はてなキーワード: 孤立とは
「慣例が~」「老害が~」と批判して朝礼には出ない休日出勤はしないという所謂ゆとりが増えてきてる。
ウチの会社にも「飲み会は仕事ではないので参加する気はありません!」「その仕事は先輩がやったらどうですか?」という
絵に描いたようなゆとり新入社員達がいるんだが4月に入社して数ヶ月経った今、会社では孤立していて全く仕事ができていない。
そんなゆとりでも先輩や上司は熱心に仕事を教えようとしていたのだが根底にある無駄なプライドと自己主張のせいで
1人、2人と離れていき今では話しかけることもない。仕事を振っても「何故、私が?先輩がやったらどうですか?」
現状やこれからについて少しでも話せればと食事や飲みに誘っても「参加しません!」と突っぱねる。
今のゆとりは「出世しなくてもいいから安定してればいい」という風潮があるらしいが
こんな考えで誰がフォローしてくれるのだろうか?
何かの記事で「乾杯の飲み物はみんなそろえるべきという慣例は老害のせい」というものを見た。
確かにこれは慣例の1つだが相手がどう思うかということを思案することは仕事をするうえはもちろん
1人のせいでみんなが待つという状況を考えたら事をスムーズに運ぶためにも飲み物を統一するという考えは合理的。
こんな簡単なことにすら気づかず思いを巡らすこともなく、ただただ自己主張をしてるゆとりを眺めてると
自分で自分の立場を窮屈にしてるだけなのにかわいそうだなと感じて仕方がない。
もし立場が上なら自己主張も通るだろうけど右も左もわからない状態で牙を剥き出しにしても良いことはない。
だからゆとりは全員考えを改めろ!なんてことを言うつもりはない。
ただ、その自己主張のあとの自分の少し先の未来を客観的に考えてみてほしい。
それでいったい誰が得をするのかってこと。自己主張したいならすればいいんだけど
まるで成人式に歌舞伎の格好でオープンカーに乗って日の丸の旗を振ってる子供達のような滑稽さと
撫でようとするたびに本気で噛んでくる犬を合わせたような気持ちで見られてるってことを知ってほしい。
結論は以下の通り:
1.通勤定期代は自腹でもいいから、会社から離れて生活したい。
持ち家か賃貸かは関係がない。長時間通勤はたしかにありえないが、会社のすぐ近くにも住みたくない。
理由は以下の通り。
1.常に会社の建屋が目に入る状態だと、常に仕事を思い出してしまい、精神的に休めないため。
もう、これにつきる。
昔さ、新聞で労災を扱った記事を読んだのよ。もうどの記事かは忘れちゃったんだけど、
工業関係の専門学校を卒業して、メーカーの技術職に配属になって、優秀だったのはいいんだけど、
その優秀さゆえに仕事を次から次へとまかされて、慢性的な過重労働になって、うつ病を発症して、
その人が住んでいたマンションからは、勤務先の建屋が見えたんだって。
学生の時に上の記事を読んで、今は、勤務先から電車で片道一時間程度かかるところに住んでいるんだけれど、
結果的に良かったと思ってる。
だってさ、よのなか、うまくいくことばかりじゃないじゃん。
ホワイト企業だからと言っても、一時的に業務が集中したり、仕事で大ポカしたりして、出社が辛くなるときがあるじゃん。
給与が十分で、仕事が簡単でも、周りになじめなくて孤立感を抱く場合だって考えられるじゃん。
気分の切り替えが下手な人もいるじゃん。
ぼーっとする時間や考え事をする時間が欲しい時だってあるじゃん。
布団の中で、「出勤したくないなぁ」って思っていても、着替えて、電車乗っているうちに、「今日も頑張ろう」と思えたりもするじゃん。
私生活や仕事で、複雑な事案が同時に起こりすぎて、頭の中を整理したいなぁ。と思う時だってあるじゃん。
いろいろあるじゃん。
https://twitter.com/hazuma/status/550273991530008576
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/hazuma/status/550273991530008576
社会的文脈の中でのセックスワーカーを話題にあげる、またはそれらの味方についた(つきたがる)ことで、言及した人間の立ち位置がフィックスされる、つまり自身の存在そのものや、自身の言動の是非を社会的弱者=許容されるべき存在に窶すことができ、それが逆説的に"最強の弱者"足りうる。そしてそれらを積極的に武器として使う人々もたくさん存在して、弱者に寄り添う言動をすることで"弱者"という強さを得ようとする"厄介さ"への対処は難しい。またそれらの周縁に存在する"インテリ層"を計算にいれる自称セックスワーカーも少しはいる。
東は言及する側の立ち振る舞いにフォーカスしているわけだし、セックスワーカー当人を侮蔑しているわけではない。正直いって"戸惑い"という語句がわかりづらく思えたが、どう読めばセックスワーカーへの侮蔑と取れるのか。
これは俺個人の意見だが感情的になって罵倒してる人たちが(それが当事者であっても)セックスワーカーの一番の敵かもしれない。なぜなら、結局この言及に対して「社会的弱者を攻撃するな」と反応してしまうのは、件で東が言うところの「挙動不審なインテリ」が「戸惑いを積極的に武器に使っている」状態にややもすれば近く、言論される場そのものの健全性への言及を、この手の感情論で封殺してしまうと、無関心なマジョリティを議論に巻き込めないからだ。言及して足を踏み外して不用意な発言に至れば最後、弱者の味方を標榜する好戦的な人たちから差別主義のレッテルを貼られるような爆弾を抱えることになるような社会問題に、多くのマジョリティは寄り付くことはなく、最終的にその問題はますます孤立することになる。というよりもう殆どしているし、マジョリティであり、まるで社会問題など知らない俺は、その延焼の被害を被りたくないから匿名のここに投稿している。
例えばこのように訊かれる。
表面上こう答えるだろう。議論など沸かない。
「決して差別されるべきではないさ。」
実際にはしったこっちゃない。俺は悪ではない。しかし後ろ指を差されるのは御免だ。レイシストのレッテルを貼られるのは御免だ。他人の地獄など知ったことか。
かくして残されたのは本物の弱者と自称弱者と差別主義とインテリと弱者の味方にすることを武器にしようとする人々なわけだ。問題は問題のままでマイノリティはマイノリティのままなわけだ。
一生、自分の自尊心やら承認欲求やらの肥やしに弱者を利用して生きればよい。それを醜いと俺個人は思うが、糾弾できるだけの人間でもない。
余談
ぶっちゃけ、マイノリティに身を寄せることで、自身の立ち位置を覆そうとする人々はたくさん居たし、それはセックスワーカーでなくともありとあらゆるマイノリティに言えることでは、と思う。それで食ってる人たちもたくさんいるし、ひとつのコンテンツ産業として成立もしてますしね。
