はてなキーワード: 諸刃の剣とは
あ、オチた!と思った。
これから話すのは恥ずかしい話なのでどこの誰かは伏せさせてもらうが、今まで興味もなかった界隈の、一人の人間に突然オチた。実在する人間だ。
前々から顔がなんとなく好きだなあとかそういうのはなんとなく思ってたけど、たまたまその人についてのバズツイが流れてきて、そのツイートをした人のホームを覗いたらその人の苦労話とか面白話とかがたくさん呟かれてて、へぇ、って興味を持って。
ネットって便利。ちょっと調べればその人の境遇も、過去の発言も、動画も、ファンの民度も、アンチの意見も全部見れる。
どハマりして、調べて、調べまくって、Twitterでパブサして、気づけば私は「推しの欠点もわかってる、たまに苦言を呈せるようなオタク」になっていた。
わかりやすく例えれば、「(推し)のこういうところ本当に直した方がいい」こんな感じのことを言う人間。発言の内容はたまに愚痴垢に近くなる。
過去の現場での素晴らしいファンサとか腐媚びとか言える。個スレ遡ったから。失言もやらかしも全部知ってる。アンチスレ見たから。
プライドが高いんだと思う。
ファン歴一ヶ月なのに、現場なんて(コロナ禍だし)行ったことないのに、まるでその人が表舞台に出始めた頃からずっと推してたみたいに言える。
「◯◯からハマりました」って堂々と新規って名乗って盲目ツイしてる人に対してにわかが何言ってんのって思ってしまう。
新規って名乗れる人の方が潔いし、いいファンだと思う。私はいいファンなんかではない。新規。新規なんだ。新規なのに偉ぶってる。人の感想読み漁って行った気になってる。
最悪なオタク。推しを推す一人の人間としてお金を落として、決してツイ垢なんて作らずに延々壁打ち鍵垢とかで叫んでいればきっとバレない。バレないはず。バレないはずなんだけど。
盲目になりたい。新規を名乗る潔さが欲しい。プライドなんてかなぐり捨てて大好きだって言いたい。
過去の私に何か言えるとするなら、アンチスレだけは見るなって言いたい。あばたもえくぼは諸刃の剣。アンチにはならなかったけど、欠点ってわかってながら可愛いって言えるような「古参っぽい」自分に酔う危険性がある。推しが好きなんじゃなくて推しを推してる自分が好きなのかもって不安になる。
ダッサ。死ねばいいのに。
昨日の深夜にリストのみ投下したが、再掲する。人間は深く先のことを考えすぎたり、コミュニケーションの中で他者にどう思われているかを考えすぎたりすると神経衰弱気味になることがある。現に自分も大学の頃そうなったし、サラリーマンになった今でもよく破滅的な思考になることがある。特に夜。自殺を試みたことも2回ほどある。しかし、そういう時は一旦現実から離れ、距離を置くことで新しく見えてくるものもあるし、希死念慮も軽くなることがある。そのため、世の中の自殺志願者に向けて、手軽にできる現実逃避方法をここに記しておくことにする。
ベタだけどけっこういい。個人的なおすすめ記事の例は以下(教養のなさがバレたらごめんなさい)。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/なぜ何もないのではなく、何かがあるのか
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/技術的特異点
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/事象の地平面
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/哲学的ゾンビ
・寝る
夢という名の究極の現実逃避
・散歩
ややパンチは弱いが、いい場所があるならまあまあ効く。ただ疲れるので元気のない時はあんまり。
・外食
・読書
おもしろい小説とかがあればいいけど、そうじゃないなら読む気にならないことも多いが…青空文庫のアプリを入れてランダムに読むのも割とおすすめ。
聴覚はごまかせるが、視覚が暇になってしまうという難点がある。youtubeはその点一石二鳥。
・風呂に入る
これもかなり効く。タブレットやスマホを持ってネットサーフィンと組み合わせればより効く。ただ、のぼせるから注意。
他人を使うという点でハードルは上がるが、しゃべるとストレスが圧倒的に軽減されるのを感じるだろう。
・日記を書く
書くまでにめんどくさい病を克服しないといけないけど、書き始めると過去の分まで補充して行きたくなる不思議。
・部屋の掃除
掃除作業自体もいいし、部屋が片付けばそれによって気持ちがすっきりするから、一石二鳥である。
・服の洗濯
洗濯して干すまではいいけど、たたむのは実際面倒という難点はある。そしてたたまなければ部屋が汚くなるという諸刃の剣でもある。
そもそも興味のある音楽が一切ない場合は無理なので、ラジオとかネットとかで気になった曲を頭のなかでリストアップされている時にほぼ限定される。
・映画館に行ってひとり鑑賞
これはかなりいい。ただ唯一の難点は、時間が合わないと1時間とか2時間とかつぶさなければいけないこと。その間にやることがなくなってしまい、散歩という体力を消耗する手段に出てしまう場合も多い。
・一人になれる場所へ
ただし、人があふれている東京ではなかなか難しい。都会だとマンションの建設予定地などが意外とよかったりする。
・はてな匿名ダイアリーに思いの丈を投稿する
本webサイトは民度が低く、実際上はなんの役にも立たないが、馬鹿がたくさんいることを確認して人類の中での自分の立ち位置が意外に上位であることを知れる点でメリットはある。
・青春18きっぷで旅に出る
男なら意外にも割と誰でも興味持てると思う。店員も、意外と無駄に話しかけてこないので快適。
寝転がって読めたら最高なんだが、手がつかれるし首も疲れるのが難点。ハードルを感じる時は短編集がおすすめ。村上春樹の短篇集は引き込まれるような奇妙な魅力があるので一度試してもらいたい。
・歯を磨く
すっきり!これが意外にいい。
・過去の思い出にひたる
日記とか写真とか昔の記録とか何か書いたりしたものとか材料があれば、それを見てのんびりする。夢日記をつけていれば、それを読むのもあり。
・勉強
ザ・現実逃避。最近は映画のストーリーを丸々10分程度にした動画も大量に出回っているので、それを見るのもアリ。また、「movie clip」で検索すると、過去の名作映画の名場面ばかりがたくさん見つかるのでこれもおすすめ(ただし日本語字幕は基本的にない)。
この日記を読んでいる人へ。
そうだな、とりあえず最初に聞くなら『発光体』(https://www.youtube.com/watch?v=IOa-nZiIeiw)『ズックにロック』(https://www.youtube.com/watch?v=GXqZ5EXE9ho)『ゆらゆら帝国で考え中』(https://www.youtube.com/watch?v=M9CM44MohAs)らへんがおすすめ。
どの曲もそんなに長くない。ストリーミングでも聞ける。
さ、早く。
聞いた?
