はてなキーワード: 作曲者とは
カノン進行を大逆循環と呼ぶことについてを書いたが、パッヘルベルのカノンのようなほとんど無名だった曲が後世の神アレンジで有名になるということを考えたい。パッヘルベルのカノンが有名になった経緯というのは謎に包まれている。参考:【訃報】流石だったよなパイヤールhttp://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1366627357/ 他の曲ではヴィヴァルディの四季なんかもとてもバロック時代との作品とは思えないので後世の味付けで有名になったのだと思う。そういう曲は結構あるはずだ。
そもそもクラシックの指揮者はどういうところで評価されるのかを考えると、曲の発掘という面もあるとおもう。フルトヴェングラー、カラヤン、C. クライバー、小澤征爾などもそういう発掘曲があるのだと思う。ヴィヴァルディの四季の場合を調べると、イ・ムジチ合奏団が有名で日本でレコードがすごく売れたらしい。合奏団が有名なケースもあるようだ。
ネットではカノンのJPOPへの影響が拡散されているが、現代での過去曲の評価は作曲者の評価が上がることになる。演奏指揮より作曲者の評価が上なのは正当な評価だろう。実際パッヘルベルのカノンのような美しい同度3声カノンをかける作曲者が現代にいるとは思えない。でも場合によってはすごいのは誰なのか評価が安定しない事もありえると思った。
大体こういうツイートはツイート元の宣伝内容に沿った宣伝をするのが普通だろ。
なのにアニメのキャプだのネットの拾い画でバズってお前の宣伝かよ。
つーかお前誰だよって感じ。「ちょお前人気者じゃんw」ももうそんな面白くないよ。
というか冷静に考えてみてくれよ、お前そのやってる事はバスの外装に無許可で自分のツイート張り付けてるもんだろ。
渋谷の細い通り道にステッカー貼りまくってるDQNと変わらないぞ。
クリエイターもそれで本当に良いのか?良いんだろうけど。
こんなツイート見なくて良いから俺の〇〇を見てくれって別にお前の〇〇興味ねえからだよ。
某作曲者は「はぁ…なんで曲は聞いてくれないのに…」とかツイートしてたけど興味無いからだよ。
承認欲求満たしたいならせめて自分の好きなコンテンツに付加価値を加えろ。
そうでもないのにバズって宣伝すんな。するならそのコンテンツにしろ。
何気なくググったらオルフェンズEDのライブ動画あったから見たけど歌唱力やべえ
MISIAで一番好きな曲は包み込むようにっていうくらい最初のインパクトが今でも強いし
当時はなんかすげえ高い声出せるっていうのが売りだったけどいつのまにかそんなこと言われなくなったしそんな売りがなくても普通の歌唱力で圧倒できるすごさのある歌手だった
ああそれにしてもオルフェンズの涙いいわ
アニメのEDでなぜか飛ばせないEDってあるけどオルフェンズはまさにそれだった
オルフェンズ1期だけは全部みたけど一度も飛ばせなかったわ
それにしても包み込むようにはやっぱりいいわ
大好き
ぐぐったら
作詞・作曲者である島野聡は、自身が男性2人組『Love Lights Fields』のメンバーとして活動していた時にこの曲を製作し、レコーディングも試みられていたが、同グループのボーカルだった園田利隆の歌声で発表する事に納得がいかず断念。いつかこの楽曲を歌いこなせる歌手に巡り会うまでと、封印していたのだという
だってさ
すげえわ
ネット上の歌詞論評など見てると、歌詞は曲とは独立した要素として論じられてるモノが散見される。
でも、歌詞と曲は不可分なモノだ。
めちゃめちゃ分かりやすい例で言えば、
見つめ「あーーー」うと(TSUNAMI)
「だーーー」れも触れない(ロビンソン)
のように、音を伸ばす部分で“a”の音を当てたりする。
スピッツの「チェリー」という曲のサビは、「あ↑いしてる↓」という本来の言葉のアクセントとメロディがガッチリ合っている。
他にもミスチルの「名もなき詩」のサビ「あ↑るがまま↑」など、この言葉のチョイスが気持ちのいい響きを生み出していることに気づく。
他にも、コードやメロディの流れと、歌詞中の物語が連動していたり…「曲」という制限がある中で言葉をチョイスしていき、曲の持つ力を何倍にも膨らませるのが歌詞の役割だと私は思う。
例が偏ってしまったが、作曲者=作詞者でなければならないと言いたいわけではない。
作詞専業でも凄い人はいる。たとえば「チャラヘッチャラ」とか専業の人じゃないと出てこない歌詞だと思う。
ただ、作詞というのは文学的感性・技術に加えて音楽的な感性が必要とされる仕事であることは間違いない。
ちなみに歌詞に対して曲をつけるという作業に関しては私は全く知識がないのでそこを突っ込まれると弱い。
昔は普通に行われていたらしいが。「木綿のハンカチーフ」などは代表例だが、その楽曲としての完成度の高さには驚嘆せざるをえない。
いろいろあるが・・・前衛的なものを出してもしょうがないだろうから、それを省いていくつか。
作曲年:1947
ttps://www.youtube.com/watch?v=4l0Rxc3MFHA
日本では全くといっていいいほど知られていない作曲家。海外でも再演には恵まれていない。この曲は多くの有名作曲家を輩出したナディア・ブーランジェに献呈された曲。
作曲:Lili Boulanger
作曲年:1912
ttps://www.youtube.com/watch?v=fT8fJMyOJRw
上の曲で献呈されたナディア・ブーランジェの妹による作品。24歳にして夭逝。
題名:Sonatine
作曲年:1915
ttps://www.youtube.com/watch?v=raIdacyJtf4
バルトークは民族音楽研究者であったり、かつて存在した国際連盟の精神的協力委員の側面を持つ学者肌な作曲家。クラシック音楽を聴かない人でも、日本では劇的!ビフォーアフターの使用曲で有名だろう。
題名:Phrygian gates
作曲年:1978
ttps://www.youtube.com/watch?v=-7r8XV1bylY
