はてなキーワード: 孤立とは
http://anond.hatelabo.jp/20140804000142
この奥さんが他人に思えなかった。
自分と重なるであろう部分が多く、自分をちょっと振り返ってみたくなったので、増田で長文を書くことにします。
本当に長文なので、そしてほとんどの人にとってはたいした中身もない文章なので、よほど暇じゃないなら読まないでください。まじで。
高校のころまではとにかく何もかも完璧でないと陰に陽に容赦なく責め立ててくる両親に抑圧されていて、友達もいなかったし、自分というものをまともに出したことがなかった。
大学に入って自由がきくようになり、部活動に熱中するようになった。
活動の内容そのものより、自分が組織に貢献できているという感覚がうれしかったのをよく覚えている。
部のために骨身を惜しまず動いた。
一方で、無責任で頭のネジのゆるみきった同期や先輩連中が許せなかった。
でも直接文句を言う度胸はなく、一人でストレスを抱え込んではときどきあさっての方向に爆発させていた。
周囲の自分に対する評価は「よく気がついて、頼んだことはきっちり完遂するし、フットワークも軽くて、まあとにかくまじめでできるやつなんだけど、怒らせると面倒だからとりあえず機嫌を取って上手に動かしておこう」といった感じだった。
いくつかの人間関係の軋轢を経験した結果、自分の中に周囲との円滑な調和を妨げる深刻な側面があることに気づいた。
周囲の人間は自分よりもっと情緒的なつながりを大切にしているし、いつでも何もかもに対して100パーセントで動いているわけでもなく力の入れどころをうまくコントロールしながら生きているし、自分みたいに極端な滅私奉公精神で動いているわけでもなく、みんな自分の将来を少しでもよくするために大学という巨大な器の中でそれぞれにもがいているのであり、部活に熱心でないからといってそいつが何事にもだらしなくいい加減な人間だというわけではない。
何より、自分だってよく考えてみると周囲にずいぶんと失礼な言動を多々やっているのだが、周囲は少なくとも、そんな自分を「こいつはこういう性格だから」と受け入れて、ひとつの個性として尊重してくれている。
周囲が自分の考えをわかってくれない、のではなかった。
周囲を受け容れていないのは自分のほうだった。
このことに、4年かかってやっと気づいた。
同期はみんないい人ばかりで、わたしはすぐに彼らのことが大好きになった。
大学時代に比べたら、だいぶ上手に人間関係が構築できるようになってきた。
としばらく思っていた。
しかし、入社して半年が過ぎるころから、わたしは同期の中で少しずつ浮き始めた。
ここの会社は毎年の恒例行事で地域のお祭りに新入社員が何か出し物をしないといけないのだが、その出し物の内容をみんなで決めるとき、わたしは暴走した。
わたしの、無難でかつ隙のない正論づくめの提案に、当初、誰も反論する人はいなかった。
入社式では新入社員代表であいさつをさせられたりして、上司からは同期のリーダーとして何事も率先して動くことを期待されていたのでその通りに動いたのだけど、実際は同期の中で発言力がある人間が他にいて、その人の案にみな本当は乗り気だったようだった。
わたしはそのことに、全く気付かなかった。
やがてみんなで日程を合わせて練習を始め、わたしは何の疑問も抱かずに場を仕切り続けた。
ある日、たまたま残業で遅くなることになった。連絡を入れ、1時間ほど遅れて練習場に行った。
その1時間で、出し物の内容がまるっきり変わっていた。
テーマも違う、使う道具も違う、とにかく根っこから変わっていた。
わたしは2ちゃんの顔文字みたいにポカーンとしばらく固まっていたが、そんなわたしを目にしながらも、誰も、何も言わず、淡々とその新しい内容の練習を続けていた。
それでやっと、自分ひとりが周囲の感情を置き去りにして暴走していたことを悟った。
同期のやり方は、正攻法ではないのかもしれない。だまし討ちに遭ったようでいささか傷ついたのは覚えている。
けれど問題はそんなことではない。
学生時代からの課題を、わたしはまったくクリアできていなかったのだと気づき、愕然とした。
周囲がこういう行動に出ざるを得ないほどに、わたしはコミュニケーションを成り立たせるのに難儀する人間だと見なされていたのだ。
そしてさらに救いようのないことに、それにわたし自身は気づいていなかったのだ。
ちなみにわたしがどうしたかというと、さすがに黙ってその練習に加わった。
「当初の予定とは違うね」とは、このときから今に至るまで、わたしも他の同期も、誰も言わなかった。
あたかも最初からそれをやる予定だったかのように、全員が振る舞った。
親身になって面倒を見てくれていた先輩たちが、わたしと少しずつ距離を置くようになった。
仕事を覚え始めて自立に向かい始めたということだと勝手に解釈していたが、これもそうではなかった。
上司がわたしのことを露骨に煙たがるようになり、保身のために仕方なく追従するようになっていたようだった。
周囲との調和が何より大切、そう理解していたはずなのに、周囲と自分との間に生じ始めた軋みをどうすることもできなかった。
わたしは2年持たずにその会社を辞めた。
「その会社と自分が合わなかっただけだ」と結論づけるのは簡単だ。
けれども、今思えばそこは決してブラックではなかったし、日本的な一体感を過剰に強いる雰囲気の会社でもなかった。
いろいろな不運が重なっただけなのかもしれない。
本当のところは、何が一番の原因なのかはわからない。
その上司が結構なろくでなしなのは事実で、下についた人間はもれなく会社を辞めていくので今はまったく別の部署の実権のないポジションに異動になったと聞いた。
けれど、上司に恵まれずとも、同期との行き違いがあったとしても、辞めることはなかったのではないか。
孤立無援ではなかったはずだ。味方になってくれる人もたくさんいたではないか。
そういう人たちとの関係を、わたしはやはり、大切にできていなかったのだと思う。
はてなーには、こういう情緒的なつながりを過度に重視するところが日本企業の問題点だと考える人もいるのだろうと思う。
しかし現実問題、わたしのように、海外に出ていけるほどのスキルも度胸もないクズには日本の会社しか勤め先がないのだから、適応するしか選択肢はないのだ。
と考える一方で、結局ここまでつらつらと書いてきたこれもすべて「努力がすべてを解決する」「努力しなかった自分が悪い」「もっと努力していればよかったはずだ」という努力至上主義と自己責任論に基づいた考え方で、やはりわたしはまだそこから抜け出すことができていないのかもしれない。
自分に対してそのように分不相応に高いハードルを課すことが、他者への理不尽な厳しさや冷たさにつながる。
当時の自分としては精いっぱい努力はしたつもりで、それでもこういう結果になったということはやはり、不運やタイミングの悪さも重なったということも要因に挙げてよいのかもしれない。わからないのだけれど。
新しい職場でも似たようなトラブルに遭遇した。ここでは悪質なセクハラを受け、加えて同棲していた彼氏がリストラされてネトゲ廃人になったりとか、外的な要因も重なってうつ病になった。半年何もせずにいた。
この、一社目の退職から二社目に就職、うつ病、という流れの中で、わたしは両親から何度も罵倒された。
と公衆の面前で怒鳴られたりした。
気持ちはわからなくはないが、社会人になり、家を離れてから我が家の異常さに気づき始めていた自分としては、ああ、この人達ならこんなこともそりゃ言うだろうなあ、と我ながら実に冷静に受け止めていた。