ほんとに聞いた?
「なんだ、増田民の提案になんて乗らねえぞ」って人にも一度は聞いてほしい。
というわけで、以降の記事は「ゆら帝を一度でも聞いてくれた人」に向けて書く。
というか、日本人の大部分が上ふたつに当てはまると思う。
私の周りの友達もみんなそうだった。
ただ、心をぐっと掴まれて、早送りボタンを押せなかった人もいるはずだ。
誰かの心にズドンと響く音楽っていうのは、諸刃の剣みたいなものだと思う。
ある人にとっての神曲が、他の人に全く響かないなんてこと、日常茶飯事だし。
もしこれを読んでいる人の中にゆら帝のファンがいたら、こんなに嬉しいことはない。割合的に厳しいと思うけど。
新参がイキってすみません。でもね、このバンドがもっともっと広まってほしい。
正確にいうと、ゆら帝を聞く星のもとに生まれた人たちが、ゆら帝を知らずに死んでいくという事態を防ぎたい。
もうね、頭の中では今たいへんなことがおこっています。
手と足と胴体がそれぞれバラバラに動き出しそうで、それを押さえつけてジッとしているだけでやっとの状態です!
再結成とか、メジャーシーンでの再評価とか、どうでもいいんだ。
届くべき人に彼らの曲が届いてほしいだけ。これは完全に自分のエゴ。生温かい目で見守ってください。
私がゆら帝の存在を知ったのは2020年夏。彼らが解散して10年が経っていた。
私だけでなく、同世代でゆら帝を知った人の大部分がそうだと思う。
外出できない夏休み、オンデマンドサイトを見漁っているうちに、奇天烈なOPが耳から離れなくなっていた。
コロナ自粛がなければ、ゆら帝には出会えなかったかもしれないということだ。人生というのは分からないものである。
私は結構ロックが好きで、メジャーからインディーズまで広く浅く聞いてきただけに、ゆら帝の曲を聞いたときは、衝撃を隠せなかった。
分類的にはサイケデリック・ロックだのオルタナティヴ・ロックだの言われているけれど、このバンドは「ゆら帝」というくくりでいいと思うくらい特殊である。
ゆら帝の魅力。
まずメロディがいい。前期の渇ききった感じも、後期のしっとりと美しい感じも、最高だ。
個々の技量も素晴らしい。特にベースが好きだ。亀川千代氏のベースラインには中毒性がある。
そして歌詞がいい。非の打ち所がない。
「もう一度頭絞ってにじみ出てきた緑の液体がぼくの全てさ バカだろ?」
「雨が降る日は何もしない 髪がベタベタするから 風が吹く日も何もしない どこか消えたくなるから」
どういう人生を送っていたら、こんなにクールな歌詞を書けるんだろうか。
昨今の音楽はメロディ重視というかなんというか、文字数合わせが目的の物足りない歌詞が目立つ(もちろん例外も存在する。サカナクションの山口一郎氏は歌詞に真摯に向き合っていると思う。私は高校生のときからサカナクションの大ファンだ。魚民諸氏はゆら帝にも興味を示すのではないかと思う)。
ライブもいい。クッサイMCも余計な演出もなく、淡々と音楽だけを届けてくれる。
生で見たことのある人は本当に羨ましい。
とまあ凡庸な言葉で色々述べてきたが、はっきりいってゆら帝の魅力はこんなもんじゃない。
言葉では言い表せない。
サカナクションのライブの理想形はゆら帝らしい。なるほど、と腑に落ちた。
サカナクションのライブは、それ自体芸術作品と言っても差し支えないほど完成度が高い。演奏レベルもCD音源レベルだ。彼らは安っぽい感動でも変な共感でもなく、「音楽」という体験を私たちに提供してくれる。
ゲスの極み乙女。の川谷絵音氏も、『タコ物語』(https://www.youtube.com/watch?v=qbkxCVNsFsY)に影響を受けたとか。この曲はMV含めてとても狂気的だ。ぜひ聞いてほしい。
ゆら帝という存在は、ロック界の『AKIRA』のようなものなのかもしれない。
凡庸な感性しか持ち合わせていない私でも、心を揺さぶられるのだから、大したものだ。
きっと、人間の奥底にある普遍的な何かに響く音楽なのだと思う。
私が心配するのとしないのとにかかわらず、ゆら帝は100年後もその色を保っているはずだ。
色を保てるバンドなんて、昨今それほど多くない。
あまりにも多くの音楽が、産生されては飽きられ、時代とともに消えていく。
彼らが再結成しようものなら、私は大きな失望を抱くだろう。最終回の再放送は無い。ゆら帝はすでに完成してしまった。完成とはまた、終わりを意味するのだ。
もちろん、生で見てみたかったという気持ちはある。こればかりは生まれた時代を恨むしか無い。
ゆら帝が完璧なロックを生み出したことと、私たちが生きている間に彼らの音楽へたどり着けるかということは、全くの別問題だ。
私自身、番組のことを思い出さなければ、絶対にゆら帝を聞こうとは思わなかっただろう。運良く名前を目にしたとしても、有象無象のバンドと判断し、スルーしてしまうと思う。
だらだら書きすぎたせいで主旨がぶれたような気がするので、もう一度。
『昆虫ロック』(https://www.youtube.com/watch?v=MX2W1kNiOcc)も『夜行性の生き物3匹』(https://www.youtube.com/watch?v=n_dk8ChdCA8)も『空洞です』(https://www.youtube.com/watch?v=mKUhq7SYouA)も『グレープフルーツちょうだい』(https://www.youtube.com/watch?v=SaP6Ui93iUM)も最高だぞ!!!
