はてなキーワード: 大衆とは
例えばなんだけど
一部を誇張したり、噂を煽ったり、表現をショッキングにしたメディアを鵜呑みにして騒いじゃう人たちって居るでしょ?
(他国だとネオナチとか、ネオ◯◯って言うの多いけど、日本では若い=未熟=ネットと捉えられた経緯があると思う)
これと同様に
あまり明確な名前はついていないし、若者の中では規模は小さいんだけど
これらと同様に
週刊誌とか、ゴシップ、新聞の大げさな書き方や、ショッキングな記事を真に受けてしまう純粋な人達がいる
それも名前はついてないけど
はてなブックマークにもたくさんいる
コメント見るだけでうわぁってなる
こういうのって毎度毎度うわぁこいつらちょろいなってなるんだけど
世間一般を見ればむしろそういう人たちの方がメジャーなんだよね
いにしえのネットユーザーのように、騙されてなるものかを神経尖らせて情報見ないし
そしてこういうやつらがいるから変なメディアや週刊誌はいつまでも生き続けるし、「そのような振る舞いが正解」となってしまう
鶏が先か卵が先かみたいな話だけど、「情弱な大衆(カモ)が居るからこそ変なメディアが生まれる」んだと思う
まあどうしようもないことだけど
株式会社Wacomは、高品質なペンタブレット類を筆頭に、クリエイター向けのデジタル製品を展開する埼玉県の企業だ。
超有名ペイントソフト『CLIP STUDIO』のセルシスと提携してイラスト情報サイトを運営したり、YouTubeにて著名作家による液晶ペンタブレットでのメイキング動画を配信するなど、顧客だけではなく、クリエイティブの世界全体に寄り添ってきた印象の強い企業だった。
そんなWacomが、言うまでもなく数多のクリエイターから侮蔑され、今に至るまで常に批判を浴び続けているAI生成画像を広告に使用した。
当然、界隈には激震が走り、すぐさまWacomは非難と誹謗中傷の雨あられにさらされることとなった。
全ての発端となったその画像は、Wacom米国支社が新春セールの告知バナーとして掲載した画像に使用されている龍のイラストだ。
それは昨今の精緻化しつつあるAI画像事情を考えればまったく稚拙と言っていいAI丸出しっぷりのカスみてえなクオリティのポンチ絵であり、切り抜きすらガバガバで、目にしたユーザーが正気を失うのも無理はない瘴気を放っている。
Wacomの弁明によればストックフォトサイトから購入した画像であり、説明には手描きですって書いてたらしい。信じるなよ。
ゆえに、
①ペンタブという、血と汗と涙を流してがんばるクリエイターの相棒となる機器を売っている会社が、クリエイターの成果物を無遠慮に搾取して作られたAI画像なんぞを広告に使いやがったことへの怒り
②たとえ本件が広告代理店単独のやらかしであってWacomは悪くないのだとしても、創作の現場と密接に関わってきたはずのトップ企業があんな分かりやすいAI画像を見抜けなかった、あるいはチェックさえせず素通りさせた可能性があることへの懐疑
③そもそもWacomとかいう超有名かつクリエイターと親密なはずの企業が、自社の広告に使うイラストを新たに発注せず、ストックサイトから拾って済ませたことへの落胆
④ユーザーの告発がバズったさいに、迅速な対応を見せることなく火元の投稿を無言で削除してしばらくだんまりだったうえ、ようやく出た謝罪文がどうも歯切れの悪い内容であることへの🤔
⑤Wacom製品の宿痾であるタブレット用ドライバの虚弱体質への不満が炎上ついでに大噴出
上記を主な理由として燃えに燃え、もはや消し炭すら残さないフェーズに入っている。
自分は生成AIをゴミだと思っている人間であり、Wacomのbambooに導かれて絵を描くようになったおえかきオタクであり、同じくWacomが展開する液晶ペンタブレットのフラグシップである"Cintiq pro"に憧れてきた一介のユーザーであるため、Wacomが燃えているのは我が事のように苦しく、歯痒い。
はじめはWacomに対する困惑と、とにかくは炎上を追わねばという気持ちだけがあり、なぜAI画像を使う羽目になってしまったのかさえ知れればよいと思っていた。
だが、炎上が際限なく広がり、どこまでも飛び火しまくっている現状を見るほどに、自分でもよく分からない様々なお気持ちや悪態が自分の内で噴き出しまくってないまぜになり、どう整理すればいいかさえ分からなくなってしまった。
非難にあわせて拡まった不買運動や、やおら他社製品の液晶ペンタブレットを持ち上げ始めるインフルエンサーの挙動にイラつく自分も情けない。
その代替として挙げられた製品だって過去にAIで広告作って燃えてるし、そもそもそいつらがCintiqに敵うものかよ。
