ウマ娘と表現規制を巡る記事を見て思ったのだが、「フェミ」からの批判に反対するときに「表現の自由を守るため」とか言うのはもうやめたほうがいいと思う。
オタク的な表現に対する批判が起こると、主に以下の2つの理屈で批判に反論していた。
①エロ的な表現の自由が担保されることは表現の自由を守る上で重要なので、規制すべきでない。なぜならエロ的な表現を規制することから始まって様々な表現が規制されていくからだ(いわゆる「ニーメラーの警句」がよく引用される)
②一部の人間の主観でその表現がエロかそうでないかを決めることは良くない。なぜなら何をエロく感じるかは人によって異なるからだ。なので、エロいかどうかはできるだけ客観的な基準で決められるべきだ。
今回のウマ娘公式の「お願い」なんて、まさしく①②両方に引っかかると思う。
①の理屈で行けば、現状では18禁二次創作を禁止するガイドラインのように捉えられているが、Cygames・馬主・JRAなどを批判する表現も「馬主さまおよび関係者の方々が不快に思われる表現」として規制を広げることができる。まさに危惧していたような状況であり、いつもどおり規制に反対すべきではないか。
②についても、「モチーフとなる競走馬のファンの皆さまや、馬主さまおよび関係者の方々が不快に思われる表現、ならびに競走馬またはキャラクターのイメージを著しく損なう表現」という主観的な表現なのだから、いつもどおり客観的な基準を提示するようにCygames側に求めるべきではないか。
むしろ、「フェミ」の批判と違い資金力がある一企業が個人に対して規制しようとしているのだから、普段以上に強く反対すべきだと思う。
その後、Twitterやはてなを読んでいると、今回といつもの「フェミ」との対応の違いは「要請しているのが権利者かどうか」という理屈が多く見られた。
もしそうなら、今後は「表現の自由を守る」とか「何がエロなのかは人によって異なる」とか屁理屈を捏ねていないで、「自分たちの仲間や権利関係者の言うことは最大限配慮するけど、そうじゃない人の言うことは配慮しない」という理屈で答えるべきだと思う。自分たちが従っている理屈に誠実になってほしい。
蛇足だけど、反表現規制の人たちって、やたらかっこいい自己イメージを持っていると思う。
Twitterとかだと「フェミ」との争いを戦争に例えたがるし、「フェミ」の「お気持ち」に対して自分たちの客観性・論理性を強調しているのもよく見る。
たくさんRTされているツイートを見ると「(時として過剰なまでに)論理的に思考し、表現の自由という大義に殉じる人」と言う感じで書かれているのも多い。
だけど、ウマ娘の件でわかったのは、多くの人は「自分の趣味のコミュニティーを守るために、仲間や権力者に対して忖度し、他のコミュニティーからの意見に対しては一致団結して反対する」という人だということだ。
ごく普通の日本人だと思うので別にかっこ悪いとは思わないが、ヘルシングの大佐とかに自分を重ねているのを見ると、カッコつけすぎ。
敵を作りたいだけって感じはしちゃうんだよな。 本当に「表現の自由」を守りたいならば闘うべき相手が違うだろう、て感じはするし。 ズレてるんだよな。お題目も、論点も、敵対者も...