セックスワーカーは弱者ではないというのが本質だ、という意見があるのは承知済みだがそこらへんは掘り下げてない。多くの人間が弱者と捉え、東も件の発言においてはそのような前提を持っているものとこの投稿では見做す。
全体的に読み違えてたらめんごめんご
まずはこれを見て欲しい
http://www.dshocker.com/entry/2014/11/07/210343
最近何かと話題の齊藤氏を参謀本部まで行って占いをした大彗星ショッカーがかなり確信に迫ることを引いてた。
「参謀本部の将来を占う」と題されたものだったが、何しろ引いたカード通りの道筋に行ってる。
まず、2014年の「ソードの8」の正位置。このカードについてショッカー氏は触れてないが実はもうこのカードからして的中してる。
タロット占いのサイトで「ソードの8」の意味を調べると「拘束。束縛。孤立。幽閉。監禁。抑圧。無力。危険。障害。干渉。八方塞。」と出てくる。
実際に、この1ヶ月後警察に通報され拘束・監禁をくらい、ネット上ではそれまでしなかったような失言をして孤立。
そして、2015年のタロットは「死神」の正位置。崩壊や終末という意味で使われ、ショッカー氏自身も記事の中で「いきなりですが2015年に死神が正位置で出てるので、潰れるとしたら来年です!」と書くほどのヤバイカードだ。
実際、崩壊や終末を意味するこのカードの序曲はもうすでに2014年現在のコウモリVS齊藤氏のやりとりで見られる。
ツイッターでのやりとりによれば、コウモリ氏は「暴露記事を書く」と意気込み、齊藤氏は「罰金を取る」と対決姿勢むき出しの状態。
http://twitter.com/miraihack/status/546979043111759872
ここで注目すべきは今までお金の話ではおおらかだった齊藤氏がお金の話をネット上でむき出しになってしたことだ。
実はショッカー氏の占いにも齊藤氏が「「金のことばっかり考えてる品性の無い男」を意味するペンタクルのキング・逆位置が!!」と今後の道筋を指し示すようなものが出てる。
占いによれば、2017年の話ではある。だが、現状の豹変を見れば「さもありなむ」という予感もする。
「ようは、金のことしか考えないゲス男になりそうってことです!!そのことでどんどん迷走!!みんなの心も離れて行く!!お金を求めれば求めるほど、さらにお金を稼げない状況に陥りそうです!!」
今現在「死神」に向かって起こっている崩壊や終末に近いものを、さらにそこでの発言傾向の変化は2016年に出ている「カップの5」正位置で表されてる「自信喪失・諦め」を意味するカードともつながってくる。
占いとは思えないほど、順序立てて「これから起こること」を1ヶ月前のまだその風潮の見えない時期に言い当ててしまったショッカー氏はなにか持ってる!
サングラスを取ったら輪廻眼だったりするのかな…サングラスとった写真が昔のかっぷくの良い写真しか移ってないけど…。
そして、それらの対策を意味するカードについても齊藤氏を言い当てたようなカードを引いてます。「女教皇・逆位置」で意味は「激情」「ヒステリー」「不安定な感情」だそうな。
ただ、ショッカー氏の占いが当たっていれば、2019年のカップのペイジを転換期に2020年は安定方向に行くそうです。
安定してる齊藤氏というのが想像しにくい現状ではありますが、どうせ当たるなら悪いものだけでなくいいものも当たってほしいものです。
・捕捉
ショッカー氏のブログではなく、その当日に同席して会話を文字起こしした参謀本部側の記事によれば、齊藤氏個人を占った時には「2015・2016年」にはもうカネカネになるという占い結果が出てたそうです。
http://www.honbu.co.jp/archives/701
つまり、明確にショッカー氏の占いは当たってるようです。…本当にあのサングラスの中に万華鏡写輪眼でも持ってるんでしょうかね…。
大したやつだ
高卒で教養もなく田舎しゅっしんしゃのくせに、大阪弁を話す借金だらけの母子家庭で育った。
教養や常識、おはようの挨拶すらしつけられたことのない自分には世界が辛くてたまらなかった。
家には光熱費滞納の領収書、勝手に子供の名義で作ったクレカを濫用してキャッシングやローンをしまくっているその催促請求書書類、中にはつぶしてしまったカードもある。
父親は賭博で借金を抱え、家を担保に離婚した母親にそれを肩代わりしてのうのうと養育費も一切払わず生きている。
どこにいるのかもわからないだめな男だった。
生きにくい。
いつもご飯を食べるときに文句を言われ続けて、借金取りの中、車に乗り込まされて逃げ回った辛い日々しかわからない。
次第に、毒親になって、肥満になった母は太ったのはおまえらのせいとか言う。
子供は高校生になった頃、完全に進路について考える術を持てなくなっていた。
毎日、食事することに罪悪感を覚え、食べる事が出来なくなり、やせ細って精神疾患になっていった。
当時は、もちろん、青少年の心の病気など教養もない母は関心すらなくむしろ弱音ばっかり吐いてとか逆に攻め立ててて行く。
生きる方法がわからなくなった子供は、だんだんと自分を点数化する学校の試験しか己をまともにみてくれないのだと思い始めた。
生き方を肯定してくれるもの=定期テストで良い点数をとること=教養のない母親のしらない知識を増やす事
だが、子供の頃から成長期に必要な栄養や体力を十分受けることなく育っていた体で受験勉強は過酷なものだった。
学校の教科書だけで受験勉強には向かうことができず、子供は必死でおこずかいやバイトをしてお金を自分の大学受験通信講座の費用に注ぎ込んだ。
と。
煽られた子供はその幻想を信じて時間を惜しんで必死で勉強したが、度重なる体調不良や社会性の欠如、不安障害から孤立した状態と孤独な性格からだんだんと学校に通わなくなる。
当時、教師によるいじめにも遭遇していた。
昼夜逆転生活が続き、一人勉強のために机に向かったが何も頭に入らなかった。
センター試験の当日、午後の会場では居眠りしていたほど勉強ができなくなっていた。
予備校にも通い、パニック障害を発症しながらも病気への偏見として親から「キチガイ」と言われても勉強を頑張った。
子供にとって、大学受験に成功することが人生の目標になってしまったのだ。
結局、子供はいろんなチャレンジを試みても医者にはなれなかった。
借金を背負ってまで行った大学で歯科医師の免許はとったものの借金まみれの状態なのはあいかわらずだった。
大学院に行ってさらなる上をめざそうといきごんだものの、社会性の欠如からうつ病になり療養を必要とする時まで来ている。
親は、未だに言う。
はやく金を稼いでくれたらいいのにって。
無職でひきこもりで犯罪まがいのことまで手をのばした一番下の子供が早く金をくれたらいいのにって言う。
もう楽になりたいって。
自分で借金をつくったのが根源で、その子供も借金をまたつくっていく。
貯金も0.
