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はてなキーワード: 文化部とは

2018-02-25

自分クズだと気付かずに生きてきた

中学ではどのテストもいつも一番だった。

運動部文化部を兼部し、どちらも県で優秀な成績を収めていた。秀才と呼ばれていた。

高校地元じゃ有名な進学校に入った。

その高校出身だと言うと、地元人間は目の色を変えた。優秀だと言われていた。

大学受験あたりから暗雲が立ち込めていたが、自分の目には全く映っていなかった。

大学受験はろくに勉強しなかったが、滑り止めの私立大学合格したので、そこに行くことに決めた。親は現役合格というだけで喜んでいた。

その時点で学歴勉強に対して価値を見いだせていなかったにも関わらず、自分が選んだ学部猛勉強必要なところだった。

大学生活は悪夢だった。というより、自分悪魔のようだった。

自分勉強しなかったために行くことになった私立大学ではプライドが満たされず、「こんな私立に推薦で来るやつ(笑)」と同級生を見下していた。

適当に決めた学部だったので、猛勉強必要なことを知って驚き、自分に合っていないと考えると楽になった。だが、退学する勇気はなかった。

進級するための最低限の勉強を続け、ギリギリながらも結局最終学年までたどり着いた。

そこまで来てしまうと、自分は最低限の努力物事をこなせる要領の良い人間なのだ勘違いするようになっていた。

周囲もいつの間にか自分を賛賞する人間ばかりになっていた。

その理由はただ一つ、自分の周囲に居たのは、口先に騙されてくれるような、善良で純粋無垢で心優しい、自分とは正反対人間たちばかりだったからだ。

そして、ついにいかづちが落ちた。

大学卒業できなかったのだ。

理由は単純、やる気がなかった。だが恐ろしいことに、それに全く気付くことができなかった。

自分勉強に集中できないのは何か重大な理由があるのだと考え、もっともらしい理由をつけ、周囲を納得させた。周囲が納得したので、自分は責務から解放されたような気分になった。

高卒プライドが許さなかったので、留年して卒業だけはすることにした。

プライドのためだけに将来を決めていることを隠そうと、常識ぶった物言いで親を説得した。親は納得し、自分学費のために病体に鞭打って働くと言った。

だが、相変わらず勉強へのやる気は皆無。勉学への情熱もなく、親の首を締めて学んでいる危機感もない。あるのは義務感、老いへの焦り、価値のない時間から早く過ぎればいいのに、という意識のみ。

できることなら好きなことだけして、好きなことで食っていきたい。でもも結構な歳だし、真剣勝負は怖い。人生を棒に振るかもしれない。

清々しいほどのクズだ。つい最近まで全く気が付かなかった。

自分は優秀で、才能があり、与えられたものに甘えず、目標をしっかり持ち、現実的物事を考え、自己実現に向けて努力し、自分の芯を持っている。

そう信じて疑わずに今まで生きてきた。なんてひどい人生なのだろう。

当たり前のようにクズを見下して生きてきた。

クズクズなりにクズらしく、クズを貫いて生きているというのに、自分の有様はなんだ。

クズにもなりきれず、優秀な仮面をつけるのも息苦しく、好きなことに情熱を注ぐ勇気もない、クソの中のクソが産んだクソみたいな人間じゃないか

最初から自分についてなにもかも諦めていたらよかったのだ。最初からクソらしく生きていたら、ここまで悲惨なことにはならなかった。

だが、今やるべきことは嘆くことではなく、これ以上更なる悲劇を産まないことだ。

いか、よく聞け、お前のようなクソがすべきことは、今からでも遅くない、自分についてなにもかも諦めることだ。

自分がクソであることを受け入れることだ。クソはクソらしくとっとと濁流に流されることだ。

自分についてクソと書くことで悲しくなっているようじゃ、お前はまだ自分のことを人間だと思い込んでいる。

泣くなクソ。これは罵倒じゃない。事実を書いているだけなんだ。お前は人間じゃないんだ。何らかの手違いで産み出されたクソなんだ。

本当はお前以外の人間らしい人間が産まれてくるはずだった。お前は間違って人間として産まれしまたから、クソなりに人間の真似をして生きてきただけだ。

人間モノマネばかり上手くなっても、お前はクソだから人間にはなれない。お前はかわいそうなやつだ。必死人間になろうとしてきた。

提示された課題をこなし、期待に応え、善良で、常識的で、聡明で、才能ある人間に憧れ、そんな人間モノマネに尽力してきた。お前はクソだが、人間の真似はクソ一倍上手い。それだけは認めてやろう。

楽になることをちょっと教えてやるから泣くなクソ。クソであることを認めれば、お前はクソだから、誰かを幸せにする必要はない。一般的幸せ迎合する必要もない。誰かを無理に愛そうとしなくてもいい。なんにも頑張らずにのたれ死んでもいい。誰とも喋らなくていい。ずっと一人で居てもいい。スマホも捨てていい。お前はもう人間らしく生きるために生きなくても良くなる。

でもお前が本当に人間になりたいと思ってたのは知ってる。だからクソだと認めたくないって渋ってることは分かってる。だからこそ、これ以上ひどいクソにならないために、クソだと認めなきゃならないんだ。これ以上信念もクソもないクソにならないために。クソなりに恩を感じてる人間たちをこれ以上失望させないために。騙さないために。

から泣くなクソ。お前が申し訳ないと思っている大切な人間たちが愛しているのは、お前が演じていた人間であって、クソじゃない。お前は不幸にも優秀な人間モノマネが上手すぎたことによって、クソのままで愛される術を失った。これからちゃんとクソとして生きていくんだ。そうしたら、数は少ないけど、スカトロ好きなやつが褒めてくれる時が来るかもしれない。お前はクソだ。人間のふりをしなくていいんだ。

クソであることを認めれば、お前がクソである事実に変わりはないが、お前が過ごすクソ生はクソじゃなくなるかもしれない。いいな、クソ。

2018-02-23

部活動強制擁護する

クラス内のいじめおよびその予防に一番効果があるのはクラス外のコミュニティに参加することである

部活に参加することで、担任以外に顧問というもう一人の教師の目を持てる。先輩との知己も得られる

・大抵のいじめられるタイプの生徒は部活自由参加制だと部活動に入らない

・部内でいじめられることはあるが逃げる回路はきっとある。大抵の部活強制校には逃げ道となってる文化部があるはずだから探そう。

2018-02-20

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20180220/k10011335681000.html

何故はてなーの多くは文化部という発想がないんだろうか

(いや突っ込んでるブコメも沢山あるけど)

文化部だと割と遊んでるだけって所も多いか

漫研の友人とかは普段漫画読むか同人やってるだけで年一の文化祭オリジナル漫画出すだけが活動だったなあ)

そういう部の子が、これからは外部で専門講師雇ってガチでやります、とか言われても困ると思うんだけど

2018-01-16

私小説 不登校

私は中一の途中から不登校になった。

元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉スムーズに出すことができなくなっていった。

そして中学入学環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。

そして決定打となったのは合唱コンクール「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り自分学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。

会話からまり日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テスト期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。

不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点基準数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任もっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。

この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三一学期、今まで体験たことのなかった画材出会った。油絵である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。

その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しか問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度発見した。内申点度外視し、受験時の学力テストと実技、面接入学選抜を行うという制度だ。その制度担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラス過去不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。

何はともあれ、私はその制度活用し無事志望校合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。

そしてやってくる大学受験もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。

時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係高校大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代自分メタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験合格した。

卒業制作バイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。

2017-12-17

運動部文化部

中学まで運動部高校では文化部に入っていた男です。

現在大学の2回生なのですが、大学に入ってから文化部出身者の扱いがひどすぎます

高校時代部活全国大会まで行っているのでそれが誇りでしたし、学校内で文化部運動部区別をつけるような人もいなかったので何とも思わなかったのですが、大学に入ってから自分出身部活をいうと必ず顔をしかめられます

「あっ、そうなんだ...」みたいな感じですかね。ちょっとした引きが入ってる。うすら笑いされることもあります全国大会まで行ったのにゴミ以下の扱いをされるのは非常に違和感がありますまさか大学に入ってから高校部活のことで思い悩むとは。

もう自分高校生活は終わったので今から高校時代の経歴をいじったりすることはできませんが、そもそも高校の3年間は一点の闇もなく楽しかったので、自分自身では経歴を恥とは思っていませんでした。全県大会で優勝し全国大会でも入賞しているので何を言われても堂々としていればいいのですが、人に経歴を笑われるのは流石に動揺します。こういう扱いを受けるのがわかっていたなら高校入学した時に文化部に入るかどうかの参考にしたと思うのですが(中学までは運動部でした)、当時は幼くて世間知らずだったのであまり考えていませんでした。親とか周りの大人にも高校時代があったはずなので「将来困るよ」って一言くらいは忠告して欲しかった...。

