「行方」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 行方とは

2024-08-18

ガラスの仮面、全49巻読み終わったけど、これ終わるのにあと5巻は欲しいよね?

終わるのか?

終わるのだろうか?

描き始めることが出来れば2年ぐらいでババっと仕上げることは出来そうだけど、そもそもそれが現実的なのかが分からない。

現状はあらゆる作中の伏線収束していっている所であり、これを「俺達の戦いはこれからだ!」とやってしまっては全てがどっちらけてしまう。

出来なくはないと思う。

モノローグを使いまくって「Aのお芝居は大成功した。具体的にはここがよかった」「Bのお芝居も大成功だった。ここが本当に良かった」「甲乙つけがたいぜー!紅天女をめぐるバトルはこれからだ!」「PS紫のバラの人との関係は進展してます 朝チュンチュン」でかませば1話に圧縮可能だ。

年表エンドの如き無理やりなラスト可能

だけど、ここまで盛り上げておいて、本筋に+αするための要素をこれでもかと盛り付けておいて本筋自体ハイハイチャッチャッで終わらされたら読者もやるせないだろう。

今、ガラスの仮面は本当に盛り上がっている。

作中最大の山場だ。

フルコースで言えばメインディッシュが運ばれてきた直後、カートの上にはクローシュを被せられた皿が並び、ウェイターがツラツラと今宵の主役が如何に素晴らしいか説明していくれている最中だ。

もしここで「すみません。もう閉店時間なので一口分だけの提供とさせていただきます」と言われたとして、納得できるものがいるだろうか?

SLAM DUNK山王工業高校戦、20点差をつけられた直後に突然モノローグが入り「なんだかんで20点差をひっくり返し激闘を制した。その後の3回戦、嘘みたいにボロ負けした。その試合桜木山王戦の負傷により出られず、今はリハビリである」で終わったら歴史に残るクソ漫画になっていたことだろう。

ガラスの仮面、本当にちゃんと終われるのか?

描くべきものは誰もが分かっていてあとは最後の仕上げを残すだけとはなっている。

仕上げを待たなくても書き上がりの景色の8割程度は想像がつく。

片腕のない彫像を見たとき、それ以外の部分がないはずの腕の形を教えてくれるようにだ。

だが、腕の先にある指の形まではわからない。

もはや勝負行方など作者にとっては枝葉末節なのやも知れぬが、読み手としてはハッキリと勝負の中でその答えを知りたいのだ。

描かないわけにはいかないだろう。

作者という神が、どのような答をこの物語に下すのか。

作品世界を生み出した神としての最後の大仕事だ。

天地創造における6日目だ。

まだ7日目ではない。まだ休むときではない。

2024-08-17

anond:20240817154610

増田ダメなところを教えてやる。

まず、文章が極めて散漫だ。意図はどこに向かっているのか、読者にとって非常に分かりにくい。冒頭の「頭脳明晰日本人何処行方何故消滅」という言葉一見して意味不明だ。

次に、感情的表現が過剰すぎる。例えば、「魂の血文字」や「妖怪のヘドロめいた深淵なる知識」などのフレーズは、過剰に劇的な表現を使いすぎていて、逆に真意がぼやけている。

そして、無意味難解な表現を多用している。「崇高で獰猛苛烈文章」というフレーズも読む人を混乱させるだけで、その意図が伝わってこない。また、フラストレーションを感じるだけだ。

その上、長々とした無内容な修辞が掲載されており、実際の主張が不明確だ。例えば「未熟ながらも個人人生を感じられはしないか」と言いつつ、その具体例はどこにも存在しない。

さらに、攻撃的な言葉遣いも問題だ。「書き手ちんこをもいでしまいたくなる」などの表現無礼まりない。このような言葉遣いは、対話議論不可能にするだけだ。

型にはまった文章批判するのはいいが、それに代わる具体的な解決策を提示していない点も問題だ。単に「型にはまってる」のではなく、型がどのようにして有用であるかを考察する必要がある。

