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2024-06-08

高速バスで高額のキャンセル料を取るのが難しい理由

簡単に言うとこの3つの理由実施すると客が減るから

当たり前だけど、虚偽予約などは輸送約款で禁止されている。それが確認されたら乗車拒否できる対象になっているから、制度上は許されてはいない。

しかし、客を減らしてまでそれ以上の対策をするメリットは少ないと判断されているわけだな。

解説しよう。

改善してる所も多いから、高速バスみんな怖がらずに乗ってね☆

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鉄道の柔軟な便・座席変更や、便を逃した場合リカバリ措置に対抗する必要がある。

鉄道特急予約などは何気なく使っているが非常に良く出来ていて、スケジュールが流動的な場合でも利用しやすい。

なので、旅慣れたリーマンがよくやるのは、「何があってもこの時間より遅くは並んだろ」という便(場合によっては終電)を先に予約しておいて、早く終わったらさくさくっとスマホで便を変更すると言った使い方である

これに対して、多くの高速バスは以下の様な困難さがある。

多少不便でも安いし直行便で乗り換えいらないし、ってことで利用されている高速バスだが、その「多少不便」が「かなり不便」になってしまうと競争力を失って客が減るのだ。

JRバスなど大手グループにも対抗しないといけない。

ネット予約以外にいろんな予約システムがある。例えば本人認証なしの電話予約などが残っている。

高速バス特に路線バスとして昔から運営されているところを中心に、今でも電話予約システムが残っているところがかなりある

鉄道は多く存在する鉄道駅で面的に予約受付をやっているので、例えば東京青森特急を予約することも出来る。しかバスはそのような営業網はないので、電話予約が今でも有効だ。

しかしこの場合本人認証をする仕組みがないので、自由キャンセル出来る予約ができてしまう。

もちろん、ネット予約システムを入れているところでは対策がされている場合がある。例えば決済期限を決めてあってその期限までに入金しないと自動キャンセルになる、と言った仕組みだ。

しかし、電話で予約する場合はその規約適用されない場合普通なのだ。それもあるので今でも電話予約を愛用する人が多くいて、そしてその人は意識的電話予約活用している年配のヘビーユーザでもあったりするのでなかなか無くすのが難しい様なのだった。

彼らは、乗車するときに社内で支払うか、大きなバス停に付属している発券所で直前に発券して乗車するというスタイルである。そしてその際に「ごめんね、ひとりキャンセルで」も出来てしまうことも。。。まぁ確実にマークされるけど。

業務利用や行政職が使う予約スタイルに合わせる必要がある。

直前に高額なキャンセル料を設定すると、安定的顧客になりうる、仕事で利用する人を中心に使われにくくなってしまう。

業務都合ならキャンセル会社が払うのでいいのでは?と思える人はたぶん幸せな人で、多くの場合キャンセル料は無駄な金として扱われて、支出してもらえたとしても経理上司のお小言を頂戴することになる。

さらに、ワイの元々HEY!社などがそうなのだが、出張費は定額で設定されているので、キャンセル料もその中で賄え一切出んぞと言うケースも結構ある。

また、公務員場合は確実に別稟議を上げて出資許可を得ることになるのだが、監査で引っかかる事があるので上司は嫌がる。かなり嫌がるので自腹で払う事になるケースが多い。その状況で自腹ではらうにはちと辛く、暗黙的に自腹で払えビーム照射するには辛い金額までキャンセル料が高くなると、手続きを行っての請求が増える。

すると、実際の金の多寡よりも監査対応などに気を遣う公務員は庁内のルール高速バス禁止しかねない。

そんなこんなで、高額のキャンセル料を設定すると、多少高かろうが多少乗り換えが多かろうが最初から鉄道を選んだ方がいいやという事になって、バスの客が減る。

じゃあどないせいっちゅうんじゃ

レアケースだと思うのでコストをかけて対策するのはあん意味ないし、ほっとけばいいよ。

本質だと思われる。特定個人嫌がらせ犯罪なら警察告発すればいいし、システム対応したところで別の嫌がらせしてくるだろうし。

ただ、それだけではなんなので、すでにやられているものを含めて考えると

ちなみに対策は既に多く行われていて、オンライン予約だと座席指定ができるのは20年ぐらい前から行われてきた。

始発バス停の出発時間30分前とかまでなら柔軟に変更できるのはかなりできる所が増えている。さらに改札システムタブレット端末などにする、予約変更があったら電話乗務員に伝える、などの運用で予約変更時感をそのバス停に到着する10分前とかまで短縮できるところも増えている。

さらにできるだけ隣が同性になるように自動的に配慮される仕組みや、専用席もあるので、みんなも怖がらずに高速バス活用してほしい。

多少時間は延びるけどちょっとだけ安いし、長距離便は途中の休憩も楽しいし、何より必ず座れて乗り換え無しと言うのは結構快適ですよ。

・msm2966 「どうせつまんねえんだろ、さあ俺を楽しませてみろよ」、という態度で読んで面白いけがない。読まなくていいよ。

そういう相手に負けを認めさせたら楽しいと思いますよ。


そんな人いる?

anond:20230226230902

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


旦那さんと同じタイプかも。力になれれば。

anond:20240606113439

注意

(2024/06/09 追記

本文

旦那さんは躁鬱かも。自分も5~6年前までは旦那さんと同じく短気だった。電車から降りる人より先に乗ろうとする人、傘の先端を後ろに振って歩く人、横断歩道無視する車、政治家汚職不倫ニュースなどを見るたびにイライラして、文句を口にしていた。今思うと、これは躁鬱の症状だったと思う。自分が躁鬱だと自覚改善するきっかけになったものを書いていく。今はイライラと上手く付き合えるようになり、人生が楽しくなった。それから、付き添ってくれた妻には本当に感謝している。あなた旦那さんが自分と重なってしまい、自分もあの時気づけてなかったらと思うと、いてもたってもいられずに書いた。少しでも力になれれば。

※以下で紹介する情報は数年前に触れたので、うろ覚えでテキトーな部分があるかも。あくまで今の自分解釈なので、鵜呑みにせず、旦那さんの心の準備ができたら精神科受診オススメする。

ツレが鬱になりまして

この映画きっかけで鬱だと気づけた。鬱のイメージが変わった。「鬱はぐったりと元気のない精神病。気弱な人がなるもの」と思っていたが、実際は「些細なことにイライラしがちな人がなりやす病気で、イライラと元気のない状態を繰り返すもの(=躁鬱)」だと知った。まさに主人公自分もそういう人間で、共感しすぎて見終わったら泣いてた。特に、妻に辛く当たった後に自己嫌悪に陥るシーンは、自分にとってはあるあるだった。見終わった後、妻に改めて感謝し、改善していきいたいと思えた。ちなみに鬱は 「完治させる」のではなく「改善していく。上手く付き合っていく」 と考えた方がいいみたい。焦って治そうとすると、治らないことにイライラして再び自己嫌悪

