はてなキーワード: 漁師とは
一方、兵庫之助の死体を背負った浮舟は、同じく遊女をしている妹の浮橋のもとに身を寄せた。
浮橋にも愛人の薮中茨之助というものがおり、彼の世話で家を借りてそこで暮らしていた。
ある日、浮舟の夢のなかに不思議な老人が現れ、「白鰻を食べさせれば兵庫之助は治癒する」と言った。
そこで茨之助が白鰻を探していると、川岸で百姓たちが集まって騒いでいる。
話を聞けば、白鰻が取れたので売れば十両になるが、他の百姓らは白鰻は神様だから逃がせと言うので争いになっているという。
しからばと茨之助は、集まった百姓には一両、白鰻をとった百姓には五両を渡し、半ば奪い取るように白鰻を持って帰った。
それを兵庫之助に食べさせると、すぐさま悪血を吐いて目を覚まし、ひと月もすればすっかり回復してしまった。
兵庫之助は、浮舟を茨之助に任せ、鹿之助を探すために中御門宗教をたずねて京へ上った。
宗教卿へと面会する前に身だしなみを整えねばと床屋へ入ったところ、なんとその床屋は秋宅庵之助であった。
再会を喜んでいる二人のもとへやってきた虚無僧は、何を隠そう高橋渡之助である。
この二人は上月城を退去したあと、九郎左衛門を暗殺しようと付け狙っていたが失敗し、京まで逃げてきたのだった。
また宗教卿と面会し、皐月早苗之助と会ったことで、鹿之助や古猪之助の消息も知り、兵庫助は大いに喜んだのだった。
さて尼子勝久も、そのころ義輝公の草履取りが鹿之助であることに気付き、
義輝公にそのことを話すと、義輝公・松永弾正はともに驚き、早速、鹿之助を呼び寄せた。
鹿之助は「松永弾正から将軍に尼子再興の奏上をしてもらおうと仕えていたのだ」と述べ、涙ながらに尼子再興を訴えた。
松永弾正は感心して、あらんかぎりの軍兵をもって助力しようと約束し、義輝公も松永弾正に勝久の補佐を頼んだのであった。
そこで鹿之助は、兵庫之助に「浮船は京に呼び寄せたほうがいいだろう」と言ったので、
兵庫之助は、茨之助のもとに向かい、浮舟・浮橋を京へと送り、茨之助とともに再び鹿之助と合流した。
ここに尼子勝久と山中鹿之助のもと、横道兵庫助や大谷古猪之助らも集い、
松永弾正の三千の兵は陸路から、鹿之助たちは将軍家から借りた三千の兵を率いて海路から、富田城を目指して出発したのである。
御座船の錨が不思議と重くて持ち上がらずに困っていたところ、「南蛮鉄の徳蔵」という大力無双が一人で引き上げてしまった。
そこに近づいてきた一艘の小舟から、ひとりの男が船に乗り込んできた。
怪しい奴とばかり徳蔵が、引き上げたばかりの錨を振り回すと、向こうの男もその錨を掴む。
互いに錨を引っ張り合うも、双方負けず劣らずで決着がつかない。
鹿之助が男の顔をよく見ると、まさしく海に身投げしたはずの早川鮎之助であった。
鮎之助は淡路の岩屋に流れ着き、そこで回復したので漁師をしていたところ、鹿之助の挙兵を聞いて駆けつけてきたということだった。
また鹿之助が、徳蔵の素性を聞いたところ、父は大友家に仕えていた武士で、その父が死んだあと浪人していたが、
海賊を退治したことで褒美として貰った船で商売をしていて、このたび尼子の御座船となった次第だと言う。
それならばと鹿之助は彼を召し抱え、「荒波錨之助」という名を与えたのだった。
古猪之助のもとを発ち、京へやってきた鹿之助が、たまたま入った居酒屋で狼藉者を退治したところ、
その店の女主人が、実は更科姫が昔に助けたことのある、お菊という娘だった。
お菊の勧めもあり、鹿之助はその菊屋に逗留することになった。
またある日、五条大橋の上で、貴族の輿が何やら武士に襲われているのを助けたところ、
その輿に乗っていたのはまさしく中御門宗教の息女・九重姫であった。
九重姫を中御門邸に送り届けたところ、宗教卿はその人品卑しからぬ鹿之助を気に入り、
さらには宗行の霊夢について語られると大いに喜び、その日のうちに鹿之助と九重姫は内祝言を挙げた。
そして宗教卿は、彼のもう一人の娘婿である播州の尼子義久が、毛利や龍造寺に囲まれて負け続けであるので、
その武勇で助けてもらえないだろうか、と鹿之介に頼んだのであった。
九重姫を宗教卿に預け、お菊から多くの路銀を貰い受けた鹿之助は、ひとり播州へ旅立った。
途中、大兵肥満の男が大きな板を持って、流れの早い川を堰き止めていた。
男は板を動かして川の水を溢れさせ、泳いでいる鮎を次々に川岸に打ち上げている。
そうしておいて川から上がると、男は打ち上がった鮎を残らず捕まえてしまうのである。
なんという怪力だと感嘆した鹿之助が声をかけて素性を聞くと、
七助と名乗るこの男は、先祖が武士であったものの、いまは落ちぶれて漁師をしており、
竿や網を買う金もないので、こうして工夫して漁をしているのだと言った。
前提を先ずは語ろう。
