はてなキーワード: 造影剤とは
逆に、入院設備があってもそう言う対応をやってない病院の医者は、どうも楽観主義に捕らわれて駄目な気がする。
何でこんなことを言い始めたかというと、こんなことがあったから
で、脳外の医師に聞いたら、てんかんの対処になれていると、倒れた、その時にけいれんがある、と言う事になったら大抵てんかんとして処理しがちなのだそう。
ただ、細作の事態を想定して行動し、順番に潰していくと言う考え方がよいので、今後もそう言う考えで動かしてくださいと言われた。
教訓
承前 https://anond.hatelabo.jp/20230723205746
カテーテルでの手術だが、気管挿管をして全身麻酔で行うことになった。ミリ単位での治療になるので頭をなるべく固定したいとのことだった。
夫いわく、カテーテル検査は局所麻酔で行ったのだが、造影剤が入った瞬間、うわぁつとなる感覚があって、思わず身体が動いてしまう時があるそうだ。
主治医は「脳ではそういう感覚は出ないはずですが」と言っていたが、術中に身体を動かさないように念のためとのことだった。
カテーテル手術が終わったら、1日明けて、開頭手術を行う。
開頭手術は、主治医ではなく、ベテランの脳外科医が担当してくれることになった。
脳外科部長を務めるぐらいのキャリアがあり、後頭部からの手術の経験が豊富だとのことだった。
「頭蓋骨を外したらその部分はどうなるんですか?」
頭骨を切って外して、窓を作り、そこから顕微鏡で見ながら、脳の神経を避けながら、奇形になっている血管をレーザーで焼いたり、クリップを設置したりで、血流がいかないようにする。
こんな大手術に耐えられるのか。
説明を受けた夫が車イスで病室に帰った後、主治医に再度聞いた。
「どのぐらいリスクがあるものでしょうか? 夫の前では聞けないのですが」
持病がいろいろとある夫が開頭手術に耐えられるのか。開頭手術にはなんらかの後遺症が出るのではという不安があること、あまり例がない手術ではないかなど、率直に話をしたところ、執刀を担当する医師から話を聞けることになった。
執刀医も、主治医も、懸念をしているのは、問題の血管からの出血が脳幹にたまったことだという。
今回はたまたま出血量が少なかったから良かったが、次はこうはならないだろう。
脳幹は生命維持に関わる個所なので、なるべく手術を急ぐのは再出血が怖いからだと。
このような部位に血管の奇形があるのは珍しいが、術式としては経験があるし、一か八かのような手術ではない。
「セカンドオピニオンを取りますか?」と聞かれたが、セカンドオピニオンの手配をして、手術の段取りを壊すよりは、なるべく早く手術を受けた方がいいだろうと判断した。
懇談室で待っているのもくたびれて、手術室前のベンチに座っていたら、ちょうど主治医が出てきた。
「無事終わりました。もうすぐ出てきますよ」
と声をかけてくれた。
ICUに運ばれていくところで、
「終わったよ、手術うまくいったよ」
と夫に声をかけたが、麻酔でぼんやりしていて「え、なになに」というような反応だった。
ICUへ運ぶ看護師たちもホッとしたようだった。意識も戻っているしとりあえず、第1関門は通過したと思った。
「明日の手術は延期させてください」
なにか悪いことが起きたのか、とドキッとしたが、
昨日のカテーテル手術は、脳の奥にあってメスがいれられない箇所にある奇形の血管を塞ぐのが目的だった。
夫の体の血管の配置が、生まれつきカテーテルを入れにくくなっているので、時間がかかっていたのだが。
今回は通常とは違う部分から入れるように工夫をしたところ、思いのほかうまくカテーテルが入ったそうだ。
と主治医は説明をしていたが、開頭手術で対応しようとしていた箇所の血管にもカテーテルでアプローチをしてみたところ、ふさぐことができた。
造影しながら手術を進めていたが、画像を見る限り、対応しようとしていた血管のほとんどで血流がみえなくなってしまった。
確かに、血管の影が映っていない。
モヤモヤしていた部分が消えている。
予想していた以上の成功だった。
治療の副作用で、しばらくは激しい頭痛が続いたので、大事をとって入院をしただけで、再出血の恐れはほぼなくなっていた。
退院の時はタクシーで帰宅をした。その日は近所を歩くのも難しかった。入院していただけで体を動かしたわけでもなかったのに夫は10キロ以上やせたそうだ。
「脳ってエネルギーを使うんだね」
リハビリとして、昼間は出歩くと体力が消耗するだけなので、夜二人で歩くようにした。
少しずつ距離が伸びて、やっとスーパーまで行けるようになった。そんなことがうれしい。
並んで歩けることがこんなにうれしいなんて。
腹痛の原因はピンからキリまであります。軽くて一般的なものでいうと、便秘や感染性腸炎など。重大なものであれば腹膜炎や血管閉塞、腹腔臓器の癌などでしょうか。
元増田さんの原因だった憩室炎は単品だったら中の下くらい、イレウスを起こしたなら中の上くらいですかね。
診察、検査は症状の原因が上記のどういうものなのかを推理するために行います。
まずは、高齢者の方が当然若者より重篤な疾患がある可能性、疾患が致命的になる確率が高いのでより診察に慎重になるのは当然です。
「おなかが痛い」って言われたときに、ヤバいことになってる可能性は若者より老人の方が高いですよね。
「経過を見ましょうか」となるのは、検査や診察では重大なことになっているのか、ただの腸炎とか便秘とか大したことない原因で自然に良くなる腹痛なのか、『その段階では』判断がつかないから。
点じゃなくて線で見るということです。これが一番のポイント。
たとえば腹痛で受診して、その時点でできる診察や検査(しないこともある)をした上で緊急性はないと判断した場合は経過を見て、3日後にまだ腹痛が続く、増悪しているといった場合にさらに詳しい検査や大きい病院への紹介を検討するというのがセオリーです。
クリニックレベルでできる検査は血液検査やレントゲン、エコーができたらかなり上出来といったところ、詳しい検査になると造影CTやMRIなど。
「今朝からおなか痛い」っていう人全員に造影CT取ってたらきりがないし、医療資源の無駄遣い。放射線被ばくとか造影剤の副作用もある。
「これをあちこちのクリニックや病院で繰り返した結果」とありますが、一回受診したクリニック、病院を継続して受診せず、毎回いろいろなところに行きませんでした?
