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2019-12-22

まーた言葉狩りか(苦笑)

例の釣り垢の合意書の話、どうやら例の連中は予想通りガチで捉えだしていたのね(苦笑)

そりゃ立憲のあの手の候補参院選の時に性暴力禁止法とか中身がとんでもない代物を公約にしていた位だから、こう言うのにガチで食いつく奴も普通に出てくるのは当たり前だよ。

しかしこいつゲーオタ臭いのにここまで残念なのがある意味では凄いと思う。

そしてまーた言葉狩りをしているのか。

今度はことわざに噛みついたのね(呆)

以前はこの手の連中が、男女平等を盾に看護婦看護師と言い変えさせ、スチュワーデスをキャピンアテンダントとか言い変えさせたりしたもんな。

言葉けが変わっても男女平等には何ら意味なんてない物なのにな。

所詮こいつらの言う差別男女平等なんてお気持ち自己満足の為の行動であると言っている様なものだ。

何せ女性の権利を盾にして、レースクイーン仕事を潰したり、日本でもグラビア叩きをしでかしたりしたしな。

そりゃこんな事ばかりしているのだから女性からもお前ら女性代表面をするなとか言われ嫌われるのも当たり前だよ。

そして反論してきた女性名誉男性扱いをするから、更に女性に嫌われる悪循環に入る。

いい加減手を組んでいるリベラル政党はその辺も気づいた方が良いよ。

たこれを見ていてイザリウオカエルアンコウメクラウナギヌタウナギ改名させた件を思い出した。

多分この件と根底自体は同じだよ。

しかしこの手の潔癖且つ偽善的なお気持ちに合わせていたら、そのうち何もかも差別用語認定される事になるだろう。

その癖自身はその女性子供等の弱者権利を盾にして、自身弱者の振りをして、気に入らない相手をその棒で殴りにかかって、そいつを殴る為だけに逆差別を行う為、新たな差別用語の作成まで行うのだから、非常に性質の悪い連中だと思うよ。

しか漫画アニメはおろか、海外では過去絵画等も潰す等、娯楽芸術潰しに躍起になったり、この手の言葉狩り必死になったりとつくづく知的芸術欲求否定する連中なのだと見ていて心の底から感じるよ。

そりゃ奴等の言う所の海外でもある意味ではナチス扱いされるのも当然だよね。

本当、娯楽の否定自体高等生物の行う行為ではないよね。

ある意味ではこの手のクレーマーこそ本能で動いている生物に近いのかも知れない。

寧ろもう生物ですらないのかもな。

何せ生殖行為すら否定する様な連中なのだから(苦笑)

2019-10-17

ビジネスクラス

ニューヨーク行きの便の中でこれを書いている。往復たった9万円のエコノミークラスだ。席は狭い。日本人標準体型の自分の足でも前との余裕は10cm程度。自分の背もたれを倒そうにも数センチしか動かない。食事が配られる際には後ろの人に配慮して席を戻さねばならない。暗いキャビンの前方ではバシネットに入りたがらない赤ん坊が元気に泣いている。

なぜ自分ビジネスクラスに乗っていないのか、いつも飛行機に乗ると自問する。

ビジネスクラスは高いのだ。このニューヨーク東京直行便往復だったら約50万円から70万円かかる。このエコノミークラスの5倍以上。もし4人家族なら200万円以上の出費だ。移動のためだけなのに法外な値段に思える。

旅客機ビジネスクラス経済格差を目にする数少ない機会だ。普段金持ち普通の人も同じようなレストラン食事をし、同じ道路を歩き、同じ電車で移動する。たまに運転手付きリムジン特別レストランに行く金待ちもいるだろうが、彼らは私達からは「見えない」。見えないなら格差を感じることもない。一方で、飛行機を乗り降りする時はエコノミークラスの乗員も否応がなくビジネスクラスの席を通過させられる。見せつけられる。プライバシー確保のために一つ一つ仕切られている座席。足を広々と伸ばせるシート。同じ場所に向かう同じ飛行機に乗っているのに、その特別な席に5倍-10倍の価格を払える人達と、そうでない自分達。ビジネスクラスキャビンを通過しエコノミークラスにある自席に向かう時に、いつも自分がこう問いかけるのだ。

ビジネスクラスに乗れる彼らと自分の違いはなんなのか。

これまでにビジネスクラス乗ったことがないわけではない(むしろビジネスクラスフライト過去経験してしまたからこそこんな無用な思えを生んでしまうのかもしれない)。以前に仕事関係東京出張した時がそうだった。カレー明太子ご飯食べ放題ラウンジ。倒せばベッドのように横になれる座席。飛行前に席まで来て挨拶してくれるフライトアテンダント。レストランメニューのような機内食会社お金(OPM = Other People's Money)で飛ぶビジネスクラスフライトは格別だった。

なかでも自分にとってのビジネスクラスの一番の体験は飛行前にあった。搭乗し、フルフラットになる自席に着いたあと、大勢エコノミークラス人達が横を通り過ぎる時だ。もちろん目は合わせない。だがフライト中の食事メニューを手にしながら、自分意識は全て通路を通り過ぎる人々に向いていた。エコノミークラスへ向かう彼らと違い、自分は「快適な空の旅」をする優越感。今まで「あちら側」だった自分が今足を伸ばして、席の幅を気にせず離陸を待っている。ようやく自分がここまで「成長」したのだと。この醜優越感と安い自尊心幸せとは相対的ものなのだと教えてくれる。

しかし、ふと我に返った。これは会社が買ったビジネスクラスだ。会社お金だ。凄いのは会社であって、自分ではない。この時から、あの問いは少し具体的になった。

どれだけ豊かになれば自分お金ビジネスクラスに乗ろうと思えるのか。

ビジネスクラス乗客を観察したことがある。自分と同じく出張飛行機に乗っているような中年男性にまじって、普通のおばさんや小学生がいる。彼らの資金源は勤務先ではないだろう。その辺のスーパーレジ打ちをやっていそうなのおばさんだ。(なお、子どもの頃からビジネスクラスに乗るようなやつはろくな大人にならないに決まっている)

出張関係なさそうな彼らはマイルを使って乗っているのだろうか。額面の値段を払わなくともクレジットカード附帯のマイル普段の買い物で貯めて乗る方法だ。しかし、東京-ニューヨーク間のビジネスクラス往復航空券10マイルである。買い物額100円に対して1マイルなので、この10マイルを貯めるには1000万円のクレジットカード利用が必要だ。高額だ。もちろん乗客の中にはマイルを使っている人もいるだろうが、ごく少数と考えていいだろう。やはり会社金もマイルを使わず自分の財布からビジネスクラス航空券を買っている人はそこそこいるのだ。

それは自分ではない。

自分収入は多い方だと思う。アメリカソフトウェアエンジニアをしていて年収日本円で約2000万円。それにRSUという株も付与される。税金家賃生活費差し引いても毎年約400万円程貯金できている。年1回ビジネスクラス東京-ニューヨークを往復するには十分な数字だ。だが自分ビジネスクラス航空券を買ったことは一度もない。昔の自分からすると夢物語のようなこの収入額ですらビジネスクラスを買う「心の余裕」がないのだ。

前にとある会社IPOで一山当てた友人に聞いてみたことがある。「それだけの金があるなら、君は飛行機ビジネスクラス自分お金で乗るのか?」彼曰く「乗らない。もったいない。おそらく自分お金で乗る気分になるには資産の量ではなくキャッシュフロー重要なんだ」と。つまり彼の感覚からすると、ある時点でお金をどれだけ持っているかではなく、出入りするお金の量こそがビジネスクラス航空券購入の判断材料になるのだという。今は会社経営をしてる彼が満足するキャッシュフローを手に入れるのはいつになるだろうか。

曇り空の向こうにマンハッタン摩天楼が見えた。この窮屈な席もあとちょっとの辛抱だ。

なんとなくわかっている。多分自分はこれからビジネスクラス航空券は買わないだろう。たとえいくら年収が上ろうとも資産が増えようとも、ずっとエコノミークラスに乗り続ける。この格差お金問題ではなく、心の問題なのだ航空券を予約するときビジネスクラス価格を見て、「50万円あれば他に何ができるか」、「自分の財布から出していいのか」、「汚い優越感に浸りたいだけじゃないのか」と、ああだこうだと考えてしま自分はいつまで経っても「あちら側」へはいけないのだ。

