はてなキーワード: ゼミとは
死にたい。今年度中に死ぬのが皆にとって幸せになれるのはわかってるけど、また失敗しそうで勇気がでない。あと怖いから誰か殺してほしい。
そもそも単なる希死願望なのか、大きな失敗をし続けてることからの逃げなのかもよくわかってない。確かに死のうと思ってやろうとして失敗した過去はある。今でもなんであの時死ななかったのかふとした瞬間によぎる。だけどもう二十歳も過ぎたいい大人なくせにもう一回4年生を繰り返すことになって、就職先も決まらないことからの甘えの逃げなのかもしれない。死にたくなって学校には行けないし、もういっそ学校で死んでやろうかという思いもある。どうせ大人は助けてくれないし、私がもう一年繰り返すことになった腹いせのために服毒してトイレで死んでやろうかと思ってしまう。
いのちの電話は繋がらないし、教員との連絡も直接会いに行かないと取れない。ただの逃げな気もする。死にたくなって今日もゼミを休んでも、どうせ診断書もないからなんの助けにもならない。死にたい。学生相談室も学校に行かないと無理だし、教務課は無能だ。逃げに逃げを重ねて死ぬしかない状態になってる。学校のことを考えるだけで死にたくなる。
一人暮らしだから十分死にやすい環境なのに、特殊清掃費用だとか考えて死ねないのだから色んな資金を出してくれた親に申し訳ない。試験も失敗したし、もう死ぬしか方法がない。でも未遂の時の後遺症とかを思って行動に移せない。怖い。今年度中に死ねれば全部丸っと解決だけど、死にたいけど怖い。一人っ子だから少しは悲しんではくれるだろうけど、今後の経済的損失を考えたら今死ぬのが親のためだ。死にたい。だけど勇気がでない。登戸とか割と近かったんだからあの時行って死んでればよかった。失敗しても後遺症のでない死に方はないのだろうか。
追記:ちょっと落ち着いてルナルナ見たらたまに来る生理前の死にたくなるやつだった。死にたくて死にたくて仕方なくなるやつ。やっぱりPMSかPMDDなのかな?でも理性は今年度中に死ぬのがベストって思ってるんだけど。猫みたいに人間もセックスの時だけ排卵する構造になってたらここまで死ぬべきとは思わないのだろうか?
自分はその研究に人生捧げてて、その分野の重鎮ですごい先生なのかもしれないけど、それと同じ情熱を学生にも求めてくるやつ。
うちの大学にもハチャメチャな難度の試験出して大量に不合格にして、講義内容と問題のレベルが理不尽だっていう意見出ると
「大学にはみんな学問を修めに来てるのに、レベルを上げてくれならまだしも下げてくれなどありえない」とか抜かすやついるよ。
多くの学生にとって、その講義だのゼミだの研究室生活だのは、まだ自分が人生をかけると決めたわけではないいくつもある選択肢のひとつに過ぎない、あるいは選択肢にすらないことを理解できないんだろうね。
学問ではなく学歴のために大学に行くんじゃない、研究したいわけじゃないのに大学院に行くんじゃない、学歴ロンダするな(まあこれはそうだと思うが)、
分野の重鎮たる私が指導してやるんだから、ゼミや講義には私生活を犠牲にしてでもありがたがって全力で準備してこい、イヤなら別のところに移ればいい、
全部まあ正論といえば正論だが、実際現実としてそれらに完全に忠実だったら確実にいまの日本社会ではただ不利になるだけだし、多くの学生にとっての「とりあえず目指す場所」への到達を遠のけるだけだよね。
結局誰が悪いのかって考えると、大卒や院卒に謎の価値を見出して、大学や大学院を純粋な学問の場ではなくしている日本の社会な気がするけど。
ただの書き殴りだから主張の結論とか特にないけど、要は教授がひたすら時代錯誤だなって思う。
自分の研究室を理想の学術の場にしておきたいっていうのとか、そこにふさわしい学生しか認めたくないみたいなのはわかるけど、
そうじゃない学生が配属されてきたときに、強い態度でアプローチするべき対象はその学生じゃねえだろっていう。
最近出てた教授擁護ツイでは「そういう学生を強めに指導しないと日本の研究力が」的なこと書いてあったけど、
「あんたらが大学を変質させてるおかげで、純粋な学問研究の場が失われて日本の研究力が落ちる」って。
書いてて思ったけど、いにしえのトラディショナルジャパニーズビッグカンパニー的な「会社のために私生活を犠牲にするのは当然」みあるなっていう。
元: https://twitter.com/fuquiague/status/1143162885100597249 , https://twitter.com/fuquiague/status/1143163134636519424
今更感は否めませんが、九大のアカハラ問題についてもしTwitterで検索している人がいたら読んでもらいたいと思います。僕あのラボの出身なので、あのニュース記事では見えてこない部分で、自分の知る限りを書きます。
たしかにその教授はとても厳しい先生でしたが、サイエンスへの情熱が並大抵ではない方でした。ゼミ(文献紹介)では、確かに皆の前で1時間や2時間説教をされることはザラです。でもそれは、ゼミの準備をしっかりしてこなかったり、考えが浅い学生に対する対応であり、適切な論文を入念な準備をしてゼミに挑めば、議論の白熱した質の高いゼミが執り行われるのです。
「学生の発表中にスマホを見ていた」とありますが、僕の知る限り、この怒られた先輩はタイトルの英文に誤りがあるレベルの酷い論文を提示し、それに対して先生が「こんな論文についての発表を聞くのは無駄だ。俺はサッカーW杯の予選を見る」といってスマホの動画を見ていたそうです。
確かに少しやりすぎなのかもしれませんが、僕は怒って注意するのと行動の本質は同じだと思います。先生には黙って聞いていたり、居眠りしたりする選択肢もあったと思います(現にゼミで不甲斐ない生徒に怒るのはどうなのか迷ってらっしゃる時もありました)。しかし怒り、動画を見るのは研究室、ひいてはサイエンスのための"プロレス"です。
先生は一介の研究者のレベルではなく、その分野では日本を引っ張っている研究者の1人でした。それは、厳しい教授のもとで、生徒達が発破をかけられて懸命に研究に励んでいるからです。日本にあるこう言った風潮は、若者にヌルい社会になる一方で、日本のサイエンスの衰退に繋がりかねません。先生が明日から「反省したよ怒るのはやめるね」となれば、研究室としてのレベルが低下して日本がその分野で世界に遅れを取るんです。そのラボには厳しいながらもその熱血な指導(先生が何日も徹夜で論文の添削したりしてくれます)に魅力を感じて博士課程に進学した先輩が大勢います。僕も熱心に研究に取り組める環境を大変気に入っていました。
当然、こういった環境が合うか否かは人それぞれですが、研究室は選べるし変えられます。僕はこのような問題が生じてラボが画一化し、選択肢が狭まっていくkとに強い危機感を抱きます。僕も含め、やや世間のアウトサイダー感が否めない学生が多く在籍するラボでしたので、尚更です。僕は今回の件は「アカデミックハラスメント」ではなく、単なる「アカデミックアクション」だと思います。日本のサイエンスの為にも、多様性確保の為にも、あのラボが今まで通り運営されていくことを望んでいます。
ちなみに「メールで特定の生徒への叱りつけを他生徒にも見えるように行った」とありますが、この方は学歴ロンダリングについてメールで公開叱責をされたようです。おそらくこの方が学校名につられて修士から院を変えるような旨に対しての叱責だと思います。これも生徒側の非は大きいと思います。
僕はこのラボから修士で東大に行っているんですが、その旨を教授に告げた際、「君は本当にやりたいことがあって東大に行くということは分かった。単なる学歴ロンダリングじゃなくてそういうことなら私は何も言わず送り出す」と返答をもらいました。レベルの低い研究室なら出ていかれても仕方ないですが、先生も含めて全体で誇りを持って研究に取り組んでいるラボだったので、そこを単なる学歴ロンダのために出ていこうとするのは失礼ですし、怒られても仕方ないですし、それであのラボを出ても後で自身が後悔すると思います。そう言い切れる程、良いラボだったと思います。
僕が心から恩を感じているラボとその教授がメディアに悪く書かれ、ネット上でも酷い言われようであることに大変心を痛めています。もちろん被害を訴えられた方にも相応の言い分があることとは思いますが、今回の事件の裏の一面として、このニュースに関心を持った1人でも多くの方に読んでいただけますと幸いです。
時間、お金、体力、恋人。就活する前のあの頃に帰りたいと毎日考える。お願いだから返してほしい。全部僕の大切なものなんだよ。
