はてなキーワード: ぼんやりとは
おいおい気が付くの長すぎじゃねーか!と思うでしょ?
私も思う。
そのうち、私がハンドメイドアクセサリーとか作るようになり、相方も布小物などを作るようになり、横に並んでスペース取ったりしてたんですよね~。
あの頃は平和だった。
いや、でもあの頃から「○○の方が何で売れてるの!!!ムッキー!!」みたいなこと言われてたな。
あの頃に「作りが雑で汚いからじゃないか?」とか言っとけば、こんなに後を引くこともなかったのかな・・・・どうなのかな。
(今は相方もキレイなものを作ってますが、当時は作り方は省略しまくりで下書きの線は消えないし丸見えという「ゴミかな?」というものを作っていた)
それからなんか忙しくなり、私も二次創作にもどったり戻らなかったりしていたんですけど、
ある時から、ドールの服を作るようになり(きっかけはドールイベントに参加するのにアクセだけだと寂しいかなと思ったからかな、あんまり記憶がない)それからゆっくりと掛け違えが始まったのです・・・・。
※前から自分のドール用の服などはキャラド用などで作成してたし、小学生の頃にも本見て作成してた。
同じものを作るようになったからかな・・・・いや、私的には結構ちがうものだとおもってんだけど。
そのあたりで、思想のぶつかり合いというか、
なんつーかですね、私はわりと著作物まもる!!という感じなので、まるコピとかパクリとか許せないぜ!!ってかんじなんで、カターイウザーイって感じになったのかもしれないですけど、
「お人形は全部可愛い!!他のお人形貶す許せない!!パクリ人形でもカワイイもん!!!」とか、相方いってたくせに
アイツ、MSDは少女っぽくていい~と言ってた私に「ロリ体型やだーキモーイ」みたいなこといってませんでしたっけ??
※MSDは少女からレディに成長するぞって感じが至高だな・・・と思うのでMSDではなくオマエがキモイならあってる。
あと「そんなエロいパンツ着せれなーい!人形に求めるのエロじゃないしー」みたいなこといってたのに、ヒモやらパールなんやらのパンツつくってませんか??
ドールにパール付きパンツ履かせようとしてるお前がなに言ってんの?? みたいなことに、最近気が付いた。
私、わりとぼんやりしてるので、悪意に気が付かないことが多いのですが、もうちょっとしっかり生きよう。あと、法にふれるコピペ問題はもちろんダメだけど、私がダメだったのはダブスタだった。
でもまあ、決定的なのは自分のご家庭の事に関してヤンヤヤンヤ言われるのいやーとか言ってたので、私はごくつぶしクソ野郎をお飼いになってるのをなんだかんだいったことないんだけど、かの人は「BBAが死んだら遺産手に入るからイイネ!」とかいったんですよねー。
私の祖母はどこに出しても恥ずかしくないクソBBAなんですけど、さすがにしねば良いとは思わないし、遺産目的で世話をしているわけではない(誰も面倒見ないのでみている)
「自分は遺産手に入ったから良かったって思ったので、あなたもそうかとおもって!!」とかいってましたけどクソすぎんだろ。
向こうは私がケンカ売ってると思ってると思うんだけど、これはあれだな、無意識に鏡のように同じような態度で接してたためケンカ売ってる感じになってたんだな。きをつけよう。
人もまばらで、岩造りの浴槽に浸かると一気にリラックスして肩に風を感じて幸せだった。
ふと、浴槽の水面から上に出ている岩に触れて感触を確かめたくなった。
そっと手を伸ばすと、岩はゴツゴツとしていてほのかなぬくもりを感じた。
その瞬間、私の脳裏に風俗店で触れた女性の感触と温感が蘇った。
薄暗い部屋の中で僕の右手が触れたのは紛れもない人間の肉体だったのだという記憶が鮮明に再現した。
茶色く豊かな頭髪に鼻を近づけて感じたほのかなシャンプーのよい匂い、部屋中にこだまする浴槽に水の溜まっていく音、遠くにぼんやりと見える金色の風呂椅子、なにもかもがその瞬間のままだ。
僕は女性にただ触れて、それ以上の感想を持つことができなかった。興奮も、感激もなかった。
元カノの夢を見た。夢の中で彼女の苗字は分かっているのに、名前が分からないという問題と格闘した。結局分からないまま目が覚めた。でも、今では彼女も結婚して苗字が変わっているんだろうなと、ぼんやりと昔を懐かしみながら考えるが、こんな夢を見るのは今の僕の状況が引き起こしているのか。
嫁と喧嘩を一昨日からしている。喧嘩の理由は嫁が僕の誕生日を祝ってくれなかったからである。こう言うと幼稚だなと思われるかもしれないが、この性根は昔からの特性でありどうすることもできない。
誕生日の日に、飲みに行く予定ができたらしく行ってもいいかと聞いてきてくれて、それに対して了承をした。プレゼントも貰った。別の日にどこか行きたいところがないかも聞いてきてくれた。でも、拗ねた。
その日は子供の習い事の送り迎えがあって、誕生日を祝う余裕がないことも分かっていた。でも、拗ねた。
そういえば、元カノと別れたのも、こんな自分の感情からだったかな。未だに彼女のことが好きなのに、それは好きという感情すらも軽々と超えてしまう。
嫁は普通では付き合えきれない僕のような人とよく過ごせてるな。普通の人間は、タンスに離婚届を隠し持って、いつでも逃げる準備をしている自分勝手で幼稚な普通ではない人間とはやっていけないだろう。気をつけないといけない気がする。
のだが、参加に対して金がかかりすぎて頭を抱えている。
昔はご祝儀でうん万飛んでくなんてたいへんだなあなどとぼんやり想像していたのだが、これがとんでもなかった。
それだけじゃないのだ。
私は女だ。そして結婚式に参加するのは今回が初めてだ。
まず着る服、身につけるアクセサリー。パンプスだってドレス用に華やかで爪先が隠れるものを。加えてパーティー用バッグ、サブバッグ、袱紗、パーティバッグ用の小さな財布、もうこれだけでとんでもない出費。
当日だってヘアメイクを頼むか頼まないかで心底悩んでるし、お金かかりすぎるのが分かったからネイルはセルフで妥協した。
親友の結婚を祝いたい気持ちは十分にあるし出てね!って言われたし出るっていった手前出るけど、個人的な事情でしかないがこの4月から転職とそれに伴って転居したので、吐くほど金がない。正直現金使いたくないのでご祝儀すら捻出するのが惜しい。
ドラえもんがいないのび太くんは、一体どんな人生を送ったのだろう?