最後に、読者を無視していて一方的自分意見押し付けている。文章は読者に向けて書くものだ。その視点が不足しているために、読者は興味を失ってしまう。

どうだ増田。返信は不要。礼も不要だぞ。

頭脳明晰日本人何処行方何故消滅

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

それを見ると狂熱ですぐに我が脳が震え、魂の血文字は我が目に飛び込んでぐいと離さず、妖怪のヘドロめいた深淵なる知識自分臓腑をとりこもうとする。

どこまでも逃げたくても、一切合切破滅に導かれ、いつまでも回り込まれしまう、崇高で獰猛苛烈文章が読みたい。

なぜそういった文章が世にあまりにも少ないのか。

平凡な感性、ありふれた文句、いんた〜ねっとスラングばかりで構築された流転する冗句、そういうもの構成された人生を見かけると、書き手ちんこをもいでしまいたくなる。ちんこがなくてもだ。

我が文章フォーカスしてみれば、未熟ながらも個人人生を感じられはしないか。言っていることは大したことがなかったとしても、修辞はそれなりに独特だ。真似できまい。してみせらせ。

我が言葉の紡ぎ方に言語への愛しさを見い出せはしないか。他方、型にはまった文章は確かに読みやすい。誰もが読みやすいと思うものだ。

だがそれは読んでいるのではなく、既存構造既存システムに当てはまる情報摂取しているのだ。二次方程式の解の公式にあてはめてキャッキャウフフしているだけだ。

解の公式を覚えているから、二次方程式のように書かれた文章中の情報は取得できる。だがそんな文章おもしろくないし、その情報パラメータが変わっただけで大しておもしろくない。

おもしろくないものを大層ありがたがっている。頭が悪いしか思えん。「このおもしろくなさこそが偉大なのだ!」と言わんばかりにふんぞり返っている。

おもしろくない我々が正義なのだと!

くだらん。くだらんぞ。

見るだけで歓喜にあふれ、目が輝く文章が読みたいものだ。おぉ、あぁ、この文章は我が感性を高みへと連れて行ってくれるのだなと気分も精気も高揚する、そういった文章はないのか。

なぜないのか。生み出せよ。なぜ生み出せないのか。お得意の型とやらでさあ今すぐ生み出せ。

大丈夫。できないことは承知している。わはは。わははのはっは、はははっは。はあ。

我は貴様らを嘲っているのだ。謗っているのだ。

さあ来い。読んでやるぞ。さあ来い。

2024-08-16

anond:20240816100853

とりあえず法律を見ると、道路交通法第13条第1項に以下のような条文がある。

(横断の禁止場所

十三条

歩行者等は、車両等の直前又は直後で道路を横断してはならない。ただし、横断歩道によつて道路を横断するとき、又は信号機の表示する信号若しくは警察官等の手信号等に従つて道路を横断するときは、この限りでない。


ということで、元増田の挙げた例での飛び出しは同条違反となる。それで同条違反場合、どんな罰則が科されるかというのを見てみると、以下の条文がある。

(通行方法の指示)

第十五条

警察官等は、第十条第一若しくは第二項、第十二条若しくは十三条規定違反して道路を通行している歩行者又はこれらの規定若しくは十四条の二若しくは十四条の三の規定違反して道路を通行している遠隔操作型小型車の遠隔操作を行う者に対し、当該各条に規定する通行方法によるべきことを指示することができる。

第百二十一

次の各号のいずれかに該当する者は、二万円以下の罰金又は科料に処する。

七 第十五条(通行方法の指示)又は第六十三条の八(自転車の通行方法の指示)の規定による警察官等の指示に従わなかつた者


この条文を見ると、法第13条第1項に違反した者についても、たまたまそこに居合わせた「警察官等」の「指示」が無ければ罰則が科されることは無いようである

また、罰則が科されたとしても「二万円以下の罰金又は科料」に過ぎない。

なお、元増田の例によれば「誰かを助けようとして」という事実があるので、緊急避難刑法第37条第1項)の適用問題になりそうだが、上記事情でさして問題にならなさそうなので割愛する。

ここまでが刑事の話で、民事については過失割合問題となるが、これはもう状況により結論が区々となるので、「飛び出し 過失割合」とでも検索してくれれば色んなケースにおける過失割合相場観が出てくる。

2024-08-15

デカ通路の駅とか空港とかはさ、車線みたいな「人線」ひけよ

広い通路なのにわざわざこっち向かって寄ってくるバカ

なんとなく進行方向の流れが出来ている最中を逆走してくるアホ、

数人で横になりチンタラノロノロ歩くクソ。

道路だったら線引いてしっかり流れを定めるのに、なんで人間相手にはしないの?