久石譲が好きだと言うので、おそらくは抑えていると思いますが。題名通り、フリギア旋法に基づいている作品。ミニマリズムの反復的な影響を残しつつも形式を重んじ音楽の変化が明確に感じられる作品。
作曲:Erkki-Sven Tüür
作曲年:1985
ttps://www.youtube.com/watch?v=TpUGPptpq1o
北欧の作曲家は比較的調性を感じさせる穏健な作風であるため、氏の作品は日本でも演奏に取り上げられることが現代音楽にしては多く、受容が進んでいる。ウケが良いのは間違いなく3楽章。
題名:Piano Etude I "Frozen Heat"
作曲年:1998
ttps://www.youtube.com/watch?v=-xwjS8mi8Qo
私が書くより本人の弁を直接読んだほうがいいだろう。
ttps://www.daifujikura.com/un/lw_frozenheat.html
発売年:2017
ttps://www.youtube.com/watch?v=xGi23M_5lXg
ゼルダの伝説は時のオカリナ以降作品ごとにフィーチャーされる楽器が代わるが、今作はピアノがメイン。ゲームの多くでピアノの音が聞かれる
この音楽はインタラクティブミュージックであり、いくつかの音型、強弱などの要素を組み合わせて演奏される。ソース元の動画はあくまで一部分であり、ゲームに耳を傾ければもっと多くの音楽が聞こえてくる。楽譜に起こすならば20世紀の前衛音楽を参照する必要があり、正直に言うとこれを現代音楽のカテゴリに入れてしまいたい気持ちを抑えてゲーム音楽の枠に押し込んでいる。
発売年:2017
ttps://www.youtube.com/watch?v=bRB1WlOE6Eg
こちらはインタラクティブミュージックではない。私も書き起こして弾いてみたがこれは未経験者でも少しの練習で弾ける程度に易しい。ピアノをフィーチャーした作品とは言え、純然たるピアノ曲は数えるほどしかない。これはその中の一曲。
題名:"β"4
作曲:浜渦 正志
発売年:1999
ttps://www.youtube.com/watch?v=96FG6hvr-DE
この曲はサガ・フロンティア2で使用された曲を作曲者本人がまとめあげた作品集の一曲。清新な和声感と統一されたモティーフから、ゲーム音楽の枠に留めておくには惜しい格調高い作品として仕上がっている。これに限らず、全曲オススメ。
MMD界隈の人がMMD用に配布している3Dモデルデータ(通常人型をしている)やモーションデータ(通常、3Dモデルをダンスさせるためのデータ)がVRChatのアバター(VRChat内でのプレイヤーの外見)へ流用される問題が起きている。
ググってもらうのが一番早いのだが、MMDというのはMikuMikuDanceの略で動画作成用のフリーソフトの名称である。名前の通り、要は初音ミクが歌って踊る動画をだれでも作れるという代物だ。この「初音ミク」は好きなキャラに置き換えることができる。いわゆる二次創作な3Dキャラ(MMDではモデルという)が歌い踊るところがみられるわけだ。どうせ伝わらないけど、これをVRで観るとほんとすごい。
最近の音楽動画が「作曲者」「演奏者」「歌い手」の分業でなされるように、MMDも「モデル」「モーション」などと分業されている。モデルを作った人は自分が作ったモデルが踊っているところが見たいのでそれを(しばしば条件つきで)公開する。
この「公開されている」データがVRChatに無許可で転用される問題が相次いでいる。VRChatでは「アバターワールド」というものがあり、誰かがそれをアップロードすればすべてのユーザーがそのアバターを使用することができる。つまり「誰か」が無許可アバターを含むアバターワールドをアップロードすれば、無許可アバターはあっという間に大人数のアバターとして使用される。VRChatでは「記念撮影」のようなことが可能で、それをSNSにアップロードしてはだれかがモデル製作者に通報するというイタチごっこが続いている。
なお、この騒動で「二次創作」と「二次的著作物」を混同している向きが非常に多いが全くの別物である。以下でも区別して論じるので留意されたい。
ここで、MMD界隈では多種多様なモデルが公開されている点が肝要である。MMDモデルのほとんどは二次創作だと思っているが、念のためここで
という風にモデルを分類してみる。
①については議論の余地なく濫用する側が悪いだろう(ただし二次的著作物の権利は著作者も有する点は注意が必要である)。おそらく問題になってくるのは②と③の場合。
著作権法は親告罪なので「権利は与えないけど訴えることもしないよ」と表明することができる。②の場合がそれで、モデラーは二次創作物であるところのモデルを頒布することができるが、その権利を主張することはできない※。だからといって私は「二次創作者は文句を言うな」と言いたいわけではない。法的な権利こそなくとも、自分が汗水垂らして拵えたモノ(3Dモデル)を他人が我が物で勝手に使うことが面白いわけがない。私もモノづくり屋の端くれとして心中察するに余る。
特にMMD側の人は「自分の作ったモデルを知らないオッサンが着て女子会をしている」状況に生理的嫌悪感を抱いているようにも見える。想い入れがあるからこそ二次創作をするのだろうから分からなくもない。
なお、二次創作物に対しても著作者は当然に権利を持っているので、モデル製作者の権利を問わず二次創作物の使用は原著作者の権利を冒している可能性が高いことはVRChat界隈においてもっと周知されるべきだろう。逆に「原作者の権利が!」と言いすぎるとMMD界隈は自らの首を絞めることになる。MMDでの著作物の取り扱いにおいて、今までかなりグレーな運用がなされてきたのはもはや公然の事実であろう。
ここで残念なことに一定数のVRChat界隈の人が「法的権利もないのに吠えるな」と開き直ってヘイトを買っているのを見かける。逆に、存在しない法的権利を主張してヘイトを撒き散らしているMMD側の人もあるようで、おそらくこの辺りがこの問題の本質だろう。互いに法的拘束力がないということは、つまりはモラルの問題である。お互いに尊重しあいたいところである。
