はてなキーワード: 事大主義とは
この週末、都内では中国共産党に抗議する中国人による路上集会が行われたようだ。
その集会を取材しているジャーナリストのツイートを眺めていると、ネトウヨアカウントというか、排外主義的というか、そういう人たちが、中国共産党を批判する中国人を批判している。
戦前の右翼だと、清朝打倒の辛亥革命を支援したりしたものだが、現代の右派や保守というのは、権力に逆らう人たちがとにかく嫌いで、逆にそれだけなんだなと。
あれだけ普段中国共産党を嫌っている人たちだから、中国人が共産党への抗議活動を始めたら手のひら返しするかと思っていたら、そんなことなく、抗議活動に参加している中国人を批判する。
この調子だと今ウイグルの人権問題から中国共産党を批判している人の多くも、ウイグル人が立ち上がって、独立運動とか始めたら、絶対ウイグル人を批判しそう。
なんかこういう人たちをネット右翼というのも変だね。
昔のネット右翼はフジテレビデモとかして、自分なりに見出した権力に抗おうとしていたんだから。
向こうの事大主義に合わせてるんだよ
御成敗式目は「道理」と「先例」に基づいているというのは中学校とかで習うことだが、これに典型的に表れているのだが、日本では「思想を持たない」というのが思想であるわけだ。武士社会に通底する何等かの思想があってその思想を法律として表現したものではなかったわけで。
例えば過去中国ではあらゆる法律と制度が天命思想に基づいていることは当然のこととされていた。この為天命思想の確立に力添えをしてきた時代ごとの思想家たちが偉大な思想家として記憶されている。現代中国では天命思想は否定されている。しかし、思想に基づき国家が統治されるというのは今でも常識であり、だからこそこの前の党大会で習近平思想の扱いがどうなるかが注目されたわけだ。
では遠くヨーロッパを眺めてみればどうかと言えば、メルケルの発言を見てみればよい。
ヨーロッパがキリスト教クラブでないというのは正しい。しかしヨーロッパが人権と市民権を基本とするというのもまた事実です。そしてここドイツでは、人権と市民権をキリスト教的人間像に重ねているのです
ここでは明確にキリスト教という思想(思想と宗教を区別する人たちも世の中にはいるがあえて区別する必要はないと俺は思う)に基づいて統治が行われることが宣言されている。だいたいメルケルの政党の名前からして「キリスト教民主同盟」なわけで。
このような考え方があるため、ヨーロッパにおいても偉大な思想家というのが度々現れる。
思想とはもちろん政治思想だけを指すのではない。だが、個人の生き方という面でも日本では思想は明確に否定される。状況に応じて態度を切り替えられる人間が通常日本社会ではまともな人間として扱われるのであって、強固な信仰や思想に基づいて一貫性のある立場を取ろうとする人間はあまり高く評価されない。究極のプラグマティズムであり、究極の事大主義だ。
こうした社会においては「偉大な思想家」は存在し得ない。このような社会の状況を言論で表現する学者は過去様々に存在していたが、当然ながらそのような人たちは記憶されることもない。
一向宗や創価学会など政治的に大きな影響を振るった新興宗教もいくらかあったが、結局のところ日本社会の伝統に破れていった。石山合戦は織田信長の勝利に終わったし、公明党は池田思想を捨てて自民党の改憲、軍拡に追従する勢力となった。その自民党にしたところで明確な戦前回帰のような思想があるわけでもなく(故に日本会議のイデオローグたちは安倍政権に批判的である)たんに「アメリカに言われたから」とか「北朝鮮が」「中国が」などという状況に反射的に対応しているにすぎない。
社会に出ると自己中心的で、公平や公正なんてものに興味がなく、人から搾取することを悪と考えない、考えようとしない人で溢れている。
彼らが正常として扱われ、全体の改善を提言するとめんどくさい人間として扱われる。
「真面目すぎる」という言葉は、「お客様は神様です」や「万引き」と同じくらい社会に害を与えた言葉だろう。
丸く収まっているからいいじゃんって考えが強く、その尻拭いをさせられている人の立場を考えるように言っても聞く耳を持たない。
いい人は都合のいい人っていう表現はその通りで、自分のメリットデメリットでしか物事を見ようとしない。
そんな社会の中で、事大主義的な振る舞いをして同調し、誰かにめんどうを押し付ければ割といい待遇で生きていけるのはわかっている。
ガキの頃はそういう側面があったけど気づいていなかったからできていたし、今でも物理的にはやろうと思えばやれる。
でも、そんな理不尽を解消しないやり方って虚しくないのだろうか。
誰かに迷惑をかけてしまうくらいなら、引きこもって現実逃避をしたくなる。
安楽死でもなんでもしてさっさとこの醜い世界から抜けたいと思う。
なぜ誰も解決しようとしないのか、なぜ学ぼうとしないのか、なぜ寄り添い考えようとしないのか。
おそらく現代は、高度に進んだ未来の人間から見れば狂ってて頭の悪い人間が跋扈している野蛮な時代に思われているだろう。
力を持った人たちが場当たりな快楽を追求するのではなく、余裕があるからこその行動を見せて欲しいし、自分もそうなりたかった。
そうなれなかった自分が悔しくて仕方がない。
ずっと、なんで嫌韓の人がいるのか分からなかったんだが、最近になってその理屈が理解できたので、理解できないという人に向けて書く。つまり、左右の意思疎通を目的とする。以下の「事実」は事実でないかもしれないが、嫌韓の人は事実だと考えている。しかしそれこそが重要なことで、もしそれが誤りならばそれを訂正すれば良いのである。個人的に見聞きしたことが多く含まれているので、全ての嫌韓者には当てはまらないだろうことも明記しておく。一サンプル程度に捉えておくのが良い。
まず、嫌韓者は韓国を以下の国であると考えている。順不同であるが、説明の都合でこの順番にした。色々絡んでいるのですんなりと区別できるものでもない。
1) 他国の文化を韓国が発祥だと言い張る(いわゆるウリジナル)
4) 平気で嘘をつく
嫌韓者は、およそ1)に不快感を抱く。嫌韓者は基本的に保守的であり、伝統的な文化を重んじる。そしてそれは日本人が作り出したものであり、我が国の誇りだと考えている。ところが、韓国はそれを平気で窃取し、自分達が発展させてきたのだと言い張る。これは嫌韓者の目には、日本人の歴史を冒涜するもので許し難く映る。ここで重要なことは、嫌韓者は何も「寿司の元々の原型は~」という事実を知らないわけではない。その意味で、寿司は日本発祥!と言い張りたいのではなく、少なくとも現在の日本の寿司は日本オリジナルであるということを誇りに思っているので、(現在良くしられている)寿司は韓国発祥!のような主張は受け入れられない。
なぜ日本の文化を窃取するかと言えば、それは2)があるからであり、韓国にとって下の立場であるはずの日本の文化が海外に受け入れられているのは許し難いことで、その葛藤から逃れるために韓国は日本の文化は実は韓国由来だと主張していると嫌韓者は考えている。しかし事大主義そのものが韓国内部の勝手な妄想であり、なぜ日本がそんなに下に見られないといけないんだと、嫌韓者は考えている。
そして、その事大主義が歴史的なものならばともかく、現に3)のように現在の学校教育で反日が教え込まれているものも、嫌韓者は許し難い。確かに併合はしたが、全てで悪いことをしたわけではなく、生活水準を上げた側面だってあったはずだ(この点で嫌韓者は台湾を支持しうる)。それなのになぜ「日本統治時代は良かった」と発言した老人が殺されなければいけないくらい全否定されねばならんのだ、と嫌韓者は考える。さらに、日本は賠償金を支払ったのにそれを韓国政府は韓国の発展(いわゆる漢江の奇跡)のために費やしたが故に韓国国民は賠償金を受け取れず日本が賠償金を支払ったことさえ反日教育のために知らない。これで日本は戦争の賠償をしていないと言われるのはアンフェアだと嫌韓者は考える。
これらの結果として、嫌韓者は、韓国は自分に都合の悪い事実を伏せて嘘をつく人たちだと考えている(4)。現に在日韓国人だって自らの意思で日本に来て、帰ろうと思えば韓国に帰れたのに帰らずに日本にいて強制連行されてきたと嘘をついて特別永住権をもらっているではないか、と。嘘をつく民族なのだから、慰安婦も日本海呼称問題も竹島も、韓国の嘘からスタートした問題に違いない。もしそうでないと言うのなら、1)から3)の韓国内部の問題を解決して韓国の言うことは信じられるようにしてからにしてくれ、そう嫌韓者は考えている。
慰安婦問題で日本が非難される理由はよくわかる。だが、韓国もあり得ない数値で事実を盛って欧米に発信しているのではないかという疑念を嫌韓者が持っていることも理解できる。強制連行された韓国人慰安婦がゼロなわけはないし、だが一方で韓国人慰安婦が何十万人だとか全員が強制連行だったわけもない。互いに極端なことを言っているだけである。そんな全称命題は論理的には簡単に崩すことが可能だ。
これまで見たように、慰安婦問題で異を唱える人は、人権問題を気にしているのではなく、実は韓国の態度を問題としている。従って、はてなにいる左側の人間の指摘しがちな「慰安婦問題を受け入れない人は人権を軽視している!」という指摘は全くもって嫌韓者には通じず、論点はそこじゃない感が強い。レイプ被害者が自分はレイプにあったとは言いにくい側面があるのは承知の上で、しかし韓国の1)から4)の態度から信頼性が全くないから「本当に慰安婦ってあったの?」という気持ちになっているのである。もし本当に嫌韓者を説得させたいと思うのならば、「韓国にも問題点があるのはわかってます。だから奴らのことを信頼できない!というのも分かります。でも国際社会通念上、それを否定すると困ることになりますよ。だからそれは認めましょうよ。」という形に持っていくのが最も適切であると考えるが、嫌韓者が前段を重要視しているにもかかわらずそれを軽視しすぎる左の人間が多いのは、互いのコミュニケーションにとって問題だ。(国際社会では韓国の反日教育等はあまり知られていないので日本人が勝手に噴き上がっているように見える。)
まともな解は、確かに強制連行はあった(かもしれない)しそれを受け入れるがその被害者の数は「論理的に妥当な」ところだろう、という感じか。しかしその論理的妥当性を議論するのはナチスのホロコーストの被害者がどのくらいかというのと同じで結論を出すのは難しい。だからこそ互いにその数値には拘らずに未来志向でやっていくしかない。一方で、韓国のロビー活動に対応すべく活動しなければ、日本に対する国際社会の視線も不当に理不尽なものになる可能性もある。左の人間は「別に日本がどうなったって知ったことじゃない」と考える人もいるが、それは間違いだ。日本が弱くなれば結果として必要な弱者救済もままならなくなることもあり得る。
いくら韓国がむかつくと思っていても、それぞれの韓国人をその人となりを知る前から「韓国人だから……」と考えるのは差別になる。その人にむかついたとしてもそれはその人がむかつく人なのであって全ての韓国人がむかつくとは限らないはずです。そんなことをすれば、嫌韓者の不快に思う反日教育の結果としての日本人差別と同じことになります。やめましょう。