まぁ、引いたところでバカアホクソの類には効き目ないだろうけど、でも大多数のまともな人にとってはずいぶん歩きやすくなるはず。

盆や正月がくるたびにイラッとするわ。

逆走事故多すぎるから金かけて道路に進行方向の矢印書け

2024-08-14

家系図作りはいいぞ

背景

35歳独身。この増田を見て興味を持ち、家系図作成しようと決意する.

https://anond.hatelabo.jp/20240521221155



お盆実家に帰るし、その時に話のタネになるかなと思い、作成し始めたが.

作成する過程及び作って共有したことがとても充実していたので、共有する.

最寄りの市民センターに行く

2024年の春から、広域交付という制度が始まり、従来戸籍のある市町村しか発行できなかった戸籍が.

どこの市民センター市役所でも取得することができるようになった.

なので住んでいる近くの市民センターへ行き、家系図を作りたいので、遡れるだけ遡って戸籍を取得したいと相談した.

戸籍知識がほぼない状態でいったので、相手の言っていることが最初はわからなかった。

知っておくべきは、「結婚するまでは親(筆頭者)の戸籍に入っている」こと。

なのでまずは自分の親の戸籍請求して、次は親が結婚するまでに入っていた祖父母戸籍請求する、ということを繰り返す.

あとは広域交付では、戸籍係の人が戸籍データベースみたいのにアクセスして戸籍を探してくれるが、

戸籍を保持している市町村に毎回確認電話をしている模様。

1件1件電話するので、地味に時間がかかる。なので早い時間市民センターに行くべし。

養子縁組が多すぎる

家系図は馬の血統図のように単純ではなかった。兄弟存在もあるし、私の家系場合は、養子縁組家系が飛んでいることがとても多かった。

例えば、父方の祖母の家は富山松本という家であった。しか曽祖父戸籍をとってみると、曽祖父玉井という家から松本家に来た養子であり、

松本家の血筋はなかった。さらに高祖父(祖父祖父)である松本さんは、同じく玉井から養子で来ており、親子とも玉井家の養子であった。


また、母方の祖父秋田県佐藤という家であったが、曽祖父曽祖母ともに佐藤家に来た養子婿養子であり、佐藤家の血筋はなかった。


このように、昔は養子縁組が当たり前のように行われており、私の家系は割と旧家と呼ばれる家であったこから

家の存続のために、養子を取って子供を残すということがかなりあったようだ。

養子を出す先の家も、1回養子に出して終わりというわけではなく、時が経ち、養子元に子供に恵まれなくなった場合養子先の家から養子先の家に別の養子を出す、という

養子の交換のようなことが行われており、家同士が強い結びつきがあることがよくあった。

親戚と話して後ほど発覚するのだが、血のつながりがないと思っていた松本家は、実は昔の玉井家に養子を出しており、

5世代前: 松本家→玉井家に養子.

4世代前: 玉井家→松本家に養子.

3世代前: 玉井家→松本家に養子.

のようなことが行われており、養子交換を通じて実は松本家の血筋が生きていることが判明した.

歴史のような推理小説のような自分の話

このように戸籍を追っていることは、推理小説を読んでいるかのように、事実関係を明らかにしていく行為のようであり、とても楽しい.

さらに当時の家の関係性などを想像することができるし、さらに年配の親戚と話すことで答え合わせができるので、想像だけで終わらず、

文字で読んだ歴史再確認できるという妙な体験もできる

戸籍年代をみると、古くは江戸時代後期(弘化3年、1846年生まれの人の戸籍があった)、明治大正昭和と.

近代に相当する時代に書かれた文章を読み解くことになる.

これは歴史に相当する話であるが、自分先祖であるので、歴史の中に自分ごとが入ってくる妙な感覚がある

墓参りが楽しくなる

墓参りでは、自分物心付く前に亡くなった人のお墓をなんとなくお参りするイベントだと思っていた。

しか家系図を作ると、このお墓には○○さんが入っていて、家系図で言うとここの人物で、自分とどういう関係の人なのか、が解像度高く理解できる.

より先祖に思いを馳せて、お参りすることができる

祖父母や親戚とのご先祖トークが盛り上がる

祖母家系図を見せてあげたところ、この人とよく遊んでもらった、結婚式で顔を見た!、まだ生きててどこそこに住んでる、という生きた情報が聞けた.

