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2020-06-18

治験HPVワクチン接種を受けた12年後に前がん病変で手術した話

初めに断っておくと「HPVワクチンは効かない」という話ではないです。

ちゃんと初めて性交渉をする前にワクチン接種をした上で
・定期的に婦人科受診する習慣を若いうちからつけましょう
・娘を持つ親御さんは臭いものに蓋じゃなくきちんと向き合いましょう

結論なので、分かってますよという人はここから先は読まなくて良いです。

続きを読む」が出来ていなかったら申し訳ない

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私について

30代後半、会社員、未婚、パートナーなし、子なし、一人暮らし

なぜこのエントリを書こうと思ったか

都知事選候補者が反ワクチンだとか某紙の反ワクチン報道が原因で接種率が下がった結果

最近になって対象世代に前がん病変が続出しているというSNS投稿を見て

思うところがあったので

HPVワクチン(4価)接種から前がん病変手術までの経緯

婦人科通い→治験に誘われる→協力(治験終了後に実薬接種が判明)→12年後に子宮頸がん検診に引っかかる→前がん病変で手術→経過観察中

要約するとこうなので、はいそうですかという人は次の大見出しに進んでください

ピルを飲むために婦人科に通っていた

私は元々生理が重かった。小学生の頃から塾の椅子を血で染めていたし、生理が重いというのは単に出血が多いだけではなく

授業中に身体をくの字に曲げながらトイレに行き、吐くわ下すわでそのまま保健室行きということもあった。

高校卒業後に自分携帯を持ち、調べるうちにピルには月経困難症を軽減する効用があると知って、

ピル処方に力を入れていると評判の婦人科に行ってみることにした。

ピルは私にとっては魔法のように素晴らしかった。生理は軽くなるし、いつ来るかわかるから慌てなくて済む。旅行ライブ生理と重なることと無縁になった。

婦人科に通ううちにHPVワクチン治験に参加しないかと誘われる

2007年、いつものように婦人科に行った私はHPVワクチン治験をやるが条件に合うなら協力しないかと誘われた。

一番印象に残っている条件は経験人数4人以下」

確か4人だったと思う。3人だったかもしれない。とにかく、HPVワクチンというのは本来初めての性交渉経験する前に

接種してHPV感染を予防するものなので、治験参加者にもある程度の制約があるということだ。

私は2003年5月に3人目の彼氏と別れて以来何もなかったので条件に合致するということになり、協力することにした。

治験は30ヶ月にわたり、終了後に「あなたに接種したのは実薬の4価ワクチンでした」と知らされた。

婦人科検診オールクリア10年以上続いた後、細胞診で引っかかる

その後も私は彼氏のいないフリーのまま、30代になってもピルを飲み続け婦人科に通い続けていた。

婦人科検診では何の問題もなく、世話になりはじめて10年を超えた婦人科からも「ワクチン打ったしね」と言われていた。

ところが2019年のある日、検診の結果を早く聞きに来いとクリニックから電話がかかってきた。子宮頸がん細胞診で引っかかっていた。

・前がん病変発見大学病院へ、そして手術

クリニックから連絡を受けた時点の細胞診結果は「ASC-H」というもので、追加の検査組織診)が必要な結果だった。

ところが組織診では要治療の所見が出ず、3ヶ月後にもう一度検査することになった。

そして3ヶ月後、今度は細胞診でASC-Hより2段階進んだ「HSIL」という結果になり、組織診では上皮内がんを含めた可能性のある

「CIN3」が出たため、私は手術のため大学病院を紹介されることとなった。

豆知識

子宮頸がんに関して、昔は前がん病変にあたるものを「0期」と表現していたが今はそれがない。

子宮頚部上皮内腫瘍」=「CIN」として、CIN3は放置すると浸潤がんに進行する可能性が高いため治療対象となる。

手術は「子宮頸部円錐切除術」といって、文字通り子宮頚部を円錐形に切り取る手術だった。

細胞診がブラシでこすった検体、組織診は米粒くらいに切り取った検体、円錐切除はさらに大きく切り取ってそれを病理診断に回すことになる。

幸いにして病理診断では悪性所見なし。私は現時点ではがんではなかったが、経過観察は続いている。

子宮頸がんHPV感染)に関する誤解

とあるアイドル子宮頸がん公表したらビッチ扱いされた話を聞いたことはあるだろうか。

これは私自身の誤解でもあったのだが、

