はてなキーワード: 一部の人とは
これ一部の人以外には全く起きない現象だから、現状を訴えると完全にはてな側の問題なのに「お前が荒らすから」みたいな扱いを受けてかなり消耗してたんだ。
今までわざわざwifi切ってスマホから書き込みしてて(というかこれで書き込めるからアカウントに問題があるわけではないことは明らか)、それで慣れてしまったのでツールは使わないかもしれんけど、これではてな側がなにかしら考えてくれるとありがたい。あまり期待できないが。
しかし人間性センターは本当にはてなの悪いところを煮詰めたような部分だよ。技術力がなく、ユーザーの不便は放置。未だにhttpで内容は露悪的で人を小馬鹿にしたようなもの。不快にさせる要素しかない。
grdgs そうやって自分が高みから見下したつもりで冷笑的に言論の萎縮を図るのって気持ちいいみたいですね。一部の人にとって。普段言論の自由が何より優先って言っている人はよくそういう態度とりますよね。
言うほど高みか?どちらかというと、人間の認知能力なんて良くて生活圏の把握くらいしかできないんだから、自分も含めた99%の人間はその場の感情に振り回されながら殴り合うしかないという前提は共有されるべき、的なことを言いたかったんだけどね。
実際、元増田はかなり高度なことを要求していて、まず『一枚岩ではないアンチフェミに対し解像度を上げて理解』しつつ『アンチフェミの根幹にあるフェミニストへの不満を掬い上げ』『フェミニズムへの反感を無くす(=アンチフェミを無くす)』ことが必要だと説いている。非常に建設的な提案だと思うが、同時に非常に非現実的な理想論でもある。なぜかというと、まず一度敵であると認識した相手、ここでいうアンチフェミ(もしくはフェミニスト)を、感情を度外視して冷静に理解することはスーパーマンでないと成しえない特殊技能だからだ。ほとんどの人間は自分と相反する意見を見ると強い嫌悪感を催して攻撃か逃避に走るしかなくなる。
あからさまな攻撃に見えなくても多くはこれに当てはまる。例えば、はてなで定期的に行われる「ブクマカは属性当てはめゲームをしているだけで差別そのものには興味がない」みたいな指摘はわかりやすい。より正確に言うなら、ゲームを楽しんでいるというよりは「自分の感情に任せた攻撃」という体裁の悪い行為を既存の反差別の枠組みを使って自他から覆い隠した結果生じた矛盾、ということになるのかも。要は社会的正しさや合理性、経済性、伝統…etcといった既存の第三者的な理論や研究・権威を掲げているからといって、イコール冷静な議論を試みていることにはならないのだ。
ともあれ、活発に活動する動機を持ったほとんどの人間が、普段の生活や過去の経験から強い問題意識をもって活動を始めている以上、こうした攻撃性からは逃れられないと言っていいと思う。
でも、それを否定したいわけではない。ほかのブコメにもあるように、「それでも何か意味がある」と信じて殴り合いの仲裁に入るのも泥沼でもがき続けるのも、自分は決してやめるべきではないと思うし、そうした人間のおかげでこれまでも社会が変わってきたんだろうという実感がある。
ただ、だからこそ元増田が求める冷静さはあまりにナイーブで、ともすればちょっとした出来事で大衆に失望して理想を全て投げ捨てかねない不安定さを感じてしまって、つい口をはさみたくなってしまう。結局のところ考え方の好みの問題なんだが、これも『冷笑的に言論の萎縮を図る』ことになっちゃうんかね。
今流行りのウマ娘を筆頭に、艦これ、アズレン、けもフレ、はたらく細胞、刀剣乱舞、ヘタリア等。すべて「元は人間じゃないよね?」と我に返ってしまい萌えられない。二次元の時点で人間もくそもないと思うがなぜか自分の場合、最初から人として作られたキャラクターでないと萌えない。
ほぼFateだが、他にも文アル、文スト、イケメン戦国、その他歴史系ゲーム、戦国系ゲーム。
萌え擬人化とは違って元々人間ではあるが、実在した人物を元ネタとして使っているという特有の不謹慎感があって苦手だ。あと非オタクで普通に該当人物について調べたい人にとって検索妨害だと思う。
結局美少女の皮を被った、ただのオタク系アイドルとしか思えない。確かにキャラクターは可愛いし魅力的だと思うが、中の人にはそんなに魅力があるのか?
人気のVTuberの実況をいくつか見てみたが、そこまで面白いとは思えなかった。ずっとテンションを保っているのはすごいなと思ったが。
あるいは中の人の顔が可愛いのかと思ったが、YouTubeで配信してちやほやされたいと考える自己顕示欲の強い人なら、現実で顔が可愛ければわざわざ二次元美少女の皮を被らずに顔出しして配信してるだろうし、中身の人物はおそらくそこまで可愛くないと思う(偏見)。
あと一部の人は作られたアニメ声って感じで聞いていられなかった。
艦これ、刀剣乱舞、その他ソシャゲ。こういう作品は想像する余地があるから面白いとよく言われているが、要するに二次創作で自分が好きなようにキャラを動かしやすいということであって、二次創作ありきの話だと思う。失礼な言い方だが二次創作用のフリー素材みたいな感じ。二次創作をしない人にとってはストーリーもなくただの可愛いキャラを眺めるだけのゲームと化す。
ツイステ、あんスタ、アイナナ、A3!、まほやく、刀剣乱舞等の女性向けソシャゲ全般。ファンはほぼ腐女子と夢女子で、運営もその層を狙っているようだ。大体男キャラ同士がベタベタしている。あだ名で呼びあったり、執着していたり、依存していたりと距離感がおかしい。そして主人公にも懐いてくる。運営としては腐女子も夢女子も両方釣り上げてやるという思惑なのだろうが、個人的にはそれが中途半端で気持ち悪い。乙女ゲー厶なら乙女ゲー厶、BLゲームならBLゲームとして出せばいいのにと思ってしまう。
ただそれができない現実があるのは分かる。腐女子は腐女子向けと公言されると萎えるようで、最近もまほやくの運営会社コリーが有価証券届出書で「『腐女子』層をメインターゲットとしつつも、幅広い層からの支持を獲得しております」と書いたことで炎上していた。(炎上した理由は他にも「腐女子」が差別用語だとか、メインターゲットから外れた夢女子が気分を害したとか色々あるらしいが)
あとこの手のゲームのファンは同担拒否やら地雷やらを持っていて面倒くさそうな人が多いのも苦手だ。
ただただ不快。
汚い。
TS百合はいいと思うが、TSして男の親友とそういう関係に…みたいなのが理解できない。脳も女性化しているから男を好きになるということなんだろうか?
そうだとしたら性同一性(心の性)と性的指向(好きになる性別)は別物では?
魅力が分からない。なぜ人気なの?