一方で、そんな悪口が出てきてしまうのは、私が持ち合わせているある種の国粋主義的な、権威主義的な部分が強く認知を歪ませているせいであるという点を否定できない。私はWacom信者だ。恥ずかしながらこの目は曇っている。
なんにせよ、よく分からないお気持ちを抑え込むことさえできない自分があまりに馬鹿みたいでつらいのだ。
AI慎重派の筆頭論客でもある某イラストレーターが「XP-PEN(Wacom以外であれば真っ先に候補に上がる中国の優秀なメーカー)の液タブ買ったよ」というツイートをしただけで「Wacomへの当てつけかよ!!!?!!!!!!!?!」となってしまう自分の単細胞が恨めしい。
だから、彼がとてもとても理性的な筆致で書いてくださっていたnoteを読み、示されていたフラストレーションの殺し方のすすめに従って、こうして文章の形で消化しようとしている。私は絵でしめすより文章をしたためるほうが相対的に得意だから。うまくいくかな。
思いついた順に書く。くどいので今後は液晶ペンタブレットを「液タブ」と表記する。
本件を概観するうえで見落としてはいけない気がするファクトとして"Wacomの液タブ"という存在・概念が、デジ絵に親しむ者にとっては単なるハイエンド製品に留まらない、絵描きとしてのステータスシンボルでさえあった実情がある。
「Cintiq」という名は単なる製品の名前ではなく、それこそCHANELの「N°5」のような、ある種の象徴を背負ってきた。なぜなら長い長いあいだ、Cintiqこそが唯一の“本物の液タブ“だったからだ。
どういうことかといえば、Wacomの特許でもある電磁誘導方式(EMR)という動作形式で作動するの液タブは、長らく新生Cintiqシリーズしか存在していなかったのである。
EMR方式は、グラフィック用タブレットの動作方式として最も優れていると言っていい代物だ。飛び抜けて高度な筆圧感知と動作検知能力を持つため、まるで紙に線を引くかのように繊細な描画が可能であり、ペンの充電に煩わされることもない。
かつては板タブの専売特許であった強力な描画能力を、液タブだてらに誇示してみせたことでCintiqは伝説となった。
EMRの特許が切れた現在となっては、他社も盛んにEMR方式の液タブを発表しはじめているものの、依然としてそのクオリティの高さは変わらず、Wacomの歴史に根ざした信頼もあって、“Cintiqという名前“は永遠に“すんげーつよつよ液タブ“の比喩であり続けている。
趣味であれ生業であれ、デジタル創作に親しむ人々はみな、ショーウィンドウ越しのトランペットを見つめる黒人少年のごとく、Cintiq proに憧れながら絵を描いているのである(主語デカ案件)。
だからこそ、"あの"Wacomが!!?という衝撃は大きかった。よその企業がAIを使いやがったときのそれとは、話が違うのだ。
むろん、いくら創作にまつわる機器を扱う会社だからといって、告知に使う全てのイラストにコンペを設けたりできないことは、さすがに分かる。
それでも、だとしても、誰しもが「なんで社内イラストレーター使わねえんだよ」と失望するほどには、Wacomの名前は重かったのだ。
当のWacomにさえ抱え切れないほどに。
また、消費者による企業への信頼とはすなわち資本への信頼でもある。
ただ、ただ単純に「高え金払ってんだからしっかりしてくれよ頼むよ」という話だ。
「Cintiq pro27」とかでググっていただければ分かるとおり、Wacomのフラグシップ製品は、おしなべてアホみたいに高い。Apple製品とタメを張るくらい高い。ちなみに企業姿勢もどとこなく似ているところがある。
Wacomがどんだけ儲かってるかは知らんけど、あんな高いもの売ってるなら相応にお行儀よくあってくれたまえよという話なのだ。
これはカスタマーが企業に怒りを覚えるポイントとしてあまりに分かりやすく、またその気持ちを分からない消費者はいないだろう。
ちなみに、米WacomがAI画像をうっかり購入したフォトストックサイトが、よりにもよってAdobe Stockであるのも見逃せない点だ。
かのAdobeもまた、AI魑魅魍魎に占拠され AI汚染の震源地とすら揶揄されるようになったAdobe Stockの有様をユーザーに咎められ、「高えAdobe税払ってんのに自社のフォトストックすら守れねえのかよ」という失望を集めて絶賛失速中の身である。どうも示唆的なものを感じずにはいられない。
ただまぁ、個人的に上記の諸々は単なる背景情報であって私には正直どうでもよかったりする。ここまでクソ長々と書き綴ってきたうえでこんなことを言うと正気を疑われるかもしれないが。