ADHDと診断されて半年が経ちまして、今社会人2年目を迎えたばかりなのですが最近限界を感じ始めている
メモをしたから平気と思っていても、どこに書いたのか分からなくなってしまったり
口頭で説明されると、つい上の空になってしまって気付けばはなしについていけなくなってしまったり
机の上や引き出しが汚くて業務に必要な書類がすぐに見つけられなかったり
会議に毎回ギリギリに行ってしまい5分前に来なさいと怒られたり
自分が今何をしたらいいかわからなくて、仕事が溜まって他の方に迷惑をかけたり
身だしなみもいつもストッキングが伝線していたり、服が逆だったりどこか抜けてしまう事が多い
1年目の頃は研修が主だったのでミスはするものの、そもそも業務量が少なかった
2年目になって、色んな方と連携して仕事しなきゃいけない機会も増えた。
でも雰囲気や周囲を見るのも少し苦手で、目の前の仕事につい夢中になってしまう。
ストラテラという薬を飲んでしばらく経つ。私はこういうものは薬を飲めばまともになれると思っていた。
だから自分がADHDであると言われた時は正直ほっとした。ずっと自分が人とどこか違うと思っていたから、その原因がやっと分かった気がして。
だが、薬は元々ー5だった所がー2になった程度で、どうしても普通の人と後少し差が埋まらない。私は長年の夢だった、普通の人間になりたいというものが未来永劫叶わないことをここで初めて思い知った。
優しい先輩は「最初は誰でもミスをする」と言ってくださるのだが、先輩と私にはADHDという違いがあり、それを思い知る度に酷く憂鬱になる。
仕事を辞めたい、最近ずっとそう思っている、けれど、辞めて違うところへ行ってもまた同じ事が起きる気がしてならない。
私のADHDの型は、ネットで見かけたのび太くん型というものに酷く似ている。
注意散漫で細かいミスが多く、片付けられなくて興味のないことや長い話には上の空になってしまう。そしていつも眠そうにしている。思いつきで行動するもすぐに飽きてしまう。そしてミスが多発して慌ててしまう……
ドラえもんのいないのび太くんは、大学受験など人生において多くの失敗をして、挙げ句の果てに自分で立ち上げた会社を火事で無くしてしまう。うろ覚えだけど、確かそうだったはずだ。
そんな悲惨な未来は、ドラえもんが来ることで改変される。ドラえもんが彼のミスをカバーすることで、のび太の未来は最終的にしずかちゃんと結婚し平穏なものへと変わる。閑話休題だがのび太の結婚前夜って優しい映画が私はとても好きだ。
だが、現実にドラえもんはいない。大学までは、特に支障無くぼんやりと曖昧な楽しみを享受して生きて来た。
けれど、社会人になってから余りにも辛い事が多く、家に帰っては眠るばかりの生活をしていると、いよいよ最近自分が生きてる意味もよく分からなくなってきた。
ADHDの特性の中には疲れ易いというものもあるみたいで、仕事の後や休日に疲れて何も出来なかったりすると、いつも自分の体質が憎くなる。
もう随分と長く生き、体も不自由になった祖母が、前に「早く死にたい」と呟いたのを聞いて以来、私は未来にも希望が持てなくなった。長く生きても幸せになれないのなら、今こんな辛いまま生きて何の意味があるのだろうかと。
ADHDであることを今まで関わった方全員に暴露したい気持ちにもなるけれど、きっと理解してもらえない、気のせいだ、誰にでもよくある事だ、そんな言葉に甘えるな……そんな風に言われそうで、私は誰にも言うことができない。そもそも仕事先に言うべきことでもない気もする。
それに、耳が聞こえないことと違って紙に言葉を書くなどの明確な対処法だってないのだから、解決法のない悩みを言ったって困るだけなのだ。
人に迷惑をかける人間なんて生きてる意味がないと自殺を考えたこともあるが、やっぱり自分だと怖くて首に縄を通せないのだ。
私は心が弱いので、いつか安楽死の制度とかが整うことを夢想するばかりだ。そしたら、長く生きなくたって済む。
1人で部屋にこもって好きな音楽を聴いたらゲームをしたり、ぼーっとするのが1番落ち着く。人と会話するといつも途中で集中が切れて、疲れて、早く帰りたくなる。
でも、そんな1人で生きる方法なんてありはしないのだ。
一体いつまで、ADHDを抱えて私は生きればいいんだろう。
ドラえもんがいてくれたらなあ。
ド素人だし金を払ってるわけでもないが、これだけ時間を割いたら多少偉そうに感想を書き連ねてもいい気がしている。
あくまで1話の感想なんで、2話以降どうなってるかは関係なし。
何かと思ったら映画を前にしたスピンオフらしい。劇中劇というかドラマ中ゲームの話で最後までいくのだろうか。ゲームだからヒロインがいくら変な行動を取っても共感性羞恥心を煽られずに楽しめたりはする。
これも映画を前にしたスピンオフらしい。盗み聞きするヒロインという設定なら、いっそ彼氏を掌の上で転がすくらいの方が好み。
ターゲット層の娘がいるわけでもない大人として特に興味を引くところはないが、生活をどこまで覗き見られてるかわからないのは結構恐怖じゃなかろうか。
男子に雨の中一つしかない傘を貸されて感謝はしても申し訳なくは思わないヒロインってお姫様気質だな。
15分枠の中で時系列がごちゃごちゃしてるのはともかく、最初に学生になって登場してる……以前にそもそも主人公であるヒロインが無事に生まれるかを最後の引きにされても。母体が無事かならともかく。
真面目に見るにはB級臭いが、笑って見るにはノリが悪くて性暴力の描写が重い。
美形がキョドり主人公を演じるドラマは最近色々あったが、中村アンはそりゃ藤原竜也には並ばないにせよ意外と表面的でない良い演技。
目覚めたら松坂慶子になって……はないが時間が飛んでるという設定はそれなりに興味を引く。
ホモソーシャル感が苦手と思いつつ、池松壮亮の顔ってちょっと杉咲花っぽい可愛さがあるなと思ったりした。
5分枠という短さだから、15歳の娘に男子と2人暮らしさせる親も、いきなりキスする男子も、それに対する娘の反応もみんなおかしくたって仕方ないのだろう。
丁寧に人物を描いてる印象。ドラマで看護学生ものはそういえば初めて見るか。医学生ものも『輝く季節の中で』『ヴォイス』『動物のお医者さん』『向井荒太の動物日記』くらいしか思い出せないが、医療+青春ってドラマ向けの題材では。
学生の中に井森美幸じゃなかった酒井美紀がいるのはいいが、男子はいないのだな。