なぜあんなに男性器が大きいことが多いの? あと女性器と男性器が両方あるのが不自然で苦手だ。
なんと呼ぶのか分からないが、教科書のキャラクターみたいな絵柄でエロをやってるやつ。一時期そのジャンルの就活術みたいな広告が出てきて不快だった。
無理。オリジナルならともかく、ポケ○ンやどう○つの森みたいな子供にも人気な作品を変な目で見ないでほしい。ケモナーはクレクレ厨や出会い厨が多く、民度も低いと聞くしさらに苦手。
そもそも関東の刺客の非業の死、ってのも事実に基づいてはいるものの、馬を擬人化した感動ポルノだ、って言われているからな
事実に基づくストーリーからライスシャワーを神格化してる人も脳内二次創作なんやで
つまり、馬の姿のままの二次創作vs娘の姿をした二次創作、でしかないから、競馬ファンに正当性があるわけじゃなくて、むしろ過剰にライスシャワーを持ち上げる一部の人は一部の競馬ファンから疎まれとるよ
シアトルで黒人の男に日本人の女性が襲撃された事件、はてなブックマークだとトランプの影響とかネトウヨが云々という当てこすりの話題しかないな
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.newsweekjapan.jp/worldvoice/nagano/2021/03/post-14.php
anond:20210315052425 のインタビューの以下のくだりを連想する
海野:そうですね。バイデン支持者の場合ですと、「ほれみたことか、トランプの発言によってアジア人が襲われたぞ」となりますし。トランプ支持の人にしてみたら、「BLMというものは怪しい、そんなのは嘘だ」という形になる。両方のサイドに、彼らの主義主張を証明するために、私の事件が使われている印象がありました。あるいは、中国の方をよく思わない人が、「だから中国は……」みたいなこと言ったりとか。大坂なおみさんに対して、「なぜ日本人が襲われているのに、なにも言わないんだ、助けないんだ」と私の事件を使う人が出てきたり。私は、そういうことはなにも思っていないんですけど。そのように、一部の人の犯罪でも、「ほれみたことか、○○は悪いんだ」「○○人はダメだ」というふうに一体化してしまうことを危惧しています。
荻上:そもそも犯人が逮捕されていないので、犯行グループの動機もわからない。他方で一人歩きする「○○のせいだ」「○○が悪いんだ」が、海野さんへのお見舞いの言葉もなしに語られる面もあるんですよね。
海野:仰る通りです。私の事件が、彼らの主義主張を言いたいための道具になっているというか。そういう方は本当に心から「大変だったね」と思ってくれる人は少ないかもしれません。
懐かしい。
昔よく見た情報商材、まだ残ってたんだなぁ。
ネットリテラシー上がったし不正判定厳しくなったし、その界隈はもういないのかと思ってた。
SOHOで検索かけたらまだ出てくるんだろうか。高価な教材やらツール買わせて終わりのやつ。
セルフバック(やポイントサイト)は最近かなりショボくなってきたので、そんなに儲かるか? って気がする。
件数が少ないし、あっても「基本無料ゲーで課金しないと到達難しいとこ」とか「2000円以上のもの購入で200ポイント」とか、セルフバックで300万稼ぐのに3000万ブッこまないとね、みたいになってる気がする。そんなに案件ねーよ。換金可のサイト自体が減ったしなぁ。
クレカ申し込んで解約して、てやればまぁ…? 申込ブラックってまだあるんだっけ。単純に解約忘れてキャッシング枠の合計が年収の1/3に達しててもうカード作れなくなってるのを一部の人が「申込ブラックなんて隠しステータスがあるんだ!」って叫んでただけだっけ。
オタクがガイドラインの後すぐにおとなしくなったという歴史修正が行われているようだが現実は違う。
エロ同人業界ではトップクラスに人気があるサークル「🐹の煮込み」などもススズとスペちゃんのふたなりファック絵をあげていた。
少なくともガイドラインが出ても、
アニメが継続している間はずっと継続して1日10件近くエロ絵が上がっており、
一番多い時期ではpixivに1000件以上のウマ娘エロ絵が上がっていた。
特に3つのアカウントは精力的にウマ娘に特化してエロ絵をあげ続けていた。
特にg~~というサークルはfantiaというサイトでお金を取ってリクエストに応じた絵をあげており、少なくとも14人のウマ娘のエロ絵が上がっていた。
しかしそういう一部の人間の活動を除き、ガイドラインの存在もあってアニメ終了後にもエロ二次創作はあまり盛り上がらなかった。
http://doujinsokuhou45.com/archives/8207150.html
数名の有名な絵師は描きかけのエロ絵を出しつつウマ娘二次創作からの撤退を表明していた。
わざわざ撤退する人間がガイドラインを理由にやめますというものだからウマ娘のエロ絵を描くやつはさらに減った。
4名ほどが血祭りにあげられた。たとえばこれ。
https://anige-labo.com/archives/78777
宇崎ちゃんの時の目が血走ったフェミ警察みたいにpixivでエロ絵を挙げてる人を発見しては晒上げ、公式に通報するというのがお遊び感覚で実行された。
きれいごと抜きで言うと、
エロ二次創作者にとって最も恐ろしいのは公式でも馬主でもなくウマ娘エロ絵警察である。
現在でもなんとかしてウマ娘のエロ二次創作を上げようとするやつはいるがだいたいすぐ見つかって処刑される。
こうなると、よほどのことがない限りは挑戦する奴はいない。
その結果、今現在はpixivでウマ娘 エロとかウマ娘 #R-18と検索しても弱小サークルしか出てこなくなってしまった。twitterで人気の絵師は一人もいない。
https://www.pixiv.net/tags/R-18%E3%80%80%E3%82%A6%E3%83%9E%E5%A8%98
今絵を上げている人間は失うものがない雑魚絵師ばかりで、絵がうまい人4人しかいない。それでもいちいち蠅みたいな連中から絵を消せと嫌がらせを受ける。
omaenankakurashicategoryda コンテンツのファンとしては、コンテンツそのものを潰しかねない要素を躍起になって狩るのは当たり前 学級会とか警察とかそういう次元の話ではない
コンテンツのファンがやっていたならまだわかるが、実際はただの愉快犯たちである。
ほんとうは何も分からないけど、勝手に共感してしまったってだけです。
自分は優秀なのに非モテで、准教授という肩書きもなく、みたいに色んなコンプレックス拗らせて、すごいかよく″分からない″のに評価されてる他人と、″冴えない″自分みたいなものを見比べて、その納得いかない世界みたいなのを目の当たりにすると、
1.″間違ってる″世界を正す、もしくは潰す
くらいしかやりようが無いんだよね。
たとえば、容姿を攻撃するのは許されないって批判されてるけど、よく見るとあれ、容姿を貶めてはいなくて、「自分の容姿を良いと思って、ブスではないことを過剰にアピールしてる」っていう指摘ですよね。
あれ、その人の容姿を多少なりとも良いと思ってなくちゃ言えないタイプの陰口(※)なんだけど、そういう容姿も良い人が色んな面で評価されてるの、見てて辛くなる。
