はてなキーワード: 描写とは
結構しんどかった
いわゆる携帯小説のたぐいだった
太平洋戦争の時代へタイムスリップして特攻隊員に恋する話なんだけど
あとヒロインの性格や悩みも良くわかんなかったし、どう惚れたのかもよくわかんなかった、男の方はちょっと不気味だった
それでも若者には受けてるみたいなので、俺が間違ってるんだろうなと思った
多くの違和感の正体は、原作が小説であり、主人公が中2であるためだった(映画では18歳、女優は25歳)
主人公の発言が言ってしまえば幼稚なんだ、偏差値35の女子高生ならこんなかな?とも思うが、設定では頭がいいことになっていたので違和感がすごかった
元が中2なら納得だ
もしこれがちゃんと中2主人公で、戦時下の難しい話や価値観の違いは脇に置いといて、愛にフォーカスを当てた文章がイラスト付きであったら、しっくり来る内容だと思う
あと展開の改変も多かったようだ
小説の方では波乱があり、盛り上がる場所もあるようだが、映画ではごっそりだ
(一応ネタバレはしないが、あらすじをちょっと調べるだけでだいぶ削ぎ落とされたことがわかる)
でも実際若者には受けているようなので、そのチューニングは正しいのかもしれない、わからないけど
個人的にはちゃんと原作通りの内容をアニメかなんかでやったら泣けたと思う
ところで、ゴジラ-1.0でも正直戦中戦後の描写は微妙だなとか、邦画特有の臭さとか、偽物感とかあったんだけど
ゴジラが出てきて全部ぶっ壊しちゃうから、「ああこれはファンタジーだ」と割り切れた面があると思う
ショックだったのは、若者にとってアレが不気味の谷ではないということで
つまり太平洋戦争というものが、ナーロッパや時代劇のような、ディティールを誰も知らないファンタジー舞台に近づいたということだ
例えばアニメ「薬屋のひとりごと」ではファンタジー中華が舞台なわけだが、アレは私にとって不気味の谷ではない
Z世代、α世代にとって戦中というものもそうなっていってるということなんだろう
むしろ制作者がそれを見越して若者向けにチューニングしているんだとすれば、それはそれですごいなと称賛するところかもしれない
(ちなみに小説とは展開が違うが、漫画とは近いらしいので、チューニングした人は漫画の編集かもしれない)
___
それにしてもゴジラでも感じたけど、今回もすごく舞台用の構成に見えた
あの子昔から艶がありすぎるから、助けてくれる男が下心あるようにしか見えなくなるんだよ
あと棒立ちで話すシーンが多すぎたんだけどこれは元が小説だからだよね
もう少し動きをつけられなかったのかな
あと軍用の食堂という設定なのにメインメンバー以外が全然出てこないの違和感あるしもったいない
たぶんこれも小説で描かれてなかったからだろうけど(それか予算不足か)
先に何人かが特攻に行ってしまう描写があるだけで結構違うのにな
親との喧嘩の内容が雑すぎ
なんで親と和解できたのかも謎
「溺れた子を助けて亡くなったお父さん」のフックも回収してなくてモヤモヤした
子の教育に悪影響を与えるコンテンツとして昔からよくやり玉に挙がっていたのは漫画やアニメ、あとゲームだが、YouTubeはそれらを遥かに超えていた。
なんだかんだアニメやゲームは自主規制団体があるし、漫画も編集部が噛むので、そこまで倫理的、道徳的にヤバい作品は出てこない。
仮に出てきても必ず大小何かしらの騒ぎになってその作品名が知れわたるので、親としてコントロールするのは容易い。
ところが、だ。
【漫画】園児の子供を妊娠した保育士。可愛がっていた生徒たちがお昼寝の時間に乗ってきて…しばらくして生理が来なくなり妊娠していて・・・
進研ゼミのマンガのような凡庸な作風と、声優のアフレコ、適度なBGMとSEによってアニメを見ているような気分で楽しめる子供たちに人気のジャンルだ。
そのジャンルの動画でこのようなヤバめな思想モリモリの動画が平然とアップされている。
とても全部見れないと思うので、あらすじをかいつまんで説明すると、22歳の独身保育士女性を5歳の幼児が孕ませ、それをきっかけに幼児の親が離婚、幼児の父と保育士が再婚し、幼児の子を産んで一緒に育ててハッピーエンド!という荒唐無稽な内容だ。
しかしこれらの内容が進研ゼミ風な凡庸無害な作風と相まって、さも普通のことであるかのように描かれている。
当たり前だがこの作品で描かれている事柄には倫理的、法的に大きな問題があるし、登場人物の心理描写もメチャクチャだ。
もちろん大人であればそれらがおかしいことであるとわかって見れるので問題ないのだが、こと子供が見るものと考えると大問題だ。
親や周囲の大人からの適切な助言・指導なしにこれらのコンテンツを摂取し続けると人格形成や対人関係の構築に多大な悪影響を与えかねない。
そんなコンテンツが野放しにされ、しかもチャンネル登録100万人以上、再生数100万回以上のわりと人気なコンテンツとなっているのは、巷にあふれる萌え絵ポスターなんかよりもよっぽどヤバい問題だろう。
ゴールデンカムイが全話無料だったので読んだけど、めちゃくちゃ面白いと同時に読んでて「狂気を計算で演じててネットの評価をハックするのに最適化されてる〜!」と感じた漫画でもあった(実際には一般人気もあることは前提として、あくまで作風の話)
「一見トンチキだけど実は真面目に読んでも面白いんです!」みたいな、「不良がたまに犬助けるとめっちゃ褒められる」理論を本来優等生をやれるスペックのある奴が再現して人気を最大化しようとする手付きを感じた
例えば作中屈指の異常者である宇佐美の異常性は主に「例え親友であっても腹が立ったら躊躇なく殺す殺人への抵抗感の無さ」と「精子探偵や門倉のケツを叩きたがる性的倒錯」の2つがあるんだけど、前者は鶴見の殺人理論の確立や尾形との対比の説明として重要なのに対して後者は作劇上必然性が全く無いんだよね
