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2014-08-04

子育てについての自分の中の大きな不安

http://anond.hatelabo.jp/20140804000142

この奥さんが他人に思えなかった。

自分と重なるであろう部分が多く、自分ちょっと振り返ってみたくなったので、増田で長文を書くことにします。

本当に長文なので、そしてほとんどの人にとってはたいした中身もない文章なので、よほど暇じゃないなら読まないでください。まじで。



高校のころまではとにかく何もかも完璧でないと陰に陽に容赦なく責め立ててくる両親に抑圧されていて、友達もいなかったし、自分というものをまともに出したことがなかった。

大学に入って自由がきくようになり、部活動に熱中するようになった。

活動の内容そのものより、自分組織に貢献できているという感覚がうれしかったのをよく覚えている。

部のために骨身を惜しまず動いた。

一方で、無責任で頭のネジのゆるみきった同期や先輩連中が許せなかった。

でも直接文句を言う度胸はなく、一人でストレスを抱え込んではときどきあさっての方向に爆発させていた。

周囲の自分に対する評価は「よく気がついて、頼んだことはきっちり完遂するし、フットワークも軽くて、まあとにかくまじめでできるやつなんだけど、怒らせると面倒だからとりあえず機嫌を取って上手に動かしておこう」といった感じだった。

いくつかの人間関係の軋轢を経験した結果、自分の中に周囲との円滑な調和を妨げる深刻な側面があることに気づいた。

周囲の人間自分よりもっと情緒的なつながりを大切にしているし、いつでも何もかもに対して100パーセントで動いているわけでもなく力の入れどころをうまくコントロールしながら生きているし、自分みたいに極端な滅私奉公精神で動いているわけでもなく、みんな自分の将来を少しでもよくするために大学という巨大な器の中でそれぞれにもがいているのであり、部活に熱心でないからといってそいつが何事にもだらしなくいい加減な人間だというわけではない。

何より、自分だってよく考えてみると周囲にずいぶんと失礼な言動を多々やっているのだが、周囲は少なくとも、そんな自分を「こいつはこういう性格から」と受け入れて、ひとつ個性として尊重してくれている。

周囲が自分の考えをわかってくれない、のではなかった。

周囲を受け容れていないのは自分のほうだった。

このことに、4年かかってやっと気づいた。

それから新卒内定した会社就職した。

同期はみんないい人ばかりで、わたしはすぐに彼らのことが大好きになった。

大学時代に比べたら、だいぶ上手に人間関係が構築できるようになってきた。

としばらく思っていた。

しかし、入社して半年が過ぎるころから、わたしは同期の中で少しずつ浮き始めた。

ここの会社は毎年の恒例行事地域お祭り新入社員が何か出し物をしないといけないのだが、その出し物の内容をみんなで決めるとき、わたしは暴走した。

わたしの、無難でかつ隙のない正論づくめの提案に、当初、誰も反論する人はいなかった。

入社式では新入社員代表あいさつをさせられたりして、上司からは同期のリーダーとして何事も率先して動くことを期待されていたのでその通りに動いたのだけど、実際は同期の中で発言力がある人間が他にいて、その人の案にみな本当は乗り気だったようだった。

わたしはそのことに、全く気付かなかった。

やがてみんなで日程を合わせて練習を始め、わたしは何の疑問も抱かずに場を仕切り続けた。

ある日、たまたま残業で遅くなることになった。連絡を入れ、1時間ほど遅れて練習場に行った。

その1時間で、出し物の内容がまるっきり変わっていた。

テーマも違う、使う道具も違う、とにかく根っこから変わっていた。

わたしは2ちゃん顔文字みたいにポカーンとしばらく固まっていたが、そんなわたしを目にしながらも、誰も、何も言わず淡々とその新しい内容の練習を続けていた。

それでやっと、自分ひとりが周囲の感情を置き去りにして暴走していたことを悟った。

同期のやり方は、正攻法ではないのかもしれない。だまし討ちに遭ったようでいささか傷ついたのは覚えている。

けれど問題はそんなことではない。

学生時代から課題を、わたしはまったくクリアできていなかったのだと気づき、愕然とした。

周囲がこういう行動に出ざるを得ないほどに、わたしはコミュニケーションを成り立たせるのに難儀する人間だと見なされていたのだ。

そしてさらに救いようのないことに、それにわたし自身は気づいていなかったのだ。

ちなみにわたしがどうしたかというと、さすがに黙ってその練習に加わった。

「当初の予定とは違うね」とは、このときから今に至るまで、わたしも他の同期も、誰も言わなかった。

たか最初からそれをやる予定だったかのように、全員が振る舞った。

少ししてから部署の中でも居心地が悪くなり始めた。

親身になって面倒を見てくれていた先輩たちが、わたしと少しずつ距離を置くようになった。

仕事を覚え始めて自立に向かい始めたということだと勝手解釈していたが、これもそうではなかった。

上司がわたしのことを露骨に煙たがるようになり、保身のために仕方なく追従するようになっていたようだった。

こういう周囲の空気感みたいなのも、当時は理解できなかった。

周囲との調和が何より大切、そう理解していたはずなのに、周囲と自分との間に生じ始めた軋みをどうすることもできなかった。

わたしは2年持たずにその会社を辞めた。

「その会社自分が合わなかっただけだ」と結論づけるのは簡単だ。

けれども、今思えばそこは決してブラックではなかったし、日本的な一体感を過剰に強いる雰囲気会社でもなかった。

いろいろな不運が重なっただけなのかもしれない。

本当のところは、何が一番の原因なのかはわからない。

その上司結構ろくでなしなのは事実で、下についた人間はもれなく会社を辞めていくので今はまったく別の部署の実権のないポジションに異動になったと聞いた。

けれど、上司に恵まれずとも、同期との行き違いがあったとしても、辞めることはなかったのではないか。

孤立無援ではなかったはずだ。味方になってくれる人もたくさんいたではないか。

そういう人たちとの関係を、わたしはやはり、大切にできていなかったのだと思う。

はてなーには、こういう情緒的なつながりを過度に重視するところが日本企業問題点だと考える人もいるのだろうと思う。

しか現実問題、わたしのように、海外に出ていけるほどのスキルも度胸もないクズには日本会社しか勤め先がないのだから適応するしか選択肢はないのだ。

と考える一方で、結局ここまでつらつらと書いてきたこれもすべて「努力がすべてを解決する」「努力しなかった自分が悪い」「もっと努力していればよかったはずだ」という努力至上主義と自己責任論に基づいた考え方で、やはりわたしはまだそこから抜け出すことができていないのかもしれない。

自分に対してそのように分不相応に高いハードルを課すことが、他者への理不尽な厳しさや冷たさにつながる。

当時の自分としては精いっぱい努力はしたつもりで、それでもこういう結果になったということはやはり、不運やタイミングの悪さも重なったということも要因に挙げてよいのかもしれない。わからないのだけれど。

新しい職場でも似たようなトラブルに遭遇した。ここでは悪質なセクハラを受け、加えて同棲していた彼氏リストラされてネトゲ廃人になったりとか、外的な要因も重なってうつ病になった。半年何もせずにいた。

この、一社目の退職から二社目に就職うつ病、という流れの中で、わたしは両親から何度も罵倒された。

「そんなに死にたいなら死ね!」

公衆の面前で怒鳴られたりした。

気持ちはわからなくはないが、社会人になり、家を離れてから我が家の異常さに気づき始めていた自分としては、ああ、この人達ならこんなこともそりゃ言うだろうなあ、と我ながら実に冷静に受け止めていた。

要するに彼らの中では、うつ病になったのも「努力不足」なのである

自分の弱さと向き合う努力をしてこなかったという意味では確かに、やるべき努力を避けてきたと言える。

努力の方向が間違っていたのだ。

「どんなことでも努力で何とかなる」という思考停止状態に身をゆだね、客観的自己とそのまわりの環境について観察し、思索することをしなかった。

しかし彼らの言う「努力」とはそういうことですらなく、単に「朝起きられないのは根性が足りない」とか「気合を入れればうつ病なんてどこかへ行く」とかそういうことだった。

朝起きられないのも、割れるような頭痛も、吐き気も、そしてあの思い出したくもない深い絶望感と不安感、全身の倦怠感、そういったものはすべて気合でどうにかせよ、とのお達しであった。

正常な判断力が下がっている中でも「これは大変だ」というのは理解し、実家に戻るようしつこく言われるのを頑なに拒み、投薬と認知療法でなんとか生活できる程度には戻った。

その後就いた仕事では、即戦力として早い段階で部下をつけられた。

この部下には本当に恵まれていたと思う。

また、うつ病から立ち直ったばかりなのもあり、自分でも同じ失敗を繰り返さないように、早まったことをしてしまわないように、よくよく考えながら慎重にことを進めたのもよかったのかもしれない。

わたしより年上の人もいたし、その人とは何度か本気でやりあったこともあったが、結果的和解できた。

これは錯覚ではなく、本当にうちの担当仕事はうまくいっていた。

業績も上がり、会社から表彰されたりもした。

そんで今、燃え尽きかけている。

こないだ、業績が認められたのかなんかしらんが配属が変わり、見事にダメ人間ばかりの部署を仕切ることになった。

平均年齢はわたしより一回りほど上だけど、まず電話が取れない、来客の応対ができない、マニュアルに沿わず自己流でやろうとして当たり前のように失敗して尻拭いをこちらに頼ろうとする、などなど、胃痛病院に通うことが増えた。