2019-10-05

醜い夫婦赤ちゃん連れてるの見ると、

この醜さでセックスしてるんだなーって目で見てる。

2019-06-13

anond:20190613165724

違う。感情他人に差をつける者はすべて加害者だ。

対象私自身でなくても、誰かにそれをしたら無関係ではない。

私は自分自身についてはもうどうなるとも思っていない。

この醜差別の源を後世に残さないことだけが重要だ。

2018-11-22

才能

人には向き不向きがある。それは自然なことである本来ユニコーンの角のように鋭敏で尖っているものが、計るものさしの向きによっては短所にもなりうる。周りはその角をしきりに気にするのである。そこに優劣をつけて、優れたものを崇め奉り、劣ったものを見下し、屈辱を与え、尊厳剥奪する。私こそ、その力学の中で最ももがき苦しんだ人間の一人であろう。私は才能、誰をも圧倒し凌駕するほどの、人類で一番というほどの天賦の才がなかったこと、ただその一点によって人であることを剥奪された。人は「それでも君は優秀ではないか」と鈍感なことを言うが、人類分布の先端を目の当たりにしてしまった人間にとっては何もかも慰めにもならないのである。私は自分無能呪い尽くした。集団不適応を催しているのなら、「天才」でなければ存在価値を認めない。そういった一元的専門能力主義に毒され、歪みきった価値観が「上位」の集団では蔓延しているのである。周囲は私にそのことによってのみ侮蔑的態度をとる。私の角をことあるごとにあざ笑う屈辱の極みだった。腹も立った。しかし、それはあらゆる評価に裏打ちされた客観的事実に思われ、自分よりも明らかに優れている人間が繰り出してくる蔑みには抗えなかった。何よりも私自身が、この醜悪な能力主義内面化してしまったようなのだ。苦しかった。自分価値のないものに思えた。どんなに上り詰めても頂点に君臨するものに畏怖し、怯え、下から追われることにも怯え、自分が何もできはしないちっぽけな存在に思われた。数学ができれば生きている価値があるのだろうか?特別な才能がなければ、平凡であれば生きている価値がないのだろうか? しかしながら残酷なことに人の興味は優れ卓越したものに向くのである。私は私を肯定できない。

2018-11-02

新人をいびるお局になって、5年後

なんかの記事を読んで、久しぶりに増田に書き散らそうと思ってログインしたところ、5年前に書いた日記が出てきた。あまりの懐かしさに書こうと思っていたことを全部忘れたので、せっかくだし忘備録として、あの生意気な後輩のことを書こうと思う。

わたしはお局になってしまった

https://anond.hatelabo.jp/20130619155614

生意気新人が入ってきてひたすらイライラしていたという話だ。当時は社会人4年目、少しばかり仕事も覚えて、後輩もできて部署メンバーの仲も良く、仕事が楽しくなってきた矢先の話だったので、それはもう彼に世界をぶっ壊された気がしていた。今となってはお恥ずかしい限りだ。

ありがたいことにこの醜罵詈雑言ブコメも沢山もらって、4年目ごときの小娘がお局なんて片腹痛いわみたいなことも言われて、当時はナニクソこの野郎と思ったものだが、今思えばその通りだなあと感じてあまりのほほえましさに自分で笑ってしまった。

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あの日記を書いた後、ブコメに小娘がどうこう笑われて腹が立ったので、こうなったら真のお局になってやるわ見てろよブコメどもと思った。返事が返ってこなくても毎日大声で挨拶をして、嫌な顔されても何かにつけてしょうもないことで話かけ、飴ちゃんはいるかと聞いていらないと言われても無理やり押し付け、顔色が悪ければどうした早く帰れと言い、空調の風で寒そうだったらショッキングピンクのど派手なひざ掛けを無理やり掛けてやったりした。もう半ば嫌がらせだった。

なんやかんやで結果的に、あの日記を書いて1年も経たないうちに、彼と打ち解け、すごく仲よくなった。

特に仲良くなるきっかけがあったかどうかは全然覚えてない。気が付いたら、彼の慇懃敬語はいしか消え、私にため口をきくようになったし、普通に笑うし、私の肩も軽口も叩くようになり、私の引き出しを勝手に開けてはお菓子をチョロまかすようになっていた。

これがもう、本当に滅茶苦茶嬉しかった。あ、なんか心開いてくれたっぽいぞ!ってわかったし、なによりすごく声がやさしくなったし、私のくだらない話に笑ってくれて、見たか私のお局力!ドヤ!みたいな気分だった(この時は、お節介おばさんとお局様の差が、あまりわかっていなかった)。

そうなると自然仕事でのコミュニケーションが円滑になり、何かあれば彼もすぐ相談するし、もともと地頭はいいのでこちらもいろいろ相談するようになり、頼り頼られみたいな感じで、先輩と後輩とも知らないうちに打ち解けて、彼が入社する前よりも平和な仲良し部署になっていた。

そういえば、店員への横柄な態度もいつの間にか丁寧な態度になっていた、というか、むしろ一番気を遣うようになっていた。飲み会も一番楽しそうで、酒の量はセーブしながらもいい感じに盛り上げてくれて、おまけにカラオケもうまかった。慇懃無礼で隙あらば睨んできていたやつが、明るく楽しい普通チャラ男になった。

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私たちのいた部署親会社に吸収されることになった。

親会社はこの平成も終わらんとする時勢にあって非常に昭和的な会社だったので、女子お茶汲みコピー以外の枠がないらしく、私だけ一般職格下げで皆と一緒に親会社へ出向する、もしくは、全然関係ない部署配置転換、という選択を迫られることになった。

一応、専門知識必要部署にいて、それなりに経験を積んで勉強もして大きな仕事を任されたりしていただけに、この状況はすごく辛かったし悔しかった。ただ救いだったのは、私以上にみんなが怒ってくれて、上司も先輩もどうにかならないか上に掛け合ってくれたし、「今すぐタイでも行ってつけてもらってこい!」みたいな本気だか冗談だかわからない言葉もありがたかった。中でも一番怒ってくれたのは彼で、役員室に殴り込んでサーバーをぶっ壊す勢いなのを必死で宥めた。こいつ相変わらずだなと思う反面、これだけ私のために彼が怒ってくれるのがすごく嬉しかったのを覚えている。私のやってきたことは会社に認めてはもらえなかったけど、彼らがこうして評価してくれていたんだなと思うと、不思議と怒りは沸いてこなかった。

こうして私だけ去った後の部署は、これがもうびっくりするぐらい空気が悪くなった。理不尽な異動に腹立しながらも古い体質の役員から自分と後輩を守ろうとする先輩と、こんな時代遅れ差別断固許すまじ討ち入り上等の彼、その板挟みになった後輩に、親会社の無神経なメンバー仕事のできない別の上司が加わり、それはもうしっちゃかめっちゃかになっていた。最初は微かだった不協和音はみるみる大きな歪みになり、最終的には、先輩と彼は口もきかなくなった。後輩はオロオロするばかりで、3日に1度ぐらいお菓子をせびりに来ては、やりづらいと愚痴って帰った。さら上司もどうしたらいいのかわからず、ただただものすごく空気が悪く、もはや誰にも修復不能なまでになっていた。

私がいたらあん空気にさせないのにという無念と、私が異動したせいでああなったのだという自責と、ただ私の力ではどうしようもなかった無力感と、とにかくもう見ているだけで本当に辛く、人間関係ってスイッチ一つでこうも変わってしまものかと思って茫然とした。

私が転職することになって、元部署メンバーが集って送別会を開いてくれた。この時には、もはや会話らしい会話をしていない彼らだったが、私を気遣ってか以前みたいに、和やかで楽しい雰囲気を作ってくれた。会社を辞めるにあたって、彼らのギスギスがとにかく心配だったが、ぎこちないながらも言葉を交わす様子を見て、これで少しでも元の状態に戻ってくれたらと思った。だがその矢先、3次会で入った居酒屋で、些細な切っ掛け、本当に些細だったと思う、彼が先輩の胸倉をつかんでの怒鳴りあいになってしまった。親会社のやり方に不満を抱きながらも、後輩たちの立場が危うくなると感じて収めるように諭してきた先輩に対し、私や後輩(繰り返しややこしいが彼にとっては先輩)がここまでコケにされて言い返せない先輩に不満を抱いていた彼が爆発してしまった。周りの人も騒然として、何とか割って入ってことを収めたものの(なお後輩は気付いたら後ろに逃げていた。危機管理のしっかりした男だ)、これが決定打となって、彼らの関係は完全に決裂してしまった。その後、ドロドロの展開は私の去った後の話なので割愛するが、裁判沙汰にもなり、私が辞めた数か月後には彼も会社を辞めてしまった。

最後送別会で帰り道に彼が言った「(私)さんが上司だったらよかったのに」という言葉を思い出す。扱いづらくて癖の強い男だったが、可愛くて素直で優秀でまっすぐな男だった。なんでみんな、彼を上手に使ってあげられないのか、すごく不満だった。彼が私を認めてくれたことが嬉しかった半面、自分に彼を使ってあげられる力がないのがすごく悔しかった。仕事を頑張って、それなりの地位につきたいと思うようになったのは、それからだろうか。まあ、現実には失敗ばかりのダメ社員で、自分仕事で手一杯なので地位云々なんてもってのほかの話ではあるが、何かあれば人を守ってあげられる立場人間になりたいと思うようになったのは、彼の影響だった。

結局、彼がいまどこで何をしているのかは全然知らないのだが、さっき自分日記を読み返して、辛い思いをしていないかなあ、元気にしているかなあ、うまくやっているかなあと心配になってきてしまった。

2018-09-29

生きてる意味がない

長い愚痴

22歳の女。私って生きている意味がないなとつくづく思う。

まず仕事入社半年職場はそれなりに大手で、旧帝国レベル高学歴司法試験に受かっている優秀な人ばかり。こんなダメ人間にも優しい人が多いけれど、私は頭悪すぎて一部の人イラつかれてる。何でここに入れたのか自分でもよくわからない。受付兼事務みたいな業務内容だけど、お客様を怒らせてしまうこともある。

仕事の話もよく分からないし、向いてないのかもしれない。ただ、福利厚生は良いし、今より良い条件の職場転職できるとも思えないかバカなりにここで頑張らせてもらうしかない、と仕事勉強もしてるけど、全然追いつかないし分からないことだらけで、毎日自己嫌悪で苦しくて泣いてる。根本的に頭が悪い

次にプライベート。こっちは最悪。信じられないかもしれないけど22年間彼氏いたことがない。喪女っていう言葉最近知ったけどそれだ。誰にも承認されないで生きていることが辛い。

理由は単純でブスだから。もちろん努力しました。10キロダイエットもして美容体重だし、オシャレとよく言われるくらいには身だしなみに気を遣ってる。でも努力ではどうにもならないくらいブスです。遺伝子レベルのブス。謙遜でしょ?と思う人もいるかもしれないけど、そもそも可愛かったらこんな歳まで彼氏ができないなんてありえない。

私はこの醜容姿が嫌いで、ずっと整形したいと思っている。整形までいかなくてもせめて歯の矯正はしたい。(歯並びは綺麗ですが上顎前突)女でブスなんて生きてる価値ないと思うし、自分の醜さが嫌で外に出られない日もある。一日中引きこもって鏡を見て泣いてる。異常だと自覚はしてる。昔外見のせいでいじめられていて、容姿に強いコンプレックスがある。高校生までは都内に住んでいて、知らない人にすれ違いざまにブスと言われることもあった。今は地方いるからか昔よりはマシになったからか分からないけど言われない。

友達も、その時々ではそれなりに浅く広く付き合えるタイプだけど、一生の親友!みたいな子は2人しかいない。2人いれば十分かもしれないけど、私みたいな薄っぺらいつまらない人間といつまで一緒にいてくれるんだろう。そろそろ愛想つかされそう。2人とも本当に素敵な人間で、本当にこんなクソみたいな女と友達でいてくれることが不思議からね。

実家祖父が亡くなってから遺産関係親族大揉めで冷戦状態。怖くて近寄りたくない。母親だけは優しくて明るくて大好きだけど。

彼氏もいないし友達も少ない。仕事もできなくて必要とされていない。仕事頑張ろう、って思うときもあるけど、仕事こんなに頑張ったところで何のために頑張るんだろう、誰も褒めてくれないし養う子供がいるわけでもないのに。私の存在自体職場お荷物だし、何のために働いてるのかわからいくらいなら辞めちゃっても良いような気がする。こんな気持ちで働いていたら他の社員にも失礼だ。まあ、辞めた後どうするのかわからいから辞められないけど。

しかもこのまま歳をとってずっとこの最悪な人生を続けていく意味って何かあるのかな。考えても仕方ないけど私ってつくづくゴミみたいな人間だし早く死んだほうが世の中のためになる気がする。

生きててもつまらない。ブスに生まれた時点で女としては楽しく生きられないし、バカに生まれたら仕事もできない。もう死んじゃいたい。

長々とごめん。誰にもこんな話を聞いてもらえないけど誰かに見て欲しくて書きました。

2017-12-27

自分以外の他人全員が幸せに見える期

これが来てしまったーーーー!!

本当につらい!!

客観的に見れば私はかなり幸せ人間のはずなのに、自分世界で一番不幸でクソみたいな人間だと思ってしまう時期が定期的にある。

そういうときいつもネット自分いか評価されていないかぶちまけたりとか、誰かから好きだ好きだと言ってほしいと乞食してしまう。増田もその一環。

意味がわからない位承認欲求が強くて嫌だ。自分が怖い。

趣味で書いてる創作。なんとなく作ってる音楽。好きで作ったはずのデザイン

宣伝特にしてない。でも有り難いことに見つけてもらっては界隈の中の上程度には評価を頂くことが殆どだ。

加えて、遊びたいと声に出せば必ず集まってくれる友人もいる。私はとくに何もしなくても予定が組み上がり、季節ごとに楽しい思い出が沢山出来ている。沢山ある趣味毎に違う友がいて、どの私も満たされている。

旦那もいる。別にカッコ良くはないが私好みの顔で、結婚してからずっと私のことをかわいいと誉め続けてくれている。季節ごとには必ずプレゼントを贈ってくれ、なんでも無い日でもくれる。仕事生活できれば無理をしなくてもいいと無理に働かせないし、趣味にも寛容。贅沢な生活を出来るほどの収入はないけど郊外に一軒家を建てて、私の帰る場所だよと言ってくれる。

なのに。

私は今、心の中のカラッポ感に耐えられない。

子供幸せそうに暮らしている友達を見る度。

Twitterなどで自分よりも評価されている人を見る度。

仕事が順調で上手くいっている人の話を聞く度。

憎悪とも悪意とも表しきれない、嫉妬感情でいっぱいになって、一人でギャーギャー泣き喚いては暴れまわってしまう。物を壊しはしないが、蹴ったり踏んだりする。旦那には怪我しない程度の暴力で当たり散らし、寂しい寂しいと泣き喚いては胸の中で泣かせてもらってるのに一ミリも愛されてるとは思えない。

ホームページカウンターは回り続けていて感想も沢山もらってるのに心の中はずっとカラッポ

もっともっともっと世界中が私を手放しで褒め称えないと私は全世界から嫌われていて見放されてると思ってしまって悲しくて寂しくて泣き叫びたくなる位辛い。

これってなんなんだろうな。

常にこうではない。何も気にしないで楽しく過ごしている時の方が圧倒的に多いけど、こうなってしまうと今まで築いたもの全てをぶん投げてでもリセットして一からやり直したくなる。実際、これまでの人生で何度かやってる。だから私の人生に関わってる人は、周期で変わり続けている。継続して付き合いのある人なんてほんのわずかだ。片手で数える位。

早く安心して眠れる居場所が欲しい。

ここは私の居場所ではないとずっと思ってる。

世界は広い。

ゼロからでもいくらでもやり直せることを知ってると、躊躇わずにそれをやってしまいそうで。

誰か私にここにいても大丈夫だって言ってくれ。

私が何をしても絶対に誰も嫌わないって、そばにいるよって誓ってくれ。

お願い、お願い、お願いだよ。

もうこんなことで大変な思いをするのは嫌だよ…。

はー、とりあえずぶちまけたらスッキリしまた。

多分誰にでもいいから剥き出しの欲望を見て欲しいんだろうな。

それが今ここにきて前リセットしたときよりはちゃんと表現することを許されているから、まだここに居続けることができる。

あと、何年持つんだろう。

いつ、私のこの醜さに周りは気付くのだろう。

年の瀬はいつもそんなことを考えては不安定になってしまうよ。

2017-11-12

人はやがて三次元を捨て二次元世界で愛を育むようになる

なぜなら三次元人間二次元よりもブサイクから

現実の肉体がそうなってしまっているからという理由ブサイクであり続ける必要など無い。

三次元ボディでの恋愛に対する執着などくだらぬ感傷だ。

今はまだ道具が足りないか理解されないだろうが、人が三次元を捨てるための準備が整いだせば嫌でも分かるはずだ。

人間にとって人間はそこまで美しくはないという悲しい事実を受け入れるべき時がくる。

生存競争のはてにたどり着いた妥協集合体自分たちの肉体であると認められる日がくる。

今はまだ難しいだろう。

なぜなら我々はもう暫くこの醜い肉の檻と付き合っていかなければいけないのだから

今はまだ自分たちを縛る器を否定するのは難しい。

それを認めるのはストレスとなる。

からそっと目を逸らして生きていこう。

もっと出来が良いものに乗り換えることが出来るその日まで。

2017-09-15

[]ワンダーウーマンを見た

ワンダーウーマン」を見たので感想。と言うか考えたこととかのメモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので、見た人向けだと思いますフェミの話とかも出てくるんでそういうの苦手な人も回避よろしくっす。

総評

まず最初に、「ワンダーウーマン」、個人的にはそんなに評価高くない。少なくとも世間で(特に欧米で)いうほど大絶賛、大感動をすることはできなかった。これは映画を見終わったあとのファーストインプレッション

しかしじゃあ評価低いのかというとそんなこともない。

「1800円という価格&2時間という投資に見合った体験できるのか?」という視点で自問したところ、その答えは「100点」なのだ。十分高評価だろう。いい加減な脳みそだなあ、オレ。とも思った。

なんでこんな評価のすれ違いが発生してしまたかというと、今年見たアメコミ映画の先行2本、すなわち「レゴバットマン ザ・ムービー」と「スパイダーマン:ホームカミング」の評価が高すぎた、というのが原因であるらしい。前出の基準で言うと、「レゴバットマン」も「スパイダーマン ホームカミング」も200点くらいの評価なので、「ワンダーウーマン」はタイミング的に損をしてしまったのかもしれない。これが「ドクター・ストレンジ」のあとだったら感激できてたのに。

無垢子供ダイアナ

PC的なディレクション――批判に対して自覚的で先手を打って内容を適正に作っていこう――は最近ハリウッド映画では多かれ少なかれあるのだと思うけれど、そういう制約(どういってもある種の制約ではあるだろう)を逆手に取って笑いやネタにしたり(デッドプールにおける「女性も男同様にブン殴ったほうが公平じゃない?」)、むしろそこに正面から踏み込んでえぐり出す(スパーダーマン:ホームカミングの敵役ヴァルチャーはいま注目されている「見捨てられた白人労働者」)のにくらべ、ワンダーウーマンのそれは踏み込みが浅くどうしても「そういうルールなので設置しました」感が出てしまっている。

おそらく「ワンダーウーマン」という作品――つまり女性戦場に出て戦うという作品を作るにあたって、制作側は、(フェミニズムを中心に)炎上可能性を覚悟して作ったのだと思う。だから、予め潰せる問題点は潰しておいた。

それは主人公ダイアナ人物設定にも反映されていて、彼女美女で、アマゾン族の王女で、めっちゃ強い。すごい跳躍力や筋力を持ってるし、噛み殺しの特殊能力を持つスーパーゴリラだ。だが多分そのままだと脳筋批判も巻き起こすだろうから、島で英才教育を受けてた設定になっている。作中でも数百の言語を操り、古典に詳しく、第一次世界大戦当時の最先端化学式を読み取るなど知能面でも卓越している。(第一次世界大戦当時の)女性からといって馬鹿ではないのだ!

しかし、だからこそというか、逆説的にというか、なんだかすごく残念な人物描写になってしまっている。

彼女世間から隔絶された島で育ったので無垢だ……という設定なので、物語終盤になるまで「人間は悪神アレス洗脳されているせいで地獄のような戦争をしているのだ。悪神アレスさえ倒せば人間正義と慈悲に立ち返り戦争は即座に終わる」と信じ込んでいる。ここは物語テーマなので、外せない重要な要素だ。

それはそうで、重要に間違いはないのだが、それってどうなのだろう。

言語というのは必ずその文化を含んでいる。外語を学んだことがある人ならわかると思うけれど、外語を学ぶというのはその言語を操る民族地域文化を学ぶということをニアリーイコールだ。文化歴史言語には含まれいるからで、そこに理解無くしては言語意味理解するなんてできない。ましてや古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか? いやまあそこが物語キーなわけだから理解していないということにしないといけないのはわかるのだが、そういう描写にしてしまったせいで作品は別のメッセージを持ってしまった。

すなわち「知識教育倫理人間についての理解の助けには全くならない。世界を良くするという意味では、教育は全く無意味である」というメッセージだ。多分これは随分うがった見方だろうし、制作側はそんなメッセージを発信するつもりはないだろう。けれど、物語上ここでねじれが生じているために、そう取られかねない「隙き」が生じてしまっている。批判される要素をなくそうと頑張っていた制作陣が、塞げなかった穴に見えてしまうのだ。こういうねじれが、どうも彼女をそこの浅い子供に見せてしまっている。

ワンダーウーマン」は「(邦画では珍しくもないが)戦う女性主人公」「女性監督した初めての大手スタジオによるスーパーヒーロー映画」という点で、フェミニズム界隈から賞賛を受けた。

けれど、個人的にはダイアナ女性ではないのだと思う。すくなくとも、フェミニズムが想定するような「解放されるべき女性」ではまだなくて、子供なのだ。まだ思春期すら迎えていないような子供で、世界に対して良く言えば無垢だし、シニカルに言えば無知無責任だ。

ダイアナに強い好感を覚えられなかったのがこの映画評価に加点が少ない理由だと、整理した今なら自覚できる。

善き大人スティーブ

多分、自分にとって不幸だったのはこの部分で、それは「ワンダーウーマン」を観るまえに「ウーマンリブ的な文脈フェミニスト絶賛」みたいな評価を知ってしまった点だ。「そういうつもり」で見てしまったせいで捻じれが目についてしまった。

しかし、見終わったあとに思い返してみると、魅力的な部分がいくつもある映画だ。その最大のものアメリカ外征軍大尉スティーブトレバである

彼はドイツ軍スパイした結果恐るべき毒ガス計画を知り、逃亡の最中に絶海の孤島アマゾン島に漂着し、主人公ダイアナを「外の世界」に連れ出す役目をする。無垢美女ダイアナエスコート役であり物語最終局面まで彼女を支えて導き続ける。

ぶっちゃけ、序盤はただのイケメン俳優だと思っていた。

いやイケメンなのは最終盤まで変わらないけど。

ヌードシーンがあったりもするので、女性向けの眼福要素も担当させられたイケメン俳優だと思っていたのだ。二回もイケメンって言ってしまったよ。

彼は優秀な軍人でありパイロットなのだが当然人間なので、スーパーヒーローで神の子であるダイアナに比べたら喧嘩においてはまったく弱い(軍人として適正に強くはあると思う)。おまけに非文明圏であるアマゾン島では虜囚に近い扱いも受けていたし、さらにいえば彼はアメリカ大尉であり、物語中盤の舞台イギリス(&イギリス議会イギリス軍)では大きな権力を持っているわけでもない。上司に対しては愛想笑いを浮かべたり、自分意見をひっこめたりもする。

物語中盤、未知の世界である外界に出たダイアナは完全にお上りさん状態であり、大都会ロンドンにおいて常識を知らないことから、スティーヴに迷惑をかける。それにたいしてスティーブはなだめたり、すかしたりしてダイアナに行動を抑制しようとする(そして失敗する)。スティーブダイアナに「外の世界常識や考え」を事細かに説明して理解を得ようとはせず、断念する。命の恩人ではあるし天下無双戦闘能力を持ってはいるけれど、「面倒くさい子供」でしかないダイアナに呆れているように見えることもある。

こうやって説明すると際立つけれど、スティーブイケメンが売りなだけのダイアナの介添に見えていた。

しかし、上映後に振り返ってみるとこの映画の中心はスティーブだと思う。

ド派手なCGバトルアクションとか、世間フェミ的な評価を全部取っ払って、個人的に「ワンダーウーマン」の感想を述べるならば、「ワンダーウーマンスティーブ映画なのだ

全般的人物内面描写が浅いきらいのあるこの映画だが、スティーブに関しては脚本俳優も素晴らしい仕事をしている。

彼は心の中にロールを持っている男だ。それは「善き男」であり「善き大人」であり、おそらくだけど「善きアメリカ人」であり「善き隣人」だ。彼はそういうふうに生きたいのだ。正しさや信念というよりも、自分の中に理想像ロールモデルがあると表現したほうがしっくりくるのがスティーブである

彼が軍に身を投じたのは、混迷続く世界情勢の中で、善きアメリカ人として社会奉仕しようとした時、そのモデル軍人だったかである。今の価値観で言えばもちろん異論はたくさんあるだろうけれど、その当時の常識で言えばそれは愛国心であったし、善き市民の善き行動だった。

ドイツ軍密偵した結果、彼は恐るべきマスタードガスの開発と、それが講和間近のイギリス軍へ向けられていることを知ってしまう。彼はこの情報を持ち帰るために命を捨てるような危険を犯す。それもまた、彼の中にある「それが善き男の行動」だからだ。

その過程ダイアナに命を救われ、彼女の「外の世界戦争を止めたい」という希望を叶えるためにも、一緒にイギリスまで情報を持ち帰ることにする。

しかし、イギリスにそれを報告したが、結果ははかばかしくない。講和が間近に迫ったイギリス軍は、ドイツ軍(の一部)に災厄的な行動があったとしても全面攻勢には移りたくない。スティーブ情報事実上握りつぶされる。

彼はここで彼自身の行動規範である「善き人」を曲げられる。軍の階級差という世俗権力構造のせいで、彼がすべきだと信じる行為を行うことができない。

講和のためとは言え、前線舞台マスタードガスの脅威の前に放り出してよいのか? 良いはずはないが、議会政府の決定に従うのも「善き国民」の義務ではあるのだ。

でも隣には精神的に子供ダイアナがいて「ねえなんでなんで? なんで正義しないの? まさかここでやめるわけ? 処す? 処そうか?」という視線で見てくる。彼は、その結果、軍の命令無視して、私費で(というかボランティアのつもりだった?)傭兵を雇い前線に向かう決意をする。彼は心の中にある「善き人」の指し示すところに従ったのだ。ダイアナあんまりにも無垢なので引っ込みがつかなくなったという側面があったにせよ。

前線に向かい、血みどろの後背地を抜けて塹壕にたどり着き、取り残された村をダイアナ神話的な能力にも助けられて開放して、ダイアナスティーブ関係は接近する。男女間の性愛的な意味での愛情もあったような描写だったけれど、個人的にはスティーブ父性も強く感じた。その父性というのは、子供しかないダイアナに「善き大人」を見せるというものだ。戦争なんて醜悪ものなのだけれど、それだけではないということ、世界には「善き隣人」の「善き努力」もあるということを示したかったように見えた。孤島から世界に連れ出した人間として、世界失望してほしくなかったのかもしれない。

終盤。マスタードガスの大量生産はすでに完了しており、その暴挙を止めるために一行は秘密基地に忍び込む。ダイアナはその中で、アレス化身だと思われるドイツ軍ルーデンドルフ総監を倒すことに成功する。ダイアナは「これで悪神アレス洗脳は溶けて戦争は終了する!」と歓喜するが、兵士たちは戦闘をやめない。殺戮の準備を辞めない兵士ダイアナパニック状態になる。ダイアナにとっては今まで信じてきた世界観が崩れ去った瞬間なのだ

そのダイアナに向かって、スティーブは今まで何度も説明しようとしてしきれなかったことを告げることになる。

それは「この戦争人間が開始して人間が拡大させたものなんだ。神はいない。僕たちの責任だ」ということだ。その告白はとても辛い。「善き男」として生きたかったスティーブは、まったく「善き男」ではなかった。戦争をしちゃってるのだから極悪人なのだしかし、スティーブは「この戦争は僕達の罪なのだ」ということを認める。なぜなら、戦争責任を誰かに転嫁するのは、戦争を始めるよりも更に恥ずべきことだからだ。「善き男」として彼は、世界の醜さの責任を取らなければいけないと決意する。

スティーブダイアナの間にあったものは多分とても複雑で、男女でもあったし、父と娘でもあったと思う。でもその一部には神と人間というものもあった。

彼女戦闘能力があまりにも隔絶してたかスティーブもその視点を持たざるを得なかったのだろう。

ダイアナの考えは「神が神の邪悪を振りまいたせいで人間迷惑をしている」から「神の使命を持つ私が人間を救う」というものなわけだけれど、スティーブはこれに「善き人間」としてノーを叩きつける。ダイアナの考えはある種のパターナリズムだが、スティーブの答えはそこからの脱却だった。

神々の戦いは神々であるアレスゼウスの娘ダイアナが決着をつけるだろうし、人間であるスティーブはそこには関与することができない。

しか人間の始めた戦争であり、人間の悪意であるマスタードガスは人間であるスティーブが止めなければならない。筋としてそれが正しい。

ダイアナ戦闘能力スティーブたちの状況を考え合わせると、彼らはここで戦闘放棄すれば逃げて安全に暮らすことは十分に可能だったように見える。その場合はもちろんマスタードガスで前線部隊凄惨なことになるのだけれど、倫理的に考えてスティーブが彼らを救う(その結果命を落とす)絶対的義務があったわけではない。戦争悲惨すべてを、個人であるスティーブが背負う必要はないからだ。

スティーブが命をかけた動機として、父(先行者)として娘(後続)に「この醜悪な外の世界にも善はあるのだ」という事を示したかったのか、人間として神に「あなただけにすべてを背負わせない。人間は弱いけれどそれでも自分たちのしでかした行為責任は取る」ということを示したかったのか、それとも男として女に「俺も戦う」といいたかったのか、それはわからない(そこが返ってスティーブという男のテーマとしてよかったと思う。彼の愛情には名前がつけられない)。

けれど、スティーブは「自分の戦い」として今まさに離陸していこうとする毒ガス満載の爆撃機を止めるために飛び出す。そして乗り込み、爆弾を抱えて、前線を救って、結果としてダイアナを残して死ぬ

こうやって思い直してみると、中盤、ロンドンの街で常識知らずにうろつくダイアナに手を焼いていたのも、「善き大人」として子育てに苦労してたんだなあ、と思える。

スティーブ大尉からおそらくエリートなんだろうけれど、まだ若いし、それ以前にすべての人間がそうであるように、不完全で未熟だ。しかしそうであるからこそ、彼には「こんな存在でありたい」という理想像があった。そして常にそうであろうと、努力していた。都会ではトラブルメーカーダイアナを「善き保護者」として(オロオロしつつも新米父親のように)導こうと思ってたし、最前線では「善き戦友」として肩を並べて戦った。戦火から救い出した村でチャーリーが歌ったときは「善き男」としてダイアナを熱っぽく見つめた。彼は最終的に、「惚れた美人との安全生活」よりも自らの役割を優先した。自分自身の信じる正しさに殉じた。それは「善き人間」として神の前に立った時、他の誰でもなく自分が、人間すべての代表として神に「人間の誠実」を見せるべきだと思ったからだ。

それは上野千鶴子あたりの言葉を借りると「男性の安っぽいヒロイズム」であり「戦争に興ずる幼児性」なのかもしれないけれど、物語としてみるとスティーブ人物描写はこの映画の中で一番複雑で深みがあった。魅力的だった。

そんなことを考えると、「ワンダーウーマン」はウーマンリブ的な価値観映画というよりも、男性的な価値観の、そして「神(あるいは超越的な力を持つスーパーヒーロー)の前に立った『善き人間』の覚悟と誠意」の映画だと思う。そして、そこがこの映画の美点だと思える。

2017-06-08

さようなら

久しぶりに中学の頃好きだった子の名前検索したら結婚してた。一瞬頭がぐらっとき吐き気がした。

大学生ときにも調べたことがあって、mixiFacebookサークルホームページ彼女の神々しい名前を見た。高校時代に付き合いはじめた男とずっと付き合ってるらしかった。

その男と30になってやっと結婚したみたい。相手慶応医者。一人の男としか付き合わずにそのまま結婚したんだからその点は素敵だなと思った。いまどき珍しい純愛。とても素敵なカップルだ。

でも今回とにかくびっくりしたのが、彼女が思ったよりはるかにブスだったということ。原型がない。会っても誰なのかまったくわからないはず。

中学の頃はものすごい美少女異次元存在だと思っていたのに。いまはもうその辺にいくらでもいるただの幸せそうなおばちゃんだった。

大学生時代mixiFacebookサークル写真見たときも、「あれ?」って思った。記憶よりはるかにブスだったので。自分記憶では、キモオタ自分がちらと見るのも犯罪的なのではと思うくらいの聖なる光を放つすさまじい美少女だったのに、ネット掲載されている写真ではその辺にいる普通のブスでしかなかった。でもmixi友達からコメントでは彼女のことを「美女」などといっている紹介文も書かれていたりした。うーんよくわからない。まあでもネットのやりすぎで美醜の判定基準が厳しくなってるんだろうと思うことにした。実際ネットではそれほどブスでも不細工でもない男女が嘲笑される傾向にある。自分はそういうのに染まっていないとは思いつつやはり気づかぬうちに染まってしまったんだなと反省すらした。これが世間の「美女基準なのだ美女は多いほうがいい。

でも今回夫婦写真検索して出てきた企業ページ見てさらに衝撃を受けた。まだ30歳超えたばかりなのに、40代でもおかしくないような容姿幸せ太りなのか妊娠なのかなんなのか、だらしない姿。その姿はまさに人間のもの

自分記憶が何もかも怪しくなってくる。

いままでの自分の中の彼女はいったいなんだったんだろう。中学の頃から30歳過ぎる今日に至るまでずっと彼女のことが好きだった。ずっと憧れてた。大学とき写真を見てもまだ揺るがなかった。でも今日すべてが終わってしまった。何もかも無かったことになった。すべては嘘だった。自分が見ていた世界はただの幻だった。存在しなかった。彼女世界のどこにも存在しなかった。かつて一度も存在したことがなかった。

じゃああなたは一体誰なんだ。記憶の中のあなたは。弱い心が作り出した幻想。何もかも虚構現実など自分は見ていなかった。何も知らなかった。盲目だった。

世界は汚いものだと思っていた。そんな世界の中で彼女けが輝いていた。でもその彼女現実に吹き消されてしまった。彼女もまた現実へと戻った。こんな世界でどうやって強く立って生きていけるだろう。この醜世界で、醜い人間たちのささやか幸せを見ながら。

今まで好きで好きでつらかった。生きてたらいつか会えるんじゃないかと思って自殺もしなかった。でもあなたあなたではなく、あなたあなただった!

彼女羊水のような穏やかな愛のある声で笑っていた。あの声はその辺のおばちゃんになった今でも変わらないんだろう。すべてを包んでくれる大いなる海のような深い声。うふふと笑う美少女だった。

2016-12-15

引きこもりは正常だと思う

社会に出ると自己中心的で、公平や公正なんてものに興味がなく、人から搾取することを悪と考えない、考えようとしない人で溢れている。

彼らが正常として扱われ、全体の改善提言するとめんどくさい人間として扱われる。

「真面目すぎる」という言葉は、「お客様は神様です」や「万引き」と同じくらい社会に害を与えた言葉だろう。

丸く収まっているからいいじゃんって考えが強く、その尻拭いをさせられている人の立場を考えるように言っても聞く耳を持たない

いい人は都合のいい人っていう表現はその通りで、自分メリットデメリットしか物事を見ようとしない。

そんな社会の中で、事大主義的な振る舞いをして同調し、誰かにめんどうを押し付ければ割といい待遇で生きていけるのはわかっている。

ガキの頃はそういう側面があったけど気づいていなかったからできていたし、今でも物理的にはやろうと思えばやれる。

 

でも、そんな理不尽を解消しないやり方って虚しくないのだろうか。

誰かに迷惑をかけてしまうくらいなら、引きこもって現実逃避をしたくなる。

安楽死でもなんでもしてさっさとこの醜世界から抜けたいと思う。

なぜ誰も解決しようとしないのか、なぜ学ぼうとしないのか、なぜ寄り添い考えようとしないのか。

 

おそらく現代は、高度に進んだ未来人間から見れば狂ってて頭の悪い人間跋扈している野蛮な時代に思われているだろう。

力を持った人たちが場当たりな快楽を追求するのではなく、余裕があるからこその行動を見せて欲しいし、自分もそうなりたかった。

そうなれなかった自分が悔しくて仕方がない。

2016-01-11

銭湯にいると

周囲に比べて自分は色かたち共にかなり恵まれた乳とスタイルをしているなと思うのだが、プールに行くとこの醜い体を隠さなければ!と思う。

銭湯よりプールはかなりスタイルレベルが高いよね。

2015-10-09

35歳、卵子老化と同じ年齢だね

http://anond.hatelabo.jp/20151007012225

35歳、卵子老化と同じ年齢だね

 

まり自分卵子が腐って需要がなくなったか

「男もー同じー!」

ってしたいんだね、都合のいい男女平等

 

ネットにいる世間知らずの底辺ババアにこの思考回路が染み付いてるキチガイが多いよな

 

でも、一方では「女性は弱いんだから助けろ!」

子供産むんだから、男と同じには働けない!」

何、この醜い生き物は?

 

とにかく、男と女は同じようにはいかないから

マスゴミに甘やかされてきた30、40ババアの頭のおかしさを自覚したほうがいいぞ

 

2015-10-06

最近、とてつもないブスが頭に浮かんで苦しい

最近、とてつもないブスが頭に浮かんでくる。

4月から7月は小学生の時、同級生だったドブス まぁ、世の中の美しいとされている顔とは正反対の女が見えてきて苦しかった。

寝ようとしていると、急に出てきたりと震えていた。

その他の理由も重なりに重なり、7月くらいには気を病んで、ロープを買っていた。結局、試験後に部屋の掃除に来た母親に捨てられた。

夏休みのお家がある東京ではなにもなかった。

色々と辛くはなるけど、ブスは出てこなかった。

また、大学に戻ったら今度は同じ学部で同じ学年のとてつもなく醜い女が、急に見えてきたりして苦しい。

目をつぶると浮かんでくる。その女がおぞましい顔で、汚い笑い声を発して笑っているところが。

悪魔みたいである。こんな醜くないと悪魔に怒られるかもしれない。

顔を近くで見ると、化粧をしていることが分かる。醜い。美容整形外科医も匙を投げるだろう。美容院のチラシなんか渡されないだろう。

そして、自分とあの女の容姿共通点が多いと、鏡を見て思う。最悪だ。自分も汚いのだ。

学部と学年が同じだからこの醜い女と授業が同じであることが多い。

みんな平気そうな顔をして座っているけど、自分はもう見るだけで泣き出しそうだ。

大学の中に落ちている、ミスキャンパスで選ばれた数人との顔の共通性のなさ、コントラストに震える。なんでみんなこんなに顔が違うんだ。

今日美学の授業で見た。とてつもなく醜い顔で、一人で座っていた。講師がたまに発する、アニメネタにおぞましい斜めの横顔で、汚い声で笑っている。

美とは一切関係ないためか、ずっと生協で買ったであろう高いだけの富士通製のパソコンでなんか別のことをしている。マウスを持ってきて、カチカチとうるさい。

醜女は周りを気にしない。周りを気にしていたら、とっくのとうに自殺しているだろうから当たり前かもしれない。

なんていうか、ブスを美人にしてくれ。こっちが死んでもいい。あまりの醜さに可哀想だ。スカートを一度も履いている姿を見たことはないし、授業を受けている様子を見ていると彼女は外見の醜さが故に孤独なのがよく分かる。

誰もこんな醜い女、セックスなんかしたくないだろうし、自分もしたくない。そして、見るだけで気持ち悪くなる。不快だ。

こっちが死んでいいから、あの女を美人にしてくれ。見たくなくて仕方ないんだ。

配られたカード勝負するしかないというけど

配られたカード勝負するしかないというのだけど、何に勝てばいいのだろう。

自分が通う頭の悪い大学の最も偏差値が低い学部にとてつもないブスがいる。ブスというと曖昧から容姿が醜いと言おう。

接続された女ヒロイン醜女とおんなじくらい醜い。この醜女は化粧をしているということが、醜女の周り 半径1メートル以内に入るとと分かるがこんなもの焼け石に水だし、美容外科医も匙を投げるだろう。

現代科学ではどうにもならない。

この女は容姿が醜いがあまり孤独だ。授業は一人ぼっちだ。しゃべり方も気持ち悪い。声が低い。汚い。

この醜女がミスキャンファイナリストに選ばれた天使みたいな文学部女の子に何が勝てるのか。

何を勝負すればいいのか。

潰した蚊の数か。それとも孤独に耐えた回数だろうか。そうでなかったら、スカートを履かなかった回数か。

配られたカード勝負するしかないというけれど、勝負なんか最初からないのだ。

用意してくれない。

人生勝負とか言うのか。

勝負というのは、勝ったらなにか景品や達成感があるものだ。

なにもない。

天使は生きているプロセスの中で容姿のおかげで自分に自信を持つし、他人からも応援されるだろう。

ただ、あの醜女はずっと醜女を引きずるだろうし、何をやってもあの天使みたいな顔の女とは違うのだ。

一生勝てない。人生勝負なんか嘘っぱちだ。

勝負なんかないから救いようがない。

自分もそうである

勝負があって、あの天使から美人カードを引き抜いて自分天使になれるチャンスがあるのなら、あの醜女だって自分だって救われただろう。

しかし、ないのだ。ないからどうにもならない。どうすればいいのか、自分はわからない。醜女もわかっていないだろう。

最近醜女がよく脳裏に浮かぶ。すると自分絶望不快と哀れみで気持ち悪くなってくる。

あの文学部天使みたいな女の子だったら嫉妬はするだろうけど、気持ちよくもなれる。勝負はあったとしても決まっている。

2015-10-02

美人よりも、容姿が悪い人間のほうが苦しいに決まってるじゃないか

容姿が悪くて差別されるといえば、「美人だって差別されているの いい?不細工のほうが楽よ」

などというのを遠回しに書いてあるWEB記事書き込み散見される。容姿が醜い人間としては、これはごまかしである

美人なんていつでもやめれるものである。そんなに苦労しているなら顔に熱湯をかければいいだけだ。

どうせかけないのだから、苦労なんて言い訳しか聞こえないものだ。

自分も含め、容姿が悪い人間容姿の良い人間にはなれないのだ。

自分が通う学部にはとてつもない不細工がいる。SF小説で言えば、接続された女のP・バークという女レベルに醜い。

世の中の美的感覚正反対だ。千年に一度の容姿の醜さとでも言おうか。声も、授業中の行動も、ネイルも、体の指も、書いている小説もなにもかもが醜い。頭も悪そうだ。

この女の悪口を書きたいのではない。

美人の苦労なんて、どうってことがないことがこの醜女を見ていれば分かるのだ。

まり容姿が醜いために、友人も一人いるかいないかで、男と話した様子は一度もない。

就職だってできるかわからない。京都でも東京でもあれほどの醜女が働いているかといえば怪しい。

しょうもない会社採用に関わっている自分の父親はあの醜女採用しないだろう。

今まで、父が採用した人間の顔を見る限り。

いや、赤坂の某ラーメンチェーン店に居た。凄く醜かった。他の店員からも客からも嫌われていた感じがする。

整形や化粧なんて焼け石に水だ。自分もだが。

こんなに醜女可哀想なら、お前が救ってやれよというかもしれないが、容姿が同じくらいかそれよりはちょっとだけましなくらい醜い容姿自分だってあの醜女に金を使いたくはないし、向こうもお断りだろうがセックスなんかしたくない。

それはやっぱり容姿が醜いからに限るのだ。これは自分 つまりゴブリンがあまり容姿の醜さに雌ゴブリンを忌み嫌う様である。これが美男美女同士 エルフ同士だったら美しい物語だ。

なんとなくだけど、女性社会進出などで男女ともにより容姿が問われる気がしそうだ。ビジネス最前線にいる不細工腎臓病の頭が悪い子供を作った父の雰囲気から感じるだけだが。

学歴よりも、資産よりも、容姿の良し悪しが人間価値を決めていくかもしれない。

美人の苦労なんて、あん醜女自分やらからすれば甘えである

それでも美人擁護するものはいるだろう。それはやっぱり美しいから理由でよりいっそう不細工絶望させるものである

2015-09-30

誰も醜女の肉体を欲しがらない 例え寿命がのびても

ついに出来ました。

開発者装置を持ってきた。

この装置は、人間の入れ替えを可能にする機械である

早速実験してみようと、医者装置を見てみると醜い女が装置にくっついていた。

肌は泥水色で、顔はとても大きくて長く、髪はひどい癖毛で、目はもちろん小さく、体はブヨブヨとしていて、背は低いのにガタイは良いという徹底的に神から見放された容姿の女が目を瞑って装置にくっついているのには医師は眉をしかめたのと同時に気持ち悪くなった。

医師は聞いた。

「これは何なんですか?」

「酷く醜いでしょう。醜いからなのか理由はわからないですが自殺を試みて失敗した女です。死んではいないけど、生きてはいません。生きていても仕方ないでしょう。」

「入れ替えができるわけじゃ?」

「この生きているのか死んでいるのか分からないこの女じゃないと装置はうまく適合しないのです。

他の肉体試してみましたが、ダメでした。」

「つまり」 と医師は聞いた。

この醜女に魂を移すことはできますが、醜女になった後は一生醜女のままだと考えたほうがいいでしょう。

どうしてって魂を移せる肉体はこの醜しかありませんから

あと、この醜女 こう見えても18歳です。

似たいような年で同じ性別まり若い女じゃないと成功しませんよ。」

医師は誰も醜女になりたい若い女などいないとおもった。

しかし、いいアイデアが思い浮かんだのだった。

死が近い若い女なら手をあげてくれるだろうと。

そして、もう現行の肉体では翌月を迎える望みのない若い女に一人ずつ声をかけていった。

しかし、誰もやりたいと言ってはくれなかったのだ。

長生き出来る望みがある肉体が醜女だと死んだもどうぜん 今の肉体のまま美しく死んだほうがいいのだと皆答えたのだった。

よってとことん醜女は嫌われた。醜いがゆえに。

生きているのか死んでいるのか中途半端な目を瞑った醜女は皆が彼女の肉体は散々嫌がっているときに涙を流したように医師には見えたが気のせいだった。

醜女の肉体はすぐに魂が入らないと腐ってしまう。

そのまま腐っていった。

美しくなければ。。。

2015-09-29

行動が汚いから醜いんじゃない 醜いから行動が醜くなる

美と芸術論理みたいな芸術論の授業を受けた。

自分は数少ない友人と授業を受けたのだが、自分の前にドブスが一人で座っていた。

髪は艶がなかった。そしてひどくボサボサで癖がひどかった。

つむじのあたりはなんだか薄い。

ひどくめちゃくちゃな髪たちの隙間から顔の輪郭を知るとえらく顔が長く、でかい

自分よりも大きいかもしれなかった。

その時点でわかった。この女と言えるのかよくわからないものは同じ学部で同じ学年であると。

いつもこの女はスカートなんか履かない。男のような服に若干女の要素が入っていた。

この女は自分容姿が悪いことを知っていることはなんだかんだ確かだ。

自分はいつも、この女を遠くからみてストレスが溜まったのだった。

どうしてこんなにもひどい容姿をしているのかと。

今日初めて、近くで見た。

肌の色が汚い。褐色ではない。泥水みたいな色だ。

体全体が泥水色の女など、この大教室には他に全くいなかった。

どす黒い若干凹凸がある綺麗ではない肌が貼りつけられた長く大きくて、顎が突き出た顔には小さな目が彫ってある。

また、大きな鼻が適当にひっついている。

体は無駄にがたいがいい。背は低いが。

太っていないが、ぶよぶよとしている。もちろんどす泥水色の肌だ。

とりあえずおしゃれをしているのがわかるのは目の周りと爪だった。

目の周りは真っ黒になっていた。容姿のいい女の子と違い、どうにもならない。

爪はネイルアートと言えるのかわからないが、紫が背景で白の水玉っぽいものが描かれたいた。

爪がひっついている手やそこから生えている腕も泥水色でぶよぶよとしていて見ていて腹が立った。

女は授業中、パソコンを開いていた。確かあれは生協が売りつける高いだけのパソコンだ。

そんなパソコンデスクトップは散らかっていた。授業中に可愛い女の子たちが授業をなんだかんだ受けている中、ドブスはメールやらを見ていた。

途中でドブスはパソコンを閉じると、普通のハサミで爪をガリガリと擦り始めた。爪に描いた絵を整えているようだった。

今、醜女がとりあえず受けている授業は美と芸術の〜である

女は全く美から離れている。

美容整形手術なんかしても全く無駄だろう。

自分は決して、ブスでも授業を聞けとかひどいことを言うつもりはない。

この女はどうしてこんな行動をしたか考えるとやはり、ひどく醜い容姿であるからという結論に至った。

可愛い女の子というのは行動が美しいから可愛いというのはとんでもない嘘だ。

可愛い顔に生まれたか可愛いし、まともな動作が身につくだけだ。

今生、この醜女は男との恋愛など一生ありえない。

自分この醜女の容姿を見て可哀想になると同時に、容姿を見て腹が立って仕方ない。

容姿のいい人間はこんな醜女は見えていないだろう。

自分この醜女が見えるのは、醜女と同じレベルで醜いからだった。

から可哀想から付き合ってくれとかいうと、死んだほうがマシだ。向こうもそうだろう。

ゴブリン男がゴブリン女を嫌うとても悲惨状態である

醜女は本当にただ生まれた姿が醜いだけで、悲惨になるきれいな手本だ。

とりあえず、この醜女の両親は彼女を愛しているとは思いたい。

なんでこんなにも不平等なのか。

遺伝子が〜なんかという説明はいらない。

2015-05-10

彼女欲しいけど傷つきたくないから彼女できない

彼女を作るためにはデートに誘い告白をしなければならない。しかし断られると自分のどうしようもなく高いプライドが傷ついてしまうことが分かっているのでそんなこともできない。

友達女の子が同じ男に3回告白されて3回振った話を聞いた。俺にはそんなことはできない。だから童貞なんだ。童貞を捨てるためにはこの醜感情を捨てなければならない。

2014-12-30

年末の鬱々

年末の鬱々

高校の同期だった○○は就職して彼女が出来ただの、結婚して子供が出来ただの年末になって聞こえてくる声が割と辛い。

23歳学生収入マンは家の中で最底辺の扱いなので年末年始行事が辛い。

忘年会参加費4000円かーってなると親に大変申し訳ございませんこの醜い私めにお恵みくださいと頭を下げるのがアレすぎてアレ。

父方の祖母が断っているのだけどお年玉を未だに送ってきてくれるのがメッチャ有り難い反面成人として情けない気もして発作的に死にたくなる。

最もアレだったのは学会参加費。

アルバイト基本的に割に合いそうにないし平日は研究室にいたいし土日だけでは探した感じ無理そう。

大学院費用のだいたい140万円は将来返せるのだろうか。

年末やることがアニメみてレコーダの整理して白黒の端末に向かうことくらいしかない。

気づいたら趣味アニメ鑑賞とプログラミングになってたのだけど、プログラミングが好きなのかよくわからない。

ただ偶然やってみてそれなりにできて、やってみると何か出来たか楽しいと感じてるだけなんじゃないのか。

それなりに勉強するのは楽しいのだけど、プログラミングプロダクトを作ることにあまり喜びを感じられない。

こんなのでソフトウエア開発会社就職して大丈夫なのだろうか、分野を変えるべきなんだろうか。

何か将来に明るい見通しが立てられない。

これから就活だというのに理由もなく鬱々する。

2014-12-04

「男はヤリたいだけ」問題

男性女性との恋愛に関心はなく、ただセックスしたいだけなのではないか?」

という問いは、非常に本質的重要ものでありながら、まともに回答できる男は少ない。

良識的な答はこうだろう。

「そういう男ばかりではないよ。現に俺は違うし」

これは嘘ではない。嘘ではないが余りにも考察が浅い。

私の現時点での回答はこうだ。

「男らしさ、男性性に忠実に答えるならば、確かにその通りであるしかしそのことを自覚的肯定できる男は多くはない」

まず私としては、「セックスしたいだけ」に隠れた「女性との恋愛に関心はない」という部分を重視したくて、冒頭のように設問した。

このことはこれまでの日本の「家父長的夫婦関係」に最も端的に表れている。

主人と家内

「家父長的夫婦関係」とは、男女関係から恋愛要素を排除したシステムだ。

男は性欲を満たしたいが、女の主体性は認めたくない。よって、主体的な男女の交わりである恋愛にも関わりたくない。

このような男の無意識集合体理想的に実現したのが旧来の日本夫婦関係であるというのが私の理解だ。

無意識」というのが重要ポイントである

意識的に「自分女性主体性を認めておらず、ただ性欲のはけ口として見ている」ということを肯定できるほどマッチョな男はそれほど多くはあるまい。

少なくとも私にとっては醜悪で認めがたいことである

極めて男性的な思想家であるブッダは、この醜悪な男性性への解法として、「性欲そのものを捨てる」ということを提案した。しかしこの提案は余りにも現実的でなかった故に、彼の思想宗教となった。

ところが女性社会進出が加速し、お見合いが衰退した現代日本において、まるでブッダ思想体現しているかのような「草食系男子」、「絶食系男子」が顕著になってきていることは注目に値する。

現代では「自然男性」、「男性性に忠実な男性」は確実に挫折する。

モテない。まったくモテない。というか、そもそも女性と会話できない。

これは物理的に会話が発生しないという意味ではない。男子校でもなければ女子と会話する機会程度はあるだろう。

ただ「男性性に忠実な男性」への女性対応はどうなるか。

さしすせそである

さすがー。しらなかったー。すごーい。センスいいー。そうなんだー。

実際の言葉は「さしすせそ」よりは大分高度だろう。ただその本質は「さしすせそである

女性は「男性性に忠実な男性」、つまり女性主体性無意識に認めたくない男性」の無意識に沿うように「さしすせそ」で主体性の無さを演じる。

そうして「男性性に忠実な男性」はますます男性性に忠実になる。圧倒的にモテない存在へと進化してゆく。

ここで「さしすせそ」の欺瞞に気づいたモテない男性は自らの性欲を否定する方向に傾き、気づかないモテない男性キモいアプローチをしてフラれることになる。

しかしあるときモテない男性が何らかのきっかけで、男性性に忠実ではない行動、女性主体性を認める行動を選択することがある、そして本当の意味女性と「会話する」。

これは嬉しい。

素晴らしい成功体験とともに、これまでの自らへの「男性性の要求」に自覚的になり、「男性性の要求懐疑的になれば、女性相互主体的に話ができる」という条件がインプットされる。

女性との主体的な交わりを通してその条件はますます洗練されてゆくが、一方で「男性性の要求」が消失するわけではない。男性性との終わりなき闘争の始まりである

自らの性が完全に充足されているとき、人は最高に幸せな状態だと言えるだろう。

かつての男性の性は社会の中で完璧に実現され、満たされていた。

しかしそのような時代は終わりつつある。

自らの中の決して実現されることのない男性性に自覚的になったとき、どのような選択をするかに、現代の男の資質が問われている。

…はずなのだが、男性性への考察理解一般男性の間で一向に進んでいないように見えるのはどういうわけであろうか。

2013-12-27

お人好しということ

20131227

たまたま化物語を一通り見て、お人好しの無責任さを再確認した。

ハーレムアニメよろしく(いちいち性的描写が多いのはいただけなかった)主人公の周りは女性ばかりで、大きな差別をすることな主人公は全ての女性に優しくしている。

二次元三次元はごっちゃにしてはいけないのは当然。

アニメの話は単なるたとえ話。

単に自分のお人好しさを再確認するためのきっかけに過ぎない。

自分は誰にでも優しいとはよく言われる。

まり笑ってるつもりはないが、楽しそうにみえる笑顔日常的に多いそうだ。

そしてなるべく人には親切にするようにしてる。

しかしとんでもない。誰にでも優しいなんてことはできない。

道端で人が転んでも飛んで行って助けに行かない。海外ではトラブルのもととなり、都内でも似たようなものだと認識している。

自分好きな人ばかりに優しくして特別扱いしているだけだ。

自分は分かっている。自分の優しさは非常に打算的なのだ

これをしたら自分はよく見られるだろうという計算無しでは、優しくしない。

それ以外で人に見てもらえる術がないのだ。

自分にはこれしかできず、無理矢理人を繋ぎとめたいだけ。

周りの人間この醜さに気づいてるかもしれないが、今まで生きてて優しさの差別について指摘されたことはない。

しかし、打算的なお人好しは見返りが薄い。損ばかりしている。対人評価は良いかもしれないが、そこには自分が、望むほどの厚みや濃さがない。ずっと気づいてたはずだった。

好意がある女性に対しては惜しみなく優しくした。恋人との接し方といった点からはあまり褒められたものではなかったけれど、人間として平等に、時に甘やかし、尽くし、自分がどれだけ損をしても、きっと変わってくれると信じて優しさを保つ努力をした。

自分が本気で愛した人達は、いつも心に大きな大きな、多分一般的ではない悲しみや葛藤を抱えていた。

自分はそれに気づいていて、人の苦しみをどうにかできるとか大層なことをやろうとして失敗ばかりしてるのだ。

優しさややる気だけではどうにもならないのに、いつも破滅的なのに、人に入り込もうとする。なんて厄介だろう。

でも他の生き方なんてできないのだ。

まだわからないだけかもしれない。

お人好しは今年で卒業したい。

2013-05-19

民主党が支持されない理由

自民政権復帰後、民主党党内では連日のように責任の擦り合いが繰り返されている。

これが国民の目にどう映るかというリスクを考えず自分本位の醜い内ゲバの様相だ。

これを見た人はどう思うかを全く理解しようとせず、あろうことか自分たちの政治は正しかったとさえ言い訳する。

この醜さが民主党本質である、と感じる人がノーを突きつける。

これが民主党が支持されない理由だ。

簡単な話だろう?

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