はてなキーワード: 小説家とは
研究者ってなろうと思ってなれると思っているのか。
教授がなれるといったらなれるとおもっているのか。
大学院に進学するとリスクをコントロールできるという理論を説明してもらいたんだが。
経済学部の実情はしらないが、門外漢からみるとリスク以外にないように思えるのだが。
日本型企業が衰退するかもとか、倒産したら、というなら、公務員一択だろう。
公務員の給料も下がるし、と考えるのかもしれないけど、公務員の給料が下がれば研究者の給料だって下がるよ。
国立大学法人の給料なんて国家公務員の「教育職俸給表」で決まってる。
もう一度言うけど、どうして研究者なのか、それを教えてくれ。
http://anond.hatelabo.jp/20071219225747
と書いてしまうとあちらこちらから異論がくるであろうことはネットでさんざん見てきて承知してはいるけれど、
少なくともこう仮定することで様々な疑問があっけなく氷解することは確かだと思う。
それに「恋人ができないなんて奴は自己責任」と見知らぬ他人に叩かれるのもうんざりしてきたし、
ちょっと反論させていただきたい。
僕は小学校高学年の頃にNHKで再放送されていたとある青春ドラマに感化されて以来、青春や恋に強く憧れてきた。
高校では野球部で汗を流す傍ら、バンドや宅録等の音楽活動、短歌を中心とした文芸などにも打ち込んできた。
学外での実績もあるし、
文化祭や体育祭といった学内の行事についてもできるだけのことはやってきたつもり。
友達もたくさんできたし、そのうち恋人だって当然のようにできるだろう、
これだけのことをやっておけば間違いなく輝かしい青春を送ることができる。
そう信じていた。
ところが、結局恋人はできなかった。
ミュージシャンが歌い、小説家や漫画家が描くような素敵な恋に憧れていた僕はひどく落ち込んだ。
こう書いているいまも順調に「彼女いない歴=年齢」のいばらの道を進んでいて、
このことを思うとなにもかもやる気が失せるし、食欲もなくなるし、夜も眠れない。
しかも僕のように学校生活に積極的に参加してもなにも起きない人間がいる一方で、
なにをするでもなくへらへら笑って生きているだけの帰宅部の連中に恋人がいたりすることを思うと、
腹立たしいことこの上ない。
ニュース・サイトの恋愛に関するニュースや2ちゃんのスレをあれこれ開くようになった。
1. 日々の努力や生活ぶりは顔に現れてくる。がんばって生きている奴は顔立ちがよくなくてもかっこよく見える
→先述の通り、野球部という、いやでも生活習慣に気を遣わなきゃいけないし努力もしなきゃいけない環境にいたけれど、
恋人はできなかった。
一方で帰宅部でも恋人がいる奴はいる。本当に「がんばって生きている奴は顔立ちがよくなくてもかっこよく見える」ならこういうことは起きないはず。
2.ネガティブ/ひねくれた性格をしてる奴に恋人ができないのは当然
むしろポジティブで素直だったからこそ目標を達成するために学校生活に積極参加していたわけだし、
ポジティブで素直だったからこそ目標を達成できなかったことに傷ついて反動が一気にきている。
3. 学生時代なんて普通に生きていれば恋人くらいできるだろう
→「普通」ってなに?
4. 恋人がいない奴なんて友達も作れないようなコミュニケーション不全の人間ばかりだろう
生徒会や野球部、バンドといったコミュニケーション能力を要求される環境に身を置いてきた以上、
といった具合に、彼らの振りかざす理屈は僕の経験とまったく噛み合ない。
「顔なんてさして重要じゃない、むしろ性格と暮らしぶりのほうが大事だ」という彼らの主張は耳に心地よいし、
ところが、実際にはむしろ彼らが否定したがっている「世の中は顔だ」論のほうがよっぽど破綻が少なく、真実に近いように思える。
「中身がすべてだ」と仮定すると先ほど指摘したような矛盾点が湧き出てくるが、
「顔がすべてだ」と仮定すれば「顔がいいからなにもしなくても恋人ができる/顔がよくないからなにをしても恋人ができない」の一言ですべてが片づくし、
こっちも「そっかー、顔が悪いんじゃ仕方ないな」と納得がいく。
しかも顔がいい人間はますます自分の外見に誇りを持てるだろうし、
お互いいいこと尽くめだ。
というわけで、改めて提案させていただきたい。
いい加減「世の中は顔だ」と認めてはいかがでしょうか?