比較的まともそうなのから少しずつ教育して、なんとか電話応対と来客応対が全員できるようにはなった。

前の部署は、本当に「打てば響く」人材ばかりだった。

わたしの力量と言うより、人材に恵まれていたのだ。

当然、同じように教育しても彼らには必要なことが入っていかない。

丁寧に10教えて、ようやく1入る、という感じで、その1を大切にしてくれるのならそれで十分なのだけどこれがまた抜ける。

また10教える。1入ったと思ったら次の日には抜けている。

この繰り返しだ。

もうなんか、わからない。

今まで他人にきつくあたって、たくさんの人間関係を壊してきた。

この人たちも、厳しく叱れば明日にはもう来ないかもしれない。

でも、この人たちは厳しく言われないとわからないのじゃないだろうか。

いや、一度だけ言ったことがある。

マニュアルに従わない人に対して

「それでうまくいくなら別にいいのだけど現にこれこれこうして失敗しているのだから改めてください」

という内容のことを言った。

彼女の返答は

「今まではこれでうまくいっていたんです」

だった。

その

「うまくいっている」

というのがあくまで社内的に一見すると波風立てずにすんでいるけれども対外的にはクレームの遠因になっていることで、つまりそれは実は

「うまくいっていない」

のです、という説明が、彼女にはもう理解できなかった。

結局、さらに上の人間を呼んで直々に話をしてもらった。

それ以降彼女は、マニュアル通りのことしかしなくなった。

自分で考えて発展的に動くことを意識的にしなくなったのだ。

それで十分だと思う。

彼女も、今までのやり方を否定されていい気持ちはしないはずだ。

それでもまずは基本に忠実に動いてもらえるようになっただけでありがたいと思うし、そのほうがこちらも上司としてずっと安心できる。


わたしには、奥さんの気持ちがわかるような気がする。

こんなに頭も悪く仕事もできない(さらに言うなら、自分より年上の)人間が、のうのうと生活していることが、妬ましくて仕方ないのだ。

わたしの場合、年下なら、まだ許せる。

年上で自分よりできない人間、というのが、どうしたって、許せないのだ。

奥さんの部署の人たちがどんな人たちなのかは知らない。

うちよりはマシなのかもしれないし、もっとひどいのかもしれないし、それはわからないけど。


「目の前の人が自分に見せている姿でその人のすべてを判断すべきではない」と思う。

仕事ができないからと言って、その人を全否定してはいけない」とも思う。


でも、あんなに痛い思いをしてきたのに、わたしはまだ、それらをやめることができない。

わたしは常に「役割」の中で自分を評価してきた。

学生のころも、社会人になってからも、「役割」がどれだけ果たせているか

それがわたしの自己評価だった。

からおのずと、他人もそのように評価する癖がついた。

役割」を一心不乱に果たせている人はすごいと思うし、わたしもそのようになりたいと感じてきた。

反対に、「役割」に忠実でない人間を強く軽蔑してきた。

学生時代なら、学業部活動

社会人なら仕事だ。

そしてプライベートでも、わたしは「娘」「姉」「彼女」という「役割」に依存してきた。

役割」に沿う振る舞いができないと、自分を強く責める。


それしか、わたしのよりどころはなかったからなんだと思う。

自分自分でいられているというアイデンティティ自己同一感?とかいうやつが、内面に乏しい。

自己評価を外部に依拠するしかないのが今の自分だ。


今付き合っている彼氏は愛すべきバカで、わたしは彼のバカなところを愛しつつも同時に強く軽蔑していることをもはや自分の中で無視できなくなってしまっている。

彼とは結婚の話が少しずつではあるが進んでいて、でも彼はバカゆえに職が不安定で収入が少ないということを自分で気に病んでいて、わたしは自分の食い扶持ぐらいは自分で稼げているから、いざとなったらなんとか助け合いながらやればいいじゃない、と話していたのだが、今日みたいに生理前で神経過敏になっていてしかもこんな身につまされるエントリを読んでしまったものから、もう今の頭の中は「どうやって別れるべきか」ということばかりである

叩かれるのはわかっている。こんな偏った価値観他人を判断するなど何様だ、という話だ。わかっているのだ。その不毛さは誰よりわたし自身が一番よくわかっているのに、まだわたしはそこから逃れられないのだ。彼を軽蔑する自分が大嫌いだ。こんな人間と一緒になれば、彼はきっと不幸になる。そして、子どもが生まれたなら、まあ間違いなくわたしはわたしの両親がわたしにしたことと同じことをするだろうと思う。「あんな親にはならない」と決意するのは簡単だ。それで変われるなら、世の中の虐待ほとんどはなくなっているはずだ。わたしは彼や子どもに「役割」を強いるだろう。今だって、そうなりそうになるのを必死に抑えているのだから。彼に求めすぎてはいけない。適度な甘えは大切だと思うが、その加減もわたしにはわからない。あくま事務的淡々と接するか、べったり依存しまくるか、放っておくとわたしはどちらかになってしまう。


やはりこんな人間は異性と付き合うべきじゃないんだろうな、と書きながら改めて思った。

少なくとも子どもは産むべきではない。

今日帰ったら、彼に話そう。

なんとなく迷っていたことに決心がついた。

2014-08-02

http://anond.hatelabo.jp/20140802121208

よほどの大富豪じゃなきゃ、周囲から全く孤立して生きるのは不可能だから

周囲の人と関わるということは、ただ存在する以外になんらかの役割を任されることだ。

介護とかはその一例だろう。

2014-07-30

のような固定観念があったけど、逆じゃないか、と最近思ってる

田舎って、自由と規則がよく調和してるなとは思うのよ

実際、校則とかがガチガチ(つまりろくに機能しない)なのもどちらかというと都市部学校なんだよね

2014-07-28

http://anond.hatelabo.jp/20140728001316

実家暮らしなので、親に用事で家に来た人が、フレンドリーに話しかけてきて、仕方なく応えてたら少しずつ仲良くなったという感じかな

それでちょっとした飲み会みたいなのに誘われたので行ってみたら孤立したみたいな

誘ってくれた人も、ちょこちょこ気にして声をかけてくれたりしたけど、結局最後まで輪に入れなかったという感じかな

周りも察しつつ声かけづらいみたいな感じだったように思う

ちなみに、その知り合いはちょっと年上だが自分と歳はわりと近い

もう自分が30過ぎてて、それより歳上なのでおっさんといえばおっさんだが、40前くらいの比較若い人たちの集まりだった

町内会ではないかと言ってる人がいるけど、親への用事は町内会関係だが、集まり自体町内会とは関係ないです

2014-07-27

*[街コン]恋する箱根開運パワースポットバスツアーに参加してみた

最近の閉塞した人生を少しでも変えようと街コン参加を決意して、色々と調べたら大変面白いイベントへ参加出来たのでメモがてらレポを残しておく。ちなみに筆者は男です。

ラブワゴン?な日帰り旅行

まずは簡単に旅行概要を紹介。

09:00 小田原集合

10:30 ガラスの森ミュージアム

12:00 ザ・プリンス箱根で昼食

12:30 同会場でマッチング×5回(各7分?)

14:30 九頭竜神社へ出発(徒歩)

15:15 九頭竜神社参拝

16:00 ザ・プリンス箱根帰還、自由時間(30分)

17:30 小田原解散

http://www.koisuruhakone.com/

から夕方まで分刻みの忙しいスケジュールだが、箱根パワースポットバスツアーの名に相応しい要素を抑えていると思う。

参加費は、男性\16,800、女性\9,800と、中々にツボを突いた値段設定と思う。

先制攻撃チャンスの出発前

集合場所小田原駅箱根湯本で無いのは個人的に残念なものの、新幹線の駅もあるしロータリーも広く妥当な所だろう。

バスの前に行くと受付で名前を告げてバス座席順決めのための最初のクジ引き(マッチング①)。バス座席は左右2列ずつの普通観光バスで、窓際女性、通路側男性となるよう番号で決められていた。覚悟していたとは言え、狭い空間初顔合わせの男女で二人きりという状況は、中々のスキル要求される。さっそく仲良く話始めるペアもあれば、気まずそうな沈黙に包まれるペアもある。もう戦いは始まっているという事だ。15分ほどでひと通り集合・出発。

ガラスの森へ出発

バス箱根山道を左右に揺らしながらガンガン進む。出発時に参加人数が40弱である事が発表された。(しかし、驚愕の発表として、うち男二人が集合場所新宿勘違いして集合出来なくなるハプニングも…。ちなみにこの二人は頑張って昼食から合流してました)

道中最初自己紹介タイム。全員にプロフィールシート表が配られていたが、これがわかりづらい!A4の厚紙に合計12箇所の記入欄があり、それぞれに名前仕事趣味といったことを書く欄があるシートとなっていた。はじめは全てに頑張って記入し、切り取って相手に渡していくのかと思ったが、実はこのシートをそのまま異性に渡して、その異性にプロフィールを書いてもらうという仕様となっていた。つまりツアー終了時には12人分の異性のプロフィール自分の手元に一つのシートとして残るわけだ。ともかく一人目のお相手に書いてプロフィールを書いてもらって、それをネタ雑談を進めていく。その他にはジャンケン大会などを行いながらほどなくガラスの森へ到着した。