③が非常に微妙である。ひょっとすると「MMDの中だけだから」ということで特別にお目こぼしをいただいているパターンもあるだろう。だがVRChatではセクハラまがいや疑似性交などもできてしまう。原作者がこのことに気づき、MMD界隈もろとも焼き尽くす可能性がある。②にしても同じである。「いやーそれはちょっとマズいんでやっぱモデル公開とかやめてもらえますかね?」となりかねない。
そしてもう和解の時は逸してしまったかもしれない。詳細は伏せるがMMDのモデルデータ達はすでに世界中にばら撒かれてしまった。日本人オタク同士ですら分かり合えないのに、どこかの知らない外国人に日本の同人文化の機微を察しろという方が無理筋である。大変残念なことにMMD界隈の人がひっそりと営んでいたパーティーは終わりの刻を迎えつつあるかもしれないのだ。
非常に厳しい状況になってはしまったが、諸問題の円満な解決を祈るばかりである。
※二次創作は原作の著作権法上の「複製、翻案、変形、脚色(以下、翻案等とする)」であり、それらの権利は原作者が「占有」すると著作権法に明記されている。つまり翻案等には原作者の許諾が必要であり「原作者が文句言ってこないから、これは俺の著作物」とはならない。
https://kotaku.com/politician-made-anti-lgbtq-comments-on-dragon-quest-com-1827885043
日本の政治家である杉田水脈がTV番組で行った反LGBTQ発言は、世界的なニュースになった。このTV番組の共同司会者は「ドラゴンクエスト」の作曲者、すぎやまこういちだ。このことは Twitter ユーザの Shaun Musgrave によって指摘された。
君はこの恐ろしくて忌々しい話をぶちまける酷い政治家とヘラヘラ笑ってる司会者たちの動画を見たかもしれない。
でも君が多分気付いていないのは、この番組で笑ってる司会者の1人がドラゴンクエストシリーズの作曲者、すぎやまこういちだってことだ。
これは極めて右翼主義的な放送局だ。番組は社会の主流ではなく、広く見られてもいない。だがこれはすぎやまの仕事だ。番組のテロップはすぎやまの政治的主張とともに、彼がドラクエの作曲者だと紹介している。以下は杉田のコメントだ。動画は編集され字幕が付けられている (フルバージョンはここから視聴可能)。一緒に聞こえてくるのが、すぎやまの笑い声だ。
日本の国会議員らがLGBT教育についてTVで話している。これが現在の状況だ。
#MeToo #takepride #LGBT #transgender #Japan pic.twitter.com/pSt4M1BgQ0
上の動画クリップに含まれていないが、杉田はゲイカップルに税金が使われるべきでないと話した際、"差別じゃないですよね。区別なんです" と付け加えた。すぎやまも "(それは) 区別" と言って同調している。
杉田はすでにその発言を厳しく非難されている。日本最大の新聞のひとつ朝日新聞は "社会は杉田の愚かな発言を排除したが、自民党は違った" と題した社説を掲載した。杉田は自民党=自由民主党 (Liberal Democratic Party) のメンバーだが、この政党はリベラルではなく、むしろ保守与党だ。
杉田が物議を呼んだのは今回だけではない。今月初め、杉田はレイプを告発した女性ジャーナリスト伊藤詩織氏の "女性として明らかな落ち度" を非難した。それは "男性の前でたくさん酒を飲んで記憶をなくした" というものだ。この杉田がいったいどんな政治家なのか気になるなら、テンプル大学教授 Michael Thomas Cucek による説明がある。
3) 18年の地方官僚を経て、彼女は政界入りした。極度に狭量な右翼の道化たち (Yamada Hiroshi, Hironuma Takeo, the Nakaharas) と石原慎太郎の取り巻きとなり、
8) そこから逆戻りして、杉田は2012年に維新の会の地元選挙区で最も人気のない候補者にランク付けられながら議席を勝ち取った。
すぎやまが物議の中心人物となるのも、これが初めてではない。この著名な作曲家は、日本の戦争犯罪否定主義者だと見なされてきた。かつて南京大虐殺はなかったと主張するドキュメンタリーで猛批判を浴びたこの放送局に彼が出演する理由も、自ずとわかるだろう。
スクウェアエニックスがこれについてどう考えているか興味深い。
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出展:ハングル板より https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/korea/1532664540/
「演歌は創られた伝統」というのは要するに、「演歌はニセモノの日本の伝統だ」ということですよね。
「ニセモノ」というのは、「ホンモノ」があるから成り立つわけです。ホンモノが明確ではないのであれば、ニセモノも明確ではないということになる。
だとすると、
これは正しい。
まずそもそも「日本」という単位自体がナショナリズムそのものといっていい。
ゲルナーは『民族とナショナリズム』において"政治的単位と民族的単位を一致させようとする政治的原理"をナショナリズムと捉えた。
肯定する場合でも否定する場合でも主語を日本にしてしまうとそうなる。
国家及び民族を主語にして語る時点でナショナリズム的と言っていい。
ということを自明であるかのように語る人がいっぱいいるけど、全然自明じゃないです。
もし仮に、日本は古来から文化的に排他的で海外のものを寄せ付けなかった、とかいう歴史的事実が存在するのであれば、
「演歌はもともと西洋音楽だから日本の伝統ではない」というのは正しいと思います。
箏も三味線も、もともとは海外のナウい楽器だったし、雅楽ももともとは海外のナウい音楽ジャンルだったわけす。
仏教がインド発祥だということはだれでも知ってることのはずです。
当該社会集団が何を選択的に残し、何を排除したか。何をナウいと考え、何をダサいと判断したか。