http://anond.hatelabo.jp/20101219200313
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101217-00000630-san-soci
「友人のいない孤独な男だった」。殺人未遂容疑で逮捕された斎藤勇太容疑者(27)と小学校と高校で同級生だった男性(27)は斎藤容疑者のことを振り返る。
茨城県取手市内の県立高校の卒業アルバム。クラスメートたちは手をつないだり、肩を組んだり、同じポーズでレンズに笑顔を向けていた。斎藤容疑者はただ1人笑わず、ほかのクラスメートとも絡んでいなかった。
高校の休憩時間には教室で1人座り、夏目漱石や太宰治の本を読んだ。小学校の卒業文集に私の宝物を「本」、趣味を「本よみ」と記し、将来の夢を「小説家」と書いていた。
高校で副担任によく「声が小さい」としかられるほど、物静かな青年だった。男性は「容疑者の名前を聞き、すぐに、あいつだと思った。おとなしい男なのになぜ」と絶句した。
東京都青少年健全育成条例改正案に反対する緊急ネットワーク:声明
http://blog.livedoor.jp/fujoshi2010/archives/51650119.html
根来祐などについて言われていること。
18 :salon ◆y0izD0axK2 :2010/12/13(月) 14:57:08 ID:hw3498NM0
>「 腐女子のつくってきたBL・やおいの文化は女性による女性の為の文化です」
>「緊急結成!女子会!!
メンバーは、腐女子、フェミニスト、アーチスト、ワーキングマザー、セクシャルマイノリティーなどなど。」
http://blog.livedoor.jp/fujoshi2010/archives/51650103.html
http://d.hatena.ne.jp/negorin/
21 :salon ◆y0izD0axK2 :2010/12/13(月) 15:06:19 ID:QJWzB/Mk0
>>940のツイッタ、苦言に対してこんなのだぜ…
yunegoro
うわーん 批判されてる~(T_T)
なんじゃこりゃw
28 :salon ◆y0izD0axK2 :2010/12/13(月) 16:01:37 ID:g1aarMXp0
>根/来/祐(キャバクラユニオンサポーターズクラブ事務局長)
>「今後、匿名での交流会開催や、デモなどもやってみたいと考えている」
ずっと興味ない様子だったのが
2~3日前からいきなり
と言い出してるよ
40 :salon ◆y0izD0axK2 :2010/12/13(月) 18:26:40 ID:Z/Ua5f76P
>>35
昨日まで何もしてこなかったのはあんたでしょw
反対運動する事でマンガ家や小説家とコネクション作ろうって魂胆?
旨味があることに気づいて飛びついてきたんだね
他人の危機に群がるハイエナみたいな奴だ
>大きな敵がいるという事は同時につながるべき人の存在も明確にわかってくるんですね
>ある種チャンスでもあります。
>つながれる人とお話をしていく事で日ごろ見えなかったネットワークを可視化し、
41 :salon ◆y0izD0axK2 :2010/12/13(月) 18:30:35 ID:zCSitjrR0
おまいらあんま煽るなよ
>ID:HatzjesA0
個人として活動するなら好きにすればいいと思うよ
しかし今までの活動で築きあげられたものも知らず
ドン退かれても仕方ないと思うよ
42 :salon ◆y0izD0axK2 :2010/12/13(月) 18:35:06 ID:/zHZhqKB0
>>38
その人のついったーざっと読んでみたけど、
セクシャルマイノリティ方面の運動のエサに
51 :salon ◆y0izD0axK2 :2010/12/13(月) 23:08:35 ID:rqsPVQn60
>13日に、フェミニスト、腐女子、セクシャルマイノリティ共同で、
>性暴力に絶対反対だからこそ、条例改正に反対という声明を書いています。 #hijitsuzai
hamemen白石草
http://twitter.com/hamemen/status/13606038234206208
昨日いきなりブログ立ち上げて
今日議員にアポなし凸抗議かまして「もしも民主が賛成に動くなら区議会選挙に響きますよ」と脅迫
呆れて言葉もでないわ
318 :風と木の名無しさん:2010/12/13(月) 22:59:35 ID:RwHwDCWu0
>>307
身内の顔してるけど擬態しきれてないよね
フィクション同性愛取り扱ってる腐女子とセクマイを一緒に扱って
(相手に失礼、というか協調できても別団体で活動する)
囲い込もうとしてるんだろうなあ
http://anond.hatelabo.jp/20080506041614
誰かやってそうなものなのに誰もやってないので書いてみる。
はてブ界隈に姿を見せる著名人たちを新旧拘らず、割と独断で書いていってみる。
(追記 2010-11-22)見直してみたら、GIGAZINE とかもろまとめ下と被ってて残念な感じだった。まあいいや。
(追記 2010-11-23)たくさんのはてブありがとうございます。はてな村というかホッテントリじゃんという意見があったのでタイトル変更しました。あとコメントの意見や思い出した分を下にぼちぼち追加していきます。政治家とか全然入ってなかったわ。
.