グループ行動でヴェネツィア芸術を堪能

バス内で事前に8チームになるようクジ引き(マッチング②)を行って、4~6人ずつでガラスの森へ。夏休み突入直後ともあって館内は子供連れも多く気恥ずかしい。しかし大変天気も良く、美しいガラス細工を見ながら館内を鑑賞。途中、グラスハーブなどによる生演奏が開催され、柔らかくも美しい音色に聞き入る。実に良い経験をさせてもらった。散策時間は約1時間ほどだったが、ゆっくり見てまわるには少なすぎる。チームの互いの紹介もままならない状態でバスに帰還となった。バスに戻る際に再び座席決めのクジ引き(マッチング③)で先ほどとは別の異性と相席する。プロフィールを交換しながら雑談しているうちに次のザ・プリンス箱根へ程なく到着した。

昼食は高級ホテルパーティー会場でビュッフェ

ガラスの森と同じく、バス内で事前に8チームになるようクジ引き(マッチング④)を行って、ザ・プリンス箱根パーティー会場「相模」で昼食。食事はビュッフェ形式で、ビーフシチューパスタピザドリアサラダスープカレーなどなど、種類は豊富。食事の量も人数分しっかり確保してあり、後半メンバが足りなくなるような事はなかった。ただ、全体的に味付けが濃く、夜のお酒を片手に行うパーティー向けなのは少々残念。飲み物ソフトドリンクとしてオレンジジュース烏龍茶が用意されていた他、アルコールビールワイン焼酎とこちらもホテルパーティーらしい品揃え。全体的には過不足ないが面白みも無いメニューだった。ただし、ピンクカレー。テメーはダメだ。食事中にツアーの目玉の一つである専門の占い師による無料占い整理券配布が行われる。先着順ともあり、女性の皆様は一斉に整理券ゲットに走っていた。すぐに順番に呼び出しがかかり、個別ブースタロット占いを行ってもらっていた。一人5分弱?くらいと思われる。食事は20分ほどで終了。ちなみに途中で新宿野郎たちも合流していた。ホントに来たよ。ある意味尊敬する。

戦場マッチングタイム

食事もそこそこに、マッチングタイム開始のアナウンス。ちなみにこの間も占い呼び出しは続行中。まずは女性がクジ引き(マッチング⑤)で席替え。食事の時とは違うメンバでマッチングタイム開始。円卓のテーブル内で男女4~6人の円テーブルを囲みながら1回7分ほどのコミュニケーションを取っていく。ただ、例のプロフィールシートを書くのに忙しく、大半の時間が記入に消えてしまう。書き終わっていざ話を盛り上げようとしても、あっという間に時間終了で、ろくに会話が出来ないのは残念すぎる。時間経過後は、男性のみテーブル移動。クジでは無く、男性の自由意思でテーブル選びを行う。熾烈な争いの場だ。途中休憩をはさみつつ、合計4回の移動(マッチング⑥~⑨)でコミュニケーションを取っていく。正直後半はダレて来てプロフィールシートを埋める作業になりつつあり、顔と名前が一致しなくなる。ある意味、ココでどれだけ集中力を持続させ、最大のパフォーマンスを発揮するかが求められるだろう。

お楽しみ抽選会と本命カップリング発表

戦いの余韻を残しながら、アンケート記入タイムへ。Webに掲載されていた前回開催時の率直なアンケート結果を事前に見ていたこともあり、割と辛辣な事も書きつつ良い機会を用意してくれた事に感謝を表明しておく。

その後はお楽しみ抽選会で、箱根温泉入浴券や箱根水族館チケットさらには\30,000相当の箱根宿泊券など、開催規模から考えたら中々の商品が当たるジャンケン抽選会。箱根観光協会の本気と実力が窺い知れる内容だった。

そして時間運命カップリング発表へ。カップリング決めには、各人に配布された希望シートへ第3候補までの異性の名前を記入し、お互いがマッチすれば晴れてカップリング成立となる。今回は合計8ペアのカップリングが成立となった。参加人数が40人弱であるため、成立率は約40%となる。街コンとしては驚異の成立率だろう。ココが一番の盛り上がるシーンのはずだが、人間は素直なもので発表が進むにつれ場の空気は大変重くなっていく。最初のペアが発表された時は気軽に拍手の祝福があったが、最後のペア発表時は本当に悲しいくらい弱々しい拍手だった。今日一日の戦果が決した瞬間である

天国と地獄の九頭龍神社参拝

見事カップリング成立した8組が先行しつつ、徒歩で九頭龍神社参拝へ。片道30分ほどの距離。カップリング成立したペアはお互いの親睦を深めつつ長い道のりをゆっくり進む。逆にカップリング成立しなかったメンバはフリー移動で続いて神社へ。ココでさらに声をかけて仲良くなる人もいたようだが、やはりカップリング不成立の壁は大きい。中には孤立する人も抱えながらゆっくり神社へ歩を進めていく。午前中の快晴と打って変わって深い霧に包まれた芦ノ湖を見ながら程なく神社へ到着し、順番に参拝を済ませていく。途中、白装束に身を包んだガチの参拝者もいらっしゃっており、無作法人間が多く参拝していた事が少し申し訳ない気になった。道中は特にマッチングイベント等は無く、カップリング成立者と非成立者で明確に天国と地獄が別れた時間だったと思う。

気怠い中での解散

ホテルへ戻った後は30分余りの休憩、おみやげタイム。気の合う人たちはラウンジお茶を楽しんだりしていた。また、主催者バルコニーに出てアンケート結果らしきものを眺めながら一日の反省会をしていたようだ。

帰還のバスも自由着席でカップル同士や同姓同士、ボッチなど様々なスタイルを反映しながらの道程で、一日の戦果を客観的に教えてくれるものだった。小田原到着後の解散もあっさりしたもので、2次会らしきものに行くメンバも見当たらないまま流れ解散となった。

所感

批判的な所も書いたが、率直な感想としてツアー代金以上の価値があると思う。ある程度運も要求されるが、前半のバス搭乗~食事までは異性と強制的にゆっくりと話す時間が設けられており、ココで気の合う異性を見つけられた人がカップル成立となっていったのだと思う。特にガラスの森は女性受け抜群で、適当に会話をあわせるだけでコミュニケーションをとれるので口下手な人でもネタには困らないだろう。逆にマッチングタイムの忙しさが際立ってしまったのは残念で、正直自分はココで会話した異性の印象はほとんど無い。1日で最大多数のマッチングを取るためには致し方ないが、もったいない気がしてならない。

参加者の質としては、男女ともに2割くらいがハイスペックだったと思う。容姿だけで無く、年齢や仕事など総合力に優れる人はやはりカップリング成立となっていた。自然の摂理とは言え自分が鋭く評価されるものであるため、結果をどのように受け止めるかが今後にも繋がってくると思う。カップリング不成立だった人は不満タラタラだと思うが、今日1日で同姓のドコが評価されていたかを観察できたのでは無いだろうか。今日の結果を踏まえて改善出来なければ今後には繋がらないという残酷なまでのメッセージをだと思う。

逆にカップリング成立した人たちに対する九頭龍神社参拝は、一日の熾烈な戦いに勝利したご褒美だろう。都合2時間弱の時間強制的にペアを組んで行動するため、コミュニケーションを深めるにはうってつけだ。神社のご利益も相まって、主催者の狙い通りの展開となっていた。

主催者側については、箱根観光協会ならではの趣向で楽しませてもらったと思う。ただ、全体的に手作り・手探り感が拭えず、進行もわかりずらい点が多々あった。今後に期待。

傾向と対策

主に男性視点。まず身だしなみは大変重要と再認識。だらしないシャツ着てるヤツは論外。目立つだけの服装もNGコミュ力はどうしても要求される。主催者側はマッチングプロフィールシートできっかけ作りに腐心してくれているが、結局はそこから会話に繋げられるかは参加者自身問題だ。会話が続かなかったり、トンチンカンな受け答えしている限りカップリング成立は夢のまた夢。イケメンカワイイ子をゲットしていくのは当たり前と了解した上で、いかに自分土俵勝負するかが問われるということだろう。ただ、参加者の質は本当にピンキリなので、最上でなくとも中の上を意識して目指せば、カップリング成立はそれほど難しく無いのでは無いだろうか。

あと女性側へ。30後半は正直厳しい。ともかく、男女問わず空気嫁

必須アイテム

LINE用意しとけ。友達追加の機能くらい使い方覚えておけ。

その他

箱根なのにエヴァネタほとんど通じなかった。

2014-07-19

信仰を持ってみることにした

宗教は大嫌いだけど、このたび信仰を持ってみる事にした。

理由は、まあ年を取ったという事なんだと思う。

別に今の生活に不満があるわけじゃない。

一人でアニメ見てゲームして趣味に没頭して美味しい物食べて、安定している人生だと思う。さほどストレスも受けていない。

でも何というか、虚しいというか。

ストレスが無いのは人付き合いを放棄したというか、他人と距離を置いているからなんだけど、

本当は皆と仲良くしたいのに、集団の中にいるとどうしても自分攻撃してくる人と遭遇してしまい、自分を応援してくれる人も特に居ないので孤立してる感が半端なく、攻撃に耐えられず離脱してしまったんだよね。

自分を悪く罵る人と仲良くしつつ、自分とも仲良くする人を信用できなかったというのもある。こいつにこやかに話しかけて来るけど裏で悪口言ってんだろう?的な。

あと、表面的な付き合いだけでちっとも仲良くなれなかった。一言でいうとコミュ力が無かった。面白みのない、つまらない人間なんだ。

でもその、相手の言動を深読みして、「それは拒絶なんだろう?」「本心ではこちらを嫌ってるんだろ?」「利用しようと近づいてるだけだろ?」

と考えてしま自分も、どうにも嫌でね。

こんなこと考えながら接する人が、仲良くしてもらえるわけ無いじゃん。

こうやって読むとそう思うでしょ、でも実際に自分が遭遇すると、相手のちょっとした仕草で「嫌われてる」「これは拒絶だ」と無条件で思い込んで勝手に傷ついてる人、多いと思うよ。

もちろん拒絶のサインに気付くのは大切だし気がつかないのはKYなだけ。

でも少なくとも自分必要以上にガードを硬くしてる臆病者で、断られないように、嫌われないようにと一生懸命だった。

多分自分を嫌っている人を許す勇気が無いからだ。嫌ってもいいよ。と言えないから

元々怒りっぽい性格でもあるし、嫌われたら「こちらを嫌うなんて嫌なやつ!嫌い」とすぐに心の中で応戦していた。

でも年のせいか、それも疲れてしまった。

若い頃はそれでも「いつか分かり合える人が」とかアホなこと考えてたけど、そんな人居ないだろう。というか自分絶対的な味方を手に入れて、その人に依存たかったのかもしれない。

色々考えると自分が未熟過ぎて、人生お先真っ暗すぎてなぁ…


で、信仰ですよ。

言っておくけど自分は今でもスピリチュアル的なものは嫌い。

神頼み、占い、おまじない宗教を信じていない人でもこれらを信じる人はかなり多いと思う。

何が嫌いかって、ただ神に祈るだけ、他人の言うことを聞くだけで何か叶うと思ってるところね。

人生選択肢他人に委ねて、委ねられたほうは従わなければ罰だ地獄だと脅しをかけて支配する。これもう最悪。

まあ今日ラッキーカラーを信じる程度はかわいいもんだけど。

本当は、いっそ正式に入信してみようかとも思った。

でも調べてみると色々問題があったり、どの神様も愛と平和を解いてるはずなのに内部抗争があったりとちょっと怖い。おまけに自分敬虔教徒になれる自信もない。なので家で勝手に学ぶ事にした。在宅信仰

やってることは名言bot毎日見てそれに感銘を受けることと何ら変わりないと思う。

ようするに自分の中の決めの問題なんだよね。

嫁の言葉萌え毎日元気を貰ってたらそれも立派な信仰なんじゃないかと思うの。

あと、結局他人で叶えられなかった事(=自分をわかってくれる人が欲しい)を別の何かに置き換えただけで、果たしてそれで良いのかという疑問は今でもあるわけなんだけど

実在他人に期待するより、架空の何かに期待したほうがマシかな。と思う事にしている。

とりあえず宗教本って、昔から人が苦しんで悟った事が色々書かれてて、最古かつ最大の自己啓発本だっていうのが今のところの感想かな。

http://anond.hatelabo.jp/20140719175312

彼らの言う「国際社会から孤立するぞ!」っていう時の「国際社会」って中国ロシアイスラエル北朝鮮イラクウクライナもいないでお綺麗にお上品な世界みたいだから、多分、我々の生きているカオスで野蛮な世界とは違う世界なんじゃないの?

2014-07-12

俺のバイト遍歴 第2章

(http://anond.hatelabo.jp/20140712205205 の続き)

第2章 リア充に囲まれて落ちて死ぬ ~某レストラン編~
バイト別のところへ替えてくれます?同じ部署からできますよね?」

球場バイトを辞めた俺は、同じ球場経営しているレストランホールとしてバイトすることになった。

要は、注文を取ったり、配膳したり、食べ終わった食器を片付けたり、洗い物したり。

カクテルも作ったりビールも注いだり、デザートも作ったりする。

その時の俺は、球場バイト担当部門

バイト別のところへ替えてくれます?同じ部署からできますよね?」というわけのわからないことを言っていた。

多分、同じ学校サークルを移り変えるみたいなもんだと思ってたのだろう。

これがもしも会社員であればぶん殴られる。俺でも殴る。

いくら世間知らずの大学1年生とはいえ、今思い出して死にたくなった。

だがしかし、なぜかその要求が通り、

その変更先として希望していたレストラン店長面接し、

「ぜひうちに来てくれ」とのことで第二のバイト人生スタートした。

そのレストランは料金が総じて高く、それで質もいい。

更に、ある時間になるとスタッフ総出で踊り出したりする。

割とエンターテイメント性の高いレストランであった。

デートスポットにも最適だろう。

社会人になった後、自分彼女を連れて行ってただろう。

首になってなければ。

リア充世界コミュ障が入ると孤立する

意気揚々と第二のバイト人生を始めた俺。

今回は大成功だ。女の子もいっぱいいる。そして全員かわいい

巨乳女の子もいる。最高だ。

童貞の俺は終始ドキドキして良から妄想もしていた。

この環(わ)の中に上手く入り込んでいき、リア充の仲間入りをし、

ウェイウェイしながら皆で休みバーベキューいっちゃったり、

その帰りになんか気になる女の子と一緒にいちゃって、セックスかいうのをしちゃうんだ、

かいうことを本気で考えていた。

入った俺はそれが無理であることを1週間で悟った。

全員リア充なのであるリア充の中に入り込むのは無理だった。

結論としては結局円環の理に導かれた。

飲み会に言った時

バイト増田くん何か趣味とかあるの?」

俺「ぼ、僕アニメとかゲーム好きなんですよ。オタクなんです」

バイト「えー俺もアニメオタクだよ!ワンピースとか好きだわー」

俺「そうなんですか。らき☆すたとかARIAとかハルヒとか絶望先生とか狼と香辛料とか……」

バイト「いやー俺どれも知らないなー」

俺(あっもうだめだ)

会話がアニメゲーム以外引き出しが無い上、

タバコが苦手でバイトの休憩室がタバコの煙で充満してたので休憩中は1人で外に避難してた俺は即座に孤立した。

ちなみに同じバイト先で気になる女性がいたが、話しかけて2、3週間後には公然と嫌いだと言われるようになった。

あと、他の女性スタッフ(目元がタイプ)に気持ち悪いと言われるようになったが

ドMなので言われると内心喜んでしまっていた。もちろん余計孤立した。

大事

自分バイトしていたレストランは、複数階層があった。

1人〜4人ぐらいまで座れるような、広々とした店内に並んだ座席と、

さらにひな壇状に3段階層に並んだテーブル席があった。

そんな絶望の第二のバイト生活を初めて1ヶ月が経過。

ある初夏のお昼。オーダーでカルボナーラが来ていた。

キッチンから出てきたカルボナーラ

座席場所はひな壇席の3段目、つまり最上階であった。

意気揚々とカルボナーラを運ぶ増田18歳。

そして3段目でつまずく増田

転ぶ。

カルボナーラお盆から飛ぶ。飛んで行くカルボナーラ

行き着き先は……2段目。

2段目で週末のデートに花を咲かせてパスタランチを食べるカップル

そのテーブルの上に……ッッバアーーーーーーーンッッッッッ!!!!!!