あるいは売れてる弁護士とか、容姿の良い女性文学者とか、はたまた(意見の合わない)ネット論客とか。自分より褒められてきたような人が、よく分からないのに評価されてるんだから、叩くしかないよね、そんなもん。
特に容姿が良い人なんて、それだけで一般に下駄履かせてもらえる部分があるから、自分は実力で勝ち取ったのに、と余計に理不尽に思える。
一部の人が、研究は立派なのになんでこんなヘイトを、とかコメントしてるでしょ。研究が出来るからこそ、その対比でダメダメな自分自身のプライベートが辛くなるんだよね。諦めがつかないんだよね(結婚したんだから、非モテ側の人間としては、もうその被害者意識は捨てて欲しいんだけど)
自分の場合、2.の自虐をすることで、他人の成功に対するヘイトの感情を誤魔化してる部分があるけど、その箍が外れたら、他人を貶めるほうに傾くだろうな、という自覚がある。
ギリギリで耐えてるつもりだけど、もしかしたら周りからはもうダメだと烙印を押されてるかもしれない。
疑心暗鬼なんですよね。
疑心暗鬼なので、他人を叩いて、他人が叩くものを叩いて、一体化している間は、少なくとも賛同者がいるので、そうやって正しさを誇示して、欺瞞を叩いて生きていたいよね。
いや、そうなりたくない。
※ 容姿が良いことを鼻にかけてない風に見せかけてるけど、本当は良いことを自覚してるでしょ、ブスとは一緒にされたくないと思ってるでしょ。そういうスタンスを取られると、それより下にいる非モテ層にとっては貶められていると感じられるので、ブスではないというアピールを、見た目についてコメントするなという追記で許しを得ようとするのは欺瞞だ、と暴き立てようとする陰口。
ちょっと世間を見渡してみれば分かるけど、フェミニストの基準は明らかに一般から逸脱している。
世間は貴方が思っているより遥かに色々なことに無関心でどーでも良いと思っていて、だからこその寛容性を持っているよ。
別に架空のキャラクターがどうなろうが現実の被害者がいないなら気にしないし、ネットにエロ画像が溢れていてもそもそもネット依存していなければ適度な距離感を取れるからまずそこまで関わらない
オタク絡みの騒動だって本当の意味での"世間"から批判があった事例なんて少数で、だいたいは一部の人達が必死になってネット空間で火を炊いてそれをネットメディアが面白おかしく拡散しているだけ。リアルの世間はそもそも問題自体を知らぬ存ぜぬのパターンばかりじゃない。
September 24 [Fri], 2004, 18:23
いや前回バンダイに問い合わせメール送ったと書きましたが今日メールきました・・・・・、
え?この文を載せるにあたって一言・・・これ見たとき私はorz状態でした・・・これからどうしようか考え中です・・・・・・・(´;ω;`)、
そしてこのブログ内にもガンプラの画像を載せてる方はいる筈ですので見ていただければ幸いです・・・・・・・・。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
様
く購入&作らせていただいております・・
弊社の回答
お問い合わせいただいた件でございますが、
だいております。
ことができません。
い申しあげます。
お気づきの点がございましたら
********************************
次回、お問い合わせ等ございましたら、恐れ入りますが、
もう一度、お問い合わせフォームから、ご連絡いただけますよう、
お願い申し上げます。
お問い合わせフォーム:https://soudan.bandai.co.jp/toiawase/
********************************
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これがバンダイの見解のようです・・・・許可をとろうとしても許可を貰えないので基本的(例外もあるみたいですけど・・・)にはネット(ブログ)掲載は不可なようです・・・・、・・・・・後は個人の判断に任せるしかないんですけどね・・・・・。
ただ純粋に自分が作った完成品を皆からみればどう評価がくるのかそれが掲載の目的だったんです・・・・それを一部の人(悪用する人達)がいるかもしれないからって掲載不可で断念しなければならないのは非常に不本意です。
(バンダイの見解がこれだから光武・改の掲載も無理そう・・・・・(´;ω;`)
(追記:個人の判断でって書いてるから削除してくださいとは言わないけど・・・・・
載せ続けたい人これから載せたい人はそれ相応の覚悟が必要&本当は違反しているんだと肝に銘じておいたほうがいいです。簡単に言えば責任を取る覚悟でやってくださいってことで。自己責任ともゆふ・・・。)
(ちなみに私が元々問い合わせた理由は自分の完成品のガンプラを載せたかったからメーカーに問い合わせたので・・・著作権取扱ったついでに記事にしただけ・・好きなんだからって勝手にやっちゃいけないだろ流石にって感じで・・・・それとこの記事と私の行動は一部の人がゆう過度な注意いわゆるブログ叩き、ブログ潰ではないです・・・・ブログをまわるけれども注意書き等はせずに私のブログの記事をみてもらい後は其の方がどうとるかなんで・・・・・、それに私も自分のガンプラの完成品を載せられなくて正直大ショックなんですから・・・・・。)
はてな村の中でも盛り上がりを見せているはてブ住人の特性を解析してみる。
・弱者男性には寛容、女性にも寛容。寛容度で言えば女性>弱者男性。
・自民・維新が大嫌いであり、人格攻撃や罵倒も厭わない。関係のない案件にこじつけて批判をするいわゆる大喜利状態となっている(特に面白くはない)。
・いわゆるコロナ非実在説やディープステートなどの陰謀論には冷静であり批判的である。
・日本の将来については悲観的な傾向がある。特に一部の人は皮肉の文脈でバンザイとか言っている(特に面白くはない)。
・運動瞑想野菜はもはや土着信仰のレベルになっている。最近はemojiになっており350gは省略されている。
・ダジャレ
今回も引き続き、雑誌『映画秘宝』の中に蔓延っていた「ボンクラと云う『甘え』」について考えてみます。このような風潮が同誌の内部に醸成された一因として、町山智浩や高橋ヨシキらが「恵まれた境遇に生まれ育った/生きている」ことの影響を考えてみる必要が有ると思います。
と言うのも、恵まれた境遇で生まれ育った/生きている人間にとっては「生きるか死ぬか」と云う状況や「生き延びる為には泥水をも啜る」と云う覚悟は、所詮「他人事」であり、だからこそ彼らは身勝手なまでに好き放題できたのです。
これまでの投稿で私は「雑誌『映画秘宝』内部では一部の人間により業務の『私物化』が起きていたのではないか」と云う仮説を述べました。そして、この仮説に符合するような動きが『映画秘宝』最新号に見られました。
それは、同誌にアニメ作品の特集記事が掲載されたことです。この動きは「高橋ヨシキらが居なくなった『途端に』」と言えます。そこに私は「新体制となった『映画秘宝』編集部から、読者を始めとする外部の人間に向けてのメッセージ」が込められていると考えています。
そのメッセージとは何でしょうか?