.
サービスの規模を再検討して、VC は投資額を 3 ドルに引き下げたそうだ。
アップデート2:
後ろで爆発音がしたので振り返ってみたら。
(YouTube)
↑こんなことになっていたとは・・・。
普段から後ろにも注意が必要ですな。
いっそ振り返って爆発を浴びればいいんじゃないか。
爆発音がしたので振り返ってみたところに自分の携帯電話の契約者固有IDを、HTTPリクエストのヘッダとして、telnet で手作業で送信した。すると、思ったとおり、突破できてしまった。
「後ろで大きな爆発があったようです。もう iPhone もガラケーと同じようなものと思われつつあるのかもしれませんね!」
(訳:湯木進悟)
糸井「それで、爆発音がしたんですよ。」
.
岩田「ええ。」
.
糸井「そしたら、振り向かないわけにはいかない。」
.
.
糸井「いかないでしょう。でも考えたらこれってすごいバクチ。だって爆発してるに決まってるんだもの。」
.
岩田「バクチですね。でも分かるなぁ。わたしもそれとまったくおんなじなんです。」
.
糸井「うん、うん。」
実際に爆発する音ってのを聞いてみると、マンガで書かれるような音。あのドカーンって幼女の近くで爆発が起きて思わずおしっこをパンツからじわり、ポタポタと漏らしてしまうような音じゃなくてバンって乾いた音が一瞬大きく鳴るだけなんですね、実際は。それで振り返りました。
「振り返れ…早く振り返るんだ…」
目が濁った、死んだメザシのような声が後ろから聞こえてきた。
爆発したような音がしたので振り返ると、月がいた。「このマンガは何ネ!?」
嫁バレしました。
後ろで爆発音がしたので、もちろんちきりんはすぐに振り返っちゃいました。
未来を潰されてもう詰んでいる若者たちもどうせ暇なんだし、振り返ってみたらいいんじゃないかな!混乱ラヴァーズですから。
そんじゃーね!
まぁ後ろで爆発音がしたというのは大変物々しい話ではありますけれども、GREE や mixi を巻き込んで爆発などして共倒れを希望してやみません。
後ろで爆発して、何か問題があるの?
「後ろで爆発音がした」何だと騒いでいるようだが、770~806MHz帯FPU(時価4700億円)を開放すればそうした騒ぎも収まるだろう。
爆発じゃ〜〜〜!800MHz帯が解放されないなら爆発じゃ〜〜〜!
.
.
やってみて分かったことは。文章の癖が強く出る小説家とは違い時事ネタを盛り込まねばならないので比較的書きにくい。ということ。
本家と比べて分量が全然足りないが疲れてしまったのでもうポスト。
.
.
ただ振り向いただけなんですけど、ジョニー・デップに激似ですよねって言われてしまうんです
ほんとただ振り向いただけなんですけど
「何 今の音?!どうしたの?
とってもチキンとした響きだと思います。アッハッハッハ!」
後ろで爆発音がした際に失敗せずに振り向ける10の方法
はてなユーザーが陥りがちな爆発音関連問題
爆発音がした時の振り向き方10選
爆発音が悲惨すぎる件について
爆発音で覚える英単語
爆発音を使いこなせる上司になろう
爆発音がこの先生きのこるためには
後ろの爆発音を知らない子供たち
爆発音がもっと評価されるべき10の理由
「だるい」「疲れた」そんな人のための爆発音
後ろの爆発音にまつわる噂を検証してみた
全盛期の爆発音伝説50
日本から「爆発音」が消える日
日本を蝕む爆発音
なぜ後ろで爆発音が楽しくなくなったのか
1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 19:39:35 ID:BWbXGtNs0
けっこう大きい音したらしいぞ
.
