はてなキーワード: 弊害とは
ちょっとしたコメントの言葉尻に倫理観が測られうるというスタンスは、社会的ステータスも健全な生活も持ち合わせていない根無草でも有象無象の人間集団の中から己の知性とセンスでいじめられっ子から一発逆転を狙える幻想と同一平面上にあってさ。
おまえらが軽率に解釈違いの人間をブロックしたり、言及するしないや言説の真偽に対して異常なこだわりを持っているのは自分の価値を知的優越性にのみ置いていることから生じている弊害で、現実的課題の解決と社会生活の遂行とは全くのねじれの位置にあることに気付いた方がいいよ。
おまえらの中ではもうとっくに降りたことになっている土俵の上にいる真っ当な健常者たちを直視しろよ。自分の能力の低さを直視しろよ。
いつものメンツで毎晩毎晩「より良いインターネットユーザーであるには」とかなんとか議論するのもやめなよ。
誰も見向きもしないようなサブカル知識の重箱の隅をほじくり回してアレは良いコレは悪いの判断の線引きを行ったり来たりさせるのもやめなよ。
気付いてるんでしょ?それがピントのずれた行為だってことに。薄々わかっていても決定的な事柄に着手するのを遅らせ続けてさ、インターネットでのポジションを維持しようと思って我々は螺旋的に発展してるって自嘲するのもやめようよ。
助けてくれよ。こんなつまらないことばっか書かないと気分が落ち着かないんだよ。情動失禁にすぎない最悪の棚上げ行為をこんな場末の痰壷吹き溜りに書き散らさないと何も手につかないんだよ。もっとちゃんとしたい、海が見たい、人を愛したい。
わかるでしょ。何を言いたかったのかもわからないくらい、心がざわついていて、落ち着かないんだよ。
お前らがコソコソとSNSで気に食わないなと思ってそれとなくぼやかして言及している奴らはこんなに頭が悪いんだよ。
ほわせぷキッズより
近年、フェミニストが所謂「萌えキャラ」にクレームをつけて炎上する事が頻繁に起こっている。
それに対して、萌え表現に難癖をつけて表現の自由を侵害するフェミニストが許せないという所謂「表現の自由戦士」と呼ばれる人たちが反発し、フェミニストとの間で激しく対立している。
ちなみに自分は「表現の自由戦士」側ではないことを初めに断っておくが、自分の感覚はオタクでもフェミニストでもない一般人の感覚と近いはずだ。そして、世間の一般人の多くは萌え表現の価値を理解していないし、大して必要な物とは考えていないので、萌え表現が問題になった時の反応としては、フェミニストが騒ぐほど萌えキャラが問題になるようには思えないが逆に「なんでオタクの方も、たかが絵に執着するの?」だったりするのだ。
世間一般のごく普通の人にも大抵は好きなアーティストや作品等があるが、それほど執着が強くないのだ。だから、萌え表現を攻撃されて普段は大人しいオタクが激怒する様を見て「ここまで執着するのは何か怪しい」と思ってしまうし、マスコミ等により植え付けられたオタクに対するネガティブなイメージを思い起こして異様に思ってしまうのである。
自分も全ての「萌えキャラ」炎上案件とその顛末をを詳細に把握している訳では無いが、気づいた事は独立した運営が存在したり既存の作品とコラボした案件では抗議後も運営や作品は続いているという事だ。
表現の自由戦士は萌え表現に対するフェミニストからの抗議を「燃やしに来た」とか「焼きに来た」と言ったり、過去の炎上案件を「燃やされた」とか「焼かれた」と表現するが、運営や作者が修正したりパネルなどの広告を引っ込めれば、それ以上は執拗に追及したり運営や作品の発表を停止に追い込むような事まではしていないのだ。常識的にはフェミニストの抗議よりも国家権力による検閲の方が表現の自由に対しては脅威なのだ。
一方で、炎上の結果コラボレーション撤回に追い込まれてしまったのは「温泉むすめ」のキャラクター「熱海初夏」だ。
「温泉むすめ」を「性差別で性搾取」であると発言した仁藤夢乃氏は無戸籍で学校に行ったことがない女性や小卒で売春以外に仕事がない女性などを保護し就学や職業訓練の支援活動をしているが、保護している女性を連れて熱海に旅行へ行ったことに表現の自由戦士たちが反応し、「熱海初夏」の画像が「嫌がらせ」として大量に貼られる事態が発生し、見かねた熱海の温泉むすめとコラボしている現地の居酒屋店主が表現の自由戦士達に苦言を呈すると、怒った表現の自由戦士達は居酒屋に対する悪質なデマを拡散し、それを反表現規制派で知られる大田区議会議員おぎの稔氏が表現の自由戦士を諫めると、あろうことか味方のはずのおぎの稔氏に対して「フェミを擁護するな」と殺害予告し炎上が延焼する事態に発展してしまった。とうとう営業上の弊害が大き過ぎたのか心が折れたのか当該居酒屋が公認を撤回し「熱海初夏」のパネルを返上。熱海で「温泉むすめ」と提携している施設は当該居酒屋1件のみだったため「熱海初夏」は設定のみ存在するキャラクターになってしまった。
「熱海初夏」を焼き尽くしたのは「温泉むすめ」を守ると言っていたはずの表現の自由戦士なのだ。
自分もラディカル・フェミニズムには賛同できないので、仁藤夢乃氏の主張に全面的には賛同できないが、仁藤氏の活動には頭が下がるし敬意も感じている。世の中の責任ある地位・立場の全てが保守主義者で占められてしまうと救われない人が必ず発生してしまうので、仁藤氏のような人は社会に必要なのだ。
そして、熱海の居酒屋店主が料理人として客に安全で美味しい料理を提供しスタッフを雇用し賃金を払うという経営者としての社会的責任を果たすにあたり、営業ツールとして「温泉むすめ」を利用する事は何も悪いことでは無い。それに対してオタクと同じ熱量で「温泉むすめ」に対する愛情を持てとかフェミニストと闘えとか要求すべきでないし、店主は経営者なのだからドライに割り切った判断をしたとしても責められる理由は一つも無いのである。
現代日本のフェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピーの看板のような機能を持っていると言える。
弱者が慰め合える駆け込み寺、いわばフェミニス堂があること自体は良いことだ。
エンパワメントやシスターフッドという自己肯定を重視した精神的な言葉が最近人気なのもその一環かもしれないし、そこまで前向きな気持ちになれないからとにかく苦しみや怒りを吐き出させてくれという層だって駆け込み寺には居場所がある。
だが、「セラピーとしてのフェミニズム」と「学問や言論としてのフェミニズム」が分離されていないために、言論としてのフェミニズムの信頼度が著しく弱まっている。
セラピー面も学問言論面もひと固まりだから、フェミニストはメンヘラだとか、他人の幸せを許せないだとか、ミサンドリストでセックスヘイターのジェンダークレーマーだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。
私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていることを批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。
(追記:↑ここで私の精神疾患に言及したのは、私も議論の場で当事者性を武器として使おうという態度でよくなかった。反省する。)