「作劇的な意図に関係なく作者の狂気が勝手に漏れ出てきたのでは?」という可能性もなくはないけど、少なくとも描写的にはウケ狙いに見えるというか作者が射精する男性にフェチを感じている可能性は低い
でも「アイヌの金塊を巡る真面目に面白い群像劇」みたいな紹介より「アイヌの金塊を巡る、精子の飛ばし合いで犯罪者と戦う奴が出てくるけど真面目に面白い群像劇」の方が注目を集めるのみならず真面目な部分の面白さも引き立つわけだ
このやり方って特にインターネット受けを重視する上ではめちゃくちゃ効果的で、ギャップによる魅力の上昇を狙えるだけじゃなくて「自分この作品好きじゃないわ」みたいな評価に対しても「まあ精子飛ばすような作品だし人選ぶよなw」で作品の本質的な欠点から批判をそらしてダメージ軽減することも出来るのよ
インターネットや評論家に受けやすいのは本質的な欠点が目立たない漫画なんだけど、「本質的な欠点が少ない漫画を愚直に作る」という選択肢の他に「表面的な『人を選ぶ要素』を散りばめてそっちに批判を誘導+真面目な面白さのギャップのためのトリガーとしても利用する」というクレバーな別解もある(そしてゴールデンカムイはかなりの精度で後者を成功させている)
だから作者は相当真面目で読者とネットの評価に目配せしまくってんな〜って印象だったんだが破天荒な作家扱いされてるのが結構不思議だった
別の漫画だとハイパーインフレーションもそういうハックをするタイプの作品に見えたし(そしてこちらも癪なことに面白い)、こういうあえて突っ込みどころを作ってギャップで評価の最大化+批判の誘導を狙う作風は今後一つのジャンルになるかも知れないな
https://anond.hatelabo.jp/20240104090923
まずメールの通知が止めないと鳴り続けるアラームって言うのがおかしいよね。
そんな設定してるやつ見たことねえよ。
作り話が下手すぎる。
そもそもシティヘブンのメルマガで即この反応になるのもおかしい
シティヘブンに敏感に反応し、かつスパムとも思わないのも不自然。
作り話が下手すぎる。
所持品て具体的に何?w
例えば財布なら財布ってはっきり書くだけなのに「所持品」て言わないよね。
そういうのってどこにあるだろうって考えたけど思いつかなくて雑に「所持品」。
作り話が下手すぎる。
情景を思い浮かべずに書いてるんだよな。
ちゃんとした人間は実際のイメージを作ってそれを文字にするの。
営業根性ある奴なら初めての時にメアドやLINE入りの名刺渡してくるのはあるしそこに「今日はありがとう」とか書くことはある。
大体そんなもん独身の俺でももらわねえんだわ扱いに困るだけから。
捨て方だって軽く緊張するじゃん?財布なんかにも入れっぱなせない。
まして家族持ちがもらうなんてほぼ絶対レベルで有り得ないよね。
女の方だって「名刺渡して大丈夫?」って独身丸出しの俺相手でも聞いてくるし
客が家族もちだななんてのはなんとなくわかるから変なもん渡したりしない。
だってそんな証拠物になるもの渡して客がそれを人に見られるマヌケでトラブルになったら面倒でしゃあないだろ。
わんさかwwwww
何重にも有り得ないし、それ何目的で持ち帰ってどこにしまってるのという話。
それをわざわざ持ち帰る変なコレクター気質の奴なら厳重な鍵のかかる一か所にしまうだろうから
「所持品」からは出てこねえなあ。
おそらく週1くらいで通っているっぽい。
どうやってペースが分かるの?w
こいつはこの辺のディテールを思いつけなかったから「メッセージカード」って言い出したんだろうね。
多分日付も入ってるカードなんだろう。
夫が風俗通ってるのに気付いた女でもない。
知識も経験も頭もあんまりなくて作り話もきちんと出来ない人間。
そもそも週1で通うぐらいの常習者がシティヘブンなんか見ないんだわ。
俺も全然見ない。
それぐらい行き慣れてたら通う店を絞ってるしなんなら指名する相手すら絞ってる。
シティヘブンのメルマガなんか購読して通知も入れてるって言うの
風俗にもネットにも慣れてないすっごい真面目な男か爺さんとかだろ。
だから夫が週1で風俗に通ってることの証拠をスマホから探すなら
「なんか名前を設定してない番号(若しくは名前が不自然な番号)」に週1で特定の曜日特定の時間に電話してるなとか
「メールで指名相手と直接やりとりしとるやん」とかなんだよな。
予約受付開始時刻即電話みたいになるので、「こいついつも〇曜日の18:00に電話してんな」「しかも繰り返し5回もかけてるな」みたいな記録が残るわけ。
こういうことを知ってるかちゃんと調べてないと作り話も小説も面白くならないのよ。
そういうディテールの大事さがわかってないから横着なメッセージカード(笑)を登場させてしまった。
風俗常習者に全然詳しくないし、作り話に必要なセンスも真摯な根気もない。
0点なんだよね。
単に頭悪いだけの可能性もあるけどそうじゃないなら、
誰かの嫁なら夫が週1で風俗通ってることに気付いたならば、
「あの日はこういう嘘をついて家族を置いて出かけてた」とか「その金はどこから」とか
そういう部分から嘘の裏付けをとったり恨みを募らせていったりする。
なのにそういうのが何もないでしょ。
ここにもディテールが欠けてるの、こっちは風俗のディテールじゃなくて生活者のディテール。
頭悪い女が想像で書いてる話でももうちょっとそっちのディテールは出る気がするから、
これは頭が悪くて結婚もしていない女。
話の元ネタがあるならせいぜい彼氏が風俗行ってたとかその程度だと思う。
普通の妻が夫が風俗に週1で通ってたと確定させるのは意外に難しくて
