はてなキーワード: Cocとは
異論は認めない。
また、他のTRPGは遊んだことはあるが深くは知らないので言及しない。
危険に臨んで秘密を手に入れて生還してハッピーエンドを迎えたい人にはCoCは向かない。
そういうハッピーエンドを迎えられやすいシナリオはあるが、よりクトゥルフ神話に近ければ近いシナリオであるほどハッピーエンドは遠いように思える。
あーはいはいクトゥルフ神話の原作を知ってる人がメタって楽しむゲームねCoCは。分かってる分かってる。
でもそうなると自分みたいなクトゥルフ神話知らないマンはメタれないしハッピーエンド遠いしで何も楽しくない。
丹精込めて作ったキャラを死なせなきゃいけないなんて、無駄の極みでしょ。
そして死なないように生きるようにあれこれやったらゲームがつまらない方向に行くし。
あ、学級会にご参加の皆様、こんにちは!
私は帰りますので、あとは皆様でお楽しみください!
COCのセッションで某投稿サイトのとあるシナリオのGMをしました。
終わった直後から参加者の大半がそのシナリオのPCの話とかうちよそしかなくなりました。
私はGMなので何となく疎外感を感じ続けましたが、楽しかったのは事実だったので感じた疎外感を無視しました。
すぐあとに、参加者の1人と関係のあるPCを私が作りました。感じた疎外感も寂しさも薄れると思いました。薄れませんでした。
自分が作ったPCの話を少ししても、全て向こうの話にされるというか、向こうの流れになるというか、行き着く先は同じでした。
寂しかったけど、そのうち収まるだろうと思いました。収まりませんでした。
どんどん話は盛り上がり、向こうは楽しそうでした。私も楽しかったです。楽しかったはずでした。
どんどん楽しくなくなり、寂しくなり、妬ましく思い、憎らしくなりました。
楽しく遊んだセッション関係のトークでそんなふうに思う自分も嫌になりました。
どうすればいいか沢山考えました。仕事中に涙が出るほど沢山沢山考えました。Twitterでの呟きもどんどん後ろ向きになり、そのうち呟くのもやめました。
最終的に出した答えは、その話をしているグループチャットは抜け、COCから距離をおこう、でした。
チャットグループに自分自身が嫌になって限界だから抜ける旨を残して抜けました。
同じような事で去年もだいぶ迷惑をかけてしまった。だから今年はこの気持ちになった時に去年のように迷惑をかけないよう考えて行動したけれど駄目だった。
自業自得とはいえ悲しいし心に穴が空いたけど、どこか楽になった自分もいるからなんとも言えない。
でもあのシナリオやんなきゃこんな気持ちにはならなかったし、そもそも生まれもしなかっただろうな、と思っている。回さなきゃよかった。
ていうか人の気持ち考えろ言われたけど人のこと言えんのかって感じだし、対話をしろとも言われたけどじゃあお前らはしたのかって思うし、言っても仕方ないと感じたは私自身がずっとお前達に思っていた事だよ。別に友人だったから気にした事はなかったけど。
職場なら言えない環境の方が批判されるのに友人関係だからって言わなかった方が悪いみたいになるのまじなんなんですかね。もう今更ですけど全部。
ここに書くのは本当に周囲に吐き出すのもどうかという話で、かと言ってもう一人で抱えておくには辛いので今から書く文章は本当に書き殴るような書き方になるだろうなと思っている。壁打ちというやつに近いのかもしれない。
オフではCoCをメインに様々なシステムに触れているが、基本オンラインセッションではCoCしかやっていないくらいやりこんでいる。公式シナリオもやるし、いわゆるエモシというものもどちらも好んでやるタイプだ。普段はGM側にいることが多く、PL回数自体は少ない。それは自分がPLに向いてないという考えもあって、避けてきた部分もある。理由としてはPLをしている際PCの立場に立って考えてしまう、までは良いのだがそれに入り込みすぎてPCそのものになりかねない、いわゆる「役が憑依してしまう」タイプだからだ。たまに数日間その役から抜け出せなくなる時もある。GMとしてNPCのロールプレイとかをする時はそんなことは起きなくて、PLの時だけ発生してしまう現象だからこそ少しだけであるが恐怖を抱いている。恐らく行動宣言だけでやり取りする卓でPLをすれば多少マシになるとは思うのだが肝心のそういう卓が周囲では見つからず、結果GMをやっている方が気が楽でPLをほぼ普段やらない、という状況になってしまっている。
別に元々TRPGを始めた当初はPLメインでプレイしていたしPLをするのが嫌いという訳ではなく、むしろ機会があれば是非やりたいというスタンスなので信頼しているTRPGプレイヤーに誘われたら自分で良ければ是非、と参加している。しかし上記のこともあるのでキャラに入り込みすぎないように自分のメンタルを安定させてセッションに挑んでいたり、遊びでありながらも対人ゲームだから最低限マナーは守るべきだし、人様に迷惑をかけないように……と考えていると、だんだん気が重くなってくる。GMをするより圧倒的に心の負荷が高く、だからと言って「GMして下さってありがとうございます!今度はこちらが何か回しましょうか?何か行きたいシナリオ等ありませんか?」という言葉を断れない。自分の心の弱さだということは分かっているのだが人の誘いを無碍に出来なくてPLをやってしまう。無理に行きたいシナリオを捻り出してしまう。それが相手にとって失礼にあたりかねないというのも承知の上だ。本当に自分でもどうかと思っている。
それに増して、自分と同じような性質を持つPL(所謂憑依型と呼ばれるタイプのプレイスタイルのPL)がTwitterで暴言に近いレベルのシナリオ批判やその時のGM、PLを非難していると捉えられるツイートをしているのをうっかり見てしまったり、周りから話を聞いてしまったりしてしまい今のままでは自分もそうなってしまうのではないか、実際私もあるCoCシナリオのセッションに行った際自分の境遇と重なってしまったのもあって過呼吸を起こしたりパニックに陥ったり、Twitterやふせったー、KPとの個タブを悲惨な程に荒らしたことがある。そのシナリオの事が好きな人や同卓者全員に迷惑をかけたとも思っている。今ではミュートワードに設定しているしもう文字で暴れることはあまり無くなったがそれでももう一度繰り返すようなことはしてはいけないだろう、ということで近い条件に当てはまるシナリオはPLとしては行かないことを徹底しているし、地雷として周りには伝えている。それでもいつかまたぶち当たるかもしれないとも怯えてしまう自分もいて、自分の首を自分で締めている状態がずっと続いている。GM、特にオンセでCoCのKPをしている時は自分の卓にそういう人がPLとして来ることもある。出来るだけそのPL自身には傷を残したり、暴言が吐かれる事態を起こしたりしないように事前の確認を徹底したり平等性を崩さないかつ丁寧なそのPL達に合ったキーパリングをしているが見ているだけで「自分もPLしてる時こう見えてるのかな」と考えてしまう。
読んでいる人は察したかもしれないが私は延々と自分の内側に溜め込み、後でグチグチと不満を零してしまうタイプなので本当はTRPG向いてない、他人を見て自分がこうなったらやばいと思って逃げてしまおうとしている時点で人との交流が重要なゲームは向いてないと思うのだが辞めようにも辞めますと言った後引き止められれば辞められなくなるだろうし、誰にも言わずに辞めるにも約束している卓があるのでそれらが終わらなければ(卓蹴りする勇気もない)どうにもできない。
だが周りの視線や周りに気を遣いすぎて自分が自分に押し潰されそうなので本当にやめたい。PLは本当にやめてGM専ならPLするのを断ることができるしなんとかと思ったこともあるが「○○さんのPCが好きです」と言われると心が揺らいでしまう。結局ずるずると続けてしまう。
最近はGMをやっていてもセッションについてTwitterで私のことだと明らかに分かる書き方でマスタリングを否定するような書き込みをPLがしているのを見てしまったのもあってPL不信も起こしている。正直PL不信なのにGMを続けるのはPLにも失礼なのでTRPGをやめたいという気持ちでいっぱいになっている。
Twitterを見なくていいならもう見ないようにしたいが今後の卓の連絡もあり、見ざるを得ない状況がある。
ミュートやブロックが増える度に自分が病んでいくのを感じているしTwitterもTRPGもやめたい。もう遊びで苦しみたくない。
TRPGやめたい。
noteで似たような題のが流れてきたので自分も「お気持ち表明」してみる。
これは身内が数年前から(うちよそシナリオ含め)CoCでしか遊ばなくて、「他のシステムで遊ぼう」って誘っても「CoCで十分じゃん」って言われたのがとても腹が立って、それ以来うちよそCoCを敵視している人間が書いたものです。
10年くらい前からTRPGを始めたけど、最初はCoCで遊んでいたし、今でも普通にクラシカルなシナリオは好き。
ただ今の「うちよそでTRPGが出来るならCoC」という風潮と環境がめちゃくちゃに嫌い。
は?何言ってんだお前?って思う。
「一般人がなんかわけわからん出来事に巻き込まれて生還してまた別の出来事に巻き込まれていく」っていうのが前提のシステムはそもそも少ないし。
私はシステムのやりやすさからサイフィク、ホラーならインセインを好んで遊んでいるので、HOの秘密次第では継続しにくいっていうのはとても分かる。継続シナリオとかもあるけどね。
インセインのスターシステムとか最初にルールブック読んだきりでそんなのあったの忘れてたし。
ただ、シナリオごとにキャラクターを何人も作ってて「CoC以外はうちよそで継続しにくいから~~」なんて言われると腹が立つ。
恋愛でもそれ以外(友情とか殺し合いとか)でも要は「うちの子とよその子でキャッキャウフフする」という意味でのうちよそならどのシステムでもいくらでも遊べるわ。シナリオ次第なんだよ。
なんなら「フタリソウサ」「銀剣のステラナイツ」とか見てみろ。うちよそ特化してるって公式で言ってるし継続もしやすい。それを無視して「CoCが楽しいから~」って言われるのがとても嫌だ。
本来協力して遊ぶはずのCoCをわざわざ対立型にしたり、複数人が主流だったのにソロやタイマンが主流になったり。
遊びにくいから特殊ルールを作っていくのはありだと思うけど、なんか水に浮かべておくはずの船に陸上用の脚をつけて、なんなら最近は翼をつけて空に羽ばたこうとしてるのか?と思ったりもする。
何故その船だけで遊ぶ?普通に自動車とか飛行機とか、別の便利なものがあるのに何故それだけに固執する?
