に行った
もっと萌え萌えしてる場所だと思っていたけど、思ったより電気街っぽかった。
容姿に優れた女が容姿に優れた健常者が店員の店のチラシを配っていた。容姿に優れた男がナンパをしていた。ナンパは容姿に優れたものしかできない。キモイ顔でキモイ肌の非健常者で虐待といじめを十数年受け続けた精神疾患障害アトピーゾンビにはできないことだ。死ぬまで一生。
アキバには友達や恋人と一緒の人がたくさんいていやな気持ちになった。電車男のようなイベントはなかった。
メイド喫茶に行こうとしたが、
行かなきゃよかった。
田舎に行った
田舎の夏にあこがれがあった。沢山の緑と青い空。美しい蝉の声。白いワンピースに麦わら帽をかぶった少女。
古びた駅。川遊び。虫取り。そんな美しいものを沢山思い描いて田舎に行った。
現実では、じじばばばっかりで若い人が全然いないし、白ワンピの少女はいないし、蝉の声はうるせーし、川ねーし、駅は薄汚れてて汚いし、日陰がぜんぜんないから暑いし、なんにも娯楽施設がないからつまんねーし、自販機すらまともに無いから喉が渇くし、最悪であった。
虫取りしてみれば、蚊が沢山飛んでるし、蜘蛛の巣には引っかかるし、カブトムシはいないしで最悪であった。
カラオケに行った
ヒトカラをした。友達や恋人とワイワイやったら楽しいんだろうなと思った。もう行かない。
瞑想をした
アトピーゾンビウイルスの痒みでまともに瞑想ができた気がしないが一応手順どおりにやった。
瞑想中は虐待や虐めの記憶や、一生完治することがないアトピーゾンビの醜く赤黒い顔やカサカサの気持ち悪い肌が映像として出てきたり、灰色の青春持ちであるキモイごみアトピーゾンビとは対照的な明るく楽しい学生生活の映像が出てきた。
友達がいていじめも虐待もなくて容姿が優れていて彼女がいて勉強や運動するときにアトピーゾンビウイルスに邪魔されないで楽しく取り組める人生が映像として流れてきた。
一週間ほど続けたが、ただ苦痛なだけで何がいいのかわからなかった。やらなきゃよかった。
筋トレをした
これは今でも続けている。なぜなら自殺して死体になったときに体が軽いほうが運ぶ人の負担が少なくて済むからだ。筋肉がついてなんか変わったかというと特に変わらん。まぁそんなもんだろうな。
結局どこに行っても容姿に優れた美男美女が人生を楽しんでいる姿を見せられただけだった。
結局、容姿に優れている健常者のための世界なんだなここはと思った。
やらずに後悔よりやって後悔という言葉は恵まれた健常者なんだなと思った。
非健常者であるアトピーゾンビは行動なんてしなければよかった。苦しい記憶が増えただけだった。身の程をわきまえるべきだった。分相応の生活というのをすべきだった。
恵まれた健常者学生は夏休みには二度と戻ってこない青春時間を目いっぱい楽しんでいるのだろう。
それが生きる活力になるのだろう。そして成人しても仕事もうまくいって老人になっても穏やかでいられるのだろう。
一方、非健常者であるアトピーゾンビは両親からの虐待と同級生からのいじめを数十年受け続け、何もいいことがないから人生に。だから無気力になる。灰色の青春持ちで、仕事もやる気が出ず、首になる。
そして、人生に恵まれてきた健常者が言葉の金属バットでアトピーゾンビをぼこぼこにたたく。
健常者恵まれた人は甘えだの努力が足りないだの言ってくる。健常者より努力してるっつーの。やってらんね。くだらない人生が確定してる。健常者に負ける人生が確定してる。アトピーゾンビウイルス治療の努力は報われない。評価もされない。スキルもたまらない。生きてるのがばかばかしい。
推敲しないで書きなぐったからおかしいところたくさんあると思う。まぁいいや。
何も得られるものがなかったいろいろ行動したけど。無駄な時間と金を使った。
とにかく最悪な夏休みだった。
終わり!!!