39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 19:45:03 ID:rwPu6I2u0
http://livedoor.blogimg.jp/insidears/imgs/e/e/ee82931b.jpg
.
48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 23:41:26 ID:JcyyOxvZ0
>>39
あずにゃんペロペロ(^ω^)
.
55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 23:39:14 ID:2yEVuc7f0
>>39
ペロペロ(^ω^)
.
( ゚毒 ゚)<廃村で何か爆発してた。
爆発音に振り向くというモノがなんだか良く分からないのです
(直筆メモ)
今回のビデオは、爆発音に振り返らなかった様子がありありと記録されていた。
【小泉】私は今回の、この件を考えるにつけて、なぜ、もっと早く振り向かなかったのか、そもそもはそこなんです。総理大臣にお伺いをします。
今回の、今日、爆発が起きたという一報を受けて、もっと早く振り向けばよかった、こう思いませんか?
【管】私は、あのー、何度も、おー、ま、あのー、おー、お聞きになっていたと思いますが、今回の一連の経緯の中で、えー、一般の行政情報、
おー、も、扱い、例えば大臣が自分の判断で表に出してもいい、やめとこうという事ができるものと、今回のように捜査がからんで、捜査上の資料という位置づけになったものをどう扱うのか、えー、
私も、総理という立場ではありますけれども、やはり、捜査に関連するものについて、個別案件に、どこまでですね、
えー、こうしろああしろと言えるのかというのは、第一義的には、えー、やはり捜査担当の、捜査当局が判断すべきものだと思っております。
ま、そういう意味で、今回の、おー、振り向くことについては、一定の手続きのもとに、えー、地検が例外的な措置を認める形で、
えー、この、おー、委員会に、出したわけで、あります。ですから私は、あー、そういった手続きの下でやられたことでありますから、
あーっす、必ずしも、おー、そういう手続きを無視する形で、えー、振り向くべきだったとは思っておりません。
素直に喜びたいのだが、とってもモヤモヤするのだ。
不幸になれ、とまでは思わないけど、幸せになってほしくない、そんな漠然とした気持ち。
我ながら、人として最低だと思う。が、モヤモヤしてしまっているのは紛れもない事実。
いたたまれないので、この場を借りてそっと告白させていただきたい。
友人、とするからいけないのかもしれない。
中学時代から大学卒業まで、濃密に付き合っていた相手、というべきか。
同性なのだが、あまりに好きすぎて、多感でデタラメな中学時代などはそれを恋愛感情とまで自分で誤解してしまったくらいだ。
大学卒業間際、あることをきっかけに喧嘩になり、それっきり、会わなくなってしまった。
そもそも、友達、だったのかどうか。
絵がうまいし小説もうまい、と当時の私は思っていた。事実、中学生としては上手だったと思う。
「見せてほしい」とお願いすると、同じものを同じ枚数かいてもってこい、と言う。
だから私は小説なんか書き始めたのだし、当時は下手なイラストも必死で描いた。ほんとうに下手だった。
友人複数と交換でリレー小説をやったりもした。いつも私がキャラを殺すと怒られた。
楽しかったのは間違いない。けれど私は、メンバーの中では、いじられキャラを微妙に超越したいじめられキャラだった。
ボケと突っ込み、の体裁をとりながら、私が何か言えばいきなり手が飛んでくる。
はじめのうちはちょっと突く程度だったものがエスカレート。
こちらが笑っているうちはいじめにならないから、と、私も痛いのを我慢していたけど、
ついに、脳味噌ずれるのが分かるほどの平手打ちをもらったときは、意志に関係なく涙が出てしまった。
さすがにどうかと、ヤツに手紙を書いて渡した。
なんて返ってきたと思う?