そもそも表現したいのが何か次第だけど「週1」は本当に必要なのか検討が必要。
どうしても週1だと掴んだことにしたいなら電話の記録だけどそれも結構マニアックなので
これならシティヘブンも不自然なアラームもメッセージカードも所持品笑も要らない。
つまり書き手は中途半端に「知ってる」感を出そうとしてるんだよね。
それでシティヘブンだのメッセージカードだの出して、かえって少しでも風俗知ってる人間はすぐ変だと気付く話になってるし
風俗知らなくても知能が高い層には「なんかディテール甘いな」と感じさせる仕上がりになってる。
常習的に通ってたと掴ませるなら同じようにずっと簡単なやり方がある。
「店のカードが出てきてずらっとスタンプ並んでた」っていう方がはるかに簡単。
何の分野でも実は簡単かつ現実的な描写って言うのがきっとあるんだけど
まあそれも調べる根気ぐらいは無いと辿り着けないんだよな。
アラン・デケイロス「サルは大西洋を渡った 奇跡的な航海が生んだ進化史」
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S1話 スメルズ・ライク・イーヴル
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S2話 ステアウェイ・トゥ・ワンダーランド
ルイジ・ピランデッロ 「ピランデッロ戯曲集I 役割ごっこ/作者を探す六人の登場人物」
アゴタ・クリストフ「第三の嘘」
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S3話 シー・キャント・エクスプレイン
アゴタ・クリストフ「昨日」
マイケル・カニンガム「めぐりあう時間たち 三人のダロウェイ夫人」
日経アーキテクチュア編「危ないデザイン 建設設計や運用に仕える知見を事故に学ぶ」
池澤夏樹「ワカタケル」
M・R・オコナー「絶滅できない動物たち 自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ」
特別展「毒」
「すずめの戸締り」
ボドゲ(クイックショット、マーダーミステリー・想いは満天の星に、ワードウルフ)
友人のブログで見かけた本や、別の友人から紹介された本や、旅先の十和田市の図書館で見かけた本を読んだ。アゴタ・クリストフは再読。昔は低く評価してしまったが、再読して正解。引越し先にも持っていきたい。
ビー・ウィルソン「キッチンの歴史 料理道具が変えた人類の食文化」
スティーヴン・J・ダブナー 、スティーヴン・D・レヴィット「ヤバい経済学 悪ガキ教授が世の裏側を探検する 増補改訂版」★
山下いくと「EVANGELION ANIMA 1」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 2」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 3」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 4」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 5」
繁田信一「平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職」★★★
「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」
「活字 近代日本を支えた小さな巨人たち」於・横浜市歴史博物館
特に平安時代に思い入れがあるわけではないが、何となく読んでいる。
千葉雅也はゲイコミュニティの様子が描写されていて面白い。ただ、作者がどちらかと言えばインテリ寄りなので、わかりやすく書いてくれているだけってのもあるだろう。
「EVANGELION ANIMA」は新劇場版に流れた設定があるだろうかと思って読んだ。とはいえ、シン・エヴァンゲリオンでいろいろな感情が成仏したため、考察を深めるにはいたらず。
ジャスティン・O・シュミット『蜂と蟻に刺されてみた 「痛さ」からわかった毒針昆虫のヒミツ』
尾脇秀和「氏名の誕生 ――江戸時代の名前はなぜ消えたのか」★★
ロブ・ダン「家は生態系 あなたは20万種の生き物と暮らしている」
ジャン=アンリ・ファーブル著、奥本大三郎訳「完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル著、奥本大三郎訳「完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 下」
「シン・仮面ライダー」
かつて友人に「最近はあまり文学が読めなくて困る」と愚痴ると、「おっさんになると政治経済歴史、生物学の本を読むことが増える」という返答が戻ってきた。
あまり感情を揺さぶられたくないと感じてしまっているのか、歳月がある程度風化させたものに関心が向かうのだろうか。
現に「ファーブル昆虫記」を読み始めた。最近は何が読みたいのかがわからなくなってくると、やたらと巻数のある本を読むことが多い。昨年も「旧約聖書」を通読したし、その前は「聊斎志異」「三国志」「西遊記」、その前は「ラーマーヤナ」や「ガラン版千夜一夜物語」を読んでいる。
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第3話 魔の山を走れ
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第2巻 上」
梅津和夫「DNA鑑定 犯罪捜査から新種発見、日本人の起源まで」★