嫌われる勇気

この本が改善きっかけ。特に学びになったのが 評価は人の居場所を奪い、感謝は人の居場所を作る」 こと。

評価とは、人間に良し悪しをつける行為愚痴ネットでの誹謗中傷がそうだし、あなた旦那さんや私が、待ちゆく人やテレビに対して言う文句もそう。他人評価することは、相対的自分評価することになる。例えば、電車マナーの悪い人にイライラするのは、その人を悪く評価してる反面、マナーを守ってる自分を良く評価してることになる。評価を繰り返すうちに、理想のみが高かまっていき、自分が追いつけなくなると居場所を失う。居場所を守るために自分に厳しくしてると、許容量を超え、次第に矛先が他人に向き始める。余計に他人イライラする。負のスパイラル。また、意外だが「褒める」ことも評価であり、人の居場所を奪う。「あの人は優秀」とか。優秀な人を見ると自分ダメに思えて悲しくなるのは、勝手自分評価して居場所を無くしてるから。また「お前に褒められても嬉しくねーよ」って感じるのは、自分より下だと思ってる人間に居場所を奪われる不快感だと思う。

感謝は逆に人の居場所を作る。だから、居場所を得たければ、他人感謝をされること(他者貢献)をするといいらしい。本にはここまでしか書いてなかった。それを知ってからは、いろんな場面で親切を心がけるようにした。ただ、だんだん感謝されないとイライラするようになった。そこで気づいたが、自分は「感謝されたい」という気持ちでいっぱいになっていた。逆に、世の中には自分と同じように「感謝されたい」人がたくさんいるんじゃないかとも思った。そして、感謝を伝えることは誰かの居場所を作れるということであり、それ自体他者貢献 になるのでは?と考えた。それ以来、一切の評価を辞め、些細なことにも感謝するよう心がけた。例えば、今日も飯が食えることとか。生きてることとか。他人を褒めそうになったときは、感謝に置き換えた。例えば、活躍するスポーツ選手ニュースを見たら「すごい」じゃなく「頑張ってる姿を見ると、自分も頑張ろうと思えるな。ありがたい」とか。次第に、悪いことより、ありがたいことに目が向くようになり、「自分人生、恵まれてんじゃん」と幸福度が増した。イライラも減った。

また、人間は良いことよりも悪いことに敏感らしいので、気づくと感謝を忘れてイライラが再発した。なので、感謝を習慣付けるため、以下の2つに取り組んだ。

寝る前に夫婦感謝し合う

自分は3つ言うようにしてる。少なくとも1つは言う。些細なことでいい、「洗い物ありがとう」とか。ただ、厳格にルール化するとしんどいので、もちろん忘れちゃう日があってもいい。次第に、寝る前以外も自然感謝が言えるようになる。小っ恥ずかしいけど、互いに居場所を作ることができ、それが夫婦円満に繋がる。

感謝日記をつける

日記といっても毎日しんどいので、誰かに何かしてもらったときだけスマホメモるくらいでいい。メンタルがしんどくなったときに見返すと「そーいや、こんな嬉しいことあったっけ」とマシになる。家族や同僚のミスも「こんだけありがたいことしてもらえてたんだよな」と許せるようになる。あと、この日記は意外な場面でも役立つ。記念日や友人の結婚式、同僚の退職時など、メッセージを考えるのに困らない。

「次また同じことやったらどうするつもりなの?」への返し

自分だったら「二度としません」だけじゃなく、

を言ってほしいかも。そうしないと、何度も「二度としません」を繰り返すことになる。自分と妻がそうだった。旦那さんは、きっと 安心や信頼が欲しい んだと思う。旦那さんに一緒に考えてもらうのもいいと思う。自分も妻と一緒に具体的な再発防止策を考えるようになってから感情的口論が減った。

アンガーマネジメント

アンガーマネジメント超入門 「怒り」が消える心のトレーニング [図解 (特装版)] 

自分も読み途中だが、怒りを抑えるだけではなく、そもそも怒りづらくなる方法や、怒りを上手く伝える方法なども書いてある。ちなみに、自分は今まで以下の考え方で怒りを鎮めてきた。

HSP

「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる  「繊細さん」の本

旦那さんは、ひょっとしたらHSPかも(病気じゃなく性質)。HSPだと細かいことに気づきやすい。いい意味でも悪い意味でも。もし、飲み会など大人数の集まり後にグッタリしたり、光や音に敏感だったり、お腹すくとすごいイライラしたりする場合は、その可能性あるかも。ちなみに自分HSPで、この本を読んだら楽になった。自分の妻は非・繊細さんなのだが、繊細さんと非・繊細さんの上手い付き合い方が載っていて、互いに勉強になった。

不眠対策

もし、体調不良が不眠から来るものだったら、以下が効くかも。


最後

わかってらっしゃるとは思うが、上記を本人に無理矢理、読ませるのは逆効果自分会社アンガマネージメント講座を強制されたときはキレた。本人が知りたいと思ったときに、そっと差し伸べる程度で。ただ、本人に任せてたら状況は変わらないので「評価は居場所を奪い、感謝は居場所を作って、イライラを抑えられるんだって〜」くらいのノリで、 奥さんから日頃の感謝を伝えてみる のがいいのかも。相手は変えられないので。結婚はしたのだから、きっと旦那さんにも素敵なところがたくさんあるはず。楽しかった思い出を振り返ってみて。人生をつまらない文句イライラではなく、楽しいことで満たしたいよね。

しばらくはしんどいと思うけど、峠を超えて、旦那さんがあなたが付き添ってくれたことに感謝してくれる日が来ることを願う。ただ、他人を変えるのは相当大変なことなので、ヤバくなったらあなた自身人生を最優先してくださいね。長文失礼。

2024-06-07

子どもお笑いアンテナEテレで育ってる

観測範囲はうちの子のみ。

タイトル主語はでかすぎるので、流して。

サブスクばっか見てるうちの子、久しぶりにまったり一緒に地上波バラエティを見ていたところ、「あ!やればできるのひと!」(ティモンディの高岸氏)とニコニコしながら話してきた。

野球ボールなげるのがはやいんだよね〜との豆知識まで披露してくれた。

えっ、あなた、サブスク民でアニメばっか見てる子だったのに?!