本稿で主張するのは、「冷静な研究者としての立場」と「傷つき怒れる当事者としての立場」は、兼任すると問題が生まれるのでどちらか片方だけの立場に立つべきだ、ということだ。
たとえ学位や免許を持っていても、冷静になれない話題については傷が治っていない当事者だから、理論と議論を使いこなせる研究者ではなくあくまで苦しむ当事者個人として発言した方が良い。
本論前に、何がOKで何がNGかおおざっぱに切り分けておこう。
フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感しあい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。
当事者会自体は、様々な依存症や障害、事故被害者などについて行われており、有用なセラピーと言っていい。
だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。
要するに、当事者として治療を受けるべき傷を抱えたままの人間が、セラピスト役と教師役もやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。
だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム」当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。
普通の当事者会やセラピーは、福祉や医療や心理の専門家によって研究と理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。
傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復に必要な心の解放だ。
それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。
客観的な専門家が当事者たちの感情吐露を分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。
だから、普通の健全な当事者会セラピーは、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者がヤバいことを主張していても研究者の評価が下がることもない。研究者が監督しているから当事者同士の会話が先鋭化するエコーチェンバーも防げる。当事者の要求は研究者が整理したうえで一般社会に伝えるので、外部の一般人が当事者の過激すぎる主張を直に聞かされて悪感情を持つこともない。
全てが完全に徹底されているわけではないが、それでも、当事者会セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、ある程度は弊害の抑制ができている。
しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者、監督者、研究者の区切りが曖昧になりやすいので、普通の当事者会セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。
たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張したことに対し、「議論や説得において言い方ってのは大事だろ」と反論されているのをよく見るが、あれも、内輪の癒しセラピー的な感覚と対外交渉議論の感覚がごちゃまぜになっているせいだ。
「私はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシング(言い方警察)するな」、という話なら真っ当である。
「私は冷静を保ち、言い方や内容にしっかり気を使うから、議論として発言を真面目に聞いてくれ」、というのも真っ当である。
だがそれを同時にやろうとする、「自分はセラピー的に感情をぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれ」というのは無法な要求だ。
せめて、セラピーを監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者が理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。
なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである。
臨床心理士やカウンセラーや看護師助産師になりたがる人間はしばしば自分が精神不安定を抱えているというのは、統計はともかく実体験としてはよく聞く話である。
博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物を保護したがるだろう。
だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士や精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。
むしろ、愛護派の過激な主張の角を取って一般社会的に可能な動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者が自分のところで一度止めて丸めて社会に伝える、当事者会に対する医療や福祉関係者の立場と近い。
だから、臨床心理士や動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。
ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた当事者と同一人物だったり肩入れしすぎたりするせいで、冷静な監督者のいないまま野良セラピー的な語りあいを続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるがそのまま社会に要求するには妥当性に欠ける内容が研究者の学問的立場から主張されてしまっている。
フェミニストはメンヘラだとか他人の幸せを許せないだとかミサンドリストでセックスヘイターだとか言われてしまうのはこのせいだ。
それにもかかわらずフェミニズムの大義名分が世界中で力を持ち、フェミニストの要求の内容を精査して妥当性が十分な時だけ応じますという態度は悪だと指弾されるのが、本当に良くない。
ここで断言しておくが、メンヘラも、他人の幸せを許せない人も、ミサンドリストもミソジニストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。
過激な思想やトラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。
ただし、その好き勝手な発言暴言はあくまで傷つき冷静さを欠いた人の胡乱な言動として生暖かく聞き流されている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。
弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままでは妥当性が低いので、客観的な研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。
フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ当事者発言をそのまま重用したり、著名な研究者が「冷静さを保つために私の当事者としての感情を一時的に抑えよう」という努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である。
辛すぎて悲鳴を上げざるをえない当事者と、冷静で他者と対話可能な研究者の弁別は、完璧でなくとも努力する価値がある。できたぶんだけ弊害が減るはずだ。
一つ、わかりやすい事例を挙げる。
フェミニズムやジェンダー学周辺で、セラピー的機能と学問・言論的機能が混在することの弊害を私がはっきり感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である。
『かがみよかがみ』は読者投稿エッセイをメインコンテンツとするWebサイトだ。
「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性の自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けている。
18~29歳の女性からのエッセイを募集して、編集部がチェックして載せている。著名人や契約コラムニストの連載もある。
そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストはTwitterで検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)
二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割にはてはで話題になる回数は少ない気がする。はてなとは読者層が違うのだろう。
上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008
フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941
これの上の記事に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、そこから辿れる記事類を読み、フェミニズムがセラピーと言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。
上野千鶴子氏座談会のセックスワーカー差別炎上とかがみよかがみコミュニティの雰囲気について(下)|滝薫
https://note.com/hannnahkuku0819/n/n6514127ed85a
私はこれを読んだ時、伊藤編集長があらゆる批判に応じないのもわかる、といっそ清々しささえ覚える形で納得してしまった。「セーファープレイス」を構築しようとして、内部を守っているのではないかと思った。
(略)
『かがみよかがみ』を必要としている利用者はいる。それはわかっている。私も、エッセイを投稿した後の”共感”と”褒め合い”によって自信がついた一人であることは変えようがない事実である。その価値を認めていても、『かがみよかがみ』の未来に不穏さを感じてしまう。
『かがみよかがみ』が目指すのは、あくまで女性の自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定感である。
それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。
若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のSlackか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である。
フェミニズムやジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくまで自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。
エッセイ投稿の年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイや愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者の本音を慮って、微妙な理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。
投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるからである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そのタイプの人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。
伊藤あかり編集長のモットーらしい「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」とも合致する態度だ。
傷ついた若い女性のために、正しさではなく自己肯定感爆上げを目的とした当事者会セラピーの場があること自体は、良いと思う。
だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネットで広告され、上野千鶴子や石川優実を企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者もジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面を安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。
なのに、そこが曖昧に混ざった立場で『かがみよかがみ』の文章は発表され続けている。
そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。
最後にもう一度まとめる。
傷ついた当事者同士が慰め合うセラピーの看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問や研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。
現在の日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。
心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者が、ある程度重なってしまっている。
この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。
anond:20220413001558のコメントに同調しているコメントを紹介。
件のコメントと同じ側であっても、賢くないだけの人は含まない。
この選別でどうだろう?