私はただ、頭が固くて権威主義で旧弊なオタクであり、Wacomを埼玉の誇りだと思ってる埼玉県民ゆえ、ただただ、たった1回の過ちでWacom製品を投げ捨て、""有象無象"“の""中華""製品に手を伸ばせるみんなのフットワークが信じられないのだ。
そして今回の傷が重篤な致命傷なのは否定できないとはいえ、なにもWacomが主体的にAIを推進したわけでもないのにここまで炎上が広がっていることに引いているのだ。
なんかこう…例えばCintiqの次世代モデルにAI積みますとか言い出したわけでもなく、ただAI画像をなんとなく手にとってしまっただけなのに、叩かれすぎじゃないかと思うのだ。確かに迂闊で許される範囲じゃないとは思うけどさ。
とくに、まるでWacomが生成AIを大歓迎し、諸手を挙げてユーザーに押し付けようとしている企業であるかのように罵っている一部のAI慎重派の言動はあさましく思えて仕方がない。
むしろWacomは絵柄を署名のように扱える技術を研究し、「AIでAIをぶちのめす」道を探ろうとしている途上にあるというのに、というかその話題が出た当時はみんなしてさすワコしていたというのに……。
……長い長い冬を抜けて、ようやく著名なイラストレーターの方たちでさえ腹を括ってAIの被害を訴えてくださるようになり、ここ最近にきて生成AIに関する議論が持ち直したように感じられる場面が増えたように思う。
一方で、その暗い冬のあいだに摩耗した精神を顧みぬまま、あれもAIこれもAIAIAIと呪詛の言葉を撒き散らすようになってしまったインフルエンサーの方が何人か思い浮かぶ。
特に、最近になって「2023年8〜10月以降にいきなり生えてきためちゃうま絵師は基本AIだと思え」というド失礼な認識が自然発生し、ぽつぽつと苦言が出ることがあっても、とくに大きな反発もないままその認識が界隈に定着したのを見たとき、私は「底が抜けてしまった」と思った。
そこに畳み掛けるようにして、絵描きの最良の友であったWacomへの過剰な警戒がドバドバドバドバ噴出しているのだ。しっちゃかめっちゃかだよもう。
AIbroが吐き捨てていった「AI規制派はフェミ!」というお里が知れる鳴き声を、彼の意図した形ではないとはいえ、私は捨て置くことができない。
今の「AIカスどもVS絵師とかの連合」の泥沼バトルは、慄然とするほど「"フェミニズム"VS表現の自由」の界隈が辿った道筋に似すぎているのだ。
あの人たちはどうなった?
ギャグみてえな炎上の渦中にあっても気高く振る舞ってきた、"フェミ"と蔑称されるいわれなき本物のフェミニストたる女性達は、数回の炎上ですぐさまインターネッツ・レスバの無意味さを悟り、彼女らがまだ"まなざし村"という懐かしい名で呼ばれていた時代の終わりと共に雲隠れしてしまった。
こうして萌えコンテンツをひたすら理不尽に憎み、ダブルスタンダードな思想を振り回しながらLGBTに迷惑をかけまくる、だいぶ苛烈な女性だけが鼻息荒くリングに残ることとなった。
一方の"オタク"の側も、愛するコンテンツを守りたい一心で不器用にも声を張り上げていた層が、本当はそんなふうに怯えなくてもいいことを知り、安心して去った。オタクコンテンツを傷付けやがる連中の正体見たり枯れ尾花。好きなものを愛でる時間のほうがよほど大切なことに気づいたのだ。
そうして気持ち悪くて不謹慎な処女厨の童貞が一番カッコいいという化石じみた価値観のまま、アニメやゲームに言うほど思い入れがないにも関わらず、現実の女性を逆恨みする原動力として自分をオタクだと思い込まねばならない可哀想な男性だけがオタクのバトンを勝手に引き継いだ。
そんなこんなで、かの界隈は"炎上のための炎上"の火の手が毎日どこかしらで上がり続ける、オタク嫌いとミソジニストがこの世の終わりみたいなナワバリバトルをやるだけの地獄と化してしまった。
他人事とは思えない。
「絵が描けるだけで好きなだけイキれてvtuberにフォローしてもらえるキモオタどもが羨ましい」という凄惨な嫉妬が胸の内で渦巻いていることにさえ気づけないまま、自分は最先端技術を理解しているすてきなテックギークだと心から信じて、満たされることなく価値のない画像を貪り続ける“彼ら“の壮絶さを思えば、相対する我々はたしかに、さすがに、今のところは同じ場所まで堕ちてはいないと言っていいだろう。
今のところは。
だが、その尊い正気が首の皮一枚でつながっているに過ぎないことを、前線にいる多くのひとが忘れてしまっているように思う。