金がくればいいのにと夢ばかりみている。
子供は間違った方向に努力ばかりして身を持ち崩して、母親はスーパーの惣菜ばかりを過食して肥満と脂肪肝になった。
知恵のない我々はおそらく共同墓地に行く。
祖母が認知症で他界したが、借金生活から逃げてはやく田舎で暮らしたいと言う母親は祖母のように早く認知症になりたいと言う。
祖母も毒親だったんだろうなって思う。
自分から進んで肉便器になりに行く場合を除いて、まともな交際に発展することすらありません。
すぐにくっついたり離れたりします。
だから、普通の日本人同士の恋愛のように、『気づいてくれるのを待ってる』なんてしてたら、一生待ってても誰も構ってくれやしません。
気になる男からのアプローチは全部yesで答えなくてはいけません。
日本の男にするように、嫌がる素振りで恋愛において主導権を握ることはできません。
日本の女が海外に行って、引く手あまたで断っても断っても口説かれて困るなんて状況には、絶対になりません。
◆第1段階「否認」
ぼっちになりつつあることに気がついたり、友人が残り少ないと周囲から認識されたときに、まず現れるのがこの「否認」です。
「これは何かの間違いに違いない」
「自分に限ってそんなことは起こりえない」
なんとかぼっちから脱出しようとしてキョロ充になりかけるのもこの頃。
一緒にいて楽しくないのに無理にクラスメイトと一緒にいたりして…今から思えば無駄な時間を過ごしたなと感じます。
◆第2段階「怒り」
「否認」が維持できなくなると、次第に自分の命が短いことを認めざるを得なくなります。
すると、「怒り」が現れます。
「なぜ自分がこんな目にあうんだ!」
「一体私が何をしたというのか!」
というように、あらゆることに対して「怒り」が向けられます。
楽しくない相手と無理に一緒にいるので当然人間関係は広がりません。自分も楽しくないということは相手も対して自分のことを大事に思ってはいないのです。
本当は無理して一緒にいるのが間違いなのですが、自分がぼっちになることを受け入れられないので周りに怒りをふりまきます。
自分が楽しいと感じられないのは周りが悪い、周りが悪いから楽しい友達ができないと思い込み、ストレスをためます。
◆第3段階「取引」
十分な「怒り」を体験した後は、もはや避けられない今の現実を少しでも先延ばしにできないものかと、交渉する段階に入っていきます。これが「取引」です。
「何か人々の役に立つようなことをするから、友達になってほしい。ぼっちを避けたい」
「もう2度と悪い行いはしないから、ぼっちだけはやめてほしい」
このような「取引」は、主に個人が勝手に決めている「友達になれそうな人(実際は相手はなりたいと思っていないし、本人も大して好きな相手ではない)」にむりやり押し付けるようになります。このあたりになると大抵の人は逆に孤立します。
◆第4段階「抑うつ」
周囲との「取引」が成立しない、自分はもうぼっちになるしかないのだ、という心理状態にたどり着くと、「抑うつ」という段階に移行します。
「ぼっちとして生きていかなくてはならないのか・・・」というぼっちへの”準備的な抑うつ”と、自己の性格を批判する”反応的な抑うつ”があります。
傍目から見るとすでにぼっちになっている上に思い悩んでいるという、どう考えても更に人を遠ざける状態になります。
ひとりで暗い顔をしている人に進んで声をかける奇遇な人は宗教団体の勧誘くらいなものです。
◆第5段階「受容」
この段階まで来ると、自分のぼっちを「受容」できるようになってきます。ゆったりとした平安な気持ちになり、ぼっちに向けて気持ちが整ったような状態になります。
自己嫌悪もなくなり、周囲へのストレスもなくなり、「もうぼっちでいいや」と割り切るようになります。
ここまでくると一人焼き肉、一人カラオケ、一人温泉、一人酒、などなどの「おひとりさま」を堪能するようになり、
周囲から見ると逆に楽しそうに見えてきますし、本人も今まで無理に人間関係を保とうとしてたのは一体何だったんだ?とやたらスッキリした表情をしはじめます。
集団心理が強い人たちから見れば奇人変人に見えますが、人によっては楽しそうでいいな、と思う人も出てきます。
逆に楽しそうにしているので人に誘われることも増えてくることもありますが、
一人の楽しさを堪能してしまっているので往々にして断ることが多くなります。
たまに断りきれずに食事をとったりすることもありますが、逆に疲れてしまい後悔することも多い。
「ぼっちになりたくない」と気をもんでいたというのに、気がついたら「ぼっちのほうが楽しい」にシフトチェンジするのです。
ウィキペディアの死の受容から改変追記してぼっちエンジョイの自分に至るまでを書いてみたが本当にこんな感じだった。
かつてはぼっちになりたくないともがいていたのに、もういいや、と思った瞬間にぼっちが楽しくなります。
今はもはや楽しそうなリア充を見ても爆発しろとは思わなくなりました。
私は一人で楽しむから、いいやと。
とはいえずっと一緒にいるわけではないのでぼっちで過ごすことも多いです。
ぼくは、アニメ「ラブライブ!」、とくに主人公の穂乃果の立ち回りから正にそういうことをまなびました。
そういう行動原理でうまく立ち回るには、拙くても孤立しないで、むしろ逆に人を惹きつけ、周囲の寛容を引き出す環境創出能力がキモだということ。
それは一種のパーソナリティであって、それを演じることのむずかしさが、「巧遅は拙速に如かず」が「言うは易し行うは難し」である源なんだとおもいます。
そこで、自分のパーソナリティをハックする――特定のマインドを模倣するには、まずそのマインドで動く人を観察するのがおすすめかなとおもいます。
おまえには味方がいると思ってるのかwww
反反原発もお前一人じゃねーかwww
お前こないだまで「反反原発は多人数で少数の弱者をいじめるクズ」って設定してたじゃねーか
多いのか一人なのかどっちだよ
それとも増田はふつう多人数で湧くような連中がたまたま俺一人しか出現しない特異点なの?なら数的不利はないはずなのにお前を支持する声が皆無なのがなおのこと謎だね
ていうか本当に俺一人しかいないんだったら俺を「徒党を組むクズ」呼ばわりしたことについては謝ってもらわないといけないね
まあ実際は言うまでもなく複数人なので、とっとと憶測の誤りを認めて謝れよ
どっちに転んでもお前の間違いなんだから早く謝れよ
「自分が間違えた時は黙るか話をそらすかで絶対訂正も謝罪もしない」ようなクズでないならできるよな?
ほら早く
ああ、内容で馬鹿を晒し続けたせいで孤立した奴が、そのことを指摘された時によく使う負け惜しみだね。「数を恃むな!」って
「多数派が正しいとは限らない」=「多数派は間違っている」ではないのにね
で?お前は「正しい少数派」の側なの?それはそれでいいけど、だったら正しい主張をしているにもかかわらず誰一人説得できてないお前はものすごく無能ってことだよね
あきらめたら?