自分にとっては紙面上の文字だけの人ではあるが、年配の祖母にとっては、思い出の中にいる生きた人物なのだ.

年寄りは昔話が好きだとよく言われるが、 若者がそれを聞いても普通面白く感じないだろう.

だけど自分必死戸籍を取って、明治時代の読みづらい文字を頑張って解読し、頑張って作った家系図を作った後には

その昔話がとても面白く感じるのである。これは端的に言えば、ご先祖に対する興味が格段に向上したかである.


さらには、祖母と一緒に、本家の跡を継いでいる松本家の親戚に家系図を見せてあげようということになり、本家に行ってきた.

本家の人に家系図を見せてあげると、実はウチも家系図を作ったことがあると言って、奥からパソコン作成した家系図が出てきた.

その家系図は、自分のように戸籍を取得して作ったものではなく、親戚から聞き取り調査を地道に行なって作成したものであった.

自分作成した家系図比較すると、かなりの部分は一致しているが、片方には載っているがもう片方に載っていない関係などが多数あり、お互いに補完し合える家系図であった.

ある種、答え合わせもできたし、本家の人しか知らない、戸籍では分からない情報もたくさん話すことができた。

普段話題がない年配の親戚の人とも話すきっかけにもなった

離婚した母の行方

母は私が小さい頃離婚している.

私の場合は、成人した後に母と連絡を取り合い、たまに会うことがあるが、

もし離婚した親の行方がわからなくても、自分と血が繋がった人であれば、現在どこに住んでいて、今誰と結婚しているか子供はいるのか、などが

戸籍の取得で簡単にわかってしまう。

親の戸籍を取得すると、離婚した際に除籍されて、その後どの市町村のどの戸籍に入ったのかが分かるのだが

それを追いかけていくと、何回引っ越していようが、現在戸籍まで辿ることができる

私の場合、母は離婚して神奈川県藤沢市で新しい戸籍作成して独り身になり、その後横浜市とある人と結婚し、子供が一人いることが戸籍から分かる.

もちろん母の家系も、戸籍を遡って取得することで家系図作成することができる。

母が亡くなった際には、離婚していても、子供相続が発生するので.

相続管理人になる人物は、母の戸籍存在した市町村全ての戸籍を取得して、前夫の子供として私の存在を知ることになるだろう.

今度母と会った時には、作成した家系図を持って行って、疎遠になっている母方の家族の話でもしてこようと思う

費用について

除籍謄本は1通750円です。私の場合、全部で20通取得したので、15000円かかった。

どこまで遡れるのか?

地域によって、除籍謄本の保存期間が異なる。

大抵、明治前半〜後半の戸籍まで遡ると、それ以前は廃棄しましたと伝えられた

戸籍に入っている人の生まれ江戸時代なことはありましたが、戸主の生まれは大体明治初期が限界だった。

自由研究にできるか?

中学生のいとこがいるので、自由研究として一緒にやろうかとも思いましたが、結構難しいかもしれない

まず本人が、家系図やご先祖に興味を持つか、やる気があるのか、という問題に直面する

さらには、未成年だと本人確認が難しいので、親権者が一緒に行く必要があるので、一人では戸籍の取得は難しい。

戸籍の専門知識や、昔の字の解読が必要なので、

基本的には親主導で戸籍を取得する必要がある。

親がやる気でも、結局親が子供の代わりにやった自由研究、みたいな感じになりそう。

まとめ

このように、家系図作成するというのは

歴史との対話であり、

自分ルーツを知る手段であり、

先祖に興味を持つためのきっかけであり、

家族や親戚と話すきっかけや話のタネであり、

戸籍に載っていないご先祖情報を知るための基盤であり、

墓参りするご先祖解像度を高めてくれる機会であり、

疎遠になった家族を探すツールであり、

作成中も、作成後もとても楽しい行いなので、皆さんも特にお盆の時期に家系図を作ってみてください。

2024-08-13

anond:20240813105824

なんで女って進行方向見ずにふらふら歩くんだろう。不思議だなあ

2024-08-12

山道

私が大学生の頃の話です。当時の私は運転免許を取ったばかりということもあり、車で遠出することを趣味としていました。折よく父が車を買い替えたこともあり、今まで乗っていた小型車を譲ってもらえましたので、生意気にも学生身分自分の車を持っていたわけです。友人の中で自前の車をもっている者はおらず、仲間内で遠出する時には私が車を出すのが通例となっていました。特に付き合いが深かったS君とは、よく一緒に遠出をしたものです。S君は教授学生の間でも評判の良い好青年でした。私は人見知り癖があり奥手な人間ですが、なぜかS君とは馬が合いました。今思えば、S君の社交的な性格に随分と助けられていたのでしょう。