大学では高校部活延長戦上の活動をしているのと、中学時代にやっていたスポーツを再び始めました。

これから高校に入る人がいれば、中学までスポーツをしていたなら高校までは続けたほうがいいです。高校文化部は潰しが利かない(大学スポーツ写真とかボランティアなどの文化的活動に転じる人はいますが逆は人の視線的にかなり厳しい)のと、文化部はどうしてもスポーツできない人が入る部活というイメージがあり、どちらも努力しているのは変わりませんが、厳しい練習に耐えたり自主的トレーニングしたりなど、目に見える結果を非常に重視する社会が求める人間像にあまり合致しない部分があるので、できるなら避けたほうがいいというのが2年間批判に晒された自分個人的意見男と女でもまた扱いが違うと思うのですが、男は特にではないでしょうか。こればかりは高校時代文化部で実績を積んだからどうだという話ではないです。大学最初の2年間で批判を跳ね返す元気を失ってしまいました。

文化部出身の皆さんも少なから経験があることだと思うのですが、どのようにして対処していますか。

2017-11-14

anond:20171114121313

いい印象じゃなくて、ハードルに対する低さかな

めんどかったけど日常的に面倒見た経験があって慣れてる、ってのと

一番下の生まれで小さい子相手たこと一切したことないです、ってのじゃ

子供持つハードル全然ちがうと思う。知らない=怖いでもあるしね。

同じ10kmマラソンやれ!って言われた人でも、

面倒見たこと有る人は多分陸上やってるようなもんで、

下の生まれの人は帰宅部文化部だった、みたいな?

 

・・・アードラーだっけ?結婚相手自分相手兄弟姉妹の上か下かで相性がいい悪いがあるって言ってたの

結婚相手でも子供でも、友人や後輩相手でもそういう面もあるしね

2017-10-16

美人で透明感のある美乳で華奢なボブが似合う声が可愛くて文化部系の気が利くけどおっとりして天然で人見知りだけどちょっと変態カメラ料理趣味のお姉さん的な彼女がほしい

休みの日は彼女手料理食べて、カメラ持って散歩して、彼女かわいい顔ばかり撮影して、「また私の事撮ってるの」とか言われてふざけあって、お家に帰ったら、まったりいちゃいちゃして、そのうち彼女物欲しそうに変態プレイだってくるので、そのままヤっちゃう

って妄想をして、自分キモすぎて我に返ったアラサー童貞であった

2017-09-24

男で運動部所属したことがないのって異端なの

よく、「運動してそう」って言われるけど、文化部出身だって言うと

なんか「あっ、ふーん」って扱いなんだけど

そんなに引く?

ちなみに、写真部美術部、写真サークル所属してました

なぜなら、運動神経と体力がないからです(怒り)

2017-09-23

あさひなぐ』のモデルとなったのは私の母校の薙刀

■この記事テーマ:私の母校の薙刀部が漫画モデルになった事実を基に、運動部漫画現実運動部の違い、運動部光と影についてを書いた。

(文化部にも言えることとは思う)

その1:部員飲酒

その2:部活活動時間・日数(あくまでも一般論として親のサポート部活熱心な顧問実態についても書いた)

■書いた目的:小中高校生とその保護者に「部活選びは将来の進路のことも見据えて慎重に考えて欲しい」と伝えるため

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今年2017年舞台化、映画化された漫画あさひなぐ』の薙刀部のモデルとなったのは私の出身高校薙刀部だ。

私は『あさひなぐ』を読んでない(観てない)けど、ネットであらすじを読む限りは爽やかで熱い運動部漫画という印象を受けた。

野球にせよサッカーにせよ何にせよ運動部漫画は、運動部きれいな部分しか見せない。

飲酒について

時々ニュースになる先輩から後輩への暴力指導者から生徒への暴力(いわゆる体罰)、生徒の飲酒喫煙などはまず扱われない。

母校の薙刀部も例外ではない。

私は薙刀部ではなかったけど薙刀部員の知り合いはいた。

ちなみに私が通っていたのは2000年代である

先輩後輩間の暴力顧問OG体罰というのは聞いたことはないが、薙刀所属の生徒複数人高校生(未成年)のうちに飲酒していた(喫煙は聞いたことがないし見たこともないが)。

私が知っているのは学校行事打ち上げ(夕食会)のことであり部活関係飲酒があったかは知らない。

しかし時・所が部活とは関係なくても未成年飲酒犯罪だ(軽犯罪だが)。

私も含めて先生にちくる人が誰もいなかったか彼女達は退学や停学にもならないどころか部活引退まで続けていられた。

彼女達が飲酒していた証拠はない。少なくとも私は持っていない。

私は母校の薙刀部もしくは母校全般を貶めるためにこれを書いたのでは全くない。同様に『あさひなぐ』という作品とその関係者を貶める意図も全くない。

部活を頑張っている高校生(未成年)が裏で飲酒喫煙いじめや後輩への暴行をしているというのは、特定学校特定部活に限った話ではない」ということを言いたかたから書いたのだ。

部活活動時間活動日数について

部活活動時間の長さ、活動日数の多さについても、部活漫画で触れられることはほとんどないと思われる。

(ちゃんと調べたことはないが)

多くの教師Twitterなどで発言したり、マスコミ報道するようになって段々有名にはなってきたけど、今の部活活動時間はとにかく長いし、活動日数も多い。

私の在学中の薙刀部も例外ではなかった。

薙刀部はとにかくたくさん練習しているみたいだった。

平日4日~5日は普通に活動していたと思う。

土日も練習試合があったと思う。

土日のどちらか1日は休みだったのか、土日両日が部活だったのかまでは知らない。

夏休み冬休み春休み普通に部活があったと思う。

さすがにお盆正月休みはあったと思うけど。

先生にも親戚付き合いはあるだろうし。

正直なところ、大学進学を目指すならこういう部活勉強を両立させるのはすごく大変だ。

両立して、学年トップクラスの成績を維持するような生徒もいたが稀な存在だった。

薙刀部の部員ではなかったけど、同じぐらい忙しい部活に入っていて、勉強試験1週間前から慌てて始める生徒達も高校にいた。

そういう生徒はさほど珍しい存在ではなかった。

あさひなぐ』に限らず部活を扱った漫画等の影響でその部活をやりたがる小中高校生は多いだろう。

それ自体は悪いことではないけど、自分卒業後(または将来)どうしたいのか(具体的に言うとどんな職業に就きたいか高校受験大学受験場合はどんな学校に行きたいか)きちんと考えて、親ともよく相談して入部するか否かを決めて欲しい。

部活って、一度入ると辞めたくなっても辞めづらいので。

そうして悩んでいる間に勉強が疎かになって行きたい高校大学に受かりにくくなってしまったら、時間無駄なんじゃないかなと思う。

AO入試またはスポーツ推薦入学という手段もあるので、卒業さえすれば勉強できなくてもいいかもしれない(極論だが)。

私は今の入試のことは何も知らないので、入試のことも含めて親と相談してから入部を決めて欲しい。

■親のサポートについて

話は逸れるが親(ほとんどの場合母親)も子ども運動部に入ると、朝練や土日の練習に間に合うようにお弁当作ったり、ユニフォーム洗濯したり、部費を支払ったり、大会の送迎・応援に行ったりと、子ども部活関係仕事が増える。

(文化部でも吹奏楽部合唱部みたいな忙しい部活だと同上)

そういう意味でも生徒の皆さんは忙しい部活に入る場合は必ず親(ほとんどの場合母親)に相談して理解を得てから入部して欲しい。

母親が外で働いていようが専業主婦だろうが、母親にも母親人生がある。

大抵の親は子どものやりたい事をサポートしてくれるものだが、だからといって甘えないように(既に理解していたらお小言すみません)。

親にとって部活関係仕事が大きな負担で、やりたくてもできないケースもあるのだから

部活顧問について

どこの部活顧問かは書かないけど、部活教師という職業やりがいになっているかのような顧問は何人かいた。

そういう先生方は生徒・学生時代からその部活をしていて、部活顧問になりたくて教師になった様子だった。

うち2人は体育教師

母校に限らず、体育教師には部活顧問になりたくて教師になった(体育大学に入った)人が全国的に多いんじゃないかと思う。

近年ネットでもそういう体育教師がいるって話を読んだことがある。

いや、体育以外の教師にも特定部活顧問になりたくて教師になった方もいるようだが。

しかし、国語数学英語なら入試に関わるから生徒や保護者から分かりやすい授業や学力向上や進学実績を求められるけど、体育は違う。

体育大学の志望者以外には、受験指導も進学実績も関係ない。

母校で体育大学の志望者は珍しかった。

小学校ならまだしも、高校ともなれば生徒本人も運動ができない事を改善しようとしなくなるし(少なくとも私の目にはそう見えた)、保護者もそういう要望体育教師にはしない。