オタク向けに閉じたノリではなくオーソドックス(悪く言えばベタ)な新米お仕事ものとして、ちゃんと作られてる。戸松遥の演技くらいがツッコミどころ。
主人公の声優としての才能を感じさせるのに八百屋の営業という形で芝居に加えて歌とサービス精神も描いたのは、現代の声優業の幅広さに対応してるのか。アニメに疎そうなので、深夜のエロアニメとかどう思うのか気になったりはするが。
ところどころクスリとさせられるものの、コンゲームとしては巧妙というより力業。
『真田丸』で鬱陶しいイメージを逆手に取りながら一新した長澤まさみは、何となく自分の中のポジションが吉高由里子に近づいてる。
逮捕されたのは兄なのか? 指名手配犯かと思って混乱したのと、せめて「はんにん」じゃなく「ゆうかいはん」と書いてればと思わずにはいられなかったものの、映像がフィルムっぽい質感で雰囲気を盛り立ててる。
後味の良い勧善懲悪的な事件ものとしてこの先もいくのだろうか。手堅い作りだし、主人公の青臭さを周囲が諫めてもいるものの、もっと割り切れない事件にぶつかってくれる方が好みではある。
執事属性でない人間にとっては凡庸なミステリー。殺人の動機も弱かった。あと災害情報みたく他番組の宣伝をL字で入れるのは印象悪過ぎる。
ただキャスティングの工夫は『シグナル』との比較もあって評価したい。
中谷美紀は専業主婦が似合わない女優だが、おかげでホスピタリティに欠いた者同士がくっついてうまくいかない夫婦という設定が必要以上に表現されてる感。仮に妻が専業主婦にならなければ戦友的な関係が芽生えたりとか……いや、とっくに別れてるか。
怖いユースケ・サンタマリアといえば『火の粉』では怒鳴る演技が弱点だったが今回はどうか。
ささやかな人間ドラマに料理を絡めてほっこりという、あまり興味の湧かないジャンル。店名の由来を2度語る必要はあったのか。
足立梨花の使い方が凄い。彼女には失礼かもしれないが、これ以上正しい使い方はないんじゃないかと思える。さらに男たちの閉塞感と下衆さが生々しくて、嫌な気持ちになりつつ引き付けられた。
『家売るオンナ』……いや『女王の教室』の会社版か。死人が出かけた以上最終的にきちんとデビルを否定してくれないと倫理的に問題だし、会社にとってもリスキー過ぎるだろうとも思うが、リスクを描いただけ倫理的と言えなくもないか。面白い作品であることは否定できない。
無駄にエロが挟まると思ったら主演女優が蒼井そら。サスペンス性でそれなりに引き付けられはする。
とても捻りのないタイトルだが、立て直しものの王道っぷりは悪くない。駄目なところから始まることへの苛立ち防止にもう少し笑えても良かったかもしれないが。
くっきー演じる強面のフロントマンは配置転換しない解決案だと夢があると思う。
題材の目新しさとビターな味わいは良いが、意外と地味で淡々としてるので、今後の話にバリエーションがないと飽きるかも。
井上真央のはあまり憶えてないが面白い。漫画的に誇張された設定はベタな面もあるのだが、マイナスにマイナスを掛けてギリギリプラスにしたようなヒーロー造形の際どさとか、常識知らずを笑わないでくれて嬉しかったというエピソードの共感力とか、作り手の上手さが光る。杉咲花の演技も、コメディらしい誇張は少ない代わりに心情がよく伝わる。
しかしファミマはあの男性店員の描写をよく許したな。あと福士蒼汰と思いきや中川大志な本編の間に入る、中川大志と思いきや福士蒼汰なCM。
いきなり中山美穂を殺したのは良いとして、Wヒロインを霞めんばかりに中年男優陣が厚いのは良し悪しとして、密室作って貰っておいて今更母の愛を知って涙とか、「文字の神様が降りてきたわ」というふわふわした決め台詞とか、「文字に関する理論は番組のオリジナルです」って本当に空想かよとか、色々微妙。
切ない汗のアニメの記憶はぼんやりあるが原作は未読。復讐劇はこれからだが、前振りとしては申し分ない悲惨さ。ただ原作を読んで翻案っぷりを見る方が楽しそうな気がする。
冒頭に暴力描写の警告がありバイオレンスを覚悟したが、中森明菜の方の『ボーダー』1話ばりのスプラッターだとは聞いてない。痛そうなホラーが好きな人向け。……深夜じゃなくプライムタイムにあれをやった『ボーダー』凄いな。
引き裂かれた恋とか忍者とか拳銃とかおじゃる篠井英介とか色々見所はあるのかもしれないが、ごめん基本的に時代劇苦手(ということを乗り越えるに至らず)。
野々すみ花は好演だが、なんで辻斬り男にそこへ来いなんて言った?
とても普通なアラサー女性群像ドラマ。等身大という意味の普通でなくドラマとしての普通。
中川翔子がアニキと言うよりボクっ娘って感じなのは、夏菜とのキャラ分けにおいて計算通りなのだろうか。
「あれから色々ございましたが」って千の眼になった人のことか!とツッコんでたら『下町ロケット』に喧嘩売り始めて見上げた根性。
最後の救いは強引だったものの、辛口ホームドラマとして安定の出来。
タイトル、ラノベ感はいいとして弁護士で弁が立つのは普通では。
ネット民が好きそうな企画だが、学校という内輪のやり方を不合理と叩き斬ってスッキリという単純な話ではなく、弁護士は人間の機微を理解しないドライな人間というわけでもなく、安直な構図は避けられてる印象。
「なりたかった派、なんとなくなった派、それとも仕方なくなった派、どれですか?」という台詞やそれに台詞で回答しないあたり、上手い。
単発ドラマの続編ではなくリメイクか。設定やキャストの変更はあるし、尺が違うから単発よりも話が進むと思うが。
単発は随分偏見めいた内容だったが、連ドラになってもポリコレ度を上げることはなく相変わらずっぽい。
医療ものとしての緊張感に結構なダークさが加わって面白い。『振り返れば奴がいる』を彷彿して、千堂あきほは彼女で中村あずさは彼女で西村雅彦はトゥビコンだと退場が早すぎるからキンコメあたりかななどとも楽しんだり。
主人公が辞表を賭けて戦うのはメタ視点で相手の分が悪すぎて興醒めと思いかけたが、いっぺん相手の手術を成功に見せるのが一工夫だな。
願望充足ファンタジーとして特定のターゲット以外相手にするつもりはないのだろうし、あれだけスピーディにキスまで持ち込む男子はきっと血が止まるのもスピーディでシャツが汚れたりしないのだろう。
えっと、何の共通点も関わりもない4人のドラマを「末路」という言葉で無理矢理1つのドラマにしただけだったりする?