ただ、S君には不思議なところがありました。二人で買い物をしていた時のこと、レジに並んでいる人を指して「あの人は危ない」などと言うのです。その人の外見は全く普通でしたので、「どこが危ないんだ?」と聞き返しますと、「見ていれば分かる」と言って、それきり黙っているのです。はてと思い、その人を何気なく目で追っていますと、店から出たところで車にはねられてしまったのです。もちろん私は大層驚きましたので、あたりが騒然となる中で「あの人が事故に遭うと分かっていたのか?」と問い詰めました。S君は「何が起こるか分かっていたわけじゃない。ただ、悪い事が起こるのは分かっていた。」と言って、つらそうな顔をしていました。後から聞いた話によると、S君には所謂霊感」というものがあり、特に「悪い事が起こる予兆」が分かってしまうようなのです。本人も普通ではないという自覚はあり、家族と近しい間柄の者にしか、この事は話していないそうです。人に忠告しても信じてもらえないので、ただ見ているだけしか出来ないのが辛いと溢していました。私といえば霊感の類は一切なく、心霊の類にも懐疑的立場でしたが、親友といえるS君の言葉を疑う気も起きず、「そういった事も世の中にはあるのだろう」と、半ば自分を誤魔化す形で受け入れていたのです。

なんにせよ、普段S君がその「能力」を発揮する場面はありませんでした。私たち人畜無害学生生活を送っていましたので、そうそ危険に出くわすわけもなかったのです。そんなある日、S君から「久しぶりに二人で遠出しないか」と誘われました。課題に追われて図書館に入り浸っている私を日干しにしてやろう、という意図もあったのでしょう。私としても鬱屈とした気分を晴らしたかったので、二つ返事で車を出しました。見慣れた街から離れ、気の向くままに車を走らせていますと、山道差し掛かりました。車が通るには十分な道でしたので、山頂に向けてゆったりと車を走らせました。山道に入って10分ほど経ったでしょうか。不意にS君が「止めてくれ!」と叫びました。何事かと思い、車を止めてS君の様子を見ますと、顔から血の気が引いており、いかにも具合が悪そうにしています。「大丈夫か?酔ったのか?」と聞くと、首を横に振ってこう言うのです。

「すぐに引き返すんだ」

私は困惑していましたが、はっと思い当たり、「何か悪い事が起こるのか?」と聞きました。S君はもう一度首を横に振って、

「いいから引き返せ!」

と言って、項垂れてしまいました。彼が取り乱すところなど見た覚えがなく、尋常ではない事を察しましたので、急いで車を出そうとしたところ、ぞっと背筋が冷たくなりました。「総毛立つ」というのは、あの事だと思います。繰り返しますが、私に霊感の類は一切ありません。その私ですら、強烈な悪寒を感じたのです。妙に冷たく感じるハンドルを握り直し、今来た道を引き返しました。ああ、この山道はこんなにも長かったでしょうか?恐怖は時間間隔を狂わせるといいますが、それにしても麓に着くまでに長すぎるように思えます。曲がりくねった道の先は日が傾いているせいか薄暗く、危険を感じて車のライトを付けました。

ライトが道の先を照らした瞬間、私は思わず車を止めていました。ライトの光の中に、何かがいるのです。「それ」は、なんと言い表すべきでしょうか。奇妙なことに、そこにいると分かるのに外見が定まらないのです。まるで「それ」と認識するのを、私自身が拒絶しているような、もやがかかったような感覚なのです。しかし、恐ろしいことに、「それ」が私達に向かって近づいてきていることは分かるのです。「逃げよう」。S君にそう言おうとし、彼の方に必死で顔を向けました。