b:id:iww | 無ければ無いで自分のギガ使えばいいじゃん。 なんでもタダで使わせろって乞食みたいだ |
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b:id:privates | サッカーコンサルが、乞食の勧め。 |
b:id:hiruhikoando | 孫氏か三木谷氏がコロナにかかって入院したら一気に改善するかもと思うが、このクラスならお金でどうにかしてしまうなあ。 |
b:id:hate1229 | 例えば、プリペイドSIMみたいなのを委託販売すれば収入面の分離や責任問題はクリアできそうだが、金払えないってならなら我慢してねとしか。 |
b:id:matchy2 | なにしに病院来てるんだ |
b:id:legnum | コロナ禍で日本の医療は貧乏人にも手厚いゆえの弊害が顕になったのにまだお客様気分な患者いるのか自分で払え。無料文化はバカ増やすから根絶してかないと。海外旅行のモバイルルータ営業も無いなら電波忌避では? |
b:id:dubdisco1966 | ホテルじゃないんだから当たり前だろ。必要なら自分で用意すりゃいいだけ。 |
b:id:cha16 | こういうモンスターペイシェントたちは病院をなんだと思ってるんだろう?大人しく治療しろよ。お前が使ってるのは国民が納付した健康保険料だぞ。 |
b:id:yahsusu | 有料WiFiがある病院もあるがモバイル通信できるからほぼ使われない。こんなの要求する連中は高負荷コンテンツを快適に使いたいだけなので、フリーWiFi用意したところで遅いと文句をいうだけ、相手にしなくていい。 |
b:id:chinpokomon_master | id:sgo2 ある程度まともや病院経営者なら公衆無線LAN業者から営業かけられても導入しないでしょ。病院にメリットないという話をしている。 |
b:id:beerbeerkun | 「患者はお客じゃないんだろうな」お客と思ってたのか。そしてお客には電波提供するのが当たり前なのか。という二重の驚き。補助金なんて出すな。患者が払えよ。 |
b:id:Annihilator | 『幸野健一(サッカー・コンサルタント)患者はお客じゃないんだろうな。』違うよ? /Wi-Fiが必需とか何いってんだ /医者の言う「患者様」という言葉遣いも正直どうかと思う。アホが増長するだけ |
b:id:zzzbbb | “CS高めた方が付加価値取れると思うのにな”もっともらしいこと言ってるが、ただの乞食だから。 |
b:id:numtostring | 日本は皆保険な上に医療費安いのに無料Wi-Fiまで欲しいとか強欲すぎ。povo使っとけ。 |
b:id:the108simulacra | 個人情報と引き換えに無料なWi-Fiを設置しよう。病気持ちの金持ち高齢者の個人情報なんてめちゃくちゃ欲しい人おるやろ。 |
b:id:tyakoske | MMN案件。マジでモンスターな日本人。 |
b:id:rideonshooting | 無料乞食。自分で回線を用意すべし |
b:id:shimokiyo | 入院中は暇でネット使いまくる人が出てくるし、利用者にトラブルあったら責任問題にもなるしで採算合わないからな。国民皆保険で医療費がとても安い国で無料のWi-Fiまで求めるなと。今は使い放題プランもあるからね。 |
b:id:afurikamaimai | 本邦で暮らす人々が客に回したらどれほど面倒な連中か、よく分かってるとしか思えない事例。ここ筆頭に出すもの出さずに集団の中に隠れてあれこれ言う能力凄まじく高いよね。そんな輩は端から切り捨てる方が大正解。 |
b:id:mmddkk | (有料の)個室だったらLANポート付きの病院はある。まあいまは有線は流行らないだろうが。ところで、諸外国の病院だとWi-Fiが使えるんだっけ?(金持ち用の病院なら使えそう)。 |
b:id:iww | 無ければ無いで自分のギガ使えばいいじゃん。 なんでもタダで使わせろって乞食みたいだ |
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それぞれの会社に良いとこ悪いとこ色々あるんだが、転職後の会社の方が、本業で成長してるという前提なのか、ちょっとした金の使い方の思い切りが良く、末端従業員にとってはすごいありがたいことが多い。
私は一年後に限らずヴィジョンというものを描くのが昔から苦手である。
それが生来の資質なのか、数年で転職や派遣先の変更することが多かったかことによることの弊害なのかはわからないが
とにかく面談用に5年後のヴィジョンをエクセルに書けと言われて、頭がオーバーロードしているのでここに書いている。
1年後は転職かクビになっているかもしれない契約社員のこの身に、5年後のビジョンをかかせるなんて頭おかしいんじゃないか
5年後に居てほしければせめてボーナス出せ○○。
社内SEなので出てきたトラブルを解決して、他部署から回ってきた問題を解決してゆくだけで概ね日々は過ぎる。