HPVほとんどの場合免疫によって自然排出されるが、持続感染した場合は前がん病変を経てがん化する

この「持続感染」、決して「セックスの機会が途切れない」ことではないのだ。

ワクチン治験のくだりに書いているが、私に彼氏がいた人生の最終地点は「2003年5月である

前がん病変が出たということはHPV感染していたということだが、感染の機会は2003年5月より前なのだ

もっと言うと別れる前は数ヶ月に渡りレスだったので、人生最後セックスをしたのはさらに前ということになる。

2003年5月より前に感染したHPV2019年にがん検診で引っかかるまで体内で息を潜め続けていた

というのが私の身に起こったこなのだ

決してHPVワクチンが効かなかったわけではない、感染機会発生の前に打っておけ

前述の通り、HPVワクチンは初めての性交渉の前に打っておくものだ。

経験人数が少なくリスクが低いとみなされたものの、私が2007年ワクチン治験に協力した段階では、既にHPV感染していたということになる。

まり感染してから打っても意味はないよということ。その結果が手術することになった私だ。

どうしてもワクチンを打たないなら必ず婦人科検診を受ける習慣をつけろ

副作用報道のおかげで日本HPVワクチン接種率は地を這うような数字にまで落ち込んでしまった。

どうしても打ちたくない、うちの娘に打たせたくないならまあそれでもいい。

ならせめて早期発見のために婦人科検診を受けろ、娘に受けさせろ

これを声を大にして言いたい。

ワクチン接種率が下がったからって婦人科受診率は上がったか?上がっていないのだ。

初めに書いた「ワクチン接種率が落ちたことで対象世代に前がん病変が続出している」という(ソース不明の)SNS投稿

「前がん病変」のうちに見つかるのはきちんとがん検診を受けている人だ。

この状態なら手術にしても円錐切除で済んで子宮を取らずに済むし、私の場合円錐切除の入院は2泊3日、手術の2時間後には点滴等々すべての管が取れて

退院後は自力で歩いて帰宅できたくらいだから、前がん病変で見つけておけば大ごとにならずに済む可能性がまだあるのだ。

それがどうだろう、婦人科に行く習慣のない人が我慢我慢を重ねて色々な症状が出て初めて検査をしたら子宮全摘しか道がないとかいうことが本当にある。

親たちの偏見で娘の婦人科受診機会を奪っていないか

セックスうつるウイルスを防ぐワクチンなんて汚らわしいキーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!

うちの娘にそんなもの必要ないキーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!

という親のもとで育った娘さんが婦人科受診する心理的ハードルはいかばかりだろうか。

私は高校卒業後、まだ実家に住んでいた学生の時分にピルを処方してもらいに婦人科に通い初めたが、

ピルのことは学校の授業でも親からも教えられたことがない。そもそも初潮も誰からも教えられる前に来て、

パンツを血で真っ赤にしたまま何の病気だろうかと震えて小学校に登校したような有様だった。

結局私が自分の親に婦人科に通っていることと月経困難症改善のためにピルを飲んでいることを話したのは

30を過ぎてからだったと思う。同じく30代の従姉ががんのため子宮全摘した話を聞いた時だった。

娘を持つ親御さんには他人事と思わず、「生理が重い・つらい」は婦人科受診の十分な理由になり得るので、

健康管理の一貫としてしっかりと向き合うことで娘の命を、娘が将来子供が欲しいと思っているならその機会も含めて守ってあげてほしい。

2020-05-10

父亡くなる

私は物忘れがとても酷くて色々忘れちゃうから忘れない様に何度も読み返して記憶に焼き付ける為にメモする

 

末期癌の父をさっき自宅で皆で看取った

昼間訪問した時はまだ反応があったんだけど0時過ぎぐらいから呼吸がちょっとおかしくなったというので、母から2時に電話が来た

 

誰も歩いていない真夜中の静かな町を早歩きで向かう

暗く静かな道でバクバク打つ鼓動が妙に痛い

実家は近いか電話来てすぐに着けた

 

人工肛門にしてからどんどん痩せていって、

徐々にご飯が食べられなくなって、父は骨と皮でゴツゴツになってしまっていた

入れ歯だったからごっそりげっそり頬がこけちゃってねちょっと不憫でね

 

誰も泣き叫ばず静かに看取る真夜中

掌の中で命が消えていく哀しい時間

 

段々目の焦点が合わなくなって、白目が濁るってのかな?瞬きとかの動きが減っていき、亡くなると体温が失われて肌の色が変わっていくんだね知らなかった

 