子供の泣き声がうるさいと隣人に怒鳴られて、更に警察を呼ばれました
http://www.lili-hack.com/childrearing/2016/09/14/85/
これはキチガイ隣人以外に複数の匿名通報があったのではないか。近所の住民を疑い出すとキリがないけど。
子供の多いアパートなので単なる夜泣きだと思って気にしないようにしたけど
そのうち時間を問わず早朝であろうと真昼間であろうと、子供の悲鳴が聞こえてきて尋常じゃないと感じたので
まず児相に電話相談したら即座に対応してくれて、後日連絡があった。
その時もこの記事と同じで
「警察には通報しないでください。これからも訪問等ケアは続けますのでよろしくお願いします」と言われた。
その家は半年後に夜逃げ同然で出て行った。ゴミ屋敷同然だった。
男の子が居ると壁など破損してしまうからって理由で賃貸には入れないという話も聞くし
「直接的な被害が無い限り警察が動く事は出来ない」ここ大事。声に出して読んで欲しい。
隣人をかばうわけじゃないけどさ、
虫の死骸だって隣人なのかよその子がいたずらしたのかわからないじゃない。
なぜ泣くのか、どんな時に泣くのか、全く書かれてない。
ただ泣くだけじゃなくて「泣き叫ぶ」んだよ?
これまでの記事を見てると
偶然近くの銭湯が水素風呂だったり、恋愛しやすいバイト先がどうのこうのだったり(読んでないけど)
ikujilog 被害感に溢れた記事なので鵜呑みにはできませんが、子育てへの理解と寛容さがない人と、子育てが周囲に及ぼす迷惑を顧みず被害的になる人、両方が増えているのは事実だと思います。
ごもっとも。
itotto 隣の人のことを責めてる人も実際に同じ立場になったら我慢できるかどうかわかんないと思うけどね。自分の子供の泣き声ならいざ知らず、見ず知らずの子どもの泣き声をずっと聞かされたらそれはそれできついと思うよ。
1週間我慢した後に再度苦情を言いに来てる。そこに注目。
blue0002 うちのマンションには子どもが出来たら退去という規定がある。良し悪しはともかく、子どもを含め騒音はシビアな問題だと認識しておくべき。ただし、嫌がらせの件は別問題。録画するとか証拠保全をおすすめする。
そう。規約読んだ?あるいは周りの環境は?独身世帯が多いとかな
masar2t 子供は泣くもの 泣いたら止まらないもの なのだとしたら具体的に対策が必要なんじゃないの? 眠剤とか そこまでではないとするならそこまでになる理由が別にあるのでは
Ukey 斗比主さんに来てもらおう
トピシュさん早く早く!
・・え?これだけ?随分あっさりしてる。
なんなのこのオチ。なんで姑との同居を勧める。
もしやtopisyu家自体がど姑との二世帯同居に向かってるor既に同居?
http://topisyu.hatenablog.com/entry/escape_from_noise
nemuinemuix 仕事で疲れて帰宅して、ホッとしたところに子供のギャン泣き声が聞こえてきたらキツイ。毎日だったら死ぬ。
隣人が眠れないレベルが続いたとしたら、命あっただけでも・・(脅すつもりはないけど)
unigame 子供の笑い声でもずっと続くと後頭部に重たいものが入ってるような不快感というか、頭部に直接負担がくる。これが泣き声となると本当に…。隣人も子供の泣き声によるストレスが限界で冷静さを欠いたのかも。
冷静さを欠いたとはいえ、虫の死骸やピザ誤配達に関しては全部隣人の仕業と犯人断定してもいいのか。
babykubi これはわざと燃やしている記事ですかね?ワープレで記事数少ないのに全部の記事にブクマついててテンプレも賢威だし。子ども写真やプロフがないのも臭いけど。。
新卒1年目。
希望の会社に一発で内定をもらって、上司も周囲の人も優しくて、仕事もそれなりに任せられるようになって、周りから見れば社会人としての順調な第一歩を踏み出したように見えると思う。
給料はまだ高くはないけど、各種手当、休日はきちんと守られてるし残業もほとんどない。
こういう職場環境や労働条件が保障されてはじめて人間らしく働けたり、やりがいをまっとうに追求できたりするんだろうな、有難いことだなって、未熟ながらに理解もしてるつもり。
つまらない、って思うのは贅沢なんだろうな。
他の仕事に就いた友人や先輩の悲鳴、ネットで取り上げられるブラック就業の実態を見るたびに、「この部分が保障されてる自分が、つまらないなんて言っちゃバチがあたるよ」って言い聞かせてる。