そこには日々のビジョンもクソもない。売上もクソもないし、社内SEの評価システムなどなにもないので資格をとってもしょうがない。
貢献の度合いを示せてと言われても、具体的な数字などなにもないぞこんちくしょう。
自分が@niftyのADSLと契約したのが2000年だったと思う。インターネットが、時間を気にせずに、生活の中にがっちり組み込まれたのはそれ以来だ。以来22年。2003年くらいからブロゴスフィアなるものが登場した。ネット論壇は高度で刺激的で、礼儀を守りつつ論争的であった。自分の体感的には2008年くらいから、「あれ?」と思うことが多くなってきた。はてなブックマークもそこから如実に子供の言い合いのような罵倒コメントが増えてきた。それまでは仮に、イラッと来る言論があったとしても「お言葉ですが、かくかくしかじかの理由で、お考えには多少の齟齬があるのではないでしょうか」くらいにぐっと堪えたものである。2008年ぐらいから急に「やーいやーい、うんこちんちん」みたいな反応が多くなった。
何が変わったんだろうと考えてみると、だいたいゆとり世代が成人し始めるのがそれくらいからであった。ゆとり世代は17年間続いたので、今がちょうどネット活動世代のヴォリュームゾーンかも知れない。明らかに、日本語を読めてない人たち、過度に構図を単純化する人たちが増えてきた。
「ウクライナ兵の決死の戦闘に敬意。終結するまでロシア 軍を叩き潰すしかないが、報道がきちんとなされているか懸念。」
これが従前からの、人命を守るために早く降伏しろと言う彼の持論からの手の平返しと叩かれた。
手の平返しだろうか。以前からのロジックとかけ離れているのであれば、その解釈をまず疑うべきではないだろうか。
「人命のためには降伏が早い方がいいが、それもできないというならば人命を犠牲にしても終結までロシア軍を叩き潰すしかない」
と読めば何の矛盾も無い発言であるし、実際、これ以後の氏のコメントを見るにこの解釈が妥当なのだと思う。報道がきちんとされていないという橋下氏の主張は、ゼレンスキーが全体主義的な強権を発動して国民を盲目にしていると言う橋下氏の見解に沿っている。このtweetの主眼が後段にあるのは明らかだ。
しかし大半の人がそれを読めていなかった。
ウクライナ戦争への評価の話ではない。単純に日本語読解力の問題である。
次に相手に都合がいいように解釈してみると言う精査の段階を欠いている。端的に言えば自己肯定、万能感が強すぎる。客観性が欠如している。
更に悪魔視した相手だと罵倒の限りを尽くしても構わないとする、異論排除傾向と念のために礼儀を守っておこうと言う安全策をとらない無謀さが顕著である。
昔はよかったとは安易には言いたくない。
しかし今の20代30代のヴォリュームゾーンは20年前と比較しても明らかに水準が低下している。IQが30くらい下がっている印象を受ける。
なぜなら「場で受け入れられている(ように見える)1人を標的にしたからかい」に個人が対応するのは決して簡単ではないから。壇上で話して観客をつかんでいる人は一種の「権力」の座にいるのであって、1人の観客、中でもターゲットにされた人間との間にはすでに大きな力の差があるのだ。それはそもそもFairな状況ではない。たとえば「いじめ」を思い起こしてみれば簡単に分かるだろう。すべての「いじめ」に対し、「一人前の人間なら自力救済できるのだから、口を出すのはその人を一人前扱いしないことだ」などと唱えてすましているやつがいたとしたら、そいつは単なるクソだ。見て見ぬふりよりも悪質な、いじめの共犯者ですらある。
だから、とりわけターゲットにされた人間の内心に共感でき、行動できる第三者がいれば、その人が行動するのは「義」によるものであり、方法はともかくとしてその行動原理に批判される点はない。それは、もちろんターゲットが男性であっても同じことだ。たとえば、今回ウィル・スミスが腹を立てたのがたとえば友人の男性のためであったとしても、私の意見は全然変わらない。ウィル・スミスの行動は「義」によるものであり、否定されたり男女問題などに矮小化されるような話ではない。むしろ、この増田のようなことを考えるせいで「義」なる行動がとれなくなるのだとしたら、それこそポリコレ棒の弊害だ。
ぶっちゃけアメリカと日本での反応の違いは、平手打ちしたあとのウィル・スミスの罵詈雑言のニュアンスの受け取りによるのではないかと思っている。あそこでウィル・スミスはあきらかにキレ散らかしており、”良識派”の人たちとしてはかばいづらい様子ではあった。だがその前の、親しい知人が侮辱され、その人に代わって怒る、という行動自体には何ら不適切な部分はない、というのが穏当な見解というものだと思う。
余談だが、なんでもジェンダーの問題にしたがる人は、聞きかじった知識を振り回して「啓蒙ごっこ」をやってると、こうやって、別の人権侵害に加担していることになることすらある、ということに気付くべき。棒を手にするなら「棒を振り回すと危ない」という最低限の認識くらいはもつ必要がある。
どの職場も同じだと思いますが、仕事はグループ長を含め5人のグループ単位で行っています。グループと言えど各人の仕事は独立しており、相互に影響を及ぼすものではありません。