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第2巻 下」
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第3巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第3巻 下」
フレデリック・クレインス「ウィリアム・アダムス 家康に愛された男・三浦按針」
高野秀行、清水克行「世界の辺境とハードボイルド室町時代」★★★
「ルーヴル美術館展 愛を描く」展
高野秀行は定期的に読みたくなる。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第4巻上」
スージー・ホッグ「5歳の子どもにできそうでできないアート 現代美術(コンテンポラリーアート)100の読み解き」★★
スージー・ホッジ「世界をゆるがしたアート クールベからバンクシーまで、タブーを打ち破った挑戦者たち」★★★
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第4巻 下」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻 下」
堀越啓『西洋美術は「彫刻」抜きには語れない 教養としての彫刻の見方』
グレイソン・ペリー「みんなの現代アート 大衆に媚を売る方法、あるいはアートがアートであるために」☆
また、先月の鶏に続いて、食肉にまつわる本を読んだ。屠畜の現場についての本も読みたくなったのだが、関心がほかのテーマに移ってしまった。「昆虫記」を読んでいると、当時のヨーロッパの屠畜について書かれているのも興味深い。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第6巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第6巻 下」
渡邊大門「清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第7巻 上」
武澤秀一『伊勢神宮の謎を解く アマテラスと天皇の「発明」』★★
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第7巻 下」
「マティス展」
「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」
読書を休んだ日が多い割にはまあまあのペース。昆虫記は8月の中頃に読み終わるだろうが、旅行にまでに間に合うかはわからない。間に合わなくても構わない。
当時はそう書いていたのだが、なんだかんだで間に合っている。
こうしてみると美術展には毎週行っていることになる。旅行先で絵画ばかり見るのにはもう飽きたと口にしているものの、そうでもないのかもしれない。それとも、歴史や神話の知識で「読解」できてしまう西洋の古典絵画に飽きているのか? だから博物館の歴史的遺物により惹かれるのか。
【続き】
1番いらないのが商店街の連中。キャラありきのアニメでモブをプッシュする事自体が意味不明だが、都合良くキタサンageかマンセーして話を進めるのに便利なだけの脚本の怠慢すら感じさせる存在。他キャラとの交流や掘り下げから話を進めていれば印象も違ったと思う。
逆にスピカとカノープスはストーリー上全く必要がない客寄せパンタ的な存在でしかなく、話的には殆どただのノイズになりさがっていた。
サウンズオブアースとクラウンはモブも同然の扱いでもはや空気。せっかくキタサンの同時期同路線で活躍したライバルにも関わらず全くストーリー上意味がない存在だったのは脚本が競馬エアプで史実がわからないからとか?この辺りとの交流というのが一番必要な描写と思う
私は今流行りの映画ジャンルに身を置いている腐女子である。が、今回そのジャンルのカプは特に見ていない。
なぜなら、この作品はW男主人公の作品なのだが、片方が(最近話題にもなっていた)愛妻家・既婚者に該当するからだ。ここまで書いたらなんのジャンルかわかる方も多いかと思う。
ただ私は現在、既婚者BLではないところで非常にしんどい思いをしている。
それ、性的虐待だろう。養父が受けでも攻めでも、止められない・拒否できない時点で虐待だ。万が一にでも他人にバレて関係を通報されたら捕まって思い罰を受けるのは養父側である。
好きなキャラクターを犯罪者にして何が楽しいのだろうか。そして、犯罪者にしている自覚が腐女子たちにはあるのだろうか。性的虐待描写有り的な注意書きを見たことないので怖い。
二次元の出来事と三次元の事情を混同する人の方が区別できてないとはよく言うが、区別どうこうではなく、好きなキャラクターを性犯罪者にされて不快じゃない人間、いるか???いや、いるからこうなってんのか。本当に、とてもとてもしんどい。
更に、この作品はストーリー中実際に「性的虐待を受けていた」少女が出てくる。その少女さえ、性的虐待によって生まれてきた子なのだ。
その風習は作品内でもおぞましい因習として描かれ、先述した養父にあたる男は、その事実を知って嘔吐する描写がある。
また、この男は子どもを守るものとして認識していることが徹頭徹尾ブレることなく描写され、少女に言い寄られても最後まで靡かなかった。(もちろん相手が少女という以外にも本人に色々事情はあるのだが、割愛させていただく。)
映画は前日譚であり、本来はTVシリーズが元となっているのだが…そちらでも、息子は大切に育てられたことが何度も示唆され、よき養父だったことは明らかだ。