メジャーなタイトルのシステムはそれなりの数遊んだ自負はあるけど、それぞれのシステムごとに世界観が確立されていて、どれも楽しいのに。どうしてそんな使いにくいシステムのまま遊ぶ?
グダグダと書いたけど、結局最初にCoC以外に手を出す気が無い身内のせいでその環境自体が嫌いになってしまっただけだ。
※TRPG≠CoC(クトゥルフ神話TRPG) CoCはTRPGの中の一つとして捉えます。下記の内容はCoCをプレイしている人間のことになります。
※「自分(筆者)がこう感じているからこうしろ」という意見の押し付け目的ではありません、「このような考えの人間もいるんだ」という一つの考えの形として捉えて頂ければ…。
※文章は推敲しておらず、一発書きです。ご了承の上読む方はお読みください。
卓をすることに疲れてしまった、KPとしてもPLとしてもだ。
精神的に摩耗している時に無理をしてやるものではないと改めて感じた。
吐き出しておかないとまた同じことを繰り返してしまうように感じるので、匿名ダイアリーとして此処に記しておく。
①KPとしての負担・日程調整 (KP)
シナリオを読み込み、部屋の準備をし、日程調整をして卓を実施、卓中には裁定や卓の進行を担い、実際に卓が終わった後には片づけをする。
複数卓を管理するとなれば、それを何個も掛け持ちする形となる。
実際、自分には到底複数の卓をマネジメントするスキルは無いと感じていたので、自身がKPをする卓の数はかなりセーブしてきた。
あまり積極的にPL募集を掛けず、月に数回、KPができればいいかなと言ったその程度だった。
KP未経験でPLに専念と言うプレイヤーが周囲に多いため、KPにかかる上記の負担を「わかりたくてもわかれない」人が多かった。
KPが「大変」といったところで、経験していない人には想像するための材料すらない。
例えば日程調整であれば、予定日程もしくは表等を作成し、合う日程を決定、時間帯を決定。もしも決まらなければ延期、どれくらいまでになら次の予定がわかるか尋ねる。
ただ伝助などのツールを使って作成するだけではないか。合うところを決定事項として下しているだけではないか。
そう思う人もいるだろう。しかし、合った時は確かにそうだが、「合わなかったとき」の精神的な負担はかなり大きいように個人的には感じる。
卓の日取りが確定すれば準備はいつまで、Characterシートの提出もいつまでと逆算もできるのだが(準備してから日程を合わせる場合もあるけども)、それができないとなると全体的なスケジュールの把握すら難しいものとなってしまう。
見通しが立たないがゆえに、有耶無耶になって結局1年以上放置されてしまった卓もあった。今も、その卓の参加希望者から連絡はない。
連絡を取ろうとしても、ふらりとかわされたり忘れ去られていたり、連絡がとれなくなったりと、打つ手がなかった。
卓修羅の参加希望者のために日程をかなり後ろ倒しにすることになりほかの方の日程も分らないため、結局いつから開始できるかが有耶無耶のものもあった。
そうして「卓をしよう」という約束自体が風化し、誰も何も発することなくメッセージだけが残り続ける。
悲しくなった。
参加希望者は卓をしたいのではなかったのだろうか。自分は何のために準備をしていたのだろうか。
「やる」「やらない」すらわからないことを何年も気にかけ続けるのは、もう嫌になってしまった。
他にも、裁定に関しても悩むことがあった。
何かをPLから提案されたとき、KPは常識だけではなく(常識、といってもあくまで『自分』にとっての常識なのでこれを過信するのは危険)、ゲームバランスや提案を受け入れた場合の状況の変化等も加味して判断を下さなければならないと自分は考えている。
提案を常に飲むことはできないのだが、なるべく取り入れられるようにしてきた。それでも受け入れられないときは、説明できる限りの理由を話した。
KP経験者ならわかるのかもしれないが、ゲームバランスと提案を両立させる匙加減と言うのは非常に難しい、と思う。
だが、中には「提案を受け入れられなかった」という事実だけで機嫌を損ねてしまうPLも少なくはない。
直接不平不満を唱えなくとも、RPで他人に当たったり、荒々しくふるまったり無言になったりされると、卓内の空気自体が悪くなってしまう。
提案を捌くのが怖くなり、提案をされるたびに「却下したら不機嫌になるだろうか」と肝を冷やすようになってしまった。とてもではないが、楽しめない。
KPもまた、卓を囲む仲間である。敵ではなく、共に進んでいく仲間なのだと。
負担を一人で背負い込み、一人で恐怖しているなかで、自分は何のために卓をしているのかがわからなくなってしまった。
②身内卓と言う環境
身内卓という閉じた環境の為、同じ人と何度も卓を繰り返していくことになる。
だんだんと、「なあなあ」な雰囲気が作られて行き、何でも許されるような環境が作られて行ってしまう。
何度も繰り返されると、もう信頼すらできなくなってしまう。
事前に何もなく、急にとなるとこちらはどのようにすればいいのかわからない。何もできない。
③プレイ傾向の不一致
これはPL同士やKPとの相性だと思うのだが、プレイ傾向の不一致でもやもやすることも多かった。
NPCの扱いや探索の方針、目的などが摺合せされないまま、ばらばらな方向に物語が進んでいく。
「自分のPCはこういう傾向があり、こうだからこうする」と伝えても、向こうからの発信がなければどうすることもできない。
「こうしたいがどうだろうか」と相談しても「はい」「それでいいです」で終わってしまい、本当にそれでいいのか不安になってしまう。
PL視点とPC視点が混ざり、「NPCはこの卓のみで終わりだがPL同士の関わりは続くのでPC同士だけを信頼したい」「NPCはKPが管理するので信用できない」と言われたときはどのようにすればいいのか悩んでしまった。
自分の傾向と会う人間とプレイすればいいじゃないか、と思われるかもしれない。
しかしプレイ傾向は一緒に遊んでみるまで分からないし、自分の傾向を把握している人は多くはない。
だから、自分の傾向に合う人と一緒に遊ぶ、というのは考えている以上にハードルの高いことなのだと自分は思う。
タイトルでわかると思うが、男性キャラ同士のカップリングとそこにおけるボトム側にあたるキャラの女体化についての話をするので、苦手な人は気を付けてほしい。
私はリバ大好き腐女子だ。
受け攻めはジャンケンで毎日決めればいいと思うし、なんならジャンケンで決めたのもだんだん盛り上がって関係なくなって両方が両方に入れたり入れられたりしてると大変興奮する、そういうタイプの腐女子だ。
「そんなに左右に頓着しないなら、地雷も少なくてさぞ生きやすいだろう」と思われる人が居るだろう。実際私もそう思っていたし、地雷が多い人は大変だなあとのんべんだらりとTLや支部からありがたくご飯をいただいていた。
が、最近どうにも食べられなくなっているものがあることに気づいた。最初は性癖も寄る年波には勝てないのかと(全く関係ないが、最近油物がきつい。全く消化できないのだ)笑っていたのだが、どうもそうではない。これが所謂地雷らしいと気づいたのは、直近でハマったカップリングで「受けの女体化」を見た時である。
嫌いな人もいるだろうが、私は好きだ。女体化には色々タイプがあると思うが、元のキャラらしさを残しつつ美しく、可愛く、かっこいい女性になっているのを見ると、「わかる〜めっちゃそうなりそう〜」とあかべこのごとく首を振り、デザインセンスに脱帽する。そもそも美女や美少女が大好きなので、女体化自体は嫌いではない。逆も然りで、美少女や美女の男体化も好きだ。顔がいい人間は性別どっちでもいい。
先述したが、私はあるカップリングにハマった。仮にこれをA×Bとする。
この二人は親友同士だ。
Aは美形の男性である。中性的な顔立ちで、色が白く、髪の毛も長い。天才だが、天才キャラに多い少し生活能力がないタイプだ。あまり男らしいキャラではないが、Bよりは高身長だ。