私は彼らに救われた。才能も取り柄もない私が、ちょっとでも頑張ってみようと思えたのは、ゆら帝のおかげだ。
親から暴力を振るわれたり、好きな人が死んだり、正直散々な人生だ。
もしこの記事が奇跡的にバズって、世の中にゆら帝ファンが増えてくれたら、頭ひねって書いた時間も無駄じゃなかったんだなって思える。
昨日は確か増田にお気持ち長文を流して、いつもの通りトラバもブコメも0!よしよし、と思って寝たのだった。
ところが目覚めたTLでは正体不明の議論がなされていて、友人も「これ読んで」と自分にリプライで謎のURLを送っていた。
当たり前だが私は増田をやっているなんて人に言った事はない。世界で一番恥ずかしい秘密なので。
なので一体どうして?と探ったところ知らんヤツが偶然私の増田をツイッターに流してバズってしまったらしいのだ。
私の恥ずかしい増田を、フォロワーたちがこぞって討論している。
というかお気持ちを表明した原因の人物すら「私はこんなことしないから気持ちがわからない」とか言っている。お前や。
さて、バズった事は功績にも何もならないので、そんなことより自分がこの増田を書いた張本人だということがバレないように行動しなければならない。
なぜ送ってきたかと言えば、私が同じような悩みを相談したことがあったからだった。
他にも同じような経験をしている人が居るよ、という優しさだった。
幸いな事に私は増田だが、人一倍の危機意識があった。詰まる所、フェイクを盛り込んでいた。
トラバもブコメも0!という日々を送っていたとはいえ、人生何があるかわからない。我ながらフェイクの腕が上がったな・・・と思っていた矢先だった。
(ところでフェイクのコツは本題に全く関係ない所で明確に大きい嘘をつく事だと思う。男なら女。都内住なら地方住。23歳なら34歳。明記されるとそういう人物をはっきりと思い描くもののようだ。)
どうやら友人も、私のフェイクの腕に騙され、「この人は●●だからちょっと違うけど~」などと解説している。違くない。私だ。
ただ、私はフェイクは得意だが嘘をつくのはもっぱらヘタクソだった。
それも言わなきゃいい事を言いまくって無駄に取り繕ってしまうタイプのヘタクソなのである。治らない。
このまま返事をすると、どこかで増田にしかわからないような単語を口から出しかねない。フロストドラゴンウンチなんて事は絶対に避けたい。
私はひたすら思案した。
「こんなページあるんだ!ます・・だ?はじめて見た~。」白々しい。「読みづらい文章だね。」うるせえ!「でもこの人と私は違うし」私だ。
エアコンのないトイレで考え続けた結果、暑さに負けて私はやがて考えるのをやめた。
返事をしないという選択肢を取ったのだ。
友人の優しい心遣いを無碍にしても、増田がバレるのは避けたかった。
他の友人も同じように私の増田の話で持ち切りだったが、私は全てをスルーした。
これは一種諸刃の剣だし、賭けだった。わざわざ自分に関連した話題を振られているのに、全スルーなんて見方によっては本人の増田だと述べているようなものだ。
青ざめながら私は話題が去るのを待った。
リアルの友人らが集うツイッターのアカウントにも移動してみたが、困った事にそちらでも私の増田の話をしていた。すごい。垣根がない。
そんなこんなで日々は過ぎ、別の増田がTLの話題を攫うようになった。
返事をしなかった友人には「忙しくてツイッターあがれなかった~」の必殺技をかけておいた。
ただしこれはインターネットでしか使えない必殺技なので、リアル会話の最中に突然ぶり返したように「あの時の・・・」などと話題を振られたらどうしようと思っている。
ツイッターで「左翼 クレーマー」「立民 クレーマー」「立憲 クレーマー」「共産 クレーマー」で検索してみよう。毎日数十~数百件のツイートがひっかかるはずだ。そのツイートは同じ人が連投しているわけではなく、ほぼ1人1ツイートだ。
1人あたりの平均フォロワー数を200人とすると、毎日数千~20万人くらいが上記の「クレーマー」に言及したツイートを目にすることになる。1年半で日本の人口を制覇できる計算だ。
それだけ、左派はクレーマーであるという認識が日本人の中に広まってしまっている。
最近の日本人、特に若い層はクレーマーを好まない。与党の側に居る人に対して批判するのはクレーマーなのだ。逆はクレーマーにはならない。
だから安倍が倒れようが1日2時間しか働いてなかろうが批判されるのは安倍批判をした人達だし、自民党の議員が収賄をやらかして逮捕されても批判は左派に向く。彼らは与党だからだ。クレーマーから与党の人達を守らないといけないという義務に近い意識が彼らの中にある。
一方で枝野や蓮舫が失言やらかすと枝野と蓮舫が批判される。彼らは野党だからだ。野党にクレーム返しすることで、クレーマーに対する正義の鉄槌を下している気分に彼らはなるのだ。
こうなるともう左派の支持率回復の手段は限られている。今の幹部層を全て追い出して新たな体制を作る事だ。もう小沢や枝野や蓮舫や小西とかがいくら頑張っても、いったん貼られた「クレーマー」というレッテルを剥がすことは出来ない。死ぬまでできない。断言する。彼らが政治の世界に残っている限り、左派政党が支持率を今より大きく回復することはあり得ない。
ただし、このやり方は諸刃の剣で、支持率を一気に失って政党消滅のリスクを孕んでいる。枝野らを残せば支持率回復はないが急減のリスクはなく、少なくともあと5年は主要野党の地位は保てるだろう。
とつぜん瞬間移動能力を手に入れて荒稼ぎしたい
でも公にしたら絶対すぐ消されるんだよな
ホワイトハウスにいきなり起爆寸前の爆弾置いて逃亡、みたいなことがいくらでもできる能力を持ったやつをいろんな国が放置してくれるわけないしな
でも銀行強盗とかやるのはイヤだ 日本政府にだけ売り込む、みたいなのが最適解なのか? 日本政府だとアメリカにバレて消されるんかな アメリカに瞬間移動してアメリカ政府と組むのが一番いいような気もするが、諸刃の剣と判断されて消されるパターンもありそう
手段は非公開で輸送サービスとかやったらいいのかな でもすぐバレるよな絶対
youtubeとかやってドカーンと名を売って、クリーンなイメージで活動したら各国政府も手を出しにくくなったりするだろうか やっぱりロシアとかが雇った謎の人物に殺されるような気がする
戦闘能力・危機回避能力を鍛えればいいのかな どっかの無人島かなんかにセーフハウスを作り、有事には一瞬でそこに飛んで態勢を整えられるように身体に叩き込む、的な でも寝てる間に襲われたら死ぬしな… 侵入が難しい家を数十か所確保して毎晩ランダムなところで寝るみたいな手が必要なのか そんな暮らししたくね〜