その中に一人、私より年齢も階級も遥かに上のとんでもなく仕事ができない人間がいます(以下A氏とします)。私は社会人2年目なので、こんなに仕事ができない人が何故生き残ってるのか疑問が湧くほどに、仕事ができません。その愚痴を書き始めると、はてなダイアリー史上最長の文章になるので語るのは控えます。
今回は、社会人2年目の「若者」と言う視点から見た仕事ができない人間への思いや、対処法を始まりとし、「若者」の仕事観について考えたいと思います。
A氏は私の直属の先輩に当たります(30歳上なので上司とも捉えられる)。しかしとにかく仕事ができないので、絶対に終わらなければいけない仕事を完了させることができません。そうなると誰かがやることになるのですが、比較的余力のある私がA氏の仕事を行うことになります。本来の業務に加え突然現れたA氏の仕事を行うので、夜は遅くまで働くことになり、A氏の仕事だけで建物から締め出される時間まで働くことも多々あります。しかし、A氏からお願いしますとも申し訳ないとの言葉は一言もなく、A氏はしっかりと定時になると帰っていきます。また、A氏から私の作成したものに対して苦言を頂くこともあります。
こういったことに対して周りからは「よく怒らないね」とか「あんなこと言われたら怒ってもいいよ」と言われます。
しかし、私がA氏に対して抱く感情は「諦め」です。彼が仕事ができないのは遡れば大量採用時代の弊害ですし、これまでの仕事教育の失敗です。
これまでの文章表現も気をつけてきましたが彼は「仕事をやらない」のではなく「能力的に仕事ができない」んだと思っています。(能力的にできても、仕事をやらない人も、「やれない」という意味で仕事ができないのだと思います)そんな人間に怒りの感情を持つのが誤りです。誤解を恐れない表現をしますが、人は飛べないですし、犬は喋れません。それと同じで彼は仕事ができません。
○対処法
私は諦めの心が強いので動じませんが、腹が立つ人もいると思います。そんな彼に対して、最も平常心を保って残業する対処法は「ボランティアだと思う」です。ボランティアと言う言葉の意味が全てを説明してくれていますが、こういう人を相手にするときはボランティア活動として社会貢献をしていると考えて働くのをおすすめします。ボランティア活動は社会貢献プラス周りからの評価を高めることもできます。ぜひ心持ちとして活用してください。技術的に言えば、二択でしか答えられない質問をしてヒアリングすることです。「好きな色は?」と聞くと、気がついたら宇宙の真理を話し始める可能性があるので「赤か青、どちらが好きですか?」と聞くように心がけましょう。そうすることで心穏やかに且効率的に働けます。
○若者
ここで拡大し主語を「若者」と変えますが、若者は諦めるのが早いと思います。この「諦め」とは努力をやめるという意味ではなく「期待しない」という意味です。これは社会組織から一定距離を置く傾向が強いことに繋がるように思います(いわゆる若者は飲み会を嫌うです)。若者は組織からの見返りを特段求めていませんし、自らのやるべきことを行っているだけです。なぜ期待しないような感性が育ったのかは難しいですが、子供のときから社会との接点が少なくなったことで大人からの期待への答えを得た経験がないこと、などが考えられます。
話が乱雑になってきましたが、無能な上司と諦めの若者は日本社会を確実に衰退させていきます。確実にです。諦めの若者が無能な上司を見て思う気持ちはより強い諦めです。「何だこれ」と思います。私は思っています。
私は日本を憂いています。若者が生き生きと生きていける世の中はどこにあるのでしょうか?努力を正当に認められ、「頑張ろう」と思える世の中は来るのでしょうか?努力は認められると思う世界は来るのでしょうか?
子供時代の教育も重要ですが、社会構造の改革も必要です。変えるのは「上司」です。腹くくってください。頼みます。腹立ってきたのでやめます。
これな、失われた20年で、いまのおじさんたちの若いころの方がいろんな経験や知識を積む機会があって、
経験豊富なんだよね。いまの若い人達は、一部のエリート子女除くと100円ショップで間に合わせ服はしまむらGUワークマン世代だから
全然知識経験ないんだよ。その人たちがいろんな表舞台で係長とか課長補佐みたいな肩書きがつくようになってきて
衛星概念が無く、何度も腹を壊した。(ウジとかも平気なタイプ)
祖母の前では腹が減ってないを貫き通し、「このこは全然飯を食わないタイプ」という立ち位置を手に入れた。20年ぐらいかかった。
色々弊害もあったが、とにかく酒と金(パチンコ代)が好きというキャラ設定を貫いて、ビールor現金にシフトできた。
5~6年ぐらい。
【失敗例】
とにかく手作りのものを食べさせたいらしく、バレンタインチョコ、誕生日ケーキ、ピクニック時の弁当等を自作しようとする。
手際が悪いのか、決まって遅刻する(それ以外でも遅刻は多かった)
お前と会う時間のほうが大事だと何度も説得を試みたが、改善しなかった。
自分が若くて、相手も相手だし強く出れなかったのもある。今なら、話し合って手作りを防ぐことは可能だと思う。