Bはいわゆる兄貴系のキャラだ。A以外にも色々なキャラの世話を焼いている。みんな困ったら一度は彼を頼りにするようなキャラで、健康的な肌色で、顔の作りも整ってはいるが、Aと比べると男らしくあまり華やかさのある顔立ちではない。
私はまずABを検索するが、その直後に同じ回数BAも検索していた。私には二人の関係性が大事で、左右はどちらでも構わないからだ。ABを主に好んでいるのは、グッとくる作品がそちらに多かっただけの事である(思えば、この辺りで既に答えが出ていた)。
ある日、BAを摂取しようとツイッターで検索をしたところ、よくBAについての妄想ツイートをしているらしい人が現れた。検索画面の最新ツイートは、ほとんどその人のツイートで埋まっている。
私は作品を見るのも好きだが人の妄想を見るのも同じくらい好きなので、嬉々としてそのツイートを読んでみた。
……………最初は楽しく読んでいた。だが女体化の話が15個以上並んだ辺りから、違和感を感じた。読んでいくうちに、A♀のビジュアルが彼女の中でハッキリしていることはわかっていたが、そのビジュアルが私の思うものとかけ離れているからであった。
彼女の思うA♀は、巨乳で背が小さく華奢な女性で、身なりに頓着しないからよく際どいことになっている……そういう少年誌のラブコメでよく見るような感じであるらしい。
実はこのタイプのA♀のビジュアルデザインは、支部でも割と見る事が多いタイプだ。そもそも女体化の数が多くないので多いといっても微々たる差であるが、スレンダー美人系よりは数が多いように感じた。そうしてそういう巨乳のA♀は、多くの場合BAの人の手によるものであった。
私はラブコメでよく見るタイプの巨乳キャラは好きだ。メリハリボディ、大変素晴らしいと思う。だがそれがA♀かと問われると、首を傾げたくなった。
身長を巨乳に換算するのはCOC探索者のSIZでもあることだ、理解はできる。だがAは薬物中毒の経験がある(そしておそらく今も服薬している)不健康なキャラである。仮に巨乳であっても、そんなきゃるんとしたような行動をするか?健康的なラッキースケベ展開があるだろうか?
たまにならいいだろう、そういうところも見てみたい。わかる、そういう妄想は私もする。
だが四六時中そんな状態になるか?それはもう、A以外の何かではないか?
……そう思うほど、限界をとどめていないような扱いをされていた。そしてその扱いは、BAにおけるAの扱いとして多いものだった。
BA界隈で声の大きい人々のAは、様々な要素をモリモリに盛られていて、私には転生成り代わり夢小説に見えた。
BAのAがAとして見えるものは私には少なく、徐々に検索する回数が減っていった。
(誤解のないように言っておくが、私は腐女子と夢女子を兼任しており、転生成り代わり夢小説とかも大好きである。決して夢小説を否定する意図はない。)
花京院典明が空条承太郎とカップリングを組まされ、受けになるときによく見受けられる現象である。
絵柄の問題もあるが、過度に華奢に、あるいは可愛らしく、いわゆる「守りたい女の子」のようになっているものだ。
地雷はほぼ無いと言っていた時でも、これだけは受け入れることができなかった。それぐらい苦手である。
これまではキャラ崩壊故に苦手なのだと思っていたが、「受けの女体化」が苦手な原因は、このpixiv院を苦手な理由と合致していることに気付いた。
この「女性」というのは、可愛らしく、小顔で、色白で、華奢で、重いものが持てなくて、甘いものが好きで、髪の毛が長くてふわふわな、2000年代より前の少女漫画では必ず見たようなタイプである。
突然だが、ジェンダーの話をしよう。
私はXジェンダーだ。腐女子だと言ったが、肉体が女性として生まれたからそう呼称しているだけであり、神の作品を読んでいる時などは完全に男性の気持ちであったりするし、普段の生活においても己を男性/女性と固定して考えたことはない。常に男性と女性を行き来するような、或いは己に性別が無いような心持ちで暮らしている。好きになる相手は男性女性あるいはトランスジェンダー関係なく、好きになった相手を好きになる。
なので、実生活でも「女なんだから」と言われると、眉をしかめずにはいられない。痴漢などに遭うと、己を「女性」として固定化された上に性的に搾取されている不快感は耐え難く、殴りかかったら過剰防衛扱いされるような現状に怒りのあまり涙が出る。
「受けの女体化」は、そういうテンプレートな「女性」にされる事が多いのだ。
ABよりもBAで受けの女体化を多く見るのは、おそらくAが「長髪」で「端正な顔立ち」で「色白」だからだろう。
「長髪」で「端正な顔立ち」で「色白」だけが女性の条件ではないというのに!
そうして女体化すると、男性の時よりも力が極端に落ちたり極端に身長が縮んだりするのである。
最悪としか言いようがない。
受けの女体化といっても、バラライカやインテグラや哀川潤や禍燐のようになるのであれば巨乳でも構わなかった。あるいはパリコレのショーモデルのようなスレンダーで性別をあまり感じさせないような、はたまたボディビルダーのような作り込まれた肉体などでもよかっただろう。あるいは食べるのが大好きでふっくらしている子でもよかった。そういうバリエーションに富んだ女体化は大好きなのだ。
だがキャラ全員を女体化するのでなく受けだけを女体化すると、多くの場合判を押したように軒並み「守りたい女の子」になる事が多いのは何故なのか?
挙げ句の果てには「女体化したら結婚して一緒にいられる」?「子供が産める」?
結婚しないと一緒にいられないのか?
同性は結婚出来ないのか?
確かに日本では法としては整備されていないが、近頃はパートナーシップ制を導入している自治体も多いのに?
入籍せずとも、幸せな暮らしをしている事実婚のカップルも世の中にはいるのに?
あなたのその理論は、女体化して結婚しなければ一緒にはいられないという事だ。女性は結婚したら必ず子供を産むという偏見だ。AとBは男性同士では一緒に居られないということだ。長年親友として連れ立ってきたAとBを、まるっきり否定する理論だ。
彼らは男同士では、幸せになれないという事だ。
そこまで深く考えてのツイートではない、といえばそこまでである。だがそういうツイートほど、無意識の考えが透けるものだと思う。
「受けの女体化」やpixiv院化が嫌いなのは、テンプレートのような女性像と、結局のところ男女カプとしてしか男性キャラ同士のカップリングを見ていないように感じるからだ。
例としてBAでの女体化をあげたが、ABでも同様の女体化がこれから出てくる可能性は大いにある。そうなった場合、おそらく地雷の中から好みの女体化を探す手間と、女体化そのものを弾くことを天秤にかけるだろう。
その時、どちらかを選択することになるのだろう。だが、今はまだ私は「受けの女体化」が嫌いで済んでいる。
ここまで長々と読んでくれた上で、少しでも何か感じる事があったならば、是非女体化にはバリエーションを持たせてほしい。
「イイ女」は一人きりではないのだから。
てゆうかどうせやるなら両方にょたにするか攻めをにょたにしてペニバンでケツ掘られてる受けを見せてくれよ!私は膣に入れられる様じゃなく腸に入れられる様を見に成人指定作品を探したんだよ!!粘膜違いです!!
書き忘れていたが私は生産するタイプのオタクなので、今やっている原稿が終われば何かしらのカウンターをしかけようとは思っている。思っているがしかし逆カプの為に労力を割くのか?という気持ちがあるんだよな
それと誤解のないように言っておくが、私は何もテンプレートな女体化をやめろと言っている訳ではない。バリエーションを増やせと言っているのだ。そこは間違えないでほしい。
女体化の解釈違いの話をしてるのに違う話してきたりAもBも異性愛者って言ってないのに勝手に異性愛者だと思い込んでカップリングにしてる時点でキャラ崩壊では?みたいなのは今求めてないです、文章中にないことが含まれてる選択肢は不正解だって国語で習わなかったんですかね?