そういった当該社会集団による意図的な選択の連続としての受容史を単なる伝播、自然淘汰と読み違えている。
また、楽器で例えるなら韓国の伽耶琴と日本の琴は全く違いますよね。
文化は伝播してもそのまま伝わるわけではなく、ある種の選択と判断が生じている。
雅楽だって日本と韓国は昔ながらのスタイルのままだと主張しているが、実際には微妙な違いがある。
その価値判断を伝統の名の下にくだすのがナショナリズム的言説でしょ。
たとえばですよ、
正月によくかかる「春の海」という曲はたいてい「伝統音楽」の棚においてあります。この曲は洋楽と邦楽のハイブリッドです。形式的には完全に西洋音楽です。
だから、
という意見もあるわけです。
で、このふたつのどちらが客観的に正しいかということを実証することは不可能です。人それぞれ価値観が違う、としか言いようがない。
いやそもそも音楽学者で《春の海》をそういった視点で分析する奴は今日びいないです。
伝統かどうかというのはもはや何の問題提起にすらならないんですよ。
なぜならその枠組み自体が幻想だという前提で読むからね、まともな音楽学者は。
「伝統」とはなんなのか、「日本」とはなんなのか、「音楽」とはなんなのか、
とういうような哲学的な問いにきっちり答えないといけないはずなんですよ、もし演歌はニセモノだと言いたいのであれば。
「創られた伝統」という概念と「創られたわけではない伝統」という概念は、どこがどういうふうに違うのか、
ということを哲学の問題として、きっちり論理的に説明しなきゃいけないはずなんですよ。でも、そんな作業してる音楽学者なんていないですよね。いたら教えてください。
とっくに議論されています。伝統の創出についてはホブズボウムがまず前提。
ヘルダー、ダールハウス、タラスキン、ヴィオラ、リーマン、リッサ、アドラーも読んでどうぞ。
特に19世紀のヨーロッパはナショナリズムと芸術の関係が盛んに論じられていたので、
この分野の先行研究として学びがある。ロシア、スペイン、フィンランド、ハンガリーなどなど。
繰り返すけど伝統って自然に生じるものではなくて、外と相対化されて初めて気づくものだし
割と最近はテレビやラジオが地方の地方性を駆逐したのではという話もあって面白い。
北海道も沖縄も、東京の発信する音楽文化に染まってしまったという話で、
それが国家の音楽、民族の音楽だと大衆に勝手に読み替えられているという話ね。
音楽って人間の社会性そのものだよねってのはブラッキングの『人間の音楽性』の指摘だが、
あれ、演歌の話どこいった。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 175 | 17800 | 101.7 | 37 |
01 | 88 | 7286 | 82.8 | 41 |
02 | 109 | 7531 | 69.1 | 38 |
03 | 42 | 3125 | 74.4 | 16 |
04 | 36 | 1127 | 31.3 | 14.5 |
05 | 29 | 2464 | 85.0 | 45 |
06 | 33 | 5246 | 159.0 | 56 |
07 | 26 | 12192 | 468.9 | 103.5 |
08 | 72 | 5690 | 79.0 | 32 |
09 | 149 | 10052 | 67.5 | 38 |
10 | 141 | 17267 | 122.5 | 43 |
11 | 156 | 15456 | 99.1 | 50.5 |
12 | 136 | 11446 | 84.2 | 47.5 |
13 | 108 | 9028 | 83.6 | 45.5 |
14 | 140 | 11180 | 79.9 | 42.5 |
15 | 126 | 17052 | 135.3 | 47.5 |
16 | 205 | 16491 | 80.4 | 33 |
17 | 108 | 10571 | 97.9 | 28.5 |
18 | 121 | 10242 | 84.6 | 34 |
19 | 78 | 10749 | 137.8 | 50.5 |
20 | 130 | 19715 | 151.7 | 34 |
21 | 107 | 12075 | 112.9 | 25 |
22 | 129 | 29000 | 224.8 | 55 |
23 | 106 | 16561 | 156.2 | 56 |
1日 | 2550 | 279346 | 109.5 | 40 |
人(200), 自分(167), 日本(149), 増田(118), 今(108), 話(108), 前(91), あと(78), 意味(75), 仕事(73), 女(70), 先生(69), 問題(67), 気(63), 相手(62), 好き(60), 感じ(59), 子供(58), 人間(58), ー(57), 男(56), 低能(55), 必要(54), 普通(52), 結果(51), 人生(50), サッカー(49), 今日(48), 最近(48), 結婚(47), 理由(46), 気持ち(45), 時間(45), 結局(42), 頭(42), 無理(40), 言葉(38), ベルギー(38), ゴミ(38), 試合(37), 手(37), 目(36), レベル(36), 他(36), ネット(35), ダメ(35), 世界(35), 女性(35), 金(34), 会社(33), 場合(33), 別(33), 一人(32), 最後(32), 批判(31), 今回(31), 関係(31), じゃなくて(30), 理解(30), バカ(30), 一番(30), ただ(29), 選手(29), 心(29), 内容(29), 社会(29), 絶対(29), 状況(28), 状態(28), 顔(27), 友達(27), しない(27), 親(27), 応援(27), 最初(27), 昔(25), 家(25), 男性(25), 他人(25), 非モテ(25), 安倍(25), 子(25), 自体(24), 日本人(24), 意見(24), 誰か(24), 毎日(23), 現実(23), 確か(23), 声(23), ファン(23), 部分(23), きゅうり(23), チーム(23), 国(23), スポーツ(23), 本人(23), 解決(23), 馬鹿(23), 一緒(22), 先(22), 勝手(22), 方法(22)