子は宝であり未来をつなぐ希望である、というメッセージ性が含まれている映画に出てくる、しっかりした倫理観を持つW主人公の片割れ。
そんな男が、二次創作で、育ての息子と体の関係を持つのが流行っている。
本当に信じられないし、怖い。
穴と棒があればなんでもいいという感覚が怖い。
この映画を見て、キャラクターがエロいからどうにかカプにしたい以外の感情を持たないのだろうか。
こんな素敵な素晴らしい映画作品を観て、感じ取るものがなかったのだろうか。
自分の感覚が正解だとか主張したいのではなく、理解出来ない価値観の二次創作CPが異様な流行り方をしているのが怖すぎて、どこかに吐き出したくて仕方なくて、本当に我慢できなかった。
おわり。
少女漫画書かせて、自分に似せた屑サイコパス男を理想化してる連中がたくさん集まってるのが、あの手の企業だろ。
だからちょっとでも踏み込んだ話し作ると、とんでもない差別的でサイコパスな屑イケメンばっか活躍する話になってボロが出る。
それでストーリー性なんて全くないゲームばっか作って騙してるのが任天堂でしょ。
男向けに作ってる時は、出来る限りマイルドにして騙してるのにアレだからな。
んで、危険なサイコパスキャラ以外は、特に理由もなく感じ悪くて、簡単にぶっ殺されるゴミみたいな屑とか、うすっぺらいステレオタイプな熱血漢や正義漢や優等生キャラみたいなのばっかになる。
サイコパスキャラだけが、異常なほど深堀りされて魅力的に描かれるから、サイコパス以外の人間は、軽薄で中身空っぽのつまんない存在という危険な偏見を植え付けられる。
そりゃ、ペジータみたいな権力者の王子様のために、平気で大量虐殺でも侵略戦争でもやる奴がたくさん湧くわけ。
ロシアがーとか喚く前に、お前らの読んでる漫画を批判的に見つめてみろって。
エロがー規制がーとか喚く癖に、サイコパスイケメンの暴力描写を批判されると、頭の固いPTAと同一視して発狂するバカども。
エロが性犯罪を誘発することはないって統計的に明らかにされてて、逆に、称賛される暴力描写は、暴力を誘発する可能性があると言われてんのにね。
意識してるのかな
・じゃあ何すか
ドラえもんはミーガンって事すか
と思いながら観てたけど冷静になればのび太君は
境遇でミーガンに依存するのと機械で友だちをつくるなんて、かわいそうだね。とは
前提が全然違うか…となった
・カウンセリング?の人が自宅に来ておもちゃ(コレクション)で
ピキらせながら開封して遊ぼうかシーン、
独身の人が子供を引き取っての軋轢をすごい的確に伝えて秀逸ゥ〜ってなった
あと入り口でマッチングアプリ通知してくるの的確な独身わからせ描写だだた
・ミーガン役の子、モーションに少し期待し過ぎてた
唐突感の味わい
・ネット評判でクソ親をぶち す話って聞いてほーんって観たけど
全然違うじゃねーか!いいけどネットの話は鵜呑みにするもんじゃないなと
思った
・レオ、面白そうだけど「老が若者に説法して気持ちよくなる受容体を
トータルではヨシ!ってなった
・老なので経験値豊富なので各々の生徒に「かつて君みたいな子がいたよ」って
いってカウンセリングしてあげるのは予想できたがババア先生がかつての生徒で
記憶の共通部分がある、かつての先生から学ぼうの流れは予想出来なかったから
「老い」、そういう側面もあるか…!ってなった
あと他のクラスにも移動になるから「老でも学ぶというのは可能や」的なのも良かった
なんか地面に這いつくばって回転してる子とかたまに
イかれた動きのする個体がいて滅茶苦茶おもろい
・クラスでおちょけちゃう少年、悩みの方向性そっちかってなった
おちょけ男子withルサンチマンというのはいつの時代も美味いので
そちら方面を期待した
・画面の端っこでオモロだし特に序盤キャラ性の提示が的確オモロでしゅ、秀逸〜〜ってなった
ババア先生登場シーンの「子供たちが先生襲来前にグループ連絡してたのが可愛く見れるほど
マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四つの福音書を読み終えたところだけど、どれもなろう小説じゃん。
福音書は細かく章や節で分かれていて、一つ一つが読みやすい分量に収まっているところなんて、まるで毎日更新のなろう小説じゃん。
内容だって、神からチート能力を授かったり、チート能力で怪我や病気を治したり、チート能力で羨望の的になって仲間を集めたり、悪役を論破したり、なろう小説そのものじゃん。
チート能力で人の病気を治して「このことは、だれにも知らせてはいけない」と言っておきながら、話が広がってしまうけど満更でもなさそうなところなんて、やれやれ系主人公じゃん。
自分がいずれ死ぬことを予言したり「あなたは三度私のことを知らないと言う」と予言したりと、運命を予言するところは軍師系主人公じゃん。
処刑される段になっても抵抗せずに不暴力に徹するところなんて、達観した不殺系主人公じゃん。
そんなこんなでマタイの福音書を読み終えて次はマルコの福音書を読んだけど、内容はほとんど同じじゃん。
細かいところが違うだけで話の大筋がほとんど同じなんて、なろう小説の作品群そのものじゃん。
そして、ルカ・ヨハネと続けて読んだけど、同じような話を四つ連続で読むのはしんどかった。
まあ、同じ話を八連続で見させられるエンドレスエイトよりはましかな。
四連続で同じような話を読むと、それぞれの話の違いだったり優劣だったりが気になってくる。
描写の細かさやストーリー展開のスムーズさなど、小説としての完成度が最も高いと感じたからだ。
イエスの口調がやたらと尊大で、父が神であることを殊更に主張する権威主義者になっていて、「えっ、イエスってこんなキャラだっけ? 他三つの福音書とずいぶんと性格が違うけど」と読み始めたころは困惑した。