普段良くしてくれる人間も皆盛り上がる中、一人だけ嫌いだという感情を抱え、誰にも言えぬまま過ごすのはキツイものがあるのだ。
自分にはあまり刺さらない内容だった故、なぜこんなに世間で愛され絶賛されているのかはわかりかねるのだが、
自分が親を殺されたのかというくらいに嫌っているのは庭師通過PCの話で盛り上がる世間だからだ。
あの手この手でこの話題は流れてくるのである。例えるならゴキブリのようだ。
何かあればふせったーで"HO○のあなたは何をしたか?" "あなたの零課はどうだったか?”とアンケートで騒ぐ世間が嫌いだ。
人口が多いからそういう風潮になるのだろうか。嫌いだ。とことんまで気に食わない。
あるときこのシナリオで全ロスしたという班のふせったーが流れてきた。
とても感銘を受けたのを覚えている。
大抵全員生還しているシナリオだ。性格の良くない自分はそんなイレギュラーに心が踊ったのかもしれない。
"そこまで深く考えなくていいのに"
(ムカつきが込められているので誇張して書いてはいる可能性もあるだろうが、概ねこんな感じだった)
考えがあってそういう結末になったであろうに、外野ごときが良く言うなと思った。
しかしこうやって腹をたてる自分もまた、全ロスの班やふせったーのオタクから見れば外野なのだ。
もしこれを素直にPLとして遊べていたのなら、こんな見方もせずに済んだのかもしれない。しかし惹かれないものは惹かれなかったのである。
PvPと疑心暗鬼という単語に嫌悪感を抱いた時点で私はこのシナリオの客ではなくなっているからだ。
ここまで読んだ中で普段から庭師PCの話で盛り上がることのある者がいるのなら、萎縮することなく庭師PCや零課の話を垂れ流し続けていただいて構わない。
憤りを感じたのなら「最高のシナリオなのに楽しめなくて可哀想な奴」とでも見下しておいてくれ。
極めて少数派のマイナーな人間もいること、こんな少数派の人間が出るくらいには認知度が高いシナリオなのだと思ってくれるだけでいい。
タイムラインであがってきていたので再び読んだ。
「結局のところ棲み分け」「参加しなければいいだけ」
>界隈から離れるには横の繋がりが多すぎて村八分状態になってしまうのが寂しい
ここからすると、主のいる場所はエモいうちよそで浸食されて居場所を失っている。
「CoC」で遊びたい。周りは「CoC」で遊んでいるが、そのTRPGスタイルは受け付けられない。
その場に留まることは地獄だが、友人たちを嫌いになったわけではない。
という一言で断ち切れる友人とのつながりじゃないから苦しんでいる。
堂々とうちよそRPをTLで繰り広げられるようにする流れに対し、段々麻痺してきた。
タイマンシナリオは言ってしまえば連れ込み宿で、堂々とうちよそするための口実なんだなと思う。
我ながらひどい言い様だと思ったが、もうそれ以外の目で見ることが出来ない。
ブコメでCoCを守らないといけないみたいな言及があるけどそういうひとは具体的にどの文に違反してるのか明確に言ってくんないかな
> buildersconは行動規範を提示して女性参加者に対して「容姿に言及する表現などを警戒することなく安心して参加できる」と宣伝していたのだから、それを信じて参加した人間に過失があるとは増田のようには断言できない。
とか言ってる人もいるけどそれどこに書いてあんの?それどこに書いてあんの?これ以外の文章がどっか他のところにあるの?
builderscon は、主に技術業界における情報共有・交流・コラボレーションを目的とするコミュニティイベントです。
我々(builderscon運営)はすべての参加者がそのイベント・コミュニティから歓迎され、楽しんで頂くことをめざしています。
そのためには、builderscon関連イベントにおける主催者やスタッフ、登壇者、出展者、観客などのすべての参加者の皆様は、本行動規範に則って他の参加者に対して敬意と礼儀をもってイベントに参加いただくようにお願いいたします。
builderscon 関連イベントでは全ての人を歓迎します。そのために、他の参加者が不快に感じる行為はそれがどのような形であっても許容いたしません。
参加者の皆さまは他の参加者の様々な背景に配慮してください。あなたの何気ない発言や行動で悲しむ人がいるかもしれません。注意深く、優しく振る舞ってください。
我々運営は参加者の皆さまの権利を守るため、規範に反する方へ注意だけではなくカンファレンスから退場させたり、場合によっては法的機関への相談など、適切と思われる対応をおこないます。
もしあなた、ないしは他の参加者がハラスメント行為を受けた場合、お近くのbuildersconスタッフにご相談いただくか、各カンファレンスに明記された連絡窓口にご連絡ください。お知らせ頂いた内容は法的な情報開示の必要性がある場合を除いて、あなたの同意がないかぎり匿名で扱いますのでご安心ください。
容姿への言及を直接禁じてるならまだ分かるけどそこまで突っ込んでないよね。この文章の抑制具合だったら、完全なる不快感ゼロでないとだめ、みたいな原理主義的な想定とは読まれないのが普通だと思う。その上で「容姿を中心にマッチングするサービスの話で」「美醜という触れ方はせず」というこの発表で、どういう配慮をするのが適当だったの?
「この様な発表には『適切な配慮』自体がありえない、排除すべき」とならざるを得ないものを、そこまで明確に言っちゃうと激しすぎるから表現の上でだけぼかしてるように見えちゃうよ。
私がTRPGというものに触れてから、もう8年近くが経とうとしている。
元々幼少期から存在自体は知っていたものの、それはダンジョンアンドドラゴンズなどに代表されるファンタジー系のものだった。当時愛読していたライトノベル「フォーチュン・クエスト」の影響もあるのかもしれない。
だが、ニコニコ動画でクトゥルフ神話TRPG(以下CoC)のリプレイ動画が莫大な人気を博したあの瞬間、それまで見向きもしなかったであろう層が、斜陽であったTRPG界に一斉に興味を示した。
それはとても素晴らしいことだと思う。前述のとおり、私もその流れに乗って本格参入したクチだ。消費税が8%になる直前にはいろんなシステムのルールブックやサプリを買い漁った。
発展したインターネットとTRPGの相性もすこぶるいいもので、遠く離れた人ともツールを使えばリアルタイムにロールプレイしあえてダイスの結果を共有できる。冬の時代を現役で感じていない私のような若輩者が口にするのは何様だともなるが、いい時代になったなと今でも痛感する。
とりわけメインで参加しているシステムはやはりCoCだ。人智を超えた生命体への恐怖という題材が好きというのもあるが、それよりも大きな理由は「プレイ人口が多いから」だ。界隈が違えばまた変わってくるのかもしれないが、私の周りには大体みんなCoCを知っていて、それ以外のソード・ワールド2.0やピーカーブーなどに目を向けるとプレイ人口は冗談抜きで半分を下回る。なんなら「CoC以外はやりたくない」と言う層もいるので、布教すらさせてもらえない。チャイム越しに追い返されるセールスマンの気持ちがなんとなくわかるような気がした。
そんな弊CoC村だが、ここ数年でやたらと所謂うちよそタイマンが流行りだした。KP側の作成したPCと、PLが用意したPCが濃密な関係を組み、愛と勇気の力で宇宙的恐怖を退けるアレだ。
TRPGの遊び方というのは千差万別、卓の数だけ物語がある。それは重々承知しているつもりだ。
けれど、私にとってのCoCは本来特別な力を持たない(ほんの少しだけ生業への専門知識を持っているかもしれない)ただの人間の探索者が知恵を絞り不可解な謎に挑み、その先で神と呼ぶのもおぞましい存在に圧倒され自らの矮小さに慄くシステムだと自己解釈しているために、どうも首をひねらずにはいられない。
pi●iv製のシナリオを見てみると「突然意識を失い、目が覚めたら見知らぬ空間にいて、そこには囚われたor記憶を失くしたKPCがいた。脱出するにはKPCを犠牲にしなくてはならないが謎を解き明かせば二人揃って無事に生還できついでに二人の絆を証明するアーティファクトが手に入る」的なものが5件に1件くらいの確率でねじ込んである。その中でもシナリオ背景に「ニャル様が暇つぶしに二人を試しました☆」だけしか書いてないものを目にしたときは頭を抱えた。
いやもうそれクトゥルフ神話要素ほとんどないやん????バッドエンドで視界暗転する瞬間に「やれやれ、君たちにはがっかりだよ。さて、次のおもちゃを探しに行こうかな」だけ言い残すニャルラトテップ御大の化身だけでは????