落ちてくるカルボナーラ

飛び散るソース

潰れるパスタランチ

炸裂するパスタ皿。

呆然とするカップル

「お怪我はございませんか!?」異変を察知してひたすら平謝りする店長

手が震える俺。

結局、被害を受けた客には幸いにも怪我も無く、温厚だった。

お店負担クリーニング代を出してその場は終わった。

店長

「次は気をつけてね。同じような過ちは繰り返しちゃダメだよ。不安定な場所から」と軽く忠告する程度だった。すごい人だ…。

……ちなみに同じような大事故を1週間後にまたやった。

2回目。

ショータイム的な時間の時、スタッフステージに上がって踊る。

俺踏み外す。

踏み外して天井のケーブルとか飾りを引っこ抜いたり切ったりする。

体ごと宴会中のテーブル席にダイブする。

飛び散るカルボナーラ

潰れるハンバーグ

飛んで行くビールジョッキ。

「お怪我はありませんか!?」異変を察知してイベント中にもかかわらずひたすら平謝りする店長

手が震える俺。

結局、被害を受けた客には幸いにも怪我も無く、温厚だった。

お店負担クリーニング代を出してその場は終わった。

店長

不安定な場所では気をつけろって言ったろ。次同じようなことがあったら首にするよ。気をつけてね」と穏やかに言っていた。

鉄の心臓だ。すごい人だ。

でも

「今まで俺はこの仕事を長年続けてきたが、お前ほど使えない奴は見たこと無い」とは言われた。俺も同感です。

あとサークルバーベキューで飲んで

「まあ出勤するまでには酔いもさめるっしょ!」と泥酔して出勤してめちゃくちゃ怒られたこともあった。休めばよかった。

増田くん、夏休み解雇

その後、辞めようかな〜でも時給1000円だしな〜とか思いながらなんとなくバイトを続けていた。

お酒は一切飲まないのでカクテルの種類なんざわからない、カシスオレンジカシスウーロンが似た種類のものである事すらわからなかった。

デザートを作っても形が崩れていてお客さんに文句を言われる。

人間関係も相変わらず孤立はしていたし、気持ち悪いと言っていたあの人も俺を無視するようになった。

挙句、出勤すると

「あれ、増田くんまだ居たの?」と言われるまでにはなった。成長したなあ。

そんな俺もついに解雇される時が来た。

ある日、閉店間際の店舗

最後の注文がハンバーガーで、キッチン最後のオーダーを終えると片付けに入り、

手が開いていた俺はハンバーガーを持ってお客さんのところへ向かった。

お客さんの目の前に来た瞬間……俺はまたもつまづいた。今度は自分の足で。

自分の足にひっかかって転んだのである

飛んで行くハンバーガー

散乱するポテト

お客さんにべったりくっついたビーフパティ。

落ちるお皿。

「お怪我はありませんか!?」異変を察知してひたすら平謝りする店長

手が震え狼狽する俺。

「うわあああああああもうじわけありまぜんうああああああ」

俺は何を思ったのか落ちたハンバーガーを拾って修復して戻そうとする。

もちろん素手なので熱い。ポテトもビーフパティだって熱い。できたてだ。

「うああああああああもうじわけありませんうあああああ」

「あつッ」

掴んだビーフパティを熱くて手を離し、更にそのビーフパティは再度お客さんのワイシャツへ付いた。

異変を聞いたキッチンはキレて、再度途中までしていた片付けを元に戻し、キッチンに火が入る。

大急ぎでハンバーガーが作られる。

店長が平謝りする間、俺は社員に呼び出され

「もう、お前は今日今度からノートを用意して、今度からその日怒られたことを全てメモしろ。それを毎日俺に見せろ」

まるで小学生みたいだな、と思った。

翌日電話があり、解雇となった。

ちなみにノート云々を言っていた社員は、トラブル時にお客さんを放置していたとして減給処分となった。

うわー申し訳ない。

その後、俺は観光地お土産屋でバイトすることになるが、そこでも大変な事になる。

(http://anond.hatelabo.jp/20140712214434 へ続く)

2014-07-11

発達障害診断まで

発達障害を疑って、病院に通った。それからはや半年

経過を綴る

・5年勤務した会社で、いじめ的な状態になり、完全孤立

・やめる前1年半くらいから、やる気の起きない状態 1ヶ月前からは不眠の症状がでる

退職後 掲示板で有名なNメンタルに通う デパスを服用 失業手当の中で本格的な通院を開始

・以前より仕事ができない原因を発達障害と疑い、その特徴を自分と照らし合わせ、一致が多かったため、クリニックで、ADHDの疑いを診察時に相談

・即、ADHD診断が出て、ストラテラを服用 同時にカウンセリング開始 検査はしないのか?

カウンセリングではリワークを勧められる 自立支援制度の利用を勧められる 就活に影響が出る可能性を考え懸念したが、いままででそういう人はいないということで、利用開始

掲示板ADHD検査について知る、カウンセリングの中で話を聞くとやっと検査をすると 1枚のシートを渡され記入

・後日やはりADHDと言われるが、どの部分で判断したのかは明言せず

うつ症状の改善のため、お金的に厳しいのであれば、週2回でもリワークに通うよう強く勧められるようになる

・週2回通うようになると、スポーツなど他の曜日にも出るよう勧められる 

・通院し、自習室自分必要スキル勉強をするようにも勧められる 利用するだけでリワークと同じ値段がとられるので、固辞

カウンセリングを中止される

・他の病院でWAIS-3,ロールシャッハPFタディを受ける。発達障害と診断 

・その結果を他院でも見せて、やはり発達障害と診断 信頼できる文章を書いている先生だったので、ここで様子を見てみようと思う

いまここ

○まとめ

最初のクリニックについて、検査もせずにADHDと診断書まで書く病院を信用できず、検査をしないのか再三問うたが、WAISの一言も出てこなかった。

にもかかわらずリワークに出ろとカウンリングの度に勧誘する。カウンセリングリワークへの出席勧誘の手段であったと途中で気づいたが、他の訓練的なものもあったため、

そのことはおいといて、リワークは言われる最低限の出席をしたが、勧誘され続ける。それをかたくなに拒んだ結果、カウンセリング打ち切りを言い渡される

 いくつかの病院に通って思ったのが、

処方箋を書かないような診断は明らかに嫌な顔をされる 非常に対応も悪くなる どこの病院もそう

発達障害鬱病などは病院に通い続ける人が多いため、そう診断されやすいし、金づると思われ、デイケアリワークへの出席が強く勧められる 

 通わない 他の病院で通っているとわかると、付け入る余地がないと判断し、対応が悪くなる

 宗教勧誘に近いものがあると感じた 

 (脱線だけど、よく行くラーメンやも通う回数が多いとよく声をかけてくれる。商売だからいいと思うけど、病院で商売的なのはどうなのか)

果たしてデイケア 診察に通って ADHD改善されるのか 自分なりに気づいて習慣を治してということをやるには限界がある カウンセリングでもめんどくさがられた

以上の経緯から今何をするべきか コーチとして信頼できるカウンセラー 医師が居ない状態

元々疑り深い正確なのもあるので、信頼しないので信頼されない 関係が作れないという構図ができてしまっているため、誰とも仲良くなれない現実がある

この特徴のせいで上記の状態が出来上がってるのかもしれない 

http://anond.hatelabo.jp/20140711071351

丁寧に、ありがとう

マウントポジションて、そりゃ獣臭いから認めたくはないでしょう。

そう言えば私子供の頃、教室の「普通」を重要視する友達関係は窮屈だったな、丸切り孤立してたわけじゃなかったけども。

特別ぼっち歴=年齢というわけではなかったから、またそこが半端でねぇ。

おk、まあ虚栄張りたい的諍い好きな人のいそうなとこからは距離置きますわ。

生きる場所、だいぶ狭まりますが。

そういうとこは、付き合い程度に時々顔出せばいい程度かな。あと子分欲しい人は先手打つと

かね。

2014-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20140706234514

よく分からんのは、国際協調をやたら重視するサヨクが、集団的自衛権に反対するところ。

フィリピンオーストラリアアメリカタイマレーシアなどが続々と歓迎の意を表明してるのだからサヨク日本アジアから孤立しない選択をしたことを歓迎すべきであろう。

2014-07-05

孤独は危ないんだろうな

誰かに嫌われたとしても、この人だけは何があっても自分を好いていてくれる、っていう存在が居るとそれだけで立ち直れるよな。

それは親だったり友達だったりパートナーだったりするんだけど。そういう人がいると嫌われるかもしれないギリギリアプローチもできる。

逆に言えばそれがいない人ってどんどん性格が内向きに歪んでいく。その歪みによってまた嫌われたりするもんだからさらに歪んでいく。この負の連鎖を止めてくれる存在が居ないからもう歯止めが効かない。

学校や社内で孤立したり結局引きこもりになるのもこういう人達なのかな。存在を全肯定してくれる人がいないし、作れない。なので他人を全肯定する事も無い。

利己的で他罰的で完璧主義なのに受け身なので常に人を疲弊させる。こういう人が親だったり教師だったりするとホントに疲れる。

昔よくいたよな、凄くヒステリックで罰を与えたがる独身女教師結婚して子供が出来ると途端に性格が温和に豹変して生徒に謝ったりもするんだけど。

親友パートナーが居るって素晴らしい。孤独は危ない。

http://anond.hatelabo.jp/20140704205502

 例えば、簡単な生活のコツみたいなのがある。

ワインボトルの栓がが開きにくい時は瓶のほうを回すといい」

「お肉を切る時は押し引きしないで、どちらかの方向だけに力を込めるといい」

「水彩絵の具は薄い色から塗り始めるといい」

 …とかそういうやつ。

 そういうのを「コツ」として個別の知識で覚える場合、そのコツの「使い方」を知っている状態になる。

 これが単体としての「知識」。

 で、それらのコツがなぜそのように作用するのか、きちんと理由ってもんがある。

 物理的な力がどう働くのか、なぜ色を塗る順番があるのか、それぞれに物理法則だとかそういうのが働いているわけだ。

 そこを理解するとワインの栓だけでなく、同じ理屈が働くものに対して同じコツが適用できるっていうことに気がつく。

 つまりそのコツを「理解してる」ということになる。

 この「理解」が教養なんだと思う。

 物理的な知識だけじゃなくて、例えば絵画音楽文学などでも「その表現がどういう理由から来ているか」「そしてこの表現はその理由を作品の中に含むことで何を目指しているのか」っていうのを掴むとものすごく面白く思えてくるケースが多々あって、そういう楽しみ方を体得している人は「教養のある人」だなぁと私は思うよ。