どんな医者も、ワンポイントの診察ではその症状が前回と比べてどうなっているのかが判断できないので、どうしても線で見るためにまた後日、とせざるを得ません。
ワンポイントで判断できる状態になっているということは、すなわち病状が進行して症状や検査値が明らかに重大、おかしいことになっているということです。
元増田さんを診察した医師たちがどのくらいの力量だったかはわかりませんが、そういう事情もあるということをご理解いただきたいです。
病気を見抜けるかどうかは正直医者の力量もかなりあります。スーパードクターだったら症状が乏しい初診の段階でお腹を触っただけで憩室炎と見抜けるかもしれないし、ヤブだったら痛みでのたうち回ってても痛み止めを出して返すかもしれません。これに関しては完全に運です。
別のガンで母を亡くした増田見て、まさかうちのことじゃないかと思ったらステージⅢの診断から始まってて(=うちではない)、そんなによくあることなのか、と改めて
1か月の節目で何か書こうと思ってたけど新しい話題がなくて結局書いてないんだけど
うち(anond:20230214195255)の場合の経緯(というより気づいた異変)を書いてみる
体の痛みの話をよく聞くようになった(本人はぶつけて悪くしたと思っていた)
・定期健康診断で肝臓に関する数値が基準値の3倍を超えていた(母本人は特に見せなくて、死後に結果の紙が出てきて知った)
<11月>
・代わりに買い物を頼まれた(普段使っていた路線バスに乗りたくない(ワンステップバスに当たると乗降が辛い)という趣旨で代わりを頼まれた)
・異様な便秘があり(おそらく健康診断の値について聞くのを兼ねて)、信頼していた内科を受診する
→薬を貰う
→効かないので再受診
→CTを撮るも「造影剤を使って撮り直さないと分からない」という結果で、大病院に行くことを求められる
<12月>
・年明け最初の診察日、 結果は乳がん転移性肝がん、治療を行った場合死亡する可能性が高いという告知
即日入院を求められるが、無理を言ってその日だけ帰宅(これが自宅で就寝した最後の日になった)し翌日に入院する
この転院自体はおそらく母にとっていい出来事だったと思う(1日120分まで面会が許可されたほか、医師の判断でおやつの持ち込みが許され持って行ってあげた)
ご飯が転院前は普通のご飯だったのが、転院後はおかゆに変わって助かったという話を聞いた(完食して嬉しそうな日もあった)
・第1週の某日、午後9時ごろに病院から意識が亡くなっているという電話が来て直行する(自宅から30分)も、到着時には心肺停止
亡くなる日には変な兆候があり
・コップで水を飲むことができなくなり砕いた氷で水分補給していた
・異常なレベルで光に過敏になっていた(照明を常夜灯にし、カーテンを閉めてほしいと頼んできた)
・何かを話そうとするも、なんの話題かどうか思い出せなくなり結局話せなかった
(唯一、私の鼻水の音を聞いて風邪の心配はしたので、死ぬ間際まで子どもを気遣う能力が残っていることに感心)
後から考えれば謎の便秘は高カルシウム血症の症状で、がんが骨に転移すると起きる症状に他ならなくて
「がんが骨を壊して、酷い便秘を起こす」なんていうのは全然思い当たらないしもうどうすりゃ気づけたんだよ、という気しかしない
令和4年12月6日1時6分、大動脈解離からの心タンポナーデで母が死去した。
本人曰く、風呂で体を洗ったあと湯船に浸かると急に顎をアッパーカットされたような痛みがして、その後頭と胸・背中が痛くなったらしい。それが5日21時過ぎ頃。受け答えは普通にできていたがこれまで感じたことのない痛みではあったらしい。
狭心症もしたことがあり万が一のためにミオコールスプレー(ニトログリセリン)を持っていたのでそれを利用したりして、22時頃まで様子を見ていたが状況は収まらず、看護師をしている従妹に連絡したら「直ぐに病院に連絡を」と言われたので
本人が直接症状をかかりつけの病院に電話で伝える。頭痛・胸背部痛を伝えたが、病院からは「明日まで様子を見ても大丈夫」とのことで少し安心していた
だが、従妹が来てくれて直接様子を見ると改めて病院に電話。病床が空いていないため救急で来ても見られない、とのこと。やはり気になるので#7119に電話。繋がらず、地域の消防署に連絡。ここでも症状を伝えたら救急車に来てもらえることになった。
3名の救急隊員に対応してもらい、体に心電図をつけてもらうが結果は正常、血圧は190/85くらいと少し高い。本人は同じように痛みを訴えている。意識は明確にある。救急隊員から改めて病院に連絡してもらうと、診ることはできるが入院は出来ない
必要な場合は転院となるがそれで良いか?とのこと。それで良いと伝えて病院に救急車で向かう。僕は初めて救急車に乗った。
病院に入ったのは23時過ぎ。母は痛そうな顔をしていたが意識はある。救急車より先に従妹と父が病院に来ており、救急外来家族待合で造影剤CTの誓約書を医師から説明されて書いてしばらく待つ。
翌0時より少し前(この辺、少し曖昧)に、医師が説明に出てきて、今心停止して蘇生処置をしているとのこと。
結局、そのまま戻ってこず、ほか家族が集まるのを待って最終の死亡確認と相成りました。
いやあ、参った。直前まで普通に過ごしていたのに、大動脈解離は急に来るのねぇ。
人工透析を20年以上やってて70手前なので死にそうなのはずっとだったけど、入院してもなんだかんだで帰ってきてたし、あちこち痛いというのもいつもの事。
卒後20年超、放射線科ストレートで患者に挿管だの心肺蘇生だのやったことありません。卒後しばらくしてBLS研修を受けたことはあるけど。
造影剤でごくまれにアナフィラキシー起こすので検査室の片隅(操作卓のそば)にアドレナリンとかポララミンとか入った救急カートは置いてあるけど、幸いなことに今までそれを使う機会はなかった。
さすがにアナフィラキシー初期対応でアドレナリン筋注、ぐらいは知識として知っている。でも同世代で知らない・やったことないって医師いると思うな。検診とかで食ってるような人。
なのでこの事件については起こりうるだろうな、とは思っている。アドレナリン静注しようとしたとこ、事患者家族に"『アナフィラキシーには対応したことはありません』。"とか説明したらしい
《ワクチン接種翌日に急死》「主人は泡をふいて搬送先で息絶えた」遺族が訴える厚労省“副反応調査”の問題点 |
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/47030
に対するコメント
id:teruyastar 1日200人心臓病で亡くなる所全員にワクチン打ってるしなあ。その日の食事も心筋症要因の高齢、男性、高血圧、持病? (糖尿病 高脂血症 肥満 喫煙) に引っかかりそうではある。mRNAは海外でも血栓報告無し https://bit.ly/3r4XudV
6/28付のアナルスオブインターナルメディシンに世界初というモデルナによる 血小板減少性血栓症の報告が載っています。
https://www.acpjournals.org/doi/10.7326/l21-0244
id:cardmics 年間の死者数は約140万人なので、ワクチンを打つ打たないに限らず今日から3日以内に死ぬ人は1万2,000人弱。ワクチン接種率はすでに高齢者の75%なので、ワクチン接種後の突然死はそれ相応に起こりうるよね。
その通り。個別の因果関係はだいたいわからないだろうから、打った人と打たない人との間で(この時点ですでに交絡因子が入り込む余地がある)今後も死亡率に差がないか調べる必要があります。そして個々の死亡例で、上記のような VITT/TTSが起こってないか、各個人の冠動脈疾患のリスクファクターをどのぐらい有していたかについて調べうる限り調べた方がいいですね。
id:kunioya それが確率的なものであったとしても、確率的であるならなおのこと「疑い」レベルで救済しないとワクチントンデモ連中が跋扈することになると思う。まれに心筋炎があることに注意。こういうのは救済すべき
確かに現行の救済制度(https://bit.ly/3wvGQFq)だと、「因果関係が認定された」場合のみ補償となっているのでこの人が救済されるかは微妙・明らかな外因死・治療中疾患による死亡でもない限りは救済対象にした方がよさそうとは思います。
id:T-miura ただの確立の話だとは思うが、紙一枚だと納得しずらいわな。CTのデータ(IAの話だと思うが)、カルテの写しとかもらって、遺族側の費用で第三者に見てもらうみたいな話はできんもんかね?対応はあんまよくないよな?
Ai (Autopsy Imaging) ですね。あれだと、冠動脈の石灰化は確認できても、それが死因と診断することはできません。石灰化した部分の内腔が詰まっているかどうかなど確認できません。
id:shinkuhadouken 虚血性心疾患の冠状動脈硬化症は生活習慣等が原因でありワクチンの結果起きたとは考えにくい。/偶然の産物だと思うのだが、それを遺族に納得してもらうのはとても難しい。/日本人の15%は心臓病で亡くなっている。
冠動脈の動脈硬化はそうでも、プラーク破綻を誘発したり、狭窄部に血栓を形成して急性心筋梗塞から死に至らしめることはありうる。偶然の産物と決めつけるのは早計。
当方放射線科医ですが、MRI検査の時に使うガドリニウム造影剤について痛い目を見たことがある業界です。かつて(20年ほど前)、ガドリニウム造影剤は安全に使える造影剤であると信じられていて、腎機能が悪い患者さんでも、少量だし尿から排泄されるだろうからら、と使っていました。ところが、2006年ごろから、腎機能が悪い人にガドリニウム造影剤を使うと、NSF(腎性全身性線維症,
致死率30%程度といわれる)という疾患を引き起こすことが分かってきました。また、2014年には何回もガドリニウム造影剤が投与された患者さんの脳内に沈着することが日本からの報告で明らかとなり、世界的に衝撃を与えました。この沈着により引き起こされる健康障害は確認されていませんが。ガドリニウム造影剤の発表が 1984なので、そのような副作用が明らかになるまで 22年かかったことになりますね。どんなに有用・必要とされる薬剤でもこのようなこともあるので、発売後のモニタリングは常に必要だし、どんな段階でも予断をもって決めつけると思いもよらない結果を招くこともあるのです。
どんな二人でも、出会う前に愛はない。出会い、愛が生まれ、はぐくむ。結婚は制度だから、どのタイミングで結婚するかと愛には恐らく関連がないし、見合い結婚が当たり前だった時代に愛がなかったというわけではないだろう。
増田は、結婚の前半の自分の接し方を悔いているようにもみえるが、まあ、あまり気にしないことだ。
癌の予後を考える場合に、重要なのがステージングだ。がんの進行度をステージに分類し、分類された患者がどのような経過をたどるか記録・統計することで、予後を想定することができる。
おもながんの予後はTNM分類といわれている。
Nはnode。リンパ節(Lymph node)への転移の程度。
Mはmetastasis。遠隔転移の有無になる。
多くの場合、術前に画像診断で大体のステージングをする。リンパ節について画像でわかるのは、リンパ節が腫れているという大きさの情報と、造影剤を使った場合にはがんに集積しやすい造影剤がリンパ節にも集まっているということだけであり、画像上所見のあるリンパ節に実際にがん細胞がいるかどうかは、手術してみないとわからないということになる。なので、病期分類(ステージング)は正確には手術後じゃないとわからない。術前のステージングはあくまで暫定的と考えたほうが良い。
原発腫瘍から離れたところにがん細胞があれば、手術しなかったりするけれど、この場合も、遠隔転移かどうか、細胞を少しとってきて、病理診断を依頼する。病理診断は顕微鏡で実際に細胞を見て、がん細胞かどうか診断することな。
原発腫瘍から離れたところだと、例えば、胃がんの肝臓の転移だったら、転移かどうか確定診断のために針で肝臓の腫瘍を刺してちょっと細胞を取ってきたりする。腹水と言って腹腔内に水が溜まっているときには針で腹を刺して水を抜いて、そこにがん細胞が見つかれば、遠隔転移有ってことになったりする。
増田の場合、手術してみないと病期がわからないというのは、むしろ明らかな遠隔転移はなく、リンパ節も、あまり原発巣から遠いところは腫れていないということなのではないかなー。
各臓器で、原発のガンがあった場合に、最初に転移するリンパ節がある程度決まっていて、一番最初に転移するリンパ節をセンチネルリンパ節といったりする。センチネルは門番って意味な。
リンパ節転移が、原発から経路の遠いところまであれば、より予後が悪い。乳がんなどのガンでは、一番近いところのリンパ節転移があっても、ステージIになったりする。
だから術前に想定されている病期はそれほど進んでいないのかもね。
ただ、手術して実際にリンパ節なりを取ってきて病理診断してもらわないと確定しないので、主治医ははっきりしたことは言えないってことだろう。ぬか喜びが一番きついから。
癌細胞の種類や、原発臓器によって、予後は変わるし、ステージが低いから安全ということもないです。一方、化学療法(抗がん剤)や放射線療法の組み合わせで、リンパ節転移が消えたりすることもある。結局経過を見ないといけない。おおむね5年くらい再発がなければ、完治とされるかな。乳がんは、10年たっても再発したりするので、やっぱり種類によりますよ。
例えば5年生存率95%とかいっても、こういう統計的なものって患者さんにとっては生きるか死ぬかだから、医者から聞いても気休め程度かなと思う。
(5年して、一人の患者が”95%生きている”状態ってのはなくて、100人患者がいたら、生きている患者が95人と、死んだ患者が5人ってだけだから。たくさん患者を診る主治医からすれば有用だけどね。)
さて、参考になるかわからないけれど、うちの妻の場合だけれど。
5歳年上の美人の奥さん。結婚して10年で乳がんが見つかった。見つかった時点で、胸骨リンパ節転移があった。乳がんのセンチネルは、腋下なので、胸骨リンパ節転移があると、一気にステージはIIIc。手術でも取れないし、放射線・化学療法でも消えてなくなりはしなかった。予後は統計している文献にもよるけれど、調べた範囲ではおおむね5年生存率60%。まあ怖くて直接には主治医に予後を聞いていないから、あくまで素人が調べた範囲だ。
泣けるね。
”再発”はしない。あるのは局所増大か遠隔転移のみ。再発っていうのは一度消えたがんにおこるものだからね。
泣いたね。
泣いたよ。
で、今は5年たった。定期的に検査をするけれど(PETかな)、妻の胸骨の内側にまだ癌はいます。いまのところはまだおとなしく共存しているけれど。
いつも思うことは、いずれ別れが来るということ。
でもそれは、がんがあってもなくても、誰にでもいつでも起こりうることなんだ。
通り魔に刺されるかもしれない。
隕石がおちてくるかもしれない。
いつ別れが来るかわからないから、今日一緒に時を過ごせることを大事にしたいんだ。
そういうふうに、別れを想像するとつらくて寂しくて怒りさえわくような、そんな彼女に出会えたことが、とても幸運だとおもうんだ。
大きな病気を得たとしても、すぐに不幸になるわけじゃない。不運と不幸は違うと思う。
健闘を祈る。
https://anond.hatelabo.jp/20190107214043
忘れないように書いておこうと思った。
褒められるような健康的な生活をしているわけでもないし、酒も飲むし、体重も結構あるし、
それでも、まさか自分がエコノミークラス症候群になるとは思ってもみなかった。
・気になる症状は時系列で控える
体調不良で1日自宅で寝込んだ後、突然左足ふくらはぎがパンパンに腫れる。
数十メートル歩くと足が攣ったようになり、歩行に支障が出るようになった。
この時点で整形外科を受診、原因わからず1週間様子を見るようにとのこと。
(先生曰く「血管なら太ももから腫れるはずだし、、様子を見ましょう」と)
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右足ふくらはぎと左足ふくらはぎの周囲長が7~8㎝も差がある状態で、
左足は引きずるように歩く有様。
再度整形外科を受診、状態を診た先生が「血管外科を受診してみてください」と。
教えていただいた血管外科クリニックに予約の電話を入れ、翌日伺うことに。
先生の診察で「死ぬところでしたね」とお言葉をいただき、すぐ血液検査と足のエコー検査を行う。
また、血栓が肺に移動してる可能性があるため救急外来に搬送するとのこと。
受け入れ先の病院に連絡を取ってもらう間(2時間程)ベッドで安静にするように指示がある。
救急外来に到着後、採血などを行い、足と胸のCTを撮る。CTも造影剤も初めての経験。
結果、肺に血栓が詰まっている状態が確認でき、肺塞栓症でそのまま入院となる。
治療計画書をもらうまでは軽く考えていたが、計画書の入院期間は2週間とのこと。
しばらくの間は点滴投与で、再度CTを撮り血栓の縮小が確認出来たら投薬に切り替え。
・昨年10月頃、仕事中に「階段を登る」「ちょっとした荷物を動かす」だけなのに、
多量の汗・激しい息切れが起きたことがあった。しばらくしたら治ったのであまり気にしなかった
・昨年後半、何もしてないのに左足膝裏が痛くなり整形外科を受診。この時も原因はわからず。
しばらくしたら痛みが治まった
・運動、日常生活中に左胸にチクチクとした痛みを感じることが稀にあった
今になって、肺塞栓症、深部静脈血栓症の症状を読んでいると、上にある症状がすべて当てはまる。
ただ、個々の症状だけだと気にしないでそのまま生活していたかもしれない。
医師の働き方と医療の在り方について、ネット上のいろいろな意見を読んで考えましたが、結局はシンプルな解決法はなくて、ひとつひとつ、少しでも業務を減らしたり、当直明けは原則休みにするという仕組みを作ったり(それでも24時間勤務だけど)、細かい部分から見直していくしかないんじゃないでしょうか。
東京医科大学が女性受験者の一律減点の決断をしたときの状況がどんなだったかは知りません。すでに現場が疲弊していて、これ以上女医を増やすなという声が上がっていたのかもしれない。
それでも、やはり一律減点は最悪の対応でしょう。聞いただけでぞっとする。自分のとった点数が女だからという理由で知らない間に減らされて、それで落とされるかもしれないとか…。
たしかに、医師のなり手を労働力(その人の人生で勤務させられる時間の総量)として数字だけでカウントするのならば合理的な判断なのかもしれないけど、その視点だけで物事を決めるのはどうかと思う。人を労働力としかみなさずに、人権も人生も軽んじている。
一律減点って関係者からすれば楽な方法にとびついて、それがどんなにひどいことか、まったく考えられなかったんだろうか。
昔と比べて女医の割合が増えたら、産休、育休がでたときの穴埋めの頻度も増えるわけで、たしかに現場は大変。カバーする人の負担はとても大きい。
(現状では、男性医師で育休とれる人はほとんどいないので「女医の割合が増えたら」という話になってしまうわけですが)
(あと、出産後数カ月で復職したばかりの女医さんに無理をいって通常の当直させているところもあると聞いたことある。出産・子育て中の女医に負担かかるパターン)
それでも、それをきっかけに医師の業務の在り方そのものについてもっと負担を軽減する方法を模索するしかないと思う。理想論だし、それだけでは解決しないと反論されそうだけど。
地道な業務改善の模索をめんどくさいと放棄して女医の数を制限するという選択肢だけは否定したい。
とりあえず私が思いつくのはさっきもちらっと書いたとおり2つ。当直明けの原則休みと、業務を減らす(というかレセプト病名業務なくしてほしいというただの願望)。
当直の割り振りって、昼間の勤務内容とか外来の曜日とか考えずに、とりあえず振り分けてる場合がほとんどでしょう?あとは医師どうしで交渉してくださいって感じで。
当直明けがそのまま外来日のときのしんどさよ(外科の場合は手術もあるわけで…最近はそうならないようにしているところもあるみたいだけど)。
「当直明けは原則休みにする」というのが何とか定着しないかな…。そのためには外来日前日を当直にしないとかの調整が必要でめんどくさいだろうけど。
それを医師自身で調整しろって言われたら調整担当になった医師が死ぬんで、当直決めてる事務方に面倒をお願いすることになるのが心苦しいけど。
休みと言われても病棟患者もってたら主治医はひととおりチェックすることが多いので休むつもりが気づいたらお昼…とかはあるあるだろうけど。
あと、結局回診やカンファの曜日とか決まってたり、人によっては会議とかあったりするので休めなかったりするかもしれないけど。
それでも原則が定着して、とりあえず昼間いったんは家に帰るなりして数時間休んでいいというのが当たり前になるとだいぶちがう気がする。
なんだかんだで患者さん目の前にしての診療はがんばれるのだけど、レセプト病名業務だけはやってられない気持ちになる。
どさっとレセプトの束がくるたび、私の場合は1時間半くらいはとられているかな(もっと多い人もいると思う)。だいたい月2~3回?くらいにわけてレセプトの束がくるんだけど。