これがラストかと思って見たら1話じゃなく宣伝だった。5月以降スタートのは対象外とさせて頂く。
結局どれを特に気に入ったのかと言うと『花のち晴れ』『Missデビル』『ブラックペアン』『弁護士が学校でほえる』『噂の女』。あくまで1話でだが。
趣旨は上の通り。
自分がオタクだと自認するようになってからこっち、10年以上にわたって、オタク差別けしからんと言い続けてきた。
ここ数年、なんとなくそれに違和感を感じることが多くなってきたけれど、それでもやっぱり言い続けてきた。でも今回はっきりわかった。
オタク差別批判とか、ただの害悪でしかない。もうやめたほうがいい。
差別というのは、権力構造に根差すものであるという話をだいぶ前にツイッターで見た。
つまらない約束事のように映ったけれど、まじめに考えるとこれを踏まえないから、差別を相対化して見せては矮小化や言葉遊びにふけるような態度が出てくるのである。日本人ヘイトだの専用車両は男性差別だの在日韓国人による逆差別だの、差別者以外にとってはおもしろくもおかしくもない大喜利パズルでここ何年かでいったいどれだけ無駄な足止めにいそしんでいたというのか。ちゃんとベースを踏まえてこそ、くだらない袋小路にはまらないで済む。これはちゃんと物理を学んでいない人がブルーバックスくらいだけに目を通しただけで「矛盾」を発見し、相間さんと化すときに似ている。
今まで自分が存在していると思っていたオタク差別は、多分差別ではない。それは、いじめであり、パワハラであり、DVである。
そう視点を変えた方が、いろんなものが整合性をもって見える。中学校時代よくいじめにあっていた同級生は、オタクじゃなかった。正確に言うとオタク「も」いた。
でもそれは、そいつと俺が割と仲が良いから知っていた話で、きっかけは別のところにあった。運動音痴だから足手まといだという扱いだったり、成績がよくて生意気だという扱いだったり、DQN憧れの男の子の彼女だからだったりした。
もちろんきっかけが「オタクだから」というケースもあるんだろう。でも、それはこういったきっかけのワンオブゼムでしかない。それを、民族差別や女性差別と並べるのは、視野が広い人間ではなくただの雑な人間だ。
「差別じゃない」というのは、多分そういうことなのだ。そして、差別じゃないから批判の対象にする必要はないという話では、たぶんない。別の枠組で批判すればいい。
なのにもかかわらず、熱心にじゃああれは差別じゃないんだーという大喜利ばかりをしているツイートばかりが「オタク」から流れてくる。いや、どうしてもそこのところをわかりたくないのかもしれない。
わかりたくないのか、わかろうとしないのか、本当にわからないのか、どれなんだ。
いろいろ、「オタク差別の事例」というのが流れてきた。前なら、そうだそうだと怒りをぶちあげたであろうものがたくさんある。でもそれはどれもこれも、オタク差別の事例ではない。
そういうものを引いて行って、ある程度確実にあったんじゃないかと思えるのは、「マスコミを通じたもの」だと思う。特にバラエティやニュースを通したもの。
それで思い出すのだけど、俺の中高時代はあんまりオタクがいいとか悪いとかいう意識を持つことじたいあまりなかった。今思えば自分の机でいつも小説を読んでいて、たまたまホームページの話になったとき「私も持ってる」と言ったのでURLは?と何の気なしに尋ねたらそれはちょっと……みたいに返してきた女の子なんかはオタクだったんだろう。自分だって漫画は好きだったしオタクだったはずだ、今にして思えば。
じゃあ、そこにどうやってオタクキモイみたいな「偏見」の存在を知らされたかっつーと、漫画だったりインターネットだったり、そして「オタク自身の言説」からなんだよね。
だって、バラエティ番組なんて中二病まっさかり(高校になっても中二だったので)でほとんど見てなかったし。ニュースといってもこの手の話ってだいたいワイドショーである。やってる時間は学校にいるんだから見るわけがない。
金田一少年の事件簿には、小太りですぐキレ気味になる、「オタク」が登場した事件があった。こち亀で、美少女フィギュアを専門とする「色白でアニメ好き」なオタクが登場して、硬派フィギュアマニアのつもりな両津が逃げ出すという展開が「オチ」として機能していた回があった。名探偵コナンのホームズフリークの回は……さすがにこの文脈で語るものではないか(でも動機の酷さは「オタクなんてそんなもんだろう」という共通認識が背後にあるような気がする。知らんけど)。
テキストサイトが一世を風靡していたころ、オタクやオタクに向けられたコンテンツは叩かれる「べき」もの扱いだった。非オタク向けの、スポーツとかファッションを語るページに迷い込んだら叩かれたという話ではない。漫画の感想サイトや、漫画やゲームをメインで扱う日記サイトでの話である。
何を言っているか分からない人もいるかもしれない。例えば、ラブひなやいちご100%やBLACK CATは、軟弱な頭の弱いオタクのためのコンテンツであり、あんなものにゲヘゲヘゆってるオタクマジキモイ。ホイッスルやミスフルやテニスの王子様は腐狙いコンテンツであり、あんなものに(ry そういう話である。この範囲は結構広くて、らんま1/2やH2ぐらいでもオタク向け扱いされることがあった(もちろん、当時これらが連載されてたわけではない。あれってオタ向けの駄作だったよね―みたいな扱い)。
もちろん彼らが持ち上げるコンテンツというのもあったのだが、この文脈で実例を挙げるの風評被害でしかないので避ける。俺の好きな作家や作品も混じるし。
テキストサイトだけではなく、2ch(当時)もそんな感じだった。少年漫画板とかそのへんをよく覗いていたのだが、まあ当該作品のスレは愛読者が集まるのでそうでもないこともあるのだが(そうであることもある)、総合系スレでのオタクコンテンツ叩きはかなり強固だったし、漫画とか関係ないジャンルの板だとなおさらだった。
そういうものにどっぷりつか……もとい接しているうちにオタクというのは叩かれるべき存在であるのだなというぼんやりとしたイメージが自分のなかで出来てきた。これにもう一つ後押しするように影響したのが、自分はオタクだと称する人が、迷惑行為や触法行為のようなものを自慢しながら、「ホラ俺たちオタクだからさ」みたいに語っている文章に接する機会があったのも、ああそういう人がオタクなんだなと認識させられた。
ちょっと話はずれるけれど、当時は、オタクとマニアの違いなんていう言い方があって、オタクはそういう迷惑なものを抱えた側の人間やハマりすぎて社会に順応できなくなっている人間、というような線の引き方もあった。
これは、あくまで俺の話である。だから、他の人がどう偏見を植え付けられたかは、また別の話があるかもしれない。でも、オタク差別を煽ったものとして、「漫画」「インターネット」「オタク自身」という声を、この話でオタク差別に怒っている人の口から出てくるのを見ないのだ。
ここで挙げたのは、知る人ぞ知るみたいなのじゃなく、だれもが知る有名漫画、リドミで上位常連の大手サイト、オタク文化人として今でも名前を出せば通じる、みたいなのばかりを念頭においている(まあ当時のインターネット文化がそもそも、知る人ぞ知るなものでしたけど)。みんな、俺とは違う漫画やインターネットを見ていたんだろうか。ワイドショーやバラエティばかりを見ていた「オタク」がそんなにたくさんいたんだろうか。
本当に不思議なのだ。あそこでこんなオタクへの偏見に満ちた報道があったんですよっ!というようなツイートは大量に流れてくるのに。
