2023-12-10

白いピンポン玉を求めて:純粋な娯楽への回帰

僕は弱者男性プログラマーだ。コードを書いて金をもらっている。

そんな僕が、社会学政治に興味を持つ人が多いこのような場で物申すというのはちょっと変だと思うかもしれない。

実際、社会学なんて僕の専門じゃない。

僕はコンテンツ収集するクローラを書いたり、それを検索できるようにインデクシングしたり、あるいはコンテンツクリック履歴に基づいておすすめを表示させたりするプログラムを書いている。

このようなプログラムにも、社会的側面というのは存在する。利用者が何らかの目的によってその検索ツールを利用し、調べたいものにたどり着く。コンテンツプロバイダー、ユーザーシステムという3つのアクター社会形成されている。

社会学者がコンピュータについて語ることがあるぐらいだからプログラマー社会について語ってもいいだろう。

僕が常々思うのは、人々の目的だ。

まり「この検索ツールを使う人は、一体なにがしたいんだ」「コンテンツ提供する側は何が目的なのか」ってこと。

もっと状況を限定するために、「ブログ検索」というツールについて考えてみよう。君がクエリを投げてブログを調べようと思うのは一体どういうときなのか。あるいはブログを書こうと思う人たちの動機は?

動機基本的needとwantによって分類されると考えて良い。need場合、例えば確定申告書の書き方について調べていて、適切な情報を知りたいと言ったケースがそうだ。

wantというのは社会的本能に結びついている場合もあるし、退屈しのぎということもある。承認欲求基本的社会的欲求だし、ハッカー自分の知見を公開するのはちょっとした挑戦だろう。

リーナス法則というのを聞いたことがあるだろうか。マズロー欲求解創設と似たようなもので、「生存」「社会」「娯楽」という3つが人の行動原理だとリーナス・トーバルズは言っている。

ブログを書くのが「生存目的という人はどういう人だろうか。きっとそれ以外に職がなく、必死アフィリエイトで稼ぎを得ている人だろう。

ブログを書くのが「社会的目的」という人は、すごいことをして認められようとか、専門家とつながりたいと考えているかもしれない。

しかし「娯楽目的」というのはもっと崇高なものに思えてくる。ブログ文章を書くのが単純に「楽しい」といった人たちのことだ。

生存社会、娯楽という3つの階段によって、コンテンツの質というもの判断できるのではないかと、僕はそういう仮設を持っている。

アフィリエイト生存目的の発信をしている人たちのコンテンツは、お世辞にも良いとは言えない。クリックベイトであったり、感情を煽ったり、SEOクラックしたり、初心者的だったりする。

社会的目的の人たちはもう少しマシで、認められようとして努力をする姿勢がある。でも、「たくさんの人と繋がりたい」という目的場合ちょっと注意が要る。結局、そういう人は手当たりしだいにアクセスを増やそうとするからコンテンツの質は下がってしまう。

文章を書くのが楽しいけど、人に評価されることはどうでもいい」という人たちのコンテンツを探すことは難しいが、こういう人たちのコンテンツは奥深いことが多く、表面をなぞったようなアフィカスブログとは一線を画している。

しかしこれはコンテンツ提供する人の観点である。これらのコンテンツクロールし、検索できるように整備している「システム」の観点から見ると、どうしても「広告利益」のようなもの重要視されやすい。

Googleであれば、Google広告利益に貢献するようなコンテンツ検索結果で優先表示するかもしれない。そしてそれはまさに生存欲求のためのアフィカスを優先しているのと同じことなのだ。

インターネットがつまらなくなったと言う人たちがいる。僕は次の喩えでこれを説明しようと思う。

昔のインターネットというのは、水の上に白いピンポン玉が浮いていた。この白いピンポン玉は良いもので、楽しいものだ。

ところが徐々に黒いピンポン玉を投下する人たちが増えてくる。黒いピンポン玉は悪いものだ。手を使って沈めようとしないと、白いピンポン玉が見つからない。

そして今のインターネットは黒いピンポン玉が一番上に浮かんでいて、白いピンポン玉はその下で見えなくなっている。

白いピンポン玉は純粋な娯楽精神を持ったコンテンツのことで、黒いピンポン玉は「アクセス数を増やしたい」がために鬱陶しいことをしているコンテンツのこと。

まりインターネットでは年々白いピンポン玉を見つけるためにエネルギーを使う必要が出てきてしまっていて、疲れているとき必然的に黒いピンポン玉を見るしかなくなっているということだ。

リーナスは「文明は、生存社会、娯楽という段階に進んでいく」と言っていたが、インターネットは「娯楽、社会生存」という逆の階段を降りている形になっているように思える。

現段階では、アテンションの総和が一定であるために、ネット人口が飽和し、広告企業利益は落ち込んでいる。純粋な娯楽ではなく、企業の生き残りをかけた戦争突入してしまっているのだ。

僕は今のインターネット社会では、意識的面白いコンテンツを見つけるためにエネルギーをかけることがかなり重要だと思っている。ダラダラとやっていたらアフィカスとバズ目的しか目につかない。

例えば人間が一日に読める文章量なんて限られているから、本当に面白い人を見つけたらRSS購読しておいたほうがいいと思う。

うるさいハエがクソに群がっている。「クソを美味しくないと思うなら、お前がつまらない奴だからだ」と左翼思想家が指摘するかもしれない。

僕はクソよりもステーキが好きだ。あなたのようなハエではなく、人間からだ。

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