しかしながら、イエスがいけ好かない人物として描かれているからこそ、処刑されることの納得感が強かった。
他三つの福音書ではイエスが奇跡を起こしては「やっぱりイエスさんはすごいや」を繰り返すばかりでワンパターンだけど、ヨハネの福音書では奇跡を起こす回数はそこそこにして、ファリサイ派との論争を中心に描かれているのも良かった。
前 https://anond.hatelabo.jp/20231231221404
本章は、マジメに仕事をしてる人にとっては厳しい描写がある。F君が4年目の頃で、福祉課では「コミュ障だけど実力者」という位置づけになっていた。いや、実はコミュ障じゃなくて、そういう演技をしてるだけなんだが、とにかく皆飲み会ではそんなことを話していた。
この頃、福祉課が所管となる新しい公共施設を作ることが決まった。立ち上げの意思決定は偉い人がやって、後は福祉課という単位で内容検討及び整理(企画、運営内容、スケジュール、職員体制、間取り、地元の関わり、国や県の補助金、外部識者を交えてのミーティングその他多数)をすることになってた。
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エピソードの前に話しておくことがある。
地方公務員の場合は、民間企業に比べて権限を持つのが遅い。行政権力を持つのはベテランになってからでないと危険、という考え方による。地方公務員の場合、物事を決裁する権限の最低役職は課長級である。民間でいう部長ほどの位置づけになるのは50代半ばか、早くても50代になってからだ(役職に年齢要件がある。課長は満45才など)。
民間だと、できる人は40才くらいで部長になるわけだろう。遅すぎるとは思うが、でも30代の人が生活保護適用とかの決裁権を有するのは怖いような気がする。正直何とも言えない。
ところで、当時の福祉課長(ハムスターの人)も、民間業界で例えると部長クラスだ。といっても、本人は会議で下の職位の人間が言うこと(各グループリーダーやF君の企画案を含む)を代弁するだけで、本人は大したことは考えてなかったと断言できる。
ただ、見た目は貫録があった。それで、偉い人が集まる会議でドーン!! と意見を言ってくれるのはありがたかった。しかし、難しい仕事になると部下に丸投げだった。課長としての実力はなかった。
ではなぜ、ハムスターに課長職というランクが充てられたかというと、平成の大合併の際に福祉課長がいた自治体が当市とくっついたのだが……市町同士の合併協定の中に「○○町の出身者は、別表に従って一定の職位に就かせる」というのがあった。ハムスター課長もその例により昇進していた。
例として、合併直後は十人以上を管理職に就かせる決まりで、合併から10年後は五人以上を管理職に就かせるみたいな感じだ。当市の共有フォルダの隅っこにあった合併時の協定書(スキャンデータ)に書いてあった。
このルールは、個人的にはアリだと思う。というのも、吸収合併されるくらいの自治体だから、力がないわけだろう。でも当市の一部ではある。放置はまずい。よって、その自治体出身の人を一定数昇進させることで、まちづくりの力がダウンするのを防ぐことを狙う意味では、妥当な措置だと感じる。
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話を進める。
上で述べた新しい福祉施設の関係で、福祉課メンバーが建築系の部署がある階に行くことになった。建築の部署(住宅グループ)に今後の施設設計の予定とか、議会説明用の視点とか、入札スケジュールとか、いろいろ打ち合わせる必要があったのだ。
戸籍課とか市民税課は市民でごった返してるけど、土木建築フロアはそこまで客がいない。市民というよりは業者がメインだ。
その話し合いの際、Dさんという建築専門職の人が打ち合わせに出てきた。50代前後の人で、役職なしだった。ここに来る前に聞いたところだと、建築職も事務職もできて、土木建築系のプロ資格をたくさん持っている。入庁3年目で一級建築士試験に合格したらしい。これまで市内の公共施設の設計をいくつも手掛けた、と本人が言ってた。
近年だと、自治体職員じゃなくて建築コンサルが公共施設の基本設計・詳細設計をする(※職員は最低限の図面だけを描く)ようになっている。そんな世の中の流れが悔しいと漏らしていた。
このDさんという人だが、これまでに見たことがないタイプの人だった。悪い意味で。この打ち合わせには、俺以外に総務グループリーダーと、そしてF君が施設管理部門の代表として来ていた。F君がいるグループのリーダーは、訳あって病気休暇に入っていた。一応犯罪がらみだ。詳細は述べない。
というわけで、まずは協議机に座ってF君が挨拶をすると、Dさんも話を始めた。
「お疲れさん。あんたとは初めてだのう」
「はい。初めてです」
「はい、ありがとうございます……」※何かを察して表情が曇る
「緊張すなよ。共通点を探しとるんだから。大事じゃろ。あんた、前はどこで働いとったん?」
「広告代理店です」
「ほー、うちの息子も広告業界で働いとる。どこの会社におったん?」
「電通です」
「電通!! やるのお。うちの子はアサツーよ。ちょっとは繋がりがあるのう」
「ADKは面白い会社ですよね。夢があって、挑戦的で。キャラクターや版権の仕事とかされてるんです? 息子さんは」
「それが教えてくれんのよ。親に仕事の話を。あんたは何をしとった?」
「キャラクタービジネスをしてました。日曜朝にやってるアニメとかの」
「早稲田です」
「そうか。ワシは○○で○○をしとった」※理工系
「第一志望です」