これが本当に、ここ数年で疑念として大きくなった末に、今回愛想がつきた一番のポイントなんだけど。
オタクが差別を受ける構造が、あったとする。それは、ネットで語られているほどは大きくないかもしれないけれど。
それで、今、オタクってなんなんですか、と。特にネット上では、強者、抑圧する側、差別を行使する側の「集団」として機能してませんか、と。
腐女子叩きは昔からあったけれど、女叩き、中韓叩き、などは当たり前のように横行している。時々流れてくる、弱者の権利をなんとかして奪ってやろう、人権思想じたいを矮小化してやろう、という意気に満ち満ちたツイッター漫画は誰によって大量RTされているのだろう。俺のところにはだいたいオタクさん経由で回ってくるんだけど。
趣味、という切り口でみても、オタク文化を愛好する人が自分たちと関係のない趣味なら平気でdisる光景というのはそんなにたぐいまれだっただろうか。インスタ蠅なるイラストが回ってきたことがある。そもそもインスタに投稿するのが趣味になっているような女性を叩くようなツイートが回ってきたことがある。鉄オタは「池沼」「ガイジ」であるなんて言い方もある(「」内は原文の表記を尊重)。ゴルフや車などを老害の趣味だとバカにしていたりもする。そうそう、スイーツ(笑)なる言い回しはいったいどこのどういう人によって流行したんだろうか。「リア充爆発しろ」というフレーズに何げなく込められた、自分と関係ない集団への軽視に、どれだけの人が気づいてたんだろか(だって「爆発しろ」だよ。あの連中、有明に15万人集まったタイミングで奴等爆発四散しねえかなーって非オタな人が言ってそれがそっちの界隈で大好評を博したら、インターネットな皆さんの間でどういう反応が起こるか考えてみたらいい)。
そんなオタクばかりじゃないというのは分かる。というか俺がこういう文章を書いてる時点で分かれ。でも、個の話じゃないのだ。集団としての性質の話である。あれだけ、全共闘や学生運動について冷笑ぶって叩く人が追いのに、そこに気づかないってどうかと思う。あとリア充爆発しろは使ってましたすいません。
それに、そういったところで、こんなふうにちゃんと抵抗して、こんなふうに批判して、中から自浄する動きを作りました、このコンテンツからは離れましたと胸を張って言える事例、どれだけあるんですかね?俺が、ノットオールオタクと言い続けたところで、結局「自分を批判の対象から外してくださいあいつらは関係ない」と逃亡する以外に何の役回りも果たせなかったから、言っているのだ。この記事は違うよなあ~こういう作風は好きじゃないなあ~こういう物言いはよくないよなあ~と個別の案件に不満ごちてみせ、自分は違うと思う、もっというなら思ってみただけで、肝心なところからは目をそらしていたんじゃないか? そう思うんである。
逆に、そこに自覚的になったんだろうな、と思える人も何人か知っている。そういう人は、結局C.R.A.C.やツイフェミのようなところに接近し、そのやり方すべてに同意はしないまでも、見解や思想に共感するようになっていく人がほとんどだ。おそらく今回「オタク差別」に怒っている人は、この人たちを敵であり、オタク仲間と認識していないと思う。
つまり、オタク文化の加害者としての側面を見ないふりするか、オタクに勘定してもらえなくなるか、二つに一つということだ。
C.R.A.C.の野間氏は個人的には大嫌いだし、たぶん単にオタクが嫌いなんだとは思う。でも今回ツイートの応酬を見ていて、残念ながら主張にそれなりに同意せざるを得なかったのは、こういう背景について理解できてしまったからだ。そこで突然くっちゃべられる「オタク差別」。真面目に反差別を考えている人にとっては(多分そこは真面目なんだと思う。この人)、筆算の横棒がミニ定規で引かれていないから×、レベルの見当違い感があったんではないか。野間氏の真意など知らないけれど。
そういえばその昔、本田透の「電波男」に感銘を受けながら読み進めていて、後半のほうで腐女子やフェミニストについてはずいぶん切り捨てたような言及の仕方なのに疑問を持ったことがあった。いや、フェミニストがオタクを差別している、という文脈で批判してるなら理解できるんだけど、そうじゃなかったから。権利意識を持つ女性自体が許せなさそうだった。その後「電波大戦」で喪女についての話題が出たとき、対談相手の竹熊氏がわりと真面目に実態について話したりしているのに、「困ったモンですね」で終えているのを見て、クジャクヤママユを盗み出した同級生を見る眼つきになったのを覚えている。だってそこで語られてる喪女、本田氏が救済しようとしてやまない喪男と違わないのに。
そのあとしばらくは新刊も買って真面目に読んでたの、それもどうよって話だけど。
10年くらい前に、俺たちの麻生なるムーブメントがあった。別に政治家を持ち上げること自体は好きにすればいいんだけど、そこでは当人が積み上げた迷言失言差別発言をすべからく許容し、批判したマスコミへの叩きが横行していた。正直、あの政治家のどこがいいのかさっぱり分からなかった。
当時はオタク系個人ニュースが全盛期。そういったサイトの管理人は、麻生氏を擁護するまとめブログエントリを紹介しては、叩かれていて困ったものですねぇ、正論なのに、というようなコメントをこぞってつけていた。オタク気質の知り合いなども、熱心に自ブログで擁護していた。
あれから10年たった今も、麻生氏は差別発言や侮蔑発言を繰り返している。あれを見ていて思うのは、この人は息を吸うようにハラスメントをする人なんだな、ということだ。それは、昔も同じだった。だから、どこがいいのかさっぱり分からなかったのだな、と腑に落ちたのだが、同時に当時持ち上げていた人たちにとっては、「だから良かった」んだろうかしら、とぼんやりと邪推してしまう。
今回オタク差別について怒っているツイッター主の中に、表現規制反対などをめぐっての発言をしばしばしているアカウントがいくつかいる。いずれもその界隈ではそれなりに大物だと思う。そして、俺のチェックしている反対派がぼんくら揃いなのかもしれないけれど、ヘイトスピーチの言論の自由を唱え、ポリコレで何も言えなくなることを憂い、自分に関係ないところでの言論の自由に興味がないかむしろ規制されることを望み、性差別についての提起が出てくるとそれについて考えるより先に提起者の揚げ足を取って袋叩きにするような人たちが勢ぞろいである。さすがに全部きれいに当てはまる人は少数だけれど。そんな反差別運動(別にあの界隈に限らず、そういう発想自体)が大嫌いな人たちが、当然のように主張しだすオタク差別批判、いったいなんなのか。ただ、差別社会の中で特権階級になりたいだけじゃないのか。
そういえば、これはある程度年配のオタクということになるけれど、昔(主に90年代くらい)のバラエティはこんなにおおらかだったのに、今はポリコレがうるさいせいでつまらなくなった、というような声が時々ある。なぜか、そういうつぶやきをしている人が「昔はオタクをバカにする表現に寛容でよかったなあ」と語っている声を聴かない。今回オタク差別が話題になって、バラエティなどでのオタクの扱われ方という話はけっこう出てきているのに、いない。どこへ行ったんだろう。
オタクと差別、という組み合わせでオタク文化っぽいものを思い返してみると、そんな案件ばかりが、思い出されてくるのだ。
反差別のために立ち上がったオタク、というのはそれなりの数知っている。そういう人はオタクかそうじゃないかを越えたところのつながりで、反差別をやっている。でも、オタク差別けしからん以外の「反差別」がオタク文化の中心的な動きとしてあったところを、見たことがない。差別を煽り、偏見を煽り、強者に諂い(自分たち以外の)弱者を嘲笑する、そんな動きならいくつも思い浮かぶのだけど。