S君も、こちらを向いていました。白目を剥いていました。人の眼球というものは、あれほど裏返るものなのでしょうか。顎が外れるほど開かれた口は何かを訴えているようでした。しかしその喉からは、何の声も発せられていなかったのです。恐怖ゆえか、もしくは幸運であったのか、私は意識をその場で手放していました。

どれほどの時間が経ったのか、私は目を覚ましました。気絶する前と同じように、自分の車の運転席に座っていました。全て夢だったのかと隣を見ました。S君はおらず、助手席側のドアが開け放たれていました。私は恐る恐る、助手席側のドアから外を見ました。ああ、見なければどれほど良かったでしょう。助手席のすぐ外、山道の地面に、赤い線が引かれていました。赤い線は山頂に向かって引かれていました。まるで、人が引きずられる時に、地面を掻き毟ったような・・・・・・では、赤い色は・・・・・・

その後、私がどうやって帰ったのかは記憶曖昧なままです。両親によれば、家に帰宅した私は茫然自失の体であったようで、しばらくは会話もままならなかったそうです。S君はその後、行方が知れません。警察捜査も空しく、いまだに見つからないそうです。

そして、私から事情聴取をした警察の方からおかしな事を言われました。事情聴取にあたり、S君が消えてしまった山道の話をしたのですが、「そんな山道はない」と言うのです。「そんなはずはない。確かに車で走ったのだから調べてくれ」と言っても、「どこかと間違えていないか?」と言われてしまいました。そのような事があり得るでしょうか?では、私とS君が訪れた山道は、一体なんだったというのでしょうか・・・・・・

anond:20240811114621

昔は「夏色ハイスクル★青春白書 転校初日のオレが幼馴染と再会したら報道部員にされていて激写少年の日々はスクープ大連発でイガイモテモテなのに何故かマイメモリーパンツ写真ばっかりという現実と向き合いながら考えるひと夏の島の学園生活と赤裸々な恋の行方。」とか覚えやすかったのに、最近タイトルときたらねえ

2024-08-05

anond:20240805185001

AIにかけないとわからんレベルで周りの定型と揉めずに要職候補まで上り詰める元気で品行方正な自閉症がいるならむしろ要職つけたほうがいいだろ

多様性アピールもできるし

2024-08-04

東浩紀伝2

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年教育雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。

東のゼロ年代ゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムゼロになる」という意味らしい(「現代日本批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか

3 ゲンロン

ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。

ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズ2010年4月6日創業された。2009年の秋の飲み会アイデアが出たそうである宇野常寛濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズ代表就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかたかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。

一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿2010年代に書かれたのですが、出版震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代パラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもの民意をくみ上げようというものであるゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代ゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。

サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画2ちゃんねる動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。

一般意志2.0」の次の主著は「観光客哲学」(2017年であるが、サブカルチャー批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれからアニメゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客哲学 増補版」第2章によると、観光客二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタク原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客住民暮らしなどお構いなしに無責任観光地をつまみ食いしていく。このように観光客現実二次創作しているそうである

福島第一原発観光地化計画思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発事故があり、ダークツーリズム対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズム二次創作への抵抗である(「観光客哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地観光に出かけると、普通場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである二次創作への抵抗)。

社会学者開沼博福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞ウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故イメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年東京大学大学院情報学環准教授就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣脱原発哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラー佐藤博論(「権力抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤バトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラー著作邦訳を担っている)。「脱原発哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。

観光客哲学」はネグリハート帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学であるとして、郵便マルチチュードとしての観光客対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというものリベラルマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二こたつぬこ木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実革命的なあまり革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命成功していることになるのか」(「現代日本批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。

東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうであるブレイディみかこ松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員代表を務めている。

観光客哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学であるこちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能なのだという(森脇「東浩紀批評アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。

こうして現在2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身気質自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体境界侵犯欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀桜坂洋キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。

宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利宇野要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である映画原作なのだろう)が、宇野ウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代批評をふり返った本の終章なのだから2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。

濱野智史は「アーキテクチャ生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised情報社会倫理設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドル流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史社会学者)が経験したアイドルプロデュース真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。

千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベント千葉ゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。

大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。

福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談現代日本批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。

津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督就任し、東は2017年10月企画アドバイザー就任する。しかし、企画展「表現不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルから顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。