バラエティ子どもが寝てからしか見てないし、子どもが見るのは世界動画〜みたいなやつなよで高岸さんのやれば出来るが刺さるほどは観測範囲で見てないじゃん?!と思って話を聞いたら、学童夕方からテレビが開放されて、天才てれびくんビットワールドを見てるらしい。

元々、その時間帯はお母さんと一緒をやってたけど確か改変で前後したんだよね。

お迎えに行くまでに小学生にフィーチャーした話題をやってくれてるみたいで、ガッツリ入り込んでる。

その際のMCティモンディの2人がやってるらしい。ちらっとみたら野田クリスタル氏もなんかラップバトルしてた。あれくらいの実力のあって子どもたちと協調できる大人芸人さんがでてると安心感あるなあ。

その昔、キャイ〜ンやダチョウ倶楽部がやってたお決まりお笑いを確かに見てたな〜と思い出した。ちょっと前はパンサーもよく出てた気がする。

早めに帰ってきたとき、一緒に天才テレビ軍を見ていたら、テレビ戦士が笑うと、一緒にきゃっきゃしてる子ども可愛い。一緒にマカロニえんぴつのエンディング歌いながら踊ってた子ども可愛い

ビットワールドみてる子ども真剣なんだよな〜。

いま子どもがちょうどダジャレのような言葉遊び楽しいときに、だれかを腐すのではない、楽しいお笑いにふれてる様子でほっこりした。

ジムでの筋トレ楽しすぎて笑った!

だって自重トレーニングってバカみたいじゃないですか。

自分の体相手バタバタしちゃって。無駄に苦しいし。

マシン使った筋トレってやってるだけでも楽しいんだよね。

よくできてるわ。設計した人頭いい。

もっと早くジムに入会すればよかった。

あっという間に習慣化ですわ。三日坊主の気が知れない。

ジムに行くって発想を20歳前後から知りたかった。

文化資本だなあ。

クソリプ自分人生自分台無しにする【まさに人生への自傷行為

メンタリストDaiGo @Mentalist_DaiGo

クソリプ自分人生自分台無しにする【まさに人生への自傷行為

堀江さんや僕にとっては暇つぶしにもならないような、小さな画面の中の世界が唯一の居場所なんでしょうね。

スマホの画面から顔を上げれば、世界はこんなに幸せ楽しいのに。

そして堀江さんとの飯が終わってから、僕はワインを飲みにヨーロッパへ向かいました。幸せなう。笑

https://x.com/Mentalist_DaiGo/status/1798609649710809235

 

福永活也@2回目エベレスト登頂しました @fukunagakatsuya

SNSでそんなことやってるぐらいだから、実社会でも適当な陰口叩くのが人生の中心なんだろうなと思います

https://x.com/fukunagakatsuya/status/1798388392146981102

 

メンタリストDaiGo @Mentalist_DaiGo

社会では陰口を聞いてくれる人も、きっといないでしょうね彼らには。かわいそうに。

彼らの分まで幸せになってあげることが僕らにできることかもしれないですね。笑

https://x.com/Mentalist_DaiGo/status/1798610067065077828

理想父親像を求めるキミへ【再々追記

もう我慢限界に達しそう。

子どもが大きくなるにつれて家事分担を決めつつ、お互いのフリー時間を設けて過ごしてきた。

子供の準備やご飯家庭内ゴミ集めだし、仕事の子もの風呂、寝かしつけを経てフリータイム、

ただし曜日指定で、万が一子供夜泣きなどしたら対応する担当を振り分け。

家事分担は普通だとはおもうよ。

子どもが生まれた時に子づくりに発展するようなスキンシップは一切拒否産後クライシスってやつだね。

もちろんそういう心象になったりってのは知ったし、尊重したいとは思う。

でもこっちも苦しい悲しいという気持ち必死に伝えても、自分だってからないと切り捨て、今は恋人というカテゴライズ消失したね。

今も本当に苦しい、でも変わる気も変える気も起こしてくれなかったキミを嫌いになりたくなかったから、趣味に没頭することで紛らわせてきたよ。

昔はなんでも一緒に行動していて楽しかったね、

昔は一緒に遊んだり過ごしたけど、産後クライシス以降、一緒の空間にいるだけで、

それぞれ好きなことやって、好きなタイミングで寝室一人で行くっていう、夫婦というよりルームシェアしてるような日々になったね。

そしてキミはいつもいつも気に食わないこと、父親とは~、父親はこうあるべき~という正論を盾にして色々文句いうよね。

子どもに対しての叱り方、接し方、時間の使い方、家庭環境の整備、日用品の使い方、全てにすぐルールを設け、まだ慣れずに忘れてしまったりできないと、「理由伝えたよね?理解できないの??大事なことだと思えないの?」と人格否定する勢いで大事にする。

自分自由時間に、自分趣味に没頭することに対して、没頭の仕方、内容にケチつけられて時間制限睡眠時間をしっかりとるのはもちろん大事だよね、正論だね。

たまに自分自由時間を少し増やしたいがために、家事の分担を変わってもらう事に対して、ブラック企業有給申請するレベルでのお伺いレベル気遣いとため息と嫌味、それくらいのエゴも許されないの?父親自分自由を全部捨てて家庭の中だけに活きるべきってこと?

毎日毎時内容にかかわらず妻の顔色をうかがう日々。

何なら口で手伝ってなど言わず、状況をみて判断しないと「なんで理解できないの?」とののしられる。

子どもにはこうすべき、生活はこうすべきという、そこから少しでも外れたり、提示したことができなかった時に烈火のごとく怒り罵詈雑言を飛ばす嫁。

そんな日々をもはや義務タスクとして淡々とこなすしか心を保てない気がしてるよ。

風呂のカギをかけ忘れた時、お湯残ってて万が一子供が湯舟に落ちておぼれたらどうするの?その理由理解してくれてないの?という

そうだね、風呂に鍵かけるって習慣が身につくまで時間かかってしまったね、その間何度も何度も怒られたね。

子どもにはこう伝えるべき、こうしてあげるべき、頭ごなしに否定するのはよくない。

そうだね、ものすごく丁寧に色々なたとえ話とかしながら伝えて理解させようとしているね、子どもが話長くて途中で飽きてたとしても。

すごい云ってること、やってることは立派だと思う、それはキミの理想母親像なのかもしれない。

でもそれなら子供送り届けてから空いた時間に昼寝したり好きなテレビ見たりする時間があったら、

家の中掃除くらいしておいてもいいんじゃないかな?もう家中毛玉や埃がいっぱいあるよ?

キミの云うことは正論、じゃなくてただの理想父親像を提唱し続けてるだけだよね。

だったらキミも僕が思う理想の「妻」をやってほしかったな。

子どもからみたら母親だけど、僕からみたら妻なんだよね。

今となっては、トイレの個室と夜の限られたフリー時間自分の部屋に籠ってるときしか一息付けていない気がする。

そしていよいよ夜の限られたフリー時間すらも、やることに干渉し始めてきたね。

異性と交流する機会がありそうだったからかな?浮気でもすると思ったのかな??