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■最後は必ず負けるW杯を応援する意味 /20180703055028(32), ■結局、平成の結論は「言論は無意味だった」じゃね? /20180703082502(24), ■●●モン=かわいい /20180703003302(23), ■やけ食いしたいんだけど /20180703210407(22), ■妻が子供を欲しがっているので自殺をしようか悩んでる /20180702115641(20), ■同じ作曲者が違う作品で似た曲を作るやつ /20180702200931(15), ■[DIET女]今日からダイエット始めます /20180703101300(12), ■歩道を走る自転車を私人逮捕する活動のススメ /20180701174111(8), ■なんでコンビニにエロ本置いてあるの? /20180703120239(8), ■体重移動?足腰? /20180703123034(7), ■「以下」「以上」を正しく使えない /20180702125310(7), ■赤の他人みたいに色のなんとかってやつ他にある? /20180702131134(7), ■与党支持者は改悪に賛成する同罪みたいに言われても /20180703130037(7), ■早く安定が欲しいのにムカつく /20180703185452(7), ■エアコン以外の暑さ対策を教えてくれ /20180703184651(7), (タイトル不明) /20180703012031(6), ■国民皆婚社会を作る。 /20180703104012(6), ■思い出のこと /20180703151442(6), ■anond:20180703180826 /20180703181537(6), ■愛国心が強いなら /20180703161416(6)
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90年代初期のアイドルグループで、そんな人たちのCDをどこから入手したのかまったく不明なんだけど、今でも全部そらで歌える感じで体に染み付いている。
大人になってCDを買い直して聴いてみると、当時のアイドルという感じのクオリティで、ローラースケートでジャンプしてるジャケット写真がかっこいいアルバムはインストから始まり、よく意味のわからないアダルトな雰囲気の歌詞でナンパな雰囲気を醸し出してる。今聞くと結構音痴なんだけども、初めて聴いたバイアスはあるにせよ、めちゃくちゃ曲がかっこいいと感じる。
気になっているのは楽曲提供者というか作曲家。自分も今では暇を見つけては適当な曲を趣味で書いたりしながら暮らしているから、どんな人が曲を書いているのかがとても気になるようになったんだけど、ファーストアルバムの範囲だと佐藤英敏、井上ヨシマサ、柳瀬通男という作曲に、大木雄司、岩崎文紀というアレンジャーがついていて、楽曲制作の分担はよくわからないけど、関わる作曲家はとにかくこの5人。特に数が多いのは佐藤英敏で、この人の作品はどの曲も好きだ(アルバムの曲全部好きなのだから当然なんだけども)。メロディーがしっかりしているので、歌詞も音の数がきっちりしている。だからいつまでも頭に残っている。PVなんか観たことないけど、曲からは画が観える。音楽的難解さがあまりないので、シンプルにノリながら聴ける。90年代は爆発的に音楽が売れた時期だから比例してヒット曲も多い時期という気がするけども、知られていない曲もちゃんと90年代っぽいかっこよさを持っていて遜色ないんだとわかる。
佐藤英敏はレッドドルフィンズの数年後に残酷な天使のテーゼを作曲していて、他にもアニメ関係・声優関係で楽曲をたくさん提供しているようだ。ニコニコ動画に佐藤英敏のマイナーな曲をあつめましたみたいな動画があったけど、レッドドルフィンズはなく、全部アニソンだった。他のメンバーもググってみると結構な名曲を世に出している人たちで、作曲家っていう仕事がそういうものなのかもしれないけど、アニソン率がだいぶ高い。井上ヨシマサだけは、アイドルへの提供曲が多い。どちらかといえばオタクという雰囲気の大人になった自分を作っている要素として、佐藤英敏のレッドドルフィンズ楽曲は結構大きいのだと思う。アイドル曲なのでアニソンのような特徴はあまりないんだけど、何か根底にあるものが同じなんだろう。その根底とは要するに作曲家なんだなって、今は思っている。井上ヨシマサはAKB周りの曲が多いけどもレオパレスのCMの曲が自分は一番しっくりくる。柳瀬通男はパトレイバー、大木雄司は週間賃貸、岩崎文紀はChoo Choo Trainを書いたけども、ジェイデッカーをやってることを強調したい。意識していなかったし知らなかったけども、全員他の場所でもちゃんと自分が知っている曲を書いていた。
こういう日記を増田に書こうと思ったきっかけは、レッドドルフィンズに関する情報がネット上にほとんどないことに気づいたからだ。文字の情報は少なく、ウィキペディアには最低限の情報が記載されているだけで、あとはアマゾンの商品説明くらい。錚々たる製作陣(特に記載していないけど作詞も)による楽曲は、たとえばYouTubeのようなサイトで、たとえ権利に目をつぶったとしても聴くことができないので、誰かに教えたいと思ったらCDを貸さないといけない。しかしまあそれは面倒な感じである。ただ、アマゾンで300円くらいで中古CDが売られているので、ポチって聴いてもらえたら嬉しいかもしれない。
音楽をディグって聴くとき、軸はいろいろあると思うけど、作曲者で探して聴いていくというのは結構あると思う。佐藤英敏という人に関しては、作曲者名での動画があるくらいなのだから、そういう聴き方をする人が少なくないんだろう。彼の曲は林原めぐみの歌が多いみたいだけど、レッドドルフィンズも聴いてみませんか。音痴といったけども、大丈夫、インストの曲もあるのだから。