その時を迎えた父は、寝た様に見えた

ぽかんとクチ開けていつものパジャマ着て酔って寝ちゃったみたいに

だけど、違う

腹膜が1mmも動いてない

それを見て、ああもう呼吸をしてないんだなって痛感した

開いた口と閉じた瞼

苦悶さは一切見えない

モルヒネの力で苦しさはなかったみたいだけど、目頭に残ったこの液体は、たぶん父の最期の涙だ

  

私が電話受けて実家着いてから10分ぐらいで父は逝った

まるで着くの待っててくれたみたいだ

昼間は自力でベッドから起き上がって座る位置直したり動いたりしてたって言ってから、今夜逝こうと決めたのかな?

それぐらい不思議な早さだった

 

末期がんの診断出て2年

思っていたよりも長く父は生きた

胃がん浸潤大腸切除

その後抗がん剤で髪が抜けてしまって、でも抗がん剤止めたら髪が生えて生命力すごいなーなんて言ってて

末期がんって判ってから仕事辞めて家にいる事になった父は家具作りやスマホ家事料理を始めた

引っ越したばかりの団地の部屋を得意の家具作りであちこち整え、スマホを学んでネット競馬したりLINEyoutube視聴やポケモンGOもしだした

炊き込みご飯を勧めたら気に入ったみたいで美味しいのを作る様になったし、カレーも作った

茶碗蒸しプリンも良く作って食べさせてくれた

庭いじりが好きな父は四季折々庭を整えられて少し楽しみを持ててたみたい

あとめだか飼いだしたけど上手く育てられなくてすぐ死んじゃうから悲しくなって飼うの止めたって聞いてちょっと辛かった

 

今回は自宅で看取れたので良かったと思う

心電図モニタは母の希望でつけなかった

祖父の時は病院心電図モニタありで音が結構辛くてイヤだなって思ってたから今回は無しでいくって聞いてたので良かったと思う

医者さんも看護師もいない自宅だから、逝こうとする父を皆で静かに見守れて良かったと思う

 

コロナで休業期間で家族全員が毎日じっくりゆっくり看取り期間があったから徐々に覚悟が出来た

 

ありがとうありがとう

って母がずっと言っていた

…お父さん

私もありがとうって思ってるよ

 

朝が来た

真っ白な光の風

暗かった闇が潮の満ち引きみたいに引いて朝が来た

父がいなくなってから初めての一日が始まる

しっかり務めるよ

 

 

火葬をしてきたので追記

 

日経ってから実家へ行った

一日後に見た父はダブルスーツ着せてもらえてて安置してもらってた

顔は一日前に見たままだった

胸には花束が載っていた

父が庭で育ててた花で作った花束

ピンクと白の綺麗な花で、ちょうど咲いたんだそうだ

手摘みの花束ってのがとても我が家らしいなと思った

 

もう一度、声をかける

訃報を送ったら、会社の人とか私の周囲の人達が私が父の面白話をちょこちょこしてたからか、話した事すら忘れてた父との小さなエピソードを覚えててくれて、それが嬉しいねーって話をしたり、孫が父に書いた手紙があったりしたのでそれを見せてもらった

 

出棺後はお別れの時間がないよと言うので、僅かだけど二人きりにしてもらった

線香をあげてから、頭を撫でる

暖かかった頭

髪の毛は一日前と同じ柔らかでふわふわだったけど、髪の毛の先、皮膚からはすでにドライアイスでかっちこちの冷え冷えの身体

わっちゃってて、最期に撫でた頭の温もりとのギャップ感がかなり激しかった

 

斎場

斎場は静かで少し薄暗く、涼しかったので落ち着いて過ごせた

 

先に行った私達から遅れて父と母が車で着いた

車はクラウン

ああ、トヨタなんだ

父はレンタカートヨタって決めてるぐらいトヨタ絶対の信頼を置いてたので、ちょっと笑ってしまった

(偶然なのか帰りに捕まえたタクシートヨタ製だった。どこまでトヨタ好きなんだ)

 

白っぽい棺が台車に載せて運ばれてきて、お花を入れてあげてと言われた

ここでも庭から摘んだ花を入れてあげられた

庭いじりが好きで実家も深い山の中の人から、あっちに行ってもきっと珍しい草木を見つけて育ててるだろうねなんて言いながら皆で父を花で埋めていく

注文してた花と育てた花で棺が埋まっていく

ダブルスーツパリッと着て綺麗な花に埋もれた父のその姿は、見ていても不思議と決して不幸な感じはしなかった

 

