はてなキーワード: 気づきとは
女のオタクは、大きく三つに分かれると思う。
これを読んだ人は「NL厨とかいるじゃん!」と思うかもしれませんが、
比較的には業が浅いため、一応①ということにさせてください。
「うるさい、私は過激なNL厨だ!」という方は、とりあえず②か③か近い方に所属してください。
私の二次創作としての入りはNLからでした。そして、実はずっとNL……というか、「公式の番外編を書きたい」または「オマージュしたオリジナルを描きたい」という欲求をずっと持ち続け、今になるまで変わらないままだったのでした。
子供の頃の私は、公式の推奨するカップリングが好きで公式の供給にありがたがるタイプの人でした。
しかし、ある時からBLを読みはじめ、なぜだか自分もBLを書き始めます。
好きというよりは、執筆者の人口が多い、供給が多いという理由で始めたような気がします。
人口が多かった夢小説ですが、「二次創作はしたいけど、自分が登場したくない」という理由で、早々に視野から外してしまいました。
夜に見る夢もそうなのですが、私は昔から、「物語に自分は参加したくない」という主義を徹底していたからです。
ですが、「本当は公式に沿ったものを書きたいけどBLなら見てもらえる」と思っていた私の書くストーリーはいつも歪で、何が書きたいかわからないフワフワとしたものが多かったのです。
というか、気づけばどのジャンルも「あまりスポットの当たらないキャラのNL」に浮気して、そっちが本業になってしまいました。
それが変わり始めたのは、大学生の頃、まともにオリジナル小説を書き始めた頃でした。
小説の書き方を学びつつ、オリジナルを書く傍らで、私はよくわからないもやもやを抱えるようになったのです。
それを形にしないまま、オナニーに耽ることが多くなりました。
実はこの時点で、私の願望による道は「公式の番外編・オマージュしたオリジナルを書きたい」というものと「好きな男性キャラクターをどうにかしたい」という願望の二股に分かれてしまったのです。
それにも気づかず、「自分はBLを書きたい」と勘違いし続け、ずっと間違った道を歩いて迷子になっていたのです。
そして、私は懲りずにまたBLに参入し、以前の主体性のないものとは変わってハードなものを書くようになりました。
しかし、意識は攻めよりも受けばかりを重きを置いてしまいます。
また、並行して「公式の番外編」のようなストーリーも書いていました。
「公式の番外編」と「どうにかしたい感情」が入り混じった同人誌も出しました。結果は当然、双方の願望がそれぞれ良い出来なのに、どうも溶け合わない歪な形になってしまいました。
あの頃は、自分が何を書きたいのかわからず、ぐちゃぐちゃになっていたようにも思えます。
彼も「どうにかしたい」と思っていたのですが、時代のせいか、思いつきだったのか、今までとは違う形の作品を作ることにしました。
モブおじさんとは、作品に登場することのないオリジナルのキャラクター(または、一瞬だけ登場したり陰の薄いキャラ)で、自分で設定を変えることのできる存在です。
今までにないほどに筆が乗り、やりたいことで埋め尽くされていきました。
そして、かおもじさんの「いろいろな腐女子」が出現し、自分が「かたつむりの腐女子」であることがわかりました。ひとまず、周りからすれば明らかに少数派で得体のしれない自分の性質に決着がついたことに酷く安堵した覚えがあります。
そう、私は無意識のうちに、ほかの腐女子との性質の違いにひどくソワソワとしていたのでした。
更に、あるオタク友達と泊りがけで飲んだ時、私はこのことを告白しました。
すると、私は「自分がおじさんになって●●くんを犯したい」と、ようやく自分でも気づかないような願望を伝えることができました。
そう、私は避けていたはずの「自分」を「モブおじさん」というきぐるみを着て舞台に上がらせたがっていたのです。
(あの頃は色々あって、「自分が書きたいのはBLではない」ことに気づき始め、ひとつめの道である「公式に近い物を書きたい」という存在を認識するようになっていました。)
あの瞬間でした。
私のいつしか生まれていたもう一つの道は、アバターに着替えてキャラクターと恋愛をする、という夢女子に近いものだということに気づいたのです。
そのアバターも美女のものだと少し恥ずかしく、おじさんのアバターがとてもなじむのでした。
こじらせてますね~。
ですが、おじさんのアバターはとても心地よく、創作の中で色々なことにチャレンジしたくてたまらなくなったのです。
その正体に気づくまで随分と時間が掛かってしまいましたが、今はそれがわかって少し創作活動に幅が広がった気がします。
皆さんも、自分らしく、自分で愛する創作ができることを心から祈っています。
……とか思っていたら、結局また新しいBLにハマったんですけど……
国際化が進むなか、いまだに多くの日本人の英語力はお世辞で言ってもたいへんお粗末なレベルである。
最近のニュース見てても、一般人が英語の読み書きを自由に使いこなせるレベルに達していないことで自滅に向かう事例が散見される。
具体例を挙げると、
・科学研究の論文誌の増加・オンライン投稿システムによる簡略化により発表の機会が増えたにもかかわらず、論文の量がのびず海外の水準から取り残される
・役人が海外の役所や専門家と連携も取らずに、違法ウェブコンテンツ対策はブロッキングしかないと結論を出したがる
市井の人々も海外のサービスは手の出しようがないダークな領域だと勝手に思いこんでいる
・外国人コンプレックスのある新宿御苑の職員がタダで外国人を入園させて損害を出す
・BBCが製作の偏見が入った番組に対して、英語でまともに抗議もできずに日本語で不平不満をつぶやいて泣き寝入り
そもそも英語が分かる誰かが日本語で情報発信するまで、そういう番組があること自体に圧倒的多数の人が気づきもしない
楽天の英語公用語化をバカにする人は多かったけど、ああやって組織的に英語を抵抗なく使えるようにする取り組は重要だ。
みんなが使える必要はなく、必要なときだけ虎の子のように英語を使える人を出せばいいっていうけど、実際それができてないんだから。
一時、孔子とか老子とか莊子とかそこら辺を読み漁っていたときに出会った言葉。
社会に出てふと思い出したときにあまりにもその通りで鳥肌が立った。
ただ、その原典を探しているのだけどどうしても見つけられない。
その本の中でも、急にその言葉だけ異質だったのを覚えてる。
内容は、敵国を完全に支配するにはどうしたらいいかというもの。
誰かに尋ねられて答えるみたいな構図だったような気がする。
力で押さえつけるとか、指導者を演じるとか、マインドコントロールするとかそういう類を想像していたけど書いてあることは予想とは全然違っていた。
例を挙げると以下のような感じだ。
・食料などの安定した供給を行う。
・娯楽など生きる喜びを提供する。
ここまでは聖人君子すげぇって感じに読んでたんだけど、その次に続く言葉を読んでぞっとした。
「相手にとってその生活が当然な状況になれば、生きることに対してこちらに完全に依存していると同然だ。後は与えるものをコントロールするだけで相手を好き勝手に操るができる。」
、、、
こわいこわいこわい!
こわいけどめっちゃある!