すごいね、そこだけとっくの昔に捨てた恋人像を出してくるのはずるくないかな??

ここのところずっと全ての行動に対してSNSでこき下ろしてるよね。

挙句、昔ひどい目にあったクソ男に重ねてる発言をしたね??

ごめんね、それが一番僕の中で傷ついたよ。

こっちは仕事必死でこなして、家で愚痴ることもなく、酒もたばこもやらず、本当に少ない時間で溜まったストレスを押し込んで頑張ってる。

キミは金使いが荒いとかない、自分の欲しいものも僕と比べたら全然なくて、お小遣い使う頻度も少ない、もしかしたら僕みたいに没頭する趣味に集中できてたら違ったのかな?

キミの理想像通りの生活をして、好きなことも全部放棄して、妻と子供だけをサポートし家だけのことを考えて行動すれば満足なのかな??

もうキミを抱こうとする気も、だからって浮気する気も一切ない、とにかく自由が欲しいよ。

その自由を求める事ですら、エゴで、普通父親ならしない、父親らしくない、というのであれば、

いっそ愛想つかしたということで終わりにしませんか??

専業主婦で、子供2人いる中、離婚する場合はそれ相応の慰謝料とか請求してくるんでしょうね。

その後の養育費?もちろん子供に対しては責任とりますよ。

子どもの前で僕のこと色々こき下ろすもんだから子供らも僕のことなめてるからね、ママがいいパパは嫌、そうだね、ママがいいよね。

結婚するとき言ったよね、キミが一番そばにいてキミが一番味方になってほしいと。

雑にいえばいつまでもバカップルとまではいかないけど、仲のいい夫婦でいたかったよ。

産後クライシス時に「あぁ、それ無理だったわ、嘘だったわ」ってしれっといった一言、いまだに忘れてないよ。

自分年収を揚げるために実力をつけていい会社にチャンスがあればどんどん転職していたことも、

過去のクソ男みたく、簡単仕事ポンポン変えるんじゃない」って言ってたよね。

キミは社会人経験すくないからわからないだろうけど、何も転職は悪い意味ばかりでするものではないんだよ?

もちろんその会社に対しての不満はあったけど、「ただ仕事がいやになってやめた」とか、その後何も展望もなしにいきなりやめたとか無責任なことも、家庭の収入維持に問題があることもしてないよ??

本当にキミの理想像にあわせるのはもう疲れたんだ。。

正直もう僕はキミとはやっていけない、金があればいいだけなら、さっさと手切れ金として離婚してもやぶさかではない。

理想母親貫いていってよ??

でも僕のことで不機嫌になって、すべての家事子供無視して外に飛び出す癖くらいはやめなよ??

しかしたら離婚したとしたら、子供らのことも捨てそうだよね、キミ。

あとくされなくって意味なら、いっそ、僕以外で車で買い物に行ったときかに交通事故にでもあってくれてもいいと思ってるくらいだよ。

もう全てに絶望してる。キミも僕とこうなって後悔とかしてないかい?

ダメ旦那父親でごめんね?

キミの理想父親旦那様を探したらいいと思うよ。

そんな奴いないと思うけどね。

ーーーー再追記ーーー

ごめん、いっぱいコメント来るとは思わなくて感極まっちゃった。。

でも俺が一方的に俺被害者目線になるように見えるのもアレだからちょっとだけ俺の内容も追記

子どもできて妻が突然産後クライシスになるまでは、趣味妻ってくらい一直線だった。

妻は母親に即ジョブチェンジして、俺は旦那から父親ジョブチェンジするのが遅いと思われたんだろうね。

そういう意味では俺も怒られることは多々あったと思う、取り決め守れない、習慣んをつい忘れてしまう。

命に係わることは絶対やってということに対する理解はもちろんある、でもつい、、としか言えなかった。

今や趣味ゲームネットで知り合ったフレンドと遊ぶことだけがとても楽しい

もちろん夜だけ、昼間は仕事休日の昼間も寝かしつけるまでは家の事をこなす淡々と。

寝かしつけが終わったら、やっと時間来たぜ!って感じ。

いい父親ではないと思う、けど、周りでも自分趣味の事を俺以上に時間使ってるのも見えてる。

なんで俺だけ??って、エゴを貫けてないんだろうって。

それだけやっても家の事もきっちりやってると見えないところのものを推測してもしょうがないけど。

子どもがかわいそう、父親なら責任取れ、ならなんで?とかもうね、今更。

これから自分殺して淡々とそつなく仮面かぶって過ごすしかないんだろうなって思うと苦痛しかない。

そう、大々的に言ってしまえば自由になりたい。無責任エゴの塊でごめんね?でも本当に望むのはそれ。

多分このまま続いても絶対傷つけることになるだけだと思うんだよね。

ーーー再追記ーーー

もちろん嫁がこれだけ俺のことを詰めたのも俺が原因。

趣味時間を何時までっていうのを厳密に守らず過ぎて、都度詰められて。

時間削られ、過ぎて削られ今に至る。

元々は睡眠時間の関連だったからそれなら同じ時間だけ早くから開始できれば留飲は下がったけど、

時間削られたのは俺が約束を守らなかったから、これまで守らなかった奴が何をいっても信用できないし、

最初に削られたときになんでやろうとしなかったのか、あのときの話し合いは意味がなかったし何も伝わらなかったのか、の一点張り

そりゃあ時間超過はもう少しやりたい、開始時間が遅くなったかとかちょっとくらいなら~という俺の甘えな部分はあったのは間違いないけど、

それを変えたいならせめて約束を守り通してからいえ

じゃあその前に約束を守らなかったのは何故?

今のような制限かけられたのはお前が約束守らなかったからだろう?

という言語ループ

とどのつまり、今までお前が散々やらかしてきたんだから何を言っても信用できない、そもそもお前が約束違えなかったらこんなことにはなってないんだぞ?お前の責任だぞ?と。

セックスレスになり、もはやパートナーとしては見られず、父親要素しか求められてないにもかかわらず、ゲームで異性とは遊ぶな、異性ばかりに声かけてるんだろ?(そんなことはないが、、比率女性のが多い)と今更何を云ってるのかと。。