部活以外の生徒及び保護者からあれこれ言われないから、部活顧問に力を入れるなら教科は体育(もしくは音感技術家庭など実技全般)が適任なんだろう。

薙刀部以外にも薙刀部並に活動日数が多い部活は何個かあった。

母校以外の高校中学でもそういう部活は何個かあるだろう。

そういう部活顧問は、部活生き甲斐にするタイプであることが多いだろう。

(部活にあまり興味ないけど保護者や生徒の要望活動日数を増やしているケースもあるだろうが)

先生にとって部活生き甲斐なら土日や夏休み練習でも平気、それどころか嬉しいのだろうけど

活動日数や長時間練習負担になり苦悩する生徒もいるし、子ども部活サポートするのを負担に思う親もいる。

そういう生徒や保護者は珍しくはない。

私は『あさひなぐ』のモデルとなった薙刀部を(部員ではなかったが、同じ学校に在学して)知っている。

からこそ漫画で描かれる運動部と、現実運動部の違いを(運動部光と影と言ってもいいが)、小中高校生に知って欲しい。

母校の薙刀部に限らず、運動部文化部を問わず部活に入る前は活動日数や時間の長さ、先輩達が飲酒喫煙暴力に手を染めていないか先生パワハラ(体罰含む)を可能な限り調べて欲しい(生徒だけでなく保護者も)。

入部する前に親子でよく話し合って欲しい。

個人的には部活をする学校生活は良い物だと思うし、本人にやる気があって部活に打ち込む中高生を悪くは思わない。

しか卒業後の人生の方が長い。

部活勉強が疎かになり受験就職試験に落ちたら、その人にとって部活弊害だったと言わざるを得ない。

すぐには答えが出ないことだが、中高生のうちに「自分は将来何になりたいのか、どんな人生を送りたいのか」をよく考えて欲しい。

将来の目標卒業後の進路に、特定部活必要なのかよく考えて、親ともよく相談して欲しい。

部活でやった事を将来の仕事(スポーツ選手演奏家など)にできる人は少ない。

それでも部活をやる意味はあると個人的には思う。

しかし、部活をやることで勉強が疎かになったり、健康を損ねること(多すぎる練習飲酒喫煙などで)になるんだったら、その部活には入らない(続けない)方がいいと個人的には思う。

繰り返しになるが、私は母校の薙刀部もしくは母校全\般を貶めるためにこれを書いたのでは全くない。同様に『あさひなぐ』という作品とその関係者を貶める意図も全くない。

多くの漫画では描かれることがない「部活実態」を伝えることで、小中高校生とその保護者に後悔のない選択をして欲しいと思い書いた。

(『忙しい部活に入るな』って意味ではありません。プロ野球選手になりたい少年には野球部必要であるように、部活子どもの将来に必要なら是非入部して欲しいと個人的には思っています)

なお、母校の名前は書かないでおく。

今の薙刀部のことは全く知らないし、現役の生徒達がかわいそうなので。

都立校、とだけは明かしておく。

学校公式サイト薙刀部のページにも『あさひなぐ』の薙刀部のモデルはウチだという主旨のことが書かれているし、検索すればすぐに分かりますよ。

2017-09-16

昨今のブラック部活動批判に思うこと

現在部活動教員正規業務ではないということが世間に知れ、ボランティアでやっているということが問題になっている

私自身の話、昔20代から30代まで私立サッカー部顧問をやっていた。校庭が野球部軟式テニス部に使われてしまっていたため、学校の外の空き地部活動をやっていた。そのため遅くとも16:30にその場所につけるように仕事区切りをつけていた。

また、どんなに仕事があるときでも(たとえどんなに重要会議中でも)18:15に生徒を帰宅させ施設の門の施錠をするという最優先事項が会ったので、なにがあってもその時間にはそこにいっていた。

ただ現在サッカー部顧問を外れ囲碁部の顧問になってからは、それらの練習指導、施錠がただ単になくなったので特に仕事がないときは以前通り16:20には帰ってしまっている

文化部毎日あるわけではなく週に二度ほどでしか顧問はどの部にも二人いるので週一回17:45に部室の鍵を締めに行くだけ

勿論土日にやるのは文化祭の前一回だけ

とにかく週に3回ははやく帰るので、囲碁顧問になってから結婚した妻には「学校教員ってなんて楽なのかしら」と思われているようだ

サッカー部10年やったが囲碁部はすでに12年やっている

うちの学校では部活動顧問は一度なってしまえば自分からやめたいという以外、やめさせられることは基本ない、何しろボランティアから

部活動顧問をやっているとこういういいこともあるにはある

2017-08-12

部活問題ピンチをチャンスに変えて

部活顧問っていう職業作ればいいんじゃないか?

ただこれはフルタイムでできないか

 

スポーツトレーナー兼業業務運動部

大学講師などの兼業業務文化部

シルバー人材

 

あたりになっちゃいそうだけど

教師もやっていいけど制限をつける

 

まあ結局予算問題なっちゃうから実現は難しそうだけど

会社に例えたら「足りないなら人員増やせ」ってのがまず正論としてくると思うんだよね

 

元々やりがいがあるならそれなりに安くても人集まるんじゃないか

教師の体力と時間をそこで奪うよりはマシなはずだ

2017-08-11

https://anond.hatelabo.jp/20170811120122

バドだったんだけど、場所体育館だし(冷房はないから夏は暑いのは変わらんけど外よりはマシ)

試合の時も持つのラケットと羽だけ

そもそも試合に出られなかったけど

場所が狭くて同時に全員練習できなかったから、試合出られそうにない下手糞たちが

お喋りしてだべってるだけで練習できない事に不満も言わない、ってのは

やる気ある子にとっても都合が良かったんだと思う

あとシングルスダブルスしかない、個人競技に近い分

下手糞でやる気がない奴がいても上手い子には迷惑がかからない、ってのもある

部活やる気ないけど強制的に入らされる、という子はそういうのを選べば良さそう

文化部って手もあるけど文化部ほとんどない学校だったんだよねー

2017-08-07

[]河合克敏とめはねっ!」再読

2回め。

こころ本棚入りだなこれも

じーんとくるおもしろ

キャラがたってるしストーリーもそれなりにある

おびぎゅ、モンキーターンよりもこっちが好きだな

おびぎゅモンキーターンキャラ単体なら好きのレベルは上だったりするけどトータルだとこっちって感じ

百合としてもそうじゃなくても面白い

いろいろ想像が広がる

文化部ってこういうもんなんだよなあと改めて思った

大学音楽系のサークル入ったけど毎日同じ曲の同じ場所ばっか練習するのに飽きてやめちゃったんだよな

書道も同じ文字ばっか書くのは自分だと飽きちゃいそうだなあ

キャラみんなかわいいよ

これでこころ本棚は、

千と万

子供はわかってあげない

とめはねっ!