【現在進行中】
出張が多いのか、土産を色々持ってくる。まあ食えるものもあるが、正直そんなに嬉しくないものも多い。
厄介なのが、あれ美味しかったやろ? とかなんちゃら欲求を満たそうとしてくるところ。
角が立つのは承知で、そんなにでもない、自分の口には合わない、どこそこの誰々ももうあれは飽きたと言っていた、とか直球で返してる。
それでも一部はおっさんに媚びる(おっさんが酒とか肉とかつまみになるものとか有益なものを配布することもあるから&年配だから)層のせいで、いまいち効果は薄い。
もうちょっと深い仲で他のとりまきが居ないなら、ガツンと拒むとかで改善する方向に向かうとは思うのだけど、そうじゃないから。
チクチクと嫌味は言っているのだが(土産とか差し入れに対してもそれ以外でも)、おっさんには響かない
要らないと意思を表明する
受け取らない
なんなら送り返して、送料かかった、ほんまに止めて欲しい
ぐらいまでしないといけない。
相手が馬鹿なのが悪いのではなく、相手に相手の馬鹿さを理解させられない自分が悪いというぐらいの気持ちで挑まないとだめ。
あのさ、
ゲームの紹介プロモーション映像動画とかって今の世の中よくあるお知らせや告知の仕方じゃない、
でもあれ一瞬ネタバレ的なのが映っちゃってない?懸念あるんだけど
私の最近やってる「ダンジョンエンカウンターズ」も踏んだらお金が減る床があるの!?って
しかも公式的なやつでそういうの含んじゃっていいのかしら?って
私はこれから地下に潜っていくときに恐る恐る歩いて行くことになるんだけど、
きっとたぶんそんな床はなんにも記号とか色とか付いてないのに、
ネタバレしたところで、
初見で何も知らずに床を踏んでまた借金が増える!って泣くだけだと思うんだけど、
あとなんだかカービィも
まあ同様に同じように充実した楽しそうな見たら買って欲しくなって遊びたくなるワクワクする内容なんだけど
読んでみてなるほどー!って読んでみたいけど、
初めての夏と書いてファーストサマーウイカのウイカが初夏にかかっている感じの、
初めてのことに感動に感激に感化したいわけなの。
ああ!
新鮮みの刺身の旨味のように
海原雄山さんも思わずニッコリするような美味しいお刺身定食を食べたときの感激を覚えたいの。
だから
インターネッツの世界はなんて広がる広がるワールドなの?って思う反面
なんだかあえて情報避けをしているのよ。
でも、
私の日々の努力むなしく、
ちょっとでもカービィって検索ワードの用語をサジェストするべからず、
カービィ好きなんでしょ?ほら!カービィの情報たくさんあるよ!
うわー!ってなるのよ。
私それ全部見たいけど見たくない!ってな具合で
朝ドラ次何やるのかな?って
最低でも登場人物の相関図とかだけは見たいじゃない。
そうするとあれよ!
恐ろしいほどくるじゃない。
あれで本当に恐ろしいのが
通知で見える1行で死ぬ!ってやつ。
私その1行見たくなかったんだけどなぁーって
結果楽しみにしていたり
そうそう!
結果先に言うじゃない!
田村でも金!谷でも金!てな具合に
通知の結果の弊害というか。
そういうの多くない?
一切のネタバレ避けをしていくのがむしろ難しいところでもある昨今よ。
そう思わないかしら?
私は1ミリでもネタバレというか予備知識は入れたくないときだって有るので
はぁ。
なんか情報過多になると
厨房のその情報が入ってきたらなんだか美味しくなくなる気分に気持ちじゃない。
きっと予備知識をたっぷり仕入れて思いっ切りハードルを上げて待ちに待って飛び込み前転で入店して行列を乗り切って初めて食べるその味は、
あまりにハードルが上がってしまりきってブブカ選手も飛び越えられないぐらいな高さで
あれ?美味しいのこれ?思ったより美味しくなくない?って
だから何も考えずにお腹空いてふと知らない街の知らないラーメン屋さんで食べる知らない大将の親指の入っているラーメンの方が印象的であり抽象的でもある
そう目を閉じれば写実的にジューシーなそのラーメンのセクシーなシズル感までも思い出せるほど
まるでまるで、
スポンジのように情報を欲しがっている脳みそに染み込ませることができるのよ!
そして!
ああ!美味しかった!って
そこで初めてご馳走様って心から言えると思うの。
美味しいものを走って走って走りまわって集めてきてくれた韋駄天様に感謝!
ラーメン屋の大将よりこれ韋駄天様にリスペクト感謝してない?って
なんだか本末転倒な気がするけど、
「先生すみません、手術代の何千万円とか言うお金は払えません!しくしく」
「いや手術代はあなたの心からの気持ちで奢ってくれるこの今食べているラーメンで十分ですよ!」って
私もブラックジャックみたいなこと言いたいの!
それか麺大盛りか。
だから、
知らない街の知らないラーメン屋さんの知らない味のラーメンは私の知らない脳の中の扉を開けてくれるのよ!
知り合いの美容師さんが言ってたんだけど、
世の中には美容室やらたくさんあるけど
ホットペッパービューティーに掲載されていない美容室は世の中に存在していないことになっているらしく、
お店の前を美容院を探している人からは全く見えない様になってるんだって!