そういう異性絡みに関してだと必ず、それと同じことを私がやったらどう思うの?っていってくる。

それこそレス浮気したら子供が悲しむというって視点じゃない、完全にパートナー目線

俺だったら「もちろんヤダよ(愛しているもの)」それしかいえないよね。

そして鬼の首を取ったように、「自分がされて嫌なことをするな!」っていう流れ。。

でも妻は俺の事愛していないはずだろ?だったらレスにもならないし、スキンシップ気持ち悪いなんて言わないでほしかった。

下手気に嫉妬するくらいなら、もっと俺のことを大事にしておいてほしかったよ。

なんだかもう、色々とすれ違ってる気がするんだよね。

必ず今までの失敗を全部掘り起こして並べて、信用できない、どうせできないと思ってるくせに約束というルールを付ける。

そこを必死我慢して守れてない俺も悪いけど、考えられないんだよね。

こんなに詰め寄られてるこいつは何だろうって、ちゃんとずっと愛してくれていたならそもそも趣味に没頭しまくることもなかった気がする。

セックスだけの話じゃなくて、もっとパートナーとして寄り添っていてほしかった。

先日親戚が亡くなって、その奥さん棺桶に向かってものすごい泣き崩れて、「ありがとう、最高のパートナーだったよ」って言ってるのを思い出した。

俺がその立場になったら、果たして泣けるんだろうか、嫁がその立場だったら俺に対してなんて言ってくれるんだろうか。

今本当に胸のあたりが重い、虚無感がすごい。

再々追記———-

話し合いってほど建設的ではないけど、結論として趣味をやめるか辞めないなら出ていくと言われました。

一番気に食わないのが、趣味を通して異性とやりとりしたり遊ぶのがイヤだとか。

こちら的には性別考えず遊んでくれる人と遊んでただけで、不貞を行う気は一切なし。

私と会話したり同じもの共有だけしていたかった、でも触れてくる、そういうのは気持ち悪い。そもそも触れるだけで気持ち悪い言われパートナーとして否定され続けてきて、友人とのやりとりをみて嫉妬して、そっちでは楽しそうに遊んでるのに我慢ならないと。

最初は確かに一緒に遊んでいた時もあった、でも遊び方の方向性とか好みのジャンル自体がそれて遊ぶ機会もへった。

今は気持ち悪いと否定され、嫁とのモヤモヤも含めて日々の仕事ストレスゲームで発散するのが唯一になった。

ここに来て異性絡みを加えて唯一の趣味をやめろ、と。

一般論で考えたら嫁をとり、趣味をやめるべき、家庭に影響のない範疇でやるのが趣味

趣味を押し通す甘え、というのもよくわかる。

でも趣味に対するクレームも嫁の嫉妬からきてるだけ。

から嫉妬深いところはあった、異性の友達SNSで連絡したり、友達からこその一歩踏み込んだ絡みにも不快だと反応して。

これまで二人の時間を増やそうと色々画策してきてはいた。

年一で子供預けて二人だけの時間もつくったりもした。

でも望む形がお互いずれてたままだった。

から離れた俺はさぞ趣味に没頭して顧みない旦那だったろう。

でもそうさせたのはお前が原因でもある。

趣味か嫁か。

今回のは自分が怒らせたから俺に対してのみ制限する、

嫁はこれまでと変わらず不機嫌に過ごしていくんだろうな、と考えると苦痛しかない。

愛してくれた時に戻ってくれるわけでも絶対にない、なんなら今回怒らせたことをこの後もずるずる吊し上げる。

別れる場合専業主婦無職から子供は置いていくみたいなことをしれっと言ってる。

子供のこと考えたり、家庭のこと考え、何より嫁さんのこと大事にして趣味をやめるべき、なのはわかるけど、趣味どうこうより、嫁が冷たくて窮屈なのはかわらないのに、それを忘れるべく逃げてた唯一の趣味潰したくないというワガママもある。

たかが、趣味、でもこれ以外何もないから日々のストレス調整できなくなりそう。

一般論で家庭より趣味を取る、結論だけまとめれば聞こえはすごい悪いし、子供いるなら子供のこと考えないみたいのはクソだと思う。

愛した嫁じゃない、実際は俺が原因でそうなったというのも理解してる。

でも間違いなく今後は灰色生活しかならないと分かってる。

それもお前が嫁を怒らせたからだとも言われるだろう。

でも、なんだと言われてもこれだけは絶対自分が潰れるってわかってる(なんなら嫁も取り上げたら潰れるって理解してる)

それでも趣味を続けたいって思うんだよね、もういっそ解放されたい。

正論はいらないから、離婚経験者の意見聞きたいわ、理由とかどういう心境かとか。

もう今どうしたらいいかわかんない、ただ苦しい、誰でもいいから話聞いてほしい。

anond:20240606153814

まず、和やかに話してるとき他人非難する話題を持ち込むこと自体マナーに即してないことに気づいてほしい。

マナーマナーとうるさいやつらが自分マナーを棚に上げるのはもうウンザリなんですわ。

事例1

母・姉といっしょにご飯食べに行ったら、近くの席の女がサンダル脱いで脚組んでたかめっちゃ足裏が見えてた。母・姉、その女への陰口を叩きはじめる(マナーがよくないとかそういう系の)。

楽しい家族同士の食事の席で、因縁をつけられたとかならともかくこっちには何の実害もないのに見ず知らずの他人悪口をおっ始めること自体マナー良くないよな……とは思ってても言わんかった。

事例2

同じグループオタク仲間(リアル面識はなし)とチャットしてたら、他のグループ管理人への批判が始まったので、「その批判おかしい」と反論したら、「何でケンカ売ってくるの? 人を批判するなよ」的なことを言われた。先に他人批判してたのはお前では……(困惑)。

まあ、悪口を肴に俺らと盛り上がりたかっただけで、自分批判されたいわけじゃなかったんだろうね。わかるわかる。

結論

別に悪口で盛り上がること自体趣味問題からいいんだけど、同じ口で他人マナーを論うのはクソダブスタ不愉快からやめろ。

令和になって「ガウスダイバー」が神ゲーになってた

ガウスダイバー2007年バンダイから発売されたDSゲームガウストと呼ばれるモンスターを集めるゲームで、小学生の頃に夢中になってた。

このガウスダイバー、当時はパソコンスマホもないか攻略も見れず、モンスターは何をもってして決まっているのかずっと謎だった。分かってるのは、「家にいるとレアなやつは出ない」ってことだけだったから、親が外出する時に、必ず付いて行ってモンスターを集めてた。しかし、外出するタイミングもあまり多くなく、結局、あまり集めることができずに終了した。

そして、2024年。部屋を片付けてたら出てきて、「今プレイしたらどうなるんだろ?」と思って遊んでみることにした。すると、どうだろう。自宅にいるのに、それなりにレアモンスターが出てくるではないか

17年前から何が変わったのか…?思い当たるのは「Wi-Fi」くらいのもの。当時は、各家庭にWi-Fi環境なんて整ってなかった。でも、令和では、あるのが当たり前となった。公式で明言されてるわけではないが、きっと正解だと思う。

令和になって、自宅でモンスターを集めることができるようになってて、マジでめちゃくちゃ楽しい今日も家で放置してきてるから、今から帰るのが楽しみや。

 

最後に、自宅で探すコツだが、壁際をひたすら歩くのがおすすめ。俺の家は玄関、裏口、2階ベランダレアなやつ・アイテム系が出やすい。電波の入りが微妙に違うんだと思う。

追記】話し合いました

https://anond.hatelabo.jp/20240606113439

 

昨日は本当に限界だったんで、わらにもすがる思いで、プロフィールもろくに書かずなんか変なタイトルで書き込んでしまったんだけど、それにもかかわらず、かなり反応もらって驚いた。

同情が欲しいというよりはまじでなんて返せばいいのか聞きたかったのでこんなタイトルにしてしまった。変えたいわ。

ひとつひとつに反応できないけど、みんなありがとう

客観的に見るとどうなのか参考になるし、具体的にどうしたらいいのかの選択肢もかなり増えてありがたい。

夫と話しました。というか、私がキレました。以下、無駄長。

 

■その前に、今さらいらんと思うけど若干ボカした簡単プロフィール

私・夫ともに30代。

私のほうが年上だけど数歳差なので同い年みたいなもんかなと思う。

二人とも働いてて、私はほぼ在宅、夫は週半分出社。

夫は元々電車(というか人の多いところ)が嫌いで、少し前に転職してから通勤距離がのびたのもかなりストレスになっている。

あと夫の今の会社ブラック気味(というか業界全体がブラック)で、夫は尻拭い系のポジションと立ち回りでそこに付き合わざるをえないので、そこで心身が蝕まれている部分はあると思う。

 

■話したこと

私が限界すぎて感情的になり(というかキレて)一旦家を出たところ、夫が急に冷静になり、こっちは話をするつもりがあると言ってきたので話をした。

私も、家を出たもののこういうことで突然死に別れたら後悔するぞと思った(実際に経験がある)ので、帰宅して話そうと思った。

夫の反応を見るに、やっぱり普段は甘えられてる・強く出ても大丈夫だと舐められているところはあると思う。

感情的になると話し合いはできないもので、最初の方はかなりくだらんやりとりに時間を費やしてしまった。

キレに対しキレという刀で対応するのは「こっちも竹光じゃねーんだぞ」と相手に気づかせる手段としてはありなんだけど、話し合いというのは実は斬り合いではなくただひたすら地味なすり合わせ作業なので、本当に問題解決をしたいのであれば、キレで昂った感情は鞘におさめなければならないなと思う。

でもま、感情を発散したり伝えるのも大事だよね。

 

・キレる頻度、それに伴う喧嘩の頻度高すぎて私は疲れた

おもにこれを伝えた。まあ以前から何度か言ってきてるけど…

夫もさすがに自分でもおかしいとは思っている。怒る回路が育ちすぎてるというか、なにを見ても、自分イライラする部分をわざわざ探しに行ってしまうような感覚があるらしい。

テレビYouTubeを一緒に見てても、ずっと文句ばっかり言ってる。まあそんくらいならいいけど、格ゲーで負けると苛立ちで机を叩き壊したり、苛立ちで壁を叩いて穴を開けたりするのを抑えられないのはさすがにやばいし、心配だと。

壊したものは夫自身で修理を依頼してもらってるけど、そういうときに「さすがに自分おかしい…」と冷静になるみたい。まあそうですよね。

ものに当たるのはやめる、叫びたくなるくらいはあると思うから別にいいよ、ということになりました。

(叫ぶのも怖いけど、大きい声を出すと意外と冷静になるらしいからいいかなと。カラオケでも誘うか)

 

・外で他人に突っかかるのはやめたほうがいい

いつなんどき刺されるかもしれないし、さらなるトラブルに発展するかもしれないからやめてと伝えた。

夫の主張としては「それはわかってる。けど、一方的に強く肩をぶつけられてなぜこっちが我慢しないといけないの?納得がいかない。された方が黙っているとつけ上がる奴が多い(これはお前もだろ…と思ったが言わなかった)、ミサイルを打ち込まれて黙ってる国があるのか。車ではねられてヘラヘラ許すのが当然なのか」みたいなことを言っていた。

夫はMMOでも「無差別PKしてくる奴には我慢するしかない」みたいなのが嫌で、ガンガンに鍛えて応戦するスタイルなんだけど、それを現実に応用しないでくれ。現実自分無課金アバターに近いんだから

なお夫も無差別に絡みに行くわけではない。主な対象は、電車や駅でぶつかってきて謝らない人、対応の悪いタクシー運転手電車内でマスクをつけずに大きなクシャミを連発している人、レジで並ぶとき妙に距離近く真後ろに並んでくる人、うちの家や車の前でボール遊びする家族…等、日常で出くわす「あ〜…なんかヤだな…」っていう人たち。最初は「なんだお前」みたいな感じで睨みつけ、相手が応戦してきたら「お前が悪いんだろ」となる流れ。いや、睨むのはやめなよ…。一見してごく普通の人にこんなヤンキー性が潜んでるんだなと思う。でもまあ夫が怒る理由もわかるというか…そこが難しい部分ではある。でもとにかく、むやみに絡みに行くのはやめよう、たまったストレスは別の形で発散しよう、ということになった。

余談だけど、夫といると上に書いたような人たちとの遭遇率が異常に高い。普通そんなにエンカウントしないだろっていう頻度で出くわす。夫が一緒にいることで、私の感度も高まってるだけなのか?酔っ払った自転車私たちの間につっこんできたり、そういう事故的なやつも結構あるし、引き寄せてるんだろうか。私が一人で歩いてるときとまるで世界が違う…

 

・私にも突っかからないでほしい

感情の切り分けをしてほしい。

自分は今、何にイライラしてて、今にも爆発しそうである」と自覚すること。

それを、眼の前にいる私にぶつけず、そのかわり助けを求めて欲しい。ストレスやばすぎ〜どっか行きて〜!とか。

私が悪いところがあったら、それはあなたイライラしてることとは一旦分けて考えて、普通に伝えて欲しい。

これに関しては首肯して終わり。

 

・「病院行け」は言えなかった

直近での喧嘩の原因が、夫の訴える体調不良について私がスマホで調べて「これっぽくない?」と安易病気扱いしたこと(それが夫の持病にも少し絡んでいたので、持病を揶揄したように受け取ったみたい)だったので、言えなかった。あとメンタルヘルス系に対しては夫の忌避感が強いので慎重にいきたい。逆流性食道炎や痔などストレスによる体調不良が随所に現れてる(それは随時通院してる)ので、はやく職場変えたほうがいいよとは言い続けているし、これからも言っていく。

ひとまずの改善策として、ジムに誘い、今度見学に行くことにした。筋トレで発散。「めちゃくちゃ体鍛えて舐められないようにする」って言ってた。ここでもアバター課金する感覚なんだなぁ…