自分がすぐにでも怪物に成り果ててしまうほど疲れ切っていることに気づかず、このまま怒りと悲しみを免罪符にして諍うだけの日々を送っていれば、すぐにでも炎上の熱狂と、レスバのライブ感に飲まれてしまうことだろう。
これは自戒でもある。
この戦いはコップの中の嵐ではない。
議論の場としては最悪なインターネットが唯一のフィールドというのも逆風だが、それでも。
非常に緩慢なテンポで、ときに腹立たしい揺り戻しに見舞われながらも、世界は確実に、ゆっくりとまともな方向に舵を切ろうとしている。
それもこれも、生成AIという忌子の産声に迅速に反応し、大衆がことの重大さに気づく前から、狼少年のような扱いを受けながらも折れることなく声を上げ続けてくれた人々がいたおかげである。
あなたたちが戦ってくれたからこそ、ようやくたくさんの人々が目を覚ましはじめている。
だから、我々はその目を裏切ることなく戦い続けなければならない。
だから、少しでいいから、休んでほしいのだ。ふと立ち止まるだけでもいいから。
この局面にあって、些細なことから「やっぱ反AIって頭おかしいわ」と思われるような事態があってはならないのだ。
私は恥ずかしながら、かつて表現の自由戦士と揶揄される感じのあのへんの活動に片足を突っ込んでいた。
そしてその日々の中で、素晴らしく聡明で、洞察力があって、敵を糾弾する時も優しさを忘れない、人間としても尊敬を集めていたオピニオンリーダーがある日突然ぶっ壊れてよくわからないことを言い出し、クソほど炎上するのを何度か目にしてきた。敵にも味方にもそんな人が出ていた。彼らはそのまま、“炎上のための炎上”をやるためのゾンビと化していった。
思い返せば彼らはいつも最前線に立って、独りで戦っていた。“界隈の人間ではない“人間がそばにいて、エコーチェンバーの反響を適度に遠ざけることさえできていれば、ガス抜きさえできていれば、何かが変わっていたかもしれない。
怪物と戦うものが怪物にならない方法は、ひとつだけ。連帯することだけだ。
あなたたちの仕事は言うまでもなく私が、そしてなによりあなたたちが呼び覚ました無数のビジランテが引き継いでいく。
だから、少しでいいから息をついて、AIbroどもにもみくちゃにされる中で削ぎ落とされてしまった何かを取り戻してほしい。我々にとってあなたたちが必要だからこそ、壊れないでほしいからこそ、私はこんなことを言っているのだ。
Wacomを許せるなら我々はまだ引き返せるはずだ。
このエントリがあなたたちの目に入ったら、お前は手ぬるいだの悲惨な現実を理解できてないだのの有難いお言葉が飛び出してくることだろう。
確かに前半のWacom擁護は、贔屓にしている会社かわいさゆえの妄言ではあると思う。正直。
でも、後半で言っていることを取り下げるつもりは絶対にない。
現実がまじくそだとしても、だからこそ、意地汚くAIを押し付けてくる連中とこれからも戦っていくためにもここで少し立ち止まり、あたりを見回して我が身を振り返らねばならない時期にきていると私は強弁する。
大衆店でも探せばあると思うよ、頑張って
始まりは麻生政権だったと思う、「俺たちの麻生」あたりでオタク=右翼みたいな謎の等号ができてしまった
それは福田内閣(2007)の頃
あの時はアメリカと中国どちらと仲良くするべきかという時に、そんな中「媚中」と言われる法案がいくつか立ち上がって
割と大きな反対デモが起きた。2000年移行ではあの頃が一番デモが大きかったと思う
なお世論全体としてはそんなことはなかったと思う、興味なかったというか
その後福田が辞め、対中対米でフラットな麻生になったもんだから、インターネット全体で喜び一色だった
ただ、第一次安倍内閣からずっと続いていたメディアの「とりあえず政権叩いとけ」の流れが続いたのと、リーマンショックが起きたのと
インターネット全体の右傾化が大きくなったあたりで「ネトウヨ」がバズり、主に2chで「反ネトウヨ」が台頭した
あそこらへんの順序は結局今でも謎だが
たぶんかなり対立煽りが最初は多かったらしい(ν速、ニュー速+)
諸々憶測の域を出ないんだろうが、まとめブログが流行ったのもあって、対立煽りをするモチベーションはあったんだろうと思う
やがて麻生内閣の支持率が堕ちるところまで落ち、「麻生内閣を叩かないやつはネトウヨ」となり、「反中嫌韓はネトウヨ」となり、最終的には「自民支持者はネトウヨ」となっていった
一応言うと、世間一般における支持率低下と、インターネット上における反ネトウヨの対等はあまり関係がなかった
(ところで、あの反自民が謎に増えて行った頃ですら、鳩山由紀夫が総理大臣になると知った時のネラーは絶句していて笑った、そこに左右は関係なかった。皆小沢だと思ってたよね?)