いつどこで誰がそんな主張をしたんだ?ツリーたどったがお前の発言しかないじゃねーか
ほんとお前は息を吸うように捏造するんだな
まあこれも「黙るか話をそらすかで絶対訂正も謝罪もしない」んだろうけどね
ほんとお前が言うことって相手ではなくお前自身にばかり当てはまるよな
妄想乙
自然 シゼン そのまんまのこと。
本然 ホンゼン 人の手が加わっていないこと。もともとの姿であること。ほんねん。
未然 ミゼン まだ起こってないこと。
已然 イゼン 既に起こってしまったこと。またそのさま。
必然 ヒツゼン 必ずそうなること。それよりほかになりようのないこと。また、そのさま。
当然 トウゼン そうなるのがあたりまえであること、道理にかなっていること。また、そのさま。
蓋然 ガイゼン たぶんそうであろうと考えられること。ある程度確実であること。
偶然 グウゼン 何の因果関係もなく、予期しないことが起こること。また、そのさま
同然 ドウゼン 同じであること。また、そのさま
宛然 エンゼン そっくりそのままであるさま
靡然 ビゼン なびき従うさま。特に,多くの者が同じ傾向をもったり,同じ行動をとったりするさま。
純然 ジュンゼン まじりけのないさま。
粋然 スイゼン まじりけのないさま
渾然 コンゼン すべてがとけ合って区別がないさま。 性質が円満で欠点のないさま。
糅然 ジュウゼン 種々のものがまじっているさま。
雑然 ザツゼン 雑多に入りまじっているさま。
全然 ゼンゼン 余すところのないさま。まったくそうであるさま。
判然 ハンゼン はっきりとわかること。
確然 カクゼン たしかで、はっきりしたさま。
朗然 ロウゼン 明るくはっきりとしているさま
亮然 リョウゼン 明らかなさま。はっきりしているさま。
昭然 ショウゼン 明らかなさま
截然 セツゼン 事柄が、他との対比において曖昧(あいまい)なところがなく、はっきりとしているさま
歴然 レキゼン まぎれもなくはっきりしているさま。
的然 テキゼン はっきりとしたさま。明白なさま。
現然 ゲンゼン はっきりとしているさま。あらわ。
瞭然 リョウゼン はっきりしていて疑いのないさま。明白であるさま
顕然 ケンゼン はっきりと現れるさま。明らかなさま
隠然 インゼン 表面ではわからないが、陰で強い力を持っているさま
燦然 リンゼン きらきらと光り輝くさま。また、はっきりしているさま。鮮やかなさま
爛然 ランゼン あざやかに光り輝くさま
燦然 サンゼン 鮮やかに輝くさま。明らかなさま
楚然 ソゼン あざやかに見えるさま。
灼然 シャクゼン 輝くさま。 あきらかなさま。明確なさま。
赫然 カクゼン かがやくさま
皎然 コウゼン 明るく輝くさま。白く光るさま。
耿然 コウゼン 明るく光るさま
炯然 ケイゼン 光り輝くさま。明るいさま
煥然 カンゼン 光り輝くさま
炳然 ヘイゼン 光り輝いているさま。また、明らかなさま。
俄然 ガゼン にわかなさま 突然ある状態が生じるさま
倏然 シュクゼン にわかなさま。急なさま
突然 トツゼン 予期しないことが急に起こるさま。だしぬけであるさま。突如
驀然 バクゼン まっしぐらに進むさま。また,にわかに起こるさま。
遽然 キョゼン 急なさま。あわてるさま。
忽然 コツゼン 物事の出現・消失が急なさま。忽如(こつじょ)。こつねん
卒然 ソツゼン 事が急に起こるさま。だしぬけ。
驟然 シュウゼン 雨などが急にふるさま
公然 コウゼン 世間一般に知れ渡っているさま。また、他人に隠さずおおっぴらにするさま
油然 ユウゼン 盛んにわき起こるさま。また、心に浮かぶさま。
湧然 ユウゼン 水や声・感情などが盛んにわき起こるさま。
鬱然 ウツゼン 草木がこんもりと茂っているさま。 物事の勢いよく盛んなさま。
森然 シンゼン 樹木がこんもり茂っているさま。並び立つさま。きびしくおごそかなさま。するどいさま。
旺然 オウゼン 物事の盛んなさま。
蕭然 ショウゼン もの寂しいさま
沈然 チンゼン 静かなさま。落ち着いたさま。
闃然 ゲキゼン ひっそりとして静かなさま。人気がなくさびしいさま。
寂然 セキゼン ひっそりとして静かなさま。寂しいさま。
粛然 シュクゼン なんの物音も聞こえず静かなさま。また、静かで行儀正しいさま。
端然 タンゼン きちんと整っているさま。礼儀にかなっているさま。たんねん。
整然 セイゼン 秩序正しく整っているさま。
秩然 チツゼン 物事が秩序正しくあるさま。
昂然 コウゼン 意気の盛んなさま。自信に満ちて誇らしげなさま
断然 ダンゼン 態度のきっぱりとしているさま。また、最後まで押しきって物事をやり遂げるさま
決然 ケツゼン 固く心をきめたさま。きっぱりと思い切ったさま。
敢然 カンゼン 困難や危険を伴うことは覚悟のうえで、思い切って行うさま。
蹶然 ケツゼン 勢いよく立ち上がるさま。跳ね起きるさま。また、勢いよく行動を起こすさま。
奮然 フンゼン ふるい立つさま。勇気・気力などをふるい起こすさま。
慨然 ガイゼン 憤り嘆くさま。憂い嘆くさま。 心をふるい立たせるさま。
毅然 キゼン 意志が強くしっかりしていて、物事に動じないさま
凝然 ギョウゼン じっと動かずにいるさま。
居然 キョゼン じっとしているさま。座って動かないさま。 することがなく退屈なさま。つれづれ。
飄然 ヒョウゼン 世事を気にせずのんきなさま ふらりとやって来たり去ったりするさま
超然 チョウゼン 世俗に関与しないさま。
洒然 シャゼン さっぱりして物事にこだわらぬさま。
平然 ヘイゼン 何事もなかったように落ち着きはらっているさま。
冷然 レイゼン 少しも心を動かさずひややかな態度でいるさま。
恬然 テンゼン 物事にこだわらず落ち着いているさま
悠然 ユウゼン 物事に動ぜず、ゆったりと落ち着いているさま
浩然 コウゼン 心などが広くゆったりとしているさま。
藹然 アイゼン 気分などが穏やかでやわらいださま
優然 ユウゼン 落ち着いてゆとりのあるさま。
綽然 シャクゼン ゆったりとして余裕のあるさま
晏然 アンゼン 安らかで落ち着いているさま
淡然 タンゼン あっさりしているさま。また、静かなさま
厳然 ゲンゼン おごそかで近寄り難いさま。動かし難いさま
孑然 ケツゼン 孤立しているさま
介然 カイゼン 気持ちが堅固であるさま。断固としているさま。 孤立したさま。孤独なさま。気にかけるさま。
怡然 イゼン 喜び、楽しむさま
歓然 カンゼン 喜ぶさま。
徒然 トゼン 何もすることがなく、手持ちぶさたなこと。また、そのさま。つれづれ。無聊
喟然 イゼン ため息をつくさま。嘆息するさま。
索然 サクゼン おもしろみのなくなるさま。興味のうせるさま。
愕然 ガクゼン 非常に驚くさま
瞿然 クゼン 驚いて見るさま。驚いて顔色を変えるさま。
唖然 アゼン 思いがけない出来事に驚きあきれて声も出ないさま。あっけにとられるさま。
呆然 ボウゼン あっけにとられているさま。