「自分には、対等な付き合い方というのが分からない。見下すか、敬うかしかできない」だと。
要は、ペルソナが強すぎるのだ。
「自分のキャラ」みたいなものから一切逸脱できず、ただそれを演じることに徹している。
そこを理解してくれと言うのだ。
事実、二人でいるときは手をあげることはない。
それでもやっぱり、好きだったのかねぇ。
強くたたきすぎるのはナシ、みたいな密約のもと、謝られるわけでもなく同じ関係は続き。
オタク仲間、というのが少なかったからかもしれない。
別の高校に行っても、長電話したり遊びに行ったり来たり。
でも、この頃になると、学校が違うから明確な学力の差が見えにくくなってくる。
視野も広がるし、友人も増える。
私も小説を書くのが好きになって、素人ながら作品と呼べそうなものも作れるようになってきた。
そうなってくると、力関係は変化し始める。
コテコテのドオタクでいるより、好きなものを適度に取り入れたい私と、
なりふり構わぬ服装や態度を、こちらがやんわり諭すような場面も出てきた。
そして受験。
お互い一浪し、ヤツは有名大学の文学部二部、私は芸術系学部の文章創作コース。
こっちは大学の課題で小説を課され、プロの小説家に添削を受けているんだから上達は早い。
ヤツの書いた、あいかわらず中学クオリティの作品の粗もよく分かるようになった。
でも、こき下ろすようなことはしなかった。
こっちはプロを目指そうとしているのであって、趣味で書き続けている人の楽しみを奪ってはいけない、と。
この頃になると、家族に次いで親しい大親友と言っていいくらいには気心を許していたと思う。
・・・少なくとも、こちらからは。
あくまで「自分のキャラ」のなかでしか行動しないヤツに、私はだんだんいらだってきていた。
とにかく、成長がない。他者から学ぼうとしない。影響されない。
だから、迫ったのだ。本音で付き合え、と。
ヤツのペルソナをすべて論破して、丸裸にしてやった。
そうやって逃げるのは怖いからだろう? ほらまた自己弁護に走った、
それは本心じゃないだろう、なぜそう言いきれる?
思えば私も若かったし、性急だったと思う。
自分はこんなにお前のことを知っているぞ、とひけらかしたかっただけなのかもしれない。
10年付き合っていてはじめて、ヤツは涙をみせた。
初めて本音に触れた、と思った。漠然と、勝ったと思った。
そんな風に思う時点で、私も薄っぺらだったわけだ。
それっきり、会っていない。
ただ、私はそのとき予言した。
「そんな風に自分の殻に閉じこもった付き合い方をしていると、幸せになんかなれないぜ」と。
それから、約10年。ヤツをネット上で見つけたのは、ほんの数年前だ。
精神安定剤をオーバードーズしていることが自慢げに書かれていた。
複雑な気持ちになった。不幸自慢は気持ちのいいものではない。
でもどこかで、ほら言ったとおりだ、という思いもあった。
一方私は、小説家とはいかないまでもライターとして仕事で文章を書くようになっていた。
信頼も得ていたし、役職をもらって後輩を育てるまでになっていた。
大した成功ではないが、ヤツと比べてしまえば雲泥の差。
HPに設置された掲示板に声をかけるか迷ったが、やめておくことにした。
何を書いても、自慢になってしまう気がした。
それからさらに数年。
一定の自己実現欲も満たせたし、第二の人生といった感覚の引退。悔いはひとつもない。
ふと、ヤツを思い出した。
正直、自殺しているかも、とさえ思った。なぜか、それだけはやめてほしいと思った。
安否確認のつもりで昔見つけたHPを開くと、ブログが変わっていて、
ヤツが何を思い、どう変化していったかは知る由もない。
真に心を開ける相手を見つけたのか、
心を開かないことを許してくれる相手を見つけたのか、それすらわからない。
ただ、相変わらず昔の小説の続きを掲載し続けているヤツと、
今の私が社会的に同じところにいるということが、妙にモヤっとするのだ。
もしかすると、私こそがヤツに対して、一定の強い思いを抱えたままなのかもしれない。
一つの例として書くけれど、小説家の舞城王太郎は、物語が社会に存在する理由を、次のように述べている。
『ある種の真実は、嘘でしか語れないのだ』