つか、どうなんだろうな実際 瞬間移動(一瞬で地球上のどこにでも移動できる・音や衝撃波など目立つものは出ない・コストなしで何度でも使える・人ひとり+携行品くらいを伴える)の能力をもつ人間がいるとわかったら殺したり攫ったりしようとする組織って実在するのかな
意外と何もされないで普通に「東京〜北海道の瞬間移動5万円!」(もっと取れるか?)みたいな商売でゆるゆる暮らせたりすんのかな
なんにせよほしいな瞬間移動能力
はじめに経済の専門家はないのだが、こういうニュースわからないと駄目だな。と思いつつ勉強していたらなんとなく分かるようになった人間だ。
なので自由にコメントして添削してくれ。もちろんわざと簡単にするために細部の正確性を犠牲にしたり、追加で説明したい事を省略している事を考慮してくれると嬉しい。(コメントでその当たりを指摘してくれると集合知になっていいかも。気にせずに指摘してほしい)
まず、経済学というのは、なんでも理屈をつけられるものの、結局、何かを予想できるものではない。という事は現実を見ればみなが知っていると思う。
経済は論理では大まかにも説明できない。謎の時代に生きている。逆にいうと飛んでも理論でも簡単に後付けできる。
なので意見がわかれるし、永久に終わらない議論になる。国語の感想が千差万別であるのと同じだ。物理学や統計学のようにはいかない。というのが私の見方である。
まず、基本的な知識として、人類は「金本位制」から「貨幣経済」に移行する事によって経済を大きく発展させた。
金は総量に限りがあるので、お金の動きが物理的な動きに縛られてしまう。
一方で「貨幣」は、「この紙切れを貨幣とする!」と国が決定する事でその価値をみんなが「信用」する事によって、価値が定まっている。さらに今は国家毎に通貨を決めているので、国の間でも貨幣の価値は相対的である。
「貨幣」を生み出す事で、経済は物理的な制約を取り払われ、経済取引の物理的制限がとりはらわれた。これは人類最大の発明であるかもしれない。
例えば、Aさんは100万円を銀行に預け、その100万円が銀行によって別のBさんに金利をつけて貸し出したとする。
Bさんがさらに別の銀行に預けたとする。そうすると、Aさんが預けた100万円と、Bさんが別の銀行に預けた100万円で、合計200万円が計算上は存在する事にある。
これが「信用創造」だ。物理のお金は増えてないのに、銀行の帳簿上のお金が増えていく。
Aさんは100万円持っていると思っている。Bさんも100万円を持っていると思っている。いつのまにかお金を持っている人が増えている素晴らしい。
こうやってお金が巡っていくと、物体として存在する実在のお金(マネタリーベース)よりも、帳簿上のお金(マネーストック)が増えていく。これがどれだけ増えているかが経済の指標だ。
経済が回っている(上向きに)というのは、この「信用創造」が生み出されている状態を言う。
逆に言うと、誰もお金を借りてくれなければ「信用創造」は生まれないわけだ。その状態は経済が停滞していると言う。
日本政府が行っているのは、現実のお金「マネタリーベース」を増やす事で、お金を借りる人が増えて「マネーストック」が増えるのでは?という事だだった。
だがみんな知っている通り、これは上手く行ってない。
当たり前だ。普通に考えて、別にお金がだぶついたから借りる人が増えるわけではない。
ただ、実は上がる可能性も万が一にも無いわけでもない。予想ができないのだから。なので、論理的でなくても、全否定も嘘になっていまうのが、難しい所なのだ。
さて使われないお金は、政府の支出として税金として使われているはずなので、民間には流れているわけだ。マネタリーベース(物体としての通貨の量)は確実に増える。
ただ、銀行は金利を稼ぐビジネスだ。ただお金を眠らせていると自分達の食い扶持が稼げない。
銀行はあなたのお金を投資に使うし、失敗すると銀行は倒産する。倒産すると、あなたの預金は、上限1千万までしか戻ってない。
いづれにしても、余ったお金は、そうして株式市場や債権市場に流れ込む。
日本の経済が株式の価格とかけ離れている事が指摘されているのはこれが理由だ。
同時にこうしたお金で底上げされた市場に対して、お金の供給が止まるとどうなるか。
市場の参加者は「あ。もうこれ以上あがらないな」と思ってお金をマーケットから引き上げるだろう。
なので、実体の伴わない株価の大暴落が始まる可能性がある。なのでもう止められないのだ。
ちなみに、株をやっている人の間では、金融緩和の話が出る度に「いやー。儲けさせてもらって悪いな」と話題になる。
今、コロナで全体として企業業績が市場最悪なのに、株式市場が上げているのはそういう理由だ。
いずれにしても、日本のように国債を発行して、それを日銀が無尽蔵に買う事で、刷ったお金が結局は、そう言った取引に流れているわけだ。
通貨発行量を十分にコントロールして、株価が成長しているアメリカの経済と比較すると異常だ。と言われる背景はここにある。
国が国債を発行し、それを日銀が(銀行を経由して)間接的に買うことで、日銀はマネタリーベースを増やしている。
ただ、無尽蔵にお金を印刷すると、そのお金は価値がないと見なされる日が来る。
なんせ、貨幣は金と違って紙切れなのだ。こうしてインフレが発生する。だが、日本円はまだその価値を保っていると言える。何故かはわからない。なぜなら根拠も無く印刷され、物理的に増えてしまった日本円の価値は論理的には下がっているはずなのだから。
だがマーケットとしては、まだそう言った反応はしてない。これは一重に「日本」が信用されているからとしか言いようがない。
ただ、一方で、日本円は既に貨幣価値に対する論理的な(物理的な?)根拠を失っていると言える。なので一度、価値が下がりはじめると、止まる要素が無い。と言われている。
だが「借金を返さなくても大丈夫だ」という主張をする人は「信用」という部分については触れない。もっとテクニカルに「日銀がお金を刷るから借金ではない」という話だけをしている。
それはそうだ。無からお金を生み出しているから誰にも返す必要はないのだ。
さて「国債」はやがて「償還」(利子をつけて国債を買ってくれた人に現金として返す事)を行う必要がある。
日銀は「国債」をたくさんもっているので、5年だったり10年の償還期限があり、期限が来たら、政府に現金を利子をつけて返してもらう必要がある。