いやそれだけでも出てくるのならまだいい方だ。中には「自作世界観を再現したので神格も宇宙的恐怖も一切関係ありません」なんてシナリオもゴロゴロ転がっている。それなら“クトゥルフ神話TRPG”のタグを付けないでほしいし回すKPも事前に告知してほしい。こっちはいあいあしにきてるのだから。
なんだか本題からずれてきている気がする。
うちよそ自体は否定しない。最初はそのつもりじゃなくても幾度か同卓をして交流を積み重ねた結果恋仲や相棒になったPCたちもいることだろう。
ただ、うちよそありきでキャラメイクをしシナリオを選びとなると正直もっとうちよそに適したシステムは世の中にごまんとあるわけで、ただでさえロスト率や後遺症を貰ってくる確率の高いCoCに向いた遊び方ではないと思ってしまう。
例えばネクロニカやダブルクロスなんかはPC同士でロイスや未練といった感情を伴った絆を結ぶことでクソデカ感情生成システムを生み出している。これらはファンタジー色が強すぎるが、現代日本ステージであるならばインセインはPCそれぞれに「秘密」が割り振られ、その内容がPC同士密接に絡み合っていたりする。
これら以外にも、もっとうちよそに向いたシステムがあるのに彼女らは尚もCoCに拘っている。神話成分が微塵も残っていない話でオタク好みする都合のいい展開にエモいエモいと泣いて有難がっている。億が一ロストの道を辿っても、今度は「ロスト探索者専用シナリオ」を用意してきて死の淵から蘇ってきてまでうちよそをしようとしている。もはや執念だ。
結局のところ、システムは二の次なのだと思う。感動的なロールプレイをしたためたいだけなのだ。そこまできてしまったのなら、もう“テーブルトークRPG”というジャンルよりも“なりきりチャット”の方がいいだろう。私も中学生の時にオリキャラなりきりチャット掲示板で長ったらしい割にはわかりづらいロルを回してはよその子と交流を深め恋愛関係を結ばせていただいたことが何度かある。あちらにはほぼ“判定”というものがない分、よりPLにとって都合のいい展開に持ち込めていいんじゃなかろうか。
ここまで書いて、ただの自分の好き嫌いで解釈違いというだけのクレームまがいな文章になっていることに自分で引いた。
タイムラインに流れてくる「CoCタイマンしてきた〜♥恋仲になりました♥」と心底嬉しそうな報告ツイートに、ふぁぼも祝電リプも送れない意地悪な自分に嫌気が差すし、かといって界隈から離れるには横の繋がりが多すぎて村八分状態になってしまうのが寂しいと抜かす、ただのかまってちゃんで我儘なプレイヤーだ。
あれからすっかり参ってしまって、TRPG用のアカウントにログインしない日が続いていたら10月頭あたりに学級会になってたらしくびっくりです。たいたい竹流さんまで言及する事態になってるとは…。
2ヶ月越しに意見を漁りまくってたんですが、賛同や理解を示してくれる人もいれば口出しせずに放っといてくれって人もいて賛否両論でした。そりゃそうだ。タイトルが攻撃的だったのが燃え広がった原因なのかな?
「合わないなら離れればいい」という意見をとても多く目にしたのですが、当記事に言及ぶら下げてくださってる方が仰ってる「居場所が侵蝕されたがそれだけを理由に切れるような浅い間柄ではない」ってのがまさにその通りで、だからこそ苦しかった。こんなグチグチした恨み言を書くような性格してるから必然的に友達も少ないし、その少ない友達がそんなことになってさらに孤立してしまったような気分になってしまったというのが本当のところで。
一度恨んでしまえば対象が何を言っても気に障ってしまう性分で、そんなタイムラインを見続けるのも精神衛生上良くないと思ってひっそりミュートしてたら今現在その界隈とは疎遠になり、晴れてぼっちになりました。万歳!!
いやね、元から書いてたんですけどシナリオを経た結果うちよそに発展するのは全然いいと思うんですよ。それも一つのロールプレイだと思ってますし、なんなら私にもそういうルートを辿ったPCがいます。
過激派繊細ヤクザすぎて言語化がひどく難しいんですけど、うちよそすることを大前提にキャラメイクしたり、ただダラダラと中身のない会話をするだけで生還報酬1d10貰ったり、初対面から仲良くなり喧嘩したりなんだりで段々と惹かれ合い告白し愛を深め身体を重ね合わせプロポーズして結婚式!って流れを全ッ部「クトゥルフ神話TRPGのシナリオ」にして経験してて、お前は24時間365日神話的事件に巻き込まれてんのか?っていうようなやつが本当に本当にダメで…そこまで神格に寵愛を受けてるのなら今頃ドリームランドか外宇宙へご招待されてるのでは?ってなってしまうんですよね。
言ってしまえばこれもただのいちゃもんです。私が嫌いだから見たくない!っていう近頃流行りの“お気持ち案件”です。当時元身内たちに言いたくても言えなかったフラストレーションが積もり積もってキレ散らかしながら書いた散文だし、こうやって拾い上げられて学級会の議題に据えられることなんて想定してなかったし。
けど、こうやって苦しんでたのが私だけじゃなかったことがわかったことはちょっとだけ安心しました。
書かれそうだから先に書いとこう
こないだCoC、クトゥルフ神話TRPGのオンラインセッションに参加してきました。
メンバーは一人だけ知ってる人、あとは知らない人。
コミュ障が慣れない場所に来るもんじゃない。とても時間を無駄にした。
まず、時間になっても全員揃わない。まぁ数分の遅刻なら仕方ない。でも30分来ない。これもう中止でええんちゃうかと思ってたらやっと最後の一人が来た。
はじまった。よくある見知らぬ部屋にいる系。何も言わず行きなり探索を始めるやつら。いやまてお前らは誰なんだよと。自己紹介をしてもらったらなんか誰かの設定がツボにはいったらしくずーーーっと笑い続けてる遅刻してきたやつ。お前はなんなんだ。
そして繰り返される身内ネタ。あの他人がいるときの身内ネタ→「ちょっと今回そのネタ知らない人いるんだから!」→「これはね、」っていう地獄の時間なんなんだ。あれ聞かされてる相手が笑ってたことあるか?笑ってたとしたら絶対愛想笑い。脳内は知らねーよの文字が乱舞してるだけだ。
そしていきなり戦闘。戦闘。これ個人的な意見なんだがクトゥルフの戦闘ってもっさりしてて楽しくなくない?明らかに戦闘にしか興味ない探索者作って楽しいか?って思うんだよね。
戦闘が終わったらまた戦闘。それが終わったらまた戦闘。クトゥルフってそんなゲームか?
遅刻してきたやつが同じ部屋にいるらしい彼氏と話し出した。麻雀をやってるとか、ゲームやってるとか、タバコ吸ってるとか教えてくれる。興味ないやつの彼氏にはもっと興味がない。面白いと思ってるんだろうかこいつは。
そして遅刻してきたやつが晩飯を作り出した。正気か。何で参加してるんだこいつは。いやむしろ俺が場違いなんだろうということは薄々感づいていた。何で誘った。
なんか途中でロストしたがまた復活できるらしくて待機と言われた。一時間以上待たされる。これ俺いらなくね?という思いがマックスになったので「ちょっと仕事先から連絡来ました。いったん離席します」を発動しそのまま「ごめんなさいこのまま離脱します。ちょっと職場にいかなくてはなはないので」を発動した。どんなブラック企業だ。ごめん会社。
5時間のセッション。いややつらはまだやってるんだろうか?ずーーーっと戦闘のシナリオを何の説明もなしに続けるKPもクソだし嘘ついてまで途中離脱する俺もクソだなと思った。
とりあえず二度とこいつらの卓には参加しない。最悪だった。
死体蹴りのようで少し趣味が悪いなと思うが、投稿主に関して思うこと
・初心者に優しくない
これは何事に関しても初心者を招き入れる際は自戒すべき事象である。
1d6ってなんだよ。順列か?
他のシステムに慣れてようとシステムごとにルールが全然違うし、本当に初心者に優しくない遊びだと思う。だからこそ、初心者に対するサポートは他のスポーツやゲームよりも手厚く行うべきだ。とくにクトゥルフなんかはキャラシ作成だけでも別日に準備日を設けてもいいんじゃねーの?って思う。
「完全初心者卓」
おそらくその投稿者のフォロワーは「TRPGをある程度理解しているがプレイヤーとしては片手で数える程度の参加しかしたことがない」人を指していたのでは?