そして、そうやって言い聞かせてる時点で、自分は自分の思いに蓋をして、次第に「つまらない」って思ったこの気持ちにさえも見て見ぬふりをして、何年何十年と生きていくのかなって予感して、薄ら寒い気持ちになる。
勤続十何年、何十年で仕事をこなすベテラン先輩社員を見ては、この人たちも最初は私みたいに思ったりしたんだろうか、そしていつの間にかそんなことすら思わなくなったのかな、って考える。この仕事が好きで誇りを持って働いてる人には失礼な話だけど、そうは見えない人が大多数だから。
「希望の会社だし、頑張るぞ!」って確かに思ってたし、働き続けるということの意味にも考えを巡らせた上で就職を決めたつもりだった。
半年も経ってないのに、こんなにも楽しくなくなるものなんだなって今は思ってる。
そして、こういう疑問すら持たずに働くようになる日が来るのかなって考えて怖くなる。生きていくうえでの疑問を持つことをやめたとき、私はどうなるんだろう。
「それが働くってことだよ、大人になるってことだよ、みんなそう思いながらもがまんしてやってるんだよ、みんなそうなんだよ、仕方ないよ」
先手を打つように、顔も声も知らない「大人」の言葉が頭の中に鳴り響く。
はぁまた月曜日がやってくるよ。
といっても、自分が受けたわけじゃない。自分自身は2年前に受かっている。では何をしているかというと、2ちゃんねるのその資格のスレを見て、阿鼻叫喚っぷりを楽しんでいる。
電験三種という資格で、一般的にそんなにピンとくる人は少ないかもしれないが、電気設備の資格としてはかなりメジャーであり難関資格としても知られている資格だ。この資格は3年以内に4科目合格すれば合格となるのだが、それでも合格率は10%以下であることからもその難易度はうかがえるかと思う。
逆を言えば3年で全科目受からないと、受かっている科目がリセットされてまた受けなくてはいけなくなる(通称スパイラー)ので、3年目の受験者の悲喜交交の声が飛び交っていてスレも大盛り上がりしている。
12インチのiPad PRO使ってるんだけど、勢いでSmart keyboardも買ったのね。
パソコンの代わりになったらいいなって思って。
画面も大きいからご飯食べながら映画見たり漫画読んだりかなり捗る。
最初のうちはうれしそうに何でもSmart Keyboardで入力してたんだけど、やっぱりそのうち面倒くさくなってKeyboardを開く機会がちょっとずつ減っていったのね。
それで先日ご飯食べてる時に増田のネタ思いついたから、久々にSmart Keyboardで書いてみようかなって思って開いてみたの。
そしたらキーボード上に白い小さい点がてんてんてんてんって無数にあって、なんだろうってよく見たら全部虫。
まじまじと見ちゃったから目線の5cm先くらいでホコリサイズの虫が大量にわらわらとうごめいてやんの。リアルに悲鳴でた。ギャー。
速攻でウェットティッシュで全部拭き取って、外に持っていてバンバンはたいて。
食欲はなくなるはせっかく思いついたおもしろ増田のネタ(ブクマ1000は鉄板だった)は忘れるはろくなことない。
Smart Keyboardの裏側って毛が生えてるのね。画面を守るためだと思うのだけど。
キーボード部分をその毛が生えた内側に巻き込むから寝床にはもってこいな作りなわけ。
ご飯食べながら使ってたからそこにその食べかすやら汁やらが飛んでここなんてオアシス?状態。
しかも日中の室内は高温多湿。むしろ湧虫しないほうがおかしいわ。
それから一週間してこの増田を書いてるのだけど、なぜ今書いているかというと、一週間前の出来事を急に思い出して恐る恐るSmart Keyboardを開けてみたから。
やつらの生命力を舐めてた。
面白かった
ネタバレ注意
20代前半の自分は、ゴジラ、それどころか怪獣映画とも無縁な人生を送ってきた。
・なんかハム太郎と同時上映してたらしい
これくらいである。そのため、見るまではどんな話かは全く想像つかなかった。
因みにエヴァは一応見ており、エヴァ好きの兄弟に誘われる形でなんとなく、見に行った。
さて、じゃあそんな人の初ゴジラの感想はというと、真っ先に出てくるのが「ゴジラ本当怖い」という恐怖心だった。
一時期ガンダムの格ゲーにはまっていたのだが、戦っている時ガンダムから放たれるビーム系の攻撃は「かっこいー!」とかそんな風に思っていた。ガンダムXのサテライトキャノンとかウイングガンダムゼロカスタムのビーム系必殺技とか好きだった思い出がある。