余談なんだけど、遠い昔、親戚の葬儀に参加した時、棺に釘を打つ作業があった

知らない親戚だったけどあれは二度とやりたくなかったから、この斎場ではそれがなくって良かったなと思った

 

粛々とやる事が進んで、やがて焼き場の扉前に棺が運ばれる

みんなで父にお礼を言った

ありがとう がんばったね ありがとう

泣きながら 泣き崩れない様に支え合いながら 涙そのままに 既に涙が枯れてたり

各々の別れ方だった

 

そして、横、縦と閉まっていく扉

金属製の重い境界の扉

かにかにしめやかに

その時は終わった

 

時間ぐらいして、燃え終えた父が出てきた

乾いた白いバラバラで粉々の崩れたただの物になった身体

それは死んだ珊瑚みたいで骨に見えなかったし、これが父だったんだとはちょっと思えなかった

物を骨壷に入れて、布巻いて、木箱を母が抱える

ようやく終わったなー。そんな感じ

 

真夏の様に暑かった昨日とはうって変わって、とても凉しい皐月らしい午後のお別れだった

 

三週間前ホスピス入院になったけど、何とか実家に戻ってきた父

そこからゆっくりゆっくりかに逝く様に準備をしてたそうだ

整えてなかった実家の不便な所のビフォーアフターを済ませ(DIY好きの父なのであちこち整えてった)、身の回りの物の整理や、搬出搬送やすい様に動線の整理も済ませ、亡くなる3日前、栄養のない点滴に自分意識で切り替えたとも聞いた

吐き気が酷かったんだって

 

二年半、末期がんの父を皆で思い思いに看病をし、逝くまでを皆で見られた事

祖父の時出来なかった事を全て出来たと思う

言い方悪いけど、母の時にまたやる事になるだろうから、その覚悟も出来たと思う

 

私もこんな風に逝けたらいいと思えた葬儀でした

 

コメントありがとうございました

モルヒネ意識が混濁してた父ですが、最期には目があって何度かアイコンタクトを交わせたのですが、その眼差しと動きには心残りや苦痛な感じは一切見受けられなかったので、悔い無かった様に感じられました

2019-12-29

35歳、授乳期にステージ0の乳がんになった

ありがとうインターネット

年代がん患者さんの情報発信きっかけで、幸いなことにステージ0の超早期乳がん発見したのがこの夏。

早期のがん患者治療を終えそのままひっそりと日常に戻って行く人が多いのか、あまりインターネット体験談も見当たらず…

この度約6ヶ月の治療を終えたので、簡単ではあります自分体験談インターネット漂流させてください。


発見きっか


子の授乳中、胸に触ったら左胸にしこりが触れた

昨年、子を出産しました。

出産直後は乳の生産が安定せず、両胸しこりだらけ(これはあるある)。

そして徐々に安定供給が始まり1年が経ち…そろそろ乳が枯れてくる時期にやってきても1箇所だけ残り続けるしこり

丸というよりは、いびつな楕円形…?

触れて見た感じでは2センチくらい。

「ここだけ母乳が溜まりやすいのかな?なんか気になるな」と思いつつ、体調面での自覚症状は何もなし。

あと最大の難関は、自分病院に行きたくても0歳児を預かってくれる先もなく…しこりに気づいてから半年はゆるやかに過ぎて行きました。

身近にいるがん患者記事を読む機会があった

これまで、TVピンクリボン特集を見ても、芸能人乳がんになったニュースを見ても、全部人ごとだと思ってました。

両親も健在。

身内にも乳がんはいない。

でも、そんな私でもなっちゃうんですね…がんに。

しこりに気づいて半年が経ち、子が1歳になったので保育園に預けて復職

その頃、同じ職業の30代子持ち女性乳がん闘病記を読む機会がありました。

なんとなく「授乳中だから関係ないだろう」で済ませていたしこりがまた気になり始めます

安心するために、乳腺科に検査に行っておくか」という軽い気持ち

早めに会社を早退し病院を予約、保育園にお迎えに行くまでの1時間検査に行きました。

過去会社健康診断乳がん検診も受けたことがあり、エコー検査マンモグラフィも受けたことがあったので、検査自体特に不安はありませんでした。

(検索すると、よく「マンモは泣くくらい痛い」とか出てくるが、個人差あるのでビビってないでとりあえず検査には行って欲しい)