初めて彼女ができて、それはもうアツアツだった。初めてだったからいろいろ不慣れだったし、決して良くできた彼氏ではなかったと思うけど……。
まぁそもそも、よくできた彼氏はこんなことで亀裂を作ったりしないのだろう。多分。
ゼミも、それなりに楽しかった。担当教員とは気軽に一対一でのみに行くのが楽しいぐらいに相性がよかったし、専攻分野も自分に合っていたと思う。
部活もやってた。運営にも噛んでたし、好きなことだったからこそいろんなことを新しくやらせてもらった。もちろん不手際もあったと思うけど、なんだかんだでいい結果になっていたと信じたい。
部活引退して、ゼミに就職課がやってきて、自己分析だの、履歴書だの言い出すようになったあたりからだった。
まぁ当然それにかかりっきりになる。今後の人生を決めることだから、別に手を抜いたつもりはなかった。1月ごろから自己分析を始めて、履歴書を完成させたのが2月。
3月の情報解禁に間に合うように動き回って、合同説明会や選考会、各種イベントに足を運んだ。最初のうちは合同説明会などが多かったから、彼女と行くことも多かったが、やっぱりそのうちそれぞれの就活になる。
その時間の間を縫って会っても、やっぱり口から出てくるのは就活の話、特に愚痴ばかりで。
特に僕のほうが全くうまくいかなかったせいで、かなり疲弊していった。言い争いになることも増えたし、構ってくれ、助けてくれとなってしまうことがほとんどだった。今思うと情けないけれど。
その結果、一度荷物を下ろしたいといわれて別れを告げられた。 その直後、彼女には内定が出た。 僕は最終選考まで唯一進んだところが落ちたばかりだった。
就活やる前は、6月ごろには内定をもらって、そこからせっかくなんだから大作な卒業論文を書いて、自分の納得いくものができたら、大学の中の論文コンペに応募しようと思っていた。
そういうことが、自分にとっては楽しいと思えたみたいだ。志望動機を400字書くより、論文のアウトラインを書いているほうが簡単なように思える。
彼女に対する罪悪感と、日々への疲弊感。何もできなくなっていた。
1月から6月までの半年間を返してほしい。いろいろお金も使った。無駄だったから返してほしい。
何より、かけがえのない彼女を失った。 これは、自分のせいがほとんどなんだけど。
この前、ラインをしたら「楽しかったね、就活なんてなかったらよかったね」とメッセージがきて、1時間ぐらいずっと泣いてしまった。返して、返してよ。
夢にまでいろいろ見るようになって、眠るのが少し怖くなった。そのせいか、無意味に夜更かしすることも増えた。
多分、精神科とかに行かなくちゃいけないレベルなんだろう。大学棟の6階で授業を受けてたら、唐突に授業を抜け出して窓を開けようとしたこともある。
下に歩いている人たちをみて、そして何より彼女が罪悪感にさいなまれてしまっては耐えられないと思い踏ん張った。
そうなると、就活は僕の今までの時間だけでなく、未来の時間とお金まで奪っていくことになる。 こういうのは、一日二日薬を飲んだら治るとかそういう次元じゃないことだけはわかる。
就活うつなんてものはそう珍しくないらしく、7人に1人はそれっぽくなるらしい。運悪く、そのくじを引いてしまったようだ。
10パーセント以上の学生がそうなるなんて、明らかに異常なんじゃないか。
まぁその10パーセントの中でもかなり僕はいろんなパンチを同時に受けてしまった側だろうけど(もっとつらいひともいるかもしれない。だとしたらごめんなさい)、そうじゃなくても絶対におかしい。
履歴書を全部破り捨て、企業のパンフレットは切り刻んで、とりあえず休むことにした。もう、憎むことすらできない。その気力がない。
大学時代に珍しく女の子と一緒に帰ることになって、当時法学部のゼミで性犯罪についてまとめなきゃいけなくなったから話してたんだよね。
あ、因果が逆だ。
法学部のゼミで性犯罪についてまとめなくちゃいけなくなったから女の子と一緒に帰ってたんだ。
そん時に、「痴漢ってあるよね」って話になって。
その痴漢という言葉が女から出た瞬間、twitterで見た言葉が頭に浮かんできたわけだ。
「痴漢の話になると男は痴漢冤罪について話を逸らす!」「痴漢から目を背けるな!」
って言ってたし、ああ、ここは完全痴漢撲滅マシーンになるしかないなと覚悟したんだ。そしたら
「痴漢ってくそだけど、男は痴漢冤罪とか怖いし女性専用車両も嫌だよね」
って言われて一瞬は?ってなった。
まぁ考えてみれば当たり前の話で、女さんからすれば男という存在には自分の彼氏や父親や友達が含まれるわけで
その人が痴漢冤罪で捕まれば自分の人生にも影響が出てくるわけで。
一瞬で男女対立の思考に持って行って保身した自分が糞みたいに感じられたんだよね。
様々な観点から相手を論破するのが得意!って自負してたけど、俺はその女さんが痴漢に遭ったらとか考えられなかったわけ。
女なら自分の彼氏が安全ピンで刺されたり、性犯罪者予備軍扱いされるのは嫌だろうし
男なら自分の彼女が見知らぬ男に触られたり、オナペット扱いされるのは嫌だろう。
そういう経緯で女性専用車両ができたり、痴漢冤罪への危機感が世間で高まっていったわけで。
結局自分の事しか考えられない喪男喪女が争ってそれを取り上げるメディア達。
一度もなく、
22歳で、処女だった。
本当に本当に本当に焦っていた。
17歳くらいから「実はこの間彼氏と…」という報告を友達からされるようになり、
22歳になるころには当たり前に女子会でセックスの話題になることが増えた。
友達とか所属してるゼミとかサークルとかバイト先とかの人は可愛い子ばっかりで
「初めては大事にしなよ」
セックスを経験している同い年の子や後輩が、自分よりずっとずっと大人に見えた。
みたいな話もたくさん聞いた。
「初めてしたとき、幸せすぎて泣いちゃった」なんて話も聞いた。
今までの自分は漫画を読んだり、音楽を聴いたりすることを幸せだと感じていた。
でもそんな幸せはちっぽけで、本当の幸せはセックスの中にあるのかもしれない。
になった。
当たり前っちゃ当たり前なんだけど、好きな人がいいなって思った。
嫌いな人や生理的に無理な人と致して幸せになれるイメージが湧かなかった。
当時、好きな人がいなかった。
ということで、
「好きな人を作る」
好きな人を作るためには
②ストライクゾーンを広げること
大きく分けてこの2つをしたらいいかなと思った。
②については、自分はまあまあ惚れっぽく、ストライクゾーンはそこまで狭くないと思っていたけど、
さらに広げるために、興味がない男性でもたくさん話して、良いところを探してみようと思った。
問題なのは、「好きな人からセックスしたいと思われる」の方である。
こっちはほんとにどうしたらいいかわかんない、なんもわからない、だってセックスしたいと思われたことないし!
男の知り合いは居たけど男友達は全然いないし誰にも質問できなかった。
でもまあとりあえず、見た目がいいに越したことはないかなと思って、
見た目磨きをすることにした。
メイクとか服装とか、雑誌とかインターネットで調べてみたけど、あんまりよくわかんなかった。
これは喪女あるあるだと思うんだけど、メイクと服装は何が正解なのか分からないっていうのがある。
正解は無いのかもしれないけど、なんていうか、まあある程度身なりに気を使ってるね、好感が持てるね、みたいな服を探してた。
あんまりよくわかんなくて、でも自己判断でおしゃれするの危険かなって思った。
高校生の時とかの写真見てるとクソダサTシャツとか着てて、自分のセンスが信用できなかった。
とりあえず店員さんに全部選んでもらった。
「服、持ってないです!全部選んでほしいです!」って言った。
服屋の店員と話すの勇気がいるけど、服が好きで働いてる人が多いので結構乗り気で選んでもらえた。
美容室で、「自分、ダサいです!垢抜けたいです!どんな髪型でもいいです!!!」って言って髪切って染めてもらった。
美容師さん、「有村架純さんと同じ髪型にします!」って言ってくれた。
顔は全パーツ似てないので、有村架純と顔交換した時のSNOWみたいだなって思った。
化粧がまじで分かんなかったから、なんかデパートの化粧品売り場って化粧してもらえる?場所?みたいなのがあるじゃん?(この発言がすでにダメ)
「化粧の仕方わかんないので何が必要か教えてください」って言ったのよ。
「ここはそういうの教える場所じゃない」って言われた。
例えば、「2種類のチーク、どちらを買うか迷っているんですが、実際に試してみることはできますか?」みたいな聞き方なら大丈夫だった。
化粧の仕方を教えてもらえるわけではないけど、正しい化粧をしてもらえるので、
それをお手本にして次の日から真似てやってみるといい感じに化粧できるようになるかも?
太ってるのかどうか分からなかった。
太ってるか分からないって何?我ながらどういうこと?
見た目磨き編はこんな感じだった。
あとは、男性と関わることに力を入れた。
パワー系コミュ障ブスだったから、遠回しに断られることが多かった。
はっきり断られたこともあった。
「行かね〜!」と言われた。へこんだ。
けど、たまに行ってくれる人もいた。
何を話せばいいのか分からなくて、ずっと自分の友達の身内面白エピソードとかを一方的に話してた。
ほんとそういうとこだぞ!!!!って今なら思う。
プロフィールを記入するカードが配布されて、「理想のデート」とか書いたりする項目もあった。
30代男性の理想のデート、「イオンでマックを食べて、プリクラを撮る。」って書いてて、
うわそれ私が中学生のときの理想のデートだ!!10年遅かった!!って思った。
他の男性から「離婚調停中です」って言われて、婚活どころではないのでは?となったこともあった。
でも自分もブスだし性格悪いからまじで人のことを言える状態ではない。
せっかくパーティー行ったから何も収穫がないのはもったいないって気持ちで数人と連絡先交換してご飯行ったけどうまくいかなかった。あとイオンのマックには行かなかった。
マッチングアプリもやった。
マッチングアプリとは、婚活などにも使われるような割と真面目な出会い系アプリである。(ざっくりとした説明)
会ったことない仲良くもない人とちまちまメッセージ交換するのだるすぎた。
かといってメッセージのやり取りをほとんどせず会うのはリスキーだし、
電話したら手っ取り早く相手のこと知れるんじゃないかと思ったんだけど、
ちまちまメッセージをやり取りして、会ってみて、を十数人繰り返した。
相変わらず誰とも発展しなくて、キツかった。
いまいち好きになれなかった
自己啓発的なこともやった
「私には、優しくてとってもステキな彼氏がいるよ♩私はとっても幸せ♡」って唱えると本当に彼氏ができるって書いてあるサイトがあったから、
1日100回唱えた。
別にそのサイトには100回唱えろなんて書いてない。勝手に私が気持ち悪いアレンジしてただけ。
毎日上記の文を実家で100回唱える娘を見て母はどう思っただろうか。
病んだ。
そのくらいで病むなよ!って今なら思うけど、
そのときは思い詰めすぎてて、
自分はダメなところばっかりなんだ、失敗ばっかりだ、死にたい。」
って本気で思ってた。
好きだったaikoとback numberが聴けなくなった。恋愛の曲を身体が拒否し始める。
もはや恋愛に関わりたくねえ、私は何を達成しようとしているんだ、なんでこんなダメなんだ、なんなんだもう、殺してくれ、あっ今日念仏唱えてないや、私には、優しくてとってもステキな彼氏がいるよ♩私はとっても幸せ♡私には、優しくてとってもステキな彼氏がいるよ♩私はとっても幸せ♡私には、、私には、、
いのちの電話とかより、お金かかってもプロのカウンセラーの方が聞き上手な印象があったので、そっちにした。
最初の2〜3回は、カウンセラーの先生に「辛かったですよね、全然ダメじゃないですよ」って励ましてもらった。
少し気持ちが楽になった。
っていう具体的な案をたくさん出してもらった。
異性との会話の仕方とかも具体的に提案してもらえて、カウンセラーならではだな、すごいなと思った。
でも、カウンセラーの先生が教えてくれたこととかやってみても全然ダメで、
恋活パーティーもマッチングアプリも依然結果が出せていなかった。
もう本当に駄目だな自分!死ね~~~~!ウワ~~~!!!クソクソクソって感じ。
もう無理です、もうほんとむりです、つってカウンセリング室で大泣きしてたら、
スピリチュアルの世界の話になると思わなかったのでびっくりした。
藁にもすがる思いで、紹介された占いに行った。
片道1時間以上かけて、全然人のいない田舎にある民家に行った。
占いを信じない上にケチの私が、45分5000円の占い料払うなんて信じられなかった。
そのくらい絶望的な状況だった。
タロット占いを専門にしている方で、
伏せたカードを表にしたら、
悪魔とか死神とか男の人が木に吊るされてる絵のカードばっかりで、
タロット初心者でも「これはヤバいのでは?」と気づけるような結果だった。
ってかなり言葉を選びながら「最悪やぞお前」と伝えてくれた。
処女でいることに悩んでいる、と話をしたら、
「本当は処女でいることって、誰にも汚されていない素敵な事なの。でも、もうあなたは処女がいけないことって考える呪いにかかってる。もう誰でもいいからセックスしちゃいなさい。今日か明日以内に。」
って言われた。
「初めては大事にしなよ」と「さっさと捨てなよ」の間で悩んでたから、今日か明日以内にって言われてすごく楽になった。そうしようと思えた。
占い師は、帰り際に私のことを抱きしめてくれた。
なるほど、すごい占い師だった。
その人に頼むことにして、セックスしてくださいとは流石に言えなかったけれどすぐアポをとった。
幸いなことに占いした日の次の日に会ってくれることになった。
会った。
メッセージのやり取りをしている段階では知らなかった。
え、セックスできないじゃん、って思った。
興味がない人ともじっくり向き合う、なんて最初は言ってたのに、
結局他人のことを知ろうともせず自分の処女のことばっかり気にしていた。
誰も私のことを追いつめていないのに、
もう本当に無理じゃん、と思ってたとき、
カウンセラーの先生が、「水商売してみたらどうかな」と言ってくれた。
衣装のセクシーさとかじゃなくて、なるべくトーク力で勝負してるお店にしてね!」
すっごい大きい繁華街の中で何十年も続いているすごく大きなスナックで働かせてもらった。
大学生だったから、とにかく空いてる日はシフトを入れさせてもらった。
キャバクラよりも地味な、ほんとに普通のヘアアレンジを教えてもらえた。
本当に身なりに無頓着で、髪の毛を縛るとか染めるとか何かすることは今まで一切なかった。
髪の巻き方本当に一切知らなかった。その上ゴムもピンも持っていない。
店が閉まった深夜に先輩ホステスが巻き方を教えてくれて、すごくありがたかった。
でも正直すっごい眠かった。
ヘアアレンジも全然できなくて、ヘアピンを刺せば頭皮は痛いし、ずっと頭らへん触ってると腕がつりそうになるのが大変だった。
あとやりかたを教えてもらってもその通りできないというか…体育苦手な人が指導されても身体を思うように動かせないのに似ているかも?
今は簡単なやつなら一通りできる…教えてくださったホステスさんたちにめちゃくちゃ感謝している…
メイクの仕方も教えてくれたし、メイクおかしかったら言ってくれた。
メイクおかしいって言ってくれる環境ってめちゃくちゃ恵まれてる。
友達は気を遣って何も言わないだろうし、化粧品売り場のお姉さんもお客様お化粧が変でございますよ~~とは言わない。
ママから指導されることも多かった、正直性格のことがっつり言われるとしょげた
スナック、楽じゃなかった。
ベテランのホステスから無視されたり、席に着いたらお客さんに「ブス!チェンジ!」って言われたこともあった。スナックでチェンジできねえわ!