診療の終わった夜とか、当直の合間とかにみんなカルテ開いてぽちぽちやってる。
レセプト病名、要は保険診療にのっとってやっていますよということを証明するために、すべての処方や検査に対して根拠となる病名が必要。
処方も検査も主治医が出しているので、原則主治医がつける。医師しかできないことになっている業務。患者何百人分たまると、けっこうな業務量になるわけです。
いや、通常のカルテ内容にはもちろん病名記載してるんですよ?それとは別に病名登録専用の画面に入れとかないといけないんです。
外来診療中にやってしまう人もいるのかもしれないけど、それはよほど手際がいいか余裕がある外来か。
外来ってただでさえ患者さんの話を聞いて検査結果もみて説明して何か異常あればいろいろ考えて検査と次の予約入れて処方入れて、造影剤使う場合は毎回同意書とって、ってやること多いので、別の画面開いて病名つける時間とかないもんな。
(パソコンって反応にタイムラグあるので、それだけで時間とられる)
レセプト業務、制度上必要な業務であることはわかるけど、こんな、医師に負担をかける形でやらないといけない?ってもう10年以上ずっと毎回毎回思ってる。
なんかまあ、仮にこの業務がなくなったところで(なくならんだろうけど)、実際の診療業務の労働問題は解決していないけど…でもこういうところから少しずつ見直していってほしいなと思うのでした。
今日も元気です。
今日はCTなのでした。お写真撮ると治療費はお高いです。全部で1万円弱(健保有)
あれです。血管に針通りにくいフレンズなので、点滴系は2,3回がデフォ…(´・ω・`)ショボーン
採血も、細いわねー 深いわねー って言われる。毎度言われる。
毎週受けてるから、いい加減、注射にも慣れろって思うのにやっぱり痛いのは痛いのです。
まー、終わったらケロっとするんだけどねー。一番ヤなのは、チクっとする瞬間なのだー。
じんわりするような継続する痛みとかつらさとかには結構鈍感みたい。ってか慣れちゃうみたい。
何にせよ、元気が一番だよね、ガンだけど。
あれです。手術とか治療とかってある程度、元気がないとできないんだねって最近思うの。
矛盾してるようだけど。
病気とかってイメージだと、病院のベットから動けないくらいのイメージだったのー。
テレビとかだとそうじゃん!
程度にもよるんだろうけど。
ほら私、見た目全然元気じゃん? けど、ガンじゃん。
ご飯も抗がん剤後1週間以外は、普通に割と何でも食べられちゃう。
でも、がん患者なのかな。それともステージ1如きで名乗るべきちゃうかな…
それ以外元気は元気。
他の病気もそうなんだろうなと思うの。
イメージではこんな感じって思い込んでること。
病気以外でもあるだろうけど…。
以前、『母親に結構な金が注ぎ込まれてる』(http://anond.hatelabo.jp/20160823232626)『はてなーが案外やさしかった件とその他のもろもろ』(http://anond.hatelabo.jp/20160824212145)というタイトルで、月60万円の抗がん剤を使いながら、日本の保険制度のおかげで、月1万5000円しか負担していない「相対的貧困者」である母親の闘病生活について書いた増田です。
日付みたら、もう半年がたっているのだが、ここにきて大きな変化があったので、つらつら書いていくことにしたい。
母はその後、一進一退の闘病生活を続けていた。
体調が良い時は、映画を観に行く時もあるし(『君の名は』は案外気に入ったらしい。)、副作用がきつい日は一日寝ていたり。
先週の金曜日までは。
抗がん剤をうって、体調が悪い時期をおえたばかり。
先週の水曜日は一人で病院に行き、とくに問題にすべき所見がない状態だったのだが、金曜になってどうやら尋常ならざる腹痛を覚えたらしく、土曜日に同居している姉が病院に連れて行った。
取りあえず、当直の内科医が診断したところ、腹膜炎をおこしているらしいとのことで、痛み止めをうったりレントゲン撮影などしているうちに、主治医や外科医が到着。
通常のCTスキャンだと、造影剤をつかうのだが、抗がん剤で体が弱っているため、造影剤をつかわずにCT撮影。
小腸か大腸に穿孔が疑われるのだが、画像では今一つ患部がはっきりしないらしい。
通常の患者ならば開腹手術に踏み切るところ、はたして、母の場合は体力がもつのか、また、抗がん剤の影響で、術後、傷がすぐにふさがるのかどうかが判断付かず、医者の協議がつづく。
主治医(産婦人科医。母が卵巣ガンのため)は、手術を主張するも、外科医と内科医は反対するという状況の中、結局、週末のため麻酔医の手配が付きそうもなく、また、あらためて放射線医の主導のもと、造影剤を使ったCT撮影の上で、精密な診断を下す必要があるとのことで、月曜日までは「保存的療法」(ようするに、点滴で栄養を補給しつつ、抗生物質で炎症を抑える対症療法)をとる、との診断に落ち着く。
(なお、ここまでは姉からの伝聞)
そして今日。
CT診断を経て主治医、放射線医、外科医、内科医などなどの協議の結果、正午過ぎにやはり手術をすることになる。
ただし、緊急の手術が入ってしまったたこともあり、開始時間がいつになるか分らないという。
準備をしてまつこと2時間くらいたっただろうか?
いよいよ手術ということで看護師なに4人がかりでベッドからストレッチャーに母を移す。
いや、自分で立ち上がれる(と、本人は思っているし、実際たちあがる)のだが、腹部にできるだけ圧迫を与えてはいけないとのことで。
母は手術に若干の不安を抱えているものの、現状では、うがいが許されている以外は一切、なにも口に入れることが許されず、手術によってその状況が改善されるのならば、と望んでいるようだ。
スタッフ・ステーション(最近は、ナース・ステーションとは言わないらしい)横の病室から、エレベータ、長い廊下を運ばれる母にくっついて、自分と姉も移動し、弱弱しくベッドで手を振る母は、「手術棟」の自動ドアの向こうに運ばれていった。
患部の状態を確認し、最悪、内臓の消毒や洗浄だけで、それほど積極的な処置もできずに終わるかもしれない、と説明されていたが、果たしてどうなることか・・・と待合室に席を落ち着けた途端、自動ドアがあいて、看護婦が「増田さん!」と叫んだ。
何事!!!
本来なら患者のみが呼びこまれるドアの内側に、姉と自分が駆けつける。
手術衣を来た外科医(協議で議論をリードし、重鎮っぽい空気を醸し出していた、いかにも精力的な医師である)が口を開いた。
どういうことか?
ところが、外科医は、昨年5月「まで」と、今の今まで勘違いをしていたようなのだ。
医師の説明するところでは、現在の薬を使っている場合、最後に投与して最低でも8週間は外科手術をしないほうがよいという。
もちろん、「明らかに今開かなければ、もう数時間で確実に大変なことになる」などという状況であれば判断もかわるが、母はまだ、そこまでの段階にはない。
腹部を押した場合、まだ痛みを感じるところと感じないところがある、という。
実際、つい先ほどまで、スマホをいじってメールを返信したり、電話に対応しているくらいなので、「もう我慢できないほどの痛みでのたうちまわっている」とか、そういう状態ではないのだ。
「ここまで来ていただいて、まことに申し訳ないのですが、やはり、もうちょっとだけ保存的な療法で様子を見るべきと、最終的に判断させてください」と頭を下げられて、「いや、手術してください」とはだれも言えない。
一緒に聞いていた母の心中は分らない。
手術への恐怖から一瞬だけ解放された安堵か、現状を劇的に回復される手段が先送りになったことへの絶望か。
もとの病室にもどり、しばらくして改めて主治医の説明を、母と姉と共に聞く。
「正直、腹膜炎の手術に関しては、自分の専門外の部分も多く、外科と内科の判断に従わざるを得ない。
『五月まで』と『五月から』の認識違いが生じてしまったことは誠に申し訳ない。
まずは、抗生物質で炎症を抑えつつ、点滴の種類を追加して栄養を補給し、しばらく様子をみる。
何分、抗がん剤は癌細胞だけでなく、内臓の正常な細胞にも影響をあたえるので、手術後、傷がふさがらなくなる可能性もある。
もうしばらく、抗がん剤の影響が少なくなるまで頑張りましょう、しばらく点滴だけで食べ物も飲み物もとれませんが云々」
といった説明があった。
やれやれ、ということで病室で落ち着いたところで、自分と姉だけが再び呼ばれた。
その瞬間、「来たな」と思った。
なぜ、もう説明が済んでいるのに、もう一度呼ばれるのか。
それは、「本人には伝えにくい診断があるから」以外に、理由はない。
「正直、私としては手術で状況を打開したかったのですが、申し訳ありません。
現在の薬には、消化管穿孔の副作用が起こる可能性が、ごくわずかながら起こる危険があるというのは以前からお伝えしていましたが(実際、それは母にも伝わっている)、
新しい薬ですから、正直、そういう症例が、当院では初めてですし、国内的にも症例はそう多くない。
だから、お母様に今後なにが起こるのかは、何とも言えません。
普通の消化管穿孔ならば、手術をしてしまうわけですから、消化管穿孔の患者に保存的療法を続けた場合の症例というのも多くないのです。
なにが起こっても不思議はない。」
「がんの発見から、もうすぐ丸6年ですから、お母様は大変よく頑張ってこられましたが、私にして差し上げられることが、現状では、なくなってしまったというのが正直なところです。
このまま持ちこたえれば、また手術もできるのですが」
そして、以前、父の時にいわれたセリフがでてきた。
曰く
「もし、会わせておきたい人がおられたら、そろそろ連絡を始めて下さい」
さて、ここで問題だ。
母はどの程度、自分の病状を認識しているのかが、つかみかねるのである。
実母と夫もガンでなくしている母は、ガンの末期というのは相当苦しく、また、その痛みを和らげるための薬を使ったりすることを知っている。
そして、今の母は、そういう状態にない。
考えてみれば当然であって、今の母は「がんの末期」で苦しんでいるのではなく、腸閉そくと消化管穿孔の症状で苦しんでいるのだ。
それは、ガンとの戦いの結果ではあるのだが。
突然、いろんな人が訪ねてきたら、それはそれで、母が何事かをさとり、精神的に追い詰めることにもなろうが、かといって、「間に合わなかった」ら悔いが残る。
この状況で「精神力」が病気と闘うのにどれだけ役に立つのか、良くわからないが、「アマゾンで注文した本が届いているはずだから、明日もってきて」などというほど頭がはっきりしている人の、生きる気力を奪うことはできない、というのが姉と自分の結論となった。
とりあえず、何人かの方に話をして「偶然近所に来る可能性がある人」から順番に呼ぶことにした。
明日以降、日々、状況は変化するだろう。何が起こるか、起こらないか。
6年前、「このままでは、1か月も持たない可能性もあります。即、手術です」といわれて、大震災後の輪番停電が続き、大至急の手術は延期するという状況の中で、母は最初の手術を受けた。
あれ以来「最悪の事態」を常に裏切ってここまできたが、はたして今回はどうなるか。
もし、外科医が「勘違い」に気が付かずに手術を結構していたらどうなっていたか。
誰にもわからないといは、とりあえず封じ込めて、明日も取り急ぎ有給をとっているので、「アマゾンから届いた本」をもって病院に行くことにする。
、
1年前,数日間頭痛が続くことがあり,病院に行った.もともと偏頭痛持ちで小学生くらいのころから定期的に頭が痛くなる体質だったが,そうした偏頭痛は大体半日くらいで治るので心配になったのだった.
医者は恐らく緊張型頭痛だと考えられるが,念の為頭部MRを撮るかと言ってその日のうちにMRを取ることになった.MRはCTと違い放射線ではなく磁気で人体内部を走査するもので,1回に40分ほど,1万円くらいかかった.
結果が出るのには1週間程度かかると言われ,その日は家に帰った.私は緊張型頭痛だったのかと安心し,それから数日して頭痛が収まったので,MRの結果をうっかり聞くのを忘れたままそれから1年が経った.
ある日,病院から手紙が来た.手紙には頭部MRの検査結果でお話したいことがあるという旨が書かれていた.頭痛はすっかり良くなっていたが,私は心配になり,1年ぶりに病院へ足を運んだ.
そこで初めて医者から「未破裂脳動脈瘤」という単語を聞かされることになった.
未破裂動脈瘤という病気がある.未破裂動脈瘤は動脈血管の何らかの理由で薄くなった部分が風船の様に膨れる病気で,それが破裂すると大量の出血が起こる.この未破裂動脈瘤が脳の動脈に起こるのが未破裂脳動脈瘤である.