要するに彼らの中では、うつ病になったのも「努力不足」なのである。
自分の弱さと向き合う努力をしてこなかったという意味では確かに、やるべき努力を避けてきたと言える。
努力の方向が間違っていたのだ。
「どんなことでも努力で何とかなる」という思考停止状態に身をゆだね、客観的に自己とそのまわりの環境について観察し、思索することをしなかった。
しかし彼らの言う「努力」とはそういうことですらなく、単に「朝起きられないのは根性が足りない」とか「気合を入れればうつ病なんてどこかへ行く」とかそういうことだった。
朝起きられないのも、割れるような頭痛も、吐き気も、そしてあの思い出したくもない深い絶望感と不安感、全身の倦怠感、そういったものはすべて気合でどうにかせよ、とのお達しであった。
正常な判断力が下がっている中でも「これは大変だ」というのは理解し、実家に戻るようしつこく言われるのを頑なに拒み、投薬と認知療法でなんとか生活できる程度には戻った。
その後就いた仕事では、即戦力として早い段階で部下をつけられた。
この部下には本当に恵まれていたと思う。
また、うつ病から立ち直ったばかりなのもあり、自分でも同じ失敗を繰り返さないように、早まったことをしてしまわないように、よくよく考えながら慎重にことを進めたのもよかったのかもしれない。
わたしより年上の人もいたし、その人とは何度か本気でやりあったこともあったが、結果的に和解できた。
これは錯覚ではなく、本当にうちの担当の仕事はうまくいっていた。
そんで今、燃え尽きかけている。
こないだ、業績が認められたのかなんかしらんが配属が変わり、見事にダメ人間ばかりの部署を仕切ることになった。
平均年齢はわたしより一回りほど上だけど、まず電話が取れない、来客の応対ができない、マニュアルに沿わずに自己流でやろうとして当たり前のように失敗して尻拭いをこちらに頼ろうとする、などなど、胃痛で病院に通うことが増えた。
比較的まともそうなのから少しずつ教育して、なんとか電話応対と来客応対が全員できるようにはなった。
わたしの力量と言うより、人材に恵まれていたのだ。
当然、同じように教育しても彼らには必要なことが入っていかない。
丁寧に10教えて、ようやく1入る、という感じで、その1を大切にしてくれるのならそれで十分なのだけどこれがまた抜ける。
また10教える。1入ったと思ったら次の日には抜けている。
この繰り返しだ。
もうなんか、わからない。
今まで他人にきつくあたって、たくさんの人間関係を壊してきた。
この人たちも、厳しく叱れば明日にはもう来ないかもしれない。
でも、この人たちは厳しく言われないとわからないのじゃないだろうか。
いや、一度だけ言ったことがある。
マニュアルに従わない人に対して
「それでうまくいくなら別にいいのだけど現にこれこれこうして失敗しているのだから改めてください」
という内容のことを言った。
彼女の返答は
「今まではこれでうまくいっていたんです」
だった。
その
「うまくいっている」
というのがあくまで社内的に一見すると波風立てずにすんでいるけれども対外的にはクレームの遠因になっていることで、つまりそれは実は
「うまくいっていない」
それで十分だと思う。
彼女も、今までのやり方を否定されていい気持ちはしないはずだ。
それでもまずは基本に忠実に動いてもらえるようになっただけでありがたいと思うし、そのほうがこちらも上司としてずっと安心できる。
わたしには、奥さんの気持ちがわかるような気がする。
こんなに頭も悪く仕事もできない(さらに言うなら、自分より年上の)人間が、のうのうと生活していることが、妬ましくて仕方ないのだ。
わたしの場合、年下なら、まだ許せる。
年上で自分よりできない人間、というのが、どうしたって、許せないのだ。
奥さんの部署の人たちがどんな人たちなのかは知らない。
うちよりはマシなのかもしれないし、もっとひどいのかもしれないし、それはわからないけど。
「目の前の人が自分に見せている姿でその人のすべてを判断すべきではない」と思う。
「仕事ができないからと言って、その人を全否定してはいけない」とも思う。
でも、あんなに痛い思いをしてきたのに、わたしはまだ、それらをやめることができない。
学生のころも、社会人になってからも、「役割」がどれだけ果たせているか。
それがわたしの自己評価だった。
「役割」を一心不乱に果たせている人はすごいと思うし、わたしもそのようになりたいと感じてきた。
そしてプライベートでも、わたしは「娘」「姉」「彼女」という「役割」に依存してきた。
自分が自分でいられているというアイデンティティ?自己同一感?とかいうやつが、内面に乏しい。
今付き合っている彼氏は愛すべきバカで、わたしは彼のバカなところを愛しつつも同時に強く軽蔑していることをもはや自分の中で無視できなくなってしまっている。
彼とは結婚の話が少しずつではあるが進んでいて、でも彼はバカゆえに職が不安定で収入が少ないということを自分で気に病んでいて、わたしは自分の食い扶持ぐらいは自分で稼げているから、いざとなったらなんとか助け合いながらやればいいじゃない、と話していたのだが、今日みたいに生理前で神経過敏になっていてしかもこんな身につまされるエントリを読んでしまったものだから、もう今の頭の中は「どうやって別れるべきか」ということばかりである。
叩かれるのはわかっている。こんな偏った価値観で他人を判断するなど何様だ、という話だ。わかっているのだ。その不毛さは誰よりわたし自身が一番よくわかっているのに、まだわたしはそこから逃れられないのだ。彼を軽蔑する自分が大嫌いだ。こんな人間と一緒になれば、彼はきっと不幸になる。そして、子どもが生まれたなら、まあ間違いなくわたしはわたしの両親がわたしにしたことと同じことをするだろうと思う。「あんな親にはならない」と決意するのは簡単だ。それで変われるなら、世の中の虐待のほとんどはなくなっているはずだ。わたしは彼や子どもに「役割」を強いるだろう。今だって、そうなりそうになるのを必死に抑えているのだから。彼に求めすぎてはいけない。適度な甘えは大切だと思うが、その加減もわたしにはわからない。あくまで事務的に淡々と接するか、べったり依存しまくるか、放っておくとわたしはどちらかになってしまう。
やはりこんな人間は異性と付き合うべきじゃないんだろうな、と書きながら改めて思った。
少なくとも子どもは産むべきではない。
今日帰ったら、彼に話そう。
なんとなく迷っていたことに決心がついた。
実家暮らしなので、親に用事で家に来た人が、フレンドリーに話しかけてきて、仕方なく応えてたら少しずつ仲良くなったという感じかな
それでちょっとした飲み会みたいなのに誘われたので行ってみたら孤立したみたいな
誘ってくれた人も、ちょこちょこ気にして声をかけてくれたりしたけど、結局最後まで輪に入れなかったという感じかな
周りも察しつつ声かけづらいみたいな感じだったように思う
ちなみに、その知り合いはちょっと年上だが自分と歳はわりと近い
最近の閉塞した人生を少しでも変えようと街コン参加を決意して、色々と調べたら大変面白いイベントへ参加出来たのでメモがてらレポを残しておく。ちなみに筆者は男です。
09:00 小田原集合
15:15 九頭竜神社参拝
朝から夕方まで分刻みの忙しいスケジュールだが、箱根パワースポットバスツアーの名に相応しい要素を抑えていると思う。
参加費は、男性\16,800、女性\9,800と、中々にツボを突いた値段設定と思う。
集合場所は小田原駅。箱根湯本で無いのは個人的に残念なものの、新幹線の駅もあるしロータリーも広く妥当な所だろう。
バスの前に行くと受付で名前を告げてバスの座席順決めのための最初のクジ引き(マッチング①)。バス座席は左右2列ずつの普通の観光バスで、窓際女性、通路側男性となるよう番号で決められていた。覚悟していたとは言え、狭い空間で初顔合わせの男女で二人きりという状況は、中々のスキルが要求される。さっそく仲良く話始めるペアもあれば、気まずそうな沈黙に包まれるペアもある。もう戦いは始まっているという事だ。15分ほどでひと通り集合・出発。
バスは箱根の山道を左右に揺らしながらガンガン進む。出発時に参加人数が40弱である事が発表された。(しかし、驚愕の発表として、うち男二人が集合場所を新宿と勘違いして集合出来なくなるハプニングも…。ちなみにこの二人は頑張って昼食から合流してました)
道中最初の自己紹介タイム。全員にプロフィールシート表が配られていたが、これがわかりづらい!A4の厚紙に合計12箇所の記入欄があり、それぞれに名前や仕事・趣味といったことを書く欄があるシートとなっていた。はじめは全てに頑張って記入し、切り取って相手に渡していくのかと思ったが、実はこのシートをそのまま異性に渡して、その異性にプロフィールを書いてもらうという仕様となっていた。つまり、ツアー終了時には12人分の異性のプロフィールが自分の手元に一つのシートとして残るわけだ。ともかく一人目のお相手に書いてプロフィールを書いてもらって、それをネタに雑談を進めていく。その他にはジャンケン大会などを行いながらほどなくガラスの森へ到着した。
バス内で事前に8チームになるようクジ引き(マッチング②)を行って、4~6人ずつでガラスの森へ。夏休み突入直後ともあって館内は子供連れも多く気恥ずかしい。しかし大変天気も良く、美しいガラス細工を見ながら館内を鑑賞。途中、グラスハーブなどによる生演奏が開催され、柔らかくも美しい音色に聞き入る。実に良い経験をさせてもらった。散策時間は約1時間ほどだったが、ゆっくり見てまわるには少なすぎる。チームの互いの紹介もままならない状態でバスに帰還となった。バスに戻る際に再び座席決めのクジ引き(マッチング③)で先ほどとは別の異性と相席する。プロフィールを交換しながら雑談しているうちに次のザ・プリンス箱根へ程なく到着した。
ガラスの森と同じく、バス内で事前に8チームになるようクジ引き(マッチング④)を行って、ザ・プリンス箱根のパーティー会場「相模」で昼食。食事はビュッフェ形式で、ビーフシチューやパスタ、ピザ、ドリア、サラダ、スープ、カレーなどなど、種類は豊富。食事の量も人数分しっかり確保してあり、後半メンバが足りなくなるような事はなかった。ただ、全体的に味付けが濃く、夜のお酒を片手に行うパーティー向けなのは少々残念。飲み物はソフトドリンクとしてオレンジジュースや烏龍茶が用意されていた他、アルコールはビール、ワイン、焼酎とこちらもホテルのパーティーらしい品揃え。全体的には過不足ないが面白みも無いメニューだった。ただし、ピンクカレー。テメーはダメだ。食事中にツアーの目玉の一つである専門の占い師による無料恋占いの整理券配布が行われる。先着順ともあり、女性の皆様は一斉に整理券ゲットに走っていた。すぐに順番に呼び出しがかかり、個別ブースでタロット占いを行ってもらっていた。一人5分弱?くらいと思われる。食事は20分ほどで終了。ちなみに途中で新宿野郎たちも合流していた。ホントに来たよ。ある意味尊敬する。
食事もそこそこに、マッチングタイム開始のアナウンス。ちなみにこの間も占い呼び出しは続行中。まずは女性がクジ引き(マッチング⑤)で席替え。食事の時とは違うメンバでマッチングタイム開始。円卓のテーブル内で男女4~6人の円テーブルを囲みながら1回7分ほどのコミュニケーションを取っていく。ただ、例のプロフィールシートを書くのに忙しく、大半の時間が記入に消えてしまう。書き終わっていざ話を盛り上げようとしても、あっという間に時間終了で、ろくに会話が出来ないのは残念すぎる。時間経過後は、男性のみテーブル移動。クジでは無く、男性の自由意思でテーブル選びを行う。熾烈な争いの場だ。途中休憩をはさみつつ、合計4回の移動(マッチング⑥~⑨)でコミュニケーションを取っていく。正直後半はダレて来てプロフィールシートを埋める作業になりつつあり、顔と名前が一致しなくなる。ある意味、ココでどれだけ集中力を持続させ、最大のパフォーマンスを発揮するかが求められるだろう。
戦いの余韻を残しながら、アンケート記入タイムへ。Webに掲載されていた前回開催時の率直なアンケート結果を事前に見ていたこともあり、割と辛辣な事も書きつつ良い機会を用意してくれた事に感謝を表明しておく。
その後はお楽しみ抽選会で、箱根の温泉入浴券や箱根園水族館チケット、さらには\30,000相当の箱根宿泊券など、開催規模から考えたら中々の商品が当たるジャンケン抽選会。箱根観光協会の本気と実力が窺い知れる内容だった。
そして時間は運命のカップリング発表へ。カップリング決めには、各人に配布された希望シートへ第3候補までの異性の名前を記入し、お互いがマッチすれば晴れてカップリング成立となる。今回は合計8ペアのカップリングが成立となった。参加人数が40人弱であるため、成立率は約40%となる。街コンとしては驚異の成立率だろう。ココが一番の盛り上がるシーンのはずだが、人間は素直なもので発表が進むにつれ場の空気は大変重くなっていく。最初のペアが発表された時は気軽に拍手の祝福があったが、最後のペア発表時は本当に悲しいくらい弱々しい拍手だった。今日一日の戦果が決した瞬間である。
見事カップリング成立した8組が先行しつつ、徒歩で九頭龍神社参拝へ。片道30分ほどの距離。カップリング成立したペアはお互いの親睦を深めつつ長い道のりをゆっくり進む。逆にカップリング成立しなかったメンバはフリー移動で続いて神社へ。ココでさらに声をかけて仲良くなる人もいたようだが、やはりカップリング不成立の壁は大きい。中には孤立する人も抱えながらゆっくり神社へ歩を進めていく。午前中の快晴と打って変わって深い霧に包まれた芦ノ湖を見ながら程なく神社へ到着し、順番に参拝を済ませていく。途中、白装束に身を包んだガチの参拝者もいらっしゃっており、無作法な人間が多く参拝していた事が少し申し訳ない気になった。道中は特にマッチングのイベント等は無く、カップリング成立者と非成立者で明確に天国と地獄が別れた時間だったと思う。
ホテルへ戻った後は30分余りの休憩、おみやげタイム。気の合う人たちはラウンジでお茶を楽しんだりしていた。また、主催者はバルコニーに出てアンケート結果らしきものを眺めながら一日の反省会をしていたようだ。
帰還のバスも自由着席でカップル同士や同姓同士、ボッチなど様々なスタイルを反映しながらの道程で、一日の戦果を客観的に教えてくれるものだった。小田原到着後の解散もあっさりしたもので、2次会らしきものに行くメンバも見当たらないまま流れ解散となった。
批判的な所も書いたが、率直な感想としてツアー代金以上の価値があると思う。ある程度運も要求されるが、前半のバス搭乗~食事までは異性と強制的にゆっくりと話す時間が設けられており、ココで気の合う異性を見つけられた人がカップル成立となっていったのだと思う。特にガラスの森は女性受け抜群で、適当に会話をあわせるだけでコミュニケーションをとれるので口下手な人でもネタには困らないだろう。逆にマッチングタイムの忙しさが際立ってしまったのは残念で、正直自分はココで会話した異性の印象はほとんど無い。1日で最大多数のマッチングを取るためには致し方ないが、もったいない気がしてならない。
参加者の質としては、男女ともに2割くらいがハイスペックだったと思う。容姿だけで無く、年齢や仕事など総合力に優れる人はやはりカップリング成立となっていた。自然の摂理とは言え自分が鋭く評価されるものであるため、結果をどのように受け止めるかが今後にも繋がってくると思う。カップリング不成立だった人は不満タラタラだと思うが、今日1日で同姓のドコが評価されていたかを観察できたのでは無いだろうか。今日の結果を踏まえて改善出来なければ今後には繋がらないという残酷なまでのメッセージをだと思う。
逆にカップリング成立した人たちに対する九頭龍神社参拝は、一日の熾烈な戦いに勝利したご褒美だろう。都合2時間弱の時間を強制的にペアを組んで行動するため、コミュニケーションを深めるにはうってつけだ。神社のご利益も相まって、主催者の狙い通りの展開となっていた。
主催者側については、箱根観光協会ならではの趣向で楽しませてもらったと思う。ただ、全体的に手作り・手探り感が拭えず、進行もわかりずらい点が多々あった。今後に期待。
主に男性視点。まず身だしなみは大変重要と再認識。だらしないシャツ着てるヤツは論外。目立つだけの服装もNG。コミュ力はどうしても要求される。主催者側はマッチングやプロフィールシートできっかけ作りに腐心してくれているが、結局はそこから会話に繋げられるかは参加者自身の問題だ。会話が続かなかったり、トンチンカンな受け答えしている限りカップリング成立は夢のまた夢。イケメンがカワイイ子をゲットしていくのは当たり前と了解した上で、いかに自分の土俵で勝負するかが問われるということだろう。ただ、参加者の質は本当にピンキリなので、最上でなくとも中の上を意識して目指せば、カップリング成立はそれほど難しく無いのでは無いだろうか。
あと女性側へ。30後半は正直厳しい。ともかく、男女問わず空気嫁。
理由は、まあ年を取ったという事なんだと思う。
一人でアニメ見てゲームして趣味に没頭して美味しい物食べて、安定している人生だと思う。さほどストレスも受けていない。
でも何というか、虚しいというか。
今ストレスが無いのは人付き合いを放棄したというか、他人と距離を置いているからなんだけど、
本当は皆と仲良くしたいのに、集団の中にいるとどうしても自分を攻撃してくる人と遭遇してしまい、自分を応援してくれる人も特に居ないので孤立してる感が半端なく、攻撃に耐えられず離脱してしまったんだよね。
自分を悪く罵る人と仲良くしつつ、自分とも仲良くする人を信用できなかったというのもある。こいつにこやかに話しかけて来るけど裏で悪口言ってんだろう?的な。
あと、表面的な付き合いだけでちっとも仲良くなれなかった。一言でいうとコミュ力が無かった。面白みのない、つまらない人間なんだ。
でもその、相手の言動を深読みして、「それは拒絶なんだろう?」「本心ではこちらを嫌ってるんだろ?」「利用しようと近づいてるだけだろ?」
こんなこと考えながら接する人が、仲良くしてもらえるわけ無いじゃん。
こうやって読むとそう思うでしょ、でも実際に自分が遭遇すると、相手のちょっとした仕草で「嫌われてる」「これは拒絶だ」と無条件で思い込んで勝手に傷ついてる人、多いと思うよ。
もちろん拒絶のサインに気付くのは大切だし気がつかないのはKYなだけ。
でも少なくとも自分は必要以上にガードを硬くしてる臆病者で、断られないように、嫌われないようにと一生懸命だった。
多分自分を嫌っている人を許す勇気が無いからだ。嫌ってもいいよ。と言えないから。
元々怒りっぽい性格でもあるし、嫌われたら「こちらを嫌うなんて嫌なやつ!嫌い」とすぐに心の中で応戦していた。
でも年のせいか、それも疲れてしまった。
若い頃はそれでも「いつか分かり合える人が」とかアホなこと考えてたけど、そんな人居ないだろう。というか自分は絶対的な味方を手に入れて、その人に依存したかったのかもしれない。
で、信仰ですよ。
神頼み、占い、おまじない…宗教を信じていない人でもこれらを信じる人はかなり多いと思う。
何が嫌いかって、ただ神に祈るだけ、他人の言うことを聞くだけで何か叶うと思ってるところね。
人生の選択肢を他人に委ねて、委ねられたほうは従わなければ罰だ地獄だと脅しをかけて支配する。これもう最悪。
本当は、いっそ正式に入信してみようかとも思った。
でも調べてみると色々問題があったり、どの神様も愛と平和を解いてるはずなのに内部抗争があったりとちょっと怖い。おまけに自分が敬虔な教徒になれる自信もない。なので家で勝手に学ぶ事にした。在宅信仰。
やってることは名言botを毎日見てそれに感銘を受けることと何ら変わりないと思う。
嫁の言葉に萌えて毎日元気を貰ってたらそれも立派な信仰なんじゃないかと思うの。
あと、結局他人で叶えられなかった事(=自分をわかってくれる人が欲しい)を別の何かに置き換えただけで、果たしてそれで良いのかという疑問は今でもあるわけなんだけど
実在の他人に期待するより、架空の何かに期待したほうがマシかな。と思う事にしている。
とりあえず宗教本って、昔から人が苦しんで悟った事が色々書かれてて、最古かつ最大の自己啓発本だっていうのが今のところの感想かな。
(http://anond.hatelabo.jp/20140712205205 の続き)
球場のバイトを辞めた俺は、同じ球場が経営しているレストランでホールとしてバイトすることになった。
要は、注文を取ったり、配膳したり、食べ終わった食器を片付けたり、洗い物したり。
カクテルも作ったりビールも注いだり、デザートも作ったりする。
「バイト別のところへ替えてくれます?同じ部署だからできますよね?」というわけのわからないことを言っていた。
多分、同じ学校でサークルを移り変えるみたいなもんだと思ってたのだろう。
これがもしも会社員であればぶん殴られる。俺でも殴る。
いくら世間知らずの大学1年生とはいえ、今思い出して死にたくなった。
「ぜひうちに来てくれ」とのことで第二のバイト人生がスタートした。
そのレストランは料金が総じて高く、それで質もいい。
デートスポットにも最適だろう。
首になってなければ。
この環(わ)の中に上手く入り込んでいき、リア充の仲間入りをし、
その帰りになんか気になる女の子と一緒にいちゃって、セックスとかいうのをしちゃうんだ、
とかいうことを本気で考えていた。
入った俺はそれが無理であることを1週間で悟った。
結論としては結局円環の理に導かれた。
飲み会に言った時
バイト「えー俺もアニメオタクだよ!ワンピースとか好きだわー」
俺「そうなんですか。らき☆すたとかARIAとかハルヒとか絶望先生とか狼と香辛料とか……」
バイト「いやー俺どれも知らないなー」
俺(あっもうだめだ)
タバコが苦手でバイトの休憩室がタバコの煙で充満してたので休憩中は1人で外に避難してた俺は即座に孤立した。
ちなみに同じバイト先で気になる女性がいたが、話しかけて2、3週間後には公然と嫌いだと言われるようになった。
あと、他の女性スタッフ(目元がタイプ)に気持ち悪いと言われるようになったが
ドMなので言われると内心喜んでしまっていた。もちろん余計孤立した。
1人〜4人ぐらいまで座れるような、広々とした店内に並んだ座席と、
ある初夏のお昼。オーダーでカルボナーラが来ていた。
そして3段目でつまずく増田。
転ぶ。
行き着き先は……2段目。
2段目で週末のデートに花を咲かせてパスタランチを食べるカップル。
そのテーブルの上に……ッッバアーーーーーーーンッッッッッ!!!!!!
落ちてくるカルボナーラ。
飛び散るソース。
炸裂するパスタ皿。
「お怪我はございませんか!?」異変を察知してひたすら平謝りする店長。
手が震える俺。
結局、被害を受けた客には幸いにも怪我も無く、温厚だった。
店長は
「次は気をつけてね。同じような過ちは繰り返しちゃダメだよ。不安定な場所だから」と軽く忠告する程度だった。すごい人だ…。
……ちなみに同じような大事故を1週間後にまたやった。
2回目。
ショータイム的な時間の時、スタッフがステージに上がって踊る。
俺踏み外す。
踏み外して天井のケーブルとか飾りを引っこ抜いたり切ったりする。
飛び散るカルボナーラ。
潰れるハンバーグ。
飛んで行くビールジョッキ。
「お怪我はありませんか!?」異変を察知してイベント中にもかかわらずひたすら平謝りする店長。
手が震える俺。
結局、被害を受けた客には幸いにも怪我も無く、温厚だった。
店長は
「不安定な場所では気をつけろって言ったろ。次同じようなことがあったら首にするよ。気をつけてね」と穏やかに言っていた。
鉄の心臓だ。すごい人だ。
でも
「今まで俺はこの仕事を長年続けてきたが、お前ほど使えない奴は見たこと無い」とは言われた。俺も同感です。
「まあ出勤するまでには酔いもさめるっしょ!」と泥酔して出勤してめちゃくちゃ怒られたこともあった。休めばよかった。
その後、辞めようかな〜でも時給1000円だしな〜とか思いながらなんとなくバイトを続けていた。
お酒は一切飲まないのでカクテルの種類なんざわからない、カシスオレンジとカシスウーロンが似た種類のものである事すらわからなかった。
デザートを作っても形が崩れていてお客さんに文句を言われる。
人間関係も相変わらず孤立はしていたし、気持ち悪いと言っていたあの人も俺を無視するようになった。
挙句、出勤すると
「あれ、増田くんまだ居たの?」と言われるまでにはなった。成長したなあ。
そんな俺もついに解雇される時が来た。
ある日、閉店間際の店舗。
最後の注文がハンバーガーで、キッチンは最後のオーダーを終えると片付けに入り、
手が開いていた俺はハンバーガーを持ってお客さんのところへ向かった。
お客さんの目の前に来た瞬間……俺はまたもつまづいた。今度は自分の足で。
飛んで行くハンバーガー。
散乱するポテト。
お客さんにべったりくっついたビーフパティ。
落ちるお皿。
「お怪我はありませんか!?」異変を察知してひたすら平謝りする店長。
手が震え狼狽する俺。
「うわあああああああもうじわけありまぜんうああああああ」
俺は何を思ったのか落ちたハンバーガーを拾って修復して戻そうとする。
もちろん素手なので熱い。ポテトもビーフパティだって熱い。できたてだ。
「うああああああああもうじわけありませんうあああああ」
「あつッ」
掴んだビーフパティを熱くて手を離し、更にそのビーフパティは再度お客さんのワイシャツへ付いた。
異変を聞いたキッチンはキレて、再度途中までしていた片付けを元に戻し、キッチンに火が入る。
大急ぎでハンバーガーが作られる。
「もう、お前は今日今度からノートを用意して、今度からその日怒られたことを全てメモしろ。それを毎日俺に見せろ」
まるで小学生みたいだな、と思った。
ちなみにノート云々を言っていた社員は、トラブル時にお客さんを放置していたとして減給処分となった。
うわー申し訳ない。
経過を綴る
・やめる前1年半くらいから、やる気の起きない状態 1ヶ月前からは不眠の症状がでる
・退職後 掲示板で有名なNメンタルに通う デパスを服用 失業手当の中で本格的な通院を開始
・以前より仕事ができない原因を発達障害と疑い、その特徴を自分と照らし合わせ、一致が多かったため、クリニックで、ADHDの疑いを診察時に相談。
・即、ADHD診断が出て、ストラテラを服用 同時にカウンセリング開始 検査はしないのか?
・カウンセリングではリワークを勧められる 自立支援制度の利用を勧められる 就活に影響が出る可能性を考え懸念したが、いままででそういう人はいないということで、利用開始
・掲示板でADHDの検査について知る、カウンセリングの中で話を聞くとやっと検査をすると 1枚のシートを渡され記入
・後日やはりADHDと言われるが、どの部分で判断したのかは明言せず
・うつ症状の改善のため、お金的に厳しいのであれば、週2回でもリワークに通うよう強く勧められるようになる
・週2回通うようになると、スポーツなど他の曜日にも出るよう勧められる
・通院し、自習室で自分に必要なスキル、勉強をするようにも勧められる 利用するだけでリワークと同じ値段がとられるので、固辞
・カウンセリングを中止される
・他の病院でWAIS-3,ロールシャッハ、PFスタディを受ける。発達障害と診断
・その結果を他院でも見せて、やはり発達障害と診断 信頼できる文章を書いている先生だったので、ここで様子を見てみようと思う
いまここ
○まとめ
最初のクリニックについて、検査もせずにADHDと診断書まで書く病院を信用できず、検査をしないのか再三問うたが、WAISの一言も出てこなかった。
にもかかわらずリワークに出ろとカウンリングの度に勧誘する。カウンセリングはリワークへの出席勧誘の手段であったと途中で気づいたが、他の訓練的なものもあったため、
そのことはおいといて、リワークは言われる最低限の出席をしたが、勧誘され続ける。それをかたくなに拒んだ結果、カウンセリングの打ち切りを言い渡される
いくつかの病院に通って思ったのが、
・処方箋を書かないような診断は明らかに嫌な顔をされる 非常に対応も悪くなる どこの病院もそう
・発達障害、鬱病などは病院に通い続ける人が多いため、そう診断されやすいし、金づると思われ、デイケア・リワークへの出席が強く勧められる
通わない 他の病院で通っているとわかると、付け入る余地がないと判断し、対応が悪くなる
(脱線だけど、よく行くラーメンやも通う回数が多いとよく声をかけてくれる。商売だからいいと思うけど、病院で商売的なのはどうなのか)
・果たしてデイケア 診察に通って ADHDは改善されるのか 自分なりに気づいて習慣を治してということをやるには限界がある カウンセリングでもめんどくさがられた
以上の経緯から今何をするべきか コーチとして信頼できるカウンセラー 医師が居ない状態
元々疑り深い正確なのもあるので、信頼しないので信頼されない 関係が作れないという構図ができてしまっているため、誰とも仲良くなれない現実がある
この特徴のせいで上記の状態が出来上がってるのかもしれない
誰かに嫌われたとしても、この人だけは何があっても自分を好いていてくれる、っていう存在が居るとそれだけで立ち直れるよな。
それは親だったり友達だったりパートナーだったりするんだけど。そういう人がいると嫌われるかもしれないギリギリのアプローチもできる。
逆に言えばそれがいない人ってどんどん性格が内向きに歪んでいく。その歪みによってまた嫌われたりするもんだからさらに歪んでいく。この負の連鎖を止めてくれる存在が居ないからもう歯止めが効かない。
学校や社内で孤立したり結局引きこもりになるのもこういう人達なのかな。存在を全肯定してくれる人がいないし、作れない。なので他人を全肯定する事も無い。
利己的で他罰的で完璧主義なのに受け身なので常に人を疲弊させる。こういう人が親だったり教師だったりするとホントに疲れる。
昔よくいたよな、凄くヒステリックで罰を与えたがる独身女教師。結婚して子供が出来ると途端に性格が温和に豹変して生徒に謝ったりもするんだけど。
例えば、簡単な生活のコツみたいなのがある。
「お肉を切る時は押し引きしないで、どちらかの方向だけに力を込めるといい」
「水彩絵の具は薄い色から塗り始めるといい」
…とかそういうやつ。
そういうのを「コツ」として個別の知識で覚える場合、そのコツの「使い方」を知っている状態になる。
これが単体としての「知識」。
で、それらのコツがなぜそのように作用するのか、きちんと理由ってもんがある。
物理的な力がどう働くのか、なぜ色を塗る順番があるのか、それぞれに物理法則だとかそういうのが働いているわけだ。
そこを理解するとワインの栓だけでなく、同じ理屈が働くものに対して同じコツが適用できるっていうことに気がつく。