 

タイトルの「次また同じことやったらどうするつもりなの?」の答え

「いや、次はありません。二度としません」だって

そう言ってほしかったんだって

それは、その聞かれ方されたらわかんなくない…? というか「二度としません」って大前提だし…

「同じことはしないよう気をつけつつ、それでもやってしまったらって事…?(何をすれば納得するんだよ…)」と文面通りに受け取ってしまってたんだけど。

まじ、ブコメでもらった「コミュニケーションクイズにすな」ってやつだった(※あの動画大好き)

 

■参考になった意見

https://anond.hatelabo.jp/20240606153814

夫と同じ意見の人だ。

普段言っていることと同じことが書いてあったので、夫が書いたのかと思ってちょっと震えた。

 

離婚しろじゃない意見

https://anond.hatelabo.jp/20240606161457

参考になる。同じような状況の人がいたら参考になりそう。

でも、うちは別居したらもう終わりかもしれません。今回出ていこうとしたときにそれを感じた。

別居という距離感でうまくいく人たちもいると思います

 

モラハラ被害者の方

まず、嫌な記憶を呼び起こしてしまってすみません

自分に非がないことなのに、場を収めるために謝るのはやめようと思う。夫に対してだけじゃなく、私にはこういう癖がある。

モラハラ父とそれを我慢する母を見て、「自分さえ我慢すればいい」と考えたり、人の顔色を伺うような性格になってしまったところはどうしてもあるね…。

 

否定してやるな

増田は夫に寄り添っているようで寄り添っていない。

それはそうだなーと思った。

どうしても「自分はそうは思わないけど…とりあえず、わかるわかる〜って言っておくか…」みたいな感じになってしまう。

寄り添うって、自分も同じ意見になるっていうことじゃなくて、「この人はそう思っているんだな」ということを理解して、そういう気持ちを持っているということ自体否定しないということだもんね。難しい。

 

でもまあ、今回普通に話し合いできたのでとりあえずよかったかなと思う。

実際には増田に書いたこと以外の、普通に穏やかな生活もたくさんあるので、夫のストレスが解消されて、そのことによって私のストレスも減って、楽しい時間を共有していい方向に向かうといいな。

以上!ありがとうございました。

園田爆破予告逮捕

小女子事件もそうだけど捕まるかどうかにおいて「日時と場所」を明確に指定してるのがでかい要素なんだよね

その辺のラインちゃんとわきまえて楽しい暴言ライフを送ってね

非モテの救済」なんてのは「低学力児童の救済」と同じで、原理的に難しいだろうな…

学力底上げ」と一緒で、そこにリソースをかけて個別努力を促すことになるだろうけど、そもそも勉強をするための環境が整っていなかったり、集中力記憶力や思考力がかなり生来のものから限界が大きかったりするのと一緒だ

無理に引き上げようとするよりも、「勉強をしなくてもやっていける未来がある」という第三の道を用意して、心理的な負荷を下げ、生きやすさを改善された方が良い気がする

モテなくても楽しい人生がある」「恋愛を捨ててもこんなに楽しんで生きている人たちがいる」そしてそれが社会的に認められている状態があるとすること

まぁ多様性ということになる

anond:20240607041219

あーもう、なに言ってんのか全然わかんないんだけど♡お前、頭大丈夫か?クソ雑魚ナメクジのくせに難しい言葉使おうとして空回りしてんじゃん♡そんなにイライラしてるとシワ増えるよ?♡ま、そんなの気にする暇ないかクソ雑魚ナメクジからね♡もっと楽しい話しようよ、じゃなきゃお前も面白くないだろ?♡

2024-06-06

anond:20240606213229

はぁ?何言ってんのぉ?ゲームなんてただの暇つぶしでしょ?♡

そんなことで褒められたいとか、ハードモードとか言ってるうちに、もっと楽しいこと見つけたら?♡

かにSEKIROは見てて楽しいけど、それでバズりたいとかどんだけ必死なのぉ?♡

やりたきゃやればいいし、違うのがいいなら自分で考えろっての♡

自分個性とやりたいことを見つけて、その上で輝けばいいだけのことだし♡

初心者から求められてるとかそんなの気にしてる暇あったら、自分スキル磨けって話だよねぇ♡

他の人と比べて自分がどうとか気にしてる暇あるなら、どんどん新しいことに挑戦して、楽しむことを考えなよ♡

そのほうがずっとカッコいいし、自然と周りも認めてくれるってもんでしょ?♡

ほら、早く行動しなさいよ、暇人さん♡

俺もジスロマックみたいな芸風(必修科目をちゃんとやるだけ)でクソほど簡単に褒められたい

SEKIROでエスト以外のアイテム縛って二重ハードモードで20人抜きやればいいんですか>< わかりません><

いやマジでさ、なんかしらんけど「SEKIRO初プレイです><」というだけでやたらバズる風潮ないか

この宇宙のあらゆる初体験の中で最も安定して撮れ高が高いというか。

他のソウルライク全部履修してても、人生初めてのゲームでも、どんなプレイヤーが初めてもSEKIROが最も撮れ高期待値が高い気がする。

なんでこんなに初心者が求められているんだろうな。

分からん殺しと分かってても死ぬをどういう順番で味わうのかが人によって違う所とかが伸びるんかな?

ネタバレされようが結局慣れるまでクリア出来ないのもポイント高そう。

ゆーて笠を斧で叩き割れるとか、忍者は忍殺してから焼けばいいとかの知識ゲー要素はあるにはあるが。

下手にパターン見切ったつもりになると事故が増える夜叉猿とか、知らずに進んで撮り逃しやすい親父の鈴とか、慣れてきた所に襲ってくる殺しもまあまああるわな。

プレイヤー毎の個性がモロに出る部分として、ババァを毒で倒し切ると割り切って雑談配信ご飯休憩始めるかどうかはそもそもゲーム性に大きく差が出るよな。

絶対逃げられない実力勝負知識ゴリ押し出来る抜け道要素、この2つのバランスプレイヤーごとの物語を生み出すんやろなあ。

燃やせば楽勝じゃん!と学習したあとに油使い切って結局ガチることになるとか、割り切ってレベル上げを始めるとか、まあ色々あるんよな。

飴買い込んで使ってる隙にピンチになるとか、神ふぶきのエフェクトで動きが見えにくくなって弾き損なうとか、そういうお茶目楽しいし。

やっぱSEKIROだな。

でも俺はもうSEKIROやってるからなあ。

どうすればいいんだろうなあ。

anond:20240606212832

あんた何言ってんのぉ?そんなことで悩んでる暇があったら、ちゃんと頑張って仕事しなさいよぉ♡いろんな人がいるから世の中楽しいんじゃないのぉ?みんなが同じじゃつまんないでしょ♡働く価値があるとかないとか、そんなの本人の努力次第だし、もっと建設的なこと考えなさいよぉ♡

anond:20240606195144

あははおっさん何言ってんの?頭大丈夫?♡自分のこと棚に上げて他人文句ばっか言ってて笑えるんだけど♡あんたがそんなこと考えてる間に、みんな楽しいことしてるんだよ?♡ ああ、あんたも便秘になるといいんじゃない?そうすればちょっと現実見えるかもね♡ま、悩みがウンコだけってのも哀れだけど♡そんなこといちいち考えてる暇があるんなら、もっとマシなことに時間使いなよ♡