爽然 ソウゼン 心身のさわやかなさま。爽快なさま。 がっかりするさま。ぼんやりするさま。
蹴然 シュクゼン おそれ慎むさま。
慄然 リツゼン 恐れおののくさま
恟然 キョウゼン 恐れさわぐさま。恟恟
慴然 ショウゼン 恐れおののくさま
竦然 ショウゼン 恐れて立ちすくむさま
憫然 ビンゼン あわれむべきさま。
暗然 アンゼン 悲しみ、絶望などで心がふさぐさま。気落ちするさま
悵然 チョウゼン 悲しみ嘆くさま。がっかりしてうちひしがれるさま。
戚然 セキゼン 憂え悲しむさま。
悄然 ショウゼン 元気がなく、うちしおれているさま。しょんぼり
憮然 ブゼン 失望・落胆してどうすることもできないでいるさま
潸然 サンゼン 涙を流して泣くさま。
汪然 オウゼン 水が深く広いさま。涙が盛んに流れるさま。
色然 ショクゼン 驚きや怒りで顔色を変えるさま。
勃然 ボツゼン 突然におこり立つさま。急に激しくおき現れるさま。怒りの表情を表すさま。むっとするさま。
怫然 フツゼン 怒りが顔に出るさま。むっとするさま
憤然 フンゼン 激しく怒るさま
頑然 ガンゼン 強情で頑固なさま。
豪然 ゴウゼン 力強いさま。また、尊大なさま
靦然 テンゼン 恥じる顔つきのないさま。
融然 ユウゼン 気分のやわらぐさま。
醺然 クンゼン 酒に酔って気持ちのよいさま。
陶然 トウゼン 酒に酔ってよい気持ちになるさま。
輾然 テンゼン 大いに笑うさま。
哄然 コウゼン 声をあげてどっと笑うさま。
莞然 カンゼン にっこり笑うさま。
艶然 エンゼン にっこりほほえむさま。美人が笑うさまについていう
婉然 エンゼン しとやかで美しいさま
恍然 コウゼン 心を奪われてうっとりするさま
颯然 サツゼン 風がさっと吹くさま。また、風を切るさま
翻然 ホンゼン ひるがえるさま。また、ひるがえすさま
漫然 マンゼン とりとめのないさま。ぼんやりとして心にとめないさま。
漠然 バクゼン ぼんやりとして、はっきりしないさま。広くてはてしのないさま
茫然 ボウゼン つかみどころのないさま。 呆然に同じ
曠然 コウゼン 広々としたさま
廓然 カクゼン 心が広くわだかまりのないさま。
豁然 カツゼン 視野が大きく開けるさま。 心の迷いや疑いが消えるさま。
釈然 シャクゼン 疑いや迷いが解けてすっきりするさま。
渙然 カンゼン 解けるさま
戛然 カツゼン 堅い物が触れ合って音を発するさま
跫然 キョウゼン 足音のするさま
鏗然 コウゼン 金属・石などがあたって、かん高い音のあるさま。
鏘然 ショウゼン 玉・鈴などの鳴るさま。 水がさらさらと流れるさま。
鏘然 ソウゼン 玉や金属が打ち合って澄んだ音を発するさま。
錚然 ソウゼン 金属が打ち合ったり楽器が鳴ったりして音を出すさま。
兀然 コツゼン 山などが高くつき出ているさま。ごつぜん。 じっとしているさま。動かないさま
隆然 リュウゼン 高く隆起しているさま。 強くもりあがるさま。
嶄然 ザンゼン 一段高くぬきんでているさま。ひときわ目立つさま
卓然 タクゼン 高くぬきんでているさま。
挺然 テイゼン ぬきんでているさま
脱然 ダツゼン 超脱しているさま
屹然 キツゼン 山などが高くそびえ立つさま。 孤高を保ち周囲に屈しないさま。
巍然 ギゼン 山などが高くそびえたっているさま。また、ぬきんでて偉大なさま。
猛然 モウゼン 勢いの激しいさま
殷然 インゼン 勢いが盛んなさま。音がとどろきわたるさま。
沛然 ハイゼン 雨が盛んに降るさま。盛大なさま。
囂然 ゴウゼン 人の声などが騒がしいさま
騒然 ソウゼン ざわざわとさわがしいさま
轟然 ゴウゼン 大きな音がとどろき響くさま
爆然 バクゼン 大きな音で爆発するさま。
杳然 ヨウゼン はるかに遠いさま。また、深くかすかなさま。
窈然 ヨウゼン 奥深くかすかなさま。
蒼然 ソウゼン あおあおとしているさま
翼然 ヨクゼン つばさのように左右にひろがっているさま。
尨然 ボウゼン 豊かで大きなさま。むっくりと大きなさま。
眇然 ビョウゼン こまかいさま。小さいさま。とるに足りないさま。
矗然 チクゼン まっすぐなさま。
冪然 ベキゼン おおいかぶさるさま
ホットエントリーにあまりにクソ記事が多すぎるので見なくなった。
改善案というか、何がダメなのか考えたことがあるので書いておく。
こういうはてな言及系の記事は自分の場所でやるには関係ないし反応があっても面倒なのでここで書かせてもらう。
ホットエントリーの問題点のほとんどは「はてなブックマーク」という機能が、別に良い記事をピックアップする為のツールではないのに
その数値を評価指標として用いているところにあると思う。
はてなブックマークを人が使用するとき、そこにはどんな意図があるのか?
1.あとで見ようと思っている記事、いつか参照するであろう記事をブックマークしておく。
⇒これは本来的なブックマークの使い方で、だからこそ「オススメの10選」みたいなクソリスト記事がたけのこみたいにいくらでも生えてくる。
面白さや有用性など関係なく「リスト系」であるというただそれだけで上がってくるから本当に邪魔。でもこれもブックマーク本来の機能だから仕方がない。
⇒アホみたいな記事に「こいつはアホか」と非難するコメントが積み重なってホットエントリーに上がってくる。
「こいつはアホか」と言及したがるアホどものせいでクソみたいな記事がみんなにクソだクソだと言われながらホットエントリーにあがってくる。
アホだと思うなら頼むからコメントしないで放置して欲しいが、はてなブックマークにはコメント機能があるんだからしょうがない。
なんで東京から出て行った人の記事や、よくわからん精神切り売りして承認欲求満たしているような気持ち悪いヤツの記事を見なけりゃいかんのだ。
⇒このクソみたいな仕様のせいでたとえばいつだったかにやったはてなブックマークオフ会みたいなことをやると、人の繋がりが出てクソみたいな記事が
ただの親善ブクマでガシガシあがってくるようになる。いったん人の繋がりみたいなものが出来てしまうとあとはクソだろうがなんだろうが
「どうも。ご無沙汰です」みたいなノリでホットエントリーにあがってくるからブックマーカー同士は隔絶して孤立していないと有効に機能しない。
だがそんなこといったって仕方ないだろう。知人や顔見知りならたいして面白くなかろうが、ブックマークしたくなる気持ちもわかる。システムそのものが悪い。
あとはまあはてなブックマークやはてな自体に言及する記事は内容がいくらクソでも言及された人達がピックアップするので
どうしたってあがってきてしまうけどまあこういうのはある程度しかたないでしょう。
はてなブックマークは「ブックマーク(リスト)機能」と「コメント機能」と「記事を評価しているか否か」というおおまかにわけて
全く別物である3つの機能が渾然一体となっているのに、それを無理矢理評価指数としているところに無理があると思う。
じゃあどうしたらいいのか? もうみてないし興味が無いからどうでもいい。
やっとわかった。
いま口に出すのもはばかれるあの人が話題だが
