2014-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20140704205502

 例えば、簡単な生活のコツみたいなのがある。

ワインボトルの栓がが開きにくい時は瓶のほうを回すといい」

「お肉を切る時は押し引きしないで、どちらかの方向だけに力を込めるといい」

「水彩絵の具は薄い色から塗り始めるといい」

 …とかそういうやつ。

 そういうのを「コツ」として個別の知識で覚える場合、そのコツの「使い方」を知っている状態になる。

 これが単体としての「知識」。

 で、それらのコツがなぜそのように作用するのか、きちんと理由ってもんがある。

 物理的な力がどう働くのか、なぜ色を塗る順番があるのか、それぞれに物理法則だとかそういうのが働いているわけだ。

 そこを理解するとワインの栓だけでなく、同じ理屈が働くものに対して同じコツが適用できるっていうことに気がつく。

 つまりそのコツを「理解してる」ということになる。

 この「理解」が教養なんだと思う。

 物理的な知識だけじゃなくて、例えば絵画音楽文学などでも「その表現がどういう理由から来ているか」「そしてこの表現はその理由を作品の中に含むことで何を目指しているのか」っていうのを掴むとものすごく面白く思えてくるケースが多々あって、そういう楽しみ方を体得している人は「教養のある人」だなぁと私は思うよ。

 知識が孤立していなくて連動してる状態とでもいうかな、そういう感じのもの

記事への反応 -

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん