2013-12-27

お人好しということ

20131227

たまたま化物語を一通り見て、お人好しの無責任さを再確認した。

ハーレムアニメよろしく(いちいち性的描写が多いのはいただけなかった)主人公の周りは女性ばかりで、大きな差別をすることな主人公は全ての女性に優しくしている。

二次元三次元はごっちゃにしてはいけないのは当然。

アニメの話は単なるたとえ話。

単に自分のお人好しさを再確認するためのきっかけに過ぎない。

自分は誰にでも優しいとはよく言われる。

まり笑ってるつもりはないが、楽しそうにみえる笑顔日常的に多いそうだ。

そしてなるべく人には親切にするようにしてる。

しかしとんでもない。誰にでも優しいなんてことはできない。

道端で人が転んでも飛んで行って助けに行かない。海外ではトラブルのもととなり、都内でも似たようなものだと認識している。

自分好きな人ばかりに優しくして特別扱いしているだけだ。

自分は分かっている。自分の優しさは非常に打算的なのだ

これをしたら自分はよく見られるだろうという計算無しでは、優しくしない。

それ以外で人に見てもらえる術がないのだ。

自分にはこれしかできず、無理矢理人を繋ぎとめたいだけ。

周りの人間この醜さに気づいてるかもしれないが、今まで生きてて優しさの差別について指摘されたことはない。

しかし、打算的なお人好しは見返りが薄い。損ばかりしている。対人評価は良いかもしれないが、そこには自分が、望むほどの厚みや濃さがない。ずっと気づいてたはずだった。

好意がある女性に対しては惜しみなく優しくした。恋人との接し方といった点からはあまり褒められたものではなかったけれど、人間として平等に、時に甘やかし、尽くし、自分がどれだけ損をしても、きっと変わってくれると信じて優しさを保つ努力をした。

自分が本気で愛した人達は、いつも心に大きな大きな、多分一般的ではない悲しみや葛藤を抱えていた。

自分はそれに気づいていて、人の苦しみをどうにかできるとか大層なことをやろうとして失敗ばかりしてるのだ。

優しさややる気だけではどうにもならないのに、いつも破滅的なのに、人に入り込もうとする。なんて厄介だろう。

でも他の生き方なんてできないのだ。

まだわからないだけかもしれない。

お人好しは今年で卒業したい。

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