思ったより時給は低いし、色々お金かかってたから本当にあんまり儲かってない、全然昼のバイトと変わらん
そんでめちゃくちゃ頑張って、
450時間働いた。
時間はたくさんかけたけど、他のホステスさんも見てる中で会話するので、
恋愛で成功体験のない自分が1人で反省するより、すごく効率良く男性との会話の仕方を習得できるなと思った。
最終日はお客さんからお花を貰い、泣きながら退店した。
嬉し泣きしながら辞める人初めて見たよ、と先輩ホステスに笑われた。
なんで辞めたのかというと、
そしたら、マッチングアプリでやりとりするの少し楽になって、
メッセージも続くようになった。
メッセージが楽しく続くようになれば、実際に会ってくれる人も多くなって、チャンスが一気に増えた。
その中に、すごくいいと思える人がいた。
運が良かった。努力の成果ではない。
でも会う人数が増えれば良い人に会う確率も上がるし、
会う人数を増やせたという点は自分を褒めたい。
メッセージの印象通り、めちゃくちゃいい人だった。
それらに気を付けながら話すだけでも話がちゃんと弾んだ。
20年以上生きてるのに「これが会話か…」ってなった。
誰も私を選んでくれないと思った。
ネガティブだとダメとか、言霊の力とか、引き寄せの法則とか、色々ある。
私は3度目のデート中も「どうせお付き合いには至らないんだろうな」って思ってたし、
少しラインの返信が遅いだけで「はい!またフェードアウトされるやつ!無言でブロックされたかもな〜〜終わったな〜〜」とか思ってたので、最後までずっとネガティブだった。負けたことしかないから勝つシーンを想像できなかった。ポジティブになるのは無理だった…
引き寄せも無かった。
私に効いたのは、
と
ことだった。
それを学べたのが、スナックだった。
彼氏と、付き合ってもうすぐ1年半が経つ。
おいおいおい。なんで無理しなくていい論が多数になってんだよ。
→ごめん、言い過ぎた。友達いるかいないかと異常か否かは全く関係ないです。
増田に友達作って欲しくて、ちょっと過剰な表現をしてしまいました。
申し訳ございません。
もちろん、増田自身は異常じゃない。何の欠陥もない普通の人だ。
でも、大学生という身分を存分に活かしていないという点で、異常。
というか、もったいない。機会損失、若さの浪費、青春の無駄遣い。
と言っても別に無理して友達作ろうとしなくていい。狙って作れるもんじゃないし。
でもまずは単純に、人と接触する機会を増やそうよ。
同じ授業の受講生と仲良くなるのは難易度高いから、サークル、研究室のゼミ、大学の自治会、ボランティア、バイトとか、そういうものに参加してみよう。
そういうことができるのは、学生の間だけなんだよ!(一番いいのはサークルだぞ。お金が必要なサークルならバイトも増やそう)
最初のとっかかりは自分から志願するけど、その後は強制参加になるような、強制力のあるものがいい。増田みたいな消極的で引っ込み思案そうなタイプには。
そういう場所で、友達というか、先輩/同期/後輩、という関係性をまず作ろう。
まぁ面倒くさいこともメチャクチャ増えるし、辛いことも多くなるけれど、得られるものも大きいよ。
(注意点としては、決して相手のことを軽んじないこと。それだけ。無口とか何喋ったらいいかとか、どーでもいい。流れに身を任せろ)
タイトル通り、大学院進学希望者が、進学先を決める際にした方がよいこと、すべきことについて助言を書いた。
既に巷に溢れている記事ではあるが、様々なところで進学先の失敗談を聞いて、改めて書こうと思った。主に博士進学を考えているものを念頭に書いたが、修士で就職する人にも参考になるかもしれない。
当方は現在ポスドクで、大学院時代はそこそこ上手くやってきた方であるとは思っている。もちろん、相応の努力はしたが、それだけではない。上手くいった大部分は指導教員、ひいては研究室選びで良いスタートを切れたことによるのだが、修士課程に上がった当時は、右も左もわからず、たまたま見つけた研究室に進んだ。つまり、運が良かったのである。
今だからこそわかることもある。また、諸所で指導教員とのトラブルの話を聞いていると「それは下調べさえしていれば避けられていた・・・」と感じることが多い。
そこで、大学院、特に博士進学まで見据えて考えている人に、今自分が学部4年、あるいは修士2年次であればこうするであろうというTipsを述べたい。
当然、部分的には当たり前であったり、逆に分野によって文化の異なるところもあるかもしれない。なので、納得のいく箇所があれば適宜参考にしてもらえれば幸いだ。
・研究室を探す
まずは自身の関心のある分野の研究室を探さないと始まらない。研究室の探し方は人それぞれで、どうしてもその時々の巡り合わせに左右されてしまう。なので、ここでは私の経験を書く。
私の場合、学部の研究室のテーマからは変える予定であった。具体的ではないにせよ、方向性を決めたのは学部3年生の頃で、大学にその分野の研究室がなかったのだった。仕方がないので、その分野で有名と思しき研究室を調べ、いくつか候補とした。
候補となる研究室は、学部時代の指導教員に当該分野のある大学を聞いたり、学外の研究会に出席することで知った。また、見学に行った先の教員から教えてもらうこともあった。ようはとにかく、行動することだ。
ただ、私の場合は、結局最終的に行き着いたのは学部2年生の頃受講した講義で知った研究者だったので、この点は運がよかったとしか言いようがない。
学会などは、学部生が無料の場合もある。絶好の機会なので参加するとよい。学会にいけば、シンポジウムで当該分野で目立っている研究者の顔ぶれを知ることもできるし、ポスター発表会場で直に会って、実働隊として研究をしている大学院生やポスドクと会話することもできる。「知識もないのに聞いても迷惑ではないのか」と不安かもしれないが、心配はいらない。大部分の研究者は、意欲的な学部生が聞いてくれることを喜んでくれる。邪険に扱ってくる者がいれば、その人の問題なので、気にしなくてよい。
研究室の見学には必ずいった方よい。大学院説明会というのもあるが、可能であれば個別にアポを取って見学にいく方おすすめだ。そちらの方が平常運行の状態の研究室を見ることができるし、個人的な質問や相談ができるチャンスが多いからだ。
多くの研究者は研究室や大学のウェブページに自身のメールアドレスを公開している。そこからコンタクトを取ればよい。大抵の場合は、返信をくれる。メールを書く際には、件名に「研究室見学のお願い」と、要件を必ず書くこと。
メールの文章例を載せる。この例以外にも、「研究室見学 メール」などとググれば文例はいくらでも出てくるので、自身に合った書き方を真似つつ、丁寧かつ、要件が明快なメールを送ろう。
ポイントとしては
といったところだ。
例1
————————————————————————————
○○先生
hogehoge大学hoge学部hoge年の○○と申します。
私は大学院進学志望でhogehogeに興味があり,○○先生の研究室を見学したくメールをさせていただきました。
もしお時間があれば研究室を訪問させていただきたいのですがいかがでしょうか。ご連絡お持ちしております。
[ここに名前]
[ここにメールアドレス]
————————————————————————————
例2
————————————————————————————
○○ 先生
突然のご連絡失礼いたします。
hogehoge大学hoge学部hoge年の○○と申します。
○○先生の研究室を~~~~~~~~~~をきっかけに知り、是非見学させていただきたく、メールを差し上げました。
私は現在~~~[現在の状況]~~~~~で、進学先の進路を模索している最中にあります。
それを考えるにあたり、○○先生の現在のご関心や今後の展望について一度伺いたいと思うに至りました。
つきましては、入試などでお忙しい中大変恐縮ではありますが、2, 3月中に訪問の時間をいただけませんでしょうか。
[ここに名前]
————————————————————————————
修士学生ならともかく、学部生は教員にメールを送って見学にいくのは、(他大学だと特に) ハードルが高いかもしれない。しかし、繰り返しになるが、研究室見学には絶対にいくべきだ。相手に無駄な時間を取らせてしまうかもしれないと恐縮する気持ちもわかるが、大学院に進めばあなたは少なくとも2年、場合によっては5年かそれ以上の時間をそこで費やすのだから。
さて、首尾よく研究室見学に行けたとする。何を話し、聞くべきか。こちらから聞かずとも、概ね先方が紹介してくれると思うが、必須な項目を述べておきたい。
・目下の研究について聞く
研究室は大きくなればテーマが多様であることも多いし、先端の分野であるほど研究の流行り廃りは激しい。従って、未来の指導教員が今、現在、何に関心があるのかは率直に聞くべきだ。