東は2018年12月18日にツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

2024-08-02

頭文字D被害

あの創作の後、峠にはキャッツとかポールがバシバシ配置された

創作現実、卵と鶏、言おうと思えばどうとでも言えるが

少なくとも86が人気なのは創作の影響だろう

近隣住民は、違法改造車騒音に悩まされ

峠では事故が多発


不良漫画が不良を産むとは言わんし、尾崎豊バイクを盗ませたとも思わんが

創作フィードバックされる事象絶対にある


児童ポルノ現実児童保護目的とした立法なので

現実児童に(被写体等としての)犠牲者は居ないというのは真であり

二次元フィクション児童ポルノにするなという主張も頷けるが

問題は、「児童性的に見る」という価値観の話だからハイ論破、という簡単な話ではない

二次元フィクション児童ポルノにするな」という主張は

少なくとも、現実世界の振る舞いとして、それが許される品行方正さが必要なんじゃないだろうか

ジョーカー映画普通社会であれば何の問題もない物だろう

(逆に言えばだれにも実感として刺さらない架空物語しかない)

ジョーカー問題になる社会というのは、相応の問題を抱えている

この現実への対応という視点抜きで、「とにもかくにもジョーカーという表現規制してはならぬ」となるのは

何か片手落ち

YesロリータNoタッチはいうが、実際に事件は多く起こっている


二次元フィクション児童ポルノにするな」という主張だけが先行するのは

社会合意形成しにくいだろうなと感じてしま

2024-08-01

クソ話

たまに思い出してものすごく申し訳なくなることがあって、今それが来ている。(今回はADHDのAさんの話を読んだのがきっかけ)

学年でものすごく浮いていた子がいた。

ADHDのAさんみたいな子だった。まじでそのもの

ゆっくり実況のモノマネをするAさんと同様に、その子は常に変わった言動をする。だから最初面白がって近づく人もいるけど、徐々に嫌われていく。

周りの状況含めその子はあのダイアリーに書かれていたAさんそのままみたいな感じだった。

そして私はそのAさん(仮)と仲が良かった。

Aさんは話をきいてくれたり、褒めてくれたり、手を振り返してくれた人に異常なまでに懐く。

そして、一度懐けばクラス替えがあっても朝一番相手クラスに行き、相手の席の真横に立って永遠と話し続けるのだ。

多分、Aさんにとって学年で一番仲がいい人物は私だったと思う。

でも特別なことは何もしてなくて、ただAさんの話を聞いたり、Aさんが見せてくれる創作物を褒めたり(Aさんはアニメが大好きでキャラの絵を描くのが趣味)、「朝ごはん食べた?」とか「今日髪の毛きれいだね」とか当たり障りのないことを言っていた。

それが高校2年〜3年生まで続く。

もちろん、毎日相手をしていたわけではない。あまり懐かれすぎてしまうと(この言い方もどうかと思うが)、色々と困ることが増えるから適度な距離をとっていた。

でもAさんは、私が友達と喋ってるとすごい勢いでどこからともなく現れて乱入して自分語り説教をする。そして勉強してるときもお構い無しにやってくるし、永遠と話続けるし、LINEも長文で毎日何件も何件も来る。

そんな感じだったか大学受験勉強が本格化し始める時期になると、他の人からAさんと縁を切るよう勧められる回数が爆増した。

友達は「受験とかもあるのに、あんなのにストーカーされるとあなたの身がもたないよ」とか心配して言ってくれる。

当時の私はかなりカスなアホだったので「受験」って言葉をきいて妙に納得してしまい、「それもそっか!勉強に集中できないのは嫌だし、みんな困ってるし、縁切ろ^^」とか思うようになった。本当に最低でバカ

それからすぐにLINEブロックしたし、Aさんが手を振っても見ないふりしたし、話しかけられても友達と走ってどっかに逃げた。

2ヶ月くらい経ったときAさんは泣きながら音楽先生相談していた。私は個別音楽先生に呼ばれ、何があったの?と質問されたが、適当に答えてそのまま終わった。

(Aさんは持ち前の粘着性と虚言癖のせいで教師から距離を置かれていた。だから非常勤の優しい女の先生けが話し相手だった)