しかしゴジラの口、そして背中から出るレーザー攻撃は見た瞬間、自分は「格好良さ」は全く感じず「恐怖心」に支配された。その攻撃で町が破壊される描写にも生々しさと恐ろしさを感じた。普段他の創作物で町が壊れる描写を見ても大人になるにつれ心の何処かで「フィクションだし」という心の余裕を持っていたのだが、今回はそんな余裕を全く持てなかった。
とにかく怖かったのだ。見終わった後はあのゴジラの黒い形態を極力見たくないと思ってしまったほどだ。(余談だが一緒に行った兄弟は第二形態?の方が嫌だったという。エラの生々しさが嫌だったとか。自分はそっちは嫌悪感を持たなかったので人によって違うんだなと思った)
じゃあ何故そんなにシンゴジラの攻撃は怖く感じたのだろうか…まだまとまりきれてないところはあるが、恐らく1つはその時が夜中だったこと、2つ目はゴジラの圧倒的な生命力、破壊力にあったのかもしれない。
夜の中というシチュエーションは非常にリアルで怖かった。地下?で人々がぎゅう詰めになってる中停電になって「あっ!」とか悲鳴が上がる描写には「あの状況で真っ暗になったら怖いよな」と思ったし、後闇の中でゴジラが紫色に光る→ビーム発射描写も印象的だった。2つの描写は夜だからこそ怖さが際立ったシーンだった思う。
後者について、その前の自衛隊の攻撃を受けてもケロッとしてるゴジラのシーンの時点で「あれゴジラつえー」とは思った。そこからのあの口と背中のビームである。口の攻撃はレーザー状で猛スピードで凄い遠くまで届いて周りを火の海にするし、背中の攻撃はバンバン米軍の飛行機を撃ち落とすし、避けれる軌道でもないし…あの「防護策のない攻撃」と「火の海に包まれる建物の描写」は非常に絶望感があった。対処法はゴジラのエネルギー切れのみである。エヴァで使徒のビームを守った盾もないし、というかエヴァもいない。あのシーンの恐怖心は希望がほぼ見えなかったというところにあるのかもしれない。ヘリもビームに当たってしまったし…
他のフィクションだと悪役キャラでもこう、ネタにしたり可愛いとか言ったりして愛着を持てたりするが、自分はゴジラを茶化せそうにない。「触れたくないほど恐ろしいもの」という印象だ。コナンでよく少年探偵団はゴジラあんな楽しそうに見てたな!凄いな!と思ってしまった。
シンゴジラでは人々の生々しい死体や血の描写といった直接的なグロテスクな描写殆どなく、人々の逃げ惑う姿とか諸外国との駆け引きとか自衛隊の攻撃ダメージ0とかそういった、精神的に追い詰めてくる感じの描写が多かったのも印象的だった。2番目に自分がハラハラしたのは核が使用されると決定されたあたりの一連の描写だ。核自体の恐怖もあるし、都民だけじゃなく神奈川千葉も疎開させる無理ゲーさとか、総理大臣代理の嘆きとか、「日本は世界の同情と支援?を必要としている(うろ覚え)」とか色々な不安要素やどうにもならない感じが怖かった。作中に人間の方が怖いみたいな台詞があったと思うのだがまさにそんな感じ。あの長谷川博己と石原さとみが2人で会話している時徐々に引いていくカメラワークも妙に心細さ、不安を煽られた。
他にも人物の描写が良かったとか最後のヤシオリ作戦の所がそれまでの絶望的な描写も合間って凄く熱くなったとか色々雑多な感想はあるのだがもっとちゃんとした言葉で書いている人がいるので割愛。
歳を重ねるにつれフィクションで衝撃的な描写を見ても、一歩引いて「自分とは関係ない世界」と考えることで心に致命傷を負わないように出来ていた。が、久々に心に傷を負った気がする。それはゴジラの容赦ない脅威の描写と…後非常にリアルな世界観が構築されてることもあって、自分があのゴジラの映画の世界で逃げ惑う姿が想像しやすい、「もしかしたら関係なくない世界」と思わされてしまったからかもしれない。
10年前の今頃と言えば、初代ポケモンGOがリリースされた時期である。
当時はスマホのバッテリーの品質が悪く、1分間に1%消耗するような時代だった。
高校1年になったばかりの私は買ってもらったばかりのスマホにポケモンGOをインストールし、毎日のように町内を冒険した。
商店街のマクドナルドはいつも誰かがルアーモジュールを使っていたから毎日通った。
私のようなポケモントレーナーをナンパしてくるチャライ男子をいかにして撃退するかということにことに関して学校に対応を求めたため、
連日連夜、スプレーやスタンガンによる制圧から、他のトレーナーとの連携、通報、狙撃の方法まで訓練させられることとなった。
毎日のように近づいてくるチャライ男子を撃退するたび、町中で悲鳴がこだました。