これが「借金」と言われる所以だ。ちなみに、国債は金融商品なので、民間人でも購入する事ができる。期限が来たら利子をつけて政府がお金を返してくれる定期預金のようなものだ。
だが。日銀は国債の償還を、期限が来ても政府に迫らない。なぜならば日銀は政府の子会社のようなものだから、政府のいいようにコントロールできる。
でも決まりとして償還期限が来たら何かをしないといけない。それが経済のルールだ。
そのため日銀は、お金を返してもらうと同時に、新しい国債を買うのだ。
これを繰り返す事で、政府はお金を返さなくてよくなる。実質として「無期限の国債」というものができあがる。
政府は、日銀からどんなにお金を調達しても、そのお金を返す必要が無い。というからくりはこういう仕組みだ。
ちなみに正確には、政府から国債を買っているのは銀行だ。そして銀行から日銀が買っている。
わざわざマーケットを通して取引しているのは、そこに「市場の原理」が働いているように見せかけるためである。
だが実際にはみんなが知っている通り、国債は全て日銀に流れて行くのだが、そこは「建前」が必要なのだ。
ちなみに「日銀のバランスシートが-」などと言ったり、いろいろ視点を変えて話を難しくする事もできるが、基本はこんな感じだ。
今、各国がコロナ対策のためにやむを得ず、お金を大量に印刷している。
経済の刺激に使うためだ。
そのために現在起きているのが何か。というと金の価格の上昇だ。
もともは「信用」という「気分」によって維持されている貨幣が、貨幣の大量印刷によって物理的に価値が下がってきている。
その信用が崩壊する万が一の状況に備えて、物理的な価値が維持される「金」に資産を変換しておこう。という人々が出て切るのが現状だ。
日銀と安藤議員の会話に「国債残高が減るとマネーが減少します」という事は「日本国民は間違いなくまずしくなる」という事です。会話がある。
これは、よく知らないと正しい会話に聞こえるが、ハイパーインフレで、マネーがたくさんある国を想像して欲しい。その国は豊かな国だろうか?
もしこれが「金」のように価値がある程度固定されてものであれば、たくさんあれば良いにこしたことがない。
お金というのは、量が意味もなく増えると価値がなくなり、「信用」というものに基づいているため、こうした勘違いが起きる。
一方で「信用創造」で帳簿上のお金が増えるのは意味がある。それは経済が回っているからだ。
そう言ったケースでは、お金の需要が高まっているため、「マネタリーベース」もわずかに増やしてあげないと、いくら帳簿上でお金が動くと言っても、市場でお金が上手く回らない。
経済が上向いていると、貨幣の流通量があがあり、わずかにインフレになり、インフレの目標を設定するというというのはこうした背景になる。
ただ、国がただお金を刷って市中に回して「マネタリーベース」が増えるのは、実体の経済を何も伴ってないため、貨幣の価値を落とすだけなのである。
苦痛に耐えれば報われる、という型が多い
「いのちのバトン」みたいな概念で思考停止し、子供を育てることを目的化する
いまは分からないけどきっと意味がある、と考え続けたまま死ぬ型。ハードルが低く、この方式をとっている人は多そう
趣味に没頭できればOKと考えてなんとかする。しかし趣味を楽しむのにも素質がいるので、そもそも楽しい型に近い
子育てにより出る脳内物質(?)により楽しくなる。目的も持てるのでかなり強いが、子育てが終わった後虚無になる可能性もある諸刃の剣
めちゃくちゃやった後に自殺する最強の型2。普通には人生を楽しめない場合これが最適解っぽいが、めちゃくちゃやるのにも死ぬのにも勇気がいるので人を選ぶ
生まれてきてしまったんだから仕方がない、と考えて意味も感じないし楽しくもないが生き続ける型。ネットにどっぷりの人はだいたいこれのイメージ
じゃあ死ねばいいじゃん!と思ってサッサと死ぬ型。思い切りが必要だが、諦めて苦痛な人生を80年やるよりはたぶん良い
生まれたしまったからには仕方ない、とまでは割り切れないが、かといって死ぬ勇気もないので世を呪って生きる型。俺はこれですね。Twitterにいる反出生主義者の人たちもだいたいこれだと思う。誰か助けてくれ
・牛肉300g(オーストラリア産とかアメリカ産でいいから絶対牛肉 豚はやめろ 美味しいけど食べたときの心へのバリューが違う)
・にんじん 1本
・玉ねぎ 2個
・カレールー(好みでいいけど横濱舶来亭のフレークが一番良い これはステマなのでステマに嫌悪感感じるものは別のでもいい でも聞いてくれ このカレーフレークはバーモントカレーとかこくまろに比べてちょいっとだけ高い 100円ぐらいだ でも食べたときの心のバリューに関してはその差額は100円なんてものじゃない500円いや600円下手すれば1200円ぐらいのバリュー差がある だから横濱舶来亭にしろ ブラック辛口がいいがそれ以外でもいい 大切なのは値段に対して心へのバリュー)
・サラダ油
たまねぎはスライスしろ おまえが「みじん切りのほうが良い」っていうならそれでもいい
でも俺はスライス派 みじん切りのときの仕上がりがどうなるかは検証していない
飴色になるまでって奴 主婦層なら「あら?おかしいわね…普通は時短のためにたまねぎをレンチンして水分飛ばすのが普通ザマスわね」と思われるかもしれないが自分はレンチンはボタンに書いてある自動設定しかできない人間なので愚鈍に炒めるのみ
方法をしっている のと 実際に出来る には大きな差がある やらないんじゃないできないんだ
3:飴色になったら炒めた玉ねぎを鍋に移す
ここに来るまで多分30分はかかっているはずだ もうそれだけで一丁前に料理した気分になるだろ
4:にんじんをすりおろす
すりおろさなくてもよい 俺はカレーに後入れ以外の固形物があると心底許せない人間なのですりおろす
あれは幼少期だった 母親はなにをトチ狂ったのかカレーにナタデココを…いや この話はやめよう
良いからすりおろせ すりおろしたほうがカレーはドロドロになって美味しい
牛肉をいためて色が付いてきた頃にすりおろしたにんじんを投入する
ある程度軽くでよい
炒めた終わったらたまねぎを入れた鍋に同じく投入する
灰汁はとらなくてよい めんどくさいだろ
7:火を止めてルーを溶かし弱火で煮込む
火を止める理由は諸説あるが自分は若き頃に鍋をダメにしたので火を止めたほうが良い
以上で完成
しかし実際に出来上がったものはこころに2000円ぐらいのバリューを差し込んでくれる
時給1200円のバイトをしたようなもんだ
だったらカレーを作ることを我慢して店で1200円ぐらいのビーフカレー食べたほうがバリュー高いな!