そして色々あったがAさんとはめでたく距離ができて、何事もなく受験を迎え、無事私は浪人を決めて卒業した。

普通なら、別に親しくなかった人についても友達を経由して卒業後の近況や噂は耳に入ってくるのだが、Aさんの行方だけは誰も知らない

生きてるのか死んでるのかも誰も知らない。そのままAさんは私の記憶から無くなった。

数年が経って私は就職について考えるようになった。そして色々な場所で私は

「誰もがその人らしい生き方ができるようサポートしたい」

しんどい思いをしてる人に寄り添いたい」

とか考えてたし言ってた。

そんなときLINEブロックリスト何気なく開いたらAさんを見つけた。

当時は自分のことを聖人だと思っていたので、Aさんを見捨てた事実が蘇り、冷水をかけられたような強くビンタされたような衝撃があった。そんですごい自己嫌悪になった。アホカス

すぐブロック解除したけど、私がAさんを悲しませた事実は変わらないし、トーク履歴は消えてるし、そんな奴が今さら「久しぶり!元気?」とか送れるわけがない。

Aさんが私のことを思い出して連絡してくれたらすぐ返信するし、遊びに誘いたい。とか都合よく考えたりしてるけど、もちろんそんなことは無い。

Aさん今なにしてるのかな。

ちゃんご飯食べてるかな。変な男に依存してないかな。友だちいるかな。安心して話せる相手がいるといいな。アニメ見てんのかな。いまもあのキャラ好きなのかな。とか思いながら、アイコンとかステメに変化がないかたまにLINE検索している。

はいまも「人に寄り添う」とか「誰にでも手を差し伸べたい」とか相変わらず思ってるし、なるべくそうなるように努力しているけど、「でもお前、自分の都合でAさんのこと見捨てたじゃん」っていうのがすごく重くのしかかってくる。


これ一生背負うんだろうな。

2024-07-30

anond:20240723071821

行方正の字義理解できないバカと会話が成立するとは思えんな

自分低脳って今までの人生で気づけなかった?

低脳は喋るだけで迷惑から黙った方がいいよww

2024-07-23

anond:20240723130259

いやだからお前は

「作者に品行方正を求めるな」って主張じゃないの?

anond:20240723124226

作者に品行方正を求めるなって話と

実力あるから問題ないは別の話やろ。

anond:20240723123635

前提条件つぶさんでくれ

行方正じゃないやつは才能があろうが退場ってのが最初の話だから

お前の言ってることは俺のいいたいことに近い

anond:20240723123224

たぬかなが今どんだけ儲けてるのかしらんのかよ

たぬかなこそ品行方正を捨ててうまくやってるやつだろ

anond:20240723023616

何にでも品行方正を求める奴らこそ古いんだよ

そろそろアップデートしな?

若者に受けてる奴らが、品行方正と無縁の奴らだらけなの気づいてないの?

アップデートすんのはお前や。

anond:20240723023616

行方正じゃないものは煙たがられるだろ

昭和脳の高齢老害が無理して若者ぶらなくていいってw盗んだバイクで走ってる感じ?クソださ寒いw

anond:20240722233056

何にでも品行方正を求める奴らこそ古いんだよ

そろそろアップデートしな?

若者に受けてる奴らが、品行方正と無縁の奴らだらけなの気づいてないの?

2024-07-19

混んでる駅のエスカレーター

すっごいイラつく。


自分が出社に使う駅は平日朝、電車発着ホームから改札に上がるエスカレーターが2本立てになってる。

で、普通に横入りしてくる人がいる。図にすると以下。白が正しい列。黒が不正な人々。


                  進行方向↑ |   |    |   |

                                      |   |    |   |  ←これエスカレーター

                                      |   |    |   |  

                                      |   |    |   |  

                                      |   |    |   |  ●

                                      |   |    |   |  ●

  なんで並ばないの?→ ●  ○     ○  ● ←なんで別の列を作るの?

                                       ○     ○

                                       ○     ○  ● ←なんで割り込み用の列を作るの?

                                       ○     ○  ●

                                       ○     ○

                                       ○     ○


混んでる時間帯だと次の列車が到着し、降りてきた客が黒丸に合流してさらに訳分からないことになる。

記載省略してるけど、白列がかなり長い列になるので割り込もうとするんだと思う。


でも並ぶのが当然じゃない? なんで平然とそういうことするのかわからない。

その無神経さに苛立ちたくなくて、出社時間をずらすか在宅勤務したくなる。世の無秩序さが嫌になる。


図がずれてたら知らない。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん