自分はその研究に人生捧げてて、その分野の重鎮ですごい先生なのかもしれないけど、それと同じ情熱を学生にも求めてくるやつ。
うちの大学にもハチャメチャな難度の試験出して大量に不合格にして、講義内容と問題のレベルが理不尽だっていう意見出ると
「大学にはみんな学問を修めに来てるのに、レベルを上げてくれならまだしも下げてくれなどありえない」とか抜かすやついるよ。
多くの学生にとって、その講義だのゼミだの研究室生活だのは、まだ自分が人生をかけると決めたわけではないいくつもある選択肢のひとつに過ぎない、あるいは選択肢にすらないことを理解できないんだろうね。
学問ではなく学歴のために大学に行くんじゃない、研究したいわけじゃないのに大学院に行くんじゃない、学歴ロンダするな(まあこれはそうだと思うが)、
分野の重鎮たる私が指導してやるんだから、ゼミや講義には私生活を犠牲にしてでもありがたがって全力で準備してこい、イヤなら別のところに移ればいい、
全部まあ正論といえば正論だが、実際現実としてそれらに完全に忠実だったら確実にいまの日本社会ではただ不利になるだけだし、多くの学生にとっての「とりあえず目指す場所」への到達を遠のけるだけだよね。
結局誰が悪いのかって考えると、大卒や院卒に謎の価値を見出して、大学や大学院を純粋な学問の場ではなくしている日本の社会な気がするけど。
ただの書き殴りだから主張の結論とか特にないけど、要は教授がひたすら時代錯誤だなって思う。
自分の研究室を理想の学術の場にしておきたいっていうのとか、そこにふさわしい学生しか認めたくないみたいなのはわかるけど、
そうじゃない学生が配属されてきたときに、強い態度でアプローチするべき対象はその学生じゃねえだろっていう。
最近出てた教授擁護ツイでは「そういう学生を強めに指導しないと日本の研究力が」的なこと書いてあったけど、
「あんたらが大学を変質させてるおかげで、純粋な学問研究の場が失われて日本の研究力が落ちる」って。
書いてて思ったけど、いにしえのトラディショナルジャパニーズビッグカンパニー的な「会社のために私生活を犠牲にするのは当然」みあるなっていう。
自分の指導教官もそんな感じだった。院に進んだのに一生を研究に捧げなかった自分に非があるけど、何か意見を言うと不勉強だのバカだの言われて心底嫌だった。 結局多くの教授は研...