「ほうか。東大の滑り止めで入ってくるヤツも多いからの。これは……意外と繋がるのう」
「はい」※F君が照れ笑い
それから、公共施設の話はスムーズに進んだ。Dさんは頭の回転が速かったし、知識や教養もすごかった。含蓄に富んだ話をしていた。ただ、役職はなかった。いわゆるヒラだった。一応は主査級だったが、ここまでは年齢で自動昇進する。役所内だと主査はヒラ扱いである。
話はサクサクと進んだ。Dさんの上司も同席してたけど、口を挟むことは一切なかった。時間が経って、打ち合わせが無事に終わって雑談をしていると、同じ建築部署(住宅グループ)の年配女性職員がDさんが座っているところに来た。
「すいません、割り込んで。○○会社さんが急ぎということで電話を」
「あ……? 何を言うとるんじゃ。ワシが今何をしとるかわかっとんか?」
「先方に説明したんですが、急ぎということで」
「何をしとるかわかっとるんかっ!! なんで打ち合わせの時にっ!!」
※ここで、Dさんが持ってた筆箱で協議机をガンガンやりはじめた
「なんで邪魔をするんならぁっ!! お前、自分がなにしとんかわかっとるんかーー!!!!」
「……」
Dさんの上司が、「うん。Dさん。では、後でかけ直してください」と諫めたが、「あ!? かけ直すじゃと……? 協議が終わったんだろうが、じゃあ向こうが優先に決まっとろう、すぐ出るわ……おい、お前はアホなんか?」と、Dさんが上司に食って掛かった。
「すいません……」
「二度とすなぁよ」
「すいません」
そそくさと、席を立って俺達は帰ろうとしてたが、F君がDさんに「ちょっと。怒っても何にもならないんじゃないですか?」と言った。
「なにが、どうにもならんのじゃ!!」
「怒っても、Dさんの……」
「あ?」
「Dさんの」
「あぁ!? 若造が。なんならあ、お前。ボケじゃのう。おみゃあ、○○○でも○○○○でもなかろうが。まともにせえや。ワシは仕事をまともにやっとろうが」※差別的な言葉のため伏せている。
「話を聞いてください!」
F君がヒートアップしはじめて、Dさんがさらに激昂したところで、無理やり席を立って帰った。フロアを見渡すと、お客さんであろう業者の人は……ほかの部署でフツーに接客対応を受けてた。取り乱した様子はない。
また別の業者は、汚いものでも見るような視線でこっちを見ている。きっと、帰りの車の中で噂をするのだろう。
市営住宅管理システムと思しきパソコンを保守点検していたベンダー会社の人は、落ち着かない様子で「どうしよう……」とまごついていた。
少数いた一般市民の人は、「なにがあった?」とこっちの方を遠目で眺めていた。やはり、家に帰って噂をするのかもしれない。
それから何度も建築部署に行くことがあった。できれば行きたくなかったが。打ち合わせに行かざるを得なかった。
多くの地方自治体ではそうだと思うが、建築部署というのは花形のひとつだ。なんたって公共施設を作るわけだから。この部署で「まちづくり計画」とか「都市計画マスタープラン」とか「○○市総合計画」みたいなものの骨子が作られて、後は企画調整課みたいなところが関係課を周って肉付けして、最後に専門コンサルに投げて、その自治体の行政計画(プラン)が出来上がる。
そういうわけで、偉い人が承認した都市計画のひとつである福祉施設の着工にあたっては、この部署と話し合わないわけにいかない。絶対的に必要なステップだった。ただ、次の話し合いからはDさんは混ざらなかった。建築部署が配慮してくれたのだろう。
以後、建築部署に寄った際にDさんのヒドイ光景を何度も見ることになった。最低でも三度は見た。上司とか、同僚とか、市民(業者含む)に対してとんでもない発言をしていた。5つだけ抜粋する。
「私は出世はしなかったし、今後もしない。市が自分に一体何をしてくれたのか。私はヒラだから、ここに尽くす義理はない。それは出世した人間の仕事である」
(〃)
「この部署(住宅グループ内の一般住宅担当の意)は、どの職場でも相手にされない人間が配属される掃きだめである。箸にも棒にもかからない連中が集まっている」※真偽不明。俺に言わせると違う。
(上司の机の前で)
「ワシはやる気はないんじゃけ、もう難しい仕事とか振るな。時間の無駄よ。早期退職も考えとる。定年までゆっくりさせてくれ」
(連絡や報告をして、と言う同僚に)
「何を言うとる。自分で判断せえ。必要な情報はぜんぶお前らにやっとる。ワシが嫌いなら話しかけるなや……」
「なんで変更するんな。ちゃんと二次製品使えや!! 出入口にブイユー(?)だと車が通ったら潰れようが。このままだと建築確認下ろさんけえの。やり直しよ、こんなん……」「あ? 利益にならん? お前の会社の利益と、棲む人の利益とどっちが大事なんじゃ。言うてみい」
こんな醜い光景を、廊下で見てる人がいた。当市に部長待遇で採用された人だった。Dさんとそこまで年齢は変わらない人で、苦虫を嚙み潰したような顔で眺めてた。人事のプロらしく、以前に庁内回覧で読んだところだと、前はリクルートで働いてたらしい。それだったら多分すごいのだろうが、でも俺はこの人が嫌いだった。
というのも、Cちゃんが試用期間で切られたのって、この部長の人が関係してると思う。これまではそんなことなかったのに、なんであの年度になって、急に試用期間でクビなんてことが起こるのか? 当市は間違った方向に舵を取ってるんじゃないかと弱輩ながらに感じた。
ところで、やっぱりDさんも不思議だったよ。あの後、Dさんがキレた女性職員にも、F君にも、ほかの職員にも、ニコニコしながら話してるのを見た。「さっきはすまんのう。怒鳴ったりして、ごめんの!」とニコニコしながら言ってた。到底同じ人とは思えなかった。人間というのは、こういうものなんだろうか?