キャラシートの作り方やダイスの意味さえわからないほどの初心者ならば、完全初心者卓であろうと先にKPに相談しておいた方が卓内で気遣ってもらえたり、それならば、と先に丁寧な説明を受けれたのでは?と思う。
ただ、この点に関しては完初心者がいることを想定しなかったKPにも非がある。
・ルールブック未所持
これに関しては、釣竿を持たずに釣りに行くようなものだと思っている。
釣りに関しても、初心者ならば友人が竿や道具を貸してくれるかもしれないけれど、全く使い方もわからない状態で「釣れない!」と文句を言っているのと同等に見える。
今回の件に関しては、教科書を読まないで授業に臨み、理解できなかったことを「教師の教え方が悪い!」と騒ぐ生徒のようだと感じた。
確かに完全初心者にルールブック購入はハードルが高いかもしれない。
特に元ツイートから投稿者が参加したシステムはCoC(クトゥルフの呼び声)だったと推測されるが、CoCルールブックは他システムと比べてもわりあい高価である。
けれど、KPにルールブック未所持であるほどの完全初心者であることを伝えなかったり、5年も経ってから掘り返すほどゲームに執着しているのに未だルールブックを買っていなかったり、その辺は投稿者の落ち度なのでは?所詮その程度の思い入れだ。世の中にはTRPG以外にも楽しい遊びはたくさんあるのだから、わざわざ説明書すら読めないほど不向きなそれに執着する必要性は感じない。
「身内卓」「ハウスルール」「ルーニープレイ」……どう考えても初心者が参考にすべきではないんだよなぁ……。
たしかに、動画化されているものは説明を読むよりとっつきやすいかもしれないけれど、あれはスポーツでいうところのプロのお手本動画に近い。
完全初心者が部活に入りたての中学生としたら、人気卓と言われる動画は甲子園常連校レベルと言うべきだろうか。TRPGに上手いも上手くないもないけれど、圧倒的に場数と慣れが違う。
あと、ああいうのって「身内卓」といって、ガチ友人で構成されてるが故の緩いハウスルールが多いのでマジで参考にしないほうがいいと思う。大概の場合オフセだし。
TRPG をするにあたりSkypeやどどんとふなどを用いてインターネットを通してやり取りする「オンラインセッション」と誰かの家やそういう店に集まって実際に卓を囲む「オフラインセッション」がある。
前者の方が手軽ではあるが初心者向けではない。投稿者が「置いてきぼりをくらった」と言っていたように、寡黙を決めこめばそこに無いものとして扱われるケースも多い。それは、わざと彼を無視しているのではなく、単純についていけてないことに気づかれにくい、という盲点故の悲劇だろう。
一方、後者ならば顔を見合わせたセッションであるがゆえに、投稿者が言うような悲劇は起こらなかったのではなかろうか。ルールブック問題も卓に一冊あればなんとかなるし、キャラクターシート作成等もKPと一緒に行える。わからないことがあったら、その都度手を止められるのが良い点だ。
オンセ、ついていけないのはさぞかし辛かったでしょうが、途中でSkype抜けるってどういうこと……?シナリオ崩壊しねえ……?自分がKPやるとき、いきなり人数変わるの凄く困るのでここが一番引っかかってしまった。
何も言わずにFOするのはあまりに無責任じゃないですかね……?
もし逆に勝手に無いものとしてシナリオ始められたのならそれは完全にKPの落ち度です。本当にありがとうございました。縁切れよ。
どうしてまあまあ真面目に書いてるものより、適当な内容でそこそこクオリティで書いたもののが当たるんだ。さっぱりわかんねえや。
クトゥルフ神話TRPGがやりたい。ルルブは買ったけどCoCを知っててやってくれる友人は別売りでした。興味ある〜とだけ言ってくれる友人はいるにはいるけど、きっと興味あるだけでさしてやりたいとは思ってないだろう。
でも寂しいので布教する。うるせえなぁといい加減思われてるだろうなあ。難しい。都会に住んでればツイッターの相互さんに会うなり、あるのか知らないけど掲示板とかで募集するなりすればある程度集まってくれるだろうし、会いやすい。 CoC知ってる人の人数がそもそも少ない。世知辛いなあ。
宇宙葬ってのを知ってから、ものすごく心惹かれてる。いいなあ。
わたしが死んだらそれにしてほしい。通夜も葬式もいらない(と言ったら怒られる?かもだから、やるなら必要最小限で)。別に綺麗な花大量に飾ってくれなくていいし、特に熱心に宗教信じてるわけでもないからお経とか戒名とかもいらないし、墓もいいです。
そのかわり宇宙葬してほしい。ただむちゃくちゃ費用がかかるらしいね。そりゃあそうか。ロケットに乗っけて宇宙まで持ってくんだもん。持ってった後宇宙船ごと爆破でもするのか、誰かが丁寧に投げてくれるのかはさっぱり分からないけど、どっちにせよ宇宙まで持ってかなきゃなんだから。
書いてて改めて気になって、ささっと調べてみたら、わたしが気になった深宇宙とやらまで行ける「宇宙探検プラン」は200万近くかかるらしい。数字に弱いから読み間違えてるかもだけど、とりあえずメチャクチャに金がかかることは分かった。これなら普通に葬式してくれって言った方が安く上がるね。わはは。
いいなあ。宇宙ってすごく、心惹かれる。かといって「宇宙飛行士になって行ってみよう!」とか「大学や研究機関で研究してみよう!」という気はさらさらない。ただぼんやり、星や月を見てると、ああ、いいなあって思う。
旅行に行くと、自分の知らない土地ってこんなにもあるんだなあと改めて思う。自分の地元であれば、ここの角を曲がればこの店で、ここには友人の誰々の家があって、って分かるけど。日本内ですら自分の地元が分かるのが精一杯なのに、こんなに広いんだなあって思う。話が大きくなりすぎる上感覚的な話になって表現が難しくなるからここで割愛するけど、宇宙はそれよりもっともっと広くて……。
いや、広いのかすらもわからない。もしかしたら太陽系の外は案外適当に設定された世界で、実は宇宙というのはただの実験用の空間なのかもしれない。ありきたりな台詞だけれども、この世界や宇宙に比べたらいかに自分が小さい存在なのかと思う。
数百年や数千年後は、もしかしたら宇宙旅行が簡単にできる時代になっているんだろうか。人間の知り得ないことなんてなくなってしまっているんだろうか。それとも、数百年数千年後なんて存在しないんだろうか。
考えるとキリがない。
プラネタリウムなんかに行きたくなったけれど、田舎なので土日しか営業してない。し、機材はわたしが子供の頃から同じだろうからおそらく10年以上は前のもの。微妙なところだなあ。
これまでも遊んだ内容をリプレイとして残す、みたいな動画はあったけど「リプレイ風」ってなんだ?と思ったら実際に人を集めず「もし有名作品のキャラクターがTRPGをしたらこうなる」みたいなのを妄想して作っているらしい。
それはそれでちゃんねる小説とかチャット風小説とかのような一種の文化だと思うし住み分けさえちゃんとしてたらいいと思う。
いいと思うんだけど、それみてTRPGやりたい、ってなるユーザーの扱いにとても困っている。
CoCしかやりたがらない、ルールブック買わない、すぐに戦闘したがる(必要もないのに戦闘技能取得したがるし回復系や探索系技能を取らない、人気のリプレイ風動画で使われているハウスルールを適用させようとしたり。新しい彼らなりの「普通」は僕らにとっては「異常」だし「特別措置」として認めていいか悩むレベルのことだったりする。
動画がきっかけであっても、CoC含むTRPGに興味を持ってくれるのは嬉しい。それがきっかけで長く遊んでくれるならなおさら。
ただ、これは個人的なワガママでしかないけど、僕はCoC以外も遊びたいんだよ。剣と魔法の世界で英雄を目指したいし、宇宙を守るヒーローにもなりたいし、裏で密かに任務を遂行する忍者にだってなりたいじゃないか!
「ルールブックが高いから、重いから、分厚いから買いたくない、読みたくない。でもシナリオ作ったからKPやるよ!あなたPLやってね!」
なんて、そんなヤツもたくさんいる。でもその買えない理由ってCoCの話でしょ?