とはいえ、下調べは忘れずにしておくの忘れないように。具体的には、見学にいく研究室の直近の論文には目を通しておこう。目安としては、最低5年分はざっと読んでおくとよい。全部理解できなくてもよい。むしろ、理解しきれなくても「面白い」と思えればそれを実際に会ったときにぶつければ会話が弾む。これを面倒に感じるなら、そもそもその研究室はあなたに合った場所なのか考え直すべきだ。
実際に会って話すときは、回りくどい言い方はしなくて構わない。ストレートに聞きたいことを聞けばよい。
「最近の論文、例えば去年のhogehogeに掲載された研究は○○についてでしたが、今後もそのテーマは継続されるのでしょうか?」
「今後5年間では、どのような題材を扱おうとお考えでしょうか?」
「まだ実現していなくとも、先生自身が今後着手したいテーマや注目している現象などがあればお聞かせください」
など。
この手の質問への回答が、あなたの琴線に触れるかどうかが一番大事だ。指導教員が自分と明後日の方向を向いている状態で博士課程を生きるのはかなりつらい。「乗るしかない、このビッグウェーブに!」と思えることがまず重要なのだ。
自分がその研究室に進んだとしたら、どういうことをやりたいのか、興味がどこにあるのかを伝えよう。相手もあなたが何者で、何をしたくて来ているのかわからない以上、何を話せば楽しんでくれるのか探り探りなのだ。博士課程に進むつもりなら、その旨も伝えた方がよい。
興味関心を伝えれば、何を話せばいいのかも明瞭になるし、場合によっては「それを扱うことができない」ときっぱり伝えてくれて時間を無駄にしなくて済むかもしれない。
そうであっても、場合によっては当該分野の研究者を紹介してくれる可能性もある。相手は業界人なのだ。頼りまくって構わない。私自身、それで別の研究室に見学に行かせてもらったことがある。
特にまだやりたいことが明確でない場合、そう伝えればよい。ただ「○○を面白いと思った」といった、どの辺りに関心を持って見学に来ているのかは伝えよう。テーマを決めかねているのを恥ずかしく思う必要はない。多くの教員は「一緒に考えていけばいい」「今日見せたものなら何が面白かった?」「実は君が面白いと言ってくれた○○は今後こうしようかと思っていて・・・」と話を広げてくれるだろう。
余談だが、実を言うと、具体的なテーマが決まっていない方が受け入れ側からすると「楽」な場合もある。なぜなら、学部や修士の学生が独力で思いつくテーマは大抵面白くないのが現実であるからだ。なので、「こういう方向に興味があるが、具体的にはまだわからない」くらいの方が楽しく議論しながら研究を具体化できるので、指導する側からすると気が楽であったりする。最悪なのは「絶対にこれをやりたい」と熱意にあふれているが、そのアイデアがつまらない学生だ。下手に折ると熱意が萎えてしまいかねないが、そのまま受け入れると研究のリソースの無駄になってしまう恐れがある。そのため、気を遣いながら方向修正していく必要があるからだ。
研究には設備が必要だ。自分のやりたいことがある程度決まっている場合、必要な設備も自ずと定まってくる。それが研究室にあるかどうかは、確認した方がよいに決まっている。マウスの研究室でショウジョウバエの研究をしたいと言っても苦笑いされるのが関の山だろう。
また、使いたい設備がわかると、そこから指導教員と会話が広がる可能性もある。どういう方法論に興味があるかがそれで伝わるためだ。
自分が使うかもしれない設備については、研究室の人数に対して適正な規模になっているのかを見ておくとよいかもしれない。例えば解剖スペースが学生数に対して小さすぎると、なかなか自分が使えないといった事態もありうるかもしれない。これは数年の生活では結構なストレスになるので、快適に仕事ができるかどうかは十分に見ておくとよい。
また、実験設備以外にも、共用の院生室などの充実具合も確認しておいた方がよい。
作業机は個人ごとにあるのか、共用であれば十分な広さであるか。私の知っているところだと、二人で一つの机を共用で、曜日ごとに融通し合わなければいけないところがある。キャンパスに通うモチベーションがガクッと下がるのは言うまでもない。
さらに驚くべきことに、ゼミの資料の印刷費が自費という研究室も存在する。学費を払って大学院に来て、さらに雑費まで払わされるのだ。
余談だが、私はコーヒーが好きなので、研究室に上等なコーヒーマシンが置いてあったのはかなりQOLを高めてくれた。
とにかく、見学した際に、自分がそこで生活するイメージが湧くか考えてみよう。
博士院生は金銭に頓着しない人間が多いが、生きていくだけの金銭が確保できるのかはよくよく検討した方がよい。金銭というのは、あまり多くても心理学的な幸福を増加させてくれないが、ないと一瞬で人を鬱にしてしまうのだ。
学振が取れればそれでいいが、問題は修士課程と、博士で学振取れなかった場合だ。
具体的には奨学金、RA (research assistant)、TA (teaching assistant)、学費免除の制度について尋ねよう。研究室によってはRAで学費が実質的にタダであったり、そもそも博士課程に学費がかからないところもある。
一方で、無償でTAをやらせたり、年々あれこれ理由をつけて学費をジリジリと上げている研究科も、私は知っている。
博士課程であれば、学生が非常勤講師をどうの程度しているのかを聞いてみるのもよいだろう。ツテがあれば、非常勤の枠を斡旋してもらえ、収入源となるだけでなく教育歴もつく。
また、日本学生支援機構の奨学金は通常ただの学生ローンであるが、大学院生かつ、一種 (利子なし) の場合、免除制度がある。その研究室ではどの程度通っているのか聞いてみるとよいだろう。
これらのことも、率直に聞けばよい。
のように。
興味がある教員の肩書きが「准教授」である場合、博士号の主査になれないことが多い。
その場合、通常は名目上、その研究科の別の教授に主査になってもらうことになる。その際に不利益が生じることがある。
例えば
真っ当な良心を持っている人には何を言っているのかわからねー部分もあると思うが、私にもわからない。とにかく、現実にあるのだ。
ただ、そのようなことがないかを確認するのは、入学前だと極めて困難であるのが実情だ。
少なくとも、そこの准教授の学生がきちんと学位取得まで学生を育てているのかはよくよく確認した方がよい。
これは博士で、特に学振DCを取る人向け。大学によっては研究費の執行システムがかなり厳格なことがある。研究費不正をなくすためという高邁な精神は清く、正しいのだが、その結果大部分の研究者にとってはただただ煩雑であることも少なくない。将来的にDCを狙う場合は、聞いておいて損はないだろう。
まぁ、「事務は研究者にsupportiveですか?」とか。学生が聞いてきたらちょっと気味が悪いかもしれないが。
研究室の雰囲気というのは面白いもので、実際に脚を運べば必ず漂っている。アクティブな研究室は活気に溢れているし、停滞している研究室には淀んだ空気が流れている。学生が働いている様子を見れば、自分がそこに加わりたいか、実感を持って考えることができるだろう。
気の利く教員なら向こうから、所属している大学院生を紹介してくれる。そうでなくとも見学に行った際には「所属している大学院生と話がしたい」という旨を伝えるとよい。よっぽど後ろめたいことがない限りは、快諾してくれるはずだ。
人事という言葉を聞くだけで吐き気がする。同じ人間だとは思えない。
そりゃそうだろう。気軽に他人の人生を握ってしまえるんだから、まともな感性が残っているわけがない。機械やAIに判断された方がよっぽど納得できる。
いいなぁ、俺も就職したい人間に偉そうに精神論を語ってお金がほしい。
正直な話をすると、自分は履歴書や自己PRに一切困らなかった。色んな役職についていたし、プレゼン大会に行ったり、活動に共感できる一般社団法人のお手伝いをしたり、充実した学生生活だったと思う。自分がやりたいからそうしたことが殆どだ。軽度のアスペとADHDを併発していて、よくいる興味関心にだけはバリバリのめり込む発達障害が自分だ。
実際、そういった経験を履歴書や自己PRにすると「よくできていますね」という評価が大抵だった。
ゼミの研究活動が楽しくて、卒論とは別に論文を書いたこともある。大学内のコンペにそれを持ってったら、他の学生の卒論をよそに一番いい賞をもらった。
まぁでも実際はどうだ。どうせ企業は少しとがったマネジメントが必要なアスペなんかいらないのだ。まるで選考が通らない。就活はじめてから、20弱は落ちた。内定はなし。
企業は、突出したものよりも、平均的で、無難で、問題が無さそうな人間がほしいのだ。
自分になにかしら悪いところがあるのだろうと、エージェントを使って面接のフィードバックを聞いたり、直接自分が聞いてみたりした。これは自分が実際にもらったフィードバックだ。あまりにも信じられない
「物事を一貫して話していて、きちんと考えられているとわかるし上手いと思う。しかしながら、新卒らしいフレッシュさがあまりに感じられなかった」