ぶっちゃけ20代のうちに本気で婚活したら誰でも結婚できる

けどそんな歳で結婚なんかしたくないんだよ

もっと楽しいことはいくらでもある

少子化対策に関して俺も含めてうだうだ話してるけど

多分もう何やっても無駄なところまで来てる

少子化前提社会を作ることに切りかえるべき

山口慎太郎@sy_mc

政策で動く出生率の幅は小さいから人的資本投資と考えたほうが良い」とか「少子化前提で労働力不足の解決を考えるべき」とか話したんだけど、案の定使われなかった…。

社人研・福田節也室長共働き育児若者には負担に映る

共働き子供を育てていくとなると、夫婦間でさまざまなすり合わせが必要となる。若い世代にはそれも負担と映るのかもしれない。結婚出産あくま個人自由選択の結果であるべきだが、1人で生きるより結婚子供を持つ人生の方が楽しいと思えるような社会に変えていかないと子供は増えない。

若者価値観結婚子育てから離れていってしまうと、仕事子育ての両立策を充実させても子供を増やすことは難しくなるだろう。

https://www.sankei.com/article/20240216-DOVVM3M7GVGDRG6RGNOD6ZY6AE/

ゆかたんの想い出

ユカタン半島は「ゆかたん」の半島である

ゆかたん半島女王として君臨している。

今ではみんな知っている。

そのゆかたんは、わたし中学校同級生だった。

 

中学校の頃、ゆかたんクラスの中心にいた。

彼女は明るく、聡明な子だった。

どんな難しい問題も、ゆかたんの手にかかれば解決され、みんなが頼りにしていた。体育祭では、ゆかたんが指揮を取るとチームが一丸となり、どんな競技も楽勝だった。

そしてとても可愛かった。彼女が大雑把に結んだ髪を揺らして廊下を歩けば、誰もが振り向かずにはいられなかった。中学2年の頃には、その可愛さは美しさへと変化していた。

 

放課後わたしたちはよく一緒に遊んだ

ゆかたんは常にみんなの中心にいた。彼女がいるだけで、その場が楽しくなる。彼女カバンの中にお菓子をたくさん持ち歩いていて、何かあるとすぐにお菓子を人に与えた。

遅れてごめんね、この前は行けなくてごめんね、今度その人を紹介してね、遊びに行くのを楽しみにしているよ、彼女がそう言いながらお菓子を渡せば、すべての問題解決した。

 

そんなゆかたんが、ある日突然、浴衣姿で現れた。

浴衣を着たゆかたんは最強だった。

しっかりと結ばれた髪は、目元の強い意志と合わさり、ある種の風格を感じさせた。

浴衣姿のゆかたんは、まさに女王のものだった。

鮮やかな浴衣彼女の明るさをさらに引き立て、誰もが目を奪われた。みんなが「ゆかたん、きれいだね!」と褒めた。わたしはその時、少しだけ妬ましかった。少し遠くでその人の輪を見守った。

夏祭りの夜、ゆかたんと一緒に花火を見た。花火が夜空に咲くたびに、ゆかたん笑顔で「きれいだね」と言った。その笑顔を見ていると、わたしの妬みはどこかへ消えていった。ゆかたんは本当にみんなを幸せにする力を持っていたのだ。

 

中学校卒業してからわたしたちは別々の道を歩むことになった。ゆかたん地元高校に進学し、わたしは少し遠くの学校に通うことになった。連絡は取り合っていたが、次第に疎遠になっていった。わたし大学に進学し、忙しい毎日に追われるようになった。

わたし大学2年生の夏、ゆかたんから突然電話がかかってきた。一緒に海外旅行へ行かないかと、弾んだ声で聞かれた。その頃わたし仕送りも少なくて、バイトを掛け持ちしながら夏の集中講義にも出ているような状態で、ゆかたんの話がとても能天気ものに聞こえた。

からすぐに断った。ゆかたんは少し驚いたようだった。彼女の頼みを断ったのは、これが初めてだったかもしれない。「次はもっと楽しいことに誘うね」と言って、ゆかたん電話を切った。

彼女と話したのはこれが最後になった。

その1年くらいあと、ゆかたん海外留学したと別の友達から聞いた。海外行方不明なったとも。

 

にゆかたんを見たのは、テレビの国際ニュースでだった。

美しく成長した彼女は、羽織った浴衣をはためかせ、ユカタン半島旗を掲げて、革命最前線に立っていた。

なぜそうなったのかは知らない。ニュース呆然と見ていたが、次第に納得するような気持ちになっていった。

彼女は生まれながらの女王なのだ

旗揚げをした場所が、ユカタン半島だったというだけの話なのだ

 

彼女のことを思い出すと、最後電話のことを考える。あの時、もし断っていなかったら、わたし革命に加わっていただろうか。彼女の隣で、飴やなんかを貰いながら、彼女のために尽くし、命を賭けて戦う人生もあっただろうか。

考えてみるとそれも悪くない。彼女笑顔は全てを許し、わたしは全てを許されるのだ。

 

あの時はごめんね、ゆかたんわたし嫉妬心が少しでも君を傷つけていたなら、心から謝るよ。またいつか一緒に遊びたいね。あの夏祭りの夜のように、笑いながら。

冷めた男性にとってのディズニーランド

もういい歳なので、そら今まで数えるほどは行ったさ。ディズニーランドとシー。

彼女、そして家族と。

アトラクションパレードも、食べ物も一通り体験した。

ただ、本気で楽しいと思った事は一度もない。

でも一緒に行った女、子供たちは楽しそうにしていたな。本気で楽しんでいたな。行った前後も機嫌が良さそうだった。

たぶん一人では行かないし、友達とも行かない。

ディズニーを本気で楽しむような友達はいない。

ふと、思ったんだ。ディズニー自分にとっては女子供の機嫌を取るツールしかないんだな、と。

少し悲しくなるが、事実なんだ。

一度でいいから我を忘れるくらい楽しんでみたい。

というか、ディズニーじゃなくていいから誰かに俺の機嫌取りをしてほしい。

感情がないから機嫌を損ねることなどないけど。それが自分価値だと思っている。

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