政権交代後、2chにおいては反ネトウヨが多数派を占めていた(Twitterやブログなどは全然右傾化していたが)
これは日和見菌のような、多数派に乗るだけの奴らが多かったんだと思う
まともな会話は不可能になった、「ネトウヨを煽る」だけの存在になったニュース系の板だが、2011年だったかに嫌儲に移住し、その後ステマ騒動なんかがあり
その後、まとめブログの影響か、反ネトウヨはインターネット全体に広がっていった
つまり、2008年までは「韓国人を馬鹿にする」という記事で儲け、2011年頃は「ネトウヨを馬鹿にする」という記事で儲けてるブログが多かったんだ
一番わかり易いのはニコニコ動画かな、2013年くらいでおそらく半々だったと思う、今はよくわからんけど
ただちょっと面白いのは、2013年ころからテレビが今度は右傾化してきたことだ、日本バンザイてきなやつ
それもあって「反大衆メディア」としてのネチズンたちもこぞって「反ネトウヨ化」していった
右傾なことを言うのは情弱の証みたいになっていたし、反自民がかっこいいという風潮があった(その後2020年まで続く)
まあそういうのは結局ブームなんだ
戦争世代が右翼で、団塊の世代が左翼で、インターネット第一世代が右翼で、その下が左翼みたいに
それでも最近は(若い層では)落ち着いてきて、右でも左でもないみたいな感じになってきた
今や「ネトウヨ」なんて死語を使ってる事自体が遅れている情弱の証拠といっていい、日刊ゲンダイですら最近はあまり使ってない
そんな中で見かけた「選挙ウォッチャーちだい」がネトウヨ連呼していてなんか懐かしくなった
そういえば、2020年くらいまではまだはてなでも言ってる人が居たと思う
どちらかというと自民支持者だった私には居づらかった、常に他の場所を探してた
しかし何故か安倍内閣が終わると憑き物が落ちたように大人しくなったので、まあいいやとここにいる
何が言いたいかと言えば
小学生が「バカ!うんこ!」というように「ネトウヨ!ネトウヨ!」というのはコミュニケーションが取れないので非常にうんこだし
今もある日本万歳系Youtubeや、嫌韓Youtubeや、その逆みたいなメディア、全部金のためにやってると考えるとうんこだって話
あと、2005〜2007年くらいの2chのニュース系の板は一番議論が活発にできて本当に良かった、非常に知識を持った人がわんさかいた、あれはもうできないだろうな
いよいよやばくなってきたな。
以前に増田で紹介したこともあったが、日本語のYoutubeとかで拡散し始めたので、日本語で急速に拡大し始めてもおかしくない。
日英翻訳家の中に"自分の思う通りに作品の字幕を改変して、大衆を正しい思想へと啓蒙する"みたいな人が少なくない数いる。
そろそろ大炎上しそう。
某非上場企業の運営するスーパーの品出しバイトに応募していたが、応募者である私がたった5分遅刻したことによって面接を拒否された感想を書こうと思う
当方はフルリモートかつフレックスタイム制度導入済みの上場IT企業で働く社会人で平日はリモートワークで働いている。応募の動機は「大学に行くための学費を稼ぐべく、休祝日出勤可能な家から近い勤務地でアルバイトがしたい」というものだった
面接当日
面接を受けられなかった事自体は大して気にしていないのだが、そんな企業があることに驚きを受けた
前提として
今日の日本社会では遅刻は断固同断、時間を守れない人間に何を守れるという国外からしてみたらよくわからない暗黙のルールがあるので遅れるにしても連絡は必須
仮に初対面で遅れるでもすれば第一印象のひとつとして捉えられかねない
私の中では
10分くらいの遅刻なら誤差という認識で生きてきたので私が間違っているのであれば申し訳ないが、こんな古い思想の企業っていまだに存在しているんだ… 働かされている従業員が可哀想!とブラックみを感じた
ひょっとすると、大して学校も通わずアルバイトもせず通信制高校卒業後にフルリモート可能な企業に就職してしまった私はこの辺りの常識が大衆とズレているのかもしれない
芸人として当初は根暗で虐げられたオタク(元増田の表現)の強者へのカウンターであったことは確かでも、根暗で虐げられたオタクだって、自分よりも弱い者をいじめる。だからダウンタウンは後輩芸人に数々の非道な仕打ちといういじめを繰り広げていたし、YOUを延々ラジオで無視し続けるといういじめをしていたし、篠原涼子に性的ないじめをおこなっていた。これは笑いとして許容されるか否かという話ではなく、元増田の主旨である「いじめの笑い」をしていたか否かという話。ダウンタウンは若くして多くの大衆に受け入れられたため、根暗で虐げられたオタク芸人としてくすぶっていた時期はとても短く、すぐに根暗で虐げられたオタクをいじめて笑いをとる側にまわった。芸人を志した根本はどうあれ、芸人としてのダウンタウンが「いじめの笑い」をしていたということは事実。
年末に週刊誌が松本人志に関するスキャンダルを報じた影響で松本人志という人物に対して厳しい目が向けられている。
それは女性問題に限らず、過去に松本人志が作り出したコンテンツに関してもだ。
評価の中には、彼の笑いはイジメを助長するあるいはイジメそのものを笑いにしていたというような主張が存在する。
しかし、そのことの真偽を検証するのがこの文章の目的ではない。
そのことをまず了承してもらいたい。
彼の笑いの是非を問うものでない。
その上で、あえて彼の作った笑いが極めて有害なものであったと仮定してみる。
そういう話をしたい。
彼が過去に作った笑いのコンテンツが有害であったとして、果たして我々は松本人志を責めることが出来るのか?
いや、それは出来るわけがない。
当たり前のことだ。
表現者が表現の自由を行使して、その許されている範囲内で表現を行ったことを責めることは出来ない。
例えるなら中世ヨーロッパにおいてキリスト教以外の神を否定するような絵画を描いた芸術家を断罪することが出来るのか?という問いと同じだ。
わかるだろうか?