そういえばいつも定期的にうまいものごちそうしてくれたりゲーム貸してくれる友人Aになんだか振り回されてるけど断れないのもこれだよ!
その後社会にでて見て、本当にそうやって人の人生を好き勝手操っているひとの多いこと。
おかげさまでここまで出世できましたよ!
一見好意にに見せかけて、完全に支配しに来てる場合があるから注意してくださいね。
ダメだよ一方的な施し。受けちゃダメ。得したと思ってると根こそぎ持っていかれるよ。
もし原典をご存知の方がいらっしゃいましたらお教えください。
毎期アニメが終わるたび一生分のアニメを観たような気になるので、今期もまた新作アニメのPVやニュースを憂鬱な目で見ていたはずなのだけれど、気づけば今期もまた新作アニメを浴びるほど観る毎日に身を投じていたので風呂敷を広げすぎないうちに感想を書く。それっぽく並べてあるけど、作品の優劣は付けてない。容赦して。
ちなみにここに書く作品すべて2話まで観ているわけではなく、まだ1話しか観ていない作品もいくつかある。あと解説の中に殆どキャラクター名(固有名詞)が出てこないのは、単に全く記憶していないからだったりする。表題のキャラ名(グリッドマンとか)や2期のキャラを除くと、真面目に「伝説の山田たえ」くらいしかフルネームを覚えていないかも。
~のみ見放題…対象サービスでのみ全話見放題。その他のサービスでは有料配信。
~のみ最新話無料…対象サービスでのみ最新話見放題。その他のサービスでは有料配信。
私はTVでアニメを観ない(BS見れないし、TOKYOMXもAT-Xも受信できないし)ので、配信情報はこれ以外の手段について書いている。
良い最終回だった。百合は百合でもガチの百合。花の学生生活を描くアニメ。
今年観た百合アニメで非常に印象的だった「citrus」と比較すると、citrusは主人公が性愛の目覚めに至ってから物語が始まるのに対して、本作は自分の気持ちにどんな意味があるのか?というところにフォーカスしていく物語みたい。「やがて」という言葉を冠しているところからも、同性愛に至るまでを描く内容なのだろうか。「わからない」っていうセリフが控えめに言って最高。あとcitrusにもあったけれど、最初に「男性から告白されて(恋愛対象とみなされて)、それを断った上での百合展開」というのがよりガチっぽくて好き。特に2話以降で言えば、同性愛の目覚めがけっしてみんな一緒のタイミングではなく、キャラによって気づきの早さが異なり、それゆえのすれ違いが描かれているところが最高に良い。
本作の脚本を手がけるのはあの花田十輝。「宇宙よりも遠い場所」のいしづかあつこ監督がどこかのインタビューで「花田脚本は絵で語る表現がうまく、例えば誰かが喋っているとき、そのキャラの顔をアップにするのではなく別のキャラの顔をアップにするとか、そのキャラの手元を写すなど「行間を読ませるような演出」に優れた脚本」と評価していたけれど、本作もそういった意匠のある演出になっている。「響け!ユーフォニアム」「宇宙よりも遠い場所」などでも見られるモノローグなど、花田十輝の良さが出ている作品。キスシーンめっちゃエモかった。
大島ミチルの音楽が非常に良い。校舎や制服が少し時代を感じさせる一方で、すごく特別で隔世感のある華やかな雰囲気に包まれていて、それを音楽が加速させている。また、パリッとしたわかりやすさを持たない、複雑な心情とよく合っていて痺れる。
それにしても制服のデザインがめちゃくちゃ好き。「ゆるゆり」「あまんちゅ!」の制服に似た優雅さがある。
AmazonPrimeVideo独占
制作:P.A.Works、背景:スタジオ・イースター(監修・東潤一)、音楽:出羽良彰、脚本:柿原優子。ゴリッゴリのP.A.Works作品。高校生の青春を描く物語。割とやさしいせかい。
なんやかんやで色が見えなくなった女の子がふさぎ込んじゃって、魔法使いのおばあちゃんが彼女のために云々・・・というシナリオ。色覚異常をテーマにした作品と聞いて「聲の形」が一瞬よぎったけれど、扱っているテーマが違う(あっちはいじめが大きなテーマになっている作品)。
演出的には「主人公を見守るような視点」が多く描かれていて、全体的に優しさに包まれている。魔法が日常に溶け込む世界感は「凪のあすから」くらい生活感のあるSFに仕上がっている。
生活感といえば1話の「魔法ショップの店内の様子」みたいなシーンを見て「ふらいんぐうぃっち」を思い出す人もいたと思うけれど、それもそのはず、本作の劇伴・出羽良彰はふらいんぐうぃっちの劇伴も担当していた人なので、圧倒的ふらいんぐうぃっち感のある、優しさに包まれた作品になっている。透明感のあるビブラフォンが骨身に沁みる。劇伴買おうかな。
それにしても、背景美術のクオリティが異常。一旦OPEDを観てほしい。タイトル通り本作は「色」が大きなテーマになっていて、物語のキーとなる背景が主役になるカットが多い。「(世界はこんなに美しいのに)主人公の目には世界が灰色に見える」という、暗闇の中にある思春期の心象風景に説得力を持たせるためには相当美しい背景が必要なのは分かるのだけれど、それにしても書き込みや彩色がエグく、特に彩度については主人公の心象とリンクして白黒〜極彩色まで変化するくらい凄まじい仕上がりになっている。なので、1話ラストの抽象的な、印象派のような絵画っぽい心象風景によって世界が彩られる演出は痺れた。
湘南のご当地アニメ(舞台が湘南なのは、原作者の鴨志田一曰く「湘南で青春の日々を過ごすことに憧れてたから」とのこと)。
鴨志田一といえば「Just Because!」がアニメ放送されたのは2017年10月だけれど、本作も学生のヤキモキした感じが漂う青春群像劇(ボーイ・ミーツ・ガール)になっている。
タイトルは章ごとに変わるらしい。ひたぎクラブ→まよいマイマイ→…的な。なお原作も各巻ごとにタイトルが異なる仕様だっため、先日発売された新装版は「タイトルを見ても巻数が分からない問題」が修正されている。ちなみに、2話で登場する少女(CV.水瀬いのり)のエピソードは、来年に劇場作品として公開が決まっている。
バニーガール先輩も青春豚野郎も非常にクレバーなキャラなので、ライトノベルっぽいタイトルやバニーガールのキービジュアルからは想像し難いような会話劇だったりする。「サクラダリセット」に近い。ともに主人公を演じるのは石川界人。彼の淡々とした口調がすきだなあ。ってティラミス見ながら思った。
本作は「思春期症候群」という都市伝説がテーマ。例えば「根も葉もない噂」とか「誰も自分のことを知らない世界に行きたい」とか「なんとなくみんなに合わせないといけないような、ハブられないようにしないといけない、という空気」とか「いじめを受けたことによる、目には見えない心の傷」など、特に学生時代に抱えやすい、可視化の難しい問題を「思春期症候群」という舞台装置によって可視化しているのかな。ある意味残酷ではあるけれど、逆に救いのある物語だよね。
会話の意味のなさが良い。「サクラダリセット」に出てくる相麻菫と浅井ケイの会話を思い出す。哲学に片足を突っ込んでるあたり特にツボ。1話なら「ありがとう」に「ありがとう」という意味が無いとか、2話なら「キスしよっか」が「キスしよっか」という意味を持たないような。そんなバニーガール先輩を見ていると「打ち上げ花火」のナズナちゃんを思い出す。会話にほとんど意味がないために、彼らの感情をうまくキャラクターの表情で表現しているのが言葉の軽さと対照的になっている。エモい。