あ、一つ思い出した。(反差別とは少し離れるかもだけど)フリーチベット、フリー東トルキスタン。
残念ながら、反中のダシ以上のものであった記憶はないけど。ああいうの、真面目なチベットや東トルキスタンにおける人権運動家に失礼だったんじゃないか。
こんな「オタク差別批判」に大真面目に同意したところで、反差別には一ミリもつながらなさそう、むしろ後退させる役割しか果たせなさそうである。メディアを通した差別はもうかなり減ってるといわれるし、それ以外のものはオタク差別というくくりより別のくくりで論じた方が有意義でより広い被害を論ずることができるようだ。となるとオタク差別なるものに拘る理由はない。
もしかしたら、こんなことは本田透の2冊目の著書におかしさを感じた時点で、たどり着かなければならなかったのかもしれないけれど。
カウンセリングに行った。
小さい頃からずっと自分ってみんなとちょっと違うんじゃないか?と思ってきた。でも「マイペースなんだね!」ってよく言われるからまあそんなものかと自分をごまかして生きてきた。
中学生の時に「増田さんって浮いてるよね」「おかしいよね」ということが原因で部活の先輩にいじめられた。元々苦手意識のあった集団生活が完全に無理ぽょ〜になった。
高校生の頃は先生に「テストだけきちんとやったって内申点はあげられません」と言われた。別にいらなかったけど、なんでそう言われるのかわからなかった。
で、知り合いが誰もいなかったらもっと上手くやれるんじゃないかと思って、地元から進学した人が誰もいない土地で大学生になった。手に職をつけたかったので医療系の学部に進んだ。
そしたら、ビーーーーーックリした。
ADHDとされる子どもが幼少期のわたしそのままだった。ビデオで見たことある、幼稚園時代のわたしそのままの行動を取っていた。その後に出てきた特徴も、みんなみんな見に覚えのあるものだった。
・いつもきょろきょろしてしまってじっとしていることができない
・ケアレスミスが多い
・別のことに気を取られて本来やるべきことを完遂できない
他にも色々あったけど、特にこの5つがわたしにとってどうしてもできないことだった。そして、ADHDの主な症状としてあげられるものだった。わたしがどうしても解決できなくてつらかったこと、全部説明できた。
でも、みんなこんなんなんじゃないかな?って思って「こんなのみんな当てはまるんじゃないかなあ」って友達に聞いてみた。みんなきょとんとしてそんなことないでしょ?って言った。
アーーーーー完全にこれは、わたしはADHDの傾向があるんですねぇ!と思った。
ネットで調べたチェックリストみたいなのをやった。真っ黒だった。
4つ以上マークがついた場合は専門家に相談を、とあった。だから、カウンセリングルームに怯えながら電話をかけて、予約を取った。
あと、母親に連絡した。遠回しにその話題を振ってみたら、小2の時に担任からADHDかASDの疑いがあると言われたことがあるらしい。
今までそんなことを言われたことがなかった母は驚いて専門機関にかかるべきか聞いたが、特に大きな問題が見つかっているわけではないから大丈夫でしょうと先生は言ったらしい。最終的には確かに忘れっぽいし集中力がないところはあるけど元気で優しい子に育っているから大丈夫、また生活に不自由するようなことがあったら考えましょう。と、母親は結論を出したらしい。
そして、カウンセリングに行った。何をするかわからなくて怖かったので、一応不安に思っていることをまとめてから行った。
まとめてきたから言いたいことは上手く言えた、けど、話してる間にどんどん涙が溢れてきた。なんでか全然わからなかった。全然いうつもりなかったのに、しんどくなると家中の食べものを食べまくってしまうとか、嘔吐するまでやめられないとか、眠れない夜があって辛いとか、冷蔵庫にお酒がないと不安になるとか、大きい音が苦手ですぐ驚いて頭が真っ白になってパニックを起こしてしまうとか、朝どうしても起きられない日があって学校に行けない時があるとか、無意味に涙が止まらなくなることとかまで話してしまった。
カウンセラーさんはいいとも悪いとも言わず、ただ、そうなんですねとだけ言って相槌をうってくれた。やさしかった。
みっともなく泣き崩れるわたしに、カウンセラーさんが「次回は発達障害に詳しい先生がおられますから、その方にお願いしたいのですがどうですか?」と言ってくれたのでよろしくお願いします、と返して次回の予約を入れて帰ってきた。
泣いたのは恥ずかしかったけど、誰かに辛いという気持ちを聞いてもらうだけで楽になることを実感した。
2回目のカウンセリングに行った。
この前のカウンセラーより年上の女性だった。メモはもらっているけど、もう一度自分の口でお話していただけますか?と言われたので前回と同じような話をした。
途中で先生が「ふんふんふん」「あーはいはい」「それでそれで?」とかいうのがなんか怖かった。
わたしが話し終わると、その人は「あなたは自分の口で辛いことを説明できるので、大丈夫です!」と言った。
は?何がどう大丈夫なんだ?と思ってぽかーんとしていたら「わたしだってイライラしたらお菓子とか食べすぎちゃいますよ」「でも大丈夫ですよ、その気持ちを自分でコントロールしましょう!」とか言い出して、ますます唖然としてしまった。
わたしは別に過食について相談に来たんじゃなくて、もっと別の、その原因の生きづらさについて誰かに助けて欲しくてここにきたんですが?と思ったしそう言ってみたけど、馬鹿にしたように「それは大丈夫ですから」と言われただけで終わった。
次回の予約はいつにしますか、という質問になんと答えたかは覚えていない。
カウンセリングルームを出て、学校から家に帰っている時間、唖然とした気持ちは怒りになって、最終的にわたしの苦しみは甘えなのかー、という悲しみになった。
家について、もう、うわーとなって御釜にあったごはんを全部食べた。釜から直接。気持ち悪くなって全部吐いてしまった。
いま、トイレの前の床に座り込んでこの文章を書いている。もうどうしたらいいかわからなくて、ただただぼんやりしている。
このような状況に陥った人いたら連絡ください
この記事読んでしんどくなってしまった。これを書いた人がどうこうという話でなく自分の記憶とかやってることとか、そういうのでしんどくなってる。
うちにも認知症の祖母がいる。母方の祖母。秋田でじいさんと、叔父と三人で暮らしてたんだけれど、じいさんは心筋梗塞で亡くなって、叔父はその一年後だか二年後に酔って首をくくって死んでしまった。たいそう金がなかったみたいで幾度かうちの母に無心の電話を寄越していたらしい。
で、だれも頼れる人がいなくて、叔父の葬式が終わった直後に、母が嫌がるばあさんを引っ張って東京に帰ってきた。ほんとは一人で生活なんてできないって、ばあさんも呆けてるなりにわかってたみたいだけど。そこから二年、もうすぐ三年、週に四回デイケア?というの?昼間預かってくれる施設に行ってる。
わたしも兄弟も仕事したら学校行ったりしてるから、実質面倒見てるのは母であって、わたしたちがばあさんの世話を見るとか、そんなの全くしてない。大して関わり合いがない。一緒に生活してるのに。それどころか生活とか衛生観念とかが違いすぎて、あと呆けてるからほんと三分に一回同じ話したりするじゃん、それでだんだん疎ましく思うようになってしまったのね。