カルテットの終盤、まきさんの夫さんが「妻の話を聞いてあげなきゃ。彼女の世界は俺だけなんだから。」というシーンがある。
正直すごく心にきてしまって、カルテットの名場面はたくさんあるがあそこがハイライトだと思っている。
まきさんは専業主婦をしていて、夫との会話で良かれと思ってテレビで見た小話やご近所付き合いの小競り合いの話をする。夫さんはそれを聞いて愛想笑いをし適当な相槌を打つ。
なんてグロテスクなんだろうと思った。バイオハザードをR18にする前にカルテットをR45とかにするべきだ。こんなものをメイン視聴者層の主婦様に見せるな。
そもそもこんなの全然夫婦の話だけに収まるものじゃあない。生きている世界の大きさの話だ。生きている世界の大きさが異なる人間は付き合うことができないのだ。どちらかが無理をしない限り。
生きている世界の大きさはすなわち、人間性なんだと思う。中にはとても小さくてもとても面白い形をした世界があるだろうけど、普通の私たちは大きさではかるものだとして。大きな世界に住むには幅広い知識と経験と人間性を必要とする。
まきさんは大好きなバイオリンを諦め、夫の幸せを幸せとする。そしてそれがある種、逃げたように描写される。残酷だ。世界はあまりにも、頑張らない人に優しくない。
少し前に、GACKTが忘年会での酒豪エピソードをXでシェアしたというネットニュースに多数の批判的なコメントが付いていたのを覚えているだろうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1dfe3707804a61a686408af753ac213a1c689d53
「酒が強いのは自慢するようなかっこいいことではない」「酒に酔って人に迷惑を掛けるバカを助長するな」「肝臓が壊れて早死にするのにあさましい」といった具合である。
こう批判する人たちは、井上尚弥の闘う姿を見ても何も感じないし、「馬鹿らしい」と一蹴するのだろうか。無茶な理論に見えると思うので以下に補足する。
酒が強いことが男らしい(ジェンダー分けしたいわけではないが、特に男性にこの傾向が顕著に思えるためこう描写することとする)とみなされる背景には、格闘技と通ずるものがある。
相手からのパンチをもらわない、もらっても平然としている格闘家の姿を見て人は容易に「男らしい」「強い」「かっこいい」というイメージを抱くものだ。アスリートとしての動きや能力の高さに加え、怪我や命の危機への耐性の強さという、ヒトという生物としての生命力の高さに対する根源的な憧れが私たちの無意識に刻まれているためだ。
酒が強いことが未だに称賛される理由にも同様のものがある。アルコールという人体に有害で言動を狂わせる毒を大量に摂取してなお、顔色も変えず平然とし、嬉々としてさらに酒を飲み続ける姿に、私たちはヒトとしての生命力の高さを見ているのだ。この根源的で無意識な憧れは、文化や科学が進歩してなおヒトがヒトである限り続いていくことだろう。
「酒に酔って人に迷惑を掛けるバカを助長するな」これはもっともであるが主旨を少々はき違えているように思われる。多量の酒に酔って人に迷惑を掛けるレベルの人間は本当の酒豪からすればそもそも称賛される対象ではない。プライベートで人に拳を向ける格闘家、あるいはパンチを放つは良いが相手からもパンチを容易に喰らってすぐダウンする陳腐な格闘家のようなものだ。そうした人種は酒を多量に飲むべきではない。
「肝臓が壊れて早死にするのにあさましい」これももっともである。しかし酒自慢をする漢はこれを承知で酒席というリングに上がっている。格闘家が、後年脳や身体へのダメージに苦しむかもしれないにも拘らず競技を続けるのと似ている。
酒豪とは格闘家である。将来迎えるかもしれない心身の崩壊に目をつぶり、酒席に上がって己の生命力の高さを見せつける事にこそ彼らの刹那的な悦びがある。
さて、大抵の格闘家は30代半ばには引退する。心身の衰えを自覚したり、将来へのリスクを鑑みることが多くの場合その理由である。同様にまともな酒豪家も、いい大人になるころには大抵その競技から身を引くものである。
何が言いたいか。50歳にして酒豪の第一線に身を置いている(つもりである)GACKTが笑われる根源的な理由はここにある。53歳にしてなお格闘技の一線に身を置く辰吉を見て人が苦笑いするのと似ている。