ネット上の歌詞論評など見てると、歌詞は曲とは独立した要素として論じられてるモノが散見される。
でも、歌詞と曲は不可分なモノだ。
めちゃめちゃ分かりやすい例で言えば、
見つめ「あーーー」うと(TSUNAMI)
「だーーー」れも触れない(ロビンソン)
のように、音を伸ばす部分で“a”の音を当てたりする。
スピッツの「チェリー」という曲のサビは、「あ↑いしてる↓」という本来の言葉のアクセントとメロディがガッチリ合っている。
他にもミスチルの「名もなき詩」のサビ「あ↑るがまま↑」など、この言葉のチョイスが気持ちのいい響きを生み出していることに気づく。
他にも、コードやメロディの流れと、歌詞中の物語が連動していたり…「曲」という制限がある中で言葉をチョイスしていき、曲の持つ力を何倍にも膨らませるのが歌詞の役割だと私は思う。
例が偏ってしまったが、作曲者=作詞者でなければならないと言いたいわけではない。
作詞専業でも凄い人はいる。たとえば「チャラヘッチャラ」とか専業の人じゃないと出てこない歌詞だと思う。
ただ、作詞というのは文学的感性・技術に加えて音楽的な感性が必要とされる仕事であることは間違いない。
ちなみに歌詞に対して曲をつけるという作業に関しては私は全く知識がないのでそこを突っ込まれると弱い。
昔は普通に行われていたらしいが。「木綿のハンカチーフ」などは代表例だが、その楽曲としての完成度の高さには驚嘆せざるをえない。
普通のリスナーにとっては曲と歌詞は抱き合わせなので歌詞がクソなだけでクソ曲認定される。(歌詞以外の)製作に関わった人たちは非常にかわいそう 48グループの楽曲とか特に顕著だと...
ネット上の歌詞論評など見てると、歌詞は曲とは独立した要素として論じられてるモノが散見される でも、歌詞と曲は不可分なモノだ めちゃめちゃ分かりやすい例で言えば、 こな「あ...
ゴミがゴミなのに歌詞は関係ない
そうだなヒャダインも怒るわ