逆に,破裂さえしなければ,瘤が相当大きくない限り(そもそも瘤が破裂せずにそこまで大きくなることは稀)何らかの症状が出ることはまったくない.また破裂するタイミングは予測ができない.
脳と言っても,瘤が脳を覆っているくも膜の内側にあるか外側にあるかで破裂した場合の結果が変わってくる.
脳動脈瘤がくも膜の内側で破裂した場合はくも膜下出血となり,1/3の患者が死亡,1/3の患者が重篤な障害,1/3の患者が特に何もなく日常生活に復帰できるという話だった.外の場合は硬膜外出血という別の病気となる.
私の場合は左目の奥,くも膜の内側にあるためくも膜下出血の恐れがあるということだった.
聞かされたときはなんだか現実感がなかった.「この一年で破裂しなくてよかったですね」「そうですね.ははは」という会話をして再度MRを撮るということになった.
脳動脈瘤の原因について尋ねたが,未だによく分かっていないらしく,先天的に血管の壁が薄いところがあって,そこが年を経ていって膨らんでいくというふうに考えられているということだった.
タバコやアルコールが後天的な原因と考えられているらしいが,私はタバコも吸わないし,アルコールも一滴も飲まない.なりやすさは遺伝するらしいが,くも膜下出血で亡くなった近しい親族はいない.男性より女性の方が若干なりやすいということだったが,私は男性である.なぜ動脈瘤が発生したのかはよく分からなかった.
再度撮ったMRの結果としては,瘤の大きさは1年前と変わっていなかった.未破裂動脈瘤は破裂する前に大きくなることが多いため,期せずして1年間観察することになったが,とりあえずは安定しているように見えるということだった.
動脈瘤の手術を受けられる病院への紹介状を書いてもらい,今度からはその別の病院に通うことになった.
新しい病院で脳血管造影を受けた.これは造影剤を流すためのカテーテルを腕から脳まで入れてCTで血管の三次元構造を撮影するもので,血管の様子を3Dモデルとして見ることができるという優れものである.
造影剤が流された瞬間,血管がカッと熱くなるのが分かり,普段は意識することのない自分の脳内の動脈がどこを走っているのかが体感として分かるという斬新な経験をした.
理由はよく分からないが,CTを撮っている時に,閉じている目の裏に飛蚊症のようなつぶつぶが動くのが見えた.
検査の結果,私の動脈瘤は細長い形をしており,長径が4mm,短径が2mmほど,先端に乳房に対する乳首のようにぽっちりと膨れている部分があることが分かった.
「通常5mm以下で形が均一なものは様子を見るということが多いが,君の場合は5mm以下だが形が不均一で,daughter sac(ぽっち)があり,かつ平均余命から考えて君はまだあと30年は生きてもらう必要がある.手術したほうがいい」医者が言った.「普通,君の年齢でこうした未破裂の脳動脈瘤が見つかることは珍しい.ほとんどが破裂してから病院に運び込まれて緊急手術して死んだり障害が残る」「破裂する前に見つかってよかったね」
破裂する確率はどれくらいか尋ねると,形や大きさにも依るが君の場合はだいたい1年で1%から2%くらいじゃないかなということだった.「君が80歳のお爺さんなら様子見するところなんだが」長く生きるならその間に破裂する確率は累積してやはり高くなる.
「そんなベルヌーイ試行みたいなことを言われても」と私は思ったが,実際そんなもんなのかもしれなかった.要は不発弾がいつの間にか脳内に埋まっていたということなのだ.
昔からある偏頭痛はこの動脈瘤と何か関係あるのか問うと,「全く関係ない」ということだった.「偏頭痛は生まれつきのもので,治るということはなく,それぞれの患者さんが偏頭痛の起こるきっかけを把握して予防するしか無い.ちなみに60を過ぎると起こらなくなることが多い.今は良い頓服薬があるから出しておこう」というので偏頭痛用にマクサルトという頓服薬を貰った.「頭痛があったからこそ今回動脈瘤が破裂する前に見つかったわけで,何がどう転ぶか分からんね」
私は病院からの帰り道に死ぬまでに破裂する確率を計算してみた.医者が言うように1年で破裂する確率が2%とすると,98%の確率で来年も破裂しないまま今と同じように生きているということだ.2年後も破裂しないままでいる確率は0.98*0.98でだいたい96%すなわちこの2年間の内に破裂する確率は100-96で4%ということだ.同様に平均寿命である80歳まで生きるとすると,残りの寿命は54年,0.98^54は0.34.34%の確率で破裂しない.逆に言えば,80歳までに66%の確率で破裂するということだ.
実際のところは破裂しても1/3の患者は日常生活に復帰できるので,80までにくも膜下出血で死ぬか重篤な障害によって死んだ感じになる確率は0.66*(2/3)で44%ほどと言える.
手術せず破裂しないのを祈るのは分の良い賭けとは言えなかった.
同様に,今から24時間で破裂する確率はどれくらいだろうと考えてみた.1年で破裂する確率を同様に2%とし,1年を365日とする.1日24時間で破裂する確率をxとすると,(1-x)^365=1-0.02であり,これを解くとxはだいたい0.000055となる.
すなわち0.0055%で24時間以内に破裂するということだ.後で調べて分かったが,これはだいたいスマホのガチャゲーで一回の試行でトップレアを引くのと同じくらいの確率である.私はとりあえず安心した.
同時に,自分って死ぬんだなと思った.幼い頃に死んだ祖父の冷たくなったゴムのような手を思い出し,それから交通事故で亡くなった小学生の時の親友を思い出した.
思い返すと,私は日々を死んだように生きてきたなあと思った.そしてこのまま突然死ぬのは嫌だなあと思った.死んだら何もかもどうでもよくなるので,生き残った場合に備えるべきだと思った.今まで研究にも就活にも後ろ向きな態度だったのを恥じた.
出すつもりのなかった研究予算に無理やり応募し,興味のある企業のインターンに応募した.
脳動脈瘤の手術のやり方は2種類ある.ひとつは頭を割り開き外からクリップで瘤を留める方法,もうひとつはカテーテルで血管の内側からプラチナ製のコイルを瘤内に詰める方法である.私の場合は瘤の位置がかなり脳の奥にあり,クリップで留めるのは難しいということだったので,カテーテルでコイルを詰めることになった.SFが好きなのでいつか身体に機械をインプラントしたいと思っていたが,まさか治療のためにこうして脳内に物体をインプラントすることになるとは.
コイルが詰められた瘤は血が血栓として固まって破裂しなくなり,二週間程度で膜ができて固まった血栓が飛ぶ心配が無くなるということだった.ただし,術後二週間は血栓ができにくくなる薬を飲む必要がある.