発見した乳がんの種類

結果、町医者での検査では「良性腫瘍です」。

ホッとしたものの、「念のために精密検査受けますか?」と言われ、「まぁ安心するために受けとくか」くらいの気持ち

病院を紹介してもらい後日精密検査をしたら一転。

悪性腫瘍だということがわかりました。

最終的な病理結果は以下。

あれよあれよという間に精密検査の日程が組まれ、手術日が決まり、手術決行。

ジェットコースターのような数カ月でした。

気持ちの変化


思えば、はじめに町医者に行って検査結果を待っている間が一番気持ち谷底でした。

考えうる最悪のシナリオを一日中考えていた気がします。

今、標準治療がすべて終わって当時の自分の心境に一問一答で答えて行くと

子供が成人するまで生きていられるのかな…」

ステージ1でも、5年生存100%2019年においては、早期の乳がんは治せる病です。信頼できる最新の統計データを見て一旦落ち着こう。

乳がん母乳を子に飲ませてしまたかもしれない…」

医学的に、子に対して影響はないとエビデンスが出ているそうです。

仕事も、休職退職かな…」

→実際には、手術入院の5日間を除いては、通院しながら継続して働くことができました。焦って会社辞めないで!人事とか社労士さんに相談して!!

「髪が全部抜けちゃったり、一日中吐き続けるのかな…」

テレビドラマ悲劇的な演出に毒されています…これは抗がん剤副作用乳がん放射線治療では髪は抜けません。

「左胸だけ凹んじゃうのか。二度と温泉に行けないのかな…」

→左胸に手術の傷はありますが、驚くことにサイズにほぼ左右差がありません。目立ちにくく仕上げてくれたそうです。先生ありがとう医学ってすごい!

「これから医療費はいくらかかるんだろう…数千万とか用意できないよ…」

トータルでかかった治療費は、半年間でだいたい40万円くらいでした(加入している健保で上限を超えた分はこのあと戻ってくるので、この半額以下になります)


今回の学び


一番の恐怖は無知

身近に患者がいない人にとっては、先入観で「がん=治せない病気」だと思っている人も多いと思います。(私もそうでした)

正しい医学情報に触れましょう。しかも最新の。2000年代2010年代でも標準治療の内容は変化しています

私の場合は、夫が徹底的にここ最近データを調べ上げてエビデンス武装してくれたため心強かったです。

早期であれば、仕事と通院を両立しながらがんは治療できる

仕事をしていたから、がんのことを考えすぎずに生活できたと思います

周囲に告知するかどうかは慎重に

身近な例としての啓発も含めて、割と気軽に周囲の友人にカミングアウトしていたのですが、

友人がドン引きしてしまい変な空気になってしまたことが何回かありました。

相手も、わたしとどう接していいかからなかったんだと思います

そもそも相手自分乳がんであることを伝えて、どうしたいのか?」を考えた方が良いなと感じました…。

身体違和感があるなら、検査へ行こう

子育て世代のみんなー!皮膚科小児科耳鼻科…子の通院行脚お疲れ様です!

自分の通院ってついつい後回しになるよね。わかる!

でもね…違和感があったら、検査に行ってみてください。

あとこれを読んでるパパさん、ママ検査に行くために会社遅刻/早退して子供を見ていてくれると嬉しいです。





この後10年間の経過観察が控えていますが、

ひとまず一区切りということで。

◾︎2019/12/30追記

驚くほど多くの人に読んでもらえて嬉しい!あたたか言葉ありがとうございます。一点だけ補足。

町医者はどうして見逃したのか?】

曖昧記述があってはいけない」と具体的な医学情報を端折った関係で、言葉足らずになってしまいました。

近所の乳腺科では「穿刺吸引細胞診」という検査を受けました。これは即日検査できる反面、取れる細胞も少ないので確定判断が難しいそうです。(ちなみに転院時、検体を大病院にも持ち込みましたがそちらでも「良性」との判断でした)

病院では、局所麻酔をして更に多くの細胞採取する「針生検」という検査を事前予約して行いました。

ステージ0で見つけるのも難しい段階のがんだったと思いますし、むしろ町医者先生が適切に大病院へとご紹介してくれて大変感謝しております先生ありがとう!!

2019-06-15

anond:20190615210456

冷戦終了すれば用済み

欠陥兵器を売り付け赤字押し付け負債を膨れさせ周辺国家にケンカを売らせて火種にする

沖縄いじめ天皇というキングを維持すれば日本人同士で争ってアメリカへ怒りが向かわないから第二次浸潤ワン攻撃も起きない

 
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