自分の方はこの後、リーダーがやっているインディーズバンドの音源を聴いてみようと思う。作詞作曲ギターボーカルとやっているらしい。
当たり前だけど、音楽は音を聴くものだし、作曲者や演奏者は、音に全身全霊を込めているだろう。
でも私たちは、たとえばB’zのライブコンサート映像とか観て、「稲葉さんカッコいい〜!」とか思ったりする。視覚情報につられて、音まで数割増しで良く聴こえたりする。
もちろんこれは聴き手として悪いことではない。というか、自由だ。たとえば、稲葉さんをアイドルのように愛でようがその人の中で完結しているなら問題はない。
私は音楽を聴くなら音をまず第一に楽しみたいと思う方だが、それを他人に提案することはあっても、押しつけることはしたくない。(その二つが紙一重で、過去私も周りに嫌な思いをさせてしまっている…)
そもそも良いコンテンツほど、楽しみ方の幅は広く、そこに優劣は存在しない。
だが、優劣がないもの同士集まるとマウンティングしたくなるのも人間というもので、「自分(たち)の楽しみ方こそが至高」という考えを持つ層はいるものだ。
そういう人たちのことを「サブカルクソ野朗/クソ女」と定義したいが、別にサブカルチャーに限った話でもないしちょっとズレてるか。
これは、今に始まった事じゃない。キズナアイと名乗るキャラクターがYoutubeで2016/11/29に動画投稿して活動した所からはじまる。
動画の内容は、二次元キャラクターが3Dで動いていて、VRを使った仮想現実を基に自分が思うままの動画を投稿していた。
傍から見れば、ユーチューバーが3Dのキャラを通していろいろやっているだけだ。
2017/6まではいわゆるオタクと言われる人に大方騒いでいるだけだった。
現に、キズナアイの動画からも伺えるが、再生数も基本10万再生である。(記載日頃の再生数)
2017/7~2017/12にいわゆる四天王のと言われる人が活動を開始し始めた。
だが、ここでねこますというバーチャルユーチューバーに着目する。
見た目はキツネを擬人化した女の子だ、だが再生すると声が男性だったのである。
彼は、自分の3D技術を動画にして頑張っているところをYoutubeに投稿することで意欲を維持したかったようだ。
そして、クリエイターはお金が無いという事を嘆いていたねこます氏は、
突然仮想通貨のモナーで融資が降ってきて今後の自分のクリエイターとしてのスキルを上げる事が出来てるようだ。実際に動画にその節がみられる
ここで、ようやくクリエイターも自分が頑張りで報酬が出るかもしれないと思うようになったのだろう。
次々とバーチャルユーチューバーが増えてきたのである。
クリエイターだと絵を描くVtuber、声優をするVtuber、歌を歌いたいVtuber、作曲をするVtuber
3Dを作りたいVtuber、自主制作ゲームを作りたいVtuber、アイドルになりたいVtuber
ほかには、特撮系、擬人化系、LGBT系、ゲーム実況系、宇宙人系、ロボット系、執事メイド系
ナース系、薬剤師系、兄弟姉妹系、学生系、ロリショタ系などなど、上げると限がない。
そりゃ既に3000人も居るわけだから仕方ない。
だが、こうやって増えていく中で非常に残念なことに、自分に迷走する人が目立ってきた。
何故Vtuberを始めたのか、そして、始めていく上で何か目標があったはずだ。
挑戦することは何も悪い事じゃない。だが、まだ周知もされていない程度で自分の実力の無さを嘆くのはどう考えてもおかしな話だ。
そもそも、ゲームクリエイターだってゲームをリリースして、初めて人々の目に映り、人気へと繋がるはずだ。
作曲者だって、曲を発表して販売してからファンの動向を知ることができる。
ユーチューバーはYoutubeに動画を投稿して初めて完成するのではないだろうか?
人気や利益を動画投稿する前に気にしている人は抑々、Vtuber界隈の人に失礼だと思ってほしい。
ちゃんと行動し、頑張りがちゃんと帰ってくる所、それがVtuberの世界だと思ってほしい。
1~12話まで観たけど、とても刺さった。私なりの観測範囲でよく話題に上がっていた作品なので、便乗して感想を書く。まだ観てない人向けにネタバレなしレビューも書いたので、リアルタイムで13話を観るキッカケにでもなれば。
あと私はあまりリアルタイムでアニメを見るのが得意ではない方の人のだけれど、コレはコレで楽しいな、と思った。制作者のインタビュー探しやすいし、それに対するファンの反応見れたり、各話ごとに視聴者の反応をリアルタイムで知ることも出来てより深く作品を知る機会に恵まれてる。何より楽しい。この感想もそういう色んな人達の発信した悲喜こもごものお陰で書くことが出来たので、日々感謝するばかりだ。ありがとう。
2018年冬アニメ「宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その2
2018年冬アニメ「宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その3
ノゲノラスタッフによる作品というキャッチコピーだが、内容的にはいしづかあつこ作品「ハナヤマタ」に近いものを感じる。ハナヤマタが中学生たちの優しい世界とするなら、こっちはもう少し、冒険をするときのワクワク感がある作品。両作とも「ギャグのテンポが良い」「1話毎に話がまとまってる」「女の子がみんなかわいい」「すごく救いがある」と言う共通点がある。特に1話毎の完成度が非常に高く、好きな話を何度も見返したくなる作品だなぁ、と感じた。メインキャスト4人のメンツで既にざわざわしていたのだけれど、なんてことはない、高レベルの喜劇を演じられる実力者揃えたからっていう。