私はそれを「これまでの『映画秘宝』では高橋ヨシキら『切り株作品好きの派閥』の一存で、アニメ作品などの特定ジャンルに関しては肯定的に取り上げないように抑圧されていたが、これからの本誌は変に気兼ねすること無く幅広いジャンルにも目を向けるように努めて変革する」と解釈しています。
仮にこの解釈が正しいならば、映画を紹介・批評するメディアとして実に「まっとうな態度」と言えるでしょう。
投稿(13)でも述べましたが、雑誌『映画秘宝』が生き延びるには、読者層を拡大することが避けて通れない課題でした。仮にアニメ作品を取り上げても、それが正しい戦略か否か、直ぐに読者層の拡大と獲得に繋がるのか否かは未知数です。しかし少なくとも、従来の『映画秘宝』が好んだ、自分たちと異なる趣味や嗜好を排斥するような閉鎖的で排他的な態度を、反省して改めていくという「ポジティブな可能性」を感じさせるものであることは確かです。
路線を模索して読者層の拡大を図り、それにより雑誌の生き残りに努める姿勢を打ち出した新体制『映画秘宝』の姿は、過去の同誌を主導していた『切り株派』よりもよっぽど「生きることに真剣かつ必死である」ように私には見えます。謂わば「生きる為の切実さ」を感じます。
これとは対照的に「読者の拡大なんぞ知ったことか!」「アニメが好きな奴らに読んで欲しくなんざ無えよ!」と云う強気な態度を取り続けてきたのが、高橋ヨシキら『切り株派』に主導権を握られていた従来の『映画秘宝』でした。
おそらく、彼らにとっては「『たかが』雑誌の生き残りの為に、女やアニメ好きに媚びる必要は無えよ!『そんな』事をするぐらいなら潰れた/死んだ方がマシだ!」と思えたのではないでしょうか。
この「思えた」「できた」と云うのが重要な点で、これは「そうすることが『できる』と云う『可能』」を表す物言いです。こんなことを「思える」上に「実行できる」のは、それをできる「余裕」が有るからです。
人は「食べるための苦労」をせずに済む「恵まれた境遇」なればこそ、「生き残る為に泥水を啜るなんて、みっともない真似するか!」と云う態度も取れるのです。
町山智浩と高橋ヨシキが早稲田大学出身者であることは、ファンやウォッチャーにはよく知られた話です。入学金や授業料が高額な有名私立大学に通うことが可能であった、こんな「お坊ちゃんたち」に、生きる為に泥水をも啜るような覚悟が生まれるでしょうか?もちろん「否」です。
そうです。彼らの本質は、何処かの首相の息子と同じく「お気楽な身分のお坊ちゃんたち」なのです。
ちなみに高橋ヨシキは、英語とフランス語がペラペラらしいですね。これは素直に凄いと思いますよ。しかし、そんな彼が非・都市部居住者や非・富裕層をあからさまに侮蔑する姿を見る度に、私は赤塚不二夫の漫画の登場人物であるイヤミを連想しつつ「やっぱり外国語能力と人間性の間には関係が無いんだなあ」と再確認する次第です。
柳下毅一郎は東大出身者ですが、柳下のファンやウォッチャーからは「翻訳・文筆の仕事だけで食えているのか?」「食う心配をしなくて良いぐらいに実家が太いんじゃないの?」と言われている様子です。少なくとも「爪に火をともして暮らしている」とか「糊口をしのいでいる」といったイメージは抱かれていない様子です。まあ、浮世離れした人間でなければ、海外のシリアル・キラー事情に詳しい特殊翻訳家稼業とか無理でしょう。
てらさわホークは…私はよく知りません。
恫喝DM事件以降に露呈した『映画秘宝』内部の対立に於いて高橋ヨシキの側に立つ『切り株派』ライター人脈を見ると「普段は会社員をやってます」的な人間が目立ちます。これは「食い扶持に悩まなくて済むから『映画秘宝』の売り上げも気にせずに済む」と云う条件にも当て嵌まるように思えます。
もっとも、この人たちの場合、自分で働いて身を立てているのですから、決して「お気楽な身分のお坊ちゃん」ではありません。少なくとも、奥様の稼ぎに助けられつつTwitter芸人としての活動に日夜勤しんでいる、何処かの誰かさんとは雲泥の違いです。
しかし、切り株派の「お気楽な身分」とは、結局のところ「他人に負担を押し付ける」ことで成り立っていたに過ぎません。彼らが好き勝手にしていた分の尻拭いを負担していたのが、他ならぬ洋泉社です。洋泉社としては雑誌の刊行を「商売」として成立させたかったのに、それを雑誌の作り手たち自身が「私物化」することで台無しにしていたのです。そう考えれば、休刊から復活を遂げた『映画秘宝』が、町山智浩らの古巣である宝島社に拾われなかったのも容易に理解できるでしょう。
泥水を啜る覚悟も持たず、負担は他人に押し付ける。このような姿勢については、まだまだ話を展開できそうですが、また長くなりました。
前々回の投稿(11)で言及した『映画秘宝』内部で起きていた「業務の『私物化』」について、引き続き今回も述べようと思います。
ムック形式が好評だったこともあり、90年代の終わりに雑誌化・大型化を見事に果たした『映画秘宝』は、傍目には順風満帆に見えました。しかし、初期の同誌を読んでいた方々ならばご存知のとおり、若者の購読者を想定した誌面作りとはお世辞にも言えませんでした。初期の『映画秘宝』がそのターゲットにしていた購読者とは「子供時代の70年代に映画館やテレビで観た映画についての記憶を、編集者・ライター陣と共有する大人」だった訳ですが、当時そんな条件を満たしていた人たちは、私も含めて既に「立派なオジサン・オバサン、若しくはその仲間入りも間近な人たち」でした。そのままでは購読者の高齢化によって、ジリ貧に追い込まれるであろうことは明らかでした。
したがって、雑誌『映画秘宝』が将来的にもビジネスを継続して生き延びるためには、長期的な戦略として「より広範で多様な読者層を開拓すること。それも、特に『若者層』と『女性層』を購読者として積極的に取り込むこと」を選択するべきでした。しかし、こんな事を今さら書いても、後の祭りです。
ご承知のとおり、それとは正反対の戦略を『映画秘宝』は選択しました。いや、何らかの戦略を選択したと言うよりも、むしろ「長期的な戦略など、当時の『映画秘宝』編集者・ライター陣は露ほども真剣に考えてはいなかった」と言う方が正確かもしれません。
覚えている方もいるかもしれませんが、高橋ヨシキが『映画秘宝』の表紙デザインとして、邦画から引用した「裸の女性が荒縄で緊縛されて馬に跨がる残酷エロ画像」をコラージュして仕上げたことがありました。この表紙について、町山智浩は「この表紙じゃあ女性が手に取り辛い(=買い辛い)」とボヤいていました(※注)。雑誌の「顔」である表紙がこんな状態だったぐらいですから、高橋ヨシキの頭に「女性購読者を獲得すること」など微塵も無かったことは明らかです。
既に述べたとおり『映画秘宝』は「女子供から映画を取り戻せ!」をスローガンにしていた訳ですから、むしろ「いかに女性が手に取り辛い(=買い辛い)デザインにするか」について考えた上で、高橋ヨシキは意図的かつ積極的に「女性が嫌がりそうなデザイン」に仕上げたのだと考えるのが妥当です。きっと、このような表紙を作っていた時の高橋ヨシキは「オレたち男だけの輪を乱すような奴(=女性)は、お呼びでないから帰った!帰った!」「この表紙デザインを見たら、きっと町山さんも喜ぶだろうなあ!」と云う気持ちを込めていたことでしょう。(※注:ところで、町山智浩も本気でボヤいていたのではないのだろうと私は思いますが、そう思う理由については別のところで述べます。)
近年は真魚八重子などの女性執筆者が『映画秘宝』に登場する機会が増えてはいましたが、それで町山智浩や高橋ヨシキの芸風が改まったようにはとても見えず、むしろ却って「これでもオーケーなんだ!こんな芸風でも女は許容してくれるんだ!」と彼らの勘違いを助長したと云う可能性すら有ると私には思えます。仮にそうだったとしたら、真魚八重子の頑張りが報われていなかったことになって、非常に気の毒な話ですが。
また、これも既に過去の投稿でも述べたことですが、比較的早い段階から『映画秘宝』は、ごく少数の寄稿者(例:山本弘)を除けば「アニメファンを蔑視・敵視・嘲笑する」と云う態度を明確に打ち出していました。この「アニメ叩き」の姿勢は同誌において長く一貫していたと言ってもよく、恫喝DM事件が発覚する直前にも「『鬼滅の刃』は絶対に観ない!」と、訊かれもしないのに自分たちの方からアピールに励んでいました。
もちろん、思想信条の自由に照らして考えれば、編集者やライター個々人が「何か」を嫌うこと自体は許されるべきです。だから、対象が「萌えアニメのファン」だろうと「女性」だろうと何であろうと、高橋ヨシキらが個人的に何かを嫌うことは自由の範疇あると言えるでしょう。極端な話、内心だけに留めて現実の世界で実行に移しさえしないのであれば、性的マイノリティ/人種・民族etc.に対するネガティブな気持ちを持っていても許されるでしょう。
しかし、その上で問いますが、当時の編集者・ライター陣がわざわざ誌面を使ってまで「女嫌い」や「萌えアニメ嫌い」を盛んにアピールしたり、ゲイを繰り返し「ホモ」呼ばわりして嘲笑し続けて、雑誌『映画秘宝』を売ると云うビジネス全体にとって、何か良い成果を招いたでしょうか?結果的には、女性・萌えアニメファン・性的マイノリティはもちろんのこと、それらに該当しない人たちにすらも「何だか『映画秘宝』は排他的な雰囲気があって嫌だなあ。近づくのは止めておこうか」と思われ、遠ざけられただけに終わったように私には見えます。
そうして「未来の購読者」に成っていたかもしれない人たちも見す見す逃してしまって、長期的に見れば大きな損をしたのではないですか?もしも、編集者やライター陣の個人的な好みに拘ったことによって、ビジネスの未来が失われたのだとしたならば、それについての責任を彼らはどう取るつもりなのでしょうか?