現実は厳しい。いつだって僕らが願ったものは適わない。思い描いた人生を生きれるわけではないし、なりたかった職業には就けないし、大好きだったあの娘は簡単にイケメンに寝取られる。でも『本当はあの頃、こういう事を思っていた』とか『本当はこういう職業に就きたかった』とか『本当は昔、あの人のことが好きだった』という感情は確かに『存在』していた。それは紛れもない真実だ。現実のはざまに消えていった『真実』を、『物語』が代わりに叶えてくれるから、人間は感動するんじゃないだろうか。物語の無限の可能性に触れて、どんな苦悩も報われると思うことが出来るから。演劇用語ではこういった作用を『浄化』って言うんだけどね。
台風が来るのでわくわくしてしまったので飲みながらだらだら書くことにする。
最初に断っておくと、単なる業界の底辺ラノベ作家でシナリオ書いたり書かなかったりだから、詳しい人にはあんまり目新しいことはないよ。
漫画家さんが危機感を持って色々動くのにはもちろんいろんな理由があるけれども、
小説家が危機感を持たない理由は簡単だ。
良くあることだから。
漫画家の人は、判型が変わったからと言ってコマを割り直したり書き直したりすることは滅多にない。
単に拡大縮小するだけ。(書き直したりはするけど、それはサイズ変更にあわせた書き直しじゃない)
でも、小説はハードカバーから文庫本になるときに、大きく変わる。
一行の文字数も変わればページに入る行数も違う。
これは読みやすさに影響するけど、気にする人は滅多にいない。
(行にこだわる事で有名な京極夏彦先生が電子書籍化に意欲的なのは、なんか象徴的ではある)
だから発行される媒体が変わることを気にする人ってほとんどいない。
たんに紙で読むかネットで読むかiPadで読むかの違いでしかないし。
電子書籍という形で小説を読んだことがある人は判るだろうけど、文字サイズも一行の文字数も変えられるよね?
あれを凄く嫌がる小説家ってたぶんあんまりいない。
でも、漫画家さんで勝手にコマ割変えられたりしたらたぶんイヤなんじゃないかな。
流しこみゃなんとかなるだろうって言われたらその通りだし、フォントまで指定して活字組に意見がある小説家もほとんどいない。
(自分の本だって意識が漫画家さんより薄いってのはある。だって原稿のままじゃ絶対に本にならないもの)
良く言えば柔軟性があるし、悪く言えば人任せが多いから、だからこそ危機感を持ちづらい。
とある記事のはてなブックマークでその存在を知って、中身が知りたくなったのでミステリマガジンのバックナンバーを借りてきたよ。
そしてその内容が個人的にグッと来るものだったから、メモ代わりに後半部だけをここに書き出してみるよ。
九六年二月、私は、青山ベルコモンズのカフェで言葉を失っていた。狭いテーブルの上に広げられたのは、探偵ミロを主人公にした旧『柔らかな頬』第二稿。付箋が挟まれ、赤字が入っている。対しているのは、新担当編集者だった。彼は、「うまく直っていない」と告げて沈黙した。第一稿が上がった時点で、様々な注文を付けたのは彼だった。複雑過ぎるからもっと単純に、対立を明確に、タイトルを変えろ、等々。エンターテインメント小説の王道を説かれ、何とか努力して改稿した結果がこれなのだ。
私は、紅茶の染みが飛んだ原稿を書類袋に仕舞い、「わかりました。これは捨てます」と言った。彼は、私の反応に少し慌てたようだった。だが、私は周囲のざわめきすら、気にならないほど打ち沈んでいた。誰も見方がいない、これから一人でやるしかないのだ。その思いが頭の中をぐるぐると巡っていた。「これからどうしますか」と問われ、「別の小説を書きます」と意地で答えた。この時、『OUT』の構想が生まれた。行き場のない中年女たちの小説を書こう、と。行き場のない中年女とは、まさしく自分のことだった。
その年は、他の細かい原稿は一切書かず、『OUT』の書き下ろしに専念することにした。どのみち、デビューして間もない作家に、そう多くの注文は来ない。私は、原稿を捨てたトラウマを抱えつも、何とか『OUT』で勝負したい、と必死になっていた。その重圧に押し潰されそうだったし、『柔らかな頬』を捨てたことで、作家としての自信を失っていた。とりあえず、どん底にいる私が発見したのは、恐ろしく単純な事実だった。書くしか生きる方法がない、ということ。そして、それは恐ろしいほどの孤独を生きる、ということでもあった。