「このプレゼンの選考は、正しい正しくない関係なく、仮説をたて検証しているかどうかを見ている。君のはそれができているし評価は高いよ。強いていえばこれを完全してほしいけど、それを学生に求めるのは酷だから、今は気にしないで」
→なぜか落ちた。学生に求めるのが酷な部分もできる学生が欲しいのだろうか。
訳がわからん。
落ちるから自分に非があると思ってそれを探ろうとするとむしろ今までの行いを誉められるのだ。
もちろん、就活を始めたての頃は話がまとまってなかったりトチったりと自分でも思い当たる点があって落ちる選考もあったからいいが、最近のこいつらは本当に訳がわからない。
なんだよ、新卒らしさって。言われなくても俺は勝手に20卒に分類されるんだよ。同年代が全部似たような特性を持ってたらキモくないか? いや、お前らは奴隷がほしいからそういうのじゃないとダメなんだよな。
発達障害だから、明文化されないコミュニケーションというやつは本当にダメだ。普段の会話ですら、よくすれ違いを起こすのに、情報の非対称性がある現場で自分が上手く立ち回れるわけがない。
何か致命的なものを見落としているのかもしれないが、それを読み取ることは今後も難しいだろう。
所詮、アスペなんて誰も欲しがらないのだろうとしか思えない。一応就活は続けるが、不労所得が手にはいるなら一刻も早くこんな茶番から逃げ出したい。
書かなきゃいけない気がしたので書く。
1年目 入学
2年目 留年確定
3年目
4年目 休学(1年間)
5年目 復学
6年目
7年目 卒業
9年目 就職
今 生きてる
周囲がウェイウェイガヤガヤしている中で自分が孤立しているのは確かに辛い。
だが周囲をもっと注意深く見回してみろ。孤立してる奴はお前だけじゃないはずだ。必ずいる。お前が孤立しているように俺も孤立していた。ぼっちは遍在する。お前はぼっちかもしれないが、一人ではない。
だから何だと思うかもしれないが、「一人ではない」ということは「同じような悩みを抱えた奴も一人どころではない」ということだ。それはつまり「相談窓口がある」ということだ。
構内のビラ、掲示板、大学のウェブサイト…注意深く見てみろ。「相談室」「保健センター」「保健室」そういう類のワードだ。大抵の大学にはこういうサポートが存在する。
この手の窓口はまず間違いなく無料だ。たっぷり時間をかけてカウンセラーと話せ。気後れするかもしれないが、安くない学費を払ってるのだからそれくらいやってもらわないと困る。主に俺のような奴が。
ところで、カウンセリングは全てを解決しない。だがカウンセリングを、他者との会話を通じて見えてくるものはある。例えば「自分が何を辛いと思うのか」だ。漠然と「辛い」と思うより具体的に「◎◎が辛い」と掘り下げた方が対処しやすい。
例えば「ぼっちなのが辛い」にもいろいろあって、「ぼっちであることで不利益を被るのが辛い」と「ぼっちであること自体が辛い」とではそこそこ違いがある。
前者を更に掘り下げると「休んだ回のノートを借りられない」とか「試験の情報共有ができない」とかだ。ここまで具体的な事象に落とし込めばぐっと対策が立てやすくなる。例えば「教員に参考文献を聞いて自学自習する」「オフィスアワーに教員に直接聞きに行く」「ネットの掲示板やTwitterで検索する(大規模な大学・学部であれば有効)」などだ。教員は友人ではないが、基本的に味方だ。
後者の場合は少々厄介だが、手がないわけではない。人間は本質的に孤独だが、他者との交流を持つことで孤独感を和らげる生き物だ。ならば他者との接点を増やして交流への足掛かりを築こう。
大学2年生であれば他者との接点は「講義」「アルバイト」「ゼミ・研究室(3年次からが多い)」「サークル」「SNS」「学外のコミュニティ」が主軸になるだろう。前2つについては申し訳ないがアドバイスできることが殆どない。何故なら奏功しなかったからだ。これは俺の限界でもあるが、自分の限界を認識しその範疇でできることをやることも大切だ(自己弁護)。
ゼミ・研究室についてだが、増田が今2年生ということは学部・専攻によってはゼミや研究室の話が出てくる頃合いだと思う。少人数ゆえに距離は近いが、同期や先輩との相性に加えて指導教員との相性もあるので、合わない人は合わない。中には一生ものの友人と出会う人もいるが、合わなければさっさと割り切っていくしかない。自分は後者だった。あっ、これも奏功してないな?
サークルについてだが、それなりの規模の総合大学であれば「サークルリセマラ」が利く。都市部であればインカレサークルもありだろう。なんとなく興味を持ったサークルにふらっと寄って、なんとなく雰囲気が合うなとか、話しやすい人が多いなとか思ったら残り、そうでなければフェードアウトする。新参が一人来なくなったところで誰も気にかけないので、こちらも気にしないことだ。コミュニケーション能力を高めるより、自分のコミュニケーション能力でも溶け込めるサークルを探した方が話が早い。相性もある。あとは試行回数。
自分語りで恐縮だが、俺が大学生活で最も長く在籍したサークルは2年生になってから入ったところだった。集まることは集まるが、互いにさほど深入りしすぎず、孤独とゆるく付き合っているような人が多かったのが俺には合ってたのかもしれない。休学中もサークルには時折立ち寄るなど、サークルの存在は立ち直る上で非常に大きかった。
何が言いたいかというと、一つで十分なのだ。何か一つ自分の居場所を確保するだけでかなり違うということだ。俺は講義でもゼミでも孤立していて、教室の前まで来たのにどうしても入れずにそのまま帰ったり、アルバイト募集に電話をかけられず断念したり、そういう学生生活を送ってきたわけだが、サークルの片隅に居場所ができたおかげでなんとか致命傷で済んだ。
しかし、例えば増田が地方の単科大学に在学中だとしたらサークルリセマラはちょっと難易度が上がる。学生数が少ないとサークルの数も少ないからだ。そこで「SNS」「学外コミュニティ」も有力な接点となってくる。今はインターネットで同好の士を探しやすい。自分の学生時代はmixi全盛期でクローズドなコミュニティが多く辛かったが、今主流のTwitterはとてもオープンだ。何より大学の外の人たちは自分の視野を大きく広げてくれる。視野とはつまり「なんとかなる」という感覚だ。
大学というある種閉じた場所で孤独と向き合うばかりだと、周囲とのギャップで自分がひたすら惨めに思えてくるものだ。だが世の中には孤独とうまいこと付き合いながらそれなりに楽しくやってる人たちが実は沢山いる。サークルやSNSや学外コミュニティでそういう人たちと出会うことで孤独に耐え得る価値観を知ること、そして「孤独でも案外なんとかなるんだ」という感覚を知ること、それがつまり「視野の広がり」なのだと俺は思っている。価値観は柱だ。柱は多い方が頑丈なのだ。
これは鬱の初期症状の可能性があるので早めにカウンセリングや心療内科の受診が望ましい。上述した通りまずは学内カウンセラーに相談の上で受診を検討した方がよいだろう。
休学についてだが、積極的にはおすすめしない。休学は基本的に「問題の一時的な凍結」でしかないからだ。それでも心身が休養を要するのであれば一つの選択肢になり得る。ただし、カウンセラーや医師や家族と相談して慎重に決めるべきだと思う。例えぼっちでも学業面に問題がないのであれば休学しないに越したことはない。
俺が休学を決断したのは自宅から出られず引きこもる日が増えた頃だった。学業や生活に支障をきたすようになったら一つの目安かもしれない。だがいずれにせよ、自分一人で決めるべきではないというのは間違いないだろう。
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いまいちまとまっておらず乱文乱筆で申し訳ない。一連の話はあくまで自分の生存バイアスを通したものでしかないのも重々承知している。人にはそれぞれの地獄がある。ある人にとっては何てことなくこなせることでもまたある人にとっては地獄の苦しみだったりする。
だからここに書いたことが全てお前のためになるかは分からないし、保証もできない。何故なら俺はお前ではないし、お前も俺ではないからだ。
ああああああああああああああ。ガチゼミは大変だから入るべきでないという考えに支配されていたせいでやる気のないやつとほかのゼミ落ちたやつしかいないゼミに入ってしまった。
よく考えたら俺は毎日ヒマだし今はバイトもしてないしやりたいこともないんだからガチゼミに入ったって全然よかったんだ。やる気のないゼミに入っても活動がテキトーだから活動の中で仲良くなることもないから、ただただダルイ。
じゃあ俺が積極的なゼミにすればいいじゃんという考えもあるがそこまでの実力はない。やる気のない者同士なんとか間に合わせで課題をこなしていくのはダルすぎる。これやったからってどうなるわけでもない、テキトーに取り繕ってやり過ごそうぜって
感じだから無駄な時間を過ごしているという意識がある。やっぱり俺は馬鹿だ。ちゃんとゼミ選ぶべきだった。4年は卒論だから実質2年間の辛抱だけどつらいな。1年時の愚かな選択のせいで大学生活がすごくだるくなってしまった。
ゼミ選びで失敗しちゃったから就職活動はしっかり情報収集してやらないと自分に合わない会社に入って死んでしまうかもしれない。いやダメかもな。馬鹿は死んでも治らないというから俺は愚かな選択をしてしまうかもしれない。
やばいな。あと自分の選ぶ能力のなさが怖くてバイトも決められねぇ。バイトでも嫌な思いをしたらヤダと思ってしまってなかなか応募できない。くっそ。うんこ。中学受験の時は大学附属校を蹴って進学校にいったら落ちこぼれて附属に行ってたほうが
よかったことになったし中学や高校の時に行ってた塾も微妙なところで微妙だなと思いながら通い続けたし大学もテキトーに選んでしまったせいでうんこだし。うんこ。俺は判断力のない馬鹿だからもっといろんな人と交流してその人たちについって
行くというのがいいかもな。それが俺の生存戦略かもしれない。馬鹿な俺は自分で選ぶよりも人についていったほうが幸せになれるんじゃないかと思った。
今、残業中なんですけどもうデスクで涙をこらえるのに必死で何もできないので気をそらすためにも自分の話を書きますね それぐらいは許される職場なんです。いいでしょう。私がすべて悪いだけの、きっといい職場なんです。
私は小学校と中学校、合計で五年間ぐらい不登校(保健室登校)でした。原因はなんだろうな。今考えてもわからないんですけど、とにかく行けなかったんですよ。なんでだろうね。
面倒くさかったんです。たぶん。鬱かなってちょっとだけ思ったりもしたけど、でも、私は当時からオタクで、ネットで動画とかを見て笑ってたからただの甘えだったのかもしれない。徹頭徹尾、甘えているだけの人間なのです。小学校の三年か四年から二年ぐらい通えなくて、六年生で復帰したけど、中学校一年でまた行けなくなりました。勉強ができないわけでも無かった。昔から地頭は良い方で、ただ集中力は無かった。何事も長く続けられなかった。極度の面倒くさがりで、家事も何も一切できなかった。
両親は、学校に行きたがらない私を叱ることもなく、いろいろ考えてくれました。なんたらスクールみたいな不登校児の集まるところに連れて行ってくれたり、カウンセラーが居る部屋に週数回だけ通うように調整してくれたり。
結果としては、私は自分の中でなんで教室に行けないかわからないまま中学の三年間を過ごして、そのまま都立のチャレンジスクールっていう学校に進学しました。都立高校で、定時制。
そこには私みたいに理由もなく学校に行けなかった人って全然いなくて、病気だとか、働かなくちゃいけないから夜間で通うとか、親が離婚してから生活が変わって学校に行けなくなったとか、たくさん理由があったんです。私はなんで自分がここに居るんだろうってちょっと思ったりもしたけど、未だに仲よく遊ぶ友達ができたのもここでした。
でも高校はやっぱり三年しかなくて、私は大学に行くことにしました。良いなと思った大学を目指して、母がこのころ癌になったのに無理して私に英語の家庭教師までつけてもらったけど、受かりませんでした。その年だけ倍率が平素の三倍ぐらい高かったんです。なんでだろう。
結局私は担任の先生の勧めで、少し遠いけど私なら絶対入れる私立大学の文学部に入ることになりました。試験はびっくりするほど簡単で、これなら中学生時代の私でも入れるな、と思いました。教科は現代文だけでした。
でもこの大学で、私は今でもたくさん遊びに行く友人ができたし、その一人は先日入籍もしました。おめでとう。
大学は面倒くさいこともたくさんあったし、さぼったりもたくさんしたけれど、たぶん楽しかったんだと思います。バイトを始めたのも大学に入ってからです。最初は友人の勧めで飲食で働いていたんですが、給料未払いで数か月で辞めました。
次に私が応募したのは、カードゲームのショップでした。ちょうど流行ってたんです。シャドバなんて出る前で、ハースストーンは一部の人しかやってないし、MTGはオンラインが全然無かったころの話です。私はろくすっぽカードゲームなんて知らないままそこに面接に行って受かりました。
仕事はたぶん楽しかったです。結局二年半ぐらいやったのかな。みんなオタクだったし、嫌な客もいたしわかんないこともいっぱいだったけど、それでもバイトって責任もなくて気楽だったし、本当に楽しかったと思う。
その時直属の上司だった男の人とは今でもなんだかんだ年に数回会って、二人で飲んだり二回ぐらい日帰り旅行したり誕生日ディズニーしたり一緒にコンサートいったりします。私たちの関係は何なのか、こうやって書きだしても未だによくわかりません。良い友人なのかな。友達以上恋人未満の関係、結構好きです。気楽だし。いい関係ですよね。
そして私はバイトと遊びと勉学と文化コンテンツで日々を過ごしました。三人しかいないゼミでひいこら卒論を書き、その間に就活をしました。
私の父は大きな会社でそれなりに能力もあって、管理職ではないけれど責任感のあるポストについています。そんな彼と日々話をしたりしているうちに、私もこの業界にしたいな、と漠然と思っていたので、そこを受けてみることにしました。一応ほかにも数社受けました。
受かったのは二社。もう一つは金融系の会社で、少し怖くて辞退しました。その時私は卒論が楽しくて、就職の方がたぶん大事なのにそんなこと全然考えてなかったんだと思います。
そうして弊社に決めました。もうゼミ以外には大学に来る予定なんてなくて、バイトばっかりしていて、オタク趣味にお金を使いたかった。早く就活を終わらせたかった。
もともと視線恐怖症なのもあって、沢山の人がいる中で自分をアピールしたりすることが怖かったのかもしれない。
私は卒論を頑張って(学部で優秀賞をもらいました)、大学を無事卒業して、弊社へ入りました。
入ってから、ああ、結構体育会系というか、業種のくせに古臭い企業だな、と思った事は事実でした。けど、父が言うにはこの業種の中小はみんなこんなものだという話だったので、特に気にしませんでした。自分にマメさが求められる事務職は向いていないと思っていたからです。
それでも今の部に配属されて、訳の分からない言葉はいっぱいだし、教えてくれる先輩の一人は私に教える片手間ずっとグラブルをやっていた。もしかしたらグラブルをやっている片手間私に色々教えてくれたのかもしれない。
今のオフィスは、弊社の大口顧客(元請け)がほぼほぼ占めているビルです。
私は二年間、同じプロジェクトで、ワーカーホリックの上司の下で仕事をしました。
上司はイエスマンだから無茶な仕事をいっぱいもらってきちゃうし、自分がワーホリだからほかの人も同じぐらい働けるとか思っていたし、謎に有り余る体力で飲み会とかにも大体参加していましたが、怒らないし、わからないというとある程度は聞いてくれたりするし、たぶんとってもいい人でした。私が生意気言っても怒りませんでした。ただ彼自身は毎月残業60時間とかいってるワーホリでした。いまでもそうです。
それでもそのプロジェクトは楽しかったです。つらいこともたくさんあったけど、愛着もありました。
なんだか身体がおかしいな、と思ったのは去年のどこかぐらいからだと思います。去年は忙しい月が数回あって、残業が40時間を超えるぐらいの月が飛び飛びに数回ありました。
昔から起きるのが早くて、朝五時とかに起きちゃっていたんですが、三時ぐらいとかに起きちゃうようになりました。
私はスマホ依存症に近いものがあって、何かあるとすぐスマホを見ちゃうんですが、それのせいもあったのかもしれません。睡眠の質がきっとどんどん悪くなっていきました。
プロジェクトは今年の春が大詰めで、みんなピリピリしてたし、急な雑務も増えました。
視界が一瞬真っ白になって、風呂場の椅子に座りこんだと気が付いたときには、身体のいろんなところが強くしびれていました。特に強かったのは手で、勝手に力強く握りしめられていて動かせませんでした。
母を呼びました。母は全裸で浅い呼吸をしながら手を強く握りしめている私のことをひどく心配してくれました。父も風呂場の外にはいてくれて、状態を調べたり、スポーツドリンクをくれたりしました。
その日は固まった手で何とか飲み物を飲んで、少ししたら回復しました。
でも、結局数日たってからも体調がすぐれず、午前半休を取って病院に行きました。
あのしびれの正体も知りたかったからです。結果は「抑うつ状態から過呼吸を引き起こしたのでは」ということでした。
お医者さんには産業医面談を受けるように言われました。私は素直にワーホリ上司へそのことを話して、午後に出社しました。
休憩スペースで面談をしました。診断の詳細、そして産業医面談というものを受けるかどうか。
受けるなら俺から上に言うよ。そういわれて、少し困りました。プロジェクトが本当に大詰めだったからです。私はその時まだ二年目のぺーぺーでしたが、そんな私でももしいなくなってしまったら困るかもしれないと思ったからです。結局上司はそのあと産業医面談の話はせずに、春からの仕事の話をされて終わりました。
その週の金曜日、私はどうしても体調がすぐれず、うまく動けなくて、会社を休みました。
私自身が、どうしてこんなにストレスを感じているかがわからなかったからです。それが仕事のせいなのか、無意識にプライベートでため込んでいたのか(その時ちょうどフォロワーとちょっとトラブルがありました)、単純に満員電車がストレスなのか、わからなかったからです。
翌週、私のところにやってきたのは課長でした。
「別に産業医面談を拒否するわけではないし、受けたいなら調整するんだけど」彼の言葉はこう続きました。「俺たちの権力より上だから、部署移動とかを指示されたら逆らえないしなあ……」
課長は私が部署を移動することになってしまった場合の人間リソースの低下を懸念していたのです。
「とりあえず、今月は今のプロジェクトを頑張って、春以降もう一度相談します」私は言いました。
もしかしたら、本当に私が居なくなったことでこのプロジェクトにクリティカルな何かが発生してしまうかもしれない。それが嫌だったのです。課長が明言してしまうことで、それが私のせいにされてしまうのも嫌だったのです。
薬を飲んでいれば出社はできました。なぜか倒れたときから咳が止まらないけれど、風邪が長引いているのだろうと思いました。
私は抗不安剤と睡眠導入剤を内科でもらっていたので、薬がなくなった時についでに咳止めの薬をもらいました。
咳止めとして飲んだ抗生剤と私の相性が悪かったのかもしれません。私は朝の満員電車の中でお姉さんに助けてもらい、途中の駅で降りて、でも歩けなくて、駅員さんに車いすに乗せられて詰め所みたいなところの長いすに横たえられ、母親が来るのを泣きながら待っていました。
母は病気です。私が高校の時からずっと治療しています。手術もしました。私なんかよりもずっと大変なのに、毎日ご飯を作ってくれて、こうして迎えに来てくれるのです。私は親不孝者でしたが、母が迎えに来てくれたので、駅から外に出ました。その日は散歩をして、会社を休みました。
体調の悪化が治りません。毎日薬を飲まないとうまく動けません。
それでも日は回るので、春から新しいプロジェクトに参画することになりました。すでにある程度進んでいるプロジェクトは初めてでした。
私はわからないなりに、以前の経験と知識を使って頑張ろうと思いました。そのプロジェクトの上長は先日面談をした課長でした。
参画してから一週間ほどした日、私は唐突に課長に仕事の依頼を受けました。
この業種において、一から自分で作ることは大して難しくはありません。今のプロジェクトの様子確認も兼ねて、大丈夫です、やります、と言いました。
どうやら課長のその認識が根本的に間違っていたらしいと知ったのは、その週末のことでした。
どうやらそれは、私が触ったことのないソフトを触って、すでに動いているシステムに「絶対にミスをすることなく」仕様追加をするというものでした。
私は困惑しました。だって自分が触ったことのないものを「ミスなく」と言われても困ります。練習ができません。経験もありません。
しかも、それは私一人でやるという話でした。ベテランの技術者が後ろについてくれると言いましたが、彼は他の仕事で忙しく、週に一回、数時間様子を見てくれるだけでした。
彼がとっても忙しいのは知っていました。だから仕方ないとは思いました。上長に聞いていた話と全然違っても、もう請けちゃったと言われたら若手にはどうすることもできませんでした。
元請けからはことあるごとに「絶対にミスは許されない」と言われました。私は状況の調査から始めました。
手順書や設計書は用意されていました。ただ、前任の会社が中途半端に撤退していたため、それが正しいかどうかの調査から始めなければなりませんでした。
けれど、私が触ったことのないソフトウェアの設計違いを、どうやって見つければいいのだろう。それはとっても疲れることでした。
上長はいつもなぜか忙しそうで、私が疲れたとか、産業医面談の話についてを問いかけることは憚られる雰囲気でした。半分炎上していたのかもしれません。プロジェクト未経験が私含め半分以上を占めていた上に、その中で唯一構築経験があった私が一人での仕事に回されてしまいました。
ポテンシャルって便利な言葉ですよね。とりあえずそう言っておけば良い感をひしひしと感じます。絶対失敗できない仕事を依頼されたなら、失敗しない人を連れてくればよかったのです。
私はそれでも何とか資料を調べて不明点を上げ連ねて、ベテランと上長との進捗報告に参加しました。訳が分からないことだらけでした。たくさんのことを言われましたが、すでに集中力が平時の半分ほどしかなくなっていた私にとって、それは呪文のようでした。半分ぐらいわかりませんでした。わかったふりをしました。
産業医面談に行けなかったので、有名な精神科のある病院の予約を取りました。その時にはもう、睡眠導入剤がないと眠れない生活になっていました。
新しい病院で、紹介状は無いんですとだけ伝えて診察を受けました。睡眠導入剤のほかに睡眠安定剤をもらいました。でも、睡眠安定剤を飲んだら昼間もものすごく眠くなってしまったので、二回しか飲めませんでした。結局抗不安剤と睡眠導入剤だけを今でも飲んでいます。飲まないと眠れないし、仕事に行けないからです。
このころから、ホームで電車に不必要に近づいてしまうようになりました。(私が使っている路線は都内なのにホームドアがないのです)無意識でした。私は死にたいのかな、と思うようになりました。
転職をすればいい、とか、周りの友人は言っていましたが、どう客観的に見たって私のメンタルが弱いだけの甘えなので、私が悪いのです。昔から私が社会や親に甘えているだけなのです。その自覚があったし、転職はとっても怖いもののように思えて仕方がありませんでした。だって自分には実力がないのです。転職活動で落とされることも怖かったです。評価されないことは、訳の分からない仕事を一人でやらされることと同じぐらい怖いことでした。
今日も偉い人たちを交えての打ち合わせがありました。私はやっぱり、「絶対にミスできない」ということを念押しで言われました。それならなぜ、ソフトウェアに触ったことがないたかが三年目の私がその仕事をしなければならないのかがわかりません。他の人にも仕事内容の相談ができません。調べても全然出てきません。他のメンバーはいろいろみんなで相談しながら前に進んでいるのに、私は自分が一つわからないことがあるだけでそこに立ち止まってしまいます。解決策がわかりません。どうすればいいかわかりません。集中力がなくて、どうすればいいかもよくわからなくなってしまいました。
少し、辛いな、と思いました。
別に残業が数百時間だとか、あまりにも激務だとか、そういうことはありません。家族はとっても優しいです。私はきちんと笑えています。両親はたくさんのことに関して理解もあります。母は自分の身体も悪くて病院に通っているのに、私が精神科に行くとき一緒についてきてくれました。
部長も課長も主任もワーホリですが、きちんとしてはいると思います。中小ですが、それなりに長く続いている、頑張っている会社です。
だから、私があまりにも社会に甘えているだけなのです。私が弱くて、今まで甘やかされてきたから、ちょっと普通なぐらいのところに来ただけで耐えられなくなっているのです。
それは悪いことだと思っています。だって私が弱いのが悪いんです。甘えなのです。でも、強くなる方法がわかりません。
どうしてこうなったんでしょう。生まれたときから弱かったのでしょうか。私はどうすればいいのでしょうか。何が悪かったのでしょうか。仕事ができないことが悪いのでしょうか。
薬を飲んでいるとお酒が飲めません。友人との飲み会も、友人が気を遣って飲み放題プランを外してくれます。気を遣って一緒にソフドリを飲んでくれようともします。
優しさが申し訳ないです。私が弱いだけなのに。私が弱くて薬を飲んでいるだけなのに。
仕事が嫌いなわけじゃありません。色々考えて、正解を導き出せたときや、トラブルを解決できた時はとっても楽しいです。
ただ、たぶん、もう一人だけいたら、こんな気分になっていなかったのかな、とは思います。自分にとって、「絶対にミスできない」一人きりの仕事が、案外つらいのでしょう。ゆとりなのです。弱いのです。世間様に甘えているから仕方がないのです。責任を一人で負いたくないのです。「わからない」と隣に相談する環境が欲しいのです。
会社の最寄りの駅にはホームドアがありません。今は想像するだけだと思ってはいますが、段々と黄色い線の向こうを歩いていってしまって、いつか飛び込んでしまったら、と思うととても怖いです。それも、私が弱いからなのでしょう。
生きたいです。オタクは楽しいし、ちゃんと毎日笑っているし、友人もいい人がいっぱいいます。でも、いつまで生きればいいのか、よくわかりません。勝手に涙が出たり、ベッドから動けなくなってしまいます。
私よりもっとつらい人はそれこそ数えきれないほどいるはずなのに、どうして自分はこんなにも弱いのか。どうしたら強くなれるのか。
なんで生きてるのか、わからないのです。
それを吐き出したかっただけなのです。