 知識が孤立していなくて連動してる状態とでもいうかな、そういう感じのもの

2014-07-02

俺の思い出話と、ある宗教を嫌いな話

六月の途中くらいから書き出して、七月になってしまった。

ただの好き嫌いの話で、長い思い出話。

思い出話で恥ずかしいから特定されないように細かいことをごまかして書いた。

長えよ、と言われる前にまとめると

「ただの長い思い出話で、宗教が原因で好きな景色が無くなったから、俺はこの宗教が嫌い。」

というだけの話だ。具体的な宗教名は書かない。

六月になると亡くなった祖父を思い出す。祖父が亡くなったのはずっと前の年の瀬来年は会えないかもと入院中に見舞ったのが最後になる。

田舎に住んでいた。両親は同じ地域出会い結婚したので、母方の実家チャリンコ必死に行けばたどり着く距離だった。車では20分くらいか。

思い出す祖父というのは母方の祖父。母はパートがあったので、小さい頃は週の半分以上、学校から帰ると姉と一緒に預けられていた。

その頃は祖父との思い出はあまりない。働き者だったので、俺と姉が預けられるとすれ違いで仕事に行ってしまう。あとから聞けば介護施設ボランティアみたいなことをしていたらしい。祖父が出勤前、早めの夕食をとる食卓で、俺と姉が一緒に座って、その日の出来事を喋ったりしていた。たまに仕事のない日には、ご機嫌、というかんじでビールを飲んでいた。この家は小さな商店だったので、好きなジュースを選んで良いぞと言われて、俺たちは普段の食事時には飲めないジュースを喜んで飲んでいた。

もちろん遊んでくれた記憶もある。夏休みクラスでただ一人乗れていなかった自転車の特訓に付き合ってくれた。川で泳いだりとか。姉ちゃんと喧嘩して両成敗でゲンコツとか。

母方の実家、小さな商店をやっている、ややこしいのでA家としよう。

A家に頻繁に預けられたのは小学生の頃で、中学高校と成長するとそういうのは無くなった。

頻繁に預けられたA家は、よくある、たまに帰省するじいちゃんばあちゃんち、になっていった。

祖父はある病気になった。不調を誤魔化しごまかし過ごしていたのが、発覚したというか。A家の家の中は帰省するたび介護向けに変わっていった。母の兄弟、俺の叔父趣味日曜大工だったので、楽しい変化だと思ってた。(おっちゃんスゲー!階段つけ直したの?!みたいなかんじだった)

手すりが付く。急な階段は段数が増える。トイレ洋式になる。手すりが増える。掘りごたつからテーブルになる。布団がベッドになる。自動で昇降するベッドに変わる。喋れなくなったのでナースコールボタンが付けられる。指先で押せなくなったから顔の横にボタン

じいちゃんはどんどん悪くなる。ばあちゃんのやっている介護は、自宅介護でそんなことするんだ、というくらいプロみたいな作業までこなしていく。詳細は省くけど、いま思い返すとあんなことを無給で、かつ無休でやっていたのは驚く。もちろん医者ヘルパーさんが来てはいたけれど。

中学の後半くらいから、俺はデジカメを触るようになって、ホームページを作って風景や花の写真を載せていた。季節ごとにA家に顔を見せる程度の帰省をしていたので、A家の裏の田んぼだとか、家の軒先にあるバラだとか、そういう写真を撮った。本当にきれいだった。通り雨のあとの、雫が付いた葉っぱとか。俺には写真の才能があるんじゃねーのかと、進路相談の時、ニヤニヤを隠しながら担任に見せたら、景色やバラを褒めるので、あ、俺じゃなくて被写体がよく出来てるんだな、と気付けた。(担任も良い趣味だね、とだけ言う程度のレベル

それでも見せれば褒めてくれる祖母にプリントアウトして渡した。次に帰省すると写真立てに入れてあって、寝たきりの祖父が見るテレビ台の横に飾られていた。

正直に言うと、帰省してもすることが何もない田舎の家で、あんなに元気だった祖父が寝たきりの様子を見ていたくなかったから、理由をつけて外を散策するために写真撮影趣味だとしたんだった。そんな写真を、飾っている。申し訳なく思った。

大学に進学して実家を出た。一年に一度か二度、実家帰省するついでにA家にも顔を出す。時々A家ではなく病院だった。

大学二年の頃だったか帰省するとバラがなくなっていた。A家は小さな商店かつ小さな農家でもあったが、家の裏手、裏庭のようなスペースはすっきりとなにも無いような、更地というほどじゃないけど、なにも、なかった。

母に尋ねると、手入れがねぇ、みたいな答えで濁す。そりゃあ、あんなに大変な介護だ。仕方ない。でもどうしても寂しい。友達が知らぬ間に引っ越していた、という感覚が近いかもしれない。A家の周りががらんとして、入院しているため家の中もがらんとしていた。窓の外から見える裏庭みたいな農地の緑がない。小さなぶどう園は支えの柵だけになっていた。姉は俺よりは多く帰省していて、草花を刈った話は聞いていたらしいが、目の当たりにしたのは初めてらしく、ショックを受けていた。というかちょっと泣いていた。俺よりずっと思い入れがあったらしい。その時まで知らなかったが、初孫である姉が生まれた年に植えた木があって、その木までも全部なくなっていたのだ。

それから数年も経たないうちに、祖父が亡くなった。小学生の時、きげんよく晩酌していた祖父に○○ちゃんが大きくなったらこれを飲もうなと言われた。俺は本当に未成年のうちに酒を飲んだりしなかった。でも成人したところで、祖父は寝たきりだったし、普通食べ物すら食べられない状態だった。

葬式が終わって、A家から実家へ帰った。親戚が父と俺と姉を車で送ってくれた。母はA家に留まった。父は禁煙していた煙草を吸いながら、運転手をしてくれた親戚のおばちゃんとコーヒーを飲みながらぽつりぽつり喋っている。姉はその輪の脇で黙って座っている。俺はすぐにでもスーツを脱ぎたかったが、とりあえずその部屋からは出ないでおいた。葬儀のあとの食事?宴会?で、これでもかと酒を飲んだので、半分寝ながら部屋の隅にいた。従兄弟下戸で、その分まで飲んでたからほんとフラフラになりつつも、みんなまだ着替えないから着替えちゃ駄目とかそういう決まりがあんのかなと寝そうになりながら携帯をいじる。

変な葬式だねとか、やっぱり○○だねとか、そういう話から、姉も会話に加わる。

挨拶してたのは導師さまとかいう奴」

「たぶんね、そういう仕組みはよく知らない」

「○○の木を切れって言ったのあいつなんだ」

なにそれ。俺は隅っこで携帯をいじってたけど、思わず声になった。

祖父が寝たきりになってから数年して、仏壇雰囲気が変わった。その頃俺は中学とか高校くらいのガキなんでよく分かってなかった。いまでも詳しくは知りたくない。

有名な、ある宗教だ。この長い思い出ばなしはこの宗教が嫌いだと言うだけの長話だ。たんに俺の好悪の話なので、具体的な名称は伏せる。

経緯は分からないし知りたくないが、浄土真宗だとかのいわゆるよくある宗教から、その宗教に変わったそうだ。祖父が寝たきりになったところにつけ込んだような気がしてしまう。

祖父が患ったのは国の指定を受けるような難病で、そんな夫と共に生きるためには、新たな宗教必要なのかもしれない。それは仕方ない。祖母が生きるためには必要だったはずだ。

その宗教の、導師さまとかい地位の人が、A家に来てくださって、アドバイスをくださったらしい。

伝聞の伝聞くらいのことしか俺は知らないため正確にはどう言ったかからないが、そいつは、A家にある緑が祖父の生命力を奪っていると言った。

から草花を切りなさいとまで言ったかは知らない。じゃあ切らなきゃねと祖母が感じただけかもしれないが、そいつはそんなことを言って、次にA家へ来たのはじいちゃんの葬式の時だけ。

だって風水で西に金色のものを置くと金運アップと聞いたらなんとなく西に金色を置きたくなるし、ラッキーカラーは青ですなんて言われたらメモを取る時のペンを青にしようかななんて思う。ただ俺の機嫌がよくなるだけだ。その程度でいい。

祖父は、ALSだ。筋萎縮性側索硬化症根本を治すような、有効治療確立されていない。指定難病だ。

導師さま曰く、祖父の健康を吸い取っているのは、ぶどうの木や、小さな露地栽培野菜、姉の生まれ年に植えられた木、雨露がかかると一層美しいバラたちだそうだ。

腹が立つというより、呆然、というかんじだった。

A家周辺の景色や、草花の写真がきれいに撮れたから、嬉しかった。ばあちゃんも褒めてくれた。寝たきりのじいちゃんが見るテレビ台の所に飾ってくれた。姉ちゃんが泣いたくらい思い入れのある木。いろいろある。いろいろあった。

祖父が亡くなって一人になった祖母は、田舎の狭いコミュニティの中で孤立したりしなかった。宗教のおかげだ。会合に参加したり、そこのひとたちとバスツアー旅行に行ったり。それだけは、よかったと思う。

それでもあの宗教は、嫌いだ。祖母も草花を刈ることで病気になにか影響すると真に思っていたのではないと思う。俺の撮った写真だけでなくほかの人が撮ってくれたバラの写真も残していたし。本当に病状に関わっていると信じていたら、写真すら残さないと思う。

祖母も亡くなり、何年も前から、このA家にまつわる話をぼんやりと思い返しては、増田にでも書こうかなあと考えていたが書き切れたことはなかった。

五月や六月の、バラがきれいな時期になるとどうしても書いておきたくなった。

あんなにきれいな景色が寝たきりの祖父の生命力で育っていたらロマンチックだ。ファンタジーだ。ふざけんなあり得るか。

先日、姉が結婚した。なにか特別に贈ろうと写真データを見返していたら、姉と同い年のあの木が写った、緑豊かな写真があった。あげたらすんげー喜んで泣くから俺も泣いちゃったよ。

じいちゃんもばあちゃんも大好きだ。病気はどうしようもないし、ばあちゃんの選択は過ちではない。必要だった。生きる上で、大切な指標で、手段なのだろう。

それでも、その選択肢を救済のように与えたあの宗教が、嫌いだ。

俺の好きな景色や思い出を、踏みにじられた。そう思ってしまうから、あの宗教は、どうしても嫌いだ。

2014-07-01

クコミュに性奴隷を放り込んだ結果 〜Troisième partie〜

緊縛師夫妻と別れ、ぼくたちは駅前にいた。夫妻が見えなくなると、性奴隷はぼくを平手打ちにした。そしてその場にうずくまり泣き出してしまった。周りの気まずい空気が広がっていく。ぼくは泣き続ける彼女背中をさすりながら、「ごめんね、ごめんね」を繰り返していた。そんなことをしているうちにいつしか回帰りかなにかの警察官に捕捉され、「まあわかいうちはいろいろあるけど、彼女泣かしちゃだめだよ。がっはっはっは。」みたいなことを言われ、彼女もようやく落ち着いたのか泣き止んでいた。

そのまま日帰りを決めていたが、急遽近くのちょっと高めのホテルチェックインし、知らない街で二人デートを楽しんだ。

ホテルへ帰ると、「もう、死んじゃうかと思ったんだから。」と彼女は言いながら僕の目の前で服を脱いだ。驚いたことに、彼女の肢体には緊縛のあとがほとんど残っていなかった。うーん、プロフェッショナル。あまりにもおかしなことだが、その日、ぼくと性奴隷彼氏彼女になった。

その日以降、しばらくぼくたちはラブラブカップルとしてとても良好な関係だった。調教は続けていたが、性奴隷、としてではなく、彼女としてのそれだった。彼女のあの日以来、性的な自由さは失っていった。普通セックスができたらいい。そう言っていた。

しかし、僕の性癖がその平和を許さなかった。そんな時、ミクコミュの姫の独裁っぷりが耳に入ってきた。僕は当時コミュからは距離を置いていた。もちろん姫には目を光らせていたし、たまには会ってお灸を吸えていた。

「姫、ご乱心です。」

執事くんからメールだった。話を聞いてみると、どうやら姫がコスプレ衣装自分で買ってくるから、とメンバーからお金徴収し始めたらしい。さらに悪いことに、購入したコスプレは全て、服飾学校の知り合いに無償で作らせていた、というのだから性質が悪い。ぼくが離れてから、数十万単位お金が消えていた。姫の懐に。

しかし、エヴァくん、平野くんは姫の三銃士として君臨し、他のメンバーからの不評も揉み消していた。一人、また一人とコミュからメンバーは去っていった。しかし姫の増長はとまらない。メンバーが減ったのをいいことに、ほぼ全てのメンバーと身体の関係をもっていたようだった。そのことは、他の女子メンバー暴露した。姫の相談を聞く振りをして。

性奴隷の出番だった。エヴァくん、平野くんを陥落させる。それがミッションだ。

僕がミクコミュの話をし、力になってほしいことを伝えると、性奴隷は一瞬喜んだように見えた。

「ほんとうにいいの?」

「Kには悪いけど、わたし、あの日のことを思い出すだけでうずいちゃうの。ごめんね。」

僕も同じだった。あの日、Kがおっさんにやれらているのを見て、僕は自分史上最大に勃起していたのだ。心の中で。

作戦を練った。

まずミクコミュに性奴隷を入れる→エヴァ平野を篭絡する→姫を追放する→性奴隷コミュの頂点にする


すでに脱退していたメンバーの紹介、ということで性奴隷はミクコミュに難なく入り込んだ。姫と比べて、性奴隷エロく、可愛かった。姫はすでにぽっちゃりとしていて、怠惰な様子が顔からも見て取れた。これなら訳もなくエヴァ平野は篭絡できる。


僕は飲み会をセッティングエヴァ平野、姫、執事二名、を呼び出すことに成功した。

姫と性奴隷は初対面だ。

エヴァは「わたしエヴァ好きなんですよー。コスプレもしたことあるんですよ。」作戦で陥落した。姫はぶすっとその様子を眺めていたが、まだ平野執事二名がいたので、姫としての威厳をなんとか保っていた。

僕は性奴隷と初対面のふりを演じた。

エヴァトイレに立った。性奴隷に後を追うよう指示した。そしてそのままお持ち帰りされろ、と。

性奴隷エヴァは消えた。後から聞いた話によれば、エヴァタクシーに乗りすぐさまホテル直行したがったそうだが、性奴隷は予定どおり、部屋にエヴァを連れ込んだ。そこにはビデオカメラがセッティングしてある。もちろん、オレがやった。

午前2時くらい。「成功」とメールが届いた。ぼくはすごく嫉妬していた。しかし性衝動も同時に沸き起こっていた。

翌朝、エヴァに再び求められた性奴隷はそれに応じ一戦交えたあと、エヴァを帰した。ぼくはそれを自分の目で確認した。

性奴隷の部屋へ行き、ビデオカメラテレビ接続し、二人のまぐわいをチェックした。

エヴァは「ちょっと酔っ払っちゃたよー。性奴隷ちゃん、ちゅーしよ、ちゅー。」と言って彼女を押し倒し、ソファ彼女を抱いた。明りは絶対消すな、と指示していたので、鮮明に二人の結合状態をみることができた。エヴァ性奴隷を正常位で抱きしめながら、「好きだ。好きだよ。おれと付き合おうよ。」を腰を動かしながら連呼していた。その時、性奴隷の冷めた目がカメラの方を見た。おれは勃起した。そのままビデオを流しつつ、姓奴隷を押し倒し、エヴァと同じように正常位で嵌めた。「おまえはおれのものだ。」と目を見据えながら腰を振った。

翌朝の映像は淡白なものだった。エヴァのために敷かれた布団の上に性奴隷を連れてきて、寝バックで嵌めていた。性奴隷のベッドはシングルなのでいささか小さいのだ。普段僕もほとんど使わない。

「おれたち、つきあっちゃおうよ。」行為の後、エヴァは言った。性奴隷は、回答せず、ただ微笑んでいた。

それからエヴァ毎日メールを送り、電話をかけてきた。性奴隷アルバイトが忙しい、と嘘をつき、僕とファックしていた。エヴァから電話がかかってくると、僕は必ずふぇらちおをさせた。なんとか、うん、うん、と相槌をうちながら、エヴァとの電話を終えた後、すこし怒った様子でぼくをにらみつけた。

「なんだよ、ほれたのか?」「そんなわけないでしょ、バカ

エヴァは姫のことを完全に切ったようだった。性奴隷バイトが忙しいとか実家に帰るとかいろいろな理由をつけ、エヴァとのセックスは避けていた。しかし避ければ避けるほど、エヴァ卑猥メールを送ってくるようになった。もちろん全て保存しておいた。

同じように、平野を篭絡した。エヴァを外した飲み会を開催し、性奴隷の部屋でセックスさせた。そしてぼくはそれを見ながら興奮し、性奴隷とファックした。

エヴァ平野性奴隷のためにコスプレ衣装現金を使うようになった。当然、姫には回らない。服飾専門学校の知り合いも、姫がお金を受け取っていることを知ると、協力しなくなった。執事二名は大して重要ポジションではないし、そもそもお金をあまりもっていない。エヴァ平野性奴隷のためにコスプレを買い、撮影会を開催すると、執事二名は当然こちらにやってきた。姫は孤立した。

2014-06-29

野次られてた時に塩村議員が言ってた事

晩婚や不妊を「女性問題」として扱ってる事自体女性蔑視と違うんかい

晩婚・不妊は双方に要因があるし、悩みを抱えてるのはどちらも一緒だろ。

専業主婦孤立やすいと言うなら、現在推進中の女性活用等でも解決できるわけだし、

ケア対象女性に絞る理由としちゃ弱い。

やじ問題の背景にあること

やじ問題でふと思ったこと。

やじには一般的に言って発した人の本音が含まれていることが多いと仮定してみる。

そうすると「自分が早く結婚すればいい」との鈴木章浩議員の発言は、やじ・セクハラと受け取られると同時に、晩婚化・晩産化傾向にある環境でとくに個々が孤立する東京において都の支援環境はどうしていくのかと都に対して質問した塩村あやか議員へ、横から「女は若いうちから家庭に収まって子供をさっさとつくりゃいいんだ」という本音回答を出していたとも受け取れる。

まり、この質問と(セクハラ)野次のやりとりの背景にある差異は、「なぜ晩婚化・晩産化傾向にあるのか。それは個々人の意思問題なのか、長時間労働をよぎなくされる労働環境にあるのか」といった現実認識差異ではないだろうか。たぶん(勝手想像だけど)鈴木議員は前者の見解で、塩村議員は後者見解ではないか。

安倍政権においては、女性労働力をより社会へ出してもらうと同時に出生率を上げていこうとしている。そのための育児支援社会全体で構築しようとしている。

そういった後押しがある中で、塩村議員が本気でこの問題を解決していきたいとするなら、せっかくセクハラやじとして世間耳目を集めることができたわけだから、今度は、鈴木議員のやじが「おやじもの本音」だろうと受け取り、その頭の中にある前提条件がまず現実認識として間違っていると論じていくことこそが、戦略としてとるべき方向ではないだろうか。

うつうつちゃう

職場のお局さまが鬱になった。

出社しようとするとはいちゃうだって

今まで散々新人いじめ抜いて、辞めさせてきた癖に何やってんだか。

もう一人のお局さまも部署内で孤立中。

新人いじめが他部署にまで発覚、社長から厳重注意されたのを切っ掛けに

スタッフから総スカンくらってる。

上司は他スタッフ

お局さまの事を理解して支えて欲しいとかいってるけど。今まで

スタッフが散々泣かされても、辞めていっても

見て見ぬふりだったくせに。誰が支えてやるかっての。

ばーか

でも、このお局さん達から悪い事だけじゃなく

良い事されたのもあるから

キライにはなりきれないんだよね。

自分の甘さというか都合の良い性格に鬱…

2014-06-24

個人情報秘密にし過ぎると世の中つまらない

2chはてなふたばといった匿名サービスばかりしていて、

ツイッターフェイスブック炎上が怖くて匿名アカウントを作っただけになっていた。

実際この手のサービスでの炎上事件なんかを見ていてそれは正解なのだと感じていたのだけれど、そのせいで人間関係から孤立してる。

中学同級生高校同級生も私が何をしているかからないだろう。

こちらからは向こうが何をしているかわかるのだけれど、最近承認欲求が増し過ぎていてこの手のサービスをやろうかと思っている。

リスクを負ってでも他の人に認識されたい。

http://anond.hatelabo.jp/20140623125606

そもそも孤独死って、社会的ものであって、生物学的には存在しない(孤独が死因に繋がる物理的な因果関係はない)しなぁ。

ちなみに独身孤独になりやすいのは男の方らしいけどね。

女は年取っても女同士で社交を保つけど、男は仕事辞めると途端に社会との繋がりがなくなってしまう人が多いらしい。

実際独身女性同士が、金出し合ってマンション建てて、一緒に老後を暮らす、ってのはちょこちょこあって、まぁまぁ成立しているみたいだけど、男のは今のところ聞いたことないし。


しかし、この手の「結婚しない女は不幸になってくれーーーーー」という呪詛は凄まじいものがあるな。

結局結婚しないで不幸なのは、お前で、だからなんとか相手を結婚したくなるように呪いをかけてるんだろうけど。

でもそうやって呪詛を吐けば吐くほど、それこそ孤立していくんだよ? 少なくとも「生物学的にー」とか言う奴と結婚したい人間は、多分人類史上一人もいない。男であれ女であれ。

2014-06-22

女性専用列車バッテン救援会 ブログ

女性専用列車バッテン救援会 ブログ

警察男性逆差別抗議への弾圧をやめろ〜女性専用列車バッテン救援会声明

○○さん宅に麹町署警部補・鬼瓦権蔵以下総10名ほどからなる警官隊が突然訪れ、家宅捜索を行いました。「女性専用列車に×(バツ印)をつけた貼り紙をした」ということについての軽犯罪法違反を容疑とするものです。

まだ就寝中の○○さんの私室に上がり、携帯電話パソコンなど合計28点を押収していきました。

その押収品には、障害者手帳学生証、健康保険証、旅券など、○○さんの生活に欠かせない身分証明書類(それも所持するもの全て)が含まれます

寝起きに私室で警察と対面するという精神的ショックは想像に難くありませんし、保険証もうばわれては病院に行くこともできません。また、調剤薬局から出された薬の説明書きまで持って行きました。さら警察署への任意同行を求められ、携帯電話押収の際には「パスコードを教えれば早く返すよ」などと脅されましたが、○○さんはともに拒否しました。

なんの前触れもなく訪れ、被疑事件に直接関係のない身分証明書類や携帯電話保険証など生活必要ものを全て持ち去ったこの不当な家宅捜索断じてゆるすことはできません。

今回の家宅捜索は○○さん個人へのいやがらせであると同時に、周りの住民や周囲の人間関係での孤立をねらいダメージを与えることを意図したものです。

○○さんは精神障害者認定を受けていることを知りながらこのような精神的圧迫をかけ、その上健康保険証なども奪って行く無茶苦茶な個人攻撃、生活破壊はあまりにも不当です。

被疑事件とされる軽犯罪ーーつまり女性専用列車への貼り紙ーーの捜査目的にしても、著しくバランスを欠いているし、法的な整合性すらも疑わしい権力暴挙と言わざるをえません。鉄道の日JR新宿駅構内での抗議行動であったことや、

女性専用列車バッテンなどのメッセージを問題にした政治弾圧であることは明らかです。

○○さんが主張しようとしたのは「男女平等社会に反するシンボルたる女性専用列車は粉砕されるべきである」ということです。

こうした主張に対して、セロハンテープ女性専用列車に紙を貼ったことひとつだけで家宅捜索まで行い生活破壊するという過剰な反応が出たことに注目する必要があります

隷属を強いる装置としての女性専用列車は、公然と抗議する者にはその暴力性を露わにして迫ってきます与党政治家歴史修正し、女性を美化し、男性列車利用者への恫喝すら進める現在にあって、

歴史的経緯とともに日本男女平等体制との連続性を指摘し、抗議する声がこうしてひとつひとつ攻撃されています

私たちは今回の○○さんへの弾圧事件に抗議し、警察に以下を要求します。

・○○さんから押収28点全てを、今すぐ返すこと。

・○○さんへのあらゆる捜査や連絡を今すぐやめること。

男性逆差別抗議への弾圧をやめること。

2014-06-16

俺の定番妄想ネタストックの一つに「自分殺し屋稼業を営む能力者」ってのがあって、今朝見た夢もその設定をふまえてたんだけど

今回はまず何らかの秘密を知ってしまった刑事ほか12名が山小屋孤立するというサスペンスホラー風の視点から始まって、そこを騎馬武者隊が襲撃、彼等を救うべく俺が「敵勢8008名の全滅」を条件として雇われるという内容だった

なんだこれ

2014-06-15

人付き合いの重要性は学生時代のうちに気づいておくべきだね

高校休日放課後誘い全部拒否ってたら孤立した思い出

2014-06-01

集団的自衛権問題の論点について

そろそろ集団的自衛権問題について自分立場をちゃんと整理しておかないとどこかで選択を迫られる局面が訪れそう。

ということでまず論点を整理しておこうと思ったのだが、以下のような論点以外のものはあるのだろうか。


まず「集団的自衛権」の定義あるいは根拠は、次のもののようだ。


国連憲章でうたわれる主権国家として以下の権利

自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃をされていないのにもかかわらず、実力をもって阻止する権利


そして過去日本政府公式的な立場は、以下のようなものだった。


◎「主権国家として集団的自衛権権利として保有するが、これを行使することはしない」


今回の話は、憲法改正を経ることなく、憲法解釈の変更により集団的自衛権行使できるようにする、というテーマ。そう理解しているが、そこにどういう問題があるかについて考えていくと、いろんな側面が絡み複雑すぎてよく分からない。ちょっと検討してみただけでも次のような側面と立場があるような気がする。


1)手続きとしての憲法との整合性論(憲法解釈の側面)

   ○の立場:現憲法下では自衛権範疇を明確に規定していない以上、国際環境に合わせて自衛範疇の幅を広げることに矛盾は起きない。

   ×の立場憲法における「自衛権」には、発動の三要件(我が国に対する急迫不正侵害代替手段の欠如、自衛必要な限度に限定)があり、集団的自衛権はこれに抵触するので矛盾が発生する。


2)国家安全保障上の有利不利論(まだ見ぬ将来にわたる損得の側面)

   ○の立場国際社会での孤立を招かないことが安全保障の最たるものであり、その観点からすると、国連軍への積極的な貢献ができるようにすること、また日本有事の際に同盟から防衛協力を得るためにも現在の片務状態でなく、双務状態であることが必要

   ×の立場他国の紛争状況に同盟であるだけで巻き込まれる恐れがあり、不要な危機を日本に招くだけである


3)目先の危機への対応今そこにある危機対策の側面)

   ○の立場中国海軍東シナ海南シナ海でのプレゼンスを広げ、衝突をも辞さずの態度をとっている以上、日本一国だけでなく、関連諸国での共同作戦、つまり必要に応じて南シナ海へ協力出動ができるようにし、包囲網を敷いていかなければならない。そのために必要

   ×の立場日本軍事力がその軍事的発動として外に出れるようになった時点でアジア諸国から疑いの目で見られる。むしろ日本が包囲される結果になるので不利となる。


他には?

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