の3つになったわけか

しか子供はわかってあげないタイトル意味不明だと思ってたけど元ネタあったんだな

大人は判ってくれない』(おとなはわかってくれない、Les Quatre Cents Coups)は、1959年フランス映画

っての。

これへのアンサー的なタイトルだったのか

今更発見してしまった

2017-08-01

最小限の労力で手にした日々は、無味乾燥だった

今、仕事が終わって、雨上がりの駅のホームで帰りの電車を待っている

死んだ目をして、無表情で

私の現状は、安定した仕事もあるし、月一で出かける友人もいるので、傍から見ればまあ、悪くないだろう

ここまで来るのには、最小限の努力で来たように思う

いや、努力なんておこがましい

自分は、努力するのがとてつもなくかったるく思えて、目の前に選択肢が現れたときは、常に最小限の労力で済むものばかり選んできた

進学は、受験勉強したくないからと、自分学力を見て、余裕を持って受かる学校を選んだ

推薦は?と聞かれるけど、面接対策がかったるいからやめた

就職も、特にしたい仕事とかなかったので、大量に採用してくれるところばかりにエントリーして、大学4年のゴールデンウィーク前には内定貰った

あとは惰性でバイトして、最後学生生活を消費した

思えば、学生生活自体も、特に何もしなかった

自分学力に対して、偏差の低い学校に進学したので、試験特に何もしなくても上位をとれた

けれども、一番になる努力絶対したくなかった

かったるいか

部活も、運動部入って体力を消費する意味がわからなかったので、適当文化部所属した

適当文化部で、適当制作して、適当大会に出て、適当な賞を貰った

なんにも嬉しくなかった

交友関係も、自分には、人付き合い自体がかったるいものだったので、自分から特に何もせず、勝手に近寄ってくる人と会話して、適当遊んだ

なんにも楽しくなかった

人間関係がこんなんだから恋愛とかなんてしたことないし、駆け引き自体も面倒そうで、多分これからもしないと思う

人の気持ち考えるとか、かったるい

ようは、すべてのことに対して、こうしたいという目標目的もなく、ただ単に惰性で進んできた

こうして惰性で流れ着いた日々は、特に失敗も成功もなく、無味乾燥で無表情なものだった

仕事は大した残業もないし、内容も思考停止でこなせるものなので、勝手時間が過ぎて、勝手に一日が終わって、それが一ヶ月続けば、勝手給与が振り込まれ

そのお金の中から生活費捻出して、両親に仕送りして、余ったお金趣味にでも回そうか

でも、趣味開拓する努力もかったるいので、特に熱中するものもない

でも、買い物は好き

何もせずとも、金を払えは、要求したものが手に入るから

ああ、仕事での成功も、交友関係も、恋愛も、コンビニで買えるようなものだったらなって思う

それらには、興味がないわけでないが、それに対する努力をしようとすると、急に馬鹿馬鹿しくなるんで

この、クソみたいな読みづらい文章も、校正する努力もしたくないんだ

から、このまま投下するね

失敗は、したくないんだ

一度でいいから、満足できる成功体験がしたい

けど、リスクは負いたくない

努力なんてもってのほか

2017-07-17

田舎在住高卒未来はない

結論から言えば全部自分が悪いのだ

都会の大学を辞めて地元に戻ってきた自分が悪い

それはわかる 正直死にたくて仕方がない

死ねば楽だ もう何も考えなくて済むだろうし

死にたくても死ねないのだから悩んでいる

私は田舎のこの地元で働きたくない

から都会へ就活をする

都会への就活はとにかく金がかかる

今のところ金を払ってくれた企業は1社だけ

それも1000円と言うほんのお気持ち程度のもの

田舎に住んでる奴はお呼びではないんだろうな

同じ高卒でも田舎高卒はいらんだろうな

からと言ってこの田舎に住みたくはない

死んだ父親の代わりに祖父母や母、親戚の面倒を任せられる未来しか見えない

都会の者は金があって就活も楽で羨ましいを通り越して妬ましい 死ね

大学通信でもいいから通って卒業しておくべきだった

いや金がないから無理だ

家族で生きていくのに精いっぱい

借金もある

私が小学生の時に見た未来と言うものはこんなにも絶望的なものだったのだろうか

働きたくても働けない

必要とされていないのだ

何のために生きてるのかわからなくなる

未来を見ているうちに死んだ方が幸せだったのかと考えてしま

とにかく金が必要

バイトをはじめた 時給750円コンビニバイト

10時間働いても夜行バス代片道分にしかならない これが田舎バイト現実

新幹線には乗れない

時給が100円高い所のバイトには落ちた

コミュニケーション能力顔面偏差値か知能レベルかどれかが欠如してるからだろう

本当は全て欠如してるのだろうな どれかが欠如してほしいと言うのは自分の願いだ

どれか一つでも持っていれば多少慰めにはなる…多分

金が欲しいか就職するのに就職するためには金が必要なのだ

ギャンブルに近い これはギャンブル

バイト代を賭け金に内定を勝ち取る

田舎在住高卒が都会へ就活するのはギャンブル

もう20万近くは無駄にしただろう

高校私立すべり止め公立本命みたいな風潮のある田舎に生まれた時点で失敗だった

お前なんて中学の時に下手で好きでもないくせに運動部なんて入らず非体育会系文化部に入って適当にやり過ごして

塾にでも通ってた方が懸命だったのだ

運動勉強もどっちもダメなら少なくとも片方だけはダメじゃないようにするべきだった

どっちもダメなままだお前は失敗だよ どうしようもない

何事も自己肯定できるような奴は大体どっちかが出来てる

自己肯定してるから

自己否定し化してないお前は本当にダメなやつだ早く死ね

どうせ死なないだろうな 俺はおまえだから知ってるよ

お前が一番好きなのは自分自身だってことも

疲れたな言いたいことをこうして長文を書いたらそれなりにスッキリしたよ

頭が悪いからこうして適度に発散しないと

明日図書館勉強

料理の方も練習しないと

寝たら朝までに死んでますように おやすみなさい

2017-07-05

部活動

私は1年の途中より合唱部に入部しており、夏にあるコンクールに向け体調を崩さない限り休まず毎日練習に参加していた。

入部当時の印象と今の部活動の状況

入部当時は文化部という事もあり三年生の時にゆっくりと出来るのではと考え入部したのに、入ってみれば夏の大会前は一日休みで過ごせる日などまずなく、土日は半日以上練習がある。休みテストの影響による休みの日と学校のある日に月一あるぐらいしか休めない。

(私の学校では吹奏楽部もほぼ同様の練習状況であるが、上記2つの文化部に比べ美術部は写生大会がない限り基本土日は休み、平日でも早く終わることが多い。)

大会があるとはいえ冬は休みがあるが、夏はとんでもなくきつい。

おまけに三年生は受験私立オープンスクールもあるというのに何だかんだで11月までほぼ毎週の土日どちらかにある地域イベントに出る必要があるため、大会後も週2で部活動に行かなくてはならない。

しかも、部内の問題も多い。

実際、いつも来る部員はほぼ固定されてしまっている状態であり、幽霊部員が多い。

(連絡なく勝手に休む人がいたり、部内で密かに差別されている人(反応から見るに恐らく私なのだろう)がいたり言われてもいない悪口を言われたとして他の部員冤罪を吹っ掛けて休もうとする人がいる等…これに関しては別件で言った方がいいのだろうか)

もう、こんな環境の悪すぎる部活動はこりごりだ、続けたくないと思いながらどうにか8月の二回目のコンクールまではせめて残れる様にと無理に辛い日々を送っている。けれど忙しく、精神的にもきつく、まず復習やら予習やら満足に出来ない。しか先生達はそう簡単部活動をやめさせてくれやしない(いつも来る部員の人数が、大会の最低参加人数ぎりぎりのボーダーラインであるためということもあるのだろう)。

こんな状況で私は、やはり部活動を続けたくないと思う。最近あった、とある中学生家出の様なことをしてでも本当なら部活動を退部をしたいと思う。国だけでなく、各地都道府県市町村教育委員でも部活動の扱いに関係する明確なルールを決め、この様な状態改善されてほしいと、私は密かに望んでいる。

2017-05-30

避難訓練パンツ

机の下に隠れた。

斜め隣の席の子文化部で見せパンを履いていなかったので、パンツが見えてしまった。いや、見た。

グレーだった。

2017-05-05

痩せたので軌跡をメモしておきたい

ダイエットを始めてからダイエットした記録をずっと書き残したいな〜と思っていたので、まだダイエットの途中なんだけど書いておこうと思う。

もしリバウンドした時の備忘録用。あと、単純に他人ダイエット記事を読むのが好きなので、自分も書きたいなって思ったのもある。

ちなみに最初に書いておくけど、今回のダイエットでは1年弱で20kg弱くらい痩せました。75kgくらいから55kgまで減らしました。まだデブだよね言いたいことは分かる。でもBMIが22を切ったからとにかく書きたかったんだ… 多めに見て欲しい…

⚫︎自分環境(フェイク込み)

身長160cm

20代後半女

実家暮らし会社員(事務)

オタク(インドア派)

家族全員標準より太め

炭水化物大好き

運動は嫌い(学生時代文化部)

・寝るの大好き(12時間くらい余裕で寝る)

⚫︎体重の変遷

平均以下の体重になったことは一度もない。今回のダイエットより前に痩せようと思ったこともない。

中学 60kg→72kg

高校 72kg→62kg(ダイエット意識せず勝手に痩せた)

大学 62kg→78kg(人生で一番太ってた。たぶん78kg以上あった時もあると思う。測ってなかったので分からないけど)

社会人 68kg〜75kgくらいをうろうろ

今回のダイエット 1年弱で74kgくらい→55kg

こんな感じ。今が人生で一番痩せてる。

⚫︎なぜ痩せようと思ったか

単純に75kgという数字を見てこれはやばいぞ〜と思ってなんとなくダイエット開始。

2kgくらい減らしたある日、満員電車に乗ってて隣の人のスマホが見えてしまったのだけど(すまんな)「隣の黄色い服着たデブ暑い」って書いてあって、アッ明らかにわたしのことですね(黄色カーディガン着てた)……… ってなってふつうにショックを受けて本格的にダイエットしようという気持ちになったため。単純。

人生で何度か痩せろと遠回しに言われてはきてたんだけどやっぱりね、知らない人に言われると堪えますよね。そういう感じ。

⚫︎痩せるためにやってたこと

これは効いた順に書く。

・食べる量を減らす

やっぱり単純だけどいっちばん効く。食べる量を減らすといっても、元が食いすぎなのでそんなに減ってない。一般の人くらいにしただけ。

食いすぎってどれだけ食ってたんだよって思われるかもしれないけど、たとえば大学生の時は

コンビニおにぎり2個買って食う→学食で800kcalくらいの丼を食う→帰りにおにぎり2個買って食う→家でふつう夜ご飯食べる

とか普通にしていた… 動きもしないのにこれだけ食ってたらそりゃ太るわって感じ。あと、菓子パンとか冷食のパスタとかをおやつで食う(!?)家庭だったので家でも何かしら食べてた。でもそれが家では普通だったので 食いすぎかな… と漠然とは思ってたけど危機感に繋がってなかった。