取材は多岐に及んだ。井の頭公園バラバラ殺人事件の取材をした記者、ルポライター、深夜の弁当工場、街金。取材対象のアポは、ルポライターを除いて、ほとんど私自身が行っていた。当時、私のような駆け出し作家には、出版社は金も時間も多くは割いてくれなかったのだ。しかし、自分で切り開いた取材先は、得るものも大きかった。結果としてはその方が良かったのである。私は一人で車に乗り、物語の現場と仮定した東村山市に度々出かけた。駅前で描写のための写真を撮り、見知らぬ公団住宅の広場を歩き回って、主婦の顔を見た。頭の中で、雅子や邦子たちが息づき、喋り、早く書いてくれ、と叫んで、今にも爆発しそうだった。
夏までにほとんどの取材を終えてプロットを作り、私は九月から書き始めた。千ニ、三百枚以上の長編になるはずだった。せいぜいが八百五十枚の経験しかない私には、初めての大作だ。ミロシリーズの一人称一視点をやめ、三人称多視点で物語の速度を速め、螺旋状に回すことを決める。十月に二百枚入稿。年末に五百枚。順調だったが、書いている間は他の作家の華やかな噂を耳にして、心が乱れた。一人でパソコンに向かう日々は、実に孤独だ。書くしかない、と思っても、小説の終結まで途轍もなく長い時間がかかるのだ。そのことを考えるとどうしても落ち込んだ。短編小説の注文もぽつぽつあったが、理由を話して断った。その頃の私は、仕事を断ること自体が冒険でもあったから、これでその出版社からは、二度と仕事は来ないだろうと覚悟した。
三月十七日の夜、最後の一行を書いた途端、涙が溢れた。やっと終わった、辛かった、と言葉にすると、また泣けてきた。しかし、ようやく脱稿した私に、厳しい現実が待っていた。初版部数は一万三千部だというのだ。内容に自信があったし、二年越しの仕事だったから、初版部数の少なさは衝撃だった。だが、これが現実だと思えば、やり遂げたという自信を胸に、次の仕事に賭けるしかない。それが作家だ。何とか自分を慰めた時、不思議なことが起きた。口コミで爆発的に売れ始めたのだ。『OUT』は作者の手を離れ、ひとりでに読者の元へ飛んで行ってしまった。
九七年の『このミス』で一位、翌九八年直木賞にノミネート。破竹の勢い、と自分でも満悦だったが、ここから『OUT』の不思議な運命が始まる。直木賞落選。次の吉川英治新人賞でも落選。ようやく推理作家協会賞で長編賞受賞。三度目の正直だった。賞にノミネートされる度に有望視された『OUT』は、その「反社会性」とやらで、メジャーの賞から弾き出されたのだ。そして、その不思議な運命のとどめは、今回のエドガー賞候補である。
『OUT』は、私という作家をブレイクさせてくれた作品だが、同時に、私をOUTな作家にしてくれたらしい。それは、決して王道を行けない奇妙な小説家としての道でもある。その始まりは、旧『柔らかな頬』を捨てた日の、打ち沈んだ気持ちにある。誰も味方はいない、一人でやるしかない、というあの思い。だが、孤独は作家を鍛える。再び、同じ思いをして自分を鍛えたい、と最近思うのである。
今年春大学を卒業したけれど、就職できず、派遣やアルバイトやらで実家で生活しています。
就活を2年弱つづけてきてもう頭がパーンってなってしまいました。
たぶん自分が就活に失敗したのも、本当に働きたいとか思っていなかったからなんだろうと思う。
人とかかわって、面白くもないのににこにこ笑顔つくって、怖い顔のちっせえ声の汚いおっさんの前で
はきはきと嘘をならべて、何が働く事なのか、ばかばかしい、と思ってしまった。
今になって自分は社会の中で働くという事に向いてないと思った。
もう働きたくない。まじめで優しい男性と知り合って、馬鹿みたいに
人とできるだけ関わらずにいたい。
きれいな森の中で、自然のおいしい料理を少しだけつくって食べて、丈夫で綺麗な服を少しだけ持って
きれいな音楽をきいて、森を散歩したりして、絵を描いたり、そんな風にして生きていけたなら、
とは思うけれどそんな幻想みたいな理想、到達する方法が思い浮かばない。
とてつもなく才能があり、作家として、基本的にひとりで仕事をし、収入を得る事ができるならば
もしくは本当にきちんと働いて、お金を貯めた後ならば可能かもしれない。