でも私そこの美容室、
グーグルマップで一番家から近いところの半径秒速5メートルほどの距離で探してみたところを見付けて行ってみたのね。
そしたら「え!?ホットペッパービューティーみて来たんじゃないんですか!?」って
高菜がカウンター目の前にあるのにビールやお冷やのおつまみにちょっとでも高菜食べてみたものなら
もう高菜食べちゃった口ではうちのスープ飲む資格は三角もありません!な勢いの顔で
「え!?ホットペッパービューティーみてないんですか!?」って
あたかもこのお店にどうやって辿り着いたのか逆に不思議に思われるぐらいにホットペッパービューティーなんだって。
なんだか本当に世の中は情報だらけだなーって。
そう思うわ。
うふふ。
事前の対処が決めてよ!
五十日は忙しいの!
朝ちょっと10分で余裕があったら嬉しい緑茶ホッツウォーラーね。
なんだか今朝ちょっと寒かったので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
2期が始まったと聞いて未視聴の俺は1期から見始めて今1期9話まで観たけどつまらなすぎてヤバい。
話がつまらない。
アニメウマ娘を作ったサイゲームスだから冒険ドラマ的なのを期待したら、美食ギルド???
1話ごとに新キャラ出すせいで話の大筋を入れ込めない1話完結(しかも面白くない)構成ばかり。
特に6話のアオイの登場とか酷すぎる。いきなり初対面同士なのにモンスターから助けた後に聞いてもないのに「私友達がいないんですぅ!」。
こんなのソシャゲプレイ済みじゃなければニチャニチャした笑顔で迎える事は到底不可能なシーンでしょ。目が点になったから腋だけ見てたわ。だからプリコネやってそうとか言われるんだよ。
主人公のユウキにしては男を活躍させたりしゃべらすとオタクがうるさいから記憶喪失にして、
まともに会話できないけど性欲はないみたいな去勢型池沼キャラにされてる。これってソシャゲの方でも同じなのか?一生やらんからどうでもいいか。
視聴者に好かれる試みすらしない主人公とか斬新だけど、誰もしなかった理由くらい察しろよ。鬼滅ほどじゃなくていいけどタンジェロくらい好かれるキャラにするトライくらいしたら?
全体が「ソシャゲの既存プレイヤーに向けたものにするためにできるだけ沢山キャラを出そう」ありきのもので、「プリコネ自体の知識がゼロ」の俺からしたら全く楽しめないアニメになってる。
ドラマ性で言えばスポコンを下地に描いたアニメウマ娘の方が構成が良かったし無理にキャラを沢山出せて喋らそうとしなかったのは英断だった。
キャラの表情や動きは多彩ではあるけどそれが面白さに繋がっていない、それでいえばこのすばのようにキャラの個性と人格が行動やアクションに直結して場面内で完結しているアニメの方が面白い。
何よりキャラを沢山出すせいでメインキャラクターの内面を掘り下げる場面がほとんどない。
ペコリーヌも天然無邪気キャラなのは分かったから、彼女がそうなった理由を半分の6話までにちゃんと描くべきだろ。過去を描け過去を。主人公を池沼にした弊害だろこれ。
ドラマとしてもギャグとしてもキャラとしても冒険ものとしてもどの方面からも微妙すぎる。1期アニメ放送中も話題になってても全く観る気がしなかったのは視聴者のレビューからストーリー性をまるで感じなかったせいだろう。
サイゲームスは本当にこのアニメでプリコネユーザー増えると思って作ったんか?2期は1話と最終話だけ観ようと思う。
1つだけ褒めるとしたらリマのキャラだけは良かった。コミカルで人格も入っていて動きも可愛らしかったし話を回せるパワーがあった。
小川友紀 / つくば助産院スマイルバース 院長@smilebirth
ベネッセすごい❣️
入ってたんだって✨
内容からしてベネッセ産じゃないのはもうバレバレなんだが、内容抜きにしてもこれが一企業の文書であってたまるかってレベルでガバガバ
副反応死亡ツイートまとめ(1枚目)、マスク弊害をまとめる漫画(3枚目)の中身は単なる個人のツイッター。専門家ですらない。
企業がそこらの一個人に肩入れするとでも思っているのだろうか。仮にあったとしても、知名度もないような素人を持ち上げるわけがない。
普通の企業なら検索を勧めるにしてもグーグルかヤフー。またもう一方に挙げられてるのもツイッターであり、専門家の意見を仰ぐものではない。
陰謀論サイトであると周囲が認識しているものを一次ソースとして奨励することはできない。アーレフがまともなヨガサークル、中核派がまともな政治団体、保守速報や余命三年ブログがまともなマスメディアだと言い張るようなものである。
一番下に「私たち大人がメディアに振り回されていれば、子供たちを守ることはできません」と書いてあるが、ひょっとして今年のM-1でも狙っているのだろうか。