芸術家というものは自らが作り出したものを検閲することなど出来ないのだ。
自らのうちから生み出された、ある表現が適切かどうかを判断する完全なる客観性を表現者は有していないからだ。
だがら、その客観性を有しているものがその表現が適切かどうかの判断をくださなければならない。
誰が判断するべきだったのか?
おそらく松本の過去のコンテンツに関して責任がある存在とは、すなわちテレビ局であるはずだ。
松本がいかに偉大な表現者だったとしても関西の一劇場で細々と舞台演劇を行っていただけならば、いかにカルトな人気があろうと全国的な影響力など持ちようがないのは言うまでもない。
広く流布するべきものか、
あるいは極めて優秀な作品だが
これはもっと人の目の触れにくいところに留めるべきか、
このことに松本人志の笑いを否定するものたちはまずは留意すべきだ。
テレビ局は当時、松本人志のコンテンツを広く全国民に向けて放送することに問題がないと判断し、流布した。
理解できるだろうか?
イーロン・マスクのようにメディアそのものをコントロールするような権力を松本は持っていなかった。
その松本に対して、イジメを助長するような作品を流布したと批判することは出来ない。
さらにいうならば、その松本の笑いがなぜ広く流布されるようになったのかという原因そのものをもっと考えてみるべきだ。
そのテレビが、ある番組を放映するかどうかの判断の要としていたのが視聴率だ。
テレビの視聴率とは、どれだけの人が、その番組を見ていたかどうかを表した数字だ。
それは批判的に見ていたわけではない。
あのとき、あの場所で、多くの大衆が松本が面白いと思ったから視聴率を稼いだのだ。
ムーブメントには必ず、それを支持する多数の大衆が必要となるのだ。
松本のような広いマスに対して自らの表現を売り物とするものは、
常に時代を見つめながらコンテンツを生み出さなければすぐに大衆から見捨てられる。
ウケないものとはなにか?
大衆とはなにか?
それはすなわち社会だ。
このような言葉使われるようになって久しい。
これはどういうことか?
なぜか?
だから常に価値観をアップデートしないと常識はずれの言動してしまうぞ、ということだ。
ならば、その逆も真実だ。
過去を振り返るときには、価値観のダウングレードをしなければならないのだ。
理解できるだろうか?
そのアップグレードされた価値観で持って過去の出来事を振り返れば違和感しか感じないのが当たり前だ。
なのにそのアップグレードされた価値観で過去の出来事を断罪するなど
愚か者のすることだ。
そうは思わないだろうか?
笑いというのは毒である。
人は毒を面白がるのだ。
しかし毒は
その時々で
使っていい量
使っていい種類
が異なる。
常にその許容は変動していき、
それを間違えれば死をもたらす。
小室は「金、名声、女」を集めるための音楽を作る才能があったってことで、
今年こそ俺はXをやめたい。
その主な要因は、PCであれば画面右側に常に示されている「いまどうしてる?」、スマホなら🔍の"For you"である。
そこに「〇〇のトレンド」と称して様々なキーワードが表示されているが、ポスト数は低いものだと1,400程度だったりする。
Xのユーザー数から考えたらトレンドとは呼べないような数に過ぎず、一部の人達が騒いでいるだけの内容だ。
どういう内容なのかとクリックしてみると、全く面白くない団扇の盛り上がりに過ぎないことがよくある。
いや「全く面白くない」だけなら問題は少ない。もっと問題なのは、誹謗中傷やヘイト、差別的ポストがうじゃうじゃ出てくる場合である。
例えば野党の女性政治家などの名前が「政治のトレンド」と称してPCの「いまどうしてる?」スマホの🔍の"For you"に登場し、試しにクリックまたはタップすると、ネトウヨ、ミソジニスト、レイシスト達による誹謗中傷、ヘイト、差別的ポストが大量に現れるのである。
そういうアカウントは片っ端からブロックまたはミュートするのだが、それだけでも結構な時間を取られる。
なぜ最も見たくない差別ヘイト投稿が"For you"のなるのか?を推測すると、差別ヘイト投稿を通報したり、差別ヘイト投稿に対する反論をリポストしたり「いいね」したりしていると、「この人はそういう話題に関心がある」と判断されて「いまどうしてる?」や"For you"にますます差別ヘイト誹謗中傷トピックが上がってくるようになるのだろう。
去年の暮れのある時期は「いまどうしてる?」や"For you"のトップが何日間も「アンミカ」で、その中身の大半がアンミカさんに対するデマ差別ヘイト誹謗中傷であった。
そうやって意見の対立する人々を焚き付け争わせてインプレッションを稼ぐ、というXのクソシステムなのだろう。
以前のTwitterにもそういう傾向はあったが、イーロンマスクが乗っ取ってからはさらに酷くなった。
では、Twitter→Xがずいぶん前からクソだと分かっていたのにやめられなかった理由は何かというと、
事件や事故の現場の映像が、テレビやニュースメディアよりも先にXに上がってきて、それを目にすることができる。しかし、これは結局、「マスメディアよりも先に俺は現場の状況を知っている」という優越感に基づく快感に過ぎないのであり、俺自身がその現場に瞬間移動して超人的能力を発揮して問題を解決できるわけではない。「マスメディアよりも先に俺は現場の状況を知っている」という優越感に基づく快感は煩悩の一種である。この煩悩に囚われてX世界にとどまり続ければ、上で書いたように大量の差別ヘイト誹謗中傷を目にすることになり苦しみが増す。釈尊の言う通り、煩悩は苦しみの原因なのである。
好きなアニメや「スポーツの生中継」を見ながら公式ハッシュタグで実況ポストをして、そのハッシュタグの他の人のポストも見ると言うのは実に楽しい。見ず知らずの赤の他人と共に「優勝!」「ゴール!」「落車!」「ホームラン!」「トライ!」「バルス!」とか騒ぐのは現実世界で孤独でもネット上では大勢の仲間と共にいるかのような思いを味合わせてくれる。