こういう食生活を、

・米の量を減らす(元の半分〜1/3くらい。元はデカめのお茶碗にみっちり盛ってた)

・間食に菓子パンとか食わない

・米の量に合わせておかずの量も減らす(そんなにストイックには減らしてないけど、前よりは減ったかなって感じ…)

などを気をつけるようにしただけ。あとは別にふつうに3食食べるし、おやつも食べる。朝多めで夜少なめとかそういうのも全く考えてない。夜もめっちゃ食べる。麺も肉もケーキも好きなものはなんでも食べる。ダイエット食品を食べたりとかはしない。

ただ、摂取カロリーにはわりと気を遣った。それは次の項目で詳しく。

・食べたものを記録する

これもやっぱり大事だと思う。1日に何をどれくらい食べてるのか確認はするべき。

今回のダイエットでは、1日だいたい1200kcalくらいを目指してたけど、ふつうおやつとか食べてたので多い日は1400〜1500kcalくらいになってたと思う(意志が弱い)。でもそれでも元の体重から見ると痩せるには十分かなって感じ。あんまり食べなさすぎて一気に無理に減らしても身体に良くないから、食べ過ぎず食べなさ過ぎずが良いとは思う(難しいけど)。

やっぱりダイエット前に食べてた量が多いので、最初のうちは食べる量減らすとほんとつらい。つらいけど2週間くらいで慣れるのでそれまでが勝負かなって感じはある。これはほんと気合いで乗り切るしかない。

家でご飯食べるとカロリー表示とかあるわけじゃないので自分がどれくらいカロリー摂取してんのか分からないけども、まあネットで調べたりして計算を厳密に行わないまでもこれくらいは食べたかな〜っていうのを意識するのが大事な気がする。

これは体重管理アプリ毎日体重計りつつ食べたものメモする形にしてる。食べ過ぎの日とかもすぐ分かる。食べる量を減らすならやっぱりどれくらい減らしたか知るためにメモした方がいいと思います。1日5分もかからないしね。

運動をする

これはね、やっぱり効く気がするんだけどわたし運動が嫌いなので続かなかった。

一応ダイエット始めた頃は、水泳に通っていた。運動は嫌いだけど水泳だけはまあ嫌いってほどでもなかったため、続けられるかなって思って。でも3ヶ月くらいでやめてしまった(冬になって寒くなった為…)。

でも、水泳食事制限を並行してた時と、食事制限のみの時を比べても、体重の減りは同じくらいなんだよね。記録を見るに運動した分食べてしまっていたような気がする。あんまり意味がない。

ただ、綺麗に身体を作るには、やっぱり運動した方がいいと思うので、できる人はやった方が絶対にいい気がする。わたしには無理でした。でもまた時間作って運動したいな… 今度は走ったりしたい…

今はしないよりマシだと思って1日1時間弱くらい歩ける時は歩いてます。ほんとただ4kg弱くらい歩くだけ。ほんとしないよりは… って感じだけどまあ歩くくらいなら続けられそうなのでこれは今の所続けるつもり。痩せるのにはそんなに効いてなさそうだけど歩かないよりは健康に良さそうかなって感じ。

・柔軟体操筋トレ

痩せない。というかこれだけではまあ普通に考えて痩せないよね。ダイエットから2年くらい継続してやってたけど、全然体重には反映されませんでした。でも健康の維持って意味ではやってた方がいい気はする。

柔軟はネットで調べて出てきたやつを適当に。筋トレは腹筋とか腕立てとかスクワットとか… でも最近はできてないです。寝る前にやるんだけど寝る時間を確保した過ぎて…。本当はそろそろ再開したい。健康的な意味で。

サウナ

水分が減るだけで痩せないよね!? って感じだけどダイエット始める前に 痩せたらいいな〜くらいの気持ちで通ってたことがある。そりゃ痩せない。でも汗かくようになるので新陳代謝を高めると言う意味はいいかもしれない。健康的な意味で。

だいたいこんなもん。 だから今やってるのはほんと食事制限(とも言えない。世の中の人とおなじくらい食ってる。というか世の中の女子ものを食べなさすぎだよねと思ってるよ。閑話休題)と食べたものの記録くらいかな。

でも結局ダイエットって、やめちゃったらすぐ元の体重に戻っちゃうんだからずっと継続できる内容が望ましいんだと思う。だからやっぱり無理のない内容でゆっくり痩せるべきなんだろうね。なので今の内容を変えたり追加したりするつもりはあんまりないです。

運動は再開できたら再開したい。

⚫︎痩せて嬉しいこと・悲しいこと

痩せたら服のサイズLLからMになったので服がありません(哀) ついでに靴のサイズもL〜LLだったのがS〜Mになってしまったので靴もない。痩せるってすごいね

あと、運動してなかったり食べるものに偏りがあるせいで、綺麗には痩せてないです。顔〜上半身は痩せたけど腹・尻・脚はあんまり痩せてない。脚とかほんと太い… 今後なんとかしていきたい…

綺麗に痩せるにはもっとちゃんと考えて痩せた方がいい気がする。今は目に見えて痩せはしたけど、体型が汚いか絶対脱げない… って感じ。今後の課題

でも単純に痩せたね! かわいくなったね!とか言われるのは嬉しい。

⚫︎今後

一応52kgくらいまで落とそうかな〜って考えてるけど未定。

もう落とさなくていいよ!! ってすごい周りから言われるけど、落とさなくていいやって思うとすぐリバウンドしそうだし、しばらくはもうちょっと続けるつもり。脚ももうちょい痩せたいしね… とりあえずリバウンドしないようにほんと気をつけたい…

⚫︎オマケ・体重の変遷と体型の変化覚書

・65kgくらい→体重の変化に敏感そうな人(ダイエットにすごい詳しいひと)に 最近痩せたね? と言われる

・60kgくらい→痩せたね!! って周りに言われるようになる

・56kgくらい→めっちゃ痩せたよね… 大丈夫…? って心配される(たぶん大丈夫です、たぶん)

やっぱり75kg→70kgの変化と60kg→55kgの変化って全然違う。後者の方が全然違って見えるよね。だから最近になって初めて すごく痩せたね、って言われる。75kg→70kgはおなじ5kgでも全然違って見えないし実際全然変わらないからね… ほんと痩せるなら最初が踏ん張りどころだなって思います

だいたいそんなところかな。

すごい支離滅裂文章だけど書きたいことは全部書いた!

今まで痩せようと思ったこと、もちろんあるけど結局なんもしなかったのは、デブでもふつう人生しかたからです。美味しいものたくさん食べてなんも考えず寝る人生の素晴らしさよ。デブでも全然楽しい人生だと思う。ただ痩せることで多少周りの目や自分への気持ちが変わることは事実だし、可愛い服が着れるようになるのもまた楽しいぞ! とは思う。結局人生楽しいかどうかだよね。どっちの方が人生楽しいかはその人次第だよね。だから無理にひとに痩せろだの太れだのとか言うのはほんと良くない。

わたし人生で一度くらいは平均くらいの体重経験しておきたかったので、なんとか平均までは痩せられて割と満足。維持できればいいんだけどね。それは今後どうなるかわからないので… 維持するつもりはあるけど…

この1年でだいぶ痩せたのでこの夏は脚を出せるように脚を細くしたいな〜。どうすればいいんだろう。やはり運動か。頑張りすぎない程度に頑張りまっす。

こんな長くて内容のない備忘録をここまで読んでくれてありがとうございました。お疲れ様

2017-03-17

自分では何も出来ないという話。

思えばずっと甘やかされて育ってきた。

以下、かなり長い自分語りが続くので注意。

先に今現在の話をしておく。

現在私は大学の2回生で、2回生とは言いながら単位を落としすぎて留年した身であるクズと言っても差し支えないだろう。実家田舎のため上京して都会の大学に通っている。具体的金額は伏せるが、親には割と多めの金額仕送りとして貰っていた。

私は長男として生まれた。結局2人目以降は出来なかったので、1人っ子として育った。

不自由ない生活をしてきた。

幼稚園の頃から愛情たっぷりに育てられた。

特に母は本当に私に優しく接してくれた。

私が幼い頃は父と母がよく夫婦喧嘩をしていて、父がよく大声で怒鳴っていたし、母が私にその愚痴を漏らすことが時々あったので、幼少期の私の両親に対する印象は、母が優しい人で、父は怒らせると怖い人、という印象であった。

当時の親や周囲の私の印象は「我の強い子」であったらしい。思い通りにならないと直ぐに癇癪をおこしたそうだ。記憶する限りでは、水泳の授業が嫌いで、水泳のある日は玄関先でこれでもかと言うくらいに抵抗していた。