当時の『映画秘宝』の萌えアニメ叩きムーブに関しては、こんな出来事もありました。ある時、俳優の加藤雅也に対するインタビューを行った際、わざわざ「最近の若い奴らは、萌えアニメなんかにウツツを抜かしているんですよ!」と御注進に及んだのです。もちろん、そのインタビュー記事の中では、それに対する加藤雅也の「『萌え』ねえ…」というリアクションの言葉を「例の見慣れた太いゴシック文字」で強調することも忘れませんでした。つまり当時の『映画秘宝』は「あの加藤雅也サンも、萌えアニメなんか好きな奴のことは見下して馬鹿にしているんだゾ!読者の皆も後に続け!」と、虎の威を借る狐のスタイルで萌えアニメファンを嘲笑することに勤しんでいたのでした。それにしても、何の脈絡も無く突然「萌えアニメが云々」とか言い出したので、インタビューを受けていた加藤雅也も反応に困ったのではないでしょうか。加藤雅也についての面白い/興味深い話を読みたい読者の立場からすれば「何でインタビュアーがいきなり『オレは萌えアニメが嫌いだ!』と自己主張を始めるんだよ。お前は主役じゃねえだろ。お前の自己満足にスペースを割くぐらいなら、もっと加藤雅也の言葉を載せろよ」と云う感想を抱くしかありませんでした。きっと、このインタビュアーの脳裏には、読者の存在及び読者のニーズなどは思い浮かびもしなかったことでしょう。
上で述べたような行動に熱中していた『映画秘宝』編集者・ライターたちは、ただ単純に「『自分たちの欲求』が充たされて気持ちが良かった」のだろうと思います。もちろん自分の欲求を充たしたいと思うことは人間として当然ですし、仕事を通じて欲求を充たすことが出来れば、こんなに幸せなこともないでしょう。しかし、それをするならば良識と限度が必要不可欠です。わざわざ無駄に敵を増やし、未来の購読者を失ってまで「自分たちの欲求を充たすこと」を優先したことは、仕事(ビジネス)として必要なこと、正しいことですか?
ひょっとしたら「眼の前の『利益』を捨ててまで『信念』(=嫌いな奴らを大っぴらに嘲笑すること)を貫くことが出来るから、オレたち(=『映画秘宝』)はスゴいんだ!」と、『映画秘宝』切り株派は自分達に酔っていたのかも知れません。しかし、それは別にスゴいことではありません。
洋泉社としては、雑誌『映画秘宝』の刊行を「遊び」や「無償ボランティア」として、ではなく「まっとうなビジネス・業務」として行っていた訳です。それには先ず雑誌が売れること、それも短期的にだけではなく長期的に売れることが先決であり、その為には更に、購読者を増やすことが何よりも重要でした。したがって、これらの重要事項こそが『映画秘宝』製作チームに対して洋泉社が何よりも先に求めたことだったはずです。「何よりも先に」です。
それなのに、購読者を増やさず、と言うよりも増やす為の努力を端から放棄して、逆に無駄に敵を増やすことにだけはキッチリ勤しんでいた訳ですから、洋泉社にとって『映画秘宝』の編集者・ライター陣は、さぞかし頭痛の種というか獅子身中の虫というか、実に困った存在だったと推察されます。
こういった「まっとうなビジネスであれば求められて当然の事柄」には応えようとせず、何よりも先ず「自分たちの欲求を充たすこと」を優先して仕事に臨む、これこそが私の言う「業務の『私物化』」なのです。
この文章を読んでいる方は、試しに想像してみて下さい。もしも貴方が何処かの会社などに勤務していて、社員皆一丸で協力して赤字解消や顧客開拓などに努めねばならない時に、赤字を垂れ流したり顧客どころか敵を増やす行動にばかり勤しむ同僚が社内にいたとしたら、しかも、それに勤しむ理由が「自分が気持ち良いから」とか「これをやると○○センパイが喜ぶから」とかだったら「テメエの『趣味』の為に業務を『私物化』するんじゃねえよ!」と言いたくはなりませんか?単に「職業人」としてだけではなく「社会人」としても失格でしょう。
このように『映画秘宝』の行動は、とても「長期的な利益を考えている」とは思えないようなものばかりでした。岩田和明による恫喝DM事件を見れば分かりますが、ごく最近の『映画秘宝』内部でも「長期的な利益を考えず、自分が気持ち良くなることを優先する」と云う風潮が継続していたことは明らかです。更に、岩田和明が退職するからと云う理由だけで、のんさんの連載を打ち切って雑誌の「売り」を無くすように仕向けたことも、これまた雑誌全体のことを考えない「自己中心的な行動」でしょう。
仕事に関して「長期的な利益」について考えると云うことは「自分よりも若い世代に残す未来」について考えること、つまり「責任感の伴う態度」です。これに対して「業務の『私物化』」とは、仕事に臨むに当たって「今」の「自分」のことしか考えないこと、つまり「無責任な態度」です。
『映画秘宝』は、彼らが「精神年齢の幼稚な奴ら」と見なして嘲笑していたアニメオタクや「馬鹿な宣伝に騙されて底抜け大作を観に行く奴ら」と侮蔑していた女性と、彼ら自身とを勝手に比べて「自分たち(=『映画秘宝』の編集者やライター)はアイツらと違って『大人の男』なんだ!」と周りに向けて盛んにアピールし続けてきました。しかし、果たして彼ら自身は本当に「大人」と呼ばれるに値する人間だったでしょうか?
「雑誌の未来」よりも「自分たちの欲求」を優先し続けてきたことを、中心メンバーによる「業務の『私物化』」と呼ばずして何と呼べば良いのでしょうか?「身体は大人、頭脳はコドモの幼稚な遊び」でしょうか?