しかし、そのような架空の連帯感も所詮は煩悩である。アニメやスポーツといった娯楽によって作られる連帯感は偽の連帯であり、これらは歴史的に見れば「パンとサーカス」の「サーカス」のように権力者が大衆を扇動するために利用してきた。
志を同じくするもの同士が集まった時に生まれる本物の連帯とは違うものである。
架空の連帯によって孤独感を癒そうとするのも煩悩の一種であり、釈尊の言う通り、煩悩は苦しみの原因なのである。
では、人間の苦しみの根本原因であるXを絶つためには、具体的にどうするべきであろうか。
まず、朝起きて充電の完了したスマホを手に取った時、「いま世間では何が話題になっているのだろう?」という低俗な興味からXの🔍の"For you"見ることはやめ、TBS NEWSDIG のようなニュースアプリでちゃんとしたメディアが吟味した重要な最新ニュースを読むべきなのだ。又はマストドンやスレッズで新聞社や通信社のアカウントをフォローすれば、そこが報じる最新ニュースがタイムラインに流れてくる。
Xからメディアが報じていない事件の衝撃映像を見て「俺はまだマスコミが報じていない事件を知っているぞフハハハ」と優越感に浸るのは無意味な快楽に過ぎず、それを求めるのは煩悩に過ぎない。メディアが報じていない事件事故災害の現場を知ったからといって俺が偉くなるわけではなく、それを知ったからといって何かできる訳でもない。そのような煩悩でXにとどまる事こそが苦しみの原因なのである。
現在のところスレッズにはハッシュタグの機能はないがマストドンはハッシュタグが有効である。そして幸いなことにマストドンにはXのPC「いまどうしてる?」スマホ🔍の"For you"のような、あえて不快なヘイトや差別や誹謗中傷を目の前に吊るして対立を煽るようなシステムは現状は存在していない。だからマストドンに多くの人が流入してマストドンのハッシュタグが盛り上げれば万々歳なのだが、現状ではマストドンのハッシュタグは閑古鳥が鳴いている。分散型システムのややこしさから今後の大量流入は無さそうだ。でもそれはそれで仕方ない。ハッシュタグによる架空の連帯感に酔いしれたい、というを煩悩を捨て去り、ただXを去るのが涅槃への道である。
スレッズとブルースカイには現状ハッシュタグのシステムは無いが、スレッズがハッシュタグを導入すれば利用者数の多さを考えるとX並みに盛り上がる可能性はある。そしてスレッズもマストドン同様、XのPC「いまどうしてる?」スマホ🔍の"For you"のような、あえて不快なヘイトや差別や誹謗中傷を目の前に吊るして対立を煽るようなシステムは現状は存在していない。
だからスレッズがハッシュタグ機能を搭載すればこの問題は解決すると思われるが、現状スレッズがハッシュタグ機能を実装する気配はない。
強固なファン層を得ているとかではなくて、大炎上していても意外とTVで報道するまで、
なんならTVで報道しても連日やっていなければ知らなかったりする
このアーティスト・著名人、このサービス、確実に君が嫌いなタイプだと思うよ・・・ってのを割と平気で使ってたりする
(気分を悪くさせる必要ないので店以外は黙っている。店は行きたくないので伝える)
TVや新聞で連日報道されない限り、謝らないって割とひとつの手段なのかもなと思った
なぜなら炎上に気づかない人たちは謝罪にも気づかないからな(コストが無駄)
ちな、この手のタイプ、老人(65歳以上)でもない限り、基本的に年収低いので、大衆向けであるほど効果が高そう
ハイブラはカタチだけの雑なものでもとりあえずは謝罪するもんな
ワイ殿堂入り絶許は、サントリー(ハーゲンダッツなどの関連も含む)、NHK、Soup Stock Tokyo
アラン・デケイロス「サルは大西洋を渡った 奇跡的な航海が生んだ進化史」
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S1話 スメルズ・ライク・イーヴル
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S2話 ステアウェイ・トゥ・ワンダーランド
ルイジ・ピランデッロ 「ピランデッロ戯曲集I 役割ごっこ/作者を探す六人の登場人物」
アゴタ・クリストフ「第三の嘘」
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S3話 シー・キャント・エクスプレイン
アゴタ・クリストフ「昨日」
マイケル・カニンガム「めぐりあう時間たち 三人のダロウェイ夫人」
日経アーキテクチュア編「危ないデザイン 建設設計や運用に仕える知見を事故に学ぶ」
池澤夏樹「ワカタケル」
M・R・オコナー「絶滅できない動物たち 自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ」
特別展「毒」
「すずめの戸締り」
ボドゲ(クイックショット、マーダーミステリー・想いは満天の星に、ワードウルフ)
友人のブログで見かけた本や、別の友人から紹介された本や、旅先の十和田市の図書館で見かけた本を読んだ。アゴタ・クリストフは再読。昔は低く評価してしまったが、再読して正解。引越し先にも持っていきたい。
ビー・ウィルソン「キッチンの歴史 料理道具が変えた人類の食文化」
スティーヴン・J・ダブナー 、スティーヴン・D・レヴィット「ヤバい経済学 悪ガキ教授が世の裏側を探検する 増補改訂版」★
山下いくと「EVANGELION ANIMA 1」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 2」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 3」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 4」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 5」