母は躾はしっかりしていたので、例えば服を脱げば洗濯機に入れるとか、食べた後の食器は台所に運ぶとか、そういうことはきちんと私に教えたし、私も素直に聞いていたらしい。

私が小学校に通うようになると、色んな人と関わる機会が増えた。他の友達の家に遊びに行くようになった。遊びに言った感想は、「何だかちゃごちゃしている」といった感じだった。恐らく共働き家庭だったり、親があまり片付けたりしないような家庭だったのだろう。もちろん綺麗な家庭も、恐らく3割くらいはあったと思うのだが、子供心に「他所の家庭はもっと雑」という印象が残った。そういう余計な影響を受けて、これまで躾られて出来ていたことをしなくなったらしい。これは結局高校卒業までしていないことになるので、相当である

関係あるのかどうかは分からないが、この頃に学校でも奇行が目立つ。喧嘩が弱い癖に、喧嘩をよく吹っかけた(そして返り討ちにあっていた)。小学校低学年だからまだ許されたのだろうが、かなり過激なことをやった。クラスメイトスカートを捲ったりもした。当然学年中の女子から嫌われた。馬鹿である。当たり前のように友達は居なくなった。落書きをよくするようになった。友達ほとんど居なくなったが、ノートにでかい絵を描いて(というか落書きをして)それを見せびらかしたり、長い迷路を書いたりして、周囲の興味を引こうとしていた。健気と言えば健気である。「友達が欲しい」とよく言っていたそうである母親に泣きついたりしていた。

母親も、この時期は何故かかなり厳しかった。もちろん素行が悪くなったこともあるが、他にもゲームの件がある。私は幼稚園卒業するころあたりからゲームが好きだった。あまりにも没頭するので、「1日に30分まで」という制限を課された。が、それを素直に受け入れるわけもなく、毎日のように文句を言ったりして親子喧嘩をした。思えばなぜあそこまで熱中していたかは分からないが、ゲームは今でもかなりやっている方だと思う。とにかくゲーム人生のようなものだった。多分尋常じゃないくらいのハマりようだったのだろう。

そんな小学校低学年を送った。

中学年(3年生)くらいになると、流石にさっきのような奇行はなくなった。が、失ったものはそう簡単には戻らない。相変わらず孤独生活をしていた。この頃になると、いわゆる「クラスの人気者」に対して逆恨みから喧嘩を吹っかけていたような記憶がある(そして返り討ちにされる)。まあとにかく、喧嘩が絶えなかった。そんな時味方でいてくれたのはやはり母である。母は相変わらずゲームに関しては厳しかったが、学校での対人関係では味方でいてくれた。おそらく私の悪い点はちゃんと指摘していたのだろうが、それでも当時の私からすれば無条件の私の味方だった。

悲しいことに、それでも自分の思い通りにならないことがあると癇癪をおこして親に暴言を吐いたりしていたらしい。

高学年になると、県内進学校目指して中学受験勉強をするようになる。低学年の頃から学力の高さには自信があり、塾ではほぼ成績1位であった。まあ、自主的勉強していたわけではなく、自宅での勉強は母が付きっきりだった。しかし、受験しようと言い出したのは私自身であり、親としては別に受験はしなくてもいいという意見だったそうだ。負けず嫌いだったのもあり、勉強苦痛だったが我慢してやれていた。

この頃になるとわりと多くの友達が出来ていたように思う。まあ、親友と言えるほど親しい相手は数人なのではあるが。

小学校通して、友達が少ないという割には活発で、よく色んな人と遊んだ矛盾しているように聞こえるが、要するにそんなに仲良くない人にも突っ込んで遊びに誘っていたわけである友達を人数で計って多い方がいいと言う単純な発想で、家に1度に多くの人が遊びに来た方が偉いという考えである。今思えば極端すぎるが…まあ、自分の好きなもの優先なので、病院に行く予定があるのに勝手に遊びに行く約束を重ねてそちらを優先しようとしたりとかしていた。自己中心的の極みである。まあ、当然親に怒られるのだが…

そしてついに女子からの評判は最悪のまま小学校生活を終えた。まあ、妥当である。ことあるごとに私のことが嫌いという態度を取るので(一種いじめである。いわゆる「〇〇菌がうつる」とか、席替えで隣になった女子が机を離すとかは日常茶飯事)、こちらも腹が立ってよく喧嘩を吹っかけていた。今思うと馬鹿であるが。女子というものは口達者で、特にそういうところが嫌いだった。女性なんて信用してなるものか、女性というのは陰湿で口達者で陰険で裏表のある連中だ、と子供心に思った。

無事志望校合格して中学生になった。この頃からコミュ障を発揮し始める。元々喧嘩を売るしかコミュニケーションの取り方を知らないのだから仕方がないのかも知れない。人との距離の取り方が分からない。友達が出来なかったわけではないが、そんなに多くはなかったと思う。この頃ラノベにハマる。オタク路線まっしぐらである…かと思いきや、意外とドライであった。色んなラノベ漫画を読むのではあるが、一つの作品キャラにどっぷりハマることは無かった。グッズなどはあまり買わなかった。

相変わらずゲームが好きだったし、その事で母と揉めていたのも相変わらずである。ただ、褒められる機会は減ったような気がする。相対的に怒られることが増えた。この頃になると、私にとっての母の印象はただ怒る人になってきていた。

この頃「うごメモ」に出会う。当時DSiパラパラマンガアニメーションを作れるソフト配信されていたのだか、これが使いこなすと結構クオリティの物が作れる。これをインターネット投稿出来るのだ。凝り性な私が作ったうごメモ一定の評価を得た。そのジャンルではそこそこ名の知れたという程度の作者にはなった。どハマりしたのは言うまでもない。やはりそこでも母との対立であるクオリティの高い作品を作りたいのに、時間制限(しかもかなり短い)を課してくる母が憎かったのは覚えている。

まりにやめようとしなかったので、ついにそのDSi永遠に没収された。突然の引退である。同時にゲーム禁止令を出され、これが4年間続くことになる。うごメモ続けたかったのに。

一方で生活面ではさながら幼稚園児かというレベルでの親への甘えっぷりが続いていた。至れり尽くせりである。何でも母がやってくれるのである。この頃から生活面での親へ依存から全く抜けられていない。要するに親離れ出来ていないのだ。この時点で母も対策すべきだ思うが、甘やかしてこのまま放置されていた。

中2のとき初恋をした。クラスの中でもかなり可愛い子であり、要するに私は面喰いだったわけである。先述の女性不信の癖に、「この子だけは純粋無垢で優しくて大丈夫」とかい根拠の無い自信があった。ハマるととことんハマって思い通りにならないと嫌な我の強い性格がここにも発揮されたのか、とにかく追いかけ回す、その勢いまさにストーカーと言っても差し支えない。当然嫌われる。だが、その子は優しいので直接的に迷惑と言わない。告白してもフられるものの、嫌いだとハッキリ言わない。そういうわけなので、私は「ワンチャンある」と3年間くらい信じ続けるハメになるのだ。

そのくせ、何故か他の女の子にもアタックした。いや、アタックしたというか、ただ手当りしだいに告白してただけである。その人数たるや7人である。たぶん誰でも良かったんだと思う。誰でもいいから、異性に好かれたかったのだ。女性不信のくせに。結果は全滅である。当然といえば当然。まあ仲のいい女子なんてひとりも居なかった。関わる機会が無かったわけではないはずなのだが…部活女子の方が多いのだが、部のほかの男子女子と仲いい癖に私はなんとなくその輪の外にいたような感じだった。私だって女子と仲良くしたかったのに。ずっと決まった男子とつるんでいた。間違いなくスクールカースト下層だった。

こういう学校のことは、親にはあまりさなくなっていた。なんだか恥ずかしいのである。なんというか、学校生活、つまり小学校より成長した感じを両親に見せたくない。ずっと小学生のままで居たいような感覚である。要するに甘えてるのだ。この期に及んで。一丁前に恋なんかしてる姿なぞ死んでも見せたくなかった。

高校でもこんな感じである。この頃にはすっかり物事に対するやる気というものをなくし、宿題すらやらなくなって行った。学校に行ってる間は授業はそこそこ真面目に受けるのだが(人並みである)、自宅では全く勉強しない。面倒くさいし、自主的勉強してる姿を親に見られるのが何より気持ちいからだ。

まあ、塾に行っていたのと、学校での授業はそこそこ真面目に聞いていたお陰で、わりといい大学には合格したのだが、自習はほぼ全くしていない。勉強する習慣も皆無である部活も、文化部ではあったが、練習は真面目にやらなかった。努力らしい努力をしてない。この頃にはもう何かを頑張ると言うことをほぼしなくなっていた。何故だろうか…。