カレー作れよ
豚肉について
言いたいことは大体トラバの返信にある
肉に関してのこだわりは人それぞれあるから「うるせぇゴミ虫が 俺は豚でいく」というのであればそれは構わない
「焼き鳥屋でビフテキを食べてもよい」という人もいるし自分も実際そうだとおもう
だが焼き鳥屋はあくまでも鶏肉を炭火で炙ったものを食べる場所でありビフテキが食べたいなら肉バルなりステーキハウスで食べたほうが美味しい事は否定できないだろう?
宗教関係上食べられない、アレルギーの関係上食べられない 俺はそれを変えたり直したりする力は一切ない 空々しい宣言ではあるが
豚肉には豚肉の 鶏肉には鶏肉の 羊肉には羊肉の サンは森で、私はタタラバで
そういう「輝けるステージ」があるのだ
長々と言ったが結局は「俺はカレーはビーフカレー」という押しつけでしか無い
好きな肉を使え そして少しでも「やっぱ牛肉のほうがいいかも」と思ってしまった時もう一度ここに帰ってきてくれれば良い
ただ個人的になんで豚や鳥じゃだめなのかを示しておく
豚肉:色が薄くなる 豚の油のせいだろう 黒々としたカレーではなく茶色になる そして脂が出すぎて「うお ポーク」となる この「うお ポーク」感がバリューを欠損させる 見た目、肉の香りの面で牛肉より優れていないといえる ただ味だけは本当に良い そして身も美味しい そこは何を重視するかだ 俺は見た目と香りで牛肉を推す
鶏肉:なんといっても鶏肉の「身」がもったいない 鶏肉というのは罪な存在で旨味成分と脂が非常に強い 牛を遥かに超える だが だがしかし カレーにするには「身」がもったいなすぎる 旨味成分や脂が抜けた鶏肉はパサついており30分程度しか煮込まないと非情に中途半端な存在となる
だからスープをとったり出汁を取る時はガラや胸肉という「身にバリューがそこまでない部位」を使う もも肉というのは焼いたり揚げたりもも肉に内包された全てを食すことに向く 残念ながらカレーに関しては鶏肉は向いていないのだ 美味しいチキンカレーの専門店だとそこまで煮込み時間を作らないか鶏出汁でベースを作り身は後入れにするかもしくは身が崩れるぐらいまでに煮込むはずだ 美味しいゆえに適切に調理しないと「終わった身」を作り出してしまう バリューを生み出すのに技術が必要な諸刃の剣 素人にはオススメできない
上述の調理方法は鶏肉にバリューを引き出すどころか逆にダメにしてしまう調理方法であるがゆえにここではオススメしない
牛肉はある程度ぶれた調理しても勝手にボロボロになって勝手にいい具合に肉の旨味成分をカレーに溶け出してくれる バリューの総合力なのだ
自分は同人長くやった人間だけど、一連の話題の盛り上がりがちっともよくわかんないよ。
そもそも同人やってない、創作に縁がない人にだって、友人関係はあるでしょ。彼らは創作活動抜きでコミュ力で友人関係作って成立させて維持してる。つまり、友人関係に創作も推し作品も必要がない。なんで同人やってる人間になった途端に、推し作品が、そして創作能力が人間関係に必須になるのかがわからない。
同時に、創作するのにも、創作能力を磨くのにも、別に友人関係だのコミュだのは必須じゃないよ。自分のメンタルケアをするために読者のフィードバックやリスペクトが欲しい気持ちはわかるし、それがあると捗るってのもわかるけれど、それって諸刃の剣で、それに頼ってると要らんトラブルにも巻き込まれるってのが過去の実感だ。創作するのにそういう人間関係が「必須」になってしまうと、結局自分を伸ばす上では最終的に足かせになると思う。
字書きとしてうまくなるにはまず量がかけることが必要だと思うし、褒められなくてもバカスカかけるほうが有利だ。ってのはかなりマイルドな言い方で、誰かにあやしてもらわないと書けない人は、どっかで行きづまる。
上記の話は、別に同人的な人間関係を否定するものじゃなくて、同好の士とだべるのは楽しい。それはとても良いものだと思う。
でも、そういう関係やフィードバックやコミュが創作に必要だとか、逆に創作の能力がコミュの形成や友人づくりに必要だとか、そういう考えって不幸しか産まないと思う。フォローを返さない創作者の中には、そう考えてる人も一定数いるんじゃないかな。人間関係と創作は別のポケットに入れておきたいってだけなんだよ。少なくとも自分はそうだ。
酷いのだと人気コメントになっていても「○○なし」と書いてくる
明らかに雑なブコメは非表示にしてやりたくなるが、そうすると自分が「ここまで〇〇なし」を書いてしまう危険が上昇する諸刃の剣である
私、絵を描くオタク腐女子。アカウント移動してそろそろ一年くらいの放置垢がある。
そのアカウントは結構運用当時はフォロワーが多くて、最大で5000フォローくらいいった。ジャンルの勢いもあって、楽しいイベントも沢山で、毎日が楽しかった。描くもの描くもの全部が伸びて、ちっぽけだと思ってた自分に初めて自信が持てた。沢山の下駄を履かせてもらって、普通じゃ話せないような絵の上手いプロのオタク、遠くにいる話題が合うオタクと交流もできていた。
でも、じわじわと嫌なことも増えてきた。作品の内容を叩かれたり、とくに心当たりもなくフォロワーに避けられたり、ブロック解除をされたりすることが多くなった。仲が良いと思っていた人に匿名で悪口を言われ、何を信じて良いのかわからなくなった。