協力:文部科学省、国立極地研究所、海上自衛隊、SHIRASE5002(一財)、WNI気象文化創造センターとあるように、すっごい詳しく取材した上で作られているアニメ。「JKが南極を目指す」という触れ込みは軽くSFチックなんだけど、現実に即した物語と美麗な背景美術で描かれる世界はとてもリアリティがあって、それ目当てだけでも観ていて楽しい。小ネタも満載で、「昭和基地の施設内にある厨房の戸棚に書かれている落書き」まで再現していたりする。そういう世界の中で描かれるキャラクターたちは、監督がメインキャスト4人の演技を「それぞれのキャラクターが本当に生きている」と評したように(公式ラジオ第11回より、水瀬いのり談)すごく活き活きしていて、本当に生きた人間の成長過程を見ているようである。キャラデザも緻密に作られていて、鼻の形にまでちゃんと意味が込められているんじゃないかと思わせるくらいのクオリティに仕上がっている。バカみたいに表情豊かなので、同じ話を何度観ていても飽きない。そんな彼女たちの心の機微が徹頭徹尾とても丁寧に描かれている作品なので、非常に感情移入のハードルが低い。また絶妙な音楽による演出はより作品への没入感を加速させるので、そのうち彼女たちが何気ないことでヘラヘラ笑ってるシーンでさえつられて笑ってしまうくらいシンクロ率が高くなる。もはや音楽に心を委ねているだけで自然と、面白いシーンで笑い、悲しいシーンで泣き、嬉しいシーンで泣けるようになるので、そこら辺に意識を向けながら観てほしい。ただハマりすぎると「むせび泣きながら大爆笑する」という稀有な体験をすることになるけれど。
この作品を観ていて強く感じたのは「何度も見返したい」という点。一つ一つのシナリオが高いクオリティで完結している、というのもあるのだけれど、加えて本作では「4人の成長」が大テーマになっていて、各話には彼女たちの成長を如実に感じられるよう伏線をたくさん張り巡らせてあるので、話が進めば進むほど彼女たちの行動一つ一つに宿る物語を思い出しては強く感動する…という構成になっている。なので、「このシーンでこの子がこういう行動を取ったのって…」と気づく度に過去回を見返したくなるような、非常に完成度の高いエンターテインメント作品だと思う。
(物理)という意味もある。物理的に行くのが困難な場所を目指す物語としてすごく完成された作品だし、「リアリティがあって、かつほんとに行けるか分からないくらいハードルが高くてワクワクするような目的地」というつくり手の戦略はすごくハマってると思う。
一方で心因性の「宇宙よりも遠い場所」ってあるよね、というもう一つの意味も丁寧に描かれている。例えばそれは誰かにとって「メッチャ高い目標」、あるいは「何も変えられない自分から、何かを変えられる自分への転身」、「誰かに依存し続ける自分との決別」、「まだ見ぬ友達のすぐ隣」なのだけれど、大切なのは勇気を持って最初の1歩を踏み出すことだよね、ということを描く物語がこの「宇宙よりも遠い場所」というタイトルに込められていると感じた。私が1~12話全部が好きな理由は、すべての話が「最初の1歩を踏み出す物語」になっているから。ED曲「ここから、ここから」もそれを象徴している。ちなみにED曲タイトルは、作曲者が近所の散歩中に[ここから~]という道路標識を見つけたことが由来らしい(本人ツイッターより: https://twitter.com/higedriver/status/968006184413249536 )。
とにかく笑って泣ける作品なので、イッキ見をすると顔中が痛くなる。普段表情筋を使っていない私のような人は体調に気をつけて観たほうが良いかも。
上記の通り何回も見返したくなる作品なので、私なりに観る順番を決めてみた(数字は話数、その右にある()内は注目するポイント)。少しでも楽しむネタになれば。
4-1(キマリの想い)-2(報瀬、日向、観測隊の想い)-3(ゆづの想い)-
5-[1-2-3-4(キマリ一家)](めぐっちゃんの表情)-5-
7-1(キマリの想い)-3(ゆづの想い)-4(報瀬と隊長)-5(冒頭撮影シーンのつながり)-
8-1(キマリ)-4(4人)-5(4人)-7(4人)-
9-[1-2-3-4(報瀬と隊長)-5-7(報瀬と隊長)](ほんとに南極行けるの?だって南極だよ?)-9-
10-1(報瀬にとっての友達)-3(ゆづにとっての友達)-4(4人の仲)-5(4人の仲、めぐっちゃん)-6(4人の仲、報瀬と日向)-8(4人の仲)-10-
11-2(日向)-3(日向)-4(日向)-5(日向)-6(日向)-7(日向)-8(日向)-9(日向)-10(日向)-11-
12-1(報瀬)-2(報瀬)-3(報瀬)-4(報瀬)-5(報瀬)-6(報瀬)-7(報瀬、隊長)-8(報瀬)-9(報瀬、隊長)-10(報瀬)-11(報瀬)-12-
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私事になるのだけれど、ほぼおんなじことを言われた経験がある。何年か前に高校の同窓会に行ったのだけれど、その中に青年海外協力隊に参加した経験者がいた。元々興味があったのでかなり前のめりに話を聞いていたのだけれど、そんな私を見た彼が「じゃあ、行く?知り合いに話してあげるよ」と言ってくれた。けど私は行かなかった。その場であれやこれやと行けない理由を話した覚えはあるけれど、要はそういうことなんだろう。だからこうして一歩踏み出そうとして出来なかったり、そのくせ踏み出そうとしてる友達を応援してみたり、そんな自分が嫌いなったりしているキマリの姿を丁寧に描く1話は私に刺さりすぎた。
アニメを含むコンテンツに触れているとよく、「スカートで体育座り」というシチュエーションを見る。…けど、私は「そそそそのスカートで座ったらパンツ見えちゃうよ!?」ってなってしまって結構苦手である。最近のアニメ作品では絶対にパンツが見えないような工夫がされていることが多いけど、その多くは「神様視点では見えない(脚でパンツ隠すやつとか)」あるいは「重力を無視したスカート」のどちらかである。どちらの手法でも非常にもやもやしてしまうので、「どうやってスカート履いてる女の子が座る姿を自然に描くか」という表現技法にずっと興味があった。