ずっと家でこっそり買ったゲームをしたりとかしていた。

そういえば中高生とき携帯スマホの類は親が買ってくれなかった。理由は明白である。まずゲームの件があるから電子機器を与えるのはまずいし、トラブルを引き起こすことも多くメールなどさせたくなかったのだ。一方私としてはそういう電話とかメールとかLINEかいう繋がりから自分が疎外されているのが嫌で、またそれが原因で輪に入れないのが嫌でやはり抗議した。そして親子での衝突は絶えなかった。

そして大学一人暮らしである

親に甘え続けスネをかじり続けた結果、ろくに身の回りのこともしないクズ大学生の出来上がりである。面倒くさいので次第に出席すらしなくなり、面倒くさいのでテスト勉強はせず、部屋の片付けもせず、洗濯は週1回、辛うじて風呂にだけは入るという堕落しきった生活である自炊などもってのほか仕送りは遊ぶ金(しかも大概一人で遊ぶのである友達もほぼ居ない)に消える。自分自身酷いと思う。

少しは書いたが、高校までの私の親に甘えきった生活も改めて書くと、

着ていた服を洗濯機に入れるなどせずに脱ぎ散らかす

食べ終わった食器放置

偏食が激しく母にはわざわざ別メニューを作ってもらう

部屋の片付けも母担当、の癖に母の片付けにいちいち文句を言う

風呂入る順番と時間文句を言う(入りたい時間に、1番目に入りたいのである)

などなどまあ酷いものである。下二つは文句を言って結局喧嘩になるのだが上三つは本当にそうであったのだ。ちなみに偏食の件、最初は本当に偏食であったのだが今は大体の場合「親の前でだけ食べられない」感じである。親がいないと普通に食べるものも多い。

まりに酷いので私自身が高二あたりの時に「小さい頃甘やかしすぎたからこうなった」みたいな事を親に言ったら「私の育て方は間違ってない、あんたが勝手にそんなクズになっただけだろ」と言われた。でも親に甘えちゃうから自分から直す気がないあたりが私のクズっぷりである喧嘩ばかりしてきているし親は嫌いだ。でも親に依存している。

最近は「努力ができたらなあ」と切に思う。目標があっても、そのためになにもしないので何も変わらない。面倒くさいからだ。何か行動を起こし継続して努力出来れば、とよく思う。でもできない。自分の好きなことにすら努力出来ない。

ただ、人にちやほやされたいだけ。承認欲求の塊である過去孤独からだろうか?親の愛情は少なくとも幼少期はたっぷりに受けてきたはずだ。自分に自信が無い。どうしてだろうか。虚栄心ばかりだ。まるで山月記の李徴である。臆病な自尊心尊大羞恥心の獣である。変なプライドだけはある。

さて、どうしようか。

2017-01-20

静岡県韮山高校の体育の授業について まとめ

10年以上前情報も含まれているので、現在とは異なっている可能性もあります

追記(2021/12/02)

この記事について、「昔のことだから今は違う、今の体育は楽」という意見があるようです。

最初記事を書いてから5年ほど経っているので、多少は状況が変わっているかもしれませんが、

大きくは変わっていないと推測できます

理由は、韮山高校体育科教員20年以上異動しないのが慣例になっているからです。

ほとんどの教員40歳前後韮山高校に赴任し、そのまま定年退職まで勤務を続けるというパターンです。

教員達が10年前と変わらない顔ぶれなのに「昔とは違う」と言えるでしょうか?

服装

女子は股下10cm丈の黒いショートパンツホットパンツ?)。体育座りをすると下着ナプキンが見えてしまう。

・太っている生徒は露出した腿がこすれて股ずれを起こしてしまい、赤く腫れあがることがあるが、特に配慮されない。クロカンでは身体的にも精神的にも激しい苦痛を伴う(後述)

ジャージの着用は禁止そもそも学校指定ジャージはない。冬期に寒冷じんましんが出る生徒がいるが、特に配慮されない。

・準備体操まではジャージを着用していても良い。その際のジャージ部活ジャージでも私物でもなんでもいい。

●韮高体操、二人組、ダンス、マット運動

特筆すべき点なし。他校と同じ普通の体育。

以下、補講が科せられる授業について記します。

水泳

・ひたすら泳がされた。

・泳ぎ方は教えてくれなかった。平泳ぎは手足の動かし方が分からなくてできなかった。

・泳ぎ方を教えてほしいと教員に頼むと「他のやつを見て自分で学べ」と言われる。

・授業を欠席・見学すると放課後に補講があり、500m泳がされた。

・補講では足をついていいのはプールの端だけというルールがあった。つまり50mは足をつかずに泳がなくてはならない。

・足をつくと50m無効になった。

・まったく泳げない生徒は10m泳いでは足をつき、プールの端まで戻り、また10m泳いでは足をつき・・・を2時間繰り返し、教員から「もうお前帰っていいよ」といわれるのを待たなければならなかった。

●新体力テスト

韮山高校は新体力テストが男女とも県1位なのを誇っており、新体力テストで記録を伸ばすためにさまざまな工夫(と不正)を行っていた。

・まず全種目のテストを行い、2ヶ月間授業と補講でトレーニングを重ねて記録を伸ばしていく方式

最初テスト目標値に達しなかった種目があると補講票が渡された。

・補講票はA7くらいの紙片で、種目名と氏名欄、補講日とその日の記録を書く欄があった。

・各種目、少なくとも週1日は補講日が設定されていた。

シャトルランなど補講対象者が多い種目は週3日などもあった。

・補講は放課後に行われた。反復横跳びなら反復横跳びを行い、記録を補講票に書いて体育課に提出した。

・記録が目標値に達していれば補講票は返却されない。もうその種目の補講に出る必要はないということ。

・記録が目標値に達していないと「再」のハンコが押されて翌日朝にHRで返却された。

目標値に達するまでは、何回でも補講に出席し続ける必要があった。

・体育の授業での記録を補講票に書いても良いことになっていた。

・体育が苦手な生徒は複数種目で目標値未満なことが多いので、毎日補講に出る必要があった。

・補講が長引いたり、毎日のように補講に出ていると部活動への参加が遅くなってしまった。

・補講は部活動に優先したが、補講のせいで部活動に遅れると顧問から叱責された。

シャトルランの補講に週3回出ていると疲労が溜まって記録がどんどん悪くなった。

・補講対象者が減ってくると一日で全種目を行うこともあった。疲れるし、部活に出られなくなった。

・結局、補講を終わらせるために生徒は実際の記録より高い記録を補講票に書くようになった。

そもそもこの補講システム、生徒が自発的に記録を改ざんするのを狙っていたようだ。

・補講システムが功を奏し、韮高は十年以上連続で新体力テスト県内1位を達成している。チーム韮山の成果である

クロカン

・授業では女子は30分~40分で5km走る。男子は同7km

・授業時間内に走りきれない人は前の授業を途中で抜けて、先に準備してスタートするよう指示があった

・全授業で、絶対指定された距離を走らなければならない。脱落は罪。

・途中で過呼吸を起こすなどしてリタイアした人や授業時間に間に合わなかった人は教員に車で回収されるが、その際必ず罵倒された

 「気持ちが足りない」「気持ちが弱い」「気持ちが表に出ている」など抽象的に罵倒された

男子生徒は背中、肩などを殴られることもあった。

ぜんそくチアノーゼを起こしている人も罵倒されていたし殴られていた。

・さすがに女子には体罰はなかった。

・太っていたり脚が太い生徒は股ずれが悪化出血することがあった。

・股ずれの出血は、はた目には急に生理が始まったようにも見える。恥ずかしさのあまりか、顔を覆って泣きながら走っている生徒がいた。

・股ずれを理由とした体育の見学許可されなかった。

見学した人は後日の放課後に授業と同じ距離を走るノルマがあった。

・たとえば1週間風邪を引いて授業を3回休むと5km*3=15kmが課せられる。風邪が治り次第毎日走って少しずつ返済しなくてはならない。

クロカン本番の順位指定校推薦と密接な関係があると聞いたことがある。

●「韮高の体育は第二の入試

・「韮高の体育は第二の入試」という言い回しがあった。主にお互いを励ますときに使ったりした。

・「韮高の体育は高校入試並みに辛く厳しい」の意だが、体育に耐えられなくて不登校になったり、中退したりしてしまう生徒がいるのは仕方がない、という意味もある。その生徒は「第二の入試」に不合格になった、ということ。

・実際、不登校になって中退する生徒は多い(後述)。

●影響

自律神経失調症になってしまう生徒がいた。

文化部女子生徒を中心に、市販薬の乱用が流行した。「ロキソニンを5錠飲んでから走るとお腹が痛くならない」などのテクニックが広まっていた。

中退率は2%台後半から3%。一応進学校なのに全国平均を大きく上回っている。

(もちろん海外留学などポジティブ理由中退も含まれる)