特に2話は、問題の解決と同時に解消されるであろう二人の関係を思うと、どこか漂う諦め、虚無、寂寥感がある。
音楽を担当するFox capture planはシンセの曲が多めかつ特にEDのようなジャズっぽい
雰囲気があるので、「Just Beacause!」と比べて本作は精神年齢高めな作品に仕上がっている。
三浦しをんの小説原作。制作はproduction I.G。大学生10人がある日突然、箱根駅伝出場を目指してみた話。
原作が一般小説なので、大学生たちがアニメっぽいキャラクター性を持っていない。性格が地味な子が多い。しかもキャラの表情やしぐさにコミカルな表現(今期「うちのメイドがうざすぎる!」みたいな動き)をほとんど使用していない。なのに表情が非常に豊か。しかも10人とも顔のデザインがかなり異なっているのに(双子を除く)どのキャラも表情含め丁寧に描き分けしている。
アパートの飲み会中後ろでガヤガヤしている人(アドリブ)とか、アニメならキャラ同士のイチャコラを中央に据えて順番に映して「ガヤガヤしてる感」を演出しそうなのに、全くのガヤになっていて「仲がいいキャラクター同士のあつまり、という空気感」として描かれている。2話では特に青竹荘の日常が描かれていて、朝食のシーンなんか「大学生の住んでる古いアパートの日常風景」がそこにある。そういうリアルな空気が「見える」作品。
カットの特徴で言えば「やや見下ろすような視点」が多い印象。その場の雰囲気を描くためなのかな。
あと背景の情報量が多い。特に1話ラストのランニングシーンとか見ると何枚街のカットがあるんだ。全体的に黒っぽいのも実写っぽさがある(普通アニメでは夜の暗さを青色で表現する事が多い)。
ランニングシーンで言えば、走りモーションの躍動感とチャリを立ち漕ぎしてる体の触れ具合が好き。
死んだ女の子がアイドルとして歌って踊る佐賀の日常に異世界転生する話。大人が本気で悪ふざけしているアニメ。大人の悪ふざけxアイドルなアニメで今年放送された作品だと「魔法少女☆俺」が思い浮かぶけれど、本作はあっちよりもずっとアイドル寄りに仕上がっている。不和→衝突→団結を繰り返しながら一つになっていく物語の中にライブパートが含まれており、毎話ライブがエモい。特に2話は、ライブシーンのアニメーションもさることながら主人公を演じる本渡楓がめっちゃすごかった。日本語のラップに抵抗のない人なら楽しめると思う。
概ねギャグアニメになっていて、ゾンビというB級モチーフも相まって福田雄一っぽさを感じる。特に宮野真守が演じる巽幸太郎がだんだん佐藤二朗に見えてくる不思議(「全部宮野さんにおまかせで!」っていうディレクションだったらしい)。
ゾンビというモチーフを積極的に使った作品で私が観たことのあるアニメは「さんかれあ」くらいなのだけれど、どっちも「ゾンビ化」→「第2の人生」みたいな、特にこの作品では「異世界転生」みたいな機能を持っているみたい。つまり佐賀は異世界。
ちなみに「さんかれあ」では、ゾンビについて「生きているのか、死んでいるのか」「魂はどこに?」「自由意志はあるのか、ただの反射なのか」「自己同一性」「どこまで肉体は不変なのか」「どれくらい肉体が朽ちると、彼女は彼女でなくなるのか」みたいな視点に触れているややハードめな作品なのに対し、本作は(2話時点で)そういう視点がざっくりスルーされているので、安心して観られる。
なぜだろう、ただ若干肌が土気色で目のくぼみが強調されているくらいなのに…なんだか…あれ?…かわいいぞ…?
すすすすっ。”SSSS.”は発音しない。グリッドマン。アニメ版特撮ヒーロー。アニメ(ーター)見本市からの長編アニメ化(過去に長編化したのは「龍の歯医者」だけ?)。監督、美術、音響効果など一部スタッフが続投している。アニメで観る特撮ヒーロー。
作品のコンセプト的に子供向けっぽいのかな、と思っていたけれど、OP見ると本来あるはずの白文字テロップ歌詞が無いので、なんか大人向けっぽい。
作品の雰囲気を象徴している背景美術のフェチズムがすごい。何あの電柱の書き込み。他にも教室の雰囲気や町並みなども懐かしさを感じる雰囲気。
強烈なのは、日常と非日常が交錯する日常パート。「なんかヤバそうなんだけど、別にみんななんともないし大丈夫なのかな」という正常性バイアスに支配された日常っぽくてしびれる。特に1話の日常パートには音楽がなく、緊張感がある。
それはそれとして、モブ同士の会話がすごく良い。文字通り何気ない会話なんだけど、モブが活き活きしている。なお公式では毎週期間限定でボイスドラマを公開していて(脚本:雨宮哲監督)、内容としては各話の幕間を描いている。1話4分位なので聴きやすい。
そんな日常パートが終了するキッカケとなる怪獣の登場シーンがまた強烈。デザインとか暴れ方はまさに特撮ヒーローに出てくる怪獣そのものって感じだけれど、直接怪獣を描くのではなく「混戦する無線通信」「燃える街」「ビルの向こう側でなんか大変なことが起きてるみたいだけど見えないのであんまり慌てていない電車の乗客」等、雰囲気を描くことで怪獣の怖さを描いている。私はあんまり特撮ヒーローモノを観ないけれど、これを観てて「シン・ゴジラ」と同じ感動を覚えた。本作の音楽も鷲巣詩郎であり、無音からの劇伴→勝利用BGMという演出が見事に決まっている。
グリッドマンのアクションシーンもやはり特撮ヒーローライクな演出(というか再現)になっていて、重量感のある着地や舞い上がる瓦礫はまさにという感じ。特にアニメで見るライダーキックは迫力がある。アニメなのだからもっとデフォルメして空高く飛んだりしてもいいのに、中に人間が入っているような動きで繰り出すキックらしい迫力がある。これを観たかった。あとたまにフィギュアが動いているように見えるのは、監督含むトリガーの人たちがフィギュアオタクだからなのかも(職場が足の踏み場もないくらいフィギュアで溢れているらしい)。
心・技・体の揃った「未確認で進行形」の紅緒お姉さまがロリ小姑を追い詰める。
動画工房の持ち味である、ヌルッヌルのコミカルなアニメーションを観ることができる。特に本作はチーム太田(監督:太田雅彦、副監督:大隈孝晴、シリーズ構成・音響監督:あおしまたかし、音響監督:えびなやすのり、音楽:三澤康広。代表作は「みつどもえ」「ゆるゆり」「琴浦さん」「さばげぶっ!」「干物娘!うまるちゃん」「ガヴリールドロップアウト」等)による新作であり、作品のベクトルはあんな感じの日常コメディ。ついニコニコ動画で観ちゃう。
なかなか出会いがなくて嘆くたびに、お客さんは?って耳にタコができるほど言われても、お客様は人間でありお客様だけど異性には見えないと何年も思ってました。
それなのに
最近、来てくれて少し挨拶程度に話すだけで、嬉しい気持ちになるお客様ができたことに気づきました。
きちんとした人なので、マメだし社交的なのに、私に限らずどのスタッフとも、馴れ馴れしくならず節度有る態度で良くも悪くも薄い壁を感じます。
長年別居中らしいけど、一応既婚者らしい。
でももう少しだけお近づきになりたいんだけどなぁ。
他のスタッフからは、私がいいなと思ってる人と、別のお客様が手を繋いであるいてた気がするのを見たって話を偶然聞いて、モヤモヤする。。
猫ってもしかして、唯一自ら奴隷になろうとはしない生き物なんじゃないのか?
40歳。免疫不全(HIV)でちょっと前に身体障害者手帳を発行してもらった。
感染の経緯はまあ置いとくとして、結婚とか子供とか、「どうせしないし手に入らないんだろうな」と思っていたものが「もう手に入らないもの(結婚はわからんけどさ)」の線を確実に超えるのは、結構ずっしりくるものがあった。いやまあ、どうせしなかったんだろうけど。
幸い、感染初期に検査で見つけて、治療も早々に開始した(前はある程度病状が進まないと更生医療の手続きが進めにくかったらしいのだが、この春から「さっさとドンドンやれ」に切り替わったらしい)のでウイルス量は検出限界値以下だし、免疫抗体の数値(CD4)も1000キープしてるし、表層上は至って健康そのものだ。
1~2ヶ月に1回通院して検査する以外は、1日1回2錠ほど薬を飲むだけ。まあ、そのお薬が高い(保険適用前で月20万くらい)ので、障害者手帳もらって更生医療の手続きが必要になるわけですが。正直、もともと患ってた糖尿病の方が治療的にはよっぽど面倒くさい。毎食時に注射するし。
結婚も子供も難しい身になったし、何しろ生きるために国民の皆さんのお力添えをいただく立場になったので、「生産性がない」なんて言われないように精一杯働いて(幸い、体内にウイルスがお住まいなこと以外に支障はないので)、両親を看取るまではなんとか正気を保って生きていきたい。
お察しください
支払い実費でいうと
・糖尿病→月15000円(インスリン注射の「指導料」がお高い)
・HIV→月10000円(更生医療で月の支払上限が決まっているため。更生医療を使わないと、20万円の3割負担でざっくり6万円)
というわけで、普通に働いてればまあなんとかなるかなと。
男女ともに感染回避策はあるようですが、男性の場合は保険適用外で超お高いので、現実的にまず確実に無理だなあと(この病気になった時点でその前段階がまず難しいのに)
長いこと月15000円~20000円ぐらい糖尿病に払ってるので、+1万円増えてもあんま気にならなくなってるとこはあります
日本です
肝臓の数値はちょい高いですが、アルコールと脂肪肝ですね。薬の影響は特になさそうです。糖尿病で腎臓やるのが一番クリティカルなので、そこは気をつけなきゃなと。
ないですねえ。というかもう薬飲んで検出限界値未満なので、仮にゴムなしで性的接触に及んでも、私から伝染る可能性自体が低いですが(研究によるとほぼゼロらしい)。
幸い自分は薬が上手く合ったのか、全然気になりません。2種類の薬を1日1回なんで、時間決めてスマホでアラーム鳴らして習慣化しています。
ありがとう。CD4高めなのは早期発見・早期治療できたから(昨年9月に多分感染、3月に発覚、7月から投薬)かなと。CD4下がってから(3級以上で)治療開始した人は、免疫力も下がってるだろうし大変なんだろうなと思います。自分もこの夏に扁桃炎に連続して罹ったりしたので、多少弱くなってるんだろうなとは思ったけど。薬価は下がって欲しいもんです。
コメント/ブコメくださった皆さんありがとう。多分、親兄弟にも(輸血でも必要な事態にならない限り)言うことはないままだと思うので、ここでやり取りができてちょっとすっきりしました。ここまでは(告知された保健所の医者と担当医を除いて)完全に自分の中でのことだったので。
医療自体は通常の生活(性生活含む)では他者への感染自体はまず気にしなくていいところまで進んでいて、薬も1日1回でいいし、本人の支払い実費としては月1万円の医療費で済む程度で、比較的普通の日常を送ることが出来る病気になっている、ということは(自分もかかってみて初めて知ったけど)認知が進むといいかなあと思います。
同時に、高額な医療費を国=皆さんの税金で助けていただいていることは十分認識しつつ、先程も書いたとおりまあ普通に働ける病気なので、そこはがんばりますんでご容赦いただきたいなと。
何かネットで炎上した案件があると、必ず出てくる「切断処理」信者。特徴的な発言は以下のとおり。
このような主旨の発言をしたやつらは、ぜったいに、かならず、一人の例外もなく知能が低く卑怯者です。
間違いはありません。
しかしこの言葉を好んで使う人たちから推察するに、切断処理とは、
ある属性・思想・趣味・主張――ここからは簡単に「グループ」と呼びます――に属する一部の人を、「この人は私のグループではない」「この人の行動はグループ全体の意向とは異なる」と表明し、あるいは攻撃することだと思われます。
さて、この時点で知能の低くない皆さんはお気づきかと思います。
一体、誰が、どの立場で「同じグループか否か」「このグループの意向は何か」を決めるのでしょう。
男、女といった属性はいうまでもなく、フェミニズムやヴィーガニズムなどの思想だってスタンスや解釈は多種多様です。
たとえ宗教であっても、教典を定めているにも関わらず、解釈や時代によって多くの派生が生まれますし、その派生のなかでもどれだけ敬虔かには個人差があるでしょう。
例えば企業の社長のような、メンバーのはっきりした集団の長でもない限り、あるグループを代表して意向を述べたり、あるグループのメンバーかどうかを他人が決めることは不可能です。
こんなこと、おそらく知能の高い皆さんには当たり前のことと思いますが、
切断処理を他人に迫る人たちというのは、こんな当たり前のことさえわかっていないのです。
かわいそうですね。
「何もグループを代表して言えというんじゃない、お前自身が何に賛同するか/何に反対するかを言え、俺が求めている切断処理とはそれだ」と。
でも彼らは気づかないのです。
その「個人個人の主義主張」は、彼らの目の届かない範囲で日々無数に当たり前に行われていることに、
そしてそれを「切断処理信者」の目の前でやれ、と強要する大義などどこにもないことに。
いえ、その切断処理信者が、たとえばものすごい影響力のあるジャーナリストだとか、何万人にも発信できるメディアをもっているとか、そういうことであれば、「個人の主義主張」を伝えることに、人によっては意味を見いだせるかもしれません。
しかし、「切断処理しろよ」と喚いているのはただのブックマーカーとかただの増田とかせいぜいただのブロガーです。
そんなただの人に、「私個人はこう考えている」となんの代表でもない個人が伝えること。
それの、どこが、「切断」なのでしょう?
ある個人が、個人の主張を言うことを強要した。残った事実はそれだけだというのに。
けれど彼らはわからないのです、そんな程度のことが考えられないのです。
彼らは、ひとつの「グループ」に見えるものでも、実際には色々な立場と考え方があるということに耐えられないのです。
そういう処理能力の弱さを、知能が低いと言わずしてなんと言いましょう。
そんな知能の低い彼らは、どうして他人に切断処理を迫るのでしょう?
前述のとおり、ひとつの「グループ」に見えるものでもそのなかには無数の考えと立場があります。当たり前ですね。
しかしそんな当たり前のことを、切断処理信者は理解できません。
それは知能が低いのが理由だとお伝えしましたが、もうひとつ理由があります。
彼らは、本当はその「グループ」に興味がないのです。
炎上する問題が出た背景も、その「グループ」にどんな考えの人たちがいるかも、全然興味がないのです。
彼らは、ただ炎上した案件に飛び付き、気持ちよく叩ける相手を叩きたいだけなのです。
しかし、その「グループ」をまるごと叩いてしまうと、他の人から自分が叩かれるのは目に見えています。
「いっしょくたに叩かれたくないのなら、問題を起こしたやつらを内部批判して別の名前をつけろ」と。
つまり、気持ちよく叩いても誰にも非難されない、そういうサンドバッグを作って自分に差し出せ、と言いたいのです。
だから同じ「グループ」に見える人たちに、「叩いていいグループ」の切断を迫るのです。
なお、実際にはそんなことは不可能です。
前述のように、なにかを代表して発言することは、現実の組織でない限りはほとんどすべての人にとって不可能だからです。
また、炎上案件というのは傍目には分かりやすく誰かが悪者でも、その「グループ」に近しい人にとっては非常に複雑で簡単には解決できない問題が絡んでいたりします。
あるグループについて深く知れば知るほど、簡単に誰かを「切断」すれば済む問題など存在しないことに気づきます。
大抵の問題は、まったく興味のない人間が勝手に断罪できるようなものではないのです。
これも、知能が高くできうる限り公正であろうとする善男善女のみなさんには当たり前のことなのですが、切断処理信者にはわからないのです。
悲しい生き物ですね。
しかし、切断処理信者はバカで卑怯なくせに声だけは大きいので、
時に哀れな人たちが騙されて、言われるがまま「切断処理をした」と言おうとします。
たとえば以下の増田です。
コミケで禁止されている「徹夜組」、つまり前日から会場に列を作り並ぶ行為は禁止されています。
深夜に大量の人がたむろすることで近隣住民の不安を煽り、また現金精算が基本の即売会に並んでいるとあって犯罪の温床にもなりやすいからです。
しかし毎年徹夜で並ぶ人たちはあとを絶たず、これには毎年ネット上でも批判の声が上がります。
まだ13日なのにコミケ徹夜組が大量発生か!? 徹夜組へのメッセージが(画像で)集まる - Togetter https://togetter.com/li/860094
では、これでオタク、コミケ参加者の「切断処理」は終了しているのでしょうか。
答えは「お前んなかではそうなんだろう、お前んなかではな」です。
いくら画像大喜利で徹夜組を批判してみたところで徹夜組はいなくなっていませんし、近隣住民の不安は消えません。
徹夜組対策のために実際に汗をかいているコミケ運営についたは畏敬の念に堪えませんが、
コミケ徹夜待機が「オタク」というグループが起こしている問題だということに一切変わりはありません。
仮に「切断処理をした!」と主張したところで、せいぜいがインターネット議論ごっこの武器程度にしかなりません。
そもそもがくだらないのです。
誤解しないでいただきたいのは、ルールについての草の根啓蒙を否定するわけではないということです。
明確で正統なルールがある場合においては、みんなで少しずつ意識を高めていけるのはいいことです。
しかしそれを「切断処理」と呼ぶの馬鹿げています。オタクが関係ないことになるわけでは、ありません。
このように、切断処理信者は頭が悪く卑怯でインターネット上の議論にしか興味のない、大変残念な人たちです。
では、同じ「はてなユーザー」というグループにそのような残念な人たちを抱えてる善男善女の読者の皆さんは、いったいどうしたらいいのでしょう?
答えは簡単です。
どうもしなくて、いいのです。
あなたは、あなたの主義主張を、あなたのしたい場所であなたのしたい相手にしていけばいい。
あなたが賛同したいと思った意見に賛同し、反対したいと思った意見に反対し、発言したくなければ発言しなければいい。
「切断処理信者のような残念な人たちを放っておいては、はてなユーザー全体がレベルが低いと思われ」ますか?
もし万一そんなやつがいたら、そいつもおろかな切断処理信者というだけです。
ただ、ルールや法に抵触していたら、善男善女の義務として粛々と通報しましょう。
ごめん
こんな結末になってしまってごめん
帰り道に僕の少し前を歩く君は僕に横顔を見られまいとして少しあっち側を向いているような気がした
怒りなのか悲しみなのか恨みなのか、どんな感情だったのかの答え合わせをしたい気持ちにもなったが
それを僕がするのはどう考えてもおかしいよね
改札でありがとうと言って別れた君の目には涙が浮かんでいて
色んな場所に行って色んな話をしたこの5年の思い出はもう誰とも共有することができないとわかって、
これでよかったのかなぁと何度も後悔して、これでよかったはずと何度も自分に言い聞かせている
恋愛映画や漫画を見ても、心の機微なんかがわからずにワケがわからないと思っていた僕も
僕にそんな気づきを与えるために彼女は一緒にいてくれたわけじゃないのにね
はじめて君のことを抱きしめたとき、それだけで僕は満足だったはずなのに
いつからかもっと尽くされていいはずなんて思うようになってしまったんだ
君は僕に色々なことをしてくれたのに、してくれないことばかりに目がいってしまう
僕は何をしてあげたというんだろう
君だったら良かった
それをするには5年という年月は長すぎたのか
それとも君を好きになりすぎたのか
「獣になれない私たち」二話を視聴した。
主人公の新垣結衣さん演じる深海晶は、仕事が出来ていつも笑顔で気遣いもできる女性だ。
職場の潤滑油として重宝される彼女は、彼女が望んでいない、営業アシスタントという役職以上の仕事を任されてしまう。
スケジュール変更に振り回される他部署へのフォロー、いい加減な新人の教育、担当じゃない取引先への謝罪。有給中にも朝イチで電話がかかってくる。
彼女に溜まっていく心労を察することもなく、出来る人だからと、同僚たちが自身の仕事を「私よりも深海さんの方ができるから」「俺の辛さなんてわからないから」と消極的に押し付けていくシーンがある。
ここを見ていて、私はこの同僚のように「人に仕事を押し付ける側」だと思った。
自分の仕事に自信を持てない人間だ。毎回何度もミスするし、自分が嫌になるし、何度も辞めたくなることがあった。穏健な職場なのではっきりと辞めろとは言われないけど、よくトロいとかボケてるとか言われる。客観的に言えば人をイライラさせるタイプだ。
そんな自分が嫌になるけれど、自分ではきちんと仕事ができるという自信が持てない。だったら自分よりできる人がやってもらった方が結局コストが下がるんじゃないの?と思ってしまう。
本当は仕事ができるようになりたいけど、自分がすると結局修正やフォローを入れなければならなくなり周りに迷惑がかかる。はじめの数回はいいけれど、常態化してしまえばもう自分のする仕事への信用は無くなるだろう。だったらその状況を開き直るしかできない。
上野や松任谷という仕事できない同僚たちのコンプレックスまみれの気持ちに共感していた。それに対する主人公の晶さんがどのような心労を溜め込んでいるかを、このドラマを見てやっと気づけた。
彼女のような人がいるから私のような弱い人間はつい甘えてしまう。けれど彼女も弱い人間だということに
気づいた。晶も自分たちと同じだと。
今の仕事ができない状況から変わりたいと思う。どうすればいいかわからないけれど。
ドラマの中でもそのような気づきが彼らに起こってほしい。でも、この同僚たちは変われるだろうか。
このドラマの終わり、仕事ができない同僚たちは仕事ができるようになってるのだろうか。
今後のドラマの展開がとても気になっている。
あと、甘ったれの私達の天敵は恒星のような直球で現実をぶつけてくる人なので、会社の待遇要求に恒星が突っ込んで行くのかもしれないと予想している。
温野菜の方だったんですね。嬉しい。
首をつりたくなるの、私の場合当時は赤ちゃんの象みたいな、ぱやぱやの毛しか残ってなかったので飛び降りるとヅラがずれてかっこ悪いな、と思ってしまったせいもあります。
あとはヅラをむしって、全裸で奇声を上げて近所中を走り回りたいという衝動にも駆られました。
体力ないなかで追いかけられたらすぐに捕まってしまうなということがネックで実行に移さなかったことは賢明でした。
世の中にはストレスで露出に走るタイプとそうでないタイプの2種類の人種がいるのだなと学びました。
自分がそっちのタイプだったかと、がんになるまで知らなかったので、気づきを得たときは何とも言えない心境でしたね。
リュープリン、打った後の不眠がすごくてしばらくしたら落ち着くのですが当時は抗がん剤の日にリュープリンも打っていたので何が何やらでした。
元々の婦人疾患者でも不安定になりがちだったので、ホルモンの変動にすごく敏感なタチなんだと思います。
その後のタモキシフェンという飲み薬でリュープリンの非ではない尋常でない鬱になり、即腱鞘炎になったので、確信しました。
タモキシフェンの副作用がほぼないとか言ってるやつにはオラオラオラってしてやりたいです。
ほぼないとされる副作用にことごとくはまっていくタイプの患者だったので、病院スタッフもあんまり真剣に取り合ってくれないのがもどかしかったです。
めっちゃ下痢するって言っても、フーン、みたいな。化学療法室の師長さんだけが副作用と言ってくれて、〇〇ちゃん、もう限界なのよね。と同情してくれ生理食塩水打ちながらこっそり泣きました。
ステロイド、私は体力なしのぐったり期に使っていたのですがぽっぽしました。
精神的には食欲以外そんなに作用しなかったのですが、あなたがDIO様になるくらいなら相当お辛いのでしょうね。
抗がん剤とステロイド併用すると、何故かみんなカレーに行き当たるようです。
みんな吐き気が治まったらカレー食べてやる、って思うみたいで。
乳がんで死ぬ人はそんないないけど、治療中に生活が乱れたのを引き摺って糖尿病とか生活習慣病で死ぬ人は結構いるんだよね、とお医者さんに言われてぞっとしてます。
お母様と仲直り、よかったですね。
うちの母は自分の非を一切認めない困ったちゃんなので、自業自得はないでしょって言うとお前がピルを飲んでたせいだから間違ってないと言いまくるので永遠に埋まらない溝です。
病気のこと以外では概ね仲は良好なので、昨年父を亡くしてからはたくさん電話をするよう心がけています。病気話地雷。
大学病院の治験、ちょっとワクワクしますよね。私も抗がん剤の副作用に鍼治療がいいかもという研究に参加しました。
鍼の先生優しくて好きでした。
最近仕事がうまくできてなくて、ずっと気が張ってるようにモヤモヤしてた。
「ちょっと声が聞き取りにくいので、もう少しハッキリ・・・」と言われたりして
さすがに疲れてるんかなとちょっと思うようになった。
安住さんの声もなんとなく遠くに聞こえる気がしてた。
そろそろ寝るかなぁ、とか思いつつ
ぼーっとそのiPhoneを眺めてると
そのiPhoneの、耳を当てるところの小さい横長のスピーカーが
あれここ少し白っぽいな、ホコリかなと気づいた。
いつか使うかもと捨てられない歯ブラシを洗面台の下から取り出して
そのスピーカーを三、四回、シャッシャッと掃いてみたら
くぐもってた聞こえた安住さんの熱いトークが、突然
暑苦しいくらい間近で聞こえるようになって
安住さんが話す内容は、いつ使えるかわからないTBSの歴史雑学だったけど
それを熱く語る安住さんとか、急に音がクリアになったiPhoneとか
なんか無性におもしろくて、明日からもやっていけそうな気がしました。
所謂ふつーの萌え絵というより、絵柄が極端に古臭く、ラノベやエロゲ基準からしても過剰な巨乳描写(そんな人間いねーよ!というレベルの巨乳)、そもそも描かれているキャラクターのチョイスが異常に昔だったり、子供っぽかったり、かつ異常に下手くそなイラストを見たとき、
率直に言って 気持ち悪いなー と思ってしまうというか、絵として単純に不愉快度が高かったりする
描いている人の年齢とか、その人の抱える欲望や好みに一切アップデートがかかっていなさそうな感じとかが、一切の体裁を顧みすただただ欲望の発露として打ち出されているような画面に不愉快さを覚えるのだ
絵の下手くそさも不快感に拍車をかける、なんかすごく汚く見えるぞと。美的感覚とか衛生観念というものはないのか?と言いたくなってしまう
まるで満員電車で加齢臭きいたおっさんの間近に詰め込まれたような感覚に陥る
それで思ったのは、この感覚、多分今のメインストリームな萌え絵・オタク向けの女の子の絵に対する嫌悪感を覚える人の感じているものと何ら変わらないのでは?という気づきがあった
自分も昨今のアニメ漫画にどっぷり浸かってるせいであまり気にしてなかったけど、いざ「不愉快な絵」というものに直面すると、無視もしくは排斥したいと言い出す人がいても何ら不思議ではない
勿論「不愉快な絵」は描いた本人からすれば快楽追求の結果なのだから、作者のおっさん(仮におっさんとする)としては文句を言われるのは極めて不服だろうし、勝手にやってくれというのが落としどころだろうけど
今ラノベとかキズナアイとかがそういう欲望の発露としての汚くて気持ち悪い女の子の絵として見える人の言い分も、まあわかるなあーという気持ちになった
はじめに。今衝動で書いているのでフェイクとか全く入れてないし吐き出すだけ吐き出してるからこれが誰のことか分かっても言及しないでほしい。こんな糞みたいに長い愚痴吐いててもまだ大好きな推しだし応援したいし迷惑かけたくないし、でも愚痴は吐きたいし、単純に疲れてしまった。
若手俳優の追っかけをしている。追っかけと言ってもそんなガチな追っかけじゃなくて、月に一度彼が出る舞台を観に地方から上京して二公演ほど観劇してまた地元へ戻る、という程度のオタクだ。いわゆるゆるオタである。
どこにも愚痴が吐き出せなかったのでここに吐き出すことを許してほしい。
そもそも私は二次元のオタクで、彼を知ったのも最近何かと話題の2.5次元舞台がきっかけだった。もうこの辺で他の若手俳優オタクからは白い目で見られるかもしれないが、もうそんなことはどうでもいいくらい沈んでいる。
彼が演じていたのは自分の推しキャラとは違うキャラだったが、芝居が終わる頃にはすっかり彼の演技に引き込まれていて、そこから二年ほど彼のファンをしていた。否、今もファンであるが、いろいろなことが重なって前よりも熱心に追いかけてはいない。
元々ストレートの舞台に出演することが多かった彼が、二回目に出演した2.5次元舞台がAという作品だった。最初はあまり期待されていなかった舞台だったが、二年も経てば人気に火が付き地方巡業や海外公演もするようになった。私はその作品のファンでもあったし、同時に彼のファンでもあったので自分でも冷静になれば馬鹿じゃないのと思うくらい通った。
この辺りでお気づきの方もいらっしゃると思うが、その彼は今年その作品を卒業してしまった。
ただ、なんていうかその卒業自体が嫌だったとか、卒業したことで熱が冷めたとかではないんだけど、卒業してからの仕事を見ていて私は彼がどこへ向かいたいのかいまいち分からず戸惑っている。
卒業が発表される直前、彼の初めての個人イベントが海外で行われた。国内でも行われたことのない彼個人のイベントである。しかしそれは国内で告知されず、ひっそりと、その国のサーバーで、その国の言葉だけで告知された。それでも名前をパブサすればヒットしてしまっていたので私はその情報を知り得たのだが、待てども待てども公式からその情報は発信されず、結局チケットは発売されてしまった。アフターイベント付きのVIPチケットは即完だったし、なぜだかチケット販売の前日から数日間だけそのHPは日本語訳がついていた。(二週間後に確認したところ日本語訳が掲載されていた痕跡は一切消されていた。)
これは本当に行われるイベントなのか? と疑って調べたところ、どうにもそのイベントを主催するイベント(少しわかりづらいがイベント内で企画されていた個人のイベントだった)が昨年も同様に開催されていたことが分かったので、ひとまず詐欺ではないことを理解した開催の一か月前。開催日は推しの誕生月だった。事務所はイベントを告知しないまま時間が流れ、イベントの前日彼は突然その国に降り立ったブログを更新した。そこで今度発売するものの撮影をしたと報告され、翌日、実は現地ファン向けのイベントを開催していたという事後報告だけがファンにもたらされた。
彼に心血注いで追いかけているファンはその国にまで駆けつけたのだろう。実際現地へ赴いた同担の友人がいて、話を聴いてみたところやはりというかいたのはほとんどが日本人だったらしい。無理もない、彼の知名度が国外でそれほど高いとはお世辞にも言えない。その国には同年二月に件の舞台A関係で降り立っているが、現地在住の彼個人についているファンがその会場を埋めるだけいたかどうか、私にはちょっと疑問だ。
もし、先に国内で彼個人のイベントが開催されていたとしたら、私もこんな気持ちにならなかったのかな。海外でイベントをしたことよりも、多分そっちの方が悲しかった。私は全然通えていないファンだけど、それでも多分、国を越えて観に来てくれるファンよりは通えているはずだ。彼は超人気俳優というわけではないけれど、それでも毎月舞台に出演するほどに忙しくしている人であり、日本に近い海外とは言え毎回来日していたら旅費だって馬鹿にならないだろうし、そこまで熱心に彼を追いかけている人がたくさん言われるかと問われたたら、私だって頷きかねる。海外でイベントするなとは言ってない。ただ彼の「初めての」個人名義のイベントは、やっぱり国内でやってほしかった。しかも誕生月だし。
現地のファンの方を下に見ているとかではなくて、国外に目を向けるより先に、もっと身近なファンに目を向けるべきじゃなかったの? と事務所に失望した。彼にではない、最終的にするかしないかの選択くらいはしたかもしれないが、彼は来た仕事をこなしているだけに過ぎないので、専ら私の感情の矛先は事務所だった。そりゃあ毎回全通するようなファンは海外のイベントにも行っただろうが、全通はしてなくても毎回行ける限り通ってるファンの方もいるだろうし、私みたいに無理のない範囲で観に行ってるファンも国内にはたくさんいるはずなのに、なーんで先に海外でイベントやっちゃうかな。でも、結局は行けなかった私が悪いんだよね、時間もお金もないファンでごめんね。あなたの仕事を否定するようなファンでごめんね。
これが一つ目だ。
卒業発表前に彼の次の仕事が公表され、彼が次の公演に間に合わないことを知った。ある程度覚悟はしていたので私は次のステップへ進むんだね、頑張ってねという比較的前向きな気持ちのままキャスト発表の告知を見ていたが、界隈はまあまあ荒れた。昨今の2.5次元あるあるだと思う。二次元のオタクは、私もそうだから思うけど、色々と思い込みが激しい。そこにはアニメやゲームで一度キャスティングされた声優がよっぽどのことがない限り交代する、という事態に陥らないことに慣れ切ってしまっているのもあるのかもしれないな、と最近思う。根拠はないけど。
彼が卒業するにしろしないにしろ、私はそのジャンル自体のオタクなので次作も観に行くつもりでいたし、彼のことも応援し続けるつもりだった。しかしその数週間後またも彼の事務所に苛ついてしまったのである。
推しの事務所は広報ツイッターを所持していて、所属俳優のブログの更新ツイートや出演情報のRTなどに活用していた。ただしその情報の取捨選択がめちゃくちゃにへたくそで、所属俳優が出演している作品の情報は重要度に寄らずすべてRTしてしまう。当日券情報は必要だが、流石に俳優が出ているアプリの新ガチャ情報はいらない。しかも所属俳優は一切関係ないキャラクターのガチャ情報やイベント情報がRTされてくる。
目についたものは片っ端からRTしているという様子で、時には一般発売開始から三日後のチケット情報がRTされてきたりした。そもそもSNSの活用方法が下手なのか、RTしたツイートをコピペして情報を流してきたりするのでURLが途中で切れてしまいアクセスできない、などということもあった。
Aの卒業を発表して二週間後、なぜか事務所はAの次回作情報をRTし始めた。てっきり事務所の後輩がアンサンブルとして出演でもするのかと思い見てみたが、そんな情報はどこにもない。完全なる誤RTである。それだけならまだよかったが、そのRTの中に紛れて事務所と無関係の一般人のリプライがRTされたまま一週間ほど放置されている体たらくだった。流石にちょっと我慢できなくて、捨て鉢になって事務所にメールを送ってしまった。
ここまでだらだらと書いたからもうこれも書いちゃうけど、昨年別事務所に所属する俳優と合同で開催したイベントがあった。イベント告知とチケ販告知は流石に推し側からもされていたが、物販情報の一切が推し側からはもたらされなかった。何を売るのかも、個数制限も、何なら物販時間すら告知されていなかった。別事務所の俳優のブログやツイッターで情報が告知されていたのでそれで調べて物販に並んだが、さすがに丸投げってどうなの、と思った。推しは個人のツイッターを持ってないけど、ブログだってあるし(別事務所の俳優さんはブログで物販情報の詳細を告知していた)広報ツイッターってそういうイベント情報を流すためにあるんじゃないだろうか。もう目を付けられてもいいや、という思いでそのことと一般人のRTを指摘し、ついでに前々から思っていたツイッターの活用方法を一度考え直してほしいという旨の意見メールを送信した。ちょっと指が震えた。即座に誤RTは削除され、その日を境にRT数は減少し代わりに事務所が発信する情報が増えてくれたが、返事はまだない。
返事がない時点で、あーもう私厄介になっちゃったんだ、と思った。一個人が企業に情報発信の方法を考えてくれなんて言っちゃいけなかったんだ。RTの方がずっと楽だったよね、すみません、でもきちんと情報を文字としてツイートしてくれるようになったおかげで、推しのことも事務所のほかの子たちのお仕事も前よりずっと追いやすくなりました。それでもまだRTは多いけど、よく分からんアプリゲーのイベガチャ告知ツイが流れてこなくなったのは良かったかもしれない。
おせっかい焼いて厄介行為みたいなことまでしてしまって、色んなことを反省して、その時取ってたチケット以降の舞台のチケットが取れなくなった。こんな事務所に文句しか言ってない状況で、観に行って私が純粋に楽しめるのか分からなかったし、彼に対して罪悪感しかなかった。彼が売れるようにマネジメントしてくれてる会社に、文句付けてるファンなんていらないじゃん、普通に考えて。私が推さなくなったところで、事務所にとっては痛くも痒くもない。私は“通う”ファンじゃない。
彼はどうやら特定の演出家に気に入られていて、今年に入ってからそれぞれの演出家に二回ずつお呼ばれしている。仕事があるのはいいことだ。でも、そのどれもが2.5だった。もっといえば今年に入ってから彼は朗読劇を除けばストレートに一回も出ていなかった。
2.5も舞台なわけだけども、やはりストレートとはちょっと違う。元々ストレート多めの俳優だっただけに、その事実を鑑みるとちょっとショックだった。そして、彼が2.5次元俳優を自称し始めたことにもショックを受けていた。まあ、今の時代若手俳優が売れるのに2.5次元舞台は避けて通れない道だし、それ自体を否定しているわけじゃないんだけど、なんだかなあと思ってしまうのがファンのわがままな部分だと思う。
その、彼を気に入っている片方の演出家が突然謎の生放送アカウントを取得し、まだ全然告知も何もされていなかった撮影の裏側が配信され始めたのである。若手芸人と一緒に。関連性も何の仕事なのか分からないまま、めちゃくちゃぶつ切りで音声すらまともに聞き取れない三十分間の放送を私は虚無顔で見ていた。
その界隈で有名かどうかはさておき、それなりに規模が大きくなっていたAという舞台を卒業して次のステップへ進んだはずの彼が、結局2.5次元の枠にこれまで以上にどっぷりと浸かり、どういう方向に進みたいのかも見えないままいる現状が私に困惑をもたらし続けている。雁字搦めになっている他の要因が先述した事務所への不満だった。口悪く言うとAよりももっと規模のでかい2.5に出演します! とかなら売れる選択肢としてアリだったんだろうなと納得できるけど、今彼が出演している舞台はどちらかというと小劇場でやる2.5だなあ……同規模でも集客は残念ながらAの方が見込めてしまうし(Aに関しては辛口なコメントしかできないのでそこにいたままの方が良かったとは決して言い難いが)、名前を売りたいならなんで今こういう仕事状態なんだろうなーと、思ってしまう。本当にわがままなんだけど。
ここまで愚痴っておいてなんだけど、結局は私が悪くて彼も彼の事務所も何も悪くなくて、そんな金を落としもしないオタクがギャーギャー騒いでる現状は傍から見たらクソ在宅が動物園の檻の中で叫んでるのと同じなんだろう。考えるまでもなく滑稽だな。
タイミング悪く彼の事務所の態度への不満と彼自身の方向性の困惑が重なって、彼の事務所にメール凸なんていう奇行へ走ってしまったんだろう。一般人の誤RTを指摘したことについてはあのままじゃ気付いてなかっただろうし今後も間違いを繰り返す可能性があったから何も間違ってないと思ってるけど、なんか他のことまで言及したのはだいぶやりすぎだったんじゃなかろうか……自分が思っている以上に自分は頭がイってるのかもしれない。
何様のつもりなんだろう、私。
なんで突然こんな数か月も溜め込んでた愚痴を書いたって、他の卒業した子やその事務所のツイッターのフォローは外してなかったのに、Aの公式ツイッターが事務所の広報ツイッターだけブロ解してることを知って何かが爆発したからでした。こんな闇気付きたくなかったわ!(笑)
終わり。
citation indexってなんや……ってググって初めて知ったレベルです。文系研究者そういうの知らんと思うがひょっとすると知らないのは俺だけで俺の周りの人は知ってるのかな。
ただこの場合、繰り返すけど私の論文がヨーロッパの隅っこの人口数百万の国で出版された現地語で書かれた紙の本に引用されてたのに気づいた、という話です。
citation indexってそういうの教えてくれるんですかね。厳しくない?
逆に私がヨーロッパの別の国で現地語で書かれた論文を電子版がない和文査読誌に引用したことも、現地人には気付かれてないと思う。引用したうち何人かには「こういうの書いたよ」って言って現物を送ったけど、そうでもしないと気づきもしないんじゃないかと思いますね。だって引用文献一覧がウェブに上がってないんだもの、無理ですよ(査読誌ですが商業流通もしてるのでウェブに上げるのはNGと言われました)。
著書が研究業績になるのは日本だけの話ではないので、仮にフィンランド語とかで書かれた本に引用されてても気付かないと思いますし、日本語の文献を引用した東アジア研究の本も見たことありますけど、ヨーロッパの片隅の人口数百万の国で出版された現地語の本だったので引用された日本人研究者は多分知らないんじゃないかな(その研究者の教え子である知り合いには「こういう本が出てたよ」って教えたので、知ってるかも。でも逆に言うと私が教えなかったら知らなかった可能性がすごく高いですね。東アジア研究してる人が目を向けることはまずない国なので……)。