だから、特に前触れもなく、5000人のフォロワーを捨てた。名残惜しくて、すぐにはアカウントは消せなかった。大好きな作家と、お知らせでついてきてくれたごく少数のフォロワーだけで、この一年間細々とやっていた。
絵だけのアカウントも作った。そこは、フォローは一切せず、日常も喋らない。自分の絵だけを淡々と上げるアカウントだ。1000人くらいはついてきてくれたけど、もう何を描いても、本当にたまにバズったとき以外は、常連さんしか見ていないような、そんなアカウントになった。
今日、久々に気が向いたので、昔のアカウントを覗いてみた。フォロワー数は4700人。もう一年も更新してないのに、たった300人しか減ってないことに、驚いた。
あのころ、叩かれて憔悴しきってた私は、アカウント移動したら自分の価値はゼロになると思ってた。5000人全員に嫌われて、みんなが指差して笑っていると思ってた。でも、違った。多分本当に私を嫌っていたのなんかごく少数の人間で、その他4700人にとっては、私は嫌いではない。もしくはいてもいなくても何の支障もないどうでもいい人間だったということだ。
フォローは、50人くらい減っていた。フォロワー数の減少に比べると、割合は多い。これは新アカをフォローしたあとこちらを外した人数も含むから、仕方ないと思う。でも、今でもこのアカウントをフォローしてくれている相互は殆ど、最初にお知らせしたときについてきてくれた人ばかりだ。そういう人たちに動かないアカウントをフォローしてもらってるのもなんだか申し訳ないな、と、しゅんとしてしまった。ついてきてくれた人は、約300人。減った人数とほぼほぼ一緒だ。
ふと、世界の人の心の動きをわかりやすく伝える定説を思い出した。5パーセントの人は、私が何をしていても好いてくれるけど、5パーセントの人は、私が何をしていても嫌う。
残り90パーセントの人たちはそれ以外。私のことなんか、どうでもいいんだ。
何人フォロワーがいても、私のことをどうでもいいと思う人数なんて変わらない。いかに私を好きだと思う人を大切に思うかが重要か、なんとなく思い知らされた瞬間だった。
そういえば最近、絵で仕事を貰えるようになった。5000人フォロワーがいてもみんなに嫌われて評価されないと思ってた私は、今ではちゃんと、世の中に必要とされている。Twitterのフォロワー数は二桁だけど、私の絵は、たぶんどこかで沢山の人に見てもらってる。(評価されてるかどうかは、ダイレクトには伝わってこないけど)
来月からは、世界中で大人気のコンテンツに、一スタッフとして加わる。
あれだけ自分の目標とする対象に評価されずに泣いて泣いて、愚痴を言っても誰にも聞いてもらえずに一人で寂しい想いをしていた私が、日本人じゃなくて、世界を相手に、評価される土台に上る。
たぶん、あのころ私を嫌っていた日本人の作家は、日本で評価されないから世界に行ったのかよwwwって笑うんだろう。
でも、いいんだ。だから私は小さな世界に固執するのをやめた。外国語を勉強して、読み書きを出来るようにした。どんなに難しいビジネス文章が来ても大丈夫。それはフォロワーの数よりずっと、大きな私の自信になった。
5000人に嫌われてるって泣いてた私、頑張れ。世界は広いよ。今は10億人が相手だ。5000人全員に嫌われても、それ以上の人が私を見てる。だから、大丈夫。
そう、思うんだ。
少し話題がずれるけど、最近、たった数十人のアンチによって、心を病んだ女の子が自殺してしまったニュースを見た。
あの子は、かつての私かもしれない。
自分の価値はアンチコメント一つで揺るがないと今では知ってるからこそ、悔しい。
だからこそ、私は今の想いを言葉にしてみようと思った。ただのいちゃもんに負ける人が一人でも減るように、数の呪いに惑わされないように。
フォロワー数は諸刃の剣だ。自分に好意的な人数でもないし、敵対心を向ける人数でもないのに、自分の心のありかた一つで、王様にもなれるし、世界一の嫌われ者にもなれてしまう。
アンチコメントに苛つくのも勿論だけど、私たちが知るべきなのはアンチコメントへの対処法でも、心の守り方でもない。
私を常に評価して、好きになってくれる人を探す。その人のために、誠実に生きる。
数は強さでもなんでもなく、ただの数だ。その向こう側にいる人間を想えるかどうかのほうが、重要だ。
こういう時代だからこそ、大切なのは数より一つのコメントより、心のありかたなんだよって、どうやったら呪いに囚われて苦しんでる人に伝えることができるのかな。
アカウントなんか消してもいいんだよ。何人に悪口を言われても、好きに生きてもいいんだよ。
世界にはもっと沢山の人がいて、見に行く努力をするだけで、悪口まみれの狭い世界は、あっという間に過去のものになるんだよ。
死にたい人ほど、虚栄心を捨ててみてほしい。評価を手放して、数から解き放たれてみてほしい。
私はそう思います。
アジア人はガチの被差別階級なのでポリコレパワーすら弱い 黒人の方が強い
LGBTの中でも最強の属性 LGBを倒せる稀有な存在 ただトランス女性にするかトランス男性にするかは難しいところ 身体的に女性の方が強そうだからトランス男性ってことにした方が良いか?