高橋ヨシキら「切り株派」が居なくなった2号目にあたる『映画秘宝』に、アニメ作品の特集記事が掲載されることが予告されました。この「居なくなった途端に」と言っても良い動きを見るに、おそらく「切り株派」が彼らの一存で他の派閥の編集者やライターに対して「『映画秘宝』でアニメ作品を扱うなよ!」と有形無形の圧力を掛けていたことは、想像に難くありません。そのような圧力が存在したとしたら、一部の人間の一存で企業努力の可能性を封じられていたことになるのですから、これもまた「業務の『私物化』」です。
「今」の「自分(たち)」のことしか考えない「無責任な体質」なのだから、年下の女性に対して恫喝DM攻撃を行ったり、自分たちよりも年下のフリーの女性編集者に対してパワハラを行ったりするのも、何ら不思議ではありません。告発を受けるまで、何一つ疑問に思わなかったのは「本当」でしょう。何しろ彼らの頭に有るのは「自分(たち)のこと」だけなのですから。
奈良さんがパワハラを告発した後に柳下毅一郎が出した、あの謝罪文としての体を成していない文を読んだ時も「ヨシキくんが報われて欲しい」とか、被害者を置き去りにしたことを書いていて「本当にどこまでも『自分(たち)のこと』だけに終始するんだな」と私は思いました。東大を出たぐらいだから間違いなく柳下毅一郎は頭が良いはずなのに、被害者を含めた「他者の存在」に対して満足に想像力を働かせることも出来ず、謝罪文一つまともに書けないとは流石に想像できませんでした。子供か。
『映画秘宝』の中心メンバーとも呼んでもいい人間たちが「業務の『私物化』」をし続けても恥じなかったのは、彼らの根底に有る「ボンクラと云う『甘え』」の精神だと私は思います。
ウマ娘と表現規制を巡る記事を見て思ったのだが、「フェミ」からの批判に反対するときに「表現の自由を守るため」とか言うのはもうやめたほうがいいと思う。
オタク的な表現に対する批判が起こると、主に以下の2つの理屈で批判に反論していた。
①エロ的な表現の自由が担保されることは表現の自由を守る上で重要なので、規制すべきでない。なぜならエロ的な表現を規制することから始まって様々な表現が規制されていくからだ(いわゆる「ニーメラーの警句」がよく引用される)
②一部の人間の主観でその表現がエロかそうでないかを決めることは良くない。なぜなら何をエロく感じるかは人によって異なるからだ。なので、エロいかどうかはできるだけ客観的な基準で決められるべきだ。
今回のウマ娘公式の「お願い」なんて、まさしく①②両方に引っかかると思う。
①の理屈で行けば、現状では18禁二次創作を禁止するガイドラインのように捉えられているが、Cygames・馬主・JRAなどを批判する表現も「馬主さまおよび関係者の方々が不快に思われる表現」として規制を広げることができる。まさに危惧していたような状況であり、いつもどおり規制に反対すべきではないか。
②についても、「モチーフとなる競走馬のファンの皆さまや、馬主さまおよび関係者の方々が不快に思われる表現、ならびに競走馬またはキャラクターのイメージを著しく損なう表現」という主観的な表現なのだから、いつもどおり客観的な基準を提示するようにCygames側に求めるべきではないか。
むしろ、「フェミ」の批判と違い資金力がある一企業が個人に対して規制しようとしているのだから、普段以上に強く反対すべきだと思う。
その後、Twitterやはてなを読んでいると、今回といつもの「フェミ」との対応の違いは「要請しているのが権利者かどうか」という理屈が多く見られた。
もしそうなら、今後は「表現の自由を守る」とか「何がエロなのかは人によって異なる」とか屁理屈を捏ねていないで、「自分たちの仲間や権利関係者の言うことは最大限配慮するけど、そうじゃない人の言うことは配慮しない」という理屈で答えるべきだと思う。自分たちが従っている理屈に誠実になってほしい。
蛇足だけど、反表現規制の人たちって、やたらかっこいい自己イメージを持っていると思う。
Twitterとかだと「フェミ」との争いを戦争に例えたがるし、「フェミ」の「お気持ち」に対して自分たちの客観性・論理性を強調しているのもよく見る。
たくさんRTされているツイートを見ると「(時として過剰なまでに)論理的に思考し、表現の自由という大義に殉じる人」と言う感じで書かれているのも多い。
だけど、ウマ娘の件でわかったのは、多くの人は「自分の趣味のコミュニティーを守るために、仲間や権力者に対して忖度し、他のコミュニティーからの意見に対しては一致団結して反対する」という人だということだ。
ごく普通の日本人だと思うので別にかっこ悪いとは思わないが、ヘルシングの大佐とかに自分を重ねているのを見ると、カッコつけすぎ。
PC自作を数をこなすことでスキルが向上することを主目的においているため、
だいたいパーツ代から50~70%くらい戻るイメージで、30~50%が償却率である(償却が正しい使い方かはしらん)。
ひかえめにいって病気だと思う。
転売というのは無在庫で横流しさせるような、ドロップシッピング的なもんだと思ってるんだが。
自分のように、不用品の家電を売ったり、PC自作して(儲けゼロで)販売するのは、転売になるのだろうか。
なるわけねえだろ。
家電の無在庫販売業者などは価格コムにも大量にいるわけだが、彼らは転売とは言われない。
ではなぜメルカリやヤフオクでの出品だけ転売と言われてしまうのだろうか?
「個人の売上」というのがあからさまに目に見えてしまうからではないだろうか。
本人たちも転売じゃないとわかっているけど叩かずにはおれない、そんな病的なものを感じる。
こういう人たちは「売上」と「収益」の違いもわかっていない。
「頭がおかしい」「病気」といってしまうのは簡単だが、むしろ彼らはシンプルに無知であり、
感情でメガネをくもらせたまま発言してしまう、そんな層に見える。
たとえば道端で、かりに薄着や厚着で歩いている人がいたとする。
それをみて、目から入った情報がそのまま口に伝達されて「寒いー」「暑いー」
などと言ってしまう人がいるが、それに近いと思う。
その暑いや寒いというのは、他人の事情はすっぽり抜けていて、「自分から見てこうだ」
という判断を、(いったん脳内で咀嚼することなく)そのまま発信してしまう。
薄着や厚着をしている人は、ひょっとしたらランニング直後かもしれないし冷え性なのかもしれない。
そういった想像力がまったくない、という点でヴィーガン叩きにそっくりである。
なぜならヴィーガンを叩いている人の99%は、ヴィーガン生活をしたことがないからである。
やってみたメリットが莫大であることを知らないから、想像で批判してしまう。
「肉を食いたいのにやせ我慢している」「肉食者を攻撃している」というようなものである。
転売屋を叩く層と、ヴィーガンを叩く層は、極めて酷似している。
電通さんはきっと、こうしたB層を広告やTVCMで操るのが一番簡単だと思っているだろう。
それは公正な中古価格を破壊するおそれがあるため、という一点だけの理由である。
今回みたいに、「法の下の平等」って建付けで行くなら当然そうなるよね。
法の下の平等があるにもかかわらず、「婚姻」に対して色んな優遇措置をとるのは婚姻を24条に規定してるからであって、一部の人は憲法改正せずとも同性婚を法制度化できるというが、憲法に保障された同性婚でないならそれは完全に法の下の平等に反するだろう。
萌えキャラのボイスレコーダーで発表会なんて日常使いされたら集中できないから、スタッフに頼んだら話通してもらえると思ったのに、
「それの何がいけないんですか?私はそう思いませんでした」「あの場にいた人達は誰もそんなことを言っていなかったので、問題ないです」って、なんやねん
そこは、「辛かったですね」、とか、「本人にこういう意見がありましたと伝えておきます」、とかではないの?
落ち着いたアナウンスボイスとか色々あるし、わざわざ小学生を想定したような萌えキャラボイスレコーダーをチョイスする理由なんなん?って感じ
「女の子の声の方がみんなもうれしいでしょ」って、そんなこと思ってないから、もう思考が異常!!