でさ、自分の幼少時を振り返るとこう、秋田と東京だからね、そんなしょっちゅう会ってたわけじゃないのね、盆暮れ正月に一週間くらい遊びに行くみたいな感じ。で、遊びに行けばやっぱり可愛がってくれるわけ。スゲエ甘かったと思うし、わたしも秋田で暮らしてる親戚の人々が好きだった。母にとってはどうだったか知らないけど、わたしたちにとってはいいおばあちゃんだったと思う。記憶が美化されてるのもあるかもしれないけど、わたしは昔のばあさんのこと、とても大好きだった。
今はさ、それがさ。何度も同じ話するからとか、外から帰ったりトイレ済ませたタイミングとかで手を洗わない(何度教えてもダメだった)とか、耳が遠くて私たちの言ってることが聞き取れなくて、それでこっちが怒鳴るように話すと萎縮して泣いちゃうとか、そんな些細なことで、些細なことなんだよ、だってわたしがメインで面倒見てるわけじゃないからね、そういうことで疎ましく思ってしまって、しんどくなるわけ。勝手に。
この人が孫たるわたしに注いだ愛情とか、まあそういうようなものを、面倒くさいからで無視して適当にかわして全部母親に面倒見させてるっていうさ、あーもうしんど。
じゃあちゃんと話して相手になって一緒にテレビとか見ればいいじゃん、と思うんだけどそうもいかねえのな、自分勝手なんだよな結局。
そんなので毎日ぼんやりとしんどいなあって思っている。そんで、ばあさんが死んだら、また身勝手に苦しむんだろうな〜って。どうしたらいいんだろうな。
30年くらい前はまだイタリア料理屋ってほとんどなくて、1990年代あたりに一気に増えたと思う
そのときに既存の洋食屋や喫茶店(カフェではなく)、お高いフランス料理店などとは違う
日が昇る前ら自己顕示欲をむき出しにし、やれ本気で好きになった人はいないだの、好きじゃない人とのセックスは砂を噛むようだ、だのとのたまって自律神経を正常に保つ
日の出ごろから仕事に関する愚痴をこぼし始め、不健康自慢が始まり、不毛な政治議論が勃発する。この間、現実逃避のために猫が駆り出され、ぼんやりとした癒やしを他田に提供する
出勤時間になると、他者への敵意がむき出しになる。やれやれ調の同族嫌悪的異性叩きに端を発し、気に食わない他田に一行で噛みつくのは当たり前、ため息にも似た文脈ゼロの短文を投稿して周囲をいらつかせたかと思うと、思い出したように両親の話を朗々と語りだして、これがたまに名文だったりする。
出社時間になると、フリーの増田たちの時間だ。同世代への憎しみをぶつける主婦たち、取り返しようのない時間を噛みしめる大学生やフリーターたちの百鬼夜行でご機嫌を伺ってくる。これらに影響された不良社員の増田たちが、仕事へのぼんやりとした苛立ちを無理やり共有してきたり、性欲を全面に押し出した怪文書で攻撃を仕掛けてくる。この時間帯のトラバは単純に地獄だ。
いよいよこれはどうなんだ。自分の人生を空っぽだと思ってるのは常々だけど、今日は久々に結構つらかった。
バイトを始めた。
学生だけど金欲しいし、なんとなく何もしないのはアレかな〜とか思ったりしたからだ。
けどなんか既に無理。早すぎる、社会不適合。分かってたけど。分かってたけど!!できると思ったんだ……。
辞めたくはない。仕事がしたいというより金が欲しい。でもきっとこの職業向かない。かといってバイトにある職業で自分に向く職業があるとは思えない。というか自分に向く職業があるのかすら分からない。何がしたいかも分からない。ただ漠然と趣味に金を使いたいから働きたかっただけで。趣味があるならいいじゃんそれ仕事にしなよとか言われるけど、読書が趣味でも何も仕事になんないでしょ。
バイト行って、帰ってきてウワ〜疲れた!働くってこういうことか!とかぼんやり思ってみるんだけど、たかだかバイトで何だよなって思ってしまう。世の中の社会人の人はもっと長い時間働いてんのに、何を、って。
何があるとか何がないとか、そんなのは人それぞれだとは思うからいいんだけど、持ってるものと持ってないものを比べるのと、そもそも何もないのとでは違う。そもそも何もないんだ。
こう…一生遊び人でいたい、ような。ソシャゲやらRPGの何がいいかって、クエストをクリアすればいいところなんだよ。現実社会に置き換えると日雇いといった感じに近いのかな。多分雇用の形態は、わたしはそれが一番楽。けどそういうのは大体力仕事なんだよなあ…力仕事向かないのでアウト。
何言いたいかも何も分かんなくなってきた。やっぱり精神科通うのやめない方が良かったのかなあ。
仕事はしたいけど多忙にはなりたくないしでも辞めたくはないしけれど何もしないのもだめで。
やっぱりこの先生きていける気がしねえ。
タイトルの通り。
25歳、ここまで平々凡々に楽しく生きてきた。
今は平気だけど、24歳の頃から「俺は愛が知りたい!愛し合ってみたい!結婚したい!」といつか俺は発狂するんじゃないかと漠然とした不安がある。
たぶんそういうやつはいっぱいいると思う。
そんな状況下なので、意識的に出会いを増やさななあとぼんやり考えていた矢先、
この先は最高の幸せが広がっているだろう。それは明らか。ただ。いつか発狂するんじゃないかという不安爆弾は抱えながら。
つまりは、分岐が存在するわけだ。趣味フルスロットルに生きるのか、ここらで未知の彼女という存在を作ってみようとするのか。
いったいどちらが良いんだろう。
俺は一生結婚しなくて平気!とか女なんて知らなくていい! なんて風に今決めれれば物凄く楽なんですが、そんなのいつひっくり返るかわかりません。
追記
その頃の上海にはサウナとよばれる場所があった。2018年の今はもう無いかもしれない。
日本人専用というわけではないらしいが、日本語のWebサイトもあり、日本人専用の受付電話もある。
Webサイトにはサウナの場所がぼんやりと示されているものの、取り締まりを警戒してか、予約なしでは遊べない。
現地で購入した携帯電話から予約の番号へ夕方頃に電話した。対応に出たのは現地の女性と思われる。
日本語はペラペラで予約にあたって、こちらが困ることはなかった。店へ行く時間を伝える。
サウナのあるビルのへ行き、エレベータで上の方のフロアであがると、受付がある。
ここでも日本語で受付の手続きをした。入館したあとは、日本のサウナやスーパー銭湯と同じで、ロッカーが割り当てられ、館内着に着替えるように指示がある。
この際にシャワーを浴びることもできる。この時はシャワーは浴びずに、館内着に着替えたあと、指定された部屋へ移動。
部屋にはマッサージチェアがあり、飲み物を注文してくつろぐことができる。
休んでいると、店の従業員がやってきて、色々と尋ねてきたり、システムを教えてくれる。日本語で。
そのままくつろいでいると、マッサージはどうか、と勧誘する女性が時々あらわれる。
これは、普通のマッサージとのことだが、チップが必要のため今回は受けなかった。
しばらくすると、従業員が若い女性の集団を引率してやってくる。全部で10人くらいがやってきた。
女性には番号が示されており、数字の一番上の桁が値段をあらわす、らしい。
引率者からの、X番の子はおすすめですよなどのトークがある。やってきた女性たちは基本無言で視線でアピール。
ぱっと見た感じ、みなメイクがケバい、濃い。
目移りした後、石原さとみに似たロリ系の女性を指名した。指名が決まると、他の女性たちはぞろぞろと帰って行った。
この後でプレイをする部屋へ移動した。プレイルームは割と広く、手前側にシャワールームがあり、奥にはキングサイズくらいのベッドがあった。
シャワールームには、変な椅子、そして手術台のようなベッドがある。