ここでいう海事関係者とは「海の事」という意味であり、広義的な意味では海自(海上自衛隊)をも含まれるが、海上自衛隊を限定して指す言葉ではないことに注意して頂きたい。
海事関係者として語るにあたって、当方は以下の資格取得者である。
なお、上記資格一覧から理解できるように専門教育は海運を中心としたものであるが、生家が漁師であるため漁業に関しても実務経験がある。つまり当方は生来からの海事関係者であるという理解で良い。
さて、当方がこのエントリを書くに至ったのは、はてなブックマークやTwitterなどへ投稿されている主張があまりにも素人意見に過ぎるものであり、その素人意見を元に日本政府の対応へ非難を浴びせる者が多いから書くに至っている。
本題へ入る前にこれは強調しなければならないだろう。船員の労働組合である「全日本海員組合」は憲法の改悪に対して反対する立場であり、憲法改悪に対して現在の日本政府へは与していない。また港湾労働従事者の組合である「全日本港湾労働組合」も同じ理由で現在の日本政府へは与していない。
第二次世界大戦後の政府が行った商船企業へ対する保障の件を知っているのであれば多くの海事関係者が(現在問わず)日本政府に与しない理由も察していることだろう。
ではまず、当方が眉をひそめた主張として「中国からの帰国者の一部がウイルス検診を拒否した件」へ寄せられた「強制的にウイルス検診を受けさせるべきだ」という類の主張である。
はっきりと言おう。これは日本政府どころか世界中の190以上の国家と地域は強制的にウイルス検診を受けさせることが出来ないようになっている。
有り難くもこのエントリを読んで頂いている方々は、当方に対して海事の専門家として期待を寄せているだろうから、強制的なウイルス検診が不可能な根拠を示す。
国際保健機関(WHO)に加盟する190以上の国と地域は国際法として国際保健規則(IHR)に縛られている。
1. 本規則の実施は、人間の尊厳、人権及び基本的自由を完全に尊重して行なわなければならない。
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kokusaigyomu/dl/kokusaihoken_honpen.pdf (PDF注意)
引用したPDFをご覧になった方は直ぐに理解できるであろうが、規則としての機能するであろう一番最初の明文が「人権の尊重」である。
今回の件に対応しなければならなかった日本の高級官僚はおそらくこのPDFとほぼ同じものを比較的早期に読むことになったであろうことは想像に難しくなく、そして一番最初に目へ飛び込んだのは「人権の尊重」だ。
日本政府はIHRによって人権の尊重を履行しなければならないので、ウイルス検診を拒否した者の意思をそのまま受け入れた日本政府の対応を非難するのは誤りある。
もし非難する点があるとするならば「説得の失敗」という点。ただしどのような説得があったか不明であるし結局は相手の人権を尊重しなければならないため、相手にやむを得ない理由などがあるのならば誰が説得しても困難だろう。
これは脅しているわけではなく1つの注意として、そう例えば忠言のようなものだと考えていただければ幸いだが日本国へ疫病を蔓延させんとする優しいアナタの主張は人権を脅かす可能性があるのだ。
Twitterやはてなブックマークなどでの主張の中で、当方が申し訳ないが認識を改めて欲しいと感じた主張は「罹患者を早期に下船させ陸上の設備の整った病院で治療させるべき」という類の主張である。
こういう類の主張をした方々は「日本国が島国であるという認識を持っていない」と思われる。
ここでこのエントリを読んでいる方々に考えて頂きたいことがある。それは「島国日本の水際とは何処か?」だ。
こんな設問は小学生でも理解しているだろう。日本の水際とは港湾である。
では、新型コロナウイルスを日本の水際で食い止めたいとした場合、日本の何処で食い止めるのか?港湾である。
陸上の病院へ送致した時点でそこはもう日本の水際ではないのだ。
日本は明確に島国である。島国であるからこそ日本経済を根本から支える物流は海運へ極度に依存している。
どれくらい依存しているかと言えば日本の国内物流の40%以上、日本の国際輸出入になれば99%以上が海運である。
そのことから当方が「聞くに値しない」「何も理解していない」「この人物は一切信用ならない」と判断した主張は「安倍政権は経済重視なので新型コロナウイルスの対応を遅らせた」という類の主張をした者たちだ。この者たちには当方は敬意すら持ち合わせない。
この類の主張を1度でもした者の主張は今後一切聞かないほうが良いと当方は非常に強く多くの人々へ忠言する。
前述した通り、日本の国内物流の40%以上、日本の国際輸出入になれば99%以上が海運であり、自民党、旧民主系政党、社民党、共産党、維新の会、公明党、幸福実現党、れいわ新選組、泡沫政党、その他政党、どのような団体が政権を握ろうがこの事実は揺るがない。