面談無駄にして言ったら2・3週間かかって、「みんなそんなに気にしてませんでしたが、言っておきました」ってちょっと嫌な感じで解決。
で、考え方は変わらなくてあの手この手で、オタクが手法を変えて、発表会してた。
こっちは理解する姿勢で一緒勉強しようとしてるのに、この態度。
なんか言う度に、担当スタッフが否定的で荒い言動目立って最悪。
こっちも言いたくないんだからさ、いい加減方針決めるなりして、オタク生徒の異様な行動について考えてくれよ!
資格に力を入れているところにすればよかった。
社会人としてじゃなく、社会全体で女としてしか見てもらえないなら、死んでもいいんじゃないかと思うねんけど、男が頑張って妊娠してくれないかな?
沢山反応やご意見を頂けてうれしいです。
前回の内容で十分同意できたよ!って方は、読まないという選択肢もありますので予めご了承下さい。
それと、もっと簡潔な方法をよこせという方もご遠慮下さい。わたしなりに精一杯簡潔にまとめたつもりですので、別の記事を探して下さい。
まずは、残念ながらやっぱり伝わらない人にはどうしたって伝わらないんだなっていうことは再認識しました。
だけど、これだけのご意見を頂けたので、どうして伝わらないのかの理由も少しわかった気がしました。それはまた別の話で。
頂いたコメントの中で多かったのは「大事にしているものがわからない」でした。
なぜなら、人の心は他人に対して基本的に閉ざされているからです。
天の岩戸のように閉ざされた心があるとして、それを知りたいときにどうしたらよいでしょう。
そんなことされたら嫌ですよね。
もちろんホストだとか占い師だとか、そういうことを狙ってする人たちもいます。
しかし、特別な訓練もなしにそんなことをしたら普通なら心の扉はもっと固く閉ざされてしまうはずです。
(恋愛工学の悪いところもここです。相手の心を開くだけ開いておいて消費して終わり。その後のケアなんて何も考えていない。)
更にそうして踏みこまれた心を、知りもしない人間に踏み荒らされてしまったらどうでしょう。
せっかく心を開いたのに、影でバカにされていたり、面と向かって「くだらない」などと否定されたり。
怒り、悲しみ、虚しさ、不信感、、、平気でいられるわけがないですよね。
誰でも一度はそんな経験をしていて、その結果、人は傷ついて心を閉ざしてしまいます。
もちろん、心の閉ざし方は人によってそれぞれです。
その人個人の過去の経験にもよりますし、その人とあなたとの関係性にも大きく関わってきます。
当然わたしにだって、開くことのできない心は沢山ありました。それはそれで仕方のないことです。
(人たらしの前提が共有できてなかったら申し訳ないですが、特定の個人を自分に惚れされるのではなく、できるだけ好かれる相手の数を最大化することを目的として書いているつもりでした。あなた用の惚れ薬じゃなくてごめんね。)
しかし、いずれにしても、人によって少しの違いはあれど、基本的にファーストタッチは同じです。
相手のファッション、持ち物、会話の隅々にアンテナを立てておいて、まずは相手が興味を持っていそうなもの、大事にしていそうなものを探します。
一度で当てる必要もないので、とにかくこれかな?って思ったものがあれば、それに興味を示します。
ここでいう「興味を示す」は、何もテレビタレントみたく大げさにリアクションをすることではありません。
まずは「あ、それって〇〇ですよね。」などそれに気付いてみることや、もし自分も好きなものであれば「あ、わたしそれ好きなんですよね」と宣言してみたりする感じです。
一つだけ気をつけなくてはならないことは、それが相手のコンプレックスだったり、コンプレックスを隠すためのものだったりするときです。
その場合、その部分に興味を示すことは相手からはネガティブな印象に取られてしまいます。
正直それがそうなのか他人からはわからないので、それも含めて、最初は小さく興味を示していくことが大切です。
気をつけることは、それが尋問にならないようにすること。
例えば、「それ好きなんですか?」は、それに対する返答が受け入れられるのか否定されるのか相手に返答の躊躇を与えてしまい、相手のリアクションが読みづらくなってしまいます。
また、「自分のほうが知っている」とか「自分のほうが好きだ」とか、知らぬ間に相手のマウントを取るような態度にも注意です。
もしここで何かきっかけをつかめたのなら、あとはそれを「大事に思う」ことを表現していくだけです。
これが「大事にしているものを知る方法」の次にコメントの多かった「どうやって大事にすればよいのか」という内容になります。
残念ながら何もきっかけをつかめなかったときは、諦めるか日を改めましょう。
よほど虫の居所が悪かったか、あなたに興味がないかのどちらかです。(すぐにイケメンに限るという人がいますが、全く関係ありません。大半の人は対して他人に興味がないのです。)
さて、「大事にする」というのは、大きく分けて二つの方法で表現することができます。
一つは「存在を肯定する」ということと、一つは「興味を持つ」ということです。
この、どちらかが欠けても成り立ちません。
その「大事にしたいもの」を存在していてもいいのだという意思表示をすることです。
ただ、それだけだと足りません。
例えば「あなたのその趣味は認めますよ。けど勝手にやってくださいね。」と言われたらどう感じるでしょうか。
存在の肯定どころか、むしろ無視に近い印象を受けるのではないでしょうか。
それならば、ここに興味を足してみるとどうなるでしょうか。
「あなたの趣味は認めます。わたしにもどんな趣味か教えてもらえますか?」
(もちろん誰にも邪魔されず一人で楽しみたい趣味もあるでしょうから、そういう場合はその人の心の扉を開くことは諦めて下さい。)
これだけで、「存在を肯定する」だけでは足りないことが理解して頂けたかと思います。
さらに、「興味を持つ」の良いところは、そのものに対して全く知識がなくても興味をもつことができるという点です。
例えば相手の大事にしているものが、全く聞いたこともない異国のスポーツだったとします。
知らないからと全然会話に乗ってもらえなければ、話している側は疎外感を感じてしまうかもしれません。
しかし、「それってどこの国のスポーツですか?」「どんなルールですか?」「何か道具が必要なんですか?」と、興味をもって質問されること自体は、特別悪い感じはしないはずです。
ここで気をつけるべきことは、その結果得られた回答に対して良い悪いの「評価」をしないことです。
自分の趣味を、その趣味のことを何も知らない相手に良し悪し言われてもぶっちゃけむかつくだけですよね。
それに、すぐに自分の話に置き換えてしまうのも注意しましょう。相手から話す意思を奪うのに抜群に効果的だからです。(相手が十分話をしたと思えれば自然と会話のターンが回ってきます。来ないなら諦めましょう。)
あくまで、「面白そう!」「楽しそう!」や「奇抜!」など、感想や興味があるという意思表示が大事になります。
中には「お好きですか?」と聞かれることもあります。
そのときに、嘘をついて「好きです」と答えるのはあまりおすすめしません。なぜなら、その後もその嘘を付き続けなくてはいけなくなるからです。
たとえ好きではなくても「嫌い」では言葉が強いので、「苦手かもしれません。」「今の所なんとも言えません。」くらいが良いと思います。
ところで、実はここまでで一度も嘘を付く必要がなかったことにお気づきになったでしょうか。
知っていることは知っている、知らなければ知らないと答えればよいし、好き嫌いも嘘を付く必要はありません。
くわえて、「興味を持つ」「存在を認める」ということは嘘ではなく「約束」になります。破ればはじめて嘘になります。(もちろん興味をなくすことも忘れることもあるでしょうから、その瞬間に誠実でいられることが大事ですし、そもそも知ってくれようとしてもらえただけでも随分と違うと思います。)
これを知ったときは、人との関係を築き上げるうえで嘘が必要ないということに対して心理的に随分と楽になったことを覚えています。
さて、こうして相手の大事なものを大事にすることを繰り返していると、相手の心に変化が現れます。
「この人はわたしの考えを否定せず評価せず、ただただ受け入れてくれるかもしれない。」
心理学的な言葉を使うなら相手の承認欲求が満たされた状態ですね。(前回の増田の一個目のブコメが核心をついてきて驚きました。)
まずは相手に対してこんな感じでアプローチをしてみて、反応があれば更に範囲を広げたり掘り下げたりと次のステップへと進みます。
以降は更に共感を広げていったり、体験を共有したりといった話になりますが、それこそ恋愛工学の分野になってしまいますのでそれはまた別の機会に。
自分の趣味や考え方が変わっていれば変わっている自覚があるほど、否定や評価なしに興味を持ってもらえることは嬉しいことだと共感していただけるのではないでしょうか。
つまりは、得られた信頼の分だけ、自分が誠実であることが求められてしまうのです。
なぜなら、得られた信頼に対して不誠実で返せば、相手を傷つけてしまうからです。
このノウハウを身に着けてから、その効果の大きさに面白半分で沢山の人に試しました。
そうして気がついたときに、一部の人から知らぬ間に一方的に強く依存されてしまっていました。
もちろん自分の体は一つですからそれら全てに誠実に返すことができず、それが裏切りと取られて山のような呪詛や仕返しが届けられるようになりました。
わたしが心身のバランスを崩してしまった理由を簡単に説明するならこういうことです。
そこで学んだこともあります。
一方的に強く依存してくる人は、つまり、こちらからの依存を一切受け入れない人でした。
言ってみればフリーライダーな人たちだったんです。
だからわたしは、相手の承認欲求を受け入れた分、自分の承認欲求も受け入れてくれる人たちだけを大事にするように考え方を改めました。
一方的に自分の好き嫌いや主義主張を押し付けてくる人の話まで聞いてやる必要なんてなかったんです。
たとえそれが家族であってもです。
だからこそそれに対価を得られるのであればそれに躊躇しないし、対価を得られないのであればそんな関係を続ける必要は無いのだと考えるようになりました。
最後の数行は、そんな思い悩み心痛めている人への警鐘のつもりで付け加えたつもりでしたが、言葉が足りなかったかなと反省している一方で、しっかりと説明するにはこれだけの文字数が必要になってしまったこともご理解いただけるとありがたいです。
それではまた何かの機会に。
20代後半。映画やアニメはそこそこ見るけど、今回のエヴァ騒動には違和感を覚えている。人々が無駄にネタバレを恐れ、ネタバレをみせることで興奮していることに対してだ。自分はネタバレを見ようが見なかろうが、その映画への評価が変わるとは思えない。人の意見をみたり結末を知ったところで、映画を見る頃には殆どを無意識に忘れているわけだし、そのネタバレが本当だとしてちょっとした答え合わせ程度にしか思わない。
エヴァの感想を見ても、結局全てを自分の目で見る以上に大事なことはない。
エヴァが25年にも渡って続いたコンテンツなのだから特別だということはわかる。自分が生まれた少し後にはじまり社会現象になったことは理解しているし、育った環境の中でも数年に一度はコラボ企画を見るような寿命の長い作品だ。そしてこの映画は邦画の中では珍しい、原作がありながら結末やあらすじがいっさいわからない状態で公開された作品だ。ドラえもん映画も似て入るが、基本的にあれらは一定のストーリーラインが定まっているから、題名と登場人物だけである程度はあらすじが想像できるし結末はより簡単にわかる。
結末やあらすじを公開していないのは、おそらくファンサービスとしてでありマーケット戦略なのだろう。
だけど自分のように、あらすじ程度は知っておいても問題ない人間も多い。あるいはあらすじだけでなく「誰が死ぬのか」「誰が勝つのか」などの重要な要素を先に知りたい層がかなりいることも把握している。
ネタバレを過剰に警戒するあまり人々が映画館に足を運ぶことは、結果的に自分のような映画好きには好意的に見える。だが今のエヴァネタバレ抑制現象には違和感しかない。ネタバレを嫌いTwitterをオフにするほどのものなのか。あらすじがわかっても自分の目で確かめることで別の見方があることをなぜ理解しないのか。結末を見る前にわかっていても、それは単なる事実であって映画の価値には当たらないのに。
よく聞くのが「最初の衝撃や感動を大事にしたいから」というものだ。わからなくはないが、知りたいという欲求が飢餓状態でみるほど映画というものが素晴らしいものとは思わない。映画は自分が楽しむために見るのであって、他の人の意見に左右されたり、他者の言動を抑制してまでみるものじゃない。ネタバレがあろうと楽しめることを知っているし、先に知っていることで別の理解や楽しみを見つけることは多々ある。
「推理小説で犯人が先にわかっていたらつまらないじゃないか」とも言われた。しかし推理小説は自分が推理するものではない。ハラハラ・ドキドキを楽し見たい人には悪いけど、自分はあくまでも物語を楽しみたいだけなので最初に誰が犯人でどうやって殺人をしたのかがわかったところで、楽しめなかった作品は一つもない。いや、一個だけあるがそれはかなり特殊な小説だから例外だろう。
映画、特にエヴァのように長い期間生き続けてファンが多い作品だからかもしれないが、結末をわかっていることで価値が下がるわけでもないと思っている。
だからといってこちらが積極的にネタバレをする気はない。それを嫌う人間は多いからだ。だけど自分は問題ないし、結末やある程度のあらすじを伝えて貰っても結構だ。
こういってはなんだけど、ネタバ
れを過剰に嫌う人々
つまり、自分のように一つの映画作品としてフラットに楽しむ人間には
理解できないのだ
【追記】
すいません
単にエヴァネタで書いたつもりが、一部の人に不快な思いをさせてしまうとは
ったです
釣りは誰にでも判別できるようでなければ意味がない、と言われたような気もしますが実際は全く言われたことないですね、今思いつきました
ということで釣りと気づかずマジレスというか読解力をフルに働かせようと奮闘した方はお疲れさまでした
ちなみに意外と本文自体はそれほど自分の考えから遠くもなく、ネタバレしても多くは問題ないと思っています
謝るぐらいなら釣りしようとするな
あなたも釣られましたか?それは災難ですね。やはりエヴァ関連は釣りやすいのかと。もっと修行していい記事にします
不自然極まりない改行があるのは見ればわかるんだけど、デスクトップパソコンという環境下においてのみ成立するような長文の縦読みは自動改行で整形されるサイトでは時代遅れ
言い訳はいいのですよ。ieさんのような滅びが確定しているブラウザに比べたらマシです
全てが終わってから後出しコメントしている方にはわからないかもですが、何とも思いません
ただ反省すべき点は抑えました
afurikamaimai この増田が死にますように。/けどトラバにいちいち嚙みつくあたり律儀だしえらい。ただのかまってちゃんかもしれないけど。
これからも元気に生きていきます。今回の失策は、単なる嫌みをネタとして笑う方向に持って行けなかったことでしょうか?オチが見えづらく、わかった後で快・不快の論争になるとは思いませんでした。
すべてに言えますが、釣りとは反応して貰えることが全て。良い釣りかどうかに関わらず反応してしまった人は全て釣られたんですよ