社会や人と関わりたくなくて働きたくなさすぎて、もう、死しか私には残ってないなあ。
元増田をバカにしてる? 励ましてるつもりだったんだけれど、そんなふうに読めちゃったか。
元増田の目標は、自分が満足できる小説を書くことだと思うんだよね。
一方で、トラバやブクマコメで文章の書き方はこうだとか小説を読めとかアドバイスしてる人たちは、元増田が小説家になりたいものと勘違いしているように感じる。
「フルマラソンを視野に入れてるじゃん」って。うーん、42.195キロを走り切れるようになるのが目標だとして、でもただそれだけであって、フルマラソンの大会に出て完走したいとか、ましてや入賞したいとかは考えてないんじゃないかなあ。
「したいことがあるのはすばらしい」って書いたのはそういうこと。誰に言われたからでもなく、ただ自分がしたいからそうする。この元増田はそれでいいと思うんだ。
もちろん、そうやってできた小説が面白かったらすばらしいけれど、それはおまけみたいなものだし、それを目標にはしていないだろうということ。
誰しも批判をされることを恐れるが、同時に発表し評価されることを望む。しかしネット上での発表には常に正面から批判される危険性が伴う。そこで、出版社や編集者が小説家や漫画家を悪意のある(表現者に悪影響を及ぼすような)意見から保護する(悪意のある批判は取り除いた上で伝える)のと同じような働きのシステムを作ったら人気が出ると思うんだがどうだろうか。取り除くというのは、消費者が表現者に意見を伝える際にコメントやトラックバックで直接伝えるのではなく、下のようなものを通して伝えるようにする。
+------+ |消費者| +------+ | 意見 v +----------------------------------------+ 悪意のある意見 +------+ |悪意のある意見を取り除く何らかのシステム| ---------------> |ゴミ箱| +----------------------------------------+ +------+ | 悪意のない意見 v +------+ |表現者| +------+
2ちゃんねるなどで陰口をたたかれるのは防げないが、それは一般の小説家や漫画家も同じ。直接攻撃されないだけでだいぶ違ってくるんじゃないかな。
書いている途中に思いついたが、今のpixivを発展させたような場を作るのでも良いかもしれない。pixivは悪意のある消費者から絵描きを保護する場としても機能していると聞いたことがある。pixivを参考に次のようなシステムを作る。何かを発表したい場合はここに投稿する。閲覧するにはユーザー登録が必要で、ユーザー登録には携帯の固有番号など簡単に変更することができない識別子が必要とする。当然メッセージを送信するにもユーザー登録が必要で、悪意のあるメッセージを送信した人は強制退会にする。
まあなんでもいいけど、表現したい人が気兼ねなくネット上で表現できる時代を望む。アルファブロガーの中にはこのような意見に耐えきれずブログを書くのをやめてしまった人がいると聞いたことがある。そういうことが減るといいな。
さて、投稿した後はhostsファイルに127.0.0.1 anond.hatelabo.jpを追加しよう。何も見えないし聞こえない。See no evil, hear no evil, speak no evil.
元増田は歌詞なんて短いんだし歌ったところで別に良いじゃんって発想なんだろう。
それは分からないではない。
でも、例えば小説家が10時間かけて書いた短い小説をTwitterでアップロードされたら、
著作権侵害になるのは誰でも納得するところだろう。
じゃあ、作詞家が10時間かけて練り上げた歌詞をTwitterでアップロードされたら、
著作権侵害にすべきじゃないというのは、実は不公平なんじゃないだろうか。
歌の歌詞は小説に比べれば短いとはいえ、その1つ1つの言葉には凄い労力が投入されて
いるんだよな。
とすると、同じ労力をかけたものが同じようにアップロードされたとして、歌詞か小説かで
結論が変わるのは何故なんだろうか。心情的には共感できるのに、納得できるように説明できない。
そこを合理的に説明する方法を誰か教えてくれ。