2022-10-13

沖縄戦で激戦区だった地域に生まれ育った私が基地問題について思うこと

沖縄基地問題が騒がれているけど、ブコメヨッピーさんの記事を見てると、明確な沖縄県民差別もあったり、自覚してなさそうなナチュラル差別もあって、とても悲しい。

まず、私が体験してきたことを記したい。

・生まれ育った地域は激戦区だったので今でも不発弾が見つかる。そのためか大規模な開発はあまり行われていない。周囲に米軍基地も無かった。小中学校では、体験者の話を聞くのはもちろん、轟壕と呼ばれる防空壕の中に入って真っ暗で冷たい空間体感するなどした。他にもいろいろな学習があったが、とにかく戦争悲惨である記憶けが色濃く残っている。

卒業後、辺野古に7年住んだ。近くには米軍基地があったため、産まれて初めて基地が近くにある日常を目の当たりにする。銃声や爆発音がなんの予告も無しに当たり前のように響く毎日に驚いた。オスプレイと呼ばれる軍用機が飛行する際には、教室の窓が振動し、授業が中断することもあったらしい。

・在学中、在日米軍迷惑行為(校門で爆竹を鳴らし大声で騒いでいた。近くの学生寮に住んでいたので当時かなりうるさかった)もあった。ただし、地域運動会には米軍の人も参加するし、米軍基地の中に入って軍の人と交流するイベントもあったので地域住民との交流大事にしているんだなという印象もあった。

・また、在学中に民主党政権になり、例の「最低でも県外発言もあったせいか基地反対派の活動もそれなりに活発だったと思う。基地反対派の基地のゲート前道路座り込みの影響で、テスト間中なのに学校に辿り着けない学生もいた。基地反対派の活動うんざりしている学生も多かったように思う。私もうんざりしていた。

卒業後、県外で就職し働く。当たり前だが、県外の人の基地問題の無関心さに驚く。沖縄とは距離が離れてるから、そりゃ当たり前か…と思うも少し悲しくなる(私も沖縄県外にある基地のことは詳しく知らないので、あまり言えたもんではないが)

その他、肌で感じたこと。

・当時、日本兵自決を命じられたという戦争体験者の証言があり、高齢者特にナイチャー(県外の人)に対する差別意識が根強い人もいる。私の祖父母例外ではなく「ナイチャーとは結婚しないでねー」と度々言われていた。

しかし結局、私は県外の人と縁があり結婚した。だが祖父母は煙たがりもせず理解を示してくれた。本当にありがたいことである。思わず泣きそうになったことを覚えている。

基地問題については、本当に根深問題であると感じる。今回の騒動で注目されたことは良いことかもしれないが、いたずらに対立を煽ってほしくない。イチ沖縄県民として非常に心が痛む。

・まずは基地問題について少しでも知ってほしい思い。とっつきやす漫画だと、新里堅進さんの漫画などがオススメ

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