そこで1話 14:05頃を見て欲しいのだけれど、キマリがスカートの下に手を回してる座り方がすごいかわいい。自然な仕草かつ可愛いだけでなく、キャラクター自身が見られないよう意識している事がわかり、それも含めて可愛い。とてもよく出来ているシーン。
この手法は、監督いしづかあつこが絵コンテを担当した作品「ハナヤマタ」(2014年)の1話 13:40頃でも見られることから、監督のこだわりなのだろう。些細な事だけど、私が監督を好きな理由の一つである(余談だけど、同氏が絵コンテを担当したノゲノラ1話ではワンピースを着た”白”が自室でベターっと座ってパンモロしていて、彼女のだらしなさを簡潔に表現している。座り方一つでキャラクターの性格を描くという点では一貫していてすごく好き)。
色んなアニメで登場する「放課後の学校の音」を比較するのが好きなんだけど、よりもい1話の放課後の音がとても好きなのでぜひ聴いてほしい。男子生徒の会話する声、吹奏楽の音、陸上部あたりのホイッスル等、非常に音が豊か。
15:05頃 「宇宙よりも遠い場所」を読むキマリがかわいい。
めぐっちゃんの「南極に聞いた?」を見た報瀬がムッとした表情になり、キマリの心配に対してつっけんどんに拒絶してしまうという流れから、今まで散々「南極」とからかわれたり、あるいは仲の良い人から諦めるよう説得されてきて、その度に彼女はどんどん強情になっていった報瀬の過去を思わせる。それでもすぐに和解できたことから、いかに二人が1~2話の間に信頼関係を築けたかが分かる。また、二人が言い合った場所が敢えて交差点であることも強い印象を残していて(作品を通して交差点が登場するのはこの時のみ)、非常に好きなシーン。
目まぐるしく変わるシーンの背景がいちいちハイクオリティ。その中を複数のキャラが、文字通り縦横無尽に走り回る本作で最も激しいアクションシーン。コマ送りで見ると楽しい。アニメ作品において、キャラが奥→手前のように奥行きのある移動をする際、作画が安定してるって結構すごいことだと思う。
奥→手前
右→左
奥→右と左に分かれる
奥→手前
右→左
手前→奥
奥→手前
手前→奥
右→左
奥→手前→右
右→左 …みたいな。3人が歌舞伎町に来るまでは夜道=街灯もない真っ暗な道という描写だったけれど、このシーンでは対照的に明るい歩道、きらびやかなネオン、往来する人なんかが強調されてて、キマリの心象風景が可視化されてるみたいで好き。
加えて疾走感の演出がすごく良い。キマリは最初、すっげー速い隊員と日向に比べてヘナチョコ走りなんだけど、挿入歌の盛り上がりに合わせてどんどんフォームが良くなっていく。たった一人だけ笑顔で走ってるキマリの高揚感がすごく伝わってきて、胸がいっぱいになる。
1話の100万円…報瀬の並々ならぬ覚悟を象徴する舞台装置、またそれに応えるキマリの覚悟の大きさ
2話の100万円…スポンサー料として提示した金額。ハッキリ言ってゼロが足りない。その申し出を断ったかなえからは、大人組が報瀬の「絶対に南極へ行くという想い」を超えるくらい強い意志を感じさせる。
だからこそ、追い返された帰りの電車内で報瀬がちっとも折れずに「こいつ、ポジティブちゃんだ・・・」ってなるやりとりが非常に効果的な演出になっていて好き。
これ以降も重要な舞台装置になっていて、ただの札束をここまで丁寧に描く作品ってすごいと思う。
17:40頃 「私の青春、動いてる気がする!」のキマリがかわいい。
特に2~3話は「さもありなん」と思わせるシナリオになっていて、非常に面白い。この作品にリアリティを感じた人はよりもい公式ページの「南極チャレンジ」や、観測隊の日記等を見て幸せになってほしい。
報瀬家ではリーダーを解任された報瀬が不満を漏らすのだけれど、お茶を出しているところを見て「お茶くみに格下げか」と気づいた人はどれくらいいるだろうか。また、後ろにそっとおいてある南極観測船「宗谷」にも気づいた人って最低でも30代だと思うのだけれど、そこらへんがこの作品のターゲットなのかもしれない、と思った。私もアラサーだし。
同じく報瀬家でのやりとりにおける報瀬(CV.花澤香菜)の演技が抜きん出て面白い。本当に素晴らしいキャスティング&ディレクション&演技だと思う。
「変な夢…」→夢と違い、殆ど開かない窓→スマホを見て目を細める結月→バッジのないSNSアプリ(前日送ったチャットの返信がない)→退出しましたx2→後ろ姿→\コンコン/→一瞬窓を見る→\コンコン/→「おはよー!」
この間セリフがないのに、それでも結月の心の浮き沈みが痛いほどわかる演出がすごい。本作の特徴である、丁寧な心理描写や伏線の貼り方を象徴しているシーン。
07:20頃 こんな事もあろうかと用意しておいた”二人羽織”(書・キマリ)の、”二人羽”に比べて小さい”織”
高校生が主人公のアニメや漫画では学力をテーマにした回が定番だけれど、この作品ではキマリ家での悲劇が描かれるのみ。なぜかといえば、4人のうちちゃんと学校に通っているのが2人だけだから。加えてゆづは通っている学校と学年も違うので、学力テストをテーマにしにくい。てかそもそも女子高生を描くアニメで学校に通っていない子をメインにするという発想に惚れた。でも4人のスペックについてはうまく描かれていて、
キマリ…部屋の片付けが苦手、一つでも赤点取ったら南極に行けない、コンパサー→基本はできない子
報瀬…キマリに説教する日向に同意する、慎重に測量の訓練をする→できる子?
ゆづき…学校に行けない分ファミレスで自習、数学のノート(図形の作画が非常に丁寧、字が綺麗)→できる子
南極での作業フェーズではそれぞれがいろんな作業をするので、できる子なのかできない子なのか分かるっていうのはそれなりに意味があるんだけど、それを「勉強の出来不出来を数字で表す」という無意味な評価軸に頼らない演出にしてて好き。
「ここじゃないどこかへ」というモチベーションでここまで報瀬に付いてきたキマリ。それだけでもすごいのに、そのうえ報瀬の想いや大人組の想いを知った上で「みんなで行きたい!」と言ったキマリの鋼メンタルが描かれている。報瀬たちと同等の覚悟がないとこんなこと言えないはずで、物語の縦軸を担う報瀬ではなくキマリが主人公であることを再認識した大好きなシーン。
16:35頃