昔はネで始まり、今はカで始まるあの人だ。
彼or彼女こそ口に出してはイケナイ人。
は○なマサカー
まだは○な村が誕生していない頃のことだ。
一部、というのは当時の有名ダイアラーは彼or彼女の手によって葬られてしまったからだ。
は○なマサカーを記したダイアリの一部すら残っていない。
現カで始まる人。
まさかあの人がは○なのフィクサーになっているとは想像すらしなかった。
おそろしい。
どうして誰もあの人に忠告してあげなかったのだろう。
おそらく、しなかった、のだ。
彼らはゼーレを真似て、は○なの今後について話し合っている。
オン、オフにかかわらず。
おそらくは○なゼーレで決まったのだ。
「あの人はオーバーキルした。もう助けられない。」
現に古参連中はみな貝のように口を閉ざしている。
ただあの人に非がなかったとは言えない。
長くウォチしてきたが、どうもあの人は
カで始まる人のことを明らかに下に見ていた。
わたしはは○なのこと、何でも知ってるわよ。
という態度が見えた。
カで始まる人は、あえて下手に出ていたんだ、と
カで始まる人が誰か気づいた今、はっきりとした。
は○なマサカーについて語ろう。
いまより、裏の世界は荒れていた。
ある日、カで始まる人のネット上の知り合いが
そうした攻撃者に対し、怒りをぶつけた。
ところがカで始まる人は、その知り合いに牙を向いた。
そう、
カで始まる人が誰かわかったのは、
言論の自由、表現の自由を異常なくらい守りたがる姿勢からだった。
結果的にその知り合いはカで始まる人とたもとをわかち、
他の仲間とカで始まる人を攻撃し始めた。
それもオフで。
もちろん間者を放り込んでいた
カで始まる人に、彼らの情報は筒抜けだった。
当時はインターネットをしているだけでオタクと呼ばれた時代だ。
あっという間に孤立した。
そして、退社に追い込まれた人もいたという。
こうして、カで始まる人を攻撃していたダイアリはすべて消されてしまった。
カで始まる人は
今回、あの人はカで始まる人のリミッターを外してしまったのだ。
は○なゼーレの中の人たちは
カで始まる人に気づいてる。
しかし誰も話してくれない。
古参のみなさん、後はよろしく。
昨日のことだ。
大学の夏休みも後半に差し掛かったものの、相変わらず暇を持て余していた俺は、夜の新宿で一人のおばあさんと出会った。
その時の出来事がずっと引っかかっているので、ここに吐き出してみようかと思う。
(※ 昨日実際にあった出来事を、短編小説風に書いてみました。
長文ですが、宜しければ暇潰しにでもどうぞ。 )
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大通りの横断歩道を渡りきったところで、歩き食いもみっともないからと、立ち止まって新作のマックシェイクを飲んでいた。
イヤホンからONE OK ROCKが聴こえる。もう片方の手でスマホからFacebookをチェック。
ふと気付くと、隣にある周辺地図を指して、おっさんが道案内をしている。
相手は、おっさんの倍近い年齢はありそうな、新宿には似ても似つかないおばあさん。
なんの気もなく目を向けながら引き続きマックシェイクを飲んでいると、突然おっさんに話しかけられた。
新宿にはいくつもの路線が集まっているが、西武新宿線の駅だけは孤立している。
ここから歩いたら10分近くかかるだろう。かくいう俺も西武新宿線沿いに住んでいる。
「そうですねー。そこそこ距離ありますね」
そう答えると、そうですかー…という少し暗い声がおばあさんから返ってきた。
「西武新宿線に、乗って帰られるんですか?」
今度は俺からおばあさんに声をかける。
「そうなの。昔はこの辺りに住んでたんだけどねぇ。40年も前だからすっかり変わっちゃって、迷っちゃったの。」
と、おばあさん。
正直に言うと、この時点で少し厄介なことに巻き込まれたかもなという予感がした。
ほっておいたらどう見てもこのおばあさんは駅にたどり着くのに時間がかかるし、危なっかしい。
おっさんは見るからに良い人だが、さすがに西武新宿駅前まで案内するのかどうかはわからなかった。
「杖をどこかに置いてきちゃってねぇ。傘を買ったのよ、ほら。」
聞いたわけではなかったが、嬉しそうに傘をあげるおばあさん。
足が悪いのだろう。今気づいたが補聴器も着けている。
「お元気ですねぇ! 今おいくつですか?」
「85歳!」
元気な返事が返ってきた。
「そのお歳で都会に一人で出てこられるなんて、ご立派ですね!」
おっさんが引き継ぐ。俺も同感だった。
しかしいくら元気とはいえ、やはり道に迷っている85歳のおばあさんを置き去りにするのは酷だろう。足も悪いみたいだし…。
「西武新宿線だったら、山手線で高田馬場まで行って乗り換えた方が、歩く距離は短いかもしれません。」
そう提案すると、
「あぁ、そうですね!! その方が、いいかもしれませんね!」
「そう。ありがとう。」
ニッコリと笑うおばあさん。
(面倒くさくないと言ったら嘘になるけど、"やらない善よりやる偽善"かもな。今日はもう予定もないし、俺も付き合うかぁ、、! )
おばあさんの笑顔を見た時、そう思った。
「じゃあ、行きましょ。」
おっさんが先陣を切る。俺も歩き出す。
「でも、二人に悪いじゃない。。」
申し訳無さそうな声を出すおばあさんに、
いえいえ僕らも同じ方向なので。 と各々答える。
おばあさんの足は、遅かった。とても。
おっさんはそこそこゆっくり歩いてくれていたのだが、どんどん距離が離れていく。
おばあさんが急がなくてもいいように と思い、俺も出来る限りゆっくり歩いてみたが、それよりもおばあさんは遅いのだ。
仕方ないので少し差が出来たところで止まって、追いついたらまたゆっくり歩く というのを繰り返すことにした。
住んでいる場所的に、新宿を経由して帰るのはどう考えても遠回りだったが、そのことは言わないでおいた。
普段なら3分くらいで歩く道を、10分近くかけて、新宿駅に着いた。
「すごいわぁ。」
コクーンタワーを見てか、高層ビル郡を見てか、おばあさんはそう漏らした。
「夜景綺麗ですねー。」 カメラが趣味だというおっさんは、そう言いながら写真を撮る。
新宿は、道端はさておき、たしかに夜景は綺麗だ と俺も思った。
40年の月日を、おばあさんは今この場にいる誰よりも感じていたに違いない。
「それじゃあ僕はあっちなんで、ここで。」
おっさんはここでお別れのようだ。
そう言って違う路線の方面へと去っていった。
良い人だったな と素直に思った。
「じゃ、行きましょうか。」
おばあさんの速度に合わせて歩いていると、都会の街は一層慌ただしく見えた。
帰宅する人々は皆、すごい速度で通り過ぎ、横切り、追い越していく。
一体、なにをそんなに急いでいるのだろう。
当然Suicaなど持っていないおばあさん。切符俺が買ってきますよ と言うと財布を取り出した。
「はい!これ、あげる!」
そう言って差し出されたのは、1万円札。
(小銭はないのかな。というか、あげる…?)