海運とは遣隋使から続く日本経済の根幹と言って過言ではない。もはや真理である。
今回は日本の水際、日本経済において非常に重要な港湾で起こっている大災害なのだ。
こういう類の主張は唾棄に値する。馬鹿や阿呆は褒め言葉と取られることもあるのでこの者たちへは愚かだという言葉を投げつけよう。
愚か者たちがTwitterやはてなブックマークへ下らない主張を投稿する電力の燃料はどうやって運んでいると考えているのか。
日本国民の衣食住はどのように運ばれてきているのか。その40%以上が届かなくなる危機へ瀕しているのに何を下らないことを言っているのか。
トラックや鉄道で運ぶ?どうやって動かすのか。燃料を含む国際輸出入の99%は海運だ。
多くの賢き人々は理解し唾棄しただろう。この愚かで下らない噴飯ものの主張の質を。
ここで改めて旗国主義を説明するのであれば、船舶や航空機など公海公空を行き来する乗り物の内部に関しては、その乗り物が所属する国家の法律が適用されるというルールである。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%97%E5%9B%BD%E4%B8%BB%E7%BE%A9
ダイヤモンド・プリンセスを例にすると、ダイヤモンド・プリンセスはイギリス船籍でありダイヤモンド・プリンセスへ乗船している間はイギリス国法が適用されるということだ。
あまり詳解すると問題があるので軽い説明に留めるが、日本では基本的に賭博は禁じられているが、賭博合法国の船籍を取得し船内へ賭博場を持つ、いわゆるカジノシップという存在もあったりする。
このように日本の領土領海領空内に居ながら旗国主義は合法的に治外法権を得られる仕組みとなっている。
それが今回の件で足かせになっている。
つまり、ダイヤモンド・プリンセスへ乗船する前は日本国法が適用され、ダイヤモンド・プリンセスへ乗船するとイギリス国法が適用されてしまうので、例えば日本で言うところの薬事法の違いなどが発生する。
もちろん日本とイギリスには定義される人権1つ取ってみても揺らぎがあることが予想されるし、ダイヤモンド・プリンセスの対応を日本国として行っているという視点がかなり面倒なことになっているのだ。
IHRは国際法であるが、その機能を各国が履行するには各国で法制化する必要がある。法制化するということは各国で他の法律と矛盾の無いように法制化する必要があるわけで、ここで法制度上の様々な定義に各国で揺らぎが発生するというわけだ。
だからこそ、そのようなことにならないよう願っているが、即ちダイヤモンド・プリンセスへ関わる事柄は日本国が主導した犯罪として認定される可能性がある。
ここで日本政府の動きを振り返れば、歯切れの悪い言葉、なんだか遅い対応、よくわからない錯綜した情報、外圧に屈したように見える動きetc...
日本に住まう大半の人はイギリスの法律なんて存じ上げないと思われるが、イギリスの合法的な対応を日本人が取れるのか?と言われると非常に疑問である。
例えばイギリスでは肖像権が法制度化されているが、ダイヤモンド・プリンセス船内を日本の報道慣習に合わせて放映している日本のマスメディアは大丈夫なのだろうか?と心配になる。日本のパブリックとイギリスのパブリックがイコールで結ばれるのか?と。
結論として、IHRに合わせ人権を保障しつつ、その人権の定義はダイヤモンド・プリンセス上ではイギリス国法にあり、更には日本経済の根幹である海運を維持しつつ、新型コロナウイルス対策をこなさなければならない。
「そもそもダイヤモンド・プリンセスを受け入れたのが間違いだった」
護衛艦を拒否したマーシャル諸島とミクロネシア連邦は島国であり、これが島国として正常の反応なのだと寂しく思うと共に理解をせざる得ない。
ファンタジー世界で生活!といいつつ最序盤から大して苦労せずに健康で文化的な最低限度の生活を送れるゲーム多すぎる
ちょっと街の外に出て何体か魔物を狩ったら宿に泊まって食料を買ってもお釣りがくる みたいなバランスのやつ
強くなっていくのがまあ目的なんだけど、強くなってでかい金額稼げるようになってもその金は武具に消えていく
あのキューバの漁師コピペを思い出してしまう そんなに頑張って強いモンスター狩ったりしたくても全然暮らしていけるじゃん、と思うとなんだか無駄に主人公を苦しめてるような気がして申し訳なくなる
せめてすごい高い家具を買うとか高級ワインを買うとかできたらいいんだけどな 家の値段なんかもリアルにバカ高くして、いい家具をそろえていい暮らしをすることを目標とする
そういうゲームってウケないんだろうか どうぶつの森+冒険者要素 みたいな つうか絶対あるだろ 俺のリサーチ力が低いだけ?
