はてなキーワード: 新里とは
沖縄の基地問題が騒がれているけど、ブコメやヨッピーさんの記事を見てると、明確な沖縄県民差別もあったり、自覚してなさそうなナチュラルな差別もあって、とても悲しい。
・生まれ育った地域は激戦区だったので今でも不発弾が見つかる。そのためか大規模な開発はあまり行われていない。周囲に米軍基地も無かった。小中学校では、体験者の話を聞くのはもちろん、轟壕と呼ばれる防空壕の中に入って真っ暗で冷たい空間を体感するなどした。他にもいろいろな学習があったが、とにかく戦争は悲惨である記憶だけが色濃く残っている。
・卒業後、辺野古に7年住んだ。近くには米軍基地があったため、産まれて初めて基地が近くにある日常を目の当たりにする。銃声や爆発音がなんの予告も無しに当たり前のように響く毎日に驚いた。オスプレイと呼ばれる軍用機が飛行する際には、教室の窓が振動し、授業が中断することもあったらしい。
・在学中、在日米軍の迷惑行為(校門で爆竹を鳴らし大声で騒いでいた。近くの学生寮に住んでいたので当時かなりうるさかった)もあった。ただし、地域の運動会には米軍の人も参加するし、米軍基地の中に入って軍の人と交流するイベントもあったので地域住民との交流も大事にしているんだなという印象もあった。
・また、在学中に民主党政権になり、例の「最低でも県外」発言もあったせいか、基地反対派の活動もそれなりに活発だったと思う。基地反対派の基地のゲート前道路座り込みの影響で、テスト期間中なのに学校に辿り着けない学生もいた。基地反対派の活動にうんざりしている学生も多かったように思う。私もうんざりしていた。
・卒業後、県外で就職し働く。当たり前だが、県外の人の基地問題の無関心さに驚く。沖縄とは距離が離れてるから、そりゃ当たり前か…と思うも少し悲しくなる(私も沖縄県外にある基地のことは詳しく知らないので、あまり言えたもんではないが)
その他、肌で感じたこと。
・当時、日本兵に自決を命じられたという戦争体験者の証言があり、高齢者は特にナイチャー(県外の人)に対する差別意識が根強い人もいる。私の祖父母も例外ではなく「ナイチャーとは結婚しないでねー」と度々言われていた。
・しかし結局、私は県外の人と縁があり結婚した。だが祖父母は煙たがりもせず理解を示してくれた。本当にありがたいことである。思わず泣きそうになったことを覚えている。
・基地問題については、本当に根深い問題であると感じる。今回の騒動で注目されたことは良いことかもしれないが、いたずらに対立を煽ってほしくない。イチ沖縄県民として非常に心が痛む。
お祭り中で入館料100円(通常は300円)、福引きができました。
上から6番目、下から1番目に良い景品のポストカードが当たりました。
美濃陶芸の明日展(あすてん)として現地の若手陶芸家の作品が特別展示されていました。
「せんぱい」と「ふれっしゅ」に分かれて別の部屋におかれているのですが、
二つの間の展示室には巨匠、荒川豊蔵のコーナーが存在していました。
創意を表に出さざるを得ない若手作品をみた後の
しぶい荒川豊蔵コーナーでは思わず「いいしごとしてますわね」と呟きました。
巻物に墨で書かれた彼の作品論も興味深くて、
「古いものに名品が多いのは時代を通じて淘汰されているからで、
直感を信じることの勧めには銀と金の美術商編を思い出しました。
「あすてん」では単色の陶磁器に無数の小さな穴をあけた新里明士氏の作品に
やはり存在感があります。この方の作品は各博物館に長く展示される気がします。
時間のかかる緻密な仕事ができる精神に作品を通じて触れることで、
ふれっしゅ部門では白木千華氏の壷に魚をたくさん張り付けた作品がユニークで魅了されました。
鯖もいたと思いたいですが、魚がカラフルすぎたので怪しいです。
後、常設展示の総織部の茶碗が気に入りじっくり眺めました。
ひ色が混じったこの茶碗のわびがなかなか出せていないように感じます。
ひたすら眺めたところ胎土も赤色のようでした。
総織部と言うのでしょうか。
休憩コーナーにはへうげものの全巻がおいてありました。