「え、いや、、いらないです…!」
突然の出来事に焦る俺。
「いいから。」
少し強引に差し出してくるおばあさん。
困った。お金が欲しくないと言ったら嘘になるが、なにもお金をもらうために付き添ったわけじゃないのだ。
ここで受け取るのは、なんだか違う気がした。
「いえいえ、本当に結構でs」
俺の発言を遮るようにして、おばあさんは今日一番力強い声で、そう言った。
「そう、ですか…。」
流石に受け取らざるを得なくなってしまい、ありがたいような、申し訳ないような複雑な気分で1万円札を引き取る。
「私ね、子供も孫もいなくて…。だから、今日は本当に楽しかったわ!」
おばあさんは、俺のことを孫のように思う気持ちでこの数十分を過ごしていたのだ。
さっき「面倒なことに巻き込まれた」などと思っていた自分が、恥ずかしくなった。
「そうでしたか…。…僕も西武線なので、途中まで同じ電車です。もう少しの間、お話しましょうね。」
それが偽善なのか善なのか自分でももうわからなかったが、そんなことは
「そう!嬉しい!」
というおばあさんの一言で、どうでもよくなった。
おばあさんと一緒に歩いていると、人が歩く速度以外にも色々な発見があった。
まず、多くの人が周りの人のことなんていちいち見ていない。
よく見ずに直進するので、ゆっくりしか歩けないおばあさんは怖かったと思う。特に歩きスマホは本当に怖い。
そしてJR新宿駅は、入る改札によってはホーム行きのエレベーターもエスカレーターもないことがある。
意識したこともなかったが、これにはとても困った。改めて他の改札に行くのも階段を上るのも、おばあさんからしたらどちらもシンドイことこの上ないのだ。
結局階段を上ることになったが、俺が普段何気なく一段飛ばしで15秒もかけずに上る階段も、足の悪い人にとっては小さな山のようなもの。
「よいしょ」という掛け声と共に、片足で一段一段登っていった。
本当に疲れるのだろう。 登り終わった後おばあさんを見てみると、汗をびっしょりとかいていた。
山手線は座れなかった。
ただ電車を立って乗るだけだけでも大変だったに違いない。
ホームに着くと、「ちょっとあそこに座らせてもらおうかな」と、乗り換え口までの道の途中の椅子に、俺らは腰を下ろした。
世間話をしてる途中、
「お兄ちゃん、やさしいのね。」
おばあさんはそう言ったが、さっきまで考えていたことを思い出すと、俺はなんて答えたら良いのかわからなかった。
西武新宿線も座れなかった。
おばあさんの杖代わりの傘に、力が籠もる。
一駅が、くそ長い。こんなに長く感じたのは初めてだった。
辛そうに立っているおばあさん。隣に立っている俺は、なにもしてやれない。
やはり西武新宿駅からの始発に乗るべきだったとか、優先席のある車両に乗るべきだったとか、色々な後悔が頭の中で渦巻いた。
電車内の人々は、皆が皆スマホをいじっていて、気持ち悪い光景だった。
もちろん誰もおばあさんの存在には気付かない。
それぞれが自分の世界に閉じ篭っている空間は、なんだか無性に寂しかった。
目の前に音楽を聴きながら、スマホをいじっている青年が座っている。
(そこの同い年くらいの青年!目の前に困ってる人がいるだろ!気づけよ…っ!!)
心の中でそう叫んだ時、何かひっかかった。
…そうだ。これは俺だ。
普段の、そしてさっきの俺。
スマホでネットを開いて、音楽を聴く。いつもやっていることじゃないか…。
きっとそれだって、見えていないだけだったんだ。俺も。
駅では我先に歩くし、歩きスマホもする。
そう思ったら、どんなツラして目の前の人に声をかけたらいいのか、わからなくなってしまった。
目の前の、気持ち悪い自己中な人々。
笑えた。そして、ゾッとした。
幸い、ようやく着いた次の駅で人が降りた。
座ろうとするサラリーマンに、
「すみません!そこ、座らせて頂いてもいいですか?」
と急いで声をかける。
一瞬「?」という顔をされたが、おばあさんを見て納得してくれた。
「そうやな。その通りや。」
その一言の暖かさは、今も俺の中に残っている。
周りの人は敵じゃないんだと、そう思えた。
「ありがと!」
おばあさんは、また笑った。
「俺、次の駅で降ります。あと4駅ほどですので、降りそびれる事のないようにお気をつけて下さい。」
屈託のない笑顔のおばあさんに、
「こちらこそ、ありがとうございました。」
そのやりとりが終わった辺りで、丁度電車が駅に着いた。
「では。」と俺。
「さようなら。」とおばあさん。
もう一生会うことはないんだろうな と思ったが、それは顔に出さずに電車を降りる。
ドアが閉まってもおばあさんは笑っていた。
でも電車が発車した際、不安そうな顔をしたその一瞬を、見送っていた俺は見逃さなかった。
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あれから一日経って、老人に優しくない街や社会についてだったり、
受け取った1万円の重みについてだったりを考えている。
大変そうな人の存在に気付くことくらいは、出来る社会でなきゃいけないよなと思う。スマホやめることは出来ないにしてもさ。
若いうちは老いた後のことなんて考えないし、出来れば考えたくない。
自分が高齢者になった時に生きやすい社会を作っていくことは重要な課題だし、
将来されたら嫌なことは、今他人にもしちゃいけないんだよね。
とはいったものの自分もそれらが出来ていない一員だと気づいたのが昨日なので、
社会にどうこう言える立場ではないことも痛いほどわかってて、だからまずは自分から変わっていこうと思います。
それを1時間程度の短い時間の中で手にしてしまったのだから、なんだか罪悪感に近い想いがある。
面倒くさいとか思ってたし。
初めから「1万円あげるから案内してください」って言われてたら、どうかな。
俺なんかよりもっと丁寧に親切に案内してくれる人が殺到したかもしれない。
でも結局は、おばあさんの言ってた「嬉しかった」って一言が、本質であり真実なんだと思う。
喜びとか感謝の気持ちが先にあって、言葉だけじゃなくて形でもその想いを伝えたくて、
今回はその想いの形に、お金という形式を選んだだけなんだと思う。
たしかに1万円を受け取る時、「あぁ、俺が思っていたよりもずっと喜ばれていたんだなぁ…」と思った。
お金って汚いイメージもあるけれど、気持ちを形に出来る大切な手段の一つでもあるのかもしれない。
出来ることなら世の中のビジネスが、今よりもっと"感謝の形"で回るようになるといいのかもなぁ。
書こうと思ったことは以上です。
Facebookなんかで書くと善人アピールっぽくて気持ち悪いと思ったので、
ここに書かせて頂きました。
(とはいえ増田でも同じなのかもしれないし、心のどこかにそういう動機が含まれているのは否定しないです)
Facebookは元々会社になることを目的として作られたのではありません。
可もなく不可もなくてつまりは悪くはないけどださい。中小企業だからいいんだけど、一部のはてなユーザーのはてなへの愛を考えると違和感を感じる。