物理的な知識だけじゃなくて、例えば絵画や音楽、文学などでも「その表現がどういう理由から来ているか」「そしてこの表現はその理由を作品の中に含むことで何を目指しているのか」っていうのを掴むとものすごく面白く思えてくるケースが多々あって、そういう楽しみ方を体得している人は「教養のある人」だなぁと私は思うよ。
ただの好き嫌いの話で、長い思い出話。
思い出話で恥ずかしいから、特定されないように細かいことをごまかして書いた。
長えよ、と言われる前にまとめると
「ただの長い思い出話で、宗教が原因で好きな景色が無くなったから、俺はこの宗教が嫌い。」
というだけの話だ。具体的な宗教名は書かない。
六月になると亡くなった祖父を思い出す。祖父が亡くなったのはずっと前の年の瀬、来年は会えないかもと入院中に見舞ったのが最後になる。
田舎に住んでいた。両親は同じ地域で出会い結婚したので、母方の実家もチャリンコで必死に行けばたどり着く距離だった。車では20分くらいか。
思い出す祖父というのは母方の祖父。母はパートがあったので、小さい頃は週の半分以上、学校から帰ると姉と一緒に預けられていた。
その頃は祖父との思い出はあまりない。働き者だったので、俺と姉が預けられるとすれ違いで仕事に行ってしまう。あとから聞けば介護施設のボランティアみたいなことをしていたらしい。祖父が出勤前、早めの夕食をとる食卓で、俺と姉が一緒に座って、その日の出来事を喋ったりしていた。たまに仕事のない日には、ご機嫌、というかんじでビールを飲んでいた。この家は小さな商店だったので、好きなジュースを選んで良いぞと言われて、俺たちは普段の食事時には飲めないジュースを喜んで飲んでいた。
もちろん遊んでくれた記憶もある。夏休みはクラスでただ一人乗れていなかった自転車の特訓に付き合ってくれた。川で泳いだりとか。姉ちゃんと喧嘩して両成敗でゲンコツとか。
母方の実家、小さな商店をやっている、ややこしいのでA家としよう。
A家に頻繁に預けられたのは小学生の頃で、中学高校と成長するとそういうのは無くなった。
頻繁に預けられたA家は、よくある、たまに帰省するじいちゃんばあちゃんち、になっていった。
祖父はある病気になった。不調を誤魔化しごまかし過ごしていたのが、発覚したというか。A家の家の中は帰省するたび介護向けに変わっていった。母の兄弟、俺の叔父の趣味が日曜大工だったので、楽しい変化だと思ってた。(おっちゃんスゲー!階段つけ直したの?!みたいなかんじだった)
手すりが付く。急な階段は段数が増える。トイレが洋式になる。手すりが増える。掘りごたつからテーブルになる。布団がベッドになる。自動で昇降するベッドに変わる。喋れなくなったのでナースコールのボタンが付けられる。指先で押せなくなったから顔の横にボタン。
じいちゃんはどんどん悪くなる。ばあちゃんのやっている介護は、自宅介護でそんなことするんだ、というくらいプロみたいな作業までこなしていく。詳細は省くけど、いま思い返すとあんなことを無給で、かつ無休でやっていたのは驚く。もちろん医者やヘルパーさんが来てはいたけれど。
中学の後半くらいから、俺はデジカメを触るようになって、ホームページを作って風景や花の写真を載せていた。季節ごとにA家に顔を見せる程度の帰省をしていたので、A家の裏の田んぼだとか、家の軒先にあるバラだとか、そういう写真を撮った。本当にきれいだった。通り雨のあとの、雫が付いた葉っぱとか。俺には写真の才能があるんじゃねーのかと、進路相談の時、ニヤニヤを隠しながら担任に見せたら、景色やバラを褒めるので、あ、俺じゃなくて被写体がよく出来てるんだな、と気付けた。(担任も良い趣味だね、とだけ言う程度のレベル)
それでも見せれば褒めてくれる祖母にプリントアウトして渡した。次に帰省すると写真立てに入れてあって、寝たきりの祖父が見るテレビ台の横に飾られていた。
正直に言うと、帰省してもすることが何もない田舎の家で、あんなに元気だった祖父が寝たきりの様子を見ていたくなかったから、理由をつけて外を散策するために写真撮影を趣味だとしたんだった。そんな写真を、飾っている。申し訳なく思った。
大学に進学して実家を出た。一年に一度か二度、実家に帰省するついでにA家にも顔を出す。時々A家ではなく病院だった。
大学二年の頃だったか、帰省するとバラがなくなっていた。A家は小さな商店かつ小さな農家でもあったが、家の裏手、裏庭のようなスペースはすっきりとなにも無いような、更地というほどじゃないけど、なにも、なかった。
母に尋ねると、手入れがねぇ、みたいな答えで濁す。そりゃあ、あんなに大変な介護だ。仕方ない。でもどうしても寂しい。友達が知らぬ間に引っ越していた、という感覚が近いかもしれない。A家の周りががらんとして、入院しているため家の中もがらんとしていた。窓の外から見える裏庭みたいな農地の緑がない。小さなぶどう園は支えの柵だけになっていた。姉は俺よりは多く帰省していて、草花を刈った話は聞いていたらしいが、目の当たりにしたのは初めてらしく、ショックを受けていた。というかちょっと泣いていた。俺よりずっと思い入れがあったらしい。その時まで知らなかったが、初孫である姉が生まれた年に植えた木があって、その木までも全部なくなっていたのだ。
それから数年も経たないうちに、祖父が亡くなった。小学生の時、きげんよく晩酌していた祖父に○○ちゃんが大きくなったらこれを飲もうなと言われた。俺は本当に未成年のうちに酒を飲んだりしなかった。でも成人したところで、祖父は寝たきりだったし、普通の食べ物すら食べられない状態だった。
葬式が終わって、A家から実家へ帰った。親戚が父と俺と姉を車で送ってくれた。母はA家に留まった。父は禁煙していた煙草を吸いながら、運転手をしてくれた親戚のおばちゃんとコーヒーを飲みながらぽつりぽつり喋っている。姉はその輪の脇で黙って座っている。俺はすぐにでもスーツを脱ぎたかったが、とりあえずその部屋からは出ないでおいた。葬儀のあとの食事?宴会?で、これでもかと酒を飲んだので、半分寝ながら部屋の隅にいた。従兄弟が下戸で、その分まで飲んでたからほんとフラフラになりつつも、みんなまだ着替えないから着替えちゃ駄目とかそういう決まりがあんのかなと寝そうになりながら携帯をいじる。
変な葬式だねとか、やっぱり○○だねとか、そういう話から、姉も会話に加わる。
「たぶんね、そういう仕組みはよく知らない」
「○○の木を切れって言ったのあいつなんだ」
なにそれ。俺は隅っこで携帯をいじってたけど、思わず声になった。
祖父が寝たきりになってから数年して、仏壇の雰囲気が変わった。その頃俺は中学とか高校くらいのガキなんでよく分かってなかった。いまでも詳しくは知りたくない。
有名な、ある宗教だ。この長い思い出ばなしはこの宗教が嫌いだと言うだけの長話だ。たんに俺の好悪の話なので、具体的な名称は伏せる。
経緯は分からないし知りたくないが、浄土真宗だとかのいわゆるよくある宗教から、その宗教に変わったそうだ。祖父が寝たきりになったところにつけ込んだような気がしてしまう。
祖父が患ったのは国の指定を受けるような難病で、そんな夫と共に生きるためには、新たな宗教は必要なのかもしれない。それは仕方ない。祖母が生きるためには必要だったはずだ。
その宗教の、導師さまとかいう地位の人が、A家に来てくださって、アドバイスをくださったらしい。
伝聞の伝聞くらいのことしか俺は知らないため正確にはどう言ったか分からないが、そいつは、A家にある緑が祖父の生命力を奪っていると言った。
だから草花を切りなさいとまで言ったかは知らない。じゃあ切らなきゃねと祖母が感じただけかもしれないが、そいつはそんなことを言って、次にA家へ来たのはじいちゃんの葬式の時だけ。
俺だって、風水で西に金色のものを置くと金運アップと聞いたらなんとなく西に金色を置きたくなるし、ラッキーカラーは青ですなんて言われたらメモを取る時のペンを青にしようかななんて思う。ただ俺の機嫌がよくなるだけだ。その程度でいい。
祖父は、ALSだ。筋萎縮性側索硬化症。根本を治すような、有効な治療は確立されていない。指定難病だ。