ソープランドの部屋と似た作りだが、日本のそれと比べると、奥のベッドはまともなベッドであり、浴槽はなかった。
こちらは中国語が全くわからず、相手は英語がわからないので、身振り手振りでやりとりをする。
その後でシャワールームのベッドにうつ伏せになる。背中のマッサージとリップから。ローションをつけてスリスリなどされる。
上から下まで色々と攻められたあと、一度ローションを落とし、仰向けになりまたスリスリ。
お腹のあたりにブレスレットのようなものをつけていて、何かと思ったら、体を使ったマッサージの時に絶妙に気持ちいい。
キングベッドのある部屋の奥へ移動する。こちらでも最初から仰向けで、完全に受け身となった。
準備ができてきたら、コンドームをつけて開始という流れで、こちらからの攻めはほとんど受け付けず。キスもなし。
終わったあとに、女性の持つスマホの翻訳アプリを使って少しやりとり。
How old are youは通じて、年齢を答えてた。え?という年齢であったが、まあ容姿相応の若い年齢だった。
その後、アプリ経由でどうにかコミュニケーションをとって、時間となったら再度シャワーを浴びて終了。
プレイのあと、最初の部屋で休んでいくことが可能。軽食を注文して、なんか麺類を食べるた。まずからず、うまからず。700元。
40に差し掛かってきて、記憶力や考える力がとみに落ちてきていると感じる。何とかしよう、と思ったという話
最近、仕事でとっさに何か話題をふられても、「あのアレ」てな感じでぼんやりした言葉しか出てこなくて、若手のキビキビして的確な言葉や意見にたじろぐばかり。
でも若手の言っていることややろうとすることが何だか拙速な感じもする、でもそれがうまくその場で伝えられない。
あれ、自分は元々こんなに知識が半端で、意見が言えない人だったっけ、とふと思った。
そこで本や資料を読んでみた。
が、いくら資料や本をよんでも、水で紙を張り付けるように、時間が経つと知識は剥がれ落ちていく。意見はもちろん、まとまらない。
「ああ、若くないのかな」
と、思った。
翻って似たような年の同僚を見る。
彼は、別にものすごく賢い訳ではない。でも、同じような仕事をしていたのにふと気づくと「あれこいつこんなに詳しかったっけ」と、思わせる時がある。
何が違うのか。
彼は、いろんなものによく飛び付く。飛び付くだけでなく、すごく知ったかぶる。
人から聞いた話を、さも自分が考えついたかのように話す。つつくとすぐボロが出るので、「知ったかカッコ悪い」
と、どこかで思っていたが、自分との差はそこなんだと思う。
読んで聞いて手に入れた知識を、そのまま定着させるには、自分はもう年を取りすぎた。
大学を出てもう15年くらいになるが、あんまり自分のインプットした知識や意見を、文章や口頭で発表することがなかった。
仕事をするにしてもテンプレや先行事例に頼りすぎていた感がある。安楽さに走って意見のやり取りを避けていたこともある。
若い頃とは違い、手に入れた知識は間違っていようが積極的に使って咀嚼していくしか定着の道はないのだろう。
知ったか上等。年を取った分、面の皮も厚くなったことだし、アウトプットを頑張って、せっかくのインプットを台無しにしないようにしよう。
私は、同人誌が好きである。おもに、買い専として学生の頃から自分がはまったジャンルは、必ずいくつか買って読んで嗜む生活を社会人になった今でも行っている。
好きな絵や漫画、小説の作家さんのTwitterはフォローをして同じジャンルにはまっている人とも、交流をしている。現実に、自分の周りに同人をしてる人がいない
ためか同じジャンルの人との会話はとても楽しい良い時代になったと思ってる。
しかし、最近そのTwitterを見てるだけで、謎のもやもやを感じるようになった。このもやもやは一体何だろうと感じた時、とうとう自分は同人が嫌いに
なってしまったのだろうかと思ったけどそうではなかった。結論を言うと、同人という趣味の領域から現実が垣間見えることにもやもやしていたのである。
Twitterの絵や小説を目当てでフォローした作家さんや交流してる人たちは、ただ絵や小説をあげるのではなくその人その人の生活や日常があって心の内の闇だったり、
あるいは、家族や恋人自慢であったりと、自由につぶやいているのだ。そんなことは、SNSだと当たり前といえば当たり前なのであるが作品を投稿するより、そんなつぶやきだらけ
になった作家さんや交流してる人と繋がり話すことで、同人だけではない現実の繋がりができてしまいそこに私は、とまどいともやもやが出てきてしまうのである。
趣味だけの最低限の繋がりが、できるSNSができないかとぼんやり考えながら今日もスマホを取りだしてなんとなくTwitteをする日々である。
その先どんどんしんどくなるわけではないよ
自分のときもそうだったが、どうも社会の風潮として20代過ぎたら人生下り坂みたいな空気があるけど、あんなの全然ウソ
何であんなにへっちゃらな顔して生きてんだっていうオッチャンオバチャン、たくさん居るやん
あれ、昔の人がタフだからとかじゃなくて、年取ってからの方が生き易いからよ
社会の構造的に若者が苦労するように出来てるっていうのもあるとは思うけど、それ以外にも若者はホルモンバランスやら
受験、大学デビュー、就活、社会人デビュー、親からの独立等々、次々と色んな事があって、気落ちする要素が多いと思う
あとまあ、年取ると感情も若い頃に比べて鈍くなってきて、苦痛もそこまで鮮烈でなくぼんやりした感じになる(楽しさもそうなるが)
もう一度言うが、そこまで来たらあとはだんだん楽になってくるよ
物静かで滅多に笑わないし、あまり感情の起伏が見られないので最初はとっつきにくかった。
まあ研究職だし、典型的な理系男子だわ、と思って特に何の感情も抱かなかったんだけど、ある日彼が手作り弁当を持ってきた。尋ねてみると自分で作ったらしい。
正直彩りがいまいちで茶色が多めの弁当だったが、「男性で弁当作ってくるなんて偉いなあ」と思った。
毎日昼が一緒になるわけではないんだけど、気づいたときに彼の弁当を見て見ると、日に日にレベルが高まってきていることに気づいた。
最初はほぼ茶色だったのが、今やハンバーグやらプチトマトやらが登場し、彩りが明らかにグレードアップしている。
尋ねてみると、最初は節約のために作ってたが、だんだん楽しくなり短時間でいかにおいしく美しく作れるかを試しているそう。ハンバーグもタネから手作りしたらしい。
私があまりに美味しそう、と連呼していたら「ひとくち食べますか」と言っておかずの入った弁当箱をグイっと寄こしてきた。もらっただし巻き卵はめちゃめちゃ美味かった。
完全に胃袋を掴まれた私は気づくと彼の姿を目で追うようになっていた。
仕事に対する姿勢や、人への接し方、見れば見るほど彼のことが好きになっていった。よく見ると顔もカッコよかった。
先日、彼を交えて少人数で飲む機会があった。
内心ガッツポーズして、あわよくば連絡先を交換したい…と考えていた。
周りは結構な勢いで飲んでるにも関わらず自分のペースを崩さない彼のことを、「ぶれないなー」と酔った頭でぼんやり見ていた。
どんな話の流れだったかは覚えてないけど、誰かが「●●さん、彼女とかいないのー?」と聞いた。
「いますよ」
とのことだった。
遠距離だそうだが、今度のGW会えるのをすごく楽しみにしていることや、毎日の弁当も、結婚資金を貯めるために始めたなどという話をしてくれた。
誰が聞いても彼女のことめちゃくちゃ大好きで愛してることが伝わってくるような口ぶりだった。私の入る隙などなかった。