治療の過程でカテーテルの様子をCTで観測する必要があり,そのため長時間放射線に被爆することになるが,最近の機械は少ない放射線でかなり見えるようになっているので,そこまで気にする必要はないらしかった.昔は皮膚が放射線でやけどして赤くなったり,まれに白内障になったりということもあったらしいが,今はそんなことはまったくないとのこと.実際に放射線で皮膚や目に異常が起こることはなかった.
手術の成功率はだいたい97%程度ということだった.単純に考えて2年様子を見るくらいなら手術したほうが良いということだ.私は手術を受けることにした.
結論から言うと手術はうまくいった.関東では全身麻酔でやることが多いらしいが,関西ではカテーテルを入れる入り口である太もも付け根に局所麻酔をするだけが多いらしく,関西の病院だったので局所麻酔だけだった.
なので手術中は自分の脳内でカテーテルが動いているのが分かった.血管自体に痛覚を感じる神経は無いらしく,違和感だけで痛みはなかった.術中はバルーンで血流を一部止めるということだったが,脳というのはよくできていて,一箇所を堰き止めても全体の血流が滞らないように根本の血管が輪になっているので大丈夫だという話だった.後で医者曰く,「いつもは破裂してくも膜下出血を起こして運ばれてきた高齢者の動脈硬化した動脈瘤ばっかり手術してるんだけど,未破裂だし動脈硬化も無いし手術はやりやすかったよ.血栓による脳梗塞も見たところ起こってない」とのこと.
結局のところ手術のための入院で最も辛かったのは尿道カテーテルだった.脳に異物を入れるのよりも尿道に管を入れるほうが痛いというのも妙な話だが,入れるのも痛かったし,抜くのも痛かったし,抜いてから排尿するのも勇気を振り絞る必要があった(痛いが思い切って出すのがコツ).抜いた後排尿しようとして時折尿道から空気が出てくるのは奇妙な感覚だった.
手術直後は凄まじい頭痛が起こった.偏頭痛とよく似た慣れた痛みで,今までの偏頭痛では見たことのなかった歯車のようなギザギザしたものが空中に見えた.朦朧とした意識の中でこれが閃輝暗点というやつかと思った.気分も最悪で手術後にコイルの様子を見るためのMRを撮っている途中で我慢しきれず吐いてしまった(大変申し訳なかった).
翌日になるとだいぶ頭痛は収まったが,それでも一ヶ月ほど偏頭痛のような頭痛は続いた.最初の一週間は眠れないくらい痛い時もあった.他の脳動脈瘤の治療をした人の話を調べると術後にこうした頭痛を起こしている人はいなかったので個人差があるようだ.
1日経って,シャワーを浴びるために頭に湯をかぶった時に,左目に奇妙な筋が走った.明るいものを見て目が部分的に眩んだような感じだ.初めは何か明るいものを見て焼き付いているのだろうと思ったが,いつまで経っても消えなかった.閃輝暗点の一種だろうかと思い,しばらく様子を見ることにしたが,一向に消える気配が無い.翌朝眼科を受けたところ,左目の網膜の一部に浮腫ができているということが検査で分かった.原因は不明で,考えにくいが詰めた動脈瘤から血栓が網膜の血管に飛んだ恐れがあるということだった.通常,血管にはそうした血栓を通さないための仕組みがあり,そうした血栓が目に行くことはあまりないことらしい.
私としては熱いシャワーを頭に浴びたのがよくなかったのではないかと思う.それで血管が広がり血栓が通過してしまったのではないか.眼科医は「時間がかかるだろうが,浮腫は軽度のもので年齢的に若いから治る可能性が高い」と話した.神経の修復を促進するためのビタミン剤と血行を良くする薬を処方された.もしかしたら左目はずっと一部が見えないままなのかとウンザリしたが,見えていなかった左目の奥の動脈瘤という危険な穴が,命を脅かさない代償として目に見える位置に移動したのだと考えることにした.
退院後は血栓を作りにくくする薬を二週間飲んだ.応募していた企業のインターンが受かったため,それから二ヶ月の間インターンに参加して企業で結構忙しく働いたが,最初の方は頭痛が残っていた以外に動脈瘤の治療が何かの問題になることは無かった(目も実際のところそんなに気にならなかった).痛みや症状がある内は不安で頭が一杯になるかもしれないが,少なくともそうした不安がずっと続くことは決してないということが分かった.人間は適応するのだ.
それから数カ月が経ち,今現在は左目の網膜上の浮腫もほぼ無くなった.目が暗順応する過程でもやもやとした揺らめきが時折視界の外側に見えることがあるが,ほとんど日常生活する上では気にならなくなっている.
また,あれだけ頻発していた偏頭痛がほとんど起こらなくなり,起こっても以前ほどの痛みを伴わなくなった.思えば偏頭痛で毎回痛かった部分が動脈瘤のある場所だったのでやはり何か関係があったのではないかと思う.
手術前に応募した研究予算はやはり燦々(*1)惨憺たる結果だったが,インターンさせてもらった企業からは内定を貰ったので,来年から務める予定である.
脳動脈瘤は年齢に関係なく成人の5%程度が持っていると言われている.ほとんどの人にとって知り合いの内の数人は持っているということだ.ほとんどの脳動脈瘤は小さく,破裂することは稀だが,それでも全ての脳動脈瘤は破裂してくも膜下出血を起こす恐れがある(というかほとんど全てのくも膜下出血は発見されていなかった未破裂動脈瘤が破裂することで起こる.逆に未破裂脳動脈瘤が無い人はくも膜下出血を起こすことはほぼ無い).
くも膜下出血を起こしてからでは遅い.MRを撮ったことがない人,特に偏頭痛に悩んでいる人(*2)は一度MRを撮ってもらうことをおすすめする.
たとえ,未破裂脳動脈瘤があったとしても,パニックになる必要は無い.5%は引くかもしれないが,スーパーレアを引くのは難しい.
(*1) 20170108修正.コメントで多数指摘があった通り「燦々」は誤字.燦々たる結果だったらよかったのだけれど.指摘ありがとうございます.
(*2) 20170108修正.偏頭痛と脳動脈瘤は無関係なのでこういった提案はおかしいという指摘があったが,その通りである.医者の言によれば,脳動脈瘤を持っている人の中には偏頭痛持ちの人もいればそうでない人も脳動脈瘤が無い場合と同じようにいるということだった.ただ,私の実体験として,脳動脈瘤の治療後に偏頭痛の発生する頻度が激減したことと発生しても以前と比べて痛みが軽くなったことから,私の場合は両者には何らかの関係があるのではないかと考えている.しかしながら,これはたかだか一個人の体験から来た本人の推量であるので,一般的な話と考えるのは無理があった.指摘ありがとうございます.