導師さま曰く、祖父の健康を吸い取っているのは、ぶどうの木や、小さな露地栽培の野菜、姉の生まれ年に植えられた木、雨露がかかると一層美しいバラたちだそうだ。
腹が立つというより、呆然、というかんじだった。
A家周辺の景色や、草花の写真がきれいに撮れたから、嬉しかった。ばあちゃんも褒めてくれた。寝たきりのじいちゃんが見るテレビ台の所に飾ってくれた。姉ちゃんが泣いたくらい思い入れのある木。いろいろある。いろいろあった。
祖父が亡くなって一人になった祖母は、田舎の狭いコミュニティの中で孤立したりしなかった。宗教のおかげだ。会合に参加したり、そこのひとたちとバスツアーで旅行に行ったり。それだけは、よかったと思う。
それでもあの宗教は、嫌いだ。祖母も草花を刈ることで病気になにか影響すると真に思っていたのではないと思う。俺の撮った写真だけでなくほかの人が撮ってくれたバラの写真も残していたし。本当に病状に関わっていると信じていたら、写真すら残さないと思う。
祖母も亡くなり、何年も前から、このA家にまつわる話をぼんやりと思い返しては、増田にでも書こうかなあと考えていたが書き切れたことはなかった。
五月や六月の、バラがきれいな時期になるとどうしても書いておきたくなった。
あんなにきれいな景色が寝たきりの祖父の生命力で育っていたらロマンチックだ。ファンタジーだ。ふざけんなあり得るか。
先日、姉が結婚した。なにか特別に贈ろうと写真のデータを見返していたら、姉と同い年のあの木が写った、緑豊かな写真があった。あげたらすんげー喜んで泣くから俺も泣いちゃったよ。
じいちゃんもばあちゃんも大好きだ。病気はどうしようもないし、ばあちゃんの選択は過ちではない。必要だった。生きる上で、大切な指標で、手段なのだろう。
緊縛師夫妻と別れ、ぼくたちは駅前にいた。夫妻が見えなくなると、性奴隷はぼくを平手打ちにした。そしてその場にうずくまり泣き出してしまった。周りの気まずい空気が広がっていく。ぼくは泣き続ける彼女の背中をさすりながら、「ごめんね、ごめんね」を繰り返していた。そんなことをしているうちにいつしか巡回帰りかなにかの警察官に捕捉され、「まあわかいうちはいろいろあるけど、彼女泣かしちゃだめだよ。がっはっはっは。」みたいなことを言われ、彼女もようやく落ち着いたのか泣き止んでいた。
そのまま日帰りを決めていたが、急遽近くのちょっと高めのホテルにチェックインし、知らない街で二人デートを楽しんだ。
ホテルへ帰ると、「もう、死んじゃうかと思ったんだから。」と彼女は言いながら僕の目の前で服を脱いだ。驚いたことに、彼女の肢体には緊縛のあとがほとんど残っていなかった。うーん、プロフェッショナル。あまりにもおかしなことだが、その日、ぼくと性奴隷は彼氏と彼女になった。
その日以降、しばらくぼくたちはラブラブカップルとしてとても良好な関係だった。調教は続けていたが、性奴隷、としてではなく、彼女としてのそれだった。彼女のあの日以来、性的な自由さは失っていった。普通のセックスができたらいい。そう言っていた。
しかし、僕の性癖がその平和を許さなかった。そんな時、ミクコミュの姫の独裁っぷりが耳に入ってきた。僕は当時コミュからは距離を置いていた。もちろん姫には目を光らせていたし、たまには会ってお灸を吸えていた。
「姫、ご乱心です。」
執事くんからのメールだった。話を聞いてみると、どうやら姫がコスプレ衣装を自分で買ってくるから、とメンバーからお金を徴収し始めたらしい。さらに悪いことに、購入したコスプレは全て、服飾学校の知り合いに無償で作らせていた、というのだから性質が悪い。ぼくが離れてから、数十万単位のお金が消えていた。姫の懐に。
しかし、エヴァくん、平野くんは姫の三銃士として君臨し、他のメンバーからの不評も揉み消していた。一人、また一人とコミュからメンバーは去っていった。しかし姫の増長はとまらない。メンバーが減ったのをいいことに、ほぼ全てのメンバーと身体の関係をもっていたようだった。そのことは、他の女子メンバーが暴露した。姫の相談を聞く振りをして。
性奴隷の出番だった。エヴァくん、平野くんを陥落させる。それがミッションだ。
僕がミクコミュの話をし、力になってほしいことを伝えると、性奴隷は一瞬喜んだように見えた。
「ほんとうにいいの?」
「Kには悪いけど、わたし、あの日のことを思い出すだけでうずいちゃうの。ごめんね。」
僕も同じだった。あの日、Kがおっさんにやれらているのを見て、僕は自分史上最大に勃起していたのだ。心の中で。
作戦を練った。
まずミクコミュに性奴隷を入れる→エヴァと平野を篭絡する→姫を追放する→性奴隷をコミュの頂点にする
すでに脱退していたメンバーの紹介、ということで性奴隷はミクコミュに難なく入り込んだ。姫と比べて、性奴隷はエロく、可愛かった。姫はすでにぽっちゃりとしていて、怠惰な様子が顔からも見て取れた。これなら訳もなくエヴァと平野は篭絡できる。
僕は飲み会をセッティング、エヴァ、平野、姫、執事他二名、を呼び出すことに成功した。
姫と性奴隷は初対面だ。
エヴァは「わたしエヴァ好きなんですよー。コスプレもしたことあるんですよ。」作戦で陥落した。姫はぶすっとその様子を眺めていたが、まだ平野、執事他二名がいたので、姫としての威厳をなんとか保っていた。
僕は性奴隷と初対面のふりを演じた。
エヴァがトイレに立った。性奴隷に後を追うよう指示した。そしてそのままお持ち帰りされろ、と。
性奴隷とエヴァは消えた。後から聞いた話によれば、エヴァはタクシーに乗りすぐさまホテルに直行したがったそうだが、性奴隷は予定どおり、部屋にエヴァを連れ込んだ。そこにはビデオカメラがセッティングしてある。もちろん、オレがやった。
午前2時くらい。「成功」とメールが届いた。ぼくはすごく嫉妬していた。しかし性衝動も同時に沸き起こっていた。
翌朝、エヴァに再び求められた性奴隷はそれに応じ一戦交えたあと、エヴァを帰した。ぼくはそれを自分の目で確認した。
性奴隷の部屋へ行き、ビデオカメラをテレビに接続し、二人のまぐわいをチェックした。
エヴァは「ちょっと酔っ払っちゃたよー。性奴隷ちゃん、ちゅーしよ、ちゅー。」と言って彼女を押し倒し、ソファで彼女を抱いた。明りは絶対消すな、と指示していたので、鮮明に二人の結合状態をみることができた。エヴァは性奴隷を正常位で抱きしめながら、「好きだ。好きだよ。おれと付き合おうよ。」を腰を動かしながら連呼していた。その時、性奴隷の冷めた目がカメラの方を見た。おれは勃起した。そのままビデオを流しつつ、姓奴隷を押し倒し、エヴァと同じように正常位で嵌めた。「おまえはおれのものだ。」と目を見据えながら腰を振った。
翌朝の映像は淡白なものだった。エヴァのために敷かれた布団の上に性奴隷を連れてきて、寝バックで嵌めていた。性奴隷のベッドはシングルなのでいささか小さいのだ。普段僕もほとんど使わない。
「おれたち、つきあっちゃおうよ。」行為の後、エヴァは言った。性奴隷は、回答せず、ただ微笑んでいた。
それからエヴァは毎日メールを送り、電話をかけてきた。性奴隷はアルバイトが忙しい、と嘘をつき、僕とファックしていた。エヴァから電話がかかってくると、僕は必ずふぇらちおをさせた。なんとか、うん、うん、と相槌をうちながら、エヴァとの電話を終えた後、すこし怒った様子でぼくをにらみつけた。
「なんだよ、ほれたのか?」「そんなわけないでしょ、バカ」
エヴァは姫のことを完全に切ったようだった。性奴隷はバイトが忙しいとか実家に帰るとかいろいろな理由をつけ、エヴァとのセックスは避けていた。しかし避ければ避けるほど、エヴァは卑猥なメールを送ってくるようになった。もちろん全て保存しておいた。
同じように、平野を篭絡した。エヴァを外した飲み会を開催し、性奴隷の部屋でセックスさせた。そしてぼくはそれを見ながら興奮し、性奴隷とファックした。
エヴァ、平野が性奴隷のためにコスプレ衣装を現金を使うようになった。当然、姫には回らない。服飾専門学校の知り合いも、姫がお金を受け取っていることを知ると、協力しなくなった。執事他二名は大して重要なポジションではないし、そもそもお金をあまりもっていない。エヴァ平野が性奴隷のためにコスプレを買い、撮影会を開催すると、執事他二名は当然こちらにやってきた。姫は孤立した。