QOLの向上みたいな誰も反対しないが実際は大して中身もないこと目的のために手斧がふるわれるのか。そこにはやっぱり、この文章から消されてしまった何かがある。ネット黎明期の混沌へのあこがれのようなもの。具体的には今はGoogleにすっかり区画整備されてしまったネットという新大陸への期待。Facebookに現実の一部にされてしまったインターネットに対する全く異なる異世界感。その残り香があるように思う。ポピュリズム化した民主主義によって順序づけられるのではなく、多数派も少数派も権力者も孤立者も平等に乱雑にごちゃ混ぜになったデータベース。人と、現実とつながっているから価値があるのではなく、それそのものの価値という幻想のみで評価されるミーム。
そういうものを求めていきたい。
そういうことをつらつらと考えていくと、
はてな(ユーザー)のミッションは「世界の混沌と多様性の拡大」
ではなかろうか
友達と友達同士がコソコソ何かを話している。なになにー?って聞きに言ったら、なんでもない!と。
最初の頃は聞きだすまでしつこく聞いた気がする。
ある時、コソコソ話している相手と目が合ってしまった。その瞬間、自分の事を言われているような錯覚に陥った。
私の何を言われていたのか、わからないけれども、相手の目、口元、手の動作が、悪い事を言ってるのを物語っているような気がした。
それからは共通の別の友達に「私の事何か言ってなかった?」って聞くようになった。相手は何も聞いてないよ。と言った。
でも悪口を言われていると思い込んでいたから自分から孤立するようになった。
でも卒業式のメッセージカードに「私、マスダの事嫌いじゃないよ。」と書かれていて、びっくりした。
そう。別に嫌われていたわけじゃないし、誰も私の悪口など言っていなかった。
ただ私の被害妄想が私を孤立させ、孤立したことで悪口を言われやすい状況を自ら作った。
でもこの被害妄想はその後も私を悩ませる。
中学も同じことを繰り返し、高校でも同じ事を繰り返し、職場でも同じ事を繰り返した。
誰も自分を悪く言ってない。誰も自分を見て笑っていない。堂々としてればいいんだ。そう言い聞かせた。
だが学習は全くできていない。
そんな私も結婚して主婦仲間なるものができた。ところが、ここでも私の被害妄想が大爆発する。
私だけが誘ってもらえていないのではないか?私だけ声をかけてもらえてないのではないか?
悪口を言われているのではないか?だが大人になると「私の事なにか言ってた?」とは聞けない。聞かなくなった。
その分、余計にネガティブな妄想が膨らんでいく。仲間外れになりたくない意識もどんどん強くなっていく。
私の人生。これからも被害妄想という森の中を彷徨い続けるのだろうか。
友達を作らなければいいのだろうか?
この性格は治らないのだろうか?
人の顔色ばかり窺っていないで、もっと気楽に生きていきたいのに、なぜこんなにも複雑にさせてしまうのだろうか?
こんなふうに同じ思いをしているマスダは、他にはいないのだろうか?
【補足】
こんな私ではあるが僅かながら、私を友人として認めてくれる友達が3人いる。
この数少ない友人を大切にしよう。と、心底思う。
もちろん夫も私には大切な存在だ。
あるアニメ批判のエントリーに関係者が食いついてきたのは何となく変な気分になった。
だって、そういう批判を甘んじて受けないといけないのに、俺が俺がっていちいち自己主張するのはアニメ以外に感けて宜しくないと見受けるし、何より関係者間の孤立の原因にもなる。
言い換えたら公式のアニメ会議に素人がしゃしゃり出てきて不快ではないか?という事。
あくまで素人同士の水掛け論にこそ、匿名での議論が活発になるのに公式の人がこれは可笑しいと批判するのは
何か違って見えてくるんだよね。
一挙手一投足揚げ足を取るのが彼らの仕事だから面白いのに、公式の人が一緒になって議論に参加されたら
要はこの手の批判って決着というか結論が出てしまっては駄目なんだ。
そこに公式の関係者がしゃしゃり出て実はこうなんですよと裏話を語られるのは正直本当夢のない人だなと思う。
夢は夢のままで、いさせて欲しい。
これって我侭なんですかね。
男だけど共感する。
他人に興味がなくて自分の中に内的な楽しみを持ってるとそうなるよね。よく分かる。
周囲から見た自分が無属性すぎて、取っ掛かりがなくて孤立することになるんだよな。
しかしそうしているとある日、突然なぜか自分と親しくなろうとする人が現れる。
一体こいつは俺のどこを見て親しくなろうと思ったんだ?こいつ大丈夫か?と思う。女性ならそりゃ怖いだろう。
俺の場合は単に俺がどういう人間か知りたくて近づいた、というパターンと簡単な相手だと下に見てやって来るパターンが多かったな。
人間が未知との遭遇をすれば攻撃するか無視するか親交を結ぼうとするかの3択だから、何もおかしいことはないんだろうと思う。
でも俺があなたに会ったとしたら、自分と似てると思ってフォローしようとするかもしれないな。
結局、彼がどういう理由で近づいてきたかは、まず話してみてから判断するしかないんじゃないかな。慣れないから大変だろうけど・・・
昔書いたのも参考になれば↓
喪女、25歳。
いないところで何を言われても仕方ないのではと思っている。
それに怯えて過ごすのは何か嫌だ。
半端な情報で人を批判することはあまりに無礼な気がして、その様な愚痴の飲みには参加せず、けれど本人から相談されたら真剣に話を聞くことに決めた。
でも、アドバイスも同情はしないようにしている。求められるような言葉は出てこないような気がして。
辛そうな人に対して慰めることはできないが、そばには居られる。むしろそれくらいしかできない。語彙がないから。
もっとうまく立ち回って、何処かに汲みさなければ、孤立することはなんとなくわかっている。現に孤立している。
いつもズレてると言われる。
嘘も繕いもしないけど、会話の糸口が見つからないとも言われる。
多分全部当たってる。
それに対しては「自分のことはそこまで気にしなくてもよいし、いっそのこと自分を無視して貰ってもよいのではないかとも思っている。」
と珍しく誘われた1対1の酒の席で話した。
自分としてはこれでもよく喋った。
そうしたら「それは楽しいか」と言われた。
「楽しくはないが、辛くはない」と返した。
「自分のことを知って欲しいとは思わないのか」と聞かれた。
「うまく話せないので知りたいことも伝えたいこともありません」と返したような気がする。
「俺はお前を知りたい、俺と話そう。好きだ」
と言われた。
そういえばいつもどこかでフォローされてた。あいつは表現が不器用なだけなんだ、と。
そこでやっと相手が今まで好意を持って接して来ていたことに気がついた。
「私でからかうのはやめて下さいよ」と必死で引きつった笑いに対して「俺がそんな奴に見えるか」と言われた。
その瞬間から怖くなった。
失敗した、本当は逃げ出したかった。
翌日から相手の目線が気になって、やたら目が合うので何度も不自然に避けた気がする。
きっと何度も陰で助けられた恩人なのに。
傷つけたのかもしれない。
味方なんて思っていることも驕りなのかもしれない。
私はきっとこの人が好きだ。
うまく言えないと思うけど、言いたいと思う。
でもそこからどうなるんだろう。
支離滅裂でごめんなさい。