●近年の動向

地域中学校進学塾でも「韮高の体育は厳しい」と知られるようになったため、

体育が苦手な受験生三島北・沼津東に流れる傾向がある。

そのため韮高生の平均レベルが上がってしまい、体育な苦手な生徒にとってさら過酷環境になった。

2016-12-26

体育会系な人の子供って

内向的な人が多そう。

内向的自分の親がまさに体育会系

自分のことを意見するのが苦手。

学芸会は脇役がよかったのに、主役に立候補しろと怒鳴られ

部活動文化部に入りたかったのに、運動部に入れさせられたり

高校生くらいまで自分のやりたいことのほとんどを

親に反対されていた気がする。

そのせいか、いつも人の意見を聞いてばかり。

心のどこかに、自分意見することへの恐怖心があるのかもしれない。

と、ここまで自分が書いた文を見直してみて

語尾を、気がする、かもしれない、にしてしまうあたり

やっぱり意見することに恐怖心があるのだろう。

ちゃんと意見を言えるようになりたいなぁ。

2016-09-27

17カースト底辺私大文系生(♀)の就活総括

最初に、この記事が参考になりそうな人を挙げておきます

・最低でもMARCHぐらいの私立関大1,2年生(カースト低め)

・それらの大学付属中高に通う人たち

何故か?というと、自分経験した確実なデータがその層のものしかいからです。

具体的な統計とか一切使わず経験則や周りの実情のみ参考にし、

あくまで私が

「万が一、人生2周目プレイ可能なら過去自分にどうアドバイスするか?」

という視点で進めていきます

なので、筆者のスペック

学歴:難関私大付属中高→受験無しで難関私大文系留年なし

キャラカースト学力底辺デブ運痴、友人は狭く深く

所属文化部委員会文化系サークルバイトゼミ

資格運転免許のみ

・志望業界ブラックでなければどこでもいい、総合職一般職も見る

という大学名以外カスみたいなレベルであることを念頭に置いてください。


似たような感じの人ってたぶんいっぱいいると思います

「どうせ大学名で大企業余裕っしょ」

「言うても女だから総合職無理でも一般職いけるし」

ネットに色々転がってるし情報かき集めれば余裕」

万が一こんなこと考えてるとマジで詰みます

私がそうでした。


自分や周囲がすんなり内定が出なかった結果を踏まえ、

どうにかこうにか就活を終えて思ったことを箇条書きにしてみました。



総合編>☆世間は思った以上に陰キャに冷たい、学歴だけで勝負できる世界じゃない

 

・余程のスキルがない限り、就活で陰キャが陽キャに勝つのはほぼ不可能

→中高から体育会系部活入ってるような陽キャはほぼ確実にさっさと大企業に決まっていきました。

 逆に、文化系カースト底辺民で唯一早めに就活終わらせた人は帰国子女でした。

 

 見る限りオールラウンド系パリピは資格の有無で明暗くっきり分かれるイメージがあります

 良いと超大手、悪いと就留orブラック

・Aラン大喪女には逆に一般職は難しいか

→まず面接で「なんでこの大学総合職で応募しなかったの?」って聞かれまくります

 大手商社一般職なんてゆるふわキラキラ美女しかほぼ通りません。エリート様の嫁候補なので。

 

 ビジュアルに自信がない人は最初から総合一本に絞ったほうが無難だと思います

 自分や似たようなスペックの周囲も含めて一般職内定貰えた子は0でした。 

 

・陰キャに対してありのままの君、なんて企業は求めていない

就活やってると「ありのまま自分勝負!」とか、説明会なんかで飽きるほど言われます

 企業側の欲しいキャラ判別簡単にするためにこういう誘導をしているわけです。

 

 でも、経験大企業や人気企業総合職で陰キャが欲しい企業なんて殆どありません。

 営業なのにコミュ障でどうやって他社と交渉するの?って話です。

 (総合職でも人事とか経理のみを志望できる場合もありますが、

 営業もできる陽キャを取って配置転換すればいい話ですし狭き門なので…)

 

 ありのままで適性検査性格診断)受けてた頃はバンバン落とされてましたが、

 ・ストレス耐性がありそう・社交的そうな選択肢露骨に選んで、

 面接でも陽キャのエピソードパクって辻褄だけ合わせて話してたら通るようになりました。

 嘘なんて学歴資格以外ほぼバレません。

コネ入社は当たり前にある

→言われなくても知ってると思いますが一応。

 中高時代の友人でなんの取り柄もないのに採用人数1桁の業界大手に決まった子は

 取引先の社長令嬢でした。

 

 同様のケースをいくつも耳にしているので、

 コネ無しで採用人数1桁の大手本命1本に設定するのは諦めたほうが良さそうです。 

第一志望の業種を絞るのはやめろ

メーカーだの金融だの出版だの…

 業種絞ったカースト底辺民がその業種に決まったところを正直見たことがありません。

 

 自分がなんとか就活を終えられた原因があるとするなら、

 労働条件雰囲気以外に興味がなかったことに尽きると思います。 

大学編>☆会話の引き出し、社会の動き方をなんとなく理解する、英語スキルコネを作る時期 

単位特に必修は残すな。評価はどうでもいい

GPAが多少良くてもコミュ障は落とされます

 評価なんてどうでもいいので、4年前期にしかとれない必修を残さないことが大事です。

 

運動神経時間が許せば運動部応援部系に入れ

→何がいいってコネです。人脈です。OB訪問しまくれます

 周囲を見ていて体育会系は本当に特権だと感じました。

 学歴以上の大手に入ってるのは9割が体育会系です。

 運動神経がない人はランニングがほぼないアーチェリーとかどうでしょう

 ガチ体育会系が無理ならなるべく歴史あるイベント運営サークルに入るのが

 無難かと思います

 

 周囲を見る限り、コネ増加とかコミュ力改善が見込めます

 

バイトは単発でいいから色々経験しろ

バイト経験ES面接エピソードで一番使いやすいです。

 なぜなら部活サークルみたいに調べたらブログメンバー表が出てきて…

 といった嘘バレリスクが一番低いからです。


 短期で1日だけ経験したバイトのことでも、いくらでも盛れます

 なので、バイト経験の引き出しを増やしておくと役に立ちます

 自分飲食コンビニ家庭教師事務バイトやりました。

 期間とかやったことは全部盛って、会社によって使い分けてました。


 いろんな業種のバイトをしたことで、社会の動き方の一片を学べたのか

 面接でのアドリブ力が上がった気がしました。

資格を取れ

特にTOEIC。700点とかないとエントリーすらできない企業がままあります

 運転免許入社までに取得でOKが多いイメージ。 

 簿記は周りに持ってる人がいないので効果の程が分かりません。

大学付属中高編>

 

・縁を大事しろ、中高時代部活の先輩とかコネの宝庫になりうる

→中高時代の先輩とほぼ連絡とってなかった自分と、コンスタントに付き合いを維持していた友人とでは

 OB訪問難易度が段違いでした。

 あと同じ大学の友人が自動的に多いのは本当にメリットしかない。

 大学からの友人を1から作るのはコミュ障には本当に骨が折れます

・他の科目全部捨てていいか英語だけはマストでやれ

TOEICは本当に大事です。現状でカースト底辺民が逆転できる切り札かも。

 大学100%行けるなら留年しない程度に他の科目やって、

 英語体育会系部活に全精力を注ぐと就活においてかなりの成果が見込めると思います


以上です。

あくま自分の経歴に当てはめての後悔であり、極めて狭い知見の中から結論なので

半分嘘みたいな気持ちで眺めていただくのが適切かと思います

嘘は書いてないけどソースも示しようがないので。

とにかく過剰に学歴に期待するのはやめましょう。

2016-09-07

スポブラ買ったら、走れるようになった話

31歳、女性、Fカップの私の話。

転職して、立ち仕事から座り仕事になった。

転職前は1日8時間仕事で2〜3万歩程度歩いていたのが、

今は一日中座りっぱなしで、足腰がひどく疲れる。


仕方ないので、近所のスポーツジムに通うことにした。

学生時代以来、運動をするために運動したことがなかったので、

仕事がそのまま運動になっていた)

気合を入れてトレーニングウェア一式を揃えた。

きちんとサイズの合うスポーツブラも。


そしたら、びっくりするほど胸が痛くない。

高校生の頃からEカップくらいあったのけど、

文化部だったからスポブラなんて持ってなかったし、知らなかった。

学校マラソン大会ふつうブラジャーで出場してた。

胸がちぎれそうに痛くて、とても走れなかった。

歩いてゴールするから、毎年ビリだった。


走るのって痛いんだと思ってた。

でも、ちゃんとサイズの合うスポブラつけると、痛くない。走れる。

31歳にして、初めての経験かもしれない。

いや、子どもの頃は走ったって痛くなかったんだ。

20年ぶりの経験。とてもうれしい。


ちなみに、アニメで走ったり戦ったりする女の子の胸が激しく揺れてる表現

あれはもう痛々しくて見てられない。

架空存在と分かっていてもかわいそうになる。

どうかスポブラ着せてあげてほしい。

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