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はてなキーワード: 菊屋とは

2020-02-23

[]anond:20200223190449

古猪之助のもとを発ち、京へやってきた鹿之助が、たまたま入った居酒屋狼藉者を退治したところ、

その店の女主人が、実は更科姫が昔に助けたことのある、お菊という娘だった。

お菊の勧めもあり、鹿之助はその菊屋に逗留することになった。

またある日、五条大橋の上で、貴族の輿が何やら武士に襲われているのを助けたところ、

その輿に乗っていたのはまさしく中御門宗教息女九重姫であった。

九重姫を中御門邸に送り届けたところ、宗教卿はその人品卑しからぬ鹿之助を気に入り、

さらには宗行の霊夢について語られると大いに喜び、その日のうちに鹿之助と九重姫は内祝言を挙げた。

そして宗教卿は、彼のもう一人の娘婿である播州尼子義久が、毛利龍造寺に囲まれて負け続けであるので、

その武勇で助けてもらえないだろうか、と鹿之介に頼んだのであった。

九重姫を宗教卿に預け、お菊から多くの路銀を貰い受けた鹿之助は、ひとり播州へ旅立った。

途中、大兵肥満の男が大きな板を持って、流れの早い川を堰き止めていた。

男は板を動かして川の水を溢れさせ、泳いでいる鮎を次々に川岸打ち上げている。

そうしておいて川から上がると、男は打ち上がった鮎を残らず捕まえてしまうのである

なんという怪力だと感嘆した鹿之助が声をかけて素性を聞くと、

七助と名乗るこの男は、先祖武士であったものの、いまは落ちぶれて漁師をしており、

竿や網を買う金もないので、こうして工夫して漁をしているのだと言った。

鹿之助は彼とも主従の契りを交わして「早川鮎之助」という名前を与えた。

2017-05-14

[] 采女の杖衝

(うねめのつえつき)

四日市市の『杖衝坂』のすぐ近くにある和菓子店菊屋本店製造する看板商品最中

大納言小豆の粒あんたっぷり、やわらかいお餅(求肥)も入り、食感・食べ応えのある一品です。

銘菓采女の杖衝」は、そのままでも、お湯をかけてもおいしくいただけます

常連のお客さんの間で広まったという『お湯かけ』は、最中にお湯をかけ、お塩ひとつまみ。ぜんざい風にいただきます

  

東海道でも屈指の難所に数えられた「杖衝坂」は、東征を終えた日本武尊ヤマトタケルノミコト)が負傷した足を引きずり、

剣を杖の代わりにして坂を登られた故事にもとづいて名付けられたといいます

ちなみに三重県の由来もこのとき日本武尊が、「吾が足は三重の勾がりの如くして甚だ疲れたり(足が三重に曲がるほど

疲れてしまった)」ことによるといいます

後年、芭蕉もこの難所にて馬の鞍もろともに転落。その折に詠んだ句が、「歩行(かち)ならば杖衝坂を落馬かな」。

天下の俳聖・松尾芭蕉もつ季語を入れ忘れたのではという伝説の残る坂です。

http://www.mietv.com/yajikita/archive/160801/02.html

 
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