強くなるために強くなるって構造のゲームはなんだか虚しい まあゲーム内でいくらいいベッドを使ったってこっちはせんべい布団のままなんだから仕方ないといえばそうなんだけど、主人公にいい思いをしてほしいんだよなあ
保守だの、リベラルだの、ネトウヨだの、ネトサヨだの、罵詈雑言が飛び交っているが、
恥ずかしながら自分の政治信条がどこに属しているのかわからない
9条の矛盾は解釈でなんとかするのが自分の考えに近い。仮に改憲するなら自国を守るために、日本の領土・領空・領海内でのみ戦闘行為を許可すると明言してほしい
年間120万?40万?非課税なら、全国民の所得税の控除額を40万引きあげろ。事務手続きコストを考えるともっとも正しい。ふるさと納税は当初の目的とずれすぎているので廃止すべき。
ただし、クリニックでの処置と大病院での処置は差別化が必要な気がする。やはり保険なのだから、原則として大きな病気、高額医療になった人を助ける仕組みであってほしい。
あまり病院に行かない人は損だ!という人がいるかもしれないが、自分が病気になった時に高額医療で破産しなくてよい権利を購入するものが保険なので、損とか得ではない。
GoogleとかAmazomみたいな会社が税金払わないのはどうにかした方がいいと思う(もちろん日系企業も)
もちろんお金配った方がもらった感を出せるのでありがたみがあって、所得控除なんて知らん間に消えてるので、ありがたみのために金配ってるのはわかるけど、
とにかく事務手続きコストが高すぎる。3万円配るのと、3万円減税されるのは同じ。所得が少ない人にのみ配るのはOK(減税する分がないため)
保育園問題は、正直素人が思いつくことなんて全部誰かが思いついているわけで、それができていないということは
解決策だと思われる対策が別の問題を引き起こすからなんだよね…
諸外国のやり方をみるに、普通に毎月10万くらい保育園に払うように変えた方がいいのでは…(で、所得控除)
各園がまず真水のお金が増えることが裁量を増やすのに重要で、補助金で首根っこつかみながらやるのでは、保育士の給料を上げるなんて
到底できないのでは。世の中の人の話を聞く限り、激務じゃなければ保育士として働きたい、子どもが好きという人は多いし、
単純に各園の子ども一人あたりの保育士の数を増やす、というので働きたい人は多いと思うんだよね。
認可や認証、無認可(その中でも高品質、高保育料のところ、認可レベルのところ、低品質のところ)が乱立していることも問題だし、
どうしたらいいんでしょうね、この分野。
田園風景、山の麓といった場所ではなく、県庁所在地レベルの地方都市のこと。住んでる人の多くが第三次産業の地方都市のことで、
農家や漁師の話はここではしておりません。ヨーロッパのまちをみると、人口20万人、30万人クラスの都市でも
相当に文化的な暮らしをしている。そういう街には、何個かのその街を代表とする企業があり、大学があり、
大学と連携して研究所があり、そこから派生して様々な産業が生まれるという、おらがまちといった印象がある。
逆に日本の地方都市は、東京にある本社の支社があるだけのまちになってしまっていて、本当に良くないなぁと思う。
一時期、福岡はいいモデルケースになりそうだったんだけどなぁ。最近、あまり聞かないですね。
下手によくわからない教科書やわかっていない教員の授業をするくらいなら、文科省主導でめちゃくちゃおかねかけて
オンラインコース(または動画教材)つくったら?と思う。唯一の懸念は文科省主導でやったら、落合さんに監修させそうなこと…
いや、落合さんは研究者やコメンテータとして優秀だと思うけど、頭がいいのでわからない人の気持ちに寄り添ってくれなさそうだし、
もっと落ち着いた人の方がよいなぁ。でも、ネームバリューで喜連川先生とかにされても困るなぁ。
あ、喜連川先生がだめというわけではなくて、やはり大御所の先生はとても頭が良くて研究熱心なんだけど、
必ずしも教育に向いているわけではないってことです。
CSがわかっている大学教授、実務でコード書きまくっている人や評価されている人(まつもとさんとか?)、情報系と教育系の境界領域にいる人
あたりで監修すればいいのかな?その組み合わせによっては喧嘩になりそう。
ま、小学校でやることじゃない気がするが。やりたきゃアルゴリズムの本でも読め。
基本的に自分は時間を使うこと、paper workが本当に無駄だと思っているので、ベーシックインカムと所得控除の二本立てで
本当に早いわよねって毎年この時期になると言ってる感じがして、
なんで12月だけは1年を振り返るかのようなしみじみ味わい過ごすのに、
1月はなんも言わないと思うわ。
新年だし。
あとの月は知らないけど
でも祝日の無い月とかは一方的に恨み節かまされちゃうから可愛そうだったりするわ。
そんなうかうかしてるとまたあっと言う間に年始年明けちゃうから、
私の予定はまだ決まってないので、
レッツラゴーとレリゴーって間違いやすいから気を付けないとね。
レリゴーの歌を越える歌がないと1作目を越えられないようなターミネーターのような感じになっちゃうから
でもあのターミネーターの映画が最新のどったらこったらって言ってるけど、
そういや寅さんの新作もルパン並のシージーでやっちゃうのかしら?って思うほど新作が出るって噂だし、
そんでさ年に1度は蟹鍋したいと思って
マーケットにある蟹が売ってる蟹売り場で値段を見たら逆に意味でもうプレイスレスで
価格あってないようなほどで手も足も出ない感じね。
あの蟹味の蟹を越えないとパフォーの蟹食べに行くロードムービーの1作目を越える2作目はできないはずよね。
でも私河豚の美味しさよく分かってなかったんだけど、
最近ちょっとひれ酒だとかそう言った大人の楽しみ言うかそう言うのが分かって来ちゃったんだな!
まだ19歳だけど。
海外からやって来た味の星付け五つ星とかの評価委員の人とかやってきて難しい顔して食べるやつ。
でその審査員役の一番偉い人役にトムハンクスさんが
あまりに審査員の人たちが味の評価にしびれを切らすものだから、
「おれがモノホンを食わせてやるよ!」ってちょっと業界用語混ぜながらバンと机を叩きながら立ち上がって言って
本当に美味しいお店、
実はお店と言うより漁師さん達に人気のあるご飯を食べる何気ない港の食堂に連れて行こうとするわけ、
「いや、ちょっと今蟹雑炊と河豚雑炊食べたばっかりだから、今はいいです!」って言う
そこでトゥービーコンティニュー!
次からは強くてニューゲームなパート2に続く感じを匂わせるのが映画の決まった方程式というか、
雷の力で洗濯機しかもドラム式に潜り込んでタイムスリップする感じが
いままで映像化は無理って言ってたほどの映像表現で贈る大スペクタクル!
ワープ航法で光速に達しながら宇宙船内でご飯を炊飯器で炊こうとしてたけど、
到着したらカレー食べようね!言ってたんだけど、
お米の名前なのかアンドロメダ星雲が好きなのかダブルミーニング。
米だけに!
うふふ。
私パン屋さんでパン買ったのにまたサンドイッチ屋さんによってサンドイッチ買ってたという、
鞄にサンドイッチ入れようとしたらパンが入ってたからビックリしちゃったわ!
なんてウソだけど。
ハムサンドとソーセージサンドに、厚焼き玉子サンドと玉子サンドって
ほぼ全部サンドじゃん!って思っちゃうほど自分でもやれやれよ。
ちょっとマジ出す出す詐欺で出せてなかった石油ファンヒーター出したいわ。
あの暖まりっぷりは一級品じゃない。
寒かったのでホッツ白湯ウォーラーインレモンアンドハチミツでハニーな感じのモーニングでした。
白湯も風味付けしたら
苦手な人も行けるはずよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
スマートウォッチの機能多すぎでどう使って良いのか逆に分からない問題ってないかしら?
とりあえず
何か分からないものを使ってみたいという好奇心だけで使ってみたものの、
他なにができるかはよく分からないのね。
もうこのままほぼデフォルトで使ってみようって思っちゃったりなんかして、
正に向こうの思うウツボじゃない。
いろいろ使いこなしてみたいものの、
そしたら、
今聞いてる曲だとか天気だとか
挙げ句の果てには今運動し始めたでしょ?記録しとくね!とかって言うじゃない、
あれよあれよという間に
いろいろなデータが表示されてきて、
もう全く訳ワカメよ。
ちゃんと同期できて吹き込んだ内容がパソコンやスマホでも見れちゃったからすごく使えそうよ。
地図さえ見れるし
メールも読めるし
さすがに増田は書けないのが一番のネック中のネックなんだけど。
逆にネットは見れないという押切もえもびっくりするほど割り切った機能ねと思っちゃうわ。
なるほどねーよくできてるわ。
世界で売れてるわけだわって、
おまえそれもう何年か前にすでにビッグウェーブさんが体験した通った道だよ!って今更ながらに思うの。
しかもこれほぼ腕に付けられるパーソナルコンピュータとも言えるじゃない。
バッテリー背中に担ぐ人とモニター背中に担ぐ人とが揃って初めて
やっとデルのデスクトップパソコンが電車内で使えるって訳じゃない。
って言わんばかりに3人必要なの3人!
ニュースでやってたグーグルの漁師コンピュータさえあれば秋刀魚の漁獲高もV字回復なんじゃないかしら?
画期的な高速コンピュータが開発されました!ってニュースが出るたびに
ターミネーターの世界観で未来からその開発者を抹殺しに来るんじゃないか!?って
そのターミネーターの世界観の未来から送られてくる殺し屋は下請けに仕事出してて
結局その5次下請けの殺し屋は命の恩人じゃないの?と逆に思うの。
複雑に織りなされたその物語はプリデスティネーションよ!
話しを戻すと
ここは海底の岩で水深が浅いところこれは魚群だなとかって。
船長さんが魚の居るところに案内してくれるんだけど、
チープな画面にサーモグラフィー的な色合いの表示じゃ全然私分からないわよ。
これってもちろん漁師コンピュータ作った人も見方分かってるんでしょうね?って言いたいけれど多分分かってるはずだわ。
バラエティー番組とかで魚が出てくるシーンになると、
そう言った曲をダジャレに使って
見てる方に問題出すかのようにこの曲なんでしょ?って仕掛け私好きだわ。
ほとんど知らない曲っちゃ知らないんだけど、
一人で笑ってしまうわ。
この時計ずれてるんだけど!ほっとけい!
うふふ。
育ててきた鍋のスープが極うまな感じだと思ったので、
それで雑炊作っちゃいました。
シメで麺もいいんだけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
そもそもさ
回収率や回収方法がないから一括でもらえる大手に売りたいのだろうし
小銭稼ぎは街頭で箱に寄付お願いする形で売買契約としては善意にまかせるしかないとこだし
買い取る相手と売り方で商売する方法の一つで体がでかいから木こりになるとか
船酔いしないから漁師になるみたいに絵が描けるから絵描きになるとか
歌がうたえるから歌うたいになるとかの一つでしょ
喜ばれないものも作る意義があるとかってそれはだれかに損をさせることが喜びの立場も
いるわけじゃん
敵にうればいいんでしょ
敵にうられるまえにあなたに買ってほしいって商売するならそれなりの売り方もあるんじゃない?
その喜びのための対価を払う人間がいるから価値になるわけで対価の支払われない芸術的価値があるとすれば
それは入場料をとったりしないものなんじゃない?山とか川の風景とかそういうものとか
ふと生まれ育った町の情景を夢で見て、多少思うところがあったので気持ちを書き留めようと思う。
静かな入り江から小さな漁船が海の彼方へ消えゆくような、そんな夢だった。
最近よく見かける「田舎で非知識階層に囲まれて育ったけど、地元に馴染めずなんだかんだで都会に出てきて過去やホームタウンを思い返すたびに多少絶望する」という散文的な自分語りであることを先に断っておく。
ただの個人の経験であり、エスノグラフィのようなものだと思って読んでもらえれば嬉しい。
確かに「東京の人間が想像することも出来ないような社会」が日本のどこかには必ずあって、学ばないことが規範と化して社会が再生産されているということ。
名古屋まで電車で1時間半以上、文化的な施設といえば聞いたことのない演歌歌手がたまに来る小さな市民ホールと、小さな本屋が2軒あった。
2軒の本屋は万引きの被害額が大きすぎて自分が町を出た後に潰れた(跡地はセレモニーホールという名の葬式場になった)。
1時間に一本しか電車のこない駅から伸びるメーンストリートで今でも開いている店は、年金暮らしの年寄りが趣味でやっている畳屋と宝くじ屋しか無かった。
街中でスーツ姿の人は見たことがほとんどなかったし、そもそも人が出歩いている記憶すらない。
高卒で一度も町から出たことのない母親は、漁師を相手にする場末のスナックで働いて自分を育てた。
同じ町で漁師をしていた父親はフィリピンパブで出会ったフィリピーナに入れ込んで、小学2年生くらいの頃に母親と離婚した。
それより前には「キミの父親は不倫をしているんだ」と小学校の同級生の母親から聞かされた。
相手は近所に住んでいた太ったおばさんだったので、あんなデブとなぜだろうとその時は疑問に思ったけどすぐに忘れた。
最後に父親と会ったのは、父親が家を出て半年後くらいに小遣いをやるからと呼び出された紫煙で視界の悪い雀荘だったと記憶している。
その後は行方不明で、風の噂では今はマニラに住んでいるらしい。
こんな家庭環境は、東京の自分が属するコミュニティでは聞かない。
なぜそんなことにわざわざ触れたかというと、自分の家庭は何も特別ではなく、周囲を見渡せば程度の差はあれどどこもそんなものだったから。
親が大卒の同級生なんてクラスに1割も居たかという感じだったし、自分が通った地元の中学校には200人くらい同級生が居たがそのうち大学に進んだのは20人くらい。
自分は博士まで進んだが、マスターレベルですら聞いたことがない。
あとで詳しく触れるが、そもそも勉強をするとか考えること自体を忌避するという一貫したスタイルがあらゆる局面で通底していた。
さて、シングルマザーの家庭はクラスに3割は居たし、両親が揃っていても母親・父親違いの兄弟姉妹が居るなんて話も珍しくない。
親世代の職業は漁業か水産加工、町工場、自動車修理で、小中学校教諭や公務員の子息は格の違いを醸し出すスーパーエリートの家庭扱いだったし、家も小綺麗だった。
スーパーエリート以外は、トタンの壁が海風で茶色く錆びて、汲み取り式のトイレから伸びる煙突の先がクルクル風で回っている文化住宅か、古民家カフェを思いきりボロボロにしたような都内なら廃屋だと思われるような家に住んでいた。
町工場に勤めている人たちで指が無くなったなんて話もよく聞いたし、どこそこの家が生活保護受給とかという話もよく聞いた。
クラスメートが学校を翌日休む理由が、その前に起こした暴力事件で家裁に呼び出されているからとかもよくある話だった。
そんな彼らが余暇にすることといえば、スナックかフィリピンパブ、ギャンブル、セックスくらいしか聞いた限り思いつかない。
確かに、成人した兄がいる同級生の家に遊びに行った時には、真昼間から居間で同級生の兄と派手な格好をした若い女性がセックスをしていたし、パチンコ屋には毎朝人が並んでいた。
ギャンブルはパチンコか電話で投票する競馬が主流だったが、甲子園の季節になると地元の暴力団が元締めをする高校野球賭博も流行っていた。
暴力団は偽ブランド品も売りさばいていて、軽自動車にスウェット姿だけど鞄は高級ブランド(偽物)という出で立ちの女性をよく見かけたものである。
まぁこんな感じでつらつらと思いつくまま挙げてみたが、自分の身の回りで溢れていたのは、キーワードでいえば貧困、性、暴力、ギャンブルだった。
そもそも大人たちがそんなスタイルだったので、子供達も似たような社会をフラクタル図形のように構成していた。
小学校の頃には駄菓子屋やコンビニでの万引きが横行していて、後に刑務所に入るような子供たちはその時代からすでに盗んだタバコを吸って、やっぱり盗んだバイクに乗っていた。
暴走族(ゾク)に入って大人たちを殴ったり大怪我するほどのゾク同士の喧嘩をする中学生たちが小学生のヒーローで、ゲリ便が出る時のような音を撒き散らすバイクに皆憧れていた。
そんな時に暴力的な彼らは、異質な存在を排除することが大好きで、異質とみなされた同級生は徹底的に排除された。
小学6年生のとき、教室に入ったらメガネをかけている子が素っ裸で椅子に縛り付けられて頭にバケツを被らされていた。
メガネは弱いものの象徴で、勉強や議論をするような人間は排除の対象だった。
文革かって感じ。
反対に、野球が上手いか、足が早いか、ケンカが強ければヒエラルキーの上部に君臨できる。
動物的に強弱を判別できることがそのままヒエラルキーの源となっていたし、意思の合意は感情とその時の雰囲気で決まっていた。
そして中学生になると、今度は成績が良い人が排除の対象となる。
真夏に水を飲まずに走りこんで泣きながら試合に負ける部活に打ち込むことがすべてに勝り、もしくは非行に走ることがある種の中学生らしさであるというコンセンサスを伴って正当化されていた。
授業中には廊下を自転車が走り、思い出した頃に校庭に暴走族や野良犬があらわれる。
トイレにはタバコの吸い殻が落ちているし、たまに窓ガラスは割られていた。
教師はたまに殴られたり、殴り返したり、車を壊されたりしていた。
一方で登校している生徒にとっては、校則はフーコーのパノプティコンも真っ青な規律を自動化させるもので、髪型は男子は坊主、女子は肩まで。
他にも細かい校則がたくさんあって、破れば容赦無く教員から殴られる世界だったし、皆が一緒であることを望んでいたので、逸脱すれば容赦無く告げ口されていた。
校則を破らなくても、目立てば排除の対象になりうるので、いつしか自分も誰かが見張っていると意識して、いかに溶け込むかを重視するようになっていた。
そして積極的に学んだり考えることが嘲笑の対象であったので、そこでもやはりセックスをしたことがあるかとか、バイクの知識があるかとか、そういう分かりやすい尺度でヒエラルキーが構成されていた。
授業中に教師から指名されて小難しい答えを言ったり、発音記号通りに英単語を発音しようものなら3日は真似をされてイジられるのは御多分に洩れず自分の地元も同じだった。
テスト期間は早く帰れるので皆喜んで下校後に遊ぶレベルの勉強に対する姿勢で、将来は男子は工業高校、女子は商業高校に通ってそのあとのことは何も考えないのが一般的だった。
ここまでは自分がライブで触れた15歳くらいまでの環境の話で、せいぜい15年くらい前の話だ。
はっきり言えば、そのような環境はまっぴら御免だし、そんなところで自分の子供を育てたくはない。
さて、経緯は知らないが、自分は幼稚園の頃にIQテストを受けた。
そのあとに、あなたの息子は知能指数が高いから相応の教育を受けさせてあげてくださいと園長先生から母親はコメントをもらったらしい。
大学のことすらよく知らない専門学校卒の母親だったが、自分を都内か海外の全寮制の学校に小学生のうちから預けようとした。
だが、当時の自分はこともあろうに泣き叫んで拒み、結局は地元に残ることを選んだ。
当時のことはよく覚えていて、理由は友達と離れたくなかったから。
その時に知りうる限りの世界を取り上げられることに対する極端な不安が何よりも勝っていて、母親は息子の気持ちを優しくも汲み取って折れた。
小学校に上がった時、小1か小2くらいの頃から、本を読み始めた。その頃に三島由紀夫や島崎藤村やら、古い作品から新しい作品まで縦横無尽に慣れ親しんだ。
早朝に登校して空いた時間や、ジャンケンで負けて押し付けられた図書委員の時間、図書室でひたすら本を読んだ。
そのうちに、自分が生活する社会と根本的に異なる社会、つまり学び、考えることが重要であるという社会が存在することを知った。
哲学や思想系の本はもちろんのこと、西洋美術の画集や建築の写真集に心を揺さぶられたし、マーラーのCDを初めて聞いた時の感動は死ぬまで忘れないと思う。
めちゃイケを好むふりをして、自分は加藤周一の羊の歌に感銘を受けて、とりあえず東大に行こうと中学の頃には考えていた。
そして周囲に迎合しつつも高校に進んだ。いわゆる地方の公立トップ校だった。
他にも理由はあったと思うが、中3の時には成績が良いという理由でものを隠されたり上履きにガムが入っていたこともあった。
入学から1ヶ月もしないうちに、明らかに新たな社会、社会階層に自分は組み込まれたと自覚した。
同級生の親の職業は、医者、弁護士、会計士、大企業の社員ばかりだった。
誕生日には名古屋のデパートの上層階のレストランだったり、どこぞで伊勢海老を食べるだのとそんな話もたまに聞いた(成金的な家はあまり無かったけど)。
彼らの親は旧帝国大学出身はざらにいたし、兄が東大、今はオックスフォードに留学中とかそんな話も当たり前にあった。
幼い頃からピアノやバイオリン、書道、バレエ、スイミングなんかをやっているのがマジョリティだったし、週末に美術館やコンサートホールに足を運んだという話も決してレアな話ではなかった。
彼らと出会ってとかく感動したのは、好きだった本や芸術の話を初めてリアルの人間とできたことだった。
そして何より彼らは、自身の解釈や、見解を示してくれたし、自分のくだらない議論にも向き合ってくれた。
もちろん性やギャンブル、暴力、ワンピースの話もたまにはあったが、それ自体を享受するだけでなく、思考の対象としても話題を取り上げることががあった。
高校以来、自分は学び、思考する人しか存在しないかのように振る舞う社会に身を置き続けている。
今にして思えば、もっと早く外の世界に出た方が良かったのではと素直に思う。
なぜなら、受動的に与えられたその社会が自分のすべてだったから。
母親が母親であるように、生まれ育った社会は生まれ育った社会であって、代替がきかない。
自分はたまたま、自分が立っていた社会と違う社会を知りうるきっかけを子供の頃に得たから今があるのであって、その機を逃せば一生地元に居ただろう。
なぜなら、考えることや知ることを拒むことが規範となる社会では、外の世界があるということ自体を知りようがないのだから。
自分は考えることも、こうして頭の整理をすることも好きだ。
パチンコの新台や、友達の奥さんが不倫をして旦那が相手と殴り合いの喧嘩をしたとか、そういう動物的な話題を「それ自体」をただ消費する社会に少なくとも自分は興味がない。
もちろん、そういった社会(自分が経験したような)を否定する理由はどこにもない。
ただ、自分が故郷を捨てたように、その社会に残るのは、その社会に適応しきった人々である。
有り体にいえば、将来の選択肢の存在すら意識できないのが自分の体験した社会であり、どのような選択肢があるのか獲得しようする営みそのものが封建的に否定される強い構造を伴っている。
だからこそ、自分の田舎はいつまでも同じ姿を留めることに成功しているのだと思う。
もちろん、その社会自体が恐ろしいぬるま湯であり、外には異なる社会が存在することを予期している人も稀にはいることだろう。
幼い息子を外の世界に出そうと考えた母がそうだったように、おそらくそれに気付いた時に自身を好転させるにはあまりにも遅い場合が大半であると自分は思う。
そして、自分は今更何があったとしても、地元の彼らと交流することはできないし、するつもりは一切ない。
母はもう二度と戻ってくるな、お前の居場所はもうここにはないと電話口でことあるごとに言う。
一方で、開成や筑駒から東大に進んだ都内組は何も捨てることなく、安定的に自分が望んだ社会を享受してその上に今も生活を営んでいる。
それは誰でもそうであるように、最後の最後に拠り所となり得る自らの地域的なアイデンティティをきちんと持っているということである。
自分は依拠すべき地域(地元)を自己実現と引き換えに失ったのであって、願わくば我が子には地元を与えるか、もしくは地元がなかったとしてもサバルタンとなり得ない思想的な土台を築いて欲しいものである。
あなたや家族やお友達が差別主義者の日本人に嫌がらせを受けて困っているのであれば、周囲の日本人に相談して助けを求めれば良い。
あなたの友達やご近所や職場の同僚の日本人は助けてくれるだろうし、私も相談を受けたならば助ける。
でも、日韓関係の政治については口を出さない方が良い。今ホットな、慰安婦や徴用工、日韓基本条約などは話題にしない方が良いということだ。どんな意見を持っていたとしても。
私がオーストラリアに住んでいた時、オーストラリア人と話していて唯一非常に不愉快に感じた(たぶん相手のオーストラリア人も不愉快に感じていた)話題が、日本の政策、というより捕鯨問題だった。
私の主張は、
「過去の日本のように南半球まで絶滅の危惧があるシロナガスクジラを捕りに行くのはダメだけど、日本の経済水域内で資源量が十分に回復した種類のクジラを捕るなら問題無いだろう? オーストラリアの漁師がロブスターを捕るのと同じように」
という物だった。
ここで私が鯨の資源回復の数字を挙げたように、相手も数字を挙げて反論してくれたなら、良いディベートになったのだと思うけど、オーストラリア人の言うことは、
「とにかく鯨は、牛や豚やロブスターやスポーツハンティングで遊びで狩っているシカなんかとは違うんだ、鯨は知性のある生き物で食べ物じゃなんだ」
(これも差別的な言い方だが)現場仕事帰りのオッチャンとバーで口喧嘩してるんじゃなくて、大学のカフェテリアでもコンピューター・サイエンスやカルチュラル・スタディーズの修士コースの学生相手の議論がこのレベル。
君たち専攻している学問で身に付けた論理や他文化理解のフレームワークはどこに置き忘れてきたんだよ! って絶望的な気分に何度もなった。
普段は気さくで朗らかで本当に「良い人たち」としか言いようが無いオーストラリア人たちの顔が捕鯨の議論をしている時だけは相当にうんざりした表情になっていて、相手も私の話の通じなさに絶望しているのが見えて辛かった。
話が私の自分語りに偏っちゃったけど、あなたが韓国政府の主張を擁護する立場で政治を話題にしたならば、少しは日韓関係の知識を仕入れている日本人の多くから、まるで話が通じないと思われる危険がある。
逆にあなたが文政権に批判的な「保守派」の韓国人だったとしても、わざわざ日本政府の見解を支持するような旗幟鮮明を日本人に対してする必要も無い。
あなたは在日の代表でも韓国政府の代弁者でも無いのだから、ただただ自分や家族や友人が受けている具体的なハラスメントについてだけ、困っている、助けて欲しい、と訴えて平穏な暮らしを得るために行動すべきだ。