本人の性能を落としてしまう諸刃の剣だが、ポリティカル・ストレングスを高めるには必須 アスペルガーとかだと傀儡にするしかなくなりそうなのでADHDあたりが無難か
思考能力に何ら影響を与えずにパワーを強化できるお得な属性 ポリコレ力を極限まで高めるなら全盲+四肢欠損くらいが良いか
上の条件を満たしつつこれになるのはかなり難しそう(四肢欠損者をレイプする鬼畜はそうそういなそう)だが、あると嬉しい属性 身体障害を腕一本くらいに抑えてこっちを取るのもアリか
求めている対象が手に入らない苦しさから、それをとうとう憎んでしまうようになってしまう心理というのは珍しくない。自分もまた、そういう誘惑に何度屈しそうになったか知れない。はてブでもツイッターでも、どうして僕が暗黒面に堕ちなかったのかをいぶかしく思っている人も多かった。ここでは、毒を吐きたくなったときにどのように抑えたかを共有したい。
一般的に、結果が出ないときには次のようなことを意識している。頑張れば結果が出るとは限らないと認識する。過程そのものを楽しむ。女性がいなくても楽しめる趣味をたくさん持つ。それから家族や友人を大事にする。友人からのアドバイスとは時として的外れで、かえって傷口を広げてしまうこともあるけれど、そういうときは失恋のことは伏せていて、普通に遊んでいればいい。それだけでも気が晴れる。
一つ目。自分は相手から好かれなくて悲しく、悔しいのだと直視する。とてもつらいが、この感情を無視しようとすると、悲しみは怒りへと変わってしまう。怒りが二次的な感情だといわれる所以だ。悲しみとは何かを失ったというサインで、怒りは相手が期待に添わなかったとサインとされる(1)。この段階で対処しないと、怒りは憎しみになってしまう。憎しみとは厄介な感情で、無駄に精神のリソースを食う。
二つ目。論理的に考えるように心がける。「女性はいつも自分を嫌う」というのは実は正しくない。「今回この女性には恋人としては受け入れてもらえなかった。次の女性の場合はどうなるかわからない」というのがより現実に近い。こういう「全か無か思考」は「認知の歪み」の一つであり、うつ病の原因の一つといわれている。うつ病にならないとしても、必要以上に自分の機嫌を悪くする行為だ。対処法は(2)に載っている。簡潔に言うと、自分の不合理な考えに一つ一つ反証していくことだ。面倒だが、やってみると楽しい。
三つ目。自分が男性だというだけの理由で受けた仕打ちや、不快な思いのことを考える。例えば、電車で隣になっただけで警戒されるような目つきでにらまれたとき。あるいは、攻撃的なフェミニストが、男性の失礼な態度だけではなく、男性が女性のことを「かわいいな。素敵だな」と思う感情そのものも否定するような発言をしたとき。そういうミザンドリーに満ちた文章を読んだ時にどう感じたか。ぐさり、と胸に冷たいものが突き刺されたような気がしなかっただろうか。ここで自分が、公共の場で女性を叩く発言をしたら、見ず知らずの女性が同じ思いをする。そんなことを僕は望むだろうか。
僕はフェミニズムがいけないのだといっているのではない。むしろ大賛成だ。女性の選挙権、セクハラを受けない権利(3)、功績をあげているのに忘れられている女性にきちんとスポットライトを当てること、その取り組みはすべて立派だと思うし、心から応援している。まだこの世には性別による不平等や偏見がいっぱいあり、これをみんなでなくしていくことこそが、僕らや次の世代の幸せへとつながっていくはずだ。僕も自分の中の偏見と闘っていくつもりだ。ただし、言葉を選ばないと両性の間に分断を無意味に生んでしまう。誰にだって怒る権利はある。間違ったことがあるときには怒ったっていい。時には厳しい表現を選ばないといけないことも当然ある。でも、不公正を公衆に訴えて世の中を改善していくことと、自分の不機嫌を見ず知らずの人間に通り魔的にぶつける暴力とは、厳然たる区別があるはずだ。少なくとも自分は、公共の場で他人を口汚くののしるような真似はしたくない。
少々熱く語ってしまった。本題に戻ろう。
四つ目。公共の場で女性を馬鹿にする発言をすることは、自分にとてもよくしてくれた母、祖母、姉妹を馬鹿にすることになる。同時に、未来に付き合い、結婚することになる女性、それから生まれる娘や孫たちに対する侮辱である。自分はまだ出会っていない家族のことを馬鹿にしたくない。
それに、自分の尊敬する文筆家や科学者の多くが女性だ。女性が馬鹿であるという謬見に対する、強烈な反証だ。
インターネット上には様々な声があふれている。ある女性は「なんでもきちんと話し合いで解決したい」という。別の女性は「なんでもかんでも気持ちを察してほしい」という。ある人は「男性からの性的なまなざしに耐えられないと」訴え、別の女性は「異性として意識されなくて悔しい」とぼやく。そういう意見を総合していくと、矛盾の塊というかキメラが発生する。こちらを立てればあちらが立たずだ。さらに「どうしたらいいのですか」と尋ねても、「私はあなたのママじゃないから自分で考えてください」といわれる。そこで困ってしまう。一生懸命行動しても、誰かからは怒られるのだ。ある種のダブルバインドである。
そういう時に思い出したいのは、結婚できるのはたった一人、という事実だ。自分が一番好きな人の幸せを一番に考えて、ほかの人の意見はスルーする。それでいいではないか。相手はこちらの面倒を見ないし、自分も赤の他人の機嫌を取る必要はない。
最後に。誰かに復讐してやる、という気持ちの時には、じっとしているのがいい。他人を憎んでいる心理状態はとてもつらく、幸せからは程遠い。人を呪わば穴二つ、である。そんなときは、家でゆっくり休むといい。肉体が健康でないと、精神の健康もおぼつかない。
相手に八つ当たりしない自信があるのなら、風俗も決して悪い選択肢ではない。ハグしてもらうだけでも怒りは収まることがある。相手から優しく触れてもらえる時には、言外の「あなたを男性として尊敬しています」のメッセージを受けている気がする。たとえそれが作りものだとしても、触覚や嗅覚はどんな言葉よりも雄弁だ。もちろん、人によっては空しさが増えてしまうかもしれないので、諸刃の剣だ。利用の際はよく考えてほしい。
あくまで理想なので、すべてを満たすことは難しいかもしれないが、希望はこういう形だ。
問題は、自分の好みが良く笑うタイプの女性か、研究者タイプの女性か、よくわからないことだ。とはいえ、これは実際に会ってみないことにはどうしようもないのだろう。
苦しかった。悔しかった。けれども、これでいいのだと思う。自分はこの方法ではうまくいかないのだ、そしてモテないのだと直視することができた。自分の実力がこの程度だと理解したことで、やっと素直に結婚相談所に向かうことができる気がしている。
もしもいきなり相談所に直行していたら、将来浮気したくなり、結婚生活を破壊してしまったかもしれない。恋愛はすごく疲れる、ということを体感したことで、落ち着いた生活へのあこがれも強まった。仕事でもそうだが、自分はこのくらいのことはできるが、これ以上はだめだ、という理解が、体調管理には必須なのだ。
今回も長くなってしまった。モテないことのぼやきならいくらでも書けるだろうが、ここで切り上げたい。
読んでくれてありがとう。
(3) 僕も女性からのセクハラを受けたことがあるので、そういう屈辱感を相手に与えるなんて真似はしたくない。もっと異性同士が、もちろんいろんなマイノリティを含めて、尊敬しあう世の中になってほしい。