晩婚や不妊を「女性の問題」として扱ってる事自体、女性蔑視と違うんかい。
晩婚・不妊は双方に要因があるし、悩みを抱えてるのはどちらも一緒だろ。
やじ問題でふと思ったこと。
やじには一般的に言って発した人の本音が含まれていることが多いと仮定してみる。
そうすると「自分が早く結婚すればいい」との鈴木章浩議員の発言は、やじ・セクハラと受け取られると同時に、晩婚化・晩産化傾向にある環境でとくに個々が孤立する東京において都の支援環境はどうしていくのかと都に対して質問した塩村あやか議員へ、横から「女は若いうちから家庭に収まって子供をさっさとつくりゃいいんだ」という本音回答を出していたとも受け取れる。
つまり、この質問と(セクハラ)野次のやりとりの背景にある差異は、「なぜ晩婚化・晩産化傾向にあるのか。それは個々人の意思の問題なのか、長時間労働をよぎなくされる労働環境にあるのか」といった現実認識の差異ではないだろうか。たぶん(勝手な想像だけど)鈴木議員は前者の見解で、塩村議員は後者の見解ではないか。
。
安倍政権においては、女性労働力をより社会へ出してもらうと同時に出生率を上げていこうとしている。そのための育児支援を社会全体で構築しようとしている。
そういった後押しがある中で、塩村議員が本気でこの問題を解決していきたいとするなら、せっかくセクハラやじとして世間の耳目を集めることができたわけだから、今度は、鈴木議員のやじが「おやじどもの本音」だろうと受け取り、その頭の中にある前提条件がまず現実認識として間違っていると論じていくことこそが、戦略としてとるべき方向ではないだろうか。
ツイッターやフェイスブックは炎上が怖くて匿名アカウントを作っただけになっていた。
実際この手のサービスでの炎上事件なんかを見ていてそれは正解なのだと感じていたのだけれど、そのせいで人間関係から孤立してる。
中学の同級生も高校の同級生も私が何をしているかわからないだろう。
こちらからは向こうが何をしているかわかるのだけれど、最近は承認欲求が増し過ぎていてこの手のサービスをやろうかと思っている。
そもそも孤独死って、社会的なものであって、生物学的には存在しない(孤独が死因に繋がる物理的な因果関係はない)しなぁ。
女は年取っても女同士で社交を保つけど、男は仕事辞めると途端に社会との繋がりがなくなってしまう人が多いらしい。
実際独身女性同士が、金出し合ってマンション建てて、一緒に老後を暮らす、ってのはちょこちょこあって、まぁまぁ成立しているみたいだけど、男のは今のところ聞いたことないし。
しかし、この手の「結婚しない女は不幸になってくれーーーーー」という呪詛は凄まじいものがあるな。
結局結婚しないで不幸なのは、お前で、だからなんとか相手を結婚したくなるように呪いをかけてるんだろうけど。
でもそうやって呪詛を吐けば吐くほど、それこそ孤立していくんだよ? 少なくとも「生物学的にー」とか言う奴と結婚したい人間は、多分人類史上一人もいない。男であれ女であれ。
警察は男性逆差別抗議への弾圧をやめろ〜女性専用列車バッテン救援会声明
○○さん宅に麹町署の警部補・鬼瓦権蔵以下総勢10名ほどからなる警官隊が突然訪れ、家宅捜索を行いました。「女性専用列車に×(バツ印)をつけた貼り紙をした」ということについての軽犯罪法違反を容疑とするものです。
まだ就寝中の○○さんの私室に上がり、携帯電話やパソコンなど合計28点を押収していきました。
その押収品には、障害者手帳、学生証、健康保険証、旅券など、○○さんの生活に欠かせない身分証明書類(それも所持するもの全て)が含まれます。
寝起きに私室で警察と対面するという精神的ショックは想像に難くありませんし、保険証もうばわれては病院に行くこともできません。また、調剤薬局から出された薬の説明書きまで持って行きました。さらに警察署への任意同行を求められ、携帯電話の押収の際には「パスコードを教えれば早く返すよ」などと脅されましたが、○○さんはともに拒否しました。
なんの前触れもなく訪れ、被疑事件に直接関係のない身分証明書類や携帯電話や保険証など生活に必要なものを全て持ち去ったこの不当な家宅捜索を断じてゆるすことはできません。
今回の家宅捜索は○○さん個人へのいやがらせであると同時に、周りの住民や周囲の人間関係での孤立をねらいダメージを与えることを意図したものです。
○○さんは精神障害者認定を受けていることを知りながらこのような精神的圧迫をかけ、その上健康保険証なども奪って行く無茶苦茶な個人攻撃、生活破壊はあまりにも不当です。
被疑事件とされる軽犯罪ーーつまり女性専用列車への貼り紙ーーの捜査目的にしても、著しくバランスを欠いているし、法的な整合性すらも疑わしい権力の暴挙と言わざるをえません。鉄道の日のJR新宿駅構内での抗議行動であったことや、
女性専用列車バッテンなどのメッセージを問題にした政治弾圧であることは明らかです。
○○さんが主張しようとしたのは「男女平等の社会に反するシンボルたる女性専用列車は粉砕されるべきである」ということです。
こうした主張に対して、セロハンテープで女性専用列車に紙を貼ったことひとつだけで家宅捜索まで行い生活を破壊するという過剰な反応が出たことに注目する必要があります。
隷属を強いる装置としての女性専用列車は、公然と抗議する者にはその暴力性を露わにして迫ってきます。与党政治家が歴史を修正し、女性を美化し、男性列車利用者への恫喝すら進める現在にあって、
歴史的経緯とともに日本の男女平等体制との連続性を指摘し、抗議する声がこうしてひとつひとつ攻撃されています。
私たちは今回の○○さんへの弾圧事件に抗議し、警察に以下を要求します。
・○○さんへのあらゆる捜査や連絡を今すぐやめること。
そろそろ集団的自衛権問題について自分の立場をちゃんと整理しておかないとどこかで選択を迫られる局面が訪れそう。
ということでまず論点を整理しておこうと思ったのだが、以下のような論点以外のものはあるのだろうか。
まず「集団的自衛権」の定義あるいは根拠は、次のもののようだ。
「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃をされていないのにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」
そして過去の日本政府の公式的な立場は、以下のようなものだった。
◎「主権国家として集団的自衛権は権利として保有するが、これを行使することはしない」
今回の話は、憲法改正を経ることなく、憲法解釈の変更により集団的自衛権を行使できるようにする、というテーマ。そう理解しているが、そこにどういう問題があるかについて考えていくと、いろんな側面が絡み複雑すぎてよく分からない。ちょっと検討してみただけでも次のような側面と立場があるような気がする。
○の立場:現憲法下では自衛権の範疇を明確に規定していない以上、国際環境に合わせて自衛の範疇の幅を広げることに矛盾は起きない。
×の立場:憲法における「自衛権」には、発動の三要件(我が国に対する急迫不正の侵害、代替手段の欠如、自衛に必要な限度に限定)があり、集団的自衛権はこれに抵触するので矛盾が発生する。
2)国家安全保障上の有利不利論(まだ見ぬ将来にわたる損得の側面)
○の立場:国際社会での孤立を招かないことが安全保障の最たるものであり、その観点からすると、国連軍への積極的な貢献ができるようにすること、また日本が有事の際に同盟国からの防衛協力を得るためにも、現在の片務状態でなく、双務状態であることが必要。
×の立場:他国の紛争状況に同盟国であるだけで巻き込まれる恐れがあり、不要な危機を日本に招くだけである。
○の立場:中国海軍が東シナ海・南シナ海でのプレゼンスを広げ、衝突をも辞さずの態度をとっている以上、日本一国だけでなく、関連諸国での共同作戦、つまり必要に応じて南シナ海へ協力出動ができるようにし、包囲網を敷いていかなければならない。そのために必要。
×の立場:日本の軍事力がその軍事的発動として外に出れるようになった時点でアジア諸国から疑いの目で見られる。むしろ日本が包囲される結果になるので不利となる。
他には?