お願いだから、今後も遊びたいならルールブック買ってください。買えないならKPやりたい、なんて言わないでほしい。
実際にそういう卓に参加したPLが何人もロストしていて、そのことが楽しいのかもしれない、あるいは見えていないのかもしれないけど、本来はロストしなくてもよかったかもしれない。そう考えるだけで悲しくなるしため息が出る。
もっと手軽に買える、読める楽しいルールブックだってたくさんあるし、そういうシステムも遊んでみてほしいのです。
CoCを毛嫌いしてる訳じゃないよ。もちろんCoCだって遊びたいよ。
でも、TRPGという広い世界にせっかく足を踏み入れたなら、もう少しだけ、上を向いてみてほしい。ほかのゲームがあるんだって知ってほしい。
「Ubuntu」とは、「他者への思いやり」のことです。この単語自体が、人間としての精神を体現しています。
我々は、生産的で、幸福で、複雑な領域における新しい発想を歓迎できる柔軟性を持ち、また、あらゆるプロセスを常に改善し、さらに、各々が全く異なる要求や関心、能力を持つグループの間の協力を促進するコミュニティを希求します。
我々は、メンバーの多様性によってコミュニティを強靱なものにするために、多様な参加者を活発に探します。このUbuntu行動規範は、多様なグループがお互いの利益と喜びのために協調することを確実にするために存在しています。我々は、誰であっても、プロジェクトへの参加に障害がないよう努力します。
行動規範は一般的に、公的であれ私的であれ、我々がどのように振る舞うべきかを統率します。我々は、プロジェクトの代表者(公式・非公式を問わず)、関係者、そして直接の参加者が、このUbuntu行動規範を尊重することを望みます。
我々は、下記に真剣に努めなければなりません。
我々の成果物は他者によって使われるでしょうし、また逆に他者の成果物にも依存しています。いかなる決定であっても、利用者や関係者に影響を与えることを頭に置いて、決定をするときにはそのことを考慮する必要があります。
意見に相違があるからといって、無礼な振る舞いをとってはいけません。衝突を解決するために協働し、他者が善意で行動していると仮定し、親身になるよう努力しなければなりません。苛立ちが個人攻撃に発展することがあってはなりません。不快感を覚えたり脅威を感じるコミュニティは、生産的ではありません。
間違いを犯すことは誰にでもあります。そのときには、責任を取らなければなりません。もし誰かが傷つけられたり攻撃されたときには、注意深く、そして思いやりを持って意見を聞き、間違いを正すよう行動しなければなりません。
我々が作り上げようとしているものは複雑で、それぞれに想いが込められたたくさんのパーツでできています。各々が違ったゴールとビジョンを持つチームの間での協調は不可欠です。ただのパーツの組み合わせ以上の成果物を作り上げるには、各々のパーツが全体を理解するよう努力しなければなりません。
協調して取り組むことで、冗長な作業を減らし、品質の向上につなげることができます。プロジェクトの内外を問わず、協調することは大切です。可能な限り、アップストリームのプロジェクトと共同で作業し、フリーソフトウェアのコミュニティと協調することが必要です。透明性を確保し、その作業に関心を持つ人とはなるべく早期から協働するのが良いでしょう。
社会的な、あるいは技術的な意見の不一致はよくあることです。しかし、意見をまとめずそのままにしたり、何を合意したのかを不明確なままにして他の人を悩ませることがあってはなりません。
プロジェクトの参加者は、意見の不一致を建設的に解決することが期待されています。もしも合意に至らなければ、あらかじめ決められたリーダーに仲裁を依頼し、透明性 (clarity) と指示を求めます。
誰であっても、完璧であることを求められてはいません。誰かに質問することは、後で発生するであろう問題を回避できるので推奨されます。ただし、適切な場所で質問してください。質問を受けた人はすぐに反応し、手助けしてあげてください。
プロジェクトを離れるときには、与える混乱を最小限にするよう動くことが求められます。プロジェクトから離れることを他の人たちに伝えて、離れる人が作業を中断した地点からほかの人たちが再開できるようにしてください。
我々は、実例と議論と行動によって動かされます。新しく参加した人は、もしプロジェクトの改善につながる新しい考えがあれば、ぜひ人々を率いて、行動を起こしてください。リーダーシップは、行動を起こすことだけで誰でも実践できます。その機会があれば、誰かの許可を待つ必要はありません。
プロジェクトに関する責任は「慈悲深い独裁者」を頂点として、そこから特定の範囲について責任と権限を委任されたコミュニティ・カウンシル、その下にいるチームや委員会 (councils) 、個人に委任されていきます。コミュニティ・カウンシルまたはその代表者が、争いごとの解決を行います。
我々は実力主義に基づいて、意思決定や統率、リーダーシップを、長く参加している人から、能力があって関心の高い候補者に委任していきます。
評議会 (boards) や委員会 (councils) への任命は、コミュニティ・カウンシルが決定権を持ちます。ただし、事前にコミュニティに対してインプットを求めるものとします。
リーダーシップは、表彰や権利や肩書きではありません。リーダーシップは権限であり、そこには責任が生まれます。リーダーシップはコミュニティから委任されたものです。リーダーの権限は、委任するコミュニティから支持されている間だけ得られるものです。
我々は何かものごとを決める前に、意見やデータ、関係者からの意見表明を集めます。リーダーの役割として、チームが決定を遅滞なく行う手伝いをし、ガイダンスを与え、合意に至らなかったときに決定をし、決定の実施に責任を持つことが期待されています。
何かを決めないことには、先に進めません。明確な指示には価値があります。ときには、データが足りなかったり、合意が得られがたいこともあるでしょう。それでも、何らかの決定を下さなければなりません。いつでも完璧な決定を下せる保証などないのです。決定を先延ばしにするより、失敗して、失敗に学び、将来の役に立てることが大切です。
我々は、問題をより把握しているチームを信頼して決定を下してもらうことで、プロジェクトはよりよいものになると認識しています。もし決定に不満があれば、それを下したチームと調整します。調整が付かなければ、その決定についてレビューする統治機構 (governance structure) があります。つまるところ、責任を持つ人が決定を下し、それがプロジェクトの統治 (project governance) に支持されていれば、その決定は有効であるとします。我々はある決定について納得しないこともあるかもしれませんが、それでもプロジェクトを信用し、たとえ内心では違うほうがよいと思っていたとしても、プロジェクトとしてその決定が実施されることを支援します。
誰であっても、どの組織に所属していようとも、どのようにプロジェクトに関わろうとも、我々は参加を歓迎します。コミュニティは開かれたものであり、能力や適性を持っていることを示せれば、職責を負うことができます。
「名演奏家はその演奏によって評価され、リーダーはチームの行動で評価される」リーダーは、行動すべき・身を引くべきときを知っています。チームは、リーダーに権限を渡したりそれを取り戻すべきときを知っています。
良きリーダーはスポットライトを浴びようとせず、他のメンバーの活躍をたたえます。リーダーはチームメンバーの中で目立つ存在でしょうが、良きリーダーはその注目を他のメンバーの優れた活動に対してスポットを当てるために使います。
リーダーはときに、理解されず、合意に基づかず、一般的ではない冒険的な決断を下す必要があります。我々は、完全な合意を得るよりも物事を進めることを優先し、勇敢にもそのような決定を下すことを評価します。とはいえ、冒険的な決断には十分な検討が必要です。ある人にとっては頭の痛いことになるかもしれないことを肝に銘じ、影響を抑えるようにしなければなりません。変更について、その理由を明確にして、そして早めにコミュニケーションをとることは、その変更を実施するのと同じくらい重要です。
もしもリーダーが自身の雇用関係や他のプロジェクトとの関わりによって利益相反状態になっている場合には、それに気がつくことが期待されています。そして、私利私欲のためとみなされることのないよう、棄権したり決定を誰かにゆだねたりすることが期待されています。リーダーに限らず全てのプロジェクトメンバーにも、私利私欲のためではなく、ユーザーの暮らしをよりよくするために決定を下すことが期待されています。
もしも利益相反が疑われる場合には、誰かにセカンドオピニオンを求めてください。利益相反状態にあることを明らかにすることが、解決への道筋にとって重要です。リーダーは、たとえ一般的ではない、あるいは特定のグループに有利・不利となるように思われるものであっても、決定が信用できるものとなるよう行動すべきです。
このUbuntu行動規範は、網羅的でも、完全なものでもありません。ルールブックでもありません。協調的で共用の環境 (a collaborative, shared environment) とゴールに関する、我々にとっての共通の理解を引き出すためのものです。
このUbuntu行動規範は、クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 3.0 非移植ライセンスのもと配布されます。あなた自身のプロジェクトにこれを再利用することができます。また、好きなように改変することもできますが、あなたの改変を他の人が利用することも許可し、Ubuntuプロジェクトの著作権表示を付けるようにしてください。
ある身内ばかりのTRPGコミュニティーについてのくそみたいなチラシの裏側。
以下、自戒を込めての話になる。
TRPGはあくまで誰かと共存していくことが求められるわけであって、身内ねたで固めたPCやRPは一昨日きやがれ。と思うのは横暴だろうか。
コミュニティーの中で、目的の数字が出るまで振り直してPC作成っていうのが横行してPCのインフレ化が止まらない。
いつでも俺が世界の中心、ってやつが一人いるだけでつまらなくなる。
KPが公平に話題を振らないのとかも有り得ない。
特に自分が『一般人を使用することに意味がある』Cocを基本プレイにしているからかもしれない。
PC情報はミクロ範囲の設定にしてくれ。よくある話にしてくれ。周りが抱え込める程度の話にしてくれ。主人公属性はただの一人にもないはずだったのに。あるいは、みんなが主人公だったはずなのに。個人的に取り巻きにも非はあると思っているんだけど、まあ、なんだ、一人が中心のTRPG感。
セルフ二次創作は別に言うことはないんだけど、そのノリを卓内に持ち込んでいるのが許せない。みんなとやるもの、という意識がなさ過ぎでは。俺TUEEEEなら永遠にソロプレイでやってくれ。
メタ知識は推奨派だけど、だからって一人のPLが全部決めていいわけではないし、それをどれぐらいPCに反映できるかはまた別だろう。ダイスを振れよ、ダイスを。アイデアでも知識でもいいからさあ。
ある一定のコミュニティーで凝り固まりすぎて、ずっとそこについていかなければならないような同調圧力が存在している。
これも私個人としては気持ちが悪いと思っている。
そのコミュニティーのTLだけで色々な設定を生んでいくから、そこに張り付いていないと次の卓参加したときにひとりだけギャップがあるとかいうくそみたいな事案が出てくる。気がする。
自分もPCというただの駒を『うちの子』としてモンペしている側だから(そうだ、だから多分、上気の理由でというより、そこで自分のPCがないがしろにされていくのが我慢ならなかったのだ)何も偉そうなことは言えないとは思うんだけど、だけどさあ。
コミュニティー内の誰かと誰かっていう形では一緒にやりたいPLもいるんだけど、そのコミュニティーにいるという理由それだけでもう切ってしまいたい。
何がこんなに気にくわないのかわからないけど、とにかく気にくわない。
そのコミュニティーにいて一緒に目をつむっていれば楽しくやれたかもしれない悔しさかもしれないし、嫉妬かもしれないし。
本当につまらない話だ。
あー、でも色々なPLを見てきて(KPとしてとか、傍聴としてとかも含めて)いらっとした瞬間は大体一緒で、
『お前ひとりで進めんなくそが』だったはず。もっと周りのPLに意見を聞いたり、誰が適任かを考えたりをしろと。そういう。お前のPCはそんなに万能キャラじゃないだろっていう。
やっぱりTRPGでおなにーされてるのがくそ腹立つんだよな、結局。
TRPGにおいて、誰か一人が突っ走ること(それはPL、PC問わず)が一番良くないと思う。まとめ役は必要だけど、そしたらまとめ役はあまり強く意見を言わないだとか他PL、PCとのバランスを取って欲しい。だってみんなが楽しめるのがTRPGでしょうが。まあ、盲目中の本人達は楽しいからやっているんであって、それの否定は出来ないんだよな。だからこっちがそのコミュニティーから出たわけであって。
あとはシナリオブレイクするスタイルがかっこいいみたいな風潮が一時期あったけど
(被害妄想かな。なんにせよためらいなく犯罪行為を無意味にやる発想をしてKP困らせるのはやめてやれよ)あれもクソだなと思う。
RPについて。
常識範囲内の設定からの卓内RPで常識範囲内で活用するはいい。
PLについて。
ひとりで決めるな、ひとりでやるな。それから、ひとりを持て囃すな。
議題から脱線する形になってしまったんだけど、結局メアリー・スーにも独断PLにも言えるのは、『空気読め』ってこと。
これも同調圧力って思われるんだろうな。やだなあ。
ひとつのコミュニティー内のくそみたいな鬱憤だったんだけど、他のコミュニティー見ても、なんていうかこう、一定の一人持ち上げとか俺TUEEEEEEとかそういうのがちらほら見られて
(私のコミュニティーの探し方が悪いのか? 類は友をなんちゃら)
なんでかって、こんなにストレスになっているのにTRPGもくっさいRPも私はやってて楽しいからだ。自分も大概どうかと思う。
http://www.yamdas.org/column/technique/hatenablog.html
なお、タイトルに PART I とあるが、このネーミングはメル・ブルックスの『珍説世界史 PART I』にちなんだもので、PART II 以降は存在しない。つまり、あなた(ソフトウェア企業)が絶対すべきでないことは、Joel Spolsky にとってこの文章に書かれることだけなのだ。それは何か?
まぁ、そんなわけないんだけどね。
「最近のはてなの体たらくへの失望感に名前を付けたい」というだけの文章にマジレスするのも我ながらどうかと思うし、気持ちは分からなくもないんだが、最近は「はてブ」以外全く使ってない俺でも、長年お世話になってきたはてなに対してそれなりに愛着というものがあるわけで、ディスられるばかりの流れに少しばかり反抗を試みたい。これは、それだけのエントリだ。
というわけで、以下に書くのは、技術の話でも倫理の話でもない。どうか気軽に読んでほしい。
実例を挙げる。
今やワールドワイドな影響力を持つ勝ち組ソーシャルサービスのTwitterだが、彼らは、ここ数年でバックエンドの大半をスクラッチから完全に書き換えた。しかも、RubyからJavaへと、使用言語すら変更してしまった。
http://d.hatena.ne.jp/teppei-studio/20110709/1310168002
もう一つ。Tumblrも、LAMPアーキテクチャからJVMベースへ切り替えた。その過程で、Twitterがオープンソース化した技術を取り入れたりもしている。
http://blog.kyanny.me/entry/2012/02/19/002256
『「古いコードはクズだ」というのは錯覚だ』というJoelの意見は、一面では正しいが、他の面では間違っている。なぜなら、あるソフトウェアに求められていること(要件)は、時間と共にどんどん変化するからだ。
書き直そうが、書き直すまいが、一番ダメなソフトウェアとは「ユーザの要求に応えられないソフトウェア」だ。規模や環境の変化によって古い技術の技術的限界に直面したり、ビジネス環境の変化に追随する必要が出てきたのなら、「スクラッチから書き直す」のは立派に一つの選択肢だ。
はてなダイアリーの最初のバージョンがどういうものかは俺もよく知らないが、おそらく「LAMP」がエッジなキーワードとして持て囃されていた頃に書かれたプロダクトなんじゃないかな(間違ってたら突っ込みを)。それから時代は下り、Ruby on Railsに代表されるCoCなフレームワークの登場を経て、今や大規模分散や非同期を前提としたアーキテクチャが当たり前の時代。当然改修はしているだろうけど、MySQLを職人芸で負荷分散していた時代からは大分遠いところに来たのは間違いない。
何より、はてなダイアリーといえば「はてな記法」とカスタマイズの自由度の高さがウリだったわけだが、これらの存在が、今や機能追加や改良の妨げになっているとしても不思議じゃない。
はてなブログ開発の動機として「今どきの技術で、最初からやり直す」というのがあるのは間違いないが、それは「スクラッチからの書き直し」だから悪手なのだろうか。結局のところ、レガシーコードのメンテナンスを続ける場合と比べてどちらがより低コストか、という話の結論によるとしか言えない。
はてダのソーシャル要素といえば「トラックバック」と「idコール」と「キーワードリンク」だったわけだが、全部Twitter(とTogetter)に持っていかれたよね、という話。
だから、「はてダver.2」や「ブログ2.0」を望む声が大きいのは理解できるけど、ぶっちゃけ、そんなもんに開発リソースを突っ込んでも勝ち目なんか無い。んで、それに代わるアイディアを持ってる奴はどこにもいないと。だから、既存コードの改良ではなくスクラッチから書き直し、スモールスタートでフィードバックを受けながら方向性を考えていく、という方向性はそんなに間違っていないと思う。
ただ、現状を放置すると「それTumblrでできるよ」という話にしかならん、というのはその通りで。それ以外だと、もしgithubがblogサービスを始めたりすると、かなり客を持っていかれるのではないかという予感はする。いっそのこと、Tumblrのデッドコピーから始めるのが一番早いのかもしらんね。
少し別の話を。
これは、Twitterのgithubレポジトリだ。上でも書いた通り、Twitterはサービスをスクラッチから書き換えた。で、その過程で開発した内部向けのフレームワークを、どんどんオープンソース化している。彼らが、内部の技術をきちんと体系化して再利用可能にしていることの証左と言える。
一方、はてなのgithubレポジトリ。正直、サンプルとかプラグインばかりですね、と。
色々と理由はあるんだと思うが、一つ思うのは職人芸頼りで自分たちの技術を体系化するという部分が弱いんじゃないか、ということ(はてな発のオープンソースで広く使われてるのって何かあったっけ?)。
先ほどから散々「書き直していい」と主張しているが、誰かが言っていた通り、技術の本質を捕まえきっていない状態でフルスクラッチをやっても、失敗する可能性は高い。はてなブログがどちらなのかは、中の人にしか分からないことだけど。
はてなが経営的にあまり状況がよろしくない、という推測はおそらく当たっているのではないかと思う。
タイムラインで、誰かが「まっとうな方法で収益化する方法を真面目に考えるべきだった」と言っていたのを見た。それをしていれば、今回のような事態を招くことは無かったのだろうか。
だが、「まっとうなビジネスモデル」とは何だろう。実際問題として、ここ最近成功しているネットサービスのビジネスモデルで「ターゲティング広告」と「マスなユーザベースから抽出したビッグデータを解析して売る」以外で何か有力なものはあっただろうか。FacebookにせよTwitterにせよ、収益化の原動力はユーザ行動解析だったりするわけだ(彼らがオープンソース化に積極的なのは、インフラ技術が差別化の源ではない、という面もある)。
まぁ、あとはガチャだが、どちらにせよ現状では高木先生の逆鱗に触れるようなものしかないよね。
そんなわけで、それらに代わる第四のマネタイズモデルを思いついた人は、ぜひ近藤さんに教えてあげると良いんじゃないかな。あればだけど。
今後はてながどうなるかは分からないけど、一つ希望したいことがあるとすれば、故伊藤計劃氏のダイアリーがこの先も保全されることを望みたい。
それは、エントリを全て魚拓しろ、という話ではもちろんない。彼の生前に書かれたエントリは、当時の「はてな」という生態系を構成する一部でもあるわけで、そこから切り離して文章だけをアーカイブしてもあまり意味がない。