繁田信一「平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職」★★★
「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」
「活字 近代日本を支えた小さな巨人たち」於・横浜市歴史博物館
特に平安時代に思い入れがあるわけではないが、何となく読んでいる。
千葉雅也はゲイコミュニティの様子が描写されていて面白い。ただ、作者がどちらかと言えばインテリ寄りなので、わかりやすく書いてくれているだけってのもあるだろう。
「EVANGELION ANIMA」は新劇場版に流れた設定があるだろうかと思って読んだ。とはいえ、シン・エヴァンゲリオンでいろいろな感情が成仏したため、考察を深めるにはいたらず。
ジャスティン・O・シュミット『蜂と蟻に刺されてみた 「痛さ」からわかった毒針昆虫のヒミツ』
尾脇秀和「氏名の誕生 ――江戸時代の名前はなぜ消えたのか」★★
ロブ・ダン「家は生態系 あなたは20万種の生き物と暮らしている」
ジャン=アンリ・ファーブル著、奥本大三郎訳「完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル著、奥本大三郎訳「完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 下」
「シン・仮面ライダー」
かつて友人に「最近はあまり文学が読めなくて困る」と愚痴ると、「おっさんになると政治経済歴史、生物学の本を読むことが増える」という返答が戻ってきた。
あまり感情を揺さぶられたくないと感じてしまっているのか、歳月がある程度風化させたものに関心が向かうのだろうか。
現に「ファーブル昆虫記」を読み始めた。最近は何が読みたいのかがわからなくなってくると、やたらと巻数のある本を読むことが多い。昨年も「旧約聖書」を通読したし、その前は「聊斎志異」「三国志」「西遊記」、その前は「ラーマーヤナ」や「ガラン版千夜一夜物語」を読んでいる。
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第3話 魔の山を走れ
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第2巻 上」
梅津和夫「DNA鑑定 犯罪捜査から新種発見、日本人の起源まで」★
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第2巻 下」
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第3巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第3巻 下」
フレデリック・クレインス「ウィリアム・アダムス 家康に愛された男・三浦按針」
高野秀行、清水克行「世界の辺境とハードボイルド室町時代」★★★
「ルーヴル美術館展 愛を描く」展
高野秀行は定期的に読みたくなる。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第4巻上」
スージー・ホッグ「5歳の子どもにできそうでできないアート 現代美術(コンテンポラリーアート)100の読み解き」★★
スージー・ホッジ「世界をゆるがしたアート クールベからバンクシーまで、タブーを打ち破った挑戦者たち」★★★
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第4巻 下」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻 下」
堀越啓『西洋美術は「彫刻」抜きには語れない 教養としての彫刻の見方』
グレイソン・ペリー「みんなの現代アート 大衆に媚を売る方法、あるいはアートがアートであるために」☆
また、先月の鶏に続いて、食肉にまつわる本を読んだ。屠畜の現場についての本も読みたくなったのだが、関心がほかのテーマに移ってしまった。「昆虫記」を読んでいると、当時のヨーロッパの屠畜について書かれているのも興味深い。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第6巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第6巻 下」
渡邊大門「清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第7巻 上」
武澤秀一『伊勢神宮の謎を解く アマテラスと天皇の「発明」』★★
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第7巻 下」
「マティス展」
「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」
読書を休んだ日が多い割にはまあまあのペース。昆虫記は8月の中頃に読み終わるだろうが、旅行にまでに間に合うかはわからない。間に合わなくても構わない。
当時はそう書いていたのだが、なんだかんだで間に合っている。
こうしてみると美術展には毎週行っていることになる。旅行先で絵画ばかり見るのにはもう飽きたと口にしているものの、そうでもないのかもしれない。それとも、歴史や神話の知識で「読解」できてしまう西洋の古典絵画に飽きているのか? だから博物館の歴史的遺物により惹かれるのか。
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