2016-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20161114092833

かつてスタジオジブリは、いまのピクサーのように、毎年夏休み家族で見られる良質なアニメーション映画提供するスタジオだった。

そして、ジブリにおいて宮崎駿という個人存在が内外どちらにとってもとてつもなく大きかった。

この二つが理由で、大衆業界にとって「ジブリ=宮崎駿」ということになってしまっている。

本当は「毎年夏休みに良質なアニメーション映画提供する」役割として「ポストジブリ」となりうる才能集団を求めるべきところを、「ポスト宮崎駿」なる才能ある個人を探すことに躍起になっている。

記事への反応 -
  • すっごくよく使われてて、マスコミの皆様はなんの違和感もないようですけど絶対おかしいですよ。 ヒット飛ばせるアニメ監督がでてくると「ポスト宮崎」「ポスト宮崎」と連呼なさっ...

    • かつてスタジオジブリは、いまのピクサーのように、毎年夏休みに家族で見られる良質なアニメーション映画を提供するスタジオだった。 そして、ジブリにおいて宮崎駿という個人の存...

      • 宮崎駿は副業でやってるアニメ監督が本業の戦記漫画家よりウケちゃって大変だったなと思う。 俺は紅の豚の次の宮崎作品がブタが戦車でやってくるや泥虎になってる世界線にいたかっ...

    • 自分で言っているけど まあ、百歩譲って「アニメにおいて監督の名前で客が呼べる人」という意味なのかもしれませんけど、 に尽きるよね。 ジャンルで考えるんじゃなくて、宮崎駿...

    • その通りだと思う。

    • ポスト宮崎とは「数年にいちどアニメ映画を公開してコンスタントにヒットを飛ばしてくれるアニメ監督」のことです。 映画業界やテレビ業界ではそれをもとにエコシステムが作られて...

    • ポストに「後に続くもの」以上の意味はないよ。

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